カリント日記

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2006年12月1日(金) ドタキャンその2

市PTA協議会では特に忘年会をやらないが、有志だけでちょっと小旅行に出かけ、そこで忘年会をしようと言うことになった。
最初は行く予定でなかった私も、先日の高校のブロック大会で他校の高校の会長をやっている小学校の会長(ややこしい。要するに私と同じように、高校と小学校の役員を兼任しているのだ。私は小学校の会長と高校の副会長、その人は両方とも会長だ。)から、「是非、一緒に行きましょうや」と誘いを受けたので、行くことにした。

出発日は明日。
車、二台に分乗していくことになり、何時にどこで拾ってもらうか、などなどいろいろな段取りを教えてもらい準備万端だった。

ところが、今日。
一緒に仕事をしているメンバから「実はこのテストがまだなんです」と報告を受けた。
ユーザに約束している項目であり、今週中にぜひとも消化していなければならないテストである。
なのにそれを言われたのは金曜日の夜の9時。
テストには4時間以上かかる。
ユーザに交渉したが「明日にしてくれ」と言われてしまった。

なんてことだ。
でも、深いため息を一回つき終わるころにはすぐに旅行キャンセルのメールを送っていた。
土壇場でキャンセルである。ドタキャンである。
土壇場というのは首切り台のことだか・・・。
またおしっこをちびってしまった。
いや、きっとメールを受け取った人がちびったに違いない。

あーあ。
キャンセル料、高いだろうなあ。

2006年12月2日(土) データーベース壊れる

「本当なら今頃は他人の運転する車の中でのんびりビールでも飲みながら談笑していただろうに」と思いつつ、パソコンの前でテスト項目の消化を確認している。

どこの町でもそうだろうが自分の町と何らかの共通点はあるものの、どちらかといえば似ていないところのほうが多いところと姉妹提携している市町村があるはずだ。
私の町も何が共通点なのかは知らないが隣接県の山奥に姉妹都市があり、そこには私の町の市民が格安で宿泊できる施設がある。

市PTA協議会らしくそこを利用してこじんまりとした慰労会を行うことにしたのだ。
もちろん各自、実費負担である。
忘年会代わりに飲みに行くにしては少々お高い感じがしたのか、参加者は少なめだった。
でも私は、だからこそ、日ごろはあまり話しをしない人たちと親密になるいい機会だと思って楽しみにしていた。

パソコンの画面を眺めながらテスト項目をカウントダウンする。
テストは順調に消化されている。

ところが最後の最後、確認テストでとんでもない事態が起きた。
システムが停止してしまうのだ。
データベースシステムに何か障害が発生しているようだ。
障害の内容を見てみると製品自体の問題であるようにも思える。
バックアップから復旧してもしばらくは動き続けるシステムが数分後に停止してしまう。
となるとバックアップを採取した時点ですでに問題が発生していたのかもしれない。
これは致命的だ。
なぜなら完全に動作する環境がどこにもないのだから。

なんてことだ。
最後の最後で。

ユーザに説明をする。
「データベースに問題があり、正常に動作しない。バックアップから復旧しても戻らない。どこかに障害があるのだがそれを取り除く方法を調べるには時間がかかる。データだけは抜き出すことができるので月曜日にデータベース環境を再構築させてほしい」
ユーザも仕方がないという素振りで承諾してくれた。

こういうときに「悔しい」と思う。
自分にもっと技術があれば対応できるのに、と。
そして自分に問う。
「そう思うなら今から何をする?」

後片付けを済ませてユーザを引き上げる。
私以外のメンバは自宅に戻ったようだが、私はそのまま事務所に行き、月曜日以降の作業がスムーズに行えるように準備に取り掛かった。
テストメンバーの中に私より技術力のある人間はいない。
私がリーダーという立場だけで仕事ができない以上、さらに自分の技術を向上させるしかない。
結局深夜3時ごろまでパソコンに向かって勉強と実践を繰り返し、自信と確証を得てから帰路に着いた。

2006年12月3日(日) クイズ番組

昨日の夜中にすべて出し尽くし、精根尽き果てたのか、泥のように眠る。
昼ごろに布団を這い出し、適当に食事を取る。

そういえば昨日はJ1の決勝戦。
逐一メールで連絡が入るので結果はもちろん知っていた。
だからスポーツ番組は見てない。
新聞も読まない。
ただただ、バラエティー番組を探し、テレビをザッピングする。
お笑い芸人が出場しているクイズ番組を見つけてリモコンを置いた。

最近のクイズ番組はバラエティ色が強く、昔のクイズ番組のように視聴者が参加してその人の知識を問うものは少なくなってきた。
以前の形式のまま、いまだに残っているのはパネルの色で陣取りを行うクイズ番組ぐらいであろうか。

それ以外は、お笑い芸人とアイドルが主な回答者である。
お笑い芸人はあほなことをするのが仕事であり、あまり知的であってもよくない。
無論、知的どころか世間で言う超一流の学校へ通うようなものすごい芸人もいるが、それはそれで、知性を売り物にしているので頭のいいことがマイナスにはならない。
しかし、彼らのような知性のあるお笑い芸人ばかりでは誰も見なくなる。

アイドルも同じである。
知性を売り物にしているものもいるが、どことなく抜けている、あるいはしゃべり方が赤ちゃん言葉である、あるいは料理がちょーまずい、あるいは見た目が馬鹿、それがアイドルらしいというものだ。

だから彼らが主たる回答者となっているクイズ番組は単純にクイズを解いて楽しむというものではなく、視聴者に何らかの優越感を与えることが目的なのだろう。
「なんだこいつら。こんなことも知らないの?馬鹿じゃない?あははは」という具合である。

昔はわざとそのようにやっていた芸人やアイドルも多かったが、最近は本気でお間抜けな芸人やアイドルも多い。
いや、芸人はそれほどでもないが、そういうアイドルは増えたか?
あまりに自分ができないので泣き出すものもいるほどだ。

それを見ている視聴者のレベルが下がったのだろうが、昔のような知識力で戦うクイズ番組をもっと増やしてほしいと思う。

2006年12月4日(月) ハッタリと努力と

先日ぶっ壊れたデータベースの復旧作業である。
実は何を隠そう、サーバのデータベース復旧作業は未経験である。

汎用機で培われた経験と知識があるから大体の流れはわかるものの細かな手順など昨日初めて知ったようなものである。
というかサーバのデータベースを触るようになってまだ一ヶ月もたっていない。
それがいきなりお客さんの本番データベースの復旧である。

恐ろしくてユーザに本当のことは言えない。
ユーザは完全に私をデータベースの経験者であってそこそこ場数を踏んだ技術者だと思っている。

私が場数を踏んでいるのは「技術」ではなく「ハッタリ」だ。

データベースのことユーザに説明するときも、ユーザが知っていそうな常識的なことはさっと覚える程度にして、ユーザが知りそうもない、マニアックな部分でかつ実は重要なポイントと言うところを「いかにも」と言う感じで話すのである。
毎度毎度のことである。

そうやって自分にプレッシャーをかけて、追い込んで、勉強して、技術を身に着けた。
そういう「陰の努力」も怠らない。

結局今回のトラブル対応も、ほんの一部を垣間見ただけだが、大きく目の前が開けた思いがする。

これからも「ハッタリ」と「陰の努力」を繰り返して、まだまだ成長してやる。

2006年12月5日(火) ビール飲ませれ

会社員だったころから働いていたお得意様のビルで、今も仕事をすることが多く、そのビルには知り合いも多い。
その中にとても愛嬌のいい女性がいる。

お客さんに電話をすると時々その女性が電話にでる。
少し甘えて間延びした感じの独特の話し方が面白くて、彼女が電話に出ると妙にうれしい。

その女性といつもの野郎と三人で何度か飲みに行っているが、清算の時には格好をつけて男が多めに出す。
まあ、飲む量も男のほうが圧倒的に多いのでそれでちょうど割り勘なのかもしれない。
それでも女性のほうにしてみれば今日もご馳走になったという気になるらしく、「じゃあ、今度は私がご馳走します」というので「じゃあ、ビールを飲ましてくれ」とお願いしていた。

