カリント日記

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2006年7月1日(土) 無駄遣いの一日

前日の懇親会で酒の量をセーブしていたのは今日のためだ。
だからほとんどしらふの状態で3曲もカラオケを歌わされるのは初めてだった。

朝8時、滋賀県の大津へ向かって車で家を出た。
ここから高速を使って1時間以上かかる大津の「びわ湖ホール」で、近畿地区の高校PTA連合大会が開かれるのだ。
近畿地区の数百の高校から数千人のPTA関係者が集まる。
私の高校からは、会長と教頭、それに副会長である私が参加することにした。

思っていたほどの渋滞に巻き込まれることもなく、午前9時過ぎに現地に到着し、現地集合の教頭と会長を探していた。
同じような格好の同じような年代の人から二人を探し出すのは難しい。
Tシャツに膝丈のズボンを穿いているのは私ぐらいのものなので私を見つけてもらうほうが楽だろう。

ホール入り口付近で30分近く待っていたがそれでも二人は現れない。
仕方がないのでホールの中に入って一回りしたが、人が多く、とても探せそうにないのであきらめて外に出た。
まあ、時間もまだあるし。

突然、横から声をかけられた。
みると、見事に周りの人に同化していた背広姿の教頭がいた。
「こんにちは」
いつものおっとりした感じの挨拶だ。
人ごみの中にいた私を見つけることができたのは、私が普段から高校の委員会でも一人、異彩な格好をしているから、今日も遠めに見て私と気がついたのだろう。

教頭が「会長は遅れるそうです。ついさっき連絡がありました」という。
仕方なく、二人で先に会場に入る。

今日の連合大会は午前の部と午後の部に分かれており、午前の部は開会式や記念公演などが開催されるもので、内容としては、これがどこかの宗教や団体のどういう集まりであったとして、大差はない。
来賓の挨拶、大会宣言、会長挨拶。
内容だって十年前も十年後も同じことを言っているに違いない。

退屈な午前の部を終えて会長と合流した。
「まあ、なんちゅう格好してるの!?」と驚いたのは私だったが、実際に声に出したのは会長だった。
「いや、これ、普段着です」と私が言う。
Tシャツに膝丈のズボン、は周りの「スラックスにポロシャツ」に比べると、目立つが、回りの男性は私よりもひと周り以上年配で、彼らにとってはスラックスにポロシャツが普段着なのだろう。

しかし、会長(女性)に限らず、他の女性の方々こそ、なんちゅう格好をしているのか。
もう、一目見て着慣れていないことがわかるワンピースに、履きなれていないことがわかるハイヒール。
男性に比べて派手過ぎる格好。
寸法が合わず、ウエストのきつそうな女性もいる。
そのせいで階段から転げ落ちた人もいる。

仕方あるまい。
彼女たちの普段着といえば、ゴムひものズボンに豹がらのシャツ、商店街の似合う格好ではさすがに恥ずかしかろう。

ジーンズ姿の女性も多くいたが、彼女たちはそのジーンズが普段着なのだ。
普段着でもないジーンズをわざわざ穿いてくる理由がない。
別に自分が舞台に立つわけでもないのだから、一番話を聞きやすい格好にしなければ眠くなるのに。
案の定、参加者の半分は寝ていた。
公費を使ってよくもまあ、無駄なことをする役員たちだ、と思った。
政治家のことをとやかく言う資格のない人間が半分いるわけだ。

午後の部はいくつかのホールに分かれて分科会と称されるものが開催された。
私たちが参加したのは社会的弱者を支援している人による公演であり、本当の福祉とはどういうものかを、延々聞かされたが、理想論ばかりで具体性に欠け、面白みのないものだった。
面白みがないどころか、一方的な解釈と所々に見られる矛盾に憤りを覚え、半分の聴衆が眠っているにもかかわらず、私に眠気はまったくなかった。
一部の聴衆が拍手喝采している。
質疑応答で「先生の講演で感動しました」といっている。
宗教家と一部の信者が盛り上がっているという図式をそこに見た感じがした

嫁さんと語り合う深夜の会議のほうがどれほど実りがあり、どれほど有用なことか。

救われたのは一緒に出席した教頭も会長も、「まあ、金を払ってまで聞くほどのことではないな」という感想を持っていたことだった。

電車賃は請求すればもらえるというが、高速料金だなんだかんだでおそらく5,000円ほどは自己負担になるはずだ。
でも、あんな話を聞くための交通費なんて請求する気になれない。

とんだ無駄遣いの一日だった。

2006年7月2日(日) ポーセラーツ

まったく何てことだ。
ブラジルが負けるだなんて。
でも、カルテットの動きがあれでは仕方があるまい。
同じワントップでありながら、アンリの動きは範囲も広ければ、早さも群を抜いていた。半分ふてくされて、もう一度眠りにつく。

でも、ゆっくりはしていられない。
今日は校区子ども会の催し物「ポーセラーツ」がある日だ。
ポーセラーツとは陶磁器に絵を描いたりシールを貼ったりして作品を仕上げるもので、小学校低学年から大人までみんな楽しめるものであり、昨年、小学校6年生だけを対象に開催したところ、とても好評だったので、今年からは全学年を対象にしたのだ。

大雨の中、私は一足先に学校へ向かう。
嫁さんは班長や友達と一緒に40人もの子どもたちを引率しながらやってきた。
雨の中を歩いてきた子どもたちはみなびしょ濡れであったが、嫁さんがどこから仕入れてきたのか、大量のタオルを手に持ってきて、子どもたち一人ひとりに与えていた。
家を出るときには持っていなかったのに、不思議に思って尋ねると、ここへ来る途中、私の母の家に立ち寄り、ありったけのタオルをもらってきたのだという。
母は先月、この近くに越してきたばかりだった。
母もさぞかし驚いたと思うが、嫁さんの機転と配慮には感服する。

学校の多目的室に入る。
普段は実行委員会を開催している場所だ。
太鼓の練習をしていた場所でもあり、私のホームグラウンドといったところか。

テーブルに着席している子どもと大人、合わせて100人近い。
普段はあまり参加者のいない地区からも今回は多くの参加者がいた。
校区子ども会の中で最も参加者の多い行事の一つだ。

講師の人が説明を始める。
子どものことだから、半分聞いて、半分聞いていない。
全部を覚えさせる必要もなく、全体の流れだけ教えればいい。
大体雰囲気のわかったところで早速始めることにした。

子どもたちが座っている作業用のテーブルにはハサミと水の入ったトレー、それに真っ白なコップがおいてある。
それとは別に共同の大きなテーブルにはいろいろな柄のシールが置いてある。
そのシールの中から自分の気に入ったものを選んで、ハサミで切り取る。
切り取ったシールを水につけると、台紙の部分とシールの部分に別れ、そのシールのほうをコップに貼り付ける。
それを繰り返して作品を仕上げる。
出来上がったコップを焼くと、シールが定着するというわけだ。

子どもたちがシールを選び切り取り始める。
子どもの人数に比べて用意されているテーブルの数が少なく、急遽、PTA会議室の新しいテーブルを引っ張り出してくる。
慣れているお母さん方は次に何が必要かを考えて、トレーに水を入れる準備を始めたり、子どもたちに順序を教えたり、暇そうにしている子どもの相手をし始める。

やがて一通りのシールを切り終えた子どもたちは自分の席に戻って水の入ったトレーの中にシールを浸け始めた。
「まだー?」
あっちこっちから質問が飛ぶ。
「こうやって、シールをこすってみて、すーっとずれるようならOK。それまでちょっと辛抱」
そう教えると「あ。うごいた」「あ。まだや」という声が聞こえ始める。
動いたという子供のそばに行って、シールの貼り付け方を教える。
「こうやって、コップの貼りたいところにペタっとおいて、で、ずらしながら位置を決める。濡れている間は動くからね。で、場所が決まったら、ティッシュで、こう。真ん中から外側に向かって、擦る。水が取れたらシールは貼りつくからね」

一度こつを覚えると、次からは早い。
隣の子どもも、その子どもに教えられながら進む。
そうやって時間内に全員の子どもの作品が仕上がった。

準備や時間、教え方の問題など改善すべきことは盛りだくさんだが、それでも子どもは来年もやりたいという。
子どものそういう言葉が、私たちの原動力だ。

2006年7月3日(月) 興奮の自治会会議

今日は自治会の会議である。
仕事を終えて着替えるまもなく自治会館へ駆けつける。
平均年齢65歳といったところだろうか、ほとんどのメンバーが揃っている。
今日の議題は盆踊りの準備についてだ。

テーブルにはB4程度の紙が配られており、何かがびっしりと箇条書きされている。
ほとんど資料など配られることのない会議だけに、なんだろうと、興味がわき、早速内容を確認し始めた。

「××駐車場への連絡 OK」「道路使用許可 OK」
「警備員 防犯委員5名 ○○さん」「受付 婦人部 ○○さん」
「ビール(発泡酒)10ケース ○○酒店」
「お菓子 200円×150個 子ども会一任」
今日取り決めるべきことがたくさん書き出してある。

 おお。会議用の資料ができているじゃないか。

軽い感動を覚える。

 そうそう。こういうものがないと会議にならない。

箇条書きにされているおよそ数十の項目がどんどんと決まっていく。
お菓子の配布のところに来て役員の一人が尋ねてくれた。
「子ども会の会長さん。お菓子の配布はこれでよろしいか?」
「はい。いろいろとご配慮いただきありがとうございます。
 当日はできる限りたくさんのお子さんに配布したいと思いますので、
 ここには200円と書いてありますが、100円のお菓子を配布したいと思います。
 しかし、それでは町内の子どもと多地区の子どもに差がありませんので
 当日、踊りに参加してくれた町内の子どもには、後日、班長が各家庭に、
 新たにお菓子を配布するようにし、予算をできる限り有効活用させて
 いただきたいと思います」

そういうと、「おお。そらええこっちゃ。毎回、子ども会はよう考えてるなあ」と支援してくれる声も聞こえた。
そういう声が聞こえてくるとみんなもうなづいてくれる。
誰も反対のしようがない。
満場一致でこれも了承された。

やがて後片付けの後の話しになった。
「以前から後片付けをしてもらった人にご苦労さんということでおにぎりを配っておるんだけれども、片付けもせずおにぎりだけを食べる人がいて、いくつ用意しても足らなくなる。今年はどうしたらよいもんか」
なんとも情けない話ではあるが、こういうことが結構大きな問題なのだ。
一人が声を上げて言った。
「そんなら炊き出ししたらええ。炊き出しして、おにぎり作ったらええ」
という。

