カリント日記

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2007年6月1日(金) 感動の運動会

「絶対に感動するから、一度、見においで」
後援会の一人にそういわれて、出席を決めたのが今日の高校の運動会である。
小学校の低学年のわが子が参加する運動会ならまだしも、高校のそれもわが子は写真撮影係りなので、ほとんど競技に参加しないような運動会を見て何が面白いのか、と普通ならそう思うだろう。
私自身が高校生だったころの運動会を思い出しても、そう思う。
親がこんな運動会を見て何が面白いのか。
実際、私が高校生のころの運動会を見に来る保護者なんてほとんどいなかった。
しかし、私の長男の高校は違っていた。

審査委員をお願いされた私は、一番乗りで会場入りし、もちろん、役員の役得で一番いい席に座った。

開会式が始まる。
校長先生の挨拶が終わり、選手宣誓が始まる。
6チームに色分けされた「団」は、それぞれ三年生男子の団長の下、同じクラス番号の各学年、一年生から三年生の団員で構成されている。
その団長たちが、団旗を持って、校長先生の前に整列する姿はとてもりりしい。

このときの写真を撮ったのだが、電池不足でメモリに保存できなかった。
何たる不覚。

その後、いきなりイベントが始まる。

「あっ!!みなさん!入場門をご覧ください!」
と、放送部の部員がアナウンスすると、入場門から聖火ランナーが走ってきた。
その聖火を校長先生に渡すと、場内から拍手が沸き起こる。
しかしこれだけではない。
おどろおどろしい音楽が場内に響き渡ると、またもや放送部が、驚きの声を上げる。
「うわっ!大変です!いま、闇の軍団が現れました!」
そういうと、どこからともなく現れた、怪しい軍団が、校長先生の元に走りより、校長先生を羽交い絞めにして聖火を奪い取る。
「た、助けてくれー」校長先生がそれに合わせて悲鳴を上げる。
そのとき。
正義の味方、ゲゲゲの鬼太郎が現れた!

と、こんな催しのすべてを生徒だけで決め、当日まで、先生や保護者にはすべて内緒ですすめられる。

応援のパフォーマンスにしても各団ごとに工夫を凝らしており、審査員の私も甲乙つけがたく、困ってしまった。
どのチームも団結しており、競技の間中、ずっと応援をしている。
誰一人として、競技に見向きもせず、ぶらぶら歩いているようなものはいない。

自分がトラック内で競技をするかどうかは関係なく、すべての競技において、全員が参加している。
だから、応援にも熱が入るし、得点経過の発表ごとに一喜一憂する。

それだけ盛り上がった競技もすべて終え、総合成績の発表になる。
もう、そのころはどのチームでも一人や二人は感極まって泣いている者がいる。
そして優勝の団が告げられると、まさに狂喜乱舞である。
男女や学年を問わず、抱き合って、涙を流して喜んでいる。

団長が挨拶をする。
体の大きい三年生の男子である。
その三年生の男子がマイクを持って叫ぶ。
「みんなありがとう!こんな俺についてきてくれて!みんなのおかげで、優勝することができました。一生の思い出ができました!本当にありがとう!!」
この三年生の男子が、人目をはばからず、涙を流しているのである。
自分たちが打ち込んできたクラブ活動で、全国大会出場を決めたかのように、団員たちが泣いているのである。

正直、高校生を見ると、不快になることもある。
こんなやつらに、任せていいのかと、不安になることもある。

しかし、今日見た姿が高校生の本当の姿であり、照れ隠しに普段の姿を装っているのだとしたら、子どもの姿を見切ったように、大人という立場に甘んじて偉そうな態度をしていた私自身を恥ずかしく思う必要がありそうだ。

2007年6月2日(土) ミュージカル体験

夏休みも終わるころに、市民のミュージカルが開催される。
そのミュージカルに次女も参加することになり、毎週土日は練習に出かけている。
今日も練習があり、出かけたのだが、今日は保護者も一緒に、子どもたちと普段の練習を体験してみる日。

市内の小学校の体育館に集まり、一通り説明を聞くと、簡単な柔軟体操の後、本格的なストレッチを開始する。
生徒の数は50名程度だろうか、今日は保護者も加わって70名ぐらいいる。

ストレッチを教えてくれる、ダンスの先生はお隣さんのお友達の娘さん。
ウーロン茶のCMに出てきそうな、すっきりした美人。

さすがに先生は体も柔らかく美しいストレッチをする。
子どもたちもそれを見て、真似る。
高校生ぐらいはなかなかさまになっているが、小学生はなんだかわからない。
我が家の次女も同じで、どこをどうストレッチしているんだか、まったくわからない。
が、かく言う私は、そのポーズにさえならない。
体が硬くて、まったく違う形になってしまっている。

体の硬さをイヤというほど痛感したストレッチが終わると、もう、汗だくである。

今度はみんなで歌いながらゲームをする。
歌に合わせて体を動かし、だんだんと複雑さを増していく。
子どものこっけいな姿を見てかわいらしいなと、思わず口元が緩む一方で、自分の姿の無様さを客観的に想像し、これまた情けなくて口元がゆがむ。

いろいろと体を動かして一時間が経過したころ、保護者たちが先に引き上げることにした。
もうヘロヘロなのに、コーチは子どもたちに言う。
「さあ。じゃあ、今からいつもどおりの練習をしましょう」
子どもたちはブーイングを言うどころか、喜んで練習を始めた。

その元気、ちょっと分けてくれ。

2007年6月3日(日) 久しぶりの買い物

嫁さんと近所のスーパーへ買い物に行った。
一昨年までは毎週のことだったのに、最近では一ヶ月に一回もない。

近所のスーパーではまとめ買いをするため車が必須である。
車の運転をできるのは私だけ。
となると、買い物のためにそこへ行くには、車を運転できる私が休みであることが前提となる。
ところが、去年の7月ごろから、土日の区別なく、仕事や学校関連の用事などに追われて、買い物へ行く時間が取れなくなってしまった。
もちろん、朝から晩まで働いているわけではなく、車を運転して買い物に行くぐらいの時間はあるのだが、そこまで働いている私に、買い物に連れて行けというような嫁さんではなく、私からそう言い出しても、「いいよ、今日は疲れているだろうから、また今度で」と気遣ってくれていた。

そのまた今度が、年末を過ぎ、春を過ぎ、そしてようやく今日になったのだ。

久しぶりに、1Fの食料品売り場を歩く。
なんとなくこの時間が楽しい。
何を買うわけでもないのに、いろんな商品を手に取り、「これよりそっちがいいかなあ」などと思案してみたり、「これみて!へんなの!」などと笑っている。

2Fの化粧品売り場では久しぶりに髭剃り替え刃を買った。
近くのコンビに買った安物は切れ味も悪く、かみそり負けも多かった。

お酒を見ていると必ず「それほしいの?それ買う?」と嫁さんが聞いてくる。
ただ見ているだけなのに、そう声を掛けてくれる。
「ううん。ちょっと見てただけ。まだあるから大丈夫」と答える。

久しぶりの買い物が楽しい。
できるだけ時間をとって、また一緒に買い物にきたい。

こんな単純なことで、夫婦が楽しめるなら、こんなにいいことはない。

2007年6月4日(月) 変身

久しぶりに早く帰ってきたが、嫁さんと長女の姿が見当たらない。
相変わらずパソコンに向かいながら長男が、「二人とも外出している」という。
どこへ行ったのかと聞いたが、なんとも頼りない回答で、私は右から左へ聞き流した。

しばらくして嫁さんと長女が帰ってきた。
嫁さんがなんだか少し楽しげな感じである。

「さーて。今日の○○(長女)はどこか違います。どこでしょうか」

いきなりクイズを出すほどにうれしいのか。
長女をを眺めると少し照れくさそうな顔をしてこっちを見ている。

さてはおしゃれな髪型にしてきたのかと思い、それほど変化はないけれどとりあえず答える。
「ヘアスタイルがちょっと違う!」

私が指摘するが、首を横に振る。
嫁さんがさらに続ける。

「見た目ではわかりませんが、○○からは見た感じが全然違います!」

???

