カリント日記

バックナンバー

[先月] [目次] [来月] [最新版] [トップ]

2005年8月1日(月) 旅行前夜

明日から久しぶりの家族旅行だ。
旅行といっても2泊3日程度の小旅行だが、家族で泊りがけで旅行するのは何年ぶりのことか。

おととしの夏、独立した勢いで、北海道に5泊6日の旅行を計画し、行きはトワイライトエクスプレスの個室、帰りは函館の夜景が見える飛行機、宿泊施設はすべてレジャー施設完備のホテル、おまけにレンタカーはオデッセイと、ラフティングに乗馬に熱気球、10年ぶりに再会する札幌の友達とは一緒にビール工場とラーメンの食い倒れも計画、という総予算は50万円を超える豪華な家族旅行へいった、はずだった。

出発前夜、みんなに意気揚々と別れを告げて帰宅した夜、腹部の激痛に教われそのまま入院。
憩室炎という大腸の炎症に見舞われ、悶絶し、そのまますっかり旅行の日程は私の入院の日程に置き換わってしまったのだ。

それ以来、もっとも旅行を楽しみにしていた長女は、何かというとそのことを持ち出し、お酒を飲みすぎたらまたおなかが痛くなるだの、そんなことを言うとまたおなかが痛くなるだの、お父さんの約束は当てにならないだの、と嫌味を言うようになってしまった。

まあ、ともあれ、今のところはなんともなく、明日は無事に出発できそうだ。
これで少しは長女も機嫌を直してくれるだろうか。

本日の体重 61.0kg

2005年8月2日(火) 旅行初日

旅行初日の夜。
旅館のロビーに3台ある、無料インターネットパソコンで日記を書いている。

ここは、はっきりいって穴場じゃないだろうか。

元々は由緒正しい高級旅館(天皇家御用達だとか)だったはずだが、今はオーナー(現オーナーは有名カラオケチェーンのオーナー)も変わり、どちらかというと温泉施設が売りの格安旅館になっている。

格安であるのには理由があって、それの最たるものは夕食だろう。
ここは海辺なので、以前は魚介類中心の懐石風であったが、今は最もコストがかからず、それでいて親子連れには人気のある、バイキング形式なのだ。

子供連れならわかるだろうが、大人が喜ぶ会席料理は、得てして子供には不人気であり、子供が欲しがるのは茶碗蒸しとデザートのメロンぐらいだ。
それに比べてバイキングであれば、ハンバーグやカレー、焼き飯やギョーザ、寿司にてんぷら、と、ほとんどの人が「食べるものがない」と不服を言うことはないであろうと思われる種類のものが用意されている。

だから、大人だけの旅行なら多少の不満もあろうが、親子連れならまったく不満はない。
それを除けば、元々がよいつくりの旅館である。
部屋は広く、天井も高い。窓も大きく、風の通りもよい。
海に面しており、窓を開けると眼下は海。
釣り糸をたらせば間違いなく魚が釣れるだろう。

特に私たちが泊まった部屋は最上階の一番広い部屋で、10畳と6畳の二間、それとは別に3畳ほどの洋間、2畳ほどの洗面所と部屋風呂。
もちろんトイレは洗浄機付き。
ま、予約が早かったためだろうか、広い部屋を割り当ててくれたことは間違いないだろうが。

風呂も広く、時間によって男女の浴室が入れ替わる。
ジャングル風呂に岩風呂。それに露天風呂もある。
朝に入ったジャングル風呂(半露天)はとても気持ちがよかった。

まだ一日目。
明日も堪能しよう。

2005年8月3日(水) 旅行二日目

旅行二日目。
まずは朝食を摂る。
やはりバイキング形式だが、朝食ならこのほうがかなり豪勢なものが出来る。
いつもなら、ヨーグルトとバナナとゆで卵、それと牛乳に、あればトマト程度だが、今朝はさらに、ソーセージ、アスパラ、オレンジ、それからそれから・・・。
眼下に海を臨みながらの食事はとても美味しく、結局、通常の3倍程度の量を食ってしまった。

食事の後は海水浴に出かける事にした。
旅館の近くは岩場なので海水浴には適していない。
そのため車で5分ほどのところにある海水浴場へ出かける事にした。

到着したのは小さな海水浴場。
ガレージのような場所にカーテンで仕切られた「試着室」のような脱衣所があり、その前にはコインロッカーがある。
そして「ガレージ」の前には水だけが出る、シャワーがあるが、これは外にあるので水着を脱いで浴びるわけには行かない。
そんなへんぴなところだが、こどもたちはそれで充分だった。

私も一応着替えたものの、泳ぐつもりなど全くなく、むしろ日陰に潜んでいるつもりだった。
日焼けがダメなのだ。
すぐに真赤になり、2〜3日はひりひりと痛む。
おまけに最近はシミになる事も多いのだ。

しかし、子供たちに連れ出され、私も結局、日向に出るハメなった。
太陽がジリジリと体を焦がす。
時間にして30分。

この程度なら大丈夫だろうと高をくくっていたが、今、私の体はアメリカザリガニのように真赤になっている。
とーーっても痛いのよ、これが。

2005年8月4日(木) 旅行最終日

最終日は予定通り名勝めぐりをした。

まずは旅館から車で20分ほどのところにある、有名な滝を見る。
以前にも一度訪れた事があるが、そのときはあいにくの空模様だったためはっきりと見ることができなかった。
しかし、今回は天気もよかったのでその心配は無かった。

駐車場に車を止めて炎天下をしばし歩いた。
しばらくすると案内の看板が木陰に見えた。

冷気を帯びた空気が漂う杉木立ちの間の石段を降りていった。
さっきまで聞こえていたセミの声がやがて瀑布の轟音にかき消された。
階段を一番下までおり、首が痛くなるほどに見上げる。
目の前にそびえるのは強烈な意志を持って人を拒んでいるかのような断崖絶壁。
そしてその絶壁を鮮烈な白いしぶきがまったくの迷いをみせずに、勢いよく飛び降りていた。
その光景を私はただただ見つめていた。

写真を撮ろうと言う嫁さんの声に我に返り、記念写真を撮り、今きた石段を再び登り始めた。

次に目指したのは海に林立する奇岩の群れ。
自然が織り成すその光景は車で走っていても目に飛び込んできた。
駐車場に車を止めて、まずは全体を眺めた。

干潮のときはその奇岩のすぐ近くまで岩場伝いに歩いていける。
また、そのときにできる潮溜まりには子供たちが夢中になるような生物が多くいた。
カニ、サカナ、ヤドカリ。
ナマコもいたし、珍しい種類のウミウシもみつけた。
30分ほど磯遊びをして次の目的地へ向かった。

