カリント日記

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2006年9月1日(金) ぷはーな夜

泣く子も黙る9月1日である。
が、しかし金曜日である。
昔なら、「土曜日は半ドン」で少しうれしかったのだが、今の子どもたちときたら、完全週休二日である。
仕事をしている人たちの中にはまだそうでない人もいるというのに。
だから、今日一日始業式を終えれば、また二日間の休みがあるので、まだ気分は楽かもしれない。

金曜日は私だってうれしい。
土日はユーザの業務も少なく、汎用機上のシステムだって半分しか動いていない。
しかも、今度の土日は何も予定がない。
二日酔いしたってかまわない。
酒臭くたってかまわない。

そう思うとそれだけでうれしくなり、仕事帰りにちょっと高めのビールとチューハイと、そして、これは脂肪分が多そうだなあと思いながらも、ついついソーセージを買ってしまった。

家に帰ると嫁さんと娘たちは映画を見に出かけており、居間で長男一人が、これまたやっぱりゲームをしていた。
買ってきたビールは冷凍庫に、チューハイは冷蔵庫に入れる。
「あと、10分でゲーム終了やぞ」
長男にそう言いながらワイシャツを脱ぎ、ズボンを脱いで、シャワーを浴びるために風呂場に向かう。

10分後、すっきりさっぱり気分でビールを取り出し、居間に座る。
テレビにはまだゲームの画面が映っていたが、お構いなしにチャンネルを変えてニュース番組を見る。

お。しまった。
コップを冷やしていなかった。

あわててコップを取り出し、氷を入れて水を入れる。
そしてコップの口を手でふたをして、水をぐるぐるかき混ぜる。
急激にコップの温度が下がり始め、手のひらに当たる水が冷たくなる。
30秒ほどしてから水を捨てると、コップは白く曇るほどに冷えていた。

そのまま居間に戻ってビールを注ぐ。
それほど真剣になる必要はないのに、なぜだかこのビールを注いでいるときは、神経が集中している。
それ以外は油断だらけの隙だらけで、どこを攻撃されてもひとたまりもない状態だ。

注ぎ終わって口をコップに近づける。
泡が唇に触れる。
そして一気にコップを傾けて、のどへ流し込む。

ぷはー。

久しぶりに、ぷはーな夜である。

2006年9月2日(土) ぷはーな朝

目が覚めたときは軽い二日酔いだったが、10時ごろまでごろごろしていて、とても気持ちがよかった。
二日酔いできる余裕がうれしい。

しばらく重い頭で焦点が定まらぬまま、ぼーっと座り込む。
テーブルの上にあるお菓子をいくつか口へ入れて、味わうことなく胃袋へ送り込む。
うまくもなんともない。
少しはっきりしてきたので、一気に目を覚まさせようとして、シャワーを浴びることにした。

結婚するまでシャワーというものに縁がなく、また、蛇口をひねれば24時間いつでもお湯が出るというのは、2000年になってこの家に引越ししてきてからのことであり、それからはもう、おそらく我が家で一番、シャワーを浴びていると思う。

いつものようにすばやく体を洗って、顔を洗い、頭を洗った。
浴室に窓はあるが直射日光はほとんど差さない。
それでも、明るい日差しの中で浴びるシャワーは、夜疲れて帰ってきてから浴びるそれとは、気持ちよさに格段の差がある。
なんとのんびりした時間だろうか。

 おはらしょうすけさん なんで身上(しんしょう)つぶした
 朝寝、朝酒、朝湯が大好きで それで身上つぶした
 あーもっともだーもっともだ

なんとかという歌の一節だと思うが、明るい時間に酒を飲んだりシャワーを浴びたりすると、この歌を思い出し、それがやはり贅沢なことなのだと思うのである。

シャワーを浴びてさっぱりした後、台所へ向かった。
何か食べ物をと思ったのだが、冷蔵庫には今朝のための一本が置いてあった。

プシュ。
ぷはー。

身上をつぶさぬようにしないと、と思うしだいである。

2006年9月3日(日) レポート作成完了

先日からずっとPTA全国大会の参加レポートを作成している。
二日もあればできるだろうと思いつつ、すでに四日が経過している。

何とか出来上がったレポートは全23ページ。
参加費用は7万円近くもしたが、これらはすべてPTAの予算から出していただいている。
私は小学校の代表として参加しているのだから、これぐらいのレポートを書かないと申し訳ない。
とはいえ、本当のレポートの部分は半分以下だろうか。

ドキュメント作成はお手の物なので、表紙も目次もしっかりついているし、章立てなども考えて作成している。
おそらく、私のような仕事をしていない会長さんならとてもじゃないが作成できないだろうし、そもそも、パソコンが使えないのだから、作成のしようがない。

最初にスケジュールを書いてみた。
大会のスケジュールと我々の市PTAのスケジュール。
で、とりあえず、スケジュールに対して所感を書いてみる。
「なんでスケジュールに対して所感を」と思うかもしれないが、他に書くことがないんだから仕方がない。
まあ、実際、事実だけを書かれても読み手は面白くない。
つねに読み手のことを考えて書かねば。

次に分科会で見た映画のストーリーと感想を書いてみた。
ストーリーを書いているうちに、「ここはこうしたほうが盛り上がる」などと勝手に脚本しそうになる。
いかんいかん、と思いつつ、見たままに書くのだが、これまた盛り上がりに欠ける。
実際、盛り上がりにかける映画だった。
やはり、読み手のことを考えて書かねば。
少しぐらいの脚色はよしとして、何とかストーリーを書き上げた。
これだけで一日かかってしまった

なのに、感想ときたら、「学ぶべきものは何もない」「具体性にかける」とこき下ろした。
確かに偉人の話はいい話だ。
感心はする。
しかしそれだけで、「明日からこうしよう」というものがない。
こういう映画を見せるべき対象の人に必要なのは「実践できる方法を提供する」ことだと思う。
理想ばかりでは「感動的ないい映画だった」で終わりである。

続いて分科会で聞いた講演の内容とこれまた感想を書く。
まあ、これまた、書く内容に困る。
客観的に事実を書かねばならないのだが、くだらない内容だと思いながら、書くと、くだらない報告になるし、かといって脚色してしまっては意味がない。
くだらない内容であったということを伝えなければならないから、くだらない内容でありつつも、しかし読み手が最後まで読める内容と、その報告に意味を感じてもらわなければならない。

「夫婦は仲良くしましょう」
「夫を尊敬する姿を子どもに見せましょう」
という内容を実体験に基づいて話していただいたのだが、こんなもん、当たり前の話であって、これほどの会場で話をするほどのものでもない。
これを聞いて「目からうろこが取れた」などというやつは、親をやっている資格がない。
そういう内容をなんとかごまかしつつも書き上げて、それでまた「聞くほどの内容ではない」と感想を書いた。

なんだか少しむなしい。

次はパネルディスカッションのことを書いたが、書くこともないほどにくだらない討議だった。

そして、二日目の全大会のことを書いた。
これは比較的楽だった。
大会そのものは中身がない。
いや、ほんと、中身がないのだ。
開会宣言、国歌斉唱、あいさつ、来賓の祝辞、大会宣言の読み上げ、PTAの歌斉唱、電報披露、次回開催地域のあいさつ、引継ぎ式、閉会。
なんじゃこりゃ?である。
これのどこでどう、何を学べというのか。
来賓として招かれた際のお辞儀の順序は覚えたぞ。
ばっちりだ。

記念講演のことはもっと楽だった。
自分の見たままの事実と、感想を書けばいいのだ。
メディアが報道しない水谷さんの発言内容や、そこから感じ取った我々賛成派の意見。
そういったものを書き連ねた。

最後に観光してきた場所の写真を掲載し、それに関する記事を書いた。
フルカラーで印刷したのでインクも途中で補充しなければならなかったが、とりあえず役員分を印刷してすべての作業を完了した。

ぷはー。

2006年9月4日(月) インクの詰め替え

先日、プリンタのインクがなくなったのでインクを買いに行った。
我が家のプリンタはちょっとばかり古く、カラーインクが一体型のものであり、交換するときはすべての色を同時に交換しなければならない。
赤色ばかり使っていると青色が残るのだが、それでも青色だけを使うと言うわけにも行かず、赤色を交換したいのに、青色も交換しなければならない。
だから割高なのだ。

次に買うときは独立型のやつだ、などとぼやきつつ売り場を見てみると、「詰め替え用」と言うのが目に付いた。
価格を見ると通常のタンクの半額だ。
しかも、4回分の詰め替えインクになっているので、8倍のお得度だ。
これは買うしかあるまい。
無論、プリンタのメーカが出している純正品ではないものの、コンピュータの世界ではよくあることだし、これでも特に間違いではない。

そして昨日詰め替えようと箱を開けた。
赤、青、黄色の三色のインクが入っている。
他にインクをふき取る紙やビニールの手袋まで入っていてなかなかの気配りだ。
で、ドリルの先端のようなものが目に付いた。
お?何だこれは?
「ガイド用紙を使って付属のドリルでタンクに穴を開けてください」
あ、穴?
自分であけるのか。

確かにタンクを見ても穴らしきものはなく、どうやら自分で開けるしかなさそうだ。
どこにあけるのだろうと、もう一度読み直すと、「ガイド用紙」と書いてあり、これまた小学生が読む雑誌の付録のような型紙のガイドがついていて、それには穴を開ける箇所が示してあり、それをタンクにあてがうと、タンクのどこに穴を開けるのかがわかる。

穴を開けて、色の薄くなった黄色を注入して印刷する。
あれ?今度は青色が薄い。
そこで、穴を開けて青色を注入して印刷する。
あれ?今度は赤色が薄い。
結局、三色とも注入して印刷し、ようやくきれいに印刷できた。

ところが、今日、カラーで印刷するとこれがまた、びっくりするような変な色になってしまった。
やっぱり安物のインクはよくないのだろうか。

昨日から無線LANもつながらなくなるし、なんだか調子が悪い。
明日また、インクを詰め替えてみよう。

2006年9月5日(火) 来賓も考えもの

新学期が始まって学校役員の仕事もバタバタし始めた。
今日は小学校の役員会議。
10月にいろいろな行事が目白押しでそのための準備が本格的に始まるのだ。
こちらが企画する行事もあれば、PTA役員「来賓」として招かれるものもある。

