カリント日記

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2005年10月1日(土) 軽くショック

校区体育祭を来週に控え、連日、太鼓の練習や、各役員との調整などで駆けずり回り、今日は久しぶりにそれらから開放された一日だった。
でも、体育祭のいろんな競技に参加する私にはやることがあった。

体育祭ではおそらく、どの地区のどの家庭よりも我が家は参加する種目が多いだろう。
高校生の長男も中学生の長女も参加するし、幼稚園児の次女でさえ、玉入れなど簡単な競技に参加する。
そして嫁さんと私もいくつかの種目に参加する。
数えてみたら家族みんなで、のべ17種目にエントリーしていた。

もちろん嫁さんと私は、例年のごとく地区対抗リレーにも参加する。
最近、かなり足が速くなった長男だが、残念なことに高校生はリレーに参加する資格がなく、今年は私と嫁さんと長女だけの参加となった。

で、そのリレー。
私も嫁さんも確かに足は速いが、普段からそうそう走っているわけではない。
まして全力疾走など、ほとんどすることはない。
さらに、校庭のトラックと言う条件ともなれば、この体育祭のとき以外に、走ることなどないのだ。

そこで今日は嫁さんと二人で少し走ってみることにした。
嫁さんは午前中から学校の体育館でバレーをやっていたので、それが終わってから私と合流してグラウンドを走ることにした。
学校の先生に許可を取ってグラウンドに出た。
ちょうどいい具合にグラウンドには明日行われる小学校の運動会のために白線でトラックが描かれていた。

軽く流してみる。
ダイエットのおかげで体は軽く、おなかのもまったく気にならない。
今度はピッチを上げてみた。
よしよし。いい感じ。

そして嫁さんと一緒に全力疾走することにした。
まずは嫁さんを先に走らせ、私が後を追いかけた。
コーナーで体が外に膨らむ。嫁さんとの距離が縮まらない。
直線に出て一気に加速・・と思ったのに、それほど加速できず、結局、嫁さんを追い抜けないまま次のコーナーに突入してしまった。
そしてその直後、嫁さんも私も急激に失速し、走れなくなってしまった。

何度か繰り返すと、もう筋肉痛になり、「今日はこれ繰りで勘弁したろ」などと笑いながら捨て台詞をはいてグラウンドを後にした。

うーん。
もう少し、走りこんだほうがいいな。

2005年10月2日(日) 嬉しい気持ち

私の家の向にはアパートが並んでいる。
お世辞にも綺麗とは言いがたい建物であり、住んでいる人も家族連れや若い人ではなく、一人暮らしの人が多いようだ。

その中に一人、うちの長女と次女の面倒を良く見てくれる一人暮らしの初老のおじさんがいる。
何かお土産を買ってきては子どもたちにいただいたり、何処かへ遊びに行くからといっては子どもを連れて行ってくれたりする。
とりわけ次女は良くなついており、玄関のチャイムが鳴ってモニターにそのおじさんの姿が映し出されると「あ、おっちゃんや!」といって玄関まで飛んでいく。

今日もそのおじさんがチャイムを鳴らした。
おじさんの姿をモニターで確認したとたん、次女は玄関まですっ飛んでいった。
そして長女も続いた。
何か用事があるらしいので嫁さんも一緒に外に出た。

しばらくすると嫁さんだけが戻ってきた。
「おっちゃんのところの娘さんに、今日、赤ちゃんが生まれたんだって。それが嬉しくて嬉しくて、誰かに伝えたいからって。で、今から二人を連れて出かけてもいいかって。」夕食までまだ時間があったし、おじさんの気持ちも充分理解できたので、二人を出かけさせることにした。
おそらく、近所のハンバーガーショップでハンバーガーとポテトとジュースをご馳走になり、帰りにお菓子を買ってもらうのだろう。

近頃は近所の住人さえ信用できないことが多いというが、幸いにして私の近所では、そのような心配は無い。

小一時間ほどして二人の娘は両手に一杯のお菓子をみやげに帰ってきた。
おじさんの嬉しい気持ちが反映されているかのようだった。

2005年10月3日(月) タッチタイプ

コンピュータを扱うものにとってタッチタイプ(ブラインドタッチ)は必要か?

私の長男は高校でパソコン部に所属している。
そこではタッチタイプの習得を奨励しており、競技会への参加もしているようだ。
無論、長男もタッチタイプの練習をしなければならないらしい。
しかし私は、長男に言った。
「タッチタイプの練習をわざわざする必要は無い」と。

タッチタイプの利点は、キーボードを見ないで文字を入力でき、しかもそれが速いと言うことであろう。
例えば、手書きの文章をワープロで入力する場合、タッチタイプができないなら、まず書面を見て可能な長さで文章を暗記し、キーボードを見ながら暗記した文章を入力する。
次に画面を見て入力された文字が正しいかどうかを確認する。
一方、タッチタイプができるのなら、毎回キーボードを見るという動作がひとつ減るし、なにより、文章を覚えなくても紙に書いてある文字をどんどん入力することができ、漢字変換のときだけ画面を見ればいいので、タッチタイができない場合に比べて、数段、効率がいいようにも思う。

しかし、よくよく考えれば、文字を入力する仕事は、コンピュータ関連の仕事の中でそれほど大きなウェイトを占めてはいない。
コンピュータ関連の仕事というと、コンピュータの画面と向かい合ってひたすらキーを入力している姿を連想するかもしれないが、実際のところ、私の場合は文字を入力している時間なんて、全体の5分の1〜10分の1ぐらいしかないのである。

では、何に時間を費やすのか。
それは入力した文章を推敲することだ。

先述したように、他人の下書きを入力しているだけならその必要もない。
その文章が下手であって、相手に真意が伝わらなくても、パンチャー(キーボードで入力した人)の責任ではない。
しかし、ずーっと他人の文章を入力しているだけの仕事をしているわけにもいかないだろう。
社会人ともなれば、いかにして相手に真意を伝えるかを工夫し、自分で考えて文書を作成できるようにならなければならない時期が早々に訪れる。
そんなときに必要となるのはタッチタイプできることではなく、その文章を推敲して、じっくりと仕上げる能力だ。

