カリント日記

バックナンバー

[先月] [目次] [来月] [最新版] [トップ]

2006年6月1日(木) 夫婦の会話

嫁さんとの会話はいつもの日課である。
夜遅く帰ったときでも2時間程度は話をする。

私が仕事先での出来事を話し、嫁さんが子どもたちのことを話す。
自分の思って言ることや感じていることも交えて、互いの一日を報告しあう。
どんなことで大笑いしたのか、どんなことを悲しく思ったのか、どんなことに怒りを覚えたのか。
そうやって相手がどんな一日を過ごしたのかを聞く。

いつごろからこうなったのかはっきり覚えていない。
長男が幼稚園のころにはもう、そういう会話をすることが当たり前になっていたから、結婚してからそうだったのかもしれない。

周りの人に聞くと、夫婦二人だけで会話することなんてほとんどないらしい。
二人でいるのに、テレビの音や新聞をめくる音だけが二人の間に存在しているらしい。

なぜ、話をしないのだろう。

「仕事のことを嫁さんに話してもわかってもらえないだろう」といわれたことがある。
でもそれは、話をして説明しないからわからないのであって、ちゃんと話すればわかるはずだ。
逆に奥さんの一日だって「どうせ主人に言っても興味がないから」と思って話していなければ、ご主人が興味を持つはずもない。

同じ知識は共有できなくても、同じ気持ちを共有することはできるはずだ。
そうすれば互いに励ましあうこともできるし、互いに注意しあうこともできる。
相手のことがわかるし、よりいっそう理解しあえる。
きっと付き合い始めたころはどこの夫婦でももっと会話があって、もっと笑うことが多かったはずなのに。

私は一日一回、嫁さんの話で大笑いしている。

2006年6月2日(金) 小学校懇親会

今日は先週に引き続き、懇親会だった。
今度は小学校の先生と新旧役員がメンバーだ。
しかしまあ、先生や役員の付き合いも基本は酒なのか。
ちなみに今月は後2回、懇親会がある。

懇親会に出席するにあたって初めて知ったことがある。
それは私が他の役員から「怖い」と思われていたことだ。
懇親会出席前に嫁さんから「今日、副会長の○○さんと話をしたけど、会長は怖いと思われてるみたいよ。『そんなことないよ。面白い人で家ではよくしゃべってる』と言ったら『会議のときはあまり話をしない』っていうから『会長があんまりべらべらしゃべると言葉の重みがなくなるでしょ』って言っておいたから」と聞かされた。

まあ、確かにそうだ。
気の知れた班長さんたちと参加する会議以外、あまり口を開かない。
学生のころからそうだ。
言葉は悪いが「一撃必殺」の発言を心がけている。

ところが、酒が入るところっと変わって饒舌になる。
特にそんな話を聞いて出席した懇親会だ。
正面と横に座った副会長相手にしゃべり、反対側に座った校長にしゃべり、斜め向かいの旧役員としゃべる。

お酒を飲んでの会話には波があって、例えば今回の場合、乾杯した直後は修学旅行のことや学校行事のことなど、お互いに関連した話になるが、少しお酒が回ってくると、まったく関係のない話題になる。
アボガドの食べ方とか旅行したときの話とか。
そしてもっと酒が入ったあたりで、本当に心に思っていることを話し合うようになる。
役員とは、委員会とは、学校とは、そして大人とは。

子どもを育てることに熱心にならない大人の話になったときとき私が「そいつは何のために生まれてきたのか」というと、「これまた極論やな」と一笑された。
また「私は一年で役員を終えるつもりはない。抽選で選ばれ、嵐が吹きすぎるのを身をかがめて待っているような人たちとは違う」というと、「熱い人ですな」と冷やかされた。

人間は何のために生まれてきたのか。
親として子どもに何をすべきなのか。

そういうことを常日頃から考えている私にとって、それは極論でもなければ熱い話でもなく、ごく当たり前のことなのだが、残念ながらそう思っている親はほとんどいないようだ。
役員会が楽しいから役員になったという人がいる。
楽しくなければ例え子どものためであってもやらないということか。

懇親会では私が饒舌で時には冗談も言い、時には失敗もするということをわかってはもらえたようだが、改めて温度差を感じてしまった。
ただ、少なくともそういうことがお互いにわかったのだから、これからはそれをどううまく進めるかに専念すれば言い。

お互い「大人」なんだから、うまくできるに決まっている。
そうだろ?

2006年6月3日(土) 広報での挨拶

気がつけば学校関連の仕事が何もない土曜日は月に一度しかなく、今日はその貴重な土曜日だった。
しかし、前日の二次会のカラオケで最後に清算したのかどうかの記憶も定かでないほどに酔っていた私は、昼近くになってもまだゴロゴロしていた。

長女が宿泊学習で前日から出かけているため、どこかへ行く予定もしていなかったことがゴロゴロに拍車をかけた。
嫁さんも朝から友達と買い物に出かけてしまっているし、暇だ暇だとまとわりつく小学校一年の次女を怪獣ごっこでなんとかごまかしつつ、昼を迎えたころ、布団から這い出した。
怪獣ごっこで次女にたたかれ、赤くなってしまった脂肪が目立つお腹をさすりながら、いつもの仕事の席につく。

パソコンでメールをチェックすると小学校の広報委員から各学期ごとに発行する学校新聞の原稿を書いてほしいと連絡があった。
「会長の挨拶を200文字で書いてください」とある。
200文字。少なすぎる。

普通に挨拶を書くだけなら200文字でも十分だが、そんな挨拶を読み手が、面白いと思うはずがない。
無関心になられる文章を書くくらいなら、怒らせる文章を書くほうがよっぽどましだ。

いくつかの文章を書き始めては消し、書き始めては消しを繰り返した。
そしてようやく、挨拶を書いた。
それはこの日記のことだった。

自分が日記を書いていること、日記を読み返すとそのときのことがよく思い出されること、あのころの気持ちや考えが現在の自分に何かをもたらし、時に励まされること、そして続けることは苦しいけれど得られるものは大きいということ。

規定文字数を少し超えてしまったので、広報さんも大変かもしれないが次回からは、依頼される文字数が増えているだろう。
それとも二度と原稿の依頼が来ないかな。

2006年6月4日(日) 太鼓演舞の準備は

目を覚ますと嫁さんがいない。
あれ?今日はどこかへ出かける予定だったっけ?
そう思ってカレンダーを見る。

トイレにかけてあるカレンダーには家族全員のスケジュールが色分けして記入されている。
次女のそろばん、長女のスイミング、長男の模擬試験、嫁さんのバウンドテニス、私の会議などなど。
でも、今日のところにあるのは私の「仕事」という文字だけ。
今日はユーザ先で作業があるのだ。
しかしそれ以外は何も書いていない。

一所懸命に記憶をたどる。
昨夜何かを話したか、そのために何か準備をしていたか。
でも何も浮かんでこないまま、11時を過ぎたころ、嫁さんが帰ってきた。
どこへ行っていたのかとたずねると「何いうてるの。今日は太鼓の演舞がある日でしょ」という。

おお、そうだった。
校区子ども会の会長が以前から子どもたちに太鼓をたたかせたいと言っていたし、前日ゴロゴロしているときに校区の会長から電話もかかってきた。

校区の会長から以前より子どもたちに太鼓をたたかせたいという話は聞いていたが、まったく具体的な方法を考えている様子はなく、「まず、どうするんですか?」と聞いても返事がなかった。
そこで「まずは子どもたちに『おれもたたきたい』と思わせるような演舞を見せる必要がありますよ」とアドバイスした。
でも、それっきりだった。
それっきり何の相談もなかった。

ある日、家に一枚の案内状が地区長から配られてきた。
「至急」と赤い文字で書かれていた。
「至急 太鼓演舞見学会のお知らせ」とあった。
月曜日に配られたそれは、日曜日、つまり今日、開催される太鼓の演舞のお知らせだった。
段取りが悪い。
一ヶ月以上前から話をしていたのだから、もっと早く準備して人を集めることもできただろうに。

昨日の電話にも閉口した。
「明日、体操服で参加させるようにしてください」という。
そんなことが書いてあったかと思って配布された紙を読み返したが、どこにもそんな文言は書いていない。
「会長。『今日言って明日』っていうのは無理ですよ。体操服を学校から持って帰ってきていない子どもだっているのに。洗濯しているかもしれないし」
私が参加するまでの校区子ども会は万事がこうだったようだ。

さらに続けた。
「それに体操服なんて要りません。相手は大人じゃなく子どもです。子どもは普段から動きやすい服装なんですよ。第一、この案内状に『体験』って書いてあるでしょ。それで判断してもらえばいいじゃないですか」
そういってようやく納得した様子だった。

「ところで明日、参加できるかな?」と、そのときになってようやく私のスケジュールを尋ねたが、仕事の予定のあることを告げ、欠席することを了承してもらった。
その話を聞いていた嫁さんが、代わりに出席してくれたというわけだった。

校区の会長にやる気のあることはわかるのだが、空回りしてるんじゃないだろうか。
もう少し、冷静に対処しないと、地区長たちが振舞わされるばかりだ。

ま、私も人のことは言えないか。

2006年6月5日(月) ザ・スコッチ

この店のカウンターで酒を飲むのは2回目だ。

前回の会計のときに割引券をもらったので、今日はウィスキー全品300円なのがうれしい。
300円割引の対象ではないとはいえ、最初はビール。
愛想のいいバーテンにビールを注文する。

やっぱり家で飲むよりもうまい。
泡のせいか、グラスのせいか、それとも照明のせいか。

しばらくして待ち合わせの野郎がやってきた。
やっぱりビールを注文する。

ビールを飲み干した後、カウンターを見回して物色すると、見つけたのは「バランタイン17年」、「ザ・スコッチ」である。
これが300円で飲めるウィスキーリストに含まれているのか、バーテンに恐る恐る聞いてみた。

「あの、あれ」と指を指しながら「バランタインの17年、割引券があるんですが、あれも飲めますか?」そう聞くと、愛想のいいバーテンは「ええ。大丈夫ですよ」と答えが返ってきた。
「じゃあ、それ。ロックで」。

