カリント日記

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2005年9月1日(木) 台風

日本には毎年毎年、間違いなく台風がやってくる。

日本はその位置関係から太古の昔より台風の通り道になっており、日本人の文明は台風に備えて発展したと考えても言い。
地震に対しても同じだ。

人が建物を作るのに、最も簡単な方法と思われるのはピラミッドに代表される、石の積み上げだ。
しかし、日本では基本的に木造の建物が多く、世界最古の木造建築物も、奈良にある。

石を積み上げた建築物が無いわけではない。
城の石垣がそれだ。
でも、石垣の石はどれひとつとして同じ形のものは無い。
ピラミッドの石の一つずつが精密に採寸されていたのとは対照的に石垣は不均一な岩石を巧妙に積み上げており、それが風や揺れに対して圧倒的な強度を誇っているのだ。

北米を襲った台風「カトリーヌ」の破壊力は凄まじかった。
津波を引き起こし、家屋を破壊し、全てのものを巻き上げ、そして吹き飛ばしていった。
しかしその惨禍が甚大になった理由の一つに、台風や地震に不慣れな文化であったせいもあるのでは無いだろうか。
願わくば同じような台風がこの日本に訪れないで頂きたいが、万一そのような目にあっても、北米ほどの被害は生じないと信じている。

今日は防災の日。
新たに気を引き締めて、台風シーズンを迎えたい。

2005年9月2日(金) 映画

映画をよく見る。

映画館に足を運ぶことは年に一度あるかないかの程度だが、テレビやビデオで週に2〜3本は見ている。
見るのは専ら、SF、アクション、アドベンチャー、サスペンスだ。

社会的なものや政治的なものはイマイチだし、かといってコメディも笑えない。
まあ、外国と日本の文化の差だと思うが。
ホラーは怖い。気持ち悪い。食欲が落ちる。夢に出てくる。夜、トイレにいけなくなる。恋愛ものは・・・。うん。

どちらかといえば、役者に金をかけたものより、演出に金をかけたもののほうが好みだ。要するに、人間性とか演技力とかそういうところを見るのではなく、何も考えずに楽しめるような作品が好みだ。

もうすぐ公開される邦画は忍者版「ロミオとジュリエット」という感じであるが、忍術シーンもあるだろうから、アクションも満載だと思う。
わざわざ映画館まで見に行くことはないが、衛星放送があるときは見るだろう。

ところでこの映画、日本国内初の「映画ファンド」によって作成されたものだ。
映画ファンドとは簡単に言えば、一般の個人が投資して、それによって映画を作り、その映画の儲けを投資者に還元するというものである。

もう投資は締め切ってしまったが、この方法がうまくいけば、今後も同じような映画が作られるだろう。

そのときは私も一口乗ってみるか。

2005年9月3日(土) ポイントカード

今日は近所の家電製品の量販店へインクリボンとDVDメディアを買いに出かけた。

周りには新進の量販店があり、価格競争も激しく、「他店より安くします!」といったような広告が、いくつもの商品に貼り付けられていて、かなり買い得だ
さらに、この量販店にもポイントカードがあって、買った金額にあわせてポイントがつき、時折行われるポイントアップセールなどをうまく活用すれば、消費税に近い金額がポイントで還元される。

会員カードを提示すれば、ポイントをつけてくれるのだが、カードを忘れた場合でも、レジで電話番号を告げれば、会員であることがわかるので、後日カードを持っていけば、ポイントはつけてくれる。
いつもレジへ行くのは嫁さんで、ポイントも嫁さんがもらっている。

ところが今日はいつもと違って少しもめていた。
この前買ったパソコンとソフトのポイントをつけるのを店員が渋っていたのだ。

店員と話していた嫁さんの隣に行ってそれとなく話しを聞いてみた。
なんでも、買ったときのレシートがなければいけないらしい。
今までそんなことを聞いたことはなかったのだが、でもそういう決まりらしい。
それに、クレジットカードで買い物をするとつけられるポイントのパーセンテージが下がるというのだ。
さらにさらに、購入の際に、商談で価格を下げてもらった場合、ポイントはつかないのだという。

おそらく嫁さんは10分以上交渉していたと思う、
でも、私はそういう決まりであったのなら仕方ないと思い「もういいだろ」と嫁さんを諦めさせた。
それが嫁さんはかなり不服だったらしい。

店を出てもずーっと膨れ面だった。
私はいつものように内心『あー、まったく女ってやつは』と思っていた。
何でポイントひとつにそれほどこだわるんだ?
もともと安い買い物をしてるんだからいいじゃないか?
あんなに店員と揉めて。
向こうだって「申し訳ございません」って頭を下げていたじゃないか。
もう、十分、こっちの言いたいことは言っただろ。
決まりなんだから仕方なだろ。
それともその決まりを曲げさせて、無理やりポイントをつけさせると気が治まるのか?
それってちょっと強引じゃないか?

いろいろ考えた。

でも、考えてみれば、そんな彼女の性格に私はずいぶん助けられたのだ。
23歳で結婚と同時に私の安月給でマンションを買えたのも、子供を育てることができたのも彼女のおかげだ。
彼女が、とことん相手と話をし、何とか自分が納得できるように話を進める。
粘り強く何度でも話をする。

私が見習わないといけないところだと思った。

帰りの車の中で話をした。
「この前買ったソフトは半額まで値引きしてくれた。ポイントカードの分は十分取り戻してるから。それに、パソコンは『この商品は大幅値引きのためポイントはつきません』って張り紙がしてあったから。」

少し機嫌を直してくれたようだった。

今夜は二人で飲みながら何を話そうか。

2005年9月4日(日) 新リンク

ちょっと新規にリンクを張ってみた。

勢いというか口からでまかせというか、「とりあえず」(最近これが「口癖」ならぬ、「文癖」だと気がついた)サイトを立ち上げて、書くこともないので日記をつけてみた。
そうするとこの日記が本当に日記のようになってきて、後から読み返すと、「あーこんなこともあったなー」とそのときのことを鮮明に思い出し、中年になって衰えてきた脳みそに、記憶に対する適度な刺激を与えてくれることがわかった。

日記は個人のひそかな出来事をしたためるもので、公然にさらすなど考えられないことであるが、それでもWebサイトにわざわざ書くというのは、屈折した自己顕示欲のようなものがあって、ごく少数の特定の人にだけ見てほしいような、でも、意外な人に見られるのもこれまた、新しい目覚めのような、不思議な感覚を得るものであった。

