カリント日記

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2006年2月1日(水) 愛だよ、愛

私と嫁さんがとても仲がいいことは二人を知る人なら誰でも知っている。

よく、日曜日に家で亭主がゴロゴロしていると「粗大ごみ」扱いする奥さんの話を聞くが、我が家ではまったく逆で、私が一日家にいると嫁さんが喜ぶ。

たまに早く仕事を切り上げて家に戻ると、私の意外な帰宅に嫁さんはうれしさを隠し切れないようだ。
私にそれを悟られて「うれしいの?」と聞かれるのが悔しいのか、なんとか平静を装おうとするのだが、どうしても口元が緩んでしまう。
私も、それが愛おしくて、わざと連絡せずに早く帰宅することもある。

時には前日まで、翌日はいつもどおりユーザ先へ外出するかのように話をしておきながら、突然、休日宣言すると、子供のように喜ぶ。
これを何度か繰り返していると、起床の遅い朝は「今日はもしかして休日?仕事はしない?」と、嫁さんは期待に胸を膨らました顔で私に尋ねる。
あいにくその日が仕事だとわかるととたんに意気消沈し、ため息が聞こえてくる。

今日は嫁さんの仕事が忙しいようだ。
「話しかけないで」と背中が言っているので、黙って嫁さんの姿を見ながら、酒を飲み、そして日記を書いている。

私の仕事がうまくいかないときでも、こいつといっしょなら、絶対笑って暮らせる。
無精ひげの生えたあごをなでながら、そんなことを考えた。

さ、嫁さんのために、熱いコーヒーを入れるとするか。

2006年2月2日(木) 4台目を買え、と?

私の仕事はパソコンなしでは成り立たない。
飯の種としても、また、仕事のためのツールとしても。
自宅には3台のパソコンがあってそのうちの1台を仕事先に持って出かけている。
ユーザ先では他の作業者と一緒にプロジェクトを進めるため、同一のLANに接続し、共有のサーバで情報を交換したりもする。

しかし、ユーザ先からとんでもない要望が出た。
そのユーザ専用に1台用意しろ、今、仕事場に持ち込んでいるパソコンは家に持って帰るな、というのだ。
その理由が「個人情報漏洩の防止」なのだそうだ。

個人情報というと住所録一覧や顧客情報一覧などを思い浮かべるが、厳密に言えば、名前とそれに属する情報、たとえば組織名だとかメールアドレスだとか、そういうものが結びつく状態にっていると、個人情報とみなされる。
しかし、私のパソコンにそんな個人情報はないし、企業データについてもすべてサーバに管理しており、私のパソコンには一切保存していない。
ほとんどアプリケーションしか入っていないのだ。

そもそもこの話が持ち上がったきっかけが実に馬鹿らしい。
そのユーザの社員が、自宅に持って帰ったパソコンでWinnyを使っているうちに、ディスク上に保存してあった、個人情報をダウンロードされたのだそうだ。

Winnyといえば、著作権などの問題でよく取り上げられる、インターネット上で利用するファイル交換ソフトだ。
そういうソフトを仕事用のパソコンにインストールすることもあきれるし、個人情報をパソコンに入れて持ち歩いていることにもあきれる。
第一、社内の人間のミスを、私のような社外の人間に対して、「あなたも同じ過ちを犯すんじゃないだろうかと疑っています」というようなもので、まったくもって、失礼な話だ。

パソコンだってOSだって業務用ソフトウエアだってユーザに借りているわけではなく、全部自前でそろえたものだ。
少しでも費用を安く抑えようと、フリーソフトを使おうとしても、「フリーソフトは使用しないように」と言う。
そこまで言うなら、私専用のパソコンを、そっちで用意してほしい。

まあ、そのユーザ言わんとすることも理解できなくはないが、お互い気持ちよく仕事したい。
もう少し、考えてほしいものだ。

2006年2月3日(金) しょうゆを使うとき

目玉焼きにはしょうゆかそれともソースか。
私はどちらでもない。

しょうゆもソースもほとんど使うことがない。
無論、調理をする過程でしょうゆやソースを使うことはあっても、テーブルに並んだ状態でさらに調味料を付け加えることはしない。
カレーであってもコロッケであってもソースを必要としないし、サラダにはドレッシングもいらない。
さらには刺身や冷奴にでさえ、しょうゆをかけない。
刺身にはわさびがあればいいし、冷奴にはねぎがあればいい。

もともと薄味が好きだったが、酒を飲むようになり、塩気の多い肴を食べることも増えたので、塩分を控えるようにした。
そのうちだんだんとしょうゆを使わなくなったのだ。
また、去年の夏に始めたダイエットの影響で、油分を控えているうちにドレッシングやソース、マヨネーズなども使わなくなった。

そんな私でもどうしてもしょうゆをかけるときがある。
それは「たまごかけごはん」を食べるときだ。
温かいご飯に、生卵を落としてぐちゃぐちゃかきまぜて食べるあれだ。
たまごかけごはんを食べるときだけは、しょうゆと化学調味料を使う。

刺身や冷奴にしょうゆをかけるとしょうゆの味が勝ってしまうように思うが、たまごかけごはんにしょうゆをかけると卵の味が引き立つように思う。

ほとんど毎日卵を食べるが、二日に一回はたまごかけごはんで食べている。
我が家の冷蔵庫に卵のない日は私の機嫌が悪くなるのだ。

2006年2月4日(土) 男子三日会わざれば

校区子ども会の臨時会議があった。
議題は、各地区子ども会の今後の校区子ども会への参加についてだ。
先日の日記にも書いたとおり、現在5地区の子ども会で構成されている校区子ども会から1地区が脱退することを受けて、それに感化された他の地区が連鎖的に脱退することを懸念した校区長が臨時に開催したいと言い出した会議だ。

夜の7時前、出かけようとすると高校生の長男が「どこへ行くの?」と聞いた。
校区子ども会の会議ということと、会議の内容を話した後「お前も来るか?」と聞いてみた。
会議の参加者は各地区の会長や役員であり、高校生が興味を持つはずもない会議だが、日頃から家族で子ども会の話などもしており、こういう機会に接するのもいい経験だと考え、何気なく誘ってみたのだ。
すると長男は、しばらく考え、「おれ、行くわ」と答えた。
こういう青年が地域の子ども会のことに興味を持ってくれれば、青少年リーダーの育成につながり、子ども会の活動もいっそう、活性化されるので、私はとてもうれしかった。

校区長に呼ばれ少し先に来ていた私におくれること30分。
続々といつもの役員たちが集まりはじめた。
各地区から2、3名。
その中に、見知らぬ男性が一人いた。
その男性は最初に脱退すると言い出した地区の会長ではないことは明らかだ。