よくわからない言い回しで『なんだろうか』と考え始めたとき、痺れを切らした嫁さんが答えを言った。
「答え!コンタクトレンズです!」

なるほど。
私が見た目には何も変わりないが、視力の悪い長女にとっては世界が一変しているようだ。
視力が悪いといっても生活に困ることはなかったのだが、それでも一気に見えるようになると世界が変わるだろう。

「目は痛くないのか?」と心配する私を尻目に、なんだかうれしそうであり、それになんだか、大人びた気がするのか照れくさそうな感じもある。

2007年6月5日(火) 盆踊りはどうなるか

昨年の自治会主催盆踊り大会は、それが最後になるかもしれない危機を迎えていた。
というのも、場所が確保できなくなるからだ。

自治会の盆踊りは町内の公園とそれに隣接する駐車場を借りて開催されていた。
公園内にやぐらを組み立て、駐車場が踊る場所となるのだ。
組まれるやぐらは本格的なもので、そのやぐらの上にお囃子や歌い手が上り、音頭を取るのである。
このやぐらを組んでの盆踊りは同じ校区内でもここだけで、それがために、わざわざこの盆踊りを見に来る他地区の人も少なくはなかったのだ。

ところが、昨年の盆踊りが終わるころ、駐車場の持ち主が「来年以降は場所を貸さない」と言い出したのだ。
盆踊り開催を一週間延期したことが気に入らなかったらしい。
なんとも大人気ない理由である。
とにもかくにも、踊る場所が確保できなければ、盆踊りが開催できない。

そこで出された案が、やぐらを組んでいる、その公園で踊ろうということになったのだ。
しかしそうすると、この町内の目玉である、やぐらが組めなくなる。
さてどうしたものか、そう考えていたのだが、先日の自治会の定例会で答えが出た。

「やぐらは組み立てる」

話を聞くと知り合いの大工に、小さいけれども、この公園の遊具を活用して組みあげることのできるやぐらを設計してもらったらしく、そのための材料も買い揃えたというのだ。

うちの自治会はこんなに行動力があったのだろうか。

別に大きさや形はどうでもいい。
規模も大きい必要はない。
これで盆踊りもできないだろう、なんて思っている一部の人間の思い通りになってはいけない。

楽しみにしている子どもや、お年寄り、そして他の地区の人のためにも、ぜひとも実行したい。

経費節減のためにやぐらを組むのも我々の役目だ。
盆踊り直前に、くみ上げの予行演習をする。
どんなものになるかはわからないが、それでも、みんなの思いはひとつに組みあがるに違いない。

2007年6月6日(水) 初めての小学校部会

今年から市Pで小学校部会長となった私の初仕事である小学校部会が開催された。

小学校部会は市P協議会の連絡会議の後に開催されるもので、各小学校の会長らと意見交換をするのが目的である。
といって歴史はそう古くなく、実は去年、初めて誕生した組織だ。

だから、何をしなければならないという決まりはなく、しかも昨年は他の問題があったため、ほとんど小学校部会としての活動はなかったので、過去の実績というものはまるでないのである。

今年の成果が即、過去の実績となるのだ。
少々方に力が入ってしまう。

ともあれ、会長に成り立てほやほやの未経験者が多い、小学校部会なので、それほど形式的なことはせず、ざっくばらんに話ができたらいいと思っていた。

円形に座って議長席に私が座る。
「こんばんは」
の挨拶から始まって私の考えを述べた。

「小学校部会というのは特に何をしなければならないという決まりはありません。皆さんの中には会長になられて不安に思っておられる方も多いでしょう。また、経験を積まれてきた方々の中にも、『ほかの会長や学校はどうやっているのだろう?』と疑問に思っておられることも多いかと思います。この部会ではそのような不安や疑問を話し合い、自分ひとりでは解決できないことでも、ここで皆さんから意見をお聞きすることで、解決できるかもしれません。そのように、少しでも、皆さんが何かを得られる場になればいいと考えております」

続けて説明する。

「私の学校では秋の祭りで調理食品の販売が中止になりました。遅かれ早かれ皆さんの学校でも同じような話が出てくると思いますが、すでにそのような話の出ているところではどのような対応をとられているか、教えて下さい」

このように説明をすると、恐る恐るながら手が挙がり始めた。
一人が話し出すと、二人三人と意見を言う人が増えてきた。

そして初回にしては活発な意見交換がなされた。

私自身、何が正解なのかはわからないが、こうやって進めていけばきっと正解が見つかるはずだ。
ここにいるみんなは、それを求めて、暗中模索している同士なのだから。

2007年6月7日(木) 副会長さんとメール

「この19年度、面倒な一年にならなければ良いんですが…(=_=)」

とメールが来たのは、高校の副会長。
会長がとにかくお忙しく、もう一人の副会長である私が代行することもしばしば。
なので、何かと私を頼ってくださる。

同じ役員の中に、会長と私以外にもう一人男性がいる。
私と会長がともに三年生の保護者なので、来年には役員を退く。
その後釜として今から育て上げ、来年度の会長に仕立て上げようと、指名委員会が擁立してきた人物だ。
話の仕方からして、過去に会長の経験があるのは間違いない。

この役員が何かと他の役員とそりがあわず、それを懸念して女性の副会長が嘆いたのが、さっきのメール。

そのメールに私が返事をした。
「大丈夫ですよ。何も心配ありません。
 私の小学校なんか、私のやり方についていけないといって副会長が辞めると言い出したり、先生とけんかしたり。それでもきっちり思い通りになってきましたから。
自分のやっていることを信じていれば大丈夫です。うるさい人は無視すればいいんです。どうせ文句を言うだけで代替案も改善案も持ってこれないんだから」

次の日も女性の副会長からメールが来た。

「前会長に『この前のプリントの内容が去年と違う、ミスがある』と指摘されました。今年の本部役員で決めたのに。去年と同じにするんなら役員会なんて必要ないのに」

前会長は私にいろいろアドアイスをくれるが、それを私はさらっと受け流すのに対し、副会長の女性はかなりまじめに受け取るので、ミスを指摘されると落ち込むようだ。

これにも私がメールをする。

「われわれ新役員は「ひよっこ」ですから失敗もあります。しかし、失敗が悪いことではありません。
失敗をすればこうして挽回すればいい、それを学び、また、それを示すことによって、後継が育つのだと思います。
だから堂々と失敗して恥をかきたいと思います。それが次の人たちのためになるのであれば本望です。
「去年と同じ事をするんだったら、会議すら必要ない」というお考え、まったくその通りです。完璧なマニュアルが出来上がっていれば、誰だってPTA役員が務まります。いや、本当の理想はそこにあります。
特別な人がやるんじゃなくて、誰だってできるPTA役員。でも、そこへ行くまでの試行錯誤はもっと必要であり、そのためには今までと違うやり方を試すことも必要でしょう。
私たちのやることに何一つとして無駄はありません。
でもまあ、みんなね、目的は一緒ですよ。「この学校に通う子どものため」。どんなにウマが合わなくたって、そこは一緒です。たぶん。
大人に神経を使うことなく、その分、子どもたちに注いでやりたいですね。これからもよろしくお願いしますね」

しばらくすると、御礼のメールが来た。
お褒めの言葉があまりに恥ずかしいので、日記には書かないことにする。
でも、今年で辞めるといっていた副会長、来年も頑張る気になったようだ。

