カリント日記
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2007年3月1日(木) どうしたらいい?
私は疲れている。
体はそうでもないが、頭が疲れきっている。
同じことを継続して考えられず、集中力が低下してきた。
文書を読んでいても同じところばかり何度も読み返し、それでも頭の中にはほとんど残らない。
人の話は左の耳から入って右の耳から出て行く。
少し考えてみた。
「なぜ、おれはこんなに疲れているんだろうか」
「仕事が多いからだろうか」
道を歩きながら考えた。
すれ違った男女の会話が聞こえた。
「〜の件ですがどうしましょう・・。」と女。
「うーん。その件はそうだな・・・もう少し考える」と男。
部下と上司といった感じだ。
『ふふ。どこも一緒だな』と心の中で思った。
そこに疲れの理由があった。
「この作業ですが、ボクにはわかりません。どうすればいいですか?」とグループのメンバーが言う。
「この障害はよく発生するんです。どう対処したらいいですか?」とユーザが言う。
「次の委員会で説明したほうがいいと思うんですが、どう説明すればいいですか?」と学校の役員が言う。
「じゃあ、どう言えばいいのよ」と嫁さんが言う。
仕事先でも学校でも家でもみんなが口をそろえて言う。
「どうすればいい?」
私の答えが遅れると口々にこういう。
「リーダーが指示してくれないから作業が遅れました」とメンバーが言う。
「また障害が発生して、対処に困った」とユーザが言う。
「会長が文書を書いてくれないと説明できません」と役員が言う。
「そうやってすぐに黙って」と嫁さんが言う。
私は常に誰かに答えを求められている。
答えを考えている間にまた新しく答えを求められる。
これでは頭の休まる暇があるはずもない。
2007年3月2日(金) 誕生日おめでとう
友達の一人にメールを送る。
「誕生日おめでとう」
この3月は知り合いに誕生日が多い。
前半だけで9人もいる。
もし20年前にメールがあったのならその全員にメールを送っていただろうが、今はなかなかそんなパワーもなく、身近でそんなメールをもらって喜んでくれそうな人にだけメールを送る。
今日の一人もそうだ。
「誕生日おめでとう。プレゼントはないけど」
それだけのメールだったが、うれしそうな返事が返ってきた。
「おぼえててくれたんですね!」
うれしそうな返事をもらうとこっちまでうれしくなる。
最初はみな同じスタートラインでも、同じ3月生まれということでなんだか共通意識が生まれ、自然と話をする機会も増え、それだけで親密になったりする。
非常にベタな手段ではあるが、実際それで仕事も、役員活動も、近所づきあいもうまくいくのだから利用しない手はない。
本当は日ごろのお世話になってるお礼もかねて、プレゼントのひとつも渡したいところだが、相手が女性ともなれば、うちの嫁さんはともかく、相手のご主人が気分よくないかも知れず、結局、メールだけで終わってしまうのだ。
そんなこと考えずに付き合える仲になれればもっとうれしいのだが。
2007年3月3日(土) 忙しいひなまつり
ひなまつりである。
ひなまつりではあるが取り立ててひな壇を飾ったりはしない。
家が狭くなって寝る場所がなくなってしまうし、第一、立派なひな壇が我が家にはない。
まあ、それがあったところで、他の家ならいざ知らず、何がどう違うというわけでもない我が家の一日である。
金曜日に久しぶりに嫁さんと外で飲み、今日も午前中はゆっくりと目覚める。
12時から高校で役員会議があるので、遅い朝食をとりながら身支度を整える。
高校の会議室は小中学校と違い、校長室では行わない。
別に理由はないのだろうが、広くて使いやすい別室のほうが、役員たちも居心地がいいのだろう。
というのも、小中学校保護者と違い、子どものことをあまり気にする必要がないからだ。
役員会議を一時間ほどで済ませ、実行委員会に出席する。
いつものように副会長として挨拶をする。
副会長として実行委員会で挨拶をするのも今年度はこれで終わりだ。
実行委員会も一時間で終わり、次はPTA総会だ。
しばらくの休憩時間を置いてPTA総会への出席者が会場入りした。
まあ、PTA総会といってもこの時期は進路も決定しており、正直、三年生の保護者にとってはもうどうでもいい
ことだろうし、出席者もとても少ない。
さっきの実行委員会とさほど変わりない。
出席者の数を数えて私が会議の開会宣言をする。
「出席者 ○○名 委任状提出者 ○○○名 合計○○○名であり、PTA会員数の○分の○以上になりましたの
で、ここに本日の総会が成立することを宣言いたします」
型どおりの挨拶で始まって型どおりに進み、そして予定通りに終了した。
総会を終えて、役員だけで少し会議をする。
3月の末に花見の会を開催する段取りを決め、自宅に戻った。
そして夜。
仕事があるかもしれないのでチケットを買わなかったガンバの開幕戦をテレビで観戦する。
もちろんビールを買い込んで。
テレビから聞こえてくるゴール裏の応援に合わせて同じように応援をする。
かなりうるさかったと思う。
チャンスがありながらもなかなか得点できず、やきもきしていたが、終了間際の決勝ゴールで初戦を飾った。
深夜になってニュース番組を見ながら日記を書く。
と、私の掲示板に友達から「ご懐妊」のお知らせが。
どことなくおしとやかな感じのするひなまつりの日は、相変わらず忙しい一日だった。
2007年3月4日(日) 幸せ報告
日記が思うように書けないながらも時間を作って日記を書いてみた。
しばらくしてまた日記を書こうと思ってサイトを見るとカウンタがアップしている。
それほど人気があるわけでもなく、日に2〜3程度しか上がらないのに、高々数時間でアップしていた。
あわてて掲示板を見てみる。
「近況報告」
その横にいつも元気な彼女の名前があった。
年末に久しぶりに再会して酒を飲んだ。
出会ったころはとても幼い感じがしたのに、やっぱり結婚を間近に控えてちょっと大人びて見えていたが、今日の近況報告には「おめでた」だと書いてあった。
嫁さんに報告して二人で話をした。
年末に飲みに行ったときのこと、この「変な目がね」がどんなめがねだったかということ、相変わらず訛りがあってなんだか少し安心したこと。
今日はサッカーの試合を見て酒を飲んでいたので、かなり飲んではいたが、その掲示板を見て、「よし。乾杯や!」といってまたビールを飲んだ。
嫁さんも仕方ないなーというように笑っていた。
子どもが4人ほしいという。
彼女の幸せでこっちも幸せになった気分だ。
もっともっと幸せになってほしいものだ。
2007年3月5日(月) 今年度最後の高校会議
高校で実行委員会とPTA総会が開催された。
小学校でも中学校でも、実行委員会の前にはPTA役員会が開催される。
昼過ぎに学校に到着すると、いつもの役員会議室に向かう。
役員さんがすでに到着して雑談をしていた。
役員会の開始時刻になったが、会長から少し遅れるとの連絡が入った。
先に会議を始めておいてもよかったのだが、先にはじめたところでどうせ会長が来るとまた同じ話をするだろうと思い、会長が来るまで待つことにした。
15分ほど遅れて会長が登場した。
女性の会長だがとても存在感があり、声も大きい。