目指したのは海に面した絶景。
車を降り、海岸を目指して岩場を歩いた。
その岩場は比較的やわらかい砂岩層のためか、観光客の記念の文字が多く刻まれていた。
消えかけた古いものもあれば、つい先日刻んだと思われるものもあった。
だんだんと海岸へ近づく。
しかし、厳密には、とてもじゃないが、海岸に行く事など不可能だった。
この広大な岩場を長い年月をかけて穿ったといわれる波は、あまりに力強く、人が近づこうものなら一瞬にして飲み込み、そして二度と生きては戻れないだろうことを容易に想像できるほどだった。

少し離れたところに、表面が平らになっている大岩があり、その平らな部分は数十メートルはあろうかと思われた。
あまりに平らなその部分がどうしてそんなに平らなのかはすぐに理解できた。
普段は海面から数メートルの高さのところにその平らな部分が見えているが、ひとたび波が押し寄せると、その部分は完全に水没し、平らな台の上に乗っているものを微塵も残さず流し去ってしまうからだった。
なんと粗野で豪快な洗い方だろうかと、ここでもまた我を忘れて見とれていた。

しかし、それは私だけではなかった。
普段、あまり感動する事の無い長男も、その荒々しい波に見入っていた。
「すごいなー」
「うん。すごいなー」
岩場を見つめたまま少しだけ会話して、また二人で見入っていた。

2005年8月5日(金) 最近の悩み事

久しぶりの仕事を終え、自宅で過ごす夜。
とりあえずビールを買ってきた。

嫁さんは自宅で一日中、旅行の後片付けに追われたらしく、かなりヘロヘロになっていた。
ただでさえ、洗濯物が多い我が家なのに、3日分の洗濯物が溜まっているのだから、洗濯機はフル回転だっただろう。

そんな嫁さんも、子供が寝た後は少し余裕が出来たようなので、二人でビールを飲む事にした。
いつものように話題は今日の出来事の報告。
私は仕事のことについて、嫁さんはご近所さんの事について、互いに報告しあった。
最近お嫁さんの報告は、専ら自治会長関連である。

私の住む地域には、大きく分けて三つの「長」がいる。
一つ目は、町内に住む住人全てが会員となる自治会の長、「自治会長」。
二つ目は、この町内に住む、小中学校の子供たちとその父兄が会員となり、その代表が会長となる「子供会会長」。
今は、子供会の会長の適任者がいないということで、自治会長が長年にわたって兼任している。
そして最後が、同じ小学校の各地区(8地区)ごとに、その地区に住む小学生の保護者からくじ引きで選ばれる、いわば母親たちの代表といえる「地区長」である。

ここで、問題となるのが「子供会会長」と「地区長」の役割である。
「子供会」はこの町内に限った行事などを計画したり実行したりするが、「地区」のほうは、小学校の全体行事などを各地区ごとに取りまとめる役目がある。
どちらも対象としているのは、この町内に住む子供たちなのだが、その役割が各行事ごとに分けられているわけではない。
母親たちの代表である地区長は子供の全ての行事に対して、東奔西走する事が多く、母親たちも、地区長に協力的だ。
しかし、その地区長とことごとく意見のぶつかるものがいる。
それが子供会会長なのだ。

地区長が今日も嫁さんに悩みを相談していた。
子供会の会長と意見が衝突し、辛い思いをしているらしい。
そしてやはり、最後は私に子供会の会長をして欲しいと、お願いされたそうだ。
今、私以外に子供会会長に意見をする父親がいないらしいのだ。

地区長選出がくじ引きである以上、数年内には嫁さんが地区長になる確率も高い。
そうなれば、今の会長のままでは、今度は嫁さんが同じように悩む事になる。
それを考えると、私が会長を務めるのも一案かもしれない。

2005年8月6日(土) 洗うと

午前中はゴロゴロしていたが、昼から車を洗う事にした。
が、突然の雷雨。

激しい雷鳴が轟く。
光ってから1秒もしない間に空気を引き裂く凄まじい音が、地響きとともに聞こえた。
近所に落ちたようだ。
しばらくの間はテレビ画面も映りが悪かった。
しかし、土砂降りだった雨も、夕方にはやんだので早速車を洗う事にした。

旅行初日は天気も不安定で、山添を走っていると何度か雨に降られ、車がまだら模様になってしまったし、潮風も散々浴びたし、何より夜間の山間部を走ったので、虫がフロント部分に付着しているだろうから、それを早く洗い流したかった。
虫の体液や鳥の糞は車の塗装皮膜を溶かすからだ。

1時間ほどかけていつもより念入りに車を洗った。
キレイさっぱり洗い上げて、そのまま車庫に入れた。
車庫に収まっている愛車を少しはなれて眺めてみる。
うん。キレイだ。
みんな「赤」というと「えーっ?!」という反応をするが、実物を見た大抵の人はきれいな色だという。
事実、この赤の実車を試乗車として置いているあるディーラーでは、この赤い車が普通の数倍の台数、売れているという。

しばらく眺めてシャッターを閉めた。

夜。
今日は仕事にでかける事になっていた。
この仕事に深夜作業はつきもの。
もちろん、帰りの時刻に電車は走っていないので車で出かける。

玄関を出ると、雨。

雨。雨。雨。

く、車洗ったのに〜。

2005年8月7日(日) 韓国戦

東アジア選手権、何とか最後に一勝した。
相手は宿敵、韓国。

韓国は確かに強いけれど、日本と戦う時は1.5倍ぐらいさらに強くなる。
だから、その韓国に勝ったことはとても嬉しい。

でも、韓国が日本以外と戦う時、日本のサポーターは韓国を応援している。
全ての人とは言わないが、少なくとも私はそうだ。
韓国には常に強くあって欲しい。
そしていつも日本の前に立ちはだかる強国であって欲しい。
その韓国を目標とし、乗り越えようとするから日本が強くなれるのだ。

歴史的な背景があって、近くて遠い国だが、以前よりは交流も多くなった。
今日の試合は韓国で行われたが、日本の国歌が流れても、以前、中国で試合をした時のようなブーイングは無かった。

少なくとも、サッカーでは互いに相手を認めている国同士だと思う。
サッカーを通じてともに切磋琢磨し、ワールドカップの決勝トーナメントで対戦できるレベルになって欲しい。
そうすればまた一歩、両国は親密になれると思う。

2005年8月8日(月) 日記

毎日日記をつけるのはなかなか骨の折れることだ。
決まった時間にパソコンの前に座って、好きな時間だけネタを考えられるわけではない。

我が家には常時使用可能なパソコンは一台しかなく、嫁さんも青色専従者として給与をもらっているわけだからそれなりにカリントの仕事をしており、やはりそれなりにパソコンを使う事になる。
もう一台購入できればいいのだが、それもなかなか難しいし、今この場にないのだから、今この瞬間の日記はどうしても嫁さんがパソコンを使わないときでないと書くことができない。
日記よりも仕事が優先なのはあたりまえだ。