ただし、うちの長女が卒業する長男と入れ替わってこの高校に入学し、私が会長をやれば、とのこと。
まあ、今はそのつもりだけどねー。

2007年6月8日(金) メールについて

メールについて考えた。

メールを送るときのマナーについてだ。
別に難しいことではない。
送信する時間が遅くてもいいかどうか、だ。
というのも、夜間にメールを受け取ることを迷惑だと考えている人がいるという事実を改めて知らされたからだ。

私は仕事でメールを使い始めて10年になる。
世の中では携帯電話がようやく普及し始めたころで、メールを送信できるものなどほとんどなかった。
送信できるものがほとんどなければ、たとえ送ったとしても受け取ってくれる人がいないわけで、まだまだメールを送るという習慣がなかった。
パソコンのメールも普及し始めたところで、まだまだ電話がなければ仕事にならない時代だった。

そんなときに感じたメールのよさ、それは相手の都合を考えなくていいということ。
電話ならば、相手が話中だと、掛けなおさなければならない。
あるいは誰かに伝言してもらうにしても、正しく伝わらないこともあれば、メモに残して机の上においておかれるにははばかられるものもあった。
ところがメールならば、そんなことに気を使わなくていい。
こちらが送りたいときに送っておけば、あとは相手の都合で読んでもらえる。
忙しくて手が離せないときは後で読めばいいし、出かけているときは戻ってから見ればいい。
また、ほかの人に内容は知られないので、公にできない内容の問題も水面下での調整ができる。
文書として残るので「言った」「言わない」のトラブルは発生しない。
まさにビジネスにおいてはなくてはならないものである。

その便利なメールが携帯電話の普及とともに、多くの人たちの利用するものとなった。
ところがビジネスのメールとして大きく違うのが、受信した側の対応である。

メールを受ける人のほとんどが、さも電話がかかってきたかのごとく、すぐに返信するのである。
電車の中でしきりにメールを送っている人は、数分後にすぐに着信ランプが点灯し、今度はメールを読む側に変わり、そして数分後にはまた送信している。

嫁さんだって例外ではない。
そんなにしきりにやり取りするなら電話で話せばいいようなものを、休むまもなくメールのやり取りをしている。

だからこういう人たちに夜中にメールを送ると、迷惑になるそうなのだ。
常にメールが届いたことをわかるようにしておいて、返事を書くという。
送られてきたメールが気になるという。

私には、それは、メールを使っている、というのではなく、メールに使われているような気がしてならない。

とはいえ、私もむやみに敵を作るつもりはない。
それがそういう人たちの文化だというのなら、それを認めるぐらいの度量は持ち合わせている。

2007年6月9日(土) うるさい人を

「もうちょっと大きな声で、はっきりしゃべってくれる?!書いてるんやけど、さっきから声、小さいし、モゴモゴゆうてるからなんや、全然わからへんわ!」

強烈なデビューだ。
小学校の実行委員さんの一人である。

前々からうわさは聞いていたし、なんとなくそういう空気を漂わせている人だった。
何しろ口が悪く、いい評判をひとつとして聞かない。
どこの誰に聞いても「げげっ。あの人」という反応が返ってくる。

委員会の中では各委員さんが、この一ヶ月の活動報告と今後の活動予定を報告することになっている。
それぞれが人の話を記録しているが、それほど気にすることはない。
しかし、よりによってそのうるさい女性は、活動報告をまとめて、活動だよりを作成する立場にあるのだ。

委員さんの声が小さかったり、聞きづらかったりするのは何も今に始まったことではなく、以前からそうだったので、おかげで、活動だよりの中にはたいそういい加減な報告が載っておいて、私がその間違いを指摘することも少なくはなかった。

今回の女性は、それをきっちりと記録したかったのだろう。
まあ、本当にきっちり記録していてくれるのならありがたいのだが。

で、私も少し思うところがあり、この人を「利用」するほうが得策だと考えた。

委員会が終わって帰り際、わざわざその人のところへ挨拶に行った。
「どうもお疲れ様でした」
「あ。どうも」
「やっぱり、委員さんの報告、声が小さいですかね?」
「うーん。あれじゃ聞こえへんわ」
「すみません。あまりそういうところまでご注意申し上げていなかったので。じゃあ、以後、もう少し大きな声でゆっくり話ができるようにこっちでコントロールしますね」

とりあえず、落ち度を認めて改善することを約束する。

すると次の話が来た。
「ところでこの前の事件のこと、学校から何も連絡ないんやけど」
思ったとおりの展開だった。

近隣の町で犯罪が発生したのだが、幸い子どもに直接関係するような内容ではなかったので私もあまり気にはしていなかったが、学校が何の連絡もなしに、生徒の登下校に先生を同行させるようにしたため、事情を知らない保護者が困惑したのだ。
しかも今度は、やはり何の連絡もなしに、いきなり先生の同行を中止したので、余計に混乱したというわけだ。

これについては前日の役員会でも私が、校長に指摘したところであって、保護者が困惑していることについて改善するつもりはないのかと話をしたが、「学校にその義務はない」という返答であり、開いた口がふさがらなかった。

だからこの口うるさい女性にも、そのいきさつを話した。
私も学校側の対応に対して憤慨していること、それを校長に言ったが、かえるのつらにしょんべんであったこと。

するとその口うるさい女性は「これは今度の地区懇談会、学校に対して文句がでるやろなあ」と言った。
私は「私も出席させていただきますので、またご意見お聞かせください」と言い残して帰った。

私の思惑通りだ。
彼女はたぶん、今度の地区懇談会で、今回の学校のことについて話をするだろう。
もし、私がここで話をしていなかったら、今度の地区懇談会では学校とPTA役員に対して攻撃をしてくるに違いない。
しかし、私が今日話をしたことによって、PTA役員の行動は評価してもらえた。

私は何も聖人君子ではないし、別に立派な人間でもない。
守るべきものを守るためなら利用できるものは利用する。

一所懸命にやってくれている役員たちを、学校と同じように攻撃されるわけには行かないのだ。

2007年6月10日(日) 試験の雰囲気

漢字検定試験に挑戦するのは三回目。

朝もゆっくり起きて電車に揺られて試験会場に向かう。
情報処理の試験に比べれば、緊張感もなく、ゆとりがある。

いつもなら急行に乗って通り過ぎてしまう小さな駅で降りて、地図を頼りに会場となる大学へ向かう。
大学の最寄り駅ではないので、少し距離がある。
駅から大学への道程の半分は駅前から続く商店街であり、これが昼過ぎならば、かなりの人でにぎわっているだろうが、多くの店が開店の準備を始めている時間で、人影も少ない。
人の少ない商店街は妙に広く感じる。

大学へ向かう途中に、地下鉄の出口を通り過ぎた。
目の前に大きな交差点があり、その向こう側を多くの人が行進している。
行列の最後尾は交差点の向こうにある地下鉄の出口。

別に行進しているわけではなく、多くの人が同じ方向に向かって歩いているだけ。
そしてその方向は私がこれから向かう方向だった。
最初の行列に混じって歩いていくと、また別の交差点で、右側からやってきた同じぐらいの人の行列と合流し、行列は大きくなった。
大学の門にたどり着くころには行列もかなり大きくなっていた。

この行列がいつも試験会場へ向かうときに見られる光景だ。

みんなが同じように門の中へ入っていく。
そして試験室を確認して、それぞれの建物の中に消えていく。
私も自分の試験室を確認し、エレベータに乗った。

廊下で問題集を開く人、互いに問題を出し合う人。
いつもの試験会場の、そして独特の光景。

私も心地よい緊張の中、試験室へ入っていった。

2007年6月11日(月) 最近の日記に反省

日記の出来具合があまりによろしくない。
「遅々として進まない」と言う意味でもそうであるが、最近においては、その「内容」は言うに及ばず、「書き方」、ましてや、「読ませ方」など、お世辞にもうまいとはいえない。