テーブルの上に鎮座している冷たいグラスを見つめ、自分にお預けを課すが、数秒のうちに、禁は破られる。
この琥珀色の飲み物というやつに食指を動かさずにおれないのは、酒飲みの証か。

いわゆるシングルサイズで、舐めるようにして飲まなければ、あっという間になくなってしまいそうなそれを、口に含んで、のどへ、そして食道へと運ぶ。
胃に流れ込むまでその存在を確認できる。
深呼吸すると芳醇な香りが鼻腔に広がる。

おいしい酒は深い余韻を残すので、飲んだ後の会話が楽しい。
会話をしているだけで、余韻がしばらく続く。
とげとげしさがなく、体の奥底に染み渡っていくような感覚だ。

しばらくしてウエイトレスが持ってきたウィスキーのリストを見てびっくりした。
通常ならこのワンショットで900円もするらしい。

900円か。
うーん。
この味なら納得もできるが、それでも店で飲むのは遠慮しそうだ。

でも、家で飲むと一週間で飲み干してしまうに違いない。

2006年6月6日(火) 地区懇談会

今日は地区懇談会が開催された。

地区懇談会は小学校校区の8地区で開催される懇談会である。
通常の懇談会が学校で開催されて、クラスごとに保護者が集まって先生と話し合いをするのに対して、地区懇談会は各地域の保護者が集まり、そこへ先生やPTA役員が赴くことによって、通常の懇談会では話題になりにくいことについて話しあう。
例えば、集団登校についてとか、家庭での躾についてとか、である。
(という主旨であるということを今日、初めて校長先生から聞かされた)

話し合いにも目的があるはずで、単に他の人の意見を聞くだけなのか、それとも何か結論を出す必要があるのか。
実はそのあたりが曖昧であるため、人を集める担当の班長さんたちは、自分自身がこの地区懇談会の目的を理解していないのに、どうやって第三者に地区懇談会への参加を呼びかければいいのか、悩んだらしい。
他の地区はいざ知らず、私の地区は「地区懇談会があるので参加してください。何をするのかは知りません」などと無責任に人を集めるような地区長さんや班長さんたちではないからだ。
結局、集まったメンバーは何かと行動的な、顔なじみばかり10名ほどに、加えて、校長先生と2名の教師、それにPTA本部役員として私となった。

今回の地区懇談会のテーマは「子どもの叱り方について」だった。

事前に配布された資料には「地区懇談会進行」と「子どもの叱り方 あなたはどのタイプ?」と記載されていた。
この資料は私が用意したものではなく、地区長と副地区長が相談して作成したものらしい。
ちゃんとパソコンで作成した見やすい資料だった。

それは意外だった。
去年の資料があれば、そういうことができるのもうなづけるが、何もない手探りの状態から、懇談会をスムーズに進められる資料を用意してくれているとは思ってもいなかった。
私は念のために進行用の資料とテーマに沿った討議用の資料を別に用意しておいたが、要らぬ心配であった。

段取りのいい地区長と、進行のうまい副地区長と、そして活発に意見を言う班長のおかげでいろいろな意見が聞けた。

私の嫁さんも質問をした。
「子どもが、何度叱っても言うことを聞かないときはどうすればいいんでしょうかねえ」
少しみんなの様子をうかがったが特に意見がなさそうなので私が発言した。

「何度でも叱ればいいと思います。
 その結果、例え子どもに嫌われることになっても。
 もしかしたら、あなたが叱ることをやめることで、子どもはもっと悪いほう行くかもしれない。
 それをあなたが叱ることによって食い止めることができているとすれば、叱る意味がある。
 子どもを愛して、子どものために叱っているのであれば、例え子どもに嫌われようが、何度でも子どもを叱る。
 それをするのが親の役目なんですから。」

嫁さんも大きくうなづいていた。
中には泣いている人もいた。

叱り方にはいくつものパターンがある。
10人いれば10種類の叱り方があるし、同じ家庭でも兄弟によって叱り方は違う。
母親の役目、父親の役目があるし、感情的になるときも冷静になるときもある。
とことん説得する人もいれば、場合によっては手を上げる人もいる。

どんなやり方でもいい。
そこに子どもに対する愛があれば。

2006年6月7日(水) 市P協議会にて

市のPTA協議会へ出席は今日で3回目だが、「会長会」と呼ばれる、会長だけが集まる会議は今回が第一回目だ。
今まではスーツ姿の男性が多かったが、今日はみんなラフな格好をしている。
テーブルが長方形に並べられ、対話式になっているので話し合いもしやすい。
やはり会議はこうでなくては。

お決まりの挨拶だが、今日は教育委員会も出席しておらず、会長会の会長(ややこしい)もリラックスして挨拶しているのがわかる。
その後に自己紹介。
そういえば、市PTA協議会での挨拶は初めてか。

私の向かいに座っているのは場所も知らない中学校の会長さんで、熱狂的なガンバのサポーターの女性、通称「ガンバのおばちゃん」。
今日もW杯仕様のTシャツを着ていて、ひときわ華やかだ。
自己紹介をするときは同じサッカーファンの私の顔をみながら「えー。W杯が近づいてきて・・・ここでこういうことをしている気分ではないのですが・・」と切り出した。
「なあ」と声には出さないが、口の動きで私に同意を求めているのがわかった。
思わずにやり。

順々に自己紹介が進み私の番になる。
まあ、ここは普通に流しておくか、と話を始めようとしたとたん「ジャララーーンラ、ジャララーーン」とけたたましい音楽が鳴った。
携帯電話の着信音であるが、その曲ですぐに誰であるか気がついた。
サポーターなら誰でも知っている曲であった。
「す、すみませーーん」と笑いながら慌てて携帯電話の電源を切ろうとするガンバのおばちゃんであるが、なかなか切れない。
この機を逃す手はない。
「ごほん」と大きく咳払いをする。曲が鳴り止む。少し間をおく。一瞬静かになったところで、「えーと。もう気が済みましたか?」。緊張気味だった会場が少しリラックスする。
とりあえず笑いをとれば今日の仕事は半分終わったようなもの。
後は簡単に私の意気込みを紹介した。

全体の会長会の後に、小学校部会と中学校部会に分かれて話し合いが始まった。
小学校部会の部会長さんは小学校PTA会長の中から選出された人だが、この人がなかなか話し上手であり、聞いていて気持ちがいい。
私も弁舌さわやかであると自負しているが、この人はさらにうまい。

部会でのテーマは、いかにして子どもの安全を確保するか、であった。
子どもの安全確保にはさまざまな仕組みがとられて入るものの、本当にそれが機能しているのかどうか疑問を感じることが多く、それはやはりどこの地区の会長も感じていたことのようだ。
ネットワーク配信システム、地域住民による登下校時の見張り、PTAによる巡回パトロール。
どれも、運営が中途半端であったり、参加者が少なかったりと、地域ごとに悩みを持っているようだった。

私の小学校でも例外ではなく、地域住民による登下校時の見張りなど、皆無に等しい。
早速、次の役員会で検討すべく、資料作成に取り掛かった。

W杯が始まってもいないのに夜更かしだ。

2006年6月8日(木) 本当のワールド

「でも野球ほど怪我はしないだろ?」

あのぶつかり合いを見てもそう思うのだろうか。
ニュースを見ているだけでも、その激しさは分かるはずなのに。

「でもルールが難しくてわからない」

球技の中でこれほど簡単なスポーツは無い。
ためしに子どもにボールを渡せばいい。
なんのボール遊びを知らない子どもでもボールを蹴り始める。

「でも騒いでいるのは若者だけ」

それが嘘なのは明日になればわかる。

たった一種類の競技でこれほど大規模で、これほど人気があり、これほど待ち望まれているスポーツはサッカーを置いてほかに無い。

ワールドカップ。
その一言でこの大会のことを示すことができるのはまさに、全世界から参加するこのサッカーのワールドカップを置いてほかに無い。

悪いがバレーボールや野球はワールドではない。
サッカーは、小さい頃から親に道具を与えてもらって、設備の整った私立の学校で練習ができて、そうやってプロになった人が多くを占めるスポーツとは違う。
あのメジャーリーガーだって、小さい頃から十分な道具と時間を与えられ、リトルリーグで鍛えられ、名門の私立高校に通い、そして今がある。

サッカーの世界最高レベルの選手の中には、幼少の頃、貧しくて裸足でボール(もちろん靴下に布切れをつめたもの)を追い掛け回していたものが何人もいる。
王様ペレ。
ペレとはまさしく「裸足のサッカー」から来た言葉だ。

貧しくて靴も履けないような子どもでも、ボロボロの布キレを丸めて蹴飛ばせばできる。
弾丸の痕が廃墟と化したビルに生々しく残るような場所で、あるいは、石ころがごろごろしているような不毛の地で、あるいは、家の横の路地で、そこに人がいて蹴飛ばせるものがあればできる。

それが本当に全世界でできるスポーツ、サッカーだ。

2006年6月9日(金) 本日開幕

18時30分開始の中学校役員会のときからすでに心ここにあらずだった。
いつもは承服しかねる他の役員の意見も今は笑って聞き入れることができる。
なんたって今日は待ちに待った開幕日なのだ。

21時に会議が終わると試合開始は午前1時からだというのに、飛んで帰ってコンビニでビールとウィスキーのボトルを買い込む。
試合を見ながら飲むビールは格別にうまいのだ。

「そろそろ特番が始まるころだから」と、子どもからチャンネル権を剥奪する。
とは言っても、以前から言っていることであり、試合のある日は、私にテレビチャンネルの全権が与えられる唯一の日なのだ。
それに、次女はともかく家族も一緒に見ており、日本戦ともなればテレビの前でワーワーキャーキャーと騒ぐ。

私が夢中になり始めたのは82年のスペイン大会のときからだ。
期末テストの試験勉強のため、深夜に起きていてテレビ放送を見たのがきっかけだ。
そのとき私の目を釘付けにしたのが「ソクラテス」「トニーニョ・セレーゾ」「ファルカン」そして「ジーコ」による「黄金のカルテット」であった。

今では当たり前のように使われるヒールパスも、このころはほとんど目にすることがなく、素人の私でもブラジルの、とりわけこのカルテットが、何気なくやるそれを見たときは、鳥肌の立つ思いをした。
もはや勉強どころではない。

