カリント日記

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2007年2月1日(木) 役員探し始まる

PTAの活動も最後の段階だ。
それは次期活動への布石。

各学年の代表で構成される実行委員会の委員選出については、以前の日記にも書いたとおり、話し合いで決着がつかなければくじ引きなどで決めることもある。
しかし、本部役員ともなるとさすがにくじ引きで決めるわけには行かない。
事実、4月の入学式を過ぎても会長が不在の時があるほどで、最後の最後まで役員選出委員と先生とが一緒になって該当者を探す。

来年度の本部役員も何人か決まっている。
私の知り合いというか、嫁さんの友達というか、要するに気心の知れたメンバー4人が「今の本部は見ていられない。来年は私たちがやろう」と秋ごろから話をしていたし、今もその気があるようなので、このうちの何人かは本部役員をやってくれる。

しかし、やる気のあるメンバー全員がやるわけには行かない。
8地区ある校区から選ぶべき役員6名のうち、5名を私の地区から選出するわけには行かないのだ。
正直言うと、私の知り合いだけで小学校のPTA役員を構成することはできる。
やろうと思えばできるメンバーが揃っている。
でも、他の地区とのバランスもある。
さすがに私の地区だけで構成するのはまずい。
独裁といわれかねない。
それに何より、私の地区の子ども会構成に影響する。
人手が薄くなる。
それは子ども会会長として私が困る。
あくまで私の基盤は地区の子ども会であって、PTAではないのだ。

私はほかにどうしても役員を引き受けてほしい人がいる。
それは今の役員のなかにあってただ一人、私と同じように熱い気持ちで役員を務めている女性だ。

でも、難色を示している。
はっきりと返事はしないものの、やんわりと断っている。
やる気もあるし、できるのに、何かが邪魔をしているようだ。
それぞれに家庭の事情もあるし、役員をすればそれだけ、何かを犠牲にしなければならないのも事実だ。

この役員をどうやって引っ張り込もうか。

2007年2月2日(金) 悪循環を断ち切るために

今日もまた小学校で役員会である。
早めに仕事を切り上げ小学校へ。

今週二回目だ。
これというのも委員選出方法を検討するためだ。
委員選出にあたっていかに説明すればより多くの人の賛同を得られるか、また、どのようにすれば委員選出の負担が軽減されるか、そればかりを最近は考えている。

委員選出に苦労するには訳がある。
委員をやりたがる人がいないからだ。
なぜやりたがる人がいないか。
それは委員になるといろいろと苦労するからだ。
何が一番苦労かと、委員に尋ねてみると返ってきた答えはこうだ。
「委員選出が一番苦労する。それ以外は思ったより楽だった」

委員活動の中で一番苦労したのが、次期委員の選出だという。
悪循環もいいところだ。

委員の選出が楽に行えたとしたらどうだろう。
「委員選出も楽だったし、それ以外も思ったより楽だった」
そうなれば委員になってもそれほど苦労はしない。
苦労がしなければやってもいいという人はいるだろう。
やってもいいという人がいれば委員選出も苦労しない。
これがいい方向への回転だ。

今年、私が目指したのはこれだ。
この悪循環の出来上がっていることをしっかりと理解していただき、実はそれほど難しい仕事でも苦労する仕事でもなく、むしろ利点もあることをアピールする。

その資料の最終チェックをするのが今日の役員会。
明日、実行委員会でその資料を提示し、保護者のみんなへ配布する前に、十分趣旨を理解してもらう必要がある。

委員を選出することの苦労を軽減するため、くじ引きの方法を大きく変えたので、反論は大いに考えられる。
しかし、リスクを恐れて何も変えなければ悪循環は断ち切れない。

私のしたことが英断であると言われる日が来ることを信じている。

2007年2月3日(土) 着メロ変更

午前中に小学校の実行委員会に出席し、今回悩みに悩んで生み出した委員選出の方法を簡単に説明した。
公表した以上、後には戻れない。
多少強引な方法ではあるが、前に進むのみ。

一仕事終えた気持ちになって自宅に戻る。
本職の仕事が残っているので出かけなければならないのだが、どうにもこうにもからだがしんどい。
嫁さんが心配して「少し休んだほうがいい」という。
その誘惑の声に負けて横になると、数分もしないうちに眠ってしまった。

惰眠をむさぼる。
いつもなら目覚めたときに罪悪感とか後悔とかそういうものを感じて後味が悪い。
しかし、今日は疲れているのでそれも許す。

目覚めてボーっとテレビを見ていた。
と、突然、流れるテレビCMに目が覚め、そして何より耳が反応した。
一気に覚醒する。

私の一番好きなビール「KIRIN」のCMに、私の一番好きなバンド「YMO」が出演し、私が一番好きな曲「RYDEEN」を、演奏しているのだ。
私がキーボードを演奏するようになったのはこの曲がきっかけだ。
今も、いや、ついさっきもこの曲を聴いていたのだ。
ギターのアドリブや音色でいつのツアーのどこのホールで演奏した曲かも区別できる。
音程も小節数も正確に頭の中に入っている。

CMで流れていたRYDEENはおそらくこのCM用につくったものだろう。
この3人を一つの画面で見るのは何年ぶりだろう。
もちろん家にはビデオもあるし、ネット上で見ることもできる。
でも、テレビの画面に映し出されるのは久しぶりだ。

KIRINのWEBサイトでCMを再生する。
映像と音楽を堪能する。
5分後、私の着信音は「RYDEEN」に変わった。

2007年2月4日(日) 新しい春

午前中は寝た。
とにかく寝た。
でも、今年小学校二年生になる長女は相変わらず、寝ている私の上に乗ってきてゴロゴロと転げまわり、「やめ
なさい」と注意しても、10分もしないうちにまた転がり始めるので、私の安眠は10時までには終了した。
それでも意地になって寝ようと決め込んだが、12時ごろに目覚めたときは、二度寝をしたような感覚で、頭が重
かった。

嫁さんよ、こういうときはとにかくコーヒーだ。
私はコーヒーの香りで目覚めるのが理想なのだ。

遅い遅いブランチを済ませ、出かけることにした。
いつものように仕事に行く前に立ち寄るところがあった。

数日前、高校の会長からメールが来たのだ。
「次期3年生の学年長が3人で話をしたいといっている」という内容のものだった。
ピーンときた。

喫茶店で現在の会長と現在の学年長そして私(現在副会長)とが話をした。
学年長が切り出した。
「実は会長から『来年度はあなたに会長をしてもらいたい』という連絡を受けまして」。
予想通りだった。
「で、私が会長を引き受ける前にまず○○(私)さんが会長に就任され、私が副会長になるのが筋ではないか
と」という。