いやな予感がした。
「ほー。炊き出しかそりゃええ案かもしれん。なら、あんた、先頭に立ってやってくれるか」と会長が言う。
会長も心得てきたようだ。
しかし、相手の反応はいやな予感どおりだった。
「なんで、わしがやらなあかんの。わしは飯も炊いたことあらへん。そんなもんは、子ども会のお母さんにやってもらったらええ。簡単なこっちゃろ、おにぎりぐらい」

今、こうやって日記を書いていても笑ってしまうぐらいに馬鹿な発言だ。
私は最初は落ち着いて話をした。
「○○さん。そういう案を言うときは自分が先頭になって見本を見せないと誰もついてきませんよ。ああしたらええ、こうしたらええ、なら誰でもいえる。肝心なのは、私がやるから協力してほしい、という姿勢でしょ。」
「そんなこというても、わしは、飯も炊いたことないのにそれはできん」
「なら、あなたから、子ども会のお母さん方を説得して見せてくださいよ」
「なんでわしがやらなあかんの。そらあんたの仕事やがな」

私が言えばお母さん方はおにぎりを作ってくれるはずだ。
だからこそ私は絶対に言えないのだ。
とうとう私も言葉を荒げた。
「私から、お母さん方に言うんですか。自治会のために、飯を炊け!、おにぎりをにぎれ!、準備しろ!、と。そう言えというんですか! 私にはいえない!」
「そんな、簡単なこっちゃろ、おにぎりぐらい」
「簡単? 簡単って言うのならあんたがつくれ!」
「しゃーからわしは、飯を炊いたこと・・」
「だったら、うちにこいっ!! 何ぼでも教えたらぁっ!」

ついつい興奮して怒鳴ってしまったが、バカが移りそうなのでそれっきり無視した。
でも、その人はしつこく食い下がる。
私が黙っていても、周りがだまっちゃいない。
「○○はん。そら、無理やで」
「しゃーかて、××町ではやっとるで。おにぎりぐらい簡単なこっちゃろ」
「この町内はそんなこと今まで一回もやったことないんやからそれは無理やわ」
「しゃーかて、××町では・・」
「あんたもしつこいな!」
そんなやり取りが数分続いて一人の男性が立ち上がった。
「自分は何もせんと人にばっかりやらせようとしやがって!お前はいっぺん、どつかなわからんのか!どついたらぁ!」
言われた側も
「おう、どついてみぃ!」
と返す。

何人もの人が間に入るが、押しのけて相手につかみかかろうとする。
さすがに私もこれはダメだと思って席を立ち、間に割って入った。
「××さん!これ以上は勘弁してください!あんなやつ殴ったらあんたの手が腐る!名が落ちる!堪えてください!」
そういうと2〜3歩下がり、ゆっくりと席についてくれた。

何とか収拾がついたが、子ども会におにぎりを作らせろと発言した人は完全に孤立してしまった。
変に子ども会に目をつけられても困るので、何とかもとの鞘に戻ってほしいものだ。

2006年7月4日(火) 納得いかない判決

裁判官が恐れていたものはなんだろうか。
異例とも入れるスピード審理で結審した広島地裁。
その判決は「判例に従った」とも言える無期懲役だった。

昨年、広島で7歳の少女の命を奪う、残虐非道な犯罪が発生した。
同年代の子どもを持つ親としては、胸が潰れる思いである。
無論、求刑は「極刑」であった。

しかし、今日被告に言い渡されたのは「無期懲役」であった。

無期懲役と極刑の差にあるものは「矯正の可能か否か」である。
わずかでも矯正の可能性があると見れば無期懲役が選択される。

今回の場合もいくつかの争点があったが次の点で無期懲役を選択したものと思われる。

・被害者は一人
・同一犯罪の初犯

しかしこれはあまりにも単純だ。
ここに動機や被害者側の感情は考慮されていない。
単純にこれだけで考えるのであれば、判決が「極刑をもって臨むしかない」と下されるのは次のときということになる。

・被害者が複数
・再犯

これもおかしなはなしである。
単純だ、ということではない。
再犯によって複数の被害者が発生したのであれば、それは矯正できていなかったことになり、極刑を言い渡さなかったから第二第三の被害者が生まれたということになる。
後になって、やっぱりだめでした、といっているようなものである。

確かに判例では前者の場合は無期懲役を支持しているようだが、判例となった犯罪の判決が必ずしも正解であるとは限らない。
それを覆す勇気が裁判官になかったとしかいえない。

判決にも納得いかなかったが、記者会見で述べた弁護側の意見にも憤りを覚えた。

「そもそも極刑だと言い出すことがおかしい」

原告からの求刑と戦うことは弁護士として使命だから、例え無罪を主張しても腹は立たない。
でも、「言い出すことがおかしい」とはどういうことだ。
被害者遺族の前でそれを言ってみろ。

2006年7月5日(水) パソコン買うぞ

パソコンをもう一台買おうかと思う。

ユーザ先へはノートパソコンを持ち込んで作業しているのだが、パソコンの持込や持ち出しのチェックが厳しくなり、手続きも面倒になる。
それというのも最近、ノートパソコン紛失による個人情報の流出などがメディアに取り上げられ、それによって信用を失墜させた会社も少なくない。
どこの会社も明日はわが身の心配事のようだ。
特に私のユーザはどこもIT業界であるからなおさらだ。

もちろん、私のパソコンにユーザさんの個人情報など入っていない。
メールアドレスだってこのパソコンではなく、ユーザ先のサーバに格納されている。
データは暗号化されており、パスワードを入力しなければパソコンの操作ができない。
それでもやはり痛くもない腹を探られるのは気分がよろしくない。

だからユーザ先に常設するためのパソコンを一台購入することに決めた。
新品を用意できればいいのだがそこまで資金が回らないので今は中古のパソコンを物色しているところだ。

オークションで買おうかそれともパソコンショップか。

インターネットの普及でパソコンを安く手に入れるための選択肢も増えたが、インターネットが普及しなければそもそもパソコンを買い増す必要はなかったかと思うと、複雑な心境だ。

2006年7月6日(木) 今度は自分の番

最近、少しでも時間があると、考え事をしてしまう。

 どうすればみんながもっと積極的になるのか。

私が小さかったころ、地域の子ども会は活動的で、あっちこっちに出かけ、ことあるごとに行事が開催された。
また、夏になると近くの商店街では10日に一度の割合で夜店が開かれ、両親といっしょに出かけたものだ。
どれもこれも楽しかった。

私の町内の子ども会も他の地域に比べれば活動的なほうで、お母さん方も積極的に動いてくださる。
それでも残念ながら、非協力的な家庭があるのも事実だ。
それが校区子ども会や小学校PTAともなればなおさらだ。

単に自分たちだけが非協力的なのはまだマシで、中には協力しないことが正しいかのように周囲に言い放つ人もいる。
そういう人の声が大きいと、消極的ながらも協力しようとしていた人の声がかき消されてしまう。

先日、PTA実行委員会で祭りの警備を頼んだ。
8地区にそれぞれ二名の要員確保をお願いした。
警備する場所に比べれば募集人員が多いような気もした。
案の定「そんなにいらないんじゃないの?」という声が聞こえてきた。

この言葉を歓迎するときとしないときがある。
「そんなにいらないんじゃない?うちの地区で2名出すからそちらの地区は来年にしてもらえば?」などというのなら歓迎だ。
しかし大抵は違う。
「そんなにいらないんじゃない?よその地区が2名出すならうちの地区は1名でいいでしょ?」

そういう人は、これが適切な人員数であれば「やってもいいよ」と手を挙げたのだろうか。
「そんなにいらない」の本音は「自分はやりたくない」ということなんじゃないのか。

いや、実際のところ、そう発言した本人がそこまで考えていたわけではなく、単純に「人が多い」と感じただけなのかもしれないが、心の奥底には「できれば参加したくない」という気持ちが働いていることは否めないだろう。
それがやはり残念だ。

みんな幼いときのことを思い出してほしい。
楽しい思い出は家族と遊びに行った思い出だけではないはずだ。
子ども会の行事や夜店に行った時のことも楽しい思い出として記憶しているはずだ。
そして子どものころの自分が楽しいと感じたその影には、多くの大人の支援があったに違いない。

今度は自分の子どもたちのために自分が活動する番なのだ。

2006年7月7日(金) モーニングセット

喫茶店などにある「モーニングセット」というのは日本独特のもので、大体はトーストにコーヒー、それにゆで卵などがセットになっている。
私も午前中の会議のときなどは少し早めに家を出て、喫茶店でゆっくりモーニングセットを食べるときがある。

私の家の近所にもいくつか喫茶店がある。

前年度の中学校の地区長で私を役員に推薦した女性がバイトをしている店に、嫁さんと二人でモーニングセットを食べに行った。
以前から、ここのモーニングセットはボリューム満点でしかもコーヒーはお代わり自由、と聞いていたので一度行って見たいと思っていたのだが、きっかけがあっていくことにした。

近く町内で盆踊り大会が開かれるのだが、この盆踊り大会の予算はすべて「お花代」と言われる寄付金でまかなわれている。
その寄付金をいただくのは主に商店街のお店であり、その喫茶店もそのひとつであった。
自治会の長老たちが中心になって寄付金集めをしていたのだが、この店は比較的新しいために長老たちもあまりなじみがなく、私が寄付金集めを引き受けたのだが、偶然、嫁さんは何度か行ったことのある店で、おまけに知り合いが勤めていたこともあって、花代のお願いとあわせて嫁さんとモーニングセットを食べに行ったのだ。

店に入ると、さすが町内、なじみの顔がゴロゴロしている。
愛想のいい店員も顔なじみ。

早速、400円のモーニングセットを注文する。

おお。
ホットドッグ、サラダ、フルーツ、それにゆで卵と飲み放題のコーヒー。
これで400円は確かに安い。



「いやー空いてるときに来てくれてよかったわー」と知り合いの店員が言うが、見渡しても空いている席はたったのひとつ。
いつ来ても満員だそうだ。

人気のあるのもうなづけるなかなかいい感じのお店だった。

2006年7月8日(土) 花火

長女が「友達と花火をしたいんだけどどこですればいい?」と聞く。
幼稚園児ばかりであれば家の前や近くの公園でやらせてもうるさくはないし、手持ち花火だけで満足する。
でも中学生ともなればそうも行かない。
仕方なく「じゃあ、堤防まで連れて行ってやる」と言った。

夕方、6時過ぎから友達が集まり始める。
長女が幼いせいなのか、集まった友達も小学生とあまり変わりなく、幼さが残る。
いつもの女の子と、あらめずらしや、男子がいる。
長女に聞くと勉強友達だそうだ。

