カリント日記

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2006年5月1日(月) 散歩

一年の間にこれほど快適な気分を味わえる季節は、そう多くない。

日中、ユーザ先で仕事をし、休憩がてら外出るとなんと気持ちいのいい天気か。
こんな日でも仕事をしていなければならないのがこの家業。
いても立ってもいられなくなった私は仕事もそこそこに切り上げて家路についた。

家に戻るとまだ空は明るく、家族のみんなもそれぞれに用事をしていたので、私は私で散歩に出かけてくると言い残し、これ幸いにとそのまますっと家を出た。
決して居心地の悪い家ではないが、今日の外と比べれば、高級ホテルだってかなわない。

近くのコンビニでビールを買ってそのまま近所をぶらぶらと歩いた。
どこへ行くわけでもないが、いつものコースを歩き始めた。

いつもの公園で近所の人に出会った。
「おっす」
「おっす」
返事の主は男ではなく、奥さんだ。
しかしいつもこんな挨拶をしている。
奥さんが聞いてきた。
「何してるん?」
「気持ちいいから散歩してる」
「あ。ビール持ってるやん。仕事は?」
「今日はもう終わり」

他愛もない話をしながら、そのまま公園のブランコに腰掛けた。



平日の夕方、ちょうど小学生の下校の時間帯と重なった。
公園の前を何人もの小学生が通る。

「おっす」と声をかけると「あ。おっちゃん!こんにちは!」と元気な声が返ってくる。
隣町の子どもでどこに住んでいるのかも知らないが、私を見かけると声をかけてくれる。
そういう子どもが何人も通り過ぎた。
中には「うわ!昼間っからビール飲んでる!」と鋭く指摘する子どももいた。
「ええねん。今日はもう仕事終わったから!」と反論してみるが、大人の屁理屈であることは十分承知していた。

ビールを流し込んでブランコを少し揺らしてみた。
穏やかな時間が流れる。
明るく青い空を仰ぎ見て、吹く行く風に目を閉じた。

2006年5月2日(火) 脳年齢

話題のゲーム機がようやく手に入った。
新しいゲーム機を買う予定はなかったのだが、子どもと嫁さんの間では以前からの約束事であったらしく、ネットで探しても見当たらなかったものがたまたま入荷したての店に出会って手に入れることができたらしい。

ソフトのほうは以前から目をつけていたものがあり、私も、もしそのハードを買ったならばこのソフトを買ってほしいと言っていたものがあった。
それが「頭のトレーニング」である。

ゲームの中で与えられた課題をこなすことでその人の脳年齢がわかるというもの。
このハードが入手困難となっているのが実はこのソフトの売れ行きが予想以上のものであり、このゲームをしたいがためにハードを買い求める人が多かったことが原因らしい。

早速、やってみた。
最初に、音声認識の問題があったのだが、それほど精度がよくないだろうからと、テレビの声や子どもたちの声の飛び交うところで結構いい加減な気持ちでやったところ、「51歳」との結果。

これは到底納得できない。
私は脳も体力も平均をはるかに上回って若いはずだ。
そう思って、静かなところで再挑戦してみた。

「28歳」
うん。そんなもんだろう。
最高が20歳だから納得できる。

その結果を家族に告げると、負けず嫌いのみんなは先を競って挑戦する。
私を抜いた長男はさすがの22歳。
現役高校生、さすがに脳みそも若い。

それでもトレーニングを重ねて私の脳も少しは若返った。
今日現在25歳。

41歳ならこれが最高記録かもしれない。
まあ、20代なんだし、よしとするか。

2006年5月3日(水) カラオケの達人

仕事先のオフィス街ではこの季節、カラオケ大会が開かれる。

以前、私の知り合いもこの大会に出場した。
とても歌のうまい人でなかなかに魅力的ではあったものの、それでも決勝の舞台に立つことはなかった。

カラオケには単にうまい下手だけではなく、人に聞かせる「個性」のようなものが必要だと思う。
「この人のこの曲はすごい」と思わせるそれだ。
そういう意味ではその知人もなかなかのものだった。

私の近所にもなかなかの人がいる。
その人は以前の子ども会の役員であり、嫁さんとも親友である。
だからその人とは、何度か一緒にカラオケに行ったが、「相変わらず若い歌を知ってるなー」などと言われていい気になっている私を尻目に、「聞かせる歌」を歌う人として周りに認知されていた。

前々から歌がうまいと思っていたその人であるが、私と同じオフィス街に勤めており、今回、そのカラオケ大会に出場したそうだ。
すると優勝したそうだ。

ほー。
たいしたものだ。
あまり知られていない演歌で挑んだそうだが、私の知る限り、その舞台に立っている人は、並大抵のうまさじゃない。
そこで優勝するのだからたいしたものだ。

今度からカラオケに行くときは少し真剣に聞いてみようと思う。

2006年5月4日(木) バーベキュー

場所取りは8時までに行く。
これは来年のためのおぼえがき。

前日から絶好の行楽日和といわれていた今日は、昨日に引き続き外出することにした。
昨日は近くの山へピクニックに出かけ、今日はご近所の人も誘って、これまた近くの河川敷公園でバーベキューをすることにした。

朝はもちろん長女と二人で場所取りに行った。
現地に着いたのは9時過ぎ。
この時間なら、何組かの先客はいるだろうが、場所取りに苦労することなどないと思っていた時間だ。
実際、去年がそうだった。
しかし、現地についておどろいた。
30台ほどの駐車場は無論、その周辺の空き地もすべて車で埋め尽くされ、バーベキューのできる場所には所狭しとテントが張られていた。

私は仕方なく、駐車場へと向かう坂道の中腹に、同じように入りきれなかったほかの車と縦に並んで駐車した。
バーベキューの場所は、お隣との距離が0センチになるほどに密接しながらも何とか確保することができた。

去年は土曜日だったが今年は連休真っ只中。
その違いだろうか。

先発隊である私は、後発メンバーを迎えにいったん引き返さなければならない。
しかし、このまま車を移動させると、間違いなく二度と車を同じ場所にとめることはできない。
そのため、長女を駐車場所の確保役として残していくことにした。

一度家に戻って後発メンバーを乗せ、再び堤防に戻ると、長女は「もう少し遅かったら暑さで死ぬところだった」とぼやいていた。
確かに炎天下のアスファルトの坂道に、一人ぼっちで40分間も待たせたのだから仕方がない。

早速、バーベキューの用意を始めた。
ビアテイスト飲料を片手に作業をする。
なかなか炭に火がつかないもどかしさも楽しさのひとつ。
ようやく火がついたところで油を持ってくるのを忘れたことに気がついた。
歩いて5分ほどのコンビにまで油を買いにいく。
これができるのは近所の河川敷だからこそ。

実はそれよりも前に、現地に着いたとき、バーベキューコンロの足を取り付けるためのねじが見当たらず、そのねじを求めて、DIYストアまで車を走らせててもいた。
これもまた、近所の河川敷だからできること。
もし、遠くのキャンプ場だったりしたら、ねじを手に入れることは不可能だろう。
まあ、それだけに下準備には念を入れるが。

肉もうまいし野菜もうまい。
天気もいいし、気分もいい。
ご近所さんと馬鹿な話をし、長女とサッカーもした。

それにしてもこれほどに混雑したのは初めてみた。



来年はもっといい場所を確保しよう。

2006年5月5日(金) がんばれ闘犬

今日は東京。
場所は秋葉原。
少し歩いたけど「痛い人」の多い街。
「電車男」の背景はうそでもなさそうだ。

居酒屋に一人で入る。
お気に入りのビールがおいてあるというそれだけの理由。
しかし、まずい。
めっちゃまずい。
「大阪やったら一週間で潰れるわ」というのは東京で、いまいちの食べ物に出会ったときの大阪人の決まり文句。
でも、今日の店は100人の大阪人が太鼓判を押す、一週間以内に潰れる店。

まずい。
高い。
愛想が悪い。
胸糞悪いので、コンビニでチューハイを買ってホテルに入る。

テレビをつけると胸糞悪い感じのやつが画面に。
「亀田親子」
言うまでもなく、難波のボクシング最強3兄弟。
見るからに不良そうだし、礼儀を知らない。
ビッグマウスと呼ばれるその話口調は、多くの大人の反感を買うだろう。
うちの嫁さんにしても例外ではない。
「嫌い」と言っている。
私も好きではない。
でも、この若者が言った。

