カリント日記

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2004年11月1日(月) 開業記念日

今日、11月1日はカリント開業記念日。
会社なら創立記念日といったところ。
おかげさまで二周年。
でも、一年が過ぎるのは早く、もう、五年ぐらい頑張ってきたような気がする。

会社が嫌で、それにもっと稼ぎたくて、一人で飛び出したのはいいが、見通しは決して明るくなく、「なんとかなる」という根拠もない自信だけを頼りに進む毎日。
何か物を作って売る仕事ならば、効率よく物を作ったり、顧客を拡大する事で儲けを増やす事も出来るだろうが、自分の知識だけを売り物にするこの仕事ではいくら効率よくやろうが顧客を増やそうが、体はひとつしかなく、売上倍増というわけには行かない。やはり、個人事業には限界がある。

ここはいっちょ、会社設立か。
とはいうものの軍資金もなく、新たな問題も沢山あるに違いないし。
とりあえず、人を集めて「個人」から「集団」にならなければ。
よし。まずは人材募集だな。

求む!金髪美人秘書!

2004年11月2日(火) プロ野球

楽天に決まったらしい。
オーナー会議で全会一致だったらしいが、仙台市民、とりわけ若い人に対する街頭インタビューではライブドアを支持していた人が多いように感じた。

今回のプロ野球再編問題、その中では旧態依然とした野球界の体質が、問題として取り上げられたように思う。
にもかかわらず、今回の最終結論を下したのは、やはり野球界の長老たち。
彼等の判断してきた事が誤っていたために前代未聞のファン離れを引き起こしたというのに。
いまだに企業名をチーム名に入れる野球。「軍」と平気で名乗る球団まである。
何か勘違いしていないかプロ野球。
サッカーファンの私は、今の野球界が、いや、野球ファンが気の毒に思えてならない。

誰かプロ野球の面白さを私に教えてください。

2004年11月3日(水) 今度の休日は何をしようか・・。

11月3日は文化の日。
「自由と平和を愛し、文化をすすめる」祝日らしい。
改正祝日法によるいわゆる「ハッピーマンデー」の影響を受け祝日が次々と、日付が特定されない月曜日に変わっていく中、文化の日は11月3日を移動しそうにない。それもそのはず、11月3日は明治天皇の誕生日なのだ。
まさか誕生日を「第二月曜日」などとするわけにも行くまい。

しかし、ハッピーマンデーのお陰で、もうひとつ休日の増える可能性がある。
9月の祝日といえば「敬老の日」と「秋分の日」であるが、この敬老の日はハッピーマンデーによって第三月曜日となっており、毎年、15日から21日までの月曜日が祝日となる。
一方、秋分の日は毎年23日前後(23日と決まっているわけではない。毎年、前年に決定されている)となっている。
そして、敬老の日が21日で、秋分の日が23日になる場合、祝日の間に挟まれた22日は「国民の休日」となるのだ。
5月4日が国民の休日であるがこれは5月3日の「憲法記念日」と5月5日の「こどもの日」に挟まれているからだ。
もし、上のような9月が来れば、19日(土)から23日(水)までの5連休になる。

ま、それを満喫するためには、秋晴れの今日でさえ部屋でごろごろしていたような生活を改めないと。

2004年11月4日(木) サドルがあればいい?

嫁さんが参加しているサークルに私の友達の妹がいるのだが、彼女が嫁さんに「20インチの自転車」があまっていないかと尋ねてきた。
彼女の子供(小学校低学年)が乗る自転車を探しているというのだ。
生憎、我が家の子供が乗っていた自転車は既に他人の手に渡っており彼女の希望には答えられなかった。

聞けば彼女はその姉、つまり私の友達から三輪車を譲り受けたという。
その三輪車というのは我が家の長男が乗っていた物で、ペダルも取れてしまうほど相当に傷んでいたので処分しようとしていたところを、たまたま家に遊びに来ていたその姉が見つけて「子供にほしい」といって持って帰ったものである。
そして、その姉の家の子供二人に乗られ、二人とも三輪車を卒業したので晴れてお役ゴメンとなったと思いきや、今度はその妹に引き継がれたというのだ。
しかも、妹のほうには3人の子供がおり、既に二人目までがその三輪車を卒業し、次はまだハイハイも出来ない3人目に引き継がれる予定だそうだ。
我が家の長男は15歳になるのでもう、10年以上、5人に乗り継がれたことになり、これだけ活躍した三輪車というのも、いまどき珍しいだろう。
これもひとえに、その姉妹が大変な「節約家」であったからこそ、出来た事だと思う。

「あーあ。どっかに20インチの自転車余ってないかなあ・・」と何度も言う彼女に、嫁さんは「わ、わかったか・・・。探しておくから・・・。」と返事するしかなかった。

2004年11月5日(金) hirosima

娘が修学旅行から帰ってきた。行き先はヒロシマ。

修学旅行の前にたくさんのフィルム映像を見たらしい。
もちろん、戦争の、とりわけ原爆の悲惨さを教えるためのもの。
しかし、小学生の彼女たちにそれはどのように写ったのだろう。
何度か感想を聞くと「あーあ。また明日もあの気持ち悪いものを見ないといけない」という。
被爆者に対して気持ち悪いとは何事だ!!
そう思う人もいるだろう。
でも、正直、皮膚のただれた背中、まるコゲの死体など大人の私でさえ気持ちが悪く、見たくは無い。

学校は気持ち悪い物を見せたいのか?
原爆は気持ち悪い物だと教えたいのか?