車に乗り込ませるとずーっと話をしている。
小学生の次女もちゃっかり同席しており、中学生に混じって話をしているが、それができるのも話の内容が、やはり少し幼いからだろう。

中学校の役員ともなれば嫌な話も耳にする。
決して長女にはそうなってほしくないと思うような話も多い。
それだけに、長女やその友達を見ていると安心をした。

堤防につくとさすがに誰もいなかった。
夏休みであればテントで寝ている人たちもたまにいるのだが、空模様が怪しく、今夜は一降りするはずなのでそういう人たちもいない。

早速花火を始めた。
手持ち花火をキャーキャーいいながらやっている姿はなぜだかうらやましい。
そういうことで喜べることがうらやましく、友達と楽しく過ごせる時間を持てることをうらやましく思う。



落下傘の花火を打ち上げる。
夜暗くなってからやる花火なのに、暗くなっては見つけにくい落下傘花火を選んでしまうところはやはり子どもだ。
そういえばカラー煙幕の花火もあった。
黄色やピンク色の煙のです花火だが、これまた暗いと煙の色もわからない。

やがて男子がロケット花火を持てやってきた。
「これ、やりたいんですけど」
「おお。やれ」
わざと、突き放したように言う。
「いえ、あの、火をつけてほしくって」
「な、な。男やろー。ロケット花火の火ぐらい自分でつけろよ」
「は、はい・・」
「・・しゃあないなー」

そう笑いながらロケット花火を持って少し離れた場所へ男子と一緒に歩く。
「ビンか何か持ってきたか」
「いえ」
「じゃあ、どうやってこのロケット花火を打ち上げたらいい?」
しばらく男子が考えて、土の上にロケット花火をしっかりとつきたてた。

「これでどうですか?」
「うーん。それなあ。そんなにしっかり突き立てたら、飛ばんぞ」
またしばらく考えて、次は小さな小さな砂山を作ってそこに花火をつきたてた。
「これは?」
「うーん。それは不安定やなあ。火をつけて倒れたら大変やで」
「うーん・・・」

しばらく見ていたが答えが見当たらないようだ。
答えはいくらでも足元に転がっているのに。

「うーん。どうしましょう」
「そうか。こういう時はな、これを使うんや」
そういって先ほど打ち上げた落下傘花火の燃えカスを拾い上げた。
「これ、この筒をそのまま使う。これを地面に置く。そしてここに花火をセットする、と。・・・あ、あかんあかん、それは背が低すぎる。置いてみ。ほら、倒れるやろ。これぐらいの背丈のやつ。そう、それ。うん。よし。じゃあ、火をつける。ええか、火をつけた後は逃げるから、逃げ道に何もないことを確認しておく。ええか。よし。じゃあ、一回見本見せるで」
そういって火をつけさっと離れる。
ヒーンっという風きり音を残して夜空に花火が消えていった。

「よし。じゃあ、やってみ。もう少し向こうで。そう。そこにおいて。・・・こ、こらこら。今あそこでロケット花火やろうとしてるやろ。彼が逃げてくるのに、そこで噴出し花火をやったらあかんがな。ちゃんと周りを見てやらないと」

ろうそくの立て方、花火の消し方、不発の花火の扱い方、ごみの扱い方、掃除の仕方・・・。
それこそ何も知らない子どもたちにいろいろ教えた。

確かに今の子どもはかわいそうだ。
自由に花火をするところもないから、経験も少ない。

中学生のころの私は、すでにロケット花火を普通に打ち上げることは卒業していた。
それだけに、やけどや怪我も多かったし、大人に叱られることも何度か経験していたが、彼らよりもっとたくさんの楽しみ方を知っていた。

また機会があれば少しずつ教えてやりたい。

2006年7月9日(日) 意外なところで評価

新しいパソコンのセットアップをした。
更新モジュールの適用や基本的なソフトのインストールもした。
それらの動作確認のためこのホームページのトップを表示させることにした。

ネットワーク接続の確認をした時に既定のホームページとして検索エンジンのサイトを登録してあったので、ブラウザを起動するとそのサイトが表示される。
URLにkarintojp.comと入力してもいいが、ついでなので検索してみる。

いつものように何処かのバンドの人達のページがヒットする。
もちろんこのサイトもヒットする。
その中に見かけないサイトがヒットした。

何かの質問サイトのようである。
気になって覗いてみた。

「質問広場 限界利益率と販売利益の違い」と書いてある。
誰かが質問しているようだ。
読んでいても質問の意味がよく分からない。
というか、私の脳ミソがわかろうとしない。

で、回答を読む。
回答者はかなりのベテランのようだ。
その人の回答を読む。

 限界利益と売上総利益とは違う概念のものです。
 限界利益について比較的分かりやすく書いてくれてあるサイトが
 ありましたので紹介しておきます。
 中略
 ​http://karintojp.com/benkyo/keiri02.htm​

おお。
これはまさしく、私の勉強用のページ。
最も更新されず、最も手を掛けず、最も敬遠されがちなページである。
にもかかわらず、こんなところで意外な評価を受けていた。

も、もうちょっと勉強してみようかなあ・・。


2006年7月10日(月) ヨガはご馳走様

ヨガをやってみた。

中学校で開催された地域教育協議会に小学校の会長として参加した。
そこには各自治会の会長や中学校区の小学校の校長、幼稚園の園長、地域コーディネーターの人達も出席していた。

で、その地域教育協議会という難しい名前の会議は30分ほどで終った。
名前だけで中身は顔合わせという意味合いが強い。
毎年、余りに短い時間で終るので、今年は何かをやろうと中学校の会長が言い出し、それがヨガ教室になった。

会議が終って体育館へ移動する。

体育館に入ると一番前にヨガの先生がいた。
そのすぐ前に、先生と向かい合うようにヨガ教室の生徒がいて、生徒の後ろに父兄がいた。
その後ろに、我々が並んだ。

ヨガが始まる。
ヨガというと、ちょっときつい柔軟体操を思い浮かべるが、実にその通りだった。

モワモワっとした生暖かい体育館に座って、皆が先生に習って奇妙なポーズをとる。
子どもに見せると確実に威厳を失うようなポーズを次々にとる。
嫁さんが家でこれをやっていたら、少し愛が醒めるかもしれない。
体が痛いというほどでもないが、暑さがたまらない。
必要以上に汗が沸いて出てくる。

実に90分。
自治会の会長といえば平均年齢は70近い。
その人達に90分もの間、様々なポーズをさせ続けても、ヨガの先生は何か物足りない様子。

いえいえ、先生、最初の30分でもうみんな、ご馳走様だったんですよ。

2006年7月11日(火) ●●

学校の先生から電話があったようだ。
広報紙のことで何かあったらしい。

PTAには広報委員がいてその委員さんたちは一年の間にいくつかの広報紙を発行する。
毎月発行するものもあれば年に数回のものもある。
そのうちのひとつで発行部数も多い新聞がある。
中でも年度の最初(と言ってもこの時期になるのだが)に発行するものは先生やPTA委員の写真も掲載されており、業者に頼んで印刷をしてもらう本格的なものだ。

その新聞には私と校長が肩を組んでいる似顔絵が描かれており、それぞれが書いたコメントが似顔絵に添えて書かれている。
電話の主はその似顔絵を書いた先生だった。

電話の内容は次のようなものだった。

似顔絵のすぐ横に黒丸が四つ並んでいる。
こんな感じだ。
「●● ●●」
ゲラ刷りをもらって校正した時にはまったく気がつかなかったが、どうやら名前を書くところらしい。
広報担当も先生もそのことには気がつかなかったのだそうだ。
刷り上った印刷物を学校に納品したところで広報さんたちがチェックして、気がついた。
ところが黒丸が四つではなく二つになっている。
気を利かした印刷業者が、名前がなければ困るだろうということで、私のコメントの中の自己紹介から私の苗字を見つけ出しそこに当てたようだ。
しかし、苗字だけを当てたので、右側の二つの黒丸は残ったままだったのである。
私の名前が「●●」になっている。
刷り直すとなると費用がかかるし、予算は決められている。
だから訂正文をつけて配布することにするという。
大事な最初のPTA紹介の本格的な新聞に、会長の名前が「●●」で掲載されてしまったことを詫びたいと言う電話だった。

電話に出たのは嫁さんで、その先生とも仲良しなので多少は気が楽だったと思うが、それでも何度も何度も謝罪していたらしい。
私にも直接謝りたいというのだが、仕事から戻ってくるのはいつも0時を過ぎており朝も早いため、連絡は取らないと、嫁さんは伝えた。
このままだと休日に自宅に来て謝りかねない勢いだったので、私からメールを書いて、ぜんぜん気にしていない旨を伝えた。
私にとってはそれはそれで印象付けるにはいい材料だと思ったからだ。

後日談だが、結局、印刷業者もこのままこの新聞を発行しては沽券にかかわると言うことで、無料で再印刷してくれることになったそうだ。
ちょっと残念である。

2006年7月12日(水) 七夕まつり

先週の話だが6日と7日に町内の商店街で七夕まつりが開催された。
発起人は評判の散髪屋さんのようだ。

数週間前に散髪屋のご主人から子ども会に依頼があった。
七夕の絵を子どもたちに描いてもらい、七夕祭りの夜にそれを飾らせてほしいというのだ。
また、当日は笹の葉に飾りつける短冊に、子どものたちの願い事を書いてもらい、お菓子を配ると言う。
今までにそんなことをした記憶がない。
多分、商店街組合の役員が変わったのだろう。
この散髪屋のご主人はとても活動的だ。
愛想もよく、いつも大きな声であいさつをしてくれる。
この人が中心になって推し進めているのだろう。
子どもたちを巻き込んだ行事を企画してくれたことに感謝し、二つ返事で引き受けた。

子ども会の子どもに画用紙を配り、絵を描いてもらった。
もちろん我が家の小学校一年生も、そして中学校二年生も絵を描いた。




当日、すべての絵が痛まないようにラミネート加工されて展示されていた。
多くの子どもたちが短冊に願い事を書いてお菓子をもらっていた。
とても盛況のうちに終わったようだ。

気をよくした散髪屋のご主人がいう。
「秋にはハロウィンをやろうと思いますねん。また協力をお願いします」

こちらこそ、是非お願いしたい。

2006年7月13日(木) 強攻策を大人にも

仕事の合間を縫って中学校校区の生活指導委員の交流会に出席した。
各校の校長や会長、市教委(市の教育委員会)、それに生活指導委員さんたちが集まって意見交流を行うのだ。