タッチタイプの練習では1分間に60文字の入力を目安にするらしい。
私もためしに実測してみた。
するとタッチタイプのできない私でも、1分間に100文字以上の日本語を入力することが出来た。
無論、下書きを入力したのではなく、自分で考えながら文章を入力したのだ。
だから私自身はタッチタイプの必要性を全く感じない。

なぜなら、私の仕事はキー入力ではなく、考えることなのだ。
キー入力は考える必要の無い奴にやらせればいいのだ。

2005年10月6日(木) 退職

二日連続で午前様だったので日記をサボってしまった。

午前様といっても接待ではない。
それどころか家でもほとんど飲んでいない。
仕事で大変だったのだ。
今日はようやくそれも仕上がり、久しぶりに日記を書いているところだ。

友人が「仕事を辞めた」とメールをよこした。
前々から辞めたいといっていた。
私と同じ職種だから、その背景も苦労もよく解るつもりだ。

正直、若手じゃないから今辞めることにはそれ相応のリスクが付きまとう。
周りには反対した人も多いと思う。
でも、仕事を辞めることは昨日今日決めたことじゃない。
ずーっと考えてきて、決断したことなのだから、後悔などないと思う。
それに、自分を信じることが出来れば、リスクなど吹っ飛ばせる。

なーんて言ってみたが、私だって今の立場は怖いし、不安だし。
ただそれは会社に勤めている奴も同じ。

同じ不安なら、我慢していないで、自分の可能性を信じて会社を飛び出すほうが賢明だと思う。
案外、自分の知らない実力に気がつくいいチャンスかもしれないし。

とにかく。
後ろを見ても始まらないので、前を見て。

さ、乾杯でもしよーっと。

2005年10月7日(金) 忙しい日の合間に

あーなんだか久しぶりの金曜日のような気がする。
私が生まれるずーっと前から、7日ごとに、168時間ごとに、10080分ごとに金曜日はやってきているので、ある日、急に「久しぶり」になるはずなどないのだが。

仕事も私生活も忙しいのは毎日が充実している証拠なのだろうが、深夜番組を見ながら一人でゆっくりロックを飲む夜が、その忙しい毎日の休息の時として必要なのだ。
しかしそれができるのは、翌朝、寝坊してもよい夜に限られるし、なにより心配事のない夜でなければならない。
そういう意味で、今夜は久しぶりの夜だ。

半年前なら、ざらにあった夜だ。
翌日は昼まで寝ていても何も影響はなかった。

でも今は違う。
以前は自由な時間の多かった土日も最近は、平日にできないことをまとめてやる、忙しい土日になっている。
言うまでもなく子ども会の仕事がそのほとんどだ。
今夜はゆっくりできるとは言ったものの、明日は10時から太鼓の練習がある。
しかし、それでも、最近の忙しさに比べれば、余裕のあるほうなのだ。

不思議なのはその忙しい日々がそれほど苦痛ではないことだ。
忙しいことがなんだか楽しい。

自分のやったことがそのまま跳ね返ってくる感じだ。

ああ今夜は調子に乗って少し飲みすぎたようだ。
うまく日記がかけない。

さ、そろそろ本当に一人でゆっくり飲むとするか。

2005年10月8日(土) 雨・・・。

この一ヶ月はすべて明日のために過ごしてきたといっても過言ではない。
明日は小学校校区の地区対抗体育祭だ。

思えば、私が子ども会の会長に就任したときは、体育祭のお弁当購入について自治会と子ども会のお母さん方が揉めていたときだった。
町内のしがらみで毎年のお弁当購入先を決定していた自治会と、子供が喜ぶ弁当を購入したいと思う子ども会の母親たちとの間で、お弁当購入の決定権がどちらにあるのかハッキリしない状況であり、私が会長になって初めてやった仕事が、その決定権をハッキリさせることだった。
結局は、私が新しく会長になった子ども会に、お弁当購入の全権が委譲された。

その後、校区子ども会の集まりにも顔を出していた私に、「子供たちの応戦合戦で太鼓の演舞をするので指導してほしい」との依頼があり、太鼓など叩いたことのない私は、連日、子供たちと一緒に手探りながら練習をした。
練習場所は校舎の中にある小さなレクレーションルームで、何度も何度も繰り返される太鼓のリズムと音楽はいつまでも耳に残り、寝ても覚めても応援合戦の毎日だった。

それ以外にも、体育祭の準備はたくさんあった。
子ども会会長としての仕事、校区子ども会連合のメンバーとしての仕事、そして選手としてのトレーニング。

なのに、今日は朝から雨だった。
この分では中止になるかもしれない。

そう思ったが、昼からは予定通りテントの設営を行うことになった。
時折激しく降る雨の中、びしょぬれになりながら、運動場でテントを設営した。
雨は暗くなるまで降っていた。

このまま雨になると、今までの苦労が実らない。
明日は何とか晴れてほしいものだ。

2005年10月9日(日) 晴れ!