体と対照的に細くて小さな目をよりいっそう細めて笑うのが特徴的だ。
会長が着席をして早速、今日の実行委員会での議題を確認した。
この時期はすべての行事も終わっており、卒業式と入学式の話題を除けば、決算と予算の内容についての報告が主なものだ。
役員会も終わりかけのころ、教頭先生が役員会議室に飛び込んできた。
「えらいことですわ。今日、会議室はワックスがけの業者が作業してまして、使用禁止ですわ。図書室の前の廊下もワックスがけで」
実行委員会を開催する会議室がないのだという。
それなりの人数が入れる教室といえば視聴覚室があるが、全員が同じ方向を向いて座るため、委員会やPTA総会には適していない。
そこで候補に挙がったのが食堂。
少々離れた場所ではあるが、確かに広い。
食堂につくと早速テーブルを動かし、役員の席と実行委員の席をいつもの会議場のように並び替えた。
丸い粗末な椅子が、いかにも高校生の使う食堂らしくて妙に微笑ましかった。
しかし、ここがまた寒い。
私は寒さに強いのでたいしたことはなかったが、他の委員には相当こたえたようだ。
みんな上着を着たまま、会議に臨んでいた。
高校の実行委員会が小中学校のそれと大きく違うのは、「会長の挨拶」だけでなく、「副会長の挨拶」があることだ。
委員会では「会長の挨拶」と「校長の挨拶」が必ずあるが、「副会長の挨拶」があるのは高校だけだ。
副会長は私を含めて二人いるのだが、もう一人の副会長は女性で、挨拶は私が担当することになっていた。
実行委員会が終わってPTA総会が始まったが、やはりこの寒い時期だし、それに3年生の保護者はもう卒業を目前にしているので、今さら総会に出て何か話を聴くということもなく、参加者はとても少なかった。
型どおりの総会も終わり、保護者同士が一年間の労をねぎらう挨拶をしていた。
一人の女性がこっちに歩いてきた。
「○○(私)さん、ってご自宅は××町ですよね?」
「はいそうですよ(なぜ知ってるんだ??)」
「私、△△さんと知り合いなんです」
言われた名前は、来年度の地区長。
子ども会で最も一緒に活動する人。
今日もまた世間は狭いと思った。
2007年3月6日(火) 誕生日おめでとうその2
仕事へ出かけるために電車を待つ朝の駅。
この駅で時々見かける友達を思い出してメールを送った。
「誕生日おめでとう」
この町に越してきて間もなく、子どもを通じてすぐに仲良くなった友人で、いつも何かと支えてくれている。
愚痴を言っても受け止めてくれるし、子ども会やPTAでもいろいろと手伝って応援してくれる、本当に心強い味方だ。
きっとこの友人に出会えなかったら、子ども会の活動をしていないかっただろう。
子ども会の活動をしていなければ、PTAの役員だってやっていなかったに違いない。
そういう意味ではこの友人の存在が私の地域社会での立場を大きく変革させたといってもいいと思う。
こんな風に書くと、どんな影響力のある人物かと思うかもしれないが、ごく普通のおばさんである。
パソコンに弱く、ケラケラ笑い、子どもを愛する普通のおばさんである。
ただ、普通のおばさんと違うのは、性格が男っぽいということだろうか。
彼女自身はそう自覚はしていないだろうが、男から見ているとよくわかる。
とかく女性は井戸端会議が好きで、同じ話を堂々巡りしながら終わりのないことを延々と話し続ける。
別にその女性たちは結論を出したいわけでなく、ただそうやって仲間同士話をすることで意識の共通化を図っているのだろうが、男の私にとってはじれったいことこの上ない。
で、先ほどの女性も同じである。
会議などで一緒になると「また長い話が始まった」と井戸端会議をしている女性たちを尻目に、私に話しかけてくる。
それにくよくよしない。
物事をすぐに割り切る。
そういうところも男っぽい。
家族の中では彼女のことを「男前」と呼んでいる。
男前はお酒も好きだ。
男前同士、久しぶりに酒を飲みたい、今日この頃である。
2007年3月7日(水) 菜の花に代わって
この時期三寒四温で春に近づくが、昨日と今日は「三寒四温」の完全に「三寒」のほうだ。
暖冬とはいえ、冬は寒い。
その冬に戻ったかと思うほどの冷え込みだ。
ビルの中での仕事をしていれば「三寒」だろうが「五寒」だろうがどうってことないが、外に出るとさすがに寒い。
寒さに強い私でさえ、十分に寒いと感じる。
これから楽しいことが待っていたり、楽しく会話をしたりであれば歩いていても、少しは気がまぎれるだろうが、客先でつまらない会議を済ませ、これからまた事務所に戻って夜遅くまで仕事をするかと思うと歩いていても寒くてしようがない。
夕方、電車を降りて、事務所へ向かう。
人通りの少ない道を歩く。
広い車道を車だけが通り過ぎていく。
冬のアスファルトは寒さを感じさせるだけで、温かみは感じない。
車がいくら多くても寒い風が吹き抜けるのと同じ感覚だ。
寒い風が体に入ってこないように、首をすくめて足元を見ながら、トボトボ歩く。
橋に差し掛かる。
少し弓なりになっている橋の斜面を上る。
川面に立つ小波が寒さを感じさせる。
ふと見上げてみた。
きれいな満月が見えた。
思わずシャッターを切る。

「菜の花や 月は東に日は西に」
この詩の通り、この時期、夕日を背にすれば月が見える。
ただ、立ち並ぶのは菜の花ではなくビルなのだが。
2007年3月8日(木) 寂しい車内
我が家からの最寄り駅は隣が始発駅であるため、朝でも座ることができるし、夜も、自宅に近づくにつれて人の姿はまばらになる。
我が家が別に田舎にあるというわけではない。
7両編成の電車が満員になるのは急行が停車する駅を過ぎてからのこと。
今日、ここよりもずっと都会の東京へ出張に行った。
昼から会議をして2時間、少し早い時間だが、今日はそれ以上に仕事もないので飛行場へ向かって移動を始めた。
会議のあった場所の最寄り駅は始発駅。
それでも東京は10両編成が当たり前で、それなりに人が乗るからこそ、10両編成なのだから、始発駅といえどもそこそこ人が乗るだろうと思っていた。
しかし。

これは始発から二つ目を過ぎたところ。
夕方の人の少ない時間帯とはいえ、大阪でもこれだけ人が乗っていないのは珍しい。
この車両に人が乗ってきたのは、あと二駅さきのこと。
東京という町は、大阪よりも人が局所的に集まっているようだ。
人の群れから少し離れると、寂しさを感じる若者が多いのもうなずける。
2007年3月9日(金) 会計監査の仕事
小学校のPTA会長、高校のPTA副会長は何をしているのかわかりやすい。
でも、中学校のPTA役員というのがよくわからない。
実は「会計監査」なのだが、本来の監査は第三者の立場でなければならないはずで、それが役員となっているのはなんとも不思議だ。
で、その会計監査の仕事を本日、初めて体験した。
中学校の会計監査の仕事を引き受けて一年。
最初で最後の「会計監査」の仕事だ。
通いなれた中学校の校長室に向かう。
約束の時間より30分も早い。
会計監査は私ともう一人いるが、さすがに30分も早いと相手は来ていない。
「こんばんは」
「おお。ご苦労様です。今日はかなり早いですな」
と教頭先生が出迎えてくれる。
早速コーヒーを飲みながら雑談をし、今日は仕事のきりがよかったので、早く来たことを告げる。
「たまには早く来て片付けてしまおうかと思います」