意見交流と言ってもまったく予定したとおりに議事が進み、一通りの報告してそれ終わりであった。
「最後に何か意見はございませんか?」と司会が言う。
でも、誰も挙手して発現しようとしない。
というか、発言してはいけない空気が伝わってくる。
形だけ開催してそこに参加すればなんだかひとつ義務を果たしたと感じている人が大半だということが、目を見ればわかる。
その場で私が何か意見して、いたずらに神経を逆なでするようなことはしたくないし、また、私の話をここのメンバーに聞かせてもしようがないと思ったので、黙っていることにした。
予想通り、終わって一分もしないうちに、30人あまりいた人間のほとんどは、まるで避難訓練なのかと思うほどにさっさと帰ってしまった。

あまり実りのない会議だったが、警察の少年係の人の話が面白かった。

ある荒れた中学校を先生と一緒に立ち直らせたと言う話だった。
そこにはテレビドラマのような熱血的な教師がいるわけでもなく、あっと驚くような奇抜な方法をとったわけでもない。
それが一年もしないうちに普通の中学校になったという。
逮捕と言う強攻策をとったのだ。

まず最初に目をつけたのは番長格の2年生。
そう。目をつけたのだ。
「こいつを何とかしなければいけない」
それは先生も警察も同じ考えだった。
その生徒が授業中に先生に暴力をふるい、そして逮捕された。
次に目をつけたのが3年生のグループだ。
万引きや暴走などの容疑で次々と逮捕した。
その数、実に10数名。
この強攻策が功を奏し、学校は一変しておとなしくなったと言う。

その場で聞いていた校長にはなんとも耳の痛い話だろうが、警察の人が言うように「この町で悪いことはできないと思わせるのが重要だ」と言う言葉は、確かにそうだと思った。

「保護者にも処罰を与えたいが、現在の法律では無理」という警察の人の言葉は、その場にいる大人へ向けられた叱責のように聞こえた。

私もまったく同感だった。

2006年7月14日(金) 最高の班長たち

私の町内の班長さんたちはとても積極的なのは以前から何度も日記に書いてはいるが、今日改めてそれを思い知らされた。

私は仕事で出席できなかったが今日は班長会議があった。
予定の時刻を過ぎても嫁さんが自宅に戻ってこず、何か揉め事でもあったのかと心配していた。
というのも、市民まつりの警備を各地区から2名ずつ参加してほしいと言う依頼をしているのだが、どの地区も警備員選出に揉めていたからだ。
1名を選出するのがやっとだと言うのだ。
私の地区に限ってそんなことはないだろうとは思っていたが、やはり時間が遅いと、それも心配してしまう。

嫁さんが帰ってきた。
なんだかうれしそうな顔をしている。
「あんなー。今度の盆踊りで、フランクフルトを焼いて売ろうって話になってん」という。

学校では10月に行われるお祭りの出し物を各地区で分担するのだが、それを決めるのが6月である。
それぐらいから準備しないと、各地区が対応できないからだと言う。
そのお祭りの出し物にも焼きフランクフルトがある。
秋祭りの出し物である焼きフランクフルトの準備を5ヶ月前に開始するのだ。

ところが、私の町内の班長たちが言い出したのは来週の盆踊りのことである。
学校では「秋祭りがあるので各地区の出し物を決めて準備してください」と学校側から言い出して、しかも準備に5ヶ月かかるのに、私の町内の班長たちは、自分たちでたった一週間先の祭りの出し物を決めたのだ。
誰にも頼まれてはいないし、例年、やっていることではない。

自治会長に相談すると「おお。それはいいこっちゃ。なんぼでもやり。売上は子ども会で使えばいい。仕入れの手配もしてやる。コンロも自治会のを使えばいい」と全面協力を約束して、快諾してくれた。

ほんの一年前、自治会と仲が悪く、盆踊りのが終わったときに子ども会のお母さん方が「来年から絶対に手伝わないから!!」と捨て台詞をはき、それに対して自治会長は「帰れ帰れ!!」と罵倒した。
そんな険悪なムードだったのに、この一年で大きく変わった。
子ども会も自治会に協力し、自治会も子ども会を応援してくれる。
自治会の会議でもお母さん方の笑顔が増えた。
昔を知るお母さん方は「信じられない」とさえ言う変わりようだ。

頑張ってきた甲斐があると思う。
この調子で来年もできればいいと思う。

あ、肝心の警備員。
私の地区は2名募集のところに、7人集まった。

2006年7月15日(土) 校区会長の思い

今日は校区子ども会の会議があり、夏休みの花火大会の企画確認を行った。
半ば強引とも思える校区子ども会会長のスケジュールに一同唖然となった。
でも、そのスケジュール一つ一つについて問題点と、その対策を検討していくうちに、だんだんと意見も活発になり、よりよく無理のないスケジュールが出来上がった。
出来上がったものと最初に校区会長が持ってきた素案とを比べると、それほど大差のないものであり、校区会長も大いに満足していた。
まあ、影で私と校区会長が汗水流す羽目にはなったが。
それでもお母さん方は快く承諾してくれたし、協力を約束してくれた。

会議が終わり、いつものように校区会長と飲みに行った。
「いやーなんとかまとまりましたね。お疲れ様」
と乾杯をした。
もう少し反対意見が出るかと思っていたけれど、案外そうでもなかったことに二人して安堵していた。



何杯か飲み進むうち、学校と子ども会の連携を強固にしたいと言う話になり、私が今まではどうだったのか聞いてみた。
「ところで、前年のPTA会長さんとはあまり結びつきはなかったんですか?」
「いや、あの人も昔は子ども会でよく働いてくれていたんよ。でも、小学校の役員をやるようになってからはあんまり付き合いもないし」
「そうですか・・。」

やはりな、と思った。
小学校の実行委員会で話をしていても、校区子ども会に関連する話を全く聞かないし、逆に校区子ども会で話を聞いていても小学校PTAの話をほとんど聞かない。
単に地域の保護者としてなら、PTAとも子ども会ともつながりを持っているが、それが委員になってしまうとつながりがなくなってしまうのだ。
まして役員ともなればなおさらなのだろう。

ただ、私の町内だけは、実行委員が子ども会担当になっているので、それぞれの情報を把握している。
だから何をするにもすばやく柔軟に動けるのだ。
それだけに負担も大きいが、それが私の地区の地区長を務めることができる人はPTA会長なんて難なくこなせる、と言われているゆえんだ。

校区会長とさらに会話を続けた。
「そういえば、前の会長さんはいろいろと活躍されていて、市のPTA協議会でも役員になってるし、今度の市民祭りの実行委員だし、大忙しのようですね」
「そうやねー。あの人はいろいろ手がけてる見たいやねー」
「会長はどうなんですか?市子連とか府の連合とか、そういうところで活動はしないんですか?」
「うーん。そうやねぇ。それもええねんけど、僕はやっぱ、子どもの姿の見える現場にいてたいなあ」

それを聞いて私も大きくうなづいた。
私の待っていた答えだった。

私も小学校のPTA会長である前に子ども会の会長でありたい。
父兄の方々と一緒にがんばっていくと言うのも悪くはないが、やはり子どもの笑い声の聞こえる場所に私はいたい。
校区会長の一番下の子供はすでに高校二年生。
私があと十年がんばってようやく今の校区会長に並ぶ。
頼りないところはあるけれども、それでも先頭に立って牽引し続けている校区会長は尊敬に値する。

2006年7月16日(日) 寝坊

今日はびっくりした。
何がびっくりって、寝坊して仕事に遅れたのだ。

起床予定時刻は午前3:00。
なのに実際に起きたのは午前4:40。
しかも、ユーザに起こされたのだ。

こんなことはいまだかつてなかった。
約束の時間に遅れることはあってもその原因が「寝坊」だったなんてことはまずない。
むしろ、早朝に作業があるようなときは、目覚ましがなくても時間が気になって、予定よりかなり早く目が覚めてしまうほどなのだ。
それなのに、今回はユーザに電話で起こされる始末。

目覚めた私はこれ以上に短縮できないほど短い時間で身支度を済ませて家を飛び出した。
いや、正確に言えば身支度をしていない。
とにかくすぐに家を飛び出し車に乗って駆けつけた。

「すみません! 10分で片付けます!」と挨拶もほどほどにすぐに作業に取り掛かった。
寝起きとは思えぬほどに冴えた頭で約束どおり、10分で片付けた。
しかし、早朝の作業は時間が大事なのに、1時間のロス。

作業完了後もお客さんには平謝り。
長年お世話になっているユーザであり、笑って許してはくれたが、そういうユーザだと言う甘えが心のどこかにあったのだろう。

自戒しつつヘロヘロになって帰宅した。

2006年7月17日(月) 盆踊りの来賓席

昨日、隣の町内で盆踊りが開催された。
「盆踊りなんて」という長男を自宅に残し、四人で出かけた。
翌週は私の町内の盆踊りでもあったので視察を兼ねてのことだ。

自宅から歩いて7分程度のところに会場があった。
朝から雨が降っており、開催が危ぶまれていたが、提灯もきれいに飾り付けられ、橙色の電気が濡れた町並みをぼわーっと幻想的に照らし出していた。

盆踊りの輪の中に知り合いの顔をいくつも見つけた。
校区の子ども会でいつも一緒に活動している隣町のお母さんたちだ。
みんな着ている浴衣のせいなのか、いつもより若く見える。

「○○くーん!」と私を呼ぶ声がした。
きょろきょろ見渡すと、テントの下の来賓席に腰掛けた校区子ども会の会長が、手を伸ばして私を呼んでいた。

「ちょっと行ってくるわ」と嫁さんに言い残し、来賓席へ向かうと、何人かのお母さんたちが私に「ご苦労様です」と挨拶してくれた。
ただちょっと見に来ただけなのでそんなに労ってもらう必要はないのだが。
「こちらへどうぞ」そう言われたので、なんだか居心地が悪いけれども来賓席へ座った。
するとすぐにビールとおつまみが運ばれてきて、お酌までしてくれた。

うーん、そんなもてなしを受けるようなことはした覚えがないのに、と少し戸惑いを感じながらも、5秒後にはビールを飲み干していた。
しばらくすると、餅つき大会のときに張り切っていた病院の先生が挨拶にいらっしゃった。
「おお。お久しぶり」と気さくに私に声をかけてくれた。
どちらかと言うとこういう接し方をされるほうが慣れている。