体育祭の朝は気持ちのいい朝だった。

前日が雨だったため、運動場の整備が完了しておらず、役員はみな7時に運動場へ集合することになっていた。
張り切って運動場へ出かけると、ほかの町内はすでに何人か集まって作業していたが、私の町内は私が一番乗りだった。

心配されたグラウンドのコンディションはよく、ほとんど水溜りもなかった。

8時半ごろには町内本部席の準備も完了し、いつものメンバーがそろい始めた。
9時ごろには続々と町内の人が押し寄せてきた。

今回の体育祭はいつもとは違う。
いつもは選手として競技に没頭できるが、今回は応援合戦の準備と音頭とりや本部役員としての働きも要求された。

応援合戦の準備は忙しかった。
グラウンドへ太鼓を運び出したり、並べたり。
また、男子の衣装を着替えさせるのも私の役目だった。
というのも、男子はさらしを巻くのだが、高学年にもなると世話役のお母さん方に巻かれるのが恥ずかしいらしく、私に巻いてほしいと言い出したのだ。
仕方なく、前日、さらしの巻き方を勉強し、当日、応援合戦の直前に男子にさらしを巻いたのだ。

本部役員はなんと言ってもお弁当の発注と配布の責任者だったので大変だった。
実際に発注したり配布したりするのは班長さんやそのほかお手伝いをしてくださるお母さん方なのだが、事あるたびに私に連絡が入るのでそのたびに、指導する必要があった。
去年までは競技に参加した後、本部席へ戻ってきて休憩となるのだが、今年は、本部席に戻ってくると、会長としての仕事が待ち構えていた。

お弁当は前日までに最低限必要な個数を注文しているものの、最終的な参加者の数は当日の昼前にならないと把握できないため、追加注文する必要があった。
しかし、今年から子供用のお弁当と大人用のお弁当を分けていたため、お弁当配布のお母さん方が混乱し、発注と配布に手間取ってしまった。

それをこなしつつも、選手としての活躍は例年の通りだった。
リレーのアンカーで出場した私は、持ち前のダッシュで一気に一人かわした。
嫁さんも長女もやっぱり速かった。
「夫婦そろってかっこよかったよー」と周りから褒められ、いい気になった。

そして夜。
体育祭が終わり、後片付けも終え、自治会館で自治会メンバーで体育祭の反省会を開くことになっていた。
反省会まであと1時間だったが、「子ども会活動報告 成果と反省」なる文書を作成し、シャワーを浴びて反省会に出席した。
慰労会もかねているためお酒が出ることがわかっていた。
そうなると会議での議事録を作成するのも面倒になるので、長男を同行させた。
ちょうどいい勉強だからパソコンで議事録を作成させたのだ。

そして気になっていたお弁当の件。
現場で聞いたとき、子供たちにはとても好評だったが果たして大人の意見は。
「いやー。今日のお弁当は本当においしかった」
「とってもよかった」
予想を上回る好評を博した。

「今回はいろいろとやっていただいてとても助かった。ありがとう」
誰からともなく、子ども会会長への賛辞もいただいた。

すでに、来年の体育祭へ向けて改善すべき点は考えている。

2005年10月10日(月) 気が抜けない

最近、身の回りで大きく変わったのは、挨拶する人がやたらと増えたことだ。
もちろんそれは、子ども会にかかわったことに起因している。

今まで子ども会の班長さんぐらいは顔も知っていたが、それ以上はほとんど知らなかった。まあ、班長さんがほとんど嫁さんの知り合いだったからだけのことであって、そうでなければ班長さんすら知らなかっただろう。
でも今では役員さんの顔も覚えたし、どこに住んでいるのか、どういうお仕事をしているのかもだんだんと覚えてきた。

それだけではない。
隣町の小学生だってすれ違いざまに挨拶する子供が増えたし、何より驚くのは見知らぬ女性に挨拶されることが増えたのだ。
といっても「見知らぬ」のは私だけであって、きっと校区の集まりの時にお会いしたこともあるのだろうが、失礼なことに私は、何人かの顔を覚えていないのだ。

今日も学校へ向かう途中、自転車で気を抜いて運転していると、2度、女性に挨拶をされた。
「おはようございますー」「お疲れ様でしたー」
きっと太鼓の練習のときに参加していたお母さんなのだろうが、ハッキリ顔を覚えていない。申し訳ない。
太鼓の練習に参加していた男は私と校区長ぐらいだが、女性は入れ替わり立ち代り、何人も来ていたので、一部の人しか覚えていないのだ。

人に挨拶されるのは悪くはないが、気を抜いている姿を見られるのは気まずい。
相手が女性ならなおさらだ。

間違っても、ベロベロに酔って、隣の駅から隣町を通って家に帰って来る姿を目撃されないように気をつけなければ。

2005年10月11日(火) 隣町のHP

この日記を更新するのでさえなかなかなのに、子ども会のホームページを作ったのは一ヶ月ほど前のこと。
子ども会のページでは日記も掲示板もなく、ただ単に会議の報告をしてるだけなので、更新は頻繁ではない。
もう少し充実させようと思っていた今日この頃、同じ校区内の自治会がホームページを作っているらしいので、勉強がてらに少しのぞいてみた。

派手!

派手である。
そりゃ私のサイトも褒められたものじゃないが、そのサイトはTOPページから目がチカチカするほどに派手だ。
黄色、緑、赤、青、黒、七色・・・。

見た目のデザインは、まったくもってよろしくない。
とても自治会のサイトには見えず、何処かのアングラに迷い込んだかと思ってしまうほどだ。

しかし。
このサイトはとても熱い。
いや、自治会の活動そのものがとても活発なのだ。
そういえば、体育祭のリレーでも決まって仮装しながらリレーに参加している。
しかも、速い。
(今年はヒーローの着ぐるみでダントツの1位だった。頭なんか、直径50センチぐらいの大きなものなのに。)

だから掲示板での書き込みも内外の住民や会長や副会長の書き込みも多い。
活発な議論も多く、とてもじゃないが、私のサイトにあんな書き込みをされたら相当へこんでしまうだろうなと思うような意見も多い。
しかしそれを完全に原動力に変えている。

この自治会は行政や学校への働きかけも多く、町内の人たちの団結力が高いように思う。それは全国の自治会紹介ページで何度となく推薦され、新聞やテレビの取材もあることが証明している。

「面白くなくては自治会の意味がない」と役員自らが発言している。

私の指針をまた一つ発見したような気がした。

2005年10月13日(木) カウンター

昨日は飲んでいたので日記はお休み。

で、前からそろそろつけようと思っていたカウンターをつけてみた。
でも、飽きっぽい性格なので、すぐにやめてしまうかもしれない。

大体、アクセス件数も微々たるものなのに、カウンターの上がりが悪いのをみると、余計にへこむだけのような気もする。

宣伝すればそれなりに見る人も増えるだろうが、人の日記、それも人を惹きつける文章で書いてあるものならいざ知らず、酔っ払いながらだらだら書いているものを読んでも、面白いはずがない。