手前味噌ながら、文章を書かせればそれなりの内容のものを書くし、さらには「読ませる」ものを書くことができる。
しかし、毎日の日記、それも夜遅く帰ってきて、酒を片手に書いていれば、マンネリな内容、貧弱な文章、おまけに誤字脱字のオンパレード。

この日記だって、少し余裕を持って書いているつもりでも、なんだか頼りない。

毎回、卒業式や入学式の挨拶のようなものを書こうとは思わないが、それでも読み手が、読んでよかったと思えるような内容にしなければ、書いていても面白みがない。

いや、これは日記なのだから、人に読ませることを前提として書くというのは、ちょっと違うような気もするが、饒舌な私の、ある種の、はけ口ともなっているのは事実だ。
それならばせめて、読む人が疲れないような内容にしたいと思う。

最近は、「推敲」をほとんどしない。
センテンスの稚拙さどころか、誤字の多さがそれを、物語っている。
後で指摘されて、反省すること、しきりである。

沿線各地の名所を紹介する電車のつり広告に書かれたコラムにしろ、地方の宣伝をするために貼られたポスターの「遠いふるさと」を思い起こさせる短い文章にしろ、私の日記よりもスマートで、短い文章なのに、なぜか何度も読み返し、そのたびに心地よさを感じる。

私もそんな日記を書けるようになりたい。

2007年6月12日(火) いつものように飲み会

かなり高い確率で、これが最後なんだろうなと、感じてはいたが、あえて「送別会」とは言わずに、「6月の定例会」と言って乾杯をした。
前回の飲み会のとき「私、結婚するの」と聞かされ、その場にいた私と野郎を凍りつかせた彼女と、三人で飲めるのはおそらくこれが最後だろう。

特に何も決めずに、時間も適当、行き当たりばったりで、店を決め、飛び込みで入っても、それでも、楽しく飲めるのがこのメンバーのよいところ。
何も構えなくていいし、われを忘れて酔える。

実際、このメンバーと飲んでて記憶をなくしたことは数知れず。
最後までしっかり記憶のあったときのほうが少ないだろうか。

乾杯をして、ビールを飲み、料理を食べる。
いつものように馬鹿な話をし、そしてわずかにまじめな話もする。

これが最後ならば、もっと話しておきたいこともあるはずなのに、これが最後だと思いたくないから、いつもと同じように酒を飲み、馬鹿な話をする。

記念に写真を撮るでもなく、手向けの言葉を贈るでもなく。
再会を約束するでもなく、また来月の飲み会があるかのように。

楽しい時間も終わりのときが来た。
店を出て、駅へ向かう。
歩きながら、何度か思った。
「何か言った方がいいのだろうか」

結局何も言わず、改札まで来て、いつものように手を振った。
これでいいのだと、自分に言い聞かせながら。
たとえ最後の送別のときでも、きっとこうやって、いつもの飲み会のように、手を振って帰るのだ。

2007年6月13日(水) 苦労して身に着けること

初めての作業というのはいつになっても緊張する。
知っている人にとってはどうということのない作業ではあるが、私は誰に聞くでもなく、一人で本を読み、WEBで調べて作業をしたのだから、正直不安もあったし、これで大丈夫なんだろうか、と何度も考えた。
いや、実は今でも多少心配している。

私が技術的な作業をするとき、ほとんどが独学だ。
講習を受けるわけでもないし、先輩に技術指導してもらうわけでもない。
サポートしてくれる窓口もなければ、誰かに聞くわけにも行かない。

いつも一人で作業をすることが多い。
まあ、中には、調べることが面倒で聞いたほうが早いようなことは、聞くこともある。
しかし基本は独学だ。
技術書を読み、ネットをあさり、自分で試して、本番に挑む。

ずっとそうだったから慣れている。

10年以上前のこと。
パソコンなど触ったことのなかった私に上司が行った。
「三日でEXCELのプロになれ。お前には来週から客先でマクロを使ったアプリを作ってもらうから」
「え?えくせる?なんですかそれ」
そんな私が最初に教わったのは、パソコンの電源の入れ方だった。

そこから始まって、事務所の中に転がっていたEXCELの本を読み、パソコンを触りまくり、ネットなどまだ普及していなかった時代、今よりも数倍の試行錯誤を重ね、どうにか間に合わせて、三日後には客先でアプリケーションを作成していた。
あとで上司が言った。
「まさか、できるとは思わなかった」

それからはいろんなことをやったが、一時期、頼りになる先輩がいたものの、ほとんど新しいことは自分ひとりで対応してきた。
「これできるか?」と聞かれて「やったことはない」と答えるものの「できない」とは答えなかった。
何度、徹夜して勉強したことか。

今回の作業は別に私の担当ではない。
担当ではないが、誰もやらない、いや、やれない、そういうから、私が勉強して対応することに決めたのだ。

しかし、私はこれが好きなんだと思う。
こうやって苦労しながら、少しずつ身につけていくこの過程が、たまらなく好きなんだと思う。
だからきっと、これからも、苦労しながら、新しいことを達成していくのだろう。

2007年6月14日(木) お気に入りの場所

お気に入りの場所というのは、いろいろなところにある。
飲み屋、喫茶店、本屋、コンビニ。
愛車の運転席、公園のブランコ、奥から四番目のカウンター席、三両目の電車のシートの端。

それぞれに何らかの理由があって、お気に入りになっている。

飲み屋のマスターは愛想がよく、コーヒーのおいしい喫茶店は店内全面禁煙、駅前の本屋は平積みされた本で流行を気軽にチェックできるし、コンビには冷蔵庫代わりにできるところが便利で重宝する。

そしてユーザ先で作業をするとき、車を止める駐車場。
そこの入り口を入って少し右側にお気に入りの場所がある。

昼間はまったく特別な場所だとは思わないし、もし、昼間に来ていたら、お気に入りでもなんでもなかったと思う。
でも、夜になればわかる。

ユーザ先で夜間作業がある時は、毎回同じ場所に車を止める。
昼間ではわからない、水銀灯の明かりが眩しいところ。
私の愛車、オデッセイの赤色が水銀灯の下では、鮮やかに映える。
この駐車場の中で、私の車がもっともきれいに見えるところなのだ。

ただそれだけなのだが、愛着のある自分の車がきれいに見えるのはうれしいこと。
ついこの前も、学校の保護者を乗せたとき、きれいな車ですねと、言ってもらえた。

これからはいよいよ、梅雨の季節、車を洗う機会はめっきり減るし、雨に濡れて汚れるし。
でも、それが過ぎたら、いい天気が続くし、車を洗うのも気持ちがいい。
今年も少ない夏休みになりそうだが、ピカピカになったこの車が、一段ときれいに見える、お気に入りの山の中のドライブウェイを走るのが楽しみだ。

2007年6月15日(金) 生活指導

「生活指導委員」。

この言葉の響きに対してとても怖いイメージが、私にはある。
それはおそらく、中学校時代の教師のせいだと思う。

「指導」という言葉を、その教師の小さな脳みそで考えたところ、「力づくで言うことを聞かせることだ」という結論にたどり着いたのだろう。
「指導」する立場の教師は自分たちの縄張りである「生徒指導室」に生徒を呼び出し、手に竹刀を持って、上から威圧的に話をする。

「どこの組の人?」と聞きたくなる。
まあ、確かに、「2年1組」だったりするのだが。

本当に指導しようと思うのなら、自ら生徒のほうへ出向くべきだし、手に武器を持つなんて、「おれは馬鹿なので言葉で説得する自信がないから、いざとなったらこの武器を振り回し、お前たちを殴って逃げる」と宣言しているようなものだ。