続いて子ども会のお母さん方が挨拶にいらっしゃった。
「今日は視察ですか?」
「ええ、まあ」
「ゆっくりしていってください。来週はそちらの盆踊りにうかがいますので」
「ええ、ぜひきてください」

今度は子どもが来た。
「あ。おっちゃん! なにしてんのそんなとこ座って」
そうだな。なんで私はこんなところに座ってるんだろうな。

しばらくして校区会長は次の予定があるからと、自分の地区の自治会長さんと一緒に引き上げて行った。

私はもうしばらく、踊りの輪を見ていた。
橙色の光が暖かい。



やがて子どもたちの引き上げる時間となって、だんだんと静かになってきた。
いつの間にやら私の家族も家に引き返したようだ。

このままご馳走様、といって帰ってしまってもいいものだろうかと思いもしたが、いつまでもそこにいるわけにも行かず、一礼して引き上げることにした。
「どうもご苦労様でした」
とまた労いの言葉をかけられる。

どう考えても、なにも労ってもらうようなことはしていない。
ここへきて、ビールを飲んで、適当に話をして、そして帰るだけ。
ずーっと休憩することなく、来賓をもてなしているお母さん方のほうがよっぽど大変だ。
自分の地区の盆踊りではそのことを忘れずに、お母さん方をフォローしよう、と思った。

2006年7月18日(火) 役員さんの家で

役員だけ集まって会議を開くことになった。
といっても役員で確認作業をするだけなので、「たまには学校以外で打ち合わせをしましょう」と声をかけると一人の役員さんが、「私の家でやりませんか?」と名乗りを上げてくれた。

この役員さんは他の役員さんよりも若く、PTA役員活動のことをあまり知らない。
でも知らないからこそ、素朴に疑問に思い、単純に答えを求め、素直に行動に移す。
その結果、PTA役員会の悪いところが彼女を通して見えてくる。
そしてそのやり方がおかしいと思うと、目を瞑ることなく、追求してくれる。
私としては非常に頼もしい存在であり、一緒に活動していきたいと思う人だ。

この役員さんの家でやるのであれば何かお土産を持っていかなくては。
以前に「焼き鳥が好き」と言う話を聞いていたので、嫁さんに確認するとどの店の焼き鳥が好きなのか教えてくれた。
「その店の焼き鳥を持っていく」と彼女に連絡すると「じゃあ、いっしょに晩御飯にしましょう」という。
嫁さんが「いいなあ」というと彼女は「奥さんも一緒にどうぞ」と応えた。
かくして、役員プラス我が家の会議アンド晩御飯が開かれることになった。

会議はあっという間に終わり、晩御飯タイムとなった。
こういうときでも嫁さんはちゃんと料理を作って持っていく。

焼き鳥や嫁さんの作ってくれた料理を食べながら、地域の情報交換や問題点など、普段ならゆっくりと話のできないようなものについていろいろと話し合った。
嫁さんも全役員と知り合いなのでまるで自分も役員の一員であるかのように話をしていた。
話の内容や相手への話し方などを聞いていると役員よりもずっと説得力があり、どっちが役員なんだかわからない。

嫁さんもたっぷりと話を聞いてもらえたし、いろいろと情報を得ることもできて満足できたようだ。
何より、役員のみんなが楽しかったですと言ってくれたのはうれしかった。
これも若い役員さんのおかげである。
感謝。

2006年7月19日(水) 大雨

まあなんとよく降る雨だろうか。
連日の大雨で各地では深刻な被害が出ているようだ。

時々ニュース番組に映し出される被災地域の映像の中には「こりゃどう見ても危ないだろう」と思うような場所に家が建っていることもある。
後ろに山があり前に川が流れている。
四季折々にさぞ自然を満喫できるだろうなと感じるのんびりした田舎の風景だが、あんなに山が迫っていたり、たいした堤防もないような川が近くを流れていたり、そんなところに建っている家を見ると、「こりゃどう見ても危ないだろう」と思うのである。

斜面に立てられた家は地滑りの影響を受けやすい。
川がなくても山沿いの斜面は土石流の被害にあうこともある。

昔、私が結婚前に住んでいた家では、目の前に用水路が流れ、大雨になるとそれが氾濫し、道路が水浸しになり、床下浸水の被害にあったことも何度か経験している。
仮の住居として作られたもので、安普請だったので雨漏りもひどく、壁にも穴が当ていたし、床もところどころ腐って抜け落ちていたので、大雨や強い風が吹くたびに、つぶれるのではないかと心配したものだ。

結婚のときに購入したマンションも、今の戸建ても都会にあった。
川や山が遠く、都会に家を持つ私にとっては、そんな自然災害の発生しそうな危険な場所に、よくもまあ、住んでいるものだと、過去の自分の住処を棚に上げて、そう思うのである。

でも、見方を変えれば、私の方が危険な場所に住んでいるのかもしれない。
通学路では何台もの車が通り過ぎ、ひとつ通りを隔てれば見知らぬ人間のほうがはるかに多いような町。
いつの間にか住人が入れ替わっていようと無関心で、よそからの不審者さえもそれと気づかない町。

自然災害と引き換えに背負った危険はたくさんある。

2006年7月20日(木) 7歳!

先日、次女が誕生日を迎えた。

盆踊りの夜、来賓席に座っている私のところへ次女がやってくると、隣に座っていた校区子ども会の会長が「○○(私)くんのお子さん?」と尋ねた。
次女は間髪いれずに「うん」と返事をし、校区会長が聞いてもいないのに「いくつやと思う?」と言葉を続けた。
「うーん。8歳かな」
「ブッブー。7歳でしたー。明日誕生日で7歳になるねん。一日早いけど、もう7歳でもかまへんねん」

親がびっくりするぐらい物怖じしない性格で、子供であろうが大人であろうが、誰とでもすぐに仲良くなってくれるのはうれしいことだが、最近は手放しで喜べないのも事実だ。

「おばちゃーん!あついなーこの店。なんでクーラーつけてへんのー?」
と、商店街のたこ焼きやさんでカキ氷をほおばりながら文句を言う。
おばちゃんも笑って「○○ちゃんの家は涼しいかあー」と聞き返す。

また、別のお店で話をしている。
「おばちゃん何歳? ○○(自分)のおかあさん42歳!おとうさんは41歳やけど」
「ははは。そんなん○○ちゃんに教えたらみんなに言われてまうわー」

家の前で嫁さんと話しこんでいる女性に話しかける。
「おばちゃん、結婚してる?」
たまにバツイチ女性に声をかけるので始末が悪い。

話し言葉はとんでもなくませてはいるが、ダンボールの空き箱を見つけると喜んで中に入り、お菓子やら本やらとぐちゃぐちゃになって喜んでいる姿をみると、まだまだ幼いな、と感じる。
ダンボール箱に「○○の部屋」と自分の名前を書き、好きな花の絵を描く。
その横に何か書いてある。
「かってにはいったら、5しゅうかん、ばんごはんぬき」

5週間と言うのをどの程度の長さだと感じているのか、まだまだ不思議な7歳である。

2006年7月21日(金) 名簿作成

「個人情報保護などの問題で、昔ながらの近所づきあいというものが難しくなっている昨今ですが、それが子どもたちの安全を妨げるものであってはなりません」
これは私が今年の入学式で挨拶した内容の一部である。

最近、学校では生徒の名簿を配布しない。
名簿は個人情報が満載であり、そういうものを配布したくはないのだろう。

ところが、数年前まであって当然だったものが突然なくなると非常に困る人もいる。
今年初めて一年生の子どもを持つ親はいまだそういう体験をしていないためか、想像力に乏しいためか、名簿の必要性を感じていない。
しかし、すでに何人かの子どもを小学生として育ててきた父兄はその必要性を身にしみて感じているはずだ。

というのも小学生になったとたんに子どもの行動半径が広がり、その全域を親が掌握するよりも早く子どもはあちらこちらへ出かけていく。
幼稚園のときのように送り迎えを親がやっていたときとは違い、集団で登下校するようになった子どもたちは、親が知らないところで友達との絶好の遊び場所や仲間だけのお気に入りの場所を見つける。
そうして親の知らないところ、むしろ親には内緒にしておきたい場所、を増やしていく。
そんなときに名簿が大活躍するのだ。

例えば、誰かと遊ぶ約束をして家に帰ってきたとする。
互いに相手の家を知らないので、学校の正門で待ち合わせをしていると言う。
そのときに「じゃあ、行ってらっしゃい」と素直に見送るだろうか。
親の知らない相手と「約束しているから」と言われても心配なだけだ。
たとえこちらが手放しで見送ったとしても、相手はどうだろうか。
相手が用心して子どもを家から出させなかったりしたら、わが子は待ちぼうけである。

こんなとき相手の家の電話番号がわかれば電話で確認できる。
間違いなく約束したのか、どこで遊ぶことになっているのか、そのあたりに危険な箇所はないのか、さまざまな情報交換ができる。
他にも名簿に助けられることは多い。

でも、その名簿を学校は配布しない。
懇談会のときに嫁さんの友達が学校に質問したが、学校としては名簿を配布することはできないと言う。
周りにいた母親たちは積極的に意見を述べる感じではなく、どちらかと言うと名簿作りに反対している先生や一部の声の大きい委員さんにおされて「別になくてもかまわない」と言う雰囲気ですらある。

しかし、それであきらめるような嫁さんたちではない。
学校側が不特定多数の人に名簿が渡ってしまうことを懸念しているのであれば、不特定多数ではなく、あるルールに賛同した人だけに限定して配布すればいい。
簡単なルールだ。
名簿をほしい人は自分の電話番号を教える。
自分の電話番号を教えない人には名簿を渡さない。
自分の個人情報を出さない人には他人の個人情報を渡さない。
このルールで名簿を作成しよう、と嫁さんは考えたのである。

学校側としては名簿の作成に一切協力できないため、学校などで呼びかけは行わず、直接、一軒一軒を訪問するのである。
しかしここで問題がある。
一軒一軒訪問するにしても、その肝心の家がどこにあるのかという情報すら、得ていないのである。
だからすべて人づてである。
知り合いの一人の家に行く。
主旨に賛同してもらうと、電話番号を教えてもらう。
その人の友達を教えてもらう。
その家を訪ねて主旨に賛同してもらうと、電話番号を教えてもらう。
それの繰り返しだ。

学校の先生の中には学級委員の家に電話して「名簿作りには協力しないように」などと言っている人がいるらしいが、嫁さんたちの神経を逆なでにするだけであり、嫁さんたちはさらに強力に推進するに違いない。