長男の通う高校から文化祭の案内状が届いた。
「生徒の日ごろの活動成果などをご高覧いただきますよう」とある。
そんな気分で訪問できればいいのだが。
この高校の文化祭で販売している梅干を6月の中旬に奈良県まで採取しに行ったのは私を含む高校のPTA役員と後援会のメンバーである。
そして文化祭の撤収作業を行うのも役員。
来賓だからと言ってスーツなんか着ていこうものなら、「スーツなんか着てたら仕事でけへんで」と会長に言われそうである。

長女の中学校からは運動会の案内状が届いた。
ありゃ?
会計監査なのにご丁寧に、と思ったら小学校PTA会長としてのご招待だった。
うーん。
こういう場合はスーツで行かないといけないのだろうか。
スーツは子どもとの距離ができそうで嫌いなのだ。
追いかけっこができないし、サッカーもできないし、水の掛け合いだってできない。
だからスーツで行くのは嫌だなあ。
って、運動会が開催されるのは平日じゃないか。
そっか。中学校ともなれば平日か。

それから今日の役員会で校長が言っていた。
「役員さんは運動会では来賓ですから」
そうか。そう言われれば、PTA会長は来賓として挨拶していたな。
これもまたスーツなのかなあ。
ジャージじゃダメかなあ。
スーツは動きにくいもんなあ。

会長を引き受けるときの条件として「本部席にじっと座っていることなく、写真を撮るために走り回っていい」ってことになっている。
だから「スーツは動きにくいのでやめました」ってことにしよっと。

今度の休みには、いつものようなラフすぎる格好とまでは行かないまでも、楽な服を探しに行くか。

2006年9月6日(水) Yとミトコンドリア

皇室に親王がご生誕あそばされた。
でも、なぜそこまで「男系男子」にこだわるのか。

男系男子とは、その家系の男が嫁さんをもらって生まれた男の子という意味である。
その家系の女性が嫁いでいって、あるいは婿をもらって生まれた男の子は「男系」ではない。
この男系男子にこだわる理由が今と昔では違うように思う。

昔は単に男尊女卑の世の中だったからだろう。
でも今はそれだけの問題ではない。
遺伝子を残すことに固執していると思われる。

男の染色体は「Y」と「X」がある。
一方、女は「X」が二つだ。
この二人が結婚して生まれた子どもは必ず、二人からひとつずつの染色体を受け取る。
男から「Y」を受け取ると生まれる子どもは男の子になる。
また男から「X」をもらうと女の子になる。
この時点では必ず、男の子であろうが女の子であろうが父親の染色体、「Y」か「X」を持っている。
でも、孫のときにそれが変わる。

女の子が孫を授かった場合、必ずしもその染色体に父親の染色体が含まれているとは限らないのだ。
女の子が孫に母親の染色体を受け渡している可能性があるからだ。
その母親が、別の家系から嫁いで来たのであれば、父親の染色体、つまり遺伝子は伝わらないことになる。
別に男にこだわらず、女性を中心に引継ぎを考えてもいいが、女性が連続するとやはり孫の代で、一直線の遺伝ではなくなる。

男であれば、父親の父親の父親の父親の父親の遺伝子を確実に引き継いでいるが、女だと母親の母親あたりまでしか確実ではない。
結局、確実に先祖代々の遺伝子を引き継ぐためには、「Y」染色体を引き継ぐ、すなわち男系の男子でなければならないのだ。

綿々としてその「Y」を引き継いでいるのだから、そりゃもう、絶えさせたくはなかろう。
今の天皇には大化の改新で活躍した天智天皇の遺伝子が含まれているのだから、これほどはっきりと遺伝子が残されている人間はこの世の中に存在しないんではないだろうか。
そりゃ、もちろん、系譜で言うところではもっと長い歴史を持つ人もいるが、遺伝子レベルでそれを達成しているのは日本の天皇以外にはいないだろう。

ところが、母親の遺伝子が100%継承されるものがある。
それはミトコンドリアだ。
こいつはすごい。
染色体のように、お父さんとお母さんから半分ずつ、なんてことはしない。
100%お母さんのものしか引き継がない。
女性のミトコンドリアは母親の母親の母親の母親の母親のミトコンドリアを受け継いでいるのだ。
これをさかのぼっていくと、12万年〜20万年前のアフリカの原人にたどり着くそうだ。
ミトコンドリア・イブというその女性から全人類のミトコンドリアに分化したのだとか。

Y染色体をたどっても、2000年弱。
ミトコンドリアなら10万年以上昔までたどれる。
女、恐るべし。

2006年9月7日(木) 添付ファイルの

二日続けて学校役員の仕事があり、本職の仕事を早めに切り上げて帰宅していたので、今日はそのツケが回ってきた。

調子が出るとあれよあれよと言う間に片付くのだが、調子が出ないときときたら、もう、5分と集中していられない。

仕事は一人でやるものではないので、自分のペースで進めるわけには行かない。
だから今日は調子がいいから仕事を片付けよう、と思っていても、グループの誰かが遅れているとその仕事は先に進められない。
今日は調子が悪いからゆっくりしよう、と思っていると、その遅れていたメンバから固めて仕事が回される。

リーダーなのでメンバーが作成した資料に目を通し、添削するのだが、これがまた面倒くさい。
もう、自分で修正してしまったほうが早いような内容でも、赤ペンで修正して、直すように指示する。
この作業が続くと、だんだん等閑(なおざり)になって見落としができる。
そしてこういうときの見落としに限って、後で影響が大きかったりする。

そうなると今度は気分も滅入るのでさらに調子は悪くなり、仕事の効率は落ちる。

届いたメールに添付ファイルがあったりするともう、ファイルを開くどころかメール本文を読むのさえ、邪魔くさい。
「添付ファイルの精査をお願いします」なんて文字を見つけたら、とりあえず、コーヒーを飲まないと、マウスを操作する指がクリックを拒否し、目が画面を見ることを拒絶する。

しかしこれが、調子のいいときは逆になる。
どんどん資料を作成して、ばんばん送りつける。
片っ端から仕事が片付くときは気持ちがいい。

でも、私のメールを受け取った人はメール本文を見てきっとコーヒーで一服しているだろう。

「添付ファイルの精査をお願いします」

2006年9月8日(金) 人脈会長

久しぶりの中学校実行委員会。
役員である私は1時間前の役員会に出席する。

役員と言っても「会計監査」なのであるから、本来は、役員会の会計を監査する立場であって、役員と一緒になってはダメなのだが、小中学校ではその辺はどうもあいまいになっているようだ。
会計監査である私と、IT委員である男性役員と、副会長の女性二人の間に何も差はない。ただ、会長だけは独特の雰囲気があって、一線を画している。

でもこの雰囲気と言うのが、曲者である。
いや、決して悪い雰囲気ではない。
いつも元気だし、いつもニコニコしているし、いつもはきはきしている。
先頭になって物事を仕切り、心遣いもできる女性だ。

しかし、すべてをこれで片付けようとすると思わぬところで、思わぬ人が困る。
特に組織の中では顕著だ。

PTAというのは親と先生の集まりであり、その活動はすべてボランティアである。
協力するもしないも自由である。
しかし、何もしなければ協力する人は減る一方である。
だから、たくさんの人に協力を呼びかけ、お手伝いをしてもらう必要がある。

今の中学校の会長は人に呼びかけて協力を得る能力に才長けている。
昔ながらの人脈を生かし、その明るさを武器に、どんどんと協力者を集める。
それはたいした能力だ。

しかし、それは一過性のものであり、その会長がいなくなると人は去ってしまう。
なぜならその協力者はPTAに協力したのではなく、その会長に協力したからだ。
以前の小学校がそうであったように今の中学校もそうだ。

周りを固める役員は私を除いてすべて以前からの会長の知り合い。
友達同士でやっているようなものだ。

本当にPTAのことを考えるならば、永続性のある仕組みを考えなければならない。
頼みにくい役割を自分の顔で引き受けさせるのではなく、あくまで理解をしていただき、納得した上でご協力を願うようにする。
だからこそ、その役割の引き受けていただく上での問題点も浮き彫りになる。
自分の人脈ではなく、第三者の立場で考えた場合の問題点を見つけ出し、それの改善点を検討する。
それをしなければいつまでも本当の問題点は見つからない。

予算がないからといって自腹を切っているのと同じだ。

誰かが言った。
「あの会長、どうして高校では何も委員をしないの?」
「そりゃあたりまえやん。自分の取り巻きがいてないからやん」

人脈に頼る人は、人脈がなくなると何もできない独りぼっちになるのだ。

2006年9月9日(土) 会議はつまらないもの

これまた久しぶりの小学校実行委員会である。

まずは会長である私のあいさつから始まる。
最初に市民祭りの警備に当たっていただいた皆さんにお礼を申し上げる。
そして10月に控えた盛りだくさんのイベントを順序良く消化するためのご協力をお願い申し上げる。
毎回ネタを考えているわけではないので、自分でも思うほどにつまらないあいさつである。
が、これはこれでいい。
体を動かさず、決まりごとを報告するだけの会議は好きではない。
奥さん同士の井戸端会議ではないんだから話を脱線させたり、あまりニコニコ楽しそうにする必要はない。

逆に、体を動かす場では、笑顔で楽しそうに行動し、会話にもジョークを交える。

会議はどちらかというと報告の場である色が濃い。
本部からの報告、各委員の報告、学校行事の報告などである。
本部からの報告ではいろいろな講演会への出席を依頼することも多い。
いわゆる動員要請というやつだ。
そういう講演会への参加は希望者が行くべきではあるが、実際に希望する人はごくわずかであり、ほとんどが募集人員に満たない。
仕方がないので、各委員に参加をお願いする。
こういうときには機械的に決めてしまうのが手っ取り早く、また不満も少ない。

