カリント日記

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2005年5月1日(日) 儲けまくり

「経費で落とす」。
この言葉は自営業なら誰でも知っていて、その言葉を正しく理解していると思うが、世の中では案外、正しく知られていない言葉のようだ。

我々自営業が「経費で落とす」と言う場合、例えば業務遂行に必要な物品の購入代金を必要経費として処理することを指し示す。
そして、確定申告のときに、その経費は売上高から差し引くことができ、課税対象額を引き下げることになる。
ところが、一般の人、特に会社勤めの人が「経費で落とす」という場合、「自己負担ゼロ」ということを示す。
この解釈が大きな誤解を招いている。

その誤解というのは自営業者が経費で落とした金額も「自己負担額ゼロ」と思われているということだ。つまり、誰かが代わりに払ってくれる、例えば税金などでまかなわれていると思われているのだ。

冷静に考えれば、そんなうまい話など絶対にあるわけはないのだが、少なくとも私は今までに、そのように誤解していた3人の会社員に出会った。というより、経費の話をしたのが、その3人なのだから、誤解されている確率は100%なのだ。

経費は何も接待交際費だけではない。
旅費交通費、仕入れ材料費、減価償却費、消耗品費、水道光熱費、家賃、宣伝広告費、そして社員に対する給与などなど、業務遂行上必要な費用は全て経費なのだ。
それを自己負担ゼロ(会社なら会社の負担ゼロ)でやってくれるなら、売上は全て利益となり、儲かりすぎて笑いが止まらないだろう。

まあ、給与所得のある人は会社での経費には多少意識はするものの、自分の給与の3割が経費として扱われているなど、ほとんど知らないのだから仕方がない。

2005年5月3日(火) 遊園地

ゴールデンウィークの後半初日で絶交の行楽日和。
こんな日は何処へ出かけても人でいっぱいだ。
にもかかわらず、無謀にも遊園地へ行くことにした。
「ゴールデンウィークで人がいっぱいの遊園地とはどんなものか」を実感したくなったのだ。
前日から友達の家に泊に行っている長男を残し、4人で出かけることにした。

10時からの開園にあわせて朝9時に出発しようと思い、私は6時過ぎに起床して用意を始めたのだが、肝心の家族が寝坊したので、結局10時過ぎに家を出ることになった。
最初は電車で行くつもりだったが、人にもまれてくたくたになった帰りのことを考えると、子供たちが電車で寝込んでしまうのは必至、それに、「混雑」を体験するなら車がいいと考えたので、これまた無謀にも車で出かけた。

いつもなら、我が家から幹線道路まで10分弱、幹線道路に出てから遊園地まで20分程度でたどりつける。
でも今日は流石に違っていた。
幹線道路に出て、5分ほど走ると混雑の兆しが見えてきた。
カーナビを見ると渋滞を知らせる赤い線が道路沿いに点滅していた。

橋を渡り、新幹線の基地を過ぎる頃渋滞が始まった。
抜け道を見つけて進もうにも、その抜け道が混雑していた。
中には途中で引き返す車も何台かあった。
1時間を要して遊園地の駐車場に到着した。
しかしそこから先が長かった。

この遊園地の周りを取り囲むように時計回りに一方通行の周回道路が走っており、その周回道路から2箇所の駐車場に入ることいなっている。
周回道路に合流してすぐのところにある駐車場は既に満車であったため、次の駐車場を目指すことにした。
ところが、次の駐車場というのは今の合流地点のわずかに後方にあり、その駐車場に行くためには周回道路を一回りしなければならないのだ。
夜間のドライブでは5分ほどで一周できる周回道路。
しかし今日は、桁違いに時間がかかり、ほとんど人の歩く速度で走ること1時間。
車にテレビのないときだったら車内は殺気立っていたに違いない。

ようやく車を停め、同じように次々と駐車場に入ってきて憔悴しきった人たちと一緒に、遊園地へ向かった
遊園地に入るなり「観覧車、観覧車」と次女が連呼するので、30分並んで観覧車に乗った。「空を飛んでるみたい」という次女の感想は、下界の喧騒を遥かに見下ろすこの場所ではぴったりの言葉だった。


その後、私と長女、嫁さんと次女、それぞれがペアとなっていくつか回った。どれも30分以上待たされた。
そして最後に、前日からメールで連絡を取っていた友達のいる、幼児向けの施設に向かった。
その後も2時間ほどそこで遊び、日が暮れ始めた頃、家路についた。

長い待ち時間が染み付いた体は、40分で家にたどり着いたことを「空を飛んできた」ように感じた。

2005年5月4日(水) 記念日

花束は去年だったし、指輪も3年前に買った。
ネックレスはクリスマスプレゼントだったし、時計も独立記念でペアで張り込んだとこだった。
服といってもTシャツぐらいしか選べないし、毎年のように買ってもなあ。
何かなかったかと調べてみたら、「15年目 水晶」と書いてあって、こんな事なら去年、水晶の贈り物をすればよかった、などとさんざん悩んだ挙句、何も用意しなかった今日は、16年目の結婚記念日。

夕方、嫁さんと一緒に近くのスーパーまで夕食の材料を買いに出かけることにした。
末娘もついて来た。
私は久しぶりにビーフシチューか酢豚が食べたかったが、刺身が安かったのでそれにした。
嫁さんは白身魚しか食べられないので鯛(タイ)を選び、あとは子供の好きな赤身の鮪(マグロ)をカゴに入れ、メインが刺身となると、野菜の煮物が欲しいので、筍(タケノコ)と蕗(フキ)を買った。
子供の好物の豆腐とうすあげの味噌汁も作ることにした。
もう少し欲しいので、茄子(ナス)と胡瓜(キュウリ)を買うと、末娘がねだるので茹でてある玉蜀黍(トウモロコシ)も買った。

また、末娘はちゃっかり、お菓子も手にとり、カゴに入れている。
カゴに入れてあっても、レジの直前で取り出し、レジ係の人に「シール貼ってください」と言って、自分の選んだお菓子にシールを貼ってもらい、さらにそれを自分だけのビニール袋に入れて持ち歩くのが彼女の慣わしだ。
今日は玉蜀黍もねだって買ってもらったので、それも自分のビニール袋に入れ、上機嫌でスーパーを出た。
お菓子と玉蜀黍の入ったビニール袋を持ってスキップする末娘を先頭に、夫婦並んで歩いた。