かといって、他のコンテンツに手を出す時間もないし。
(「酒を飲む暇があればできるだろ」というのは無し。)

んー。
開設一年を迎えたら、何かしよう。

2005年10月14日(金) もうひとつの背中

この日記は最初に書き始めたときからずいぶんと様変わりしてきたように思う。
それは内容もさることながら、私がその日記に目的を持ったことによる。

以前はその日の出来事をただ書き留めるだけの、まさに日記だった。
今も基本的にはそうだ。
しかし、明らかな目的がひとつ加わった。

ここに書いている日記は、極端に言えば、ただ一人に見せたいがために書いていると言っても過言ではない。
それが誰であるか、賢明な方ならお解りになるのではないかと思う。

ここの日記や掲示板で、私は歯に衣着せぬ言葉で、思ったこと感じたことを、自分の心に抗うことなく忠実に表現している。
私が何ゆえに、人に非難を浴びながらも、ここに思ったままを書き記すのか。

私の目的とするその読み手がそれらの文章を読んでどう反応するかは知らない。
賛成するかもしれないし、反発するかもしれない。
なるほどと感心するかもしれないし、それは間違っていると思うかもしれない。
私に倣うもよし、自分で決めるもよし。

ただ私は、自分の信じていることが人に非難されようと、信念を貫かなくてはいけない。
万人に受けんがために、思ってもいないことをきれいな言葉で表現するわけにはいかない。
自分にうそをつくわけにはいかない。

常に凛として強気の姿勢を示さなくてはならない。

例え、頑固者の分からず屋といわれても、私は、私の目的のために決して揺らぐわけにはいかないのだ。

2005年10月15日(土) 3回目の敵前逃亡

明日は情報処理技術者の試験日だ。

この仕事に就いて15年以上になるが、毎年2回の試験をほとんど受験している。
何も、合格しないから何度も受験しているわけではない。
(無論、何度となく再チャレンジを繰り替すことはあるが)

この試験は、数年ごとに試験制度の改訂があるので、新しい試験科目が増えたり、それまであった科目が統廃合されたりとある程度変化はするが、いくつかの科目に分かれている。(現在は13科目、来年は14科目)
だから、ひとつ合格したからといって終わりではない。
ひとつ合格すると次の試験を目指す。

しかし、当然、よりレベルの高いものを目指すようになるので、だんだんと試験の内容は難しくなり、モチベーションを維持するのが大変になる。

今まで受験しなかったのは仕事で受験できなかったときを除いて2回ほどだが、明日で3回目になる。
今年は春も受験しなかった。
それを考えると1年間、受験しないのは今年が始めてだ。
自分ではそのつもりがなくてもモチベーションが下がっているのかもしれない。

まあ、それも無理はないと思う。
この仕事に携わっているのなら複数の科目に合格している人も少なくないが、それでも私と同じだけ合格している人はそれほど多くなく、正直、私自身、その内容に満足してしまっている部分がある。

そんなことではいけない、と自分を奮い立たせるものの、会社員時代と違って目に見える報酬があるわけでもなく、周りから「もう十分でしょ」という言葉をかけられると、どうしてもモチベーションが下がる。

でも、来年は心新たに気合を入れようと思う。
明日の試験は長男が受験する。
高校生での受験者はまだまだ少なく、長男もとても合格できるレベルではない。
しかし、来年の春は合格を獲りに行く。
そのとき私は父親として、過去の栄光を語るのではなく、今現在がんばっている姿を見せなければならない。

半年後の試験に向けて、明日からまた、試験勉強が始まるのだ。

2005年10月16日(日) 目標はでかい

朝、長男を試験会場まで車で送っていく。
試験会場付近では「いかにも」風な人たちがゾロゾロと歩いている。
できそうな人もいれば、「アンタは無理!」と思うような人もいる。
(こんなことを書くと「人を外見で判断してはダメ」と叱られそうだが、人生経験上、十中八九外見で判断して間違いないのだから仕方がない)

まあ、高校生の長男はそこに混じると「こんな若造が合格できるのか?」と周りから見られていただろうから、合格しない可能性のほうが高い。
ま、長男の実力程度で合格するようじゃ「国家試験」を名乗ってはいけないな。

とはいえ、途中で諦めて帰って来るかもしれないと思っていたものの、夕方、再び迎えに行った時は、最後まで試験を終えて駅に向かって歩いていた。

車に乗り込む息子に声を掛ける。
「お疲れさん」
「あー疲れた」
「どうやった?初めての試験は」
「うーん。まあまあかな」

意外な答えだ。
「まあまあって」
「昨日勉強した表の問題が出た」
「ほう」
「午後は意外と簡単やった」

言ってくれるじゃないか。

「なあ、おとうさん。俺もネットワークスペシャリストに合格できるかなあ。高校生のうちに」

ほう。
これまた大風呂敷を広げたな。
そんなところまで私に似たか。

「ああ。ただ、チャンスは後2回。しかも3年生の時は大学受験と重なるぞ」
「うがが。あ、でも、何とか頑張りたい」
「お前は環境に恵まれているからな。頑張れば不可能じゃないな」
「そっか。いけるかも知れんかー」

まあ、少し期待を持たせすぎた様な気もするが、目標を持って頑張り続けることは大事なことだ。
とりあえず、来年の春に向かって勉強の開始だ。

2005年10月17日(月) 再び体が二つ

今日も午前様。

昨日の夕方はご近所のユーザさんまで出張サービス。
パソコンのセットアップ作業だ。
で、予定では今日、インターネット環境の設定をするはずだった。
でも他の仕事が長引いてしまい、家に戻ってきたら午前様だった。