「親父のまねはでけへん。それぐらい尊敬してる。だからおれは親父のために世界チャンピオンになる」
息子を育てたことのある男なら、それ以上の言葉は見当たらない。

不良は嫌いだし、口の悪い若者も嫌いだ。
しかし、大口をたたいてそれを実行できるのならたいしたものだし、認めざるを得ない。

親父のためにがんばるという言葉はありがたいが、親父はきっと、「息子よ、自分のためにがんばれ」と応援しているに違いない。
私もこの兄弟を応援したいと思う。

2006年5月6日(土) 毎年同じ

今年のゴールデンウィークも例年と変わらなかった。
仕事もあり、学校関連の世話もあり、特別どこへ行くでもなく、それでも一応家族で過ごす時間を設けた一週間だった。
そういえばGWに旅行などで本格的にどこかへ出かけたという記憶がない。
なぜだろうかと考えてみた。

旅行に行かないわけではない。
去年も旅行に行ったし、おととしはドタキャンになったものの北海道旅行を予定していた。
ただし、いずれも夏の旅行だ。
よく考えれば、GWだけでなく、正月も旅行をしていない。
夏の旅行も「お盆」の前後である。

何のことはない、混雑する時期を避けているだけだ。
それに、大型連休のときは仕事になることもあって、かなり前からの予約が不可欠なこの時期の旅行は計画しにくいのである。

なのでGWはもっぱら数日前に予定が立てられて、それでも実行可能な近場でのバーベキューなどが多くなる。
それでも子どもたちはそれなりに楽しんでいるし、私も楽しい。

バーベキューの前日は近くの山へハイキングに行った。
いや、ハイキングというよりは散歩に近い。
自宅から車で15分ほどのところにハイキングコースがあり、気分のいい午後などはちょくちょく出かける。
この日は朝、外に出るとあまりにも気分がよかったので、急遽、山へ出かけることにした。
長男は友達と出かける約束があるらしく、一人で留守番することになったが、昼前に嫁さんと山好きの長女と、お出かけ好きの次女を連れて出かけた。

普段の日曜日ならハイキングコース入り口近くの駐車場に車を停められるのに、さすがにこの日は臨時駐車場まで行かなければ空きがなかった。
そこから歩いて10分。
ハイキングコースにたどり着き、山の中へ入っていく。

都会に近い山とはいえ、それでも十分に空気がうまい。
教科書どおりに「ホーホケキョ」と啼くウグイスの声がすぐそばの木の上から聞こえてくる。
明るい陽射しと涼しい風がとても心地よく、思わずうっとりしてしまう。



来年もまた同じようなGWを過ごすんだろうなあ、と思いながら思いっきり両手を広げて深呼吸した。

2006年5月7日(日) 明るい家庭

よく日記でも少子化の話を書く。
今日もニュースで少子化問題を取り上げていた。
1000人の女性にアンケートをとったところ、驚くべきこと(「驚くべきこと」と言っていること自体が認識不足なのかもしれないが)に300人近くの女性が「子どもを産まない」と答えていた。
二人目や三人目を生まないのではなく、一人も生まないというのだ。
それが30%近くもいるのだ。
残りの700人が全員、二人ずつ子どもを生んだとしても、出生率は1.4。
人口の減少を食い止めるための出生率2.0を実現しようとすると、667人が3人の子どもを生まなければならない。

子どもを生まないといった人の理由の一番は「子どもを育てる自信がない」というものだった。
「子どもを育てる自信」か。
しかし、私は、子どもを生む前から自信満々という人に出会ったことがない。
というかそういう人はいないだろう。
誰しも、子どもを生むまでは「親」ではなく、子どもが生まれて初めて「親」になるのだから。

次の理由は「将来に不安があり、子どもが幸せになるとは限らない」というものだった。
いつの時代の親ならば明るい未来が待っていると思って子どもを生んだのだろうか。
私が生まれた時代にしたって私の親は別に明るい未来を夢見ていたわけではない。
よその国はどうなんだ?
この亡国よりもよっぽど不安な状況で笑いながら子どもを育てている親もいる。
いまだかつて、いつの時代のどこの国に、将来に不安があるからなどという理由で子どもを生むことを放棄した女性がこれほど多く現れただろうか。

ただ、精神論でこの女性たちに語ったところで理解はしないだろう。
昔に比べて子育てがしにくくなっているのは事実だ。

子どもを産んだばかりの女性が親に甘えるにしても、そばに親がいなければ新幹線に乗って実家に帰り、長期間滞在するしかない。
私が生まれたときは同じ町内に祖父母が住んでいた。
また、近所づきあいも変わってしまい、自分の子どもは自分だけで育てる、という気持ちがないと育てられないように思っている人も多く、それがこれから母親になろうとする人の負担になっている。

子どもが被害にあう事件が多く報道され、人を見たら犯罪者と思え、といわんばかりの社会環境が映し出されれば、親たちは「自分の子どもは自分で守らなければ」という重圧に襲われる。そこへ持ってきて、幼児虐待のニュースが連日のように報道され、その原因が母親の子育てに対するストレスであると言われ、そのような母親を救済するためのホットラインに関する広告も頻繁に流される。

こんな状況で母親になりたいという人を増やせというほうが無理だ。

だから私は楽しい家族作りを心がけている。
子どもが3人いて、他人がうらやましいと思うような家庭を築くように。

2006年5月8日(月) 連休ボケ

連休明けはやはりトラブルが多い。
人間だけではなくマシンも休みボケするのだろうか。

朝すぐにトラブルの電話が入る。
「ジャーナルのセーブがエラーになりました。どうすればいいですか?」
まるで素人のような問い合わせにちょっと面食らってしまった。

「まず、ログ上にどのようなエラーメッセージが表示されていますか?」
「えーと。I/Oエラーです」
「いや、もっと具体的に識別子やエラーコードを教えてもらえませんか?」
「えーと。ジャーナルのI/Oエラーです」

ははは。
思わず笑ってしまった。
私の知っている限りこの担当者は20年近くこの仕事、つまりコンピュータ関係の仕事をしているはず。
なのに、このやり取り。
きっとこの人もまた連休ボケなんだろう。
そう思って、ログを送ってもらい、こちらで確認することにした。

うーん。
確かにI/Oエラーなんだが、どうやらセットする媒体を間違えているようだ。
セットしたのはこの人じゃない。
ということは、別の人もまた連休ボケか。

かく言う私もたぶん連休ボケしているはず。
明日になれば、そのミスに気がつくだろうが、今日はそれすら気がつかない。
さすが、連休ボケだ。

2006年5月9日(火) 漫才の練習も始めました

うちの次女は誰に似たのだろうかと考えた。

大胆な行動は長男にそっくりだし、友達や年下の面倒見のよさは長女そっくりだ。
さらに、誰とでもすぐに友達になれる人付き合いのよさは嫁さんそっくりだし、頭の回転の早さといったら私にそっくりだ。

次女がある日、嫁さんと一緒にバレーボールの練習に学校へ行った。
平日の練習は夜に行われる。
夜の学校は、なぜこんな怖いのだろうかと思うぐらいに、大人だって躊躇する。
見慣れた自分の教室へ続く廊下は暗く、先にあるのが本当に自分の教室なのか、はたまた異次元空間なのか、次女にはきっとそう思えたのだろう。
嫁さんの後ろに回りこんで少しも動こうとしない。

ところが、何を思ったのか、次女は明るいあらぬ方向へと走って行った。
嫁さんがどこへ行くのかと思っていたら、どうやら職員室に飛び込んだらしい。
すると次女が先生を連れてきた。

「暗いから早く電気つけて」
「はいはい」
次女に言われて電気をつけにわざわざ職員室から引っ張り出されたのは教頭先生だった。
そういえば、長男が校長室で遊んでいたのもこれぐらいのころだったか。

先日のバーベキュー大会では炭になかなか火がつかず、ふうふうと息を吹きかけていると「うちわでやったらええやん」と次女が言う。
「うちわ、もってきてないねん」そういう私に、次女は「あそこにあるやん」と指差した。
みると、酒を飲んで上機嫌の若者が暑い暑いといってうちわで仰いでいる。

「あれ、借りてくるわ」
といってさっさと行ってしまうのをあわてて引き止めた私に向かって次女はさらに「なんで?うちわ借りてくるだけやん」といった。
怖いもの知らずである。