あるときから検索エンジンでヒットするようになった。
原因は私のサイトにリンクを張っているサイトがあったからだ。
最初はびっくりしたが、意外な訪問者に、これがWebサイトか、と感心したりもした。

まあ、まったくの道の訪問者ではなく、実は近所の知り合いだったのだが、それでもネットでつながるというのは、これもまた新たな快感でもあった。

今日、そのサイトを訪問した。
私のサイトへのリンクは切れていたが、今度はこっちからリンクを張らしてもらおうと思う。

よろしく「TEK+」殿。

2005年9月5日(月) 自治会議

初めて自治会の会議に出席した。
運動会の後の慰労会などで何度か顔を見た程度で、どこの誰かも知らないメンバーがほとんどだったが、いずれも年配者で、私が一番若かった。

今日の会議の目的は、子ども会の独立や自治会の過ちを是正させることなどがあったが、結局のところ、私の存在を認知させ、自治会に対して大きな影響力を持ち、敵に回せば強大な抵抗勢力になることを知らしめることにあった。

今までは、子ども会のお母さん方など、比較的立場が弱く、自治会メンバーから見れば娘同然の世代で利用しやすい人が、いつも町民代表としてなんらかの義務を与えられていた。
しかし、本来、自治会というものは、町内の最高議決機関としての役割と責任を持って、町民全体に平等かつ公平に権利と義務を与える必要があるはずだ。

だから、私は子ども会の会長として、今まで弱者であったお母さん方を代表し、自治会に意見を述べることで、お母さん方の負担を軽減し、かつ、自治会のやり方を監視するという目的で、自分の存在をアピールする必要があった。

会議が始まる前に、前回会議の決定事項を配布した。
本来なら、前回議事録の確認とまでいかなくても、決定事項についての回覧や配布などがあってしかるべきなのだが、そういうものがまったくない。
(後で聞いたところ、議事録はあって、誰でも閲覧できるらしい。
 ただ、そのことを知っている子ども会のメンバーは誰一人いなかったのだ)
そこで「子ども会の会議のときに地区長より自治会の決議事項の報告を受けたので、内容を確認したい」と言い、自治会の決議事項の確認書を私の名前で配布したのだ。

「ここに書いてあるとおりや」と誰かが言った。
反対はなかった。
前回の会議で決まったことを確認しただけなのだから、当たり前のことだったのだが、今まで何度となく覆されてきたことがあったので、今回の確認は意味が大きい。

ほかにもいろいろあったが、書いていると際限がないのでこれぐらいで。
とにかく、私の存在が強くアピールできた会議だった。

2005年9月6日(火) イリュージョン

ユーザ先で昼食を食べる時に気がついた。
財布が無い。

朝、家を出る時は確実にスラックスの後ろポケットに財布を入れた。
何処でどうしたのか、スラックスのあるべきところに財布が無いのだ。
ポケットに財布が入っていないとすれば、机の引き出しにある。

二つ折りにしてカードと小銭で膨らんだ財布をお尻のポケットに入れていると、イスに腰掛けている時にとても邪魔に感じる。
そのため、座る時は大抵、机の引き出しにしまうのだ。

しかし、その机の引き出しには鍵が掛かっていた。
その鍵は・・・財布に入れてある。
開けた鍵はいつもの指定の場所になかった。
鍵がいつもの場所に無い以上、状況から考えて、鍵を開けてないことになる。

いつもなら、そんなはずはなかった。
引き出しに鍵を掛けるのは、その引き出しの中にパソコンが入っているからである。
パソコンは私の重要な商売道具である。
ユーザ先では何よりもまず、パソコンの電源を入れる。
したがって、いつもなら、まず、財布から鍵を取り出し、その鍵で机の鍵を開け、引き出しを開けて中からパソコンを取り出す。
そして、鍵は所定の場所に入れ、最後に財布を引き出しの中にしまう。

でも、この日は違った。
前日、パソコンを自宅に持って帰っていた私は、鞄の中からパソコンを取り出したのだ。つまり、今日に限って、机の引き出しを開けることなく、パソコンの電源を入れることができたのだ。
だから、机の引き出しを開けなくても何不自由なく、仕事をこなせたのだ。

かくして、大騒動の一日が始まった。

遺失物の届出、カード会社への連絡だ。
警察や駅の落し物センターに足を運んだ。
財布に入っていた4枚のクレジットカードと、キャッシュカードは全て失効させた。
関係各所にも連絡をした。
最後に、鍵をなくしてしまったことをユーザの管理部門に届け出た。

1時間ほどして合鍵をもらった。
とりあえず、仕事を続けよう。
そう思って私は机の引き出しを開けた。

自分の目を疑った。
財布がそこにあったのだ。
しかも、中には鍵が入っていた。

鍵の掛かった机の中に、その机の鍵の入った財布があった。

2005年9月7日(水) 損か得か

昨日、財布を落としたと勘違いして執行させたカードは全部で8枚。

銀行のキャッシュカードがその中に含まれており、私の金はそのカードでしか下ろせない。
近くの銀行に行って話をすると「免許証はお持ちですか?」という。
保険証ではダメで、写真付きの身分証明書でなければならないのだ。
本当に財布を落としていたなら、ここでもうアウトだ。
財布と一緒に免許証も消えていたはずだ。

胸を撫で下ろして免許証を見せると「お届け印は?」と聞く。
普段から印鑑は持って歩かないので、今日ももちろん無かった。
お陰で今日はカードが作れなかった。

家に戻ってきて、届出の印鑑を探す。
この印鑑、まだ独身だった頃に東京で作ったもので、その銀行の口座も渋谷のものだった。
確か、引越しの時になくしてしまったような記憶がある。

ということは、まずは、印鑑の変更をして、それからカードの再発行か。
うーん。
なんて面倒なんだ。

でも、本当に財布を落としてしまっていたらもっと大変だったはず。
考えてみれば、実際には財布を落としてしまうことなく、落としてしまったときの体験をしたのだから、いい勉強だったかもしれない。

