カリント日記

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2006年10月1日(日) 雨の運動会

今日は小学校の運動会である。
私がPTA会長を引き受けた理由のひとつはこの運動会を特等席で見ることができるからである。
前日、「明日、PTA会長のあいさつがあるんやろ?」と嫁さんに言われたが、当日考えればいいと思って、集合時間より少し早く学校へ行く予定にしていた。

朝。
なんだか暗い。
空模様が怪しい。
少し地面もぬれている。
これは雨か。
そう思っていると電話が鳴った。

電話に出た嫁さんが「今日は雨天用のプログラムに変更やて」と残念そうに報告した。
次女は今日のことをとても楽しみにしていたのに。
「はれ男」の私が何たることだ。
そういえば、入学式も雨だった。
私がみんなの前であいさつするときは雨が降るのか。

少し早めに学校に着く。
雨の日の学校はとても寂しげである。
窓が多いせいだろう、差し込む光の量がそのときの空模様を如実に反映している。
雨粒が窓を伝う姿も頼りなげで物悲しい。

いつものように校長室に入り、パイプいすに腰掛ける。
腕を組んで空を呪いながらあいさつ文を考える。
あいさつというのは日ごろ思っていないようなことを話そうとするから台本が必要なのであって、常に考えている自分の思いをそのまま言葉にすれば、何も見なくても話はできる。
実際、自分の考えを先生や役員に伝えているときの嫁さんの言葉は、らしからぬ流麗さを備えて、説得力を持っている。
それをあいさつにすればいいだけなのだ。

私のあいさつは結局「最後までがんばれ」だった。
「人に負けるのは悔しいかもしれないが恥ずかしいことではない。恥ずかしいのは自分に負けることだ。途中で投げ出さず、最後までがんばれば、そのがんばりに一等もビリもない。だから最後までがんばれ」そんなことを小学生向けにアレンジして話をした。
まあ、それなりに子どもにも伝わったのではないかと思う。

あいさつが終わると来賓席でゆっくり見ることにした。
最前列のもっとも中央寄りの席。
声をかければ生徒に届く距離。
スタート地点とゴール地点が目の前だ。
時折、子ども会でよく見かける子どもがスタート地点に着く。
「がんばれよ!」と声をかけてやると、うれしそうに笑う。

さて、肝心の次女。
最初の種目は競走である。
さっきのあいさつはまさしく次女に向けたようなものであった。
足の速いという評判の我が家において、次女ほど個性的な走り方をするものはいない。
今でこそ、普通に走っているように見えるが、ほんの一年ほど前は両手のひじを曲げてまるでガッツポーズのような格好で走っていた。
足の運びもまるでダンスをしているかのように妙な動きだ。

案の定、結果はビリだった。
それもかなり引き離されての。
後で次女に話を聞くととても悔しがっていた。
悔しいと思うのはいいことだ。
だからこそ次回、がんばることができるのだ。

次の種目は演舞である。
これはもう、次女の天下だ。
流行のポップに乗って、かわいい振り付けで踊りまくる。
まるで水を得た魚だ。
始終笑顔で楽しそうに踊っている。
私と目が合うといつものように「あっかんべー」をしてくるのは機嫌のいい証拠だ。

6年生の組み立て体操に感動していたころ、雨が強くなり始めた。
そして午前中の種目がすべて完了したとき、「雨天順延」のアナウンスが流れた。

残念そうにぞろぞろと引き上げる父兄と子どもたち。
運動場のぬれた土の匂いが子どもたちの悲しい思い出とならないことをただ願うだけだった。

2006年10月2日(月) 新しい会社と

A社はコンピュータでシステムを構築するのが仕事の会社、B社はそのシステムを使って売り上げを伸ばそうとしている会社。
そのシステム構築内容は、例えば、B社の宣伝用のホームページの作成でもいいし、総合物流管理システムでもいい。
A社はB社のシステムを構築するためにプロジェクトチームを発足する。
メンバは一人でもいいし百人でもかまわない。

このプロジェクトメンバが最後まで固定である必要はないが、一般にリーダークラスの人は最初から最後まで携わることになる。
かくしてプロジェクトは成功し、B社のシステムは完成した。

このときB社がとても喜んだのであれば、A社のメンバの評価は高くなる。
もし、次のシステムを構築する機会があったなら、まずはこのA社のメンバがその構築メンバの候補に挙がるだろう。
また、最初に作ったシステムを変更する場合においてもB社のメンバはとても貴重な存在だ。
なぜならば、システムを変更する際に何より必要になるのは現在のシステムに関する知識だからだ。
通常はB社にも担当者がいるはずだが、名ばかりの担当者であることも少なくなく、実際はA社のメンバがシステムの細かい注意点や特異性なども理解していることが多い。

こうなるとB社にとってA社のそのメンバは離しがたい存在となる。
場合によってはB社の社員よりもありがたがられる。
また、このときB社にとって大切なのはA社という会社ではなく、A社のその特定のメンバ、自分のところのシステムをよく知っているメンバなのだ。

こういう状況で、A社のメンバは、自分がB社に必要とされていることを自覚して、それを逆手にとって、もっとよい条件の会社へ移ることもある。
例えばC社の社員となって、B社の面倒を見続けたりするわけだ。
C社にとっても悪い条件ではない。
元A社のメンバがB社という客を連れて入社したのだから。

このA社のメンバの立場に近いのが私だ。
そうして私はB社という自分自身を必要としてくれているお客を捕まえたまま、A社を飛び出してフリーになった。

実際には、B社と仕事をしていく上でC社という看板が必要なので、C社を仲介として契約している。
ところで、最近は一人請負(一人だけで仕事をすること)ができなくなってきた。
なので、同じようにD社から一人請負をしているメンバに話しを持ちかけ、私もD社の看板を利用することにした。
そうすると、D社から二人が請負をしているので、一人請負ではなくなるからだ。

今日はそのD社のメンバと社長と飲みに行った。

その社長はなかなか積極果敢な人で、バイタリティにあふれ、めちゃくちゃ酒が強いようだ。
私とほかのメンバが酔いつぶれている中、社長はそのメンバを背負って家まで帰ったのだ。

看板は借りても背中は借りないようにしたい。

2006年10月3日(火) 対お茶の先生台本

忙しさもここまできたかというほどに日記をサボっていた。
なんと一週間である。(今日は10月9日だ)

が、しかし。
この日記は今後のための記録でもあるわけで、思い出して書くことも許されており、一週間遅れであろうが一ヶ月遅れであろうが、さかのぼって書くことが許されている。
今、決めた。

今日(10/3)は小学校役員会のある日だ。
この10月はとんでもなく忙しい。
学校行事が目白押しで、毎週土日は休みなどない。
だから平日の夜間にその打ち合わせをすることも多いのだ。

今日の打ち合わせは秋祭りに開催に向けての懸案事項の整理と対処策の検討だ。
と、それらしく書いてみたが、集まっている役員さんみんながそのように堅苦しく考えているわけではなく、なんとなくもやもやしている不安を解消するのが今日の打ち合わせの狙いだ。

ひとつ問題点として以前から考えられていたのが、秋祭りの際に設けられるお茶席のことである。
校区内在住のお茶の先生をお呼びして、お茶とお茶菓子を販売するのだが、このお茶の先生が何でも自分で仕切ってしまうのだ。
この秋祭りはPTAが主催し、地域住民との交流を深めることが目的であって利益目的ではない。
しかし、販売品の余剰を抱える事が許されるものでもない。
なので、販売品に対してはほとんどすべてを前売り券制度にし、事前に販売予定個数を把握するようにしている。
事前販売だけではない。
ある程度の余裕も見込んでおり、それらに対してはチケットで販売するようにしている。
多くの方がかかわるイベントであるため、金銭の授受は本部で一括管理しているのだ。
要するに、何かを買いたいと思ったら、前売り券を購入しているか、あるいは当日、本部でチケットを購入するかのいずれかである。
これはお茶席も同様である。

ところがお茶の先生(実は「取り巻き」が問題であることが後に発覚)はチケット制度を無視して自分たちで直接、金銭のやり取りをしているのである。
それが問題となり、今年はそうならないようにと、お茶の先生にお願いをした。
そのお願いには私に代わって副会長が出向いたのだが、言葉巧みに丸め込まれて、「本部で再検討します」といって帰ってくるのがやっとだったという。

もう一度しっかりとお願いに行って主旨を理解していただく必要がある。
しかし、講演活動もしており言葉のうまい先生の前では、役員といえどもたじたじになってしまうという。
「会長、台本を書いてください」誰かがそういった。

そこで私が台本を書くことになった。
『お茶の先生にああいわれるだろうからこう言い返せ』台本である。
半分冗談を交えながらそれを仕上げ、メールで学校に送ってあった。

今日の役員会でそれについて副会長から話があった。
「あのー、会長の書いてくださった台本、一所懸命覚えようとするんですけどねー、どうしても最後の『鼻の穴に指』のところしか覚えられなくて、ほかのところが覚えられないんです」

校長先生からも注意があった。
「この台本、絶対にお茶の先生に見つからないようにしないと」

台本の終わりのほうに、言うことを聞かないお茶の先生の鼻の穴に二人がかりで指を突っ込むシーンを書いたのだ。

2006年10月4日(水) 会長同士の呼び方

ガーナ戦だというのに、市P協議会である。
もう、何がつらいってこれがつらい。
TVケータイを持ち込んで、こっそり見てやろうかと思う。

市Pの協議会にも「会長」がおり、「会長会会長」とも言ったりする。
でも面白いことに、協議会の中では「会長」と呼ぶことはなく必ず、「○○会長」と呼ぶ。
協議会の中における「長」なのだから単に「会長」だでも十分通じるはずだ。
ところが、参加者は全員、互いに呼び合うときに「○○会長」と呼ぶのだ。

確かにメンバーは全員、小中学校の会長であるのだが、それだからこそ、わざわざ「○○会長」と呼ばなくてもいいんじゃないかと思う。

私も学校や役員会では「会長」「会長さん」と呼ばれている。
子ども会でも「会長」である。
それは「会長」といえば私しかおらず、それで通じるからだ。
でも、実際には私以外にも会長の集まるときはある。
「自治会」や「校区子ども会」だ。

校区の子ども会では各地区から子ども会の会長が集まるわけで、その場では例え、私の子ども会のメンバーでも「○○さん」と呼ぶ。
校区子ども会の会長は私ではなく、ほかの人だからだ。
校区子ども会の場で「会長」といえば私ではなくその人を指す。
それで十分話も通じている。

