カリント日記

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2006年11月1日(水) 感謝

11月である。
今日はその第一目にしてインデペンデンスデイである。
独立記念日。
今日でカリント創立4周年を迎える。

が、そんなことはすっかり忘れていた。
客先での打ち合わせを終えて19時から市のPTA協議会に出席し、そのまま別の客先へ向かって終電まで会議をしていた。
気がつけば日付も変わっており、乾杯の酒も用意していなかったし、そんな会話もないままに嫁さんは寝てしまった。

最近の忙しさはちょっとひどすぎる。
嫁さんは日に何度となく「大丈夫?」と心配そうに声をかけてくれる。

そうえいば、小学校の若いPTA役員に先日メールで「最近いろんなことで嫌な思いをさせてごめん」と日記の「膨らむ話」で書いた出来事について、いろいろ気を使わせたことを詫びた。
そうすると今日「私は会長と同士ですから謝らなくてもいいですよ。今回のことで一番気を揉んでいる奥さんはですよ。奥さんには十分感謝してくださいね」というようなメールが若い役員から来た。
「ふふ。大きなお世話だ」と一人笑いながらつぶやいた。

嫁さんへの感謝を忘れたことなどない。
あ、ちょっと言いすぎか。
でも、それほどに感謝をしている。

大して面白くもないはずだった私の人生が変わってきたのは、そのポイントごとに嫁さんの存在があったからに他ならない。
嫁さんの存在という大きな心の支えが私の人生を面白いものにしたのだと思う。

親が蒸発し、このまま面白くもない高校に行き続けるのは苦痛だと思って、一時は退学を考えもしたが、一年、休学したときも復学したときも、支えてくれたのは嫁さんだった。
社会人になって友達が増えたのも、嫁さんのおかげだ。
私の友達を自分の友達であるかのように扱ってくれる。
またその逆に自分の友達を自分だけのものとせず、私にも紹介してくれる。
そうやって多くの友達ができた。

そしてカリントとして独立するときも。
「あなたなら大丈夫」と最後に背中を押してくれたのは嫁さんだ。
今でも生活が大きく楽になったわけではないが、苦しい顔を見せず、いつも笑顔で支えてくれる。

誰に言われるまでもなく、私は嫁さんに感謝している。
今までも、これからも。

2006年11月2日(木) 困る日記

今日は久しぶりに前の会社に勤めていた後輩の女性と飲みに行った。

・・・。

・・・。

題材があるのにもかかわらずこれほど書くのに苦労する日記も少ない。
私は自分で八方美人なのだと思う。


とりあえず、仕事の合間を縫って飲みに行った。
いやほんと、忙しいのは忙しいのだ。
毎日終電級に忙しいけれども、たまには息抜きをして・・って何を言い訳をしているのだ?俺は。

とにかく、飲みに行った。

同じ会社ではあったが、私はいつも一人で客先で仕事をしていたので、彼女と一緒に仕事をしたことはなかった。
ただ、よく勉強を教えたので、先輩後輩というよりは、師弟関係に近いものがある。

私が会社を辞めて独立し、しばらくして彼女も辞職した。
時折連絡は取っていたものの、前回会ったのはお互いにまだ以前の会社にいたときだから、5年ぶりの再会ではないだろうか。

だから私には当時の彼女のイメージしかない。

 言うことは一人前だが、まだまだ未熟。
 考え方に甘いところがあって、わがままな一面もある。

まあ、これは彼女に限らず、先輩が後輩を見たときに一般的に思うことだろうし、それに会社の中だけの話でもない。
生活する中で後輩たちに抱く気持ちである。
私もおそらく、そのように思われていただろう・・って、なんかフォローしてる感じ。

そんな彼女ではあったが、実際に話をしてみるとなかなかどうして、大人になっているじゃないか。
ま、当たり前か。
いつまでも「お子様」だと思っていたが、自分が親になる年齢だ。

しっかりしないとな。

ああ。
11月も忙しいじゃないか。
さんまだって食いたいし、昼飯だって食いたい。
もひとつおまけに、焼酎お湯割りも飲みたいというのに。

2006年11月3日(金) 文化祭の準備

世間では三連休らしい。
三連休どころか、連休なんて8月の家族旅行以来ないぞ。

市民文化祭が土日に開催されるので、その準備をしなければならない。
それに加えて、今年は私が会長を務める小学校が文化祭の幹事校に指定されており、いろいろと段取りがあるのだ。

11時に文化祭が行われる市立体育館に向かう。
そこには同じく幹事校である中学校の会長がいた。
二人で、市のPTA協議会の出し物を飾りつけるのだ。

たたみ二畳ほどの大きさの木製パネルに、PTA研修全国大会参加の模様や各委員会の活動の様子などの写真を貼ってある。
そのパネルを前日のうちに倉庫まで運んでいたので、それを所定の場所に飾り付ける搬入作業をした。

で、取り付け終わったところがこれ。
ちょっと地味かも。



1時間ほどで終わると次は小学校の展示ブースへ向かう。
こっちの展示物は先日ご父兄の方々が作成したクリスマスのタペストリーの飾り付けだ。
大した重さではないが、こまごましたものが多い。
役員たちも応援に来てくれた。
およそ30分ほどで飾り付け完了。



あとは本番を待つばかり。

2006年11月4日(土) 自治会館修復作業

私の小学校の校区には八つの自治会がある。
それぞれの自治会には自治会館がある。

中でも私の町内の自治会館は他では珍しい、二階建ての会館ではあるが、相当に年季の入っている建物であり、他の町内の人は必ずといっていいほど、中に入ると珍しそうに天井や柱を見渡す。

自治会館の庭には大きな桜の木があり、毎年春になると美しい花をつけ、道行く人々の目を楽しませてくれる。
自治会のメンバーもこの桜の下で花見をする。
私も「日記」に書いている。
その桜の木が根を伸ばしていた。

場所は自治会館とその脇を流れる川の間。
残念ながらどのようになっていたのか状況を見ていなかったし、写真撮影をしていなかったので、詳細は不明だが、とにかくコンクリートの土台を侵食し、ひび割れさせ、このまま放置すれば自治会館に大きなダメージを与えかねない有様だった。らしい。
(自治会の役員はそういっていた)

確かに切り出された根っこを見ると想像に難くない。
写真ではわかりにくいかもしれないが太いところでは10センチ以上もある根っこだ。



この根っこを取り除き、土台を修復する作業を行うことに決まった。
そして、その修復作業を経費節減のため役員を筆頭とする有志だけでやろうということになった。らしい。(私は作業の後半から声をかけられた。きっと忙しいというのが聞こえたんだろう。実際そうだったし)

とはいえ、川と自治会館の間に人の入り込める隙間はない。
となると必然的に川のほうから修復作業をしなければならない。

そこで、必要最小限の足場を作った。
足場を作ってハンマーで土台を崩し、ジャッキで会館を支え、そして瓦礫をバケツに入れて運搬した。
足場のないところは川から脚立を立てて作業をし、足場のところまで瓦礫を運んだ。



こうやって一日目の作業が終わった。らしい。
(私は二日目から参加したわけだ)

そして二日目。
今度はセメントを塗る。



不安定この上ない足場で、20キロ近くのセメント入りバケツを抱え、左手ではしご、右手でこてを持ってセメントを塗った。
丸二日をかけて根っこの除去と土台の修復作業を終えた。

自治会会長が率先して作業していた。
みんなのために会長という仕事をしている私だが、この自治会長も思いは同じはず。
日ごろは文句の多い自治会の会長だが、人知れずこういう作業をすることもあるのだなと、ちょっと感心した。

2006年11月5日(日) 文化祭当日

この土日は市立体育館で文化祭が開催された。
今日はその警備を行う日。

文化祭は市内の各種団体による自主運営を基本とされており、学校においても持ち回りで担当学校が決められている。
そして今年の担当学校のひとつが私の学校だった。

朝9時、警備本部に出向くと中学校の会長が到着していた。
挨拶をして今日の段取りを確認する。
学校の警備担当区域は市役所の駐車場だった。
許可証を持った車だけを駐車場に案内し、それ以外は入れさせないようにするのが役目だ。