得したのか損したのか。

2005年9月8日(木) 長い会議

今日は長い長い会議だった。

家には終電で戻ってきた。

会議は2時間が限度で、それ以上はだらだらとするだけで、肝心の検討は十分に行われず、最終的には妥協で決定することが多い。
それはみんなわかっているのだろうが、明日に持ち越せないわけもあって、なんとか結論を出そうとする。
長い時間かけて結論が出れば、それがどんな内容だろうと、そこそこ納得してしまう。
あとで公開するような陳腐な内容であっても、そのときは検討に検討を重ねて生み出された最善の策であるかのように思ってしまうものだ。

会議に慣れているはずのユーザ先での会議でさえそうなんだから、年寄りやご夫人を相手にする会議が、どのようなものか想像すると、先が思いやられる。

とにかく疲れたので寝る。

2005年9月9日(金) かみなり

夕方、雷がひどかった。

小さいころ、雷は金属に落ちると聞かされていた。
だから、雨傘も先が金属になっている傘は危険だと思っていた。
なのにどうして大人はプラスチックではなく、金属の傘を差すのだろうかと、不思議に思ったものだ。

ずいぶん長い間、金属に落ちるものだと思っていたが、20年ほど前だろうか、金属は関係ないことを知った。
当時の大人が、雷と金属は関係ないことを知っていたとは思えないので、本人たちは危険と引き換えに金属の傘を差しているつもりだったかも知れない。

高い木のそばは危険だというのも、今では常識だが、昔はテレビドラマなどでも、雷が鳴ると高い木のそばに隠れるシーンが見受けられ、世間では誤った常識がまかり通っていた。
車も金属だから危険だという話も聴いたことがある。
無論、事実は異なり、車はもっとも安全な場所のひとつだ。

金属が危険で樹木が安全というのは単に電気である雷が通りにくいか否かだけで判断したことだと思う。
しかし、何百万ボルト以上の電圧になると、電気を通しにくいというのは、もう関係ない。

なんたって、雷は空気を伝わって地上まで降りてくるのだから、ゴム帽子だろうとなんだろうと、空気より電流を流しやすい場所を見つければすぐさまそこへ落ちるのだ。

雷が鳴ったら、車に乗り込む。
それができない場所なら、樹木を避けて、地面に伏せる。
子供にはそう教えたが、20年後ぐらいに「あの時親父にそう言われたが」などとどこかの日記に書かれるかも知れない。

2005年9月10日(土) 文化祭

長男の高校の文化祭に行ってきた。

休みの日の午前中なので、少し気が重いところもあったが、先週はさながらぐうたら亭主の体たらくだったので、それだけは避けたいと思い、まだ酒の残っている体に鞭打って娘たちと一緒に出かけた。

嫁さんはPTAの出し物があるとかで朝から先に出かけていた。
いつもながら行動力のある嫁さんで、感服する事しきりである。

自宅最寄り駅から4つめの駅でおり、そこから学校まで歩く。
整備された歩行者用の小道を歩くとやがて大きな通りに出た。
ちょうどそのときに携帯電話が鳴った。

相手は嫁さんだった。
私は大体の位置は知っているものの、学校の正確な場所や、入り口を知らない。
子供じゃないのだから、正確な場所を知らなくても無事にたどり着けるのだが、気を利かした嫁さんが、電話をかけてきてくれたのだ。
近くのコンビにまで迎えに来てくれるというので待ち合わせをした。
思ったより時間が過ぎてから嫁さんが到着した。
案外そこから遠いようだ。

学校へ向かって歩き始めた道は、春には桜できれいだろうと想像できる桜並木の道だった。
桜並木を抜けると今度は住宅街だった。
やはり静かな通りで、そこを抜けると学校の門が見えてきた。

受付で入館証をもらって、中に進むと、大きな垂れ幕が幾本も、校舎4階の窓から垂れ下がっていた。
それぞれのクラスの「出し物」のようだ。
長男のクラスは宝塚歌劇団のミュージカルまねた舞台劇だったらしい。
まるで女子高の演目のようだが、女子が8割を占めるこの学校では女子の力がとても大きく、男子の反対意見など通るはずもないのだ。
舞台を見ていた嫁さんでさえ「恥ずかしくて見ていられない舞台」と言っていたのだから、照明係をやっていた長男は毎日、首筋が痒くなる思いだったのではないだろうか。

模擬店で食べた団子はそこそこおいしかったが、運ばれてくるのが遅すぎる。
薄暗い教室の中でバンド演奏のようなものもあったようだが、締め切った教室に足を踏み入れる気にはならなかった。

しかし、普段はあまりよい印象のない「女子高生」が、にこやかにビラを配ったり、教室の前で楽しげに宣伝したり、かなりのハイテンションで廊下を行進している姿は、見ているこっちまで楽しくなるものであった。

2005年9月11日(日) 和太鼓

「太鼓をたたけるか?」
唐突にそう聞かれた。

体育祭の出し物で子供の応援合戦がある。
その中で和太鼓をたたくことになったそうだ。
体育祭の子供の応援合戦の出し物は子ども会のお母さん方が決定する。
今年の応援合戦には和太鼓をたたくことにしたそうだ。

これもみな、私が子ども会の会長になった折、自治会館の倉庫に眠っている太鼓を発見したのがきっかけだ。
今まで倉庫に太鼓があるという噂は聞いたことがあったが、子ども会のメンバーは誰もその存在を確認したわけではなかったのだ。
それがこの夏、ようやく確認ができ、そして今回の応援合戦で引っ張り出されることになったのだ。

ところが、肝心の和太鼓のたたき方を子どもに教えられる人がいないのだそうだ。
「太鼓をたたけるか?」というのはこの和太鼓のことであった。

たかが太鼓、と思っているので、見よう見まねでたたけるとは思っているものの、それでも一応「教える」という以上、それなりの知識が必要だ。
早速インターネットで調べてみた。
しかし、なかなか、たたき方を示しているサイトが見当たらなかった。

本屋で調べるのも面倒だと思っていると、嫁さんが思い出したように言った。
「あ、そうや。この子、小学生のとき『和太鼓部』やったわ」と、そばでテレビを見ていた長男を指差した。

