カリント日記

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2006年3月1日(水) 先生、おつかれさま

今日は小学校の教頭先生が挨拶にお見えになるというので、仕事を早く終えて自宅で待ち構えていた。
20時を過ぎたころ、インターホンがなった。

長女がモニターに向かって返事をすると、「こんばんはー。夜遅くにすみませーん」と聞こえる。
どこかで聞いたことのある声だ。
長女が、「はーい・・・なーんや」と返事をする。
「先生きたでー」と長女に言われ、私は急いで玄関に向かった。
階段を下りると、長女も後からついてきた。
そして、玄関の扉を開けるとそこに立っていたのは、教頭先生らしき人と、長女のかつての担任だった。

去年の春、小学校を卒業して中学校に入学した長女であるが、小学校の卒業式当日は病気で入院しており、私は長女のいない卒業生に向かって、父兄代表の手紙を読んだ。
その後、長女の病院へ行き、長女だけの卒業式をしてくれた、その担任の先生である。

「やあ。お父さん。ご無沙汰しております」
あの時と変わりないにこやかな声である。
私の後ろから「不審者かと思ったわ」と先生に言った長女の声も笑っていた。

「今日は教頭をつれてご挨拶に伺いました」
話はすでに聞いているので驚くことはない。

恰幅のいい教頭先生が、これまた、にこやかに話し始めた。
「今回は、お忙しい中、ご協力いただけるとのことで、本当にありがとうございます。
役員さんたちや先生からもうわさはお聞きしておりまして、是非にと。
それでまあ、ご挨拶に伺ったわけです」

だれだ、うわさしてるのは。

かつての担任が続けた。
「いや、○○(長女の名前を先生は呼び捨てにする)が卒業したので、小学校役員をお父さんにお願いするわけにはいかないと思っていたんですよ。
ところが、妹さんが今度入学されると聞いたもんですから、それやったら、もう、お父さんしかいないということになりまして。いやーあの卒業式、よかったですわー」

うわさしてたのは先生だった。

それにしても二人とも私のことをおだてるおだてる。
それもそのはず。
私が断れば、二人はまた寒い冬の夜に、候補者を探し回って夜の街をはいかいしなければならないのだ。
引き受け手がいるとなれば、それこそ祝杯を挙げたい気分ではなかろうか。

私は私で、今年の入学式は特等席で次女の晴れ姿を見られることに乾杯した。

2006年3月2日(木) 時間がない

もう、まるっきり時間がない。

子供たちに情報処理試験の勉強を教える時間がない。
自分自身の情報処理試験の勉強の時間がない。

仕事の資料をまとめる時間がない。
査閲する時間もない。

確定申告の準備をする時間がない。
免許の更新に行く時間がない。

子ども会のホープページで日記を更新する時間がない。
校区子ども会の議事録をまとめる時間がない。

flashでオブジェクトを作る時間がない。
ホームページのコンテンツを考える時間がない。

株式情報を見る時間がない。
まして売買する時間もない。

日記を書く時間とウィスキーを飲む時間しかない。

2006年3月3日(金) そば屋で一杯

今日は客先での会議が早く終わり、連日の疲れもあったので、まだ明るいうちに仕事を終えることにした。
家に戻って確定申告の準備をしなければいけないが、せっかく出先から早く帰ることができるのだから、少し寄り道することにした。

喫茶店でコーヒーを飲もうかと思ったが、それなら昼間でできる。
少し小腹がすいているものの、ファストフードを食う気分でもない。

そば屋の前を通りかかった。
ふと、以前にそば屋で日本酒を飲んだことを思い出した。
これにしよう。

そう思ってそば屋の暖簾(のれん)をくぐった。
席に座って日本酒と板わさとだし巻きを注文した。
しばらくして日本酒と板わさが運ばれてきた。

日本酒を手酌で飲む。
冷たいのど越しが気持ちよく、すーっと胃袋に落ちていく。
割り箸を割ってかまぼこにわさびを乗せて口に入れる。
わさびの香りが口に広がり、かまぼこの弾力を楽しむ。
うまい。
深くゆっくりと息を吐く。

しばらくするとだし巻きが運ばれてきた。
箸でつまむとプルプルしている。
だしの香りをかぐとなぜか安心する。
口の中に入れると暖かさが心地いい。

下町風情のある店なら言うことなしだが、それとはかけ離れた、どちらかというと家族が休日に利用しそうなチェーン店風の店で、中で流れている音楽も、ラテン系の明るい音楽であり、そば屋のイメージはまるでない。
前掛けをしたおばちゃんや、いきのいい板前が出迎えるでもなく、ファミレス風の女の子が座席に案内するような店だった。

でも、贅沢は言わない。
なによりまだ日の明るいうちからそば屋で日本酒を飲むことがすでに贅沢なのだから。
日本人でよかったと思うひと時だった。

2006年3月4日(土) 活動範囲

今日は長男の通う高校でPTA役員総会があった。
来年度の副会長になった私は嫁さんの代わりとして初めての総会に出席した。
嫁さんは役員でもないのに、こういうPTAの集会には積極的に参加している。

隣の市にある高校へは電車で10分足らず揺られ、駅からもやはり10分程度歩く。
途中の公園にある桜並木は卒業式や入学式の時には絶好の写真撮影場所になるらしいが、この季節は最も寂しい景観を造っている。

学校に到着すると校庭から元気な声が聞こえてくる。
あちらこちらで部活をしているようだ。

校舎の中に入ると「PTA総会は2F会議室」と案内が張られていた。
2Fの会議室に入ろうとすると中から声が聞こえてきた。
15分前だというのに会議が始まっているのだろうか、そう思っていると、一人の男性が中から出てきて、総会の前に行われている執行委員会が終わっていないという。
仕方なく、廊下で待つことにした。

15分ほど待つ間に、何人かの父兄も集まりだした。
「お待たせしました」という声を聞いて中に入った。
執行委員会のメンバーはどうやらそのまま総会にも出席するようだ。

程なくして総会が始まった。
形式どおりの挨拶と会計報告が行われていく。
そして最後に、次期の紹介が行われ、私も副会長として挨拶をした。

私の挨拶が終えると現在の会長さんが、にこやかに笑いながら口を開いた。
「行事のときは是非、奥さんにも出席していただいてくださいね。お願いします」
会場に笑いが起きる。
みんなが嫁さんのことをよく知っている証拠だ。
ほかの新役員が挨拶をしたときには、そんなコメントをつけることはなかった。

会議は30分ほどで終わった。
その後、別の女性が私のところへやってきた。
「○○です。いつも奥さんにはお世話になっています」
と深々とお辞儀をした。

最近になって学校の役員さんたちと話す機会が多くなったが、どこへ行っても嫁さんにお世話になっているという人が数人はいる。
そして家に帰って嫁さんにそういう人たちの名前を告げると「ああ。だれだれさん。そのひとはなになにの件で一緒に活動して」と答える。
単に「知り合い」とか、「同じ学校の父兄」とかいうものではなく、別の活動を通して知り合っているようだ。

嫁さんの活動範囲の広さを再認識した一日だった。

2006年3月5日(日) 二日連続

土曜日に髪を切ったのだがどうもしっくりこない。
なんだかトップのあたりにボリュームがありすぎるような気がする。
確かにトップは長めにしてサイドと後ろを短くしてくれ、と注文したのだけれども、なんだか違う。
それでも美容院にいる間はそれほど違和感もなかった。
そしてそのまま帰ってきたのだが、今朝、鏡を見て、なんだか違うと思った。

朝から確定申告の準備をしていたが、天気がとてもよかったので気晴らしに散歩に出かけた。
いつもの散歩のコースをゆっくり歩くと、背中に当たる陽気がぽかぽかとしてとても気持ちいい。
渡る風に春の気配を感じる。

駅前に戻っていつもと違う道を歩いてみた。
一軒の床屋を見つけた。
こんなところにあったのか。
ふと髪のことを思い出し、ふらふらっと店の中に入った。
いつもなら入りそうにない店だが、トップを透いてもらうぐらいなら問題ないだろうし、何より今この髪型が気に入らないのだから、これより悪くなることはないだろうと判断したからだ。
それに低価格が魅力的だ。