ところが、日記というのは曲者で、書き手が癖になって毎日書くと、読み手も癖になって毎日読む。
そうなると、昨日の日記がない日など、「日記が抜けてるよ」などとお叱りをいただく事もある。
そのたびに笑ってごまかすのだが、実際、日記を書くのを忘れているわけではなく、書くつもりであっても前述のように物理的に許されない場合もあれば、日記のネタが浮かばないときもあるのだ。

それこそ、夏休み4日目以降の小学生の絵日記のように「7月27日 晴れ たけし君とプールに行った。おわり」でよければ、いくらでも書ける。
そんな日記は書いていても面白くないし、読んでいても面白くなかろう。
でも、日記を書けなかったことをたびたび指摘されると、こちらもそんな日記でも書いたほうがましなのかと、勘違いしてしまう。

つまらない日記を書くぐらいなら、しっかりと内容のある日記を書きたいのだ。
もし、日記の内容が夏休みの絵日記のようになっていれば、「あーあ。書かないとまた文句いわれるし」と思って適当に書いてしまったか、あるいは相当に飲んでいるときだ。

質のいい日記を書くにはそれなりのゆとりが必要なのだ。

2005年8月9日(火) 嫁さんの力

月曜日に自治会の会合があった。
私は仕事で出席できなかったが、嫁さんは地区長(小学生を子供に持つ女性)の要望で出席する事になった。

本来、自治会の会合なので自治会員である町内の住民は全員参加可能なのだが、あまり公に会合の開催を通知しているわけではなく、役員だけが参加する傾向が強いため、一般の会員は足が遠のき、最近では出席する事が許されないかのような雰囲気になっていた。
ところが今回は5日の日記にも書いたように子供会の会長の話があったため、地区長が何とか議題にしたいと考え、そのためには強力な助っ人、すなわちうちの嫁さんが必要だと思って会議に引っ張り出したのだ。
また、いきなり、一般会員であるうちの嫁さんが会合に出席しても、ワンマンな会長にいいようにあしらわれてしまう可能性があったため、以前から比較的子供会の味方であった、自治会役員の一人、防犯委員会の会長(私も防犯委員会の委員なのだ)にネゴを取り
嫁さんの出席を後押ししてもらったのだ。

かくして臨んだ自治会の会合。
いくつかのシャンシャン議題を消化して、まずは最初の山場、運動会のお弁当。
運動会のお弁当は毎回、町内の仕出屋に頼んでいる。
しかし、この弁当が子供たちに不人気だ。
それもそのはず、この弁当を決めているのはほかならぬ自治会のご老人方で、最終決定権は自治会長にある。
運動会で一番活躍している子供たちが、日よけテントの中でパイプ椅子に座って雑談をしている年寄りが選んだ、高野豆腐やマメの煮物、白身魚の焼き物などを好んで食べるはずがない。
以前から、メニューの改善、というより、いつもの店に頼むのではなく、違う店に頼んでくれという要望はあった。
しかし、会長が「あの仕出屋は、毎年盆踊りのときに1万円寄付してくれるから」という理由で要望を退けていたそうだ。

その話を聞いて私は「だから、カリントも3万円寄付しろと言ったんだ」と嫁さんにちょっと文句をいった。
大体、こう言う年寄り連中の考える事はわかっていたから、私もお金の寄付を考えていたのに、嫁さんは「無駄な事」と言って寄付を拒んでいたのだ。(今も嫁さんは拒んでいるが、来年は絶対寄付してやる)
わずか1〜2万円のことで、毎年、子供たちを犠牲にしていた弁当から解放されるのなら、安いものだ。
それに、寄付の効果はもっと別のところにも出てくるはずだ。

話を戻すが、この弁当について嫁さんが猛抗議した。
「子供が主役の運動会で、どうして子供が好きな弁当が出てこないのか。ましてその弁当の決定権がどうして、自治会の会長にあるのか。今後は子供会に決定権を委ねて欲しい」と。
無論、その議題になる前に、防犯委員長やその他、味方になりそうな役員にはネゴをしていたので、「そうだ。その通りだ」といった後援も得られ、今まで難攻不落と思われた、『運動会のお弁当選択権』は子供会に委譲された。
さらに嫁さんは「お茶は本部テント席においてあるが、それでは非常に飲みづらい。自由に飲んでいいはずなのに、『申し訳ないですが少し分けてください』という気分で飲んでいる人も多い。これからは、各個人にペットボトルを渡す事」という約束も取り付けた。
まだある。
うちの嫁さんはすごい。

盆踊りのときには町内の子供たちにお菓子の詰め合わせ袋を配る。
厳密に言えば、「町内に住む、小学生に」と決まっている。
正確な数を言えばおそらく40〜50人だろう。
しかし、実際に用意するお菓子の数は200。
しかもそれがすべて配られてなくなってしまう。
自治会会長はこれに文句を言う。
「子供会が実数を把握していないからだ」と。

実際は把握していても無理がある。
幼稚園児と小学生がお菓子を受け取りに来たときに「幼稚園の子はダメ」とは断れない。
また、町外の子供たちが遊びにきて一緒に盆踊りに参加していることだってある。
その子供たちにも「町内に住んでいないからダメ」とも言えない。
もともとお菓子を配るという発想は、より多くの子供に盆踊りに参加してもらいたいからであって、子供会の子供に配りたいわけではない。
単ににお菓子を配るのなら、小学生のいる町内の各家庭に配ればそれで済むのだ。

そこで嫁さんは言った。
「お菓子は、参加した子供たちすべてにあげてください。それから中学生にも。多くの中学生が参加しているにもかかわらず彼らにはジュースもありません」
そういうと会長は言う。
「それじゃ、200個じゃ足りない」
「じゃあ、250用意すればいいでしょ!」
そう言い放った嫁さんはさらに続けた。

「それからビール。なんで300本も買ってるんですか?!」
聞くまでもない。理由は簡単だ。
会長の自宅は酒屋なのだ。

「大人の数は精々100人程度でしょ。しかも飲まない人もいる。それを考えると一人3本強になるはず。それでは多すぎます。子供の安いお菓子に比べれば、あまりにも無駄にしすぎです。来年からは発泡酒にしてください」
そう言われて会長が言い返す。
「発泡酒にすると『発泡酒ならまあええか』と言って飲む人が増える」。
負けずに嫁さんは言い返す。
「普段、自宅で発泡酒を飲んでいる人が盆踊りでビールを振舞われたら、それこそいつもより多く飲んで、挙句に持って帰るんじゃないでしょうか」