どうやら、あらたに脱退を検討している別の地区の子ども会会長らしい。
私や校区長と同じように、校区子ども会存続に懸命になっている年配の女性が、その見知らぬ会長に詰め寄った。
「あんた!いつもの行事や会議には参加せんと、今日は脱退の話をだけ言いにきたんか!」
それに対してその会長は、「ええ。そうです。脱退することは決定しましたから」とそっけなく答えた。

この態度がどうもいけなかった。

最初に脱退を言い出した地区の会長は、校区子ども会の行事にも積極的に参加し、今回の脱退騒動でも、地区内で唯一、校区子ども会の参加継続を訴えていた。
しかし、周りの役員の反対意見が多く、泣く泣く、今回は脱退することになったのだということをとても申し訳なさそうに説明した。

しかし、あらたに脱退を検討している別の地区の子ども会会長は、普段からどんな行事にも参加することなく、毎月の会議にも出席することはなかった。
でも今日は「脱退することになりました」ということだけを宣言しに、この会議に参加したのだ。
しかも、「あっちの地区が脱退するのなら、脱退するにはいい機会だ。うちも脱退しよう」という便乗の態度が見え見えであり、子供たちのことなど考えず、自分たちが楽になるから脱退するというのが明らかだった。
だから余計に腹立たしい態度に見えた。

会議が進み、各地区の意見を一通り聞いたところで、校区長が会議の終わりを宣言した。ざわざわと席を立ち始める役員たちの雑談にかき消されてしまったが、長男は大きな声で「ちょっとすみません」と怒鳴っていた。
その声の質と視線で私はとっさに悟り、息子を制したので、あれ?今誰か、何か言った?という程度の反応のまま、特に歩みを止めるでもなく、みんな後片付けを始めた。

明らかに長男は怒りを感じていた。
私に制止された長男は、下を向き、肩を震わせ、こみ上げる怒りを、深呼吸しながら落ち着けていた。

「あいつか?あいつの態度が許せんかったか?」
そう聞くと長男は力なくうなづく。
あいつとは、「ええ。そうです」とそっけなく答えた会長だ。
「そうやな。自分勝手やな。普段は何もしてないのに、子供の意見も聞かず、簡単にやめる、っていうのはな」
長男は悔しがっていた。

それは、私に制止されたからなのか。
それとも、あまりに身勝手な大人に、寂しさや悲しさを感じたのか。
あのまま制止せずに言わせてやればよかったのかもしれない。
しかし、そのやり方は大人の世界では通用しないのだ。
悔しさを抑えることとも必要なのだ。
そう、長男に説明して説得していた。

すると、一人の女性が声をかけてくれた。
「どうしたの?」
「いや、こいつ、さっきの会長にものすごく腹立てて、怒鳴りそうになったのを私が制止したんですよ」
そういうとその女性は「あれはあの会長が悪い!思いっきり言うてやればよかったのに」といった。
横で聞いていた女性が「ははは。でも、あんまりヒートアップしたらあかん。落ちつかないと」となだめてくれた。

帰り道、長男に説明した。
「大人はこういうものだ。みんな、お前と同じ思いをしていて、身勝手なやつには怒りを覚えている。でもそれを自制しているんだ。ただ、お前が怒っていたことは周りに人にわかってもらえただろ。お前が声を荒げてつかみかからなくて、お前の気持ちは伝わっているんだ」

そしてさらに続けた。
「正直、大人の会議に出ても、お前は退屈するだろうと思っていたのに、ちゃんと人の話を聞いて、自分の意見を言おうとした。それは立派だと思う。お父さんは少し見直した。こんな夜は、お前が成人なら酒を飲んで帰るのになあ。あと4年か」
長男が答えた。
「あと3年待って。そしたら数えで二十歳やから」

ああ。酒が飲めるようになる日を楽しみに待っている。

2006年2月5日(日) やっぱよく走る

昨日は、先々週の土曜日にデータ更新のためディーラーに預けたカーナビを、受け取りに行ってきた。
ディーラーの駐車場に車を乗り入れると、すぐに整備員が走ってきて、誘導してくれる。
車を止めてドアを開けると、愛想のいいおにいちゃんが「お待ちしておりました」という。
別に、今日、行きますと言ったわけではないので、いつから待っていたんだろうか、いや、きっと誰にでもそういうのだろう、と思いながら車を降りた。
そして「こんにちは」と挨拶をすると、「カーナビ取り付けは20分ぐらいで終わります」とこちらが何も言わないうちに、教えてくれた。

どうやら覚えてくれているようだ。
それほど、出入りしているわけでもないのでおそらくは車の色で覚えているのだろう。
私以来、同じ色の車を買った人がいるかどうかはまだ聞いていないが、少なくとも市内や近辺で同じ車を見たことはない。

「中でお待ちください」
そういわれて、まだピカピカの展示車両を見ながらガラス張りの店内に入った。
商談コーナーのいすに腰掛け、テーブルの上のパンフレットなどを見ているとアシスタントの女性がコーヒーを持ってきてくれた。

斜め向かいのテーブルで幼稚園児ぐらいの男の子とその両親と思しき人が、販売員と話をしている。
商談の最中だろうか。
どの車を目当てにしているんだろうか。
もう、買うことは決まっているのだろうか。

そんなことを考えていると、2年前の私を思い出した。
あの時は、あそこのテーブルに座っていた。
いくつものパンフレットを眺め、いくつもの書類に目を通し、ようやく商談が成立したときのあの感動。

それほど走り回るわけでもないのに、見た目だけでスポーティーなアブソルートというグレードを選択した。
まあ、高い買い物だったからこそ、妥協しないでほしいものを手に入れたのだが。

15分後、新しくなったカーナビの取り付けを完了し、「じゃあ、テスト走行してみるか」などと車に話しかけ、山へ向かってアクセルを踏み込んだ。

2006年2月6日(月) ブルーマンデー

月曜日は気が重くなるのはサラリーマンの時代から変わりない。
特に先週のうちに片付かなかった作業があるとなおさらだ。

私の仕事は力仕事ではないし、時間をかければできるというものではない。
どちらかというとアイデア勝負であり、閃くものがないといつまでたっても作業が前に進まないことが多い。

この仕事を始めて18年になり、その経験が生かされるようなものであれば、その閃きに要する時間はとても短い。
私の仕事はコンピュータに関する技術支援がほとんどだったので、障害対応はお手の物であり、使ったことのないシステムやソフトウエアの障害でも経験的に障害箇所がわかる。ユーザから障害状況や症状を聞いているうちに問題となっている箇所が、突然わかるときがある。
まさに閃く瞬間である。