インターネットの環境設定以外に、テレビアンテナの延長も必要で、同軸ケーブル10メートルと分波器も購入しなければ。
あ、LANケーブルとテーブルタップと・・・。

うーん。
そうなるとやっぱり週末か。

でも、週末は子ども会の・・・。

体が二つ欲しい。

2005年10月18日(火) ちょっといい気分

最近、飲みに行くと年のせいか、記憶が定かで無かったり翌日に瀬家が残ったりるすることが多い。

今日も結構な量を飲んだ。
こうやって日記を書くのもママならない。

でも、意外と今夜はしっかりしている。
お腹のすいているせいだろうか、このままおやすみなさいという気分ではない。

あ。
でも。

テーブルの上に美味しそうなお惣菜が。
友達が作ってくれたお気に入りの一品がある。
さあ、記憶がなくならない程度に、焼酎でも飲むか。

電車を間違えてのって遠くの駅へ。
そこからタクシーで帰ってきました。

2005年10月19日(水) でもデモ

仕事で遅くなったり、お酒で遅くなったりでちょっと日記をサボっていたのでさかのぼり日記。(本日は21日)

昨日の日記を読み返すと、さも平気な様を装ってはいるが、文字や文章がめちゃくちゃで相当酔っていたのがわかる。
かっこ悪い。
でも、せっかくなのでそのままにしておく。
だいたい、後から訂正できるような日記はおかしいだろ。

今日は仕事で遅くなった。
電車は終電だった。
でも、まだ仕事は終わっていない。
これからまだ仕事だ。(結局この日は3時までパソコンの前にいた)

明日、客先でシステムのデモンストレーションを実施するので、そのための資料を作らなければならない。
大勢の前で話をするのは苦手ではないが、お客さんによって緊張の度合いも異なる。
フランクに話のできるお客さんならそれほどしっかりした資料じゃなくても、口先だけでその場を乗り切ることができるが、明日のお客さんはどちらかといえば、苦手なお客さんなのだ。

お客さん向けの資料と、自分の説明用の資料、それとパートナー用の資料。
デモンストレーションは、説明する私と実際にシステムを操作するパートナーとの息があっていなければスムーズに進まない。
事前の打ち合わせも必要だが、パートナーも私も他の仕事が忙しく、練習はほとんどしていなかった。
だから、ぶっつけ本番でもできるような資料を用意する必要がある。

たった一度のデモンストレーションだが、事前の準備は大変なのだ。

2005年10月20日(木) 近所で仕事

仕事で遅くなったり、お酒で遅くなったりでちょっと日記をサボっていたのでさかのぼり日記その2。(本日は21日)

昨日は遅くまで資料作りをしていたが、その甲斐あって今日のデモンストレーションはお客さんにも好評を博した。
しかし、一回きりというのはもったいない気がするなあ。

で、気分よく早く帰ってきた。

嫁さんと息子を連れてご近所さんまでコンピュータの設定をしに行き、ま、ビールなぞ飲ませていただきながら、雑談もしながら、世間話もしながら、この前の中間試験の結果なぞも話しながら、「やったインターネット使えるようになった!」「メールの送信もできた!」「だれや!『はげ!』ってタイトルでメール送ってきたんは!」などとわいわいいながら、10時になったので引き上げる帰り道、たまにいく小さなバーがあったのでちょっと寄っていくなどと一人で入って気分よく飲んでいたら本当に気分がよかったのでたくさん飲んだので、今、気分が悪い。

2005年10月21日(金) かぜ???

ユーザ先のマシン室で仕事中、コンピュータの画面を見ていると眩暈(めまい)が。

あれ?
なんだ今のは。
そう思いながら仕事を続けていると再び眩暈が。

気分が悪くなったので画面を閉じてマシン室を出た。
いすに座っていても頭が痛い。
コーヒーのカフェインで頭痛を軽減しようとしたが一向に収まらない。

ちょっと早いが今日は仕事じまい。
そう決めたのは3時過ぎ。
自宅に帰って早速、眠りに就く。

一時間ほどして目が覚めた。
猛烈な空腹感とともに。

病気なら、あまり食欲がないはずなのに、信じられないぐらいにおなかがすいた。
なのでとりあえず食べた。
そしてもう一度寝た。

夕飯時になってもやっぱり頭が痛い。
ああそういえば今日は飲み会だった。
本当なら今頃楽しい酒を飲んでいただろうに。
そんなことを考えながら夕食をとった。
でも頭痛は治らない。
少し不安になりながら布団に入ったが、眠くない。
テレビでも見るか。
・・・。

少し頭痛も治まったように思うが、すっきりした気分ではない。
もう少し様子を見る。
・・・。

うーん。
どうなんだろう。
・・・。

ビ、ビールでも飲むか。
こんなときはおいしくないかもしれないけれど・・。
!!!。
うまいじゃないか。

なんだか知らないけれど、気分もよくなったし、よしとするか。

2005年10月22日(土) サッカー観戦

今日は久しぶりのサッカー観戦。
地元のサッカーチームの応援にスタジアムへ出かけた。

最近はチケットもインターネットで発売されているので、購入がとても楽になったが、最初にこのチームの試合を観戦しに来たのは10年以上前のことで、当時、Jリーグのチケットは全部がプラチナチケットと呼ばれ、とても入手困難なものだった。
人づてにようやく手に入れたチケットはたったの一枚。
嫁さんを家において一人で雨の中、観戦に出かけたのを覚えている。
今日も、天気が悪く、時折小雨が降るが、長男と二人で観戦だ。

試合開始1時間前だというのに、自由席では空席を探すのに苦労した。
もうすでに、熱烈なサポーター席では応援合戦が繰り広げられていた。
メインビジョンにはウォーミングアップ中の今日のスターティングメンバーが映し出され、DJによる選手紹介が行われ、その後、チアリーディングのお姉さんたちが、おへそを出してグランドでショーを繰り広げていた。