「そうですかいな。それでしたら書類はここに」
そういって教頭先生はロッカーを開き、中から台帳を取り出した。
会計帳簿と領収書だ。
それに預金通帳もある。
「これが収支の帳簿で、この金額がこの預金通帳のここの金額で、これが、こうなって」と説明してくれた。
「で、こっちが領収書で、日付ごとに並んどりますので、誤りのないことを確認していただきまして、ここに印鑑を押していただいて」と丁寧に教えてくれる。
「では早速」と印鑑を取り出し、一つ一つを確認した。
金額と日付と内容を確認しながら話をする。
「これ、この金額、印刷代ですか?」
「そうです。このカラーの広報のやつでして」
「へー。こんなにするんですか!?」
「そうなんですよ。それでもまだ安いほうの業者らしいですわ」
「ひやー。私のとこでやらしてもらおうかなあ」
そんな話をするものの、実際には学校指定の業者を変更することはなかなか難しい。
およそ20分ほどで会計監査の仕事は終了した。
時間通りにやってきたもう一人の会計監査は申し訳なさそうにしていたが、「私は普段、小学校のことにかかりっきりで、中学校のほうはあまり協力できませんでしたから、せめてこれぐらいは」と説明すると、少しは気が楽になったようだった。
しばし3人でお茶を飲み、来年度の話をする。
本当に仕事を終えた感じだ。
さ、後はPTA総会を残すのみ。
中学校役員最後の仕事は会計監査の結果報告。
しっかり最後まで務めましょ。
2007年3月10日(土) カメラの助手
年に一度、市のPTA活動の集大成とも言うべき発表会が開催される。
とはいえ、各校から発表していては時間もスペースもまたそれを準備する余裕もない。
だから、中学校単位に持ち回りで発表を行う。
それが今日、市民センターで開催された。
私は広報委員長としてその大会の記録を写真に収めて、後日、広報誌として発行しなければならない。
その大会の記録を収めるべく、デジカメとDVDムービーを準備しての臨むことにしていたが、私一人では何かと大変なので、長男を連れ出した。
前々から長男に話をしており、長男も快諾してくれていた。
私はよく、子ども会やPTAの活動に自分の子どもを引っ張り出すが、もちろんこんなことをするのは私ぐらいであって、ほかの家庭は、家族が協力する、まして子ども会の会員でもない高校生や中学生が協力するということはまずない。
我が家はみんな理解をしてくれていて、嫁さんも子どもたちもとても協力的で、周りのみんなは「信じられない」と驚く。
開演の二時間前に会場に着き、設営準備を始める。
パイプ椅子を舞台に並べ、来賓席を作る。
観客席側にも、椅子を並べて各校の校長先生が座る場所を作る。
その風景も記録として残すために時折写真を撮る。

準備ができたら、最前列の中央にビデオカメラをセットして、そこに長男を座らせた。
これから二時間あまり、バッテリー残量とDVDの残量を確認し、切れないうちにタイミングよく切り替えるのが長男の仕事だ。
また舞台にいる人物にあわせて時折カメラをパンさせることも教えた。
やがて人が入ってきて場内放送に引き続き、緞帳(どんちょう)が上がった。
それからおよそ二時間、今日もみんなに驚かれながら長男は私の助手を務めていた。
ありがとう。
今日もお前のおかげで助かったよ。
2007年3月11日(日) 青色のあれ
今、焦っている。
とても焦っている。
確定申告の締め切りが目前だというのに、何の準備もできていないのだ。
あ、いや、泣く子も黙る「青色申告」なので帳簿はばっちりだ。たぶん。
だけれど、ああいうことやこういうこと、細かいことはいえないけれど、いろいろとあって、一日や二日ではできそうにない。
我が家の嫁さんは一応「青色専従者」なので私から給与をもらって仕事をしており、経理事務全般を担当している。
だからある程度はやってくれて入るのだけれど、最後の最後、「決算書」の作成や「貸借対照表」の作成は私がやる。
日々の現金出納のときは意識していない「減価償却」などについてもこのときばかりははっきりと把握して記載しなければならない。
なんたって「青色申告」というだけで、65万円の所得控除という恩恵にあずかれるのだからおろそかにしてはいけない。
わからない人には何のことかさっぱりわからないだろうが、大雑把に言うと、「65,000円を余分に支払わなくていい」ということである。
でかい。
65,000円はでかい。
だろ?
しかも。
今年は消費税を納めなくてはならない。
16年度の売り上げが1,000万円を超えたのだ。
あ、いや、あれだ。
年収が1,000万円というわけではない。
あくまで、「売り上げ」だ。
当然、元手(仕入れなどの経費)がかかっているのだから、所得はもう、かわいそうなぐらいに少ないのだ。
いや、ほんと。
しかし、所得が少なかろうと、消費税はしっかり収めなければならない。
細かい話は省略するが、売り上げの5%が消費税だ。
もう、半泣きである。
あー。
もう、寝る間も惜しんで確定申告の準備をして、それで何十万もの税金を支払うなんて。
この前、高い高い重量税を払ったところなのに。
この町内唯一の信号機、あの青色のランプは私の税金でできているようなものだ。
2007年3月12日(月) 班長さん引継ぎ
PTAの仕事ばかりで、ないがしろになっていた子ども会も年度末となり、班長さんたちが交代する時期となった。
班長さんはどの地区にもいる。
どの地区にもあるが、その仕事の範囲はさまざまだ。
小学校PTAの補助として働く地区もあれば、自治会の手助けをしている地区もある。
またその両方をやっている地区もある。
しかし、私の地区の班長さんはその両方をこなした上でさらに子ども会の世話もしている。
私がPTAの役員を務めるようになってはじめて知ったことなのだが、ほかの地区の班長さんは子ども会の手伝いをしない。
子ども会の面倒を見る班長さんは、PTAの手伝いはしない。
おそらく私の地区の班長さんがもっとも活動範囲が広いだろう。
事実、自治会の祭りだろうが子ども会のイベントだろうが学校の催し物だろうが、どこに行っても必ず私の地区の班長さんはいる。
その班長さんを統括するのは私ではなく、地区長さんだ。
だから、私の地区の地区長が務まれば、小学校のPTA会長なんぞ、どうってことなくこなせる。
私の地区の班長さん経験者が「PTAの役員をやる」といったのは、まんざらうそでもないし、実際それをやってのけるだけの実力と行動力はあるのだ。
その班長さんが交代するのだから次に選ばれる人もかなり大変だ。
とはいえ、人数に限りがあるので、持ち回りになるのだが、経験者たる先輩たちが、自分が班長ではないのに、何かと世話を焼いてくれるし面倒を見てくれるし、そして暖かくフォローしてくれる。
それができるからこの地区の班長さんは優秀なのだ。
引継ぎが行われる自治会館に私が遅れて到着すると、すでに引継ぎは無事に行われており、新年度の班長さんだけが残っていた。
簡単に挨拶を済ませて、次年度の行事予定だけを伝えた。
これからも新しい班長さんとともに、子ども会を盛り上げていきたいと思う。
あ、そうそう。
嫁さんも今年度は班長であったが、来年度は生活指導委員になる。
生活指導委員になっても、きっと班長さんと同じ仕事をしているはずだ。
だろ?