店内に入るとふくよかなおばさんがすぐに案内してくれた。
「このへんをちょっと軽くしてほしいんですけど」
そう注文するとすぐにカットに取り掛かってくれた。
そして5分。
あっという間にカットは終わった。
「これでいかがですか?」
櫛で前髪を全部下ろすように梳かれた。
まるで坊ちゃんのようだ。
美容院ならこんなスタイルで「どうですか?」なんて聞いたりしない。
「いつもは上げているので、よくわからないんですが、たぶんこんな感じでいいと思います」
そんな髪型にしたことがないので正直よくわからないが、昨日のスタイルから今カットした量を考えるといい具合になっていると判断した。

次はシャンプー。
前かがみになり、ゴシゴシゴシといったおじさんが好みそうな乱暴な洗い方がいかにも床屋だ。
洗い流したお湯が顔を伝う。
顔を洗い流してタオルを受け取る。
顔を上げて鏡を見ると、真っ赤になっていた。
確かにちょっと苦しかった。
でも、鏡に映った風呂上りのようなその無造作な髪型は、ふんふんこれこれ、と納得するようなイメージになっていた。

ドライヤーで乾かした後、ワックスをつけてもらう。
手際よくワックスを手に広げて、髪の毛を整えていくおばさんだったが、仕上げの形がどうにもよくない。
おばさんの表情がそれを物語っている。
程よいところで、それでいいよ、と声をかけ、会計をして家に戻った。

真っ先に洗面台へ向かって、てぐしで形を整える。
うんうん。こんな感じ。
やっと納得できる髪形になった。

2006年3月6日(月) 先生再び

今日も小学校の教頭先生がお見えになるとのことで仕事を早く切り上げて帰宅した。
長女の元担任の先生も一緒だ。
自宅に戻るとすでに居間でお待ちになっていた。

今日の訪問はもちろん小学校PTA会長の話をするためだ。
先日、決まった話なのになぜもう一度、わざわざ訪問してきたのか。

私はすでに町内の子ども会会長と、高校の副会長、そして中学校の会計監査に就いている。
そこへ小学校PTA会長の就任依頼である。
教頭先生たちはすでにそれらの役員であることを知っている上で、就任を依頼した。
しかし、流石にPTA会長の役目は重く、他の役員と兼任で本当にやってもらえるのかどうか、それを確認に来たようだ。

毎月のPTA役員会議、毎月の市内の会長会議、それから各種行事への来賓としての列席、挨拶、PTA会長研修合宿まである。
確かに、忙しい。
他の役と予定の重なることもあるだろう。
重ならないなら重ならないで、それだけ私生活の時間が少なくなり、当然、平日の会合など、仕事もままならない日だってある。

しかし、私しかいないのだ。

私が全てを完璧に出来るとは言うわけではない。
もちろん失敗だってするし、至らないところだってあるだろう。
でも私が引き受けなければ、きっと誰かが嫌々ながらに引き受けることになる。
そんな人に本当に役員が務まるだろうか。

私はそんな人よりはきっと役に立てると思う。
本当は不安で仕方がないが、それでもきっと私は責務を果たす。
そう自分を信じている。

2006年3月7日(火) 長女の目標

長男も長女の学年末試験を終えてほっと一息といったところであり、試験休みから春休みへと突入した長男などは、もう、だらけまくりでそろそろ喝を入れないといけない。
一方、長女は試験結果を手にして、しょんぼりしている。

理科の試験結果がよくなかったそうだ。
でも点数を聞いてびっくり。
サザエさんちのカツオ君がその点数を取ったら、間違いなくお父さんにご褒美のひとつももらえるだろうという点数であり、私も、本人の表情を見ていなければ思わず、「よくやった」と褒めてしまっただろう。

間違えた箇所を見ると、用語の記憶違いがほとんどで理科としての理屈は理解しており、まったく問題ないと思ったのだが、本人曰く「科学部の副部長だから力を入れて勉強していた」らしく、「もっといい点を取るつもりだった」とのこと。
確かに、休日には私が仕事をしている横で教科書とノートを何度も繰り返し読んで勉強していたし、わからないところを私にたずねたりもした。
長男に比べて勉強熱心であるだけに、それなりの結果を出したいという気持ちも強いことだろう。

どこの高校へ進学したいのかを聞いてみたら「お兄ちゃんと同じ高校」と即答した。
パソコン部に入りたいらしい。
将来は私と同じようにコンピュータ関係の仕事をしたいといっていた。
長男の通う高校は府立であるが、コンピュータに関する設備はなかなかのものであり、パソコン部は大変恵まれた環境にあるといっていい。
ここに入ることができれば長女は大きく伸びると思う。

しかし、創立4年にして国公立や有名私学の合格者を輩出するなかなかの進学校であり、長男の瞬発的な学力をもってしても、私は、運も手伝って合格できたものと思っている。
いくら勉強熱心とはいえ、長女がやすやすと合格できるとは思えない。

嫁さんに「同じ高校行きたいといってるけど、難しいよな」と話すと、「え?おにいちゃんより楽勝で合格するで」と意外な返事が返ってきた。
長男は確かに試験の成績はそこそこよかったようだが、内申書が極端に悪かった。
そこへ行くと長女は毎回、すべての科目において及第点以上を取っており、授業態度もまじめであるため、仮に試験の結果が長男以下でも、合計すれば長男を上回るだろう、と嫁さんは言うのだ。

とはいえ、この高校の入試は得意科目の点数を倍に換算するという、採点方式になっている。
二年先の春に向かって安直に過ごすのと、目標を持つのとでは結果が大きく異なることを長女に教えていきたい。

2006年3月8日(水) 内助の功

思っていた以上に大変な事になっているが嫁さんに救われた気分だ。
大変なのは役員の話だ。

ことのいきさつを説明するのと挨拶を兼ねて、嫁さんが次期小学校PTA副会長と現小学校PTA会長で次期中学校PTA会長にメールで集合をかけた。
(多少言葉が悪いが、事実、集合させたので間違いはない)

「話があるんだけど」
相手も内容は理解していた。
私が中学校会計監査をやるのと小学校PTA会長を兼任するのでそれぞれに理解を得ることが目的だった。
いきさつを話して理解を得たがなんだかとても凄いことになっていたようだ。
小学校でも中学校でも先生や役員を交えて「本当にいいんだろうか」と話題になっているという。
話によると役員を兼任するというのは「前代未聞」のことだというのだ。
(って、ほかにも、高校の副会長と町内の子供会会長もやっているのでさらに倍!ぐらいの勢いなんだけど)

現在のPTA会長が言う。
「もう、去年の卒業式のときから次期会長は○○(私)さんしかいてないと思ってて、教頭先生には早くから次期会長をお願いするように言っていたのに、後手後手に回って結局、一番後になってお願いすることになって・・本当に申し訳ないやら、教頭先生に腹立たしいやら。」
(あ、いや、そんなに申し訳なく思っていただかなくても。)

その話の後、嫁さんは小学校へ赴いて、各役員と話をして了解を得たことを責任者である先生に伝えた。
本来なら私がするべきことだが、嫁さんは私より、フットワークがよく、顔が広いので、ついつい任せてしまうのだ。
ありがたやありがたや。

とはいえ、嫁さんと先生とはそんなに堅苦しい間柄ではなく「今度はシュークリームを差し入れて」などと、先生という立場でありながら嫁さんにリクエストするような関係なので、それほど重荷ではないようだ。
こういう基盤を築いた嫁さんにこれまた感謝。

嫁さんが自宅に戻ると、中学校の校長先生から電話があった。
「今度の土曜日の9時ごろに小学校の校長先生とご挨拶に伺いたい」
と。

土曜日の朝9時。
しかも小学校と中学校の校長先生が挨拶。
きつい。
やめてほしい。

どうやら今のPTA会長さんが中学校に、文句を言ったらしい。
で、校長先生が挨拶に来ることになったと。
文句なんか言わなくても。

考えてみれば、今の会長や次期副会長、学校の先生と校長先生、すべてを動かしたのは嫁さんであって、私ではない。
でも、世間的には私が凄いことになっている。
これを内助の功といわずしてなんという。

