カリント日記
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2007年1月1日(月) 元旦とは元日の朝
新年早々、買い物である。
前日の新聞折り込み散らしに、入手困難なゲーム機の販売が、最近できた近くの大型スーパーで行われると書かれていた。
それによると朝9時に開店するが8時30分からゲーム機販売の整理券を配布すると言う。
もちろん整理券の配布は先着順に行われるようだ。
となれば、整理券といえどそれを入手するためには早く行って並ばないと入手できないかもしれない。
と言うわけで、大晦日も深夜2時過ぎまで起きて酒を飲んでいたにもかかわらず、元旦は7時過ぎに起床した。
まさしく元旦だ。
元旦と言うのは元日の朝のことであって、元日とか正月とかをさすのではない。
よく、年賀状に「元旦」と書いているものがあるが、元日の朝に届くか、元日の朝に書いていなければ「元旦」の意味はないように思う。
というわけで元旦の日差しがまだ斜めにまぶしい時間帯から車を出して10分ほどのところへ嫁さんと二人で出かけた。
ちなみに長男は朝の郵便配達のために出かけて行ったし、長女は起きてきたが次女はまだ夢の中。
スーパーに到着したのは8時前。
整理券をもらうための列に並ぶ嫁さんをおろし、私は近くのハンバーガーショップへ。
そこでコーヒーとハンバーガーを買って嫁さんと合流する。
列にはすでに50人ほどが並んでいた。
私たちもコーヒーとハンバーガーを食べながら時間をつぶす。
先頭はシートを敷いて椅子を持ち込んで並んでいる。
おそらく夜明け前から並んでいたんじゃないだろうか。
結局、最終的には私たちは全体の3分の1より前あたりに並んでいた。
整理券を配り始め夫婦で1枚ずつもらう。
最初は1台だけ買うつもりだったが、近所にほしいと言う人がいるかもしれないというのでもう1台買っておくことにした。
実際、仕事先でもそれを探していると言う話を良く聞くし、この季節、それを求めて親がうろうろしている姿をよく目にする。
9時になって開店すると店の中を少し見て回った。
整理券があればすぐに売り場にいかなくてもいい。
少し買い物をしたが、他に買うものはないし、これ以上衝動買いするわけにもいかないので、おもちゃ売り場へ移動した。
整理券を手にした人たちがレジの前に行列を作っている。
仕方ないのでそこに並び、15分後、ようやく目的のゲーム機を購入することができた。
衝動買いではあるけれど、正月の元旦はほとんど家を出ることのなかったこの近年、少し違った行動ができたことを私のみならず、きっと嫁さんも、うれしく思っていたに違いない。
2007年1月2日(火) いつもの新年会
いつから定着したのか新年の1月2日は祖父の家で晩飯を食うことになっている。
少ないながらも親戚と呼ばれる面々が揃うのは年に一度のこの日ぐらいなもので、子どもたちにとってはお年玉の収穫日である。
親戚の数は少ないがそれだけに一人当たりの額面は大きいようで、物持ちのいい長女など、まだ去年のお年玉が残っているという。
ちなみに、我が家では自分の子どもたちにはお年玉をやらない。
いまだかつて一度もやったことはない。
それはなぜか。
理由は知らない。
嫁さんがそう決めたみたいだし、別に悪い風習ではないのでそのままにしている。
夕方になってタクシーで出かける。
祖父の家に着き、立て付けの悪い玄関の扉をガラガラと開ける。
「おめでとう」
「おめでとう」
と一通りの挨拶をして奥の部屋に入る。
餅つきのときと同じで毎年代わり映えのしない面子が揃っていた。
まだ嫁をもらわず、嫁にも行かない従兄弟(いとこ)がいるので伴侶でもできれば雰囲気も変わるのだろうが。
私はいつもどおり「何もしない長男」になって、一番動かなくてもいい席に着き、勝手にビールをあけて飲み始める。
嫁さんはすぐにエプロンをつけ、姑の姉妹や小姑たちに混じってせっせと働き始める。
嫌な思いをすることも多いだろうに、本当に良く働く嫁だ。
台所の隣にある、六畳間にテーブルを二つくっつけて、それを取り囲むように座る。
だれも十分なスペースを確保できず、狭い思いをしているが、それがこの家で人が集まるときのルールになっている。
やがて鍋料理が始まり、みんなも少しずつ酒を飲み始める。
飲むといっても私以外、ほとんど飲むものはおらず、私一人が缶ビールを次々と開けているだけだ。
お年玉をもらった子どもたちは上機嫌だし、酒を飲めた私も悪い気はしていないが、それでも何か足りない。
酒の相手がいないからではない。
それが何か考えてみた。
「親戚一同が集まる」のがしきたりなのに、ここ数年、集まっているのは一部の家族。
私の家のメンバーが最も多いぐらいだ。
何年も顔を見ていないものもいる。
私も別にこの日が面白いわけではない。
嫁さんだってそうに違いない。
まあ、お年玉をもらえる子どもたちにとってはなくてはならないのだろうが。
元気な子どもたちが祖父の家に集まると母たちはとても喜ぶ。
だから私はそれが自分のできる、数少ない親孝行だと思っている。
普段から親孝行することの少ないやつらこそ、こういうときに集まってやるべきだろうと思うのだが、その親不孝ものは今日もまた、不参加だった。
2007年1月3日(水) 働くことって
今日もまた毎年恒例の新年会である。
今日は嫁さんの親戚が嫁さんの叔父に当たる人の家に集まった。
といっても義母とその弟夫婦、そして我が家だけだ。
嫁さんにも弟と妹がいるが、その二人は毎年のことながら不参加だ。
もう、義母も会えば喧嘩をするからと誘うのを止めているのだろうか。
「いい加減、両方とも大人になれよ、親子だろ」と言いたい。
いつものメンバーだし、私もいつものように「何もしない飲兵衛の気難しい旦那さん」としてマイペースでビールを飲み始める。
ソファーに腰掛ける。
私の祖父の家とは違いこっちは広々と腰掛けられる。
テーブルを挟んで向かいに嫁さんの叔父さんが座っている。
ビールを飲んでいる私が退屈しているとでも思ったのだろうか、やおら骨にボルトの入った腰椎のレントゲン写真を見せられる。
・・・。
あ、ボルト、すごいですね。
来年はボクのポリープが写ってる胃カメラの動画を持ってきます。
ソファーに腰掛ける私の真横にでかいテレビがある。
叔父さんはすぐに「地上波デジタル」を見せたがる。
アナログ波の番組を見ているとすぐに「地上波デジタル」の番組に変えられる。
・・・。
あ、さすがデジタル、きれいですね。
画面が近すぎてちょっと気分が悪いですけど。
焼肉が始まった。
グラム1000円と値札の貼った肉が並べられる。
口の中に入れるととろけるようになくなってしまう「高級」な肉で、子どもにはこのうまさもわからないだろう。
一足遅れてバイトを終えた長男がやってきた。
先に食い終わって近すぎるテレビから離れてゆっくり酒を飲んでいた私に代わり、長男がテーブルに着いて食事を始める。
義母からバイトのことを聞かれていた。
「どうや。仕事をしてお金を稼ぐって言うのは?」
義母に質問されている。
「大変やわ。お金稼ぐのが難しいと言うのが良くわかった」
と答えるのが模範解答だろう。
だが、長男はそんな答えは言わない。
長男は義母の質問に答える前に私のほうをチラッと見た。
私は黙ってうなづく。
別に示し合わせていたわけではないが、長男が「本当のこと言っていい?」と質問したように思えた。
だから「好きなように言え」と目で答えた。
きっと長男もそれを察したのだろう。
長男は答えた。
「正直言って、ぬるい」
思わぬ答えにあっけに取られたように「へ?」と答える義母。
「へ?」というのは答えたというより、思わず口から漏れたという感じだった。
初めて仕事をしたという子どもがその仕事を「大変」と答えるどころか「ぬるい」と答えたのだから驚きもするだろう。
でも、私は期待していたとおりの答えでうれしかった。
当たり前だ。
働いて収入を得るなんて、世界に行けば5歳の子どもだってやっていることだ。
この恵まれた国で、楽な仕事をして、ブクブクと肥え太り、贅沢な暮らしをしようとする大人だから、たいした仕事もせずに稼ぐのがしんどいのであって、「働いて収入を得る」という基本的な考えに立てば、別に鞭打たれるわけでもない仕事をしてその対価を得ることのどこにつらさがあるというのか。
働くことがそんなに偉いと思うなよ。
長男の言葉はそう聞こえた。
私もそう思う。
ただ、そのままでは長男の立場も悪くなるし、義母の立場もないのでフォローしてやった。
「そのとおりや。自分ひとり分の食い扶持を稼ぐなんてどうってことない。できて当たり前のことや。難しいのは二人分以上を稼ぐことや」
まあ、長男にとっては造作もないことだろうが。
2007年1月4日(木) 嫁さんのほうが多い
予想はしていたけれど、知らない人から年賀状がきた。
差出人の住所が隣の県なので学校の父兄ではない。
先生と言うことも考えられるが一緒にPTA活動している先生の名前ならわかるし、そうでない先生から年賀状が来るのもおかしい。
思い当たらなかったので一応、ネットで調べてみた。
すると、教育委員会の教育長だと言うことがわかった。
ほーん。
教育長ともなれば一単位の会長にまで年賀状を書かないといけないのか。
と言うことは何か、私も役員さんたちに書かないとまずいのか?
