カリント日記
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2007年7月1日(日) 寿司
先日嫁さんの誕生日に寿司を食いに行った。
もちろん、「回ってない」やつだ。
しかし複雑である。
嫁さんと私の家計は同じ。
私がお金を出しても結局はその分、家計に負担が来るだけ。
そんな思いで暖簾をくぐったのは、以前に長男と二人だけで訪れたすし屋。
奥の座敷に通される。
正直、小学生の次女に味の差などわかるはずもなく、100円寿司と同じ感覚で「イクラ」など注文されようものなら、たまったもんじゃない。
何しろ、一人前で、私の昼食より高いのだ。
となれば、誕生日の嫁さんに値段は教えられないし、しっかりものの長女にも値段は見せられない。
メニューは私の横にいて、私がすべて注文をする。
それでも勘のいい、私の家族は、遠慮がちだ。
「まぐろ、たこ、たまご、はまち、げそ」
絶対に「トロ」や「ウニ」とは言わない。
というか、そういう「高い」のが好きなのは私だけで、ありがたいことに家族はみな、比較的安いものが好きなのだ。
でも、運ばれてきたものを口にしたとたん、表情が変わる。
「おいしい!」
いや、本当においしい。
口に入れたときのシャリの感触、ネタが持っている独特の香りと味。
もう、どれをとっても、回転寿司とは明らかに違う。
これが寿司だ、と思った。
いまや、サラリーマンが昼飯に寿司を食う。
回転寿司で定食と同じ程度の値段で、満足できる寿司が食える。
でも、寿司だ。
「寿」なんだ。
昼飯に手軽に食うものじゃない。
大切な人の「寿」の時に食うもんだ。
だったら、多少値が張ろうが、本当においしいものを食いたい。
それが、寿司、だ。
2007年7月2日(月) 夫婦そろって
名前は難そうだが中身はそうでもないのが「地域教育協議会」。
中学校地域のPTA会長や自治会長やコーディネーターなどが集まって組織されており、地域の人のふれあいを活性化しようというもの。
まあ、何か行事をやるとそれに対して行政から予算が割り当てられるのだ。
そのお金を使って子どもが喜ぶようなことをすると、いいんじゃないだろうか、と言うわけだ。
今日はその最初の会議。
顔合わせが主な目的で、簡単な自己紹介で終わる30分程度のもの。
それでも、一番最初で、どういう人がここにかかわっているのかを知る上では重要な会議となる。
PTA会長である私はその会議に出席する。
校区子ども会の会長も出席する。
地域コーディネーターのお隣さんも出席する。
私の町内の自治会長も、と言いたいところだが、毎度のことながら、私の町内の自治会長は出席していない。
それもそのはず、今頃は、この地域協のことも忘れて、自治会の定例会をやっているはずだ。
私も、この会議が終わればそれに合流する予定だ。
会議が始まり、中学校PTA会長が挨拶をする。
そして座っている順に、自己紹介をしていくことになった。
気になっているところがひとつあった。
私の小学校地区で、ひとつだけ、自治会会長さんを存じ上げないところがあったからだ。
どうやらその人もお見えになっている様子。
自己紹介も順番に消化され、いよいよその人の挨拶。
「○○地区の××です」
○○地区は間違いなく、私の気になっている地区。
で、××さん。
うーん。
偶然だろうか、高校の後援会のムードメーカーである、元気な女性と同じ苗字。
自治会長さんと言えば、自営業の方が圧倒的に多いが、その女性の自宅も、自営業で、住んでいる地区も同じ・・・。
自宅に戻って嫁さんに聞いた。
「うん。ご主人やで」
夫婦揃って手ごわい存在だ。
2007年7月3日(火) 日記を短く
そもそも、日記が遅れ気味なのは、日記を書く時間がないからである。
一日分の日記を書くのに、大体30分程度は必要だ。
推敲はしないといっても、毎回毎回、思いつくままにスラスラと入力できるわけではなく、数行書いては考え、数行書いては手を休める。
誤字や脱字が発生するのは、むしろ、手を休めずに一気呵成に入力をしているときだ。
一気に入力できると気分がいいので、推敲することがおろそかになるのだ。
もともとこの日記は非常に短いものだった。
その日の出来事やその日に感じたことを短く書いているだけだった。
それがいつのころからか、自分で、「エディタの画面に一杯になるまで」とか適当に決め事を作って、むやみやたらと長い日記を書くようになってしまった。
そこで初心に帰って、日記を短くしようと思う。
で、今日はその第一弾。
久しぶりに終電まで仕事。
かなり疲れており、嫁さんへの「帰るコール」もメールで済ませた。
「今帰る」。
まるで、文字数を気にしながら送っていたときの電報のようだ。
明日は市Pの定例会。
元気に出席できるといいが。
2007年7月4日(水) メールで会話
夫婦間でさえ会話ではなくメールで連絡しあうのは、なんとも寂しいものだ。
我が家には無縁だ。
と思っていたが、最近はそうでもない。
いや、別に夫婦仲がピンチと言うわけではない。