家に着くと早速、夕食の支度に取り掛かった。
まずは、蕗の皮をむき、筍と一緒に出汁と醤油で煮込む。
塩加減も目分量だが、私が味付けすると、味見をしなくてもおいしくなるから不思議だ。
近頃の野菜は灰汁(アク)の量も少なく、灰汁取りはそれほど手間もかからない。
次に圧力鍋でご飯を炊く。炊飯ジャーよりも早く炊き上がるので、我が家ではいつも圧力鍋だ。
さらに胡瓜の塩もみを作る。
これまた目分量で塩を入れたが、出来上がってみると嫁さんが一発でOKするほどにいい塩梅になった。
味噌汁は少し味が濃くなってしまったが、「味噌汁かけご飯にすると美味しい」と子供には評判だった。
焼き茄子を作りながら刺身を切って皿に盛り付けると、「鮪を鯛にくっつけるな」と嫁さんに注意された。
玉蜀黍を3等分するときは「自分のを大きくして、一番小さいのはお兄ちゃんの」と、末娘に注意された。
気が付けば、私が料理を作っていた。

夜。
長男長女は自分たちの部屋に行き、寝る用意をし始め、歯磨きを終えた末娘は、そのまま居間で寝てしまった。
と、嫁さんが冷蔵庫からスパークリングワインを持ってきた。
栓を止めてある針金を外し、硬いコルクの栓を抜くと「ポンッ」と心地よい音がした。
グラスに注ぐと、何本かの泡が立ちのぼり始めた。

二人で並んで座り、乾杯をした。
これからもよろしく、と。

2005年5月5日(木) 孫が遊びにやって来た

「ゴールデンウィークに連れてきてもらいなさい」と、連れてきて欲しいのは自分たちのくせに、さも、子どもがそれを待ち望んでいて、その望みの叶うのが連休でなければならないかのように、私の子どもたちに言うのは、孫に対する威厳のひとつなのか、とにかくそういう義母からの誘いを受けて、嫁さんの実家に遊びに行った。

嫁さんの実家は車で30分程度のところにあり、子ども一人でも電車に乗って遊びに行けるので、「ゴールデンウィーク」でなければ行けないほど遠いわけでもなく、帰省ラッシュとは無縁である。
昼過ぎから出かけて30分ほどで実家に着いた。

挨拶が済むと嫁さんは親子の会話を楽しんでいるが、私と子どもたちは別の部屋で、テレビを見たり本を読んだりぬりえをしたり、家にいるときと変わらない方法で時間を過ごす。

普通はどうなんだろう。
孫が来たのなら、じいちゃんやばあちゃんたちは、学校での出来事や幼稚園の友達のことを聞いたり、一緒にぬりえをしたりするもんじゃないんだろうか。
まあ、そうやって、お菓子を食べながら、夕食までの時間を潰す。

夕食は豪華にいつも外食だ。
孫が喜ぶので外食にしてくれているのだろうが、孫は母方のばあちゃんの手料理を食べたことがないんじゃないだろうか。
私でさえ、数度しか記憶がない。それも「すき焼き」とか「焼肉」だ。
考えてみれば、義母は父親がわりに働きに出ていたため、家事を嫁さんに任せていた。
だから、料理があまり得意ではないのかもしれない。

夕方になって近くのファミレスに行った。
ファミレスとはいえ、子どもが注文するのはステーキ。
しかも、やたらと高いものを選ぶ。
普段から食わしていないわけではないのだが。
「孫のために金を使わせるのも親孝行」と聞いたことがあるので、悪いなと思いつつ、私はいつもご馳走になり、子どもも心得ているのか、義母たちと食う時は値段のことはあまり気にしていないようである。

その後、近隣の大型デパートへ行った。
子供達と私は本屋へ行く。いつものことだ。
本屋(ここは椅子に座って立ち読みできる)で本を読んでいる間に嫁さんと両親は買い物に出かけるのだ。
本屋で一通り本を読むと、次はデパート内のゲームセンターへ行く。
そこであまり金の掛からないコインゲームを堪能し、買い物を済ませた嫁さんたちと合流して帰宅するのだ。

客観的に見て、祖父母のところへ遊びに来た孫、という感じはしない。
コマーシャルでは絶対にお目にかかれない雰囲気だ。
義母たちは、孫との会話や物理的な触れ合いがあまりないというか、おそらく得意ではないんだろう。
しかし、それでも義母たちにとっては孫が遊びにやって来たという事実が嬉しいようで、また、うちの子どもたちもそれなりに楽しんでいるのだから、それはそれでいいんだろう。

2005年5月6日(金) 鉢植え

ガーデニングというほどでもないが、我が家にもいくつかの鉢植えがあり、それを玄関先に並べている。

先日、ホームセンターで見かけた青い花は、寄せ植がとてもきれいだったので、同じように咲かせてみたいと思って、数株買ってきた。
やがてぽつぽつと青い花を咲かせ始めたがなかなか数が増えず、しばらくは寂しい鉢植えだった。
それがここ2〜3日の陽気のせいか、一気に開花してきた。

ところが、思ったような形になりそうにもない。
見本の寄せ植はドーム上にきれいに咲いていたのに、我が家のそれは、まるで鉢植えの中で猫が昼寝をしていたのではないかと思うほどに、ぺちゃんこなのだ。
実際、うちの猫はベランダの植木鉢の中でよく昼寝をしている。
この植木鉢も最初は花の苗を入れていたりしたのだが、猫のせいで成長も止まってしまい、何時しか昼寝場所として認知されてしまったのだ。
そのため、今回も真っ先に猫が疑われた。
でも、置き場所を考えると、決して好んでその植で昼寝しているとは思えない場所だった。

次に疑われたのはボールだった。
玄関先にはサッカーボールとバレーボールを置く場所がある。
そこはその鉢植えと隣接しており、子どもたちが遊んだ後に、元の場所に戻そうとして誤ってその鉢植えに乗ってしまうこともある。
そのまま数時間経過すれば、ぺしゃんこになる可能性もある。
しかし、最近は河川敷の公園でボール遊びしたのを最後に、子どもたちはボールで遊んでおらず、唯一遊んだのは私がぐらいだ。
それに、慢性的に鉢植えに乗っていないのなら、ずっとぺしゃんこになっていると言うのも納得できない。