警備に就くまでにはまだ時間があるのでまだ人の来ない会場を見て回った。
市立体育館の中に展示ブースが並んでいる。



正直、これを見に多くの人が集まるようには思えない。
それでも昨日はなかなかの人手だったという。

ジュニアリーダーたちが作った子供向けの遊具があった。
中高生が朝から一時間ほどで作り上げたものだがこれはなかなかだと思う。



多くの子どもたちが順番を待っていた。

やがて時間となり、定点警備に各校から応援が来る。
ほとんどが各校の会長だ。
私も定点警備の時間があるが、その時間以外は自主的に巡視をかって出た。

日も暮れた17時、市のPTA協議会の展示物を撤去するのも仕事のひとつ。
今日も一日、休日を市民のために費やした。

こういうことって、やってみないとわからないものだと、いまさらながらに思う。

2006年11月6日(月) アピールを利用してアピール

先日の自治会の改修工事のときのこと。
自治会の会長が私を呼んで話を始めた。

「あー。あのな。あのー、運動会の。ああ、校区の運動会のときのTシャツな。あれ、まだ、だいぶ返ってきとらん。運動会始まる前に配ったやろ。子ども会で。ほんでちゃんと回収しとらんから返ってきとらんのや」

Tシャツを先に配ったのは競技に参加するお母さん方がTシャツを現地で着替えなくてもいいようにと言う、子ども会の配慮からであるが、今までそういうことをしたことのない自治会の人には、Tシャツが戻ってこない原因がそこにあると思えてしまうのだろう。
改革を嫌う年寄りだから仕方がない。
無論、子ども会では嫁さんを中心とした各班長さんが自分が配布した家庭を一軒一軒チェックしてすべて回収し終わっている。
回収できていないのは自治会が配ったところなのだ。
実際、誰がどこに配ったかんなて気にしていない。
お弁当一つ一つに子ども会では誰に何を配ったかすべて把握しているが、大盤振る舞いをして後で配りすぎだと騒いでいたのはいつも自治会なのだ。

とはいえ、この年寄りの会長相手に「子ども会はちゃんとしている」とけんかをしても埒が明かない。
ここはひとつ作戦だ。

今日はその自治会の会議があり、私の代わりに嫁さんが出席することになっていたが、このままでは険悪なムードになることは間違いないと考え、改修工事のとき、その言葉を聞いた私はすでに先手を打っていた。

改修工事のときの写真がそれだ。
日記に記録すると言う意味もあったが、それ以外に「改修工事のお知らせ」としてあの写真を使って掲示板に貼り付けると言うのが目的にあった。
なぜ、そんなことをするか。
簡単なことである。

自治会役員たち、とくに会長は、常日頃から自分たちが住民のために何かをやっていることを、住民はみな、さもそれが当たり前であるかのように受け取っていることに不満を感じているのだ。
だったら自分たちが何をしたのかをアピールすればいいのだが、それが昔の人間の悲しさ、アピールの仕方を知らない。
そこで私が、わざわざ会長の仕事ぶりを写真に撮り、その活動をお知らせとして掲示板に掲示することでみんなにアピールしようと考えたのだ。
それを提案すれば会長も喜ぶに違いない。

日曜日にその「お知らせ」を作成した。
インクがなかったのでとりあえずモノクロ印刷だ。
さらに嫁さんには各班長がどこの誰にTシャツを配ったのかを一覧にまとめさせ、それの返却ができているかどうかを各班長にチェックさせるよう指示した。
もちろん、すべて返却済みのチェックがなされて嫁さんの手元に返ってきた。
その「お知らせ」と「チェックシート」を持たせて嫁さんを会議に出席させた。

会議に出席すると少し遅れて、見るからに不機嫌そうな会長が「もう、ほんまに、やれやれ」と言うような文句を言いながら中に入ってきた。
会議が始まっても機嫌が悪い。

そこで嫁さんが切り出した。
「すみません。今日は主人が欠席なので私が代理できました。それで主人からの預かり物を持ってきまして。これなんですが」とモノクロの印刷物を配布する。
「今日はちょっとインクの調子が悪くてこんな色なんですけど。これ、先週、会長さんたちが修繕工事をしたときの様子なんですが、こうやって皆さんが改修工事をして下さったことを住民の皆様にお知らせしたほうがいいじゃないかって。そして修繕していただいたこの自治会館を大切に使っていただくように呼びかけてはどうかって」

とたんに会長が笑顔になり、上機嫌になる。
誰が見てもわかるほどに。
Tシャツのチェックシートも配り、子ども会ではこのようにして数を把握しているということをアピールした。

もう、その会議の場所に子ども会を責めるものは誰もいなかった。

2006年11月7日(火) 自由席

朝はどの電車に乗るのか決まっていない私でもここ最近、帰りの電車だけは決まっている。
終電だ。
仕事先を0時15分に飛び出し、「今から帰る」と家に電話をしながら駅まで早足で歩く。

早足で駅についても終電は時間通りに来ないし、それに時間通りに出発はしない。
何しろその日の最後の電車だ。
駅構内に残っている人をすべて乗せなければ、積み残しとなって今度はその人たちに払い戻しをし、駅構内から退去してもらわなければらない。
駅員にとっては手間であり、少々出発時刻が遅延しても全員を乗せてしまいたいところだろう。

いつものように2,3分遅れで電車は出発する。
私は適当に車両に乗る。
「適当」と自分では思っていたが気がつけば一番後ろの車両に乗っていることが多かった。
そしてあることに気がついた。

いつも同じ席に同じ人が乗っているのだ。
それも何人も。
水商売風の女性、ケータイ片手にメールに夢中なアルバイト風の女の子、変なリュックと帽子をかぶっている男性、気障(きざ)なめがねをかけたサラリーマン風の男性。
同じ車両の同じ席に。
まるで彼らの指定席のようだ。
互いに言葉を交わすことはないが、それでもきっと顔なじみだろう。

私はまだ席が決まらない。いわば自由席。
いや、決まらないうちにこの生活を抜け出したいものだ。

2006年11月8日(水) お気に入りの服を選び放題

次女は七五三である。
といっても今日は別に宮参りするわけではなく、それよりももっと次女の喜ぶことをした。
晴れ着に着替えての写真撮影である。

次女はとてもおしゃれ好きである。
小学校一年生だというのに、朝学校へ行く時に一番時間を費やすのは服選びと髪型の調整である。
上がこの服だから下はこのスカート、となればこの靴下にあの髪型と言った具合で朝からお洒落に大忙しだ。
着せ替え遊びが好きで、今はゲームでも服装をコーディネイトする遊びがとても流行っており、「タータンチェックのワンピースのときはこの靴」などと一丁前なことを言う。
時折、「お父さんはミルキーピンクボレロとバニラセーターのどっちがいい?」などとわけのわからぬことを聞いてきたりもする。

人形の服を着せ替えて喜ぶのは、自分自身がそうしたいという気持ちの表れだ。
街中でもかわいい服を見つけると飛んでいって「かわいい!」とほほを摺り寄せる。
「これほしい」といっても無駄なので何も言わないが、いざ、娘の服を買いに行くとなると「あれがいい」「これはいや」ととことん自分の意見を主張する。
「着られればなんだっていい。ただしスカートはイヤ」という長女とは正反対で、次女のわがままに辟易しながらも、女の子らしいそういうところを嫁さんは半分期待していたはずだ。

だからこそ、嫁さんも七五三の晴れ着姿の撮影には「服を選び放題」「写真も撮り放題」で次女を喜ばせようとしたのだ。
実際、次女はこの上なく喜んでいた。
写真で撮られることも好きな次女にとっては夢のようなひと時であろう。

撮影スタジオにはドレスも着物も洋服も、上品なものからかわいいものまで、ずらーっと並んでいる。
そこからお気に入りのものを選んで写真を撮るわけだ。
気に入ったものがあれば何着も着ていい。
写真だって何枚も撮影してくれる。
昔と違ってデジタル処理だから何枚も撮影可能なのだ。