二人でPTAやら子ども会やらと活動していると、相手に伝えることが多すぎて、言われただけでは覚えていられないのだ。
嫁さんはそうでもないようだが、私は基本的に、メールやスケジュールに書かれていないことは忘れてしまうことになっている。
覚えることがありすぎて、覚え切れない。
嫁さんからメールが来る。
「夜間巡視。29日21時」
それをスケジュールに書き込んだり、そのままメールを残しておいたり。
さめてしまった夫婦のようでちょっと味気ないのだが、会話が別に減るわけでもない。
メールの件数が多ければ多いほど、そのことについて会話する時間も長くなるのだ。
2007年7月5日(木) 無責任なのは
「会長が責任を取ってくれるんですか?」
子ども会やPTAの会長をやっていると、よくこういう言葉を耳にする。
「責任」ってなんだろう。
いや、実際に、私に面と向かってそんなことを言う人はいないし、まして一緒に活動している役員や班長たちがそんな風に考えているはずもない(と思っているが)。
しかし、少し距離を置いたところの人は、そういう言葉を口にする。
一緒に活動していれば、会長一人の責任なんて考えもしないのだろうが、嫌々つき合わされているような人たちの中には、そういうことを言う人もいる。
こちらから提案したことに対して、その言葉を耳にするとき、本当は責任の問題なんかじゃなく、ただ単に、それをやるのが面倒だから、それを口実に、やらないようにしようとしているとしか聞こえない。
ボランティアといえば大げさかもしれないが、無償で他人の子どもたちのために活動している人に対して、「責任を取ってくれるんですか」という言い方は、どうかと思う。
私などまだましだ。
小学校の子ども会を束ねている校区子ども会の会長さんなど、自分の子どもは大学生で、小学校の子どもなどとっくにいない。
校区子ども会の役員の中には孫のいる人までいる。
わが子が行事に参加させるときはリスクなど何も考えずに参加させているだろうに、いざ何かあれば責任責任と吠え立てる。
自分はどれだけ子ども会やPTAに協力したのか。
その上で無責任なのはどっちか、ご判断願いたいものだ。
2007年7月6日(金) 懇親会の日程
小学校の懇親会。
土曜日の夜のほうが保護者の方々は出席しやすいのだが、「先生が出席できない」という理由で平日の夜になった。
案の定、役員の一人が、ご主人の仕事の都合で帰らなければならなくなってしまった。
家に子ども一人を残して酒を飲んでいる場合ではないのだ。
冒頭の挨拶の中で私は「年度末の懇親会は土曜日に開催することも検討する」と宣言した。
先生方が少し顔をしかめたように見えたのは気のせいか。
いつもは「PTAの運営は保護者が主体だ」という先生方。
でも懇親会は自分たちの都合優先なのだろうか。
副会長が「会長、今日は抑えてください」と説得したから、私もあまりきついことは言わなかったが、別に懇親会に先生方が出席されなくても問題ないと思っている。
役員たちと先生との、そりが会わないのは私の学校だけだろうか。
2007年7月7日(土) ラッキーな日
昨日の懇親会の影響で、少しからだのだるい休日。
メールを送って役員たちにお礼を言った。
夜になるまで、今日が七夕だとは気がつかなかった。
この日に笹の葉に飾り物をつけて祭りなどを行うのは日本の風習だろうが、今日は海外でも特別な日のようだ。
2007年7月7日。
ラッキー「7」が三つ並ぶ。
もともとは「7回」に強かったアメリカの野球選手のおかげで「ラッキーナンバー」になった「7」であるが、日本でも人気の数字だ。
車のナンバープレートでもその人気は高いし、パチンコの画面でこの数字を目にすると胸が高鳴る人も少なくないだろう。
結婚記念日、会社創立など、今日を記念日にする人も多いようだ。
牽牛と織女にとっては一年に一回のデートの日。
なんと待ち遠しい日だろうか。
今の私にとって待ち遠しい日はいつだろうか。
どちらかといえば、来てほしくない日のほうが、圧倒的に多い。
2007年7月8日(日) 蝉の声
休日のオフィス街。
いつものように人気の少ないビル街を仕事に向かう途中、今年初めての蝉(セミ)の声を聞いた。
山間(やまあい)の中、たくさんの蝉の声が、まるで時雨のように聞こえてくることを「せみしぐれ」という。
この言葉の響きには、山中の幽玄な雰囲気と、どこかしら涼しさを感じさせる、語感がある。
しかし、大阪の特にオフィス街の蝉はその雰囲気とは程遠く、ただただひたすらに騒がしい。
小学校二年生の次女でさえも「うるさい」というその声は、おそらく日本で一番騒がしい鳴き声だと思う。
ところで、この蝉の声、昔は「ミーンミーン」が相場だった。
でも最近、この声を耳にすることは少ない。
今は「シャーシャー」ではないだろうか。
これはもちろん蝉の種類が違うからで、前者は「ミンミンゼミ」後者は「クマゼミ」の鳴き声だ。
そしてこの蝉の分布が関東と関西で異なる。
関西では当たり前の「シャーシャー」という鳴き声、関東では珍しく、関西で「ミーンミーン」という声が街中から消えたのはもう、20年以上も前のこと。