そして忙しさにかまけて飲みに行く機会のないまま数ヶ月が過ぎた。
ある日思い出したように私が「ビール飲ませれ」とメールを送ると、「今日は約束があるから」と断られた。
別の日に「ビール飲ませれ」とメールを送ると「今日はグループの飲み会で」と断られた。
あるときは「お習字」だったり、あるときは「友達と買い物」だったり。

私も忙しいので「ビール飲ませれ」とメールするのは月に一度あるかないか。
そのタイミングでよくもまあ、こんなに断られるものだ。
よく女性が逃げ口上に使うような内容ばかりだったが、この女性はそんなことはしない。
たぶん。

そして今日もまた、私が比較的仕事に余裕がある証拠として「ビール飲ませれ」とメールすると「いーよ」と返事が返ってきた。
いざ、OKの返事をもらうと少しあわてる。
半ば挨拶代わりとなっていたので、あわてて仕事を片付けた。

すっかり暗くなった冬のビル街。
近くのバーでビールを一杯だけご馳走になる。
仕事がなぜ忙しいのか、最近の学校行事はどうなのか、学校の先生なんてさー、というような話題を話す。
ビール一杯で30分以上も粘られてさぞかし店も迷惑だったろう。

また三人で飲みにいこうと約束をして店を後にした。

2006年12月6日(水) 会議の後に仕事

いつもは終電帰りの私でも、PTA関係の会議だけは出席している。

会議は大体、19時ごろから開催される。
みんなそれぞれに仕事を持っており、19時の会議でも遅れて参加する人や欠席する人も少なくない。
私も会社員であればそれほど融通が利くものではないだろうが、今は何とか都合がつけられる。

それでも、こなさなければならない仕事の量が減るわけでもなく、私の仕事は、そんなことしてくれなくてもいいのに、きっちりと私の帰りを待っている。
だから会議が終わってから再び仕事場に戻るのだ。

それを知らない役員たちが言う。
「会長、お仕事お忙しいようですけど、会議のある日は早く家に帰れますね」
気遣ってくれている言葉はうれしいが、現実はそうはいかない。
会議に出ている分、仕事の時間が減るのだ。

仕事場に戻って終電ぎりぎりまで仕事をする。
それがずっと日課なのだ。

今日は市のPTA会議があった。
各校の会長ばかりが集まる会議だ。
会議場所は同じ市内だが最寄り駅は自宅の駅とは違う。
いつもはその駅まで電車で行って歩いて会議場へ向かうのだが、今日はいったん自宅に戻り、車で会議場へ向かうことにした。
その後、車で仕事場に戻れば終電を気にしなくてすむからだ。

10月と11月はイベントが多くて大変だが年末になると一気に行事が減る。
だから連絡事項も少なく、あっという間に会議は終了した。

「今日はこの後、有志だけで忘年会をしようと思います」
この前の土日に忘年会の小旅行に行ったはずだが、忘年会は何度やってもいい。
「参加される方は挙手をお願いします」

私は仕事に戻るつもりで車に乗ってきた。
当然のことながら忘年会には参加できない。
私が手を上げずにいると市PTA協議会の副会長が私をみて叫ぶ。
「えーっ?!○○会長!(私) なんで手をあげてないの!」
「あ、いや、この後ちょっと仕事が・・」
以前、酒の席でいろいろと話をするようになってから、この副会長は何かと私を引っ張り出そうとするのだ。
この副会長も私と同様、市PTA協議会の中にいて「熱い」人間だ。

できることなら忘年会に参加してこれからのことも話をしたかった。
しかし、仕事は山ほど残っている。

会議の後、居酒屋へ向かうみんなと別れ、車に乗って仕事場に向かった。
もう数えるほどしか人が残っていない。
私は車なのでこれから数時間、仕事に打ち込むことができる。

やがて終電の時刻を過ぎ、それでも残っていた最後の一人も帰って行った。
静かなフロア。
窓の外の夜景はとても寒そうだ。
そろそろマンションの明かりも消え始める。
21時ごろの華やかな夜景とは少し違う。

深呼吸して画面に向かい、キーをたたき始めた。

2006年12月7日(木) 安眠希望

景色が少し黄ばんだ紫色に見える。
私の寝不足特有の症状だ。
昨日というか今日というか、深夜2時過ぎまで仕事をし、8時半には仕事を開始していた。

私は神経質で眠りが浅く、同じ部屋に起きている人の気配を感じると安心して眠ることができない。
おそらく青年時代にすごしたあのぼろい家のせいだと思う。
いまだに夢に出てくる我が家はこのぼろい家だ。
いつ天井から得体の知れないものが落ちてくるかもしれない、いつ床が抜けて壁が崩れ落ちてもおかしくない、いつ泥棒に侵入されても不思議ではない、そんなスリル満点の家で寝ていたのだから、熟睡などしてはいられなかったのだ。
だから少なくとも7時間は寝ないと寝た気分にならない。

世の中には4時間も寝れば十分という信じられない生活を送っている人もいる。
ガンバの熱狂的なサポーターであるあの会長もそんな人であり「気がつけば三日ぐらい寝ていないときがある」そうだ。
それで生活に支障をきたさないのであればうらやましい限りである。

いい加減、私の体や頭も慣れてくれればいいのに、いまだに6時間以下の睡眠では気分がよろしくない。
深い眠りを得るにはどうすればいいのか、いろいろと工夫をするのだがどうもうまくいかない。
といっても、一人暮らしでもなければ工夫するには限界があり、せいぜい自分自身の体質を変えるぐらいしかないのだが。

香りによって安眠を得る方法があるという。
少しそれを取り入れてみようかとも思うが、家族に「なにこのにおい!?」などといわれて、すぐにやめてしまうのは目に見えている。

2006年12月8日(金) 中学校の教頭先生

昨日の会議を終えて少し仕事が楽になった。
期限を決められた仕事をいくつか終えたからだ。

別に仕事をサボっていたから忙しいのではない。
自分で考えたスケジュールに、自分で考えていなかった仕事が舞い込んできただけだ。
多少のことならこなせるが、さすがに今回はボリュームが多い。
通常のプロジェクト丸々ひとつ、プラスされたようなものだ。

そしてその合間にあるのが今日のような役員会議。
今日は中学校の役員会議だった。
仕事を一区切りつけて学校へ向かう。

役員会議は小学校も中学校も校長室で行われる。
別にそういうルールがあるわけではないが、便宜上そうなっている。
校長室の入り口にある専用の下駄箱でスリッパに履き替えて、ドアを開け「こんばんは」と挨拶をしながら中に入る。
少し早い時間だったため一番乗りだった私は、いつもの席に着く。
教頭先生がいつものようにコーヒーをたててくれている。
小学校も中学校も教頭先生は本当によく動いてくれる。
いつも大助かりである。

「寒いですなー」
教頭先生の関西人らしいイントネーションの挨拶は温かみを感じる。
「○○(私)さんはブラックでしたかいな」
「はい。お願いします」
コーヒーのいい香りが立ち込める。

中学校の役員は全部で6人。
半分は私を含め、小学校会長の経験者。
一筋縄ではいかない連中ばかりで、なかなか気が休まらない。
その中にあってこの教頭先生の穏やかさはひときわである。

コーヒーをすすりながら、ほかの役員が来るまでのしばしの時間、世間話をしてくつろいだ。

2006年12月9日(土) 猫の首に鈴を

いつもは平日の夜から開催される小学校の役員会だが、役員の都合によって今日に変更された。
予定していた日の前日「明日は忙しいかもしれないから参加できないかもしれない。参加できないようであれば、また連絡する」といってあった。

何とか仕事に区切りをつけて学校へ向かう途中の駅でメールが届いた。
「会長お忙しいようだし、副会長も欠席なので今日は中止になりました!」
だと。
こっちはスケジュールを調整して向かっている途中だというのに、事後承諾か。

まあ、私も「行きます」とメールをしていないのであまり強くいえないのだが、いけないなら連絡するといってあるのだから、連絡がなければ参加すると思ってもらいたいし、何より中止なら事前に聞いてほしいものだ。
「副会長が休みだから」というのはいいわけである。
これより前、2回の会議を欠席しておきながら、何事もなかったかのように会議が進んだではないか。