一緒に散歩に出かけると次女は私も知らないような人にも「こんにちは!」と大きな声で挨拶をしている。

イチゴ狩りの下見に行ったときも、よその女の子に泥団子の作り方を執拗に尋ねていた。
誰とでもすぐに友達になれるようである。

コンビニの人とも仲良しで、この前は次女がコンビニで何か忘れ物をしたらしく、店員さんがわざわざ家まで持ってきてくれた。
どうして家がわかったのかとたずねると、次女が家の前で遊んでいるのを見かけたというのだ。
ということは、次女を見て、「ああ。あの子だ」とわかったということか。
確かに、私とコンビニで買い物をしても自分の分だけは「これ、シール貼ってください」といってシールを貼ってもらうから、印象強かったのかもしれない。

最近は、私を相手に「ボケ」と「ツッコミ」の練習も始めた。
「じゃあ、次、お父さんボケて」

やりたい放題で毎日が楽しくてたまらないといった感じだ。

2006年5月10日(水) 春の夜長

今週は毎日、会議がある。
これが日曜日まで続く。
週の真ん中の水曜日ではあるが、消化した会議の数は4分の1といったところか。
それでも帰宅は終電だ。
もう、日記を書くのもつらい。

それでも帰宅してから嫁さんとの会話は必ずある。
いくら忙しくても、嫁さんとの会話もせずに寝てしまうのは悔しい。
二人の会話は、もちろんお互いのためでもあり、そして子どもたちのためでもある。

とっくに寝てしまった子どもたちに代わって、今日の出来事を嫁さんが報告してくれる。
私は子どもがどんな顔をして嫁さんに話をしていたのか、想像しながらその話を聞く。
その話のほとんどが、腹を抱えて笑うような内容で、疲れも癒されるから、聞いていても一向に苦にはならない。
嫁さんも私の仕事の話に耳を傾けてくれる。

気がつけば2時を過ぎている。
時間が許されるなら、まだまだ話をしたいところだ。

秋でもないのに、我が家の夜は長い。

2006年5月11日(木) 家でも会議

笑ってしまうぐらいに長い会議。
昼の1時過ぎに始まって、終了が深夜0時を過ぎたところ。

月に二回行われる客先での会議。
仕事を請け負ってやっているものの、その会議へ出席することという条件を了承しているので断るわけにも行かない。

しかも、学校関連の役員をやっている私はそのための資料作成をこの仕事の合間を縫ってやらなければならず、この長い会議の間、校区の子ども会で実施する「イチゴ狩り」の注意事項集を作成していた。
先日下見に行ってきて気づいた注意事項をまとめ、各地区の監督者や保護者に理解してもらうためのものだ。

連夜の終電帰宅だが、それでもやっぱり夫婦の会話の時間は2時間近くある。
出来上がった注意事項集の中身について嫁さんの意見を付け加える。
やはり男性と女性とでは見方が違うので参考になることが多い。

出来上がった資料を校区子ども会の会長にメールで送る。
顔の広い嫁さんに、「まだ参加人数を報告してこない隣の町内の責任者に、早く報告するよう催促して」とお願いする。

なんだか家でも会議をしているようだが、笑顔が絶えないのでこの会議は苦にならない。

2006年5月12日(金) IT顧問

ようやくの金曜日。
今週はなんだかとても長い。
会議も半分を終わった。
仕事以外の会議が目白押しなのだ。

夕方、仕事先での会議を終えてそのまま中学校へ行った。
第二回目の役員会と実行委員会だが、私が出席するのは初めてだ。
第一回目の役員会は、いきなり「来週です」などと言われ、時間調整ができなかったために、不参加だったのだ。
それ以後、「仕事があるので、一ヶ月前にはスケジュールを伝えてください」と念押ししている。

で、参加した中学校の役員会。

私の住んでいる市には子どもたちを犯罪から守るために、全国に先駆けて、相互通信型の情報配信システムが導入されている。
犯罪情報を配信するシステムは結構あるが、このシステムの特徴はそれが相互通信型であると言うところだ。
従来の一方通行の配信に加え、端末(携帯電話など)から目撃情報をセンターに送信すると、その内容がセンターから配信される仕組みだ。
この仕組みは全国的にも展開されて、かなりの評価を得ているそうだ。

と、この仕組みについて、中学校の父兄に知らせるかどうかを迷っている、という意見が役員会で提示された。
というのも、目撃情報の真偽が確認できない可能性があるかららしい。
確かに、情報が提供された時点で、それが本当のことなのかどうか、誰かが調べたわけでもなければ、確証があるわけでもない。
しかしそれは、近所のうわさだって同じようなもので、誰かが風評を流せば、私だって不審者にされかねない。
情報の真偽については、提供された側が考えればいいことだと思う。
不審者に注意しようと思うだけで、積極的に捕まえようと思うのでなければ、例え誤報であってもいいんじゃないかと思う。

さらに学校側から意見が出た。
「われわれが知らないところで校区の情報が先に父兄に伝わるのは困る」という。
わからなくもない。
校区内で発生した事件を学校が把握していないのでは格好がつかないだろう。
「だから、まずは学校に通知して、それを学校側から情報提供するようにしたい」らしい。

しかしまて。
それはきっと今までやってきたことじゃないだろうか。
父兄の誰かが不審者情報を入手すれば、学校に知らせて子どもたちやその父兄に注意を呼びかけてもらう。
それなのに、なぜ、相互通信型のシステムができたのか。

それは学校の対応が遅いからではないだろうか。
学校を経由していたのでは後手後手に回り、いち早く保護者が情報を入手する手段として、望まれたからこそ、誕生して発展してきたシステムなのではないか。
そのシステムが出てきて学校が困る、というのはただメンツの問題だろう。
そういう話を校長に言ってやったが、わかったのかどうか定かではない。
ただ、このシステムの存在については、父兄に知らせるべきであって、その情報の判断も個人の責任でやってもらえばいい、と私は押し切った。

そして、多くの父兄代表が集まる実行委員会が役員会の後に開かれた。
このシステムの説明が「IT顧問(前年度の会長が着任)」からあった。
聞いているお母さん方がきょとんとしてる。
司会進行の教頭が「えーと。今の説明でわかりましたかね?つまり、インターネットを使って・・・ですかね?」と、いつものようにパソコンを目の前においている私のほうを見る。
明らかに「会計監査」の私に助けを求めている目だった。

「では、補足して説明します」私が言った。
このシステムの特徴、このシステムで提供される情報の新鮮さ、新鮮であるがゆえに不確かな部分もあるということ、その情報を判断するのは各自に委ねられること、情報の正確さについて学校側が保障するものではないということ、など。

私は存じ上げないが、その場に出席していた嫁さんの友達が、あとで嫁さんに話していたそうだ。
「ご主人とIT顧問、入れ替わったほうがいいよねー」

私もそう思う。

2006年5月13日(土) こら書記!

昨日の中学校の会議に引き続き、今日は小学校と高校で役員会と実行委員会がある。
だんだん、頭の中が混乱してきた。

学校の会議に出席していてよく思うのは、私と、他の人たちの間に、会議に対する考え方で大きな違いがあるということだ。
学校での会議は何かを議論する場ではなく、ほとんどが、連絡会だ。

年間行事や今後の予定などをその場で連絡し、不明な点があれば補足説明をする。
それの繰り返しだ。
だから、動議が出たときの対処が弱い。
なにより、書記が書記として機能していない。

一方的にこちらから連絡する連絡会であれば、連絡用の資料を用意してそれを配布し、それについて説明をすれば、こちらは何も記録することがない。
しかし、各委員の方々や父兄から出た質問、要望、苦情などは、どういう内容の話があったのか、それに対してどのように答えたのか、答えられなかったものはいつ答えることになったのか、そういうことを記録として残しておかなければならない。

私はそれを記録しておくためにパソコンを持ち込んでいたが、先日、「話しづらいのでパソコンを使わないでほしい」と他の役員に言われてしまった。
それもそうだろう。
私も好きでそうしているわけではない。
誰かが記録して私に報告してくればそれでいいのだ。
そのために書記がいるはずだ。

会議が終わって書記の先生に、「今日の会議の内容、特にどういう問題が提示されたかをまとめて私にメールで送付してください」というと、驚いたような顔をしていた。
「記録できてないんですか? だから私は自分のパソコンで記録してるんです!」役員の前でちょっと強い口調で言ってしまった。

今までの会長は自営業だったり主婦だったり、おおよそ組織として行動することに縁のない人が務めていたのだろうが、私は違う。
一年間無事に務めればそれでお役ごめんと思っている、方々とは違う。

「そんな兼任で役員なんか務まるんですか」
そう言っていたやつに言いたい。
「俺についてこれないのならついてこなくていいけれど、せめて足を引っ張ることはやめてくれよな」