で、とにかく花(中央)が何であるのかを調べることにした。


ロベリアというらしい。
さらに、「地を這うように品種と上に伸びる品種がある」らしい。
ということは、これはどうやら地を這う品種であって、このぺしゃんこなのは本来の形ということになる。
ホームセンターできれいな形をしていたのは、何か仕掛けがあったのか、上に伸びる品種を中央付近に植えていたのか、詳細は確認できていないが、とりあえず、病気ではないらしく、正常だということで安心した。

どうやら他の花と組み合わせて植えた方が見栄えが良さそうだ。

2005年5月7日(土) 公園の秘密

昨日に続いて花の話。

我が家から歩いて五分ほどのところにある大学の横に、遊具もそれほどなく、いつ通っても子どもたちが遊んでいる姿を見かけたことのないような、小さな公園がある。
時折犬を連れた人がやってくるが、園内を一周してそのまま出て行ってしまう。
近くに店もないので、大人が買い物をしている間に、子どもが遊んでいるというような場所でもない。

私も数年前のこの季節に、末娘を散歩させることがなければ、この公園のことは気にも留めなかっただろうし、その後、わざわざ足を運ぶこともなかったと思う。

この新居に引っ越してきたのは、まだ末娘がベビーカーの世話になっていた頃のこと。
当時まだ会社員であった私は、天気のいい土日には末娘をベビーカーに乗せ、長女と一緒に家の近所を散歩するのが習わしになっていた。

近所には古くからの家が多く、区画整理などもされていないため、道路は何処も入り組んで狭くなっており、それゆえに交通量も少ないので、散歩するコースは幾通りもあった
自宅の前を北上し、自転車さえもすれ違えないような狭い路地を通り抜け、古びたアパートの前を通り過ぎ、小さな川にかかっている橋を渡るために石段を登る。橋を渡って石段を降りる時はわざとベビーカーをガタンガタンとおろしてやると、末娘は声をあげて笑い出す。
そのすぐ先にはペットショップがあって、いつも店先にはキバタン(オウムの一種)がおり、そのキバタンに手を振る末娘を乗せ、なだらかなカーブの道路をなおも北上すると、その公園があった。

ある年の4月の後半。
いつもは人気のないその公園に何人もの人がいた。

藤の花が満開だった。
その公園にある藤棚の花が満開だったのだ。

きれいなうす紫色の花に惹かれて、いつもは前を通り過ぎるだけなのに、私もその公園に足を踏み入れた。
「きれいでしょ」と見知らぬ老年の女性が声を掛けてくれた。
新しい発見に得をした気分になった。

あれから数年。
タイミングがよければ今でも見る事が出来るが、今年はタイミングを逃してしまった。
昨日の雨ですべて散ってしまったようだ。

藤棚にわずかに残る花を見て、満開だったあの当時の花と、ベビーカーで笑う末娘を思い出した午後だった。

2005年5月8日(日) コマなし

最近、末娘は自転車の「コマなし」に乗るための練習中である。
練習といってもつい昨日まで、1日に10分程度しか乗らなかった。

以前乗っていた小さな自転車は、ハンドルのところに膝が当りそうなのでお役ご免となり、少し大きめの自転車を買ったところだった。
最初コマなしに乗る練習を始めた時は、その新しい自転車のコマをはずしていた。
ところがその自転車では両足を爪先立ってしかつくことが出来ず、本人が不安がってなかなか練習に集中できなくなってしまった。
そこで、お役ご免となったはずの古い自転車のコマをはずして練習することにした。

コマなしを乗る上で肝心なのはバランス感覚だ。
コマに頼って乗っているうちは重心がずれて、いずれかい一方のコマに、体重のかかる事が多い。
だから最初のうちは、ペダルをこぐのではなく、地面を足で蹴り勢いをつけて進み、自転車が走り始めると、両足を挙げるようにする。
練習当初は足を上げることもままならないが、だんだんと足を上げる時間が長くなる。
そうすると今度はペダルに足を乗せる余裕もできる。

このあたりまでの練習は1日10分しか続かない。
本人もあまり面白くないのであろう。

ところが今日は違った。
ペダルに乗せた足をクルクルと回すとわずか1メートルほどだが、自分の力で自転車が進み、それを実感した途端、練習が面白くなったようで、一気に進歩した。
あれよあれよと言う間にペダルをこいでいる時間が長くなり、夕方までには、家の前の道ならば、もう端まで乗れるようになった。

まだ思うように曲がることが出来ず、ブレーキも危なっかしいが、それでも本人が喜んで練習するようになったのだから後は時間の問題だ。

コマを取り外されて、自立することもなく、主人が友達と遊んでいるときは地面に寝転ぶことしか出来ない小さな自転車だが、お役ご免となったはずなのに、新しい自転車をさしおいて、練習相手の合間に小休止しているその姿は少し誇らしく見えた。

2005年5月11日(水) 動物日記

ちょっと油断して寝てしまったり、お酒を飲みすぎてしまったり、何かとちょくちょく抜けてしまう日記である。
一度も抜けていなければそんなこともないのだろうが、一度抜けてしまうと、やはりルーズになってしまう。

小学校のころも日記をつけていた。
日記といっても、普通の日記ではなく、飼っていた猫が子どもを生んだのでその子育て日記のようなものだった。
生まれてから毎日、その日一日の子猫の様子や出来事などを、ダラダラと書いていた。
でも、一度書き忘れてしまったことがあり、そうなるともう、一週間に一度は抜けてしまい、だんだんと怠けるようになった。
それでも、次の出産までは書いていたから、一年以上は続けていたのだと思う。

その後、日記を書かなくなったのは猫が増えすぎたせいもある。
最初にいた猫は三毛猫。三毛猫というからにはもちろんメスである。
ちなみに、オスの三毛猫は染色体異常でなければ誕生せず、誕生しても繁殖能力がない。その三毛猫が2回出産し、合計6匹の子どもを生んだ。
その子猫たちが、伴侶を連れてきて、そして子どもを生み、そしてその子どもたちが友達を連れてくる。
猫の多い家だとわかると、近所の小学生が捨て場所に困った子猫を置いて行く。
老いた猫や病気の猫が死んでいく代わりに新しい子猫がどんどん誕生し、一番多い時は20匹以上、足掛け10年ほどの間に合計100匹以上の猫を飼った。