私は例年通り、例え知り合いでも年賀状を出すのは半分にも満たないぞ。
学校の役員関連はこちらからは一枚も出していない。
ただ、送ってきてくれた人で、よく話をする数人だけにはさすがに返事を書いたが。
メールのやり取りもしていない。
知り合いや一緒に活動をしていると言うだけで年賀状を書くときりがないからだ。
嫁さんはかなり枚数を減らしたとはいえ、私よりも枚数が多い。
それだけにもらう枚数も私より多い。
別に役員をやっているわけではないがあっちこっちに顔を出しており、役員をやっている私以上に顔が広い。
そして友達になって年賀状を書き始めるとずーっと書き続けるからだ。
嫁さんが書いている年賀状の名前にどこか見覚えがあり、聞いてみた。
「この人、もしかして市P協議会会長の奥さん?」
「そうやで。前から友達やねん。前にも言うたよ」
毎月開催される市のPTA協議会の会長さんと私は知り合ってまだ一年にも満たないが、嫁さん同士はすでに数年来の友達だったらしい。
こりゃ当分の間、嫁さん以上に年賀状をもらうのは無理だな。
2007年1月5日(金) 嫁さんの知っている店
この日記は1月5日の日記である。
そして今は1月5日の夜である。
ようやく実際の日付に日記の日付が追いついた。
日記が遅れをとり始めたのは10月ごろだったか。
最大で二週間も遅れていたが、この正月休みで何とか追いつけた。
しかし、突貫工事だったので、相変わらず、誤字や脱字が多い。
それはさておき。
今日は仕事始めである。
仕事始めであるが3時間ほど仕事をして店じまいにした。
というのも金策に奔走する必要があったからである。
個人事業主のカリント、何かと金が要るのである。
昼から銀行に行って資金借り入れの手続きをし、その後、嫁さんと二人で外食をした。
となりの駅から少し離れた住宅街の手前、こんなところに店があるのかと思うような通りに、何軒かの飲食店が並んでいた。
サラリーマンが行くような居酒屋通りではなく、店先のテラスには花が飾られているような、そんな「いかにも」な雰囲気を醸(かも)し出している通りである。
嫁さんが行きたいと言っていた店はまだ正月休みだったので、「こっちは少し味が濃いけど」と、隣のイタリア料理の店に入った。
嫁さんと外でイタリア料理を食べるのは久しぶりだ。
しかし、こんな場所のこんな店の味をどうして嫁さんが知っているのか?
「バウンドテニスの友達と来たことがある」らしい。
私はあちこち出歩くので外食することも多く「ああ、こんなところに嫁さんを連れてきてやりたいなあ」などと考えていたが、嫁さんは嫁さんで楽しく外食することもあるようだ。
それを聞いてちょっとホッとした。
これからもお互いにおいしい店を見つけて、そして、いつになるかは約束できないけれど、いつかまた食べに行こうと思う。
2007年1月6日(土) 役員事始
久しぶりの高校役員会だ。
自宅からそう遠くはないし、電車もあるのだが、雨も降っているし、何より小学校や中学校と違ってきちんと舗装された駐車場があるので、車で出かけることにした。
愛車のオデッセイが新年早々雨に濡れるのは本来なら避けたいところだが、昨年末から今日は雨が降ることを知っていたので洗わないでおいたのだ。
だから今、私のオデッセイは珍しくうす汚い。
車に乗って15分。
学校の通用門から車を入れる。
通用門から校内を見渡すと正面には広い運動場、そして左手の桜並木越しに校舎が見える。
私はこのアングルがとても好きだ。
その左手を校舎に向かってアスファルトの舗装路を走り、校舎の裏手の駐車場に車を止めた。
土曜日はとても静かだ。
校舎の中に入ると何人かの生徒が部活をしているようだ。
廊下ですれ違うと男子生徒が会釈をしながら「こんにちは」と元気よく挨拶をしてくれる。
そういえば校長先生が最初のPTAの会議のときに話をしていた。
「私は毎日、自転車置き場のところで生徒たちに『おはよう』と声をかけています。もちろん生徒たちも『おはようございます』と挨拶をしてくれます。とはいっても、ほとんどの子は自転車に乗ったままとか、歩きながらチラッとこっちを見て『おはよっす』と適当に挨拶をしてるわけですが、中には、そうですねぇ五人に一人ぐらいですかねえ、ちゃんと立ち止まって身体をこちらに向けて、『おはようございます』と、挨拶するんですよ。これにはびっくりしましたねえ。私もいろんな学校を見てきましたが、こうやってきっちり挨拶をするというのは初めてですねえ」と、うれしそうに話をしていた。
この校長は、かの文豪が卒業したと言う府内でも1、2を争う有名な新学校の教頭を経験しており、次期校長になる予定だったのだが、急遽、今の高校に転任が決まったのだそうで、「正直、進学校で有名なあの高校の校長になる予定だったのに、民間校長がガンガンやってきたこの学校で、その校長の後釜と聞かされて、ものすごく落ち込みました」と本音を言っていた。
今の校長の本音はどうなのか知らないが、我々と一緒に活動する姿はとても楽しそうだ。
役員会議の時間を間違えて、一時間早く来てしまった。
会議室に入ってパソコンを開く。
ワイヤレスLANが使えたのでネットに接続してこの高校のサイトを見てみる。
毎日のように更新されている、校長だより。
「毎日、書いてます」という校長の写真もとぼけた感じでいい。
それを見ながらこの日記を書いている。
時間になってぞくぞくと役員たちが集まってきた。
さあ、そろそろ会議の始まりだ。
2007年1月7日(日) 家族マージャン
久しぶりの家族マージャンである。
みんなで寄って集(たか)って次女を先に寝かせる。
次女が寝たころを見計らって長女が、そこかしこが破れてガムテープで継ぎ接ぎしている年季の入ったケースに収まったマージャンパイと、くるくる丸めて頼りない輪ゴムでとめてあるだけのマージャンマットを持ってくる。
居間にあるテーブルは長方形なので、手の長い私と長男が中央から距離の遠い辺に向かい合わせで座る。
これがいつもの定位置である。
点棒を分けるのは私の役目。
みんなまだ分け方を知らない。
というか、何度教えても覚える気がないので覚えない。
まあ、私もこれぐらいのことはやってやる。
その間に子どもたちはせっせとマージャンパイを積み上げる。
最近は17個のマージャンパイの両端を持って中央を持ち上げる技も、ほとんどミスしなくなった。
さいころを2回振って親を決める。
今日は私の向かいに座った長男が親になった。
子どもたちがパイを配っている間に私は焼酎のお湯割を作る。
マージャンをやるときはいつも酒を横に置く。
嫁さんもコーヒーを入れている。
今日は長女が絶好調だった。
長男が「緑一色(リュウイーソウ)」をテンパイしていてもお構いなし。
リーチをかければ一発でツモってくるし、どんなに危険なパイを捨てても当たられない。
ダントツで勝っていく。
ついているときはこういうもんだ、のお手本である。
最後の最後、オーラスになっても私が捨てたパイで長女が「あたり」と叫ぶ。
親の嫁さんが「うわーーー」と悔しがる。
嫁さんの手を見ると「大三元(ダイサンゲン)」テンパイである。
しかも、長女が当たらなければ、次に嫁さんは「発」をツモって上がりだったのだ。
今日は役満を2回も防いだ長女。
場所が場所だとつかみ合いになるかもしれないが、家族マージャンはいつもにこやかなのだ。
2007年1月8日(月) 自治会の新年会
今日は自治会の新年会だった。
私が出席するのは今年で2回目だ。
参加者の平均年齢は60歳といったところか。
お年寄りが多い自治会の中では、面白い話のできる話し相手もいないし、退屈な時間を過ごすのはわかっているのだが、子ども会で参加するのは私だけだったし、やはり立場上、出席しておく必要がある。
子ども会が自治会主催の新年会に参加しない、というのでは、会長も面白くなかろう。
早く切り上げるつもりで参加した。
案の定、参加者の中で40代は私を含めて二人だけだった。