これまた周りの役員も賛同し、嫁さんの圧勝だった。
来年から参加した子供たちには町内の子供会会員であるか否かを問わず、全員にお菓子が配られる。
そして足りない分はすぐに追加注文できるようにする。
その経費はビールを発泡酒に替えることでできた差分で補う。

さらにさらに。
「この前の盆踊りの後片付けは、子供会のお母さん方が善意でお手伝いしたにもかかわらず、一言の労いの言葉もありませんでした。そのため、残念なことに、次回からは参加しないとお話になっているお母さんもいらっしゃいます。今後は是非、そういう方々に労いの言葉をかけていただくよう、お願いします」。
役員も「もっともだ」と納得。

そして最後に地区長からとどめ。
「会長さんはこの前、『子供会の会長は辞めようと思う』とお話になっておられましたよね。いかがでしょうか?」
「うーん。そうやなあ・・。適任者がいれば辞めようかなあ・・・」
「それなんですが、実は既に、後任の方を・・・」
「こちらのご主人です」と言って、私の嫁さんを指差す。

「あー。あんたとこのか旦那か」と会長。
「おお。あの人には3年ほど前から是非、何かの役員をやって欲しいと思ってた」と他の役員。
「会長。会長からここのご主人に後任のお願いをしてもらえますね?『子供会の会長をお願いします』とご挨拶に伺っていただけますね?」と、嫁さんの友達。
「ああ。わかった・・」とうなづく会長。

そして今日、嫁さんが嬉しそうに話す。
「友達が役員さんの家に行ったら『いい人が会長になってくれたねー』って言われたらしい。周りの人はみんな喜んでる」と。

予想していなかった反響になんだか気恥ずかしいが、そういうわけで、どんでん返しでも無い限り、私はまもなく子供会の会長になる予定だ。
とりあえず最初の大仕事は運動会か。

本日の体重(久しぶり) 60.0kg。

2005年8月10日(水) 立ち飲み

結構飲んだのか、眠いし、パソコンも使うみたいなので、寝る。

2005年8月11日(木) 会長準備

仕事で帰りが遅くなった。

今日は自治会長が来たらしい。

嫁さんが私の帰りがいつも遅いことを告げると、じゃあまた休みの日にでも、と引き上げたと。
その少し前に、地区長が家にやってきて嫁さんに相談した。
「今日は地区長の集まりがあるけれど、子供会の会長がご主人に決まったこと報告してもいいかなぁ・・」と。
「うん」
嫁さんはあっさり二つ返事。
まあ、もう私もその気だけど。

「じゃあ、20日の花火大会の日に、ちょっと挨拶してもらうかも・・・大丈夫?」
「うん。大丈夫」
これまたあっさり嫁さん。
まあ、確かに大丈夫だけど。

そろそろ子供会の仕事について勉強しておかないと。

今日は遅いのでもう寝る。

2005年8月12日(金) ロボット三原則

ロボット三原則というのがある。

第一条 ロボットは、人間に危害を加えてはならない。
第二条 ロボットは、人間にあたえられた命令に服従しなければならない。
第三条 ロボットは、自己を守らなければならない。

と、こう書くと、そのまま納得する人もいれば、すぐに矛盾点を見つける人もいる。

「人間が、『人間に危害を加えろ』と命令するとどうなるのか?」
これが矛盾を引き起こす。
命令どおり人間に危害を加えてしまうと、第一条に反し、かといって人間に危害を加えなければ、第二条の命令服従に背く事になる。
この矛盾にさんざん悩んだ挙句、故障でもしようものなら、第三条にも違反した事になる。
これはロボットが悪いのではなく、三原則の書き方が悪いのだ。

では、どのように書けば矛盾が生じないか。

第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。
第二条 ロボットは第一条に反しない限り、人間に与えられた命令に服従しなければならない。
第三条 ロボットは第一条及び第二条に反しない限り、自己を守らなければならない。

最初の記述ではなぜ矛盾が生じ、後の記述ではなぜ矛盾が生じないのか。
これを、プログラムの流れに置き換えて長男に説明した。

ロボットだからプログラムの話をしたというわけではない。
プログラムというのは何もコンピュータの世界にだけ存在する特別なものではなく、
論理的な思考の流れそのものがプログラムと同じであり、そこかしこの日常に存在していて、
それをコンピュータの言語として表記するか否かだけが、いわゆる「コンピュータのプログラム」と
呼ばれるか否かの違いなのだ、ということを教えたかったのだ。

なぜそういうことをしたか。
長男が情報処理技術者試験を受ける事は前にも書いた。
そのための勉強を始めなければならないが、コンピュータのことを日常のものと結びつけることによって入り込みやすいようにしたかったのだ。

案の定、長男ばかりか長女までもこの話には食いついてきた。
思考の流れをフローに書いて説明し、それをプログラミング言語で記述することで、プログラムというものが何も特別なものでは無いということを、理解したように思う。

あとは、勢いに乗ってこのまま10月の試験を迎えることができればいいのだが。

2005年8月13日(土) 渋滞解消

世間はお盆休みに入り、各地の高速道路で渋滞が始まった。

家族で渋滞に巻き込まれた時など、いつも家族から質問が来る。
「料金所?それとも事故?」
物理的に速度を制限させられる場所があるのであれば、車が停止するのもわかるが、信号もなく、スイスイ走れるはずの高速道路でどうして渋滞が発生するのだろうか。

車を運転する人なら経験していると思うが、渋滞を抜けた途端、「何でこんなところで混んでいたの?」と思うことがあっただろう。
一時は完全に停止してしまうほどに渋滞していたのに、気が付けば、前の車との距離が開き、アクセルを踏み込まないと離されてしまい、いつの間にかスイスイ走り始めている。
交通事故などの物理的な制限の無い渋滞の事を自然渋滞などと呼ぶが、この渋滞のできるところを見てみると長い下り坂から上り坂へと変化する付近が最も顕著なようだ。
この部分を「サグ」というが、サグの部分では、下り坂から上り坂に変わった時にアクセルを踏むのが遅れ、車の速度が一時的に低下する。
前の車の速度が低下すると、車間距離が縮まり、追突を回避しようとしてブレーキを踏むことになる。
ブレーキを踏んだ車は当然、ブレーキランプが点灯し、それをみた後続の車はまたブレーキを踏む。
これが連鎖的に後ろへ伝わり、ついには完全に停止してしまうのだ。

これを解消するには、最初の速度低下を防止しなければならない。
そのためには、上り坂になった時も一定の速度で走り続ける必要があある。

クルーズコントロールは、自動車に取り付けられた付加機能であって、アクセル踏むことなく速度を一定に保って走り続ける機能である。
一般には運転者の負担軽減を目的としているようだが、この機能を利用することでサグの速度低下を防止できるのでは無いだろうか。