自治会でもそうだ。
私を普段会長と呼んでいる人も、自治会の会議のときに「会長」というのは自治会長のことであり、私のことを「○○さん」と呼ぶ。

なのに、市Pの場合は全メンバーを「○○会長」という。
その○○が学校名であるならばまだ納得できるが、個人の名前で呼ぶのなら「会長」は不要だろう。
おかしな風習だ。

無論、私は「○○さん」としか呼ばない。

2006年10月5日(木) むなしい木曜日

日記が遅れている原因のひとつが今日にある。
明日の会議の資料を作成しているうちに終電をあきらめるという生活が最近、珍しくない。

大きな事務所の一角に私の居場所があるのだが、気がつけばフロアに私一人がぽつんと座り、警備員さんに「今日は何時ごろまで作業の予定ですか」を聞かれることもしばしば。いい加減、顔を覚えられたかもしれない。

こんな日は家に戻ると、嫁さんが「大丈夫?ものすごくしんどそうで心配」と優しい言葉をかけてくれる。
その言葉を聴いて安心し、ビールを一缶だけ開けると、シャワーも浴びずに寝てしまう。
さすがに自分でも少々心配になるが、それでも翌朝、眠い目をこすりながら仕事を再開できるのだから、まだまだ大丈夫なんだと思う。

木曜日の夜というのは大体忙しいのかもしれない。
土日が休みであれば金曜日は早く帰りたいというのが心情だろう。
私のような酒飲みが、一番安心して酒を飲めるのが金曜日なのだ。
だからその分、木曜日に仕事を片付けてしまおうと思う。

ただ、最近はその金曜日に、学校関連の仕事があるし、土曜日も学校行事があるので、ゆっくり酒も飲んでいられないのだ。

楽しみを奪われた週末を前に、最後の山を乗り切ろうとしている木曜日は、とてもむなしい。

楽しい仕事をして時間が過ぎるのであればそれは満ち足りた時間だが、結論が先にあってそれに帳尻を合わせるような仕事というのは、なんともむなしい。

むなしいことの多い、このごろ。
日記を書く余裕がないというのが、ひどくむなしい。

2006年10月6日(金) 引きつった笑顔

笑ってしまうぐらいに忙しい金曜日。
忙しすぎて、「おれは何をやっているんだろう」と思う。

いつものように朝から会議。
コンピュータの業界では当たり前のように行われる「レビュー」というやつで、人が作ったもの(プログラムの仕様であったり、手順書などのドキュメントであったり)を「ここがいい」「ここがわるい」「こうしたらどうだろう」などとチェックしあう。
ただし、批判であったり、感情的になってはならない。
客観的に見てどうなのか、を検討しなければならない。

でも、正直、何度言っても直らないやつに、何度も「ここを直したほうがいいと思う」なんてやさしい口調で説明できるものではなく、「もううんざり。いい加減にそれぐらいのこと理解して作れよ」と顔に出てしまい、言葉の端々が尖る。

そんな会議を終えて昼からはまた別の長い長い会議に入る。
時折、メールをチェックすると「あの調査資料を送ってほしい。今日中に。」だとか「打ち合わせをしたい。18時までに。」などと書いてある。
今の会議は19時終了予定だし、今日は19時から中学校の役員会議だし、22時からは客先でネットワークの変更作業なのだ。

会議の途中、ユーザの偉いさんが私を手招きで呼ぶ。
「ちょっと抜けられる?別に、今の時間は君が聞かなくてもいい話だろう?」
確かにそうだが、会議中にこっそり抜けるなんて。
ま、正直言うと、この会議にこそうんざりなので、たとえ5分でも抜けられるのならうれしい。
少し困った顔をして「仕方ないなあ」という素振りで外に出る。
お偉いさんと今度導入するコンピュータの性能について話をする。
「この評価をどう見ている?」
「ここはこのように考えています」
「ここは?」
「ここはこうなので、こうしないといけないと思います」
「やっぱりそうか」
などと技術者らしい打ち合わせで、私はこっちが自分にあってると思い、少々饒舌になる。

10分ほどで打ち合わせが終わり会議室に戻る。
退屈な会議が進んでいくと携帯電話が震えた。
番号だけチェックし、緊急連絡ではないと判断したので、後ほどかけなおした。

「すみません。今から10分でいいので打ち合わせを」
「今、打ち合わせ中なんですけど」
「そこをなんとか」
「・・・わかりました。10分後にここまできてください」

それからまた退屈な会議を抜け出し、エンドユーザをどのようにして説得するか、などの打ち合わせをする。
内容のない話だが、それでも長い長い会議よりはまだましか。
こちらも20分ほどで終わる。

やがて今日の役員会出席をあきらめる。
中学校の役員会を欠席したのは今日で2度目だ。
まあ、たいした役でもないし、やる気のない中学校の役員だからそれほど苦にならない。
やがて長い会議も終わりみんなが帰宅するころ、私は別のユーザでのネットワーク切り替え作業のため、出かけることにした。
ネットワークの切り替え作業が終わったのは、しっかり終電もなくななったころ。

自宅に向かう車の中で、「ああ、忙しいなあ。別に給料が上がるわけでもないのに、俺は何をやってるんだろう。」と少し引きつった笑顔で考える。
でも、今日一日が終わったことに少し引きつった笑顔で安堵する。

さあ。明日は運動会の準備と、それが終わったら客先でコンピュータの設定変更作業だ。
まだまだ、いけるさ。
少し引きつった笑顔かもしれない。

2006年10月7日(土) 思いはひとつ、を実感するとき

秋である。
食欲と運動と芸術の秋である。
10月の目白押し企画第二段、校区体育祭が明日開催される。
ということは今日は準備作業である。

金曜日の夜は夜間作業を終えて帰ってきたが、すぐそのまま寝てしまうのは悲しすぎるので、眠い目をこすりながら、酒を飲み、嫁さんと会話し、テレビを見て過ごした。
「目覚めるまで起こすな」と嫁さんに言ってあったのだが、そんなことを次女が聞くはずもなく、こっそりと私のまくらもとに来る。
こそこそと動くから余計に気配を感じ、私が次女の名前を呼ぶと、「なーんや。おとうさん、起きてるやん」と返事が返ってくる。
お前に起こされたんだ。
私が起きているとわかると、私に馬乗りになったり、私の上で好き勝手に転がったりする。
まあ、こうやって次女と戯れるのも久しぶりだから多めに見る。

ブランチを済ませそろそろ準備に取り掛かる。
身支度を整えて、嫁さんと二人、自治会館へ向かったが人の気配がない。
すでに物品の搬出を終えたのか。
校区体育祭は8地区の自治会が対抗で行う運動会で、それぞれの自治会ごとにテントの設営やら、備品の運搬やらと、前日も忙しいのだ。

二人でそのまま学校へ向かう。
学校のグラウンドには本部席のテントだけが設営されていた。
おそらく、この前の水曜日に開催された小学校の運動会(日曜日の種目が雨天のため一部順延となった)のときのテントがそのまま残されていたのだろう。

ここにも私の地区のメンバーはあまり見当たらなかった。
どうやら、備品の運搬時刻は夕方になったらしい。
具体的な時間の連絡がなかったのは気のせいか。

それでもこのグラウンドでやるべきことは多い。
くい打ち、ロープ張り、本部席への机の運搬、いすの運び出し。
配布される軍手をもらいに本部席へ行くと、隣町の子ども会会長さんが「あ。ご苦労さんです」と軍手を渡してくれる。
くいを倉庫へ採りに行くと、校区子ども会の役員さんが「おお。お疲れさん」と声をかけてくれて、一緒にくいを運搬してくれる。
くい打ちのハンマーを探していると、別の地区の自治会長さんが「ハンマーおまへんか?」と話しかけてくる。
校舎のほうへ行くと教頭がいたので「ハンマーがない」と相談すると、奥から持ってきてくれた。
この前の運動会のときに使って別のところに片付けたらしい。
これまた別の地区の会長さんとロープを張る。
実行委員さんと一緒に机を運び出す。
地区長さんたちといすを運び出す。

考えてみれば校区の行事なので、PTAは関係ないはずなのだが、こうやって手伝いをする人というのはやはり、日ごろからこういう活動をしている人たちであって、おのずとメンバーが固定される。
盆踊りのときも、餅つきのときも、運動会のときも、いつだって同じようなメンバーが中心になって活動している。
世代交代はあるものの、その速度はとても遅く、小学生の子どもがいないのに、小学校の手伝いをしている人も少なくない。
それでもみんながこうやって手伝ってくれるのは、みんな、自分の住んでいる町が好きで、この学校が好きで、子どもたちが好きなんだと思う。

いつか自治会の人と話をした。
「我々の思いはひとつだ」
その実現方法に違いがあっても、よりよい町を作りたい、子どもやお年寄りが安全に暮らせるように、笑って過ごせるようにしていきたい。
そう思う気持ちに違いはない。
その思いがこうやっていろんな人の協力を生み出しているんだと思った。

天気もよく、風が心地よい、土曜日の昼下がりだった。

2006年10月8日(日) 運動会!