今日現在、10件を訪問し、賛同してくれた人は10件。
どの家に行っても「ありがとう。実はほしいと思ってた」「一軒一軒回るなんて大変でしょうけれども頑張ってください」と感謝と励ましの言葉をかけてもらうらしい。

うれしそうに報告する嫁さんの姿に、心から声援を送りたいと思った。

2006年7月22日(土) 隣町の盆踊りで

今日もまた、隣町の夏祭りに出かけた。
今日は来賓席ではなく、嫁さんの友達が確保してくれた一般席で過ごした。

この祭りはこの地区にある大きな賃貸マンションの自治会が主催でやるのだが、出店の数も多く、とても賑わっている。
マンションの敷地内に露店を出し、ブルーシートを敷いてテーブルをおき、簡易の休憩所をいくつも作ってある。
その簡易座席の一角を友達が確保してくれた。
あまりに賑わうので、早い時間から座席を確保しておかないと、焼きそばやビールや串カツを立って食べなければならないのだ。

会場に到着し、来賓席の前を通ったときに、これまたどこにでも顔を出す校区子ども会会長に呼び止められたが、「あちらに席があるので」と断ってそのまま通り過ぎた。
テントの下はどうも堅苦しい。

嫁さんの友達が確保してくれた一角に向かうと、顔なじみが座っていた。
嫁さんの友達と言っても私から見れば同じPTA役員仲間だったり、各地区の子ども会の会長だったり、同じ町内の班長だったり、と私もよく知っている顔ばかりだ。

串カツを買うために並んでいると、女子中学生がこっちを見て笑う。
見覚えのあるその顔は同じ町内の子どもだ。
「何を笑ろてるんや。何がおかしい」と聞くと、クスクス笑うだけで答えようとしない。
それでも察しはついた。
場内のあっちこっちでシャボン玉が飛んでいるが、そのシャボン玉には糖分が多く、とても割れにくくなっている。
実際、手や服にくっついても割れないのだ。
と言うことはたぶん、頭にもついているのだろう。

「頭にシャボン玉でもついてるんか?」ときくと「うん」とうなづく。
「ほんならとってくれ」と頭を突き出すと、これまた、笑い出す。
「やかましいわ!」と叱ると、それでも笑い出す。
何がそんなにおかしいのか、それでも確かに、この年頃の女の子はすぐに笑い出す。

「なあなあ。おっちゃん、おごって」
「人のこと笑っておいて、何を都合のいいこというてんねん。あほなこと言うな。それに人にすぐ、『おごって』なんていうたらあかんぞ」
「だぁって千円しかないないもーん」
「『千円も』じゃ! 今日はおかあさんはどないしてん?」
「おかあさんはきてなーい」
「ほな、しゃーないな。8時なったら帰れよ」
「ふぁーい」
としぶしぶ返事を返すが、8時を過ぎても帰るつもりがないのは明白だ。
そういい残して子どもたちと別れた。

次に、ゲームコーナーに行くとどこかで見た顔だが思い出せない人がいた。
小学校に出入りするようになってから、こういうことが多い。
学校関係では男性が圧倒的に少ないから、相手はすぐに私だと気がつくのだが、私にしてみれば女性ばかりで、とりわけ美人でもない限り覚えてはいない。

「あら。会長さんじゃないですか」とその見覚えはあるけれどどこの誰だかわからない人に声をかけられる。
「あ。こんばんは」と適当にあわせる。
そのゲームコーナーにはボールを的に当ててビンゴをやるゲームがおいてあった。
その的はボールを当てると当たった的がパタンとひっくり返る仕掛けになっている。
これってどこかで売っているのかな?と思っていた矢先、
「どうですかこのゲーム。これ、全部私らが作ったんですよ」
と言われた。
「へえ、すごいですね」
と返すと、「私ら、テキ屋もんはなんでもできますよ」と自信満々に答える。
お母さんが「テキ屋もんは」というのがこれまたすごい。
私の町内のお母さん方も活発だが、この人もすごいもんだ。
ぜひ仲良くしておかねば。

子どもとの交流や、地域の人との交流、こういうことがテントに座っているとわからない。
来週にも隣町の盆踊りがある。
テントを離れてうろうろしようと思う。

2006年7月23日(日) ウグイス嬢を終えて

朝からウグイス嬢だ。

昨日、隣町の盆踊りに参加していたが、私だけ途中で引き上げた。
というのも、今日の盆踊りの準備として、テントの設営などが必要だったからだ。

約束の時間に少し遅れて自治会館に到着すると、ただならぬ雰囲気である。
どう見ても準備をしている感じではない。
自治会館入り口前に何人かのお父さんが立っている。
「すみません、遅れまして・・」と言いながら入り口を入ると、入ったすぐのところにお母さん方が何人か立っている。
スリッパに履き替えさらに進むとその先には大勢のお母さん方が床に正座している。
一番奥を見ると5組程度のソファーに自治会の大御所が鎮座している。
こちらを向いて真ん中に座っているのが自治会長だ。
その両横に副会長や婦人会会長が座っており、長老たちもソファーの横にずらーっと並んで立っている。

お母さん方に混じって床に座ろうとすると
「○○(私)さん。あんたを待ってたんや。こっちこっち」と言ってソファーの空いている席を指差された。
多くのお母さん方が床に正座させられているのに、その前を通って遅れてきた私が偉そうにソファーに腰掛けるなんて、と思ったが、思うところがあり、私が早く座る必要があると判断した。

この雰囲気からすると、雨が予想される日曜日の盆踊りをどうするか決めているに違いない。
そして、その結論を一刻も早く出すことが、ここに集まっている人の負担を軽くすることに違いない、と判断したのだ。

座席に着くとすぐに会長が明日の天気のことと盆踊りを順延すべきかどうかの話をし始めた。
10分程度は話を聞きながら動向を見守っていたが、やはり結論が出ない。

出席者の一人が言う。
「わしら、兵隊やさかい、役員の三役(会長と副会長二人)で決めてくれたらええ。わしらはそれに従うだけや」
それを聞いて会長が言う。
「こういうことはみんなで決めたい。みんなの意見を聞いてからにしたいと思う。みんなの都合もあるやろうから。どうでっしゃろ」
ワンマンな会長も今までいろいろな人にたたかれてきたので、自分ひとりで決断しにくいのだ。
しかし会長が尋ねても誰かが意見を言うわけではない。

そこで私が切り出した。
こういう膠着した場所で私が意見を切り出すとそれは結論であるといっても過言ではない。

「今までみなさんのお話をお聞きしていると来週に延期することに異議を唱える人はいないようですね。会長、これはもう、来週に延期で決定しましょう。『もし明日、晴れたら?』と言うことを心配されているのかも知れませんが、今この時点で、それを予測できる人はいないし、延期の決断を下したことに対して『判断が誤っていた』などと批判できる人間はおりません」
「そうやな」と会長が話す。

どこからともなく、
「来週だと6年生が林間学校で参加できない」と言う意見が出た。
「その分、子ども会がフォローします。今回、6年生が楽しめなかった分は後で穴埋めします」と返した。

これまた何人かが
「来週は手伝いができないんですが」と言った。
「それではまたの機会にぜひご協力ください。『できる人ができるところをやる』と言うことでいいと思います。来週なら私が倍、動けますので大丈夫です」と返した。

会長が締めくくる。
「それじゃあ、来週に延期と言うことにします。延期の知らせは明日の午前中に拡声器でお知らせしながら、町内を回ります。それから・・・」
と、これからの段取りを一通り話し、解散となった。

「○○くん」
会長が私を呼ぶ。
「○○くん、明日、一緒に車で回ろ。拡声器で話をしてくれ。ウグイス嬢や。ははは」

そういうわけでウグイス嬢をやった。

会長の軽自動車の助手席に乗り、拡声器を屋根に載せ、左手で押さえながらアナウンスして回る。
自分で原稿を持ってきていたが、会長の用意した原稿を優先した。
へたくそな文章であり、この通りに読むのは恥ずかしいとも思ったが、ま、いいかと思った。

一年前の盆踊りのときに「なんてやつだ!」と思った会長を、今、こうやって支援しているのは不思議な感じだ。
意外と広い町内を一周し終えて、一緒にモーニングを食べながら「これからも一緒にがんばろな。でもあんまり力を入れてがんばり過ぎるとしんどいから、適当にな」と、私に語る会長の姿に一年前の姿はダブらなかった。

2006年7月24日(月) 走り出す

夜間作業があるので、一度家に引き返して車でユーザ先へ向かう。
今日は前に勤めていた会社の上司と仕事だ。
仕事は特に問題なく終わる。

遠地から出てきている元先輩はこの時間になると自宅に帰る手段がなく、今日の作業のためにあらかじめホテルを予約しておいたらしい。
「車で来てるの?それなら悪いけど、ホテルまで送ってくれる?」
「いいですよ」

仕事場を出て駐車場へ向かう。
「どう?仕事は忙しい?」
仕事での付き合いがある人は、話をすることがなくなったとき、必ず決まってこう尋ねてくる。
だから、私は絶対にこの質問はしない。
「ええ。おかげさまでと言うのか、急がしいです」
仕事が暇だったなんてことは一度もない。
「今は、どこのユーザをやってるの?」
企業秘密を聞かれてそのまま応えるわけにも行かず、また、正直に答えたところで、何がどう影響するわけでもない。
「前と同じですよ」
と当たり障りのない返事をする。

退屈な会話をしながら駐車場につくと、いつものように、異彩を放つ私の車そこにいる。
「助手席にどうぞ」と促す。
車に乗ると誰もが必ず何かしらのリアクションをする。
今日の先輩は「いい車に乗ってるなあ。さては儲けてるな」と言った。

「ええ。もちろんです」
否定はしない。
否定をすると、私がこの上司の下を去った理由を否定することになるらだ。
「もちろん、儲けてますよ。そのために、会社を辞めたんですから」
「・・・」

エンジンをかける。
赤いライトにメーターが浮かび上がる。
心地よいエアコンの風と軽快なFMの音楽が流れる。

アクセルを踏み込んで力強く発進した。
まるでその場所にとどまっていることを否定するかのように。

2006年7月25日(火) 背中は越されない

最近はあまり長男と一緒に行動することがなくなってきた。
それでも、自分が高校生だったときのことを考えると、長男はまだ親に話をしてくれるほうだと思う。

とはいえ、私がどこかへ行くときに無条件に喜んで付いてくるのは次女ぐらいなもので、長女でさえ、行く場所によっては「行かない」と断るのだから、長男ともなれば、旅行やレジャーでもない限り一緒に来ることはない。
だから私と長男が一緒にいるところを見られることは少なくなった。
おそらくそのツーショットを見慣れているのは行きつけの中華料理屋ぐらいだろう。