もし、自分の頼りやすいところへお願いをしていたならば、毎回同じメンバーにお願いすることになる。
こちらとしてはそのほうが楽だ。
何も嫌がる人へ無理にお願いする必要がないからだ。
しかし、それでは不公平であり、私が会長を退けば、次の人が迷惑する。
こういうときはきっちりとルールに則って機械的に要請すればいい。

会議で動員をお願いするときは、有無を言わさずこちらから要請する。
しかし、特に委員さんからの不満はない。
平等になるよう、配慮しているからだ。
また、頼まれるほうも「そろそろこっちに回ってくるぞ」とわかっている。

一緒に何かをやっているときや、少数で打ち合わせをしているときは笑顔で話をしたりするけれど、30名もの委員が集まる会議の場では、少し厳しいぐらいの感じで進めることも必要なのだ。

2006年9月10日(日) 太陽電池

京都議定書から脱退した国も、圧倒的な人口と国土によって急速に発展してきた国も、二酸化炭素の排出量は世界でも群を抜いている。
しかし国土の面積の割りに排出量が多いのは日本だろう。
それだけエネルギーの消費量が高いということだ。
発電システムの主力は火力発電であり、火を燃やせば当然、二酸化炭素が排出される。
二酸化炭素の排出により、地球が温暖化される。
いまや、水没の危機に瀕している国さえある。
全人類の問題であり、子孫たちへの禍根となる。

というわけで、我が家でも太陽電池による発電システムの導入を検討することにした。
ま、こちらから積極的にアプローチしたわけではないが、考えていたときに相手側から連絡があり、これはいい機会だということで、内容の説明と見積もりを依頼した。

そして担当者がやってきた。
嫁さんは外出中だったので喫茶店で話しを聞くことにした。

担当者は作業着姿で、バインダーとクリアファイルと、CDが二つ張り付いたような体重計ぐらいの大きさの箱を持っていた。
まず最初に名刺をもらった。
聞いたことのない名前だった。

まず、一流メーカーの名前が入った太陽電池のパンフレットを見せられた。
「こちらが今回お話させていただくパネルです。サイズは1枚あたり80センチ×140センチです。」

でかいじゃないか。

「で、このパネルを10枚並べます」

うお。
そんなに並べるのか。

「で、このパネルは従来の製品より高いんですが、発電量が違います。これで少し確認してみましょう」

そういって見せたのが、あの体重計だった。
よくみると、CDの上のほうに、2種類の太陽電池が貼り付けられていた。
そしてCDのような円盤はくるくると回転するようだった。
なるほど、この電池の部分で光を受けて、下の円盤が回転するのか。

表に出て少し陰のところに立つと、ひとつの円盤は動く気配がないのに、片方の円盤だけ回転し始めた。
「このように、従来の電池では陰になってしまうとほとんど発電できませんが新製品のほうはかなりの量を発電することができます。もちろん、日向に出れば」
そういって日向に出ると、両方ともものすごい勢いで回転し始めた。

テーブルに戻って説明の続きを聞いた。
「このパネルは屋根から少し浮かせて取り付けますので、屋根の補修などをする際にも一時的にはずすことが可能です。1枚あたり14キロですので、取り付け部品などを入れると200キロぐらいになりますが、分散して取り付けますので屋根への負担はほとんどありません。屋根の傷みについては取り付け後、10年間保障いたします。」

屋根から浮かせることで風通しをよくし、また、直射日光をさえぎることになるので、屋根裏の温度も下がるそうだ。
確かに真夏の屋根裏はサウナのようで、屋根裏での片づけを終え汗だくになって降りてきた嫁さんをみて、何度も驚いた。

「で、このパネルの発電量ですが、具体的には1枚あたり1時間で190ワットです。
これが10枚であれば、1.9キロワット、1日10時間の発電だとして1日19キロワット。
30日間で570キロワットです。まあ、曇りの日もありますので、その半分の300キロワットとしましょう。で、今、電力会社では電気の買取もやっています。大体、1キロワットあたり22円ぐらいです。で、単純計算しますと、6,600円です。ですので、毎月、安く見ても6,600円分の電気を作ることができるわけです。もちろん、使用量がそれ以下であれば、電力会社への売電が多くなりますから利益にもなります」

その数字がその通りなら、確かにいい。

でいよいよ見積もりを見せてもらった。

「えーと、まず、パネルですね。こちらが1枚135,000円です。これが10枚ですので、1,350,000円」

高!

「と、これが・・」

の後の説明は覚えていない。
合計金額400万円。

「今回はキャンペーン中でして、工事代金を全額負担しますので、290万円で提供させていただきます」

とりあえず、返事は後ほどすると約束して、家に戻った。
ローンでの支払いも可能だということで嫁さんと考えたのだが、やっぱり高い。

それにその発電力がいつまで続くかが問題だ。
たとえ、月々6,000円浮いたとしてもローンの支払いが増える。
計算してみると元手を取るのに20年ぐらいはかかりそうだ。
そんなに先なら新しい太陽電池が出ているかもしれない。
そのときはまた、体重計を持ってきて、「従来製品は・・」って説明をするに違いない。

結局今回は見送ることに決めた。

2006年9月11日(月) 馬の背を分ける

夏の雨は馬の背を分けるというが、文字通り道路の片面に雨が降り、片面は乾いているという現象に出くわしたことが何度かある。
でも、知らない人は「ははは。そんな漫画みたいな出来事があるはずはない」といって鼻で笑うだけで認めようとしない。
無知とはかわいそうなことだとつくづく思う。

日曜日の仕事先はオフィスビルだった。
かなり高い位置にあるオフィスなので見晴らしがとてもよく、町が一望できる。
大阪平野をぐるっと囲む山の稜線もよく見える。

しかしこの日は朝から雲の多い天気だった。
「天気は西から下り坂」と天気キャスターがよく口にするとおり、そのビルから西を眺めると黒く分厚い雨雲がだんだんと近づいてくるのがわかる。
空が好きなので、休日の日は暇があれば見上げている。
長女とサッカーをしながらであったり、次女とブランコに乗りながらであったり、退屈そうにガレージの前で寝転ぶ猫に話しかけながらビールを飲んでいるときであったり。
今日は高いビルの窓から空を眺めていた。

黒い雲は少し北側のほうへ移動していた。
あのあたりの町では、今にも振り出しそうな夕立前の空模様だろう。
灰色というか、薄いオレンジ色というか、時には少し緑がかったような感じもする、変な色に町並みが染まる。

と、町の上をゆっくりと動く雲から、霧のようなものが下へと伸びていった。
白く見えるその霧は「あそこからあそこまで」と線が引けるぐらいに特定の場所めがけて落ちていった。

雨だった。
おそらくは夕立のような激しい雨が、本当に局所的に降っているのが目に見えてわかる。それこそ、漫画のように黒い雲からその下の地域にだけ雨が落ちていくのだ。

風があるので雨粒は散らばり、さすがに馬の背を分けるほどのことはないだろうが、それでも車で走れば、さっきまで乾いていた道路だったのに、信号をひとつ渡ったとたん、激しい雨に襲われたという感覚ぐらいはあるだろう。

やがて雲は雨粒の糸を引きながら、ゆっくりと西の町へと移動していった。



雨が過ぎ去った後の町並みは、空気の汚れが浄化されたせいだろうか、シャワーを浴びてさっぱりしたように、涼しげな表情を見せていた。

2006年9月12日(火) 帰れコール

今日は一緒に仕事をしている仲間との飲み会だった。
総勢12名。

最初は洋風の居酒屋でテーブルに座って食事だ。
仕事のメンバーは男ばかりだがそれではあまりにもむさくるしいということで急遽、メンバーの知り合いの女性にもご出席いただいた。

私はいつものようにビールを飲んでいるが、周りの人はそのペースが速いといって驚く。
ちっとも早くなく、酒飲みの連れと数人で飲みに行くときはいつもこのペースだ。
周りの人が遅すぎるような気もする。

ビールを4〜5杯(覚えてないわけではなく、ピッチャーで注文したので正確な量は測れないのである)飲んでおなかも膨れたからジントニックに変えた。
これがまたジュースと同じように甘い。
思わず一気に飲んでしまったら、やはり周りがびっくりする。
だからちょっとペースを落とす。

私がジュースのようにジントニックを飲んでしまう光景よりも、メンバーの中で誰よりもワインが似合わない、毛むくじゃらな、いかつい男が、甘い顔をしてワインを飲んでいる姿のほうがよっぽど驚くに値する光景だ。
なんなんだ、そのうっとりした目は!