今日は我が家の晴れ舞台、校区体育祭の日である。
といっても何も足が早くて大活躍した、ということだけではない。

朝8時、みんなが集まる1時間前、すでに私は学校で準備を始める。
備品の点検、段取りの確認、召集係りのお母さんにトランシーバの使い方を教えるのも私の役目。
そして何より大事な、お弁当の配布や段取りの確認と、担当者への周知徹底。

やがて徐々に人が増えてきた。
来場者は自分の地区のところへ行き、抽選券に名前を書いて抽選箱の中に入れておく。
それと引き換えに人数を申告してお弁当引き換えのリボンを手に入れる。
今年のお弁当の手配数は150個。
少し多いかもしれない。
でも足らないよりはましだ。
お弁当の手配先も個数もメニューもすべて子ども会に一任されているので、余計に気を使う。
それでもお弁当だけは譲れない。

そして本格的に競技が始まった。
去年は、私自身の出場種目が多くてとても大変だった。
それに校区子ども会の太鼓の演舞もあった。
でも今年は、その演舞もなく、出場種目も3種目に減らしたおかげで、自治会のテント前で陣頭指揮を取れる時間が多かった。

午前中の出場種目は大縄跳びだけだった。
昨年の大縄跳びの優勝チームが役員の中にいて、その人が言うには「大縄跳びは回し手で決まる」らしい。
それを聞いていたので、私は回し手を引き受けた。
そしてその相方には同じぐらいの背丈の体格のいい人を選んだ。

縄を大きく回し始めるが、なかなかみんなの調子が合わない。
縄は弧を描いて地面に当たり、そのまま横にスライドし、また弧を描いて上がっていく。
縄が中央付近で膨らんで横に移動するため、飛び手が直線に並んでいると、中央と両端とで飛ぶタイミングが異なってしまう。
それにいつしか気づいたみんなは、同じタイミングで飛べるように、縄と同じように、中央付近が膨らんで弧を描いて並ぶようになった。
それにあわせて一定の弧を描くように、毎回同じ調子で縄を回し始めた。
とたん。
今までがウソのようにきっちりと飛べた。

カウントはどんどんあがる。
やがてタイムアップとなり、みんな地面にへたばった。
そして成績発表。

3位。14回。
2位。16回。
1位。23回。

我らがチームは8地区の中で堂々の1位をダントツの成績で獲得した。

お弁当の配布時間になった。
嫁さんの発案で、子ども会の分は1班から5班までの班ごとにビニール袋に大人用と子供用の弁当を先に確保して分けておいていた。
残りのお弁当は自治会で配布する分だ。
自治会の分は誰に何を配ったかなどにしなくてもいい。
とりあえず、いくつ足りないかがわかればいいだけだ。
おかげで、弁当の配布は同じ内容ながら、去年の3分の1の時間で完了した。
不足もなく、あまった個数もわずかだった。

次女も活躍していた。
低学年が保護者と一緒に出る競技で、ピストルの合図と同時に走り出すはずが、なぜだか次女だけボーっと観戦しており、それに誰も気がつかず、しばらくしてから、審判があわてて走り出すように促した。
おかげで、長い持久走を最後まであきらめずにゴールした選手に贈られるような拍手喝采の中、嫁さんと次女は走っていた。

女子リレーに出場する長女に声援を送るため、特権を使って本部来賓席にもぐりこみ、スタートラインにたつ長女に声援を送った。
「えーか! コーナーは押さえろ!! 直線でかませ! 最後のコーナーも曲がり始めは落ち着けよ!」
隣の校長先生が苦笑いをし、市議会議員もあきれていたようだ。
放送担当の人は私の声がマイクに入らないよう、あわててスイッチを切っていた。

私もリレーでは相変わらずの俊足を飛ばし、3位を獲得することに貢献した。
4位の地区との差が数秒だったことを考えると、私の足も少なからず貢献しているはずだ。
総合成績も3位、と今年は例年になく、好成績であり、自治会のみんなも、子ども会のお母さん方もとてもうれしそうに喜んでいた。

みんなの笑顔は、傾いた夕焼けに照らされてひときわ輝いて見えた。

2006年10月9日(月) 路上でソーラン

体育の日である。
天気もとてもよく、風も気持ちいい。
おまけに学校関係の行事もない。
しかし、仕事がある。

休日なのでラフな各校でユーザ先に出かける。
仕事の印は唯一、黒いカバンだけ。
電車を降りて作業場のある事務所へ向かう。

途中、ユニフォームを着た学生とすれ違った。
ユニフォームと言うより、おそろいの衣装と言った感じだ。
またしばらくすると、同じような雰囲気の、しかしデザインの違う衣装を着た一団とすれ違う。
年齢はさっきの学生より上で、中年の女性も含まれている。

今日は何かあるのかなと考えていると、どこかで聴いたような曲が聞こえてきた。
津軽三味線のような華やかな音に横笛の音色が混ざり、「ハッドッコイ」と言う掛け声も聞こえる。
やがて曲がはっきり聞こえてきた。
「南中ソーラン」だ。

北の国で生まれたこのダンスは瞬く間に日本中に広まり、私の子どもたちも曲が流れると自然に身体を動かして踊り始める。
小学校中学校と身体に覚えこまされたためにほとんど条件反射のように動いてしまうようだ。

路上でいくつもの団体が踊っていた。



どうやら今日はお祭りのようだ。

仕事をしていても音楽は聞こえた。
少し仕事を片付けたところで外へ出た。
もう、南中ソーランは終わっていたが、それでもそろいの衣装を着て、フェイスペイントをした学生の笑顔を見ていると、わが子を見ているようで、自然に顔がほころび、また仕事をする元気が湧いてきた。

2006年10月10日(火) お化け屋敷の準備開始

秋祭りにお父さんばかりが集まってチームを結成し、出し物をするのだが、今年は去年に引き続き、お化け屋敷をすることに決めた。

でも問題はいくつもある。
まず、基本的に参加者がお父さんであるため、活動できる日時が限られているということ。
平日はとてもじゃないが時間がとれず、休日といっても毎週、このために拘束するわけには行かない。
だから、数名である程度準備をして、本番前日に一気に作り上げる。

その最初で最後の打ち合わせを日曜日に行った。
私にとっては初めてのことで多少の不安はあったが、おおよその感触はつかめたし、結局のところ人海戦術になりそうだということもわかった。
しかし、いくら人がいても、そこそこアイデアを用意しておかないと、当日に準備していては間に合わないものもある。

次の問題がこのアイデアだ。
いかに費用をかけずに、簡単に、短時間で、効果的なものができるか。
それを考えるのが難しい。
ところがそのアイデアというやつは、考えているときには出てこなくて、それどころじゃないときに出てくるから困ったものだ。

今日も、客先で会議があった。

会議の間には中だるみもある。
ずっと集中が続くわけでもない。
こういうときに、ふと浮かんだりする。
今すぐネットで調べて確認したいのに、そんなことができるはずもない。
資料の隅っこに走り書きするのがやっと。
これはまだいい。

電車に乗っているときもアイデアが浮かんでくる。
考えているうちに駅に着く。
乗り換える。

あれ? 今、何を考えていたっけ?

これの繰り返しだ。
仕事をしているときも気がつけば、ネットで調べものをしている。

とりあえず、日曜日に集まったお父さんの意見。
机を並べて通路とレイアウトを決定する。
次にその上に段ボール箱を並べて壁を作る。
壁には黒いビニールシートを貼り付ける。
このビニールシートは農業用のもので「黒マルチ」と呼ばれるものを使う。
黒いビニール袋は入手が難しくなり、また、切り開くのに手間がかかるため。
センサーライトは私の家にあるものが使える。
マネキンの首は友人の家からもらってくる。
ガムテープは布製のものばかりでたくさん必要。
段ボール箱は200箱ぐらい必要。
ドライアイスはやっぱり危険なので使わない。
ケミカルライトを活用する。
笹の葉を高校から、ススキを堤防から、どっさり持ってくる。

最低限、これを来週の土曜日までにそろえないといけない。
でも、これだけじゃ、まだ怖いお化け屋敷になりはしない。
あと二週間でどれだけのことができるか。
私が自由に動ける時間がないだけに不安だ。

2006年10月11日(水) 5分以上は無理

嫁さんとはよく男と女の話をする。
といっても下世話な話ではなく、男と女の考え方の違いについて話をすることが多い。
今日も、きっかけは些細なことだったが、男と女の話になった。

女はしゃべりで男は無口。
こんな話だった。

嫁さんの友達も、近所のおばさんも、子供会の班長も、PTAの役員も、女性は三人寄ればかしましい。
私はそばで聞いているだけでお腹がいっぱいになるほどに、出てくる出てくる、尽きることのない湯水のごとくおしゃべりが、あふれ出てくる。

ぺちゃらくちゃらぺちゃらくちゃら。

息継ぎはどこでしてるんだろうかと心配になるぐらいにとめどなくしゃべり続ける。

ところが男ときたらどうだ。
10年ぶりに再会した友人たちとさえ、5分も話せば黙り込む。
これは紛れもない事実であり、3年前に、10年ぶりに再会した友人5人と飲みに行ったとき、店に入って5分もすれば、話すことがなくなり、長く話ができるような話題を探したほどだ。

嫁さんに「男とはそういうものだ」と話をすると「別に男でももっと話をしたらええやん」という。
それは「5分間水の中で息を止めるのが人間の限界だ」と言っているのに「もっと息を止めたらええやん」と言っているようなもので、無理なのだ。

男のしゃべりはみっともないからと、無口になっているわけではない。
話すことがないのだ。

もともと男にとって会話は情報の伝達であって、情報が伝達できればそれで会話は終了する。
それ以上に会話に何かを求めているわけではない。
しかし女性の場合は違う。
女性は自分の立場や、相手の立場、周りの状況や結束の固さを確認するために会話をするのだ。

荒野を駆け、獲物を追い求める男にとって、余計なおしゃべりは自分の気配を隠すのに邪魔になるし、的確に情報を伝えることで獲物の確保を容易にすることができる。
一方女性は、家族を守り洞窟の中で過ごしながら、互いの情報を交換し、仲間意識を向上させ、集団の力を借りて、ひ弱なわが身と子どもを守るのだ。

しかし、我が家の場合、私は男でも、嫁さんとの会話のときだけは饒舌になる。
嫁さんに「どうして?」と聞かれたが、うまく答えられなかった。

2006年10月12日(木) 上からものを言うやつ

先日、久しぶりに元の会社の上司と一緒に仕事をする機会があった。
入社したときに直属の上司だった人で、2年先輩のその人には公私にわたって何かとお世話になっていた。

もちろんほかにも先輩や上司はいた。
酒が好きで飲みにいくと必ず奢ってくれるが、愛国心が強く軍歌が好きで、とことん最後まで付き合わせる先輩。
出世が遅く、みんなに追い抜かれながらも自分のペースでやっていき、部下の面倒見だけはいい上司。

いろんな先輩や上司がいて、ほとんどの人とは仲良くやっていたし、何より、みんな私を認めてくれていた。
しかし、一人だけどうしても好きになれない上司がいた。

確かに頭がよくて技術力はあるし、話にも説得力がある。
マネジメントもしっかりしており出世も早かった。

ただ、何かとそのことを鼻に書け、他人を馬鹿にすることも多かった。
「あいつはダメだね」と口癖のように言った。
「この会社も相変わらずダメだなあ」などと私のユーザ先で大声で話すこともあった。
「あいつはボクには頭が上がらないはずだよ」などと、もうずいぶんと前に面倒を見た人のことをいつまでも上司気取りで話していた。

いつも上からものを言う。
常に人を見下している。
なにより「ボクの家はお金に困っていないから」「土地があるからいざとなれば会社辞めてもいいんだよ」という、その態度が気に入らない。