本当のところ、私や副会長を理由に使って、いやなことを先延ばしにしたかっただけに違いない。
「いやなこと」それは「誰が猫の首に鈴をつけるか」。

副会長が2回の会議を欠席したのにはわけがある。
表向きは子どもの所属するスポーツチームの試合があるから。
しかし、本当のところは「役員を辞めたいから」である。

その「本当のところ」の理由を私は知らないことになっている。
すべては嫁さんや周りの人から話を聞いてすでに知っているのだが、それを私に報告するのは、もう一人の副会長の役目である。
まあ、本来なら本人が言うべきことではあるが。

それを一ヶ月以上も隠しているのだ。
怖い私のことだから、ばれたたらどんな叱責を受けるかわからない。
それが怖くてなんとかうまく逃げられないか考え中なのだろう。

今日の役員会議では副会長が面白いぐらいに沈んでいた。
どうやら今日、すべてを打ち明けるつもりらしい。
顔に書いてある。

役員会議、実行委員会が終わり、少し時間をとって言うチャンスを与えたが、言いそうにもない。
何かきっかけがほしいのはよくわかる。
が、知らないことになっている私は話しかけるわけには行かない。
いつもどおり「にぶい会長」でなければならない。

「じゃ、終わりですかね?それではまた来年」そういって身支度を整え、いつもの調子で校長室を出る。
最後のチャンスを与えるため、靴の履き替えにいつもの倍ぐらいの時間をとる。
なんて履きにくい靴なんだ、という芝居をしながら。

「会長・・・」
やっときた。
「はい、何ですか?」
暗い顔をしているので続きを聞いてやる。
「どうしたんですか?浮かない顔をして」
「会長、ちょっと時間いいですか・・?」
「はい。いいですよ。ここで立ち話でいいですか?それとも校長室に戻りますか?」

校長室に戻って話を始めようとするがなかなか切り出せないでいる。
先生の一人が忘年会の話をして和やかな雰囲気にする。

その場にいる私以外はすべてを知っている。
いや、正確に言うと、私は彼女たちの中の一人から内緒で委細詳細を聞いており、嫁さんからも情報を得ているので、私だけがすべてを知っている。
それなのに、一番知らないふりをして話を聞く。

ようやく副会長が口を開いた。
「あの、会長、実は○○さんのことなんですが・・」
「は?○○さんのこと?なーんや××さんが浮かない顔してるから××さんに悩み事があるのかと。で、○○さんがどうかしたんですか?」

副会長は再び黙り込んでしまった。
なんだろうかこの人は。
「どうしたんですか?」とにこやかに何も知らないふりをして問う。

「実は会長」と別の方向から野太い声が聞こえてきた。
私が忙しいという理由で今年限り特別に割り当てられた先生だ。
私が忙しいのでいろいろと役員の補助をしてくれている。らしい。

「実は会長、○○さんが、役員を辞めたいと」
「ほー。どうしてですか?」
「それがですね」

理由をなんにするのか興味あるところだった。
私がメールできつい返事をしたことだろうか、文書を差し戻したことだろうか、私の右腕となっている若い役員との軋轢だろうか。
ほかにもいろいろ浮かんできた。
何しろ弱い人だから、いくらでも思い当たるところがある。

「それがですね。会長の奥さんが」

ほー。嫁さんの話を引き合いに出すか。
さすがだな。
私が原因となれば私は反論するだろうし、一歩間違えば私が怒り出すかもしれない。
かといって若い役員のせいにすれば私がその役員を責めるかもしれない。
(実際にはそんなこともなく、ペロッと舌を出しながら叱っているだろうが)
嫁さんのせいにしておけば、私の反論もある程度防ぐことができる。
嫁さんにすべてを話すこともないだろうと考えたに違いない。

原因というのは簡単だった。
私の嫁さんが私にあまり仕事をさせるなと文句を言いにきたと。
そのとき、一番働いていたのが欠席している副会長であり、その副会長のメールが嫁さんが文句を言った引き金になっているのだと。
だからこなくなったという。

ふーん。
あほらし。
嫁さんを悪者にしておきたいのか。
しかし私もここで「事実と違うでしょ」と細かく指摘することはできなかった。
あまりに細かい話をすると、私が実はすべてを知っていたというぼろが出るかもしれないからだ。
私がすべてを知っているとすれば、そのすべてを伝えた役員は誰の目にも明らかである。
ただでさえ、副会長からにらまれている彼女に矛先を向けさせるわけには行かない。
嫁さんなら、すべてを説明すればきっとわかってくれる。
そう思ったから、私は先生の暴言をあえて聞き流した。

しかし、嫁さんが原因でないことはほかの役員も知っているはず。
嫁さんはわざわざ、文句を言いに学校へ行ったわけではない。
「仕事を減らせとは言わないけれど、今日中にお願いします、っていう仕事の頼み方はやめて」ただそれだけを伝えたのだ。
何度も誤解のないようにそう伝えたのだ。

でも、私もいい加減疲れていた。
役員といえど、結局はおばさんである。
言葉の深い意味や細かい間違いなどにはこだわらない。
今、目の前に猫の首に鈴をつけてくれる野太い声のねずみが現れたのだ。
「先生、それは少し違います」などと若いねずみが言い出そうものなら、ほかの役員ねずみに噛まれてしまうのだから。

2006年12月10日(日) 犠牲にしているもの

後になって日記を書くときは記憶を頼りに書くのだが、その記憶さえあいまいになるほど日数が経過していたり、あるいは何もなく普通の日と変わらなかったりすると、頼りになるのはメールぐらいなものである。

ところが、今日は日曜日である。
日曜日と言えば、法律で定められた休日である。
歩行者天国であり、カラオケも割高になる日である。
家族で買い物に出かけたり、動物園へ行ったりする日である。
粗大ごみ扱いされたり、一人寂しく即席ラーメンを食べたりする日である。
要するに、一週間の中でも特別な日である。

なのに。
なのに、この日何をしたのか覚えていない。
仕方なくメールを確認する。

学校関連のメールのやり取りはない。
ケータイにもメールはない。

で、恐る恐る仕事用のメールを見る。

送信 13:30 Re:DNSのRRレコード削除について
送信 15:21 課題管理表の送付
送信 16:26 Re:次回定例会について
送信 21:28 Re:構成確認お願いします

普通に仕事をしていた。
休日に仕事をしていることがまったく普通になってしまっている証拠だ。

自分でも驚きである。
どうなってるんだろうか。

社会人になるとき、最初に決めたこと、それは「日曜日は仕事をしないで家族と過ごす」だったのに。
いくつもの目標を達成し、自分なりに成功してきたと思っているのに、犠牲にしているものがあり、それを痛くも痒くもないと感じている。

子どもとの会話はめっきり減った。

2006年12月11日(月) 組織図

単位子ども会、校区子ども会、自治会、単位PTA、中学校区などなどさまざまな団体が私の周りに存在する。
日記にもいろいろ書いてきたけれど、ここらでちょっと整理してみたい。

何を基準にすればいいかを考えると、やはりまず、小学校だ。



小学校のPTAを「単位PTA」と呼ぶ。PTAと呼ばれる組織の最小単位だからだ。
この小学校に通う子どもたちが住んでいる地区にはそれぞれ自治会がある。
その地域すべてをあわせて「校区」という。
ただし、この自治会と小学校の間に上下関係というものはない。

また、各自治会にある子ども会を「単位子ども会」と呼んでいる。
しかし、子ども会を持っていない自治会もある。
以前は各地区にあったはずの子ども会がどういういきさつかは知らないがなくなってしまったようだ。
単位子ども会は自治会の会則によって定められていることが多く、自治会の傘下にあるのが単位子ども会となっているようだ。
だから子ども会は自治会に属しており、地区によって多少異なるものの、自治会との間に上下関係が生じている。

そしてこの単位子ども会がいくつか集まって「校区子ども会」を形成しているのだ。
さらにこの校区子ども会は他の小学校にもあり、その校区子ども会の集合体が「市子ども会育成連合会(通称:市子連)」である。
よく日記に登場する「校区長」とはこの校区子ども会の会長であり、私はその中の単位子ども会の会長だ。

次に、私が会長を務める小学校がピンク色の丸で囲んだ部分だとすると、それがいくつか集まってオレンジ色の中学校区(中学校でも私は役員)を形成しており、小中学校の会長が集まって青色の「市PTA協議会」となっている。