なんという偶然。
それにしても、打楽器部やパーカッション部でもなく、和楽器部でもなく、和太鼓限定のクラブだなんて。

長男に教えを請うことにしたが、いっそうのこと、子どもに和太鼓のたたき方を教えるのは長男に任命しようか。

2005年9月12日(月) 憲法改定は・・

与党の圧勝に終わった衆議院選。
これによって与党は3分の2以上の議席を獲得し、圧倒的に優位を得ることになったが、独裁政権を憂う声も多い。

日本には三権分立というものがあり、衆議院のある国会はこのうちの立法権を有する最高機関である。
新たに法律を制定するに当たっては、まず衆議院で法案が可決され、次に参議院で可決されなければならない。
しかし、参議院で否決されても、再度衆議院で3分の2以上の賛成が得られれば、法案は可決されるのである。
つまり、衆議院の議席数が3分の2以上あれば、どのような法案でも必ず立法することができるのである。

これを聞いて憲法改定を心配する人も少なくないし、マスコミでそれを題材に取り上げることが多い。

しかし、それはまずない、と私は考えている。
なぜなら、憲法とその他の法律は同じではないからだ。

憲法を改定するにはまず、衆議院で3分の2以上の賛成が得られなければならない。
これは今回の改選によって条件を満たしているのですぐに可決されるだろう。
しかし、ここからが違う。
衆議院を通過すると、次に、参議院でも3分の2以上の賛成が得られなければならない。
この場合、参議院で否決されると衆議院優位は成立せず、法案は通過しない。
仮に、参議院で3分の2以上の賛成が得られた場合、どうなるか。
直ちに立法とは行かない。
憲法の改定には、さらに通り抜けるべき関門がある。
それは国民投票である。

この国民投票で2分の1以上の賛成が得られれば憲法は改定される。

しかし、日本人の性格上、憲法の改定は望まれないだろう。
憲法に多少の問題があるとしても、それを改定することによって、少しでも悪い方向へ行くのではないかという不安があれば、あえて改定に賛成しようとはしないのではないだろうか。

良くも悪くも、私を含め大多数の日本人は、改革改革と叫びながらも大きな変化にはビビって手を拱(こまぬ)いてしまうのだ。

2005年9月14日(水) 海鼠腸

昨夜はよく飲んだ。

海鼠腸(このわた)を食べたくて、少し値は張るが海鼠腸を置いてある店に行った。
お猪口に少し入って600円ぐらいしたと思う。
ところが、話が弾み酒も進み、海鼠腸をだべるのを忘れてしまった。

思い出すと無性に食べたくなった。
かといって二日続け同じ店に行くのも避けたいので、仕事の帰りにデパート地下の食料品売り場で探すことにした。
この手の珍味は鮮魚コーナーの一角にあるはずで、真っ直ぐそこに向かった。

イカの塩辛、タコわさび、ホタルイカの沖漬け、ほやの塩辛、カラスミ・・。
どれもこれもよだれが止まらなくなる珍味が並んでいた。
しかし、肝心の海鼠腸が見当たらない。

がっくりと肩を落として家路に着く。
家に帰ってからパソコンで検索してみた。
海鼠腸の通信販売を見つけてよろこんで中を見てビックリした。
た、高いじゃないか。
5000円近くするぞ。

うーん。
ちょ、ちょっと考えてから注文しよう・・・。

2005年9月15日(木) 

今日は一気に涼しくなった。
窓を開けて寝ていたが、朝方の冷気に寒さを感じて目が覚めた。

足が冷たくて少しつった。
目覚ましのシャワーを浴びようとレバーを捻ったがお湯になるまでに少し時間がかかり、それまでに流れ出る水が冷たく足をぬらした。
体を拭いているときも、少し寒さを感じた。
半袖のワイシャツで仕事に出かけたが、玄関を出て少し歩いたところで長袖にしても良かったかな、と考えた。

家に帰ってきて、いつもなら汗にまみれて気持ち悪くなったワイシャツをすぐに脱ぎ捨てるのだが、今日は不快に感じなかった。
シャワーを浴びたが、やっぱりお湯になるまでの時間が長かった。

久しぶりに焼酎のお湯わりを飲んだ。
美味しかった。

2005年9月17日(土) どこの地区長さん?

金曜日の夜は接待で、帰ってきたのは日付も変わったころ。
家に帰ってきてそのまますぐ寝てしまった。
しかも起きたのは昼過ぎ。

夜は校区の各地区子ども会代表者による会議があった。
各地区の子ども会代表だから、当然、会長さんが集まってくるのだと予想していたが、会場入りしてびっくり。
校区の会長さんは男性だが、その他の出席者はみな女性。
メンバーは全員地区長で、子ども会の会長はどうやら私、一人らしい。

ほとんど始めて顔を合わせる女性ばかりで、居心地はあまりよろしくなかった。
でも、相手はどうやら私のことを知っている様子。
間違いなく私はこの人を知らない、と思っていた人から、「奥さんの足の調子はどう?」と、最近捻挫した嫁さんの足のことを気遣う言葉をかけられて、一瞬戸惑った。
しかし、私がその人のことを知らないということを悟られるのが嫌で、「うん。大丈夫みたい」と無理やりフランクに返事をしてみた。
ぎこちなかった。

家に戻って嫁さんに聞こうにも、どこの地区の地区長だかまったくわからないし、顔や髪の毛に格段の特徴があるわけでなく、結局今でも誰だかわからない。

一応、知っているふりをしてしまったので今度あったときに名前を聞くのも失礼だし。
ま、いいか。
名前を知らなくても話をするのは私の得意技のひとつなんだから。

2005年9月18日(日) え?全部?

今日は早起きをした。
別に昨日、遅くまで寝ていたためではない。
今日は子どもに太鼓のたたき方を教える日なのだ。

校区の各地区対抗による体育祭が行われる。
その体育祭の出し物に、応援合戦があり、各地区ごとに何か出し物をするのだが、私の町内は高学年が少ないので、他の地区と合同で応援合戦の出し物をすることに決めたのだ。その出し物は男女別になっており、女子のほうはチアリーディングにすぐに決まったが、男子がなかなか決まらず、ようやく太鼓をたたくということが決まったようだ。

でも、こういう子どもの行事に参加する男性が少なく、女性では太鼓のたたき方を教えられないというので私に白羽の矢が立ったのだ。
とりあえず、太鼓のたたき方なるものを調べて頭に入れ、8:30に学校へ太鼓を運びの手伝いに行った。
当日はドッジボールの市の大会に向けての練習もあったため、まずは運動場でドッジボールのコートのライン引きを行った。

そして、9:00になると子どもたちが集まり始め、私は太鼓のセッティングをして子どもたちを待った。
今日、太鼓をたたくことになっていたのは5年生以上の4人。
それに、役員のお母さん方。