2007年3月13日(火) カタコトカタコト
最近、長女の部屋から「カタコトカタコト」という音が聞こえてくる。
何をしているんだろうかと少し考えて、ふと思い出した。
それはピアノの鍵盤をたたく音だった。
先日から長女がピアノを弾き始めた。
小さいころに習っていて、部屋にも電子ピアノが置いてあるのでたまに弾いていることもあったようだが、どちらかというと、私のほうが弾いていたように思う。
それが、このごろの長女はものすごい勢いで練習している。
鍵盤をたたく音だけが聞こえたのはヘッドフォンをつけて練習しているからだった。
嫁さんに理由を聞いてみた。
「今度の卒業式で入場曲を弾くみたいよ」
中学校の卒業式といえば、中学校の本部役員として列席を要望されたし、また小学校のPTA会長として招かれもしていたが、別に長女が卒業するわけでもなし、また、スピーチをするわけでもないので、欠席することにしていた。
もちろん仕事の予定もあった。
なのに、入場曲とはいえ、長女がピアノを独奏するというではないか。
小さいころにピアノ教室主催のピアノコンクールに出場して以来のことだ。
それなら仕事をキャンセルしてでも、無理やり一保護者としてでも、これは一見の価値ありだ、と思っていた。
今日、長女に聞いてみた。
「お前、明日ピアノ弾くのか?」
すると意外な答えが返ってきた。
「ううん。弾かへん。手が痛いからもう一人の子に代わってもらった」
「手が痛いから」というのはきっと言い訳で、本当は思うように弾けなかったのではないかと思う。
長女は見ていてかわいそうになるぐらいの頑張り屋で、思わず「そんなに頑張らんでもええんやで」と声をかけたくなることが今までに何度もあった。
今回のピアノの練習だって「まだおきてるのか」と思う深夜にも「もうおきているのか」と思う夜明け前にも聞こえていた。
もし、私があと一日早く、「お前がピアノを弾くから卒業式に出席することにした」などと言っていれば、長女はもっと無理をして練習し、私の期待にこたえようとしたに違いない。
演奏に失敗しても誰も責めないし、恥ずかしいことでもない。
しかし、長女はそうは思わずにがむしゃらに練習をし続けたに違いない。
言わなくてよかった、と思った。
長女が卒業式でピアノを弾かないという結果は残念だけれど、長女がどれだけ自宅で練習して、どれだけ思い悩んでいたかを知っているし、十分努力をしたうえでの結果なのだから私はそれだけで誇らしい。
長女が誇れるように私も努力し続けようと思わせられる出来事だった。
2007年3月14日(水) 誕生日
この日、一人の偉大な天才が生まれた。
5歳のころまであまり言葉を話さず、子どものころは「お前は大きくなってもろくな人間にならない」と教師から馬鹿にされていた。
彼は特許庁に勤めながらひとつの博士号取得に向けて一つの論文を書いていた。
それが「特殊相対性理論」である。
日本人がもっと好きな天才ベスト100の堂々1位、アルベルト・アインシュタイン博士である。
私がアインシュタインを最初に知ったのは中学生のころ。
アインシュタイン生誕100年を記念した特別番組をイギリスの国営放送が作成し、それを日本の国営放送が放送していた。
魔法の世界のように思われるその理論と、その風貌と言動、そしてその名前の響きという単純な理由で私はアインシュタインを尊敬するようになった。
尊敬するようになったとはいえ、中学生になりたての私に、相対性理論など理解できるはずもなく、漠然とただ尊敬しているだけ、だった。
それがある日。
この日に彼が生まれたのだということを知って、さらに興味が湧いた。
そして理解できるまで何度も相対性理論の本を読んだ。
今はもう、処分してしまったが、5冊以上は本を買って、ようやく理解できたのは大学生のころだった。
私は自分の誕生日を聞かれると、「ホワイトデー」と答えるが、内心は「アインシュタインと同じ」と言いたいのだ。
嫁さんにもらったプレゼントを飲みながら、宇宙のことを考えてみた。
2007年3月15日(木) 引継ぎの準備
「新旧役員の引継ぎはいつにしましょうか」
小学校の役員の一人からこんなメールが届いた。
以前までこんな引継ぎなどなかったのだ。
正確に言うと私が会長を引き受けるにあたって開催してもらったのが最初である。
それまで、役員は引継ぎをしていなかったらしい。
というのも、学校の委員活動を何年か経験した人が役員になるため、ある程度のことは把握しているし、また、旧役員の何名かは新役員として残ることも多かったので必要なかったらしい。
「必要なかった」というのはどういうことだろうか。
思うに、みんなが同じ過ちを犯しながら、さらにいろいろ苦労しながら、そして先生や他の会員たちに迷惑をかけながら、そして後の人のことを考えずに、それでもなんとかやってきた場合は「必要なし」なんだろう。
そういう意味だったら、私だって引継ぎなんてまったく必要ない。
一般の父兄にできることが、この私にできないはずがないからだ。
しかし、それを繰り返すのは賢い人間のやることではない。
少なくとも子どもに偉そうに言える立場じゃない。
子どもに「計画を立てろ」「準備をしなさい」「人に迷惑をかけるな」と言えない。
それを私はこの一年間ずっと言ってきた。
「その場しのぎにならず、来年のことを考えて行動しよう」と。
そして何か見つけた反省点は反省点として記録にもとどめようと。
私はそれを実践してきた。
何か行動をして失敗したときや成果のあったときは、来年の反省と目標としてみんなにメールを送った。
時には「まだ今年が終わっていないのに、もう来年の話をするなんて」と反論する役員もいたが、後になって私の行動が正しかったことに気がつくはずだ。
正直言って、役員をやるお母さん方の何人が「年間スケジュール」を作成できるだろうか。
いつ、だれが、どこで、どんなふうに、何をする、といった基本的な項目を書き込みながら「実行可能な」予定表を作成できるだろうか。
スケジュールを考えることは骨の折れる作業だ。
しかし、その作業をやってしまえば、後は楽になる。
十分な準備をしておけば、電車に乗って目的地へ到着するのと同じぐらいに、難なく事は進むのだ。
引継ぎのための資料を作成して、私は私にこれを引き継ぐ。
次の会長さんのために。
2007年3月16日(金) 学級の事実
中学校のPTA総会があった。
少し早い時間に学校へ着く。
今日が授業参観だと知ったのは学校へ到着する30分前にやりとりした嫁さんとの電話でのこと。
こんな学校で何があるのかさえろくに把握もしていない私でも役員が務まるのだから、みんなが思うほどにPTA役員は大変じゃない。
あ、私以外が大変なのかな。
長女の授業はドッジボール。
勉強は得意だが、サッカー以外のスポーツは嫌いな長女にとって、参観されても面白くない授業だろう。
案の定、やる気のなさゼロの長女の姿がそこにあった。
決してスポーツが不得意なわけではない。
足も速いし、サッカーが好きなのだから、まじめにやれば球技だってうまくなるはず。
水泳は「めちゃくちゃきれい」に泳ぐのだから不得意とは言わせない。
授業が終わってからは学級懇談だった。
学級懇談というと、父兄と先生が簡単な話をするものだが、出席する父兄はいつも大体似たようなもので、だから先生も名前を覚えている。
本当はこういうところに顔を出さない父兄とこそ、先生は話をする必要があるのだが、なかなかそうも行かない。
嫁さんと私を入れても5人程度の父兄を前に、先生は当たり障りのない一年間の報告と感想を話し始めた。
クラスの子どもたちが中学生の割りに幼く可愛かったこと、勉強は得意だがスポーツの苦手なクラスで闘争心に欠けること、担任と副担任が国語と英語の教師なのにクラスの得意科目は理科と数学だということ、不登校の子どもが登校するようになったがそれでもいつも誰かが休んでいてクラス全員が揃った日はなかったということ。
この学校に不登校は多いと聞いていたが、クラスに何人もいるとは知らなかった。
それでも一人を投稿させることができるとクラス全員で喜ぶらしく、同じクラスの子どもは自宅に戻ってもうれしそうに父兄に報告するのだ。
長女はどちらかといえばすぐに友達ができるタイプではなく、時間をかけて長く付き合える友達を作るタイプだ。
今年はクラスに恵まれたようで、友達ともよく遊んでいる。
おかげで私もその友達に声をかけてもらえる。
一通りの話を終え、30分程度で懇談は終了した。
私は役員たちと話をするために校長室へ向かい、嫁さんは子どもの待つ自宅へ戻った。
2007年3月17日(土) 誰のために
昨日のPTA総会の前に校長室で新旧役員の顔合わせがあった。
校長室に戻ると、いつもの役員と、来年度の新しい役員が座っていた。
今年は役員の中に男が二人いたが来年度は女性ばっかりである。
なんとなく「ざぁます」といいそうな「上品」な人が多いと感じた。
いつものようにコーヒーを飲んで雑談した後、総会が開かれる図書室へ移動した。
中学校の父兄を前にして役員席に座るのも、今日で最後だ。
PTA総会なので出席者もいつもよ少し多く、先生方も何名か出席している。
司会振興は教頭先生であり、会長の挨拶から始まって、議長選出、行事報告、決算報告と続く。
そして最後に旧役員の挨拶があった。
私の前に副会長の女性が挨拶した。
この副会長の正では私は何かと面白くない中学校役員生活を送っていた。
私が小学校会長と中学校役員を同時に引き受けることになったとき、事のいきさつを説明するために中学校を訪れた時のこと。
今までのいきさつをいろいろと説明していくうちに何を聞き間違えたのか突然この副会長が声を荒げた。
「今の言葉を撤回してください!○○(私)を中学校と小学校で取り合いしたというのは撤回して下さい!」と吼えてきた。
やかましい犬だと思った。
そばで聞いていた校長が「え?あれ?今、○○さんそんなこといいました?」と少々困惑気味に話す。
私もそんなことを言ったつもりはなかったので、きっとこれを聞き間違えたのだろうと思ったことを言ってやった。
「私は『私が小学校会長を引き受けたことに対して中学校の役員さんが小学校に文句を言うのなら、今の子ども会や高校の役員さんから中学校役員を引き受けたことをあなた方が文句を言われても仕方ないですよ』と申し上げたのです。私は取り合いされるほど、たいそうな人間じゃなりませんから」と心にもない謙遜を交えて。
その場はそれで納まったが、ことあるごとにこの副会長は私に突っかかる。
嫁さんもよく知っており、みんなこころよく思っていないらしい。
その副会長が挨拶をした。
「一年間どうもありがとうございました」から始まって最後に言った。
「えー××(現会長)さんは来年も引き続き会長をされるとの事で、大変だと思いますが頑張ってください。PTAのみなさんも××さんのために力を貸してください。よろしくお願いします」と。
なんとも思わなければなんとも思わない内容だが、ここにPTA役員の姿を見たという感じがした。
中学校の会長は、私の小学校の前任の会長である。
今、挨拶をした副会長も小学校のときからこの会長と仲がいい。
「××会長のために皆さん力を貸してください」というが、この考えが今までのPTAの役員に根付いているのだろう。
誰が誰のためにやるんだ?