その上司がとうとう辞めたらしい。
実際にはクビに近かったと聞いた。

客先に行っても会議に出席するわけでもなく、また部下の要望を聞くわけでもない。
客先との調整をするわけでもなく、交渉などしない。
寝ていたそうだ。
そして、相変わらず「親父が死んで遺産はたくさんあるから、ボクは別に働かなくてもいいんだよ」などと言っていたらしい。

さすがに本社の人事部も問題視して「辞めるか転勤するか」といわれ「辞める」ということになったらしい。
それでも「会社都合」として退職金は満額を手にしたそうだ。

最後のほうなど、会社の若手からは完全に無視され、邪魔者扱いされていたそうだ。
そりゃそうだろう。
これから一所懸命がんばるぞ、と思っている若者相手に「ボクはお金があるから働かなくてもいいんだよ」などと「馬鹿丸出し」のことを平気で言うやつを誰が相手にするか。
そういえば、私が退職の相談をしたときも「止めておいたほうがいいよ。キミには無理だから」といいやがった。
本人は引き止めたつもりだったらしいがそれならウソでも「今キミが必要だ」ぐらいは言うだろう。
実際、そういってくれた上司も何人かいるのだし。

クビになった上司は父親の残した家を売ってコーヒー豆の販売を始めるんだとか。
こっちが客として訪問しても、やっぱり上からものを言うんだろうか。

「よそじゃ手に入らないおいしいコーヒー豆をキミに売ってあげてもいいよ」

2006年10月13日(金) 失礼します

最近電話で話をするときに変な言葉が口癖になっている。
「失礼します」だ。

別におかしな日本語でもないし、無礼な言葉でもない。
でも、これが場合によってとても無礼に思われる。
しかも、私が口癖になっているのはその無礼なケースなのだ。

相手から電話がかかってきた。
「明日は何時にお見えになりますか?」
「午前中がいいですか?」
「できれば午前中がいいですねえ」
「では10時ではいかがでしょうか?」
「はい結構ですよ。10時ですね。じゃあ会議室を用意しておきますので」
「よろしくお願いします。失礼します」

相手から電話がかかってきたのだ。
私から「失礼します」と言ってはいけない。

またこんなこともある。
これまた相手からかかってきた。
「このメッセージはどういう意味ですか?」
「これは警告メッセージです。もう少し詳細を確認したいのでログを送っていただけますか?」
「はい。了解しました。じゃあ、送りますね」
「ありがとうございます。失礼します」

「失礼します」は自分から話しかけて、用件が済んだので「失礼します」であって、相手から話しかけているのにこちらから「もう済みました」とばかりに「失礼します」というのはとんでもないことであり、それこそ「失礼」なことだ。

しかし、本心がそうなんだと思う。
目前の作業に追われて、メールならともかく、直接電話で割り込まれたら、今の作業が片付かない。
だから早く電話を切ってしまいたい。
それが表面化して、口をついて出てしまうのだと思う。

とはいえ、電話を切った後に「またやってしまった」と思う。
暇になれば自然に治るだろうか。
言葉を大事にする私にとって、手痛いミスである。

2006年10月14日(土) 首、首、首

この前の雨に降られて少し泥の残る車をガレージから引っ張り出し、洗車をしようとしたが時間がなかった。
午前中のうちに20キロほど離れた友達の家まで行かなければならない。
土曜日の午前中は混雑する幹線道路を通らねばならず、少し余裕を見て出発しなければならないのだ。

最近愛車は荷物運びのワゴンと化し、3列目だけでは足らず、2列目のシートまで倒して荷台を確保している。
ホームセンターからもらってきたダンボール箱がぎっしり積まれている。
秋祭りのお化け屋敷に使うためだ。

今日はそのお化け屋敷で使うアイテムを友達の家までもらいに行くのだ。
それはヘアーカットモデルの首。
美容院なんかに飾ってある首だけのマネキンだ。

友達の息子が美容師なので練習用に使ったものだ。
(友達は同級生なのだが、子どもはすでに成人している。
 トップページ「メールとか」にある「同級生」に書いた一人である。)

「もういらんからあげるでー」の言葉に惹かれて車に乗って1時間ほどのところへ行くのである。

天気がよくてこれで車がピカピカなら言うことなしのドライブ日和。
幹線道路も思ったほどの渋滞はなく、気持ちよく走れる。
嫁さんと結婚する前は毎日のように走っていた思い出の道だ。
この幹線道路を中心に四方へ友達の家が伸びており、真っ赤な軽自動車であっちへこっちへよく出かけたものだ。
グレードアップはしたけれど今も同じ赤い車で友達の家を目指している。

駅から少し離れた、閑静な場所に友達の家はあった。
玄関のチャイムを鳴らす。
返事がない。
確かに昼から出かけるので午前中のうちに来いといっていた。
まだ昼には1時間以上ある。

友達の家に電話をかけてみた。
呼び出し音が少し鳴ってしばらくして留守番電話に切り替わってしまった。
やはり留守なのか。

そう思って携帯電話に電話した。
「おかけになった電話は現在電源を切っているか・・」と悲しい返事が聞こえた。

5分ほど経過して、再度携帯に電話してみる。
今度は呼び出し音が聞こえる。

3コール目で出た。
「もしもし・・ごめん。寝てた・・・もう、きてる?んじゃ今からでるから待ってて」

今からといっても女性だからそれなりに時間はかかるだろう。
車をUターンさせる。
荷台を整理する。

やがてぼさぼさ頭を気にしながら友達が出てきた。
「ごめーん。気がついたら寝てしまってた。持ってくるわ。全部持ってくるで」
私がうなずくと彼女は再び家の中に入り今度は両手にビニール袋を持ち生ごみを捨てるときの主婦のようないでたちで現れた。
「はいこれ」
渡されたビニール袋は結構な重量だ。
中をのぞくと、首、首、首。

「ひゃー。これ、結構怖いな」
「家の中で転がってると、なれてる私でも怖くなる」
おそらく20個近くある。
それを荷台に乗せた。

「ありがとう」
「ううん。どうせ捨てるやつやし」
「じゃあ、またくるわ」
「うん。じゃあまたね」
いつも友達と別れるときと同じようにあいさつをして車に乗って家路に着いた。

「やっぱりおばさんになったなあ」などと思いつつ、「さてこれでどうやって脅かしてやろうか」と子供たちのことを考えていた。

2006年10月15日(日) 敵前逃亡

10,200円の無駄遣いである。
今日は情報処理技術者試験の日だというのに、私も長男もそろって受験しなかったのである。

私がこの試験をはじめて受けたのは社会人になってから。
かれこれ18年ほど前である。
最初は会社から半ば強制的に受験させられ、ものの見事に落ち、何度も連続して落ちると言う、辛酸をなめた。
入門試験と言われる最も簡単な試験に出さえ、合格までに5回を要した。
同期が一発合格する中で、それだけの回数を重ねた私は会社の中でも珍しい存在だった。

最初の試験に合格して次に目指した中級の試験も一度では合格できなかった。
しかし「合格するまで受験する」が私の信条でもあり、それを実践した。
二度目の受験で合格した中級の試験のあと、いよいよ上級試験を目指した。

当時、私の勤務していた会社にも上級試験合格者が10数名いたが、支社レベルではいなかった。
私が合格すれば、支社始まって以来のことである。
なんとしても合格したかった。
先日、日記に書いた金持ちで鼻につく上司を見返すためにも。

最初の上級試験は、上級試験の中でも比較的簡単だという部類に属していたものだが、それでも見事に支社では唯一の合格者となることができた。
そのあとも上級試験に連続して合格し、結局、上級試験を3科目合格することになった。
上級試験の1科目すら合格したメンバーのいない支社で、全社的に見てもわずかに2名と言う、3科目を制したのは私だけだった。

試験に合格することイコール仕事ができる、と言うわけではない。
当たり前だ。
頭でっかちで、ものすごいことを考えていても、ユーザの前で平然と悪態をつくようなやつに仕事はできない。

しかし少なくとも、試験に出るような事柄について会話できると言う証明にはなる。
何より、合格することで自身と責任感が身につく。

だから高校生である長男にも、受験を進めた。
就職に有利になるというばかりではなく、試験に合格することの喜びと、勉強し続け、挑戦し続けることの大切さを教えたいのだ。

と、偉そうなことを言いながら、忙しかったからとはいえ、敵前逃亡したに等しいので、自戒しているところである。

来年は10,200円を取り戻したい。

2006年10月16日(月) 嫌いな言葉

「好きな言葉は『いただく、もらう、ただ』」
人気の漫談家がこういうと、おばさんたちは首を縦に振りながら大笑いする。
もらい物の多い私も、うなづく所であるし、聞いていて和やかになる言葉だ。。

一方、嫌いな言葉もある。
この一年、いろいろな団体に顔を出すようになってから、とても気になる言葉がそれだ。
「誰が責任とってくれるんですか?」

今、私が思いつく言葉の中でもっとも嫌いな言葉であり、それが私に向かって発せられたならば、冷静に対処できる自信がなく、言葉を荒げて反論すると思う。

自治会でご婦人が言う。
「通学路にある砂利道で子どもが石を蹴って遊んでいる。もし、それに当たって怪我をさせられたら誰が責任とってくれるんですか?」

指導委員会で参加者が言う。
「祭りの警備を父兄が担当するんですか? もし、注意したことに逆上されて怪我でもさせられたら誰が責任とってくれるんですか?」

会長会で小学校の会長が言う。
「そんな報告をして、もし、地区のお母さん方に文句を言われたら誰が責任とってくれるんですか?」

おい。自治会のご婦人。
子どもが人に怪我をさせたのならそりゃ、親の責任だろ。
親に文句言え。っていうか、その前にその子どもに注意しろ。あんた、大人だろ。

おい。指導委員会の参加者。
そんなもの、暴力を振るった加害者の責任に決まってるだろ。ここは法治国家なんだ。
あ、ちなみに、こういう催し物のときは団体保険に加入しているので、保険金は支払ってもらえるぞ。それが責任の取り方っていえばそうなるかな。っていうか、あんた、ただやりたくないだけなんだろう。だれだれが責任取る、っていえば喜んでやるのか?