戦争の悲惨さを教えるために原爆のむごさを語る必要なない。
大切な物を、大切な人を失う事の哀しさ、人の命の尊さ、そして今、自分が平和に暮らしていられることの幸せを伝える事が出来ればそれでいいのだ。
そのためには、焼け野原の真ん中で雨の中、兄弟二人でたたずむ姿、それで十分。
幼い弟妹二人に分け与えた目玉焼きが、自分のそれの数倍ある写真、それで十分。
だらんと垂れ下がった我が子の腕を抱きしめる力もなく、涙する母の姿、それで十分。


なにより、自分のすぐ隣にいる大切な人がいなくなってしまう事の悲しさを、それだけを教えることが出来れば、それで十分なのだ。

2004年11月6日(土) 二度寝をすると

今日は数年ぶりに惰眠を貪った。
休日はいつも8時ごろに目を覚まし、布団の中でごろごろしながらテレビを見て、10時ごろから遅い朝食を取る。
今日もそこまでは同じだった。
けれど、部屋の気温が以外に低く感じられ、あの暖かい布団が恋しくなり、再び布団に入り込んでテレビを見ていた。
結局、そのまま寝入ってしまい、時折、時計を見ては「起きなければ」と考えもしたが、数秒後には再び夢の中にいた。
結局2時まで寝ていた。

二度寝をすると頭がボーっとして、目覚めの気分はあまりよくない。
この原因を以前何かの本で読んだ記憶があったがそれがよく思い出せないのでネットで二度寝について調べようと検索したところ、二度寝について最も多く語られていたのはこれと同じ、「日記」であった。
「今日は二度寝をしてしまった」とか「二度寝をしたので頭が痛い」とか。
また、意外に多かったのが「二度寝をしたので夢をみた」というものであった。
どうも二度寝をすると普段より多く夢をみるらしい。
夢は浅い眠りの時にみるものだから、浅い眠りである二度寝の時に多く見るという理由はうなづける。

それにしても日記に二度寝のことを書く人が多いのはどうしてだろう。
二度寝をすると大切な時間を無駄に過ごしたような気分になる。
きっとそれに対する自己反省をし、もう二度としないぞ、と宣言するのが目的ではないだろうか。
今の私がまさにそれだから。

2004年11月7日(日) ぼくのなつやすみ

娘が小遣いでゲームソフトを買いたいというので、夕食の食材調達がてらに近所のゲームソフトの中古ショップまで、出かけた。

子供が買ったソフトは「ぼくのなつやすみ2」。
肌寒くなってきたこの季節に似つかわしくないタイトルである。
どうやら、主人公の少年がどこか田舎の村で夏休みを過ごし、その中で色んな体験をするというシミュレーションゲームのようである。
家に帰ってきて娘がさっそくそのゲームを始めた。
近頃のゲームはよく喋る。ゲームの中の登場人物が声優の吹き替えによって話をするのだ。
TVアニメの主人公として最近活躍している有名な声優が吹き替えをやっているのには驚いた。

物語の舞台となっているのは何処かの島。
親戚のおばさんの家で夏休みの一ヶ月間を過ごすことになった小学校3年生の子供が主人公。
ただし、時代設定が現代ではない。
昭和50年。私がちょうどこの主人公の少年と同じ小学生だった時代。
ゲームを見ていると懐かしいものがたくさん出てくる。
自動車のプラモデル、昆虫採集セット、ジャポニカ学習帳・・・。
当時、流行っていたものが画面に現れるたびに、思わず「おお。なつかしい」と声が出る。
そして「これ、お父さんが小さい時に使ってたやつといっしょや」などと娘に話しかける。
「ふーん。そうなん」と適当に返事をする娘。
その娘の返事を半分しか聞かずに「いやーなつかしいなあー」と、一人想いにふける私。

娘が寝た後に、こっそりやってみようか。

2004年11月8日(月) 終バス

いつもは車で行くユーザに久しぶりに電車で行った。
予定では一時間ほどで作業を終えて定時ごろには引き上げるつもりだった。
でも、今日に限って、トラブル。
といっても、業務に支障があるわけではなく、テストが上手くいかないとのこと。
なんだかんだで、21時を回ってようやく終了。

この時間になるとバスも残り一本。
そしてその一本は、いつもの終点のJR駅よりもさらに遠く、我が家の隣の駅まで運行している。
たった一日に一本だけ。
この時間の最終のバスだけが最も我が家への近道を走るバス。
JRの駅を経由すると我が家まで1時間以上かかるのに、そのバスだと40分で到着する。