「えー今日は、運動会の応援合戦で太鼓をたたくことになったということなので、少しみんなに太鼓のたたき方を覚えてもらおうと思います。太鼓のたたき方といっても何も難しいものではありません。まずは、思い通りにたたいてください」
そういって太鼓をたたかせると、そこそこうまい子もいるし、まったくやる気のない子どももいる。
私が少しアドバイスをすると、たたき方のうまい子どもはますますうまくなったが、やる気のない子どもは、ますますやる気を出さなくなったようにも思えた。

このまま太鼓をたたいていても練習にならないので、母親たちに聞いてみた。
「えーと。どういう曲で練習するんですか?」と聞くと「いえ。曲も何も決まってないんです」という。
女子がチアリーディングをするのでその前座のように男子の太鼓を演奏するのだそうだ。
そこそこ太鼓のうまい大人だって、音楽もなしにそのリズムだけで「演奏」するのは難しいのに、この小学生が、ましてまったくやる気のない子どもたちが、何もなしに「演奏」するなんていうのは無茶だ。

「そうですか。でも、見てのとおり、このだらだらした調子で、音楽もなしに練習させても、次回の練習も同じように時間を無駄にするだけだと思います。何か音楽を流してそれで練習したほうが練習しやすいと思います」
そう提案し、適当にCDを探してきてもらった。

曲を少し聴く。

理想のリズムは程なくして浮かんできたが、子どもにそれを演奏させるのは無理なので、少し簡単にアレンジしてみる。
頭の中で考えていると、一人のお母さんが「どうですか?どんな感じになりますか?」と聞いてきたので、仕方なく、音楽にあわせてたたいてみることにした。

音楽を聴いてリズムを取るのは簡単だが、10人前後のお母さん方の前でいきなり、太鼓をたたけといわれると、さすがの私も緊張する。
「ドンドコ ドンドコ・・・本当はこれがいいんですけど、ちょっと難しいので・・・ドンドン カッ ドンドン カッ・・・こんな感じですかねえ」
聞いていたお母さん方も、どう反応していいのか困っている様子。
うまいともいえないし、感心するほどでもない。
かといってとても批判できるわけはないし、口を挟むこともできない。
そんな感じの空気が流れたので「あ、はっきり決まらないうちに子どもに教えてしまっては後で訂正するのが難しいので、次回の練習までにちょっと考えます」と、答えた。

後から、その場にいた知人に聞くと「あのお母さん方は会長さんに甘えてなんにもしてない。全部会長任せで腹が立つ。今までのように少しは自分らで考えればいいのに」と怒っていた。

なーるほど。
そういうことだったのか。
「太鼓のたたき方を教える」ではなく、「応援合戦の脚本を考える」のが私の役目だったのか。

ま、なんとかしましょ。

2005年9月19日(月) 譜面まで書きました

というわけで、太鼓演奏のほとんどを考えることになった私。

曲も「テンポが速い」といわれたので、いくつか選んでもらってその中から私が決定することになった。
一つ目を聞いたらただのポップだった。
これだったらこの曲にする意味がなく他の曲でも問題ない。
だから却下した。

次は男らしい曲で太鼓の音がリズミカルだ。
でも、テンポが速い。
昨日聞いた曲より早いじゃないか。
というわけで却下。

いくつか聞いてみて残った曲は「エンヤコラセードッコイセ」と掛け声が入っているアイドルグループが歌うポップだった。
曲調も和楽器を使ったもので太鼓のよく合う曲だった。

早速、頭から聞いて太鼓のリズムを決めていく。
どこからたたき始めるか、どんな感じで盛り上げていくか。
低学年の子どもでもたたけるようにするにはどうしたらいいか、高学年が練習して習得するぐらいの難易度を持たせるにはどうしたらいいか。
太鼓をたたく順番、入れ替わるタイミング、などなどそういうものを考慮しながら、ああでもないこうでもないと考えること数時間。
やっとの思いで譜面に起こした。

嫁さんを呼び、曲を聞かせながら、譜面を見せる。
この譜面は、高学年の子どもや母親が見て、どこでどんなふうにたたけばいいかがわかるように作ったつもりだったので、嫁さんで試してみたのだ。
「うん。これならわかる」

そういわれて私の仕事がひとつ終わった。
実によく働く会長だ。

2005年9月20日(火) 激痛の

昨日の夜、夕食時のこと。
みんなの好物のクリームシチューを食べ始めてしばらくすると、突然長男が「腹、痛い」と言い残し、トイレに入った。
行儀の悪い奴だと思いながら、普段は無いことだけに、目を瞑った。
しかし、皆が夕食を食べ終わっても長男は出てこない。
「あれ?まだでてこ無いのか?」
そんな話をし始めた頃、うめき声が聞こえた。

「お、お腹が・・・い、痛い・・」
トイレの扉を開けて長男が悲痛な声を出していた。
一瞬にして雰囲気が変わった。
トイレの扉を開けて長男に声をかけると、便座に腰を掛けたまま、下を向いている。
「大丈夫か?そんなに痛いのか?」そう声を掛けると、力なくうなづく。
ただ事では無いと判断して、すぐに119に電話した。

「はい。119番です。火事ですか?救急ですか?」
「長男が腹痛で。車で連れて行きますので近くの救急病院を」
そういうと二つほど教えてもらった。
一つは我が家ではあまり評判の良くない救急病院。
もうひとつは、毎度おなじみの救急病院。
迷わず、なじみの病院へ長男を運ぶことにした。

しかし相変わらず、長男は便座に腰掛けている。
「おんぶ、しよか?」
そう声を掛けると、「うん」という意外な答えが返ってきた。
高校生になって父親に背負ってもらうことなど滅多に無いだろうし、本人も恥ずかしいに違いないだろうが、それにもまして腹痛が激しいのだろう。
10年ぶりぐらいに背負った長男は重たく、階段を降りるのは一苦労だった。

そのまま、車に乗せて病院へ運ぶ。
付き添いの嫁さんと車の中では冗談を言いながら、後部座席で横になったまま、全く動かない長男が心配でたまらない。

病院へはあらかじめ電話していたので、すぐに診察が始まった。

「いつ頃から痛いのかな?」
「・・・晩ごはん・・・食べ・・前」
「じゃあ、ちょっと横になろうか。・・・ここはどうかな?」
「・・・いた・・」
「じゃあここは?」
「・・いた・・・」

「うーん」
先生の最初の一言を逃すまいと聞き入る私と嫁さん。
「うーん。ガスが溜まってるようですけど」

ほへ?