おい。小学校の会長。
あんたそれでも会長か?
自分の小学校ぐらい、自分で抑えろよ。
っていいうか、あんた、お母さん方の前でいいかっこうしたいだけなんだろ。
だから文句の言われそうなことは自分じゃなくて別のところへ矛先を向けさせるんだろ。
父兄と喧嘩するぐらいの覚悟決めろよ。そのほうがかっこいいと思うよ。

私は「会長としての責任を取れ」といわれたら喜んで取る。
そして喜んで会長を辞する。
困るのは「責任を取れ」って騒いだほうだろう。

別に自治会にしても委員会にしても会長会にしても、会社のように報酬をもらってやっているわけじゃない。
みんなボランティアでやってるんだ。
責任を取ってやめていいのならみんな喜んで辞めるぞ。
いったい誰のためにやってるのか、その寝ぼけた頭で考えてみろよ。

「誰が責任とってくれるんですか?」というやつのほとんどは「だれだれが責任を取る」と言ったところで、「ハイわかりました」とは言わず、別の口実を見つける。

結局は、体のいい逃げ口上に過ぎないのだ。

2006年10月17日(火) 交差点の店

昨日は久しぶりに外で酒を飲んだ。
例え忙しくて仕事が午前帰りになろうとも、酒のいっぱいは欠かさず飲むようにしているが、外で酒を飲むのは久しぶりのことだ。

仕事場所はビル街にあって、居酒屋も何軒かあるのだが、早い時間でもないし、それほど腰をすえて飲むわけでもないので、昼間はオープンカフェになっている、バーに行った。

店内では何度か飲んだことがあり、カウンター席はかなり落ち着けるところだが、外は雰囲気がまるで違う。
交差転移面しており、車が走り、会社帰りの人が行きかう。
ネオンの光も思った以上にまぶしい。

でも、少し肌寒くなってきたこと季節、スーツを着て外で飲むにはちょうどいいかもしれない。
夏のビヤガーデンなどは、かなり暑いので、ワイシャツの腕をまくって、それこそ「飲むぞ!」という雰囲気になり、話しながら飲めるという雰囲気ではない。

確かにここは人の行きかうところではあるが、会社員がほとんどであり、無口に足早に過ぎるので、騒がしさはない。
カウンターで飲むときは足を投げ出すこともできないが、ここなら姿勢を崩して楽な格好で飲める。
いつもと違う雰囲気に、気がつけばかなり飲んでいたようだ。

時折、青いダイオードのネオンを見る。
今では珍しくなくなったが、子どものころには決して見ることのできなかったもの。
それが一年中、木立に飾り付けられ、夜のビル街を彩っている。
毎晩のように、その木立の下を歩いて通り過ぎていたが、もったいないことをしていたのかもしれない。
行きつけだった高層ビルの飲み屋から見る夜景も、この交差点のオープンカフェも、かなりいいと思うのに、利用客がまるで少ない。

この町に働く多くの人たちにとって、当たり前のようにそこにあるものは、文字通り「有難がたくない」のかもしれない。

2006年10月18日(水) 罪と罰

罪を犯せば罰が与えられる。
当たり前のことだが、時として、それに対する意見の相違が見られる。

連日テレビで報道される極悪非道な犯罪に対し、我々視聴者や被害者は極刑を望む。
しかし罪というのは極悪非道なものばかりではない。
路上においている10円玉を見つけ、それをうれしそうに財布にしまいこむことが、占有離脱物横領罪であるとしても、警察に届けることはまずない。
しかし、実際の犯罪は、これらのように両極端なものではなく、その中庸のものが圧倒的に多い。
そしてそれら中庸の罪に対して、どのように罰を与えるのかに意見が分かれるのだ。

不幸にして自分の周りで犯罪が発生した場合はどうだろうか。
その加害者が知人や同僚であった場合はどのように望むだろうか。
例えば、仲間同士での喧嘩やお酒の席での破廉恥な行為。
「十分社会的な制裁を受けたんだし、本人も謝罪したんだから、警察沙汰にしなくてもいいんじゃないか?」という声もあれば「けじめは大事だから警察に届け出るべきだ」という意見もある。

またこの仲間の構成要員にもよって見解が異なるだろう。
それはその組織がどれだけ公の機関であるかにもよる。
友達同士のサークルであればお咎めなしとなるようなことでも、役所関係の公的機関であれば、マスコミなどがいやおうなしに騒ぎ立てる。

私自身、学校の役員として働くことで、こういった機関に接することも多い。
ともに活動する仲間がその当事者となってしまったらどうするだろうか、友人としてのサークル活動ではなく、公共性の強い組織においてその当事者となってしまったらどうだろうか、といろいろ考える。
話を大きくせず、そっとしておくか。
社会的制裁もあるし、警察沙汰にしないでおくべきか。
残された肉親をどう考えるか。
それともけじめをつけるため、厳しく断ずるか。

ともにPTA会長として活動している人から意見を聞くと「うやむやにしては保護者に説明できないので困る」や「社会的制裁を受けたのだから、警察に届けなくても」と、意見は二分された。
私はどうするか。
私は同じ仲間を守りたい。これ以上、仕打ちを受けることのないようにしたい。
そこで、あえて厳しく処罰したいと思う。

相反するかのように思われるかもしれないが、仲間が仲間を厳しく処罰する姿は、他人が見ても納得するだろうし、それ以上、厳しい処置を望む声もおそらく聞こえてこない。
むしろ同情の声さえ聞かれるのではないか。
そうやって、少数の仲間が厳しくすることによって大多数の部外者を黙らせ、必要以上に厳しい処罰を受けることのないようにする。
それが結局は仲間を守ることになる。

仲間を守るために、仲間を厳しく罰する。
これが私の結論だ。

2006年10月19日(木) メールアドレスが!

明日から三日間、小学校で開催される秋祭りのために私はずべての時間を費やすことになる。
そのため今日は、たっぷりと仕事だ。
さあ、仕事を片付けよう、と思った矢先に不幸はやってきた。

客先で仕事することも多いため、専用のメールアドレスを用意していただいている。
もう、何年も使っているものであり、関係各所とはそのメールを使って仕事のやり取りをしている。

私は当然その客先の社員ではない。
客と一緒にプロジェクトを推進することはあっても社員ではない。
そのため、定期的にメールアドレス利用の更新手続きを踏まねばならない。
私が申請書を書いて客先の責任者が受理し、そこからまた、関係部門で処理手続きをしてもらう。

ところが。
この更新手続きを客先の責任者が受理したものの、関係部署への届出を行っておらず、アドレスの有効期限を超過してしまったのである。
期限を過ぎての申請ということは更新申請ではなく、新規の申請となる。
セキュリティの関係上、同じアドレスを再配布することはない。

つまり、突然、私のメールアドレスが利用できなくなり、また新しいアドレスが来週割り当てられるのだという。
携帯電話でもそうだが、メールアドレス変更には一定の猶予期間があって、新しいアドレスが周知されたころに古いアドレスが利用できなくなるものだ。
ところが、今日、朝からいきなり使えないのだ。
私に送られてくるはずの数十件のメールが一通たりとも届かないのである。

仕事でメールが使えなくなると、まるで停電のときの自宅のようだ。
ほとんど何もできない。

しかもこういうときに限って、「メールが送れないんですけど」と各所から電話がかかってくる。
「ええ。すみません。メールサーバの問題でメールが送受信できません」ととりあえずごまかす。
管理責任者のもんだではあるが、一応はお客さんだし、その責任者のミスと口にはできない。
メールが使えなくても電話で対応は可能なのだが、電話だと、同時に一人としか調整できない。
また、席をはずしているときは再度、電話しなければならない。

電話をしているときに限って、別の人から別件で電話がかかってくる。
仕事に優先順位をつけるにしても、電話だと、居留守を使うわけにも行かず、優先順位の低い電話対応のおかげで、優先順位の高い仕事が置き去りにされる。
メールなら自分で優先順位をつけられる。

とにかく、久しぶりにメールが使えなくなると、これほど不便だとは思っても見なかった。
一緒にプロジェクトをやっているメンバーが、紙に印刷して、会議の案内通知を持ってくる。
こんな通知を紙で受け取るなんて情けない話だ。

2006年10月20日(金) 秋祭り前々日

今日は仕事を休んで一日秋祭りの準備に追われた。
まず最初にやったことは、「ススキの刈り入れ」である。

朝、一通りの出勤者が過ぎ去って静かになった家の前に車を出す。
車の中にはダンボール箱が満載だ。
これをまず、おろすことにした。

ダンボールといい、ススキといい、秋祭りに何の関係があるのか。
別にお月見をしようというのではない。
段ボール箱は壁に、そしてススキは、雰囲気を盛り上げるアイテムに返信するのだ。

近くの堤防まで車を走らせる。
駐車場に車を止めて河岸に向かう。
ススキは・・と見渡すが見当たらない。
ススキのように穂をたれているのは「ヨシ」だ。

仕方がないの「ヨシ」で代用することにした。
別にススキだろうがヨシだろうがかまわない。
どうせ真っ暗で、それがなんだかよくわからないだろうし、よくわからないが、顔の前に力なくたれてくる感じの植物が恐怖心をあおるのだ。

このススキならぬヨシは、お化け屋敷のアイテムなのだ。

ヨシに囲まれ、道なき道を分け入り、切り開いて収穫すること1時間半。
束にすると直径10センチほどになる。
束ねて置いても怖いし、一本ずつ通路に並べても怖い。
それを車に積んで、自宅に戻る。
さっき下ろしたダンボール箱を再び積載して今度は学校へ向かう。

「会長ー。心配しましたよー。メール送っても返事がないから『電波も届かないようなところへススキを採りに行ってる』ってみんなで話しをしてたんですよー」とで迎えてくれたのはいつも元気な役員だった。
この役員は一番若く、活発で行動的で、よく気がつく。
何より、いつも笑顔で私を気遣ってくれるのがとても頼もしく、そしてうれしい。

段ボール箱とススキを運び入れると、今日と明日、そして秋祭り本番当日のスケジュール確認を始めた。
スケジュール表が配られる。

役員さんたちが作ったものだが、手書きでこまごまと書き入れてあるスケジュール表をできるだけわかりやすいようにとまとめてくれたのは先ほどの若い役員のようだ。
スケジュールの説明を開始する。
一番最初に書いてある内容を見て笑った。

 9時〜11時 会長 ススキを採りに行く!!