まあ、どちらの蝉の声であっても、街中で聞かされれば、ただの騒音。
それでも、今年も暑い夏がやってきたことを知り、少し安堵する。
2007年7月9日(月) パソコンを選定
先日、嫁さんの友達の子どもがやってきた。
パソコンを買いたいので、選んでほしいというのだ。
これまでにもネットで何度か購入しており、まあ、それも私の商売なので、いつものように見繕った。
いやまあ、しかし、この仕事をしていながら、パソコンの進化には毎回、驚かされる。
数年間に私が購入したパソコンの、すでに倍ほどの性能だ。
パソコン初心者の、しかも子どもにこんないいパソコンは要らないだろうと思っても、それがすでに基本モデル。
一通り、セットを組んだところで説明すると、「お店で見たものよりかなり安い」ということで二つ返事で決まってしまった。
まだパソコンが到着するまでには時間があるが、インターネット環境も揃えなければならず、いろいろと物入りだろう。
自分の金で買うらしいが、決して安くはない。
それだけに相当気持ちが強いのだと思う。
パソコンで何を失うか、何を得るか。
これからはそれもフォローしていきたいと思う。
2007年7月10日(火) 至福のとき
ビールはやっぱりグラスに入れて飲むほうがおいしい。
グラスが冷えていればなおさらだ。
ということで、グラスを冷凍庫に入れて冷やす。
ビールはもちろん冷蔵庫。
これを飲みながら見るのはやっぱり代表戦。
昨日はカタールとの戦い。
仕事も早く切り上げて、いつものTシャツに着替えてテレビの前でそのときを待つ。
ころあいを見て、グラスとビールを持ってくると、開始の合図を聞く前に、プッシュー。
そしてプハー。
たまらないのである。
試合はちょっと消化不良気味の同点。
それでも楽しいサッカーとおいしいビール。
まさに至福のひと時だ。
2007年7月11日(水) 無知こそ恐怖
昨日は中学校校区の生活指導委員さんたちとの交流会。
その中で青少年サポートセンターの人から携帯電話のフィルタリングに関する説明があった。
子どもの持つ携帯電話で子どもが悪質なサイトへ接続しないようにするのは親の役目である。
そのために活用できるのがこのフィルタリングソフトだ。
小学生や中学生を子どもに持ち、しかも携帯電話思っている親にとってはかなり興味深い話のようで、みなしきりにメモを取っていた。
もう、自宅に戻るや否や、携帯電話片手に、フィルタリングの設定をしてもらおうと店に駆け込みそうな雰囲気が漂っている。
しかし待て。
安易にフィルタリングに頼るのはよくないことのように思う。
フィルタリングが悪いというわけではない。
フィルタリングに頼って、それ以上に何も手を打とうとしないのでは、問題だと思うのだ。
親の知らないところで子どもは犯罪とつながってしまう。
「親が知らない」ということが問題なのだ。
最も怖いのは、悪質サイトなんかじゃない。
「知らない」という親の「無知」が一番怖いのだ。
2007年7月12日(木) 学校からではありません
6月末の地区懇談会のことをいまさら書くのもなんだが、明日は役員会だな、と考えていると、ふと思い出したので、書くことにした。
懇談会での一コマ。
保護者の一人が何かを先生に尋ねた。
「先日、子どもが学校から、パトロール隊の募集についてのプリントを持って帰ってきたんですが云々」
詳しい話の内容は忘れたが、確か何かの質問だったような気がする。
すると校長が言った。
「あ。あれは学校からではありません」
何を言っているのかわからなかった。
子どもが学校から持って帰ってきたプリントのことを話しているのに、「学校からではありません」という。
「あ。あれは学校からではありません。PTAからです」
驚いた。
なんだろうかこの校長は。
保護者にしてみれば、「子どもがプリントを道端で拾った」とか「知らないおじさんが配っていた」とか、そういうことではなく、「学校の先生から受け取ったものを自宅に持って帰ってきた」と言う意味で「学校から持って帰ってきた」と言っているだけなのに、なにをことさらに「学校からではありません。PTAからです」と言う必要があるのだろうか。
わざわざ「PTAからです」と言う言葉を聞くと「PTAが勝手にやったことで学校に責任はない」と言っている様に聞こえる。
自分では学校側に責任はないと言いたいのだろうが、その態度や言い方は十分、保護者の反感を買っている。
私の耳にはたくさんの不満の声が届いているのだから。
2007年7月13日(金) 不吉な日
問題。
敬虔なクリスチャンであるトーマスは毎月1日が日曜日だと『あーあ。今月は・・』といってため息をつき、憂鬱な顔をする。それはなぜか。
答え。
1日が日曜日だと、13日は金曜日だから。
今日は13日の金曜日。
キリストが処刑されたのが13日の金曜日だとか。
私はクリスチャンではないので、詳しい話は知らないが、「13日の金曜日」という言葉の響きがほかの日、例えば、「12日の木曜日」と違うように感じるのは、映画のせいだけでもない。