飲み放題の2時間が過ぎたので、清算して店を出た。
さあ、ここが運命の分かれ道。

このまま帰れれば普通の生活が待っている。
でも、ここで帰らなければ、タクシー帰りが待っている。

私は当然帰るメンバーに混じっているつもりだった。
しかし、誰かが言う。
「○○(私)さん! 次!」
「え?」
「いきますよ!」
「あ、いや」
「いくでしょ!」
「うーん」
「いかないと!」
「そ、そう?」

意志の弱い私は二次会に連れて行かれた。
まあ、女性もいるし、カラオケだし、そんなに飲まないうちに帰れそうだな、ま、いいか。

カラオケはずいぶんと長い間好きではなかったが、二次会にカラオケに行くという機会が増えて、あるとき「これを楽しむようにできなければこれから先が苦しいぞ」と気がつき、楽しめるようにした。
それからは、二次会といえばカラオケ、になっていた。
もちろん、男だけで行くことはほとんどないが。

普段から音楽は聴くようにしているので、カラオケでも知らない曲はなく、乗り遅れることはなかった。
カラオケのメンバーでは最年長であったが、元気のよさでは負けていなかった。

気がつけば、メンバーが一人減っていた。
電車がなくなるからといって先に帰ったのだ。
カラオケの店を出たとき、女性たちも帰っていった。
私もこのとき帰るはずだった。
しかし、誰かが言う。
「○○(私)さん! 次!」
「え?」
「いきますよ!」
「あ、いや」
「いくでしょ!」
「うーん」
「いかないと!」
「そ、そう?」

どこかで聞いたようなやり取りである。
そして3次会のスナック。
水割りを飲みながら馬鹿な話をする。

そろそろ帰りたいのだけれども「ええかっこしい」の私は、自分から帰りますとはいえない。
嫁さんからの電話を待ってそれをきっかけに帰ることができたはすでに夜中の1時を回って電車もすべて車庫に入った時刻だった。

嫁さんにお願いしたい。
11時を過ぎたら帰りたいのだから、そのためのきっかけとなる電話をしつこいぐらいにかけてくれ。

2006年9月13日(水) 仕上げだけ

今日は雨の中、自治会の会長さんたちの集まり、「自治会会長会」にご挨拶に伺った。
学校で行われる秋祭りに、児童や父兄だけでなく、地域の方々に参加してもらうため、秋祭りのお知らせのプリントを自治会の掲示板に掲示させていただく了承を得ることが目的だ。

約束の時間に隣の町内の自治会館に向かう。
自治会館に到着すると小学校のいつもの役員が数名待っていた。
一人だけだと思っていたのに、三人もいた。
ちょっと多いんじゃないかと思いながら、早速全員で中に入る。

中には6人の会長さんがいた。
普通の人ならせいぜい自分の地区の自治会長の顔を知っている程度だろうが、私は子ども会でもあれこれ活動しており、半分の自治会長を存じていた。
その中には私の町内の会長もいた。

会長の一人が言う。
「おやおや。今日はまた、若い女性がたくさんと・・」
しっかり「おばちゃん」の小学校役員さんも自治会長から見れば若い女性か。
そういわれて少し気恥ずかしそうに女性役員が席についた。

「えー。それでは時間も参りましたので、会議を始めたいと思います」
どこの会議でも開始の言葉は同じようだ。
「今日は○○小学校の役員さんもお見えになってます」
と私たちを紹介してくれた。
「それでは早速、小学校の役員さんにお話をしていただきましょう」
と、会長会の会長が私のほうを見て促した。

意識してスッと立ち上がり、挨拶をした。
「○○小学校PTA会長の××です」
何度となく繰り返したこのフレーズだが、いまだになじめない。

そして、秋祭りのお知らせについて、掲示の許可を申し出たが、事前に手紙でお知らせしており、今日は形だけの挨拶なので、反対意見も出るはずがなく、全員に快諾していただけた。

これだけのために、仕事を途中で切り上げてきたのだが、会長の仕事とはほとんどこういうものである。
そこまでの準備は他の役員が進めて最後に会長が仕上げる。

自治会館を後にする。
雨の中、油断すると出てきそうな「むなしさ」を抑えながら、傘を差して家路についた。

2006年9月14日(木) 深夜の仕事は悩むこと

今月に入って急に忙しくなった。
来月にはイベントが山盛りだと言うのに夏休みをのんびり過ごしたPTA活動の付けが回ってきた。
そこへ加えて仕事も上半期を終えるときとなり、忙しさも倍増だ。
さらに思わぬ仕事の依頼も飛び込み、その調整が忙しさに拍車をかける。

仕事がいつもより多いのに、PTA活動で仕事の時間が削られる。
そうなるとPTA活動のない日は必然的に仕事の時間が長くなる。
今日は久しぶりの終電帰り。

仕事場でもみんなが引き上げ、静かになった事務所で私のキーを打つ音だけが響く。
よくテレビドラマで見かけるような、暗い仕事部屋という感じではないものの、静かさと言ったらテレビドラマよりも寂しい。
なんたって、効果音やBGMがないし、ドラマチックな出来事が起こるわけでもない。

もくもくと仕事をこなしていくだけ・・、というのは少し語弊がある。
こなせる仕事なら、遅くまでかからない。
こなせないから遅くまで時間がかかるのだ。

どうやればいいのかわからず悩んでいる時間が9割を占める。
誰かに質問すれば解決するわけでなく、自分でその課題をこなさない限り、いずれまた同じことを繰り返すのだ。
だから安易に質問せず、自分で道を切り開くのだ。

少しめどはつけたものの、今度の3連休はよくて一日休めるかどうか。
まあ、長くやってりゃこんな日もあるさ、そう自分に言い聞かせて、静かな深夜のビル街を靴の音を響かせ、家路についた。

2006年9月15日(金) 大人のほうが多い

中学校で中学校区の主要メンバーによる会合があった。
小学校のPTA会長が3名、校区子ども会会長、地域コーディネーター、教頭、などなど。
話し合いは冬に開催される、中学校区主催によるフェスティバルのことだった。

会議はそれほど面白い話でもなく、いつもと同じように、各担当者への仕事の依頼や決め事の確認だった。

会議が終わると、アンケートが配られた。
地域の活性化を図ろうとしている市の計画があり、それについての認知度や、実際にどういう人がこういうPTA活動に協力しているのかを把握することが目的だったようだ。

いくつか質問が書いてある。
「今の自分が好きですか」
「地域の活動は今後も続けようと思いますか」

なるほどな。
迷うことなく答えていく。
でも、とても悩む質問があった。

「あなたは地域に住む子どもの顔と名前が何人一致しますか」
「あなたは地域に住む大人の顔と名前が何人一致しますか」
まずは子どもの数を指折り数えていく。

「えーと。まず、次女の友達の○○ちゃんと○○ちゃん。あ、○○ちゃんも。それから登校班の○○さんとこの・・・あ、○○ちゃん、それから、○○くん・・・」
意外や意外、もっと知っているかと思ったが、20人が精一杯だった。

次に大人を数えた。
「えーと、まず、家の並びから。お隣の○○さん夫妻とと娘さん、その隣の○○さん夫婦、隣は○○さんとこで・・・」こんな調子でざっと70人。

自分でも意外だったが、子ども会の会長をしながら、顔を知っているのは大人のほうが多かった。
子ども会といいながらも、直接子どもと接しているのは嫁さんたちの班長さんであり、私はほとんど接することはない。
だから、その子どもがどこに住んでいるのかさえも知らないし、名前もろくに覚えていないのだ。

意外な事実を突きつけられた。
今度の運動会ではもっともっと子どもに触れ合おうと思う。

2006年9月16日(土) 後援会のピンク色

長男の高校は体育祭も文化祭も参加する父兄の数が多い。
やっている本人たちが感動してしまうほどの盛り上がりを見せる運動会は見ることができなかったので、文化祭は是非にと思っていたが、あいにくの仕事と、連日の役員活動の疲れから、ついに家を出られないままに文化祭が終了してしまった。
それが先週のこと。

今日はその反省会があるという。
反省会は3時からでその後、6時から懇親会があるという。
反省も何も参加していないのだけれど、案の定、会長からお誘いのメールが届いた。
「反省会が無理なら懇親会だけでも参加してください」

あいにく昼間は仕事があり、19時からは校区子ども会の会議があるため、その旨を伝え、「二次会から参加しますので場所が決まれば連絡ください」と返信した。

ところが昨日の夜、子ども会校区長から「別に決めることもないし中止にしよか」と連絡があった。
昨日は中学校で会議がありそこで顔を合わせていたが、そんな話はなかった。
なんだか急用ができたけれども奥さんが代わりにやってくれるので、予定通りに会議をしましょうと、校区長は言っていたのに。
いまさら懇親会に出席するとなると迷惑になるので、仕方なく、仕事の時間を延長した。

仕事を終えて自宅に戻り、食事を終えて一服していると、夜の9時過ぎになって携帯電話が鳴った。
高校の会長からだった。

「ごめーん。急に二次会行くことになってんけど、これるー?」
「場所、どこですか?」
「この前のカラオケ。○○って店」
「あ、じゃあ、5分後に返事します」

行くつもりではあったがはっきりと場所がわからないので、店の場所を確認してから返事しようと思ったのだ。
場所を確認でき、自宅からなら15分で到着する場所だ。
すぐに電話をして、15分後に到着することを伝えた。

電車に乗り予定通りに到着した。
受付で先にきていると伝えると、話が通っていたらしく、すぐに部屋に案内された。

扉を開けるとピンク色のシャツが目に入った。
私の顔を見るなり、その派手なピンク色のシャツが両手を広げて飛んできた。
「○○(私)ーー!」
私を呼び捨てで呼ぶ人間は、そうはいない。
今ちょうど歌い終わったところなんだろう、マイクに向かって大声で叫んだから、みんなが耳を押さえるほどの大声になる。

「まってたでーーー」といきなり抱きついてくる。
ここはアメリカか。
若い女性にそういわれれば鼻の下も伸びるところだが、私より一回り上だし、「はいはい」と軽くあしらう。

ちょっと遠慮して端に座ると、そのピンクが「○○(もちろん呼び捨てにされている私)!あんたなんでそんな端に座ってんの!こっちおいでこっち!」
そういわれて指差された席はもちろん、ピンクの隣。
まあ、会長の向かいだし、何かあれば助けてくれるだろう。

座れば座ったでこれがもう、やかましいやかましい。
「飲んできた?え?今日はまだ?じゃあ、駆けつけ三杯飲みや!」
「はいっ次、曲入れて!なに歌うの!ささっとしいや!」
「あんた、そんなジントニックみたいなもん飲んでるから酔わへんねん。ロック、ロック。焼酎ロック飲まな!」
「○○(もう、合言葉のように呼ばれる私)!あんたも踊らんかいな!」

体育会系の先輩のようだ。
ピンクは30秒と座らず、誰の曲のときでもにぎやかに踊る。
座っているときは私にちょっかいを出している。

小学校にも中学校にもこんなやつはいない。
でも、だからこそ、私がこの人たちと一緒に活動するのは楽しいと思えるのだろう。
後援会なら、子どもが卒業しても、なんだかんだと一緒にできそうだ。

2006年9月17日(日) ジャージ

何かと走ることの多い季節が間近に迫り、ここらでいっちょ、ジャージを買うべ、と考えていたところ、知り合いから会員制の安い店を紹介されたので、さっさと仕事片付けて、いそいそと出かけた。

車で15分。
その店はこの連休に向けて大々的に広告を打ったこともあって駐車場も大入り満員。
10分ほどの待ち時間を経て車を止めようやく店内へ。

お目当てのジャージのコーナーへ。
思ったよりも品数は少ないが、お目当てのジャージを見つけた。
さっそく、金額を見る。

メーカー希望小売価格の10%引き。

おや?
思ったほど安くない。
これほどの人手なら、30%引きぐらいを期待していたのに。

とりあえず、目的の品を探す。
おお、これこれ、このメーカーのこのモデル。
色違いがいくつかあったので、それらをもって試着室へ。

最初は黒にしようと思っていたが、少し頼りない感じがする。
マッチョマンならそれでのいいのだろうが、あいにく私はそれとは縁遠い体系をしており、この色は少し合わない。
迷った挙句、青みがかったグレーを選択した。

会員割引でさらに10%割引であったがそれでも13,000円以上。
これがジャージだとは。

まず最初は、中学校の運動会に、来賓である小学校PTA会長として招かれるのでそのときにでも着ていこうと思う。
なに?
来賓だからスーツじゃないかって?