さらにこの市PTA協議会が集まって北河内、さらに大阪府、近畿、そして日本PTAと組織が拡大していく。

何かを考えるときの基準としてはやはり小学校と言うことになるのだがちょっと大きな単位なので個人の活動は見えてこない。
単位子ども会や校区子ども会が一番お互いの顔も見えるし、頑張り甲斐もある。

2006年12月12日(火) 誕生日の多い月

12月12日、1212である。
知り合いの誕生日である。
といってももう、10年以上前から年賀状をやり取りするだけの中になっている。
互いに家庭を持って離れて過ごしていると、会おうと思っても大事になる。
まして相手は二児の母だからなおさらだ。

昔は友達の誕生日をほとんど全部覚えていて、都度、電話でお祝いの言葉を述べたものだ。
極端な場合、相手が電話に出るや否や「ハッピバスデイトゥーユー」と歌い始め、歌い終わるとそのまま電話をきったりもした。
最初はいたずら電話だと思っていた相手も、歌い終わるころにはけらけら笑っていた。
そういう相手の反応が面白くてよく電話したものだ。
でも「彼氏でも忘れているのに」といわれて「しまった」と思ったこともある。

ところが年を追うに連れて忘れてしまうわけではないものの、おめでとうをいう機会を逃してしまう。
メールが普及し始めてからそれに拍車がかかったように思う。

メールは便利だが、それはアドレスを知っていればのこと。
メールアドレスを知らなければまったく使えない。
それどころか、電話をするのが返って億劫に感じてしまう。
もう、若くないと言うことなんだろうか。

12月は知り合いの誕生日が多い月だ。
果たして何人の人におめでとうを言えるだろうか。

2006年12月13日(水) 技術屋はヒーロー

以前は「知らない」ことはあっても「わからない」ことはないと思っていた。
例えば、同じ町内に住んでいる土建屋の田中さんが飼っている犬のポチが3匹の子どもを産んだが、その中で一番身体の白い子犬の名前は?などと聞かれても「知らない」し、知らなくても当然である。
しかし「わからない」と言うのはそれとは違う。
「わからない」と言うのは「理解できない」と言うことであって、それはすなわち、自分の理解力のなさを露呈させる言葉に他ならない。

「このマニュアルに書いていることがわからない」「その理論が難しくてわからない」「あなたの気持ちを推し量ることができずにわからない」。
いずれにしても自分の能力が足りないことが原因である。
それが「わからない」と言わせているのだ。
だから私は知らないことはあってもわからないことはないと思っていたし、それは恥ずかしいことではないと思っていた。

しかしいつのころだろうか、「知らない」と言う言葉にひどく抵抗を感じ始めた。
もう、かれこれ10年以上になるだろうか。

私は技術者である。
人の知らない技術を理解しており、あるいはそれを導き出す術を知っており、あるいはいかようにそれを利用すべきかを知っている。
それが技術者だと思っている。
技術者にとって「わかっている」ということはとても大事なことであるが同様に「知っている」と言うことも大事なことである。

だから、正直言えば私は「知ったかぶり」をすることも少なくない。
でもそれは大事なことだと思う。
もちろん、知ったかぶりだけで終わってはいつか信用をなくすのは目に見えている。
知ったような口を利く以上、影での努力は必要だ。

私は技術者としてそれが当たり前だと思っていたが、最近一緒に仕事をする連中ときたら、平気で「私はそれを知りません」という。
なぜにそこまで保身的な発言しかしないのだろうか。

私が幼かったころ、電気屋と言えば、技術者の鏡であった。
テレビはもちろん、洗濯機、冷蔵庫、エアコン。
どんな家電製品が調子悪かろうと「お任せください」といって数日後には直して見せた。
子どもの目にはヒーローに見えた。

今の技術者を見て、子どもはヒーローに感じるだろうか。

2006年12月14日(木) 部長の口癖

ユーザ先で忘年会があった。
ユーザ先といっても、会社員だったころから常駐して作業していたところなのでみな気心の知れた面子である。

特にこのユーザの部長とはよく飲みにいく。
個人事業主となった私に引き続き仕事を任せてくれたのはこの部長であり、仕事の話以外に私生活の話などもよくする。
また、部長から愚痴を聞かされることも少なくない。
上に立つものとしていかに部下を育てるか、いろいろ悩んでいるようだ。

この部長がよく口にする台詞は「叱ってやってくれ」である。

私は何度となくこの日記にも書いたように、常日頃から向上心を失わないように心がけており、新しいことにチャレンジすることを忘れない。
またそのための努力も怠らない。
私がこの部長に買われたのはそんなところにある。

社員は会社という後ろ盾があり、どうしても甘えてしまうところがある。
特に、いい大学に入学することを目的として努力してきた人間は、そこで燃え尽きてしまい、会社に入ってからの努力は学生時代よりはるかに劣る。
受験勉強をしていたころはいともたやすく吸収できたことが、社会人になってからは困難になる。

実際、何度となく受けている情報処理の国家試験だが、内容は大学試験に比べれば圧倒的にたやすい。
普段は仕事をしているから勉強する暇がないとよく耳にするし、事実私もそういう言い訳をするが、一日1時間の勉強で半年もあれば十分合格できるレベルだと思う。
大学受験のころはあれほど勉強したのに。

それができないのは向上心が失われたからではないだろうか。
大学へ入るとき、それは人生における重大な通過点だっただろう。
だからこそ、それを無事に通過するべく努力を重ねた。
しかし、仕事をするようになれば、仕事をこなすことが通過点であり、別にやらなくてもほかに逃げ蜜のある勉強に時間を割くようなことはしなくなる。

私は国家試験だけでなく、技術者としてまたリーダーとしてどういう技量を身につけるべきかを考え、行動している。
それが結果的に、他人から見ても向上心を持っているように見えるに過ぎない。

この私と同じような向上心を社員たちにも植え付けてやってほしい、だから「叱ってやってくれ」というのだ。

でも、社員には私にない技量が備わっている。
部下を育てる力は私よりはるかに優れているだろう。
それが会社に生きるものとして必要な力ではないだろうか。

この部長の言うことは贅沢なのかもしれない。
本当は部下を育てるということに部長が悩んでいるのと同様、いかにしてその部下たちはさらに後輩を育てようかと悩んでいるのだ。

あなたが部長という立場に甘んずることなく、向上心を見せ付ければ、私が言うよりもはるかに説得力があるのではないだろうか。
それに、私のように向上心をもって努力する人間がそうざらにいては、私が引き立たないではないか。

2006年12月15日(金) 誕生日のメール

日付も変わって土曜日になったころ、突然、15日が友達の誕生日であったことを思い出した。
昔ならこんな深夜になす術などなかったのだが、最近はメールがある。
早速ケータイでメールを送ることにした。

・・・。

よく考えれば相手は去年結婚した新婚の女性である。
こんな深夜にメールを送るのはよろしくないのではないかと考えた。

翌朝にしよう。
いやまて。

毎日、役員に送っているメールはどうなんだ?
終電帰りでパソコンを開いて送っているメールは夜中の2時ごろになることもざらじゃないか。
相手はみんな奥さんだ。
今送ろうとしている彼女と何がどう違う?

結婚してからの年数か?
それとも年齢?
お肌の張り具合?