終バスは乗客も少なく、遅くまで仕事をしているご褒美に広々とした空間と、長い時間の心地よい揺れを与えてくれる。
この時間のこのバスであれば、車じゃなくてもいいかな、と思う。

2004年11月9日(火) 時期

今日は早く仕事が終わった。機嫌よく家に帰ってきた。
服を手際よく着替え、部屋着になって、いつもの席につく。
パソコンの前。私の仕事場所。

キーボードの上にはいくつかの封書がおいてある。
私宛に届くダイレクトメールや手紙、督促状(!)などは私が確実に目にする、このパソコンのキーボードの上に置かれることになっていて、それらの手紙に目を通すのも私の日課になっている。

まず一番上にあったのはIT関連情報雑誌出版社からのセミナー開催の知らせ。
「東京?いかれへん」。そしてそのままゴミ箱へ。
次が子供の教育教材の案内。
「誰の家に送ってるねん」。そしてそのままゴミ箱へ。
そして最後にA4より大きな封書。
見覚えのある封書。
げげげ。
「青色決算説明会のご案内 税務署」と書いてある。
うわ。青色申告のための「青色申告決算書」と「貸借対照表」である。
もうそんな時期になったか。
ううう。なにもしていない。

来週の休日は半分片付けてしまわないと。

2004年11月10日(水) 譲らない老人

大阪と東京で文化の違いがあることは周知の事実であり、エスカレータに乗る時の違いもそのひとつだ。
大阪ではエスカレータを歩く人のために左側を空け、立ち止まっている人は右側に並んでいるが、東京はその逆である。
しかし、大阪でも東京でも認められないであろう文化を持った人が時折いる。
それが今日見かけた人。エスカレータの真ん中に立つ人。それも、夕方のラッシュアワー時に。

私が右に寄って左側を空けていると、私のすぐ後ろに乗った老年の紳士が、左側を追い抜くでもなく、右によって通路を譲るでもなく、左斜め後ろで、でーんと構えている。
案の定、すぐ後から来たサラリーマンが、窮屈そうにその紳士のわずかばかりに開いている左側を遠慮がちに登っていく。
続いておばさんが大きな袋を持って『邪魔よ!どきなさい』という目つきで、しかし無言で、左側を抜いてゆく。
三人目が抜いていった後、私は我慢できなくなってその老紳士に声を掛けた。
「人が通るので左側を空けたほうがいいですよ」
そういうとその紳士が言い返した。
「急ぐやつは勝手に急いでおるのだ。別に空ける必要はない」
注意して反論する人に出会ったのは久しぶりだ。
なおも私は続けた。
「でも、急いでいる人にはそれなりの理由があるんですから、空けたらどうですか?」
しかし老人は突っぱねる。
「いや。そんな事は関係ない。空ける必要はない」
そこまで言われると私も呆れてしまい、
「譲るぐらいいいでしょ。もう」とため息混じりに言葉を濁す。
すると「ありがとう。注意してくれて」と老紳士は意外な言葉を口にした。
顔には笑みを浮かべている。

人に注意するという事を知っている人だと思った。

すぐ後の女子高生は私たち二人のやり取りを、メールを打つのを忘れて見入っていた。

2004年11月11日(木) 日記代わり

メールを時々読み返すことがある。
整理するのが目的だったり、過去にやり取りした内容を確認するのが目的だったり。
最初のうちはそのつもりで読み返すのだが、次第にのめりこんでいく。
関係のないメールでもタイトルに惹かれてついつい開封してしまう。
押入れの段ボール箱に片付けた古い本を整理しているうちに中身が気になり読みふけってしまうのと同じように。

自分で書いた事や人から言われた事も結構忘れていて、それを読み直してみると新鮮な気持ちで読める。
あのころは腹立たしく思えたものも、今はそうではなかったり、逆に、笑って許したはずなのに今さら怒りが込み上げてきたり。

でも一番多いのは、「ああ、なつかしい」と単純に思えるメールである。
今は、仕事以外のメールをあまり書かなくなってしまったが、以前は私用のメールが大半を占めていた。
当時のメールを読むとその頃の風景が頭に浮かび、口元が思わずほころび、時にため息を付く。まさに日記の代わりである。

なんだか妙に暖かく、季節は秋らしくもないが、少し感傷的になるこの気分は確実に今が秋であることを示している。

2004年11月12日(金) 一人で飲む時

いつもの店に行き、いつもの席に着き、いつものビールを飲む。
真っ直ぐ家に帰って飲むのも悪くはないが、一人で飲むのもまた一興。

しかし、かく言う私も数年前まで「一人で酒を飲むなんて考えられない」と思っていた。

ところがある日、ひどく落ち込むことがあった。
現実と理想のギャップをまざまざと見せ付けられ、どうしようもない自分のふがいなさと、それを分かってもらえないもどかしさが心にわだかまりを生み、それをそのまま家にもって帰りそうな気がして、それを払拭するために一軒のバーに立ち寄った。

所持金千円。
まず最初にカードが使えるか聞いた。
「すみません。カードが使えないんです」
なんと心細いことか。
とりあえず、カウンター席に座ってロックを注文する。