あの背の低い選手はすごいな。
うわー。すっげー。あんな蹴り方できるのかあ。
わっわっわっ!飛んだ!げぇっ!入った!すっげーーー!
なんて名前だ?うん?「Z・I・C・O?」
ジーコか。へー。
それ以来、私はジーコのファンになった。

そのブラジルも、イタリアのラッキーボーイ「ロッシ」(今でもこの名前は忘れない)のハットトリックで負け、結局得点王となったロッシのおかげでイタリアが優勝した。

あれから24年。
86年メキシコ大会のマラドーナ、90年イタリア大会の退屈なバックパスの応酬がきっかけでキーパーはバックパスを手で扱えなくなった。
そして、日本は「悲劇」によってつかみかけた出場の切符を逃した94年アメリカ大会。
この大会の決勝戦、PKでバッジオの蹴ったボールがゴールの枠を外れた瞬間を、ジーコのスーパーボレーと同じほど強烈に覚えている。
続く「歓喜」の後の98年フランス大会。
ジャマイカ戦でゴンは試合中に足を骨折したのにそのまま試合に出続けた。
02年コリアジャパンは記憶に新しい。
そして、今回。

どんな記憶に残る大会なのか、楽しみで楽しみで仕方がない。

2006年6月10日(土) 問題点を探ろう

朝から小学校の役員会議である。
思いっきり寝不足の上に昨日は飲みすぎた。

私が役員会に出席するのは久しぶりだが、他の役員さんたちは平日の昼間に学校へ来ていろいろと話をしているようだ。
その中に、若いお母さんでとてもやる気のある人がいる。
私と同じようになんにでも疑問を持ち、どうしてそれがうまくできないのか、なぜそんなルールになっているのか、納得できないことにはとことん話を聞く。
こういう人が今までいなかったのだろうかと思う。
私の心強い味方だ。

今日は秋に開催されるお祭りのことについての打ち合わせがメインだった。
今までの問題点をいろいろ聞いていると、案の定、何事も経験者の感覚で進めているために、初心者の方々の戸惑いを払拭できないまま話が進み、後になって後悔しているということがわかった。
その後悔も、自分の任期を終えれば後は野となれ山となれ。
それの積み重ねで、いつまでたっても委員さんのみんなに「大変な行事」という感覚が染み付いてしまったようだ。
それほど大変そうには思えないのだが、役員も先生も「早く決めないと後が大変」とばかりにあせっている。
まずは冷静に何がネックになるのかを分析する必要がありそうだ。

そして今日も試合のある日。
わくわくしながら家に帰る。
帰り道に咲いていたアジサイがきれいだった。


2006年6月11日(日) ぬるい

次女がなぞなぞを出せというので出してやった。

「『りんりんりんりんりん』。さてこの食べ物は何でしょう?」
「りんご!」
「正解!」
「じゃ次!」

「・・・。『いちいちいちいちいち』。さてこの食べ物は何でしょう?」
「いちご!・・・ってさっきと一緒やん! もっと難しいの!」
難しいリクエストである。

「『はし』は、『はし』でも、穴を掘るための『はし』は何でしょう?」
「えー?『はし』は『はし』でも・・?・・・わからん」
「正解は『つるはし』でしたー」
「そんなん、難しすぎるー」

注文の多いやつだ。
「じゃあ、どんな問題を出せばいいの?」
と聞くと、「普通の」という。

次女にとっての普通がどういうものかわからない私はもう一度尋ねた。
「普通ってどういうの?」

「うーん。熱さで言えば『ぬるい』の」

いや、熱さを聞いたわけではなくて、どういう問題を出せばいいのか聞きたかったのだが、それはきっと私の尋ね方が悪かったのだろう。
「ぬるいの」といわれて笑い転げる私を「何がおかしいの?」と真剣に問いただす次女がかわいらしくてまた笑い出してしまった。

あと何年、そうやって私を和ませてくれるだろうか。
大きくなってほしいような、ほしくないような。

2006年6月12日(月) 奇跡を信じて

ペナルティキック。いわゆるPK。
ペナルティエリア内でファールをした場合は相手側にPKを与えることになる。
PKは、ボールの速度や軌道、キーパーの反射神経などを考慮して単純に物理的な計算をすると、必ず入ることになるらしい。
それだけにPKをとめることは至難の業である。

去年の夏に開催されたアジアカップ。
われらが代表は重慶でヨルダンを迎え撃った。
試合は90分を終えて1−1のまま。
さらに30分の延長戦でも決着がつかず、PK戦へともつれ込んだ。

PKは敵と味方が交互に蹴る。
先攻は日本だ。
日本の1人目。
難なく決めるはずのPKだったが、キックの瞬間、軸足の芝がずれてしまい、バランスを崩しながらそのまま蹴ったボールは枠の外へ。
続く2人目も同じように軸足の芝がずれ、バランスを崩してしまった。
日本ではAマッチの行われる競技場でそんなことは起こりえないが、海外ではたまに起きる。
まして、中国ならなおさらだ。

日本が2人はずしたのに対して相手は2人とも決めている。
PKは5人が蹴って、決着がつかなければ、以降、6人目、7人目・・とサドンデスになる。
つまり、日本が2人失敗している以上、残りの3人がすべてゴールを決めても、相手は2人決めているので、残り3人のうち2人が決めれば、相手の勝ちとなってしまう。

日本が3人目にしてようやくPKを決めた。
しかし、直後に相手も3人目がPKを決める。
これで相手がもう一人決めてしまえば、相手の勝ちだ。
日本が勝つためには、日本は残りのすべてのPKを決め、逆に相手の2本のPKをすべてとめサドンデスに持ち込まなければならない。

日本の4人目が決めた。
そしてヨルダンの4人目。
絶対にとめなければならないPK。
相手がボール蹴ると同時にキーパーが真横に跳び、左手一本でパンチング。
ボールは軌道を変えてゴールの枠の外へはじかれた。

続いて日本の5人目が決めた。
ここまで決めたPKの数は、日本が3本、ヨルダンも3本。
しかし、まだヨルダンには最後のキッカーが残っている。
日本が勝利するためには、まず、このPKをとめ、次に日本が決め、そしてさらに相手のPKをとめなければならない。

ヨルダン5人目。
決めれば決勝進出の重圧がのしかかる。
助走をつけて勢いよく蹴ったボールは枠の外へ。
これがPKの怖さだ。

サドンデスになり、日本の6人目がボールを蹴る。
これを決めれば気が楽になる。
先攻はゴールを決めれば、とりあえず、すぐに負けになることはない。
相手がはずせばこちらの勝ちだし、相手が決めても、もう一度仕切りなおしだ。
しかし、はずせば一気に形勢が逆転する。

日本の6人目の蹴ったボールは相手のキーパーに読まれ、はじかれてしまった。
これで3度目のピンチを迎えることになった。
ヨルダンの6人目が決めれば、日本が負ける。

相手は助走をつけゴールの右上を狙った。
勢いのあるボールは無情にもゴールに吸い込まれた。
一瞬そう思った。
そう思ってしまうぐらいの軌道を描いたボールが、横っ飛びになって精一杯に腕を伸ばすキーパーの指先に触れ、わずかに軌道を変えて、ゴールのバーに当たって跳ね返ってきた。

まさに鬼神のようなキーパーである。
どんなボールも彼の後ろにあるネットを揺らすことができないように思えた。
オーラがあるというのはこういうことを言うのだろう。
結局、7人目は日本が決めてヨルダンがはずし、日本が勝利した。

奇跡がおきた試合だった。

今日は負けたが、まだ、2試合ある。
サポーターが奇跡を信じなくて誰が彼らを応援するのか。

2006年6月13日(火) 嫁さん頑張る

月曜日、代表戦のあった日は自治会の評議委員会でもあった。

評議委員会の案内には「盆踊り大会の準備についての話し合い」と書いてあり、去年は体育祭だけではなく、盆踊り大会でも、子ども会と自治会でそりの合わなかったところがあったので、今年は事前に、しっかりと確認しておく必要があった。
でも、私は仕事で都合がつかず、どうしても会議の後半でなければ出席できなかった。
そこで、嫁さんに代わりに出てもらうことにした。
というより、嫁さんから「じゃあ、私が代わりに出席してもいい?」と聞いてきた。
「はっきりさせておかないと、またお母さんたちが泣きを見るから」という。

去年の揉め事については後日の自治会会議で話し合いが行われ、どのように盆踊り大会を進めていくのかを取り決めた。
その会議に私は出席していなかったが、嫁さんに話を聞きながら私が文書にまとめた。
そして、後日、私が子ども会の会長を引き受けてすぐに、会長に「前回の会議でこのように決まったが間違いないか」と書面で確認したのだ。
そのときの書面を再度、今回の評議会で提出して、「去年、このように決まったので間違いなく遂行してほしい」と訴えることが嫁さんの目的だった。
企業では当たり前のことが、自治会や学校では当たり前ではない。
一年で任期を終えて人が変わることによってせっかく解決したはずの去年の問題は、解決済みではなくなり、また同じ問題として浮上する。
かなり痛い目を見ない限り、これの繰り返しなのだ。
その小さな問題の繰り返しが、みんなのやる気を削いでいることに誰も気がつかないのだ。

「それにこれも見せておきたいから」といって嫁さんが取り出したのはA3サイズの町内の地図だった。
「これに学校からの下校の順路をマーカーで示して、自治会の役員の人たちに防犯に協力してもらう」という。
よく見ると地図の左上には1年生から6年生までの各下校時間が書いてあり、右下には『わたしたちの下校を見守っていてね!』というようなキャッチフレーズが書いてある。
嫁さんの発案に地区長や副地区長が賛同し、地図の用意、下校時間やキャッチフレーズの書き込み、印刷、など手分けして行ったそうだ。

自治会役員の視力を考えると、多少、地図の細かさが気になったが、大事なのは子ども会としてこういう活動をしているので、自治会も協力してほしいということをアピールすることにある。

会議が終わったと思われる時間になって、ようやく私も帰路につき、嫁さんに状況の確認をするため電話を入れた。
「まだ終わってない。それどころか今年は盆踊り大会を中止するという話も出てる。まだまだ時間がかかりそう」という。