もう、見た目でわかる。
私と彼以外は禿か白髪なのだから。
10分ほど遅れて到着した私をみんな待っていてくれたようで、私が着席するや否や、司会が挨拶をした。
「それでは恒例となりました○○町自治会の新年会を開催したいと思います。まずはじめに会長に挨拶をお願いしたいと思います」
目の前に料理とビールがあるのに挨拶が終わるまではおあずけだ。
「えー。あけましておめでとうございます」
そう切り出した挨拶もやがて終わり乾杯も無事に終了した。
後は飲むだけだ。
40代の彼の近くに座ったならば、多少面白い話もできたろうが、すでに席は埋まっており、私は名前も顔も知らない、きっと道ですれ違ってもわからないような女性と向かい合って座った。
隣の老人も知らない人で、おまけにお酒を飲まない。
こうなったら、みんなが酔っ払って席を移動するまで待つしかない。
しばらくは飲み食いする。
あまり会話もない。
それでもまあ、食べているからそれほど退屈はしない。
お腹も落ち着いてきたころ声がかかった。
「○○(私)くーん。こっちきいな。ウィスキーあるで」
声をかけてきたのは何かと世話を焼いてくれる葬儀屋の社長だ。
50も半ばを過ぎた、町の便利屋のようなこの人は、私が自治会に参加するまで一番の若手で、ありとあらゆる「設営」には欠かせない存在だ。
呼ばれるままに隣に座り一緒にウィスキーを飲む。
「わしな、ほんま○○くんみたいな人が子ども会の会長になってくれてよかったと思ってるんや。ほんま感謝してるで。ありがとうな」
「あ、いえ、お役にたっているのかどうか」
一応謙遜する。
「わしな、これからも手伝えることがあったら、何ぼでも手貸すで。できることやったら何ぼでもゆうてや」
お酒が入って気が大きくなっているとはいえ、ありがたい言葉だ。
新年会は2時間ほどで終わり、二次会の誘いも受けた。
40歳の彼も参加するというのでお供することにした。
かなり飲んでところどころ記憶が怪しいが、婦人会のおばさんにやたらモテたことだけは覚えている。
2007年1月9日(火) 風邪?
今日から正月気分が抜けないままに仕事を始めたが、やはり体は正直だ。
労働時間が8時間を過ぎたあたりから急激にテンションが下がり、発熱しているかのように頭がボーっとしてきた。
仕事を続けようと思えば続けられなくもないが、トラブルもないし、初日の今日ぐらい、早く帰っても罰は当たらない。
それより無理をして本当に風邪でも引いたら大変だ。
早めに仕事を切り上げて家路に着いた。
冬だから寒いのは当然のことだが、今日はとても寒い。
首筋がぞくぞくする。
これはまずいな、と思いながら道を歩くと、弱気が災いしたか、今度はめまいがしてきた。
「たまご酒を飲むといいらしいが、あれはまずくて飲めないし」などと電車に揺られて考えていたが、同じことだけを何度も何度も考えてしまい、いつまでたっても結論が出ない。
本格的にまずい。
改札を抜けて自宅に戻る。
自宅に到着するとホッとしたのか、お腹が減ってきた。
「うん?食欲があるぞ。食欲があるだけまだましだな」など考える。
これはすぐに結論が出た。
今日はビールも飲みたい気分ではない。
すぐに暖かいグラタンを食べる。
いつもながらうまい。
うまいと感じるのも健康な証拠だ。
食事の後は普段ならゆっくりと、焼酎かウィスキーを飲むのだが、今日はコーヒーにした。
食後のコーヒーもうまい。
これなら多分、明日もがんばれる。
2007年1月10日(水) 広報委員長就任
気がつけば、日記が更新されていない。
夜遅く帰ったり酔っ払ったりするとあっという間に遅滞する。
今日は後者だった。
今日は市内の小中学校のPTA会長ばかりが集まる市のPTA協議会と臨時総会がある。
その会議に出席する前に、市P協議会の副会長からメールが飛び込んできた。
「本日の総会で会則の改定が承認されると、本日より広報委員会が発足いたします。
つきましては○○(私)会長に広報委員長をお願いしたいのですが」
本来なら中学校の会長のところへ依頼が行くのだが、該当する中学校会長がすでに市Pの書記として本部役員を務めているため私のところへ回ってきたらしい。
まあ、広報なんてそれほどたいした仕事でもないので引き受けることにした。
というか、断りようがない。
承諾のメールを返信すると、来月あたりに発行する広報誌に記載するため、今日の会議の風景をカメラに収めてほしいという。
会議が始まった。
いつものように堅苦しい挨拶だ。
私は一人、席を立って一番後ろに回り、デジカメで撮影を開始した。
撮影のたびにフラッシュが光る。
私が広報委員長になっていることなど一部の役員しか知らない。
だから「なんでこいつはここで写真撮影なんかしてるんだ」と怪訝そうな顔になる人もいる。
一通り会議の風景を収めて会議に参加した。
この会議の内容を小学校の実行委員会で報告しなければいけない。
それにしても広報誌ってどんなことを書くんだろう。
前例がないだけに少々不安ではある。
2007年1月11日(木) 世間は狭い
実は10日に開催された市のPTA協議会の後は新年会が行われた。
といっても公式なものではなくて有志だけで行われるもの。
参加するメンバーは本部の役員を中心に数名程度のこじんまりとしたもの。
でも、毎回同じようなメンバーが参加するので月に一回程度しか顔を合わさないにもかかわらず、フランクな付き合いになっている。
本部役員の人たちはすでに単位小中学校の会長を何度も経験しているだけあって、人を説得したり、わかりやすく説明したりする能力を身に着けている。
無論、礼儀もわきまえているので、話が通じるところが安心できる。
場所は居酒屋の個室座敷。
今日は5分ほど遅刻をした。
一番最後に到着した私に「○○(私)会長、何してたん。間違えて隣の店に入ってたんやろ!」などと冷やかしの声を誰かれなくかけてくる。
私は一番若いので入り口近くの、席に座った。
というか、そこしかあいていなかった。
いわば幹事席である。
私の左にはこれまた面倒見がよく私が先に音を上げてしまうぐらいに元気のいい熱血サポーター会長が座り、右にはこの協議会の会長が位置するという、なんとも忙しい場所に座ってしまった。
早速、人数の生ビールが運ばれてくる。
店員も入り口の私の目の前にビールを並べると「順番に回してください」というだけで、すっと引き上げてしまう。
私とサポーター会長とで「はいよっ。はいよっ」と隣の人へビールを回していく。
全員にいきわたったところで乾杯となった。
「カンパーイ!」の声で私は一気にビールをのどに流し込む。
ほとんどの場合、乾杯のときに最もたくさんビールを飲んでいるのは私で、コップで飲んでいたならば文字通り「乾杯」(杯を飲み乾す)」となる。
しかし、ここではそうはいかない。
サポーター会長がすごい。
中ジョッキがいきなり半分まで減っている。
「ええっ!?」と私が驚く。
「一杯目はうまいねー」とサポーター会長が言う。
立て続けに口に持って行ったかと思うともちろん、次にテーブルに置かれたジョッキにビールは入っていなかった。
「な、生中、二口ですか!?めっちゃ早い!」
「はははは。最初だけね。最初だけ」
何度もいうがこのサポーター会長は女性である。
しかもどちらかというと細身でスタイルもいい。
「え?もう飲んだん?」と私の右隣の協議会会長も驚く。
「あ、そうそう。そういえば」と協議会会長が私に話しかける。
話の内容はわかっている。
「ええ、そうなんですよ。奥さんとうちの嫁さんのことでしょ?」
「そうそう」と協議会会長が答える。
「何、なに?」とサポーター会長が聞く。
「いや、うちの嫁さんと、会長さんとこの奥さんが友達なんです」と私が答える。
毎年、嫁さんあてに来る年賀状の中に協議会会長と同じ苗字の女性がいた。
そういえば協議会会長が夫婦で共用しているというパソコンのメールアドレスに書かれていた女性の名前は、年賀状の女性の名前と同じだった。