そんなことを言ってるから子どもとの距離が縮まらないんだ。

2006年9月18日(月) 小学校バレー部

仕事から帰ってきて居間へと続く階段を上りながら「ただいまー」というと返ってくる返事で部屋の様子がわかる。
「おかえりー」という声は長女と長男だけだった。
どうやら嫁さんがいないらしい。

扉を開けると、長男は漫画を読んで笑っているし、長女はパソコンに向かってメールを打っている。
次女は遊び疲れて眠ったようだ。
やはり嫁さんの姿はない。

「お母さんは?」と聞くと長女がパソコンに向かったまま「バレーの練習にいった」という。
小学校PTAで構成されるバレーボールチームだ。
「何時ごろまで?」と聞くと今度はパソコンから目を離して「確か9時まで」と答える。

いつもの位置にドカッと座ると長女がすぐに夕食の給仕をしてくれた。
「ご飯たべたら、ちょっと様子を見に行ってくるかなあ」
独り言のように言うと長女が、ハッとした顔で振り向き、自分を指差して、一緒に連れて行けとアピールする。

ビールを飲み干し、茶碗の飯を一気に平らげ、長男に留守番を頼んで、すぐさま出かけることにした。
長女と二人、目指すは小学校の体育館。

それぞれの自転車に乗って夜の街中を颯爽と走る。
手放しで自転車を運転していると長女が後ろから「危ないからやめなさい」という。
どっちが親なんだか。

学校に着くと体育館から声が聞こえてくる。
学校の玄関は鍵がかかっており、警備員にあけてもらわないと中に入れない。
巡回警備中だったようで5分ほどしてから警備員があけてくれた。

早速、体育館へと向かう。

「はいっ! オーライ!」
「キャー。ごめーん!」
「いけるいける!ドンマイドンマイ!」

などと大きな声が聞こえる。
長女と二人、上下に並んで扉から顔だけをのぞかす。
しばらくしても誰も気がつかない。

痺れを切らした長女が先に入っていくと「あ。○○(長女)や!」と誰かが言った。
呼び捨てではあるが嫁さんでないのは確かだ。
うちの近所では互いの子どもをその親が呼ぶのと同じように呼ぶのだ。
そのほうが叱りやすいからだ。
長女の後について私も入っていく。

今日は中学校と小学校の練習試合のようだ。

今日来ている、小学校のバレー部員9人のうち、3人が小学校の役員、ご近所さんが3人、ほかにもいろいろと接触のある人たちで、ほとんどが顔なじみだ。
中学校のバレー部員だって同じだ。
会長をはじめ役員が3人いる。
それ以外にも顔なじみがちらほら。

私は両方の役員をしているので、なんだかこういうときは、気まずさもあるせいか、少し恥ずかしいというか、身の置き所に困るといった感じがした。
長女と二人、母親を待つ間、舞台でほかの遊ぶ子どもたちに混じって、隅っこで観戦していた。

なかなかうまい。
お荷物だと思っていた嫁さんも、どうしてどうして、やるじゃん。

個人のレベルは決して高くない小学校のバレー部だが、なんたって仲がいい。
その仲のよさが互いの欠点を補うチームプレーを生み出し、昨年は市の大会でなんと優勝してしまったのだ。

今年はさらに気合が入っている。
優勝候補筆頭に間違いない。

2006年9月19日(火) 風習をつくる

今日も家に帰ると嫁さんがいなかった。
今日は子ども会の班長さんたちを集めて、校区体育祭の選手集めの作業を調整しているようだ。

校区体育祭は文字通り、小学校校区にある8地区の自治会の対抗戦で行われる体育祭であり、校区内で行われる催し物の中でもっとも大きく、参加者の多いイベントといってよい。
自治会対抗なので、ほとんどの地区では自治会が主体となって活動しており、子ども会は比較的楽をしているようだ。
といっても、中にはその子ども会すら存在しない自治会もあるんだから仕方がない。

私のいる自治会は違う。
校区体育祭は、子ども会は主体であり、子ども会が活動し、子ども会が活躍する。
もし、子ども会がなければ、絶対に成り立たないだろう。
それほどまでに、子ども会の影響力は大きい。
選手を集めるのも子ども会の班長さんなら、集められる選手も子ども会のお母さんやお父さんである。
古くからの商店街を中心に、形成されるこの町内には老人が多く、若者が少ない。
だから必然的に子ども会の父兄が活動しなければならなくなる。

つい先日まで白紙だった選手名簿が、あれよあれよというまに埋まっていった。
もう、ほとんど空欄がない。
名前を当てはめた人にはもちろん交渉済みであり、参加の承諾をいただいている。
いつの間にそこまでやったんだ。
お母さん方の情報網と行動力はすごい。
嫁さんが一年生全員の家庭を訪問して名簿作成するかどうかを確認できたのも、そういう情報網と行動力のおかげだろう。
この力を持ってすれば、自治会が探し出せない、こういった催し物の協力者を探し出すことができるのだ。

初めて班長さんをやる人は言う。
「班長さんて大変なんですね。いつも子ども会の行事に子どもが参加させてもらうだけで、こんなにいろいろやっているとは思わなかった」
「そうやで。だから、班長を引退したら、新しい班長のお手伝いしてあげてね」
と嫁さんが言う。

私の地区のいいところは、班長を経験した人が積極的にお手伝いをしてくれるということだ。
こうやって、どんどん班長の経験者が増えて、みんながそれぞれに作業を受け持てば、子ども会や自治会の運営なんて、どうって事はない。

みんなが納得するルールを作ることは難しい。
でも、そういう風習をつくっていけば、いつしかそれがみんなも納得するルールになると思う。

2006年9月20日(水) 役員といっしょに

来年のことを言うと鬼が笑うというが、PTA活動における今年の問題点を来年に持ち越さないためにも、すぐに反省して、来年は改めようと話をする。
ところが、それを快く思わない人もいる。
それが現役の役員だ。

いや、役員を責めているわけではない。
むしろそれに気づかなかった私のミスだろう。

いつものとおり、会議の後にミスに気がつき、役員に連絡した。
「来年は説明用の資料を用意したいと思います」
すると後日役員から電話が。
一通りの連絡事項が終わって最後に「すみません。会長、ひとついいですか」と前置きとして、「この前、『来年は説明資料を』見たいな話をしてましたけど、まだ、間に合いますし、今年が終わったわけでもないので、そんなに、『来年は』って言わないでください」と言った。

普段はおとなしくそんなことを言う人でもないのに、なぜそんなことを言ったのか、嫁さんに聞いてみた。

「たぶん、会長が今年のことをあきらめた、自分たちをあきらめたって思ったんじゃない?」

本当にそうだとしたらとんでもない誤解だ。
すぐにメールを送った。

「もしかして私が、今年をあきらめた、と言っているように聞こえたのでしょうか?無論そんなわけはなく、すぐにでも対処できるところは対処していきたいと思います。ただ、何の知識もなくいきなり本部を担当した私はいろんな意味で壁に当たりました。それは私がPTAに関して無知である事が最大の原因ですが、それだけではないようにも思います。それらの要因をひとつでも減らしたいと思い、今日起きた反省すべきことは来年必ず改善できていることを目標にして活動しています。そのため、ついつい、来年の課題としてことさらに言うのです。言葉に誤解を招くニュアンスがあったとしても、それは本意ではありませんのでご容赦ください」

すぐに返事が来た。

「すみません。生意気だったかなと反省してます・あたしは、本部やらせてもらっていつも思う事があるんです・仲間っていいな〜って。バレーボールしてても思いますし…来年はもっとみんながわかるように、訂正することのないように…と会長は、凄くまじめに考えてくれてると思います。でも、今は6人で今年を頑張ってるのに、もう会長は来年に気持ちが向かってるのかと感じてしまったので…つい、言ってしまいました・・すみません」

やっぱりそうだった。
これは少し、本心を話さなければならないと思った。

「男はええかっこしいなんです。道に迷っても道を聞かない、お店で商品が見つからなくても店員に聞かない。うちの嫁さんもそうですけど、「なんで?そんなん聞いたらいいだけやん」といいます。でも私にはその言葉が「あなたは能無し」と聞こえるんです。「仲間っていいな〜」って○○さんが思えることは、男の私には少しうらやましいところでもあります。互いに助け合ったり、力を合わせたり、肩に力を入れずにそれができる女性がうらやましい。だから、私は○○さんたちと同じ役員でありながら、同じように仲間の顔をしていることはできないんです。どうしても格好をつけてしまう。それがきっと「私は男だ。会長なんだ。みんなと違うんだ」という意識となり、きつい言葉となっているんだと思います。私こそ、すみません」

ばかな話だ。
いや、話の内容ではない。
二人とも同じ目的で同じ活動をしていながら、互いを理解できていなかった。
半年も同じ役員活動をしながら、である。

「とてもとても素直な気持ちを伝えていただいてありがとうございます」
と返事が来た。

後日、嫁さんに会ったその役員が言ったらしい。
「会長って本当に純粋な人なんですね。一所懸命なのが伝わってきました。自分の気持ちを素直に伝えてくれるご主人で、本当にうらやましい」
その言葉を聴いて、私の気持ちが伝わったことを確信した。