そんな馬鹿なことを考えながら結局、簡単に一言、「お誕生日おめでとう」とだけ送ることにした。

学生のころは簡単にできたことを結婚して落ち着いたころにやるとなぜだか抵抗を感じてしまう。
友達のように話をしようとしてもどうしても相手の家族のことが気になってしまう。
変な風に取られるんじゃないだろうかと考えてしまう。
そうやって変に考えるから余計におかしくなる。
犬に吠えられるからといって犬を怖がる人が余計に吠えられるのと同じように。
そういう抵抗感が余計にギクシャクした関係を生み出してしまうのに。
もっと普通に会話できればいい、そう思いながらなんだか及び腰になる。

後日、彼女から「覚えていてくれてありがとう!先日は挙式を上げた式場で・・・」と長々と近況を報告するメールが届いた。
なぜだかほっとした。

2006年12月16日(土) クリスマス会前日

明日は校区子ども会の合同クリスマス会だ。
以前はかなり人数の多かった校区子ども会では合同でクリスマス会を実施することも多かったが、最近は人数も減ったために各地区ごとにクリスマス会を催すことが多かった。
合同でやるにはそれだけ手間もかかるからだ。
しかし盛大にできるので子どもたちは喜ぶ。

子どもたちが喜ぶのなら少々の苦労はいとわない。
私や校区長も。
まあ、実際に動き回ってくれているのは嫁さんたちのように地区の子ども会の世話をしているメンバーだ。
いつもながら感謝。

で、今日は校区子ども会の役員と明日のプレゼントなどを買いだしに行った。
向かう場所は子ども会御用達の町、松屋町。
夏は花火、秋はお祭り、冬はクリスマス、そしてきっと春にも。
子どもの喜ぶようなものを大量に仕入れるにはもってこいの場所だ。

いつものように駐車スペースに車を止め、店を物色する。
最初に入ったのは風船を扱っている店。
狭い店舗に色とりどりのスーパーボールや風船が所狭しとたらべられている。
ここで200個のゴム風船を購入した。

次にツリーの飾り付けを扱っている店に移動する。
比較的広い店舗に華やかなツリーがきれいな電飾できらめいている。
あまりお金があるわけではないので少しだけ飾りを買った。
この店のツリーの中にはうちの次女なら絶対にほしがるだろうと思うようなきれいなツリーがあり、思わず衝動買いをしそうになったが、目的を思い出して思いとどまった。

次の店で子どもたちへのプレゼントを購入した。
ひとつあたりは70円前後だが、すべてがダース売り。
いくら安くても子ども会でもなければ購入できない。
プレゼント選びに時間がかかったがなんとか男の子用と女の子用のプレゼントを買う。
ダンボール数箱分のプレゼントを車に詰め込み、帰路についた。

帰り道、昼食のラーメンを食べながらいつものようにこれからのことを話す。
来年もまた同じことをしてるんだろうと思う。

2006年12月17日(日) 合同クリスマス会

今日は校区子ども会のクリスマス会を催した。
近年クリスマス会は各単位子ども会で開催していたが、校区長は合同でやりたいと言う思いが強く、私もそれに賛同した。

9時。
準備を始めるために体育館に集合する。
もうすでに役員たちが集まってツリーの作成に取り掛かっていた。
ツリーは大きいほうがいい。
でもそれほど大きなモミの木を手に入れるのは難しいし、手に入ったとしても年に一度しか使わないものを保管しておくような場所もない。
そこで目をつけたのがバレーボールの支柱である。

バレーボールの支柱は高さおよそ2メートル。
もちろんこれだけでは色気も味気もない。
この支柱の天辺から四方八方に白いロープを斜めに伸ばし、円錐を形作る。
その円錐を取り巻くように、各単位子ども会から集めたツリー用の飾りと電飾を飾り付ける。
白い雪のような真綿、きらめく金の星、色とりどりのモール、そしてクリスマスらしく可愛らしい数々のアイテム。
それらを無骨な手をした白髪交じりの大人たちが細かく飾り付けているのだ。
私もゲーム用の風船をせっせと膨らました。

10時。
各地区の班長さんに引率されていつもの子どもたちが続々と集まってくる。

およそ10分遅れで始まったクリスマス会。
まずは校区長の挨拶。
続いて早速ゲーム大会。
司会進行は私の役目。
とはいえ、別に役割分担が決まっていたわけではない。
その場の雰囲気で私が進行に当たった。

最初にやったのは伝言ゲーム。
低学年、中学年、高学年、そして大人のグループに分ける。
それぞれに伝言する内容は前日に考えてプリントアウトしていた。
低学年の最初の問題は「ドラえもんの身長は129センチ」というもの。
10人以上に伝言するが、不正もせずに最後まで伝わった。
「はい。じゃあ、最後まで伝わったみたいなので、みんなで答えを言いましょう」
と声をかけて子どもたちに答えを言わせると、一斉に正解を答える。
なんともいい気分だ。
中学年や高学年にはもっと難しい問題を出題したが、低学年ほど正確に伝わらない。
ちょっと難しすぎたか。

次に風船を一人ひとりの足首にくくりつけ、互いに踏みつけさせる。
盛り上がったが、思った以上に風船が丈夫でなかなか割れなかった。

ゲームが一通り終わってサンタからのプレゼントとなった。
いったい何人の子どもがその存在を信じていたかはわからないが、役員の扮したサンタからうれしそうにプレゼントを受け取っていた。


プレゼントが終わって集合写真を撮る。


その後、別室に移動してみんなで食事をした。
子どもたちの喜ぶ顔を見て、来年も盛り上げるぞと、心に決めた。

2006年12月18日(月) 肉の力

3時にユーザ先で作業。
夜間作業である。
そしてそのまま朝を向かえ、いつもどおりの仕事をこなす。
帰宅したのは23時を回っていた。
実に労働時間は20時間。

しかし意外と疲れはない。
身体が慣れたのだろうか?
いや、きっとそうではない。
今日、私は眠気を防止するようにいろいろと工夫をしていた。

カフェインは有効ではあるが私は普段から多く摂っているので効果が薄れているように思う。
そこで今回は時差ぼけ解消にも良く用いられる手段「肉を食べる」を取り入れることにした。

3時。
ユーザ先での作業に先立って缶コーヒーとハムサンドを食べた。
普通ならこの時間帯にこんなものを食べる気にはならないのだが、前日は夕方4時ごろに食事をしてそれからは何も摂らずにいた。
だからいとも簡単に食べることができた。

一仕事を終えて移動する。
4時。
次はハンバーグ弁当を食べる。
朝の4時にハンバーグである。
しかしこれも、すでに軽く食事をして多少目が覚めている状態であれば難なく食べることができる。
これと一緒にタウリンを摂取する。
タウリンは眠気予防に役立つたんぱく質の一種である。
ちなみに猫に与えると目の輝きが増すらしい。

5時。
脱糞(!)

6時。
コーヒーを飲む。

7時。
お茶を飲む。

8時。
パンを食べる。

9時。
ジュースを飲む。

12時。
昼食はうどん。
少し休憩だ。
そして脱糞。

この食事をして排泄してのサイクルがいつもの倍ぐらいある。
これが良かったのかもしれない。

現在の時刻はすでに日付が変わって1時。
明日の会議が朝早いので寝る準備をするが、そうでなければいつものように2時過ぎまで起きていられる。

ちょっと肉を食べ過ぎたか。

2006年12月19日(火) 会議飛行機会議

昼から東京で会議がある日は、午前中に飛行機で東京へ移動する。
大体、11時前後発の飛行機に乗るのだが、飛行機と言うヤツはチェックインやら手荷物検査やらと混雑していると搭乗までにとても時間がかかるので、少なくとも30分ぐらい前には空港にいないとアタフタしてしまう。

なのに別のユーザがこの日の午前中にどうしても打ち合わせをしたいと言い出した。
私が戻ってきてからでは間に合わないらしい。
どうしても午前中がいいという。

10時30分には空港に到着しようと思うと、9時30分には移動を始めなければならない。
会議をどうしても行うとすれば9時からの30分に限られる。
それでもいいか、と確認すると、それでもかまわない、という。
仕方がないので、少しゆっくり家を出る予定だったのに、9時の会議にあわせて家を出た。

9時に会議を開始する。
新しい仕事の話であるが、別に私の儲けにはならない。
30分で方針だけ決めて終了した。

そのまま空港に向かい、搭乗手続きを済ませて飛行機に乗る。
運よく、往復ともJクラスを確保できた。
忙しい毎日であるが、飛行機に乗っている間はそれを忘れる。
しばし、くつろげる貴重な昼間の時間だ。

東京に到着し、歴史あるモノレールに乗ってユーザ先へ向かう。
ここでも時間を気にしながらの会議に出席する。
19時から大阪で会議があるからだ。
19時の会議に間に合おうとすると16時台の飛行機に乗らなければならない。

15時過ぎに会議を終えて空港へ急ぐ。
ついさっき飛行機に乗ったような気がする。
再び空を飛び、夜景のきれいな大阪に舞い戻ってきた。
空からの眺めに少し心癒され、1時間後にはあわただしく電車で移動していた。
19時からの会議は深夜にまで及び、その後も終電まで仕事。