しかし、それが同一人物だとは思いもしなかった。
今年、嫁さんが出した年賀状に「いつも主人がお世話になってます」とのコメントがあり、そして家族写真の賀状を送っていたので、奥さんが協議会会長に年賀状を見せ、そこに写っていた私を見て協議会会長も始めて気がついたのだという。
世間は狭いというか、嫁さんの交際範囲が広いというか。
2007年1月12日(金) 地元出身なのに
年々、出場者よりも視聴率が話題になっている年末恒例の歌合戦に、私の住む市の高校出身の女性歌手が出場した。
今年初出場の彼女は去年、地元の高校を卒業したばかりだ。
私もそこの高校の会長と高校のPTA役員ブロック大会で知り合い、何度か話をしたが、その歌手についての話は聞かなかった。
ところが10日の夜、新年会の後、私はサポーター会長と二人だけでコーヒーを飲みに行った。
かなりよっていた私はどこをどう歩いてどこの店に連れて行かれたのかは記憶にないが、とにかく駅からかなり離れた場所に連れて行かれ、そこでサポーター会長と世間話をしながらコーヒーを飲んでいた。
するとその歌手の曲が流れてきて、サポーター会長が言った。
「この子、○○高校出身やで。知ってる?」と聞く。
「あ、そういえば、なんか聞いたことあります」と私が答えると、「前からめっちゃ歌、うまかったんやで」とさも、知っているかのようにサポーター会長は答えた。
「知ってるんですか?」と聞くと
「知ってるも何も、息子と同じ高校で友達やがな。息子もバンドやってるからな」と。
息子さんが何度か「○○(歌手の本名)ってめっちゃ歌がうまいやつがおる」というので歌っているところをみせてもらたらしい。
「そらもう、高校生とか言うレベルじゃない」と感じたのだと。
きっと地元での視聴率はかなり高かったのではないかと思うが、私はほかに見たいお笑い番組があったのでそちらを見てしまった。
まあ、もっとも私のような動機以外にも、うちの嫁さんのように、その歌手のことを話しても「誰?」というような人に、視聴は期待できない。
2007年1月13日(土) パソコン教室
生まれて初めてのパソコン教室である。
といっても、私がPTA役員を務める高校でPTA向けに開催されたものであり、参加対象者は父兄、講師は先生、である。
パソコン教室といっても「はい。これが『マウス』と呼ばれるものです」とか「いきなり電源は切らないでください」とか、そんな超初心者向けの話はしない。
というか、そういう人を対象に募ったところで、参加者は皆無に等しい。
で、今回のパソコン教室の目的は「オリジナル名刺を作ろう」である。
昨年も開催したがかなり好評で、昨年に引き続き参加する人も多くいた。
私の嫁さんもその一人で、私も参加してみたくなったのだ。
9:30に学校に車で行く。
小中学校と違い、高校にはちゃんと駐車場がある。
車を降りて校舎に入ると「パソコン教室はこちら」のたて看板に矢印が示されている。
矢印に沿って歩いていくとたどり着いたのが「LAN教室」だ。
「LAN」を学ぶわけではないので、言葉の妥当性に少し首を傾げたが、LANが敷設してある教室と解釈すればおかしくはない。
扉を開けて中に入ると上がり口のところにスリッパが並べてある。
裸足でもかまわないぐらいに綺麗に掃除された部屋だ。
参加費の50円、二人分100円を支払って中に入った。
両側の窓際と、中央に長い机があり、その上にパソコンがずらりと並べられている。
ざっと50台ぐらいだろうか。
そして、それぞれのパソコンのモニターの間に、またモニターが並べられている。
おそらく先生のパソコン操作がここに映し出されるのだろう。
空いている椅子に着席して先生の話を聞いた。
先生がパソコンを操作すると目の前のモニターに操作している様子が映し出される。
それを見ながら自分のパソコンを操作する。
画面が二つ並んでいるので非常にわかりやすく、お母さん方にも好評だった。
実は生徒にもとても好評らしい。
そして早速名刺作りが始まった。
プリンタの設定、Wordの基本操作、などモニターに映し出される操作をそのまま真似ればだれでも簡単にできる。
はずだった。
あっちこっちから先生を呼ぶ声が聞こえる。
3人の先生が駆け回って相手をする。
嫁さんは一人でできるだろうと思いきや、細かいところは私の手伝いが必要で、うちの嫁さんでさえこれなのだから、他の女性はさぞかし難しいことをしているのだろう。
ようやく全員が思い思いの名刺を作り終わり、上手下手はあるにしても、それぞれにお気に入りの作品が完成したようだ。
講習が終わって別室でお茶を飲みながら今日の話をしていた。
先生がいう。
「えー。いつも生徒に教えていて苦労しますが、今日ほど苦労したことはないです」
大笑いするお母さん方も、とても楽しそうだった。
2007年1月14日(日) 次回の役員
そろそろ来年度の委員を探す季節となった。
学校の役員や各種委員以外にも各地区ごとに重要な委員さんが存在する。
私が現在籍を置く小学校のPTA役員はそれぞれみんな頑張ってはいるのだが、どうもそれが結果として現れてはいない。
正直、とても評価できる役員もいれば、こいつはいらない、と思う役員もいる。
全体としてまとまりがなかったり、十分に機能していないのは会長である私の不徳とするところではある。
しかし、子ども会会長として活動している私の地区のお母さん方は私をとても高く評価してくださり、その私がPTAでうまく立ち回れないのは、私の周りの役員たちのせいだと考えているようだ。
すべてが正解ではないだろうが、あながち間違えでもない。
批判するだけならほかの地区にも大勢いるが、私の地区のお母さん方は少し違う。
「次回のPTA役員をやる」という人が3人ほどいるのだ。
会長を除く5人の役員のうち、3人が会長と同じ地区というのはちょっと偏りすぎている感じもするが、その心意気はたまらなくうれしい。
ただ、同じ町内でみんなを引っ張っていける人たちがこぞってPTA役員になってしまっては、町内が手薄になる。
私は子ども会会長が基本である。
だから、町内の子ども会を大事にしたい。
一緒に活動するお母さん方にも、それなりにリーダーシップのある人たちに重要なポストをお願いしたい。
そのあたりは嫁さんも心得ている。
今日は嫁さんと、現在の地区長、副地区長の三人が、次回のPTA役員と地区役員をお願いするために、やる気のあるお母さんを訪問してくれた。
といってもみんな嫁さんの友達、会長のこの私を平然と「あだ名」で呼ぶメンバーだ。
そしてすんなりと、次期地区長と副地区長、PTA本部役員二人を決めてきてしまった。
毎年抽選をしてその上で頼んで頼んで頼み倒して決まる地区役員がいとも簡単に決まってしまった。
PTA役員にしてもそうだ。
先生が何度も訪問をして頭を下げて決まるポストなのに、これまたすんなりと。
とはいえ、肝心のこの私。
次回会長を引き受けることはまだ決まっていない。
2007年1月15日(月) 面白くない会議
プロジェクトを進めてりるときはもちろん、それ以外にも情報交換や定期的な作業報告のために客先で会議を開催することは多い。
今は複数のプロジェクトに参画しているので、週に5回、ほとんど毎日会議をしている。
会議の中にも面白いものとそうでないものがある。
面白い会議というのは、活発に意見が飛びあい、結論に向かって議事が進行し、そして何より短時間で終わるような会議である。
こういう会議では自然と冗談も飛び出し、客先との打ち合わせでも場が和む。
逆に、ダラダラと長い会議、堂々巡りの会議、不平不満を言うだけで代替案のない会議では、みんな難しい顔になり、参加していても面白くない。
中には必死で睡魔と闘っている人もいる。
今日はどちらかというと面白くない会議に出席した。
と、ここまで書いたが、面白くない会議の条件のどれにも当てはまらない。