2006年5月14日(日) 最後は自治会

もう、書くことが多すぎて金曜日の日記は言いたいことの半分も書けなかった。

小学校で提案された動議の内容に関する対策案とその文章を高校の会議の最中に作成し、帰宅してから送付した。
高校の会議は結構まともである。
会長さんが私と同じような考え方で、それは民間校長の影響が大きいらしい。
効率的に効果的に物事を進めるという風土が出来上がっている。
会議が始まる冒頭、書記担当に「会議の内容をしっかり記録しておいてください。後で教えてもらいますので」と伝えていた。
書記が一般のお母さんなのでどこまでできるのかはわからないが、少なくともそういう意思を持ってことにあたるという姿勢が感心できる。

私は私でパソコンに記録してると、会議が終わってから一人の先生がやってきて、その記録を見せてほしいといっていた。
小学校の内職をしながらだったので、それほどきれいにまとめていなかったためお断りしたが、やはりそういうまとめが必要であり、それをパソコンの電子データでほしいと望んでいる人は少なくないのだ。
わら半紙に印刷された紙をファイルに綴じて保管するより、パソコンに入れておくほうが流用もできて経済的だ。

と、ここまでは土曜日の話。

毎度のことながら今日も午前中はユーザ先で仕事を片付け、夕方家に戻った。

で、それからまた会議。
今度は自治会の予算総会だ。
今週の会議ラッシュの最後である。
いつもの役員や評議委員だけではなく、自治会班長(子ども会の班長とは違う)たちも参加している。
どこの誰だか知らない人が多い。

決算報告と予算はすんなり可決され、その他の質疑応答となった。
自治会班長の一人である年配の女性から「子どもたちの通学路に砂利道があり、その石ころを子どもが蹴って危ない。何とかならないか」という要望があった。
それに対して自治会役員から「あの道は○○会社の所有地で、一部通学路として提供してもらっており、半分は舗装させてくれたが、残りの半分は舗装させてくれなかった」との回答があった。
それを聞いた質問者は「じゃあ、子どもが石を蹴って誰かに怪我をさせたときは、自治会が責任を取ってくれるんですか?」

ほー。
これが、自治会というものか。
いや、責任云々のことではない。
「何かあったら自治会が責任を取るのか?」などと発言するような人がいるというのが自治会というものなのか。

小学生の教室に行けば、小学生ばかりである。
個性はあるものの、小学生の域を出ないので、それほど理解できないことを言うやつはいない。
でも、自治会は違うのだ。
私には「自治会に責任」という言葉を発するなんて考えもつかないのだ。

責任の話をされて、会長が「まあ、相手は子どもなんで、石をけるのはしゃーない」
これまた、なんちゅう返事だ。
横にいた副会長さんが私に助けを求める目をしていた。

いつものように私が答える。
「えー。この町内の子どもたちでその通学路を利用しているのはごく一部であり、ほとんどが隣の町内の子どもたちです。したがって、該当区域の子どもたちに対してはもちろん、隣町に対しても、子どもたちへ指導していただくよう申し入れます。また、小学校からも通学時の注意事項として子どもたちを指導するように申し入れます。しかし、注意することはできても、その責任を企業や自治会が負うことはできません。企業や自治会に重大な過失がない限り、その注意義務は保護者にあります。本件については子どもへの指導を強化するということでご了承ください。よろしいですか?」

多少威圧的に話をした。
それでも、「誰かに責任を取ってもらおうとするのではなく、あなたも大人なんだから、自分で子どもに注意したらどうだ」と本音で言ってしまうよりはましだろう。

2006年5月15日(月) 母の日に

「私はあなたの世話になる資格がない」

私の母がことあるごとに私に言うセリフだ。

母は私が小学校5年生のときに父の暴力に耐えかねて家を飛び出した。
以来、母は「わが子を見捨てた」と自分を責め続けている。
しかし、私はその後も母には世話になっている。
私が高校生のころ父が借金を残して蒸発し、生活に困っていたときに支援してくれたのはほかならぬ母だった。
大学へ行くときも学費の半分を負担してもらったし、引き続き生活費も支援してくれた。
結婚してからは母を頼らないようにしたのもそのせいだ。
住宅を購入するときも、子どもを育てているときも、私は母を頼らなかった。
(母は私を他人に自慢するとき、いつもそのことを話すらしい)

母は今、隣町のアパートで一人暮らしをしているが、そのアパートの家賃が高いという話を聞いた。
以前から、私が家賃を出すから、と言っているのだが、「私はあなたの世話になる資格がない」と言って頑として受け入れないのだ。
そこで、じゃあ安いところを探すから引越ししてはどうか、と提案したら長考した挙句、それならアパートを探してちょうだい、ということになった。

今はインターネットでいろいろな条件を指定しても簡単に検索できる。
すると好条件の物件が、私の家から歩いて5分程度の隣町、しかも、子どもたちの通学路にあることがわかり、さっそく昨日、私と嫁さんの二人で不動産屋に案内され、物件を見に出かけた。

通学路だから見慣れた場所だ。
向こうから嫁さんの知り合いが歩いてきた。
「こんにちはー。どうしたん?」
「アパート探してるねん」
「なんで?だんなと別れるの?」
「そーやねん。ちょっと一緒に住むのは・・あははは」
と冗談を言っている。

公園から出てきたなんとなく見覚えのある子どもたちは、私の顔をみて「オッス」と元気よく挨拶してくれた。

見知らぬ土地ではない、という安心感が沸いてきた。

物件はワンルームではあるが母が一人で暮らすには十分な広さだし、バスとトイレはセパレートタイプ、エアコンも完備しており、かなり快適だと思った。
日当たりもなかなかよかった。


そして夜。
自治会の会議が終わってから、アパートの話をしに、母のところへ嫁さんと次女を連れて出かけた。

「あなたがいいところというのなら私は安心」と母が私ではなく、嫁さんに言っていた。
嫁さんと母が仲良くてよかったと思う。
「保証金とかは、俺が用意するから」
そういうと「私はあなたの世話になる資格がない。そのお金は用意してあるから心配しないで」と、母の決まり文句が返ってきた。

「俺は十分感謝してる。お返しするのは当然だと思っている」
今までに何度となく言おうと思っていた言葉ではあるが、それを言うとは母が涙を見せるのは決まっており、母の泣く姿を見るのが嫌な私は、結局言えず仕舞いだった。

一通りの説明終えて、まだ遊んでいたいという次女を叱りつつ、帰ることにした。
母が見送る玄関で嫁さんが何かを手渡した。
「まあ。いつも気を使わせてごめんね。ありがとう」

そうか。
今日は母の日だったか。

私は母に特別なプレゼントは何もできなかったが、引越ししてきたら、子どもをつれてちょくちょく顔を出してやろうと思う。

きっと母は喜ぶだろうから。

2006年5月16日(火) 役を忘れるとき

普段、客先で打ち合わせをするときは客先の若い社員が議事録を取っているので、私自身はその写しをメールで受け取っているだけだが、学校や地域の役員会に出席するときは、パソコンを持ち込んで自分で記録をとっている。
でも、もし、一度でもその会議の記録を一度でも見せていただいたことがあれば、パソコンを持ち込むことはなかった。

自治会にしても、子ども会にしても、小学校にしても「会議の記録を見せてください」というと「そんなものはない」と答えが返ってきた。
記録を残していない、あるいは残していたとしても参加者でさえ閲覧できないようになっているのだろう。

何度も日記に書いているが、そういう記録がなかったために、せっかくお母さん方が努力して熟慮して勇気を持って提案したことでも、うやむやのうちに葬り去られていたのが、かつての自治会だ。
だから、私はそれをきっかけに、すべてを記録することにしたのだ。
どこへ行くにも、記録がないといわれれば、パソコンを持ち込み、会議の内容を記録している。

その姿は、異様なものかもしれない。
事実、校区長は始めてみた私のその姿に警戒心を抱いたそうだ。
しかし、私にはそれも目的だった。

 適当な会議なんかしやがったら承知しない。
 その場しのぎの姑息なごまかしは聞かない。
 ここすべて記録しているぞ。

そう思わせることも。

私が役を引き受けているのはすべて子どもにかかわることだ。
そして、そこで行われる会議は子どもに影響する会議だ。
美辞麗句の適当なことを言われては困る。

昨日、校区長と飲み屋で今度のイチゴ狩りのスケジュールについて最終確認をした。
そのときに、警戒心を抱いたという話を聞かされた。
以前、同じように会議にパソコンを持ち込みんだ人物がいて、その記録をWebで公開してしまったことがあり、たいそう困った、という話だった。
思っていた通りでうれしかった。