なのに、いつもと同じように笑顔で「おかえりなさい」といってくる嫁さんに感謝。
本当に感謝。

ありがとう。

2006年3月9日(木) お疲れモード

仕事というやつはどうしてこうもまとまってやってくるのだろうか。
一箇所でトラブルが発生するとあっちでもこっちでもトラブルが発生する。

コンピュータのシステムで連携しあっている場合なら納得できるが、まったく関係のないユーザで障害が続けて発生する。
面倒を見るのは私一人なので、パソコンの前に座って電話対応しているだけなのに、その忙しさに息が切れ、汗が噴出す。
食事の時間になっても、おちおち食事をするわけにもいかず、第一、こういうときは食事がのどを通らない。

トラブルの合間を縫って参加した会議でも話は物別れに終わり、これまたストレスがたまる。
酒に逃げたい気分ではあるが、それも繰り返していると効果が半減するし、それに体が悲鳴を上げる。
確かにこの状況で役員を複数掛け持ちするなんて、嫁さんでなくても心配になる。

ああ。
一度マイナス志向になると、立ち直るのに時間がかかる。
普段は自信家で超プラス志向なだけになおさらなのかもしれない。

明日は免許の更新で仕事はしないつもりだったが、今日のトラブルのおかげでそれもままならないようだ。

これもまたため息をつきたくなる要因だ。

ふう・・。

2006年3月10日(金) 免許更新

トラブル対応、プロジェクトのスケジュール調整、免許の更新、子ども会役員の引継ぎ、と今日も一日忙しかった。
仕事が少し面白くないので、日記だけでも違うことを書こう。

免許の更新は5年ぶりだ。
ゴールド免許である。
短距離ではあるが平均すると三日に一回は車を運転しているのでペーパーではない。

でも、おととしの冬、オデッセイを買って初めての長距離ドライブで違反を犯してしまった。
それまで乗っていた車は速度が上がれば揺れが激しくなり、車内での会話は大きな声でなければできなかったが、オデッセイは速度が上がっても安定しており、室内も静かであったため、それほどの速度が出ているとは思わなかったのだ。

確かに反則金を取られるのは痛いことではあるが、今になって思えば、それはそれでよかったと思う。
あの日を境に、安全運転になったのは確かだし、飛ばさなくても楽しい車だとわかった。
だから今日は、2時間の違反講習を受けたし、青色の免許に戻ってしまった。

もし今日が、雨の日でなかったら、あたらしい免許証で、新しい気分で、そしてゆとりを持ったドライブを楽しんでいたことだろう。

2006年3月11日(土) 嫁さん立つ

最近、身近な話題は学校の役員の話だが、日記にはその半分も書いていない。
それぐらいに、連日、私の周りが騒がしい。

昨日は私が会長を務める子ども会の役員の引継ぎが行われた。
班長さんや地区長さんが年度替りにあわせて代わるのだ。
初めての人もいれば、もう、4回目というベテランもいる。
私の嫁さんも、班長をすることになった。
まあ、うちの嫁さんなら地区長でも難なくこなせる。
実際、昨日の引継ぎの中で進行を仕切っていたのは私の嫁さんだ。
きっと私の代わりに会長を務めることもできなくはないだろう。

そして今日は朝も早くから中学校の校長先生と小学校の校長先生が二人そろってお見えになった。
大変だと思いますがよろしく、と、そんなことを言って帰っていった。
でも、大変だと思っているのは周りの父兄のようだった。

夜、小学校の先生から電話があった。
「あ、お父さん、夜分にすみません」
長女の担任だった先生だ。

「あの・・中学校のPTA会長さんには連絡していただけましたか?」
「ええ。私からではなく嫁さんからですが、直接会って話をしました」
先日、嫁さんが呼びつけた中学校のPTA会長のことだ。
中学校の会計監査役員と小学校のPTA会長を兼任することになったことを嫁さんからは伝えてある。

「ああそうですか。・・・でも、一度、お父さんから直接お話していただけないでしょうか」
「それはかまいませんが」

どうも、中学校の役員たちが小学校に抗議したらしい。
中学校役員に決定していた人に小学校PTA会長をさせるとは!
ということのようだ。
中学校役員としての仕事が満足に果たせないことを懸念してのことだ。
確かに、兼任というのは忙しいことだと思う。
でも、私は別に兼任だから仕事がこなせないことを心配はしていないし、できないとも思ってはいない。
私の職業との兼ね合いで役員の仕事に支障をきたすことを心配しているだけだ。
しかし、周りは、職業としての仕事など関係なく、役員を兼任して務まるか否かを心配しているようだ。

言わせていただければ、小学校の役員も中学校の役員も両方とも勝手なことを言っているものだと思う。
互いに、自分たちの仕事が増えると困るから、専任にしてほしいと言っているだけで、私が職業としての仕事を持っていることを心配してくれはしない。

小学校の先生は私との電話が終わった後、嫁さんに電話を代わった。
しばらく話していた嫁さんが部屋に戻ってくると、嫁さんの機嫌が悪い。

「もう、ほんま腹が立つ。周りはごちゃごちゃうるさすぎる。このまま兼任して失敗したら、『ほーら兼任なんかで引き受けるから』って絶対言われる。誰も、仕事が忙しいから、なんて思ってくれへん・・・。私、PTA会長やろか?」

嫁さんも私も、文句だけ言うやつは大嫌いだ。
子どもじゃないんだから代替案をもってこい。
嫁さんはそんなやつらにごちゃごちゃ言われるぐらいなら、自分が小学校PTA会長をやってもいいと言い出した。

正式には決定していない小学校PTA会長の席。
どうなることやら。

2006年3月12日(日) 確定申告書作成

ようやく確定申告の用意ができた。
後は申告に行くだけだが、これも青色専従者の仕事ということで嫁さんに行かせることにした。
帳簿を毎日つけていたとしても、確定申告の時期はやはりバタバタする。
慣れないころは甚(いた)く緊張したものだが、最近は申告用紙を持っていくだけで、なんら躓(つまづ)くこともない。

最初のころは大変だった。
申告書に書いてある言葉の意味がわからず、台帳と照らし合わせてようやく項目を記入して申告に行ったが、その場で何箇所かを訂正されてしまった。
カリントは開業当初から税制面で優遇される青色申告を選択していたが、経理のことなどほとんど勉強したことのない私にとっては、かなり高いハードルだった。
減価償却の方法や租税公課のことを知らないままに記帳していたため、税金もかなり多めに納めていた。

でも、毎年いろんなことを勉強して確定申告もスムーズに行えるようになった。
なにより、国税庁のホームページで作成できるのがいい。
あのツールは秀逸だと思う。
余計な計算は不要で帳簿上の数値を入力するだけで確定申告書だけでなく、決算書や貸借対照表まできれいに作成してくれる。

なにより、あのツールで作ると申告のときもすんなり受け入れてくれる。
申告会場で手間取るのは計算ミスのせいであって、ツールを使っていれば単純な計算ミスが起きないから、受け入れもスムーズなのだろう。

ま、とりあえずお疲れ様ということで、ちょっと一杯飲んで寝ることにする。

2006年3月13日(月) 苦い酒

今日はこれでもかというほど仕事をした。
次から次へと湧き上がるトラブルをちぎっては投げちぎっては投げ、まさに快刀乱麻を断つが如し。

しかし、遅遅として進まない作業もある。
パソコンに向かって腕を組み、天井を見つめて考える。
うろうろと歩き回ったり、気分転換に外へでてみたり。
でも一向に活路が見出せない。

こういう作業はつらいばかりで面白くない。
本当に久しぶりに、仕事が面白くないと感じた。

私生活でもいろいろともめており、これまた気分がよろしくない。
気分の悪いときに酒を飲むと、酒に逃げているような気がして情けなくなるので飲まない。
でも、今日はどうしても酒に逃げたくなり、夜の12時を過ぎたころ近くのコンビニでビールを一本だけ買ってきた。

誰もいない部屋、グラスを取り出してビールを注ぎ、テーブルの上におく。
立ち上る泡をしばらく見つめる。
静かな時間だ。
おもむろにグラスを手に取り、頭に浮かび上がる仕事のことを振り払うかのように、一気にビールを流し込む。
そして、深い、深いため息をつく。
肩がスーッと下がる。