猫が特に好きというわけではなく、むしろ、どちらかといえば犬の仲間のほうが好きだ。というか、哺乳類も爬虫類も昆虫もみな好きだ。
だから、意味もなく蚊を殺すこともしないし、家の中に侵入してこない限り、害虫駆除もしない。
釣った魚は必ず食べるし、食肉には感謝して手を合わせる。

だけど、動物病院へ猫を連れて行くと、カルテに「○○タマちゃん」のように苗字と猫の名前が続けて書いてあるのは違和感があるし、初対面の人に自分の飼っている犬を抱き上げて「うちの○○くんでーす。よろしくねー」のように挨拶する人を見ると、呆れてしまうし、トカゲやヘビにキスをする人とは友達になれそうにない。
いくら動物が好きだといっても私にとってはあくまで、動物は動物である。

でも、子どもがなく、家族同様にペットを飼う人もいて、そのペットが死んだ時、飼い主がひどく落胆しているのをみると、やはり気の毒に思うし、そういう時は人間と同じように天国に行ってほしいと思うのである。

2005年5月13日(金) 久しぶりに

行きつけの店に顔を出したのは一ヶ月ぶりか。
時には一週間毎日通うときもあるのに、最近の忙しさときたら尋常ではなかったし、黄金週間もあったし。

いつものように派遣で来たアルバイト(日替わり)のウェイトレスが、カウンターまで注文を聞きに来る。
今日は客の多いせいか、少し遅かったような気がする。

「とりあえず」生中とヤキソバを注文し、待ち人にメールする。
まもなく運ばれてきたビールを飲み、ホールを見渡すと、知った顔がちらほら。
と、ケータイが震え、知り合いからのメールの到着を告げる。

「すまん」。
急用で待ち人はこれなくなったらしい。

しばらくするとヤキソバが運ばれてきた。
「ヤキソバになります」そういってカウンターに置かれた皿を見ながら、「うーん。違うな」と呟く。
ビックリしたように、いま置いたばかりのヤキソバをもう一度さげようとするウェイトレス。
「あ、いや、違う。そうじゃなくて。『ヤキソバになります』じゃなくて『ヤキソバでございます』でしょ」。
そう注意すると、「あ、そうでした」という。
「じゃあ、生中をもういっぱい」
すぐに運ばれてきた生中を、今度は「生ビール、です」といって笑いながらビールを置く。

2杯目のビールも平らげて、そうそうに店を引き上げるため、精算してもらう。
「580円です」。
え?ごひゃくはちじゅう?
スタンプカードを使ったので安かったのか?
そう思いながら店を出る。

370円のビール2杯、420円のヤキソバ、210円の付き出し。
幾ら考えても、580円は安い。

気がつけば店に戻って、不足していたヤキソバの料金を払っていた。
ウェイトレスが付け忘れていたのだ。
良かれと思ってしたことだが、ウェイトレスのミスになるのだとしたら気の毒なことをしたか。

心にもやもやを抱きながらも、別のお客さんを接待することに決めて家路に着いた。

2005年5月14日(土) 地域密着

家の外で3歳の子どもにボールを与えると蹴って遊び出すという。
確かに同じ年頃の子どもが集まると、互いにボール蹴って取り合う遊びが自然と始まるのを何度も目にした。
4歳にもなると「あの線を越えたら勝ち」という簡単なルールでボールを蹴り合う。
そんな遊びなら、ラケットもグローブも必要なく、広い場所でも狭い場所でもできる。
ルールは簡単だし、特殊な技術も必要ないから、幅広い年齢が入り混じって遊べる。
ボールが顔に飛んでくることもないから、小さな子どもも、恐怖心なく参加できる。

国連加盟数「191」に対して、FIFA(国際サッカー連盟)加盟数「204」。
IOC(国際オリンピック協会)加盟数200よりも多い。
ダントツでサッカーの競技人口が多いのも納得できる。

ちなみに、FIFA加盟国に「イギリス」というのはない。
イギリスだけは「イングランド」「ウェールズ」「スコットランド」「北アイルランド」に分割して登録されている。サッカー発祥の地でもあり、FIFA発足前に既にこの「4カ国」を中心としたサッカー協会があったから、らしい。

FIFAの下には各大陸ごとに連盟がある。
「ヨーロッパ」「北中米」「南米」「アジア」「アフリカ」「オセアニア」の6つであり、「日本サッカー協会」は「アジアサッカー連盟」のひとつである。
日本サッカー協会にも「Jリーグ」を始め「JFL(日本フットボールリーグ)」「社会人」「大学」「高校」「中学」の連盟がある。

日本の「競技人口」という点で言えば、サッカーよりも野球のほうが多いが、連盟に加盟している競技人口としては、サッカーは野球を遥かに凌ぐ。(具体的な数字を探してみたけど見つけられなかった)
これは、下部組織からしっかりと将来を見据えて選手を育成していくという思想がサッカーには強いためだ。

また、野球と違って地域密着も構想の中に含まれている。
Jリーグの各チームはほとんどが企業の保有チームであるが、チーム名には企業の名前を出してはならず、地元の都市名をつけることが義務付けられている。
さらに、プロ野球と違って、日本各地に本拠地が点在している。
プロ野球チームのない山形、山梨、新潟、徳島、佐賀、大分などにもプロチームがあるため、地方へ行けば、野球よりサッカーが好きだという年配の人が結構多い。

私の住んでいる大阪にもJリーグのチームがある。
さらに、私の住んでいる市は、そのJリーグチーム発祥の地であり、まさしく、おらが町のチームなのだ。
そのチームが今日は快勝した。
ひいきのチームが勝つとそれだけでお酒を飲む理由になる。

地域に根ざしたプロチームの存在は、地域活性に大きく貢献しているのだ。
今後もJリーグが盛んになることを願う。

2005年5月15日(日) バレーボール

嫁さんは週に一度、バレーボールの練習に行っている。
いわゆる「ママさんバレー」というやつだ。
友達に誘われて始めたのがきっかけで、単なる頭数合わせに過ぎず、本人もそれほど積極的なわけではなく、実力もそれに比例しており、まったくのへなちょこである。
人並み以上に運動能力のある嫁さんではあるが、団体でやる競技、とくに球技は苦手なようだ。