棚に並んだボトルがライトアップされてきれいだった。
ジャズが静かに流れている。
バーテンが氷を丸く砕いている。
そういえば誰かと飲む時は話に夢中でこういう背景を見たことがないような気がした。
たった一杯のロックを飲む間にたくさんの発見をした気がした。
たった一杯で十分だった。

それから、夜景を見ながら一人で飲む楽しさを覚えた。

2004年11月13日(土) スイスは加盟国じゃないのよ

我が家に高校受験を控えた長男が居る事は以前にも書いた。
一応受験生なのでそれなりの準備をしており、明日は模擬テストの日。
今まで何度か受験したものの、成績は芳しくなく、母親は毎回、結果を見て嘆いている。

そこで今回は私の出番となった。
手前味噌ながら私は他人にものを教えるのが得意だ。
自分で実感しているわけではないが、教えられた側や周りの人はそう思うらしい。
高校の定期試験辺りから嫁さんを相手に教えることを散々積んできた賜物だろうか。

で、今日は長男の不得意科目のひとつである社会を勉強する事にした。
といってもWebサイトで発見した模試から適当なものを選んでどんどん解かせるだけであるが。
まずは、「地理」「歴史」「公民」の中から要点と思われる問題をいくつか選んで解かせてみた。

そうすると中でも「地理」がさらに不得意であることが判明した。
今度はヨーロッパの地理を重点的に教えることにした。
地理は記憶する事が多いが、何度も何度も記述させて覚えさせた。
でも、不思議な事に覚えられない事は全く覚えられないようで、どうしても「スカンジナビア」が覚えられない。
「ス、ス、ス・・・スリジャヤワルダナプラコッテ・・じゃないしなあ」
そんな余計な事は覚えなくていい。

結局、5時間ほど長男の勉強に付き合う事になった。
おかげで私もEU加盟十五カ国の国名と場所を覚えてしまった。
きっとその分、何かを忘れてしまっているのだと思うと、なんだか損した気分だ。

2004年11月14日(日) 3本目は使い切れず

今日はなんだか忙しかった。

まずは朝。
今日、模擬試験を受ける長男を起こす。
食事を終えてリラックスした後、前日の就寝前に用意した確認用の問題を渡してそれを一通りやらせ、8時前に長男を送り出す。
いつもの休日ならまだまだ夢の中なので、しばらくはゴロゴロしていたかったが、午前中から長女の学校で親子の集いがあるらしく、家族が慌しく動き回るため、とてもそんな雰囲気ではなかった。
とりあえずパソコンに向かう。
と、突然、携帯電話が鳴った。
電話番号を見ると、ユーザからの電話。
業務のテストをしてるのだが結果が芳しくないらしく、それの問い合わせだった。
なんだかんだと2時間ほど付き合って、結局その日のテストはあきらめてもらった。

気が付けば昼前。
今日の昼飯は先ほどの親子の集いで摂ることになっている。
先に出かけた長女と合流するために、嫁さんたちと学校へ。
運動場に並んだ屋台でうどんとカレーを食べたが、さすがにアルコール類は販売しておらず、手持ち無沙汰になった私は先に家に引き上げてきた。

今日の予定では確定申告の準備をする事になっていた。
さっそく山積になった領収書の整理などを始める。
まずは領収書をスティック糊を使って台紙に貼っていく作業。
1本目のスティック糊を使い切るころ、長男が帰ってきてゲームを始め、2本目を使い切るころ嫁さんたちが帰ってきた。

帰ってくるなり嫁さんが、私の母の病院に見舞いに行こうといい出した。
そういえば10日ほど前から入院しているらしい。
3日前、妹から連絡があったのをすっかり忘れていた。
私は病人の見舞いが嫌いなので行く気はなかったが、子供も見舞いに行きたいというのでしぶしぶ行くことにした。
案外元気そうな母と年末の話などをし、病院は30分ほどして引き上げ、その足で夕食の買い物に出かけた。

嫁さんが夕食の支度をしている間、私は3本目のスティック糊を使い切るべく、領収書貼りを再開した。
結局、3本目を使い切ることなく、そのまま夕食の時間となり、そして気が付けばもうこんな時間。

明日は月曜日だというのに、すでに疲れてしまった。

2004年11月15日(月) ほねとかわとがはがれるおと

大漢和辞典。
漢字検定の勉教をするために時々Webで漢字の勉強をする事がある。
そんな時に、大漢和辞典の存在を知った。

日本でもっとも多くの漢字を集めた辞典である。
中国の出典が確かな漢字をすべて網羅したという、その字数たるや5万。
熟語にいたっては実に53万という驚きの数字である。

日本で、というよりは世界で最も多くの文字を集めている辞典に間違いない。
漢字というものは世界でも類を見ないほどに複雑な文字であるとともに、複雑な意味を持っている文字である。
事実、かのギネスブックに、もっとも複雑な文字として「龍」を4つ並べた文字が記録されていた。
(過去形なのは現在のギネスブックにおいてそういう記録の項目そのものが削除されているためである)
日本国内で使用されている漢字の中には、実は「漢字」ではなくて「国字」の類も多い。
「峠」「畠」などは国字であり、日本の国内において新たに作られた文字である。
最も画数の多い「たいと」や「おういちざ」などはどう見てもひとつの文字には見えない。