いつもと同じビールなのに、なんだか苦かった。

2006年3月14日(火) うまい酒

今日はホワイトデーである。

一ヶ月前にいただいたチョコのお返しを買ってきた。
ピンク色に水色のリボンがついた包装紙が恥ずかしい。

嫁さんにもちゃんとお返しをした。
嫁さんの満面の笑みを見ると、ちゃんと買ってきてよかった、と思う。

すると今度は嫁さんが白い包みを私にくれた。
「お誕生日おめでとう」

今日は私の誕生日だ。

包みを受け取ると中身がすぐにわかった。
液体が入っている。
となると、酒しかない。

本当は破ってすぐにでも開けたい包装紙を、丁寧に広げていく。
中身を見て驚いた。

「山崎12年」

おお。
これはまた、張り込んだもんだ。

嫁さんは以前、サントリーの山崎工場に見学に行ったことがあるらしい。
工場見学ではビールやウィスキーが飲み放題になっているが、酒に弱い嫁さんにとっては別にありがたくもなんともない。
ビールを少し飲んでウィスキーにも挑戦したが、やっぱり飲めなかったらしい。
でも、この「山崎12年」だけは、ウィスキーのまったく飲めない嫁さんが、「おいしい」と感じたという。
残念ながらこの工場でも「山崎12年」は飲み放題ではない。

早速飲んでみた。
めちゃくちゃうまい。

でも、それは単に酒がいいからというだけではなく、横にいる嫁さんの笑顔があったからに違いない。

2006年3月15日(水) アイデアが出ない

今日も仕事は深夜に及び終電で帰宅した。

仕事の量が多いわけではない。
簡単に言えばアイデアが浮かばないのだ。

コンピュータ関係の仕事といっても技術的なことばかりではなく、自分で考えて新たに生み出さなければならないこともある。
どういう風にすればユーザにとって最適なシステムになるか、限られた予算の中でどういうことができるのか、そしてそれをユーザに対してどのように表現するか。
そういうことを考えながら資料をまとめていくことは、なかなか難しい。

自己満足なものはいくらでもできる。
難しいのは、それを了承してもらうことだ。
最適なシステムであってもユーザへの表現が悪く伝わらないと判断されれば、もう一度表現方法を考えなければならない。

トラブル対応なら、時間がかかっても終わりがある。
原因が判明して対処できるときもあれば、結局原因がわからないまま、運用で回避してもらうこともある。
いずれの場合でも、早くけりをつけなければならないので、最終的にユーザが終結宣言を出す。

でも、アイデアを搾り出す仕事は、アイデアが出なければ終わりにならない。

私がそういう仕事をすることはそう多くなく、不慣れなせいもあって時間がかかっているのだろうが、世の中には毎日のようにアイデアを搾り出している人もいるわけで、そういえば、世の中のすべての製品はそういう人たちのアイデアの賜物に他ならない。

私のアイデアが日の目を見るのはいつのことか。

2006年3月16日(木) トンネルを抜ける

長い長いトンネルをようやく抜けた感じだ。
仕事の目処(めど)がついた。

久しぶりにすっきりした気分だ。
毎度おなじみの終電での帰宅だが、電車を降りると、浮かれ気分でコンビニに行き、ビールを買って帰った。

私の体調をずっと心配していた嫁さんもようやくほっとした雰囲気で、二人でゆっくりビールを飲んだ。
今日のビールは苦くない。
嫁さんにもらったウィスキーも忘れない。
やっぱり格別にうまい。
嫁さんにそれぐらいにしなさいと注意されて飲むのを止めたが、結構飲んだようで、ボトルはすでに三分の一ほど空いていた。
時刻も夜の2時を過ぎていた。

嫁さんは上の部屋に行って先に寝た。
私はもう少しだけ飲んで明日からのことを考えた。

まだまだ仕事は続く。
これからもいくつもの山があるだろうが、乗り越えられるに違いない。
そして今夜のようなおいしい酒を飲むに違いない。

2006年3月17日(金) 長い放課後

今日は仕事を昼までに終えて、中学校と小学校を訪問した。
役員の件である。
私の知らないところで、私をめぐって、とんでもなく大きな問題になっていたようだ。

 中学校役員である会計監査と小学校役員である会長が両立できるのか。

この問題でこの3週間、多くの人が悩み、人間不信になったという。

私が会計監査の仕事を引き受けたとき、会計監査の仕事の具体的な説明はなかった。
単に「会計を監査して、後は月に一回程度の会議に出る」、それだけだった。
だからこそ私は悩むことなく即答でその仕事を引き受けた。
その直前に出席した高校の役員会議の中でも、会計監査の人が「ほとんど仕事がなかった」と話していたのを聞いていたし、中学校の会計監査が他に特別な仕事をすることは知らされていなかったからだ。

そんなところへ小学校の会長の話が来た。
さすがに即答もできないし、一度は断ったのだが、改めて依頼があった。
「いろいろと役員を兼任されているのは知っているが、それでもなお、お願いしたい」
いつもならとっくに役員が決まっているはずの時期になっても会長だけが決まっていないという。
他にお願いするところもなく「是非引き受けていただきたい」と言われ、会計監査との兼任なら問題ないだろうとも判断し、やむを得ず引き受けることにしたのだ。

ところが先に引き受けていた会計監査の仕事というのは本部役員の仕事として、働くことが多く、「会計監査」としての仕事は年に2回ほどであり、それ以外は企画運営に携わることがほとんどだという。

私が会長を引き受けたことに対して、中学校役員から小学校へ不満の声が上がった。
不満を言い始めたのは現在の中学校会長と次期の中学校会長であり、二人とも歴代の小学校会長である。
だから、小学校会長と中学校会計監査を両立させることの難しさを知っているのだ。

中学校の役員が小学校に文句をいい、中学校に小学校の校長と教頭を呼びつけて謝罪させたという。
中学校役員にしてみれば、自分のところが先に頼んだのに、小学校で役員を引き受けたことに腹を立てているようだが、そんなことを言えば、私は町内の子ども会の役員をしているのであって、町内の班長さんが、中学校役員に腹を立てていてもおかしくない。
実際、班長さんの中には今回の件を聞いて、中学校役員へ文句を言ってやるという人もいる。
私も中学校役員には辟易していたが、中学校役員が私に話を聞きたいというので、今日、中学校へ出向いたのである。

私が中学校の校長室に行くと、すでに全員がそろっていた。
今までのいきさつが現在の会長の口から報告される。
出てくる言葉は「顔に泥を塗った」ばかりだ。

 おまえはメンツのために仕事をしているのか。

それを聞いて、言ってやった。
「小学校が中学校役員に決まっている私に小学校の役員をやらせたことに文句を言うのなら、あなた方は、同じように高校や子ども会から文句を言われても仕方ないんじゃないでしょうか?」
また、なぜ会長を引き受けたのか、と質問されたので答えてやった。

「理由は三つあります。一つ目は会計監査という仕事の内容を正しく知らされていませんでした。はんこを押して少しの会合に出るだけ、と聞きましたので。もし、正しく伝えていただいていれば、会長は引き受けませんでした。二つ目は小学校の教頭から他にできる人がおらず、是非にとお願いされたからです。多くの方に推薦いただいているということも聞きました。三つ目は別に嫌でもないし不得意でもないから断らなかったんです。正直に言わせてもらえば、兼任できるかよりも仕事と両立できるかのほうが心配です。役員の代わりはいますが、仕事の代わりはいませんから」

自分のメンツや言い分だけをことさらに言う、中学校役員がどこまでわかったのかは不明だが、とりあえずは、全面的にバックアップするので、小学校役員に傾注してもらって結構、ということになった。
ま、そういわれてハイそうですか、などと甘えるつもりはないが。

3時間ほどの打ち合わせのあと、小学校に向かった。
小学校の役員のみなさんが不安になっていたのでそれを払拭するためだ。

小学校の役員さんは不安だったと思う。
ようやく会長が決まったと聞いて安心していたのに、中学校役員から、小学校側に苦情が入ったからだ。
小学校の副会長にしてみれば、会長不在という最悪の事態になって自分への負担が大きくなるのではと、心配したようだ。
事実、二人の副会長のうちの一人は今回の騒ぎで、辞退を申し入れていた。

小学校に到着するとこちらもすでにみんながそろっていた。
教頭先生がいきさつを説明し、自分の配慮と行動力のなさを詫びていた。
また、学校側は小学校教諭全員に対して今回のことを報告し、役員に対する全面的なバックアップとして役員対応にもう一人先生を追加することも約束してくれた。