そして気に入った写真だけを購入すればいい。
そうすれば本人お気に入りの洋服とポーズでの写真が手に入るのだ。
まあ、ポーズには多少の制限があって、本人のお気に入りのポーズはできなかったようだが。

親ばかになるとこの写真購入だけで数万円を使うらしい。
さて、我が家はいくら支払ったのか。
怖くてまだ聞いていない。

2006年11月9日(木) 最上階で再会

今日は久しぶりに同じ職場で働いていた後輩の女性と食事をした。
(つい最近同じような出だしで日記を書いた記憶がある・・・。)

今日は昼飯だ。
(あ。さんまを食ってしまった。)

彼女は私の仕事先の社員だったが今は退職し、結婚して一児の母である。
前回、会ったのは彼女がまだ妊婦のころであった。

今日はあまり時間の取れない私のために仕事場近くまで出てきてもらった。
昼飯場所は彼女が予約してくれた個室である。
小さな子どもがいるのでそのほうが落ち着くからだ。

待ち合わせの場所に行くと彼女の姿はなく、代わりに少し遅れるというメールが届いた。




お茶を飲みながら待っていると片手に娘を抱きかかえて彼女が入ってきた。
少し驚いた。
子どもの抱きかかえ方ひとつで母親度合いがわかる。
子どもの頭の位置といい、腕の巻き方といい、なかなかのものだ。
以前の彼女からはとても想像できなかったが、とてもしっかりした印象をうけたからだ。

久しぶりの再会だ。
テーブルを挟んで向かいに座る彼女は確かに以前とさほど変わりはないのだが、会話をしているときに無意識のうちに動いている子どもをかまう手の動きが、いかにも母親らしかった。
私自身、子どもといるときは別に意識しているわけではないのだが、子どもを守る方向へと体が勝手に動く。
母親ならばなおさらだろうか。

食事をしているときもそうだった。
子どもの動きに対する反応はもちろん、自分の行動そのものが母親なのだ。
当たり前のことではあるが、以前の彼女とは食事の姿そのものがまるで違う。

結婚前は当然のことながら独身女性である。
私と食事をするときでもそのことを当然意識しているのだろう。
上品とは言わないまでもそれなりの振る舞いをする。
女性としての行動に「恥じらい」というものが多く含まれる。
ところが母親になるとそれが変わってくる。
子育てという現実が「恥じらい」を多少なりとも駆逐してくるのだ。
いや、別に彼女の行動が恥知らずだったわけではないが、以前の独身の彼女ならしなかっただろうな、と思うところがいくつもあった。
それはそれで楽しかった。
小生意気なことを言う女だ、と思っていたので母親になれるかどうか心配だったが、どうしてどうして、とてもしっかりしていた。

わずかな時間だったけれども、彼女も再会を喜んでくれたし、私もかわいい子どもを見て心が安らいだ。

今日はお酒も飲めなかった。
今度の再会はいつごろだろうか。
子どもが少し手を離れ、今度は彼女とお酒を飲みにいけるようになっているのだろうか。
それとも、二人目をおなかに宿して、やっぱりお酒は飲めないのだろうか。

お酒が飲めなくても、後者のほうが私はうれしい。

2006年11月10日(金) 中学校はいまいち

中学校の役員会議は結構頻繁に行われているが、そのすべてに出席することは難しい。
でも、月に一度の定例会議にだけは出席するようにしている。
今日はその会議の日。

忙しい合間を縫って出席してみたものの、相変わらず大した話しをしていない。
何より私は中学校ではおとなしくしているので、いてもいなくても同じようなものだと思う。
そのように心がけてもいる。

中学校の会長さんは会長さんで頑張っているのだから、私があまりでしゃばることもない。
時々私と180度違う考えを持っていることもあるが、私はそれにおとなしく従うようにしている。

役員の中にはめったやたらと噛み付くやつがいる。
反対意見の声がでかいだけで、案を持っていないやつだ。
こいつは会長と古い付き合いでありながら、会長にも遠慮なしに噛み付く。
まあ、私に対するほどでもないが。

だから会長も時々困っている様子を見せる。
会長という立場での判断を求められたとき、中学校ではただの一役員であるはずの私に、会長としての助言を求めてくることがある。
意地悪するつもりはないが、私が会長としての考え述べることを極端に嫌っているやつもいるわけで、あまりアドバイスをしないようにしている。
時々、間違った判断だと思うときは、役員という立場で「質問」をして、その考えが間違っているのじゃないかということを気づかせようと努力する。

正面きって「それはおかしいでしょ」など言おうものなら、噛み付き役員がお構いなしにくらいついてくるからだ。
私は良かれと思って会長に助言したことに噛み付かれてはたまったもんじゃない。

だから遠まわしに、それと気づかれないように助言するのだ。
ああ。疲れる。

中学校の役員はやっていても面白くない。

2006年11月11日(土) 長男の三者懇談

今日は長男の高校へ三者懇談に行ってきた。嫁さんは「先生に何を言われるかと考えただけで気分が滅入る」と長男の三者懇談には行きたがらないので、今回は私が行くことになったのだ。
考えてみれば、三者懇談と言うものに出席するのは生まれて初めてかもしれない。
(と書いて慌てて過去の日記を見てみる・・。って、子育てに比べれば歴史の浅いこの日記に書かれていない過去の逸話も数多い)

私は長男のテスト結果を見ればある程度、そのテストに対する長男の問題点がわかる。だから先生に勉強のことで何かを言われて驚くことはない。
そう思って臨んだせいか、実際、懇談で一番話しをしていたのは私で、最後に先生が「私の言いたいことはお父さんがすべて話をしたので私からは言うことがありません」と仰った。

考えてみれば、ほとんどの親は子どもが学校でどういう生活を送っているか十分に把握していない。
いや、私が把握していると言うわけではない。
むしろ、子どもの学校生活のことを知らないほうだろう。

小学校に通う子どもの親は子どもの身にどういうことが起きているかつぶさに観察する能力を求められるし、それだけに先生と接する機会も多くなくてはならない。
しかし、高校生ともなれば、社会性もそこそこ養われており、学校生活という観点で見た場合にそれほど配慮しなければならないことは、小学生に比べれば少ない。
要するに、高校生の懇談において語られるほとんどは「進路」と「勉学」に関することなのだ。

「進路」は本人の希望であり、親が決めることではない。
「勉学」ももちろん本人しだいだ。
ただ、「進路」に対する「勉学」の程度においてアドバイスをするのは先生であり、親である。
その指導方針を一致させるためにも懇談は必要なのだ。

教室を出て長男と二人廊下を歩く。



普段は私の話を単なる説教として「先生でもないのに知ったような口ぶりで」と聞いていた長男も少しは話を聞くようになるだろうか。

2006年11月12日(日) 日曜日だってお構いなし

最近、仕事をしない日はない。
休日だろうがなんだろうが、仕事である。

日曜日と言えば私がこの世に生を受けてから週に一度のお休みと決まっている。
しかし、今の私にそんな日はない。
てんてこ舞いである。
英語で言うと「てんてこダンス」である。
と、こんなくだらないことがついつい口から出てしまうほどに仕事である。

私の仕事と言えばコンピュータの技術的なことであるが、コンピュータの技術と言うものの大半は意外に思うかもしれないが、文書作成である。
いろいろな作業をするにあたって準備が必要であり、その準備と言うものがとりもなおさず、手順書や説明書などの文書作成なのである。

今日も文書作成である。
内容は企業秘密なので見せられない。

ということで、普段のデスクを撮影してみた。



散らかっている。
いつも片付かないのである。
逆に片付けると、「あれ?どこにいったかな?」といった具合である。
だから片付けていない。
うそである。

ついでに職場から見える風景を撮影してみた。
ビルなので四方が同じような風景なのだが、私はこの山の見える位置が一番好きである。



きれいなビルの立ち並ぶ風景よりも、人の住んでいる町並みの見える風景に暖かさを感じる。

窓からの風景を見て少し休憩し、コーヒーを飲み、また散らかったデスクに戻る。
こうやって一日が過ぎていくのである。

2006年11月13日(月) 参加者募集

二月に中学校の校区でふれあいまつりが開催される。
これは最近始まった行事でそれほど歴史はない。
歴史はないが派手である。

市内にある文化会館の大ホールを使っていろいろな舞台演技を披露するのだが、この大ホールは客席数も1,000を超える本格的なホールであり、この舞台で何かを披露すると言うのは、近所ののど自慢大会に出場するどころの騒ぎではない。