空を飛んでいるときだけが休憩時間。
飛んで逃げたい気分だ。

2006年12月20日(水) 誤字脱字文法誤り

嫁さんに「最近、誤字や脱字が多いよ」と指摘された。
この日記のことだ。

読み返してみると、その内容のひどさに言葉を失うほどだ。
ほぼ、二日に一回、ミスがある。
パンチミスであったり、変換ミスであったり。
中には屈辱的なことだが、文法ミスもある。

それも仕方がない。
日記を書くのは夜遅く帰宅して一日の疲れを酒で洗い流しているときか、あるいは忙しい仕事から逃げ出すかのように見つけた昼の小休止のときなのだ。
日記を書いても推敲なんてしていない。
ほとんど入力してそのままなのだ。
それでもこれだけの日記を書いているのだから、関心されこそすれ、ダメだしされることはない。

もちろん、嫁さんもダメだしをしているつもりはない。
むしろ、日記を書く暇もないというこのような背景を知っているから、心配しているような感じもある。

子どもも時々この日記を読んでいる。
子どもが読むからには正しい文法と正しい言葉遣いと正しい漢字を使わなければならない。
まあ、下手な文書を読ませて誤りを正させると言う方法もあるだろうが。

時間はほとんどないのだが、せめて漢字の誤りだけは訂正しようと思う。

2006年12月21日(木) 結婚前の再開

仕事先のビルの中には「パブ」がある。
パブというと、いささかいかがわしい印象を持つ人もいるようだが、本来はイギリスで発達した酒場「public house」の略で、日本では、和風の居酒屋や小料理屋などに対して、洋風の飲み屋をさしている。
実際、その仕事先にあるパブは健全そのものであり、客層だって限られている。
何しろこのビルは身分証を持った関係者以外立ち入ることができないのだ。
得体の知れない客が来ることはない。

「『パブ』って言われたからどんなところかと思っていた」と言っていたのはこの店で働いていた女の子。
初めて仕事先が決定して働くことになったときも、不安があったそうだ。
その女の子もこの店を辞めて数年になる。
今日は久しぶりにこの女の子と、いつものおっさんと三人で飲んだ。
もうすぐ結婚するのだそうだ。

彼女が今勤めているのは遊園地。
今日の店もその遊園地から電車一本で来られる場所にした。
三人ぐらいならその場で決めても入店できるだろうと、特に店は決めていなかった。

最初に駅に到着したのは私。
彼女に電話してみると、まだ仕事場らしい。
こっちにつくのは少し遅れると言う。
やっぱり。
まあ、毎度のことなので笑って許す。

もう一人のおっさんに連絡するとまだ少し仕事があるという。
こちらも、案の定と言ったところだ。

30分ほど、ふらっと入ったたこ焼きやでビールを飲みながら時間をつぶす。
おっさんの方がもう少しで合流できると言うので居酒屋に場所を移した。

先に一人で生中を飲んでいるとおっさんが入ってくる。
それから二人で彼女を待つことになる。
一人で飲んでいるときは飲むテンポも遅いが二人となるとピッチも上がる。
程よく酔っ払って、約束の時間に遅れること1時間30分、ようやく彼女が来た。

久しぶりの再開と結婚お前祝いとで乾杯する。

今日はめがねをかけている。
口にはしなかったが赤いふちで変なめがねだ。
でも妙に似合っている。
ちょっと垢抜けたというか大人びた印象を受けた。
まあ、出会ったころは成人式を迎えてもいなかったので文字通り子どもっぽかったのは確かだし、24歳になった今、変わらないほうがおかしいかもしれない。
でも話を聞いていると昔と変わらない、声と話し方とそして訛りがある。
訛りのある女の子はかわいい。

彼氏のこと、将来のこと、不安や希望、いろいろ話をしたのだが、すでに酔いの回っていた私はほとんど内容を覚えていない。
でも、彼女が「子どもは三人ほしい」と言っていたことは、はっきり覚えている。

「子どもはいらない」だとか、「一人で十分だ」とかいう女性は彼女のつめの垢でもせんじて飲めばいい。

2006年12月22日(金) 明日から冬休み

夜遅くに自宅に帰るといつもなら寝ているはずの子どもたちが起きている。
しかもなんだかニコニコしている。

そうか。
今日は終業式だった。

22日に終業式だなんて私が子どものころにはありえなかった。
いくら早くても24日の終業式だった。
25日が日曜日というのがそのときである。
でも、いまや週休二日。
25日が土曜日ならば24日が終業式となる。
しかも23日が祝日となっているので、最も早ければ22日に終業式がやってくる。
それが今日と言うわけだ。

さらに祝日法の改正によって1月の第二月曜日が成人の日の祝日となった。
それによって今回の冬休みは12月22日から1月8日までという実に17日もの長期の休みとなっているのだ。
我々のころの14日に比べて3日も多い。
二割り増しである。

うらやましい。

とはいえ、今の子どもには子どもなりの悩みもあるはずだ。
子どもが少なくなり、上下関係のコミュニケーションがとりづらくなっている。
そのため、小さい子どもの面倒見たり、集団の中でルールを学ぶ機会が少なくなっている。
だからルールを守れない子どもが増えているのも事実であり、親でさえそれを容認する傾向にある。
だから私は極力、私の子どもが他の多くの子どもたちと触れ合えるように環境を作ろうとしている。
親たちがそういう環境を作ってやらなければ、機械が少なくなってしまった今の子どもたちはかわいそうだと思う。

休みの日は友達と遊ぶ絶好の機会。
子どもたちが退屈しない冬休みであればいいのに、と願う。

2006年12月23日(土) 役員と忘年会

今日はいつも一緒に活動している小学校の役員4名(1名病欠)に先生2名を加えて近くの居酒屋で忘年会を開くことにした。
もちろん私が言いだしっぺではない。
学校の役員と飲んでもそれほど面白くないのはわかっているからだ。

定刻に数分後れて私が到着するとすでにみんな揃っていた。
簡単なねぎらいの言葉をかけあい、すぐに飲み物を注文する。
程なくして運ばれてきた飲み物を手に、先生の乾杯の音頭でグラスを重ねあった。

無口な私に話しかけてくるのはやはりいつもの若い役員だった。
「会長、それでね、この前ね、私、初めて知ったんですけどね!」
明るいトーンの話し声に私も次第に口を開くようになった。

気がつけば、向かいに座っていた彼女が隣に腰掛けていた。
本当は良くないことなんだろうと思いつつ、周りの人との会話はほどほどにして、彼女とばかり話をしていた。

私は別に他の役員と仲良くしたくないわけではない。
ただ、「楽しく」をモットーに仕事をしていた以前の会長の後をついで、私やこの若い役員はしなくていいはずの苦労しており、その原因が「ただ楽しくやっていただけだ」と感じているので、「楽しく」やることにいささかの抵抗を感じるのだ。

だから、いつもどうやればよくなるか、と、あえて他の役員と敵対するような意見を述べる若い役員に私は強い共感を覚えるのだ。

なにより、その役員の考え方や行動が嫁さんに似ている。
もっとも、嫁さんのほうがモット極端なのだが。
そういえば、その役員はまったくお酒が飲めないにもかかわらず、のん兵衛の相手ができるし、しらふのままそこにいても違和感がないあたり、以前の嫁さんそっくりだ。
ご主人を大事にしているということも話しぶりからひしひしと伝わってくる。

これからもともに、守るべき人のために頑張っていこうと話し合った。

2006年12月24日(日) アルバイト

年末になると年賀状を書く作業に追われるが、今年は早々とそれを諦めて年明けにゆっくり書こうと心に決めた。
その年賀状を今年は長男が配る。

長男はこの冬休みを利用して短期間のなるバイトをすることにしたようだ。
別に私が勧めたわけではないが、友達と相談でもしたのだろうか、かなり前から予定したようで、先日は面接に受かったことを喜んでいた。
それが郵便局でのバイト。

局内での仕分け作業と外勤である配送作業に分けられるが、やはり寒いこの時期に外を回ると言うのはつらいらしく、それだけに手当てもいい。
だから長男は外勤をすることに決めたようだ。