雨の中、傘を差してトボトボと学校へ向かう。
傘を差して歩くという行為が嫌いだ。
13日の金曜日でなくとも、憂鬱になる。
学校で行われた役員会では明日の実行委員会での話し合いの内容と、市民祭りの自転車整理の協力をお願いした。
今年の役員は本当にいい。
昨年は過去にとらわれて、それから逸脱することをとても恐れていたように思うが、今年のメンバーはかなり自由だ。
「え?何?そんなん、ごちゃごちゃするんやったら、やめとこ」
過去何年も嫌々ながらやってきた憂鬱なことが、この一言であっさり中止になったりする。
嫌々だったので誰も反対はしない。
しかし、その分、要領がわからず、手間取っていることも確か。
あまりダラダラ過ごしていると、秋の祭りが近づくにつれて憂鬱になるかもしれない。
トーマスのようにならぬよう、私がしっかり牽引していかねば。
2007年7月14日(土) DVDレコーダー
衝動買いの多い我が家では、電化製品の購入のほとんどを、私や嫁さんの一言で決定する。
今日の一言は私。
「DVDレコーダー買おか」
ちょうどVHSのビデオデッキが壊れており、見ることはできても、巻き戻しや早送りをするとテープが絡み付いてしまう。
だから、画質の悪い別のデッキで巻き戻しをして、画質のいいデッキで再生するという不自由を強いられてきた。
子どもに言われてその面倒くさい操作の被害に遭っていたのは他ならぬ、嫁さんであった。
だから、嫁さんも私の唐突な言葉に驚きはしたが、さほど反対もしなかった。
午前中のPTAの会議を終えて、次女をミュージカルの練習に送り出し、その後、自宅でどんな機種がいいのか、物色を開始した。
ネットで人気機種を探し、近くの量販店で販売しているものを検討する。
手ごろなものを二機種ほど見つけ、夕方、次女を迎えに行ったついでに量販店へ。
およそ10分ほど検討してすぐさま購入を決定。
自宅に戻ってセッティング作業。
これがまた一苦労だ。
配線はすべてテレビの裏側なのだが、テレビはダッシュボードに設置されており、ダッシュボードの裏側にケーブルが通っている。
しかし、ダッシュボードはもはや移動できる状態ではなく、狭い隙間に腕を突っ込み、手探りだけで配線を済ませな駆ればならない。
BSのケーブル、ビデオのケーブル、音声や映像のケーブルなどなど、その数10本以上。
結局2時間近くかかってようやくセッティングを終えた。
で、ボタンだらけのリモコンをいじ繰り回す。
「お。こんなこともできるのか」
としばらく最新の家電製品を触っていなかったため、驚きが多い。
何より驚いたのはデジタル放送というチャネルが増えたこと。
一気に5チャンネルほど番組が増えた。
なんだかとても得した気分だ。
まだまだ録画も再生もしていないが、これからはどんどん使うことになると思う。
ああ。
また、食器洗い乾燥機が遠のいた。
2007年7月15日(日) だんじり
隣の地区に、今年「子どもだんじり」ができた。
それを曳くから見に来てくれと、役員からメールがあった。
昼過ぎ。
だんじり出発の時間を少し回ったころに外へ出た。
昨日の大雨もぴたりと上がり、かといって照りつけるような日差しでもなく、とても気持ちがいい。
近くの公園で遊んでいる子どもに聞く。
「だんじりどこへいったか知らん?」
「だんじり?」
「なんかみんなで引っ張ってたやろ?」
「あ、それやったらあっち」
指差す方向へ少し歩き出すと声が聞こえてきた。
「セーノー」
「ドンドン」
「チキチン」
走っていくと、大人も子どもも一緒になって引っ張っている。
「あ、おっちゃんや」
誰かが私を見てそういう。
保護者の人に会釈する。
私も掛け声に合わせて、思いっきり叫んだ。
「セーノーッ!」
すると少し小さくなっていたみんなの掛け声が一気に大きくなった。
笑顔が増えた。
子どもを乗せた重いだんじりは、みんなの思いも乗せて、笑顔と一緒に町内を行進した。
2007年7月16日(月) にんにく臭
少し前のこと。
サッカーの試合を見ながらビールを飲み、そのおつまみに、揚げたニンニクを食べた。
別にニンニクが取り立てて好きなわけではないが、以前からガラスの密閉容器に入れられたおつまみは、誰に食べられるでもなく、キッチンのカウンターの上にぽつんと鎮座していたので、なにやら少し不憫になって、手を伸ばしたのだけだ。
しかし、試合に夢中になるうちにかなりの量を食べた。
おそらく、丸々5個分ぐらいは食べたんじゃないだろうか。
ひとかけらでも相当に匂いのきついニンニク。
どうなることかと思いながら、次の日を迎えた。
翌朝、私が寝ている部屋へ入ってくるなり、だれもが「くさい!」と叫ぶ。
私自身、私の体から、ただ事ならぬ、においがしていることに気がついた。
早速シャワーを浴び、牛乳を飲む。
しかし、焼け石に水。
かといって、一日中部屋にこもっているわけにも行かない。
こうなったら開き直るしかない。
今日の私は特別な匂いです。
ええ、ええ、ニンニクの匂いです。
それが何か?