ところが、プロフェッショナルを招いて何かを演技してもらうわけではない。
素人が大原則である。
和太鼓であったり、剣舞であったり、合唱であったりしてもよい。
とにかく、そういうことを地域で活動している団体に、日ごろの活動状況を披露してもらい、お互いに交流を深めようと言うものだ。
しかし、そういうことをやるにしては舞台が大きすぎて逆に手を上げて参加したいと意思表示する人が少ないのだ。

毎年の出し物としては小中学校と幼稚園の、演劇があったり合奏があったりするのだが、それに混じって大人のものを披露してもらわなければならない。
で、それを探すのが、各単位PTAの役割だ。
当然、私のところにも出演者探しの依頼がやってきた。

心当たりがないわけでもないが、さすがに舞台が大きいと引っ込み思案になるかもしれない。
いま考えている人との交流はあまりなく、うわさを聞いているだけなので、一蹴されるかもしれないが、とりあえず、メールを送って打診してみようと思う。
どうなることやら。

2006年11月14日(火) 辞めると言い出した

「会長、あのね」と言う出だしでメールが送られてきた。
いつもの若い本部役員である。
大体「あのね」というような話しかけるような言葉で、メールしてくる役員は彼女しかいない。
しかし、内容は笑えないものだった。

「今、本部は最悪なんです。私が、○○さんを泣かしたから」

これまたものすごい書き出しだ。
それでもまあ、彼女が正論を言えば、旧来の役員とけんかになるのは目に見えていたから、いずれはこういうこともあるだろうと思っていた。

「彼女が辞めたいと言うので、理由を聞いたつもりなのですが言い方がきつかったみたいです」
ほー。
「辞めたい」か。
うん、まあ、それもありか。

「彼女のプライドを傷つけたかも分からないけど、謝りたくないんです。どうしたらいいですか?」
おっと、相談だったのか。

とりあえず返事を書く。

「幼稚園で教えてくれることはとても重要なことで、私はいつもそれだけは守ろうと思っています。人を傷つけるウソはいけない、自分がされて嫌なことをしてはいけない。人にお世話になったら「ありがとう」、人に悪いことをしてしまったら「ごめんなさい」。もし、「人を傷をつけてしまった」と思うのなら、やっぱり謝らないといけないんじゃないかな。謝るのは悔しいかもしれないけれど、負けじゃないよ。勇気の要ることだし。あなたの背中を見ている人の手本にならないとね」

まあ、当たり障りのない返事を書く。

それにしても明日は役員会議だと言うのに。
まあ、この若い彼女のことだから、きっと笑って出てくると思うが、「辞めたい」と言ったほうがどうするか。
もう、出てこないかもしれない。

別にそんなことで驚くような私ではない。
むしろ周りがどんな風に騒ぐのか興味津々である。

2006年11月15日(水) まるで最初からいないかのように

お待たせの役員会である。
誰が待っていたかは知らないが、みんなきっと私の反応を待っていたに違いない。

しかし、昨日、若い役員が私に報告したのは彼女自身が相談したことであって、役員会として正式に報告があったわけではない。

私はその報告を待つともなしに待っていたが、私はそのことを知らないことになっている。
誰も報告していないのだから知っているはずはない。
当の本人が私に言うはずもない。
当の本人は欠席していた。

ただその場にいる全員がおそらく若い役員から何かしらの報告を受けているだろう、と思っていたはずだし、私もその若い役員も、そう感じていた。
私が若い役員を「次期会長に」と見込んでいるだけあって、彼女と意見のあう事が多く、必然的に会話も多くなる。
それに事務的なメールのやり取りだけに終始しないのも彼女の特徴だ。

そういえば辞めたいと言った役員から、秋祭り終了直後にメールが来た。
「○○さんと××さんにお礼のメールか電話をしてください」と。
二人とも秋祭りの出し物であるお化け屋敷設営と運営のお手伝いを一緒にしてくれたお父さんだ。
ただし、この二人がすべてではない。
他にもお手伝いをしてくれたお父さんはたくさんいる。

そこで私はメールで返事をした。
「○○さんと××さんはお手伝いいただいた一員として、ほかの皆さんと同様に終了時にごあいさつしましたので、ことさらに改めてごあいさつする予定はありません。お二人だけを特筆される理由は何ですか?」
と。

素直に聞くこともできるのだが、どうしても納得できない。
これに対して返事はたった一言。

「わかりました」

なんだこれは?
なにがどうわかったのだ?
不機嫌丸出しの承諾じゃないか。
言いたいことがあるなら言えよ。
そう思ったが、捨て置いた。

夜になって、もう一度メールを書いた。

「夕方はちょっときつい口調のメールになってしまってすみません。仕事がうまくいかずちょっと気が立っておりました。お手伝いいただいたお父さん方へのお礼ですが、確かに先頭に立っていろいろやっていただいたのは○○さんと××さんであり、このお二人の功績は大きいと思います。でも、お手伝いをしようという気持ちは誰も同じであり、自分のできる範囲で皆さん一所懸命にお手伝いいただいたのですから、同じようにお礼が言いたいのです。あのお二人はたまたま人をまとめる才に長けているのであって、もし、お二人がいなければ、いないなりに、他の人たちでも同様のことができたと思うのです。だから、私はあのお二人だけを特別扱いはしたくないのです。睡眠時間を削って参加してくださった親父さん、仕事の合間の少しの時間だけ参加してくださった親父さん。みなさん、「子どものために」という同じ思いで集まった親父さんですから」

うん。当たり前の話だ。

ところがこれに対する返事がこれまた頭に来る。

「了解しました」

なんだこいつは!?

こんなヤツと「会長、あのね」で書き出す若い役員とを同じように扱えと言うほうが難しい。

結局、役員会議のときはおかしいぐらいに、その欠席している役員の話題に触れなかった。
先生方も同席しているのに、みな一同に、我関せずである。
おもしろい。

帰り際、若い役員がそっと私に手紙を渡した。
ラブレターである。
ウソである。

これまでのいきさつがそこに書かれていた。

その内容についてはまたの機会に。

2006年11月16日(木) こんなやつはいらん

昨日、自宅に戻ってから「ラブレター」を読んだ。
それはB5のノートを切り取って書かれていた。

最初に目に付いたのはまるで「E-R図」のような四角で囲まれた文書とそれらを関連付ける矢印であった。
どうやら四角の中に書かれているのは出来事であり、それがどのように影響しあっているのかが矢印で示され、その横にコメントが書かれている。
それがあるからわかりやすいというわけではないが、彼女なりに私にわかりやすく伝えようとしたのだろう。
こういう工夫が好感を持てる。
左上に「1」と番号が振ってあり、3枚綴りであるが4まである。

最初の四角で囲まれたイベントは文化祭に向けての会議だ。
おそらく9月の初旬ではないだろうか。
このころからなんとなく、役員内部にギクシャクしたものがあったということだろう。

私が会長になった最初のころ副会長の一人が私への連絡係だったが、なんだか忙しそうだったので、ある日別の人に頼んだら、その副会長がへそを曲げてしまったようだ。
ほー。
こんなところで。

そこで手を上げたのがこの若い役員である。
コメントが書いてある。
「私がこれから会長に報告しまーす」の横に「ハートマーク」まで書かれてあり、「ちょっとうれしそう」と自分のことを客観的に書いてある。
光景が目に浮かんで思わず、口元がほころぶ。

矢印をたどっていくとイベントが進む。
次に問題点が書いてあったのは秋祭りの案内状の件だった。

副会長に案内状の作成を依頼していた。
副会長からメールが来た。

「19日に配布する予定の「秋祭りのご案内」を作成しました。
 目を通して頂、ご意見をお聞かせ願います。
 今日、明日中に携帯の方に返答頂きたいと思います。
 よろしくお願い致します。」