そして、選手入場。
キックオフ直前がこの写真。


優勝の可能性がある今年にあって、特に落とせない大事な試合である。
今日の相手はJ2から上がってきたばかりのチーム。
試合開始の笛が鳴り、スタジアムが一気に盛り上がる。

ボールを獲って駆け上がると、いっせいに声援が湧き上がり、相手チームにボールを奪われると、スタジアム全体がため息をつく。
普段は家で「お父さん。応援の声がうるさい」と言われ、肩身の狭い思いをしているが、ここでは私の声なんぞ、自分でも聞こえない。

つまらない凡ミスに「何してるねん!」と野次を飛ばそうとすると、周り中もいっせいに「何してるねん!!!」と野次を飛ばし、すばらしプレーに思わず立ち上がると、回りもいっせいに立ち上がる。
応援団の太鼓のリズムに合わせて、何パターンもの手拍子を打ち、ため息と声援を繰り返してプレーは進んだ。

結局、わたしの贔屓のチームは大事なこの試合を落としてしまったが、それでもテレビで見ているより何倍も楽しかった。
今度来るときは2時間前にスタジアムに入ろう。

2005年10月23日(日) ドッジボール

今日は朝から校区子ども会のドッジボールの練習だった。

わたしの住んでいる市では市子連(市こども会連合)主催による各小学校対抗のドッジボール大会が毎年開かれており、我が小学校もそれに参戦している。
参加者は小学校1年生から3年生までの選抜メンバーで、ほとんど、どの学校も3年生を中心にメンバーを組織する。
私の小学校も例外ではないが、練習のときは1年生も参加する。

役員は9時集合予定にもかかわらず、20分ほど遅れてしまい、現地(小学校の運動場)入りすると、役員たちがちょうどドッジボールのコートの線引きをしているところだった。
遅れをわび、すぐに手伝いを始めると、小雨がぱらついてきた。
と同時に、子供たちも次々に役員のお母さん方に引率されて集合し始めた。

「うーん。やはり雨が降ってきましたねぇ。子供たちには10時集合だと言っていたので、もう少ししてから、中止するかどうするか判断しようと思っていたんですがねぇ」と、いつもながら人当たりのよさそうな話し声で、校区長さんが言った。
「これ以上雨は強くはならないと思いますが、すぐに日はさしそうにないですね。気温も低いので、やるのなら、子供たちがあまり濡れてしまわないうちに早く始めたほうがいいでしょう」と私も言った。

結局、予定より早く練習を始めることにした。
まずは男子を半分に分けて試合を始めた。
ルールを把握し切れていない私は線審を努めることにした。
私以外の経験者もコートの周りを取り囲み、主審である校区長を補助した。

試合が進んでいくが、たびたび主審の笛がなる。
子ども達がすぐにラインを踏んでしまうせいだ。
ラインを踏んでプレーをした場合、それによるプレーはすべて無効になり、相手側のボールになるのだ。
たとえ相手にボールをぶつけてもセーフになるし、相手チームのボールになってしまう。そのため、せっかくボールをぶつけても、ちっとも相手が減らないのだ。
そんな状態がずっと続いた。
これが男子チームの弱点だ、と試合後、校区長から子どもたちへ何度となく説明があった。

次に女子チームの練習。
男子とは正反対で、まったくラインを踏むこともない。
その代わり、ボールに勢いもないので、相手にぶつけることもない。
しかも、練習には参加している3年生が、本番当日は参加できないらしく、低学年を中心に組織しなければならないのだ。
うーん。先が思いやられる。

そして、練習が終わって、子ども達が帰った後、役員だけでミーティングが始まった。
どの子どもを選手として登録するか、補欠は誰か。
当日、誰の車で子どもを会場まで運ぶか、試合決めの抽選には誰が行くか。
そして、男子、女子、それぞれのチーム監督は誰にするか。

私は車で子どもを送り届ける係りと、女子チームの監督になった。
監督かあ。
もう、本番まで、練習する暇はないんだけどなあ。

2005年10月24日(月) 同軸ケーブルぐらい

昨日はお得意様のところでパソコンにテレビチューナを繋げる作業をした。

テレビチューナ本体はパソコンにUSBで接続する簡単なものだったが、アンテナをそのチューナに接続しなければならなかった。
壁からアンテナの端子が出ており、そこからテレビにケーブルが敷かれている。
そのアンテナ端子からパソコンまでケーブルを敷かなければならない。

まずは分波器が必要だ。
これで、既存のテレビ向けのケーブルと新しく敷設するパソコンのチューナ用のケーブルを同じアンテナ端子から取れる。
次に、パソコンのチューナまでを繋ぐ同軸ケーブルが必要だ。
目測10メートル(その後、10メートルで足らず、慌てて近所の電気屋で15メートルを購入)。
それほどの距離でもないので、減衰も少ないだろうからブースター(増幅器)は必要ないだろう。
それから、同軸ケーブルとチューナを接続するためのアンテナプラグ。
あ、そうそう、ニッパが無かったのでこれも必要だ。

と、ここまで書いて、これがどれぐらいの人にイメージできるか、と考えた。
私にとっては常識であり、説明書などなくても、それぞれの端子の形を見れば何がどれだけ必要か、それを実現するためにはどういう工具が必要か、はすぐに見当がつくし、実際、それらを接続することなど造作も無い。

ところがどうだろう。
我が家の高校生の長男は、同軸ケーブルの被覆をニッパで切って結線することさえ出来ないのではないか。
F型アンテナプラグを接続できる端子が各部屋に用意され、テレビを購入すれば両端にアンテナプラグを標準装備したケーブルが添付されており、それを壁のアンテナ端子とテレビの端子に繋ぐだけでテレビが見られる。
(今はチューニングも自動だ。昔は全部手動で設定したのに)
そんな簡単な時代に生まれた長男(それすらも出来るかどうか定かではないが)と自分の部屋でテレビが見たいという必要に迫られて、中学生の頃から何度と無く繰り返しケーブルの分波、結線をしてきた私とでは比較することが間違っているのかもしれない。