しかし、そうはいかないこともある。
人を管理する仕事。

自称、SE(システムエンジニア)である私はそれができて当たり前なのだが、一人でユーザの技術支援ばかりをしていると、人を管理するという機会が少なく、人を管理するとはどういうことかなど考えることもない。

いや、それでも、私と同じような立場でありながら立派にそういう管理をできる人は多くいる。
まあ、向き不向きの問題なのかもしれないし、努力や才能の問題かもしれない。

私などはせいぜい、子ども会の会長をやっているのが関の山なのか。
そんなことを考えながら始まる月曜日は、気が重い。

2006年2月7日(火) 復旧作業

長女が「ノートパソコンが動かない」といって私のところへ持ってきた。
シスアドを目指すものが「ノートパソコンが動かない」という表現でいいはずもなく、ノートパソコンを直す前に、長女の言葉を「ノートパソコンが起動しない」に直させた。

さらに電源を入れて実際に症状を見る前に、長女に説明させた。
「電源を入れると、最初に○○○と表示されて、それから何も映らなくなる」
うん。なんとなくわかるので、よしとしよう。

電源を入れてみると、メーカのロゴが表示される。
BIOSの設定画面を表示するかどうかを問われる画面だ。
次に、ローダーがハードディスクからOSを読み込み始める。
ディスクのI/Oを示すLEDが点滅する。
読み込み中を示すステータスバーが動き始め、その直後、何かメッセージが表示され、すぐさま消えてそれっきり何も表示されなくなる。
電源は入ったまま。

あの、一瞬表示されたメッセージがエラーを示しているのであろうが、ローディングに失敗したことはエラーを見るまでもなくわかる。

「ああ。なるほど。これならシステムファイルの修復で直ると思う」
そう長女に告げると
「え?今のでわかったん?!お父さんすごーい!」
と、こっちがびっくりするぐらいに尊敬されてしまった。

CDで起動し、システムファイルのコピーをすると10分ほどで復旧は完了した。

長女に向かって私は言った。
「お父さんの仕事はこういうことや。どうや?今の気分は?うれしいか?そうやって人に喜んでもらえる仕事や。だからお父さんはこの仕事が好きなんや」

長女はもちろん、こう答えた。
「私もそんな仕事がしたい」

2006年2月8日(水) メールソフト

仕事で使っているメールソフトを変更してみた。
今までいろんなメールソフトを使ってきた。

初めてメールソフトを使ったのは95年。
当時、会社員だった私は仕事先のパソコンにインストールされている、その会社が作ったメールソフトを使っていた。
コンピュータ関連の職場に勤務していたから、その時期にメール環境があったものの、担当しているユーザにもメール環境は整備されておらず、メールの使用目的はもっぱら社内の情報交換程度であった。
またこの時期はウィルスメールなどというものも知らなかった。
自作のExcelマクロを実行すると、フォルダ内のファイルが消せたので、これをメールに添付して送信すると、相手がそのファイルを開いたときにファイルを消してしまえることに気づき、実行しようかとも思ったが後になってそれがマクロウィルスと呼ばれるものであることを知った。
そんな平和な時代だった。

何台かのパソコンに乗り換えたが、ずっと同じソフトを使っていた。
動物がメールを運んでくるようなソフトも使っては見たが、3件メールをやり取りして、使えないソフトだとわかった。

やがて、ユーザにもメールを使う環境が増えてきた。
と同時に、メールの使いかたなどの問い合わせも多くなってきた。
ユーザの多くはWindowsにバンドルされているOutlookExpressを使用していた。
そのため、私も同じ環境のほうが対応もしやすいと判断してOEに乗り換えた。
そのころからウィルスメールの情報が多くなってきた。
とたんに、ユーザは標的にされやすいOEを敬遠し、別のメールソフトに乗り換えていった。

それでも私はOEを使い慣れていたのでそのまま使うことにした。
念のためメールが自動的に参照されるプレビューウィンドウは閉じていた。
時にはウィルスメールも送られてきたが、それだとわかっていれば別にどうってことはない。

やがて会社を辞め、独立して自分のパソコンで仕事をすることになった。
普段はノートパソコンを持ち歩るき、自宅と仕事先の両方で使っているが、最近な何かと情報漏えいにはどこも過敏に反応するため、ノートパソコンにはデータファイルを保存しないことにした。

そこで問題になったのが、メールの保存場所だ。
OEはメールの保存場所としてそのコンピュータに内蔵されているハードディスクしか選択できない。
つまり、OEを使う以上、どうしてもノートパソコンの中にデータを持たなくてはならないのだ。
メールには重要な情報も含まれている。
これを他人に見られるわけには行かない。

そこで、外付けディスクやサーバなど外部に保存場所を設定できるソフトを探した。
いくつか使ってみて、行き着いたのが「秀丸メール」だ。
シェアウエアであるが秀丸エディタを購入した人は無償で使える。

このメールソフトはとてもいい。
今までのどのメールソフトより使い勝手もよく、セキュリティも優れている。
データの移行性も抜群だ。

私はあまりこの日記に商品名を書くことはしないが、HONDAのオデッセイとこの秀丸メールは商品名を書いてしまいたくなるぐらいにいいものなのだ。

2006年2月9日(木) アパートと思い出

我が家の斜(はす)向かいのアパートはわずか数日できれいに取り壊されてしまい、今は重機の姿もなく、ただの空き地になっている。

つい最近まで汚いアパートから漂ってくるし尿の悪臭に辟易したものだが、建物そのものがなくなってしまうと、その空間をとても寂しく感じ、アパートの裏にあるマンションだけが妙に大きく見える。

思えば私の生まれ育った小さな借家もこのアパートと同じようなものだ。
六畳間で家族四人が寝て、三畳間で食事をし、母親は一畳ほどの台所で食事を用意していた。
トイレはもちろん汲み取り式で風呂もなく、平屋ではあったがおんぼろアパートを絵に描いたような家だった。

しかし、生まれ育った家もすでにその姿はなく、今はコンビニの駐車場になってしまった。

古い家は取り壊されて新しい家ができる。
いくら思い出が詰まっていたって、そこに執着していては前に進まない。
この空き地にもやがて新しい家が建つだろう。
そこへ越してくる人はきっと笑顔で新しい生活を始めるはずだ。
ただ、新しい生活を手に入れた人は、その場所に思い出を持つ人がいることを忘れてはいけない。

私の生まれた家がそうであったように。
そして今の我が家がそうであるように。

2006年2月10日(金) 困った人たち

今日は月に一回の班長会議だった。
いつもなら土曜日に開催するのだが、明日は班長さんの都合が悪いということで今日になった。

班長さんは毎年、4月から一年の任期となっておりこの3月で今の班長さんたちは任期を終える。
毎月の班長会議も、今日を含めてあと2回となった。

この季節になると子供たちの行事はお別れ会を残すのみとなるが、班長さんたちは引継ぎや、新一年生のための準備などでとても忙しい。
また、新しい役員の選出などにはネゴも必要であり、班長さんたちは町内を東奔西走している。