ははは。
よくよく、「今日明日中」の好きな副会長である。

内容を確認した。
「フランクフルト ○○町」
「カレーライス  ××町」
のように延々と出し物と自治会の名称が書かれている。
それだけである。

秋祭りは児童だけが参加するのでもない。
地域の人は誰でも参加できる。
普通のお祭りと同じで各ブースで販売を行っている。
みんなが知りたいのは各ブースの担当自治会がどこか、と言うことだろうか。

それよりも必要なのは価格などの情報ではないだろうか。
だから私は新しい文書を作って返事を書いた。
その日のうちに。

「どのブースをどの地区が担当するのかを伝えることが目的であれば別ですが、参加する人にとっては「何があるのか」「金額はどれぐらいか」が気になることだと思いますので、それを案内したほうがいいとおもいます。一応、景品の有無と概要と金額を付け加えました。
もし、ブースの担当地区を伝えるための案内ならば、お送りいただいた案内状でいいと思いますが、その場合は、タイトルをちょっと変えたほうがいいかも。
例えば「秋祭り 担当ブースのご案内」とか」

ところが、それを見た副会長は「会長がやり直した」と腹を立てたと言うのだ。

思わず嫁さんと「ラブレター」を読みながら笑ってしまった。
なんだ?この副会長は。
おまえが「意見」を求めてきたんだろう?
それに俺は、書き直したか?

この副会長が今回辞めたいといっているやつだ。
同じようなことが何度か書いてる。
そのたびに「私が悪いねん」といって泣き、みんなに慰めてもらっているらしい。

手紙は面白おかしく読んだ。
そして、若い役員に感想をメールした。

「いらんわ。この副会長」

2006年11月17日(金) 出し物決定

来年二月に行われる中学校校区主催のふれあいまつりの実行委員会が開催された。
実行委員会のメンバーは中学校の会長、小学校の会長、校区子ども会の会長、自治会連合会の会長、地域コーディネーターの会長などなど。

今日は各団体の出し物を決定する日だ。
と言ってもすでに各団体の出し物は事前に連絡されていて、私の小学校の大人の部の出し物だけが決まっていなかった。
今週月曜日の日記にも書いたが、心当たりのある人にメールで相談していたところ、二つ返事でOKをもらった。

その相手は舞台活動をしている方で、有名な劇団の子どもたちにも演技指導をされており、同じ町内で役員を務めていただいている。
私と意見も良く会い、私のことも高く評価していただいている。
ただ、最初からこのように話ができる人だったわけではない。

最初にこの人と話をしたのは今年の3月。
今年度の子ども会の班長さんなど各種役員を選出するために前年度の役員たちが東奔西走していたときだ。
どうしてもひとつだけ役員が決まらない。
例年のルールから言えば、役員を引き受けてもらう人の目星はついていたのだが、今までの活動振りから言って、とても協力してもらえそうにない。
引き受けてもらうことも難しいだろうと役員たちは困り果てていた。

そこで、子ども会会長である私の出番となり、その役員を引き受けてもらうべく、ある人のところへお邪魔した。
しかしその日は、生憎、役をお願いしたい奥さんの体調が不良だと言うことで、お会いすることができなかった。
その次に行った時は留守だと言われた。

「三顧の礼」ではないが、三度目に訪問したとき、ご主人が出てこられた。
少々強面(こわもて)のご主人であった。

今までいろいろと役のお願いをしていたが、すべて断られていたこと。
子どもが6年生なので子ども会の活動もこれが最後だと言うこと。
学校からも選出を依頼されている重要な役目であること。

必ず引き受けてもらうつもりだったので、少し強い口調であった。
しばらく沈黙するご主人であったが、やがて「わかりました」と返事をしてくれた。
これが冒頭の方である。

最初は正直心配していた。
委員会の会議に出席してくれるだろうか、活動はしてくれるだろうか。
ところがそんな心配は無用だった。
ある日、その人が務める委員会に出席した。
すると、意見は活発だし、活動報告の内容も充実している。
実際、行動力もあるし、説明もうまく、そのため説得力がある。
どうしてこんな人が今まで子ども会や学校に協力してくれなかったのか不思議であった。
いや、単に我々の見るポイントが違っていただけで、この人なりに協力してくれていたのかもしれない。

そこで今回の出し物の件もこの人にお願いしたのである。
二つ返事の上に、こちらからお願いする無理難題についてもすべて飲み込んでいただけた。

この人との交流はこれからも多くなるだろう。

2006年11月18日(土) 昼と夜の会議

今日は午前中に小学校の実行委員会に出席し、、午後から青少年非行防止市民決起大会へ来賓としての出席、そして校区子ども会の会議に出席した。
久しぶりに忙しい日だった。

実行委員会はいつものとおりの各委員会報告、学校行事報告などなどで変わりないものであった。
ただひとつ「辞めたい」と言った副会長が出席していなかったことがいつもと違っていた。
でも誰もそのことに触れないのが面白い。
私も会えて話を振らない。
もう少し、みんなで悩んでもらうことにする。

昼から出席したのは「青少年非行防止」と言うだけあって、市長はじめ、お偉いさん方が多く出席していた。
こういう決起大会というのはどこでもそうだが、ほとんど中身がない。
別に批判するわけではないが、何かを話し合うとか、多数決で何かを決めると言うことをするわけではない。

最初に開会宣言があって、来賓の祝辞があり、合奏などのイベントがあり、記念講演がある。
肝心の中身と言うのは「宣言書」を読み上げるだけである。
要するに今回は「青少年非行防止」の大会であるので宣言内容がそのようになっているだけであり、これが「差別防止」や「喫煙防止」などになれば宣言書の中身が変わるだけであり、イベントや記念講演などは別にその大会の特色があるわけではない。
まして来賓の祝辞など、名称を変更さえすればどこでだって使えるものだ。

だからこそ退屈しないようにと、イベントに趣向を凝らすことが多いようで、イベント自体は結構楽しめるのだ。
今回は府警のドリル演奏だった。



こんな大会でも、胸に赤い花をかたどったリボンをつけられ、来賓席に座らされるのである。
世間の会長ってみんなこんなことをしているんだろうか。
もっとやるべき活動があるだろうに。

その点、夜の子ども会の会議は面白い。
会長たちが集まって子どものために何をするか話し合う。
とても充実しているし、やっていて楽しい。
その日は校区子供会の役員たちと飲みに行った。
みんなとっくに小学生の子どもなどいない年齢なのに、それでも毎回、子どもたちの話になると盛り上がる。

私のやるべきことはやはりここにあるような気がする。

2006年11月19日(日) 願いはいつも

昨日の夜から降り始めた雨は、朝になってもやむ気配がなく、私の布団から這い出す気力を奪い去っていく。
日曜日は例え仕事があっても特別な日だ。
だから天気がいいとそれだけでうれしくなる。
反面、雨だとわかったとたんに、その日一日、やる気がなくなってしまう。

今日は次女の七五三参りだ。
この色はイヤだ、と前日まで駄々をこね、膨れっ面をしていた次女も、結局はその着物に袖を通すことになった。
ところが実際に着てみて、髪を結ってもらい、鏡を見たとたんに不平不満はどこへやら。
人に見せたくてしょうがない様子で、気もそぞろである。
まあそれが次女の次女たる所以(ゆえん)でもある。

昼過ぎ、あがりそうにもない雨だがそれでも少し小降りになった隙を突いて、近所の神社へお参りに行くことにした。

自分用の小さな傘を差して先に外に出た次女は私と嫁さんが玄関先で身支度している間に、一人で神社のほうへ歩き出していた。
着慣れない着物に足袋とぞうりを履かされているのでとても小またに歩いている。
大人の女性なら色気もあるのだろうが、小学校一年生のそれはただただ面白く、可愛らしいだけだった。

歩いて3分ほどのところにある神社は大きくはないが、それでも町内だけでなく、隣町から訪れる参拝者も多い。
夏にはセミを取りに来たし、夜店も立ち並んだ。
秋にはだんじり祭りもある。
鳥居をくぐって雨にぬれた砂利をズリッズリッと踏みしめ、本殿へ向かう。
いつもなら賽銭箱にある鈴をガラガラと鳴らしたい衝動を抑えきれず、思わず走り出してしまう次女だが、今日は違う。
前に回ってカメラを向けると顔を隠してしまった。
いつもならあかんべーをするのにそれさえもいつもと違う。