どこの組のやつも似たようなものだ。

そんな悪いイメージのあった「生活指導」だが、保護者の委員さんは、まったくもって普通の女性だ。
そんな委員さんたちとの会議が、今日の昼過ぎから開催された。
市内全域の小中学校の生活指導委員に選ばれた保護者の集まりだ。

役員の紹介やら挨拶やら、いつもと同じ光景が繰り返された。
その後、各グループに分かれて自由にディスカッションすることになった。
我々役員もそれぞれのグループに散らばって話を聞くことにした。

私は市内の中でももっともなじみの薄い校区、この市の南側の保護者たちと話をすることにした。
いつものように、誰も話し始めないので、私が口火を切った。
「ご近所で、子どもたちが立ち寄りそうな場所で、気をつけているところとかはありますか?」
すると、どちらかと言うと「指導されていた」イメージのある茶髪のお母さんが話を始めた。
「うーん。やっぱ、○○(大型スーパー)かなあ」
「そうそう。あそこでプリクラ撮るとか言って、ゲームセンターに入りびたり」
「そういえば、この前は××(大型スーパー)まで行ってたで」

この市の中枢は北端に位置しており、駅も市役所もすべて北側に密集している。
北側では見ることも少なくなった畑が南側にはまだまだ多い。
北側に住んでいる子どもたちにとって「大型スーパー」や「駅」などいわゆる「繁華街」は近所だが、南側の子どもたちにとっては「親と一緒でなければ行ってはいけないところ」なのだ。

そんな南側に住んでいる子どもたちの行動範囲は、北側の子どもたちよりも遥かに広い。
そこで生活指導をする保護者に求められるのは広い地域を走り回れる行動力だ。
逆に北側の保護者には危険な場所の多いこの地域で、子どもたちがそういう場所に立ち入らないように目を光らせる観察力が必要だ。
同じ市内で小中学生を指導するにしても、地区によってかなりの差があることを改めて知らされた。

そういうことを深く考えもしなかった私までもが、この委員さんたちに「指導」された思いだった。

2007年6月16日(土) 向かいのおっちゃん

一昨年まで、自宅の向かいには2階建ての木造アパートが建っていた。
そのアパートに住んでいたおじさんは、我が家の子ども、特に次女が大好きで、しょっちゅうどこかに遊びに連れて行ってもらっていた。
今でも、時々、原付に乗って、こっちへ来て子どもと遊んでくれるが、決して近いところに引っ越したわけではない。
ここから電車で2時間近くかかるところだ。

今日は模擬試験がある長男を残して家族四人でおじさんのところに遊びに行った。
場所は木津。
JRの快速電車に揺られること一時間。
わくわく気分で駅に着いたのだが、ひとつ困ったことがあった。

それはおじさんと連絡が取れないということだ。
もちろん、今日遊びに行くことを伝えてはいるが、具体的な時間を連絡しようとしたら突然おじさんと連絡が取れなくなったのだ。
何度電話しても電話が通じない。

駅に着き、見渡してみてもおじさんの姿はない。
嫁さんが住所を控えてきていたので、それを頼りに探すことにした。
まず最初に向かったのは警察署。
まさか、木津に遊びに来て警察のお世話になるとは思わなかった。

ようやく自宅の場所がわかり、警察を出て歩き始めたところで、タクシーを拾おうかと思って、大きな道路へ出たとき、嫁さんが悲鳴に近い声を上げた。
おじさんが原付に乗ってそこにいたのだ。

ちょうどおじさんが駅へ我々を迎えに行く途中だったらしい。
もし、私たちが広い道路へ出る前にタクシーを捕まえていたら、おじさんと入れ違いになって会えなかったかもしれない。
どうして携帯電話が使えないのかと聞くと、畑仕事をしていたら雨にぬれてだめになったという。

おじさんがこの木津へ引っ越したのは、その畑仕事がしたかったからだ。
都会ではなく、田舎で、自給自足の生活をしたかったのだという。

昼過ぎだったので、食事をした後、早速そのおじさんの畑に向うことにした。
私たちはタクシーに乗り、原付に乗ったおじさんの後を追いかけた。
畑に入ると早速子どもたちも収穫を手伝った。



それにしてもいい天気だ。
空気もおいしい。



畑でとうもろこし、なすび、きゅうりなどを収穫した後、たくさんの荷物を積んで近くの川へ遊びに行った。

本当はここでバーベキューをする予定だったが、おじさんの用意してくれたコンロに火がつかなかった。
まあ、それでもお昼ご飯はさっき食べたし、お菓子もあるし、子どもの遊び場所もあるので、それほど文句を言う人はいなかった。



夕方になり、私は次の会議があるので少し早く帰りたかったのだが、「もう少しいいやろ」とおじさんが言うし、子どもたちもそうしたそうだったので、予定を延長した。

それでも別れの時刻はやってくる。
「○○(次女)ちゃん、秋になったらジャガイモ採ろう」
と、夕焼けの中でおじさんが言った声は特別に優しい響きだった。


2007年6月17日(日) 成長した科学部

少なくとも私が中学生のころにはなかったが、長女の通う中学校ではクラブ懇談というものがある。
学級懇談は担任の先生との懇談であり、主に授業の状況や学校での生活態度についていろいろ意見を聞くものにたいして、クラブ懇談は子どもたちのクラブ活動の様子を先生から話をしていただき、その後、実際にその活動風景を見るものだ。

長女は科学部。
男子ばかりの科学部に、一年生の長女は、たった一人で初めての女子として入部した。
男っぽい性格が幸いしたのか、あるいはちゃらちゃらした女ばかりのほかのクラブが肌に合わなかったのか、科学部にはあまり無理なく入部できたようだ。
やがてその長女を慕って友達や後輩が入部した。

「いやー、最初は○○(長女)だけだったんですよ。でも彼女のおかげで、女子も増えました」と科学部の顧問が話す。
女子が増えたどころか、いまや、女子の勢力が圧倒的という感さえある。

長女の科学部は、毎年、高校生に混じって、関西の生徒たちが日ごろの成果を発表する祭典に参加し、発表をしている。
何度も表彰を受けているのは、中学生だからという理由が大きいだろうが、内容もなかなかのもの。
これだけの経験を生徒にさせていただいている先生に感謝をする。

長女たちは、今年もそこで発表するための予行演習を、今日のクラブ懇談で、保護者相手に実施した。

昨年、子どもたちに難しい質問をぶつけて、困惑させた私が、今回もクラブ懇談に来るとあって、子どもたちも待ち構えていたようだ。
しかし、今回はあまり質問をしなかった。

長女も自分たちでは気付いていない。
単に、お父さんの質問が少なかった、と思っているだけのようだ。
本当は、私に備えて、勉強をし、それなりの説明ができたから、私の付け入る隙がなかっただけだ。

大事なのは私の質問に答えることではない。
どのような質問が来るのかわからない中、それを想像して、その対策を練ること。

お前たちは今年、それを見事に達成していただけなのだ。

2007年6月18日(月) 茶道部にお願い

毎年、小学校で秋に開催される祭りは、かなり盛大なもので、模擬店やゲームなど子どもからお年寄りまで楽しめる出し物が盛りだくさんである。

その中にお茶会がある。
お茶の先生をお招きして、保護者の方々にお茶を振舞うと同時に、子どもたちにも「お運び」をさせ、お茶に親しみを持ってもらおうというのが狙いである。

ところがこのお茶会。
昨年は、市内に在住のお茶の先生にお願いしていたが、お年を召されており、子どもたちからすると、少々厳しい感じがあった。
正直に言わせていただくと、楽しみながらお茶を学び、お茶に親しみを感じる、という雰囲気には程遠い。
保護者の方々もそれを感じていたし、何より、裏方である先生や役員とは、まったくもってソリが合わなかった。

そこで考えたのが、もっと若い人に教えてもらえないかということ。

私が副会長を務める高校にも茶道部があり、毎年春にはお茶会を開いている。
これは渡りに船。
そう思って高校の先生にメールを出したのが、昨日のこと。
先生も「それはきっと生徒も喜ぶでしょう。ぜひとも協力したい」との返事。
感触良好である。

ところが。
「その日は修学旅行中です。ご期待に添えず申し訳ありません」との返事。
なんということか。

うーん。
ほかにどこを当たろうか。

2007年6月19日(火) それ、私の役目?