まだまだ装備されている車は少ないようだが、ETCと同様、これらの装置が全ての車に取り付けられれば、さらに渋滞も軽減できるように思う。

2005年8月14日(日) ジョニ黒終了

300円貯金をしながら飲んでいるウィスキーの一つ目が空になった。
四角いスリムなビンのスコッチ、ジョニーウォーカーの黒ラベルだ。

最初に空けてしまった「山崎12年」はとても美味しかった。
ウィスキーをまったく飲めない嫁さんでさえ、「美味しいというのがわかる」というほどに美味しかった。
その後に飲み始めたのが、「バランタイン」と、今回、空になった「ジョニ黒」だ。

「ジョニ黒」は少し「クセ」があるように感じた。
その「クセ」が、明日からまた新しい一週間が始まるぞ、気合を入れる日曜日の夜にフィットしていたように思う。
よく眠れるように、少し多めに飲んでいたのかもしれない。

次に買うスコッチは何にしようか、と、残り少なくなったジョニ黒を横において、思案した。
あれにするかこれにするか。
ネットで格安の店を探したりもした。

「なんか、楽しそうね」
嫁さんに冷やかされながら、アドレスをひかえた。

次の味が楽しみだ。

本日の体重 60.0kg。

2005年8月15日(月) 8月15日に思うこと

東京裁判は正しかったのか?

学生時代に法律を学んだものとして、私は、断固「裁判」としての正当性は無いと主張する。
法治国家を名乗る文明国が絶対に守らなければならない大原則がある。
それは「罪刑法定主義」と「刑罰の不遡及」である。
罪刑法定主義とは、「いかなる刑罰もあらかじめ成文法によって定められていなければならない」、とするものであり、また「刑罰の不遡及」とは「いかなる刑罰もその成立より過去に遡ってその行為を罰してはいけない」というものである。

簡単に言えば、何かの行為をなした時に、それを罰する法律がなければ、その行為は犯罪ではないし、後からその行為に対する刑罰が定められても、過去に行ったその行為については罰してはいけない、というものである。

「危険運転致死傷罪」などはある痛ましい事故がきっかけとなって制定されたものであるが、そのきっかけとなった事故に対しては適用できない。
いや、してはならないのである。
刑罰の不遡及に反するからだ。

こういうと、刑罰の不遡及が却って問題であるかのように思われるかもしれないが、法律によって人の世を治めるというのは、それほど厳格なものなのである。
ああ、法律に不備がありました、修正しました、すぐに適用します、だから今の行為は不法です、などと、簡単に出したり引っ込めたりしてはならないのである。
まさに「泣いて馬謖(ばしょく)を斬る」思いで、過去の犯罪(その当時は『犯罪』ではない)を不問に帰さなければならない。

然るに東京裁判は、「平和に対する罪」と「人道に対する罪」を後から制定し、それでもって被告を有罪にしたものであり、前述の大原則を根底から覆している。
これでは到底「裁判」とは認め得ない。

そもそも「戦争をしてはならない」などという国際法はなく、国際法で最も重要と思われる約束は「非戦闘員の殺害をしてはならない」というものであり、これは今も昔も変わらない。
しかし、それで裁くとなると、原爆を投下したアメリカに矛先が向くことになる。
占領軍、いや、アメリカはなんとしてでも日本に「戦争責任」を追わせたかったのである。
東京裁判はまさに、勝者が敗者を裁いた裁判といえよう。

しかし、この東京裁判は結果的に、日本に恩恵をもたらしたのではないだろうか。

この裁判の結果、占領各国は溜飲を下げ、日本国民は従順になった。
そして民主主義への道を歩み出し、戦争は絶対的な悪であるとして、武力を放棄した。

今や、日本は平和だ。
だからこそ、ニートと呼ばれる馬鹿者や、白く肥え太った豚や、黄色いサルが生きていける国になったのだ。

私は、憲法を押し付けだからといって改憲すべきだとは言わないし、「華氏911」のファンでもない。
この安穏とした、独立した統治国家であり、日本語という固有の言語を持っているとはいえ、アメリカの属国である、日本が好きだ。

2005年8月16日(火) というわけで仕事ができません

ユーザにも私しか使わないいわば私専用のノートパソコンがある。

そのパソコンの電源を入れて起動すると、いつもより時間がかかった。
不思議に思ったが、Cドライブの空きが20MBほどしかなく、これが原因だと判断して、不要ファイルを削除して200MBほど確保した。

仕事を順調にこなす。

あるとき、ファイルを開こうとするとやたらと時間がかかった。
LEDを見るとDISKのランプが一定の周期で点いたり消えたりする。
なんとなく嫌な予感がした次の瞬間、STOPエラーになった。

長年この仕事に携わっているが、自分が使っているパソコンでSTOPエラーに出くわしたのは初めてだ。
すぐさまリブートが開始される。
何事も無かったかのようにOSが起動される。
気のせいか、先ほどより動きが軽快な気がする。

『バックアップしようか』と思った。
しかし、追われる仕事に負け、それを怠った。
それが間違いだった。

何かの拍子に、マウスが動かなくなった。
でも、それはすぐに解消された。
マウスはすぐに動き始めた。
でもそれだけだった。マウスポインタが移動するだけ。
他の何も応答しない。
細かい説明は省くが、SEを生業とするこの私が、電源切断しか道は無い、と判断するにいたった。

それっきり、マシンは起動しなくなった。

電源を投入すると決まって表示されるエラー画面。
「ntoskrnl.exeが見つかりません」・・・・。

うーん。
どこかで見たような記憶が。

---
あ、そうそう。
今日、初めてミラノレッドとすれ違った。
かっこよかったけど、ちょっと汚れていたのが残念。
この色は輝いていないと。

2005年8月17日(水) 牛の模様

結局、借り物のノートパソコンはDISK障害でどうにもならなくなった。
修理を依頼すると、一週間かかるという。
それでは仕事にならない。

なのでそのまま買いに行くことにした。
本当は贔屓のマシンがあってそれを購入したかったのだが、オンラインでしか購入ができず、それだとやはり10日ほどかかってしまうので、仕方なく、街の量販店で購入することにした。

最近の流行はテレビチューナ内臓のもののようだが、それは必要ない。
とりあえず、OSが入っていて、無線LAN内臓で、512MB以上のメモリと、40GB以上のDISK、15インチ画面のノート、を探すことにした。
比較検討すること30分。
コストパフォーマンスのよさそうな一台を選んだ。

次にOS。
量販店で販売しているパソコンにインストールされているOSは通常、WindowsXPのHomeEditionだ。
これだと、企業LANで使用するドメインへの参加ができない。
企業LANに接続するならXPのProfessionalが必要となる。
アップグレード版を購入することにした。
ここで、ふと思った。
せっかっくだからホームネットワークだ。

我が家のパソコンが取り合いであることは以前にも書いた。
嫁さんの仕事、長男のチャット、長女のメール、おまけに次女のお絵かき。
それから全員がインターネットを利用する。
そこで、自宅のデスクトップと、新しいノート、それから長男のオンラインゲーム機、あわよくば古いノートのすべてを同時にオンライン利用できるように、無線ブロードバンドルータを購入し、自宅に戻って、早速作業を開始することにした。

まずは既存デスクトップをブロードバンドルータ経由で接続する。
ルータの説明書を見ると、ADSLモデムとパソコンの間にケーブルでつなげと書いてある。すべての電源を切って手順どおりに接続する。
そしてまた、手順どおりに電源を投入した。
すべてのランプが良好な状態になったところで、説明書の続きを読む。
「以上で終わりです」
ほへ?
以上って、ケーブルでつないぐだけ?