私も、会議の記録をWebで公開している。
といっても、さしさわりのない内容で、後で読み返して、仕事を円滑に進めるためのものだ。
別に誰かを陥れようとか、槍玉に挙げようとか、糾弾しようとするつもりではない。
そんなことをする暇があったら、子どものために動く。


今日、電車の中で二人の小学生に会った。
どこかで見た顔だと思っていたら、向こうから挨拶してくれた。
もう一人が「だれ?」と私に聞く。
PTA会長と言えばいいのか、子ども会の会長と言えばいいのか、この子が知っているのはどれだろうかと悩んでいたとき、私のことを知っている子が「○○ちゃん(次女)のお父さんやで」と言った。
すると相手も「あ、そうなん!○○のお父さん!?」と答えた。
そうか、それで通じるのか。

子どもたちの前では、役を忘れて「○○のおとうさん」で行こうと思った。

2006年5月17日(水) 市PTA会議にて

市のPTA協議会の予算会議に出席した。
各学校や自治会ごとにも予算会議が行われたが、今年度の予算会議はこれが最後だ。
予算会議というものに出席したことがなかったのだけれども、どこもみな同じように、司会進行役がいて、議長を選出して、拍手で承認して、と、毎年お決まりの流れになっており、ちょっと滑稽な芝居を見ているようだったが、それはそれで面白かった。

来賓には毎度のように市の教育委員会のお偉いさんたちが招かれていた。
市の教育部長は挨拶によほど慣れているのだろうか、役員が全員原稿を棒読みしながら話をする中、一人だけ何も読まずにまっすぐ前を見て、それでいてよどみなく流暢に話をしていた。
私も常にそうありたいと思っているのだが、やはり簡単にはいかない。

しゃんしゃん会議が終わって、親睦会となった。
親睦会の会場は居酒屋ではなく同じビルの最上階にある「料亭」だった。
23校の会長と学校長、協議会役員、それに教育委員会の方々など、総勢70名ほどが大広間に案内された。
前金で6,000円を支払うと、自分の名前の書かれている座席に案内された。
席には一人ひとり膳が用意されており、上品な小料理が並べられていた。
私の向かいに座ったのは小学校の校長先生で、ひとつ置いた隣には中学校の校長先生がいた。

ちなみに、この料金は学校から出される。
私は自分が酒を飲むお金をそういうところから出してもらうのは嫌なので、断ろうと思ったのだが、そんなことをすると、同席する校長先生に迷惑がかかると思ってありがたく受け取ることにした。

この会議に出席している会長さんの中にガンバ大阪の熱心なサポーターがいる。
ホームの試合はもちろん、アウェイであっても応援に行く。
無論、応援席はゴール裏。
私よりも相当年配ではあるが、試合中は立ちっぱなしで叫びっぱなしだそうだ。
日本代表の大黒が海外へ移籍するときは自宅に挨拶に来たというのだから、単なるサポーターの域を超えている。
会議が終わった後は大抵、二次会になるのだが、いつもこの女性と二人でサッカー話で盛り上り、応援歌を歌いながら店を出る。

退屈な市Pの会議だと思っていたが、少しずつ楽しいことも増えてきた。

2006年5月18日(木) ビジネスホテル

東京への出張はほとんどが日帰りだが、今日は宿泊だ。

急な出張だったのでほとんどのホテルが予約できず、唯一見つけることのできたホテルが今夜の宿だ。
場所は地下鉄大江戸線、森下駅の近く。
いわゆるビジネスホテルだ。

ホテルのフロントにはジーンズ姿のおじさんがいて面食らった。
料金だけはいっちょ前のくせに設備も応対も悪い悪い。
私のほうがよっぽどうまく接客できるだろう。
部屋も狭いし、風呂場も小さい。

お金もあまりないことだし、明日は朝から会議なので、夕食にラーメンを食べた後、コンビニで酒を買おうかと思ったが、近くにコンビにはないし、ようやく見つけたコンビニにはお酒を置いていない。
ようやく見つけたコンビニで酒を買ったが、カードも使えない。

まったくやれやれだ。
というわけで、安酒飲んで早速寝ることにした。

2006年5月19日(金) 「きのまえ」と「ごあさって」

我が家の次女が話す言葉に、時折、爆笑してしまいそうになることがあるが、そのときの本人はいたって真剣なので、笑ってしまって傷つけてはまずいので、ぐっとこらえることが多い。

「それいつのこと?」と次女が聞いた。
「おとといのこと」と私が答えると、「おとといって?」と聞く。
ああ、まだ「おととい」がわからなかったか、と思って、「きのうのきのう」と教えてやると、「あ、『きのまえ』のことか」という。

「きのまえ?」私が聞きなおすと「きのうの前だから『きのまえ』でしょ」という。
そういえば、次女は時折「きのまえなー○○ちゃんが・・」と話をしていたことがあったが、それは「きのう」とか「この前」とかがごっちゃになり、時間的な感覚など意識せずに使っているのだろうと思っていた。
しかし、次女は「きのまえ」という言葉を「おととい」のつもりで確固たる自信を持って使っていたのだ。

「過去」だけではなく、「未来」に対しても同じような言葉を持っている。

我々は「あさって」「しあさって」あたりまでが限界だが、次女はさらにもう一日先を表現する言葉を持っており、それを「しあさっての次の日」として的確に使用している。
それが「ごあさって」である。
次女は指折り数えながらこういう。
「きょう、あした、あさって、しあさって、ごあさって」

どちらの言葉も次女の解釈では理屈が通っており、本人は誤りだとは思っていない。
むしろ、そう言わない私たちのほうこそ間違っているのだといわんばかりに、自信たっぷりに説明し、堂々と使っている。

そのうち気がつくことだし、今はまだ訂正しないでおこうと思う。
それに、子どもが間違えて覚えている単語はかわいいものであり、大きくなった今でも「お前はあのころこんなふうに話していた」と会話のねたになるものだ。

2006年5月20日(土) イチゴ狩り雨で中止

気合を入れていたイチゴ狩りだが前日からの大雨で、早々に中止の連絡入れた。
子どもたちは残念がっており、特に低学年のいる家庭では子どもたちが泣き出すことさえあったようだ。

ほとんどの行事が成功してきただけに悔しい。
それも雨で中止とは晴れ男の私としては屈辱的でさえある。
イチゴは季節的なものであるし、次回の予約も取れないので雨天は中止にしていた。
仕方あるまい。
また来年だ。

そう思っていたが、イチゴ農家から連絡があり、今年の気温であれば来週もまだ収穫可能だし、予約も入っていないとの言われた。
慌てて各方面の担当者に連絡をし、来週に順延してもいいかどうか確認した。

でも、順延に賛成したのは私の地区だけ。
もともとは校区子ども会の行事として位置づけていたが、急遽、私の地区の子ども会単独の行事に変更し、来週行うことにした。

案内状も再作成してすぐに配布する予定だ。
ただ、来週も、週末は雨らしい。

今度こそ成功するか、それとも連敗か。
晴れ男の名誉挽回といきたいものだ。

2006年5月21日(日) 同じ常識を持ってくれれば楽

土曜日の校区子ども会のイチゴ狩りがなくなったのでこの土日は久しぶりに落ち着けるかと思っていたら、急遽来週に町内の子ども会でイチゴ狩りを催行することになり、そのための調整で大わらわだった。
イチゴ狩りが中止になると、子どもたちは何も行事のないままに7月を迎えることになり、それではあまりにかわいそうなので、ボウリング大会をしようと予約を完了した矢先にイチゴ狩りの話が再浮上したため、ボウリング開催日の変更や、その案内状の作成など、いつもと同じように忙しかった。

無論、地区長たちと手分けして対処に当たるのだが、的確な指示を出さないとみんな戸惑うだけであり、情報が交錯して混乱を招く。
そうならないように考えている最中に、高校の会長から親睦会の参加者確認のメールが届き、小学校から広報のチェック依頼が届く。
仕事をしているときとそっくりだ。

ただ、素人を相手にしていることを痛感する。

懇親会の案内状に「出欠を期日までに連絡してください。連絡のない場合は欠席と判断します」と書いて配布したのに、会長から「連絡のない人にはこちらから連絡をするように」と指示があった。
案内状に但し書きがあるんだから、そこまでする必要があるのか、と嫁さんに聞いたら、「それがPTAだ」といわれた。
先日の自治会でも確かにそうだった。