そんな嫁さんが誘われる程度のチームだから、これまた弱小で、試合経験もない。
試合がないにもかかわらず、嫁さんは日頃から「練習はするけど、試合には絶対に参加しない」と言っていた。

その弱主チームが今日、市内で行われた試合に出場した。
約束どおり、嫁さんは試合には出場しなかったものの、朝から応援に行くと言ったので、車で会場まで送り届けた。
試合は見るまでもなかったので、私は早々に引き上げ、昼過ぎに再び嫁さんを迎えに行っって、家に帰って話を聞いた。

9人制なので1試合は3セットマッチの2セット先取が勝利条件。
1セットは先に21ポイント先取したほうが勝ち。
トーナメント形式で行われるので、弱小だと2セットしかできない。
いや、弱小でも2セットは参加できると言うべきか。

とにかく、2セットを戦った。
結果は、1セット目が21−1、2セット目は21−5。
気持ちいいぐらいの負けっぷり。
1セット目の唯一の1ポイントは、相手のサーブミスによるものであり、自分たちで得たわけではない。
まず、レシーブが受けられない。
普段からドライブサーブなど、受ける練習もしていないので、スピードや変化に全くついていけないのである。
まして、スパイクなど対処できるわけがない。
こっちはレギュラーのうち、3人が「強いて言えばスパイク」と言える程度のものを打てるだけなのに、相手は全員がスパイクを打ってくるほどだ。
そんな状況で2セット目を向かえたが、相手選手もすでに真剣ではなく、笑みすら浮かべながらやっている。
2セット目の5点も、ほとんどが相手のサーブミスによるもの。

でも、たった1点、自分たちで得た点数がある。
それはサーブによるもの。
1セット目が終わった時、弱小チームの監督が言った。
「相手は普段から物凄いサーブを受ける練習をしているはずだから、案外、へなちょこサーブは受けられないかもしれない」と。
その狙いは的中した。
こっちが打ったサーブを敵はあらぬ方向へレシーブしてしまったのだ。
しかし、そんなサーブは何度も通用するはずもなく、結局、そのときの1点どまりだった。

結果は最初から予想できたことかもしれないけれど、きっと誰も、「もうバレーはやらない」とは思ってないだろうし、また楽しそうに練習をするだろう。
何よりスポーツは楽しくやらなければ。

2005年5月16日(月) 赤いスポーツカー

私のハンドルネームは愛車からきている。
真赤なオデッセイだ。

このオデッセイ、結構人気があって街中でも良く見かける。
しかし、私と同じ赤色は珍しいようで、走っている車は一度も見たことがなく、かろうじて展示中のものを1台見たことがあるだけだ。

私が良く訪問する掲示板にこの赤いオデッセイオーナーだけが集まるところがある。
常連とは行かないまでも、私も何度かそこへ書き込みをしたことがある。

車関連の掲示板は何処にも少なからず、非常識な書き込みや、社会人として失格なことを平気で言う輩が登場する。
「大した車でもないのに」という口の悪い書き込みもある。
結婚して、3人の子どもを育てて、家を買っていたら、オデッセィを手に入れるのも相当な背伸びである。
「大した車」に乗っておられる方は、お金持ちかDINKSか、そうでなければ、すねかじりだろう。

でも、赤いオデッセイのオーナーの掲示板はいつ訪れても平和で紳士的な書き込みだけである。

そう思いながら良くよく読んでみて、あることに気がついた。
平均年齢が他のオデッセイの掲示板よりも高いのだ。
具体的には40歳前後と思われる。

そこである日、私は書いてみた。
「私がこの色を選んだのは子供の頃見た『スーパーカー』の影響です」
すると「同感です」と答えがすぐにあった。
そして子どもが大きくなって、手が離れたら、改めて赤いスポーツカーを買いたいと。

同じようにまだ子どもの時の夢を持ちつつ、日々、頑張っているお父さんにエールを送った。

2005年5月17日(火) いつもの我が家

ピンポーンと玄関のチャイムを押す。
「はーい」と長女の声。
「ただいまー」と答える。
インターホンには私の姿が映っているはずで、すぐに「今開ける」という返事が。
後の方には次女の隠れる足音が聞こえる。

玄関に灯りがともり、長女の姿が浮かび上がる。
オレンジ色の灯りの下、靴を脱いでカバンを置いて長女の後をついて廊下を進む。
階段を上がると次女が声を潜めて物陰に隠れている気配が伝わってくる。
それに気付かないふりをして部屋に入る。

まずは嫁さんにキスをする。
長男はパソコンに向かって音楽を聴いている。
初めて聞く曲だなと思いながら、ネクタイを緩め、次女を探す。

部屋の隅に次女の気配を感じながら、スーツをハンガーにかけ、ズボンを脱ぎ、ワイシャツを部屋の隅に脱ぎ捨てる。
次女の姿を確認しつつ、長男と話を進める。
「うん?その曲、Bump of Chicken?」と尋ねると「うん」と答える。
さすが私。
(全然解らない人は、全くわからないだろうが、「さすが」とわかる人は「さすが」と思うところ)
などと思いつつ、次女を探すための「悪役の声」を作り始める。
長女は私と次女に気づかいながら嫁さんの手伝いを続ける。

「うおー。何処に隠れたー」
部屋着に着替えつつ、唸り声を上げる。
でもすぐに見つけてはいけない。

長女に「何処へ隠したぁ」などと悪魔の声で問いかける。
長女は笑いながら、次女の筋書き通りあらぬ方向を指差す。
今度は嫁さんに近づいて「どこだあ」と聞きながら、隙を見てつまみ食いをする。