学校の西側に住宅が立ち並び、周りをその住宅で囲まれるようにしてぽつんとあるのが、今夜の集会場だった。
私の町内の自治会館に比べ、かなり新しい建物で、集会をするにも快適な場所だった。

そこに集まったのはその地域の保護者の皆さん。
そこで開催される懇談会に、私もPTAの役員として参加した。
本来ならPTA役員一人当たり、2箇所を受け持てばいいのだが、今年は積極的に話を聞きたいと思い、日時が重なっているところ以外は全部出席するようにした。
今夜はその第二弾だ。

地区のリーダー、といっても普通のお母さんが司会進行を行うのだが、紙に書いてある段取りをまさに棒読みするところなど、不慣れなのが伝わってくる。
少し気の毒にさえ思う。

いつものように、いくつかのグループになって話をすることになった。
私も、知らない人たちのグループに混ぜていただく。
やっぱり誰も話を始めない。
いつものように、私が話を振る。
しばらくすると、やっぱりお母さん、おしゃべりは好きなようで、ディスカッションと言うのか、井戸端会議のちょっとまじめな感じというのか、とにかく話は進む。

メモを取りながら聞いている。
ほほう、なるほど、そういう考え方もあるんですね、などと適当にあわせて、できるだけたくさんのことを話してもらうようにした。

やがて時間が来て、各グループの発表となったとき。

いや、正直予想はしていた。
私以外はメモもろくにとっていなかったのだし、私以上にまとめて話をできる人なんて、その場所にはいないのだから。
それでも「それでは、そこのグループのまとめを会長さんに報告していただきます」と言われたときは、ちょっと違うんじゃないか、と思った。

地区の懇談会で私は、いわば、飾りのようなものであって、主体となって進めるのは地域の皆さんであるべきだ。
当然、まとめて報告するのは皆さんの役目。

とはいいつつ、「え?私が、報告するんですか?」などと少し意外そうにしながら結局報告した。

PTA役員はみんなをまとめるために存在するのは確かだが、みんながやるべきことを、でしゃばってまでやるべきではないし、また、みんながそれを期待してもいけない。
こういうことを、保護者に認識させるのは、私の役目だが。

2007年6月20日(水) 雨、雨、そして雨

日本では「雨」にもいろいろな種類がある。

  小雨、大雨、にわか雨、豪雨、驟雨、篠突く雨。

また、季節によって同じ雨でも呼び方が変わる。

  春雨、なたね梅雨、五月雨、梅雨 夕立、秋雨、時雨、氷雨。

思いつくだけでもこれだけある。
どうしてこんなにいろいろな呼び方があるのだろうかと、窓を流れ落ちるしずくを見ながら、ふと思った。

日本には四季がある。
四季と言うものは人々の住む世界に劇的な変化をもたらす。
時には豊穣という恩恵を授け、時には天災という罰を与える。
それをもっとも左右するのはほかならぬ雨だろう。

また、四季の節目節目に雨が降る。
「一雨ごとに暖かくなる」というのは春先に何度も耳にする言葉。
雨が降るとひとつの季節が終わりを告げ、そして新しい季節がやってくる。

なにより、農耕民族で、空からの一滴に一喜一憂した日本人にとって、それは特別な存在だったに違いない。
だから、降り注ぐ雨を眺めながら、そのときそのときの気持ち、畏敬の念をこめて、呼び名を変えたのだろう。

今よりもずっと時間の流れが遅く、自然とともに日本人が生きていたころのこと。
こんな言葉が生まれてきた時代は、もう来ないのだろうか。

2007年6月21日(木) 功徳を積む

タイは仏教国で、僧侶はどんな要人よりも優遇されている。
国民もみな熱心な仏教徒であり、非常に信仰心が厚い。

日本のそれと違ってかなり絢爛豪華な印象のある寺院もあちこちにあり、これまた日本と違って、信者でにぎわっている。

そんなにぎやかな寺院の周りには鳥かごに入れられた鳥や、水槽に入れられた魚などを売る店があちこちにある。
寺院の周りで、食料を売っているのかと思いきや、そうではない。

信者は、お金を払ってこの動物たちを買う。
買ってどうするのかといえば、鳥かごを開けて鳥を空に放ち、水槽から出した魚を川に逃がす。

すなわちこれは彼らにとっての功徳なのである。
この行いによって彼らは功徳を積むことになるのだ。

今日、お客さんにごり押しされて、無料で仕事をした。
これは私の功徳のようなものかと思った。

しかし、私は今までにかなりの功徳を積んできた。
そろそろ、今度はみんなの番だ。

私にビールをおごると、かなりの功徳を積むことになると思うのだが。

2007年6月22日(金) それを責任転嫁という

私だってできることなら、話の合う人たちと話をしていたいし、考え方の会う人たちとこれから未来のことについて語り合いたい。
しかしそこはPTA会長という立場。
今日は懇談会の第三弾。
まったく知らない地区ならまだしも、多少知っているし、しかも正直、付き合いにくい地区。

少し気の進まないところはあったものの、これを機会に、いい方向へ向かうかもしれないという希望を抱きつつ、出席した。

いつものようにあっちこっちで話が盛り上がる。
で、適当に意見交換。
話の進め方からして、主題がそこにあるようには感じない。
別のところにありそうだ。

「それでは、続きまして、事前にお聞かせいただいた、学校への要望事項などについて話をしていきたいと思います」

びっくりだ。
「学校への要望事項」
今日は、そういう場ではないはずなのに。

いかにも強く「要望」を言いそうな顔つきの保護者が言う。
「学校がとっくに終わっている時間なのに子どもが帰ってきません。子どもにはどのように指導されているんでしょうか」

何?
授業が終わっているのに、学校は子どもを家に帰さないのか?

最初はそれも考えた。
しかし、理由もなく、しかも保護者から文句を言われるのはわかっているのに、子どもを残すようなことを学校がするはずがない。
案の定、学校からの返事はこうだった。

「時間がくれば帰るように指導はしていますが、校庭などに残っている生徒がいるのは事実です」

集団で生活するためのルールを学ぶもは学校だが、自分の子どものしつけは家でやってくれ。
こりゃまだまだ、私との距離は縮まりそうにもない。

2007年6月23日(土) 今年も梅狩り

やってきました今年もまた。

そんな感じの「ノリ」を感じる、高校後援会の皆さんとの活動、梅狩りである。

昨日までの雨がうそのように、ド五月晴れ。
(ちなみに、五月晴れは五月の晴れではなく、梅雨の晴れ間のことである。知らない人は勉強不足)

思ったとおりの「現地集合」。
やっぱ、大人の待ち合わせはこれでなくっちゃ。
「現地」は奈良県の月ヶ瀬。
車で1時間30分ぐらいのところ。

私の車に同乗するのは、委員さん二人。
今年初めての参加だ。
待ち合わせ場所に車で行くと、いつもと違う格好のお二人。
さすがに梅狩りともなれば、スカートは穿いていけない。