受付を済まし、神主に促されて本殿に入り、お祓い受けて祈祷を捧げた。
次女だけが前列に座り、私と嫁さんは後列に並んで座る。
椅子に腰掛けた次女の足も、今日だけはぶらぶらさせていない。
巫女さんの鳴らす鈴(「神楽鈴(かぐらすず)」というらしい)がガラガラと必要以上に大きな音を立てていたように感じ、少し口元が緩んでしまった。

祈祷が終わり、本殿を出ると絵馬を描いた。
「これ何?」と聞く次女に「お願い事を書くんやで」と教えてやると、ペンを執って書き始めた。



何を書いたのかと覗き見る嫁さんが笑っている。
子どもの願い事を笑うものじゃないと思いながら、覗き込んだ私も笑ってしまった。

絵馬をぶら下げて家路についた。
歩きながら考えた。
あの絵馬はきっと誰かが見るだろう。
そして思わず笑ってしまうに違いない。
あまりに難しい願い事なので神様もさぞかし困ると思う。
でも、お前ならかなえられるかもしれないぞ、どんな風になるんだろうか、と嫁さんと同じ傘に入って楽しそうに話をしている次女を見て、そんなありえないことも想像したりした。

「まじょになれますように」

2006年11月20日(月) クラスJ

クラスJというやつに乗ってみた。

飛行機に限らず新幹線でも、いや、映画館などのホールでもそうだが、横に連なった座席の肘(ひじ)掛は隣に座っている人と遠慮しあいながら使うことになることが多い。
あまりに堂々と使うわけにも行かず、肘がぶつかろうものなら気まずい雰囲気にもなる。
かといって独り占めされたらこの上なく気分が悪い。
なんとなく、肘掛の前の部分と後ろの部分を、いつの間にかうまく住み分けているかのように使うことになる。

で、会議で疲れた帰りの便ぐらいは遠慮せずに肘掛に肘を置ける座席に座りたくなった。
そこでJALの「クラスJ」にした。
料金は普通席よりも1,000円高いが、これはお勧めだと思った。

まず、問題の肘掛だが、普通席の二倍の大きさがあり遠慮せずに肘が置ける。
それから前の座席との間隔も若干広い。
普通席はテーブルが前の座席についているため、飲み物をテーブルに置いているときに、いきなりリクライニングされてこぼしそうになったこともあったが、クラスJでは肘掛の中から出てくるのでその心配もない。
細かいところではイヤホンや毛布が少し上質だ。
あ、もっと細かいところでは飲み物をサービスするときに普通席なら「お飲み物はいかがですか?」と聞くだけだが、クラスJだと「本日はクラスJをご利用いただきありがとうございます」という前置きが入る。
そして大きなメリットとして「出入り口に近い」というのがある。
飛行機を降りるときに後方の座席だとかなりの時間待たされることになる。
特に大阪東京間を飛ぶボーイングの777などは全長も長く座席数も多いので、最後尾と出入り口付近とでは10分近くの時間差があるように思う。

たかだか40分程度のフライトにプラス1,000円は高いかもしれないが、このクラスJは人気が高く、かなり前から予約しておかないと、確保できないことが多い。
そうなると余計に乗りたくなるから不思議だ。

2006年11月21日(火) 必ずやる三つのこと

いくら遅く帰宅しても変わらずやり続けているものがいくつかある。

まずはパソコンでメールチェック。
ノートパソコンを開いて私宛のメールをチェックする。
学校関連のメールは携帯電話に転送するようにしてあるので、改めてチェックするまでもないのだが、外出先で返信できなかったものを返信したり、下手な文章のメールで意味のわからなかったものも、落ち着いて読み直すことで意味がわかったりする。
それに、一日一回、役員みんなに一言メールを送っている。
これでも一応、コミュニケーションを図ろうと努力しているのだ。

次に酒を飲む。
一番多いのはビール。
いや、正確に言うと「第三のビール」も結構飲む。
ビールはうまい。
うまいから飲んでしまう。
饒舌になり、また別の酒を求めてしまう。
そしてさらに酔ってしまう。
さすがにこれを毎日繰り返していたら、終電帰りの身体が持つはずもない。
だから、「ビール」を飲むのは仕事の節目だけ。
自分への褒美としてビールを飲む。
それ以外は「第三のビール」だ。
明日も頑張るぞ、と「第三のビール」で景気をつける。
それ以外にメールを書きながらバーボンを飲む。
寝る直前、部屋を暗くしてから一人、横になって飲むことも多い。

そしてこれこそが必ずやること。
嫁さんとの会話。
結婚以来ほぼ毎日、それこそけんかをしているときや病気で寝ているとき以外、必ず会話をする。
その日の出来事を互いに話す。
子どもがどうだったか、仕事がどうだったか、近所のおばさんの愚痴、お客さんの愚痴、茶飲み友達との楽しい時間のこと、気の合う人たちと酒を飲みに行ったこと。
間違いなく、私たち夫婦が自他共に認める中のよい夫婦である理由のひとつだ。
(これは理由のひとつに過ぎない)
お互いに自分のパソコンに向いたままの時だってちゃんと会話をするし、笑いもある。
たまには一緒に酒を飲みながら話をするときもある。

どんなに疲れて夜遅く帰ろうとも、次の朝、ちゃんと仕事に出かけられるのはこのときの嫁さんの笑顔があるからだ。

2006年11月22日(水) 忙しい理由

今日も終電である。
なぜこんなに忙しいのか考えた。

コンピュータの仕事は分業でやることが多い。
ネットワークの担当者、データベースの担当者、プログラムの担当者、マネージャとしての統括者、などなど。

一昔前、汎用機全盛の時代、SE(システムエンジニア)と呼ばれる技術者は汎用機のすべてを知っていて当たり前だった。
ネットワークの知識だけあっても、データベースの知識がなければSE失格だった。
テクニカルに長けていてもユーザと会話ができないようではSE失格だった。
ユーザからはそれを期待されたし、それに応えようとしてSEは勉強をした。
コンピュータのことはSEに聞けば万事解決だった。

ところがパソコンが広まり、サーバが当たり前になり、環境は一変した。
「オープンな環境」と言われるものが広がるにつれ、コンピュータ技術者の分業化は益々顕著になった。
ネットワークの技術者は、データベースを知らなくても恥ずかしくないし、マニアックな「オタク」と呼ばれる技術者は、むしろユーザと会話のできないことが当たり前となった。

私は汎用機で育ったSEだ。
ユーザに「知らない」というのは恥ずかしいことである。
「私はネットワーク専門なのでデータベースのことはわかりません」と答えるのが当たり前の今の状況において、私はそれが許されない。

今、一緒にプロジェクトを進めているメンバはプログラマではなく技術者だ。
私と同じようにコンピュータを使用するために必要な技術を提供する技術者だ。
しかし、彼らは口をそろえて、いとも簡単に言う。

「あ、それは知らないです」とか「それはスキルマップの選定が誤っています」

Windowsの技術者はネットワークを知らない、とそれが当たり前であり、まったく恥ずかしくないことであるかのように言う。
ネットワークの技術者はUNIXを知らない、と平気で言う。
UNIXの担当者はデータベースを知らない、と当然のように言う。
データベース担当者はWindowsを知らない・・・。
いずれも恥ずかしいことだろう。

私なら、知らないとは答えない。
知らないと答えてしまえばそれまでだ。
「今はわからないが調べて返答する」と答える。
そして調べ、そして答える。
それが万全の答えでないにしても、ユーザが質問した甲斐があると思うだけの答えは返す。

私が忙しいのはそこにある。

2006年11月23日(木) 勤労感謝の日

勤労感謝の日である。
「勤労をたっとび、生産を祝い、国民互いに感謝しあう」祝日だそうだ。

「勤労を尊(たっと)ぶ」とはどういうことか。
勤労は美しい、勤労することはすばらしい、ということか。
勤労できることはいいことであり、勤労できることに感謝するのがこの日だろうか。
であれば、もう、げっぷが出るくらい感謝しているぞ。
感謝しまくり之助だ。誰だそれ。