これは急いで帰らねばならない。
だらだらした会議は不毛であるばかりでなく、だんだんと不協和音を生じることになる。
おそらく中止を唱えているのは自治会の長老役員たちで、盆踊り大会の開催を訴えているのはうちの嫁さんや婦人会の人たちだろう。
どんな雰囲気になっているのだろうか。
喧々囂々とやりあっているのか、ふてくされて口も聞かない状況なのだろうか。
私は現状を打開するための一撃必勝の言葉を考えながら自治会館に向かった。

自治会館につき、会議室の扉をそっと開ける。
「おお。ごくろうさん。こっち座り」と会長が言う。
表情は柔らかい。
席に着くと婦人会の女性が「奥さんがんばってはったよ。今年もやることになったわ。盆踊り」とニコニコ顔で話してくれた。
向かいに座っている長老の役員も「今日は、この4人のおねえちゃんに押し切られたわ。わっはっは」と笑っていた。
『おねえちゃん』とは嫁さんと小学校の地区長、副地区長、中学校の地区長、である。

和やかな雰囲気にほっとして、そのまま、下校の地図の説明に移った。
「お手元にお配りしております地図は、小学校からの下校順路を示したものです」と私が説明を始めた。
私の言い足りないところは、『おねえちゃん』たちが補足してくれる。
みんなが負担に思わないように「買い物や犬の散歩の時間を少しずらして下校の時間にあわせてくれるだけでいい」とも言っていた。

会長が言った。
「こうやってちゃんと資料を作って出してくれれば、われわれも話しがしやすいし、納得もする。この自治会会議はそうやって意見交換をする場だ」
そういった会長の手には、去年の盆踊りの確認事項も握られていた。

きっと、今までは毎年同じ問題の繰り返しだったんだ。
会長が何かを決める。行事が行われる。後になって子ども会が反発する。打ち合わせで一応両者が納得する。
翌年、会長が去年のことを忘れて何かを決める。新しい子ども会のメンバーも忘れていることに気がつかず、後になって文句を言う。また両者が納得する。
また翌年になると・・・。

しかし、今、確実に、子ども会も自治会も変わってきている。

2006年6月14日(水) 学校のホームページ

近所の人が「あなたが会長をになったら、少しは小学校のホームページも変わるかと思ったけれどぜんぜん変わっていない」と言われ、小学校のホームページを見た。

いきなりTOPの背景のコントラストが強すぎて、文字が読みづらい。
左の一番上に学校案内がある。
まあ、大抵はそうだろう。
そこをクリックすると、ド派手な紫色の画面が飛び込んできた。
紫色の背景に、黄色や緑色の文字で、校長の挨拶が書いてある。
学校の挨拶にしては品格がない。
子どもの投票でデザインを決めたんだろうか。

読むのを途中で断念してTOPに戻る。
右側に「お知らせ(行事など)」というのがある。
なんだ。こうやって父兄たちにも行事日程を公開しているのか。
と、それをクリックすると「ページが見つかりません」。
ああそうですか、とまたTOPに戻る。

「ビデオコーナー」というのがあった。
運動会や卒業式の様子でもあるのだろうかと思ってクリックする。
「ページが見つかりません」
はいはいそうでしょうとも、とTOPに戻る。

懲りもせず「PTA活動」をクリック。
お。次の画面があった。年度別のメニュー画面である。やっぱりこうでなくっちゃ。
古い活動記録から見ていこう。
2002年度をクリックすると、「みんなのつどい」という文字が飛び込む。
「みんなのつどい」というのは、子どもたちはもちろん、PTAや地域住民も参加して行う文化祭のようなものだ。
ゲームや模擬店など大人たちが企画運営して子どもやその保護者を楽しませるものだ。

コメントと写真を見ていく。
いろんな写真が貼られてあって、「みんなのつどい」で楽しむ子どもたちの姿が写っている。
ほー。昔はこの時期にやっていたのか。ふむふむ。
私も秋にはこれを担当することになるので、参考になる。
他にどんな活動があるのかと画面をスクロールさせると・・。
おしまいであった。
2002年度PTA活動報告は「みんなのつどい」だけだった。

気を取り直して2003年度をクリック。
「みんなのつどい」。
・・・。

ま。思っていた通りだった。
ついでなので2004年度もクリック。
今度はバレーボール講習会と書いてある。
お。予想を裏切ってくれてうれしい(変な感想だ)。
写真とコメントがある。
「初心者も大歓迎」「みんなでいい汗を流しました」
講習会というより、これは嫁さんが月に何回か参加しているバレー部の練習風景とまったく同じじゃないか。
活動報告というか、部員募集である。

もう、次を見るのが面倒になってきたが、去年のものが一番参考になるはず。
そう思って2005年度をクリック・・・って、2005年度がないじゃないか。
それもそのはず、このホームページ、2004年の9月から更新されていないのだ。

「情報教育」を見てみると、低学年でコンピュータや周辺機器の名称を覚え、アプリケーションの起動などを習得させ、中学年ではメールや掲示板の使い方、文書のローマ字入力を習得させ、高学年ともなるとパソコンを用いたプレゼンテーションを習得させる、と書いてある。

でも、肝心の学校のホームページがこれじゃ、先が思いやられる。
次回の役員会では改善案を提出したい。

2006年6月15日(木) 貧乏性と欲求

ビールの季節到来である。
いや、ビールは年中バカスカ飲んでいるのでいまさら到来でもないか。
しかし、まあ、ビールがよりいっそううまい季節になったのは間違いない。

ところが、今、手元にはウィスキーの割引券があり、この割引券を使うと、ウィスキーが全品300円で飲めるのである。
ビールは500円程度であるからビールよりも安い。

しかも割引対象となっているウィスキーには、普段の価格が900円という、とても素面(しらふ)では、どころか、かなり酔っていても、飲めないような高価なウィスキーが含まれている。
これはもう、そのウィスキーを飲まねば、である。

でも体は、その飲まねばよりも、割引でもなければそこらへんのコンビニでも買える普通のビールをば、欲するのである。
困ったものである。
いや、困ったのは、その高いウィスキーをこの安いときに飲まねばならないという、貧乏性のほうであろうか。

で、とりあえず、ビールを飲む。
やはりうまい。
で、次にウィスキーのリストを見る。
何も900円のスコッチだけでなく、450円のバーボンもある。
しかし、困りもんの貧乏性は900円のウィスキー以外に注文できないのである。
「○○の『17年』をロックで」
実にわかりやすい貧乏性である。

貧乏性が体の欲求を抑えてなんとか900円×2杯=600円のウィスキーを飲むが、やはり欲求は強いのである。
どうしても割高のビールを飲みたがるのである。

「生中、もう一杯ください」

ああ。
今夜も欲求と貧乏性の戦いの中、酒を飲むのである。

2006年6月16日(金) 班長さんも地区で違う

今日の夜は月に一度の班長会議だ。

「班長」は厳密に言うと子ども会のメンバーではない。
小学校PTA(略称『小P』)の会員、つまり、小学生の保護者である。
だから、子ども会の会長はPTA会員でなくても務めることができるが、班長は小学校のPTA会員でなければ務めることができない。

子ども会の会則にも、小P班長は会長を助ける、と書いてあるだけで、子ども会は会長と副会長と会計しかいないのである。
しかし、このメンバーだけでは子どもを指導できない。
実際に子どもを指導できるのは毎日、登下校時に子どもたちと顔を合わせている班長さん立ちなのだ。
そして、その班長さんの代表が地区長さんであって、地区長さんが、毎月の小学校実行委員会に出席し、そこで得た情報をこの班長会議で報告するのだ。
それだけなら私は班長会議に出席する必要がないのである。
なので、便宜上、子ども会の行事などについての話し合いをする場所として班長会議を子ども会の会議と同義に位置づけているのである。

で、この私の地区の班長さん。
これがなかなか行動的で他の地区とは一線を画しているように思う。

夏休みに、市が主催する祭りが行われる。
この警備に各地区から2名ずつの警備員(といっても、自転車の誘導など)を選出しなければならない。
で、この話を私はPTAの実行委員会(本部役員、各地区の地区長さん、各委員さんが出席しているが、班長は出席しない)で説明した。
「今年の祭りでは各地区から2名の警備員を選出する必要があります。各地区ごとに検討してください」

そして二日後。
ある地区長さんは自分の地区の班長さんたちと、その話をしたそうだ。
そこで出された意見が、「本部や会長会で是非検討してほしい事項」として上がってきた。

「市の祭りなのだから市の職員が担当すればよいのでは?」である。

このことを班長会議で説明した。
すると私の地区の班長は一笑に付した。
「はあ?そんなあほなこと言うてるのはどこの地区?」
「なんでも『やってもらえるのが当たり前』って思ってるんじゃない?」
「『市民祭り』やで。市民がやるのが当たり前やん」
「自分たちの子どもが参加してるのに、なんで他人任せなんやろ」

私の地区なら人を選ぶのに苦労はしない。

2006年6月17日(土) 月ヶ瀬の梅

奈良県の月ヶ瀬まで梅を取りに行ってきた。
この梅は梅干にして高校の文化祭で売るものだ。
梅干を作るのは、私の地区の班長さんたちでさえ足元に及ばない、超パワフル元気満々行動力底抜けの高校後援会の方々である。

この後援会は学校を卒業した生徒たちの父兄が結成したものである。
といっても、創立5年であるから、後援会のメンバーは1期生と2期生の父兄だけだ。
なのに、これだけ行動力のある面々が揃うとは、この人たちがPTAの中心だったころはどのようなものであったのか、想像に難い。

朝9時過ぎに集合場所で合流すると、私の車に二人が乗り込んだ。
PTA会長と後援会のムードメーカーである。
後部座席に並んで座った二人はドアを閉めると、ドアを開けて降りるまでの間ずーっとしゃべり続けていた。
少し時間に遅れて到着した私への罰ゲームだと思った。