こいつらの考えでは、まず最初にPTA役員があって、PTA役員が楽しく役員活動をできる事が先決で、それを実現するためにPTA会員に協力を求めているのだ。
PTA会員のための役員という意識が欠如しているから、そういう言葉が出てきてしまうのだろう。
まあ、そう感じた保護者が何人いたか疑問だが。
それを感じないうちは、役員にいいように使われるだけだ。
2007年3月18日(日) 走る嫁さん
何かと忙しい我が家の嫁さんであるが、本日は友人とフリーマーケットである。
場所は隣の駅の商店街。
この場所での出店は二回目らしいが、他の場所でも何度となく出店しており、経験豊富である。
嫁さんはとにかく「人付き合いがいい」というのか、人と一緒に活動するのが好きなようだ。
そしてとにかく楽しんでいる。
近所の公園掃除だって、自治会の中の当番制で行っているのだが、嫁さんが参加するときは決して好きで掃除しているわけではないだろうに、なぜかしら楽しげである。
一緒に活動している他のお母さん方ばかりか、通りすがりの人や、他の子どもとも楽しげに話をしながら掃除をしている。
自治会の会議に参加しているときでさえ、頑固なじいさん連中を相手に、にこやかに話をしているのだから、お母さん方の会議ともなれば楽しくてしょうがないように見える。
本当はそれぞれに苦労もあるし、いやな思いもしているのだろうが、とくにかくにこやかに振る舞い、楽しく行動しているようだ。
先日最終回を迎えたドラマの主人公が、周りの人を幸せにする人、という設定であったが、私の母が嫁さんを見て、周りを明るく元気にする人だ、と言っていたのを思い出した。
さらに母は「いつ見ても走ってる、元気な人だ」とも言った。
確かに嫁さんはいつも小走りだ。
隣近所の家に移動するとき、嫁さんはいつも小走りだ。
すれ違う人に笑顔で挨拶しながら小走りで走っていく。
そう言われれば、家の中の階段を上り下りするのだって小走りだ。
おそらく、町内でナンバーワンの「小走リスト」だろう。
嫁さんのその元気な姿が周りを明るく元気にするのかもしれない。
これからも元気で小走れ、嫁さん!
2007年3月19日(月) 卒業式
いつものようにスーツに着替えて家を出る。
しかし、仕事へは向かわずに、そのまま小学校へ向かう。
いつもなら、子どもたちが多く通る通学路を、今朝は一人で歩いていく。
朝の心地よい空気に、少し、身が引き締まる。
今日は小学校の卒業式だ。
校長室へは一番乗りで到着した。
「来賓」として招かれているので、ゆっくり行けばいいのだが、ほかの来賓の方々に比べれば、まだまだ若造。
先に行ってお迎えするのが礼儀というもの。
なんて本当は思っちゃいない。
朝早く目が覚めたし、朝の道を歩きたかったし、まだ人の少ない朝の学校の雰囲気を感じたかったのだ。
一番乗りで校長室に入ってコーヒーを飲みながらしばしくつろぐ。
やがて各地区の自治会長やら教育委員会のお偉いさんがやってくる。
「このおばさんたちは、いったい誰なんだ? そういえば、入学式のときにも、いたようだけど、年に2回しか登場しないな」と思うような化粧に力の入った女性も数名やってきた。
いつもお世話になっている自治会の会長さんには私も挨拶をするが、後は適当にごまかす。
私は「社交辞令」が嫌いなガキなのだ。
時間が来て来賓が式場へ案内される。
校長先生を先頭にしてぞろぞろと体育館の中へ入っていく。
中央に保護者席、その前方に卒業生、その前が舞台となっている。
保護者たちはみな、卒業する子どもの背中を見るように着席している。
来賓は右手の奥、卒業生に横に、卒業生の側を向いて座るので、保護者と卒業生の顔がよく見える。
教頭による開式の挨拶から始まり、国歌と校歌を斉唱し、証書の授与式に移る。
一人ひとり、卒業生が舞台の右袖から上がり、自分の名前を大声で言った後、校長の待つ舞台中央へ歩んでいく。
そこで証書を受け取って一礼して舞台左側へ降りていく。
卒業生全員がこうやって卒業証書を授与されていく。
そして、校長の挨拶、教育委員会の挨拶が続く。
いつものように懐から出した、原稿を棒読みするだけの挨拶だ。
「続きまして、PTA会長の○○(私)さまより、ご祝辞を賜りたいと思います」
そう言われて、来賓に一礼した後、私も壇上へと上がる。
演台の手前で一礼し、前に進む。
初めて演台に立って人を見下ろした。
みんながこっちを向いている。
卒業生も保護者も。
去年のPTA会長も、その前のPTA会長もこっちを見ている。
少し息を吸い込んで少し大きめの声で話を始めた。
「6年生の皆さん。卒業おめでとうございます」
いつものように原稿を読まない私の挨拶。
今までのPTA会長とは違う、少し説教じみた挨拶だが、これが私のやり方。
演台を降りて来賓席へ戻り、しばらくすると来賓は先に退席した。
この後、二部が始まるのだが、時間が長いので、都合の悪い人はここで帰るのだ。
私は二部にも出席するつもりだったが、とりあえず、校長室に戻った。
隣町の自治会長たちと話をする。
「いやー。今日も、会長さんの挨拶はよかったな」などと、お世辞でもうれしいことを言ってくださる。
子どもと保護者に、少しでも言葉が残せたらそれでいい。
2007年3月20日(火) 楽しいお酒
しばらく晩酌をしない日々を続けていたが、確定申告を境に、また飲み始めた。
落ち着いた気分で酒を飲むと、やはりうまい。
落ち着いたのは気分だけでなく、仕事も一区切りといったところ。
本職でもひとつのプロジェクトが終わり、学校の仕事でも卒業式が終わり、それぞれに、一区切りを終えた。
一時期のように、終電で帰宅、休日もフル稼働、というような生活を、送らなくてすむようになった。
となれば、やはり、早い時間に仕事を切り上げて外で酒を飲みたい。
というわけで、今日は思いっきり早い時間、夏場ならまだまだ明るい時間帯、から酒を飲むことにした。
と言っても、ほとんどの飲み会が行き当たりばったり「今日、行こか」で始まる男だけの飲み会と違い、今日の飲み会は、突然に決まった訳ではなく、女性をお招きしていたので、少し前から、計画していた。
(「女性をお招き」という当たりが、まだ、よそよそしい。)
男同士で飲んでいると、どうしても、まじめな話になってしまう。
親として、仕事人として、男として。
そういう話になりがちだ。
決して笑わないわけではなく、男同士でも、笑い転げることはある。
しかし、それで始終することはなく、最後には「さ。明日から、また頑張るぞ」という気分になって終わるものだ。
しかし、女性が一人加わるだけで、様相は違ってくる。
まじめな話は少なくなり、笑いの回数は増え、「あー。楽しかった」で終わるのだ。
まじめな話は嫌いではないし、明日への志気を高めたいときなど、男同士で酒を飲むのはとてもいいものだ。
でも、あまり深く考えずに飲む酒も楽しい。
この日記は嫁さんも読むので、女性と酒を飲む理由を、変に正当化しているように見えるが。
ま、あれだ。
なんだかんだ言いながら、酒を飲むのは、楽しいのだ。
2007年3月21日(水) 春分の日
今日は「自然をたたえ、生物をいつくしむ」日、「春分の日」である。
春分の日は「昼と夜が同じ長さ」である。
まあ、厳密には昼のほうが長いのだが、説明は面倒なので割愛する。
ところでこの春分の日、毎年同じ3月21日というわけではない。
考えてみればわかることだが、「昼と夜が同じ長さ」という自然の摂理が、人間の都合で決めたカレンダーに、ぴったり合致してくれるわけはない。