次に私が役員の皆さんに説明をした。
「まず、冒頭の教頭先生のお話の中でいくつか首を傾げたくなる部分があったのですが、過去のことはもう、問いません。ただひとつ、私は決して自分から手を上げて『会長をやります』と申し出たわけではありません。他にも役員をしている中でそんな無責任なことはできませんから。でも、『もう他にいない、役員を兼任していることはわかっているがそれでも是非に』、ということで受けることにしました。しかし、受けることになった以上、全力投球するつもりです。また、一番懸念されるのは中学校役員との兼任ですが、中学校の役員さんの中には歴代の小学校会長が二名いらっしゃいますので、小学校会長の活動については理解いただいており、中学校も全面的に応援するので、小学校会長を一所懸命務めてほしい、と言われました。ですから思う存分、打ち込みたいと思います」
と。

結局、小学校の役員さんも理解していただけたし、副会長を辞退しようとしていた人も、「そういうことであれば副会長を引き受けます」と言ってくれた。

中学校にしても小学校にしても至れり尽くせりの対応で痛み入る。

それにしても改めて驚いたのは多くの人があっちこっちで私をいろんな役に推薦していたことである。
一番驚いたのは、今回の騒動の発端である中学校の会長は私を会計監査に推薦していたし、別の中学校役員は小学校会長に推薦していたことだ。
さらに、この二人は私と面識がない。
よくもまあ、面識のない私を推薦したものだ。
きっと彼らの心の中には兼任をあっさり引き受けた私に「無責任だ」という気持ちもあっただろうが、それは彼らにだって言える事じゃないだろうか。
事実、「どういう人か心配していましたが、実際にお会いして安心しました」と言っていた。

さあ、後は結果を出してみんなを驚かすだけだ。

2006年3月18日(土) 誓い新たに

今日は校区子ども会のお別れ会だった。
校区子ども会に参加している各地区の役員さんたちとのお別れ会だ。

各地区の子ども会の役員さんの任期は通常、一年だ。
無論、私も役員である以上、一年任期なのだが、如何せん後継者がいない。
当然のように再任である。
まあ、しばらくは自分を育てることに精一杯で後継者を育てる暇はなさそうだ。

お別れ会の場所はホテルのバイキング。

いつもの校区子ども会会長や役員のお母さん方がそろっていた。
気のせいか、いつになく、みんな楽しそうな顔に見えた。
毎年のことだが、お母さん方にとっては楽しいよりも苦労の多かった一年ではないだろうか。

早速料理をってテーブルにつくと、一人の役員さんが私に向かって言った。
「小学校の役員、結局、引き受けはったん?」
「ええ」
「いやー。じゃあ、中学校も小学校も?」
「そうです」
このやり取りを聞いていると他の役員さんが「ええーっ!?」と驚きの声を上げた。

その中、一人、「???」という顔をしていたのが校区子ども会の会長だ。
役員の女性が説明した。
「中学校の役員と小学校の役員を引き受けはったんよ。しかも、小学校は会長」

「えーっ!?」と目をひん剥いて会長が驚いた。
「子ども会のほうは、辞めるの?」と心配している。
「いえいえ。今までどおりですよ」
そう答えると安心したようだ。

話は校区子ども会の活動の話へと進んでいく。
私より年上の大人が、小学生のことを真剣に考え、これからどうやっていけばいいかを話し合っている。
私にとって、とても居心地のいい場所だ。

しばらくすると、校区子ども会を脱退した地区の話になった。
現行の子ども会会長が脱退するように仕向けたことが原因で、子ども会の会長を交代させないと、どんどん、校区子ども会から遠ざかってしまう。
そうなる前に後任を見つけないといけないということになった。

適任者がいないわけではない。
校区子ども会の副会長はその地区に住んでいるのだ。
今までは校区子ども会で会長を補佐していたし、子ども会会長も校区に協力的な人だったので、会長にはならなかったらしい。

会長が「なあ、こうなったらやっぱ、キミが地区に戻って子ども会の会長やるべきやで。副会長はここにいるし」と言って私の肩をたたいた。
驚いたが、その副会長も「そうやな。もうすでに実質的に彼が副会長として活躍してるからな」という。
周りのメンバーも頷いている。
まあ、実際に副会長という肩書きが増えるわけではないが、去年と同じぐらいの動きでいいのなら、副会長はこなせるなと思う。

でも、校区子ども会のことを考えるとPTA会長の立場から協力したほうがよさそうだ。
校区の会長が言うには以前のPTA会長は嫌いだったそうで、私が会長になったことをとても喜んでいた。

私も校区長も目的はただひとつ、子どものために、だ。
二人とも互いに、校区子ども会やPTAという枠にとらわれず、協力し合おうと約束した。

2006年3月19日(日) 今から準備

まだ学校役員の来年度スケジュールが明確ではないが、本年度の実績をベースにスケジュール表を作成してみた。
何しろ一気に4役だ。
スケジュールはびっしりになるんじゃないかと思った。

まず、子ども会の作業を埋めてみた。
毎月の班長会議と校区子ども会会議と自治会会議への出席。
地区子ども会の行事、校区子ども会の行事、市子連の行事、自治会行事への参加。
それに伴う準備。
まあ、行事への参加と準備は一ヶ月に一回程度だが。

次に小学校PTAの作業を埋めてみた。
毎月の実行委員会と役員会、そして市のPTA協議会への出席。
こちらも行事があるが、子ども会の行事に比べれば少なく、その代わり規模が大きい。
うーん、でも、子ども会の行事に比べればまだ楽なんじゃないだろうか。
それに、本年度は平日の夜間に行われていた会議を、来年度から土曜日の午前中にシフトした。
中学校の会議とぶつかるし、休日のほうが確実に出席できるからだ。
実際、金曜日の夜となると、夕食のしたくにおわれたり、子どもをおいて出席しなければならない役員さんもいて、休日の午前中がいいという声も多かった。

それから中学校の行事も埋めてみた。
毎月の運営委員会への出席。
・・・。
中学校はこれだけしかわからない。
何しろ、「仕事の内容は内緒」にされていたのだし、今でも明らかではないからだ。

高校ともなるとそれほどの仕事はなく毎月一回の役員会議への出席があるぐらいだ。

ここまでをざっとスケジュールにまとめたが、毎月前半に会議が集中しているが、それでも二日に一回程度のペースであり、月の後半はほとんど何もない。
二日に一回の会議だって、そのうちの半分は私の都合でスケジュール変更が可能だ。
土曜日に三つの会議をこなせればありがたいし、結構それは、現実的な方法だと思う。

しかしそれでもきついのは、10月だ。
体育祭や文化祭が目白押しで、そのすべてに私はかかわっている。
去年のように太鼓の練習はしないまでも、企画や取りまとめの仕事は多い。

でも、いまからそこに照準を合わせて根回しすれば、私ならきっちりやっていけるような気がする。

2006年3月20日(月) 卒園式

今日は次女の卒園式だった。

仕事の合間を縫って幼稚園へと向かうと、普段はジーンズ姿のお母さん方はワンピースに、ジャージ姿の保母さんは袴姿に着飾っており、卒園式ムード満点である。
ただ、当の園児たちはいつもの発表会と同じノリで「今日もうまく歌うからね」と普段と変わらぬ会話をしている。
それでも、胸に「卒園おめでとう」と書かれた胸章をつけられると、少しは緊張した面持ちになったようだ。
子どもと一緒に登園した父兄たちは、知り合いを見つけてはペコペコと頭を下げて挨拶し合い、二回の式場へと向かい、子どもは自分たちの教室へ向かった。

私が式場に入ったときはすでに満席で、私は後ろのほうで立ち見をすることになった。
それでも三回目となった私は慌てることもなく、嫁さんから渡されたビデオカメラの撮影準備を始めた。
舞台に立っているときの子どもたちは、もちろんそれはそれで記念に残しておきたい姿であるが、それ以外にも、面白い表情をとることのできるポイントがある。
一列になって入退場する姿だ。

私は今までに何度も子どもたちの姿をカメラに収めてきたが、それは子どもたちのためではなく、結局自分たちのためであることが多かった。
大勢で舞台に立っている子どもの中に自分の子どもを見つけると、親としてはどうしてもクロースアップしたくなる。
でも、写っている本人は自分の周りにいる友達の姿が気になるようだ。
指を指して「○○ちゃん変な顔〜」などと言って笑うことが多く、逆にカメラのフレームの外に友達がいると「あーん。どうして撮ってないの」と文句を言う。
だから私は入退場の姿を一人ずつ撮ってやろうと思った。
入退場の列が私の目の前を通り過ぎる位置に、私は立つことにした。