月ヶ瀬は梅林で有名だが、ここはもともと前任の校長先生のツテで紹介されたところで、梅の木を一年間レンタルし、この時期に実を収穫するのである。
前任の校長は民間企業から校長として招聘されたかたで、この後援会と同じか、あるいはそれ以上に行動的な人物であり、校長会でも有名だった。
その人のおかげで、今のこの高校があるといっても過言ではない。
それはホームページを見てもわかる。
学校紹介、とりわけどのような教育をしているかなどを紹介しているサイトが多い中、この学校は生徒たちの活動を全面的にアピールしている。
「活動的」というのがサイトを通して伝わってくるのだ。

10時過ぎに現地に到着し、案内係りの人に案内されたそこはただの駐車場。
ここに車を止めて山に分け入るのだとそのときは思っていた。
ところが、梅の木は目の前にあった。
駐車場に生えているのだ。

梅の木の下にネットを敷き、用意された長い竹ざおで木をバンバンたたくと、梅の実がぽろぽろ落ちてくるのだ。



みんなで冗談を飛ばしあいながら、2時間近くかけて梅の実を取り終わったころには誰しも、泥だらけで汗だくだった。
総重量、100キロ超。
これでもまだ少ないほうだという。
今年は6本の木からこれだけ取れたのだが、例年は2本からこれだけ取れるらしい。
梅の実を取り終わった後の木は、すっかり姿を変えてしまうというのだからすごい。

10〜20キロずつ袋につめて車に運び込む。
今年は、このメンバーの中ではダントツに若い私が参加しているが、例年は女性中心で、男性は一人か二人といったところらしく、さぞかし大変だったろうと思う。

荷物を積み終えると川沿いにある、食事処へ向かった。
汗を流したいところではあるが、腹も減った。
二階の座敷に案内されるとあらかじめ食事が用意されていた。
ちょっとした会席料理であるが、豆腐料理が中心らしく、とても美味しくいただいた。
会長はじめ女性陣が美味しそうにビールを飲むのを尻目に私を含め運転手の男性陣はウーロン茶を飲んでいた。

そして帰りに月ヶ瀬温泉(スーパー銭湯である)へ行き、汗を流すことにした。
途中から降り出した雨で車の外は曇天だったが車の中はアルコールも入ってますます調子付いたムードメーカーと会長が機関銃のごとくしゃべっていた。
本当にこの人たちはよくしゃべり、よく笑う。

温泉の駐車場に車を止めて、着替えを持って温泉へ向かう。
ムードメーカーの女性が叫ぶ。
「○○(私は呼び捨てにされる)! 混浴やで混浴! 一緒に入るで! はっはっはっはっ!」
「あ、じゃあ、目をつむって、鼻もつまんで入ります!」
私も言い返す。

温泉には露天風呂もあり、あいにくの雨だったが、それもまた一興であった。

来年もまた来るだろう。

2006年6月18日(日) 長い一日

この日記は長い。

昨日は梅取りのあと、校区子ども会の定例会があり、いつもの校区会長や地区長(校区子ども会の所属地区は現在3地区)たちと打ち合わせをした。
そしてその夜は校区子ども会の役員や隣町の行動的な地区長と飲みに行った。
いつものように熱い討論会となる。
で、私も飲んだ。

おかげで今朝は、まだ少し酒の残った頭で町内の子ども会のボーリング大会を開催することになった。
30名ほどの子どもを引率して電車に乗り、隣の駅のボーリング場へ向かう。
ボーリング場にはあらかじめ予約がしてあり、人数分の靴が並べられているが、これまた予想通り、サイズの合わない子どもが騒ぎ出す。
私の次女もその一人。
「お父さん!靴のサイズ、合わへん! おとうさん! 聞いてるの! 早く靴を替えて!」
いや、聞いてはいるが、すまない、お父さんはお前だけでなく、他の子どもたちの面倒も見ないといけないのだ。

新しく必要となったサイズの個数を確認し、係員に用意してもらって、ようやくのことで靴を履き替えさせた。
さあ次はボールだ。

ボーリングのボールは重い。
重いのが当たり前。
しかし、子どもにとっては重すぎて、こんなんじゃ投げられないという。
一番軽い4ポンドのボールには5本の指が入るように穴が開いているが、それでも一年生にはまだ重い。
あっちこっちでブーブー文句の言う声が聞こえてくる。

しかし、そこは子ども。
ゲームが始まると喚声が歓声に変わる。
中にはわざわざ6ポンドや7ポンドのボールを持ってきて重いボールを投げることを楽しむ低学年も出てくる。
低学年用のレーンにはガター防止の柵がしてあり、ボールはジグザグを描きながらもレーンを進むため、少なくとも1本は倒せる。
だから低学年でもそれなりに楽しめたようだ。

2ゲームの合間にはジュースが運び込まれ、美味しそうに飲み干しながらゲームを続けていた。
ゲームが終了すると集合場所の最寄り駅まで戻り、駅にあるハンバーガーショップに予約してあったハンバーガーとポテトとジュースを受け取り各自帰宅した、と思う。

というのも、私はゲームが終了するのを見届けて、そのあとは中学校へ向かったのだ。
中学校でクラブ懇談が行われるからだ。
昨日は長男の高校、今朝は次女の小学校、だから昼からは長女のために中学校へ行ってやらねば。

科学部のクラブ懇談が始まると、顧問の若い男性教諭がスライドを使って日ごろの活動風景を説明してくれた。
「これは去年のサイエンスフェスティバルの光景です。このときは○○さん(長女)を中心に実験の紹介をしていました」
喋りがうまいわけでもない長女が中心で説明をしていたのは、紅一点だったからだろう。
「で、今年もそこに出展します。出展内容は『アルコール船』です。」
アルコール船というのは、昔、箪笥(たんす)にあった防虫剤のショウノウを使ったショウノウ船と同じものだ。
今では手に入れにくいショウノウの代わりにアルコールを使うのである。
「隣の教室では今、サイエンスフェスタの予行演習ということで、生徒たちがアルコール船の用意し、保護者の皆さんをお客さんに見立てて説明する準備をしています。ですので、みなさんもお客さんになったつもりで、どんどん説明してやってください」

そう言われて隣へ案内されると、すぐ手前のところに長女が座っていた。
「あ、おっちゃん。こんにちは」
そう言って私に気がついたのは、先日、堤防で長女と一緒にサッカーをしたときに連れて行った女の子である。
どうやら、長女が科学部へ引き入れたらしい。
女子は総勢、5名になっていた。

誰も案内しないから長女たちにたずねる。
「すみません。ここに座ってもいいでしょうか?」
もう、お客の気分である。
「え?お父さんここに座るの?」
「お父さん違うで、お客さんやで。こういうときは『こちらへおかけください』と誘導しないと」
「『こちらへおかけください』」
まるで棒読みの台詞で私や他の父兄を案内する。

「ここはどういう実験をしているんですか?」
「えーと。ここはアルコール船を作っています」
「アルコール船というのは何ですか?」
「アルコールで走る船のことです」
「どうして走るんですか?」
「えーとそれは・・。」
そういいながらカンニングペーパーを読み始める。
「水の表面張力とアルコールの表面張力には・・・」
まあ、仕方あるまい。

「・・・なので、船は進みます」
「表面張力って何ですか?どうして途中で進まなくなるのですか?」
こういう質問をする大人がいないとも限らない。
後で調べておくようにと言って、話を先へ進めた。

発砲スチロールを船の形に切り取る。
これはニクロム線を熱して熱によって切断する。
ニクロム線と電圧機がつなげられており、長女がスイッチを入れる。
「これはなんですか?」とニクロム線を指差して生徒に質問をする。
「えーと。メタル・・違うわ。えーと、クローン・・違うわ」
「ニクロム線。忘れたらあかんで」と答えを教えてやると、「何で知ってるの?!」と驚かれる。
今の時代はニクロム線を知らない大人も多いのだそうだ。

ころあいを見計らってわざと、ニクロム線に指を近づけ、触ろうとする。
一人の生徒が「やけどする!」と注意してくれた。
もっと早く言ってくれないと、あと数秒で指がくっつくじゃないか。
「やろ。小さい子どもも見にくるんやから、最初に言わなあかん。『これはニクロム線といって発砲スチロールを切断するために使うものです。大変熱いので、絶対に触らないように注意してください』って」と私が教えると、ふむふむとうなづいてくれた。

発泡スチロールを舟形に切って、後ろに綿棒を突き刺す。
綿棒は真ん中のところで切ってあるのだが、工夫がなく、突き刺しにくい。
そこで、綿棒を生徒に見せ、「綿棒はこのままだと船に突き刺しにくいので、こうやって、斜めに切っておいたほうがいいな」そういって、棒の部分をはさみで斜めに切り、竹やりのようにとがらせて船に突き刺した。
またもや、ふむふむ。

私の作った船の綿棒にアルコールを数滴落とし、水に浮かべると船はスイスイと進みだした。
「おお。」
作った本人である私も思わず声を上げた。

父兄の一人が作った船は綿棒が少し後ろに長く突き出ていた。
その船にアルコールをたらし、水に浮かべるが一向に進まない。
「あれ?どうして進まないの?」とその父兄が質問する。
おそらく、本心からの疑問だろう。
「あれ?なんでやろ?」と生徒が考える。
少し待ったが答えが出てこないので理由を説明した。

「アルコールは水の表面張力を弱めるんやろ?で、表面張力に差が出て、前に引っ張られるんやったね。これがアルコール船の原理やね。でも、この船の綿棒は少し後ろに長いよね。すると、その綿棒の周りの表面張力は弱められるけれども、船のすぐ後ろと綿棒の間の部分に水が入り込んでしまって、前と後ろで表面張力の差がなくなってしまう。だから、進まないんやね。綿棒が短いと、船のすぐ後ろに水が入り込まず、アルコールだけがあって表面張力が弱められる。だから前に進むんやね」
今度は父兄も一緒にうなづく。
「もう、おっちゃん科学部に入ってほしいわ」と中学生にもてる。

綿棒が長いと知った保護者がその船の綿棒を短くして、再度スポイトで綿棒にアルコールたらして船を水に浮かべる。
しかし、船は進まない。
子どもも保護者もさっきの私の解説に感心しただけに「これはどういうこと?」と言わんばかりの顔でこっちを見ている。