長年企業の一員として、そして今でも企業とかかわって仕事をしている私にとっては、自分に何かの連絡があった場合、その内容についてなんら意義申し立てや質問をしないのであれば、それは連絡内容のすべてに対して承諾したとみなされるのが当たり前であり、後になって、「そんな連絡は聞いていない」とか、「そんなつもりはない」などと反論することはできないのが、常識である。
だから私もついついその常識を他人に求めてしまう。

今回の土日の忙しさは実はそんなところに真の原因があるように思えてきた。

2006年5月22日(月) 熱中症

週末と打って変わっての晴天。
午前中は特に暑かったようだ。

嫁さんも昼間知り合いと話をしていて、あまりの暑さにボーっとしてきたので、途中からメールにしたそうだ。
私は相変わらずパソコンを前に仕事をしていたので、そんな暑さとは無縁だった。

そんな中、この暑さの影響をもろに食らったのが私の長女だ。

嫁さんが夕方になってバレーボールの練習に出かけると、隣町の子ども会会長が、開口一番「○○ちゃん(長女)、今日、倒れてんて?!」という。
驚いたのは嫁さんだ。
長女が学校で倒れたなんて聞いていない。
長女はいつもどおり家に帰ってきて、嫁さんとも普通に会話しいたが、まったくそんなことは言わなかった。

聞けば、体育の授業が1500メートル走で、走り終わった直後に熱中症で倒れたらしい。
「そんなこと、あの子、一言も言ってなかったわ!」
そりゃ嫁さんも驚くだろう。

家に帰ってどうしてそんな大事なことを言わなかったのか、熱中症は怖いんだぞ、明日から出納を持って行きなさい、などなどお説教を言ったそうだ。

ま、私もその話を聞いたのは帰りの電車を待っているときだったが。
家に帰ると、長女が玄関まで出迎えてくれた。
満面の笑みだ。
きっと私に叱られるのを避けようとして、そう振舞っているのだろう。
本人も十分反省しているだろうし、そのことには触れなかった。

熱中症の対策をもう一度おさらいしておこう。

2006年5月23日(火) いい店発見

今日は久しぶりに外で飲んできた。

昼間はオープンテラスのあるオフィス街のコーヒーショップで、パンも売っており、OLにも人気がある。
コーヒータイムともなれば席を探すのに苦労するほどの賑わいぶりで、あまり落ち着いて静かにコーヒーを飲むといった感じではない。

私はよく知らないがチェーン店のようだ。
最近、店内を改装したらしいことは知っていたが、中に入ったのは今日が初めてだった。
夜の店は昼間とはまるで別物だった。
昼間の雰囲気とは打って変わって物静かなムードだ。
カウンターにはろうそくの明かりが並んでおり、バーテンのバックボードには銘酒がずらりと並んでいる。
左党にはたまらない光景だ。

まずはビールを飲む。
仕事が終わった後のビールは本当にうまい。
このビールがうまいと感じる間は、疲れたと言っていてもまだ大丈夫だ。

目の前のろうそくの灯を見ながら、ゆっくりと酒を飲む。
男であることを実感するときだ。
女性はろうそくや灯や暖炉の炎をみながら、何も会話せずに酒を飲むことができないらしい。
1分と持たないうちに必ず何かを話しかけてくる。

今日は男二人で飲んでいたが、二人ともしゃべるのがすきなのか、結局、1分間黙っているなんてことはなかった。
ただ、自分の思っていることの10分の1も相手に語らず、後は推して知るべしで話が通るのは、男同士だからだろう。

いい店を見つけて得した気分になった。

2006年5月24日(水) 1日1リットル

最近は株価も下がりっぱなしで、もう話題にすらしなくなってしまった。

以前、発泡酒を飲んでいたころがあった。
ビールを買う金がないので発泡酒で我慢していたのだが、だんだん慣れてくるとそれでも十分おいしくなってそのまま飲み続けていた。
私が会社を辞めようと思う少し前のことである。

相変わらず世の中の景気はよくなかった。
景気というのはどれだけお金が動くか、である。
世の中にあるお金の絶対量は変わらないのに、お金が入ってこなくなる。
それはお金を持っている人が出さなくなるからである。
お金を持っている人がお金を使うと、そのお金をもらった人が別のところでお金を使う。こうしてものの動きとは逆方向にどんどんとお金が動く。
お金の動きが盛んになればものの動きも盛んになる。
これが景気がよくなるということである。

ふとそれを思い出した私は発泡酒をビールに変えた。
多少、金銭的に苦しさはあったが、もともとビールは好きだし、そのまま頑張ってビールを飲み続けた。

私の草の根運動が効いたのか景気は徐々に回復していった。

実は最近、「第三のビール」を飲んでいる。
「ビール」といわれれば、はっきり言ってまずいビールである。
でも、即席ラーメンがいわゆるラーメンとは別物の即席ラーメンとして地位を確立したように第三のビールは第三のビールとしておいしい飲み物である。

で、その第三のビールを飲み始めてから、株価が下がった。

これから毎日1リットルのビールを飲むことにした。

2006年5月25日(木) 東西モノレール

最近、東京への仕事には飛行機をよく使う。
大阪は伊丹空港、東京は羽田空港を利用するのだが、空港までの交通機関は大阪・東京ともに、「モノレール」がメインだ。

大阪のモノレールは営業キロ数が世界一長く、ギネスブックにも認定されているそうだ。
一方、東京のモノレールは昭和39年に国内初の旅客用モノレールとして誕生した。
同じモノレールだが乗り心地や車窓の風景がまったく違う。

大阪モノレールは中央環状線と並行しており、その支柱が道路沿いにあるため、足元を無数の車が走っていく。
町の中を走っているとはいえ、オフィス街を通るわけでもなく、時折マンションがあるだけで背の高いビルもほとんどない。
そもそも、モノレールの高架自体がかなり高い位置にあって、低いところでもマンションの7階あたりと同じ目線になる。
中でも新幹線の高架を跨いでいるところは傾斜もきつく、一番前で眺めていると、さながらジェットコースター気分だ。
新幹線の鳥飼基地が一望できるので子どもも喜ぶ。

東京モノレールは海上に作られた羽田空港と都会の浜松町を結んでいるために、それぞれの付近では景観がまるで違う。
羽田を出てからしばらくは整備場や倉庫が点在するもののどちらかというと殺風景な場所を通る。
天王洲アイルを過ぎて浜松町に近づくとだんだんとビルが増えてくる。
背の高いビルが乱立し、その間を縫うように右に左に弧を描きながら進んでいく。
大阪のそれとは違い、見下ろされている圧迫感を感じる。

座席も大阪モノレールが普通の電車と同じであるのに対し、東京モノレールは歪である。
左右の窓際に進行方向を見た座席があり、さらに普通の電車では通路となる車両の中央にも座席がある。
レールを挟んでいるためだろうが、車両の中央は盛り上がっており、当然そこに設けられた座席も一段高くなっている。
座席のクッションも薄く、ほぼ垂直な背面ははっきり言ってすわり心地が悪い。

世界最長の大阪モノレールよりも距離は短いはずなのに、乗っている時間が長く感じられるのはそのせいかもしれない。

ま、どちらのモノレールも料金が高いところは一緒だが。

2006年5月26日(金) 鉢植えと一緒に

朝、電車でユーザ先へ向かう途中、近所の友人に出会った。
友人の勤め先が私のユーザとすぐ近くなので、たまに出会うことがある。

一緒に歩いていると「今日は○○(嫁さん)と飲みに行くって、聞いてるよね?」
と友人が私に聞いた。(ちなみに友人は女性である。)
私がきょとんとしていると、友人の顔には「しまった」と書いてあった。

「あ、いや、今晩、○○と、だれだれと・・・」と知人の名前を挙げていった。
友人は私が怒るとでも思ったのだろうか、申し訳なさそうに言い始めた。
「ああ。そういえば、カレンダーになにか書いてあったような」そう私が言うと少しほっとしたような表情に変わった。