「きれいな車ですね」と二人が言う。
前回雨の中を走って洗車もしていないのだが、うれしいことだ。
本気で洗った後は、私でさえ、「おお。きれいだ」と思ってしまうほど。

ぺちゃくちゃ話をしながら現地に到着。
到着すると一人が言う。
「私、酔うので、酔い止めを飲もうと思ったんですが、必要なかったです。全然酔いませんでした」
そうだろうそうだろう。
うちの嫁さんも、すぐに酔うので、人を乗せるときはできるだけ丁寧に走っているのだ。
しばらくすると、やかましい軍団がやってきた。
後援会の人たち。
「○○ーー!(私。もちろん、呼び捨て)おっすー!!」

早速、山の中へ入っていく。
範囲を確認して、みんなでいっせいに梅を狩り始めた。



今年も大粒できれいな実がなっていた。
梅干にするには本当は完熟して、下に落ちているようなものがいいのだが、地面に落ちているものは数も少ないし、傷もある。
この楽しさが、学校の子どもたちのために役立つんだから、味は二の次だ。

1時間もすれば、みな、汗だく。
おなかもすいたので、予約してある、豆腐料理店へ。

これがまたうまいのだ。
味のしっかりしている豆腐。
車で来たのが、悔しいぐらいにビールを飲みたくなる。

ウーロン茶で我慢をして、帰りにはスーパー銭湯へ。

「○○!!一緒に入ろか!!」
いつもの一言。
相手はもちろん女性。
「すんません。罰ゲームはまた今度にしてください!」
と返す。

いつものようにへとへとになるがそれでも充実感のある一日。
本当に「楽しいPTA活動」というのはこういうところにあるんだと思う。
これを考えたのは初代校長の「民間校長」。
やっぱり公務員の校長では無理なのかなあ・・。

2007年6月24日(日) 雨の日の仕事

「梅狩りの後は蛍狩りだ」と意気込んではいたものの、疲れの見える私を労わる嫁さんは「明日にすれば?」と声をかける。
確かに、今日は午前中に仕事があるとはいえ、夕方には時間も取れる。
だから無理をせずに今日にしようと、納得した。

しかし今日は、その音で目覚めたほどの雨。
地面に落ちる雨音が窓を通して聞こえてくる。
空からまっすぐに落ちてきた雨が、一本の細い棒が地面に突き刺さるような感じだ。
まさに篠突く雨。

こんな雨の中を、仕事に出かけなければならないのは憂鬱だ。
シャッターの前に家族の人数分だけ並べられた自転車をどかせて、ガレージから車を出すのも、一苦労だ。

車を走らせること30分。
約束の時間の10分前にユーザ先に到着した。

しかし、いつもの門が閉まっている。
車を近づけて止める。
ワイパーが雨を払った間隙を縫って、チェーンで施錠されているのを確かめた。
横を見ると、通用門がある。
ちょっとがっかりする。

通用門がなければ、あきらめもつくが、通用門がある以上、そこから中に入れるかどうか、確かめなければならない。
となると、この雨の中、通用門のところまで歩いていかなければならない。

覚悟を決め、傘を差して外に出た。
勢いで傘が破れるんじゃないかと思うほどに、雨が突き刺さる。

とぼとぼ歩いて通用門を確認する。
しっかりと施錠されておりびくともしない。

どういうことだと考えながら車に戻った。

とにかく電話だ。
ユーザの休日用電話番号に電話する。
が、誰も出ない。
今度は代表番号に電話する。
これまた誰も出ない。

さては私が作業の日時を間違えたか?
そう思って手帳を読み返したり記憶をたどったりしても、今日のこの時間であることは間違いなかった。

雨なのでみんな遅れているだけかもしれない。
そう思って30分ほど待った。
それでも誰も来ない。

そういえばもうひとつ電話番号があったことを思い出してそちらにかけてみる。
「はい。もしもし」

休日の出入り口が変更になったこと、休日用電話に出るはずの担当者が席をはずしていたこと、代表番号の音を小さくしていたので気がつかなかったこと、などなど今日の不幸の原因を聞いたのはそれから10分後。
温かいコーヒーを飲みながら、がらーんとしたオフィスでのこと。

雨は嫌だ。

2007年6月25日(月) 卓上カレンダー

以前は、生命保険の勧誘に来た女性が置いていった、卓上カレンダーが私のスケジュール帳であったが、今はパソコンのソフトのカレンダーががその代役を務めている。

紙製のスケジュール帳にはボールペンなどでスケジュールを書くのだが、空白が多ければ大きな字で、少なければ字を小さくして、何をするのかを書き込む。
ルールがないから自由に書ける。
名前ひとつにしてもそのときの気分で変えられるし、それがまた、後になって読み返すと、そのときの気分が思い起こされたりする。

ところが、ソフトのカレンダーの場合、文字のサイズはほぼ同じだし、気分を変えて書いてみて、実際に表示される文字は、とても無機質だ。
せいぜい、文字の色を変えることが、見た目を変えられるただひとつの方法だが、それでも適当に変えていると、収拾がつかなくなるので、内容ごとに色を決めている。
カラフルではあるが、整然としていてる。

どこのユーザでどんな作業、誰に連絡するのか、今日はどんな会議があるのか、そういうことを、このカレンダーで確認する。

でも、まったく何もない日が、ところどころにある。
まったく何もないということは、その日までにやらなければならない仕事もないわけで、うまくいけば「暇」のできる日なのだ。

もう、うれしくてたまらず、これが卓上のカレンダーであれば、思わず、花の絵でも描いて「休暇」などと楽しそうな文字でメモしておきたいところだが、ソフトではそうも行かない。
単に、数センチ四方の空白があるだけ。

ソフトなので、便利なのは便利なのだが、見ていて楽しくもなんともないのである。

2007年6月26日(火) 中学校の懇談会

中学校の地区懇談会に嫁さんやその友達と参加した。
今日は嫁さんも私も、役を離れ、一保護者としての参加だ。

朝から暑い日で19時を過ぎても蒸し暑い。
ただでさえ蒸し暑いのに、会場は冷房設備のない体育館。
今年から市内の小中学校全教室に冷房装置が完備されたが、体育館など一部の施設は例外だ。

「三年生」と書かれた受付で長女の名前の横に丸をつける。
来賓や役員として出席するときは署名するか、あるいは自分の名前が書いてあり、その横に丸をつける。
子どもの名前の横にしるしをつけるのは一保護者のしるしだ。
久しぶりに、長女の名前の横に丸をつけた。

が、隣の受付から誰かが呼んだ。
「○○さーん。こっちにお願いしますー」
ふと見ると今年の中学校に地区長さん。

受付の前には「自治会」と書かれている。
「すみませーん。自治会の方と言うことでこちらにもお名前を」
「いや、今日はその、保護者なので・・」
「すみません。一応子ども会の会長さんだし、自治会の方の出席者も少ないのでこちらに・・」

結局、そこに署名をし、名札をつけて適当に空いている席に座った。
適当に座ったつもりだったが、中央の一番前になってしまった。
他の保護者と普通に混じっているつもりだったのに、これまた結局、目立つところに座ってしまった。

司会の委員さんが小さな声でぼそぼそ話し始め、懇談会が始まった。
最初に、やっぱり、PTA会長の挨拶。
みなれた中学校のPTA会長が挨拶をする。
しつこいようだが、私の小学校の前任者。
みんなの前で挨拶をするのは嫌いじゃない、と言う彼女だが、正直、あまり話し上手ではないと思う。