「水につけた綿棒にアルコールがしみこむかな?」
そう私に言われてほっと安心したような顔の面々。
新しい綿棒に差し替えて、見事船は前に進んだ。
「お父さん、腹立つぐらいに、何でも知ってるな」と長女はうれしそうに言う。

クラブ懇談も無事に終わり、家に帰ると今日は私の母の引越しであったことに気がついた。
近所に越してくるので、長女と散歩がてらにそのアパートまで出かけた。
まだ引越しの後片付けの最中であったが、力仕事があるわけでなく、私の妹もきていたので部屋の片付けはまかせ、私はダンボール箱をつぶして紐でまとめただけだった。

アパートの前の公園に何人かの子どもがいたので、顔を出してみた。
「あ、おっちゃん。」
「オッス」

昨年の秋、太鼓の練習をしていた子どもが何人かいた。
「おっちゃん、この自転車のブレーキ、これ、もう少し上にしてほしいねんけど、できる?」
見るとブレーキの位置が左右でずれていたので、直してやることにした。
今、まさに母の部屋でドライバーを見かけたところだった。
部屋に戻ってドライバーを手に取り、早速、直してやった。
「こんな感じでええか」
「うん。ありがとう」
そう言われ気分よく部屋に戻ると、妹が「テレビアンテナのケーブルが短い」と言い出す。
見ると、ケーブルがテレビを設置しているところからアンテナコンセントまでの距離にわずかに足りないのだ。

早速家に戻ってケーブルを探すことにした。
公園の前を通ると、子どもが水を掛け合っている。
「あ。おっちゃん。かけてもいい?」とうれしそうな顔をしながらこちらに近づいてくる。
相手が普通の大人なら、子どもたちはこういう質問をするのだろうか。
そう思いながら「かけられるもんやったらやってみ」そういって挑発した。
すると、3人がかりでペットボトルの水をかけにきた。
適度に濡れたところで、家に戻る。

アンテナケーブルを切って繋いで長くする。
ニッパを使って同軸ケーブルを加工する。
そういえば長男はこれができるのだろうか。
そんなことを考えながら、作業をする。
出来上がったケーブルをもって再び母の家に向かう。

公園にはさっきと違う子どもがいた。
私と一緒に母の家に来た長女が「あ。○○や」という。
「知ってるの?」
「あの子、悪いので有名やで。何回も校長室に呼び出されてる」
道理で。

太鼓の練習をしていたときも、あまりに言うことを聞かなかったので尻を引っぱたいてやったことがある。
以来、私の言うことは聞くがやはりお母さん方には反抗的だった。
私に気がつくと軽く会釈をした。

アンテナを取り付け家に戻った。

日記も長いが、一日も長かった。

2006年6月19日(月) 

仕事帰りの飛行機を降りたあたりから頭が痛くなってきた。
ちょっと酔ったのかと思っていた。
モノレールに乗っている間にそれは増し、外の景色の流れがだんだんと不快に思えてきた。
電車に乗り換え、ドア付近に立っていても窓の外を眺める気になれない。
でも、込み合った車内で元気のない仕事帰りのサラリーマンを見ていても気分のいいものではなく、我慢して過ぎ行く町並みを見ていた。

家に着くとホッと安心したからか、一気にめまいが激しくなり、スーツを脱いでそのまま居間に倒れこんだ。

ほんの少しの間だったが横になると少し楽になった。
体温計で熱を測ってみた。

37.0度。
なんてことだ。
たったこれだけの熱でこんなにもしんどくなるなんて。

次女が「おとうさん熱あるの。おかあさんに言うたろ」という。
心配してくれているわけではない。
次女は私が何か失敗をして、嫁さんに叱られるのが楽しいのだ。

「おかあさーん。あんなー。おとうさん、熱あるねんて。だから今日はもう、晩ご飯は抜きやなー」
次女が私に与える罰は十中八九「晩ご飯抜き」である。

嫁さんが飛んでくる。
「熱あるの?なんで?どうして?もう・・・。」
と少し不機嫌な顔になる。
少し疲れただけという私に「何度あるの」と聞くので37度と答えると「もう一度測って」という。
自己申告だと過小に申告するかもしれないから信じられないのだそうだ。

もう一度測りなおす。
36.9度。
お。少し下がった。
嫁さんがそれを見て安心した。

でも、やっぱりしんどい。
食事を終えてすぐに眠ってしまった。
なのでこの日記は20日に書いている。
今もまだ頭が少しふらふらする。

2006年6月20日(火) みだしの会

小学校の生活指導委員さんからメールが来た。
といっても送信元は学校のパソコンのアドレスなので、そこから送信しているのだろう。
 PTA会長様 
 7月13日14時より○○荘にてみだしの会がありますのでご出席ください。

これだけ。
何回読んでもこれ以上の情報がない。

みだしの会ってなんだ?
どういう人が出席するんだ?
○○荘ってどこだ?
って、平日の昼間じゃないか。
それに読みにくいし。

まあ、万事がこう(つまり「知っていることを前提」に話をされる)なので、慣れてしまったが。

「みだしの会」という名称と生活指導委員からの連絡であるから「身だしなみ」に関連している会合なのはわかる。
でも、委員さんばかりの集まりではないようだ。
委員さんなら学校に集まるだろう。
学校にはPTA用の会議室もあるんだし。

かといって、どこかの地区の人と話をするのでもなさそうだ。
地区の人との会合はそれぞれの地区の自治会館なり、公民館なり、公の集会場で行われる。

○○荘。
アパートか?
それとも何かの施設か?
平日の昼間に集まることができるということは仕事をしていない人たちばかりだろう。
ということは相手はお年寄りか?

深まるなぞを解くべく、メールを書いた。

 1)みだしの会とは何ですか?
 2)会の主旨は何ですか
 3)参加者は誰ですか?
 4)○○荘の場所を教えてください
 5)私に期待することなんでしょうか?

返事が来た。

 1)みだしの会とは何ですか?
  「みだしの会」とは「中学校PTA生活指導交流会」のことです。

ほうほう。
中学校単位なのか。

 2)会の主旨はなんですか?
  中校区の生活指導についてです。
  詳しい中身については事前交流会にて決定します。

はあはあ。
中身はこれからなのね。
でも、去年の例があるでしょう。

 3)参加者は誰ですか?
  PTA会長・校長・PTA生活指導委員会正副委員長
  PTA生活指導委員会担当教諭です。

難しいそうな人ばかりだ。

 4)○○荘の場所を教えてください
  住所は○○です。

で、なぜここなんだろうか。

 5)私に期待することはなんでしょうか?
  今年は何も担当はあたっておりません。

って、何もない、ってこと?
私に期待することは何もないってか。
だったら、出席しなくてもいいじゃないだろうか。

出席することの意義は担当が当たるかどうかなんだろうか。

挨拶があるんなら「挨拶してください」とか、何もないただの飾りなんだったら「特に何かをお話いただく必要はありませんが、例年、会長には出席いただいておりますのでお願いします」とかなんか別の言い方があるだろう。

2006年6月21日(水) 誰のために?

「みんながみんな、あなたのようにはできない」
よく嫁さんにそう注意される。

それは私がPTAや学校のやり方に不満を漏らしたときに言われる言葉だ。
確かにそうだ。
みんなが私のように考え、私のように行動できれば、苦労はしないし、私が複数の役を受ける必要もない。

今日、最近、気になっていたことを嫁さんにずばり言われた。

「PTAのほかの方々は自分のできることを一所懸命やっていて、それがあなたと温度差があるからといって、決して子どものためにがんばっていないわけじゃない。むしろあなたこそ、『子どものために』活動しているって言うけど、『自分のために』活動しているように見える。」

気になっていただけにとても応えた。
自分自身そう感じていて、嫁さんからもそう指摘されれば、他の方々もそう思うだろう。

肩の力を抜いてもうちょっと楽にしているほうがいいんだろうか。

どうすれば子どものためになるのか。
それを考えれば考えるほど、また自分のために活動してしまいそうだ。

ちょっと疲れたな。

2006年6月22日(木) ジンガ

22日木曜日は早く寝た。
なので、これは22日木曜日の日記だけど、書いているのは23日金曜日の早朝だ。

笑ってしまうぐらいに強い。

同リーグの他のチームとの試合のときよりも、今日の試合はきれていたんじゃないかと思う。
あの連係プレーに思わず拍手して見とれてしまった。
守っている側の選手たちでさえ同じ気持ちになって見とれていたとしても、納得してしまう。
それほどに美しい。

強さの秘訣はなんだ?と、昔、テレビで選手にインタビューしていたことがある。

 それは「ジンガ」さ。

そのとき主将はそう答えていた。

 俺たちの体の中には「ジンガ」がある。

ゆっくりとしたボール回しから突然、疾風のごとく相手守備陣に切り込み、突破口を見つけて一気に攻め込む。
そのときに必要なのが「ジンガ」なのだそうだ。

本来、ポルトガル語で「体を揺らす」というような意味を持つこの言葉は、サンバのリズムであり、カポエィラの動作であり、サッカーのフェイントであり、そして彼らの生き方そのものだという。

 小さいころからサッカーの観戦は嫌いだ。
 見ているだけで足がうずうずしてすぐにボールを蹴りたくなるんだ。

とにかく体を動かしてボールを追いかけることが本能なんだ、そう感じさせる。

サッカーの神様や王様を生んだ国。
ボールを魔法のように扱える選手が育つ国。
全国民がサッカーを愛してやまない国。

ブラジル人の遺伝子にジンガがあっても不思議ではない。

2006年6月23日(金) 長女のこと長男のこと

長女の通う中学校の委員さんや先生たちとの懇親会が自宅近くの宴会場で行われた。
本部役員の私も出席した。
よく考えれば会計監査という立場の私は本部の会計を監査するのであるから、本部役員に位置づけられていてはおかしいのではないかと前々から思っていたが、もう、それで何年もやっているのだからいまさらもういいか。