「腸炎とか憩室炎では無いですし、お腹も壊していないようですし、触ってみると、かなりお腹が張っているんですよ。ガスが溜まっているんじゃないかなあ。でも、本人がかなり痛がってるようなので、頓服を出します。これを飲んでしばらく隣の病室で休んでください」

そういわれてもらった薬を飲んで15分。
「・・・トイレ行きたい・・」と相変わらず力なく話す長男をトイレに連れて行く。
10分ほどして出てきた長男に「どうだ?まだ痛むか?」と声を掛けると、「うん。大丈夫。もう帰れる」

え?う、うんことおならなの?
あれだけ心配したのに、うんことおならで治ったの?
自宅にかえって来ると長男は早速パソコンにむかって今日のできごとを皆に報告し始めた。

このうんこヤロー!!

2005年9月21日(水) 太鼓の練習

昨日は2回目の太鼓の練習だった。
夜、早めに仕事を切り上げて、というか仕事を積み残したまま、学校に急いだ。
学校に着くと、窓から明かりの漏れる教室を目指した。

教室に近づくに連れ子供の声が聞こえてきた。
少し広めの多目的室には60人ぐらいの子供がいた。
半分は女子で、チアリーディングの練習をするのだ。

この多目的室は空調が効いていて、太鼓の練習をするのも楽だった。
しかし、今夜はそれができない。
女子のチアリーディングは結構ハードな動きをする。
だから、この涼しい空間は女子が利用する。
また、太鼓の音が大きいので、同じ部屋で練習をすると、お互いに邪魔になって充分な練習ができない。

というわけで男子は隣の部屋に移ることに。
しかし、この時になって、隣の部屋への入室許可を取っていないことに気がついた。
監督者が手配するのを忘れていたのだ。
急遽、廊下で練習することにした。
しかし、廊下では太鼓をたたいてはいけないことになっているらしい。
そこで、急遽、マットレスを体育倉庫から運んできてもらった。
それを廊下に敷いて、子供たちで取り囲み、それぞれ手にしたバチでそのマットをたたくことにしたのだ。

今日は、この前と違って聞き分けのいい低学年が多く、バチを持たせてやると早くたたきたくてウズウズしているようだった。
挨拶もそこそこに、早速音楽を流し、簡単なリズムを取らせることにした。
私が最初に手本を見せる。
役員のお母さん方の視線も集中して、少し恥ずかしい。

耳にたこができるほど何度も聞いた曲を流す。
ドンドンカチ。
マットをたたいて、バチを合わせる。
とても簡単なリズムだ。

次は子どもも一緒にたたくことにする。
ドンドンカチ。
途端に、もの凄い量のほこりが舞った。
ドンドンカチ。
でも子供たちはお構いなしだ。
ドンドンカチ。
しばらくするとみんなきれいに揃ってたたけるようになった。

今度は、もう少し難しいリズムに挑戦させた。
ドドーンガドンカチカチ。
一気にバチの音が乱れる。

そして練習開始から1時間。
ドンドンカチ、ドンドンカチ、ドンドンカチ、ドドーンガドンカチカチ。
もっと難しいのに挑戦させたが、すぐに断念し、結局このシンプルな音の組み合わせで行くことに決めた。

練習後、校区子ども会の会長と2人で飲みに行った。
練習の時は小憎たらしい子どもでも、体育祭の本番では、いつもと違う真剣な表情を見せてくれるという。
その時の感動が、役員としての普段の苦労を吹き飛ばしてくれるのだそうだ。
確かに、私が考えたリズムを楽しそうにたたき続けた子どもたちの姿に、少し感動した。

2005年9月22日(木) 速いのよ。まじで

私は足が速い。
長男も足が速い。
長女も足が速い(この前の運動会では200メートル走で1位だった!)。

でも、嫁さんの足の速さは伝説的ですらある。

私は以前から足が速かったわけではない。
小学校のころは4位から6位が定位置。
一度だけ、3位になって親にとても褒められた記憶がある。

しかし、嫁さんは一度だけ3位になったらしい。
それは中学生のときのことで1位と2位になった相手はいずれも陸上部の選手。
それ以外、すべて1位。

正確に言うと、他にも2位になったことがある。
初めて走った持久走のときのことだ。
「だって、みんながあんまりゆっくり走るから、相手を抜いてはいけない競技なんだと思って、追い抜かなかった」のだと。

嫁さんとは高校のころから付き合っているが、確かに彼女が人の後ろを走っている姿を見たことがない。
無論、リレーのアンカーで大差をつけられてバトンを受け取ったときはその限りではないが。
それでも、嫁さんが走ると、会場が沸いた。

地区対抗の運動会でよその地区が刺客をつれてきた。
刺客を連れてきた人が「この子、めちゃくちゃ速いで」と刺客を紹介する。
当の刺客も「うん。ちょっと自信がある」という。
「じゃあ、軽く練習」と言って、嫁さんとスタートダッシュの練習をする。
でも、その刺客はすぐに自信を喪失した。

とはいえ、嫁さんも年齢には勝てず、さすがに一時期の華々しさは影を潜めている。
10月の体育祭で我が家は例年のように、家族そろって町内を代表し、大活躍すること間違いないが、例年に増して怪我をしないように祈る気持ちだ。

2005年9月23日(金) 朝の学校

三連休の初日。
でも、早起きだ。
三連休の予定はすでに決まっていて、三日間とも8時までには起床していなければならない。

まず、今日は朝から校区体育祭で他の地区と合同で行う、応援合戦(太鼓演奏)の練習があった。
9:30に学校集合なので、それにあわせて家を出た。
道すがら子どもたちに出会った。
「おはよう」
「おはようございます」

この前まで「隣町の子ども」だったのに今では「近所の子ども」と同じように挨拶をする。
簡単な会話だが、妙にうれしい。
お母さん方も同様だ。
まだ、名前も担当地区も覚えていないけれど、向こうは私を覚えていてくれて、挨拶をすると、微笑みながら返事をしてくれる。
以前なら「ただのおばちゃん」だったのに今は「知り合いの女性」だ。