校長の挨拶や教員の紹介に続いて各地区にまとまり、本当の懇談が始まった。
今回のテーマは「この中学校の生徒の良いところ」である。
難しいテーマだ。

「良い」「悪い」というのはほとんどが相対的な評価だ。
「悪い」の絶対的な評価があっても「良い」の絶対的な評価はないだろう。

「物を盗む」というのはどこの誰と比べようが絶対的に悪いことであるが、「お年寄りに席を譲る」というのは当たり前と言えば当たり前で、それをとりたてて「良い」と評価するほどでもないからだ。

案の定、苦し紛れに出てきた意見は「明るい」「素直」「挨拶をする」であった。
そんなのは「良い」じゃなくてできて当たり前だ。
誰が考えたんだか知らないが、このテーマでは話がしにくい。

適当に時間がくるまで話をしたが、さして得るものはなかった。
しいて言えば、その程度でよいと評価してもらえるなら、うちの長女はもう、何も言うことなしだな、と満足できたところだろうか。

2007年6月27日(水) 送別会

今日は友達の送別会だ。
友達と言っても、お客さんのアシスタントの女性で、仕事場でしかお会いしたことがない。

ま、この年になって知り合った職場の同僚はほとんどみな、そこでしか顔を合わせることもなければお互いに家族とあったこともない。
君子の交わりと言ったところか。

アシスタントの女性なので電話に出ることが多い。
私が彼女を知ったのも、その電話でだった。

数年前、東京で缶詰になって仕事をしていたとき、お客さんの手違いで私の仕事ができなくなり、それについて話を聞こうと、多少、イライラした気分で電話をした。
「○○でございまーす」と明るいというか、能天気というか、とにかく、そういう電話の声に、思わず笑ってしまった。

いや、本人はいたってまじめな対応であるし、語尾だってきっと「まーす」などと延ばしはしていないのだろうが、私にはそのように聞こえた。
それぐらい、晴れやかな対応だった。

別に特徴のある声でもないのに、春のような暖かさを感じるその対応が好きで、彼女以外が電話に出たときは、はずれくじを引いたような気がしていた。

その彼女の送別会である。
彼女の職場の同僚が、気を利かせて私も誘ってくれたのだ。

一次会は居酒屋とはちょっと違う、おしゃれなお店のテーブル席で飲み食いし、二次会はやっぱりカラオケ。
送別会なのに、飲んでいるとそのことを忘れる。
したたか飲んだ私は、千鳥足になり、方向もわからず、帰りのタクシーを拾うのがやっとだった。

送別会のときにもっと話をすればよかったと、少し後悔もした。
今週末には彼女がその電話に出ることもなくなってしまうのだから。

2007年6月28日(木) やっぱり二日酔い

頭の痛い朝。
毎度のことながらの二日酔い。
ハイテンションで楽しい夜をすごした翌朝は、精根尽き果てた抜け殻のようにボーっとしている。
いつものように颯爽と歩けず、機械的に左右の足を交互に出してただただ前に進んでいるだけ。

そんな状態が昼過ぎまで続くので、午前中は仕事にならない。
メールのチェックをするものの、返信文書を入力するのもままならず、同じ箇所を何度も読み返す有様。
いやー、とても子どもに見せられた姿ではないな、と天井を見上げてため息をつく。

頭が痛いのはアセトアルデヒドという成分が体の中にできるからであって、やがては二酸化炭素と水に分解されるらしいが、そのアセトアルデヒドの作用によって頭痛が発生するようだ。
で、私は長年、この二日酔いの頭痛と言うのは、発熱などで発生する頭痛とはまったく異なるもので、いわゆる「頭痛薬」が効かないものだと、信じ込んでいた。

ところが、カフェインなどの一般的な頭痛薬で十分効果があるらしい。
だから二日酔いで頭が痛いときは、頭痛薬を飲めば軽減できる。
ただ、頭痛薬は得てして胃腸に負担をかけることが多い。
ただでさえ、飲みすぎて胃粘膜がやられているのに、そこへ頭痛薬を投与すると、胃腸へのダメージがより大きくなる。
そんな時は胃腸薬を飲めばいいという。

酒を飲んで、胃腸薬飲んで、頭痛薬飲んで、夜になったらまた酒を飲んで。

馬鹿なローテーションだとわかっていても、一向に改善されない。
今年も半分が終わろうとしているが、あと何回このローテーションを繰り返すのか。

2007年6月29日(金) 伝えることは

その時が来るまで気がつかない。大事な時間を無駄にして。
別れのときが来るまでにやり残したことは山ほども。

その時が来るまで言いはしない。伝える言葉の半分も。
別れのときが来るまでに言いそびれたことは幾千万。

自由な時間が多いほど、無駄に過ごして後悔し、
貴重な時間が少ないと、言い訳ばかりを考える。

---

飲み友達が遠地へ嫁ぐため、今日、退職した。
別れを惜しんで送ったメールの一部だ。
余韻の残っている今だからこうやって、日記にしたためてはいるが、後で読み返すときっと、小恥ずかしいに違いない。

野郎と三人で飲みに行くのが基本のスタイル。
三人で飲むときは、私はいつもと違ってはしゃぎ役だ。
オーバーリアクションや普段とは違う言動で何かと話題を提供し、説教じみたこともあまり言わない。

そんな私を見て「父親と言うより、長男のようだ」という。
わがままで、歯に衣着せぬ言葉で、やりたいようにやり、わーわー言いながら、楽しそうに飲む。

そんな三人で飲むスタイルはいつもと違う自分のようで、これもまた楽しい。
しかし、それがいつまでも続くわけではない。

ただ単に、酒を飲んで楽しい日々を過ごすだけではなく、既婚者として、人生の先輩として、もっともっと彼女のためになる、何かができたのではないか、何かをするべきではなかったのか、そう、悔やむこともある。

でも、遅いと言うことはない。
これからも、いろんな局面でアドバイスができるし、それをきっと役立ててもらえると信じている。

お互いに、それを理解しあえるだけの、貴重な時間をすごしたのだから。

---

しかし確かに言えること、あなたと出会えたと言う事実。

今、言える言葉は、「ありがとう」。
今、伝えることは、「またいつか」。

2007年6月30日(土) 高校の近畿大会

京都議定書が議決された京都市の京都国際会館。
今日はここで高校のPTA近畿大会が開催された。

現地集合ということで会長や教頭とは受付で待ち合わせることにして、私は日曜日なのに早起きをし、愛車で京都を目指した。
カーナビにだまされて途中で寄り道をしてしまったものの、予定より30分以上早く到着。
いつも遅れて到着する私にしては珍しい。

駐車場から待ち合わせ場所まで少し歩く。
広い広い敷地内で会場を探すのに少し迷う。

やがて見えてきた会場



おお。
なんだかすごい会場だ。

先生たちと合流し、受付を済ませて会場内へ。
いつもの様に、なんちゃらさんの挨拶と、なんちゃらさんへの表彰と、なんちゃらさんの開会宣言。
お決まりの儀式を一通り終える。

弁当を食って外に出る。
日差しが気持ちいい。

これが全景。



なるほどここなら「地球温暖化防止!」といっても説得力がある。

でも、この会場を借りるのっていくらぐらいかかるんだろうかと考えてしまう。
他人事だと思ってるかもしれないが、この会場を借りる費用も、この会場に招く講師の出演料も、私が食べた弁当代も、ここに来るための交通費も、すべて税金やPTA会費に含まれているのだ。

それを思うと、私にはそれに報いるだけのものを吸収して帰る義務がある。

なんて考えながら白鳥と遊ぶ。
こんなこととができるのはこの会場に来ている数千人の中で間違いなく私だけ。
白鳥にだってわかるのだ。



午後から始まったメイン会場での講演。
思っていたよりずっといい内容だった。
それについてはまたの機会に。

今日は高校の副会長としてより小学校の会長として、また中学生の父親として得るものが多くよい日だった。

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