わからなくもないが、そうもいかない。
その答えを、現在の会長が返した。
「○○さんは忙しすぎるからダメ」
そのとおりなのだ。

結局、その学年長が次期会長に、現在の会長は次期学年長になることになった。
会長がそのポストを退いたのも、後継者を育てるためなのだ。
私はそのまま副会長に留まる事になった。

そんな話をしてから仕事場へ向かう。
ひとつ仕事を終えて窓の外を見た。
時刻は17時15分。



つい先日まで、この時間なら辺りは薄暗くなっていたように思う。
間違いなく新しい春がすぐそこまでやってきていると感じた。

2007年2月5日(月) 新一年生保護者向け資料

世間で新入生の話題が出る今日この頃、学校の中では一際(ひときわ)それを感じる。
先生方はもちろん、PTA役員にだってその気配はある。
新一年生の保護者に対してPTAとはどういうものかを説明するのはPTA役員の仕事。
だからその準備に大忙しなのだ。

一年生の保護者といっても我が家のように下の子どもが一年生という場合もあり、ベテランの保護者もいれば、初めての子どもが小学校に通うので不安でいっぱいの保護者もいる。

ベテランの保護者には今一度PTA活動への理解と協力を求め、新人の保護者にはPTA活動の面白さを訴える。
しかし、あまりに理解と協力を求めすぎるとそれはそれで、協力なしでは前に進めない、すなわちこれまた苦労の多いものだと思われてしまうし、かといって面白く楽しいことばかりを並べるとベテラン保護者から「そんなはずはない」と反感を買ってしまう。
このさじ加減が難しい。
しかし今回は新人の保護者に重きを置いて話を進めることにした。

つい先日、PTA活動を支える委員さんを募集するための資料を作成した。
かなりわかりやすく書いたつもりだがそれでもなかなか理解してもらえないようで、役員の一人が「新しい保護者の人にはもっとわかりやすく」とリクエストがあった。

言うのは簡単だが資料を作るのはなかなか骨が折れる。
しかし、それを言った役員はいつもの頑張り屋の役員だ。
だから私も頑張った。
頑張ってできた資料にはかわいいイラストなども入っている。
それを見た役員は「すごい!大満足です!」と。

これを配布するのは明後日。
さてどうなることか。

2007年2月6日(火) 卒業生へ送る言葉

小学校の卒業を前に、学校新聞の最終号が発行される。
昨年、その年度初めての学校新聞が発行されるに当たり、会長就任のあいさつ文を投稿してほしいと、広報担当者から依頼があった。
今回は卒業生に向けての言葉を書いてほしいという。

いつもこういうときに問題になるのだが、投稿する文書には文字数の制限があるということで、その文字数がかなり短い。
大体が400文字程度なのだが、言いたいことを書いていると400文字などあっという間に消費してしまう。

とりあえず、思うままに文章を書いてみた。
800文字程度になってしまった。
仕方がないので、少しずつ削る。
導入部分を削る。
中心部分を簡略化する。
言いたいことがきっちり言えているかどうか、何度も推敲しながら短くする。
これがなかなか難しい。
制限なく書ける日記のほうがよっぽど楽だ。

ようやく書き上げた。
義務教育」について書いた。

義務教育はもちろん小中学校が対象だが、そのことを小学校低学年に説明してもわからないだろうし、中学生に説明するには遅すぎる。
中学校という義務教育の後半を迎えようとする、今こそがもっとも適切だと思ったからだ。

子ども向けに書いては見たが、本当は親にきっちり理解して、子どもを導いてほしいと考えている。

2007年2月7日(水) 保護者説明会

新一年生の保護者に対する「保護者説明会」というのが毎年学校で開催される。

PTAからもお知らせをするので、校長の隣に座らされる。
保護者を眺める。
スーツ姿の校長と教頭の間に座っている、チャラチャラした感じのこのおっさんは誰だ?というような目で私を
見ているのはたぶん、今年から初めて小学校に来る保護者だろう。
教頭が一通り説明した後、校長が挨拶をする。
今年の一年生は開校以来、最も数が少ないという。
これはいいことを聞いた。

私の出番となってマイク片手に委員の説明を開始した。

「皆さんこんにちは。会長の○○です。
本日は貴重なお時間を頂戴いたしまして、PTA活動に携わる委員選出についての説明をさせていただきます。
PTA活動というものは何も一握りの役員がすべてを考え、活動しているわけではありません」

そして本題へ。

「今から委員活動の内容についてご説明申し上げますがその前に」

ここで間を取る。
一呼吸おくことで「なんだろう?」と聞いている側は気になる。
保護者席の後ろで話を聞いていたPTA役員までもが少し身を乗り出した。

「この実行委員、1学年に6名おります。
で、皆様は新1年生の保護者ですが、同じメンバーでこれからの6年間を過ごすことになります。
ということは6年間でのべ36名の方が委員を経験することになります。
先ほど、校長の話にもありましたが、今年の新入生は45名です。
つまり、45名の保護者のうち、36名が委員を経験するわけです」

手を広げ、マイクを持ち替え、アクションを加えながら話をする。
最初は委員活動の話なんて、という感じで他人事のように話を聞いていた人間も具体的な数字を挙げると、他人
事ではないと気づき始める。
そうすると次の活動内容の説明についても真剣に話しを聞いてくれる。
このあたり、われながらうまい。
委員活動の内容について説明を進める。
どんなイベントがあるのか、どんな役目があるのか。
保護者が気にするのは「自分がどれだけ拘束されるのか」ということと「どれだけの責任を負わせられるのか」
ということ。

「で、この実行委員会ですが、毎月開催されます。
しかし、出席いただくのは毎回全員ではなく、順番です。
したがって実質、お一人当たりの出席回数は年間に2回程度です。
土曜日の午前中2時間、これを1年365日の間にわずか、2回出席いただくだけです。」

大きい数字と並べることによって小さい数字をアピールする。
うんうんとうなずく保護者たち。

「また、各行事については役員が補助いたします。
いろいろお考えいただくのは委員さんの自由にしていただいて結構です。
必要であれば役員が助言しますし、お手伝いもいたします。
また、必要に応じてお手伝いの人員を募集します」