自転車をこぎながら学校に近づいたとき、人懐っこい顔で挨拶した男の子がいた。
私の自転車の荷台につかまって走りながらついてくる。
「もっと早く走って」
そういって荷台につかまっていた。
バタバタバタバタと足音がする。

途中、お母さんを先頭にして数人の女の子が登校している横を走り抜けた。
「おはようございます」
「おはようございます」
「バタバタバタバタ」

朝の学校はとても気持ちがよかった。

2005年9月24日(土) 充実の一日

連休二日目、今日はキャンプに出かける予定だ。

キャンプと言っても車で30分ほどのところにある、山のロッジ。
名前はロッジだけれども、ログハウスのような感じではなく、どちらかと言えば「合宿所」。
というのも、正真正銘、いろんな学校や団体が合宿するための施設なのだ。
出発は11:30。

その前にいつものお勤めが待っていた。
今日は「用事があるから参加できない」と言って断ったものの、どうしても気になって太鼓の練習に顔を出した。
いつもそういう活動に参加しない女性がいて、前日、参加のお願いをしたところだけに、私が行かないわけにもいかない、という理由もあったのだ。

みんなに挨拶をする。
来ないはずの私が来て安堵の表情を見せる女性もいた。
前日お願いした女性もきていた。

太鼓の練習が始まった。
相変わらず子どもたちはいうことを聞かないが、それでも確実にうまくなっていて、音楽に合わせてリズムを刻むことができる。
時々、リズムがおかしくなるときがあり、それをいかにして直すかが私の腕の見せ所だ。
高学年に音楽の要所を教え、リズムがずれたときでも直せるようにさせた。
低学年が太鼓をたたくときも、高学年がしっかりとリズムを取ることで全体のバランスを保つようにした。

ようやく形が揃ったころ、時間となり、お母さん方に任せて私はその場を後にした。

家に戻ると車に荷物を詰め込み、ご近所さんも乗せて山を目指した。

夜、バーベキューをしてビールもしたたか飲んだ。

今日も充実した一日だった。

2005年9月25日(日) どんぐり

連休最後の日。
ロッジで目が覚めた。

結構飲んだはずなのに、不思議と二日酔いはない。
時間をかけて食事をしながらゆっくり飲んだためだろうか。
そういえば、食事を終えて遊んだことや、布団に入って眠りにつくまでに周りの人が会話していた内容などもはっきり覚えていて、記憶も消えていない。

朝食を終えると近くの森にある、工作教室へ参加した。
工作内容はどんぐりのこまと笛作り。
地味な内容だが、小学生以下の参加者にはこれぐらいがちょうどいい。

どんぐりを拾いたいところだが、今の時期、こまに適切な種類のどんぐりはすぐに見つからないらしく、あらかじめ用意されたものを使うことになった。
電気ドリルで穴を開けてもらい、そこに爪楊枝を刺すだけの簡単なものだが、それでも子どもはもちろん、大人もうまく回せると喜んだ。
無論、私のどんぐりはまったくふらつくことなく、その場で静止したまま回り続けるほどで、誰よりも圧倒的によく回った。

次に笛を作った。
さっきよりも大きめの穴を開け、中の実を鉄製の耳かきのようなもので穿り出す。
丁寧にやらないとどんぐりに穴が開いてしまい、音が鳴らない。
これがなかなか思うようにいかず、結構時間がかかったが、みんな和気あいあいと話をしながら中の実を穿り出した。

これまた私の笛がよく鳴った。
中の実を薄皮さえ残すことなくきれいに取り除いたからだろうか。

子どもの遊びと思いながらも、子どもに負けるのが悔しくて、誰よりもいいものを作ることにムキになる。
大人気ないところかもしれないが、子どもに尊敬される秘訣でもあると、思っている。

2005年9月26日(月) これからが本番

65.5kg 20.5%。
これが6月15日の体重と体脂肪率。
59.7kg 14.3%。
これが今の体重と体脂肪率。

簡単な計算をしてみると、6月15日の脂肪の重さは、65.5×0.205=13.4275kg。
で、今の脂肪の重さは、59.7×14.3=8.5371kg。
脂肪の重さだけで4.89kg減っている。
実際に減った体重は5.8kgだから、脂肪以外に筋肉や水分も1kgぐらい減っていることになる。
筋肉は増やすように努力しているのになかなか上手く行かないものだ。
まあ、努力といっても、苦しいのを我慢してまでやるつもりも無いし、ムキムキになることが目的ではないので、気がつけばダンベル運動をして、軽い筋肉痛にさせる程度だ。
あとは、フィールドアスレチックのように楽しく遊んで筋肉痛になるのがいい。

去年の体育祭はお腹の脂肪が揺れるのがわかった。
しかし今年は違う。
階段を駆け上がっても揺れるものは無い。
それに毎日とまで行かないまでも、朝は30分程度のジョギングをしている。
足の筋肉も締まってきたし、上々の出来だ。

体育祭が終ると食欲の秋が本番となる。
そのときこそ気をつけなければ。

2005年9月27日(火) 誤解は勘弁

子供会の会長という仕事をやっていると面倒なことも多い。

そもそも私が子ども会の会長をやることになったのは、何もやらされたからでは無い。
いまどき珍しく自ら進んでやることに決めたのだ。
その理由は子供たちのお母さんである班長さんや地区長さんが、当時、子ども会の会長を兼任していた自治会の会長と、犬猿の仲であり、いつもお母さん方が損な役回りを押し付けられていたのを見るに見かねたからだった。

だから、班長さんや地区長さんにしてみれば、私は自分たちの声を代弁してくれる、心強い味方と言ったところだろう。
事実、困ったことがあれば私を通じて会長に申し立てるという図式が、完全に定着した。無論、そうなることを予期し、また期待していたのは他ならぬ私なのだから、別に嫌なわけではない。

しかし、時には、お母さん方も間違いを犯す。

自治会の会長や役員さんが、お母さん方に少し注意しただけでも、「抗議を受けた」あるいは「子ども会の活動を妨害しようとした」かのように受け取り、それを私に「報告」するのである。
報告を受けた時点で事実関係を知らない私は、会長や役員に抗議に行かなければならない。
それが私の役目だからだ。

しかし、会長や役員の話を聞いてみると、それは正論であり、お母さん方が歪曲して解釈したために、起きた過ちであることが判明した。
私がもう少し鼻息荒く、話し合いに臨んでいたら、話は益々こじれていただろう。
そこは持ち前の人付き合いのよさでカバーできたし、むしろそれを逆手にとって、会長や役員たちに「子ども会の会長はちゃんとわかってる」と思わせることも出来た。