そうか。
スケジューリングされていたんだった。
その時間帯に他の役員の作業のないのが余計に笑える。

そして若い役員がスケジュールの説明を始めた。
私がこれはどうなっているのか?と聞いても、ちゃんと答えてくれる。
彼女だけではない。
女性の役員というのは全部頭に入れているのだろうか、誰に聞いても、ちゃんと同じ答えを返してくれる。

会議が終わると昼食をとりにいったん自宅に戻った。

昼からまた、会議をして荷物の置き場所や、本部が用意する備品を借り入れるため、あちこちの自治会を尋ねて回った。
そして最後に、会場準備だ。
明日の土曜日から当日に向けての準備が始まるため、あらかじめテント設営などをしておくのだ。
机やいすの運び出しは子どもたちも手伝ってくれた。

校区運動会のときと同じようにみんなで力を合わせて会場を作り上げていく。
徐々に出来上がっていく光景は何度見ていてもいいもんだ。

一通り終わったところで、校長室でコーヒーを飲む。
さあ、明日も一日忙しくなるぞ、そう気合を入れて解散した。

2006年10月21日(土) 秋祭り前日

朝、学校まで首を運ぶ。
お化け屋敷で使うマネキンの首だ。

PTA会議室まで荷物を運び終えたころ、副会長がやってきた。
これから二人で私の車に乗り、お茶の先生をお迎えにあがる。
秋祭りで、教室の中ではあるが、野点のようなものをやるのだ。
お年を召してはいるが威厳と品のよさを感じさせるお茶の先生と、その家にホームステイしながら日本の心を学んでいるというメキシコ人留学生を車に乗せ、お茶の道具一式とともに学校へ向かう。
この時点でまだ10時過ぎ。

それでもお化け屋敷の手伝いをしていただくお父さん方もぼちぼちと集まり始めた。
お化け屋敷の部屋は、学校にある多目的室である。
この教室二つ分ほどの大きさの部屋は校区子ども会でも何度となく利用させていただいており、この前は宿泊場所として利用した。
その名の通り多目的に使わせていただいている。

この部屋には前日、6年生たちが自分たちの机を運び込んでくれていた。
お化け屋敷の順路作成に使うのだ。
本当ならダンボール箱だけでまなないたいところだが、やはり絶対数が足りないし、安定感がない。
そのため、前もって先生にお願いしておいたのだ。
机には番号シールがはってあり誰のものかわかるようにしてあった。

広い部屋に机だけが並べられていた。
私は役員会議を行うために少しその場を離れた。

役員会議で今日の段取りを確認する。
前日準備しなければならないものとその担当者の再確認。
不足している備品の買出し。

小一時間ほどしてお化け屋敷に戻ると、10名弱のお父さんたちがいた。
なかにはお父さんと一緒になってがんばっている小学生もいる。
去年の経験者は机のレイアウトを指揮する。
子どもたちはせっせと自分の背丈ほどもあるダンボール箱を組み立てる。
私もしっしょになってダンボール箱を組み立てた。

組みあがったダンボールを今度は机の上にくみ上げる。
高さは180センチほど。
背の高い大人にとってはどうということはないが、小学生にしてみればとても高い壁に見える。
今度はその壁に黒いビニールシートを巻く。
部屋を完全に遮光して電気を消すのだから、ダンボール箱のままでも十分暗いのだが、それでも例えば少しの文字が読み取れると、雰囲気が壊れる。
普段子どもたちが楽しく利用しているはずのこの多目的室を、まるで異質の空間に迷い込んだかのように思わせるためには、できる限り、現実的なものを排除する必要がある。
そのためにはすべてを黒く多い尽くすことが効果的なのだ。
それに、黒いものには子どもは手を出さない。
ある程度大きくなると、自分の恐怖心を隠すために、攻撃的になる傾向があり、お化けの正体が人間だとわかると殴りかかるものまでいる。
ダンボールにして同じだ。
ただの箱だとわかると壊しにくるものまでいる。
ところが黒くしてその正体を隠蔽すると手を出さなくなる。
さらにそのビニールの上に、ヨシなどを貼り付けると、触ることさえ怖がり出すのだ。

去年はこのビニールシートの貼り付けに苦労したという。
黒いビニール袋を切り開いて貼り付けていったのだ。
一週間前、その話を聞いて「農業用の黒いビニールシートはどうだろうか?」と考えた。すぐに近くのDIYショップで探してみると、1メートル幅の20メートル巻きで2,000円もする。
コースの大きさから考えて100メートル以上は必要だ。
単純に考えると10,000円もする。
これは大きな出費だ。
今度はネットで探してみた。
「黒マルチ」というらしい。
早速探してみると、一番安いものは1.35メートル幅、200メートル巻きで2,800円ほどだ。送料などの手数料を入れても3,500円ほどで済む。
これなら使えるだろうと思って手配したその黒マルチ。
去年の経験者であるお父さん方には「これは使いやすい!去年の3分の1の時間でできる」と大好評だった。

途中、食事をして再び作業に取り掛かった。
今度は細工に取り掛かる。
子どもたちにマネキンを渡すと早速マジックで落書きを始めた。
子どもたちが落書きにあき始めたころ、隠し持っていた蛍光塗料を渡すと、また不気味で派手な顔にメイクアップしていった。
「これなに?」と聞く子どもに「内緒やで。ちょっとこっちおいで」と暗い部屋に連れて行く。
私は手にブラックライトを持っている。
部屋の明かりを消し、ライトをマネキンに当てると「うわ!」と子どもが驚く。
恐ろしいほどに人形の顔だけが光るのだ。
「これをお化け屋敷に仕掛ける」

そして実際に仕掛けてみると、今度はお父さん方が「これええわー!これ、会長、もひとつどないかならん?高いの?みんなで買うか?」といい始めた。
それほどにムード満点なのである。

騒いでいると先生の一人が、「ブラックライト?確か理科室に・・」それを聞くや否や「早く早く!」とみんなが急き立てた。
理科室から4本ものブラックライトを発見する。
もう、お父さんたちも大喜びである。

「これはこういう角度で」
「いや、この高さからこんな感じで」
「そこはこの角を曲がったときに見えるように」
「こっちに気を取らせておいて後ろから、うわっと」

子どもそっちのけでお化け屋敷作りに専念した

去年は17時を回ってもまだ作業していたというが、今年は15時には完了して、みんなでチェックしてみた。
お父さんが入って出てくる。
「うーん。ええ感じや」
「雰囲気あるでー」
「去年より怖いんとちがうか?」
「よし。先生と役員さんで実験や」

校内放送が流れる。
「ピンポンパンポーーン。先生と役員の皆様にお願いします。
 お手すきのようでしたら、多目的室前にお集まりください」

お父さんたちは中でスタンバイする。
一人ひとりが入っていく。

「うわー!」「うわわ!」
廊下で待っている人が笑い出してしまうぐらいに声が聞こえる。
最後の最後に一番大きな声で「ぎゃーーー!」と悲鳴が。

それを聞かされて次の人が入る。
「うわー!」「うわわ!」「ぎゃーーー!」。
次の人も。
「うわー!」「うわわ!」「ぎゃーーー!」。
役員の女性は怖がって子ども二人と連れてなかに入る。
「うわー!」「うわわ!」「ぎゃーーー!」。
「うわー!」「うわわ!」「ぎゃーーー!」。
「うわー!」「うわわ!」「ぎゃーーー!」。

お母さんに感想を聞いてみる。
「私、もう、いいです・・・」
子どもに感想を聞いてみる。
「めーーーーーっちゃ怖い!。明日も来る!!」

準備は整った。
後は本番を迎えるだけだ。

2006年10月22日(日) 秋祭り当日

秋祭りは11時開催だが朝8時前に学校に行く。
カレーを作る地区のお母さん方はすでに集まっている。
昨日運び込まれた大鍋を囲んでワイワイと話している声が聞こえてくる。

「おはようございます」
と挨拶すると馴染みの委員さんたちに混じって町で見かけたことのあるお母さん方も「おはようございます」と元気よく挨拶をしてくれた。

気になっているお化け屋敷の部屋へ向かう。
真っ暗だ。
空調を入れてブラックライトを点灯させて、もう一度歩き出す。
昨日のうちに準備できなかったものがある。
それはケミカルライト。
見かけは20センチほどの長さの白いプラスチックの棒だがそれをひとたび折って振れば、青白い神秘的な色に光りだす。
ただし持続時間は数時間。
これは試しにひとつだけ買って自宅の廊下で夜中に点灯させてみたところ、思った以上に怖い雰囲気があったの、今回、大量に買い込んだ。
それを各ポイントにセットするのだ。

と、ここで役員さんに呼ばれてしまった。
いくつか荷物を運ぶので手伝ってほしいとのこと。
お化け屋敷の仕上げをしたかったのだが残念。
ちょうどグラウンドに出たとき、お化け屋敷の設営を手伝ってくれたお父さんがきたので、お任せすることにした。

9時。
ポン菓子の車が来た。
昔ながらの遊びを保存している会の会長さんだそうで、内気で優しそうな口数の少ないおじいさんだった。
挨拶を終えると今度はお茶の先生が来た。
なかなか気難しいと聞いていたので粗相のないように丁重にお迎えした。

10時。
ほとんどの地区が準備を始める。
校庭に張られた6箇所のテントに8地区が8通りの出し物を用意している。
それに中学校からのお母さん方の応援、民生委員さん、お茶の先生、昔遊び保存会の方々、中学校と隣の市の高校のブラスバンド部、そしてお父さんたち。
子どもが来る前にすべてを整えなければならず、とてもあわただしい。

そして11時。
いよいよ秋祭りの開始。
まず最初に私が挨拶をする。
朝礼台に上がり、地区ごとに並んだ子どもたちに向かってマイク越しに挨拶する。
「おはようございます!」
「おはようーございます!」と元気な返事が返ってくる。
簡単に挨拶を済ませ、校長先生の挨拶、注意事項の説明と続き、そしてもう一度私に、マイクが回ってきた。
「それではみなさん。今日一日思いっきり遊んでください。スタートです」

そういうと、子どもたちがいっせいに散らばり始めた。
ゲームコーナーへ行く子ども、フランクフルトやポテトを買う子ども、昼前なのにカレーを食べ始める子ども。
すべてのブースはチケットと引き換えであるが、子どもたちはあらかじめ、学校を通じてチケットを購入しており、追加でほしい分を当日、購入できる。
もちろん、近隣の住人も買い求めることができる。

そして一番行列のできるのが、毎年、お父さんが作るコーナー。
今年はパワーアップしたお化け屋敷。
30分待ちは普通である。
遊園地のお化け屋敷と変わらない行列の長さである。
出てきた子どもに聞いてみた。
「怖かった?」
「めーーっちゃ、怖い。ハンパなく怖い」
中には泣いている子どももいた。
でも、そんな子どもたちがチケット売り場に行って買い求めたのはお化け屋敷の入場券だった。
私も一通り挨拶を終えた後は本部でチケット売りを手伝っていたが、お化け屋敷が飛ぶように売れて、瞬く間に完売してしまった。
それなのに、まだチケットをほしがる子どもがいる。