これまた負担が軽いことをアピールする。
うんうんとうなずく保護者たち。

最後に。

「私は去年、皆様と同じように、そこに座っておりました。
それをいきなり会長という大役をおおせつかり、不安ながらも何とかここまでやって来れました。
これは何も私一人が頑張ったからではありません。
経験豊かな先生の助言と、いつも一緒に力をかしてくださる他の役員さんの支援があったからこそできたことで
す。
これは他の委員さんでも同じです。
委員さんは決して一人ではありません。
一緒にお手伝いをしてくれる人が必ずいます。」

意識的に前のめりになって、上体を動かしながら語る。
保護者はもちろん、役員も先生もほとんどの人がうなずいている。

およそ5分。
説明を終えて席に戻った。

これで委員選出がくじ引き、なんてことになったら、ちょっと暴れるぞ。

2007年2月8日(木) メーリングリストで送るな

プロジェクトは一人で進めるものではない。
複数人で歩調を合わせて行うのが基本である。
そのためには意識の統一が大事であり、また意思の疎通が円滑でなければならない。
それを実現するための手段としてメーリングリストによる一括したメール配信がある。
一人が多くの人に情報を発信するとき、メーリングリストを使えば、そこに記述されているメンバすべてに同じ内容のメールが配信される。
なんとも便利なものだ。

仕事で使い慣れている人はそれでいいが、そうでない人がこれを使うと厄介だ。
何でもかんでもメーリングリストで連絡する人もいる。
市のPTA協議会メンバーにもそういう人がいる。

メーリングリストの使用目的は一人から複数人への情報発信にある。
またその情報は受け取る側にとって有用な情報でなければならない。
「今度の会議はどこどこで開催します」「前回の会議で懸案事項になっていた項目についての協議結果をまとめましたのでお送りします」といったようなものであるべきだ。
なのに。

「了解しました」
「ありがとうございました」
などという単なる返事をメーリングリストで送るものがいる。

自分が相手に返事をしたいのなら個別に送ればいい。
それをメーリングリストで送るものだから、関係ないメンバにまで送信されてしまう。

「了解しました」?
あなたが了解したかどうかなんて私はどうでもいい。

「ありがとうございました」?
礼を言うのはみんなに対してではなく、その好意をした人に対して言うべきだ。

こうやって無駄なメールを受けるのは無駄に体力と電池を消耗するのだ。

2007年2月9日(金) 中学校最後の役員会

今日は中学校最後の役員会だった。

中学校における私の立場は「会計監査」という一役員に過ぎず、いつも一歩ひいて話を聞いている。
発言もあまりしない。

中学校の役員会は実行委員会の前に行われており、あまり時間も掛けない。
会長は市Pで聞いてきた内容を役員たちに報告するが、口頭で話をするだけ。
後に行われる実行委員会の席でも口頭で説明するだけで、私のようにプリントにまとめて配布するようなことはしない。
というか、プリントにして配布しているのはきっと私だけだろう。
なぜなら、基本的に会長のほとんどはパソコンができないからだ。
市のPTA協議会での決定事項や依頼事項をわざわざワープロして文書化し保護者に説明している会長は珍しい。
だから中学校の会長のやり方が普通であって、中学校の役員会や、実行委員会が普通の姿のだと思う。

でも、それで本当に伝えたいことが伝わっているのだろうか。

PTAの活動というものがなんだか遠いものに感じている保護者は少なくないはずだ。
この私だって最近まではそうだった。
でもそれはPTAのやり方に問題があるのではないかと思う。
自分たちが何をやっているか、しっかりと伝えようとしていないことが問題なのではないだろうか。

委員会でプリントを配布せずに私が口頭で話をしたとする。
それを聞いた委員さんは一所懸命にメモを取る。
しかし、そのメモを自宅に帰って読み返すだろうか?
また家族の誰かに見せるだろうか?
見た家族が読むだろうか?

考えてみればわかる。
ノートに書いてしまうと、書いただけで満足してしまう。
それを読み返すことはしない。

でも、プリントになっていれば、磁石で冷蔵庫に貼り付けておくこともできる。
また、家族に見せるかもしれない。
あるいは、テーブルの上に粗雑におかれたプリントを誰かが見るかもしれない。

少しでも本人やほかの人の目に付く。
それに、委員会の最中はメモを取ることに気をとられず、話を聞くことに集中できる。

伝えたいことはプリントにして伝える。
会話でなければ得られないものにこそ、会話の時間を割り当てたい。

面白くない中学校の役員会もようやく終わった。

2007年2月10日(土) フェスティバル

「地域教育協議会」という堅苦しい名前の会がある。
中学校の会長を中心として同じ中学校区の小学校会長やその地域に住んでいる「地域コーディネーター」と呼ばれる人、それから子ども会の会長などがそのメンバーだ。
同じ校区内で一緒になって子どもの教育にかかわる活動を展開していくのというのが目的であるが、実際の活動といえば、その協議会が主催するフェスティバルの開催である。

数年前から始まったこのフェスティバルであるが毎年、予算がなくて今年は中止、という危機に直面しながらも何とかやってきている。
そして今年もそのフェスティバルが開催された。
それが今日。

幼稚園児から一般参加者まで。
踊りや合奏、合唱にお芝居、といろいろな出し物があり、なかなかの内容だ。

これは幼稚園児によるマスゲーム。



観客は保護者が多く、これが終わると帰ってしまう人も多い。

これは中学生による演劇。



なかなか上手で舞台誘導係だった私は舞台袖で見ていたが、正面に回って観覧したいと思った。

そしてこれは私が知り合いに頼んで出演していただいたアクション劇。



傘を持ったサラリーマンが悪漢や侍と戦うという一風変わったもの。
傘で戦うところが子どもに受けていたようだ。

来年もまた開催が危ぶまれながらも、開催されると思う。

2007年2月11日(日) 惰眠

寝た。
何しろ寝た。

前日はフェスティバルの後、早い時間から地域教育協議会のメンバーと酒を飲みに行った。
ほとんどが各学校の校長や教頭も一緒だ。
先生といっても酒を飲んでいるときはただのおっさんだ。
そのおっさんに進められてホイホイ飲んだのが効いたのか、かなり酔ってしまった。