開始5分前に会場に入ると、いきなりくじを引かされた。
どうやら席を決めるためのくじらしい。
10番と書いてあるその席は一番端の角席だった。

その席に着くと見覚えのある顔が横にいた。
先日の長女のクラブ懇談のときに、スライドで活動内容を紹介していた若い男性教諭だ。「こんにちは」と互いに挨拶をする。
着席している人はみんな、左胸に何年何組のだれだれという名札をつけている。
私も長女の学年と組と自分の名前を書いた名札をつけており、その教諭はとなりのクラスの副担任であることがわかった。
向かいに座ったのは長女の担任だった。
クラブ顧問が隣で向かいに担任が座ったのは偶然である。
さらに担任の隣には副担任が座っていた。
この副担任は長男を三年間受け持っていただいた方である。

飲み始めてすぐに、科学部顧問の先生が話を始めた。

まずは長女の話。
男子ばかりの科学部に、女子なのに一人で入部希望してきたこと。
それによって女子の入部希望も増えたこと。
そういう長女の行動に感謝しているということ。

長男の話もしていた。
サイエンスフェスタに参加したとき、長男の名札を見て一人の女性が「あなたの名前はとてもいい名前だ。その名前を誇りの思いなさい。そして親に感謝しなさい」と言ったこと。
照れくさそうに「はい」と返事していたこと。
そして長男が卒業した翌年、再びその女性が現れて「○○(長男)くんは?え?卒業したの?今年も彼に会いに来たのに」と残念がっていたということ。

担任も副担任も長女や長男の話をしてくれた。
私の知らない、長女や長男の姿を話してくれた。

こういう話が聞けただけでも、役員をやっていてよかったと思う。

2006年6月24日(土) 光の舞うところ

今日は嫁さんの誕生日である。
少し酒の残る中、布団から這い出て服を着替えて、家を出る。
プレゼントを買うためだ。

電車に揺られて近くの百貨店に向かう。
プレゼントの服を物色するが、これというものがない。
適当に買ってもいいのだが、値段と内容がつりあわないような気もして、それなら一緒に好みの服を買ってもらったほうがずっといいものが見つかるかもしれない、そう思うともう、何も買えなくなり、そのまま家に引き返した。
といっても手ぶらでは格好がつかないし、花束を買って帰った。
花束というやつは、いつまでもそのままにしておけず、花瓶に入れ替えるなど、かえって嫁さんの手を煩わせることになるのだが、それでも無難な花束に逃げてしまうのは、別に愛情が足りないわけでもない、と自分に言い聞かせながら。

いつものようにパソコンの前で一仕事する。
ふと、何かを思い出した。
そしてネットで検索をして、結論を出した。

「今夜、みんなでホタルを見に行こう」

場所は奈良県の龍穴神社。
車でおよそ2時間ほどかかりそうだ。
18時に出発するつもりで用意をしたがいつものように15分遅れてしまった。
高速道路を快適に進んでいく。
全行程の8割が高速道路であるため、運転していても苦にならない。
高速を降りても山道を走るので、運転している私は楽しかったが、乗っているみんなはちょっとお疲れだった。

長いトンネルを抜けてしばらく行くとカーナビが目的地に近づいたことを知らせた。
神社に到着したようだ。
車を止めて降りると新鮮な山里の空気がとても気持ちいい。

数十メートル先に川が流れており、橋の上には先客が何人かいた。
川辺を見渡すがまだ一匹も飛んでいない。
時間はまだ20時前。
ついこの前夏至を迎えたこの時期はまだまだ明るい時間帯だ。

「あ!あの木の下!」
20時を過ぎたころ、観客の中で私が一番最初に一匹目を見つけた。
みんながそこを見るとわずかに光を放つ一匹がいた。
が、2度点滅してそれっきりになった。
数分後、今度は反対側の岸辺に一匹が光った。

そして徐々にそれは増え始め、最初は草の上に止まっていたがやがて宙を舞い始め、そこかしこで光り始めた。

川面の草の間から、光が湯気のように沸き立ってくる。
沸き立った光は互いにシンクロして集合と拡散を繰り返す。
時折、走りすぎる車のヘッドライトが少々邪魔だけれども、それが過ぎ去れば漆黒の闇が訪れ、幻想的な光をよりいっそう際立たせる。

あの光を手のひらの中に包み込んでみたい。
そう思うのは都会に住む私だけでないことは、甘い水でホタルを誘った歌にもあることでわかる。
甘い水を持っているわけでもないが光はすぐそばに来て、私の手のひらに取ることができた。
まったく温度を感じない、冷たく、それでいて温かみのある、か弱く力強い不思議な光だ。

思わず写真を撮った。



来年もこの光を求めてここへやってくることを約束して、空に放した。

2006年6月25日(日) 雨の夜の小火(ぼや)

22時ごろ、嫁さんの母親から電話があり、家の冷蔵庫が壊れたそうで、食料品を預かってほしいとのことだった。

それからおよそ30分後、私がシャワーを浴びて出てくると嫁さんの姿がなかった。
しばらくすると嫁さんが外から帰ってきた。
「今、お母さんから電話があって、この近くまで来てるんやけど消防車が邪魔で入られないって。だから荷物を取りにいってきた」
という。
消防車が邪魔になって通れなくなりそうな道はひとつしかない。
我が家の目と鼻の先、駅前の道だ。

嫁さんが続ける。
「今、そこのマンションで火事があったみたい。消防団に○○さんがいてて」
校区の子ども会会長だ。
この会長は隣町の自治会の副会長でもあり、自衛消防団員でもある。
「○○さんに聞くと、××さんところが火元らしい」
その名前には聞き覚えがあった。

私の町内のある家庭と少しいざこざを起こし、私が間に入って話を取り持ったことがあるからだ。
そこには小学生の児童がいるはずだ。
慌てて嫁さんにそのことを聞いた。
「子どもは?小学生の子どもがいてるやろ?」
「うん。その子が、救急車で運ばれたって・・」
「容態は?!」
「それが、○○さんも運ばれたことしか知らないらしくって」
「・・・」

私には何も連絡がなかったけれど、とりあえず、小学校の役員だけには一報を入れておこうと思い、メールで連絡をした。

  先ほど、○○町のマンションにて火災があり、
  小学校児童××さん宅が被災しました。
  児童が救急車で運ばれたようです。
  容態については確認できておりません。

改めて読み返すと、受け取ったほうはより心配になるような文面だ。

もう少し正確な情報がほしいと思い、まだ現場にいると思われた会長のところへ出かけていった。

雨が激しく降り、傘を差していても服が濡れる。
アスファルトのあちこちに水溜りができ、照明の光が反射している。
家の前の道を通り、駅前まで出たところで、赤いライトが目に飛び込んできた。
消防車が4台とまっているが、すでにホースを巻き取り始めている。

マンション近くの雨をしのげる閉店後の店先に会長がいた。
こんばんはと挨拶をし、状況を聞いた。
「今、嫁さんから聞いたんですけど、子どもの様態について何かわかりましたか?」
「ええ。6年生の××くんらしいんですが、煙を軽く吸った程度で、今はもう、お父さんの実家にいるそうです」

ホッとした。
正直、何かあればPTA会長として面倒だなという気持ちもあったが、それよりもやはり、純粋に子どものことが心配だったので、無事だということを聞いてホッとした。
以前から子どもが好きなことに変わりはないが、いろいろな役を通して子どもと接することが多くなり、よりいっそう、子どもを思う気持ちは強くなっている。
だから、心底ホッとした。

6年生の子どもが一人で留守番をしていて、何かの間違いだろうか、失火してしまったらしい。
何をどうすれば6年生が失火してしまうのだろうか。
親は何をおいていたのだろうか。
子どもは何を使ったのだろうか。
火を使うことこの少ないこの季節だけに偶然というのはあまり考えられない。

今日はとりあえず、子どもが無事だったということを聞いて、緊張の糸が切れた。
子どもに火の取り扱いを教えられないのなら、子どもを置いて出かけるべきではない、そう怒る気力も萎えてしまった。

2006年6月26日(月) 子どもの安全と個人情報

先日、嫁さんが小学校の学年懇談に出席した。

学年懇談とは、ほとんどの場合、授業参観の後に開催される、担任の先生との意見交換会のようなものである。
意見交換といっても、大抵は、父兄から先生に対する質問や要望に終始する。

活発に意見を言う嫁さんは、その日も友人といくつかの要望を分担し合って申し入れることにしていた。

嫁さんは水泳の時間における日焼け防止用シャツの着用について、それを認めてほしいことを申し入れた。
以前なら、真っ黒に日焼けした子どもは健康な証拠としてもてはやされたが、近年、過度の日焼けは皮膚に悪影響をもたらすことが広く知られている。
長女も次女も日焼けによる肌へのダメージが大きいため、あまりに陽射しが強い場合などは適宜、そのシャツを着用してもよいことにしてほしいと申し入れたのだ。
長女が在学中にもそれが認められて、長女だけでなくほかの生徒も、適宜、日焼け防止用のシャツの着用が認められていた。

先生は答えを保留し、後ほど返答していただくことになった。

次に嫁さんの友人が「生徒の名簿を作ってほしい」と申し入れた。

一年生になると子どもの行動範囲は格段に拡がる。
特に私立の幼稚園には幼稚園バスを利用するなど、かなり遠距離から通園する人も多く、幼稚園では仲のいい友達であっても、互いの家が遠く、子どもだけで遊びに行くことができない場合が多い。
しかし、小学校は違う。
全員が15分ほどの徒歩圏内から集まってくるのである。
その気になれば、子どもだけで遊びに行くことだってできる。
互いのお気に入りの場所に連れて行ったりもする。
そうなれば、自ずと親の掌握できる限界を超えてくる。

そんな時、生徒名簿があれば、それを頼りに連絡を取り合ってお互いに子どもの所在を確認することもできるし、また、そうやって親同士が会話することで、よいコミュニケーションを保つこともできるのだ。
この生徒名簿も以前なら当たり前のように配布されていたものだが、個人情報保護法のおかげで、ほとんどの学校で配布を見合わせているようだ。

この件についても先生は、後日、回答することを約束し、その場での回答を保留した。

今日、先生から回答があったのだが、子どもが持ってきた連絡帳に先生からの回答が書いてあった。
日焼け防止シャツの件はOKだが、名簿については学校が作ることはできないとのことだった。
予想通りの返事であったが、嫁さんに連絡帳で返事してしまっては、その場にいたほかの父兄の耳に入らないのではないか、そう思って嫁さんが、生徒名簿について質問した友人に確認してみると、案の定、先生から連絡はなかったという。