私の父親も私に何度と無く言っていた。
「お前たちは鉛筆の芯でさえ、鉛筆削りがないと削れないのか」
と。

2005年10月25日(火) 持病

どうもこの季節になると、体の調子が悪くなる。
私は喘息の気(け)があり季節の変わり目に発症しやすい。

明け方になると、なんとなく空気を薄く感じ、時折、大きく息を吸い込む。
最初は眠気が勝っているのだが、どうにも苦しくなって、眠りが浅くなる。
その時点ではまだ十分に覚醒しておらず、無意識のうちか意識してか、寝返りを打つ。
そんなことで楽になるはずもないのだが、苦しみから逃れるために体が反応するのだろう。
それを繰り返しているうちに意識もはっきりとしてきて、こりゃまた喘息だな、と自覚するに至る。

発作というほど激しいものでもなく、テレビドラマなどで見かけるような、猛烈に咳き込む咳など、ひとつも出ない。
ただひたすら、肺に空気が入ってこない、そんな感じだ。
ちょうど、ビニール袋に鼻と口を入れてそこで何度か呼吸を繰り返している感じだろうか。
息を吸うとビニール袋がしぼむ。
息を吐くとビニール袋が膨らむ。
しばらく繰り返すと、ビニール袋がしぼんだだけ、空気は肺に入っているはずなのに、なんだか苦しくなるときがくる。
無論、酸素が薄くなっているためだが、あの感じに似ている。
実際は、肺の中の気管支が縮んでしまい、空気が通らなくなるから苦しくなるのだそうだ。

これには即効性の薬がある。
塩酸プロカテロールという気管支拡張薬だ。
薬といってもスプレーになっていて、これを口に入れて、息を吸い込むと同時に噴霧するのだ。
これはすごい。
あの苦しみがうそのように消える。

最初に発作が出たときは苦しかった。
目の前にビニール袋はない。
何も口をふさいでいるものはない。
手で空気を掻き入れたくなるほど、肺の中に何も入ってこない感じがする。
歩くこともままならない状態で病院に到着した私に、医師がそのスプレーを施しすと、手品のように、苦しみが消え、スキップして帰りたい気分になった。

普段、運動会に参加して大活躍しても、タバコの煙が蔓延する会議室に長時間いても、喘息の「ぜ」の字も出やしないが、この季節の明け方は、ただ寝ているだけで、喘息が出てしまう。
だから、睡眠不足で、結構きついのだ。

2005年10月26日(水) 口内炎

日曜日辺りから舌先に痛みを感じていて、今朝、痛みで目が覚めた。

あまりに痛いのでよからぬ病気を想像してしまったが、鏡を見ると、舌先に白い小さな丸があった。
毎度お馴染みの口内炎だ。

ビタミンBの不足が原因らしく、注意しているつもりでも気がつけばいつの間にか出来ている。
でも、舌に出来るのは珍しい。

舌というのは人間の体の中でも特に敏感な場所で、指先と同じぐらいに細かいものを識別でき、小さなものでもしっかりと認識することが出来る。
それだけに、小さな傷でも敏感に感じ取ってしまい、余計に痛いのだ。

口内炎に効く薬があってそれを今、塗ったところだ。
なので、全く会話が出来ない。
いや、出来ないわけじゃないが、話をしていると薬が溶けて流れてしまうので、出来るだけ話をしないのだ。
まあ、日記を書いて寝るだけなので、不自由は無いが。

昨日に続いて病気ネタになってしまった。

2005年10月27日(木) 平気

アメリカ牛肉の輸入再開に関して日本の対応が遅いことに業を煮やしたアメリカの上院議員たちは、「制裁措置を発動する」と息巻いている。

病気の牛の肉を好き好んで食べる気はしないが、しかし、日本の対応はあまりにも慎重すぎるのではないかと思う。
輸入を再開するといっても、生後20ヶ月未満の牛に限られ、また病巣となりうる脳や脊髄などの部位は取り除かれているのだから、感染の心配はそれほどないと思う。
20ヶ月が保障できないことも承知しているが、別に20が21になったところで変わりはない。

そもそも、BSEに人が感染するとどういう病気になるか。
「変異型クロイツフェルトヤコブ病という死亡率の高い病気になる」そうだ。
最初の発祥地、イギリスでは今までに107人の人が発症したのだとか。

で、感染牛の数を調べてみた。

イギリス 183,972頭(2004/10)
アメリカ    2頭(2005/ 6)
日本      18頭(2005/ 5)

ただし、日本では全頭検査したのに対し、アメリカでは食肉となった肉牛全体の0.05%である2万頭しか検査していないので、その影にはこの2,000倍の感染牛がいるかもしれない。
しかし、そう考えても感染牛は4,000頭で18万頭のイギリスとは比較にならない。
簡単に数字だけで比較するのは問題があろうが、アメリカ牛肉のその全部を日本人が食べるわけでもなく、日本人が感染する確率なんて無いに等しいんじゃないだろうか。

そもそも、日本の人口の二倍、そしておそらくは牛肉を食べる量も日本人よりかなり多いと思われるアメリカ人が、以前からずっと食っているじゃないか。

フグを食って死ぬ人が一年に何人もいるこの国で、BSEがこれほど恐れられるということをアメリカ人には理解できないかもしれない。

2005年10月28日(金) Mahjong

今夜は家族でマージャンをする。
「した」のではなく今からするのだ。

「家族で」とは言ったものの、さすがに末娘は正直邪魔になるので、先に寝かせた。
寝かせたといっても特別なことはしない。
少し前なら苦労したが、幼稚園の年長さんとなると、時間が来れば歯磨きをしてトイレに行って「お休みなさい」と言い残して寝室へ行き、一人で寝る。
成長したなと感じる瞬間でもある。