帰宅した時刻はそれほど遅くなく、その後も自宅で飲んでいたのだが、ほとんど記憶がないままに眠りに着いた。

朝が来たはずなのに、まったく起きなかった。
昼を過ぎてもなんだか眠いし、起きようという気にならない。
食事をするために一度は起き上がったものの、食事を取るとまたすぐに寝た。
「牛になる!」と子どものころにはよく叱られたが、もう、叱られることもなく好き勝手にできるのは大人になったからだ、などとわけのわからぬことを言いながら横になる。

ダラダラしているとだんだんとダラダラしてくる。
寝転がっていると眠気に襲われる。
だから起きなければいけないのだが、もう、今日はいい!という気持ちになってダラダラしてみた。

結局、夕方の5時ごろ、ようやく起きた。
こんな時間に起きても、仕事なんてできるわけがない。

夕食を食って少しだけ小学校の仕事をした。
それで今日は終わった。

惰眠をむさぼると後悔するものだが、今日は今までの疲れがたまっていたから言いのだ、と自分に言い訳してのんびりした。
明日からまた走り出すぞ、と誓って。

2007年2月12日(月) ディーラー車検

わが愛車のオデッセイもとうとう車検を迎えた。
丸3年乗っていることになる。

オデッセイの前に乗っていた車でユーザ車検の経験もあるし、今回もユーザ車検を、と考えていたが、車検の有効期限は16日。
今日は12日でそれまでに暇を作ることがどうにもできそうにない。
仕方がないので、ディーラーにお願いすることにした。
ちょうどディーラーから「安くしておきますので」と案内が来ていた。

先日見積もりをもらっていたので、嫁さんに相談していたのだが、金額を聞いてびっくりした嫁さん、「げっ!そ、そんなに高いの?!」と目を丸くしている。
ディーラー車検が高いわけではない。

税金の類が高いのである。
腐っても2.4リッター、重量1.7トンである。
550CC、600キロの軽自動車と比べれば金額は遥かに高い。

この日記を書くために調べてはじめて気がついたが、軽自動車には「自動車税」がかからず、「重量税」のみがかかるようだ。
しかも軽自動車の重量税は2年で8,800円。
オデッセイだと1.7トンで50,400円。
それにプラス、自動車税45,000円だ。
実に十倍もの税金を払うことになる。

おまけに燃費は半分だし、高速料金だって高い。
そういえば、ガソリンだってレギュラーからハイオクに変わった。
なにより、本体価格が7倍だ。

10年で10万キロ走ったとして1キロ走るのにどれだけ費用がかかるか。
税金は5回払ったとして10万で割る。
本体価格も10万で割る。
それに1キロ走るのに必要なガソリン代を加える。
ざっと計算してみた。

すると軽自動車なら1キロ当たり10.4円、オデッセイでは50.8円かかることになる。
5倍弱。お。思ったより安いかも。
って、10万キロ走ればの話。
3年経過した今、まだ1万キロも走っていない。

もっと走らないと、と思いながら車をディーラーに持っていった。

2007年2月13日(火) 偽証罪って

市のPTA協議会の役員会に参加した。
いつもの会長会ではなく、役員会に参加するのは初めてのことだ。
私は会長会の役員ではないが、つい先月、広報委員長になり、今後は何かと役員活動に参加してほしいとのことで参加することになったのだ。

会長会の役員の中にも虫の好かないやつがいる。

なんだかこの市を全国的に有名にした、すごいシステム作ったとても偉い人のようで、日本各地からいろんなマスコミがやってきて褒め称えたものだから、もう、本人はすっかり天狗になってしまって、誰も止めないものだからさらに調子に乗ってしまって、こうなったんだろう、っていう感じのやつがいるのだ。

「えー。皆様、それでは少しのお時間を頂戴いたしまして、手短に、できるだけ早く、簡潔にお話申し上げますので、ご了解ください。あまり長々と話をいたしますと、またお叱りを受けますので、本当に、短い、少しの時間で結構ですので、お話をお聞きくださいますよう、お願い申し上げます。はい。ほんの少しですみますので」

早くしゃべれ!
と後ろから頭をひっぱたいてやろうかと思うような、話し方をする。

市のPTA協議会に批判的な文章を書いた政治活動家がいた。
その文章はさも、一般的な保護者が書いたような文面にはしてあったが、実際は政治活動家が書いたものらしい。

その文面を見て、「これは法律で言うところの、誹謗中傷に当たりますので、法廷で争うことができます。さらに言えば、これは本人が書いたものなのに、さも他人が書いたかのように偽っているところがあり、いわゆる偽証罪に当たります」とのたまう。
ほかの役員は「ほう。なるほどー」と感心している。

私は三流とはいえ法学部出身で刑法を主に勉強してきたので、鼻で笑ってしまった。
この程度の文書で誹謗中傷だなどと騒ぐのなら、本当に自分に向けられた誹謗中傷の文面を目の当たりにしたら二度と立ち上がれないのではないだろうかと心配になる。
それに偽証罪って。

「うそをついてはいけない法廷の場でうそをつくこと」であって、単にうそいったり、うその文書を書いても偽証罪にはならないし、そんなことで偽証だなんていっていては、そこらじゅう罪人だらけだ。

こんな話で「ほー」などと感心していては、ほかの保護者になめられるぞ。

2007年2月14日(水) バレンタインの贈り物

毎年のことであるが、男は馬鹿だなと思う今日はバレンタインデーである。
普段見向きもしないチョコレートを高々一個もらっただけで、わかりやすいほどにうれしそうな顔になる。
小学生でも中年男でも、モテモテで文字通り腐るほどチョコレートをもらっているやつか、あるいはチョコレートに悲しい思い出があるやつか、さもなくば女性にまったく興味でもないやつでもない限り、同じように喜ぶ。
無論、私も例外ではない。

数日前からなんとなく「ああ今年はこれぐらいかな」と予想がつく。
予想がついているのに予想通りもらえるとうれしい。
でも、予想以上だともっとうれしい。

高校の同じ委員さんから嫁さんを通じて頂戴したのは予想外だった。
それほど話をしたこともないし、一緒に活動したわけでもない。
3〜4回顔を合わせたぐらいだ。
むしろ、付き合いがあるのは嫁さんのほうだろう。
おそらく、嫁さんが来年度はその人を引き継いで広報の委員長を務めるので、挨拶代わりといったところだろうか。