音楽が鳴って子どもたちが入場してくる。
これでもかというぐらいに元気よく手を振っている姿が愛らしい。
私は先頭から一人ずつ顔を撮影した。
ドキドキ顔や心配顔、相変わらずのニコニコ顔。
私の娘も前を通り過ぎた。
頭をなでてやりそうになったが、きっと「髪の毛が乱れる」といって嫌がるだろうから、なでるのはよした。

園児たちは舞台の前にある自分たちの席に行儀よく着席した。
相変わらず派手ないでたちの園長先生の挨拶で式が始まった。
子どもたちが何度か舞台に上がり、親にとっては感動的な詩の元気な歌を披露してくれる。
そのたびに、場内から鼻をすする音が聞こえてくる。
私もこれが三度目の卒園式でなければ鼻をすすっていたかもしれない。
入場のときは緊張していたのか、私に気がつかなかった娘も、舞台の上から私の姿を見つけると、一変してニコニコと笑いながら楽しそうに歌っていた。

やがて式が終わり、子どもたちは入場してきた花道を今度は退場していく。
私は外に出て、中からでてくる子どもたちを一人ずつ撮影した。
今度はどの子どもも晴れやかな顔をしている。
幼稚園児にも「卒園」の意味がわかるのだろう。

娘が出てきた。
私の姿を見つけると「あっかんべー」と声を出しカメラに向かって舌を出した。
私にちょっかいを出すのは機嫌のいい証拠だ。

卒園式はほとんどが父兄のための儀式だが、本人にとっていい思い出になることが何よりも大切だと思う。
そういう意味では、上の二人よりも卒園式を楽しんだのはこの次女じゃないかと思う。

卒園おめでとう。

2006年3月21日(火) 機種変更

嫁さんの携帯電話のバッテリに寿命がきたらしく、最近はフル充電しても2〜3回通話をすると、もう切れてしまう。
長いメールを書いている途中で切れたときなど、嫁さんは憤懣やるかたない様子だ。

少し前に新しい携帯電話に機種変更するつもりで近くのショップへ行ったのだが、希望の機種は入荷待ちで、しかも確実に入ってくるかどうかはわからないとも言われた。
それほど多くの機能を望んでいるわけではないので、最新型でなくてもいいのだ。
むしろ、新型の第三世代ケータイより第二世代のほうが使い勝手がいい。
どこのメーカーも第三世代への移行を推奨しており、第二世代は品薄状態になっているようだ。

昨日、仕事帰りにショップを見つけ何気なく立ち寄ってみると、嫁さんの探している機種が展示してあった。
まあ、どこのショップでも展示はしてあって、実際には入荷待ちということが多いのだが。
だめもとで尋ねてみた。

「この機種、PDCですよね」
「はい」
「これ、在庫はありますか?」
「それが・・・」

やっぱりだめか。

「それが・・・あるのはあるんですが、ピンクしかなくて他の色はいつ入るかわからないんです・・」
と申し訳なさそうに言う。
たぶん私が男だからピンク色では困るだろうと思ったに違いない。

「ピンクはあるんですか?」
「はい。ピンク色だけ在庫があるんです・・」
「あ、ピンクでいいです」
「ピンクでいいんですか?!」
「嫁さんが使うので」

すぐに予約をして、じゃあ明日またうかがいます、と約束をし、店を出た。
そして今日、午前中に行くつもりだったが、WBCの中継を見ていて家を出るのが遅くなった。
車で10分ほど店に到着したのは昼過ぎだった。
機種変更の手続きに2時間近くかかるといわれたので、待ち時間を近くのファストフード店で過ごした。

店に戻って電話を受け取り家に戻って開封すると、いつもながらに分厚い説明書がついていた。
でも、その説明書に書いてあるほとんどの機能を使うことがないので、説明書も読まずに嫁さんは設定を始めた。
着信音だけ私の仕事用のそれとは違う音に変更してもらった。

これまで使っていた携帯電話は次女のおもちゃとして第二の人生を歩むことになった。

2006年3月22日(水) 頷く本

私は時々書店で平積みにされている書籍をチェックする。
別にその本に興味があるわけではない。

その本をどのような人が購入するのか、どのような人をターゲットとしているのか、どういう事を書けばここに平積みにされるのか、これを平積みにしている書店はどういう店主が経営しているのか、そういうことを確認するためにチェックする。

今日、手に取った本には「仕事の出来る人は聞き上手」というような事が書いてあった。
著者は人材育成に尽力している人物であり、あちらこちらで講演会を開いているようである。
パラパラとめくってみると、著者の体験談が書いてあった。

ある講演会場でセールスマン相手に公演を開いた後、その会社の社長に呼ばれてうちの社員はどうだったかと聞かれたらしい。
前から二列目にいた数名の人たちがとても良かったと答えると、社長が「流石にお目が高い。彼らはトップセールスを誇っています」と答えたそうだ。
著者はそれは彼らの聞いていた態度でわかったという。

まず、最前列に座っていた事。
次に、しきりに頷いていた事。
それから、目線を合わせていた事。
さらに、身を乗り出していた事。
最後に、重要事項にメモを取っていた事。

なるほど。
それが仕事の出来る人か。
私がときおりパフォーマンスでユーザに見せる態度そのものじゃないか。

別に仕事が出来るわけでもない私ですら、ごく普通にセールス手段として使っていることだし、そもそも学生の頃、先生に気に入られる為にすでに身につけていた。
そんな事を本に書いて出版すれば、多くの人がなるほど、と頷くのだろうか。

私が頷くような本にもっと出会いたい。

2006年3月23日(木) 感覚を取り戻せ

最近の日記は学校役員のことと仕事の愚痴しかないことにいまさらながら気がついた。
以前の日記はもっとバラエティに富んでいたような気がする。
そう思って昨年の日記を読み返した。

・・・。

そんなにバラエティに富んでいたわけではなさそうだ。

そもそもこの季節は、学童を子どもに持つ親にとっては入学卒業で喜びに沸くシーズンであり、またわれわれ自営業者にとっては確定申告であわただしい季節であり、さらに私は誕生日もあって、毎年同じような目標と抱負を宣言する季節と決まっていて、学生ならともかく、落ち着いてしまった私に大きな変化が訪れるはずもない。

って、学校の役員になったことは大きな変化か。

ということは日記を書くのに必要なことは、大きな変化ではなく、日々のちょっとした変化だということになる。

確かに、日記をすらすら書いているときの普段の感覚というのはなんだか、研ぎ澄まされているような気がする。
小さな出来事に過敏に反応して、心を揺さぶられ、また、それを心にとどめておくことができる。
でも、疲れきってだらだらと過ごしていると、その感覚も鈍り、ちょっとしたことでは感動することもなく、せっかく感動したようなことでも、忙しさに追われて忘れてしまう。
そして結局、必要に迫られて日記を書く。
そうすると同じような内容の日記ばかり繰り返してしまうのだ。

ちょっと忙しい時間を過ごしすぎた。
仕事も役員のことも一山超えたのだから、少しゆっくりして、鈍ってしまった感覚の鋭敏さを取り戻すようにしよう。

2006年3月24日(金) 仕事が楽しいとき

木曜日の夜にユーザから質問のメールが来た。
このユーザとは一つの質問に対して一回答えるごとに費用が発生すると言う契約を取り交わしており、送られてきたメールに対して私が回答を返すと、後日、ユーザに費用請求できる。

しかし、私も相手も個人同士で費用のやり取りをするわけではなく、会社を通して行うものであり、わずかな対価のために色々な事務手続きをするのは双方にとっても煩わしいことであるため、即答できるような問題については正式な手続きを踏まず、あくまで個人的なレベルで質問と回答を行うことも少なくは無い。

まして、今回の相手は私がまだ会社員だった頃からのお付き合いで、家族でご自宅にお邪魔した事もある、非常にフランクにお付き合いさせていただいている人であった。
それに、質問の内容は、知らなければ謎としか言いようのない事であったが、知っている私にとっては何の下調べもなしに即答できるようなものであったので、もちろん即答した。
笑いのネタも忘れずに。