早速メールでテストをしてみる。
つながらない。
つながらないじゃないか。

もう一度説明書を読む。
うーん。
特に注意事項はない。
あ、もしかして、セキュリティソフトかも。
そう思ってセキュリティソフトを終了させる。
するといきなりつながった。
恐る恐るセキュリティソフトを起動する。
問題なくネットワークは利用できた。
ま、よくある話だ。

次に、ノートのセットアップ。
何の問題もなく、設定完了。
そして有線での接続確認。

おお。
二台のパソコンが同時にネットワークを利用できる。
IPアドレスを確認する。
おお。
同じセグメントに二台のパソコンが。
当たり前か。

続けてProへのアップデート。
時間はかかったが何も躓くことなく完了。
さらに、無線でつないで見る。
これまた問題なくつながった。

うん。
充実した気分。

2005年8月18日(木) 無線LAN

今日は99年に購入した初代のノートパソコンを復活させることにした。
OSはWindows98SE。
とはいえ、一昨年まで使っていたパソコンだし、充分使える。

デスクトップパソコンで使っていた無線LANのカードを差込み、ユーティリティをセットアップ。
ブロードバンドルータ導入後の使用は初めてだが、すんなり動いた。
これで合計三台のパソコンと一台のオンラインゲーム機が同時に使用できる。

早速パソコンの取り合いが始まった。
いつもならデスクトップに集まるのに、今日は復活させた少し黄ばんだ画面の古いノートに子供が集まった。
子供がネットサーフィンで見つけたお気に入りのゲームで遊んでいる。

やがて長男が、この環境に興味を持ち始めた。
部屋に転がっていたIT関連のハンドブックを片手に読み始める。
古いパソコンが復活して無線LANで家の何処からでもネットワークで使えるようになり、活用したいという気持ちが大きくなったのか、ハンドブックに書かれた言葉を調べ始めた。
「プロトコルって簡単に言うとどういうこと?OSIモデルって?」と質問してくる。

三日坊主でなく、続くようなら長男専用のパソコンも検討しなければならない。

2005年8月19日(金) 邪魔するのはどいつだ?

あー疲れた。
今日は遅くまで仕事をしていた。

明日は朝から校区の花火大会の準備で忙しい。
とはいえ、金曜日なので久しぶりにビールを買ってきた。

昨日復活させた古いノートパソコンをちょっとチューニングしてみる。

あれ?
pingが通らない。
メールやインターネットには接続できるのに、pingは自分のNICにさえ通らないのだ。
これはどういうことだろう。

エラーメッセージが表示される。
そのメッセージをネットで検索してみた。
すると、あるソフトを使用していると同じ症状になることがある、と書かれているサイトを幾つか見つけた。
そのソフトはフリーのセキュリティソフトで主に、ファイアウォールの機能を持っている。
以前、確かにそのパソコンにはインストールしていた。
でも今は削除したはずだ。

しかし、どうやって削除したのかは覚えていない。
もしかしたら、強引にフォルダを削除したのかもしれない。
そう思ってレジストリを確認した。
すると、レジストリ上はまだそのソフトウエアが存在しているように見えていた。
かといってアプリケーションの削除でも削除はできない。
うーん。
素人じゃあるまいし、なぜこんなことになっているんだろう。

とにかく、中途半端な状態で、何かが残っていることは確かなようだ。
なにかサービスが動いているのかもしれない。

でも、明日も早いし、今日はこれぐらいにする。

2005年8月20日(土) 花火大会

あー疲れた。
昨日の日記の出だしもこうだったが、今日は間違いなく疲れた。
ビールを1リットル飲んで食事をしてきた直後だというのに、体重が59.3kgしかないことが、今日の作業のハードさを物語っている。

朝から小学校で花火大会の用意をしていた。

集まったのは役員や父兄など8人の男性。
テント三張り、ベンチ30脚、テーブル20台、PA機器、屋台、金魚手づかみのプール造営、そして300本の打ち上げ花火のセッティング。
昼過ぎには奥さんたちもやってきて、屋台で調理する焼きおばの下ごしらえを開始した。
10時から初めて、設置完了は16時。
炎天下の中、汗だくになった。
何度水分を補給しても、すぐに汗になり、Tシャツは乾くまもなく汗を吸収し続け、夕方にはゴワゴワになっていた。

夕方になって子供たちが、各地区ごとに続々と集まってきた。
金魚の手づかみのためにプールに飛び込む低学年、屋台で焼きそばやフランクフルトを買っている高学年。
もちろん、父兄も参加している。

日が暮れて、照明にも灯が入り、マジックショーが始まった。
オリーブの首飾りが似合う、スタンダードなマジックだ。
次に地元でCDを出しているというバンドのコンサートが始まった。
その間に、私たちは一度セッティングして室内に運んでいた花火を再びセッティングした。
すべての花火は幅10センチ、長さ2メートルほどの細長い板に並べて貼り付けられている。
その5列ほどにして並べていく。
なかなか、壮観な長めだ。

そしてコンサートが終わるといよいよ花火の開始。
私は4人いるの火付け役の一人。
一発目は私が点火した。

一本目の花火の導火線に火をつけると、すぐさま二本目、三本目に火をつけた。
赤い火花を散らしながら導火線が燃えていき、筒の中に消えて中が真っ赤に燃えたかと思うとその直後、ボーンという結構大きな破裂音とともに、光の尾を引いて花火が打ちあがった。