お化け屋敷のお化けはお父さんたちだ。
中で来る子どもを脅かして続けている。
ダンボールで作った通路はところどころ壊れるので、時々修復も必要だ。
だから、いくら交代でやるとはいえ、ほとんどお父さん方に休憩はない。
だから、チケットの販売枚数を抑えて、子どもたちが殺到しないようにしているのだ。

そしてお化け屋敷から合図があった。
チケットを追加で発売だ。
マイクで場内に放送する。
「ただ今、お化け屋敷のチケットを20枚追加発売することにしました」
そういい終わるや否や、子どもたちがこっちへ向かって走ってくる。
またもやあっという間に売れてしまい、買えなかった子どもは私の後をついて来て「おっちゃん!お化け屋敷のチケット売ってーなー!!」とせがむ。
またしばらくして、チケットを販売する。
また子どもが走ってくる。
結局、前売りで250枚。
当日券で100枚。
さらに追加で150枚ほどが売れ続け、祭りが終わるときまで、お化け屋敷の行列は続いた。

お化け屋敷以外も大賑わいだった。
途中、中学校の校長や、自治会の会長さんたちがお見えになり、グラウンドいっぱいにいる人の姿をみて「今年は、大盛況ですなあ。おめでとうございます」と言葉をかけてくれた。

チケットは全種類完売し、14時30分に祭りは終わった。
後片付けのときはどのお父さんもお母さんも達成感に満ちたいい顔だった。
誰より喜んでいたのはこの私だけれども。

2006年10月23日(月) 3年目に突入

仕事と学校行事に追われて毎日毎日終電で帰宅する日々。
帰宅してからも学校の仕事を片付けなければならず、睡眠時間も短くなる。
日記もなかなか更新できない。

ふと、もうそろそろじゃないかと思って過去の日記を見てみた。
やっぱり。

今日10月23日はこのサイトのオープン記念日。
去年はオープン記念日に・・・。
お。ドッジボールの練習か。
そうだった。
あのころはまだ子ども会に専念していて、楽しかったなあ・・。

で、丸々2年目を経て3年目に突入したのだが、一向に文章はうまくならないし、人をひきつけるような魅力ある日記が書けない。
むしろ昔のほうが質のよい日記を書いていたような気がする。

最近は忙しいという理由で、空き時間を見つけて日記を書いてしまうことが多く、そうするとパンチミスもあったり誤字や脱字も増えたりする。
文章というものは例え流麗で内容の深いものであっても、誤字があると一気に興ざめしてしまうところがある。

この3年目に突入して初心に帰り、誤字脱字を徹底的に排除したいと、心に決めた。
が、もうすでに挫折しそうだ。

ああ。せめて推敲できる時間がほしい。

2006年10月24日(火) 深夜に文書づくり

月曜日のこと。

小学校の役員とはメールで情報交換をしている。
私は外出が多いので、パソコンへ送られてきたメールを携帯電話に転送している。
そして時々、携帯電話のメールをチェックする。
16時に役員の一人からメールが来ていた。

「秋祭りのお礼と、委員さんの成果と反省の記入のお願いと、ポスター回収のお願いの文書を今日中に作成して学校に送ってください」

まあ、いつものお願いのメールである。
しかし「今日中」と書いてある。

前日の日曜日、秋祭りが終わって役員みんなで校長室に集まり「お疲れさまー」と互いに労をねぎらいながらも、すでに次の反省会の話を始めていた。
そのとき「会長のご都合は?」と聞かれ「明日からしばらく終電まで仕事です」と答えた。
以前から忙しいことを伝えていたので「やっぱり」というような反応だった。
と、そういう話しをしていたのに。
先ほどのメールである。
3つの文書を今日中に作って学校に送れ、という。

私が忙しいことは知っているだろうに。
「お忙しいところすみません」の一言もない。
まあ、それでもそれが会長の仕事なんだろうと考えもした。
しかし、同じことを去年もやったのだから、去年の資料が残っているはずだろう。
だったら、せめてその資料を送って、「加筆修正して下さい」というのが筋じゃないだろうか。

そこで去年の資料はないのかと聞いてみたら、ないという返事だ。
そんなばかな。

大体、役員たちも先生たちも、私がパソコンを使えることを前提として話を持ってくる。
いや、それはかまわない。
実際パソコンを使えるのだから。
言いたいのは「パソコンが使えて仕事が速くこなせる分、今までになかった仕事を押し付けてくる」ということだ。

市のPTA協議会に私が出席し、そこであった話を小学校の委員会で報告する。
その市の協議会の報告にしたって、前任の会長は委員会の席で口頭で報告するだけだった。
しかしそれでは、詳細まで伝わらないだろうと思ったから私は自分なりに、詳細をまとめて印刷物として配布していた。
ところが、今ではそれが当たり前のようになり、先生から「できれば委員会の2日前までにメールしてください」と催促する有様だ。
通常、市Pの協議会は小学校委員会の2日前に開催されるから、要するにその日のうちに文書にまとめてメールで送れ、といっているのだ。


あんたらが私の口頭での報告を文書にできないから私がやっていることであって、それはあんたらの仕事だよ、といいたい。
もちろん、私はきっちりやっている。

今回の依頼も結局、仕上げた。
おかげで就寝したのは3時だ。

つくづく疲れる。

2006年10月25日(水) 膨らむ話

嫁さんがまたまた怒った。
もう、ぷんぷんである。

PTAの役員は大半がバレーボール部員であり、嫁さんもその一人であるから、役員といっても嫁さんからしてみれば同じクラブで活動する友達のようなものだ。
だから何事も気さくに話しかける。

今日も嫁さんはそのつもりで友達の一人に話をした。
「月曜日、○○さん(役員の一人)から主人宛にメールで『今日中文書に作って』見たいな依頼があったんやけど、主人、最近めちゃくちゃ仕事が忙しくて、帰ってくるのも遅いから、今日中、っていうのは、できるだけやめたってくれへん? 主人のことやから睡眠時間削ってでも絶対、仕上げるまでやってしまうから。もう、体が心配で。ちょっと、配慮してくれへんかなあ」と。

するとその友達の役員さんは「うん・・。それやったら、ちょっと学校に来て役員に話してくれへん?ちょうどみんないてるし」と答えた。
嫁さんはその日、たまたま別の友人と学校へ行って校長先生と話すことがあったので、承諾した。
ただ、嫁さんは「それほどたいした話でもないのに。『わかった』って二つ返事ですむやろうに」と思ったようだ。

学校へ行って役員さんの前で話をした。
みんな話を聞いているけれども、わかっているんだかわかっていないんだか、なんとなく反論したそうな雰囲気で、嫁さんも、何でこんな簡単なことがわからないのか、それにだんだんと腹が立ってきて、言葉が多少荒くなっていたようだ。
そうすると、役員さんたちは「会長の奥さんから抗議を受けた」と思い込んでしまったようだ。
一人、話のわかる若い役員さんだけが、話を聞いてくれていたようだ。

嫁さんが帰った後の話は、その若い役員さんが、嫁さんのところへ話に来てくれた。
実は嫁さんが帰った後、役員だけにとどまらず、先生方に話を持っていったのだという。
若い役員だけは「なんで先生に言う必要があるんですか!?役員の問題でしょ!」と抗議をしてくれたが、ほかの役員たちは先生にも報告しなければならないと考えたらしく、話をしたらしい。

そうなるともう、話が大きくなる。
会長婦人が学校に抗議をしにきた。
まさにそんな図式の出来上がりだ。

嫁さんにしてみれば、役員が自分の友達であるから、ちょっと配慮してねと簡単に言ったものであり、実際、考えてみれば「今日中に」なんていうお願いは社会人としておかしいのだから、言われて当然であろう。
それが飛んだ騒ぎになって、学校の先生の中には「奥さんの行為は会長の顔に泥を塗る行為だ。このことは会長は知っているんだろうか?」などと騒ぎになった。

自分のことを心配してくれている人に対して「よくも顔に泥を塗ってくれたな」などとおこるような馬鹿ではない。
きっとその先生の夫婦仲はよくないんだろう。

さてこの話、どこまで膨らんで、どうなるのか。
きっと役員や先生はまるで腫れ物に触るかのような態度で私に接してくるだろう。
もうちょっと意地悪してやるか。
少し楽しみである。

2006年10月26日(木) もっと膨らんだ話

私が「会計監査」という本部役員を務めているのは中学校である。
中学校のPTA会長は去年の小学校PTA会長である。
さらに去年の中学校のPTA会長は一昨年の小学校のPTA会長である。
秋祭りのときはこのお二方に多大な支援をいただいた。

しかしそれはそれである。
それ以外になんらつながりはないはずだ。
ところが実際はそうでもないようだ。

先日も古株役員の一人からメールが来た。
「○○さんと××さんにお礼のメールか電話をお願いします」
おかしな話だ。
お世話になったのはこの二人だけではないし、秋祭りのときに他の人と同じようにお礼は述べた。
なぜこの二人にことさらにお礼を言うのか。
まあ、現中学校の会長である○○さんに対してならまだわかるが、その前の会長に特別にお礼を言わなければならない理由がわからない。
そのことを古株の役員に連絡した。
たった一言「わかりました」と返事があった。

若い役員からメールがあった。
「先日のプリントの件、なんで『今日中』になんていうたのか?私は今日中に会長にメールを送る、と聞いていたのに。相手を思う気持ちがないのと、ええかっこするからや、と役員さんたちに言いたいです。それよりも、去年の資料なしで今まできたのがミラクルです。去年の事が思い出せないのは、前の会長を中心にベラベラしゃべってばっかりやからやろ―!といいたい気持ちです。会長、ごめんなさい。後半も頑張ります」
この若い役員とは初めて本部役員を経験するもの同士のせいか何かと話が合う。
旧態依然とした本部のやり方に不満を感じる。

そしてこの若い役員から嫁さんに連絡があった。
ものすごく憤慨している様子だ。

「今日、前会長の○○さんが学校へやってきて、『この前は大変やったねー』って言われて。なんでこの人が知ってんの?って思って『何がですか!?』って聞き返したら、いかにも、『あ、しまった』って顔して『会長の奥さんが学校へ乗り込んできて文句いうたみたいで』って。もう、誰かかが、言うてるんやで。前の会長に。なんでわざわざ言う必要があるんやろ。腹立つわー。誰が犯人かは大体わかるけど」