だから、人間の都合であるカレンダーのほうをその節理に合わせる。
実際には、確か2年ほど前に、翌々年の春分の日を決めていたと思う。
2007年の春分の日は2005年に決定し、今年は2009年の春分の日を決定するはずだ。
秋分の日も同じことだ。
時間を調整するのに「うるう秒」というのがあるが、こちらはもう、何年も先にどこで挿入するかが決まっているのに、春分の日とと秋分の日だけは、一応規則として、数年前に決定することになっている。
今の天文学であれば何千年も先の春分の日を的確に当てることができるはずなのに、なぜそんなことをするのか。
「祝日法でそう決めたから」
それ以外にはないと思う。
祝日法で「再来年の春分の日はこれだ!」と決めて、官報で知らされるのである。
だから、大臣の気分によっては別の日になることもあるようだが、春分の日になるのは3月21日がほとんどで、ごく稀に3月20日になるらしい。
まあ、いずれにせよ、この暖かい季節に、一日の祝日があるというのは、ありがたいことに変わりはない。
2007年3月22日(木) おしゃま盛り
今年、小学校二年生になる次女は、長男長女に比べて、かなり早熟であって、今は生意気の盛りである。
次女というのは、どこの家庭でもそうなのかもしれないが、とかく姉をライバル視して、背伸びをするだけに、生意気で、「おしゃま」である。
洋服も、嫁さんが選んだ服には難癖をつけ、自分で気に入ったものを選ぶ。
我々大人には、理解しがたいセンスを持っている。
学校へ行く前のヘアスタイルには、妥協しない。
遅刻しそうになって、間に合わせで嫁さんがセットしようものなら、帰宅するころには、それはそれは奇抜で前衛的な、ヘアスタイルに変身している。
嫁さんが
「この計算ドリル、今日の分、しなさいよ」
と注意すると、
「うーん。予定では計算ドリルは明日なんだけどなあ。じゃあ、明日のプールの後の予定を変更して、今日、計算ドリルするわ」
などと、自分の「スケジュール帳」を開いて、自分の予定をやりくりしている。
買い物だってもちろん自分の財布で、近くのコンビニに出かける。
長男にビールを買いに行かせても、最近は未成年に販売しないので、売ってもらうことができないが、次女なら間違いなく売ってくれるだろうから、今度の休日にお願いして見ようと思う。
ま、きっと「お駄賃」を取られるのだろうが。
近所の小さい子どもの前では、すっかりお姉さん気取りだし、同い年の男子に対してでさえも、相手を「子ども扱い」する。
時には私にさえも。
私が次女と一緒に塗り絵をしていて適当に「虹」を書いたら、「色の順番が違う」と注意された。
「あか、だいだい、きいろ、みどり、あお、あいいろ、むらさき! あかはこっち!」
だという。
「もう、順番に色えんぴつ渡してあげるから、その順番に塗って!」
と、子ども扱いされてしまった。
そんな次女がうれしそうに私のところにやってきて、目を細めて言う。
「おとうさぁん。明日は、何やと思うぅ?」
「明日か? 明日は、終業式か?」
「そう! じゃあ、それはどういうことぉ?」
「それはって、春休みか?」
「ぴんぽーん! 春休みですー!」
ただそれだけのことなのに、とてもうれしそうだ。
生意気盛りの次女は、春休みも元気一杯に過ごしてくれるだろう。
2007年3月23日(金) 雲
東京での仕事の帰り、いつものとおり、飛行機の中。
左側の窓際の席に座ったのはなぜだか久しぶりのことだ。
夕方の早い時間であり、夕焼け色に輝く、空港を飛び立った飛行機は、一気に雲を抜ける。
眼下には雲が流れ、遥か遠くの高空に、細くまっすぐな、飛行機雲を引きながら飛んでいく飛行機は国際線か。
「あの方角なら、東南アジアか」
そう思いながらその先をぼんやりと眺める。
もう少し低いところを反対側に飛んでいく飛行機は、きっと今飛び立った、羽田を目指しているのだろう。
あの飛行機は今、私が今朝、来るときにそうだったように、海の上を飛んでいるに違いない。
他にも飛行機雲がいくつか見える。
私を乗せた飛行機は、雲間に沈みそうになっている太陽を、追いかけるようにして西へ飛んでいく。
窓に額をくっつけるようにして前方を見ると、真っ赤な雲の間に、太陽の光が見える。
ふと、前方に、奇妙な形の雲を見つけた。
地面から上るような、棒状の雲。
飛行機雲が変形したのか。
それにしても、こんな形の雲は見たことがない。
あ、いや、どこかで見た。
どこだったか。
あ、思い出した。
「地震雲」だ。
「ふふ。地震雲なんて」
思った瞬間に、そんな馬鹿な、と笑ってしまった。
「あの方角なら、四国か九州だな。距離からすると、九州か。でもまさか地震雲なんて。ふふ」
帰宅してビールを飲みながらテレビを見ていると、テロップが流れた。
「熊本付近で震度4」。
2007年3月24日(土) 校区子ども会の反省会
校区子ども会の反省会があった。
反省会と言っても飲み会である。
19時前、雨の中、なぜだか道端で待ち合わせ。
それも、わざわざ駅から離れた住宅街。
隣駅近くの串カツ屋で反省会をするというのに。
待ち合わせた後は隣の駅まで歩いていくのだから、最初から隣の駅に集合としてくれればよかったのに。
きっと校区長は普段から子どもを相手に活動しているため、「現地集合」だと不安でしようがないのだと思う。
変なところで子ども扱いされている我々も、まあいつものことだから、と責めずにいる。
予定の時刻を少し回って、相変わらず少ない、いつものメンバーで現地まで雨の中とぼとぼと歩いていく。
みんな口々に愚痴は言うものの、どこか笑っている。
これもいつものこと。
段取りのよかったためしはなく、いつも段取りが悪いと指摘を受ける。
けれどもそれだからといってみんながそっぽを向くわけではなく、最後は「まあ、仕方がないか」と協力的になる。
これが校区子ども会のいいところ。
なんだかんだ言っても、子ども会を運営している保護者の人たちは協力的だからありがたい。
串カツ屋に入ってまずは乾杯。
カウンターに一列に並んで座るのも、準備不足でいい席が取れなかった証拠。
それでも会話がちゃんとできる少人数。
串カツを食べながら今年一年の問題点を話し合う。
つもりだったが、やっぱりいつものように、「今度はこんなことをやろうと思う」という校区長の意気込みをみんなで、半分笑って半分あきれて聞いている。
意気込みはいいのだが、現実的でないことが多い。
もっとやる気のない保護者が相手だという、現実を見れば、わかることだ。
しかし、この人のように、叩かれても失敗しても、前向きに理想を追いかける人は、そうそういない。
おいしい串カツを食べてみんな満足して帰路についた。
駅で校区長と別れ際に言われた。
「あ、そうそう。○○(私)君、あれ、あのー、市子連(市の子ども会連合)に出てくれへんかなあ。」
「あ、応援ですか?」
市子連主催でさまざまな行事を行っているが人手が少ないので、応援に借り出されることが何度かあった。
「うん、まあ。応援もそうやねんけど」
「応援、できるだけ参加しますので」
「いや、応援だけじゃなくて、会議にも」
どうやら市子連の本部に私を連れて行きたい様子。
自分が引退したいのだそうだ。
だめだめ。
私がまだ小学校でやることがあるうちは。
2007年3月25日(日) うれしい感想
昨日の校区子ども会の飲み会でのこと。
校区長が私に聞いた。
「今年の卒業式はどうやった?