仕事先で頂いたのは一昨年のバレンタインをきっかけに一緒に飲み会などへ出かけるようになった女性から。
小さな紙袋を手渡されるときはなんとなく気恥ずかしい。
仕事から戻ると嫁さんが「友達から預かった」と言って小さな紙袋を二つ手渡してくれた。
いつも私を手助けしてくれる心強いお母さん達からだ。

みんな、私がチョコレートをほとんど食べないことを知っていながら、毎年毎年くれるのがうれしい。

でも、一番うれしかったのは長女からのチョコレート。



いつまでもこういう気持ちでいてもらえるような父親でありたい、と思った。

2007年2月15日(木) 高校卒業生へ

高校の先生から寄稿の依頼があった。
高校広報の年度末号に生徒や保護者に対してのあいさつ文を書いてほしいとのことだった。
前年度の広報を嫁さんに見せてもらった。

前年度の副会長のあいさつ文が記載されている。
「これからも○○高校のますますの発展を願っております」
で結ばれていた。

うん?
発展してうれしいのは高校か?
人気があればいいのか?
私は違うと思う。

発展すべきは卒業生である。
卒業生が本当にこの高校を卒業してよかったと思えるようにするべきであって、いくら世間に人気があって華やかでにぎやかで、進学校になったとしても、卒業生がよかったと思える学校でなければならない。

私は卒業生に向けて言葉を書いた。
学校の先生にも「卒業生とPTAに向けてとのことでしたが、伝えたい気持ちの焦点がぶれてしまうので、卒業生向けに作成しました」と断りを入れた。
いつものように字数制限を考えて何度となく推敲して書き上げた。

辛苦を恐れず」というタイトルにした。

もう少し時間があればもっといいたいことをうまく伝えられたのに、少し悔やまれる。

2007年2月16日(金) 行きつけでなくなった理由

「行きつけの店」として何度となくこの日記にも登場した店、そしてこのサイトへの訪問者たちと出会うきっかけとなった店、その店に久しぶりに行った。
どれほどの久しぶりかというと、最後にこの店に行ったのが去年の3月30日。
実に、ほぼ一年振りである。
もはや「行きつけ」とは呼べない。

仕事がひと段落した。
といっても仕事が完了したわけではなく、単に一区切りついただけ。
100まで数えるのに、10まで数えたら、ちょうど指をすべて折り終えたのでひと段落、というようなものである。
そんな多少強引な区切り方でも、無理やり行くと決めなければ、あと半年はきっと行くことができない。

久しぶりに店に入った。
入っていつもの席に着く。
久しぶりに眺める窓の外。

店員がやってくる。
昼間、隣の売店で働いているおばさんだ。
私がこの店に来なくなった理由のひとつだ。

今までこの店で働いていた女の子たちは、昼間はまったく別のところにいる女の子たちだった。
勤め先の大きなビルはそれ自体がひとつの会社。
どのフロアに行っても同じような環境で、同じような人が働いている。
売店も食堂も揃っており、別に外へ行かなくても一日そのビルの中にいて不自由することはない。
仕事が終わって息抜きに訪れるこの店で昼間に見る顔に合いたくはない。
そこの店の女の子とまったく違う社会の話を聞きたい。

閉店間際に飛び込んだので席に着くや否や、ラストオーダーとなった。
せわしないなと感じながらも、久しぶりの席で窓の外を眺めながら、ゆっくりとビールを流し込んだ。

2007年2月17日(土) 回らないところ

今日は嫁さんが長女と次女を連れて夕方から出かけた。
行き先はPTA役員の家。
もともと嫁さんの友達であるその役員が「今日はだんながいないんですよ!」と友達に連絡をして家で飲み会をすることにしたらしい。
バレーボール部員を中心として集まるのだとか。

家で留守番することになった私と長男。
晩飯を何にしようかと話す。
男二人なので、即席ラーメンでもかまわない。
隣の中華料理屋でもいい。
結局、寿司を食いに行くことにした。
我が家から徒歩30秒のところに回転寿司屋がある。
いつもよく行く店だ。

しかし、今夜は違うところに行くことにした。
Webサイトで評判だった、駅の向こうにあるカウンターの店。
回転しない、普通の寿司屋だ。
値は張るだろうが長男と二人でなければ行くこともできない。

いつもの夕食よりは少し早い時間帯だが、すいている時間帯を狙って出かけたせいで、一番乗りだった。
小さな看板があるだけであまり目立たない。
木製の少し厚みのある入り口の扉が高級感をかもし出している。

中に入ってカウンターに座る。
目の前にネタが並び、目線を上に上げるとお品書きが書いてある。
内心、ちょっと心配していたが、驚くほどの値段ではなかったので安心した。
しかし、回転寿司で育った長男には驚きの値段であったことは顔を見てすぐにわかった。

勝手のわからない長男に好きなものを注文しろ、と言っても思うようにはできないようで、私が二つずつねたを注文することにした。
最初の一口で、長男にもこの寿司のうまさがわかったようだ。

長男と肩を並べて寿司屋のカウンターに座るのはなんともいえない心地よさだ。
勉強のこととか友達のこととかいろいろ話をすべきことはあるのだが、長男が口を開いて話し出すまでなにも聞き出すまいと思っていたら、自然と長男から話を始めた。
人は多いが静かな店内。
いつもより長男がよく話ているような気がした。

家族みんなで寿司を食いに行くときの倍ほどの会計になったが、それでもこういう時間をすごせるのならまた来週にでも来たいと思った。

2007年2月18日(日) ため息会議

今日は校区子ども会の定例会。

ふう。
思わずため息が出る。

日記に書くときは同じような内容が連続しないように気をつけているが、実際の生活は同じようなことの繰り返し。
会議会議会議。
ただでさえ仕事先で会議が多いのに、学校でも会議、地域でも会議。

子どもや嫁さんとの会話の時間を削って話のわからないやつらと、ほとんど成果のない会議が多い。
せめて、学校や地域でやる会議が仕事先の会議のように効率よく進んでくれたなら、今の何倍も楽になるのに、何度も何度も同じ話の繰り返しで、疲れる。

今日の会議もそんな会議だった。

校区子ども会はいまや3地区のみが参加している。
しかし実質、私の地区と隣の地区だけが活動しているようなもの。
案の定、残りの1地区が言い出した。
「来年度は校区子ども会の活動を見合わせたい」と。
役員の数が少なく、地区の子ども会の行事と校区の子ども会の行事の両方をこなすのは大変なのだという。

それを聞くともう、校区長も他の役員も説得に当たる。
そういわずに一緒に頑張ろう、など、現実的に無理な励ましの言葉を掛けても何の解決策になりはしないのに、そんなことに時間を掛ける。

「じゃあ、地区の行事やめて校区の行事だけにしたら?」

どこかのお母さんがポツリと話した。
「あ。それいいかも」と当の地区が言い出す。

は?
そんなことここで言われる前に自分たちで気がつくんじゃないのか?
というか、そういうことを自分たちで話し合って、ここではその考えを述べてみんなの意見を聞き、それから「脱会する」かどうかを決めるんじゃないのか?