「生産を祝う」ともある。
「生産を喜ぶ」ぐらいならわかるが、そんなことでいちいちお祝いしていたら、そこらへんの工場は年がら年中、ドンチャン騒ぎなんじゃないだろうか。
「豊作を祝う」なら晩秋のこの季節にも合ったろうに。

「国民互いに感謝しあう」というがどうなんだろうか。
関西の人が良く口にする会話は、働き者であることや働いていることを賞賛する言葉が良く挨拶で使われる。

「せやけどあんたはよう働きまんなー」
「いやー貧乏暇なしですわ」
というのは勤労感謝の表れじゃないだろうか。
「儲かりまっか?」
「ぼちぼちでんなぁ」
も勤労を感謝しているように聞こえなくもない。

・・・。
うん。ちょっと無理があるな。

この勤労感謝の日、調べてみたら戦後できたもので復興の時代に作られたからこそ、このような内容になっているのだろうと納得できた。

ま、私は今日も終電に乗り、勤労できるありがたさを全身で感じていた。
ふう。疲れた。

2006年11月24日(金) 居酒屋で乾杯

日記が追いつかない。
もう、一週間遅れで書いている。
この日記もすでに12月に入り、当日を思い起こしながら書いているのだ。
えーとこの日は・・・。
あ、そうそう。

久しぶりに嫁さんと飲みに行った。
日記が遅れているのはめちゃくちゃ忙しく、終電で帰ってくる(このフレーズも何度書いたことか)ので家に帰ればほとんど寝るだけの生活になり、昼間も日記を書く時間がないからだ。
でも、今日は久しぶりに早く帰ってきた。
時刻はまだ23時過ぎ。
いつもより2時間近く早い。
それに仕事も一区切りついたので「ちょっとだけ飲みに行こう」と、嫁さんと近所の居酒屋へ行った。

明日の土曜日は夕方から高校の会議があるだけで、午前中はゆっくりしていられる。
長男に留守を任せて早速二人で最近できた居酒屋へそそくさと出かけていった。

駅の反対側にある居酒屋はもともとコンビニのあった場所。
このあたりはコンビニの激戦区で、駅の中、駅前、駅の反対側、そして駅前商店街にあり、ここがひとつ取り壊しになってもなんら不自由しない。

居酒屋の店内には若い声が響いていた。
このあたりはそれほど人の多いところでもないし、深夜であったにもかかわらず、結構混雑していた。
中年のおばさんたちの集まりも多かった。

一番奥の座敷に通された。
タバコのヤニで汚れて汚い壁だと思ったが、最近できたばかりだというからこれはきっとそういう色の壁なんだろうし、そういう照明のせいなんだろうと判断した。
座敷に座ると嫁さんが「ここ前にみんな座った席や」といった。

嫁さんは時々、友達と飲みに出かける。
と言っても、例え私が相手でも、嫁さんから「飲みに行こう」と誘うことはなく、友達と飲みに行くほとんどの場合が友達のうさ晴らしのお付き合いだ。
嫁さんは類稀な聞き上手だと思う。
だからみな、嫁さんを飲みに誘うのだ。

いつものとおり生中を注文するが、いつものとおり嫁さんはまだメニューを広げて何を注文するか悩んでいる。
「居酒屋に来たときぐらい、すぐに注文しろよ」と言ってやると少し膨れっ面をして「だってー」と答える。
仕方がないので「生中二つ」と勝手に注文する。
「えー?!そんな飲まれへんで生中なんか」と嫁さんが言うので「乾杯だけしたらええねん。後は飲んだるから。その間に早く決め」と答える。

ビールで乾杯していつものように会話を始める。
仕事を忘れられるひと時だ。

2006年11月25日(土) ブロック大会と後援会と

大阪府内にはいくつかの府立高校のブロックがあり、私が副会長を務める高校もそのブロックのひとつに属している。
そのブロック大会が開催された。

ブロック大会と言っても小中学校と違って高校は「余裕」というか「ゆとり」を感じる。
小学校の役員たちはあまり経験がないためか、結構、いっぱいいいっぱいな人が多い。
挨拶をするにしても、型どおりのお決まりのことしか言わないし、紙に書かれたとおりのことしかしゃべらないし、さらに噛む。
来賓もこれまた豪勢だ。
市の大会であれば市長、県の大会なら知事が招かれる。
教育委員会も教育長が顔を出す。

でも、高校は同じ公立高校と言っても、地域は広い。
このブロックに参加したのは20校6市に渡っている。
市長を呼んでいたら大変だし、知事を呼ぶほどでもない。
教育長も高校は管轄外だ。
なので、大学の講師を招いて講演を行う程度であり、後は親睦会と各校のPTA紹介を行う程度でとても気が楽だ。

親睦会の合間にPTAの紹介が行われる。
PTAの紹介では一校ずつ壇上で挨拶をする。
親睦会でアルコールが入っているだけに後半の高校のPTAなどかなりハイテンションで面白い。
中には文化祭で披露するつもりだったのに、子どもの反対にあってとうとう披露できなかった、ピンクレディーのUFOを是非披露させてほしいという、強烈なPTAもいた。
衣装持参で壇上で踊りまくり、拍手喝采を浴びた。



この親睦会のとき、お互いに顔を見合わせて驚いた人がいた。
小学校の会長会で顔を合わせている人が、その場にいたのだ。
その人は別の高校で会長を務めていた。
それまでほとんど会話のない二人であったがその場で一気に仲がよくなった。
「若いのに良く頑張ってらっしゃる」とお褒めの言葉もいただいた。

そしてほろ酔い気分で駅に戻ると、私の高校の会長が誰かに電話している。
もう相手はわかっている。
しばらくするとその携帯電話を私に渡した。

「もしもし○○(私)です」
というと
「○○! 今、飲んでるねん。くるかー!」
いつもの高校の後援会の女性である。
おそらく旧友以外で唯一私を呼び捨てにする人だ。

「ははは。もちろん行きますよ。場所どこですか?はいはい。わかりました。じゃあとで」
今度は嫁さんに電話する。
「××(先の女性)さんに誘われたから行ってくるわ」
「ははは。しゃーないなー。行っといでー」

高校は役員を辞めても後援会で続けたい。

2006年11月26日(日) 一緒に馬鹿になれる

背水の陣である。
負けどころか引き分けすら認められない。
勝つしかない。
そんなところまで追い詰められている。

いや、私ではなく贔屓のサッカーチームだ。
今日はホームの最終戦。
迎え撃つ敵はJ2降格圏をうろうろしている格下チーム。
しかし、相手も必死。
何しろこの試合を落とすと、屈辱のJ2降格が確定するからだ。

今日は昼からの試合だがあいにくの雨。
レプリカユニフォームを着て、スタジアムに乗り込み、いつもの熱血会長と合流する。
そして、かのゴール裏、「熱き青の力」の源たる聖地へ。

熱い。
なんたってここは熱い。
体は雨で凍えているが、心は熱く燃えている。
スキンヘッドのリーダーが叫ぶ。

「えー、今、チームはどういう状態かわかってますよねえ」
「オーッ」

「今日は勝つしかないってこと知ってるよねー」
「オーッ」

「そうすると俺たちにできることは何かわかってるよなー」
「オーッ」

「眠たい声を出してるやつはいてないよなーっ」
「オオーッ」

「じゃあ、本気出して応援するよなーっ!」
「オオーッ!!」

「気合入れていこーぜ! なあっ!!」
「オオーーッ!」

あっという間にひとつになる。
それからずっと、凍える冷たい雨の中、みんなで声を限りに応援する。

私も最初のころは声が出にくかったが、後半開始ごろには絶好調になり、天に向かって力の限り応援の声を投げていた。

先制したのもつかの間、前半終了間際に追いつかれる。
最もやってはいけない展開だ。
後半も1点ずつ取り合った。

次第に雨は強くなるが傘なんてささない。
コートなんて着ない。
そしてもちろん座りもしない。
ずーっとずーっと応援歌を歌い、手拍子をたたく。
かなりの運動で40過ぎの体には正直言ってきつい。