明日からはまた、笑顔で会話できる機会が増えるだろう。

2006年9月21日(木) 動転しまくり

「今日は大変やってん」と嫁さんが話す。

近くに大学があり、私の家の前はその通学路にもなっている。
朝と夕方は通勤通学の人通りも多いが、昼下がりは学生と買い物へ出かける主婦が時折通るぐらいだ。

嫁さんはいつもどおり、同じ並びにある友人の家の前で世間話をしていた。
学生たちが何人か通り過ぎた。
と、少しはなれたところから声が聞こえた。

「すみませーん!誰か、誰か助けてください」

テレビの中ではよく聴く言葉だが、現実の世界では数十年に一度出くわすかどうかの言葉である。
声のする方角を見ると一人の女子学生が道端に座り込んで叫んでいる。
そしてその女子学生の傍らにはもう一人、別の女子学生が道に倒れていた。

嫁さんがすぐに駆け寄り、倒れこんでいる女性の顔を見ると、目は開いているのだが焦点が合っていない。
「大丈夫ですか?」と呼びかけても一向に反応がない。
転んでひざから血を流している子どもとはわけが違い、さすがの嫁さんも気が動転してしまう。

助けを求めていた学生が説明をする。
「急に倒れたんです。た、多分、気を失っているんだと思います。発作が起きることがあると、話は聞いていたんですが、初めてで・・。」
友達も気が動転しているのがありありとわかる。

持病ならば救急車を呼んだほうがいいだろうチウ子とになり、嫁さんが友人に救急車を呼ぶように頼んだ。
しばらくすると友人は携帯電話を手に持ってやってきた。
「救急車って、『116』やんな?!何回かけてもつながらへん」
友人も気が動転しているのだろう。

しかし聞かれた嫁さんも、友人が携帯電話を手にしているので、携帯電話では119番につながらず、別の番号にかけるのだろうと思ったらしく、「え?!あ?わ、わからん」と答えてしまった。
かなり気が動転していたのだろう。

同じ並びの別の家に飛び込んで、救急車を呼んでもらうように頼んだ。

救急車が到着する前に、倒れていた人に意識が戻った。
話しかけると、まだうつろではあるが、ちゃんと会話ができる用にまで戻っていた。
頭を打って怪我をしているので、嫁さんが家からクッションを持ってきて、そのまま道端に静かに寝させた。
「誰かに連絡する?」と聞くと「母親に」と答えた。
女子学生の友人が電話をしようとするが、「ああああ。わからーーん」と言って電話をかけることができないようだ。
近頃の若い女性なら他人の電話でもメモリダイアルの使い方ぐらいわかるだろうに、やはり気が動転していたのだろう。
結局、意識を取り戻した本人が電話をした。

「あ。もしもし。おかあさん。あんな、学校へ行く途中で発作が出て倒れてんけど、通りすがりの人に助けてもらって、今はもう大丈夫やけど、まだ道で寝転んでる。・・・うん。・・・違うって。だから、倒れたのはさっきで、今は寝転んでるの。・・・だから道に。・・・って、通りすがりの人やん。・・・病院じゃないってば。救急車は・・・だから、救急車は呼んでもらってるけど」
母親も気が動転しているのだろう。

しばらくして、救急車のサイレンが聞こえた。
音の方角は駅のほうだ。

おそらく、駅の前のとおりから、私の家の前に入ってくるだろう。
しかし、ここの曲がり角はとても曲がりにくく、私のオデッセイがようやく曲がれるほどであり、それも、私以外の人間では、容易には曲がれない。
嫁さんもそのことは知っていたので、慌てて駅のほうへ駆けていった。

ちょうどそのとき、救急車が道を曲がろうとしていた。
嫁さんは、「この道はこの車では曲がれません」と説明したが、運転手は話を聞かずに強引に曲がろうとする。
しかし、一向に曲がれそうにない。
嫁さんはなおも「だからここは無理ですって。向こうへ回ってください」といい。回り道を指差した。
ようやく運転手も理解して回り道を選択した。
おそらく救急隊員も気が動転していたのだろう。

救急車が来ると女子学生とその友人は一緒に乗り、そのまま病院へ運ばれていった。

ふう。
最初に救急車を呼んだ嫁さんの友人、持っていたのは携帯電話ではなく、電話の子機だった。
無論、116番ではなく、119番にかければよかったのだ。

2006年9月22日(金) 大玉転がし

今日は長女が通う中学校の体育祭であった。
私は小学校のPTA会長として学校を訪問した。

朝、8時30分に学校に行く。
本部席横に受付があり来賓者名簿があり、そこには各地区の自治会長やら学校長やらに並んで私の名前があった。
しかし下のほうを見るとそこにも私の名前が。
中学校の役員としての名前だ。

本部役員は来賓ではあるものの、他校からの訪問者をもてなすこともやるらしい。
本来、運動会は学校行事なのだから、先生方がホストとしてもてなしをするべきなのだが、こういうことはやはり、手馴れたお母さん、つまり本部役員の女性の仕事になってしまうのだ。
だから、私も小学校のPTA会長として座っているほうが、手伝おうかどうしようかと余計な気を使う必要がない。

本部店との下に並べられたパイプ椅子に、それでも少し遠慮して前から三列目に腰掛ける。
三列目と言っても、前にはまだ誰も座っていない。
目の前に広がるトラックをみて思った。

 朝の運動場はこんなに清清しかっただろうか。

いつも学校に来るときは何かを準備するときであり、何かを手伝うときであり、そして何か忙しく走り回るときであって、少なくとも、何もせずに腰掛ける、などという行為をしたことがない。
いつもと変わりないはずの運動場だが、気持ちひとつでこれほどまでに感じ方が違うものなのか。

トラックの向こう側には各学年4クラス、4色の鉢巻を締めた生徒が腰掛けている。
活気が伝わってくる。

やがて時間となり、校旗の掲揚に始まり校長先生の挨拶、選手宣誓と開会式が続いた。
今まで選手宣誓を正面から見たことがなかったが、さすが本部席、真正面である。
続いて100メートル走が始まった。
これまた目の前がゴールである。
選手の息遣いまでも聞こえてくる。
運動会の好きな私にとってこれほどのいい場所はない。

次第に競技にのめりこんでいくのがわかる。
長女が出ない種目であっても、今まで以上に拍手を送る。
長女が走るときなど、席を立ち上がり、応援する。
後ろで撮影している広報さんのことなどそっちのけである。

二年生の長女も相変わらず足が速い。
種目後半にあったクラス対抗リレーでは男子と一緒に走ったのに、男子との距離を開けるほどに速かった。
さすが私の子ども。
いや、嫁さんの子どもというべきか。

三年生の団体演技は中学校生活最後の競技と言う思いが強く、感極まって始まる前から泣き始める女子生徒もいた。
一年生の組み立て体操も感動的だった。
小学校とは一年しか違わないのに、安定感の差は歴然であった。

そんな子どもたちの演技が続くさなか、本部席には時折お偉いさんたちがきて、3種目ほど見てまた去っていった。
結局、最初から最後までいた来賓は私だけだった。

最後のほうにPTAの参加種目もあった。
大玉ころがしだ。
競技開始の時刻になってもほとんど人が参加しない。

まず私が最初にコートに出た。
続いて中学校の校長、本部役員が出てきた。
私は、嫁さんたちがいる方向へ向かった。
嫁さんがいつものメンバーを引き連れて参加してくれた。
それを見て、中学校、小学校の父兄が参加し始めた。
しかし、なんだかどこかで見たことのある顔ばかりだった。

各学年の父兄ごとに分かれた。
二人ずつペアになって大玉を転がし、コーンを一周して返ってきて次の人と交代。
早く5組10人のチーム全員が終われば勝ち。

もちろん、私は嫁さんと二年生のチーム。
そしてもちろん、一番手。
嫁さんに言う。
「本気でいくで」
二年生の大玉は青色。

「よーい」の掛け声を聞くと一気に緊張が高まる。
パーンというピストルの音と同時に、ものすごい勢いで走り始めた。

「青、速いです。青、速いです」アナウンスが聞こえる。
嫁さんも走りながら「うわああ。本気やんかー」と驚く。
「青、ものすごく速いです」
「は、はやいー」と嫁さんも笑いながらしっかりついてくる。
嫁さんはサンダルだったが、それでも十分だった。

無論、ダントツの一位で戻ってきた。
私たちが本気だったせいで、周りの人たちもだんだんと本気になった。

席に戻る途中、嫁さんの友達が悪態をつく。
「もう、大人気ない。そんなマジにならんでも。ほんまに、加減ちゅうもんをしらんなああんたら夫婦は!」

ははは。
子どもに頑張れと言うなら、自分もそれを見せないと。
それができてこそ、大人だろ。な。

2006年9月23日(土) バレーボール

朝から一発、仕事を片付け、向かう先は市立体育館。
今日は小中学校のPTA対抗女子バレーボール大会。

私の小学校からも出場する。
ついこの前まで弱小呼ばわりされていたのに、去年はなんと優勝した。
といっても、23校24チームを6つのブロックに分けたそのブロック優勝だが。
それでも、強いことに変わりはない。
さらに信じられないことに、このチームに嫁さんがいる。
うちの嫁さんは、人にさを縮められるところを見たことがないぐらいに足が速いが、球技はからっきしだめなのだ。

このバレーチームには小学校の役員やら地域の委員やら、とにかく、強烈なメンバーが揃っており、第二のPTA本部と呼ばれている。というか、私が呼んでいる。
きっと、その強烈なメンバーに目をつけられた嫁さんが、引っ張り込まれたのだろう。
と、思っていたが、みんな実に楽しそうである。
実際、嫁さんが休みの日にバレーに出かけるときなど楽しそうに出かけていく。