そんな長男だから家族と別行動をとることが多い。
高校二年生ともなれば楽しいことも多いらしく、相手は男友達なんだか女友達なんだか、とにかく忙しく出かけて回っている。

先日の夏祭りの日もそうだった。
夏祭りなら声をかければ一緒に来たのだろうが、その日も友達と遊んでいて、仕方なく、長男を残して四人で祭りに来ていた。

数時間が経過してそろそろ帰ろうかと言うころ、長男から電話があった。
今から来るという。
それほど飲み食いして祭りを楽しみたいと言う感じでもなかったので、呼ぶことにした。
やがて、ついこの前まで「いらない」といっていたのに、最近になって「パソコンよりもほしい」と言ったので、買ってやった自転車に乗って現れた。
駐輪所に自転車を止めさせて、場内に入った。

みんなの集まっていたところにいくと、長男に気がついた知人が驚きの声を上げる。

「うーわ!また大きなったんとちゃうう!?」
「ほんまやー!お父さんそっくり!」

長男はどう思ったか知らないが、私は悪い気はしない。

「ちょっと並んで立ってみ!」
「うわぁ。気持ち悪いぐらい一緒やなー。お父さん、無理して若い格好してるから後ろから見たら区別つかへんがな」

無理して、は余計だ。

初めて長男を見た小学校の役員のリアクションはすごかった。
目を見開いて口をあけてびっくりしていた。
その旦那が息子に背比べを挑むが、比べるまでもなく長男のほうが大きく、周囲の笑いを誘っていた。

 お父さんより背が高くなったらぶっ飛ばす。

そう言っているのでまともに背比べなどしてくれない。
そういえば、短距離走も本気で競争はしてくれなくなった。

男の子どもを持てばいつかは交代する時が来るだろう。
でも、背中はいつまでも見せ続けられるはずだ。

これからも背筋を伸ばし、前を向いて歩いていきたい。

2006年7月26日(水) 名簿作成は順調

今日は前日まで降り続いた雨を一気に干上がらせるつもりなのかと思うほどの酷暑だった。
昼下がりは日陰で休んでいても汗が吹き出てきた。
私がユーザ先を訪問し終えて炎天下を移動中のころ、嫁さんも名簿作成に東奔西走していた。

名簿作成も順調に進み、9割以上が賛同してくれている。
賛同しない人も反対意見があるわけじゃなく「今は必要性を感じないから」という中立的なものだった。
あくまでこの名簿は、その作成の主旨に賛同して積極的に自分の連絡先を公開できる人だけで作られているものである。
だから訪問時にも「参加をお願いします」とは絶対に言わない。
「こういう主旨でやっているんですが、参加しますか?」と尋ねるだけだ。
また、現在どれだけの人が集まっているのか、説明の段階では知らせていない。
集まっている数を見せると「自分だけが参加していないのは仲間はずれにされそうだ」などと余計なことを考えてしまい、本当に納得してではなく、仲間はずれがいやで参加してしまう恐れがあるからだ。
主旨の説明や方法などについては嫁さんと徹底的に話をし、どこからも反論されないようにいろいろと考え、勧誘と思われるような言葉は一切排除した。

それでもほとんどの人が賛同してくれた。
応援してくれる人も多い。
暑い中ご苦労様と、ジュースをいただくこともある。
中には協力して一緒に回ってくれる人まで現れた。

もともと嫁さんたちは自分のクラスだけで名簿を作ろうとしていたが、隣のクラスもうわさを聞きつけ、「私たちも手伝うので、ぜひ作ってほしい」と言う人が現れた。
実は隣のクラスの担任が、嫁さんの活動を知るや否や「私たちのクラスでは名簿を作らないようにしましょう」と学級委員たちに連絡していた。
それだけに、隣のクラスの人の協力は得られないだろうと、嫁さんも諦めていたのだ。
それなのに、そのクラスにも「一緒にやりましょう」と言ってくれる人がいると言うのはなんとも心強いことではないか。
手伝ってくれると言う言葉に、嫁さんも快諾し、隣のクラスについても積極的に動き回った嫁さんは、あっという間にクラスの半数以上の賛同を得た。

ところが。
その「一緒にやりましょう」と言っていた隣のクラスの人が「やっぱりやめます」と言ってきた。
やはり先生や学級委員が反対していると言う事実に臆したらしい。

「そんなことは最初からわかっているのに」と嫁さんは憤慨した。
そもそも「学校が反対」と言うのはおかしな話である。
お母さん同士の連絡網をお母さん方自身が作るにあたって、学校が反対するとか許可するとかそういう権限は一切ないのである。

憤慨していた嫁さんではあるが、乗りかかった船である。
隣のクラスの分も作成するつもりらしい。

名簿作成で学校周辺を走り回る嫁さんは、間違いなく、学級委員や役員よりも顔を知られた父兄であり、ときどき一緒に回っている一年生の次女も、みんなに顔を覚えてもらっている。
おかげで名簿が完成するころには、名簿がなくたって、次女の居場所はすぐにわかるようになる。

2006年7月27日(木) 2リットルが限界

今日も暑かった。
おかげでビールがとてもうまかった。

4月に手がけたユーザのシステムが特に問題もなく順調に稼動していると言うので、関連メンバーで飲みに行った。
男ばかり十人、なんともむさい。
むさい上に、鍋料理。
しかもキムチ鍋。
女性が一人でもいれば雰囲気も違うだろうが、そんなところに連れてこられた女性はたまったもんじゃないだろう。

キンキンに冷えたジョッキに注がれたビールでまずは乾杯。
そしていつものように飲み始めると「お酒は強いんですか?」と質問される。
自分自身で思う限り、私は酒に強くはない。
缶ビール一本でも酔うし、飲みすぎると記憶がなくなり、翌日は間違いなく二日酔いになる。
ただ、たくさん飲めるだけだ。

「ええ。お酒は好きですね」
「どれぐらい飲むですか?」
「量はたいしたことないんですよ。ビールならせいぜい、3リットルかな」
「ええーっ!? めっちゃ飲みますやん」
「でも、おしっこを我慢できるのは2リットルまでです」
「2リットル!? わたしらそれだけ飲もうと思ったら、何回トイレに行くか」

そんな冗談を言いながらビールを飲んだ。
いい加減おなかがいっぱいになったことからはジントニックに代えた。
結局、一軒目では生中を6杯とジントニックを4杯飲んだが、やはりトイレには一回しか行かなかった。
それほど「飲んだ!」と言う気はしないがメンバーの中では一番飲んだようだ。

上機嫌で二件目に行き、焼酎のロックを飲んだ。
はずだ。
このあたりから記憶が怪しいが、ユーザさんたちが始終笑顔だったので、楽しいお酒だったことには違いない。

まあ、楽しくないお酒なんて、飲まないけれど。

2006年7月28日(金) 運動会に燃える

運動会が楽しいのはいつごろまでだろうか。
運動が苦手だった私は早くも小学校低学年のころから運動会が嫌いだった。

運動が得意な子どもでも、何度も練習をさせられるのが嫌で、中学校や高校のころともなると自分から進んで運動会を楽しむと言うことはあまりないようだ。
私が高校生のころもそうだった。
各競技に選手を割り当てるときも、作戦などなかった。
みな、いかにして楽な競技に出場するか、だけを考えていた。
応援合戦も適当だ。
挙句、先生方は「静かに応援できたチームに得点をプラス」などと言い出す始末。
面白くない運動会だった。

そんな私でも地区の運動会に参加するのは楽しい。
みんな一所懸命にいろいろ工夫を凝らして応援するし、参加者も結構本気だ。
だから面白いのだと思う。
中学生や高校生のように「やらされている」運動会は面白くないのだろう。

ところが、長男の高校は一味違うようだ。
毎年、高校の運動会だと言うのに、小学校の運動会と同じぐらいに父兄が見学に来校する。
それも平日に、だ。

運動会はいくつかの「団」に別れ、その団の対抗で競技が行われる。
団は、団長を頂点としてうまくまとめられており、応援や競技の練習などもその団の単位で行われる。
その団がとても団結しており、みんな一所懸命に競技に参加しているため、見ていて面白いのだそうだ。

今月の高校の広報に、先月開催された運動会の写真や団長のコメントが載っていた。

「一生の思い出ができた。みんなありがとう」
「こんなに楽しい運動会ができるなんて幸せだ」
「終わったら自然と涙があふれてきた」

などと、とても私の高校では考えられないような熱い思いを、長男の高校の生徒たちは感じていたようだ。
実際、運動会が終わるとあちこちで肩を抱き合って泣いている生徒の姿が見かけられるらしい。

高校生がスポーツに一所懸命になる姿なんて、高校野球など、部活に真剣に打ち込む一部の生徒でしか見られないと思っていたが、こんな身近にあったとは。
確かに、去年もそんな話を聞いていたたが、まさか本当だとは思わなかった。

来年は仕事を休んで見に行く。

2006年7月29日(土) 町の便利屋さん

知り合いにいると助かるのは医者と弁護士だけではない。
町内の自治会で何かをするとき、とても役立つ職業がある。

それは大工さんでもなく、電気工事関係の人でもない。
書道の先生でもなく、トラックの運転手でもない。
それらすべてを兼ね備えているのは意外にも、葬儀屋さんだと思う。

私が自治会で活動するようになるまで一番の若手だった葬儀屋さんは、自治会で何かあるたびに馳せ参じて八面六臂の活躍をする。

今日も盆踊りの準備をするのでお手伝いをしていただいた。
まずは看板を作る。
といっても以前から使っているものがあるので、表面を張り替えるだけだ。
看板は分厚い合板に角材を打ちつけて作ってあり、表面に模造紙のような丈夫で光沢のある白い紙が張られており、青くて太い筆文字で「納涼盆踊り大会」と書いてある。
その紙をはがして、貼りなおし、新しく筆文字で書き直す。
この看板を作ったのは葬儀屋さんで、この文字を書くのも葬儀屋さんだ。
葬儀のときに看板を作ったり、文字を書くのでお手の物なのだ。

次に花代と呼ばれる寄付をしていただいた方々の「ご芳名」を貼り出す、たたみ二十畳ほどの大きな大きな板をたてつける。
その板は、たたみ一枚程度の大きさの板を角材で補強し、それを20枚ほどつなぎ合わせて作ってある。
それをフェンスに固定し、さらに角材をつっかえ棒にして複数個所から支える。
その作業を先頭にたって行うのも葬儀屋さんだし、その板に貼り出す「ご芳名」を紙に書くのも葬儀屋さんだ。