そして、次々に火をつけた。
まったく上を見る暇もないほど、次々に。
おかげで手の甲の毛が少し焼けてしまった。

そのあと、後片付けと、慰労会を終え、帰宅した。

が、いつもの奥さん連中とカラオケに行ってしまった。
のどが痛い。

2005年8月21日(日) 疲れが取れない

二日酔いのまま、仕事。
午前中に終わる予定が、昼過ぎまで。

帰宅すると、昨日の疲れが残っていたためか、猛烈な睡魔に負けて、寝てしまった。
晩御飯は、昨日の屋台の残り、焼きそば。
あ。イカ焼きもあった。

で、ちょっと疲れた。
明日も仕事だし、もう寝る。

2005年8月22日(月) 就任

自治会の会長さんがやってきて、子供会会長の就任要請を受けた。
そして引継ぎも無事終了。
これで責任ある子供会の会長になったわけだ。

この前の土曜日に花火大会のお手伝いをしたと思ったら今度の土曜日には地区の母親たちが中心となっている班長会議があって、その一週間後には自治会の会議がある。
仕事の忙しい時期だけに、例え土日といえども、毎回の参加は難しい。

打ち合わせだけじゃない。
今日受け取った資料の中に、子供会の会則があった。
無論、あるだろうとは思っていたが、目にしたのは初めてで、かなり積極的に子供会の活動に参加している嫁さんでさえ、見るのは初めてだという。

「1条 本会は○○自治会傘下に属し、○○住民の子供(小学生・中学生)全員を示す」
何だこの文章は。

「2条 事務所は会長宅とする」

に、2条でいきなりそんな具体的なこと。

普通、「会の名称」「会の目的」「会の構成員」とか書くんじゃないのか?
1条を見ると、確かに構成員が児童だって言うのはわからなくもないが、「本会は」が主語なんだから「本会=児童」ってことか?
しかも、いきなり2条で事務所が会長の自宅だ、なんて。
そんな大事なこと先に言ってくれないと。
なにより、この会則の改定についての決まりが書いていない。
何処の誰がどのように決めて、いつから有効で、どうやって改定できるのか、議決権が誰にあって、参加資格はどうなっているのか、そういうことが一切書いていない。
最初の仕事は、この会則の改定になるかなあ、と思いつつ、引継ぎの時の自治会長兼前子供会会長の言葉を思い出した。

「まあ、会則って言うのはあんまり変えたりするもんじゃないけどな」
これ、書いたのはもしかして・・・。

2005年8月23日(火) 会則

昨日読んだ「子ども会会則」がどうしてもひっかかる。
なんだかおかしい。
どこがどうおかしいのか、はっきりしないまま、仕事をしていた。

夜になって急に何かに気がついた。
もしかしてと思ってちょっと調べてみた。
引っかかっていた理由がわかった。

普通、子ども会の会員は「児童」だ。
だとすると、会員の中から役員が選出されるはずだ。
なのに私の町の子ども会では、役員である、会長や班長が「保護者」なのはどうして?
保護者が会員であるとはどこにも書いていない。

あわてて会則を読み返すと、役員のところに、こう書いてあった。

会長 1名 年齢を問わず

な、な、なんだ?
「年齢を問わず」っていうのは?
これで、「保護者が役員でも可」としているつもりなのか?

うちの町内はどうなっているんだ。

日本各地に「県子連」や「市子連」と称される「○○子ども会連合会」というようなものがあってそこの会則を見ればわかるが、あくまで「子ども会」の会員は「児童」であって、役員の選出も「児童」から行われる。
そして、保護者たちは。

保護者たちは、児童を見守る立場から「育成会」や「育成委員」として、子ども会に付随する立場をとり、そして、子ども会の手助けをするのだ。

もともと、子ども会の目的の中には「子供の自立」や「ボランティア精神の育成」「異年齢間での相互扶助」といったようなものが含まれているはずだ。
しかし、うちの町内ときたら、何から何まで、大人がお膳立てをして、子供は用意されたことだけをこなしているにすぎない。
子供が少ないのだし、いきなりの子供の会長選出なんて周りの反対を食らうのは目に見えている。

でも、周りの大人たちは、今の仕組みがおかしいことに気がついてほしい。
そうでなければいつまでたっても、役員は雑用係であり、くじ引きで人に押し付けあうだけの存在から抜け出せない。

2005年8月24日(水) 第一歩

仕事を終えて自宅に戻ると、会長さんのお仕事が待っている。
今日は自治会の会則に目を通した。

自治会の会則には、昨日書いたように「子ども育成部会」というのがあった。
こちらの会則は正しい。
今の会長が就任するより前に作成されたもののようだ。

で、疑問に思った嫁さんがいろいろと聞いてみたらしい。

すると、以前はわが町内にも、れっきとした子どもによる子ども会があり、その上部組織としてジュニアリーダーなども設けられていたようだ。
それがいつしか、活動が衰え、なくなってしまったようだ。

私はいつか、以前のように活発な子供会に戻したいと思う。
そのための第一歩に何をなすべきか、それさえも今は解らないが。

2005年8月25日(木) ドメイン取得

あーもう、いい加減、子ども会ネタは止めようかと思ったけど、今日も一発。
とりあえず、ドメイン取得アーンドホームページ作成開始。

メールは開通してテストも無事に終了。
ホームページはこのカリントとそっくり。
だって、最初から作るのは面倒くさい。
プロなんだから、金をもらってもおかしくないけど、無償奉仕だし。

でも、町名がURLになってるから、商店街の広告収入って言うのもいいなあ。

というわけで、飲みながらやっていたので眠い。
最近、こればっかりだ。

2005年8月26日(金) ピーターパン?

幼稚園に通う次女が、最近「大人になりたくない」という。

ままごとをするときは、「おねえさん」になるらしい。
彼女いわく、「おねえさんは、大人のおねえちゃん」だそうだ。
彼女にしてみれば、7才違いの長女は「おねえちゃん」らしい。
それよりもしっかりしていて、お化粧もし、大人っぽい口の利き方をするのが「おねえさん」のようだ。
それが彼女の憧れだった。

今日、彼女はスイミングスクールに行った。
コーチに教わりながら、スクールの中で一番長い距離を泳いだ。
少しおねえさんでありたい彼女は、みんなが手を上げない中、一人手を上げて、バタ足の練習をしたらしい。
そばで見ていた母親が、びっくりするぐらいに彼女は泳いだという。
幼稚園児にそこまでするか、と母親が思うほどに結構厳しい練習だったらしい。

それでも、彼女はプールで泳ぐのが楽しかったと言った。
母親は「もう、心配で心配で。疲れたー」と言った。

彼女が言う。
「大人になったらプールが疲れるんやろ?だから大人になりたくないねん」

そうだな。
大人はすぐに「疲れた」っていうよな。
大人になるとなんだか楽しいことを楽しいと感じることができないのかもな。
お前が早く大人になりたいって思うような、おとうさんやおかあさんってどういう感じなのかな。