これぐらいに開き直っていたが、トイレに入ってみると、自分で自分を苦しめることになった。
後から入る人はきっと災難だ。
もう二度と、馬鹿なまねはしない。
たぶん、また違う、馬鹿なまねをするだろうが。
2007年7月17日(火) 赤ペン先生
実行委員会の後にその会議での報告内容などが「委員会便り」として、各家庭に配布される。
それを発行しているのは、「広報委員」であり、「広報委員会発行」となっている。
学校から配布される保護者向けの多くの文書には、「PTA会長 ○○○○(私)」という発行人である私の名前が右肩に書かれている。
文書の内容はほとんど出来合いのもので、私が最初から作ることはあまりない。
だから実際には、書記の先生が代筆している。
しかし、私の名前がある以上は、私は内容を知らない、では済まされない。
そこで、「私の名前で発行するときは必ず、事前に私に見せてください」と先生方にお願いしている。
ま、時々、「未承認」で発行されるのだが。
で、先ほどの委員会便りは私の名前で発行する文書ではない。
でも、「是非、会長に目を通していただきたい」と言って、広報担当の先生が私のところへ持ってくるのだ。
「大変だから持ってこなくていい」と言っているのだが、持ってこられた以上、無視するわけにはいかない。
で、内容を見ると、これまたひどいのである。
活動内容報告
A地区:特になし
B地区:清掃活動
C地区:特になし
D地区:レニングラードを見に行く
特になし?!
各地区で行われていた懇談会の報告はどこへ行った?
他にも「ラジオ体操」だとか「廃品回収」だとか各地区ごとに盛りだくさんの活動報告があったのに。
それに「レニングラードを見に行く」ってなんだ?
「レニングラードサーカスを見に行く」だろ。
海外視察じゃあるまいし、そんな「場所」を見に行ってどうするんだ。
各地区の活動内容を赤ペンで加筆する。
また、「広報委員からのお願い」というところにとんでもないことが書いてある。
「個人情報保護法に従って顔写真はできるだけ避けますが、云々」
『個人情報保護法』?
そんなものを適用されるのか、この学校は?
これまた、赤ペンで加筆する。
「学校に個人情報保護法は適用されません。5,000件以上の個人情報を取り扱い、それを事業に利用する企業や行政において適用されるものです。むやみに過敏にならないように」
そう書いて「個人情報保護法に従って」を二重線で削除する。
ふう。
こんなお馬鹿な文書が出回ると、私の名前が出ていなくても恥ずかしい。
2007年7月18日(水) スーパー銭湯で一泊
いつもどおりユーザ先の会議に出席すべく、自宅を出る準備をしていると携帯電話が鳴った。
どうやらトラブルが発生しているらしい。
告げられた場所は聞いたことのある名前だが、実際に訪問したことはないところ。
最寄り駅も聞いてみたが、初めて聞く名前だ。
駅の名前を聞いただけで、なんとなく、「遠い」感じがする。
一時間程度でいけるところで、そんな名前の駅は聞いたことがないからだ。
それでも依頼されれば出かけて対応しなければならない。
最寄り駅を検索してとりあえず、電車に乗る。
電車を乗り換えること4回。
所要時間は合計2時間。
これほど遠いとは思わなかった。
駅に降り立つと空気がいい。

目印に教えてもらった、近畿圏では有名な「スーパー銭湯」を探して歩き出す。
広い道路に出るとその目印がかなり遠くに見える。
ようやくたどり着いたユーザで障害復旧作業に取り組むが、どうやら人海戦術でなければ対応できそうにもない。
昨日から徹夜で対応しているメンバーとともに、対応しては見るものの、気がつけば夜の11時を回ってしまった。
もう、家に帰るにはタクシーしかない。
徹夜明けのメンバーはそれでも自宅へ帰るといったが、私はこれを機会にと、スーパー銭湯で朝まで過ごすことにした。
嫁さんに事前に内容を調べさせており、仮眠できることを確認済みだ。
作業場所と目と鼻の先にある銭湯に入る。
靴を脱ぎ、ロッカーの鍵を受け取って、荷物を預け、きっと呼び名があるのだろうが、スーパー銭湯用の服に着替える。
スリッパもなく、みんな裸足で歩いている。
じゅうたんが心地いい。
靴は別のロッカーにあるので、この館内にいる間、どこへ行くにも裸足だ。
で、まずはビールを飲むために、カウンターへ向かう。
裸足なのに、こういう店に来ると言うのはなんだかぎこちない。
ビールを注文する。
高い。
人の足元を見るとはまさにこのことか。
食事を済ませて、風呂に入る。
普通の銭湯より、広く、いろいろな浴槽があるが、取り立ててどうこう言うほどのものではない。
さっさと出て、またビール。
ほろ酔い気分になったところで、仮眠スペースへ移動。
平日のためか、場所柄なのか、人は少ない。
空いているリクライニングシートを見つけて座る。
背面を倒すとほとんど平らになるので、寝るのに苦労はしない。
椅子の肩口当たりから、正面に映し出されているテレビの音声が聞こえる。
うーん。
子どもをつれてきてもそれほど面白くなさそうだ。