いくつかの儀式をこなしたあと、部屋の隅に隠れている次女を見つけ、抱きかかえる。
キャハキャハと笑う次女を抱きかかえながら、今日一日の出来事を聞く。

長女が嫁さんと同じような優しい笑顔でこっちを見ている。
長男が呆れた顔をしながら嫁さんの手伝いをする。

仲のいい家族だ、と、我ながらそう思う。

2005年5月18日(水) 書けない日

今日は日記を書けない。
なーんにも浮かんでこない。
だから、今日の出来事でも書いておく。

いつものように客先へ出かける。
そしていつものように、「さすが。やるなあ」の言葉と引き換えに、迷える子羊を救うがごとく、お客の迷いを払拭して一仕事終える。

次のお客のところへ行く。
そこで昼飯を食う。
今日の昼飯は肉じゃがだ。
でも、そこの肉じゃがは、豚肉だった。
料理人は関東出身か。

朝からいつ降ってもおかしくない空模様だったが、雨は昼下がりに降ったようだ。

夕方からお客さんと打ち合わせ。
結構、大きなプロジェクトだけど、会議出席者が多すぎ。
もっと小さな打ち合わせの方が話が進む。

その後、別のお客さんからメールが届く。
ちょっと前に参加したプロジェクトが大成功だったので、メンバ全員に謝礼があるという。
大した仕事はしていないので、恐縮だが、いただけるものはあり難く頂戴する。

夜。
昨日たっぷり飲んだので、今日は飲まないで寝る。

それではまた明日。

2005年5月19日(木) 子どもたちの出来事

いつもは長男のお弁当を作るはずの嫁さんが少し遅れて起きてきた。
そういえば今日はお弁当がいらないらしい。

今日から、中間試験が始まったのだ。
そして今年から中間試験は長男だけでなく長女も受けることになる。

朝、二人に自身のほどを聞いてみた。
長男は「うーん。まあ、うん」と良く解らない返事。
一方長女は「うん。大丈夫」と頼もしい返事。

長男は私が力を入れて小さい頃から教えてきただけあって、頭の回転はなかなかのものでそれはもう、何処へ連れて行っても自慢の息子である。
長女も、もちろん自慢の娘ではあるが、それは性格によるものであって、勉強の方は「うーん」と首を傾げてもおかしくないだけに、今朝の返事は意外だった。

そして夜。
仕事を終えて帰ってくると、いつものようにパソコンに向かう長男にテストの結果を聞いてみた。
「うーん。国語の漢字が。最後の方にあって全部わかったのに、書いている時間がなかった」と。
まんまと先生の罠に引っかかったようだ。
解けそうな問題を最後に持ってくることによって、試験に対する時間配分を教えようとしてるのだ、と教えてやる。
「なるほど」と答える息子。

次は長女に聞く?
「どうだった?」
「うん?全部解けたよ」
ビックリした。
言うに事欠いて「全部解けた」とは。
ま、初めての中間試験なので小学校の延長なんだろうと、問題用紙を見た。

あらま。
なかなかどうして。
意外と普通の問題。
やるじゃん、娘。

ついでに、次女に聞いてみた。
「今日の幼稚園はどうだった?」
「うん。めっちゃ楽しかった」
それは良かった。
「○○ちゃんがきた」と、いう。
友達の名前ではなく、テレビのキャラクターのようだ。
「うん。テレビの○○ちゃんがきた。7月の2日にテレビでやる」と。

嫁さんに聞くと、教育テレビの番組が幼稚園に来たのだそうだ。
そしてその放送が7月2日なのだと。
でも、肝心の番組名を聞いていなかった。

2005年5月20日(金) 退屈な会議

今日は客先で長い長い会議だった。

時間にすれば4時間ほどなので、「長い長い」というほどのものではないかもしれないが、盛り上がりに欠けていたため、相当長く感じた。
盛り上がらない原因は会議の議題や中身そのものではない。

今回の会議のメンバーには東京の人もいたが、人数が多いため、一箇所に集合するのではなく、IP電話を使った音声会議になった。
また、事前の確認のため、大阪の中心メンバーは東京に移動しており、大阪は都合で東京へ行けなかったものなど少数だけが参加することになった。

大阪の会議室に6人が集まり、小さな机を囲んで座る。
全員が20枚前後の同じ資料を持っている。
机の真ん中には中央にスピーカ、四方にマイクを備えたIP電話が置かれた。
人数こそ違うが、東京も同じような感じに違いない。

IP電話を接続して会議が始まる。
「もしもし。聞こえますか」
「・・い。聞こえ・・す」
声が途切れて聞きづらいが、前後の文脈を考慮すると何とか理解できる。
続けてスピーカーから声が聞こえる。
「では、まず、・・かいの議事録の・・から・・・ます」

今なんて言ったんだ?
議事録とかって言ってたから前回の会議の確認だろう。
今どの辺りを読んでるんだ?
3番目あたりかな。

そんな会話が大阪のメンバーの中でやり取りされる。
発言者が電話のマイクに相当近づかないと、聞き取れないのだ。

会議は何とか進んでいくが、主力メンバーが向こうに行ってるため、時折、こっちの存在を忘れたかのように、電話から遠いところで会話が進む。
そしてそれがだんだんと酷くなる。

あーあ。こんな会議なら別の仕事をしていればよかった。
大阪のメンバーの誰からとなくそういう声が漏れる。
結局、会議の半分以上は東京で進み、大阪はまるで、電波の届きにくい山間部を走る車の中で聞いているFMラジオのような音を、スピーカーから聞くだけの、退屈この上ない会議となった。
議事録をとっていた大阪のメンバーも「やってられない」と、何時しかその手を止めて欠伸を繰り返していた。

会議が終わってまだ外は明るい時間だったが、もう皆、仕事をする気力もなく、家路についた。

2005年5月22日(日) 

土曜日の夜。

不意にドライブがしたくなって、深夜にもかかわらず車を車庫から出す。
2時を回っているので近所に気づかいながら。

車に乗っていつもの山へ走る。
もう少し足を伸ばそうと、その先へ行く。
気がつけば見慣れないところにいた。
深夜だと、夜景でも見えない限り山の景色にはすぐ飽きる。

コンビニの明かりが妙に懐かしく、夏の虫のように、光に吸い寄せられる。
車を降りると、山の臭いが鼻腔に染みこみ、反射的に深呼吸をした。

家を飛び出すように出てきたので、お金がわずかしかない。
とりあえず、缶コーヒーを買う。

再び車に乗り込んで、深夜の道をひたすら東へ走った。
結局、三つ目の県に着いたところで、雨が降り出し、引き返すことにした。

家に戻った時にはすっかり空も明るかった。
お陰で今日は、一日中、ゴロゴロしていた。

2005年5月23日(月) くたばれ人間

レッサーパンダが二本足で立つ。
これが今、とても話題になっている。
名のある動物科学者がコメントする。
「考えられない。驚異的な出来事だ」と。

その動物学者は明日から「動物学者」を名乗るのを止めた方がいい。

もともと前足が器用な動物は、その特性を生かすために後ろ足で立ち上がる傾向が強い。まして、体が小さく、今の動物園の展示状態であれば、辺りを警戒して背伸びをしたり、展示用に少し高い位置に添えられた餌をとるために後ろ足で立ち上がるのは必然的なことだろう。