ふう。
日記を書いて思い出してもため息が出る。

2007年2月19日(月) 役員決定

ようやく小学校のPTA本部役員が決まった。
本部役員は私を除いて5名必要だ。
副会長2名と会計監査3名。
会計監査2名はほとんど立候補に近い形で決まっていた。

初めて私が会長に就任して活動するなかで、他の本部役員とかみ合わないことも少なからずあった。
その本部役員の動きを見ていた私の知り合い、つまり嫁さんの友達が「会長以外の役員は何をやってるねん。来年は私らが本部やらなあかんで、ほんま」と冗談半分で話をしていたのだが、後半、役員内部でごたごたが発生し、それを知った友人たちは「お願いされたらすぐにでもやる」という感じで待ち構えていた。
一緒にやろうと行っていた友人は4人ほどいたが、みんな私と同じ地区である。
同じ地区ということは子ども会でも非常にお世話になっている。
小学校のPTA役員をやろうという意気込みの持ち主なので、みんなが小学校に行ってしまうと、地区の子ども会が手薄になる。
そこで半分に分かれた。
嫁さんが間に入って調整したようだ(嫁さんは私より会長に向いている。)

2名が会計監査として早々に決定した。
ほかにも私の知り合いが隣の地区にいたので会計監査をお願いしたら快く引き受けてくれた。
残るは副会長2名。

ぜひともやっていただきたいと思っていたのが、現在の若い役員。
しかし、先日正式に「残念ですが来年度は都合がありますので引き受けられません」と断りの連絡が学校にあったようだ。

ところが今日「もう一人の友人を会計監査にしてくれるのなら私が副会長をやります」とその若い役員が言ってくれたらしい。
ちなみに、次期役員選出に現在の役員が表立って行動いてはいけない。

頭数はそろったが、会計監査が4人で副会長が一人というわけには行かない。
そこで、教頭一同、役員指名委員会のメンバーがそろって私の友人おところに頭を下げに行ったようだ。
「副会長をお願いします」と。

それぞれの本部役員の心がすっきりしているわけではなく、しっくりこないままに今の役を引き受けているかもしれない。
まずはみんなの気持ちをすっきりさせるのが私の仕事だ。

2007年2月20日(火) 自動車で運ぶ

先日、ディーラー車検のために車を持っていって代車を借りた。
軽自動車だが、どちらかというと荷物を運ぶ商用ワンボックスに近い。

私がうまれて始めて手に入れた車は商用の軽自動車だった。
商用と乗用の違いは外見的にはそれほどなくても、後部座席が明らかに違っていた。
乗用は人が乗るような形になっているが、商用は背もたれが直角なのだ。
まるでパイプいすのようなすわり心地のシートで、しかも背もたれが直角。
運転席に座る私はましだったが、後部に乗せられた多くの友人たちはどれほど不満に思ったことだろう。

その車でいろんなものを運んだ。
友達も荷物も、喜びも悲しみも。
窓を開け、風を呼び込んで駆け抜けた春の山道。
大爆笑しながら町に繰り出した夏の夜道。
悲しい気持ちでエンジンをかけた秋の夕暮れ道。
窓に張り付いた氷が解けるまでひそひそ話をした冬の朝の駐車場。

今でも軽自動車に乗るとそのときのことを思い出す。

しかし、そんな思い出のない子どもたちは違う。
同乗していた長女と次女が話をしている。

「うわ!この車、窓、手で開けるの?」
「げげ!テレビもついてない!」
「めーっちゃうるさい!」
「っていうか、せまっ!」

まさに私の軽自動車はそうだった。

あのころに比べれば、今はとてもいい車に乗るようになった。
でも、いい車に乗るようにはなったものの、子どもたちにいい思い出を与えてやれているだろうか。
これから先、私は私の車でどんな思い出を運べるだろうか。

春になれば、それを運べるように、きっとどこかへ出かけよう。

2007年2月21日(水) 飲まない夜

昨夜は酒を飲まなかった。
最近は酒の量を控えている。
といっても飲みに行ったときは飲む。
自宅での晩酌を控えているのだ。

深夜に帰宅することが普通になってしまったこのごろ。
酒を飲んで寝るのが慣わしになっていた。
そのほうがぐっすり眠れるからだ。

だと思っていた。

でも、実際、アルコールは眠りを誘うが安定した眠りを妨げるような気がする。
あるいは体に問題があるのか、朝、飲んだ疲れが残っている。
決して多くを飲んだわけではない。
しかし、確かに翌朝、何か残っている。
体が重たくてなかなか起きれない。

もしかしたらと思って酒を飲まずに、お湯を飲んだ。
お湯に砂糖を入れてちびちび飲んだ。
そうやって役員会の資料を作成しながら時間をすごした。

3時になろうかという時間になって眠りについた。
しかし、今日、7時過ぎには起きていた。
そのままいつもより1時間早く仕事を開始した。

酒をやめるつもりはないが、この寒くてただでさえ起床の辛い時期は、少し酒の量を減らして試してみようと思う。

2007年2月22日(木) 幅がわかる

人それぞれに自分の体の調子をあらわすバロメータがあると思う。
酒がおいしくなかったり、朝の目覚めが悪かったり。
女性ならば化粧ののりが悪いとか肌が荒れるとか。

私にもいくつかある。
ひとつは喘息(ぜんそく)。

10年ぐらい前、突然発症してから、毎年季節の変わり目には特に発作を起こしやすく、発作を起こすと、咳き込むことはまったくないのに、呼吸困難になる。
いくら息を吸っても空気が入ってこない感じがするのだ。
主に明け方が多いのだが、疲れているときはこの発作が出やすい。

次に口内炎。
女性の肌荒れと同じような感じだろうか、ビタミン不足のときにできるようだ。
口内炎は、見掛けはとても小さいくせに口の中のどこにできても、その存在感は絶大で、醤油でもつこうものなら、顔が引きつってしまうほどに痛い。