その中でやはり困りものの人もいる。

校区の中では子供の数の多い私の町内だが、それでも少子化の影響は受けており、役員になる父兄の絶対数が少ない。
だから、ほとんどの親は二回程度は必ず何かの役員を務めなければならないのだが、3人の子供を子ども会のお世話になっていながら一度も役目を果たしていない人もいる。

私としては、できない人に無理矢理、役員になっていただく必要はないと思っている。
周りの人がカバーしなければならず、結局迷惑をかけるだけで、かえって話が円滑に進まなくなるのは目に見えているからだ。
お母さん方もそれはわかってはいるようだが、やはり納得できないものがあるらしい。

今日、お母さん方の間で問題視されている人のところへ行って、役員を引き受けてもらうよう、お願いした。
あいにく本人が不在だったので、日を改めることになったが、本当に引き受けてくれるかどうか定かではない。
役員と言ってもほとんど形式だけのもので、年に数回の打ち合わせに出席すればよく、特に資料を配布したりすることもなく、子供でできそうなものなのだが。

引き受けてくれなければ、嫁さんが他の役と兼任でそれを引き受けることになる。
しかしまあ、自分の子供を人に面倒見ておいてもらいながら、自分は何も手伝わないというのは私には到底理解できない心情だ。

でも、まだこの人はましだ。
町内には子供を学校に行かせない親もいるのだから。
4月になって子供が登校してこなければ、児童相談所へ届け出るつもりだ。

2006年2月11日(土) 子供の成長

長男と長女が明日、そろばんの試験を受ける。
今回受験するのは二人とも一級だ。

そろばんは二人が行きたいといい始めたものではない。
子供たちに何か習い事をさせようと思って始めさせたものであり、どちらかというと嫁さんの教育方針である。
私自身は習い事が嫌いで、というより、人にものを教えてもらうこと自体が嫌いで、習い事が自分の成長にどれほど役立つのかわからなかったが、嫁さんの経験上、子供たちに習い事をさせるのはよいことだと、判断したらしい。

でも、子供たちは面白くない。
習い事はしたくない。
そこで、そろばんを習い始めるときに出された条件が、「一級合格」。
一級に合格すればすぐにやめてもよいことになった。

それから二人は着実に力をつけてきた。
ただ、すぐにサボってしまう長男に比べ、何でも地道に努力する長女がが頑張ったために同じ時期に一級の試験を受けることになった。

今日、二人が30分の模擬テストを自宅でやっていた。
私の目の前で二人がやったのだが、二人がそろばんを弾いている姿を見るのは初めてだった。
その姿を見て驚いた。
なんとかっこいい。
多分に親ばかではあろうが、そろばんのまったくできない私にとってその姿は驚愕に値するものであった。

そういえば、最近スイミングスクールにも通い始めた長女の泳ぐ姿は、嫁さんいわく「めちゃくちゃかっこいい」らしい。
手足が長く、とてもきれいに泳ぐというのだ。

私はそれも知らなかった。
これはつまり、習い事をさせて教育した気分になり、私は彼らの成長を見ていなかったことを表しているのではないか。
「いつの間にかこんなに成長したことに驚く」などと言わずに、日々の努力をもっとしっかり見守ってやるべきだと、猛省した。

2006年2月12日(日) ランドセル

今年から小学校に通い始める次女のためにランドセルを買いに出かけた。

私が子供のころのランドセルといえば、男子は黒、女子は赤、と、この二色しか存在しなかった。
だから、多少、形の違いこそあれ、愛着をもってそれを使っている本人以外、取り替えても気がつくことはなかったのではないだろうか。
しかし、今は違う。
赤や黒はもちろん、青、緑、ピンク、オレンジなどさまざまな色がある。
数えてみれば20色以上あった。
色だけではなく、デザインもさまざまである。
体にフィットするよう背中の部分の凹凸に工夫をしてあるもの、肩の負担を軽減するようベルトの形状を考えたもの。
キャラクターものや有名デザイナーのデザインしたものもある。

次女を知っている人ならどんなものを手にするかは容易に想像がつく。
間違いなくピンク色だ。
それも派手なピンク。

長女がどちらかというと男っぽいのは、長女の女らしい部分のすべてをこの次女が吸い取ってしまったからではないかと思うほどに、女の子っぽい。
フリフリのキラキラのピンクピンクが好きなのだ。

テレビで見るアニメもお気に入りのキャラクターも、そして誰かとごっこをするときも、「魔法使い」「お姫様」「かわいい」「きれい」と決まっている。
それを見て「すてきー」とため息をつき、それになりきって「どう?すてきでしょ?」と感想を聞いて回る。

そんな次女が手にしたランドセルは、ピンクもピンク、蛍光色のショッキングピンクだった。
1〜2年生しか使わないのであればそれでもよいが、6年間使うことを考えると、さすがに高学年が持ち歩くのは抵抗を感じる色だと思ったので、必死に説得して、もう少しおとなしい色の、それでも結局ピンクになった。

ほとんどの新一年生は「ランドセルに背負われて歩いている」といわれるが、次女なら立派にランドセルを背負いこなし、「すてきでしょ?」とばかりに得意げに歩くことだろう。

2006年2月13日(月) お礼も大勢の前で

困った人たちが近所にいることはこの前の日記にも書いた。
今日はその人にいろいろとお願いに行くつもりで仕事も早々と切り上げ、家路についた。

自宅に戻ると嫁さんが、憤懣(ふんまん)やるかたない面持(おもも)ちで私に説明を始めた。
私が訪問するより先手を打って、相手側から断りにきたのか、と思った。

「○○さん(子ども会の役員)が、夕方のうちに一人で話をしに行ったらしい。結局、引き受けてくれることになったらしいけど」

これだけを聞くと、どうってことないようにも聞こえる。
むしろ、よかったようにも聞こえる。
でも、よく考えると危ない橋を渡っていることがわかる。

しかし、引き受けてくれることになったからいいようなものの、もし、断られていれば、きっとその役員は「どうしましょう。断られました。会長さんお願いします」というに違いない。
そもそも、役員さんたちで解決できないから私に依頼したのだ。
「困った人がいるので、会長から、役員を引き受けるように説得してほしい」と先日の会議のおり、現在の役員さんから要望があったからこそ、私は土曜日に一度訪問し、今日も早く仕事を終えたのだ。
役員だけで話をして、失敗すれば私に縋(すが)るに決まっている。