蓋を開ければ、全国の動物園でレッサーパンダの半数が恒常的あるいは一時的に立ち上がるらしい。
こんなニュースの中ひとりのコメンテーターが言う。
「この調子だと500年後には歩くほどに進化する可能性だってある」

ない。
絶対にない。
100%ない。

偶然に、歩く個体が登場したとしても、それは種の進化とは言わない。
進化とは、そんな計算された中で起こりえるものではない。
進化は、その数百倍の無駄の中で唯一残りえた偶然の産物の事を言うのだ。

今の動物園に住むレッサーパンダが立って歩くことに何のメリットがあるのか。
そういうことを考えれば、「進化」なんて言葉が出てくるはずもない。

そもそも、立って歩くことが進化だと思っているとすれば、それは人間のおごり以外の何ものでもない。

2005年5月24日(火) バーベキューの炭をひっくり返すのは男

暖炉の炎を10分間黙って見つめていられるか。

こういう質問をすると、「無理」という答えと「余裕」という答えの二つに分かれるのではないだろうか。
前者の回答をするのは女、後者は男だろう。

無理もない。女は、物事を深く考えずに判断するから仕方ない。

と、ここまで読んだだけで「そんなことはない」とすぐに反論するのは女である証拠だ。男なら最後まで読んで判断するからだ。

これは仕方のないことであり、別にどちらが優れているということではない。

いつケガをするわからない、いつ病気になるかわからない、いつ体操服が明日必要だからといってカバンの中から出てくるかわからない、いつ明日集会がありますという回覧板が回ってくるかわからない、いつ旦那が酔っ払って帰ってくるかわからない、そんないつも不確定なスケジュールの中、求められるのは、いかに素早くこなすか、いかに当たり障りなくこなすか、いかにその場を乗り切るか、それが女に求められる能力であり、一方、計画的に得物を狩り、計画的に部族を成長させるための打ち合わせをし、計画的に移住を考え、そして計画通りに行けば余裕の時間に酒を飲み、あるいは自己反省のために焚き火を見つめ、そして明日からの作戦を考え、全てを大局的に捕らえる、それが男に求められる能力だ。

子どもの勉強にしても、「宿題はやったか?忘れ物はないか?行事案内のプリントはないの?」と聞くのは母親であり、「大学へ行くためにはここを強化しないといけない。でも大学が全てじゃない。社会人として生きていくためにはこういう能力・・」というのは決まって父親だ。

これが性差だ。

当たり前のように受け入れるべきであり、反論するのは見苦しい。
貴方が「頑張っている」のは「頑張らないと認めてもらえない」からであって、それは事実として、あなた自身が認識しているだろう。
どうしても男女の間にある壁が性差なのだ

この星が、数十億年の年月を経て出した結論に、高々数百年で知恵をつけた人類が、その性差を「差別だ、平等にすべきだ」などというのは、まさしく神をも恐れぬ愚考といえよう。

それはそれでいいのだ。
だから、男女は愛し合い、助け合い、そしてともに相手を認めて育っていくのだ。

2005年5月26日(木) 電話の主

電車の中でケータイが鳴った。
慌てて留守電に切り替えて音を止める。

電話の主は古くからの友人である事が、着信履歴でわかった。
何事だろうかと、少し心配になった。
こちらから久しぶりに飲みに行こう、とでも誘わない限り、電話などしてこないやつだ。
そういうやつが電話をしてくるときは大抵、悪い話を聞かされるときだ。

だいたい、古くからの友人、それも男ともなれば、飲みに行こうという誘いの電話以外、例え結婚するようなおめでたい話でさえ、事後報告のはがきで済ませる。
そして、誘いの電話すらしてこないやつが電話をかけてくるとなれば、電話に出るにも覚悟がいる。

5分ほどで電車は駅についた。
私の乗り換えるべき電車が目の前にあるが、それどころじゃない。
すぐにケータイをポケットから取り出し、履歴を頼りに相手に電話をする。

周りの人の流れを気にしながら、邪魔にならないように、柱の陰に隠れながらケータイを耳に当てる。
次々と電車を乗り換える人ごみに、かき消されそうな呼び出し音を、耳を済ませて聞き取る。
私の背後に人の気配を感じたと同時に、電話がつながった。

「あーもしもし」
陽気な声が、電話の向こうからと、私の真後ろからと、同時に聞こえた。
振り向くとニヤニヤ笑いながらそいつが立っていた。

車内で私を見つけたらしいのだが、距離があったので声をかけられず、電話をしたのだそうだ。
(電話で話をするつもりだったのか?)

二人とも、今日中に片付けようと思っている仕事があるのに、5分後には居酒屋にいて、終電間際まで飲んでいた。

2005年5月27日(金) 足のサイズは27

息子の中間テストの結果を見る。

うーん。
頭が痛い。

まあ、でも、中学校の時と違って、今の成績ではなく、入試のときの成績がものを言うのだから、それほど声を荒げる必要もない。
何より「自分がどれだけ出来るのか」が問題なのだ。

高校生の子どもを持つお客さんと飲みに行った。
「子ども大学に行かせるのか。」
そんな話になった。

正直言えば、まあ、肩書きのために大学には行くべきだろう。
でも、それよりも本当の意味での実力を身につけるべきだし、何より、「俺の頑張るところ見てくれ」と、自分を見せる力、そしてそれを納得させるだけの魅力がなければ、意味がない。

それでも、息子は息子なりに頑張っている。
自分を奮い立たせ、明日に備えて力を蓄えている。
私の日記や掲示板を読んで、「ふふん」と不敵な笑みを浮かべる。
何処までわかって何処から解っていないのか。
なにを読んで何を理解していないのか。
ふがいない大人を笑い、尊敬する大人に静かな闘志を燃やす。