そして、今日、金曜日。
相手からお礼のメールが届いた。

 さっそくのお返事ありがとうございます。
 質問の主は後輩の女の子なのですが、エンドユーザから苦情を言われて、
 困っておりました。
 それで「私から聞いてみる」と言ってメールしたところ、
 さっそくのお返事で、鼻高だかです。
 「○○(私)さんて、普通に仕事の話しかしない人と思ってたけど
  おもしろい事も言うんですね。」と、喜んでおりました。
 後輩にいいところを見せられました。えっへんです。
 どうもありがとこうざいました。

私がこの仕事をしていてもっとも喜びを感じる瞬間だ。

人に「ありがとうございました」と言ってもらえること。
これが最高の喜びであり、この仕事をしている目的だ。

無論、家族を養っている以上、対価をいただくことが最大の目的であることに代わりはないが、それでも、こうやってお礼を言われる事は本当にうれしい。
それが無くて対価をいただくだけの仕事はきっとむなしいに違いない。

そして夕方。
私からそのメールの主に電話した。

「もしもし。メール読みましたよ。今晩、お酒のみに行きませんか?」
「えーっ!? 昨日飲んだところ何やけどなあ・・・。行こか!」

その主とその上司そして私の三人、いずれも仕事抜きで人間的に尊敬しあえる人たちと楽しい時間を過ごした。

2006年3月25日(土) 乳がん講習の日に

今日は校区子ども会主催の「乳がん講習会」だった。

朝9時。
学校に行くと子ども会の校区長がいた。
二人でせっせと椅子を運んで並べる。

いつも思うことだが、この校区長は動きすぎだ。
そしてこの校区長が私を「実質的な副校区長」という理由は、私もまたこの校区長とともに動きすぎだからに他ならない。
そもそも「長」と名のつくものがどうしてこうも動く必要があるのか。
いや、見本を示す為に先頭に立って動く事は必要であるが、先頭も真ん中も末尾も私たち二人が動いている。
来年はちょっとやり方を変えたい。

時間になって講習会が始まった。
大学病院の先生をお招きして乳がんの恐ろしさを講習していただくもので、対象は校区に住む女性全員だ。
でも、事前の宣伝が不十分であったため、かなり寂しい講習会となってしまった。
それでも参加者は気がそれる事も無く最後まで講義に聞き入っていた。

乳がんは私の友達など周りにも罹患した人は何人かいて、中には不幸にして他界された方もいる。
何よりこの病気の悲しいところは、小学生や中学生の子どものいる母親がもっとも罹患する率が高いというところだろう。
この恐ろしい病気の事をもっと多くの人に知ってもらうべきなのに、今日の参加者が少なかったのは宣伝が悪かった為だ。
これも来年はちょっとやり方を変えたい。

講習会が終わって後片付けをした後、校区長と二人で昼食を食べながら今後の事について話し合った。

校区長が切り出した。
「本当は今年からお願いしたかったんだけど、今年は小学校のほうが大変なので、来年かその次の年辺りは校区長をお願いしたい」
「えーっ!? 校区長は引退するんですか?」
「うん。もう12年以上やってるし、下の子どもももう高校生やで」
「そうか。確かに子ども会って感じじゃないですよねぇ」
「とりあえず、副会長になってもらってもええかな。ってもう、副会長と同じ事してもらってるけど。それに、PTA会長が校区子ども会の副会長をやってくれてるとそれなりに注目もされて校区子ども会自身も盛り上がると思うんよ」

正式な依頼はこれが最初だったが、うすうす感じていたし、実際、私以外に適任者がいないのだから仕方がないと思う。
ここで断っても子ども会の仕事の内容が変わるわけでもなければ、引き受けても変わる事は無い。

来年からのやり方を変えるためにはある程度の影響力が必要だから仕方の無い事かもしれない。

2006年3月26日(日) 植木屋さんのお酒

落語に「青菜」というものがある。
私はとりわけ桂枝雀師匠の青菜が好きである。
「植木屋さん。植木屋さん」で始まり、「弁慶」でさげる有名な落語であるが、その中に出てくる「柳影」という酒が飲みたくなった。

落語の中では植木屋がだんなさんに呼ばれてご馳走になる酒であるが、「今はともかく、昔は「大名酒」と申しまして、お大名より上がらなんだもんでございます。それをご当家で頂戴できるなんて、こんな結構なことはございませんのです」と植木屋が言うほどであってかなりおいしい酒に違いない。

酒が好きな私ではあったが、この酒を探した事も無く、どんな味なのかを調べた事も無かったが、ちょっと時間があってので調べて見た。

 柳影は、アルコール飲料の一種。本直しとも言われる。
 焼酎に調味料でもある甘味の強いみりんにを加えて、
 飲みやすくしたもの。

ほう。みりんを加えるのか。

で、色々と調べてみると、焼酎が2に対してみりんを1加えるのだそうだ。
しかし、みりんといえば相当甘みの強いものであり、3分の1がみりんだとこれはかなり甘い飲み物で気持ちが悪くなってしまうに違いない。
また、みりんは「本みりん」でなければならないらしい。
決して「みりん風調味料」ではいけないのだ。

台所を見てみると「本みりん」が転がっていた。
焼酎は米でも麦でもいいらしいが直感的に「芋」ではよろしくない事がわかった。

コップに氷を入れて焼酎を注ぐ。
次に本みりんを注いだ。
3分の1では多すぎするので少し控え目にして。

早速飲んでみると、これがおいしい。
ちびちび飲む焼酎というより、少量を飲むアペタイザーに近い。
甘いだけあって大量に飲むとむかむかするかも知れないが、なかなかに口当たりがよく、非常に飲みやすい飲み物である。

植木屋さんと旦那さんのように、鯉のあらいを食べたくなった。

2006年3月27日(月) 代表と

サッカー日本代表に選ばれているガンバ大阪の選手は三名いる。
高速オーバーラップが持ち味の右サイドバック加地、フリーキックの切れ味抜群ミッドフィルダー遠藤、そして代表キャプテンで二枚目のバットマン、ご存知宮本。
今日、東京出張の空港でこの三人を見た。

出発まで時間のあった私は朝食後に本屋で立ち読みをしていた。
ふと、私の横を通り過ぎて店内に入ってきた男性を目で追いかけてしまった。
自然な流れでまとまっている長髪と猛禽類のような鋭い眼光。
一目で、サッカー日本代表のキャプテン、宮本選手である事がわかった。

でも、店の中で彼に気が付いたのはおそらく私一人。
さっと店の奥のファッション雑誌のところへ足早に入っていった。
街でタレントを見かけてもなんとも思わない私であるが、サッカー選手、それも日本代表となれば話は変わる。

すぐさま店を出て嫁さんに電話をした。
おそらく、女の子が「今の見たー!?」などと話すあの心境と同じだろう。

「もしもし!宮本!サッカーの宮本が本屋にいてる!」
「はあ?」
「だから、ガンバの、日本代表の宮本が、本屋にいてるねん!」
「えーっ!? うっそーー!」
「かっこええーー!かっこええでーー!」

まるっきり馬鹿な会話だと思う。

しばらくして本屋を出てきた彼の後を追う事にした。
何処に行くのかというより、彼を見つけた人がどんな反応をするのか、見てみたかったからだ。
人目を気にするのかと思っていたら、全く普通に歩いている。
もちろん、コソコソする必要は無いのだが、サッカー選手という体格のよさのせいで、普通に歩く人よりも、ただでさえ目立つのである。

最初に気が付いたのは、というか、あからさまに「気が付きました」という表情をしたのは3人組の男だった。
顔を見たと思った瞬間、目を大きく見開くのがわかった。
ビックリしたときの顔そのものだ。
そして歩きながらも顔がそのまま宮本選手に釘付けになっていた。

次に気が付いたのは女の子二人組み。
気が付いた一人の顔が面白いぐらいに変化して、もう一人の肩をバンバンと叩いていた。
その後も何人かの人が気付いたが、みな同じような表情をする。
彼とすれ違った人たちは後ろを歩いている私ともすれ違う。
「宮本や宮本!」
「今の宮本選手よー!」
私と同じような反応でなんだかうれしい。