何が面白くないと感じるのか考えてみた。
この会議はプロジェクトの進捗会議だ。
プロジェクトといっても、すでに本番稼動もしており特に大きなトラブルもなく進んでいる。
どこに問題があるのか。
「すでに本番稼動している」にもかかわらず、客先から追加で作業の依頼があるからだ。
追加の作業は、別途費用になるはずだ。
それならば大事なお仕事が増えたのだから喜ばなければならない。
しかし、そうはならないのがこの業界の悪しき慣習。
もともと、ユーザとベンダ(vendor。製品を販売する会社。製品のメーカーや販売代理店のこと。)とで話が進んでおり、インフラ(infrastructure。この業界では「システムを機能させるために基盤として必要となる設備」のこと)構築を行ってほしいということで私のところに話が来た。
しかし、作業を進めていくうちにいろいろと話のかみ合わないところが出てきた。
ベンダから依頼された仕事の内容と、客先の要望が違うのだ。
はっきりと「聞いていない話なのでできない」と断ることができればいいのだが、ベンダとユーザは付き合いも長くそうは言えないようだ。
それに私自身、このベンダとの付き合いも長く、ベンダサイドの立場で仕事をすることも多々ある。
だから追加で仕事を依頼されると、ある程度は妥協して引き受けざるを得ない。
仕事が増えるが、私の売り上げが増えるわけでもない。
そんな話の出る会議のどこに面白さがあるというのか。
最近は特定のユーザに依存することなく、自分の得意分野の仕事だけを引き受けて、作業が終われば「はい、さよなら」という仕事をする人が多い。
そういう人のように割り切って仕事ができればこんな会議も楽しいのかもしれない。
2007年1月16日(火) 青い光に
数年前から私の仕事場の近くで街路樹に電飾をつけることが多くなってきた。
最初のころは一部の通りの街路樹にだけ電飾がつけられていたが、最近はその数もどんどん増え、範囲も広まった。
また、最初は青色一色だったのに、さまざまな色が付け加えられ、なかには繁華街のネオンのように華やかに色を変えるようなものまで登場した。
しかし、ネオン街と違ってどこにも宣伝的な要素は感じられず、クリスマスツリーのような感じがして私は好感を持っている。
先日、仕事の帰り道、いつもは遠くから眺めていた、光のたまり場へ少し足を伸ばした。
在阪テレビ局の前、少し広場になっているところにその光のたまり場はあった。

青と白とオレンジと。
街路樹といわず、植え込みにも、そしてオブジェのライトアップも。
この近くのホテルでは庭園の中にチャペルをイメージした結婚式場とそれを浮き上がらせる青い光の電飾も静かに冷たい光を放っていた。
そういえば、わが町内の商店街にも、これには遠く及びはしないが、それでもいまだかつてないような電飾が年末の夜空に輝いていた。

省エネを考えなければならない時代とはいえ、これを見て心安らげば、寒い冬も暖かく過ごせそうな気がする。
2007年1月17日(水) ろうそくは失われた数だけ
「今日のことは学校でも何回も聞かされてるから、ちょっといやや」とテレビで小学生がインタビューに答えていた。
それはまだ誕生すらしていなかった小学生にとって、映画やテレビ、あるいはゲームの中の出来事と同じであり、まるでCG合成によって作られた「想像の世界」のように彼らの目に映り、時折思い出したように大人たちが言う実感の湧かない「小言」のようにしか聞こえないのだろう。
何も今の小学生が悪いわけではない。
確かに体感したはずの大人でさえ、それを忘れつつある。
これが「風化」か。
新しい年を向かえ今年の目標を掲げた人、成人式を終え心に誓いを立てた若者、そして春の新入学を前にたくさんのお年玉をもらって喜んでいた子供たち。
その多くの夢や希望や喜びが失われたあの瞬間を忘れてはならない。
今朝も鎮魂の鐘は、多くのろうそくとともにあの日のことを忘れず、悲しく鳴り響いた。
2007年1月18日(木) 3割アップ
客先での進捗会議。
毎回のように決まったメンバーで特に変化のない半ば形骸化してた会議である。
まあ、進捗会議なのだから、同じことの繰り返しになるのは仕方がないし、逆に毎回言うことが変わっていては、進捗会議として成り立たない。
そんな会議の中でも、いや、そんな会議だからこそ、私は私らしく発言する。
「○○(私)の発言でいっぺんに眠気が吹っ飛んだ」と、ユーザから言われるのは私への良い評価と受け取っているが、当たらずとも遠からずだろう。
「えーそれでは××グループの進捗を報告させていただきます」。
これだけの文面だが、それまで報告してきた各グループの誰よりも、滑舌(かつぜつ)よく元気に切り出す。
それだけで下を向いていた人がこっちを向く。
ユーザとこちらのメンバーとは横に長いテーブルを挟んで座っている。
双方とも10人程度なので、正面だけを向いていては両端の人が目に入らない。
複数の人に対して話をするときの常識だが、一人の人や一部を注視して話をするのは良くない。
まして手元の報告書などを見たまま顔を上げずに話をするのはもってのほかだ。
それは人に話をしているのではなく、原稿を読んでいるのだ。
だから私は原稿を見てキーワードを頭に入れたら、その後は顔を上げて、話をする。
そしてまずは正面の人に向かって話を始める。
文章で言えば句読点を打つあたりで、左隣の人に顔を向ける。
そしてさらに、句読点を打つところでまた左へ移る。
こちらを見て相槌を打っている人のところで目を合わせて語りかけるように話をする。
そして段落を変えるあたりでさらに隣の人を見る。
左端まで行くと、今度は一転して右端に飛ぶ。
このとき少し体をひねるようにして、「今度はあなたに話をしていますよ」と態度で示す。
こういうアクションを入れると聞いている側も、気が反(そ)れない。
言葉の抑揚も大事だし、耳障りな口癖を使わないように気をつけることも忘れてはいけない。
よく「聞いていて気持ちのいい話しっぷり」といわれるが、こういうことに気を使っているだけで、多少、言葉に詰まっても、3割はイメージアップになるのだ。
2007年1月19日(金) 残るのはどっち
2月に小中学校区合同で地域フェスティバルが開催される。
今日はその最終打ち合わせが行われた。
中学校を中心とした地域の小学校や幼稚園、一般市民を巻き込んで、市内随一のホールを借り切って行われる一大イベントだ。
このホールの舞台に立ち1000人以上を前にして、各種団体が日ごろの活動を披露するのだ。
こういうイベントを開催するにはわけがある。
表向きは地域住民のふれあいの場を提供する、などといっているが、大々的に宣伝するわけでもなし、舞台に立つほうもそれを見るほうも、学校を中心とした生徒や父兄であり、積極的に参加する人は、わざわざこういうことをしなくても普段から地域の人と付き合いがあるわけだし、付き合いのない人は、ここへ来て交流を深めようなどという意識もない。
確かに、私のようにイベントを企画運営する立場であれば、いっそう交流は深まるが、一般の人がこのイベントでどれだけ地域の人と交流を深めているのか不明だ。
なのに、少数の交流を深めようとする人のためになぜにこれだけ規模の大きなことをするのか。
それは行政からの援助金がもらえるからだ。
こういう行事をこなせば、活動費用を多く回してもらえる。
活動的な学校だという評価も与えられる。
何かのときに、融通が利くようになる。
要するに、こういう団体行事を行えば行うほど、参加すれば参加するほど、PTAの活動がやりやすくなるのだ・・・。
と、いうのも実はまだまだ表向きな話で、本当のところ、こういうでかいイベントを積極的に進める会長さんは、それを成功させて、名前を残したいというのが実情じゃないだろうか。
学校のPTA会長はずっと学校の記録に名前が残るのだそうだ。
それなら確かに、何かを成して名を残したいというのが、心情か。
私?