お世辞にも、役員さんたちの折衝能力が高いとはいえない。
相手を怒らせるような発言をして私が尻拭いしたことも何度となくある。

今日、開催された自治会の会議でも、自治会会長の怠慢を指摘してください、と会議中に子ども会の役員さんから言われた。
どうやら、校区自治会で行われた、地域の老人が小学生の通学を補助するという制度についての説明会をすっぽかしたらしい。
子ども会としてはありがたい制度なので、役員さんにはそれが許せなかったのだろう。
しかし、私は事実関係を確認せずに人を攻撃するようなことはしない。
仮にそれが事実であったとしても、糾弾するつもりならともかく、会議の場で責める意味もない。

でも、私がいなければ、きっと役員さんが会議の席上で自治会長を責めていたに違いない。
自治会会長の口から「来年度から子ども会の予算を上げてやろうと思う」などと、かつての役員が聞いたら「え?あの会長がそんなことを言ったの?」と耳を疑うような台詞が飛び出した直後であったのに。
無論、私は「ありがとうございます」と満面の笑みで切り替えしたが。

会議が終わって、会長のところに行き、話しを聞いた。
「地域のご老人が小学生の通学を見守るという制度があるって聞いたんですが、うちの町内ではないんでしょうか?」
「ああ。ない。隣町はあるみたいやな」
「では、子ども会からこういう制度を導入してほしい、と次回の自治会会議での議題として提案させていただきたいんですが、よろしいですか?」
「おお。そうしてくれるか。それは助かる。そうやって、もっともっと意見を上げてもらえれば、私も動きやすい。なんでもかんでも私から話をしだすと、周りがなんだかんだと反対するからな。」

ほめるときは大勢の前で、しかるときは一人のときに。
お母さんである役員さんたちもそれぐらいのこと、わかっているはずなのに。

2006年2月14日(火) 結構楽しい

バレンタインである。
そういえば、最初にしておそらく最後の「ですます」調で日記を書いたのは去年のバレンタインのこと。
見ているかどうかもわからない、いや、たぶん見ているはずもない、チョコレートの贈り主に向かってお礼をつらつらと書いてみた。

アンケート調査によるとOLの7割以上が「バレンタインにチョコレートを贈る風習は迷惑」と考えているそうだ。
「義理チョコを買うのにお金がかかる」というのが理由らしい。
まあ、男のほうも半分は同じように、「お返しが大変」と迷惑がっているらしい。

私がいただくチョコも嫁さんからもらうもの以外は、義理チョコといえば義理チョコだが、それでもそこら中にばら撒いているわけではなく、一応、それなりの気持ちがこもっている。はずだ。
恋愛感情があるわけではないが、私のことを気にかけていただいているということであり、少なくとも、チョコを買いに行く手間とお金をかけていただいるのだから、非常にありがたく、また、正直、うれしいものだ。

それを考えると、迷惑だと考えているOLたちが配っているチョコは「義理」チョコではなく、「義務」チョコなんだろう。

今日、チョコを私にくれた女性が言った。
「バレンタインは楽しいからいいよね」と。
イベントとして楽しめるのはいいことだと思う。

私もホワイトデーが楽しみだ。

2006年2月15日(水) 下がりっぱなし

株がダダ下がりで目も当てられない。
相場全体が下がっているので仕方がないのだろうが、それでも利益を上げる人はいるわけで、まだまだ未熟だと痛感する。

いろいろ探って収集した情報を元に、自信を持って見つけた投資先も、瞬間的には値も上がり、やった!と喜んだのもつかの間のことで、半日後にはマイナスになっていたりする。
利益が出たところで「利益確定売り」をすると多少の儲けが出るのだが、もう少しあがったところ出などと欲を出していると機を逃す。
それに本職でもないので、一日中、パソコンの画面をにらんでいるわけにも行かず、リアルタイムに見ていなければわからないこともよくあり、単純な指値では失敗も大きい。

しかし、負け惜しみではないが、負けてもそれほど腹が立つわけでもないし、むしろ、このスリルはなかなか楽しいものである。

とはいえ、負けて終わってしまうつもりはないし、それではやはり困る。
今はしばらく手を出さず、「ホルダー」として半年ぐらいはじっくり持つほうが賢明かもしれない。

2006年2月16日(木) うぐいす

次女は幼稚園に通っており、この春に卒園する。
今日はその幼稚園で生活発表会が行われたので私も見に行った。
クラスごとに楽器演奏や演劇などいろいろな発表を行う。
次女のクラスの出し物は「アラジンと魔法のランプ」であった。

次女の役どころは「町娘」であったが、この幼稚園では主役との台詞の量が格段に違うということはなく、どの役柄であっても、それぞれに見せ場がある。
3人登場する町娘の一人ではあるが、まだ引き幕が開かれる前、その町娘たちは幕の前に登場して芝居の内容を説明した。
次女が喜びそうなひらひらの衣装を着て。
「これからお見せする物語はアラジンと魔法のランプというお話です。一人の若者が魔法のランプを手にすることによって運命が大きく変わってしまうお話を聞きたいですか?聞きたいと思う方は大きな拍手を。もっと大きな拍手を」
そういうと引き幕が左右に分かれ、舞台が登場した。

お姫様もアラジンも魔法のランプの精も、みんな、3人ずつだ。
長い台詞を3人で分担して喋る。

よく声の通る子もいればただのがなり声の子もいる。
小さくて声の聞こえない子もいればかつ舌が悪すぎて聞き取れない子もいる。
手前味噌ながら私の次女はよく通る声でかつ舌もよかった。
それに他人の動きをよく理解しており、隣に座っている子がタイミングを迷っていると、次女が背中をすっと押して合図することもよくあった。

話をまったく知らない人が見れば、何が行われているのか見ていてもよくわからないだろうが、一所懸命に演じる子供の姿を見ていると、内容などどうでもよくなってくる。
なかなかよくできた演劇で先生方の苦労も伝わってきた。

発表会が進み、最後の一組を残すところで園児代表の挨拶があった。
3人の園児が出てきたが、次女が紅一点で出てきた。

そして声をそろえて挨拶した。
家で覚えるまで嫁さんとマンツーマンで練習しただけあって、次女は堂々としていた。
「この後のスカーレット組の発表で僕たち私たちの生活発表会は終わります。みんなしっかりと上手にできてとてもうれしいです。おとうさま、おかあさま、見てくださってありがとうございました。これからもますますよい子になります。では、うぐいすの歌を歌いましょう」
そういって、3人で「うぐいす」を歌い始めた。

「うめの小枝で うぐいすは
春が来たよと うたいます
ホウホウ ホケキョ
ホウ ホケキョ」

2006年2月17日(金) 会議と会議と会議

朝から会議漬けでうんざりだ。
昨日もそうだった。
昼食後に開始して、終了したのは夜の7時。

I'm sick and tired.