また、画数はそれほど多くないのに、やたらと読みの長い漢字もある。
有名なところでは「おおやけ(公)」や「こころざし(志)」などが挙げられるが、大漢和辞典にはそれを上回り想像を絶する文字が存在する。
フォントの関係で、それを表示する事ができないが「つきのくらいぶぶん」「あしのみじかいうし」というような漢字が存在する。
さらには「あごがしゃくれる」「あるきかたがただしくない」「かみがすくないさま」など、大きなお世話だ!と思わず叫んでしまいたくなるようなものまである。

これらはもともと中国から伝わった時に、それに対応する適切な日本語がなく、この漢字の意味を説明する言葉がそのまま漢字の読みとして定着してしまったものであろうと考えられ、そういう意味では他の漢字とは一線を画する必要があるかも知れない。

それにしても、「これひとつの読みとしてなんと読むか」と聞かれれば、上記の読み方が適切らしく、もう、なんだか「さもあらばあれ」といった感じである。

2004年11月16日(火) 住所

嫁さんは内職をしている。

そうでもしないとやっていけないというほど切羽詰っているわけではないが、嫁さんが自由に使える小遣いを稼ぐために始めたものだ。
といっても実情は大半を家計に注ぎ込んでいるようだが。
内職といえばなんだか湿っぽいイメージが先行するが、今やっている仕事はパソコンを使ったデータエントリであり、他の内職に比べるとダントツで歩合がいい。
毎日コンスタントに仕事があるわけではないので、月収にすると知れているのだが、実労働時間と考えるとその歩合は他の内職の3倍ぐらいである。
もちろん、パソコンが必要だし、キー入力できないといけないし、ソフトウエアのインストールや基本的な表計算ソフトの操作方法の知識も必要になる。

ところで、データをパソコンにエントリーするという事は、無論エントリー元の原票は手書きということになる。
そしてそれが、筋金入りの判読不明文字なのである。
住所をエントリする時など、郵便番号が読めれば何とかなるものの、その数字さえ判読困難な場合、市町村名などは、もはや人の書いた文字ではない。
何かのまじないではないか、これは呪いの言葉ではないかと見まがうほどである。

また、京都市内の住所には泣かされる。
京都という街は同じ場所を示すのに、南側から呼ぶ名前と北側から呼ぶ名前とで違いがあり、住所が判読しにくい時に郵便番号で調べても、それが全く違う地名を示すことがある。
例えば、「京都市上京区一丁目大宮通椹木町下る」「京都市上京区一丁目大宮通丸太町上る」「京都市上京区一丁目椹木町通大宮西入」「京都市上京区一丁目丸太町通大宮東入」はすべて同じ場所を示しているのだ。

郵便配達員やタクシー運転手の頭はどうなっているのか。よくもまあ、こんなところで仕事が出来るものだ。
恐るべし、雅人。

2004年11月17日(水) 開け!こころ!

人に言いたい事があって一所懸命に伝えようとしても伝わらない時がある。
まるで夢の中で叫んでいるかのように。

以前に比べて今はさまざまな意思の伝達方法がある。
最近利用する最も一般的な方法はメールだろうか。
相手の顔が見えず、また声も聞こえないため、一方的に書くことが出来る。
その反面、相手の調子に合わせる事が出来ないために必要以上にくどい内容になることもあり
相手がうんざりするほど過剰に自己主張してしまう恐れもある。
電話は相手の顔が見えないけれど、反応を伺いながら話を進めることが出来る。
メールよりは臨機応変に話すことが出来るだろう。
でもその分、相手の声に惑わされる事なく、自分の意思を伝える事が困難になることは否めない。

しかし、どちらも相手が目をそむけ、耳をふさいでいたならば決してこちらの想いを伝える事は出来ない。
いかにさまざまな伝達方法を用いようとも、相手が心開かねば自分の心を伝える事が出来ない。

相手が心を閉ざしているために何も反応しないのか、それともすべてを受け入れた上で何も答えようとしないのか。
科学技術がいくら進歩したところで、本心のYES or NOを聞き出すのは容易な事ではない。

2004年11月18日(木) そりゃもう、猛スピードで。

新札の樋口一葉にまだ出合っていない。

以前からそうだが、五千円札というのは手にする機会が少なく、新渡戸稲造の時も夏目漱石よりもずーっと後になってからご拝顔する事になった。

流通量が少ないというのも理由のひとつだろうが、五千円札というのはお釣以外に手に入れる機会がほとんどない。
キャッシュディスペンサーでお金を下ろすと、一万円札と千円札が出てくるし、下ろす金額が一万円だけなら千円札が十枚出てくることが多い。
また、唯一手に入れる機会である「お釣をもらうとき」も、考えてみれば五千円札をもらうことは少ないのではないか。
一万円渡してお釣に五千円札が含まれるのは、払うべき金額が五千円以下、つまり四千いくらの時であり、そういう時なら通常は千円札で払えることが多いため、受け取るお釣は小銭だけになる。
つまり、財布には千円札が三枚以下で、一万円札があって、かつ、四千円以上五千円以下の買い物をしたときのみ、五千円札が手に入る事になる。