ただ親に負けたくないと思っている息子の期待にこたえて、明日はもう少し高い次元の私でありたい。

2005年5月28日(土) テレビ

今日は良い天気だったが、昨夜の酒が多少残っていたし、子どもたちは友達と遊びに出かけ、嫁さんも次女と一緒に買い物に出かけていたので、家でゴロゴロしていた。

家でゴロゴロする休日が少ないわけではないが、それでも散歩に出かけたり、買い物に出かけたりと、少なからず外に出るのだが、今日は不健康にも直射日光を浴びなかった。
まあ、酒を飲んでいないので、体には優しかったかもしれない。

朝から情報番組を見て、その情報の背景をネットで調べ、お笑い番組を見ながら、出演者のことをネットで調べる。
テレビでニュースを見ながら、ネットのニュースを読み、スポーツを観戦しながら、ゲームをする。

私が家にいるときは、一日中、テレビとパソコンの電源が入っていて、何かしらの映像と音が常に目と耳から入り込んでくるので、慣れない人には少し落ち着かないかもしれない。

かといって、家族の会話がないわけではない。
仲が良くて会話の多い家族であることは今までにも何度か日記にも書いたと思う。
むしろ一緒にテレビを見てパソコンを触ることで、同じ情報を共有することも多く、だから話題も豊富である。

子どもたちの会話についていけないこともないし、私が見る番組を決めるので、子どもに見せたい番組を見せることが出来る。

食事をするときはテレビを見ないで一日の出来事を話し合うことが大切だ、などという話を聞いたことがあるが、それを実践していて家族不仲の家庭を私は知っている。
テレビに没頭して、会話がなければ考えものだが、ちゃんと考えて見るテレビは家族のコミュニケーションの手助けにもなるのだ。

2005年5月29日(日) 防錆処置

自分の乗っている車が、気に入って買った車ならば、たくさんの優れている点と、ほんのわずかな欠点を持っていることを、自分でわかっているだろう。

長所はテレビや雑誌の宣伝で取り上げられるので、その車の持ち主でなくてもわかる。
でも、大抵の場合、欠点というのは実際に乗ってから気がつくことが多い。
私のオデッセイにも試乗の時に気がついた欠点がある。
右のAピラーが太いために右旋回時に多くの部分が死角となるのだ。
ただこれは、頭を少しずらせば済む問題なので、購入判断を鈍らせる要因にはならなかった。

でも、試乗しても見つけられない欠点があるようだ。

私は車の購入前から車専用の掲示板を訪問し、よく読んでいた。
その中に当然、オデッセイの掲示板もあり、そこはいろいろな情報交換の場として使用されているため、試乗しても見つけられないような欠点も書かれている。

その一つが、新型オデッセイオーナーなら一度は聞いたことがあると思われる「アッパーマウントの錆」である。
アッパーマウントというのは、タイヤから伝わる振動を吸収するためのスプリングなどを車体に固定している部分のことであり、新型オデッセイでは、フロントガラスとボンネットの間の導水経路が不適切であるため、フロントガラスを伝う水がすべて前輪左右のアッパーマウントに直接かかるのだ。
しかも、受け皿状になっているためそこに水が溜まり、ボルトが錆び付いてしまうのだ。
私は、そんな錆など気にならないので、わざわざ錆の状態を確認することもしなかったが、中にはひどく気にする人もいて、メーカーに改善策を求める声も少なくなかった。

そして先週、はがきが届いた。
差出人はメーカーだった。
アッパーマウントに防錆キャップを取り付ける処置をしてくれるという。
それほど気になることではないが、無償でやってくれるというし、それについ先日発表された新しいステップワゴンも気になっていたので、今日、次女と一緒に、ディーラーに車を持ち込んで処置してもらった。

帰り際に、福引でお菓子をもらってご機嫌な次女は、「今度来る時はあの車買って」とステップワゴンを指差していた。

2005年5月30日(月) 楠のある場所

家の近所に大きな楠(くすのき)がある。

私の住む街の北方数キロのところには近畿屈指の河川が流れており、昔はこの辺りも沼地だったらしい。
さらに歴史をさかのぼって古墳時代になると、私の済んでいたこの辺りも川だったようだ。

その河の堤防の名残が、この楠のある場所だ。
堤(つつみ)の名残として残っているのは街の辺り一帯を探してみても、このわずか数十メートルの部分だけであり、他には全く見当たらない。
しかし、この堤につけられた名前は、数キロ西側の街の地名にもなっている。
その街と堤の名前が古墳時代から全く同じ呼び名であるとも考えにくいから、その街まで堤が続いていたのかどうか疑わしいところだが、今では数百メートル先を見るのがやっとのこの場所から、はるか先のその街まで、真っ直ぐに何の障害物もなく見通すことが出来たのは間違いないと思う。

そしてこの楠はその当時からここにじっとしていて、堤を創る人々と、沼地を開拓する人々と、この街を築いてきた人々と、その人々共に過ぎ行く風景の移ろいを、一際高いその場所から見守ってきたのだろう。

枝葉をわたる初夏の風の音が、まるで楠の語りかけのように思えた。

2005年5月31日(火) 元凶

今日は痛飲した。
きれいさっぱり、後半の記憶がない。

以前は吐くまで飲んでも、記憶がなくなるなんてことは無かったのに、最近は吐きもせずに記憶が無くなる。
そして、そうなるときの共通点を発見した。

焼酎ロック。
こいつが原因だ。

今日もそうだった。
二人のうちはまだビールだった。
ところが、三人になる直前から、焼酎のロックに替えた。

私の最後のハッキリした記憶は、三人目が真っ黒のワイシャツを着てきたのでそのことを指摘すると、「濃紺だ」と言われたことだ。
その後、ビールを注文して今日のおススメを注文したようなしなかったような・・・。
途中トイレにいった記憶があるようなないような。
背広を裏返しに着た記憶があるような無いような。
降りる駅を一つ乗り過ごして、とぼとぼ歩いて帰りながら、途中でカップめんを買い、嫁さんに何度も電話していた記憶があるような無いような。

焼酎のロックは止めた。
今度からチューハイにする。
「チューハイなんて女子供(!)の飲む酒だ」などと言わぬように。

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