私は、うーん。
やっぱり記録に残るより、記憶に残る、かな。
2007年1月20日(土) 駅伝?!
校区子ども会の餅つき大会を明日に控え、今日はその準備作業。
でも前日、校区子ども会の会長から電話が。
「明後日のこと何やけど」
もちろん、心得ている。
餅つき大会だろ?
なのにわざわざ電話か。
うん? あ、そうか餅つき大会と一緒にやる一銭焼きを作るための鉄板だな。
確かにその鉄板はうちの自治会から借りることになっていたからな。
その調整ができているか、って確認だろうか。
そう思っていた私には意外な言葉が返ってきた。
「明後日のこと何やけど、駅伝に行ってくれへんやろか」
駅伝とは市の子ども会育成連合が毎年主催しているもので、市内の小学校区の子ども会から選手を募って開催されている。
その駅伝大会のサポートに行ってくれというのである。
以前は私の校区からも選手登録していることはあったようだが、近年は校区内で選手を募っても参加するものがおらず、昨年は私たちの校区から私と校区の会長だけが、サポートだけに参加した。
サポートといってもたいしたことはしない。
ゴールしてくる子どもたちを解放したり、応援を送ってやる程度のことで校区の行事に比べれば、あくびが出るほどやることがない。
それでも、私の校区の子ども会の会長が、この市の子ども会育成連合の副会長を務めているため、サポート要員を出さないわけにも行かないらしい。
そこで私のところに話が来たのだ。
でも、冷静に考えれば餅つきの当日、私がいなくなることがどれほど大きな痛手になるかわかるはずだ。
「段取りが悪い」といわれている今の校区の会長にお母さん方が「はいはい」と従うのは日ごろの行いとその実績が寄与しているのであって、何を言って聞いてくれるわけではない。
お母さん方の心の中には常に、校区の会長には付いていけない、という気持ちがあるのだ。
私は嫁さんやその友達からいろいろと話を聞いているし、校区の会長には言えない不満を私に話してくれるお母さん方も多い。
だから、すぐに調子に乗って無茶を言い出す校区の会長に釘を刺し、校区の会長の無理に付き合ってくれるよう、お母さん方をなだめる。
私が両方の橋渡しをしているようなものだ。
何を考えているんだと言いそうになったが、まあ、駅伝でも仕方ないかと思っていたが、結局、すぐ後に電話があった。
「別の人に行ってもらうことにした」と。
本当に段取りの悪い人だ。
2007年1月21日(日) 高校の新年会にて
20日は午前中から昼過ぎまで小学校で餅つき大会準備をし、夕方になって高校のPTA新年会へ出かけた。
PTAで飲みに行く機会も多いが、一番盛り上がるのは高校のPTAである。
保護者の年齢も私より高く、乙女の恥じらいが腹部の贅肉の下に埋もれてしまったおばさんと、クールな男の美学を抜け毛とともに捨て去ったおじさんが中心だ。
笑い声が小中のPTAとは比べられないほどに豪快だ。
校長先生をはじめとするほかの先生方も、子どもに手を焼くことが少ないためか、疲れた表情ではない。
小学校の先生はなんだか生活感がある。
中学校の先生も悩み事が多そうだ。
でも、高校の先生は、きりっとしてスマートに見える。
たしかに、服装からして違うのだが。
場所は学校の最寄り駅の居酒屋。
でも初めていく店なので少し早めに到着するように家を出た。
駅から徒歩数分ほどのところにあるらしい。
地図をチラッと見たがよくわからない地図だった。
まあ、でもそれほど広いところではないし、5分も探せば何とかなるだろうと高をくくっていた。
ところが、見つからない。
うろうろするが見つからない。
念のために控えてきた電話番号に電話すると、駅から数分どころか駅の前だった。
おかげでこれまた私が送れて到着した。
私が最後だった。
「待ってたんやでー。さあ、特等席あいてるで」と通されたのが上座、校長の隣。
反対隣には事務長、向かいは会長、斜め向かいに学年長。
ものの見事におっさんくさい。
あ、会長はれっきとした女性だが、もう、おっさんくさい。
女性の集まっているところは私から最も遠い位置、そこにちゃっかり教頭が混じっている。
代わってくれ。
でも十分楽しかった。
日ごろからジョークが多く、自信でもブログを書いている校長は酔うとさらに饒舌になった。
会長も相変わらず元気だ。
事務長は二次会になるとクネクネとダンスをしながらカラオケを歌う。
学年長もとても熱心な人で私と話をしていてもとてもよくあう。
この高校のPTAにいると妙にリラックスできる。
「来年度も副会長お願いできますか?」
と委員選出に当たっている人が私に同意を求めてきた。
断る理由などどこにもない。
「はい。承知しました」
来年度もこの高校で副会長として頑張る。
2007年1月22日(月) 東京土産
いつものように午前中の飛行機で東京へ向かう。
前日、長女にお土産は何が言いかと尋ねたら「東京バナナ」がいいという。
東京へはよく行くのでお土産など買ってくることが少ない。
それでもこの前、久しぶりにお土産を駆ってきたら子どもたちがとても喜んだ。
これぐらいでそんなに喜んでくれるのならと思って今度からは土産を買ってこようと考えたのだ。
飛行機というやつは安く済まそうと思うと、できるだけ早く予約する必要がある。
また、予約して変更のきかないチケットほど安く手に入れることができる。
予約の時間の余裕を見ることはたやすいが、忙しい私は少しでも効率よく移動したいのであまり余裕を見ないようにしている。
だから会議にも時間制限があってあまりだらだらと進めるわけには行かない。
今日の会議はテンポよく進んだ。
テンポよく進みはしたが、議題が多かった。
議題をテンポよくこなしていくが、制限時間を越えてしまった。
制限時間を越えると、駅まで走らねばならない。
暖冬とはいえコートは必要である。
ところが駅までの距離を走っていると、コートが邪魔になって仕方がない。
何とか駅にたどり着き、モノレールに飛び乗る。
空港駅についてすばやくチェックインを済ませる。
そしてそのまま手荷物検査。
ゲートをくぐって手荷物を受け取る。
あ。お土産。
ここで思い出したが、すぐに飛行機に乗らなければない。
でも「東京ばなな」はおみやげ物でも有名なもの。
手荷物検査を受けた後で購入ができる。
子どもの好きなお土産がかわりませんように、とへんな願い事をした。
2007年1月23日(火) 餅つき大会
先日、校区の子ども会で餅つき大会を行った。
私が校区の活動にかかわるようになって2回目の餅つきだ。
1回目とは違って勝手もわかっている。
そこで今年は餅つきだけでなく、一銭焼きも一緒にやることにした。
自治会で購入した鉄板を借りてくる。
めちゃくちゃ重い鉄板で男性一人でも持ち上げることができない。
いや、できなくはないが、腰を痛める。
で、これを二台並べて一銭焼きを焼いてみた。
「焼いてみた」というのは初めての経験だからである。
お好み焼きやたこ焼きを焼けてこその関西人。
お好み焼きの薄いのが一銭焼きである。
と思っている。
だから一銭焼きぐらい焼ける。
と思っている。
焼いてみるとなかなか難しい。
四苦八苦しながら焼いていたが、みるに見かねたご婦人方が「ちょっと貸してみ」と声をかけてくださった。
やっぱり普段から料理しているだけあって手馴れたものだ。
悔しいが、負けを認める。

肝心の餅つきはどうかと見てみた。