「金は天下の回り物」とはいえ、五千円札の樋口一葉にめぐり合う機会は少なく、また、福沢諭吉は駆け足で通り過ぎていく。

2004年11月19日(金) 今から飲んできます

仕事を終えていつもの店に行く。
いつものように人はいない。
おいおい、大丈夫なのかこの店は?と心配しつつ、飲み続ける。
そしていつもの野郎と飲む。
「あー、結構飲んだな」と思いつつ、帰りの電車で、嫁さんと飲みに行く計画を立てる。

家に着く。
いつものドラマを親子で見る。
ときに涙しながら息子と飲む。
未成年なので、まねごとだけれど、息子と飲む。
でも、いつか、こいつと飲めると思うと、なんだかうれしい。

子供たちを寝かしつける。
そして嫁さんと飲む。
へべれけになる。
なのに、まだ飲む。

そして、そのまま酔いが醒めなければいいのに、と思う。
結局、いつも誰かと酒を飲んでいる。

2004年11月20日(土) そういえばピアノもブラインドタッチじゃないなー。

今日は二日酔いで、パソコンに向かうこともなく、テレビを見てごろごろしていた。

昨日の日記を書いた時は既にかなり酔っていて、キー入力もままならなかった。
一所懸命に内容を考えて、何とかその日のうちに書き上げたものの、考えていた時間は通常の2倍、入力時間は通常の3倍はかかった。
何しろ、正確にキーを押せるのは唯一、人差し指だけ。
とはいっても、私はキー入力する機会が多くなった時期に、左手人差し指の爪をはがす怪我をしてしまい、一ヶ月以上人差し指が使えず、それをかばって仕事していた。
だからその時のクセが染み付いて今でも左手の人差し指は使わないのである。
そしてその左手の人差し指はいつも画面の方向を指差している。
また、パソコンを使い始めて10年、仕事で毎日使っているにもかかわらず、それに、ブラインドタッチが出来ない。
というより、あえて練習はしていない。
私の仕事は頭を使う仕事である。キー入力は私の考えを表現するための手段に過ぎず、
キー入力そのものは私の仕事ではない。
私はキーパンチャーのようにキー入力そのものを仕事にしているプロではないからだ。
それに正直、ブラインドタッチって、オタクっぽい。あまり賢そうに見えないのだ。

テレビのリモコンならブラインドタッチで使いこなせるが。

2004年11月21日(日) 隠しページ

隠しページの作成をちょっとやってみた。

ホームページ用のレンタルサーバによっては隠しページの作成を許可していないところがある。
無料で借りる事の出来るサーバは広告の掲載を必須としている事が多く、その広告を多くの人に見てもらうことによって利益を得ている。
しかし、隠しページというのはその名の通り隠しているページであるわけで、一般には目に付かないところにある。
ま、ホームページを作成した側も、完全に隠すことを目的とはしていない。
何らかのヒントを残しておいて、それを見つけてくれることを期待しているわけだが。
それでもやはり、見る人を制限してしまう事に変わりはなく、見る人を制限してしまってはせっかくの広告が目に付かなくなる。
アクセス制限を設けるのも同様の理由で規制されることが多い。
で、私はそういう広告がうっとうしいのであまり規制のないレンタルサーバを借りる事にした。

もともと私のサイトは味気ないので、もう少し何かをやろうと思っていたところ、リクエストがあったのでやることにした。
ただ、単純にページを隠してあるだけで、そこに行っても何もない。
相変わらず、私の車の写真があるだけ。
とりあえず、レベル4まで作ってみた。
暇な人は探してみてほしい。

あ。あれだぞ。「ここ」とかいてあるところが二箇所あるがそれはメンテナンス用だ。
別にクリックするのは構わないが、面白くもなんともないぞ。

2004年11月22日(月) あのポケットがほしい

ネコ型ロボットアニメの声優さんがガラッと変わってしまうそうだ。

ネコ型ロボットのヒロインは日曜日の夕方の7人家族で有名なアニメの次女としても活躍しているし、何をやってもダメなネコ型ロボットの親友はアルプスの少女の羊飼いだし。
みなさん有名なアニメで活躍されている人ばかりで、とても馴染み深い声ばかりだ。
中でも主人公のネコ型ロボットの声優さんのその声は、あまりに独特であり、他のアニメでは聞くことが出来ないほどに印象深いものがある。
この声優陣の声が聞けなくなるとはとても寂しい気がするが、考えてみれば20年以上も
メンバーが変わっていないのであり、そんなに長い期間、メンバーの入れ替えがないというのは他の業界では例を見ないのではないだろうか。