それが今、舌にできている。
しかも、先端。

人間の体の中で、指先に匹敵するほどに鋭敏なのがこの舌先だ。
コンパスのような両端の細いもので、その隙間を徐々に狭めたとき、その幅をかなり狭くなるまで感じていられるのが指先と舌であり、ミリ単位でも認識できる。
背中がセンチ単位で幅を感じられなくなるのに比べればかなり敏感であることがわかる。
さらに、先端の二箇所にできているのだ。
もう、ずーーっとその幅がわかる。

活舌が悪くて仕事にならない。

2007年2月23日(金) 中学校懇親会

中学校の懇親会だった。
中学校の役員と実行委員、そして先生たちと今年一年の労をねぎらっての慰労会が行われた。

会場は近くの宴会場。
座敷には学年ごとに分かれてテーブルが並べられている。
特に席は決まっておらず、胸に名札をつけて自分の子どもの学年席に着く。

私は二年生の長女に合わせて二年生の席に座った。
隣に座ったのは女の先生。
女性というよりは女の子。
見た目は、高校生ぐらいにしか見えない子どもっぽい先生だった。

向かいに座ったのはにぎやかな男性教諭。
ビールの飲み方でお互いに「お。いける口ですね」とわかる。

周りにも何人か知り合いの先生が座っていたが、幸い、役員はいない。
中学校の役員は癖があって最後まで好きになれなかった。

先生たちと話をしていると必然的に子どもの話になる。
「○○(長女。基本的に長女はどこへ行っても呼び捨てである)は本当によく気がつく子ですよ。私が何かをしていてもすーっとよってきて、何気なく当たり前のように手伝ってくれるんです」
親としてはうれしいもんである。

その後、二次会のカラオケに行った。
こういうときの盛り上げ役は私である。
一応、校長先生や教頭先生が最初に歌うが、盛り上がりようのない選曲で若い先生たちは「この曲知ってる?」という感じである。
そういう時は私の出番だ。
アップテンポの曲が流れると手拍子が始まる。
軽くステップを踏み、体を揺らして歌う。

こういう機会がもっとあれば、中学校の役員会へももっと楽しく出席できたかもしれない。

2007年2月24日(土) 人権とは、を学ぶ

隣の市で開催された人権啓発の講演会に出席してきた。

「人権」というと「差別」とか「いじめ」という言葉を連想しがちで、どちらかといえば「陰」をイメージする部分が多い。
それは人権という言葉を教えてもらうときに、身近でわかりやすい事例として、「差別」や「いじめ」が題材として取り扱われるからだと思う。

しかし、今日聴いた講話はそういう話ではなかった。

人権とは「HumanRights」の訳であり、直訳すれば「人間の正しさ」と言える。
これは「人間として正しくある」ということであり、すなわち「人間としての権利を有する」ことを意味する。
人間としての権利とは、「自由」に他ならない。

それらは言論の自由であり、強制労働をさせられない自由であり、平等に生きる自由である。
この自由を守ると言うことが人権であると言う。

ここで大事なのは自分の自由がどこまで認められるかと言うことだ。

「私は自由なのだから何をしてもかまわない」
確かに自由の基本的な考えはそれで正しい。
しかし、ここには絶対的なルールがある。
それは「自分の自由のために他人の自由を奪ってはならない」と言うことである。
もし、他人の自由を奪うことがあれば、それは自己の自由の主張ではなく、単なる「わがまま」に過ぎない。

このような話を非常にわかりやすく説明してくれたが、これは保護者に向けて話をするより、中学生などに話をするほうがもっと効果的なのではないかと思った。

機会があれば、この講師を招聘して子どもたちに聞かせるのもいいかもしれない。

2007年2月25日(日) 仕事先のパソコン

出先で仕事をする場合でも今までは自分のノートパソコンを使ってたのだが、昨年末あたりからユーザ先のセキ
ュリティ上の関係ということで、ユーザから支給されたノートパソコンを使用することになった。

仕事用とはいえ、タダで支給されるので文句は言えないのだが、それでも不満はいくつかある。

まず、小さい。
「B5」サイズである。
小さいということは画面も小さいわけで、フォントサイズを「8」などにすると、視力のよい私でも読みづらい。
さらにキーボードの配列も昔ほどではないにしろ「A4」ノートに比べれば密になっていて少々入力しづらい。

それから軽すぎる。
持ち運びが多いのなら軽いのは大きなメリットだが、ユーザ先で仕事をする専用のものであり、むしろ持ち出し
厳禁であるのだから、軽いことの恩恵はあまり受けない。
それよりも軽すぎるために、ノートを開くとき、画面部分だけを持ち上げて開閉することができない。
キーボード部分を押さえながら画面を上に開かなければ、画面をあけるつもりでもキーボードが一緒に持ち上が
ってしまうのである。
画面を開くのに手間取るのは、ノートパソコンの魅力半減である。

それになにより、このキーストロークが気に入らない。
キーを押したときの沈み具合と、反発具合がどうにも気持ち悪い。
キーが密になっていると、指を折り曲げる角度がきつくなる。
すると今までは当たっていなかった爪がキーボードに当たる。
その間隔がまた、めちゃくちゃ気持ち悪い。
おかげで今までよりもこまめに爪を切っている。

それに、右のシフトキーが小さく、自宅のキーボードの感覚で触れると、まず間違いなく「↑(上矢印キー)」
を押してしまう。
こいつがまた、腹立たしい。

「ですか?」
と入力するつもりが
「・ですか」となる。
なんだこの「・」は!
こんなところに点はいらん!!
かってに変な方向へ行きやがって。

そういいながらバックスペースで訂正しようとするこれまた「¥」を押すことになり、
「・\\\ですか」などと完全にあさっての方向に行ってしまう。
なんだこの\\\は!
放送禁止用語か!