いや、よかったんやろうけど、どんな感じやったかなあ」
「ええ。よかったですよ」
そう答えると、横から一緒に飲んでいたお母さんが割り込んできた。
「○○(私)さん。泣いてたやろ」
「え?な、な・・・」
「××さんとこの子どもが見てたらしいでぇ」
「う、うわ」
「はははは」
涙もろいので卒業式などは弱いのだ。
「でも○○さんの挨拶、よかったらしいねぇ」
「え?そうなんですか?うれしいなあ」
「うん。卒業生のお母さんから聞いたけど『会長の挨拶、よかったでー』っていうてましたよ」
思わずガッツポーズである。
卒業式や入学式などのスピーチは、みな、台本を持ってきてそれを読むようだが、私は台本は読まない。
私の話すことは、すべてが自分の思っている真実であり、自分が思っていることであれば、多少、言葉に詰まっても、ちゃんと言えるはずだ、というのが持論である。
だから、スラスラと話ができるように、話の流れや文脈についてはしっかりと頭に叩き込みはするが、細かい部分は特に決めず、自分の言葉で話をする。
だからこそ、そのときの雰囲気で言葉を変えたり、抑揚を変えたりして、相手に伝わるように話ができるのだ。
だから本当に伝わっているとうれしくて、しようがない。
「それに卒業生に向けて広報に載せてたでしょ。あれもよかったわー」
「そうですか。ありがとうございます」
「あれ読んですぐに、子どもに『これ、読んどき!』って読ませたわ」
「ははは。できるだけ子どもにもわかるように書いたのでうれしいです」
このサイトの「メールとか」に書いた「小学校卒業生へ送る言葉」である。
「それから、去年の入学式の挨拶、私、思わず、ウルウルしたで」
「ええー?!いやーそんな感動的な話でもなかったけど、うれしいなあ。」
PTA会長の挨拶なんて退屈でつまらないものが多い中、こんな風に反応してくれると、とてもうれしい。
実際、説教じみた内容に、「またか」思っている保護者も少なくないはずだ。
でもたとえ、100人の保護者のうち99人が「またか」と思っても、残りの一人が「ためになった。明日からの子育ての参考にしよう」と思ってくれれば、それで十分だ。
2007年3月26日(月) 交換時期が近づきました
久しぶりのリアルタイム日記。
今日は26日の日記を書いている。
あ、でも日付は変わって今は27日の1:30だ。
それでも、今日を振り返って日記を書く。
私の車にはHDDナビがついている。
購入した当時は最新機能満載だったし、今でも使いこなせない機能が盛りだくさんである。
音声による空調のコントロールやニュース読み上げ機能などは、面白半分で使ってみたが、使いこなすなんてできそうにない。
というか、音声でやるより手で操作したほうが早いのだ。
ニュースだって、ニュース番組を見たほうが早い。
最初に使えそうだと思ったが意外と面倒なものに、インターネットと連動した、メンテナンス記録の管理機能がある。
車というものは、定期的に部品を取り替えたり、補修しなければならない箇所が、結構多い。
エンジンオイルやフィルターなどの消耗品もそうだ。
そういったものを、自分専用のWebサイトで管理し、そこに登録しておけば、車が自動的にそこへアクセスして、管理情報を参照し、「ブレーキオイルの交換時期が近づきました」と音声で案内してくれるのだ。
ところがこいつ、実際にブレーキオイルを交換しても、そのWebサイト上の管理情報を更新してやらないと、いつまでたっても、「ブレーキオイルの交換時期が近づきました」と言いやがる。
そして面倒なのがこのWebサイトへのアクセス。
各ユーザごとの専用サイトなので、当然ユーザIDとパスワードでログインするようになっている。
ところがそのユーザIDは、メーカが勝手に決めたものであって、到底、暗記できるようなものではない。
それこそ、一週間に一回でもアクセスしていれば、そんなIDでも覚えられるだろうが、車のメンテナンス情報なんて一年に一回、見るかどうかだ。
そんなIDを覚えていられるわけがない。
IDは車を購入してまもなく、封書で送られてきた案内状に記録されてあるだけ。
そんなわけで今、その案内状を探している。
それが見つからないうちは車に乗るたびに「ブレーキオイルの交換時期が近づきました」と、大きなおせっかいを焼き続けてくれるわけだ。
2007年3月27日(火) 中毒
我が家の次女も大好きだった、人気絶頂の女性アイドルが、17歳なのに喫煙していたところを、写真週刊誌にスクープされて、謹慎処分になったのは、一年前のこと。
その後、彼女は自宅謹慎を経て、近々、復帰する機会をうかがっていたらしい。
なのに、つい先日、またもや喫煙の現場を見られて、それがマスコミに知られ、結局、事務所を解雇されたとのこと。
子どもに人気のあるアイドル歌手として売り込んでいただけに、同じ路線での復帰はありえない。
おそらく、まったく違う売り出し方をするか、さもなくば永久に芸能界を去ることになるだろう。
私は願わくば彼女には永久に出てきてほしくない。
別に彼女が嫌いなわけではない。
が、彼女を慕う子どもたちがいることを、彼女自身が自覚していながらのその行為は、裏切りといわざるを得ない。
「たかがタバコで」と思うかもしれない。
しかし、それはトイレで隠れてタバコを吸っていた高校生に言う言葉。
自分が売れっ子のアイドルだという自覚があって、ここでタバコを吸えば人に見られるかもしれないという自覚があって、かくして写真に撮られて、自宅謹慎を言い渡されたのに、そして再起を考えているというのに、またも人に見つかるようなところでタバコを吸うのは、まさしく愚の骨頂。
大体、喫煙が元で、それまでの夢や希望、人気や名声を失ったのであれば、タバコをやめるのが普通だろう。
今回の彼女の喫煙が見つからなかったとして、めでたく復帰し、そして成人してから再び喫煙しているところを見られたりしたら、どう言うつもりだろうか。
「今日まで禁煙したけど、やっと成人したので、今日から吸えます」というのだろうか。
それとも「今日までコソコソ吸っていたけど、今日から堂々と吸えます」というのだろうか。
いずれにしても、喫煙していることがわかると、悪い印象しか与えないことぐらい、どうしてわからないのだろう。
結局のところ、彼女の夢はニコチンに負けるほどのものだったということだ。
こんなニコチン中毒者が子どもの憧れであってはならないのだ。
2007年3月28日(水) 警察がくる
午前中に市のPTA協議会本部役員からメールが送られてきた。
「市議会議員選挙が開催されるに当たって警察からいろいろと指導があるのでそれについての話し合いを行いたい」という。
内容をメールで確認すると、どうやら市議会議員などの選挙があるときは、PTA会長や役員が買収されないように、警察から指導があるらしいのだ。