声優さんの年齢も70歳手前だという。
私が、そこに登場する子供達と同い年ぐらいに始まったアニメ。
私の子供が既に彼等の年を上回ったというのに、アニメの仲の彼等がいつまでも小学生でいられるのは70歳をむかえる、この声優さんたちの力によるところが大きい。

2004年11月23日(火) つるつるいっぱい。

ホームページを開設して一ヶ月が経過した。
最初に作ったときと大きく姿を変え、投書の目的であったチャットは遂に姿を消した。

ところで、この「ホームページ」という言葉、本来はそのサイトの表紙ページだけを指すのであって全体を指す言葉ではない。
何処かのサイトに、「ホームページという言葉を間違って使っているのはおかしい」と目くじら立ててお怒りになっている御仁がいらっしゃった。

しかし、この言葉はもう、社会に定着してしまっている。
「ホームページの作り方」などという本やウェブサイトがあるがそれが本当の意味での「ホームページ」だけの作成方法を説明していないのは明白であり、今やホームページといえば、そのコンテンツを含めたすべてを指す言葉になっている。
もともとあった言葉が「言葉の乱れ」として広まったものでもないし、もともとそういうものとして日本に広まったのであるから、「ホームページ」は立派に市民権を得ている。

とはいえ、私も言葉については少々うるさいほうなので、自分の「ホームページ」で言いたい放題言わせてもらおうと思い、新しいコンテンツを作った。
しかし、すでにもうネタ切れが迫っていて、ピンチである。まさにつるつるいっぱいの気分である。

2004年11月24日(水) 寒い!暑い!

昨日は少し風邪気味で、一日中寝ていた。
発熱こそしていないが、頭がぼーっとしていた。
久しぶりにマシン室に閉じこもっていたせいだろう。

コンピュータというヤツは熱に弱く、人間が寒いと思うほどに冷やしてやって丁度いい。
だから、コンピュータの集まるマシン室というのは、年中寒い。
空調機からは冷たい風がビュンビュン吹いてくる。
そして、くまなく空気が巡るようになっているため、どこに隠れていようと容赦なく風が来る。
床下に冷気を循環させるタイプもあり、床に空けられた空気を取り出す穴を跨ごうものなら、身の縮む思いがする。
スカートを穿いた女性なら、悲鳴を上げるかもしれない。

しかし、実際に事務所でパソコンを使う人はそこまでコンピュータのことを考えたりはしない。
机の下にパソコンの本体を置いて、寒いからといって足元に電気ストーブを置く。
パソコンの真向かいにストーブ。
しかも、隙間風は寒いからということで、決して風通しをよくすることはない。
そんな理由で壊れたパソコンがこの11月だけで3台あった。
ユーザとの打ち合わせで保守員が嘆いていた。

冬はコンピュータと人間が仲良く出来ない季節だと思った。

2004年11月25日(木) 出張は辛いよ。

今日は朝9時から会議だった。
それはもう大変だった。
普通にユーザ先で会議ならどうってことないが、今日の開催場所は田町。
品川の隣。つまり東京。
で、前日は21時まで大阪で仕事をしていたので、移動は今朝。
近頃の新幹線は速くなって、始発に乗れば9時の会議に十分、間に合ってしまう。

朝5時過ぎに自宅を出る。
穏やかな朝日に包まれ、小鳥のさえずりが聞こえる朝ならすがすがしいだろうが、
この季節、朝の5時といえば真っ暗。
駅へ続く道は昨日の夜と同じカラオケのネオンが煌煌と輝き、タクシーがライトをつけて客待ちをしている姿は爽やかな朝とは程遠く、酒臭さと怒鳴り声の似合う深夜の様を呈している。

「のぞみ」が駅を滑り出した頃、ようやく空が白み始めた。
その蒼黒い空を見ていると夕方のそれと変わらず、ビルを染め始めた日の光もこれから人々が帰宅する頃の色合いと区別がつかない。
しかし、確実に目覚めの街であり、眠りにつこうとする街ではなかった。
そう感じるのは何故なのか少し考えてみた。

どの方向からも車の来ない寂しい交差点で信号が点滅しているせいなのか。
あちこちに立ち並ぶ団地に団欒の灯りが少なく、黒々と見えるせいなのか。

などと考えては見たものの、結局、このまだハッキリと目覚めきらない自分の頭が、まだ朝であることの確かな証であると確信したのは、心地よい揺れの中、再び眠りにつき始めた頃だった。

2004年11月26日(金) ユーメルメル

昼間、駅へ向かう途中、ガイドブックらしきものを開いている二人の女性が困ったような顔をしていた。
なんとなく予感がしていたが、案の定、通り過ぎる時に声をかけられた。

「Excuse me..」
私はよく、外国人に道を尋ねられる。
が、いずれも満足の行く受け答えは出来なかった。
今日こそは、と少し気合を入れて応対する事にした。

「Excuse me....」といってガイドブックを見せる。
そこには「WTC」の文字が。「World Trading Center」だ。
私は手を振りながら「No here」と応える。
「No here?」と返事がある。伝わったのかどうなのか。
そして、『どう行けばいいのか?』というような感じの質問をされた。
ハッキリとは聞き取れないが、こういう会話でさらに問い合わせているのだからそういう内容に違いない。