私も、こんな機会でもなかれば来ることもなかっただろうし、もう再び来るような気もしない。
2007年7月19日(木) ヒップホップ
「くずし」なんてもんじゃないのである。
「ねぶた」よりも激しいのである。
ヒップでホップなダンスなのである。
私の踊りで盆踊りの会場は一気に盛り上がった。
らしい。
来賓席に座っている自治会長さんや、みんなの世話をしている女性たちや、浴衣姿で踊っている保護者たちや、踊りの指導をしている踊り子さんたちや、そして何より子どもたちが、とても笑っていた。
まあ、確かにビールを飲んではいたが、別に酔っ払っていたからあんな踊りだったわけではない。
私が学生のころは、集団であんな躍り方をしていたし、私の踊りなどはまだまだ未熟なものだった。
それでも、普通の踊りかたしか知らないお母さんたちは、かなり衝撃を受けたようで、「かっこいい」とか「すばらしい」とか、メールでの挨拶代わりに賛辞の言葉をかけてくれる。
今度の私の地区の盆踊りのときは見に行くから踊ってくれとまで言われた。
浴衣姿で、すそを端折って、団扇(うちわ)を背中に挿して、鉢巻を巻いて踊ると、もっと様になるのだが。
私には踊る目的がある。
型にはめられたとおりの踊りをしなくていい。
自分たちが楽しんで踊るのが、本当の盆踊りの目的なんだ。
そう、子どもたちに伝えるために、私は踊るのだ。
2007年7月20日(金) かしまし娘
まさか「かしまし娘」をやらされるとは思ってもいなかった。
男性主体で行われていたPTAのお目付け役として登場したといわれている「母親代表委員会」、通称「母代」。
その歴史はかなり古く、PTAの組織が全国にあるように、この「母代」も全国にある。
そして当然のことながら、私の住んでいるところにもある。
母代の懇親会があり、メンバーは当然、各学校の母代の委員さんなのだが、私は今年、PTA協議会の役員をしており、ほかの役員とともに、その懇親会に招待されていた。
とはいえ、自腹である。
自宅から少し離れた場所なので、私も学校の母代のメンバーとともにタクシーで出かけた。
座敷に案内されると、女性ばかりが40名程度、その中で男性はわずかに5名。
男ばかりも面白くはないが、女性が多いと、話す内容に困る。
それでもとりあえず、酒を飲み続け、宴会は進んだ。
そして、宴もたけなわとなったころ、誰かが言った。
「さあ、そろそろ男性役員が何かをしてくれるのが見たいなあ」
そういわれると、「しゃーないなあー」といいながら立ち上がり、渋っている周りの役員の男性に「よし、じゃあ、隣の部屋で作戦会議」とせきたてるのは私の役目。
とりあえず、隣の部屋に行き、何をするか相談していると、女性役員が「じゃあ、かしまし娘の歌とともに登場しますか。○○(私)会長が先頭で」と言う。
男性役員(もちろん全員PTA会長)を引き連れて、高らかに歌いながら、そしておかしなダンスをしながら、入場する。
「うちら陽気なかしまし娘〜」
はあ。
私に対するみんなのイメージが変わったのは言うまでもない。
2007年7月21日(土) 自作のやぐら
「盆踊り用のやぐらを自分たちで作る」
なんとも頼もしい意見が出たのは私のところの地区の自治会。
設計から部材の発注まですべて自治会のメンバーがやったもの。
しかも腰が曲がるほどのかなりのご高齢。
そのやぐらの組み立てを今日やった。
とはいっても、私は高校での会議に出席していて遅れて参加したため、やぐらはすでに組みあがっており、解体に取り掛かっているところだった。
それでもかなり立派なものが出来上がった。
金属製のパイプをいくつも組み合わせ、丈夫なそのやぐらは「2トンの荷重に耐える」らしい。
大人が数人乗ってもびくともしない。
解体した部材を倉庫へ運び込む。
これがなかなか重い。
こんなものをこの人たちで組み上げたのかと思うと、正直頭が下がる。
私が子ども会の会長になったとき、何もしない自治会に対してお母さん方の不平は多かったが、なかなかどうしてどうして。
場所を提供してもらえず、盆踊りの開催そのものが危ぶまれたのに、場所の確保からやぐらの組み立てまで、この一年間で自治会がやってきたのだから、賞賛に値する。
本番のときは、体調を整えて、目一杯手伝うつもりだ。
2007年7月22日(日) スーパーボール
先日の盆踊りのとき、次女はかなりの戦利品を得た。
それはスーパーボール。
大人が両手でもてないぐらいの量はある。
「スーパーボールすくい」でもらったものだ。
当然、「おまけ」が大部分を占めるのだが。
しかし、知らない町の的屋がやっているわけではなく、近所の人たちがやっているスーパーボールすくいだ。
「ポイ」だって、そう簡単には、破れない。
昨日行われた、隣町の夏祭りでも、この通り。

さすがにすくったもの全部をもらうことはできないが、子どもは十分楽しめる。
このスーパーボールすくいのコーナーは子どもたちの姿も途切れることがなかった。
これはかなり、ぼろい商売じゃないだろうか。
スーパーボールの原価はおそらく、1個5〜10円程度。