会長の口利きがどれほどの影響を持っているのか、信じがたいが、それでも一般の保護者より影響力がある、と思われているようで、実際、そういう経験を持っている人もいるそうだ。
ま、だからこそ、警察もわざわざ注意しに来るのだろう。
早速「昨日、警察の人がきました」という、報告のメールも送る、会長もいた。
どんなことを注意されるから、どういう風に心構えをしろというのか、興味があったので、会議には出席したかった。
しかし、会議は21時から。
急に言われてそんな時間には仕事が終われない。
大体、平日の19時からの会議の時間を確保するために、終電まで仕事をし、休日も仕事をしているのだ。
仕方がないので、本日は欠席する、結果についてはまた報告して下さい、と返事を書いてメールを送った。
仕事は22時に終了した。
このまま会議に行けば、まだ間に合うかもしれない。
でも、私が行くことによって、終わりかけた会議が長くなっても申し訳ない。
仕方がないので、中途半端な時間だが、帰宅することにした。
帰宅して食事をした後、みんなと話しをしながらパソコンに向かう。
仕事をしようかとも思ったが、今日はそんな気分でもなかった。
サッカーの代表戦もあり、勝った試合なので、スポーツニュースをみまくりたいし。
で、サイトをちょっと更新した。
小学校の卒業式で話した内容を載せてみた。
実は「つるつるいっぱい」のサイトも更新予定で、原稿を書いたのだが、もう少し推敲してから掲載することにした。
で、いま、とりあえず、日記を書いている。
この調子で、リアルタイムに書けたらなあ。
2007年3月29日(木) 古い日記
30日 2:40
今日、子ども会の新しい班長さんからメールが来た。
「一年間よろしくお願いします」と書いてあった。
新しい班長さんと初めて顔を合わせたとき、「みなさんのメールアドレスを教えてください」というと「パソコンのメールアドレスも教えますので、データを送ってもらえますか?」と返事をした班長さんがいた。
その班長さんに「パソコン使えるんですか?」と聞くと「はい」という頼もしい返事。
パソコンで仕事をしているうちの嫁さんでも同じ質問をされると「ええ。まあ、ちょっとは使えます」というのに、「はい」と答えるということはかなり期待ができる。
私はこのサイト以外に子ども会のサイトも運営している。
(といってもほとんど更新はしていないが)
私が子ども会用に使っているアドレスはドメインを専用に作ったもので、もちろんWebサイトもそのアドレスだ。
だからその班長さんなら教えなくてもそのWebサイトを見ているだろう。
そう思って、サイトを見てみた。
去年の6月の日記以来更新していない。
何をしていたのか。
更新できないほど忙しかったのか。
同じ去年6月のカリントの日記を読み返してみた。
小学校の役員さんの中に、私と同じように、今のやり方に疑問を抱き、何とかしようと頑張っている人がいることを書いていた。
自治会の中で子ども会の存在意義をわかってもらおうと奮闘している人がいることを書いていた。
地区の中で子どもの安全を願って活動してくれる地区長さんたちがいることを書いていた。
中学校の先生たちが、子どものことを、きっちり見守っていることを書いていた。
高校の役員や後援会の人たちがとても熱く活動していることを書いていた。
校区の子ども会会長が同じ地区の人を守るべく、体を動かしていることを書いていた。
嫁さんが、本当に子どものことを思い、文字通り、汗と涙の結晶である、「名簿」を完成させるために頑張っていることを書いていた。
他人の子どもを育てるために、頑張っている人のことをこれほどに集中して書いたことはないし、これからもきっとないと思う。
私のこの一年の、活動の原点であり、目標はここにある。
このときの日記を読めば、この一年の私の気持ちと活動がわかるといっても過言ではない。
もちろん、一番記憶に残っているのは、嫁さんの誕生日のホタル狩りであることは言うまでもない。
2007年3月30日(金) エスケープ
今日はとてもいい天気だった。
仕事に出かけるときも暖かく、仕事を放り出してどこかへ行きたい気分だった。
しかし、それをするわけにもいかず、いつものメンバーを顔を合わせて、スケジュールと作業状況の確認をし、それぞれの作業に取り掛かった。
メンバーのまとめ役である私は、いつものようにメンバーからの「これどうしましょう」という問いかけに、「じゃあ、そうしてください」と指示を出す。
そうやって仕事をこなしながら夕方になった。
外を見ると春の夕方を感じる。
年度末の最後の日、会社勤めの人たちは何かと区切りをつけるとき。
一緒に仕事をいている人も、今日は打ち上げがあるらしく、まだ日も明るい今から、飲みに出かけるという。
それを聞いて、そしてこの空を見て、私も我慢できなくなった。

メンバーに突然「帰る」と宣言して、ビルを飛び出した。
ふう。
仕事を途中で投げ出したといえば聞こえが悪いが、明日もまた仕事なんだし、たまには変わった気分転換もしないと。
そう自分に言い聞かせて家路を急いだ。
2007年3月31日(土) 桜の木の下で
今日は高校で地域の人との交流会。
桜の木をめでながら、茶道部の生徒たちが点ててくれたお茶をいただく。
老人ホームのお年よりも、介護士の押す車椅子に乗ってお見えになった。
暖冬だった今年は、例年より桜の開花が早いだろうと言う読みで、一週間ほど開催時期を早めたが、桜の花はまだ三分咲きと言ったところで、お花見をするには少し寂しい感じもする。
しかし、天気もよく、暖かい陽気だったので、参加されたお年寄りには、よかったかも知れない。
この学校は桜の名所として地域でも有名であり、毎年、桜の季節には多くの人がお見えになる。
特に、入学式で学校へ向かう保護者は、駅からこの学校へ続く、遊歩道に立ち並び桜の木と、校内に入って、さらにまして咲き誇る桜の木の光景を、入学式のときの記憶として後々まで残すに違いない。

校庭に立ち並ぶ桜の木の下に、生徒たちが作った木製の机と椅子を並べて、お茶席にする。
生徒が作ったとはいえ、高校生が真剣に作った作品は、売っていてもおかしくないほどの仕上がりであり、言われなければ、購入品と思うだろう。
普段はリフレッシュフロアで愛用されているもので、相当に頑丈だ。
椅子に腰掛けて待っていると、着物を着た生徒がやってきて、丁寧に挨拶をする。
最初に和菓子が運ばれてきた。
桜餅だ。

和菓子とお茶をいただいた後、本部役員と合流した。
それからまた、いつもの高校役員活動を始めた。
それでも、なんだかみんなとてものんびりした口調だった。
きっと、この陽気と美しい桜のせいだろう。