おじさんたちで盛り上がっているようだ。

子どもたちに餅つきをさせているかどうか心配だったが、まあ、ここは任せておくことにして、それよりもほかのお母さんのフォローをしなければ。
すぐ隣では大人も子どもも一緒になって餅を丸めていた。

大人の方々には大変な行事だが、子どもはそれなりに喜んでくれるし、今年は自治会の方々や、老人会の方々にも声をかけ、また、校区子ども会に属していない地域にも来ていただいた。
校区子ども会に属していない地域の一人のお母さんが「校区子ども会がうらやましい。こんなにいろいろ子どもにしてあげられて」と嘆かれた。
うらやましがられるのはうれしいことであるが、このように子どもの活動に積極的な保護者の声が、その地域で詰まれてしまっているのは悲しい事実だ。
2007年1月24日(水) 足にくる
最近、企業で購入するサーバと呼ばれるコンピュータが複数台あるときは「ラックマウント型」を購入することが多い。
床やテーブルの下に置く「タワー型」は1〜2台であればそうでもないが、台数が多くなるとかなりの場所をとる。
そこで「ラック」といわれる細長い専用の格納庫に薄く平べったいサーバを重ねるようにして格納していく。
こうすればすっきり収納できて場所もとらない。
スリムな縦型に何台ものサーバが納まっている姿はどこか知的でさえある。
ところがこのラックマウント、複数台のサーバをまとめてあるが、モニタ画面はひとつしかない。
というか、モニタ画面を何台も入れても、作業をする人はラックの正面に立つので、複数のモニタを複数の人で見て作業することができないのだ。
要するに、何台ものサーバがあるが、同時に作業ができるのは一人だけ。
もちろん、環境を構築しているときは一時的に別のモニタを持ってきて繋いで複数の作業者で作業することもある。
でも、それは一時的なこと。
いったん本番稼動すればそのモニタはとりはずされる。
そしてこのラックマウントに格納されたサーバは専用のマシン室にずらっと並べて配置されていることも多い。
設置面積を節約するためにメンテナンスを行える最低限のスペースだけを確保してある。ということはゆっくり座って作業できるようには配置されておらず、ほとんどの場合、立って作業しなければならない。
だからモニタも立って見やすい位置においてある。
だから長時間の作業となると足が疲れてくるのだ。
今日はその作業が6時間もあった。
そのマシン室に椅子がない。
さらにそのマシン室は専用のビルにあり、ビル内の出入りはそのマシン室に限られている。
したがって座りたければビルの外に出てどこかの喫茶店にでも駆け込むしかないのだ。
頭に来る仕事も少なくないが、今日はかなり足にくる作業だった。
2007年1月25日(木) 謝罪
昨日の立ち作業が疲れたのはなにも時間が長かったことだけが理由ではない。
結果の伴わない作業だったことによる心理的な要因が大きい。
敗北感に近い感情だろうか。
セットアップしたサーバが思うように動作しない。
ハードが原因なのかソフトが原因なのか、それすらわからない。
当然、昨夜も疲れた足取りでまた事務所に戻り、原因を調べるべく終電まで作業していた。
いくつか考えられる原因をまとめたところで作業を終えた。
そしてその内容を今日はユーザまで報告に行ったのだ。
ユーザは昔から付き合いもありよく知っている。
酒も何度か飲みに言ったし、ざっくばらんに話もできる。
しかし、仕事となれば別だ。
経過と原因、それから対策と今後の対応を説明する。
「申し訳ございませんでした」
最後に頭を下げてユーザと別れた。
作業工程に失敗はない。
指定されたソフトウエアを指定された方法でインストールし、指定されたとおりに動作させるだけ。
私も何度となく経験した作業だ。
それが正しく動作しないのは、ハードの問題かインストールしたソフトウエアそのものの問題であることに間違いはない。
それほど難しい作業ではないからこそ、それが明らかなのだ。
しかし、私は謝罪しなければならない。
私のかかわった作業がうまくいかなかったのは私の責任なのだ。
時には人の失敗、ユーザの失敗でさえ私が謝罪することもある。
理不尽に感じることもある。
大人なんだから、と自分に言い聞かせる。
2007年1月26日(金) 報道陣
26日の日記
夕べ謝罪に行ったユーザの1Fホールでのこと。
一緒に謝罪に行ったメーカの営業マンとはここで待ち合わせをしていた。
いつもこのユーザを訪問するときに使う待ち合わせ場所だ。
ガラス張りのフロアーは外からも中がよく見える。
だから夕方の6時前でも、1Fホールの様子がいつもと違うことはすぐにわかった。
いつもは座席に腰を掛けて雑談している人が数名いる程度で、受付の女性もガードマンも暇そうにしているのだが、今日は違う。
ざっと見て20人はいるだろうか。
すぐにわかる。
報道陣だ。
この会社にはスポーツ新聞を彩る広告媒体がある。
だから何かと報道陣が押し寄せるのだ。
今日も責任者ある立場の人間を取材しようとカメラとマイクが待ち構えている。
広報担当者と思われる女性がみんなの前に現れると、それまで雑談していた報道陣がいっせいにそちらを見た。
「まもなく参りますので、もうしばらくお待ちください」
そう言われてカメラを担ぐもの、マイクを持ち上げるもの、そしてライトをかざすもの、それぞれ分担された準備作業に取り掛かった。
まもなく責任者と思しき人が現れた。
とたん、ライトに灯が入りマイクが林のように乱立した。
カメラは敵を倒す迫撃砲のように狙いを定め、メモを持った記者が取り囲んだ。

いつもは暇そうな警備員も胸を張って仕事をしていた。
2007年1月27日(土) 休日に仕事をするわけ
休日に仕事をすると意外に捗(はかど)る。
いつもは複数のメンバーと作業をすることが多いが、作業リーダである私のところへはひっきりなしに確認や依頼が舞い込んでくる。
「このドキュメントはこんな構成でいいですか?」と散々悩んだのか頭をくしゃくしゃにして設計書を持ってきたり、「すみません。手配漏れがありましたので至急手配するように調整してください」と何十万もするソフトウエアを追加で購入してくれと申し訳なさそうな顔で頼みにきたりする。
その合間にメールが飛んでくる。
一日のメール受信件数は私宛のものだけでも30件を超える。
「CC」で送られてきたものを含めると50件を超える。
「ケータイ」でやり取りするようなコミュニケーションメールではなく、一つ一つがユーザと直結した仕事のメールであり、返信するにも細心の注意が必要だ。
このメールの一つ一つがさっきの確認や依頼と同じようなもので、片付けても片付けても次から次へとやってくる。
みんなが帰宅したころになって、ようやくメールの件数が減り始め、それでも処理できないものを残して私は帰宅する。
毎日がこれの繰り返し。
だから休日に作業をしないといけないのだ。
メールを送るほうは簡単だ。
「構成図を作成してください」
だけですむ。
こちらはその構成図を作成して送ってやらなければならない。
しかし、私にはメンバーの相手やメールの処理ではなく、私本来のユーザサポートの仕事があるのだ。
メンバーやメールの相手をしているとその仕事がほとんどできない。
ところが休日は私のところへやってくるものもいなければ、メールも飛んでこない。
おまけに静かだし、堅苦しいスーツではないので気分も落ち着く。