今、私が参画しているプロジェクトは長期にわたって行われるものであり、モチベーションを高く保ち続けることは難しい。
それなのに、毎回の会議が憂鬱に感じてしまう。

このプロジェクトのリーダーは私より若く、初めての経験なので気合が入っているのはわかるが、メンバーから苦情が出ているのも事実である。

私のように、会社という組織に属していない人間と、彼のように会社に属している人間とでは、気合の入れ方が違うのだろうが、どうも、かなり力が入っているような気がするし、そんなにカリカリすると血管が切れて、いつか倒れてしまうんじゃないかと心配もしてしまう。
だから「娘が幼稚園でベルマークを集めているので協力してください」などと父親らしい台詞を彼の口から聞くと妙に安心する。

まあ、私も人のことを心配する前に、自分の仕事をきっちり進めないと、このリーダーの血管を私が切ってしまうことになりかねない。

2006年2月18日(土) 規模縮小

夜、校区子ども会の会議に出席した。
といっても、昼間に校区長と事前会議をやっていたので、私には何の新鮮味もないが。

校区長にしても自治会長にしてもそうだが、自分から言い出してしまうと、周りの人から「勝手に決めた」と思われてしまうのではないか、と心配している。
だから私に事前に了承を得ようとする。
そうして少しでも味方をつけた上で会議に臨みたいようだ。

会議の中でも「この件はさっき二人で話をしていたんですけど」という前置きがしばしば使われた。
確かにそういうと他の役員もあんまり文句を言うことはなかった。
まあ、その分、昼間の会議では私が、「それは他の役員から文句が出ますよ」と助言しているのだが。

会議が終わった後、私を含めて校区長を支援している男性役員数名で近くの居酒屋に繰り出した。
議題は無論、今年度の子ども会の反省や、今後の子ども会のことである。

メンバーをよく見れば、みな私より一回りほど年上で、小学生の子供を持っていない。
校区長には大学生と高校生の子供がいるが小学生はいない。
今の小学校校区を動かしている主要役員に小学生の父兄がいないというのは、悲しい事実である。
それだけ、積極的に参加しようという人が少ないのである。

私が「餅つき大会にしても、いざ準備ができてから子供を集めるのではなく、準備をしている段階から、どのような過程で作業が進んでいくのかを、子供に見せてやりたい」というと、メンバーの誰かが言った。
「それはきれいごとだ。俺たちがいくら子供のために、と思っていろいろ考えても、親たちが賛同しない。いくらそういう作業を子供に見せたいといっても、一緒に参加する親が、準備ができてから呼んでくれ、と文句を言う。準備できてなければ、段取りが悪い、と文句を言う。俺たちの活動を、自分たちには関係のないことだと思っている」

確かにそうだった。
今でこそ、えらそうなことを言う私も、一般父兄だったときはどうだったろうか。

校区子ども会は来年度から大幅に活動内容を縮小することになった。
悲しい事実である。

2006年2月19日(日) 酒量

最近はお酒の量がとても増えている。
今日も酒を飲んできたが、家に帰ってきてからもやっぱり飲んだ。

1月中ごろに4本の洋酒を買ってきたが、それがもうない。
実はそれ以外にも、焼酎一本を購入していたし、知り合いからもらった洋酒も1本あった。

それが先日、すべてなくなってしまったのだ。
購入からおよそ30日でボトル6本がなくなってしまった。
ボトル1本を5日で空にした計算になる。
夏場に購入した6本は正月前までのおよそ半年間、残っていた。
1ヶ月で1本だとすると、およそ6倍のペースで飲んだことになる。
また、これは家で飲んだ分だけであって、それ以外にも接待などで飲み続けている。

これだけ増えた理由はなんだろうか。

まだ暖かい時期であれば、自宅でビールを飲むことも多く、家にビールがなければ近所のコンビにまで買いに出かけることもあるが、さすがに冬場はビールがなくなったからといってわざわざ寒い中、買いに出かけることもない。
そういうときはビールではなく洋酒や焼酎のお湯割を飲む。

また、仕事の影響もあるようだ。
昼間に頭を使っていろいろ考えることが多いと、夜はどうしてもリラックスしたくなる。
嫁さんや子供たちが寝てしまった後、一人で日記を書きながらゆっくりと飲むロックはとてつもなくうまいのだ。

でも、酒の量が多いことは嫁さんにも指摘されたことであり、やはり健康のために少し控えることにした。
来週から、週一回は休肝日にしようと思う。

2006年2月20日(月) 

今日は久しぶりの雨だ。
それに暖かい。
三寒四温の始まりだろうか、一雨ごとに暖かくなる季節が来たようだ。
雨が嫌いな私だが、暖かくなるのは素直にうれしい。

雨が嫌いなのは傘を差すのが面倒だという理由が大きい。
そういえばしばらく傘を買っていない。
ずいぶん前に気に入った傘を見つけ、ちょっと値が張ったけれども、そうそう買うものでもないし、思い切って買ったが、一年足らず使用しただけで、家の前に置いていたら盗まれてしまった。
大事に使っていただけにとても残念な思いがした。

それからというもの、驟雨にたたられ、コンビニでビニール傘を買った以外に自分の傘を買った記憶がない。
しかも、ビニール傘は持って歩くのが面倒なので、雨がやむと捨ててしまう。
ひどいときなど、駅から歩いて10分程度のユーザのところへ行く折、帰りの時間帯に雨が降っていては面倒だと思って、駅のコンビニで傘を買ったものの、帰りになっても一向に降ることなく、結局、最初の駅の傘立てに「愛の傘」として置いてきたこともある。
500円払って傘を持ち歩き、寄付したようなものだ。

そんなことをするぐらいなら、気に入りの傘を持って歩いたほうが無駄がなくていい。
そう思って今の傘がなくなったら、お気に入りの傘を買おう、と考えているのだが、いつも嫁さんに先回りされ、安くて物持ちのいい傘が仕入れられてしまう。
さすがにビニール傘のように使い捨てる気にもなれず、今日もその傘を使っている。

こういう傘に限って盗まれることもないのだ。

2006年2月21日(火) 会計監査

小学校の子ども会会長、高校のPTA副会長に引き続き、今度は中学校の会計監査を務めることになった。
これに幼稚園の役員を務めれば怖いものなしなのだが、残念ながら次女が今年で幼稚園を卒園することになり、かなわぬ夢となった。

もともと中学校のIT委員なら引き受けてもよいと思っていたのだが、前PTA会長がIT委員を引き受けたらしく、来年度の役員探しに奔走している現在の役員の方に、「また来年お願いします」と言われ、私の出る幕はなくなってしまった。