以前、嫁さんが「飲み会」とだけ告げて夕方に出て行ったっきり、どこのどういう店で誰と飲んでいるのかも告げず、何度電話しても携帯電話にも出ず、しかも日付が変わってから帰ってきたことがあり、それを私が咎めると、逆ギレされたことがある。
実は高校の親睦会に行っていたそうだが、何かと出かけていく嫁さんが、どこの誰とどういう集まりで飲むのかなんていちいち把握していられない。
遅くなるなら一言でも連絡を入れてくれないと心配になる。
心配になって電話しても電話に出ない。
ますます心配になる。
メールを送っても返事がない。
心配は募るばかり。
駅の周りを探してみたが見つかるわけもなく、いつ連絡が入ってもいいように家で携帯電話を握って待っていた。
ようやく帰宅した嫁さんにそれを注意すると「いやみでしつこい」と、逆に責められてしまい、「人の気も知らないで」というのはまさにこのことだと思って、少しけんかになったことがある。

そのことをその友人が知っているのだ。
行き先を知らない私が何か聞いていないかと、その友人にメールで問い合わせたからだ。

以来、嫁さんが飲みに行く話になるとその友人は少々過敏に反応する感じがする。

私は嫁さんを束縛する気もないし、家に閉じ込めるつもりもない。
嫁さん自身、そのことにまったく気がつかず、束縛されていると感じていたらしいのは残念なことだが、私はただ、嫁さんの身が心配なのだ。

普段、ポジティブに物事を考えているが、実はそれは悪い状況を想定し、それに対する対応策を考え、それが万端であることがわかって初めてポジティブになれるのだ。
だから安心するためにはまず、不安となることを考えないといけないのだ。

嫁さんが出かけているときでもそうだ。
世間の不幸なニュースを聞くと、きっといつもと同じように何気なく「出かけてくるね」といって出かけたのが最後になっているケースも多い。
そういうことを想像するのだ。
でも出かけている先が小学校とわかっていれば、「仮に交通事故に遭遇するとしてもそれはあの場所とあの場所ぐらいだな」と想像がつき、「そのときはどこの誰から連絡があるな」ということも想像できる。
そして、それが安心につながるのである。

それを奪われたとき、すなわち、行き先もわからず、連絡も取れず、いつまでたっても帰ってこない、そういう時は不安が解消できず、とても辛い。


結局、今日は気の会う友達と隣の駅まで飲みに行くのだという。
場所もわかっているし、あの日以来、嫁さんはちゃんと携帯電話にも出るので、心配はない。
心配がないのなら、どれだけ遅くたっていいのだ。

家に帰る前に、結婚記念日に何もしていないことを思い出し、かわいらしい花の鉢植えをひとつ買って帰った。
そして私は鉢植えと一緒に嫁さんの帰りをいらいらすることもなく笑って待っていた。

2006年5月27日(土) 高校の親睦会

高校の予算総会が開催された。
といっても例のごとく、内容のついてはすでに役員会で前年度を参考に加筆修正したものであり、総会でも「拍手を持って承認」というパターンだ。
小学校、中学校、高校、市PTA協議会、自治会、若干の違いはあるものの、すべて同じであった。

予算総会の後はこれまたどこでも同じだが、たいていは飲み会になる。
高校も同じであり、「副会長の最初の仕事は予算総会後の懇親会の場所決め」と言われ、私が場所を確保し、案内状を作成した。

副会長はもう一人いて、電話で出欠確認を取る係りとメールで確認する係りに分けた。
もちろん私はメールの担当だ。
二人で出欠確認をし、締め切り日に数を合わせて、予約した。

ところが、今日になって人数を確認したところ、数が合わない。
もう一人の副会長から聞いた数を勘違いして私が集計するときに間違えたようだ。
自分でも信じられないような初歩的なミスをしてしまったが、人数の変更をお店も快く引き受けてくれたので、事なきを得た。

懇親会へは、嫁さんも出席した。
前年度の広報担当だったのでその慰労会もかねているのだ。
座る場所はくじ引きで決めたにもかかわらず、嫁さんと向かい合わせになり、周りから冷やかされる羽目になった。
飲み放題だったがさすがにPTAだけあってバカ騒ぎにはならず、お行儀よく飲んでいた。

二次会はお決まりのカラオケ。
子どもを家に残してきた我が家は、次の日のことも考えて嫁さんが先に帰ったが、幹事である私はそうも行かず、付き合うことになった。

カラオケに入ると、先生のテーブルとお母さんのテーブルに別れてしまい、互いに遠慮しているようだった。
まあ、それも仕方あるまい。
しばらく様子を見たが、誰も曲をエントリーする様子がない。
こういうときは、一番若手の私の出番だ。
すぐさまエントリーして得意の歌を披露していると、「実はさっきから歌いたかった」と言って先生が曲をエントリーし始めた。
そうなるとあっちこっちでエントリーが始まり、一気に盛り上がりを見せた。
変なダンスを踊るお母さん、演歌歌手の物まねで歌う先生。
なかなか楽しいメンバーだ。

この高校は先生も父兄もとても元気がある。
特に、卒業生の父兄で構成される後援会が強力で、推進力や活動力に長けている。
それが生徒たちにも影響しており、みんなとても元気だ。

私はこの学校がまた好きになった。

2006年5月28日(日) イチゴ狩り

念願のイチゴ狩りを催行した。
この一週間ほど、週末の天気を気にしたことはなかったように思う。

親睦会でかなり飲んでいたにもかかわらず、朝の5時には目が覚めてしまった。
どこかの軒先に集まった水滴が下に落ちて、何かに当たる「ぽとん」という音が聞こえる。
「深夜から雨だといっていたが、やっぱり降ってしまったか。これは今日も・・」そう心配していると、その雫の音はいつの間にか聞こえなくなった。

布団から這い出して窓を開けて外を見ると、雨は上がっていた。
そのまま降らないことを祈りながらテレビを見て時間をつぶす。
弁当を作るために嫁さんが起きてきたころ、もう一度外を見る。
相変わらずはっきりしない天気だが、地面が乾き始めていた。

よし。今日は晴れる。
そう思って準備を始めた。
そういえば、前日まで参加者が確定していなかったし、何より忙しかったので、班長に配る予定の参加者名簿兼緊急連絡先一覧を作成していなかった。
それを一気に作成し、定刻になって駅に向かった。

大人と子ども、総勢50名。
ちょっとした遠足だ。
「えー。人数が多いので、私が全員を把握することはできません。各班の班長さんは確実にメンバーを把握し、常に人数を確認するようにしてください。保護者の方々にもご協力をお願いします」
そんな挨拶をして、早速駅に入っていく。
「はーい。1班から順番に行きまーす。1班の人ここに並んでー。2班は後に続いてくださーい」
そういったのは1班の班長である嫁さんだった。

事前に切符を子どもに渡し、改札を抜けると、今度はそれを回収し始めた。
さすがに嫁さんは手際がよい。
そのまま子どもを一列に並ばせてホームへ向かっていった。
私は5班のうしろ、最後尾を歩いた。

ホームへ到着すると、嫁さんはホームの最後尾に、1班から順番に並ばせていた。
これは出番がないなと思った。

結局、乗り換えから現地到着までの間、ポイントごとに各班長にメンバーの確認をさせていたのは嫁さんだった。
それも「確認してください」というのではなく、「はーい。1班の人ここに並んでー」と模範を示した。
すると他の班長も同じようにメンバーの確認をするのだ。

到着した駅から歩いてすぐのところに、イチゴ畑があった。
他のグループが畑の半分でイチゴを摘んでいた。
残りの半分が私たちのための畑だ。

農家のおばあさんから説明を受け、それを子どもたちに伝える。
あまり細かい注意をしたくはないので、早速イチゴ狩りを始めさせた。
ワーワー、キャーキャーとみんな楽しそうだ。
前日の雨で下がぬかるんでおり、それが拍車をかけるのだろう。
1時間ほどでお土産用の小さな容器にイチゴをつめ、お昼ご飯はいらないと言い出す子どもがいるぐらいにイチゴを堪能した。
みんなそろって記念写真を撮り、おばあさんにお礼を言ってそこを後にした。

昼飯は川遊びのできる近くの公園で食べた。
川遊びなので少し緊張したが、事故や怪我もなく、子どもたちも存分に遊べたようだ。

子ども会での遠出は初めてなので緊張の連続であったが、班長さんにもいい経験だったと思う。
今後の子ども会活動に自信を持てるようになった一日だった。

2006年5月29日(月) 説明をしろ説明を!