嫁さんの話で犯人はわかった。
でも私は知らないふりをしておこう。
ますます古株役員たちと先生たちがどういう態度を取るのか、楽しみになってきた。

自分たちで勝手に騒いで自分たちで勝手に冷や汗を流せばいいんだ。
ちょっとは懲りろ。

2006年10月27日(金) 接待

今日は接待だ。
私が個人事業主になろうとも今と同じように仕事を任せたいと言ってくれた人であり、おそらく、最も私を買ってくれている人だ。
だから接待と言っても別に気兼ねすることもなければ、諂う(へつらう)こともない。

今日は臨時の会長会があったので開始したのは20時半。
駅の改札で落ち合うと「まずはビールですか?」「そやな。まずはビールやな」と会話しながら居酒屋へ向かった。

「ここにはよく来るの?」
「いえ、学校が近いのでたまにきたりしますが」
「やっぱ、学校のPTAの人ととかって、こういうところ来てもコーヒーとかで話するの?」
「ははは。そら会議のときは酒じゃないですけど、懇親会とかはもう、普通ですよ。学校の先生たちともカラオケに行くし」

そんな話をしながら入った一軒の居酒屋。
選んだ理由は「安そうだから」。
確かに安かった。

今は出世して偉い人になったので、なかなか話をする機会もなく、飲みに行く機会もめっきり減ったが、飲み始めるといつもの調子になってきた。
「そういえば上期、頑張ってくれたみたいやな」
「頑張りましたよ、そら。身を粉にして働きました」
「下期は?」
「下期はって、まだ働けってか!?」
「そらもう、働いてもらわんとなあ。ははは」

この人が飲むとよく愚痴をこぼすのが自分の会社の部下のことだ。
「おれはキミのそういう向上心と負けん気の強さが好きだ。
 おれの会社の部下にもそういう気持ちがもっとあればなあ」

確かにそれは思う。
でも、そうやすやすと真似をされてはたまらない。
私の存在意義が薄れるからだ。

二次会にスナックへ行った。
女性たちと飲みながら、仕事のことを聞かれるとまたいつもの口癖が飛び出す。
私を指差して「彼はこう見えても社長やで、社長」。
個人事業主と言うのを説明するのも面倒だし、それで話が盛り上がるのだからそういうことにしておく。
いつものパターンだ。

3時間ほどだったが、楽しい時間を過ごした。
「また行きましょ」
「こっちこそ頼むわ」
そういって駅で別れた。

次は金額交渉でもするか。

2006年10月28日(土) 普通の休日

9月2日以来の、のんびりした休日である。

相当疲れているはずなのに、7時過ぎに目が覚める。
テレビをつけてニュース番組を探す。
面白そうなものはないけれど、まあ、いいかとそのまま横になって見る。

階段を下りてくる足音が聞こえる。
足音で誰だかわかる。
トトン、トトン。
あのたどたどしさの残る足音は次女のものだ。

次女がやってきて私の横に並んで寝転ぶ。
「お父さん。ちょっとあっち向いて」
とニヤニヤしながら言う。
こういわれると私は、次女が「いいよ」というまで後ろを向かなければならない。
そして「いいよ」といわれれば、今度はテレビを見て「あ!いつの間にかチャンネル変わってる!!」と驚かなければならない。

案の定、アニメ番組に変えられていたし、私の言葉でいつものように次女は「キャキャキャ」と笑った。
上の部屋で見てくればいいのに、と文句を言ってみたが、適当な理由をつけて反論してくる。
それほど見たいテレビ番組があったわけでもないし、チャンネル権を次女に委ねた。
私は次女に背を向けててもう一度寝ることにした。

二度寝は気持ちがいい。
でも、頭がボーっとする。
10時過ぎに起きるとまだ次女はテレビを見ている。
布団を片付け、夕べの飲みかけのチューハイを飲み干す。
朝から酒を飲めるのはその日に何も働く必要がないという証拠。

昼飯代わりにラーメンを作る。
去年、ダイエットを始めてから敬遠していた即席ラーメンも最近食べ始めた。
激辛のラーメンに野菜をたっぷり入れてつくる。
汗をかきながら酒を飲む。
シャワーを浴びてテレビを見る。
外に出てサッカーボールを蹴る。

別にたいしたこともしない、普通の休日だ。
でも、これほどありがたいとは。
実に二ヶ月ぶりののんびりした休日であった。

2006年10月29日(日) カンガルーとエミューが残った

パスポートというのはなんだかとても高級で上品な響きのするものである。
それは海外旅行をするセレブリティにのみ所持が許されるものという私の思い込みを取り除いたとしても、十分に高級で上品な響きがする。
その高級で上品なものを、我が家ではおそらくその言葉から最も遠い位置にいると思われる長男だけが持っている。

長男の高校は公立高校であるが、最近の公立高校は修学旅行も豪勢である。
その場所は海外である。オーストラリアである。カンガルーとコアラの国である。南半球であり太陽が西から昇る国である。うそである。
そのためにパスポートを取得しているのである。

で、その修学旅行から金曜日に帰ってきたところである。
私も嫁さんも海外旅行の経験がないため、我が家始まって以来の海外旅行経験者であり、本当ならば、出国手続きがどうだったとか、赤道は赤くなかったとか、飛行機には靴を脱いで乗るとか、そういった体験をいろいろと語って聞かせるだろうが、元来、男なので旅行の内容がどうだこうだと事細かに説明するようなことはなく、母親に聞かれて面倒くさそうに答えるのが関の山である。

土産だってそうだ。
あれこれ買い込むことはなく、近所に配るから買ってきなさいと母親に命じられた必要最小限のものと、私が依頼していたものを買ってきただけだ。
近所へはお菓子、私が依頼していたものは「ワニ」と「カンガルー」の肉。

肉はいずれも燻製肉。
そういえば「エミュー」の肉もあった。
金曜日、接待を終えて帰ってきたとき、コンビニでビールを買ってきて自宅で飲みながら、お土産の「ワニ」を食った。

「おお。これがワニか。うん。うまい。うまいぞこれ」
そういって結構食べた。
そして今日もビールを飲みながら食べた。
「まずい・・・」
めちゃくちゃまずくて、飲み込めずに出してしまった。
好き嫌いがなく、何でも食べるこの私がついに飲み込めずに出してしまうほどにまずいのだ。
開封して二日で腐ってしまったのか?
そうもう思うほどにまずかった。
臭くてクセがある。
そういえば金曜日、長男と嫁さんに食わせたが二人とも「ウエーっ」とひどいものを口にしたような顔をしていた。
「そうか?うまいぞ」
そういいながら食べていた私はきっと酔いで味覚と嗅覚が麻痺していたのであろう。

よほどお腹がすいていても、これは食えない。
まだ開封していない「カンガルー」と「エミュー」がある。
ちょっと怖い。

2006年10月30日(月) 飛行機に乗る前

今日は東京で仕事。
出張には飛行機を使うことが多い。
以前は新幹線を使っていたが、速くなったとはいえ、2時間30分の間、同じ席でじっとしているのは疲れる。
ついつい寝てしまうことが多く、また、それも時々目が覚める眠りなので頭が冴えず、仕事に差し支える。
だから去年あたりから飛行機に変えた。

ただ飛行機にも難点はある。
待ち時間が長い。
手荷物検査のチェックを受けてから離陸するまでに30分ほど待たされる。
着陸してもすぐに降りられるわけではない。
そういう待ち時間や空港までの移動時間を考えると新幹線とそれほど差はない。

待ち時間の間にメールを書いた。
普段はパソコンでメールを書くが、役員の一人からメールが来ていたのでその返事を書くことにした。

「会長は飲み屋で女の子に囲まれるとへらへらするのですか?」
と言う質問が来ていたのだ。
唐突に質問されたわけではないが前日のメールの流れからそういう話になったものだ。

何度やっても携帯電話からのメールは疲れる。
文字が入力しにくいし、推敲がやりにくい。
それでも暇つぶしに返事を書く。

「昔はそんなこともありましたが、今はありません。知り合いならば話をしようと饒舌になりますが、お店の女性だとむしろ話しかけられないと話しません」
と、そんなことを適当に書いた。
暇つぶしになるだろうと思ったが、やっぱり長い文章を書くのは大変だ。
変な文章にあるのも嫌だし。

適当に書き終えて飛行機に乗り、東京へ向かった。

仕事を終えて帰り、今日も疲れた名と油断したらまだ離陸前の飛行機のなかで眠ってしまった。
気がついたら空の上だった。
慣れると離陸のときも寝ていられるようだ。

2006年10月31日(火) Trick or Treat

10月31日はハロウィーンである。
「Trick or Treat」である。

私の町内には商店街があり、その商店街が主催して今年初めて「ハロウィーン」を開催した。
商店街の組合役員関係者が大幅に若返ったようで、かなり活動的になったようだ。
夏には「七夕まつり」を開催したので、商店街の子ども向け企画としては、第二段となる。
子ども向け企画なので子ども会もそれに一役買っている。

子どもたちにいろんな絵を描いてもらい、それを飾り付けに使う。
描いた絵はラミネート加工して本人に返却する。
ラミネート加工するので保存も利く。
絵を描くだけでは面白みがない。
ハロウィーンにちなんで、商店街のスタンプラリーでスタンプを集めるとお菓子のつかみ取りもできるのだ。

子どもたちに絵を描いてもらったり、何より宣伝して子どもを集めるのが子ども会の役目だ。
といっても、私は何もせず、嫁さんをはじめ班長さんたちが中心となってやっている。

商店街のやる気のある人たちは子ども会にとても理解があり、協力的であり、「子どもが喜んでくれるならば」と言ってくださる。
お菓子を配るのだって儲けはない。
見返りもほとんどない。
商店街のスタンプラリーと言っても何も買う必要はなく、ただいくつかの店を回ってカードにスタンプを押してくればそれだけでお貸しがつかみ取りできるのだ。
だから赤字になる。

それでも商店街の人は言ってくれた。
「ハロウィーンは子どものためにやっていること。赤字でもかまわない。子どもが喜ぶことが大事」
そういって思いっきり太っ腹なところを見せてくれた。
あまりに太っ腹なので、嫁さんのほうが「来年はこうしたほうがいい」と少しでも赤字にならないようにアドバイスしたほどだ。

あまり無理をせず、息の長い子ども向けの行事をこれからも企画していただければと思う。
子どものためと思う気持ちだけで、子ども会のみんなは協力したくなるのだから。

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