配達区域は自宅近くではあるが、駅を挟んで反対側であり、同じ市内の別の小学校区である。
なので本人もあまり知らない地区らしく、このあたりの地理に詳しい嫁さんに、いろいろと話を聞いていた。
郵便局へも何度か説明を受けに行き、なかなかやる気になっているようだ。

私自身に経験のない業種だけにあまりアドバイスらしいことはできないが、ただ仕事と言うものは責任と自覚を持ってやらなければならないものだ、とだけ言っておいた。
労働もまた楽しいものだと言うことを学んでくれればいいと思う。

2006年12月25日(月) サンタさんから

月曜日の朝というやつは今も昔も憂鬱な気分になる時間帯の最有力候補だ。
今日も朝の気配を感じて起床する。
冬休みに入って子どもたちが身支度を始めない朝は、嫁さんの子どもたちをせかす声も聞こえず、とても静かだ。

バイトを始めた長男だけがゆっくりと起きてきて身支度を整える。

長男にとって大事な時期だというのに、最近はあまりゆっくり会話もできず、ちょっと申し訳ないなと感じつつも、やはり朝に余裕はない。
やがて長男は出かけ、私も残り少ない年末の作業を片付けるために出かける用意をする。

しばらくすると、二階から一年生として始めての冬休みを迎えている次女の声が聞こえた。
「きゃー」と悲鳴に似た声だったが、「悲痛さ」がない。
直後、ドタドタと階段を駆け下りてくる足音が聞こえた。

「おかあさんおかあさん!」とうれしそうな次女の声が近づいてきた。
居間の扉を開けてうれしそうに飛び込んでくる次女は手に何かを持っていた。
「おかあさんおかあさん!見て!!」そういって手に持っているものを差し出す。
キャラクターを着せ替えて遊ぶ今流行のゲームソフトのようだ。

「あら。どうしたのそれ?」と嫁さんが聞くと次女はうれしそうに答えた。
「サンタさんからもらってん!」
それを聞いて私が言う。
「ほー。サンタさんか。でもおかしいなあー。昨日、○○(次女)はお母さんの言うことを聞かなかったから、サンタさんに『○○にはプレゼントいりませんよ』って言ったのになあ」というと、次女も負けずに言い返した。
「サンタさんはお父さんの言うこと聞いてなかってんわ」

嫁さんと私はこらえきれずに噴出した。
そんな私たちのことはすぐに忘れて次女は早速ゲームを始めた。
来年もサンタさんからのプレゼントを喜んでくれるだろうか。

2006年12月26日(火) 同窓会再び

嫁さんがまた同窓会だと言う。
遠くに嫁いで行った親友が帰ってくるのでまたみんなで集まるのだそうだ。
まあ、私もよく飲みに行くし、嫁さんが同じように思ってもおかしくはない。

いつもなら休日に出かけるので車で送り迎えしてやるのだが、ちょっと仕事もあるし、送ることはもちろん、迎えに行くのも難しかった。

夕方から仕事のピッチを上げた。
夜の9時を過ぎたころ、なんとか一段落させることができたので、さっさと帰り支度をして帰路についた。
10時前だ。

歩きながら電話をする。
「今から家に戻って迎えに行くけど」
「あ。ありがとう。でも、もう駅について今から電車に乗るところ。だから迎えに来なくていいよ。ごめんね」
と。

うん、まあ、別にいいんだが、それでもなんだかすかされた気分だ。
「えーっ。せっかく仕事早く切り上げたのに」
「ごめーん。じゃあ、家に帰ったら飲みに行く?」
これを言えば私の機嫌が直ると思っているのか、それでもその気持ちがうれしくて、二つ返事で飲みに行くことにした。

自宅に戻り30分ほど待つと嫁さんが帰ってきた。
冬休みに入った子どもたちは寝てくれそうにもない。
「ちょっと飲んでくるわ」
と子どもたちに言い残し、近所のバーへ出かける。

久しぶりに訪れるバーだが、さすがマスター、「お久しぶりです」と挨拶してくれた。
まあ、深夜に夫婦で訪れる客は少ないだろう。
しばらく飲んでいるとお隣の奥さんも現れた。
今日は友達と飲んでいたらしく、もう少し飲もうと思って、よく来るこの店にやってきたらしい。

お互いの夫婦の話をしながら楽しい時間を過ごした。

2006年12月27日(水) あいさつ回りでトラブル対応

年内の仕事もそろそろ終わりになるので、ユーザのところへ挨拶に出かけた。

訪問先のユーザが私の顔を見るなり「おお。グッドタイミングできてくれた」という。
こういうときは決まって何かのトラブルが発生したときだ。

そのトラブルがどの程度、深刻なものなのかは担当者の顔つきやその場の雰囲気でわかる。
今の顔つきからすると、業務が停止しているなど復旧に急を要するほど深刻なトラブルではないようだ。
なんだか笑っているようにさえ見える。
こういうときは、自分たちで何かをやってしまって、元に戻らなくなったとか、先へ進めなくなった、など、何もしなければ何も発生しないのに、ちょっと手を出してしまったばっかりにどうしようもない状態になっている、と言うことが多い。
要するに自分たちの設定ミスや操作ミスが原因で招いたトラブルが発生しているのだ。

「実はね、今日ちょっとライセンスを追加しようとして・・」
案の定とはこのことだ。
「はあ。ライセンスですか。手順どおりやればできませんか?」
少し意地悪な言い方をしてみる。
もちろんユーザも私がわざとそういっているのは知っている。
「まあ、そうやけど。でも、何でか知らんけど、エラーになりよる」
『何でか知らんけど』というのはろくに調べていない証拠だ。
「そんなはずはないと思うけどなあ」
と返しながら、早速マシン室へと向かう。

マシン室のサーバの前では3人ほどが浮かない顔をして画面を覗き込んでいる。
近づく私に気がつくとみな晴れやかな顔になって会釈をする。
私も一緒に画面を覗き込むとどうやらソフトウエアのクライアントライセンスを追加しようとしているようだった。

どんな手順で作業を行ったか説明を聞く。
でも、私自身、やったことのない作業なのでそれが正しいのか間違っているのか区別がつかない。
むしろ自信たっぷりにその手順を説明するユーザの話を聞いていると、間違いはないような気がしてくる。

「インターネットに接続できるパソコンを一台、お借りできませんか?」と聞く。
「は?何すんの。そこらへんの使ってくれてかまへんよ」そう聞いてすぐに適当な一台を選んでインターネットに接続する。
接続サイトはもちろん、そのソフトウエアのメーカーサイト。
通常はこういうところにライセンスに関する情報が記載されている。

サイトにたどりつき、「ライセンス」でサイト内を検索すると、それらしい情報を見つけた。
そして今回の問題らしいものもすぐに判明した。
バージョンによって手順が違うのに、間違ったバージョンの手順でライセンス追加をやっていたのだ。

すぐさまそのサイトの情報を伝えて正しい手順で追加作業を進める。
およそ15分後、「おお。できた」と歓声が上がる。
「さっすがやなあー」とユーザの声。
さすがも何も、最初から手順を確認すればどうってことのない作業なのに、これで感心してもらえるならお安いもんだ。

来年もよろしくと、笑顔で挨拶をし引き上げた。

2006年12月28日(木) 仕事納め

今年の仕事も今日で終わりである。一応。
この仕事は休日とはいえコンピュータの動いている限り、本当の休みはない。
が、コンピュータも毎日同じことをしているだけなら特に障害になったりしない。
何かイベントがあってそれをきっかけにしてトラブルとなることがほとんどだ。
そういう意味では今年の正月は何もイベントがなく、障害も発生しないはずだ。
となれば、年明けに忙しいイベントが待っているとはいえ、ひとまずは平和な正月を迎えられそうだ。

そこで今日は、気分よく昨日に引き続き各ユーザの挨拶回りをした。

まずは自宅近所で自転車でもいけるところにあるユーザ。
自転車でいけるとはいえ、この寒い中、挨拶用のカレンダーなどをもって自転車で行くほどにパワフルな私ではない。
当然、車に乗って向かう。