先生にしてみれば、口うるさい嫁さんにさえ返事をすればいいと思ったのだろうか。
まあ、あながちそれも、はずれではないが。

嫁さんは連絡帳に返事を書いた。
「学校が名簿を作成するということが難しいのは理解できる」ということ、そして「それなら私たちが互いに呼びかけて名簿を作る」ということ。

私は嫁さんにアドバイスした。
一年生の学年委員さんに、今度の委員会で「生徒名簿を作ってほしい」ことを発言するように申し入れろ、と。
PTA会長である私はそれを承諾するわけには行かず、学校もPTA本部も名簿を作成できないと返事しなければならないが、みんなに生徒名簿作成の重要性を知らしめることはできる。
そうすれば、各地区の地区長や他の委員の理解を得ることができ、きっと、一年生の父兄が自分たちの力で名簿を作成することにも協力してくれるはずだ。

PTA会長の最初の挨拶、入学式で私はこういった。

 昨今、個人情報保護法が叫ばれており、昔ながらの付き合いは難しく
 なっておりますが、それが子どもの安全を守る妨げになってはいけません。

この問題を嫁さんなら解決できるに違いない。

2006年6月27日(火) リセットボタン

つい先日、高校生が自宅に放火し、母親と幼い弟妹を命を奪ってしまうという痛ましい事件があった。
最初に語った動機は「父親に学校のテストの結果が悪かったことを知られたくなかったから」というものだった。
それを聞いて「え?それだけの理由で家に火を放ち、家族の命を奪うのか?」と言う人たちがいた。
もしその後に「信じられない」とか「考えられない」などという言葉が続くのだとしたらそれは子どもの心を理解していないと言える。

報道された当時は「学校の成績」というごく普通の子どもなら誰しも多かれ少なかれ心に持っている悩み事であって、それが原因で親に叱られることもあるだろうから、その心情は容易に想像できる。
ただ、それが放火に発展したことが想像できないから「それだけの理由?」というのだろうが、火をつけたということを考えると理由がそれだけでないことは想像に難くない。
まして相手は少年なのだから。

衝動が一気に芽生えた場合は身近にある道具を使って凶行に及ぶ場合が多く、その行為は瞬間的なものである。
例えば、刃物による凶行であれば行為そのものの時間は1分とかからない。
むしろ1分を超えれば落ち着きを取り戻して未遂に終わることも多い。

しかし今回の放火はそれとは異なり、鬱積した感情から生じた凶行といえる。

衝動的な凶行と鬱積した感情から生じる凶行の差は他にもある。
衝動的な犯行であれば直接的に手を下さざるを得ないことが多い。
「思わず手が出てしまった」というやつだ。
が、思いつめた末に、感情の高ぶりもなく、自暴自棄になって行う犯行には、被害者と対面せずに行われるものも多い。
放火もそのひといつだ。

火を放つとき「家族がどうなってもかまわない」という気持ちはあっただろうが、「必ずや、その命を奪ってしまいたい」と思っていたわけではないだろう。
もし、確実に命を奪うことが目的であれば、他の方法を選ぶのではないだろうか。

少年は自暴自棄になり、すべてを消し去りたいという気持ちが生じ、その中には「家族」という存在も含まれていたのだろう。
しかし、一方、家族の命に止めを刺したいわけではなかった。
それが目的ではないからだ。

「人のいる家に火を放てばどうなるか高校生なら気がつくだろう」
そう思う人も多いはずだ。
でもそれは、犯罪を犯す人間すべてに対していえることだ。
それをすればどうなるか、大人だってわかっているはずだ。
なのに凶行に及んでしまう。
だからこそ、その後、大半の人が後悔するのだ。

少年はすべてを消し去ってしまいたかったに違いない。
また、今、少年が切に願うこと、それは「あの時間に戻りたい」だそうだ。

目の前の状況を消し去ったり、過ぎた時間を取り戻したりすることなどできはしないのだ。
人生にやり直しの利くリセットボタンはないのだ。
そう、教えることが本当の教育だと思う。

2006年6月28日(水) 発熱でも校正

昨日から熱があって、今朝もボーっとしていた。
だからといって寝ていられない日もある。

午前中に客先で会議があるので、ボーっとしながら電車に乗った。
電車に乗るときは別に座りたいわけではないのだが、今日ばかりは座りたかった。
だからゆっくりした時間に家を出た。
電車を待つ間も、ベンチに座っていた。

電車に乗ると学生の話し声が頭に響く。
かばんも重たい。
普段なら心地よい冷房も少し肌寒い。

ようやく会議室に到着したのは会議開始時刻ちょうど。

配布された資料に向かって説明を受け質問を繰り返す。
 あー横になりたい。
 冷たいジュースを飲みたい。
そんなことを考えながらの2時間程度の会議だったがとても長く感じた。

ようやく会議を終え、そのまま家路につく。
これまた電車を待っている時間が長い。
電車に乗っている時間も長い。
家に到着してすぐに寝た。

晩飯のころ、ようやく熱も下がり始めた。

小学生の次女が私宛の封筒を持って帰ってきていた。
中身は小学校の広報担当から季刊誌の校正依頼だった。
一通り目を通す。

 楽しかった行事「飯ごう炊飯」

と書かれている。
ため息をつきながらメールを打った。
 
 「飯ごう炊さん」です。

ああ、しんど。

2006年6月29日(木) 事前会議

私が必ず出席することになっている小学校の会議は二つある。
一つは役員会議でもう一つは実行委員会である。
役員会議は文字通り役員だけが集まって行う会議で、実行委員会でどのような話をすればいいのか、どのような方向に進めていくべきか、などを話し合う。
茶菓子を食べながらなので役員もリラックスしている。
また、実行委員会は学年ごとの保護者の代表者である学年委員や、各地区の地区長などが集まって、行事の報告と今後の予定などを連絡する。

今まではどちらも第二土曜日の朝に開かれ、役員会議に引き続き、実行委員会が行われていた。
私が多忙な為、二つの会議を同じ日に開催していただいていたのだ。

しかし、以前は二つの会議の間に一週間以上の余裕があったようだ。
そのため、ほかの役員が今の会議の早さについてこれなくなり、とうとう、別の日に会議をすることになってしまった。

それぞれが事前に準備して会議に臨めばいいのだが、そういうことに不慣れな人たちは、会議のその場でいろいろな事を思い出し、思いつきで発言することが多い。
自分で解決策を用意してきたわけではなく、問題提起だけするので、私が結論を出しても消化不良になる事が多いようだ。
役員会議を終えても実行委員会で話すべきことが揃っていないような気がしてならないようだ。

実際にはそれほどのことでもない。
何しろ要領が悪い。

10月に開催される催しについて6月から話し合いがもたれた。
これが仕事なら2週間で済むようなないようだ。
8月は夏休みで、一切の活動が無く、7月に決めたことに対する報告が9月になるからだ。
そうするともう、一ヶ月前である。
そりゃ、お母さん中心の委員さんなら慌てるだろう。

8月って夏休みなのは子どもだけだと思っていた。

2006年6月30日(金) 教頭先生とメール

懇親会は何度目だ?というぐらいに懇親会。
今日は小学校の新しい委員さんをお迎えしてのもの。
ところがふたを開けてみれば、いつもの役員さんと先生とそれから見慣れた顔の委員さんだけ。
本当に懇親しなきゃいけない人たちが参加していない。
無論、自由参加だから仕方ないんだけれども。

司会は副会長さん。
「それでは時間も少し過ぎましたので、懇親会を始めたいと思います」
いつもながらのたどたどしい喋りになぜか安心する。
こういう司会のときに、いつもと違って弁舌さわやかに進行されたら、ちょっとびっくりする。

「では最初に会長の挨拶を。会長お願いします」
司会がそう言い終わるか終わらないうちにマイクを取り上げ、早口でまくし立てた。
「えー、咽も乾いて早く乾杯がしたいので倍速で話します」
軽く笑いをとる。
これで半分は仕事を終えたようなもの。
「すでに3ヶ月を終え、4分の一が過ぎましたが、これからますます忙しくなると思います。暑さに負けず、皆さんお体を大事にしていただいて、一緒に頑張りましょう。以上」
それだけを言うとマイクを渡して席に戻った。

校長が挨拶をする。
「あんまり長々と話をしていると、会長に怒られそうなので私も手短に」
『ここは「倍速で」っていわんと!』と、半数の関西人が心の中で突っ込んだに違いない。

一通り挨拶が終わり、教頭が乾杯の音頭を取った。
「それでは皆様ご唱和を。カンパーイ!!」
うん。高校、中学校、と懇親会をやってきたが、乾杯までの時間はきっと最短だ。

乾杯を言い終えた教頭は私の横に座った。
「いやー会長、ご苦労さんです。毎日、お忙しそうで、大変ですなあ。仕事も忙しいとお聞きしてますよ」
「『おかげさまで』というべきなんでしょうが、仕事はもう少し、手加減してほしいぐらい忙しいですね。」

そんな話を進める。

「会長からのメール、毎朝、ちゃんとチェックしてますよ」
「恐れ入ります。仕事が遅い分、どうしても、メールでなければお互いに情報の交換ができませんのでね」
「でも私、あの、メールってやつがどうも苦手でして」

メールが得意なのは、それを生業としている人ぐらいであって、普通の人は決して得意ではないだろう。
「メールってやつは相手の顔が見えないでしょ。そこがどうも・・」と教頭が続ける。

そういう人は別にメールだから苦手なんじゃない。
メールに限らず、手紙だって苦手だろう。

まあ、私からのメールで何か叱られた気がしたのなら、それは間違いなく私が叱っているときだ。
というか、それ以外に小学校の先生にメールを書くことはほとんどない。
『怒ってるんじゃないだろうか?』なんて心配は要らない。
その通りなのだから。

ただ、それだけだと、送信主に私の名前を見つけただけで、萎縮してしまうだろうから、たまにはのんびりしたメールでも書いてやることにする。

こうやってまた私の仕事が増えるのだ。

[先月] [目次] [来月] [最新版] [トップ]

info@karintojp.com
Akiary v.0.51