「Ah・・On Subway」と応える。
文法とかそういうことは気にしていられない。とりあえず、会話する。
「Subwey?」と返事がある。これまた伝わったのかどうか定かではない。
でもその次の質問は「Where is the station?」というものだったので「地下鉄」という事はちゃんと伝わったらしい。
そこで私は身振り手振りで応える、というかそのまま日本語で。
「あの信号を右に曲がってしばらくあると駅があります」と。
すると今度は「Station name?」と聞かれた。
「OsakaBusinessPark station」と応えたが、「No no.This station」といってWTCの写っている雑誌を指差す。

しかし。
残念な事に、私はWTCがある最寄り駅を知らなかった。
あたりに人はおらず、仕方なく「Sorry..I don't know..」と応えた。
あ、なんか、英会話をしているようじゃないか。
相手も「Thank you.Thank you very much」と二人して応えてくれた。
会話はそこで終わってしまった。でも、今日の成果に気をよくして立ち去った。

んが、しばらく歩いて、幼稚園児の末娘に言われたあることを、ふと思い出した。
「おとうさん。えいごをはなしたあとは、ユーメルメルっていうねんで」と。
あー。今日も言い忘れてしまった。

You're welcome.

2004年11月28日(日) か、風邪・・。

うーたまらん。
風邪をひいてしまった。

この前からユーザ先のマシン室に閉じこもりっきりになって作業を続けていたので、それが影響している。
作業も終わる時間には既に寒気と頭痛がしていたのだ。
帰宅しても寒気が治まらず、みんなが暑がっている部屋の中、ファンヒータの前で一人震えていた。
とりあえず、日記だけは何とか仕上げたものの、食事もロクに喉を通らず、早々に床に着いたが、翌朝にはしっかり発熱。
一日中、寝ていたため、お陰で日記は書けなかった。

発熱したのは何年ぶりか。体は丈夫なほうなのに。
それだけにダメージが大きい。
今は小康状態というところ。

明日からまた一週間が始まるかと思うと、久しぶりに憂鬱になる日曜日の夜だ。

2004年11月29日(月) 落とし主は?

携帯電話を拾った。

ユーザ先からの帰り、駅の待合室で電車を待っているとカップルが入ってきた。
「あ。こんなところにケータイ忘れてる」と一人が言う。
見ると私の向かいのベンチに携帯電話が置いてある。
カップルが席に着く。
1秒。
2秒
3秒。
カップルは口を開くこともなければその次に取るべき行動も取らない。
私はすぐに立ち上がり、携帯電話を手に取って改札の駅員の元まで届けた。
そしてそのまますぐに電車に乗った。

乗りながら考えた。
携帯電話を忘れるとなると、若者ではあるまい。
彼等は財布を忘れても携帯電話は忘れないだろう。
ストラップが着いていなかったし、シルバーと濃紺のストライプというデザインから考えて持ち主は女性ではなく、男性だと思われる。
また、待ち受け画面はテレビアニメのキャラクターのようにも見えた。
写真にするような年代ではないのかもしれない。

塾に通う子供がうっかり忘れてしまったのだろうか。

もしそうだとすると親は子供にどこで忘れてきたのかを問いただす。
でも子供のことだからハッキリと答えられない。
そうするととりあえず携帯電話に電話することを考える。
しかし私が駅員に届けた携帯電話はもうその頃には「忘れ物袋」の中にあり誰にも気付かれる事はないかもしれない。
子供はきっと親に責められるだろう。
私は電話を届けずに持って帰ってくるべきだったか?
そういうことばかり考えていた。

嫁さんが「考えすぎ」というまで。

2004年11月30日(火) きっかけっていうほどでもないけれど。

取引先から懇親会のお知らせが届いた。

取引先の皆様との互恵を深めたいらしい。
タダで酒が飲めるとあっては出席しないわけには行かない。
しかし、知り合いがいるわけでもなく、手持ち無沙汰になることも大いに予想される。
普段一人で酒を飲むのは一人だから一人で飲むのであって大勢の中で一人で飲むのはまた別の話である。

通いなれたユーザ先での仕事が殆どで、仕事の範囲というのも大方決まっており、やっている内容は日々違いがあっても自分のおかれた環境は殆ど変化も無い。
若い頃は友達などいくらでもすぐに出来ると思っていたし、事実そうであった。
しかし今や、友達どころか仕事関係の付き合いでさえも、和を広げることはそう容易なことではない。
「自分は努力している。でも、自由の利かない環境がそうさせる」と自分に嘘をついているが、事実がそうでないことは明白だ。

自分から行動に出ていないことを少し反省しよう。
そしてまた、颯爽と走り出したいと思う。

長月だったか、神無月だったか・・?
あ、そうそうとようやく思い出した霜月も今日で最後。
明日から師走。十二月だけとは言わず、これからもずっと走り続けて行きたい。

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