2005年8月27日(土) 先生の評価

そういえば長男の新学期が始まった。
22日からだったか。

夏休みに入ってもしばらくは学校へ行き、まわりはまだ夏休みだというのに、学校が始まった。
夏休みは自由に遊ぶほうがいいとも思うが、まあ、夏休みといっても家にいてブラブラしているだけなので、むしろ学校に行ったほうが充実した日々を過ごせるかもしれない。

長男の学校は電車で4駅ほど行ったところにあり、結構遠くから通う生徒も多い。
民間校長が勤める新しい学校で、何かと革新的なことを進めている。
先生には一人一台のパソコンが与えられ、事務処理は大方システム化されているそうだ。そのため、先生に対して、システム利用の研修なども設けられており、勉強を教えるだけでも大変なのに、先生もかなり忙しいらしい。
また、生徒には各教科の先生の教え方などについてアンケートを実施し、授業の改善に利用している。

非常に望ましい姿だと思う。
とかく公務員だとか役員だとか言うものはその地位に甘んじて、切磋琢磨することを怠りがちになる。

自治会の役員たちも、この先生を見習って、自分の成すべき事を見直してほしいものだ。

2005年8月28日(日) 初会議

土曜日は初めての班長会議。

出席するメンバーのほとんどは普段から話をしている近所のお母さんたち。
嫁さんの友達でもある。
今回、私を会長に引きずり出した張本人たちだ。
本人たちは「自分から手を挙げて出てきたくせに」と言いそうだが、全く何も無いのに手を挙げて、わざわざ会長になりたがる奴はいない。
私は嫁さんとその友達、そして何より回りの子供たちのために立ち上がった心優しき戦士なのだ。

普段から一緒にのみに行ったりもするメンバーなので、緊張するはずの初めての班長会議も和気藹々とした雰囲気の中、進んでいった。
ま、それゆえに、なあなあになってしまわないように、しっかりと段取りを決め、決まりごとは文書に残し、WEBでも公開するようにした。

しかし、疲れた。
女性たちはおしゃべりが好きで、すぐに話が脱線する。
「あ、そうそう、そういえば、この前」と言い出したら5分間は議題と全く関係の無い話しになる。
かといって、無理矢理話を元に戻してしまっては、折角の活発な意見が聞ける会議に水を差すことにもなりかねないので、あまりにひどいものでは無い限り、聞いていることにしている。

まあ、リズムが掴めたらもう少し要領よくやって行こうと思う。

2005年8月29日(月) 自然淘汰

とてもふしぎに思う。

戦争は嫌だと思う。
争いごとは嫌だと思う。

自分の愛する人が傷つくのは嫌だと思う。
自分の愛する人を失ってしまうのは嫌だと思う。

人が人を大事にすればそんなことは起きないと思う。
人が人を好きであればそんなことは起きないと思う。

人を人を思いやるのにルールは必要か。
人が人を愛するのにルールは必要か。

自分がされて嫌なことをしてはいけないのは、子どもだってわかる。
自分がされて嬉しいことは、教えてもらわなくてもわかるはず。

自分の事だけを考えずに、周りのことを考えられる人ばかりなら、争いごとは起きない。でも世の中そうはいかない。

今夜も電車で、一発かまして来た。
臭い女だった。

神さまー。
「自然淘汰」ってこういうところでは意味が無いのですかぁー。

2005年8月30日(火) トレーニングの賜物

ダイエットの成果は目に見えて現れ、体重は減り、筋肉量はアップした。

腕も胸も見て解るほどに、筋肉がついた。
腹などは贅肉が削げ落ち、俗に言う「割れた腹筋」の「兆候」も見られる。

体重は65.5kgから61.0kgまで落ちたし、体脂肪率も20%から15%程になった。
(ただ、水分量によって両方とも変化する)
筋肉は痩せやすく、脂肪は減りにくいので、完全に脂肪だけを減らすというのはなかなか大変だ。
それを考えれば、なかなかよくやっているほうだと思う。

ダイエットを開始した時は、徹底的に油分を避けた。
鶏肉のささみと大豆タンパクを積極的に摂取した。
大好きなラーメンも食べないようにした。
朝食はヨーグルト、牛乳、バナナ、トマトなどをしっかり食べた。
昼食もカロリーが低く、高タンパクのものを食べた。
夕食の量は少し減らし、どんぶりにご飯を入れていたが、しばらくは米を食べずに、おかずだけにした。
それに30分の有酸素運動と筋肉トレーニング。

お陰で今は、特に食事制限を特にしなくても、体重は増えることが無い。
筋肉が増えて、基礎代謝量が多くなったためだろう。
今は、過度な油物は避け、やはり暴食しないようにしている。
そして2日に一度程度の筋肉トレーニング。
それも飽きが来ないように色んな方法を試している。

お酒をやめるつもりが無いので、劇的な改善は望めないが、この調子で行けば、運動会でまた活躍できそうだ。

2005年8月31日(水) 娘に!

今日は8月最後の日。

普通なら夏休み最後の日でバタバタするのだろうが我が家は長男も長女も既に学校に行っている。
長男の高校は普通の授業をしているし、長女はクラブ活動だ。

朝8時前に「ピンポーン」とインターホンが鳴った。
誰かと思って玄関モニターを見るとなんだか目つきの悪い男が、ぼーっと立っていた。
そして「○○いてますか」とその男は娘の名前を呼び捨てにしやがった。

なんだコイツは!?
嫁さんがそれを見るなり、「××君がきてるよー」と長女を呼んだ。
か、彼氏か?

すると長女が、さも邪魔臭そうにモニターに向かって返事をした。
「あ゛ーん? なに?」

なんと言う声で返事するんだ。
私に向かってそんな返事の仕方をしたら間違いなく叱られるような、全く気の無い返事だった。

相手の男が言った。
「学校いこ」
「あ、まだいかへん。電車で行くから」

娘は明らかに避けていた。
先に行ってくれという感情がその言葉にこもっていた。
相手の男は一駅となりの学校まで歩いて行くつもりだったのだろうが、娘はあっさり電車で行くと答えた。
もう、定期券は切れているので切符を買う必要があったが、それでも電車を選んだ。

男はくじけずに続けた。
「あ、じゃあ、ここで待ってる」

娘は一刀両断した。
「いや」

それっきり娘は何も言わない。
しばらく家の前で男は待っていたようだが、諦めたのか先に行ったらしい。

嫁さんに聞くと、クラブの先輩で時々娘を誘いにきたり、休みの日には遊びに来ることもあるらしい。
娘はかなり嫌がっていて、学校の帰りもつかまらないよう、気づかれないうちにさっさと帰ってくるらしい。

うーん。
あの男は、ダメだな。
うん。その調子で避けてくれ。

[先月] [目次] [来月] [最新版] [トップ]

info@karintojp.com
Akiary v.0.51