「6月6日に地区懇談会があるので、出席してください」

学校から聞かされたのはそれだけ。
どういうメンバーが出席してどういうことを懇談するのか、その結果どうするのか、私の役割は何なのか、そういう情報が一切ない。
「どういうことをするんですか?」と質問すると、各地区で決めたテーマがあるのでそれについて地域の皆さんと話をするのだという。

そんなことぐらい聞かなくてもわかる。
私が知りたいのは「私が何のためにそこに出席するのか?」だ。

例えば、司会なのかもしれない。
懇談がスムーズに進むように、意見が出ない場合は具体的な例を挙げて、話しやすいようにしなければいけないのかもしれない。
あるいは、対話者かもしれない。
各地区の地域の皆さんが思っていることや感じていることについて耳を傾け、それを学校に持ち帰って役員会や実行委員会で話をする必要があるのかもしれない。
もしかして、地域住民の一人として言いたいことを言えばいいだけのお気楽なものかもしれない。

この懇談の目的も何なのかわからない。
地域として何か目標や共通の意識を持つためのものなのか、広く皆さんの意見を聞いて今後のPTA活動に反映させるためのものなのか。
それによってどういう成果物を期待するのかも変わる。

こういった説明が一切ない。
説明がないのは何も私に対してだけではない。
私はまだ楽だ。
何も知らされていままその場に行ってもきっと、どのような対応もそつなくこなせる。
私より地区懇談会を心配しているのは地区長さんだろう。

地区長さんはくじ引きで決められた人であり、未経験者である。
ある日、学校から言われた。
「例年の通り、地区懇談会を開催しますので、地区長さんはテーマと希望日を決めて学校に提出してください。」

はあ? である。

テーマって何でもいいのか?
学校に関連したものがいいのか?
子どもに関連したものがいいのか?
それとも地域か?家庭か?

希望日って誰の希望日だ?
地区長の希望日か?
参加者の希望日か?
って、そもそも参加者は誰なんだ?
それに懇談の場所はどこなんだ?
その場所の都合もあるんじゃないのか?

何より、周りの人に「地区懇談会って何するの?」と聞かれたらなんて答えればいいんだ?

地区長はそう思っているに違いないと考え、嫁さんに確認をさせた。
案の定、学校からは何も教えられておらず、嫁さんに教えてもらって初めて「?」が消えたそうだ。

学校に、地区長に対してどのように説明したのか、お聞かせいただきたいということを強い語調で訴えるメールを出した。
地区長のことだけじゃない。
何もかもがそうだ。
その場にいる人たちが今から話をする内容を「理解しているもの」として話を進めすぎる。

私を選出するときも、実行委員を選出するときも、何をするのかわからないまま選ばれていた。
そして会議においては、何をポイントに話を聞けばいいのか、今話された内容について何をいつまでにしなければいけないのか、そういうことの説明がほとんどない。
ある会議では、すべてをメモし終わってから、詳細はこのプリントにあります、といわれ、またある会議では、詳細は後ほどプリントでお渡しします、と言われたのでほとんどメモを取らずにいると、タイトルだけが箇条書きされたプリントを渡される。

私のやり方で私の町内の子ども会はこの一年で大きく変わった。
班長さんたちの意識が変わった。
自治会から見られる目が変わった。
校区子ども会での立場が変わった。

今度は小学校だ。

2006年5月30日(火) 引越し業者選定

母が引越しすることになったので、引越し業者の選定をした。
といっても嫁さんがすべてやってくれたのだが。
マンションの賃貸契約も、今日、済ませたところだ。
といっても、ほとんどの手続きは嫁さんがやってくれた。

引越しの業者選定もすべて嫁さんがやってくれた。(感謝)
いくつかある中から手ごろな三社に絞込んだ。
その上で嫁さんは母の家に行き、そこへ1時間ごとに業者を呼んで、実際に引越しの荷物を見せながら見積もりを取ったらしい。

最初にやってきたA社はCMでもおなじみの有名なところであった。
それなりの金額だが、平日の引越しなら3分の2ぐらいの価格まで引き下げると言っていた。
母の部屋の荷物はそれほど多くないと思っていたが、それでも2トントラックでないと運びきれないといっていたそうだ。

次にやってきたのは名前も知らないB社だった。
嫁さんがその業者について話をしようとするのだが、話す前からもう、口元が緩んでいる。
「これがまた、おもしろい人やってん」

 「え? A社が最初にきたんですか?
  そら、失敗やな。あそこは最後に見積もりさせな。
  あそこは他の値段言うたらその価格にあわせよる。
  いくら言うてました?
  はあはあ。それやったら、まだ下げてくれますわ。
  で、トラックは・・2トン!?
  んなもん、これぐらい、1トントラックで十分です。
  何やったら、軽トラでもいけまっせ。
  だいたい、家にある荷物の5分の1はいらんもんですわ。
  引越しはええ機会やから、この際、捨てたほうがよろしい。
  あの、ベランダにあるのはなんですのん・・・はあはあ。
  で、何年使ってません? 3年! 3年!
  3年使わんもんは、もう、一生使いませんで!

  あ、余計なこと話してんと、見積もりせなあきませんな。
  えーと・・・。
  って考えても何も書くことおまへんわ。
  この金額で。
  うちも平日やったらもうちょっと安くしますけど。

  いや、もうねえ、6月は結構、忙しいんですわ。
  なんでかわかります?
  ジューンブライドですわ。ジューンブライド。
  何を好んでこの梅雨のうっとうしいときに
  引越しすんねんっちゅう感じですわ。
  雨の日は濡れるますしね。
  あれね、みなさん、引越し屋に頼んだら雨でも濡れない
  と思ってはるみたいですけど、違いまっせ。
  はっきり言っておきます。濡れます。
  そら、素人さんがやるよりは上手にやらしてもらいますけど
  んなもん、雨、降ってまんねんで。
  濡れるに決まってまんがな。
  あ、でも、布団だけは大丈夫でっせ。
  うちの布団袋に入れてもろたら、2〜3時間雨の中に
  置いてても大丈夫です。
  あ、あんまり大きい声でいえまへんけど、A社のは濡れまっせ。
  あれ、丈夫なんですけど、雨には弱いんですわ。」

結局、1時間ほどの話の中で、見積もりの話をしたのは5分ほど。
ほとんどが雑談だったそうだ。

言うまでもなく、嫁さんはここに決め、それをB社に連絡した。
女性が電話に出て「はい。では社長に代わります」という。
さっきやってきた男性は社長だったらしい。
社長は電話に出て開口一番、ジョークで答えた。
「はいはい。
 なんか不吉な電話がかかってくる予感がしてましてんけど、当たりましたな」

2006年5月31日(水) ドイツ戦

3回以上優勝している国はブラジルとイタリア、そしてドイツだ。
ブラジルの5回はダントツとしても、3回というのはすごい数字なのだ。

そのドイツ戦が、日本時間の今朝早く、完全アウェーで開催された。

もちろん15分前には目覚ましもなしで起床していた。
我ながら本当に感心する。
特別早く寝たわけではなく、睡眠時間は4時間ほどなのに、だ。

すぐにテレビをつける。
布団から這い出し、徐々にハイテンションにしていく。
ただ、朝早いし、近所迷惑なので大きな声はださない。
代表戦のときは隣の隣の隣の人にも私の声援は届いているらしいから気をつけなくては。

枕を抱えて体を揺らしながらキックオフのときを待つ。
「こうやって何人がテレビの前で待っているのだろうか」などと考えながら。

そしてキックオフの時間がやってきた。
5時より少し前。
「さーいくぞー」
思わず声を出してしまい、そして思わず手を二度三度、パンパンと打ち鳴らす。
布団の上にもう一度座りなおして、前のめりになりながらテレビを見る。
時にこぶしを握り締め、時には枕をたたき、そして「あーあ」とため息をつく。

おされ気味のゲームにハラハラしながら前半戦を終えて、お腹がすいていることに気がつき、朝食の用意をする。
前半戦を振り返りながら、「このあたりはもう少しゆっくりボール回しをして、前にあがるのを待ってから出してもええよな」などと独り言を言いながら朝食を食べる。
代表戦のときはいつも「監督」だ。

後半が始まり、日本のリズムになってきた。
そして念願の先取点。
「やったーー!」
思わず声を出してしまった。
あのドイツ相手に先取点だ。
前回対戦したときは3−0で完封されたのだ。
それなのに先取点だ。

体が自然に左右に揺れてくる。
握りこぶしを固める。
自分に気合を入れる。

そして2点目。
「やっ・・・・」
声を押し殺した。
押し殺して枕をバンバンと叩いた。
ドイツの監督の顔、「信じられない」という表情は最高だった。

その後、追いつかれはしたものの、とても成果のある試合だった。
次はマルタだ。

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