そしてマージャン開始直前。
私は日記を書き、嫁さんはメールを書いている。
普段なら積極的に動くはずのない長男がせっせと片づけをし、マージャンの用意をする。長女も同じだ。
二人ともマージャンするとなると、とたんに動きが違う。

「マージャン」というと不健全なイメージがあるかもしれないが、我が家では頭脳ゲームである。
マージャンや花札が悪いイメージを持つのは大人がお金を賭けるからであって、純粋にゲームとしてやるならテレビゲームよりずっと頭のためになるし、親子での会話も増える。
我が家の週末のコミュニケーション。
さ、始めよう。

2005年10月29日(土) バッグだけど

缶コーヒーについているラベルを集め、応募すると抽選で景品がもらえる。
よくある懸賞だ。
私は滅多にそういうものに応募はしないが、今回の景品はMP3プレーヤーが内蔵されているジャケットが景品で、少し面白そうだし、それにWEBサイトですぐに結果がわかるというので、ちょっと挑戦しようと思った。

缶コーヒーのラベルが集まったので、今日、早速チャレンジしてみた。
WEBサイトで登録を済ませ、早速抽選のサイトへ移動する。
ラベルについている14桁のシリアル番号を入力した。
10枚集めると一回、ジャケットの抽選に挑戦できるのだが、5枚分のシリアル番号を入力した時点で、小さなバッグの抽選ができるようになった。
「別にほしいものではないけど、まあ、抽選させてもらえるのなら」と軽く考えていたつもりだったが、いざ、バッグの色を選ぶとなると、結構迷ったりする。
バッグはどうでもいいはずなのに、時間がかかった。
貧乏性なのだと思う。

次に、ルーレットのとまる色を予想する。
その予想した色にルーレットがとまればもらえるというものだ。
これを決めるのはあっという間だった。
そしてルーレットをまわす。

本当に回るルーレットは、止まるその瞬間まで、何が出るかわからない。
空気の流れや振動などで、小さな玉のひと転がり分がかわり、それが「赤」と「黒」を変えてしまうのだ。

しかし今、目の前で回っているのは単なる画像。
実際には回ってさえいない。
回っているような絵が表示されているだけだ。
結果だってクリックした時点でわかっているかもしれない。
だから、回っている絵に念を送っても意味がないとは思いつつも、「当たれ」などと念じてしまう。
やはり貧乏性だ。

「おめでとうございます。当たりです」

おお。
思いがけずうれしい。

肝心のジャケットの抽選に外れたことなど、もはやどうでもよく、バッグの当たったことを出先から戻った嫁さんに話すと、嫁さんもうれしそうに喜んだ。
必要でもなく、また、安く売っていたとしても決して購入することはないと思われるバッグだが、懸賞で当たるとうれしい。
夫婦そろって貧乏性だ。

2005年10月30日(日) 夜長

秋の夜長とは言うけれど、最近、長い夜なんて感じたことがない。

平日は言うに及ばず、休日前の夜だって、家族と過ごせばあっという間に過ぎ去ってしまう。
無論、家族がいるんだから一人の時間を作ることが難しいのはわかっているが、それでも昔は、読書のひとつもしてみようか、などと実際に行動に起こすかどうかは別にして、考えてみるだけの余裕がまだあった。
夕食を早く済ませた今日だって、子ども会の仕事だ何だ、とパソコンに向かい続けて気がつけば、いつものように日付の変わったこの時間。
そういえばテレビも見ていなかった。

パソコンがなくては一日だって仕事にならないような仕事をしているから、パソコンがなくなるのはとても困ることなのだけれども、そのパソコンがあるがために、手軽に仕事をしてしまえる、そういう気持ちが緩みとなって、効率の悪い仕事を誘引しているのかもしれない。
仕事を終えて日記を書こう、そう思っても、結局同じパソコンに向かっているわけで、仕事と違うのは横にウィスキーがあるかどうか。

周りからは「活動的」と思われているようだが、本人はベルトコンベアで運ばれてくる部品をせっせと組み立てているロボットアームのような無機質さをそこに感じている。

嫁さんが少し、私のからだのことを心配している。
なにかちょっとサボってみようかな。

そんなことを考えてみるのは、やはり秋の夜が長いせいからなのか。

2005年10月31日(月) 死刑

新しく法務大臣に就任した大臣がその演説の中で「死刑執行には署名しない」と表明したそうだ。
自分の宗教観、哲学観などからそう決めたらしい。
無論、法務大臣の書名が無ければ死刑は執行されない。

刑罰を科する目的には二つあって、一つは犯罪に対する抑止力であり、もう一つは社会、とりわけ被害者の報復感情を満たすことにある。
その両方を最大限に満たすのが極刑である死刑だ。

しかし、実際のところ、どうなのだろう。
死刑が怖いからと犯罪を踏みとどまるものだろうか。
死刑に値するほどの犯罪を犯すものが死刑を恐れているとは、私には到底思えないのだ。そうすると、死刑の存在意義は抑止力よりもむしろ、報復感情を満たすことにあるのではないだろうか。

にもかかわらず、死刑の執行に署名しないというのは、被害者側の感情を踏みにじっているように思えてならない。
まさに形骸化した刑罰だ。

私は、現行のわが国の死刑制度は好きではない。
なぜなら、あんな楽な生命系は世界に類を見ないと思うからだ。
絞首刑は窒息死ではなく、頚椎を破壊することによってほぼ瞬間的に絶命させるものであり、苦しむ間もなく死を迎えるものである。
この受刑者に対し、被害者のほとんどは、もっと苦しみ、そして悲しみ、涙を流し無念のうちに命尽きたに違いない。
それに比べれば、雲泥の差がある。

私なら、死刑にせず、私に受刑者を引き渡して欲しい。
私がこの手で処罰する。
それによって私が今度は受刑者となっても構わない。

きっと被害者の肉親ならそう思っているんじゃないだろうか。
そんな肉親に引き渡されることの方が、現行の死刑よりよっぽど強力な抑止力になるんじゃないかと思う。

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