さらに「\\」と入力すると自動的に半角入力モードになってしまうので、「半角全角切り替えキー」を押さない
といけないのだか、これもまたほとんど「ESC」を押す羽目になる。

・・・。

もう、完全に違うところへ行ってしまった。
戻ってくる気はないようだ。

2007年2月26日(月) 中学校の反省会で

あまり面白くなかった中学校役員の、その最後の役員会を9日に終えたところではあるが、役員と顔を合わす機会はこれからも何回かある。
今日は反省会で顔を合わせた。

反省会とはどこのPTAたちも毎年この時期に行っていることであり、この一年の活動を振り返って反省し、次回へつなげるために行うものだ。
ところが、ほとんどの場合、反省会とは名ばかりで、何の効果もないように思う。
というのも、そこで反省したことが来年へつながらないからだ。

次期役員へ申し送りができているかどうかだけの問題ではない。
申し送りができたとしても、その反省を踏まえて次回に生かせないのだ。
それは新旧役員がお互いに他人事だと考えているからだと思う。

旧役員は役目を終えてほっとしているので、自分か活動したときにうまくいかなかった点について不満や愚痴を言うだけで、具体的な解決策を提示しない。
また、新役員もその状況をわが身に置き換える想像をめぐらせ、同じ問題に直面したときにどのように対処すべきか、というアドバイスを乞うこともしない。

今年も同じように反省会が始まった。
いつもの口うるさい副会長が先頭を切って話を始める。
「人の集まりが悪い」「準備が遅い」「連絡が不徹底」。
大勢の人を動かす場所であればPTAに限らず発生するような問題点だ。
それにこの問題は、何も今年初めて出てきたものではないだろう。

みんなが口々にいろいろ反省点を述べる中、私は黙って話を聞いていた。
いつもはうなづきもするが、まったく反応しないようにして。
そして全員が出尽くしたころ、ゆっくりと口を開いた。

「この反省点はどのように解決されるおつもりですか?」
会長を続けることが決まっている女性に聞いてみた。
「ちゃんと申し送りをして・・」
思ったとおりの返事が返ってきた。
そしてさらに聞き返した。
「この反省点は、今年初めて出てきた問題ですか?去年も同じ問題は出てこなかったですか?なぜ、去年も出てきた問題が今年も出てくるんですか?それを改善しないと、来年もまた、この場で同じ反省をしていますよ」

その言葉で、私を除いて全員が和やかなムードだったのに、一気に押し黙ってしまった。
「会長。会長は来年度も引き続き会長を務められます。しかし、その場に我々はいません。今、この場でこうやって反省をし、改善策を考えられるだけの経験をつんでいる我々はそのときにはいないんです。ならば、会長が最初にやることは、新役員の方々を我々と同じように、問題点を認識できるレベルまで高め、問題解決できる方法を早い段階から探ることです。そして、常に問題点を意識できるよう、今日の反省点は年度初めの引継ぎのときだけではなく、役員会のたびごとに読み返せるノートに記録し、それをいつでも閲覧できるようにするべきです。」

自分でも少しきついことを言っているのはわかっていたが、「楽しく」だけをモットーに活動していては、反省点は直らない。
だから具体的な対策も挙げて説明してあげたのだ。

まあ、もっとも、その反省を本当の反省だとは考えていない、ただのパフォーマンスと考えている、というのが本当の答えなんじゃないかと思う。

2007年2月27日(火) メールアドレスは語る

役員をやっているとたくさんの人のメールアドレスを知ることになる。
みな個人情報だとかいってなかなか自分のアドレスを教えたがらないものだが、いったん教えてしまうと、そこからたくさんの情報が漏れていることに気がついていないのだろうか。
何が、ってメールアドレスに盛り込まれた個人情報の多さだ。

私のメールアドレスはこのサイトのTOPにも記載してあるが「kaz」とというシンプルなユーザ名にオリジナルのドメイン名。
一般にメールアドレスを持っているのほとんどの人はオリジナルのドメイン名などもっていないからだろうが、ユーザ名をシンプルにするわけにもいかない。
シンプルなユーザ名はすでに使われていることが多いし、また、迷惑メールが送られてくる確率も高くなるからだ。

迷惑メールを遮断する方法としてはより複雑なメールアドレスにすることが望ましいが、普段携帯電話でメールをやり取りしている女性たちは、いくら複雑とはいえ乱数パスワードのようなアドレスでは覚えられるはずもなく、自分たちが覚えられる身近な情報をそのユーザ名に与える。
その結果、自分の身近な情報がメールアドレスに埋め込まれることになるのだ。

よくあるのが名前に誕生日をプラスしたもの。
たとえば「kaz」というアドレスを「kaz314」などがそうだ。
これなど3月14日生まれということを主張しているようなものだ。
中には「kaz65314」のように生年月日を書いてあるものもある。

また、子どもの名前を入れている人も少なくない。
子どもの名前だとどうしてわかるのか。
簡単なこと。
本人の名前と違うからだ。
そしてその名前の横にこれまた「0314」。

自分のアドレスを教えることによって子どもの名前と誕生日まで教えてしまう。
中には二人の子どもの名前と誕生日までしっかり書いてくれている人もいる。
自分の名前との位置関係で、姉と弟ということもしっかりわかる。

個人情報を守れというのならまずは自分のメールアドレスを見直すことからお勧めする。

2007年2月28日(水) 広報寄稿のお願い

活動らしい活動はなにもしていないが、それでも市のPTA協議会の広報委員長である私は、広報誌を作成しなければならない。

といってもそのつもりで活動していたわけではなく、今年いきなり決められたもので、活動期間はわずかに2ヶ月。
この間で一年の活動を広報に記載してほしいというのだからちょっとした難題だ。

広報誌は自分たちの活動を広く知ってもらうためのものだ。
活動を理解してもらって、協力を得やすくすることもその目的にある。
だからまずは広報誌に目を向けてもらわなければならない。
理念やら考えを高らかに書いたところで読むのはごくわずかな人だ。

いい広報誌は写真やイラストが多く使われていて、視覚に訴える効果を持っている。
私もそれを目指すことにした。
広報委員長に指名されたのは今年に入ってからのことで、広報としての写真撮影はまだほとんどない。
しかし、幸い、私がこの日記に掲載しようとしていろいろと撮影していた写真があるので、それを使うことにした。
後は、3月10日に開催される総括発表会の模様を少し加えれば絵のほうは何とかなるだろう。

次に文章だが、いくら得意とはいえ、私がダラダラと書くのはよろしくない。
ここは協議会の会長に言葉を頂戴したほうがいいだろう。

そこで今日、寄稿のお願いをした。
どれぐらいの文字数が適切なのかを考えるべきなのだろうが、書いている側が書きやすい文字数にするほうがいい文章になると思う。
そう思って私がいつも書いているのと同じ800文字程度をお願いすることにした。

後は体裁を考えだけだ。
「だけ」とはいったものの、結局これが一番厄介なのだが。

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