後半ロスタイム。
2−2の同点。

打ち続けていたた手拍子に手は腫れ上がり、頭の上に手を上げているため肩に痛みが走り、寒い中たち続けているのでふくらはぎや土踏まずは痙攣を起こし、そして選手に届けとばかりに張り上げた声は枯れ、それでもみんな祈るように応援を続けた。

そしてその瞬間がやってきた。
FWのハットトリックが相手ゴールに決まった。

もう、悲鳴なのか歓声なのかわからない、地鳴りのような声が沸きあがる。
天を仰ぎ、腹の底から声を振り絞り、両手は握りこぶしを固める。
だれかれかまわず抱き合って肩をたたきあい、喜びを分かち合う。
スキンヘッドで強面のリーダーは顔をくしゃくしゃにして泣いていた。
私の前で応援していた熱血会長も泣き顔で振り向き私に抱きついてきた。
今日出会ったばかりの名も知らぬ隣人と抱き合って、肩を叩き合って、空を見上げて歓喜の声を上げた。

そしてすぐに勝利を告げる終了の笛が鳴った。

スコアボードには確かに勝利の文字が。
大画面には勝利を呼び込んだ最後のゴールがスローモーションで再生される。
それを見て再び喜びをかみ締める。

落ち着きを取り戻したリーダーがみんなに挨拶する。
「えー。今日も偉そうなことを言ってすみませんでした。皆さんの応援のおかげで勝つことができました。今年最後のホームゲーム、大事なこの試合、勝つことができて本当にうれしいです。ほんま、みんな、ありがとう。そして来週、埼玉(決勝戦開催の地)に行ける人も行けない人もいると思いますが、僕たちが行けない人の魂も一緒に預かって行きますんで、たとえどこにいても、応援してください。そして僕はその勝利の瞬間をしっかりと見届けてきます。またみんなで一緒に応援しましょう。」

大人になれば熱中するということがことごとくなくなる。
でも、ここにくれば一緒に馬鹿みたいに、でも誰に遠慮することもなく力いっぱい熱中できる。

来年もまた、この聖地で応援することを誓って、雨のスタジアムを後にした。

2006年11月27日(月) 馬鹿中年

かなり前から飲みに行く約束をしていたので、この日に合わせて仕事をスケジューリングし、なかなか厳しい状況の中、時間をやりくりして機会を設けた。

なのに。
ドタキャンである。
土壇場でキャンセルである。
土壇場というのは首切り台のことだから、そんなところでキャンセルというのはものすごいことである。
今まさに、首がーっ!・・・やーめた。
なのである。
おしっこちびってもおかしくない。

でも、まあ相手は若い女性。
こっちは中年男二人。
警戒されても仕方ない。
気が乗らなくてキャンセルしてしまったのかもしれないが、こっちはそんなことでへこたれない、パワフルな中年であり、百戦錬磨の兵(つわもの)である。
訂正。百戦もしていない。
十分想定の範囲内だったし、実際、約束の時間が近づくにつれ、中年男たちは疑い始めた。
互いに連絡を取る。

「どう?そろそろ帰れそう?」
「帰りにくいけど、問題は、ない」
「それより彼女は? 今日は風邪で休み、なんて、オチはないやろな」
「さーそこや。私は、このまますんなり飲み会へ、っていうのは、ちょっと信じにくい」
「同じく。ほんまにこれで飲み会になるんやろうか」

で、彼女にメールで確認すると、しばらくして返事が来た。

「昨日から奥歯の歯痛がひどくなって本当は早退して医者に行こうかとおもったんです」
いやな予感である。
続きを読む。

「痛み止めでどうにか耐えてたのですが、ちょっと時間が経つにつれてどんどん痛くなるので、やはり本日業務終了後に医者にかかろうかと思ってます。今日は参加できそうにないです(>_<)」

もう、予想的中しまくりでむしろうれしいぐらいの、心地よい断られっぷりである。

それでもまた誘おうと、心に決め、今日は中年男だけでビールとホッケを食べた。
馬鹿中年二人である。

2006年11月28日(火) 一喜一憂

期末試験の季節である。
この試験の季節になると一喜一憂する。

一喜。
長女である。
こいつは努力家なのか、まじめなのか、要領が悪いのか、とにかく授業態度はまじめだし、勉強にも真剣に取り組んでいる。
それが試験の結果にも現れるのは当然で、点数も申し分ない。
まあ、満点ではないがそれを言ったらきりがない。

できる友達に負けるのが悔しくて一所懸命がんばっているらしい。
確かにできるライバルがいるということは自分を成長させるのにもってこいの環境といえよう。
「もう、あいつにだけは負けたくないねん!」と口癖のように言うが、心なしかいつも顔が笑っているような気がする。

ある日「理科あかんわー」と言った。
試験ができなかったのかと心配して聞いてみると「簡単やから、時間が余りすぎたわ。時間余っても寝ることもでけへんし。あかんわ、あんなん」だと。

そして、一憂。
長男である。
こいつは不真面目なのか、要領が悪いのは長女と同じだが、とにかく授業態度もほめられたものではなく、自宅でも勉強はほとんどしない。
それが試験の結果にも現れるのは当然で、点数は申し訳ない。
まあ、零点ではないがそれをとったら家に入れない。

できる友達はいるはずなのに、負けることが悔しくないらしい。
確かにできすぎるライバルだと自分に限界を感じてしまい、努力することをやめてしまうこともあるだろう。
「もう、あついときはやる気ないねん!」と口癖のように言うが、寒いときでもやる気はない。

ある日「社会あかんわー」と言った。
試験ができなかったのだろうと聞いてみると「簡単なところ間違えすぎたわ。時間なくて最後まででけへんし。あかんわ、あんなん」だと。

まあ、一喜一憂。
長男長女、逆のところもたくさんあるのだから、試験ぐらいはかまわないか。

って、かまうぞ!長男!

2006年11月29日(水) 10時で早い

夜の10時過ぎに帰宅する。

「あ。おかえりなさーい。早かったねー」
嫁さんが出迎える。

しかしまあ、夜の10時を過ぎた時間に帰ってきて早いとは。
確かにそうだなと妙に納得するから我ながら驚きだ。

寝る準備をしている次女が喜んで飛びついてくる。
数ヶ月前までは当たり前の光景だったのに、とても久しぶりのことだ。
10時を過ぎると眠くなってしまう長女とはろくに話をしていない。
普通の家庭ならここで一気に長女と口を利かなくなってしまうところだろうが、我が家の父娘はとても仲がいいのでこれぐらいではどうってこともない。

とはいえ、アイスクリームを買って帰っても一番喜ぶはずの長女が寝ていては、悲しい気持ちになる。
かといって起きて待っていろとはいえない。
そんなことを言えばきっと起きて帰りを待っているだろう。

朝は忙しくて会話どころではないし、私がまだ布団の中でもぞもぞしている時間帯に子供たちは学校へ行ってしまうので、ほとんど顔を合わせることもない。

だめだ。
さすがにこれはピンチだ。
ちょっと休憩しないと。

2006年11月30日(木) あー残業代

終電三昧のこの一ヶ月。
10時に帰ると「早いねー」と言われたこの一ヶ月。
今日はその11月最後の日。
最後の日らしくしっかり終電。

この一ヶ月の作業時間を記録していたので集計してみた。
270時間。

驚きの数字だ。
祝日が2回あるこの月なら、通常は20日間の仕事。
1日8時間労働だとして160時間だ。
それが110時間も多い。

1日平均で換算すると13.5時間。
労働時間がこれだ。
昼間と夜間の休憩時間を入れると15.5時間。

つまり、8:30から仕事を始めて夜中の12時に終わる仕事を毎日、やっていたのと同じだ。
これはすごいな。
残業手当がもらえたら、うれしくてしょうがないだろう。
きっと毎月の給料の倍ぐらいはあるはずだ。

しかし今は金額固定で請負契約している個人事業主。
300時間働こうが100時間しか働かなかろうが、同じ金額。

うーん。
時間給に換算すると・・・うわ。
ひどい数字になってしまった。

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