ところが、昨日になって「会計監査の引き受け手がいない」と、現在の役員が泣きついてきたのだ。
といっても、私に直接話があったわけではなく、友達である嫁さんの携帯電話にメールで問い合わせが合ったらしい。
いまさら驚くことでもないので「平日は活動できないけれど、土日だけでいいのなら」と引き受けることにした。

嫁さんは早速、メールで返事をした。
するとまもなくして返事が返ってきた。

「ありがとう!助かった! もう、どうしようかと思っててん。ご主人やったら安心やわ。この前の自治会の会議でも、おっちゃん二人が言い争ってるの、一発で黙らしたし。」
年寄りを黙らせる話術と会計監査にどんな関係があるのかはわからないが。

今日、その役員さんから嫁さんに再び連絡があり、「ご挨拶に伺いたい」とのことだったらしい。
「主人は不在なので」と断ったのだが、「せめて奥さんにだけでもお礼が言いたい」とのことで嫁さんも応じることにしたようだ。

そして夕方。
インターホンが鳴ったので嫁さんが玄関にでると、挨拶に来たのはその役員だけかと思ったら他の役員さんら10名程度でお見えになったらしく、嫁さんは恐縮しまくりだったそうだ。
中学校校区の役員だから、小学校よりも広く、そこにいる誰もが嫁さんとは初対面だったらしい。

うーん。
そんなに引き受けてもらえたことをありがたく思われる役職なのだろうか。
これはもしかしたら大変な仕事を引き受けたかもしれない。

2006年2月22日(水) 株で損しても

儲けてやるつもりで始めたネット株だが、1月後半のあの「LDショック」で一気に落ち込み、なかなか回復しない。

始めたころはどんどん上がり続けて調子がよく、一部の銘柄が多少へこんだときでも、トータルではプラスだったし、デイトレードの真似事をしても連戦連勝だった。
しかし、最近はトータルでかなりのマイナスになっているし、デイトレードをしようにも軍資金が底をついた。
なにより、負け始めるとさらに負けるのが怖くなり、なかなか新しいことに手がつけられなくなる。

株は余剰金で始めろというが、実際、本当の意味での余剰金をもっている人は株なんてしないのではないだろうか。
車や家を買うための資金の一部や将来のためのたくわえの一部を使ってやっている人がほとんどではないだろうか。

我が家も同じである。
余剰金なんてあるわけがなく、マイナスになればその分、どこ何しわ寄せが来るわけで、嫁さんも当然機嫌が悪くなり、夫婦仲にも支障をきたす。

しかし、昨日は全体的にかなりの回復を見せた。
(といってもまだまだマイナスだが)
そして今日、長らくホールドしていた動きの悪い株を損することを覚悟で手放し、動きのいい株に乗り換えた。
とたん、手に入れた動きのいい株は値を下げた。

まあ、こんなもんだ。

でも、今もっている銘柄はいずれも将来性があり、伸びるときはストップ高まで伸び続けるような元気がある。

何もせず、値が下がるのを見ているだけで後悔するのなら、積極的に動いてそれで失敗するほうがいい。
それすらも後悔するのは、ネット株を始めたことを後悔するのと同じであり、結局、ネット株をやると決めた判断が間違っていたことになる。

たとえ金を使い込んだとしても、新しいことに挑戦した自分の判断を後悔したくはない。

2006年2月23日(木) 悲しみの事件

わが子を守りたいというのは親として当たり前の考えであり、人間として、いや、生き物として生まれてきたからにはそう思うのが本能であり、そう思わないのは、人間や動物以下どころか、生き物ですらない。
そうでなければ、とっくに絶滅している。

私は自分の子供だけでなく、他人の子供も好きだ。
子供のためなら少々の苦労はなんともない。
地域の子供のために世話役を買って出るし、見知らぬ世界の子供のために援助もする。
他人の子供でも愛おしく思い、守ってやるべき存在だと思うし、不幸な話は聞くに堪えない。
自分でもつくづく子供が好きなのだと思う。

しかし、よくよく考えれば自分の子供を守るためであれば、むしろ他人の子供を退けることが必要であり、他人の子供のために身を削るなどおかしな話のように思える。
他人の子供をかわいいと思うなど、人間のように生きることに余裕のある生き物だからできる芸当であり、生きることに懸命であれば、他人のことなどかまっていられないはずだ。

今回の事件でそれを考えさせられた。
わが子と同じ幼稚園に通う園児をあやめてしまった母親の動機は「このままでは自分の子供がだめになる」というものだった。

この母親のとった行動は、確かに非人道的で決して許されるものではない。
しかし、その動機は純粋にわが子を思いやる行動であって、その方法は非道極まりないものであったが、私利私欲のためのものではない。

被害者と加害者の両方が同じ「子供を持つ親」であり、子供を持つ親である私にとって、世の中にやりきれない思いの残る事件は数あれど、この事件ほど悲しみだけが残る事件はほかにない。

2006年2月24日(金) 離陸なのに

新幹線から飛行機に代えたとはいえ、移動のために半日がつぶれてしまうことに変わりはない。

いつもの時間帯より若干遅めに家を出て、空港へ向かう。
わずかにラッシュの時間を過ぎているためそれほどの混雑はないものの、空港への電車に座るれる座席はなく、立ったまま窓の景色を見ながら空港への40分を過ごした。

前日からの株価の動きを心に残しつつ、そのまま搭乗手続きを済ませ、早めに飛行機の座席に腰掛けた。
離陸までの時間は退屈だ。
腰掛けて窓の外を眺めても同じ空港内の景色。
翼とエンジンと灰色の滑走路が見えるだけ。

と、カップルが乗ってきた。
私の前の席に腰掛ける。
とても仲のよいカップルでずっと話をしている。

飛行機は予定時刻を過ぎても離陸せず、キャビンアテンダントがお詫びのアナウンスを告げる。
待ち時間の間に少し睡魔に襲われた私ははたと気がつき、目を開けると、前の座席に座った女性は、待ち時間に疲れたのか、彼の方に寄り添うように頭を傾げていた。
飛行機はそろそろと離陸の準備を始めた。

前の席の彼女は頭をかしげたまま。
飛行機が滑走路に入り、加速を始めた。
強烈なGが体をシートに押し付ける。
そして機体が少し斜めになったのを感じ、しばらくのうちのに飛行機は旋回を始めた。
重力もさることながらかなりの揺れを感じた。

でも、前の座席に座っている女性の頭は、先ほどと変わりなく、右にかしいだままになっていた。
どう見ても、恐怖や不安によって彼しに甘えている、という感じではなく、まさに眠いからそういう姿勢になっていると感じられる体勢だった。