テントの設営、照明や音響機器のセッティング、そして部材や備品の運搬、これらすべて葬儀屋さんならお手の物なのである。

しきり方もうまいし、人の扱いも上手だ。
声も大きく、的確な指示をする。
葬儀と言うものをひとつのイベントと考えれば、こういう会場設営などに長けているのも納得できる。

「○○(私)くん、来年は頼むで」
口癖のように私にいう葬儀屋さんは、町内のみんなにとって実に頼もしい存在であり、私が代わりを務められるようになるのはまだまだ先の話だ。

2006年7月30日(日) 盆踊りを終えて

今日は盆踊り大会だ。
先週行う予定だったが、雨で順延したのだ。

朝8時、通常の休日なら旅行に行く予定でもない限り、間違いなくまだ家でごろごろしている時間に嫁さんと二人で盆踊り会場近くの喫茶店でモーニングを食べる。
腹ごしらえが終わって会場に行くと、もう何人かが来て作業を始めていた。

自治会館から机やいすを運び出し、テントの下に並べる。
子ども会が盆踊りに参加した子どもたち全員に配布するお菓子も段ボール箱に5箱ぐらい用意した。
フランクフルトを焼くための鉄板も準備する。
ジュースを入れる電気クーラーに水を張り、ジュースを並べる。
ビールももちろん忘れない。

昼前までにいったん解散した。
その後、私は今度はPTA会長として、来週開催される市民祭りの警備の案内とスタッフ用Tシャツを、各担当者の家まで届けた。
各地区の地区長さんに渡しておいてもよかったのだが、警備に協力していただくお礼も言いたかったので、直接私が手渡しすることにしていた。

日差しのきつい夕方4時。
子どもと一緒に蝉を取りに出かけた。
この時間帯になると蝉も鳴くのをやめて日陰で休憩している。
このときの蝉は素手でも簡単に捕まえられる。
けたたましい声で泣き喚く蝉を子どもに渡すと、ビニール袋に入れていた。
それでも泣き喚く蝉はビニール袋の中を激しく飛び回るので、子どももすぐに蝉を放してやった。

まだまだ日差しのきつい5時。
子どもたちを家に帰して私は会場に向かった。
業者が来てやぐらを組み立てていた。
いかに器用な葬儀屋さんでも、音頭とりが何人も立つやぐらを短時間で組み立てるのは難しいので、毎年やぐらだけは、専門の業者にお願いしている。
なんたって、あちこちの町内で行われる盆踊りの中で唯一、音頭とりを呼んで盆踊りをしているのは私の町内だけであり、これが名物なのだ。
やぐらが立って提灯を飾り付けると一気に雰囲気が変わった。
暑い日差しの公園が、なんとなく涼しげに見えてきた。

それでもまだまだ日の照っている6時。
今日は嫁さんたちも浴衣を着てきた。
やはり女性の浴衣姿は情緒があっていい。
子供用の盆踊りの音楽を流し始めると、浴衣を着た子どもたちが踊り始めた。
今日まで何回か練習をしていたので、この音楽が流れると自然と体が動くようだ。
近所の人たちはまだまばらで、フランクフルトも最初に焼いた20本がいつ売れるのか心配だった。

ようやく提灯に明かりがついていることがわかった7時。
子どもも少し休憩しながらお菓子をもらい、そのお菓子を食べてジュースを飲んで、それでまた踊り始める。
なかなか売れないフランクフルトを売るために、お母さん方は知り合いを引っ張ってきて強引に買わせていた。

そして暗くなったころ。
一気に雰囲気が変わり始めた。
あっちこっちから、浴衣姿の子どもがやってくる。
明らかにお菓子目当ての中学生もいる。
お菓子は盆踊りに参加した子どもがもらえる。
お菓子だけを取りに行ったなら、注意してやろうと思っていたが、きっちり一週だけ盆踊りをしていた。
まあ、わずか100円程度のお菓子ほしさに、浴衣姿のかわいい小学生と一緒に踊ったのだからたとえ一周であっても大目に見てやろう。
それに、無論想定していた範囲だ。
踊りの輪も広がり、フランクフルトもちらほらと売れていった。

すっかり暗くなった8時。
音頭とりがやぐらに上がる。
そして子どもは終了の時間。
私はやぐらに上がり、子どもに向かって話をした。
「8時になりましたので、子どもの時間は終わりです。子どものみなさんはおうちに帰るようにしてください」
そしてちゃっかり宣伝もした。
「えー。それからフランクフルトを販売しております。とてもおいしいです。よろしくお願いします」

7本目のビールを飲んでいた9時。
隣町の子ども会の人も何人かいる。
誰かが「○○(私)さん、踊らないと!」と言う。
流れている曲は「江州(ごうしゅう)音頭」。
唯一私が踊れる曲だ。
何年ぶりかで踊りの輪に飛び込む。
そして、みんなの3倍ほどの速さでステップを踏む。
「くずし」と呼ばれる踊り方のひとつだ。
と言っても、かなり独創的な要素が強い。
はっぴを巻き上げて軽やかに踊る。
すると一気に踊りだす人が増えた。

それまではおとなしい踊りをする人ばかりだったのに、私の踊りを見て触発されたのだろうか、陽気なおばさんが私の後ろにつき、同じように軽やかなステップで踊り始めた。
そして若い男性も数人が列を作って入ってきた。
最初はひとつの輪だったのに、さらに内側にもうひとつの輪ができて、みんな「くずし」で踊り始めた。
音頭とりの気合も高まった。
私は汗だくになりながら踊り続けた。

そして大団円のうちに終了を向かえた10時。
私の踊りの評判も上々だったようだ。
とっくにフランクフルトも完売し、お母さん方も上機嫌。
自治会のメンバーもとても機嫌がいい。
そしてその興奮覚めやらぬ会場ではあったが、撤収に取り掛かった。
みんな談笑しながらそれでも手を休めずに、協力し合って後片付けを始める。

思えば去年のこのとき、自治会と子ども会のお母さんとの仲がとても悪く、喧嘩別れになったのだ。
それが今日はこうして、仲良く笑いながら後片付けをしている。
あっという間に片付けは終わり、残っているメンバーだけで自治会館でちょっとだけ乾杯することにした。

自治会館のクーラーが気持ちよく、板の間に直接座り込む。
いつの間にかうちの子供たちもきていた。
私は10本目のビールを飲みながら笑っているお母さん方と自治会の人たちを見ていた。

『よかったー』と心から思った。
涼しい風が心の中にまで吹き込むような気持ちだった。

2006年7月31日(月) 反省会での誓い

盆踊りの反省会があり、自治会館に集まった。

「それでは、時間も参りましたし、あらかたメンバーも揃いましたのでそろそろ始めましょうや」
いつもの調子で会長が話し始める。

「えー。今年は例年になく、大勢の人に集まってもらいましてぇ、おかげさんで何年かぶりに黒字になりました」

おお。私がここに住み始めて初めてじゃないだろうか。
毎年盆踊り大会はご祝儀だけで運営されている。
最初のころは子ども会が主催だった。
大勢の子どもがいて景気もよくてご祝儀もたくさんあった。
だから毎年毎年、結構な収入源となり、その費用で泊りがけでスキー旅行などにも連れて行ったそうだ。
おそらく、子ども会の年間予算は今の5倍はあったのだろう。

とてもいい収入源なので、今度は自治会が主催でやり始めた。
でも、だんだんと景気は下がり、昨今では毎年赤字になってしまっていた。
赤字分は過去の貯蓄を切り崩して補填していた。

ところが今年は久しぶりの黒字だと言う。
うれしいじゃないか。
去年の最悪の盆踊りから一転して、子ども会と自治会が一緒になってがんばった今年の盆踊りが成功したことは、雰囲気や来場者数だけでなく、数字にも表れていたのだ。
子ども会が言い出したフランクフルトの販売も物の見事完売し、わずかではあるが儲けが出た。
大成功だろう。
なにより、自治会も子ども会も全員が笑顔で行事を遂行できたのがいい。

でも少し残念なことがある。
盆踊りの会場となっているのは児童公園と道路を挟んだ駐車場だ。
公園内にテントを設営し、やぐらを組む。
そして駐車場に提灯をぶら下げ、踊りの輪を作る。
その駐車場のオーナーが来年から場所を貸さないと言い出したのだ。

駐車場には車が止まっており、盆踊りの日は近くの別の駐車場に移動してもらう。
朝に移動してもらい、翌日もとの場所に戻してもらっているのだが、今年は雨天で順延となったため、車の持ち主から苦情が出たらしい。
町内の祭りのために年に一度、たかだか数十メートルほど車を移動させるだけなのに、何で文句が出るのか、私には不思議だが、やはり町内にはそういう輩が住んでいるのも事実だ。

「順延したために来年からは駐車場が借りられんようになってしもうたわけですわ・・」
会長が力なく言うと、あちこちから「いや、あの日は順延して正解やった」「強行してたら雨で大変やった」「おかげでたくさんの人がきてくれたやないですか」と会長を励ます声が飛んできた。

そして町の便利屋さん、葬儀屋の大将が力強く言った。
「会長。こうなったら、来年は意地でもやらなあきまへん。小さい公園だけでもかまへんやないですか。何とか工夫してみんなでやりまひょ」
会長が答える。
「そうやな。来年もやろな。うん。やろう」

正直感動した。
去年どころか、つい一ヶ月前までは自治会のメンバーは盆踊りを中止したがっていたのだ。
「面倒だ」「赤字になる」「また子ども会と仲が悪くなるかもしれない」
そんなことを考えていた自治会が、来年はさらに条件が悪くなるのに、「やろう」と決心してくれたのだ。

反省会もそろそろ終わりのころ。
「さあ、次は校区体育祭やなあ。今年も頼むで○○(私)くん!」
会長がそういうと、躊躇せず、「任せてください」と応えた。
「そういうてくれると、わしらも全面的に応援しようとおもうわ。ほんま、頼むわな」
今の自治会となら、間違いなくいろんな行事が成功させられると思いながら帰路に着いた。

帰宅してしばらくすると、子どもたちに盆踊りを指導してくれた隣町の婦人会へお礼に行っていた嫁さんが帰宅した。
「今、帰り道で会長に会ったよ。そしたら『悪いな。代わりにお礼に行ってもらって。本当はわしらがいかなあかんかったんやけどな。反省会もあってな。ありがとう』って。これがあの会長?って思うぐらいに、なんか人が変わったわあ」と驚いていた。

ここまで一年。
今では結構、この町が好きだ。

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