ポイもひとつ当たり、10円も出せばおつりが来るだろう。
で、一回、100円だ。
しかも、子どもたちも存分に楽しんでいる様子。
スーパーボール侮るべからず。
2007年7月23日(月) ミンミン
東京へ着き、駅を降りて驚いた。
「ミーンミーン」
ミンミンゼミが鳴いているのだ。
以前の日記にも書いたが、関西地方ではほとんどその声は聞かれなくなった。
私がミンミンゼミを最後に手にしたのは25年以上前のこと。
四半世紀前。
(よもや自分の人生に「四半世紀前」という言葉を使って話をするような出来事が登場するとは。)
近くの神社で小学生たちが捕まえた蝉を見せてもらって、背中にある独特の緑色の模様でミンミンゼミだということに驚いたのだから、頻繁に見ることができたのはそれよりもさらに10年以上前のことだろう。
特別天然記念物なみのミンミンゼミのその声が、東京の都心、ビルの隙間のわずかな緑地帯で、聞けるのだ。
関西ではまず無理なこと。
でも、それは関東の人も同じだろう。
関西では掃いて捨てるほどいるクマゼミも、関東の人には珍しく、また、クマゼミは日本にいるセミの中で最大の種なので、子どもにも人気があり、一時期は東京のデパートで売られていたこともあると聞いた。
確かに、真っ黒な背中は風格もあり、客観的に見比べれば、他のセミよりもかっこいい。
しかし、私はあの緑色の模様のミンミンゼミが、なにより、セミの鳴き声の代名詞たる「ミーンミーン」という鳴き声に、夏を感じるのだ。
2007年7月24日(火) 忸怩たる思い
私にだって、面白くないと感じるときもある。
仕事上で理不尽さを感じたり、PTAや町内の活動で自分の無力さを感じたり、そして家庭で理解してもらえない失望感を味わったり。
それが一つや二つならまだしも、八方塞になると、これはもう、何もかもが面白くないと感じてしまう。
しかし私は男だし、グチグチといつまでも不満を言ってはいられない。
それを誰かが聞いてくれないからと逆ギレすることもできない。
腹が立とうが気分が悪かろうが、翌日はいつものように仕事に出かけなければならない。
猛烈に胃が痛む。
お湯を飲んで痛みを和らげる。
人間ドックに行かねば、などと考えながらも、一日としてそんな暇な日はやってこない。
日記では元気なところしか書いていないが、最近、だんだんと人間が小さくなってきたような気がする。
趣味は別にあったのに、いつしか「酒を飲むこと」と答えるようになった。
今夜も気分を紛らわすため、金もないのに、趣味に付き合え、と人を誘った。
こんなことで人間が大きくなれるわけではない、とわかっていても。
2007年7月25日(水) 胡坐で飛べるとき
市内にある中学校での会議を終えて、すでに心は自宅のテレビの前に。
コンビニで買い込んだビールを持って、家に入る。
一旦、居間に入って「もうすぐサッカーやぞ!」とだけ言い残し、スーツを脱ぎ捨てシャワーを浴びに浴室へ向かう。
さっぱりしたことろで再び居間に。
応援用Tシャツを着て、ビール片手に、テレビの真正面、居間の中央に陣取る。
これが私のいつもの応援スタイル。
放送が始まる。
選手の入場にあわせて拍手をし、国家を高らかに斉唱する。
その後、ビールがなくなると子どもに冷蔵庫からとって来させ、自分はテレビの前から、いや、画面から目を離さない。
「そこは中央突破や!安易にサイドチェンジするな!」などと時には監督気分で指示をする。
相手のゴールに机を叩いて悔しがり、日本のゴールでは胡坐をかいたまま中に浮き上がるほどに喜ぶ。
今度は三位決定戦。
惜しくも連覇は逃したが、次の相手は日本にとって最大の好敵手、韓国。
相手にとって不足はない。
胡坐をかいたまま、空を飛んでやる。
2007年7月26日(木) プロセスに趣が
朝から京都へ。
もちろん、仕事。
初めての場所なので人と待ち合わせをして案内をしてもらうことに。
さあ、京都の地名は複雑だからしっかり行き方を覚えておかないと、と意気込んでいたにもかかわらず、案内人はいきなりタクシーに。
「タクシーしかないんです」という。
しかもタクシーに乗ると、行き先は地名ではなくユーザの名前を告げた。
これではまるっきり場所がわからない。
そこへたどり着くまでのプロセスに面白みがある。
例えば、タクシーで行き先を告げるときも「○○商店へ。場所は××大橋をわたってすぐに右の坂を下りたところです」などというとその当たりの情景が思い浮かぶ。
以前、京都で仕事をしていたときはタクシーの運転手さんに、「○○商店へ。十条××下がる、へお願いします」と告げていた。
交差点名に「下がる」や「あがる」を付けて場所を説明するのは京都独特の表現だ。
ここに趣があるのだと思う。
現地に到着して、今度私が来るときのために、と思って最寄の交差点を見渡したが、どこにも名前が書いていなかった。
また駅からユーザ名を告げて、来なければならないかと思うと、少し残念だった。
2007年7月27日(金) 平凡な夜
学校が夏休みになると学校関連の仕事は一休みであるが、子ども会会長として、また、防犯委員としての仕事はたっぷりある。