やがて宮本選手はラウンジに消えていった。

その後、搭乗手続きをする為に並んでいると、ふと真横になんだか視線と気配を感じた。
真横に宮本選手がいた。
そればかりではない。
宮本選手の後ろに加地選手、遠藤選手が続いていた。
歩いているのではなく、私の真横にいる。
自分でも何をドキドキする事があるんだ、などと思いつつもドキドキしていた。
握手を求めようかとも思ったが、やっぱり失礼な事はできない。
でも、同じ列の女性や若者は「握手してください!」といって何人も握手していた。
うらやましいなと思いながらも、応援する気持ちは一緒だし、地元ガンバの選手なのだからその気になればガンバのファンクラブであう事だってできると、自分に言い聞かせていた。

彼らは30日に九州で行われるエクアドル戦のため今日、大分入りした。
またあの年がやってきた。

2006年3月28日(火) 祈りの対象は

先日、ある宗教の信者が私を訪ねてきた。
私がその信者であったことを知っていて訪ねてきたようだ。

と言っても私自身が信者だったわけではなく、父親が信者だったために、いつの間にかそうなっていただけに過ぎない。
宗教嫌いの私にとっては迷惑な話だ。

その宗教団体の中で内紛が勃発し、一方の信者がもう一方の信者の言うことを聞くなと、忠告しにきたのだ。
きっとこの日記を本人が読めば、「決してそんな意図ではない!正しく理解していない!」と猛反発するだろうが、私にしてみれば、その程度の話であり、焼酎のお湯割を作るときにお湯をたくさん入れすぎたことのほうが、私にとっては問題だ。
いや、隣町のポチに子どもが3匹生まれたけれど、一匹だけ色が違っていたという話と大差がない。
まだ子どもと話ができるだけポチのことに興味がわく。

町内の知り合い出なければ玄関に出るまでもなく追い返していたが、知り合いであるだけに始末が悪い。
わざわざ玄関まで出て話を聞かなければならない。
案の定、勧誘もされたがいつものようにきっぱり断った。

「申し訳ないですが、私はすべての宗教を否定しています。私自身が、一番だと思っていますから。私は私自身を信じており、他の何者にも頼るつもりはありません」

こういうと「そうです。自分が一番大切です」と、さも、私の言い分を納得したかのように答えた。
おそらく、私のように答える人たちに今まで何度となく遭遇しているからだろう。

「そうおっしゃる方でも、一度、お話をお聞きいただくと、考えが変わるかもしれません」
なんと、挑戦的な言葉か。

でも私も少しは大人になった。
「そうですね。また、機会があれば」
笑顔で答えたが、内心は「私に話をしにきたが最後、そいつも宗教を全否定するほどに、私が説教してやる」と笑っていた。

宗教に頼らず、自分を持ち続けるのも、自分だ。
宗教にすがって祈り続けているのも、自分だ。
宗教が自分を変えるのではない。
自分が自分を変えるのだ。
自分が自分を救うのだ。

一心不乱に祈り続けるできるのなら、きっとその対象が、神や仏でなくてもできるはずだ。
それが例え自分であっても。

2006年3月29日(水) 自治会館前は一等地

そろそろ花見の季節だろうかとウキウキしていただけに、今日の寒さには驚いた。
昨日は暑くて邪魔になるだけだったコートが、今日はクリーニングに出してしまわなくてよかったと安心した。

ほんの一年前まで、自分の町内の自治会館がどこにあるかさえ知らなかった私だが、もう、月に2〜3回は自治会館に通っている。
もちろん、自治会の会議や子ども会の班長会議に出席するためだ。

自治会館は各地区の自治会が所有しているもので、校区の子ども会の会議などはそれぞれの自治会館を順番に使って行われる。
無論、校区子ども会に属していない地区の自治会館は使用できない。

その中でも、私の地区の自治会館はお世辞にもきれいだとは言いがたい。
それなのに「以前に比べてずいぶんときれいになった」という人がいるぐらいだから、以前の自治会館は想像しがたい。
破れたソファー、歩くときしむ廊下、脚が取れそうになっている折り畳み机、タバコのヤニですっかり変色したレースのカーテン。
経費節減の証ともいえる。

しかし、そんな自治会館でも他の地区に負けないものがある。
それは桜の木だ。
自治会館の前は車が二台止められるほどのスペースがあるが、その上を数本の桜の木が覆っているのだ。
今までにも何度かこの場所で花見をしたことがあったが、おそらく、校区内で随一の花見の場所だろう。

校区子ども会で知り合った他の地区の会長さんたちも、ぜひ自治会館前を貸してほしいといってきた。
さすがに私の一存では返事できないが、我が家の長女も友達同士でお弁当を持って集まりたいといっていた。

ここはひとつ、自治会会長を説得してみるか。

2006年3月30日(木) 対エクアドル

代表戦のある日は仕事を早めに切り上げて、ビールを用意してテレビの前に陣取る。
いつもは子ども向けのアニメ番組をやっている時間帯であっても、サッカーの試合中継があるときだけは、お父さんにチャンネルの優先権があるのは我が家の家訓だ。
まあ、最近は嫁さんはもちろん、長男も長女も私と一緒になってテレビを見ながら一喜一憂している。

とりあえず、ビール3本を冷蔵庫に冷やして1本目をグラスに注ぐ。
もちろん代表公式スポンサーである「麒麟麦酒」のビールだ。
別に代表公式スポンサーだからという理由ではなく、昔から麒麟麦酒のビールがすきなのだ。
発泡酒というものが世の中に出始めたころ、麒麟麦酒も「端麗」というものを発売した。
これを飲んだとき「どこぞのビールよりうまい」と感じたほどだ。
今日は「ラガー」を飲んだが、「一番絞り」もよく飲む。

そういえば最近の麒麟麦酒のCMは「サディスティックミカバンド」の面々が出演している。
これまた大好きなバンドだ。
特にドラマーの高橋幸宏のコンサートには何度となく行った。
麒麟麦酒とは何かと気が合う。

ビールを飲んでいるうちに長男がお菓子を買ってきた。
代表のシンボルマーク、「八咫烏(やたがらす)」がデザインされているポテトチップスだった。
それも5袋。
おまけに選手カードがついている。
あいにく、宮本選手のカードはなかった。

普段なら、5袋も買ってきてどうするんだ、と叱咤するところであるが、代表戦を見ながら代表のロゴの入ったお菓子を大量に買うのは、いわば、応援の現れである。
まあ、少し表現方法に誤りがあるかもしれないが、家の中はそういう雰囲気なのであるから、仕方がない。
結局、夕食前だというのに、みんなでたいらげてしまった。

ジーコ監督就任以来、初めての対南米戦勝利に喜び、私は試合終了までに2リットルを飲み干した。

今年はワールドカップイヤー。
こりゃ太るな。

2006年3月31日(金) 別れのときに思うこと

3月最後の日はやはり別れの多い日である。
行きつけの店の店員さんも今日で最後だと言っていたし、ひいきにしていただいたユーザの担当者も異動になる。

毎度のとこだが、別れの時はいつも「もっと話をすればよかった」と思う。
いくらでも時間はあったのに、実際に話をした時間はとても少ない。


一週間ほど前から取り壊しの始まった、我が家の向かいのアパートには、我が家の次女ととても仲良しなおじさんが住んでいた。



よく二人で散歩に出かけ、公園で遊んでいたようで、次女も「むかいのおっちゃん」と呼んでいて、私に今日の出来事を楽しそうに話すとき、何度となく「むかいのおっちゃん」が登場したものだ。
一人暮らしのそのおじさんから見れば次女はちょうど孫ぐらいの年齢だったので、なおさら可愛がっていただいたのだろう。
でも、そのアパートも今は跡形もなく、そこにはクレーン車が停まっている。



そのおじさんは今、ここから電車で一時間ほどの田舎のほうで一人暮らしをしているそうだ。
今日、挨拶にお見えになった。
ばたばたとした引越しに追われて挨拶ができなかったからと、わざわざ挨拶にいらっしゃったのだ。
あいにく私は外出していたが、新一年生になる次女へのお土産を持ってきてくださり、次女はそれを何度も私に見せ付けた。

 いくらでも時間はあったのに、実際に話をした時間はとても少ない。

いや、いくら時間があって、たっぷりと話をしていたとしても、きっとそう思うものなのだ。
別れの時は誰しも同様の思いを胸に抱くのだ。
だからこそ、その人のことが胸に残るに違いない。

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