でも、いざ練習となると違う。
ママさんバレーと侮るなかれ、なかなかに勇ましく、なかなかに俊敏な動きをする。
掛け声も元気で、ミスをしても励ましあう。
まるで高校生と変わらない。

少し前まで「PTA会長だから応援に行かないといえないなあ」ぐらいのつもりだったのだが、練習を見たり、選手からのメールを受け取ったりしているうちに、早く仕事を終えて観戦したいと思っていた。
そしてようやく駆けつけたというわけだ。
しかし、おしいかな、今一歩のところで負けてしまった。

それなりに肩を落として悔しがっている姿は、普段見られないお母さんの姿だった。
来年も一緒にがんばろう。

2006年9月24日(日) サポーターデビュー

今日も朝からとても天気がよく、絶好の行楽日和だ。
しかし、仕事があって出かけることもできない。

で、土曜日の話。
残念ながらバレーボールの試合は負けてしまったが、その鬱憤を晴らすべく、我らがガンバ大阪のホームゲームへと臨んだ。

現在、Jリーグ2連覇を目指し、首位を独創しているガンバだが、それを追随しようとする3位のフロンターレをホームに迎えての大事な試合だ。
8試合負けなしで、リーグ発足時のあの弱小チームの面影はもうない。

この大事な試合のチケット、入手困難かと思われたが、私には強い味方がいる。
同じ会長を務める女性が熱狂的なガンバサポーターであり、いくらでもチケットを手に入れられるのだ。
で、その女性に頼んでいた。
しかも今度の席は、ホームゴール裏。
さらにそのど真ん中。
スタジアムの中でもっともホットなところ。
座席はあっても打ちっぱなしのコンクリートで、誰も腰掛はしないし、そもそも腰掛けるようなやつはここに入られない。
素人立ち入り厳禁。
あの大きな旗が振られ、大きなユニフォームが波打ち、大声と歓声が湧き上がる場所である。
そこへ長女と二人で行ってきたのだ。

試合開始1時間前に到着し、ユニフォームを買う。
水色の私服は絶対にダメ。
フロンターレの色だ。
もちろんガンバカラー「青と黒」の縦じまを買う。
4000円×2枚はかなりの出費だが、やっぱりこれがなくちゃ。

二人で着替えて入り口で、熱狂サポーターの会長を待つ。
しばらくすると、若者を引き連れてやってきた。
そして案内される。

青、青、青。
旗、旗、旗。
スタジアムへは何度か訪れたが、ここはもう、別格に活気が違う。

熱狂サポーター会長が歩くとあちこちから声がかかる。
「おっ!おばちゃん!久しぶり!」
「あ!○○さん、妹、今度二人目生まれたよ!」
「おお。連絡聞いてる?今度のミーティングは××やで」

どこのチームでもそうだが、サポーターにはいくつかのグループがある。
ガンバには大きなグループが3つあり、以前は別々に応援していたらしいが、今は一緒に応援している。
そのグループのひとつのお偉いさんと思しき人に熱狂会長が話しをしていた。
「今日、3人、頼むわ」
「おう。んじゃ、そこ、あいてるし」
そういわれて「よろしくおねがいしまーす」とあいさつをし、指差された位置へついた。

やがて試合開始前になると、グループの中のリーダーと思しき、スキンヘッドで強面(こわもて)のおじさんが、ビールケースの台の上に立ち、拡声器のハンドマイクを手に持ってあいさつした。
「えーみなさん。こんばんはー。今日も、がんがん応援していきたいと思いますので、夜露死苦! さーほんなら、声出していくでー。みんな声出ますねー」
「オウッ」
「まだまだ大きな声出ますねー」
「オウッ!」
「もっともっと大きな声出ますよねっ!!」
「オオウッ!!」

選手が入場し、グラウンドでウォーミングアップを始めると、一人ひとりの応援歌を歌い手拍子をする。
すると選手がこっちを向いて手を振って声援にこたえたり、ぺこりと頭を下げたりするのだ。
私がいつも応援している席に向かってあいさつをすることなんかない。
ファンとサポーターの違いを感じた。
試合が始まって、いろんなバリエーションの手拍子をすると、スタジアム全体がそれに合わせて手拍子をしてくれる。
まさに、このゴールの裏側が、応援の源なのだ。

試合の間中、ずっと立ったまま、ずっと手拍子をし、ずっと大声で応援していた。

♪この空に輝く星があるように われらの街にはガンバが輝く♪

♪俺たちが大阪さ 青と黒 俺らだけ♪

♪さあ立ち向かえガンバ ガンバの誇りを胸に われらもともに戦う ガンバの誇りとともに♪

ゴールが決まったときの歓喜はすごい。
旗は打ち振られ、太鼓は鳴らされ、すさまじい歓声が耳をつんざく。

結果は4−0で圧勝。

この場所は、試合の様子がわかりにくい。
全員が立ち見をしているし、旗も振られているので、観戦するには向かない。
ここは応援する場所だ。

観戦したいならテレビがいい。
でも、応援したいなら、この場所以外にない。
今年は後何回、応援に行けるだろうか。

2006年9月25日(月) 次期候補

PTAの役員さんの中に、次期会長候補と私が勝手に決め付けている人がいる。
役員さんの中で一番若くて元気な女性だ。
その人もいろいろな委員を経験したものの役員は今年初めてらしい。

思えば、3月の最初の顔合わせのときから何か違っていた。
中学校と小学校の同時役員という「前代未聞」の「顔に泥塗る行為」を引き受けた私は、中学校で自分の意見を述べたその足で、今度は小学校へ向かった。

役員と先生方の待つ校長室へ入ると、みんな神妙な顔をしていた。
でも一人だけにこやかな顔をしている。
私が話を始めると神妙な顔の役員たちも理解してくれたのか、だんだんと穏やかな顔になっていった。
相変わらず、一人だけにこやかである。

役員さんたちが自分の考えを言う。
「この3週間、人間不信になってました」
ひやー、最初から信じないか最後まで信じるかのどちらかしかない私には無縁だ。
「私も、役員を辞退するつもりでした」
ひょえー、一度引き受けて辞退するのがありなら、私が辞退したい。

その中でにこにこ顔はこういった。
「私、初めてなので、よくわからないんですけど、決まらないっていってた会長さんが決まったんだから心配ないじゃん、って思ってました。兼任だろうとなんだろうと、会長さんができるって思って引き受けてくださったんだから、何も心配ないって」
私の思っていたことそのままだ。

決まらないはずの会長が今こうしてここにいる。
私ができると思って引き受けたのだから問題ない。

この役員を私が次期会長候補に推挙したい理由はその考え方にある。
会議のとき、常になにが問題でどうすれば解決でき、そしてその結果が同であったかを確認しようと心がけている。
洞察力や判断力にはまだ不足を感じるが、ほかの役員やお母さん方と圧倒的に違うのは、問題に対する取り組み方だ。
常に先を見て、次回から同じ失敗をしないように、心がけているのが見ていてわかる。
また、学校の先生や役員さんたちは自分の経験こそが最も優先されるべきものと勘違いしているが彼女は違う。
会議の重さを知っている。

文化祭の担当は文体委員さんだ。
毎年、市が主催する文化祭に何かしらの展示を行う。
その出展物の準備、搬入搬出などもすべて文体委員が中心となって進める。
搬入搬出には結構時間がかかるので、例年、そのときだけの要員が確保され、文体委員を補助する。
そこで、全体会議のとき、文体委員は「今年は補助が要りません」と答えた。
まだ文化祭までは時間があるし、あとになって突然必要だといわれても困るので、「じゃあ、今年の文化祭の補助が必要かどうか、文体委員さんの判断に任せます。その検討結果を次回の会議で発表してください。必要であれば要員をその場で決定します」と決まった。

ところが、先ほどの経験の話から、先生や一部の役員が連日のように「補助の委員を募集したほうがいいです。本部役員が手伝うべきです」と私に言ってくる。
私はそのたびに、「文体委員に任せる、って会議で決まったでしょ。文体委員のやることを見守るのが本部の仕事です。手出しをせずに、静かに見守りましょ」と返事していた。次期会長候補の役員も私と同じだった。
「なぜ会議の場で言わないんですか?みんなで決めたでしょ。文体委員さんに任せるっていったのに、本部役員がしゃしゃり出たら『文体委員に任せられない』って言ってるの同じですよ」と。

文体委員に任せると決めた以上、文体委員に任せればいい。
後日、文体さんから話を聞くと、要員が全く必要のない程度のものであることが判明した。

もし、私だけが、「本部は手出しをするな」といっていたとしたら、役員たちは勝手に文体の補助委員として文体さんの現場に、指示をしていたかもしれない。
文体委員も役員が来れば、補助というより、指示をしてもらおうとするに違いない。
役員のほうは「やっぱり私たちが指揮をしないと」と思うだろう。
毎年それの繰り返しで、役員は余計な割り込みをしていたのかもしれない。

役員は自ら動くのではなく、各委員の動きを把握し、適切に指示をするものだ。
それをわかっていたのが、私以外にただ一人、次期会長候補だったのだ。

2006年9月26日(火) クリーミーな泡立ち

それほど飲んだつもりはないのに、結構、酔いが回っていたようだ。

電車の中でケータイが震えてメールの到着を知らせた。
役員の一人からだ。
目で文章を追いかけるが、頭に入ってこない。
それでも、いろいろと動いてくれた報告なので、お礼のメールを打つ。
「今帰りの電車です。今日もいろいろありがうございました。みんな本当にありがとう」夕方別の役員から報告メールが来ていたので、それとあわせて返事をしてしまい、変な文章になった。
酔っている証拠だ。

しばらくしてまたメールが来た。
「毎日遅くまでお仕事お疲れ様です。お仕事でお疲れのところへメールをするのは大変恐縮なのですが・・。お忙しいとは思いますがよろしくお願いします」

確かにいつもは忙しくてひーひーいっているのだが、少なくとも今日はおいしい酒を飲んでご機嫌である。
だが、今日はご機嫌です、なんて返事もかけない。
役員さんの希望にこたえて忙しかったことにする。