あまり訪問することのない平和なユーザだが、事務所を訪問すると皆さんが笑顔で迎えてくれた。
部長さんを始めとしてお世話になったかたがたにお礼を申し上げる。
帰り際に受付の女性にも挨拶をする。
事務所を出るときは全員が起立をしてお辞儀してくれた。
ちょっと恥ずかしい気分である。

次のユーザはこの仕事を始めてからずっとお付き合いのあるユーザ。
今日は仕事納めなので、あまり早い時間にいくとお酒を勧められる。
他に仕事があるから、なんて理由で断ることもできないので、今日は少し遅めに、しかも車で訪問することにした。
ここは従業員のほとんどと面識があり、この一年、少なからず、お世話になっている。
しかし、数十人の人に、一人ひとり挨拶をしているわけにもいかない。
よし、今日は課長以上だけにしよう、そう決めて訪問した。
が、すでに、ほとんどの役職者が仕事を終えて帰ってしまった後だった。
残っていたのは新入社員と思しき面子だけ。
とりあえず、知っている人を見つけて挨拶を済ませ、「新年、また来ます」とだけ言い残してその場を後にした。

最後にユーザを訪れたのは、もう、夕方であたりが薄暗くなり始めたころ。
受付で電話をすると、女性が出る。
案内されてエレベータを降りるとその女性が正面にたっていた。
いきなり目の前に現れたので、私は変な顔をしていたかもしれない。

その女性は「部長の○○は外出しておりまして」と申し訳なさそうに口を開いた。
それを聞いて他の人に簡単に挨拶をして引き上げようと思っていたら、タイミングよく、かつての部長で今は顧問としてそこに残っている人が通りかかった。
「おお。今日は誰に会いに来たんや?」
「もちろん、顧問ですよ」と咄嗟に切り返す。
「ははは。うまいなあ。せやけどうちは○○(私)くんだけを信用してるからなあ」
お世辞でもうれしい言葉である。
「来年早々、○○くんにお世話になるけど、よろしくな」
「はい」
気分よくあいさつ回りを終えた。

その後、来年の準備をするために仕事をし、今日のうちに帰宅した。
今年最後の仕事日はゆっくり時間が流れていたように思う。

2006年12月29日(金) 休日の初日に

今日は一日ゆっくりするつもりで朝起きたらすぐにビールを飲んだ。
前日は夜遅くまで飲んでいたけれど比較的早く起きることができ、起きてすぐに冷蔵庫へ向かい、そのままビールを取り出した。
台所にいる嫁さんも「おはよ。早速ビール?」とさほど驚かない。
しかし、休日の朝から酒を飲むのは久しぶりのように思う。
余裕のある証拠だ。
昼過ぎまでダラダラとテレビを見ながらすごす。
せんべいを食べ、適当におかずをつまみ、まともな食事はせずに昼を迎える。

そして13時から天皇杯の準決勝を見る。
ガンバが得点を入れてガッツポーズ。
と、その直後仕事用の携帯電話が不幸のベルを鳴らす。

休日、仕事用の携帯電話が鳴るのはユーザに障害が発生したときだけだからだ。
電話に表示される名前を見るとユーザの担当営業さんからだった。

「お休みのところすみません。実はデータベースのエラーが出てるとかで」
うわっ。
つい最近本番を迎えたシステムだ。
一通りの説明を受け終わると私は「わかりました。今から電話して詳細を確認します。結果については後ほど連絡します」

すぐにユーザに電話すると担当者がすまなさそうな声で話を始める。
「いやーお休みのところすんませんねー。あのー業務が止まってると言うわけではないんやけど、エラーが表示されててこのままでいいのかどうか」

エラーメッセージの内容を確認すると、ログを書き出しているのだがそのログを格納する空き領域が十分確保できないと言うことを示していた。
ただ、ログを書き出すように指定した覚えはない。
おかしいなと思いながら電話とメールでユーザにいろいろ指示をして確認をしてもらった。

対処方法はわかったので今日は応急処置をして、年明けに本格的な対応をすることにした。
対処方法をユーザに指示し、ひとつひとつ作業をこなしてもらう。
私が指示したコマンドをユーザが入力すると、画面に応答が返って来るのでその応答メッセージをユーザが読み上げて私に連絡する。
それを聞きながら次のステップに進む。
いつもの休日の障害対応の景色だ。

「で、それで起動するはずですから、管理コンソールから接続の確認をしてください」
「了解。今管理コンソールと起動して・・・。で、ここでログイン、と。・・・・・。お!つながった!接続できました!!」
「できました?じゃあ大丈夫です。データベースの内容が正しく参照できてる証拠です」
「さっすがやなー。ありがとう。さっすがや。助かったわ」
いつものお礼であり、恥ずかしいけどうれしい。
「いやー、それにしても酔っ払ってる割には冷静な指示やったなー」
「ええーっ?!何で知ってるんですか?」
「いや、もう、休み入ってすぐやから絶対飲んでると思ってた」

ユーザにまで見通されていた。
営業さんに報告した後、気分よく次のビールの缶を開けたのは言うまでもない。

2006年12月30日(土) 餅つきと夜回りと

12月30日と言えば、毎年恒例、餅つき大会の日である。
一度、人手不足で消えていた餅つき大会を復活させて、もう、10年になるだろうか。
私の祖父の家で行われているものだ。

今日もまた、男手が少なかった。
妹夫婦が参加していたがこの旦那が非力で頼りにできず、結局、搗き手は私一人だし、そうなると必然的に返し手も嫁さんだけとなった。
それで5家族分の餅を搗きあげたのだからさすがに疲れる。
昨年から戦力になった長男ではあるが、今年は郵便局のバイトがあって参加できなかったのだ。

午前中から祖父の家に集合する。
祖父はすでに他界しているが、何か事あるごとに母親を含む三姉妹が中心となって、進めていく。
しかし、中心となって動くには少し老けており、準備にしろ資金にしろ、私が中心となって進めることが多い。
ただ、普段は動く私でも、親戚の前では表立っては何もせず、本当に餅をつく、以外はゴロゴロしながらビールを飲んでいる。

最初から最後まで仕切って全部やるのは簡単であるが、口の達者な妹や世話を焼きたがる母親たちの顔を立ててやって、さも何もできない長男のように振舞っているのである。
祖父がそうであったように、男は普段は何もせず、いざと言うときに役立てばいい、というのが母方の家系の美徳であるように思われている。
だから私もそれに習っている。
私がすべてやってしまうときっと彼女たちの出番はない。

夜になり、夜回りに出かける。
自治会の役員たちと自治会館に集合してそれぞれのグループに分かれて町内を回る。
昼間の祖父の家とは打って変わってここでは私は「よく働く」と評判なのだ。

2006年12月31日(日) 大晦日も酒

今年もいよいよ最後の日となった。

もちろん朝からビールを飲んでいる。
しかも、少し上等なビールである。
最近は各メーカーとも第三のビールを発売以後、より上等なビールを出す傾向にあり、今までは恵比寿様が鯛を抱えた絵柄のビールしかなかったがそれ以外にもいろいろ出揃ってきて、ビール好きの私は全部試さずにはいられない。

で結論。
やっぱり子どものころからビールと言えばこれ、というメーカーのビールがうまい。
代表のオフィシャルスポンサーなのでうれしさ倍増である。
もう、こればっかり飲んでいる。

そういえば、嫁さんからのクリスマスプレゼントにはウィスキーをもらった。
例年「山崎12年」をもらっていたが、今回はまた張り込んでくれた。
「響17年」である。



うまい。
文句なしにうまい。
昼間はビールを飲み、夜はこれを飲む。

ウィスキーがまったく飲めない嫁さんでさえ、ほんの一口なら飲める。
ためしに、安いウィスキーを飲ませると「口の中が、口の中が!」と騒ぎ出す。
二人で楽しい酒を味わいながら、一年が終わる。

今年も酒を飲みながら大晦日を迎えたが、それはとりもなおさず、平和であった証拠。
子ども会だけでなく、各学校の役員を引き受け、さらに仕事も佳境を向かえて本当に忙しい一年であったが、充実していたと言えるだろう。
来年もまた、同じような気持ちで迎えられるなら、少々の困難など乗り越えてみせる。
そしてなにより、私には私を支えてくれる家族がいる。
今年も本当に支えになってくれた家族に感謝。

ありがとう。

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Akiary v.0.51