コーヒーを飲みながら邪魔されずに自分のペースで仕事を片付けられる。
休日に仕事をするのは能力のない人間だと思っていたが、今の私がそうだ。
やはり能力がないのかもしれない。
2007年1月28日(日) 親子行事
今日は学校で「親子行事」があった。
親子行事というのは年に一度、学年ごとに親と子が一緒になって何かをする行事である。
「何か」というのは特に決まっていない。
子どもと一緒に何かを学ぶもよし、何かを作るもよし、はたまた遊んでもかまわない。
何をするかは「学級委員」と呼ばれる実行委員さんが考える。
私の子どもは一年生。
となれば、もう、遊ぶしかない。
一緒になってゲームすることになっていた。
日曜参観の変則バージョンである。
いつもなら子どもたちの教室に集まる保護者が今日は多目的室に集まる。
それに着飾ったお母さんたちが多いのが参観日の特徴だが、今日は動きやすい服装ばかりだ。
私もいつもどおりの普段着である。
とはいえ、この後、講師を向かえて講演会を開催するのでスーツも持参だ。
大変なのである。
多目的室に集まった子どもたちはみんな笑顔だ。
狭い教室と違って少し広めのこの部屋は、子ども会や授業でもいつもみんなで遊ぶ時に使う部屋だからだ。
子どもの笑顔を見て大人も笑顔になる。
学級委員の説明もそこそこにゲームが始まった。
まずは新聞紙にボールを載せて4人一組で運ぶレース。
私も自分の娘とペアを組み、よその親子と一緒になってボールを運んだ。
次に4つのチームに別れ、それぞれ一列に並ばされた。
先頭からボールを頭の上で受け渡ししながら後ろへと運ぶ。
一番後ろまで行くと今度は股の間をくぐらせて前まで運ぶ。
これまたレースだ。
レースになると子どもより大人が向きになる。
勝ったら大騒ぎだ。
ジャンケンゲームも大盛り上がりだ。
あっという間に楽しい時間は過ぎた。
私はみんなより一足先に、講師を迎えるため校長室へ向かう。
更衣室を借りてスーツに着替える。
講師はどこかの大学の教授。
学校が好きになる子どもの育て方という話だったが、どんな内容だったか忘れた。
まあ、当たり前の話だったからだ。
無論、それが終わってからも仕事に出かけた。
忙しい日々はこうして続く。
2007年1月29日(月) ツインの部屋だけど
先週に引き続き東京での会議。
いつもはサポートの報告をしたり、情報交換をしたりと、どちらかといえば一方的に話すことの多い会議だが、今日の会議は少し毛色が違い、久しぶりに技術的な話し合いだ。
羽田から品川へは、いつものモノレールではなくて小田急に揺られる。
モノレールの駅名がどちらかといえば人工的な無機質さを感じさせるものが多いのに対し、小田急のそれは昔ながらの地名や風情を感じさせるものが多いように思った。
昼食の時間がほとんどなく、大阪ならうどんかそばで済ませるところだが、東京ではまだ一度もうどんを食べたことがないし、これからも食べないと思うので、カレーにした。
昼食を済ませ約束のビルにメンバーが集合する。
会議室は大きなフロアの一角にパーティションで区切られた狭い場所。
コンピュータのエラーが発生した場合にどのように検知してどのように対処すべきかなど、技術的な討議をする。
2時間ほどで終えた会議でいつもならこのまま大阪に戻るのだが、今日はプロジェクトメンバーの親睦会がある。
親睦会を終えた時間では大阪へ戻る手段もないので、今日は宿泊することにした。
予約したホテルの部屋。
シングルを予約したのだが、案内されたのはツインの部屋。

その夜、この部屋に戻ったのは3時を過ぎたころだった。
2007年1月30日(火) 委員選出方法を考えて
前日は東京で3時まで飲んでいたので昼過ぎの大阪の会議に出席するのは少々きつかった。
それでも何とか仕事を終え、東京のお土産を持って小学校の役員会へ。
去年の今頃、みんなが苦労し悩んでいた次期委員の選出が今回の話題。
私が会長になったとき、来年はぜひ改善したい、と公言した項目のひとつだ。
若い役員が積極的に意見を出してくれたおかげでなかなかいい方法が見つかったと考えているが、問題がないかをみんなで精査する必要がある。
それを今日もやっていた。
しかしこれが、考えれば考えるほど、泥沼にはまる気分。
全保護者を対象としていて、かつ、みんなが納得できるようなシステムでなければならない。
PTAの代表である各委員を選出するのにそんな方法があるのだろうか。
それなりの報酬があるのであれば立候補も増えるだろうが、文句を言われ責任を背負わされ、代表として活動し、忙しく動き回らなければならない委員を積極的に引き受ける人なんて多いはずがない。
メリットといえば学校のことをよく知ることができる、友達が増える、程度だろうか。
立候補がいなければ話し合いによる選出となるが、最悪の場合はくじ引きも考えなければならない。
このくじ引きが毎年、物議をかもし出しているのである。
どうしても説得するのに疲れ、最後のアンケートに走りがちなのだが、できないと断る人が後を立たず、それをまた説得して、だめなら別の人にお願いして・・の繰り返し。
そりゃもう、説得する役目にあたった人は泣きそうになる。
頼まれて断った人、その次にしぶしぶ引き受けた人、どうしても人間関係が悪くなる。
これを改善しようと考えているのだが・・。
この結果は3月になればわかる。
2007年1月31日(水) エディタ
昨日は夜間作業に思いのほか梃子摺(てこず)ってしまった。
夜間に作業があるのはコンピュータを止とめなければならないからだ。
コンピュータは普通に使い続けるのなら、特に止める必要はない。
でも、設定変更を行う場合は別だ。
安定稼動しているコンピュータの設定を変更するのはあまりよくないが、何かの要件で設定を変更しなければならないときもある。
汎用機は信頼性が高く、よほど誤った設定変更でもしない限り、正しく動く。
いや、誤った設定をすると、その設定にしたがって正しく動く。
いずれにしても設定変更をすることで動作が不安定になる、ということはなく、設定変更を行うことはよくあることだ。
設定変更を行うときに用いるのが「エディタ」といわれる編集用ツールだ。
Windowsで言えば「メモ帳」などがそうだ。
文書を作成するツールではあるがそれに機能が特化されており、逆に複数のフォントを組み合わせたり、複雑な飾り文字や罫線などを作成しない。
これはとても大事なことだ。
「Word」などで複雑な視覚効果のある文字を作成すると、それは単に文字としてのデータではなく、その文字を視覚的に表現するいろいろな制御コードが埋め込まれる。
エディタとして使用する場合はこの制御コードが邪魔になるのだ。
HTMLメールなどでは複雑なメールが作成できるが、その分、正しく表示できるメールソフトも限られる。
正しく表示できないのはそこに文字を複雑に見せるための制御コードがあるからだ。
汎用機のエディタはそれはもう、汎用機でしか使えないエディタである。
何しろフォントの大きさも、色も変更できない。
非常にシンプルで使いやすいエディタだ。
しかし、シンプルすぎて手間がかかる。
Windowsでは当たり前のような簡単な編集ができない。
Windowsのエディタなら30分ほどで片付いたと思われる作業に2時間もかかってしまった。
おかげで帰宅は深夜の2時を回っていた。
昔は大変だったんだなあ、とひとごとのように思った。