今夜は防犯委員として地域の夜間巡視を行う日。
21:00に集合場所へ行くと、中学校の委員さんや防犯委員長が待っていた。
早速、二つのグループに分かれて町内を巡回する。
とはいっても、一緒に回るのはお母さんたち。
巡回というよりむしろ、おしゃべりしながらのお散歩だ。
まあ、それでも十分、抑止効果はある。
お母さん方に犯罪を取り締まるなんてことはできるわけがない。
しかし、夜回りをしていると、気の小さい犯罪者の犯罪は防止できる。
実際、犯罪を起こすものの大半は小心者だ。
だからこそ、犯罪はこっそりと行われるのだ。
地域を一周してもとの場所に戻り、解散した。
その後、行きつけの飲み屋で一休み。

何事もなかった夜。
これが当たり前の夜。
当たり前で平凡こそが平和のしるしだ
2007年7月28日(土) ライバル
ライバルとは競い合うことによって、お互いにより高みを目指すもの。
日本代表にとっての韓国がまさにそれ。
日本のサッカーがこれほどアジアで通用するようになったのも、きっと韓国というライバルに恵まれたからに違いない。
「アジアの虎」と呼ばれる赤い軍団は常に日本の前に立ちはだかっていた。
記憶に新しい1998年のワールドカップ。
初出場を決めたその大会の予選で、日本は初めて韓国に勝った。
それまで、日本はワールドカップ出場予選で一度も韓国に勝ったことがなかったのだ。
それほどに強敵だった。
でも、その強敵に対して互角の戦いをできるようになった日本をここまで強くした要因のひとつは、間違いなく韓国の存在だろう。
今日もいい試合を見た。
これがその証。

またいい試合を見せてくれ。
2007年7月29日(日) 夏休みするぞ!
「他の友達は日曜日に遊べないのに、どうして私は遊べるの?」と次女が不満げに嫁さんに話したらしい。
日曜日に遊べることの何が不満なのか?
遊べない友達をうらやましそうに言うのはなぜか?
日曜日に遊べない友達は何も塾や習い事をしているわけでもなく、家のお手伝いをさせられているわけでもない。
しかし、友達は家におらず、遊ぶことができない。
友達は家族と一緒に遊びに出かけているからだ。
それなのに、次女は家にいるので遊ぶことができる。
つまり、日曜日なのに家族で出かけず、家にいる次女はそれが不満なのだ。
確かに、以前はよく遊びに出かけたのに、最近は以前よりかなり少ない。
今年になってからすでに半分以上経過したと言うのに、次女と遊びに出かけたのは数回。
そのうちのほとんどが子ども会関連。
親子として遊びに行ったのは、ゴールデンウィークのUSJと木津のおじさんのところ、そのわずか2回だけ。
これはまずい。
私は何をやるよりも前に、まず娘の父親だ。
今年の夏は多少無理してでも休みを取って、どこかへ遊びに行こう。
2007年7月30日(月) それが一番へんな
「お父さんお父さん」
「ふん?」
「じゃんけーん、ホイ!」
いつものようにいきなり次女が言うので、とっさに手を出し、そしていつものように負けてやる。
「やったー。じゃあ、お父さん、へんな顔して」
あっち向いてホイ、じゃないのか。
へんな顔だと?
よし。
そんなことを考えながら、顔の真ん中に力を入れて、へんな顔になる。
「もっとへんな顔」
相当、へんな顔のはずだが、リクエストに答えて、今度は顔中の力を抜く。
「ハハハ。もーとへんな顔して」
口を極端に歪めてみる。
「もっと」
手で顔を変形させる。
右に左に上下に。
「ハハハ。うーん。でもあんまりへんな顔じゃないなー」
そう言われても、もう、へんな顔もできないので、普段の顔に戻す。
「あ。それそれ。それ一番へんな顔!」
やられた。
誰に教わったんだか。
でも、面白いじゃないか、これ。
今度は私も使わせてもらおう。
2007年7月31日(火) 茶道の先生
小学校で開催される秋祭りの出し物として、例年、「お茶の先生」を招聘し、お茶会を開いているが、今年は近所の大学の茶道部に、「お茶の先生」をお願いしようと考えていた。
そこで、先日、茶道部宛てにメールを送って打診していたのだが、今日、その返事が返ってきた。
「○○(私)様へ
先日は大変丁寧なメールを頂きましてありがとうございました。
私は、○○大学茶道部で副部長をしている○○というものです。
部員に頂きましたメッセージを読んでもらったところ、
みなとても興味をもったようです。是非やらせてください。
こちらからもよろしくお願いします。」
まさに「渡りに船」である。
さらに、自分たちがまだまだ駆け出しで、作法も十分ではないため、迷惑をかけるかもしれない、と続けられていた。
望むところである。
完成されていないのならば、互いに成長すればよい。
小学生が彼らから学ぶように、また彼らも、小学生に教えることで何かを学び取ってほしい。
慣れた茶道の先生ではなく、まだ会ったこともない大学生に話をするのは、確かに不安でもある。
しかし、不安のないことなど何もないし、それを乗り越えるからこそ、面白いのだ。
早く彼らと会って話がしたいものだ。