電車を降りて家路に向かうが、嫁さんが先日、クリーミーな泡の出るジョッキを買ってきたのを思い出し、踵を返してコンビニへ向かった。
手にしたのはもちろんビール。
すでに、生中は4杯飲んではいたが、まだまだ飲める。
(ゴマ焼酎のロックは不味かった)

家に戻ると嫁さんが手にしたビールを見て「おんやー?」と私の顔を覗き込む。

 散々外で飲んできたくせに、まだうちでも飲むのね。
 それは私に付き合えということかしら。
 いいわよ。一緒に飲んであげようじゃないの。

といった感じの笑みを口元に浮かべている。

早速、クリーミーな泡の出るジョッキに注ぐ。
しゅわしゅわしゅわ。
わわわ。
こりゃなんと想像以上にクリーミーな泡立ち。

ジョッキに口をつけると、鼻の下に泡のひげができた。
うーん。
いかんなー。
こんなものを買ってきてもらっちゃ。

ビールの消費量が増えるじゃないか。

2006年9月27日(水) 元気の源

子どもは褒めて育てる。
わかってはいるが、なかなかできない。

私はどう育てられたか。
おおよそ周りから「勉強のできないやつだ」とか「行儀の悪いやつだ」とか「大人の言うことを聞かないやつだ」などと、子どもの時分に悪く言われた記憶がない。

周りの人からは「頭がよく、まじめで、おとなしく、大人の言うことをよく聞く子どもだ」といわれ、親には「トンビが鷹を産んだ」といわれた。
学校の先生など、私の母を呼び出して「どうすればそんなお子さんに育てられるんですか?」と子育ての秘訣を尋ねていたほどで、学校へ呼び出された母が、家に帰ってきてうれしそうに祖母に話している姿と、その直後に祖母から「○○(私)ちゃんはえらいねー」と褒められた事は今でも覚えている。

褒められることはプレッシャーでもなんでもなかった。
普通にしていればそれだけで褒められたのだし、褒められれば、もう少しがんばってみようとした。
そして、その結果でまた褒められたりもした。
私はどうやら。人に褒められると調子に乗り、実力以上の力を発揮することができるらしい。

それは今でも変わらないんじゃないだろうか。

時々、仕事やPTAの活動に疲れを感じる。
仕事とPTAとはあまり共通性がなく、どちらかにどちらかの方式を持ち込んでもうまく事は運ばない。
それぞれに使い分けが必要なのだが、それが器用にできれば苦労はしない。

そんな時、嫁さんが私を褒めてくれる。
「あなたみたいに、そこまでできる人はいない」

そして、いつものように、近所の人との話をする。
「一年生のお母さんが『ご主人、PTA会長してはるって?まだ、子どもは一年生なのにすごいなあ』って言ってたよ」。

また別の日に言う。
「そこのおうちの人が『ご主人、PTA会長もやってはるんやってねえ。子ども会だけでも大変やのに。お若いのにすごいねえ』って言ってた」。

また次の日も言う。
「自治会の人があなたのことを『○○くんはすごい。えらい。ほんまよーがんばってる』って言うてはった」。

毎日のように、私の評判がとてもいいということを報告してくれる。
嫁さんはうれしくて私に話しているというのではなく、それを聞いた私が元気になるということを知っていて話してくれているのではないかと思う。

単純な私は、それでまた、がんばろうという気になる。
忙しい、10月を目前に。
少し心を引き締めた。

2006年9月28日(木) 10月のお楽しみ

仕事で疲れた体を何とか引きずって家にたどり着くと嫁さんが迎えてくれた。
居間にはとっくに寝ていなければならないはずの次女がまだ起きていた。

夕食は外で済ませてきたので、いつものようにビールを飲み始めた。
「早く寝ないとあかんやん」と次女に注意するが、次女はなんだかにこにこしている。
「どうしたん?」と聞くと次女はなおもにこにこしながら「あれあれ」と指差す。
そちらを見ると壁掛けのカレンダーが。
何か絵でも描いたのかと思ってじっと眺めるが変わった様子はない。
カレンダーじゃないのかと思い、次女に尋ねる。
「あれ、ってどれよ」
「もう。カレンダーやん」と答えが返ってくる。

やはりカレンダーか。
カレンダーは仕事先でもらったもので、ただの風景が写っているだけだ。
やはり余白部分にも我が家の画伯の作品は掲載されていない。
「カレンダーがどうしたん?」と尋ねると、普通の答えが返ってきた。
「もう、9月終わりやで」

当たり前だ。
今日は28日だ。
でもそれがどういうことかわからなかった。
次女が続ける。

「もうすぐ、10月やで」
それを聞いて頭の中をいろいろなものが駆け巡った。

10月?
誕生日は7月だし、10月に何かを買ってやるといっていたか?
いや、どこかへ連れて行く約束をしたか?
遊園地か?水族館か?
仕事のせいで忘れていたか。
でも休日はすべて予定が詰まっており、遊びには行けないぞ。
どうしよう。

私が困惑している姿を察して嫁さんが横から言った。
「運動会やん」

え?運動会?
確かに運動会は10月1日にある。
でも、それでこんなににこにこしているのか?

「○○(次女)、運動会が楽しみなんか?」
「うん!」

そうかあ、運動会が楽しみかあ。
居間でこそ、運動会が大好きな私も、子どものころは運動音痴だったので、運動会は嫌いだった。
嫌いだった運動会が目前に控えているときの、陰鬱な気持ちはよくわかるので、次女のように楽しみに迎えられることがとても幸せなことのように感じる。
よかった、この子が運動会が好きで。
そう思って、目を細めていた。

「おやすみ!」
洗面所で歯磨きを終えた次女は元気よくあいさつして、寝室へ向かった。
特等席で見る次女の姿はどんな感じだろうか。

私も運動会が楽しみだ。

2006年9月29日(金) 趣味を増やす

日付が変わって帰宅するのはもう日課になっている。
今まで金曜日は休日の前日であり、とてもうきうきした曜日であったが、最近は土日に必ず、本業か学校関係の仕事がある。

カレンダーを見てみた。

土日を休日として過ごしたのは9月2日、3日が最後だし、それより前は6月24日と25日しかない。
あ、8月の平日に旅行に行ったので、それが連休といえば連休だ。

われながらすごいと思う。

土日を趣味で過ごすお父さんに、今の私と同じ事をさせたならば、ノイローゼになるかもしれない。
私がそうならないのは、私の趣味が、お酒だからだと思う。
不健全だといえば不健全であるし、あまり大きな声で言えたものではないだろう。

しかし、古くから酒は「百薬の長」といわれており、適量をたしなむのは心身にとてもいい影響を及ぼしていると思う。
事実、仕事で疲れてきた夜も、お酒を飲めば、明日も一日がんばろうという気になる。
酒も飲めないぐらいに疲れて帰ってきた夜は、2、3日のうちに発熱する。

でもさすがに、飲みすぎだろうか。
仕事の量に比例して酒の量も増えてきたようだ。
トレーニングをしていないので、おなかの周りにしっかりと肉がつき始めた。
気になって揉んでは見るものの、それで取れるはずもない。

このまま忙しいのが続けば、肥満になってしまう。
筋肉トレーニングも趣味のひとつに加えようか。

2006年9月30日(土) メーカーオプションがいい

愛車を買ったディーラーから、洗車フェアをやっているという案内が来ていたことを思い出した。
確か、今日までだ。
とりあえず、朝から仕事に出かけ、夕方に戻り、そのまま車に乗ってディーラーへ向かった。

駐車場には同じように洗車を受けている車があった。
私も車を誘導されるがままに止めると、つなぎの作業服を着たメカニックが近寄ってきた。

「いらっしゃいませ。今日はどのような・・」
「あ。洗車をお願いしたいんですけど」
「フェアの洗車ですね?」
「ええ」
「はい。では、洗車と点検とあわせて、40分ほどかかりますが、中でお待ちいただけますか」
そう言われ、車のキーを渡して店内に入った。

何の匂いかわからないが、この店には独特の匂いがある。
決して不快な匂いではない。

空いている席を見つけて適当に座るとすぐに女性がきて、「ご用件はお伺いしておりますでしょうか?」と尋ねてくれたので、洗車をお願いした旨、伝えた。
「お飲み物をお持ちしますが、何がよろしいですか?」と聞かれ「ホットコーヒーを」と答えた。

しばらく店内を見回す。
結構、にぎわっていた。
向かいに座った客は背中しか見えないが、商談をしているようだ。
営業マンが熱心に話をしている。
運ばれてきたコーヒーを飲みながら、聞き耳を立てた。
背中を見せている客の声は聞こえないが、営業マンの声がよく聞こえる。

「ええ。パワースライドドアですよ。まあ、最近は小型のタイプでも標準装備になってきてますねえ」
「こちらのナビだと、更新料が2万円ぐらいかかります」
「ええ。テレビは見れますよ。本当はね、こういうことお勧めできないんですけどね。一応アースすれば走行中でも見れます」
「こっちはねダメなんですよ、アースだけじゃ。車速とも連動してますのでね」

話の内容からするとナビの選択で迷っているようだ。
車速とも連動しているのはメーカーオプションの高いナビだろう。
高いがそれだけに高機能であり、見た目のバランスもいい。
ほかの車種ではどれだけの違和感があるか知らないが、オデッセイにメーカーオプション以外のナビをつけると、別の車に思えるぐらい、ダッシュボードの中央が異様に盛り上がるのだ。

メーカーオプションのナビにしたほうがいいよ、と心で思っていても伝わらない。
その男性が何を選択したか知らないが、こうやって商談しているときはそれはそれで楽しい。
きっとどんな組み合わせでも、自分の選んだ車はすばらしく思えるはずだ。

きっちり40分後に作業完了の連絡を受けて駐車場へ向かうと、相変わらずきれいな真っ赤な愛車は、少し怖い目つきで私をにらんでいるように思えた。
きれいになった車に乗るのは気持ちがいい。
メーカーオプションのナビを見て、やっぱりこれがええよ、と一人ニヤリと笑い、街へ走り出した。

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