だから今回のことで、自治会の役員たちとこじれることは無い。

だが、難しいのはここからだ。
子ども会のお母さん方に、誤解であったことを報告するのは簡単だ。
しかし同時に、お母さん方には今後のためにも注意をしなければならない。
ところが、過去の経緯から疑心暗鬼になっているお母さん方には、私の注意の言葉さえ「役員失格」の烙印を押されたと、受け取られる可能性もある。
これが辛い。

まあ、幸い、うちには嫁さんという頼もしい仲間がいるので、嫁さんが上手く話をしてくれたようだ。

今年はまだ、顔見知りの班長さんが多いので、やりやすいが、来年からどうなるかわからない。
最初の班長会議で、しっかりと指針を示す必要があるな、と、今からもう半年先のことを考えている。
会長の仕事は、随分と面倒なものだ。

2005年9月28日(水) 子どもより年寄り?

太鼓の練習をして何日目だろうか。
仕事も中途半端で、半ばやけくそだ。

仕事が残っているもののそこそこに切り上げて家路を急ぐ。
「あー。明日はあれをしないと。その前にあれ片付けないと」などと、帰る途中で既に明日の仕事のことを考えている。
でも、家に着く直前で、「ああ。太鼓の前に挨拶に行かないと」とやらなければならないことが頭を駆け巡る。

挨拶に行くのは地区の役員の家。
体育祭の参加者を集めてくれたのはいいが、参加競技がハードであるにもかかわらず、かなりの高齢者を割り当てていた。
お年よりは冗談抜きで、骨折が心配されるような競技だっただけに、なんとか交代をお願いしようとして、子ども会で若い代役を探し、そのことが容易に理解できるような資料も作成し、そして私が直接、役員の自宅に赴き、選手の交代をしたほうがいいのではないかと助言した。

正直、助言ではなくて、「こうしないと危ないよ。あなた、役員としてそのことを理解して参加者を募集したの?大丈夫?」と言う気持ちであったが、それは決して表に出さず、「子ども会の独断で申し訳ないと思うのですが、やはりご高齢の方の参加を考えるとこの競技は少し見直しを検討したほうが・・云々・・というわけで、このように変更してはいかがでしょうか」。
などと言葉巧みに話をする。
まあ、しかし我ながら、内心と違う事をこれほど立て板に水の如く話せるものだと感心しながら説明すると、「ああ、それは良かった。ありがとうございます。こちらも心配していたところです。ほんとうに助かりました。」と相手も応える。
そういわれてもなお、こちらは最敬礼をし、夜、予告もなしに訪問した非礼をわびる。

ああ、これでまた、私を理解してくれる人が増えた、と、してやったりの顔で、太鼓の練習に向かった。
子供が好きで年寄りが嫌いな私だが、子どもよりも年寄りのほうが味方にするのは案外楽だなと思った。

あれ?
なんかおれ、感じ悪い?

2005年9月29日(木) 忙し忙し

ここんとこ体育祭の応援合戦のために、仕事を早めに切り上げていたせいで、随分と溜まってしまった。
このペースだと今度の休日もゆっくり休んでいられない。

自分のホームページは日記を更新するのがやっとで他のコンテンツはほったらかし。
子ども会のホームページは日記サイトの作成はおろか、予定表の更新も出来ていない。
そこへ来て今度は「校区子ども会のサイトを作ってくれ」と言われた。

まあ、これは子ども会の会長であると同時に、カリントの店主でもあるわけで、「お仕事」として請け負うことも出来る。
でも、お金をいただいたところで、体は一つ。
コンテンツの更新も依頼されるだろうから、ますます、休みの日が少なくなることは間違いない。

それでも、子どもやお母さん方に頼りされ、喜んでくれる顔を見ると疲れも癒される。

さ、今日も早く寝ないと。
明日の朝はランニングだ。

2005年9月30日(金) 揺ぎ無く

私は人にとやかく言えるほど、子育てのエキスパートではないし、それほど優れた父親であるとも思っていない。
ただ、子供を育てることについては信念を持っている。

私の子供の育て方は決して誤ってはいないと強く信じているし、子供もそれに十分応えてくれていると思っている。
最近のドラマの受け売りではないが、「親が揺らいでどうするんだ」とは以前から思っていることだ。

長男はすでに高校生であり、中学校のころからやはり親を疎んじるところがあった。
私もそうであったから、あまり子供にかまわないようにしていた。
参観日などには絶対に出席してほしくなかったし、卒業式にも参列してほしくなかった。
母親である嫁さんはそんなことはお構いなしに、どんどん出張っていって子供の外での活動を見守っていた。

でも、私はほとんど家にいる長男しか見たことがなかった。
外でどんな風なのか、人づてでしか聞いたことがない。

私の教育の仕方が本当に正しいかどうかというのは、家にいる長男の姿ではなく、外にいる長男の姿にこそ表れるはずだから、それを確認しておくべきなのだが、その機会がなかった。
いや、その機会を自ら遠ざけていたかもしれない。

近所の人の話では「もう、お父さんのことが好きなのがよくわかる」らしい。
「何か話をしていても『うちの親父やったらすぐわかる』とか『親父はすごいで』とか、すぐにお父さんの話をする。お父さんのことが好きなのねー」と、かなりくすぐったいことを言われ、ああ、私の教育の仕方は間違ってないんだと、正直、一安心した。
(この日記を長男も読むので、これを読んだとたんに「そんなことないで」と訂正してきそうだが)

この前、知人の女性と教育について口論となった。
どうやら私の長男に対する教育の仕方が厳しすぎるらしい。
その女性は「あなたの教育の仕方は間違っている!こんないい子なのにそこまでしなくてもいいじゃない・・」と、子供の頭を抱きかかえて涙ぐんでいた。
少々酒の勢いもあって、私も「間違ってない」と大声で反論したが、冷静に考えれば、長男に多少の素質があったとしても、私の教育が間違っていたら「こんないい子」になったはずはなく、その女性の言葉が矛盾していることに気がつき、これまた、私は間違っていなかったのだと安心した。

親になって長い年月が流れ、息子にはほとんど教えることもなくなってきたが、息子に追い越される日が来るまで、揺ぎ無く、そして力強く、息子の前を歩いていきたい。

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