結局、目的地について、彼に起こされるまでその姿勢は変わりなかった。

彼女の神経が図太いのか、彼氏への信頼が厚いのか。
いずれにせよ、彼女がとてもうらやましかった。

2006年2月25日(土) お別れ会

今日は子ども会の6年生のお別れ会を開催した。
毎年いろいろと工夫を凝らしていたようだが、今年はホテルでランチバイキングをすることになった。

11時前に最寄り駅に集合する。
6年生は全員で12人。
低学年がいれば班長さんたちも大変だろうが、今日は6年生だけであり、その上おいしい料理を食べられるとあって、いつもよりにこやかな雰囲気だ。

電車に乗るときも号令ひとつで6年生たちは電車に乗り込み、乗換えだってスムーズだった。
まあ、電車に乗っているときはやはり、注意も必要になるのだが。

目的のホテルには予約している時間より少し早めに到着した。
エレベータでレストランフロアへ上がると、周りは大人ばかりでいつもとは少し違う雰囲気に子供たちも緊張の様子、と思いきや、いつもと変わらぬ調子だ。
子どもたちはフロアの真ん中にある自動演奏のピアノに興味を持ち、近づいて手を伸ばしている。
別に注意書きもないので特に咎めはしない。
一人の男子がゆっくりとふたを開けると、鍵盤が勝手にピコピコと動いている。
それが面白いらしく、男子はかわるがわる、ふたを2〜3センチほどあけて中をのぞきこみ、「おお」と鍵盤の動きを確かめてふたを閉める。
男子は一様に、同じ動作を繰り返したが、女子は違っていた。
いきなりふたを全開にし、鍵盤をポーンとたたいてみる。
自動演奏の合間に、まったく調子っぱずれな高音がポーンと鳴り響いた。
こういうことは女子のほうが大胆だ。

しばらくして奥の席へ案内された。
大人8人のテーブルと子ども12人のテーブルが用意してあり、それぞれ席に着く。
「それでは、各自、好きな料理をとってきてください。お替りも自由です」と私がいうと子どもたちはいっせいに席を離れた。
私もすぐ後に続く。
こういうときは私が動き出さないとお母さん方も動き出しにくい。

めいめい好きなものを皿に盛りつけ、席に戻ってきた。
明らかに男子と女子では盛り付けが違う。
女子はサラダやパスタが中心でケーキも忘れてはいない。
男子は肉類が中心で、いきなりカレーだ。

男子はがっつくように食べ、自分の分を何度もお替りする。
ひとつの皿に3品も4品も乗せて席に戻ってくる。
女子はひとつのお皿に一種類、それをいくつも並べ、そしてみんなで一緒に食べる。
男女に差はあるものの、みんな楽しげに食事をするさまは同じだ。

そして帰りの時間が迫っていることを告げると、あっちこっちから「もっとここにいたい」という声が上がった。
とても気に入ってくれたようだ。

来年の6年生も喜んでくれるだろうか。

2006年2月26日(日) 試験勉強

期末試験を明日に控え、中学生の長女の友達が二人、一緒に勉強するといって家にやってきた。
長女の部屋に入るのかと思っていたら、部屋が狭いから、と今で勉強をするという。

部屋を片付けてほしいものだが、私の見ている前で勉強してくれたほうが安心もできる。
何しろ女の子が三人寄るのだから、静かに勉強するなんて到底考えられないからだ。

早速、仕事をしている私の目の前で、理科の教科書とノートを開き勉強を始めた。
一分だった。
一分後には全然関係のない話をし始めた。

どちらかというと長女は勉強がしたいらしく、話が脱線するたびに「勉強しようよ」と軌道修正する。
しかし、一分もすると、話は脱線する。

そんな状態が30分ほど続いたが、長女が本格的に勉強を始めると残りの二人もおしゃべりを止めて、勉強をし始めた。
今度は30分ぐらい、集中していた。
そして互いにわからないところを確認しあっていた。

ようやく一段落したのか、今度は問題を出し合って知識を確認しあう。
これが友達同士で勉強していて楽しいところだ。
答えを間違っても楽しい。

そして案外、この楽しい間違いをしたことを後になって覚えているものだ。

科学部の副部長として、理科は満足のいく点を取りたいと言っている長女。
明日からの試験、結果を楽しみにしている。

2006年2月28日(火) 今度はPTA

昨日は、お客さんが大型プロジェクトを受注した記念のお祝いということで、お酒をご馳走になった。
しかし調子に乗って飲みすぎ、まっすぐ家に帰ることもできないほど、酩酊してしまった。

今朝はゆっくり寝ることに決めていたが、システムトラブルの電話がかかってきたので、10時過ぎには布団から這い出した。
電話で状況を確認すると、どうやらサーバを再起動しなければならない様子。
ユーザにそれを告げると「お昼休みに再起動します」とのこと。
ということは、お昼過ぎまで待ち時間。

ゆっくりと身支度を進めていると、嫁さんが思い出したように、メールが来ていることを私に告げた。
見てみると、私宛に、知り合いの小学校PTA役員からメールがきている。

「本日、小学校の教頭先生とお話しをしました。
 教頭先生がおっしゃるには、

『○○さん(私)がすでに子ども会の会長と、中学校、高校のPTA役員を
 兼任されて忙しいのは重々承知している。
 それでもあえて、小学校のPTA会長をお願いしたい。
 多くの人が推薦している。
 平日の会議は欠席していただいてもかまわない。
 副会長はじめ、役員さんたちがバックアップしてくれるといっている。』

 後日、教頭先生がご挨拶に伺うそうです」」

と書いてある。

そうきたか。
「それでもあえてお願いしたい」といわれると、忙しいからと断れないじゃないか。
「多くの人が推薦」って誰と誰と誰だ?
以前からPTA会長就任の打診はあったが、平日の昼間に会議をすることも多く、時間が作れないので、副会長ならやってもいいと答えていたのに、会議には出なくてもいい、てか。
それに、恐縮するので挨拶には来ないでほしい。

候補者を探すために、連日、教頭先生はあちらこちらを回っているようで、副会長ならやってもいいという人を見つけたらしく、会長だけがどうしても決まらないので、私に改めて要請してきたようだ。
嫁さんに、「小学校PTA役員さんに美人いてる?」と聞くと「副会長さんが美人」というので、「じゃあ、やるか」ということになった。
おそらく最初の仕事は4月5日の入学式での挨拶。

メールに返信を書いた。

 「下記の条件で会長を引き受けます。

  ・平日昼間の会議には出席しなくてもいい。
  ・黒のモーニングに白いネクタイは着用しなくていい。
  ・運動会は撮影のため貴賓席から離れてうろうろしてもいい。
  ・××さん(友人)には入学式当日まで、内緒にする。」

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