カリント日記

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2007年8月1日(水) ミュージカル披露

先日の市民祭りで市民ミュージカルの紹介が行われた。
大きな掛け声とともに、舞台袖から、ウワーっとステージに上がってくる出演者たち。
おそろいのピンクのTシャツを着た、女性中心のメンバーはみな元気で、見ていて気持ちのいい、いい笑顔をしている。



そのなかに私の次女も混じっていた。
踊るのは好きなようだが、親の目から見てもうまいほうではない。
しかし、なんだか楽しそうだ。

学校の先生へ書く作文の中でも「ミュージカルの練習は楽しい。毎日練習があればいいのに」と書いていた。
どこまで本心かは知らないが、それなりに楽しんでいるのは間違いないだろう。

5月から毎週土日の練習は、送り迎えするだけでも大変だ。
なのに、本人は文句も言わずに練習している。

本番まで残りわずか。
その笑顔のまま、当日を迎えてほしい。

2007年8月2日(木) 台風の水彩画

空を眺めるのが好きだ。
高く青い空、月の輝く空、雲の湧き上がる空。
仕事の合間に窓の向こうに広がる空をボーっと眺めていることもある。
また、仕事の帰り道、ふと気になって見上げることもある。

今日もまた、ユーザ先から仕事場へ戻る途中、交差点の横断歩道を渡りながら振り返り、思わず声を出してしまった。
「おお」



私が写真を撮っているのに気づいた女性たちも空を見て「うわ。すごい空。何かの前兆みたい」と話しながら交差点を反対方向に渡っていった。

私は時折、その空を振り返りながらゆっくりとした足取りで仕事場へ向かった。
しかし、数分後、煌々とした明かりの照るビルにつくころには、台風がその強い風で描いた、空の水彩画も、闇の中に消えていた。

2007年8月3日(金) 自覚が足りない?

「評議員としての自覚が足りないよ!」
いきなりの言葉に唖然とした。

先日の市民まつりでは、市PTA協議会の役員として、また、それぞれの学校のPTA会長としての役目があり、まだ祭りが始まる前から現地入りしていた。

初日は突然の雨にたたられながらも、開会式前のパレードを成功させるべく、市PTA協議会の代表としての仕事をこなすために参加した。
プラカードや参加賞の準備、パレードの誘導、また会長として自らパレードにも加わるなど、いくつかの仕事を任されていた。
もちろん、いつものように準備万端整えて受付場所に向かい、市PTA協議会の会長と話をしながら段取りを確認していると、甲高い声が聞こえてきた。

「○○(私)くん!」
みると、市の子ども会連合の副会長だ。
私は今年から、市子連の評議員を務めることになった。
学校で言うところの実行委員であり、これまた何かと子どもたちのために活動をするのだ。

「○○くん!遅い!」
「は?」
「遅い!評議員としての自覚が足りないよ!」
「な、なんですか?」
「はい!こっちこっち!」

戸惑う私に強い口調で話しながら、いくつかある会場内のテントのひとつに私を連れて行った。

「ああ。なるほど。市子連でも何かやるんですね。じゃあ、時間がありますので少し手伝いましょう」
そういう私に向かってなおも言う。
「なに言うてるの!あんたはここで手伝いやで!」

寝耳に水である。

私は今日ここで市子連が出し物をするなんてことは聞いていなかったし、まして、PTA協議会の一員として任された仕事もあるのに、そんな勝手なことを言われても困る。

私へ連絡する係りの人間が私へ連絡していなかったのだ。
結局、PTA協議会の任務の合い間を縫ってこの店を手伝った。
手伝ったと言うより、私が一番働いていた。
翌日も、PTA役員として一時間の自転車整理を手伝い、それ以外は祭りを楽しむこともなく、市子連の評議員としてひたすら店の手伝いをした。
次女のミュージカルを見ることができたのがせめてもの救いだ。

深夜までの後片付けを終え、帰り際に副会長に言った。
「私に連絡する係りがちゃんとできていないようですから、次回からは副会長が直接、私に連絡してください」

自覚が足りないのは誰だ?

2007年8月4日(土) 盆踊り前日

明日は町内の盆踊り大会。
今日は例年になく早くから準備を始めた。
というのも、わけがある。

この校区にあって唯一、やぐらの上で音頭取りが、音頭を取るのはこの町内だけであり、それがこの町内の盆踊りの名物であり、また、自慢でもある。
実は昨年、ちょっとしたトラブルがあって、今まで使えていた盆踊りの場所が使えなくなってしまった。

スペースは小さな児童公園だけとなり、これでは自慢のやぐらも組めなくなった。
しかし、今までとはちょっと違う自治会のメンバー。
「こんなことではあきらめられん」とばかりに、自分たちで設計までしてやぐらを造ってしまったのだ。

その組み立てを、炎天下の中、行ったのだ。
ブランコの隙間を利用して足場を組む。



暑い中でやっていると文句も出るし、不平不満の声も出てくる。
それでもみんなひとつの目的に向かって力を合わせた。

明日の夜が楽しみだ。

2007年8月5日(日) 盆踊り!

この町内の一大イベント、「納涼盆踊り大会」が今日開催された。

前日から準備を始め、今日もいろんな人が朝から準備を始める。
たて看板を道路のあちこちに設置する人、自治会館を掃除する人、そして会場準備をする人。

私も夕方から手伝いを始めた。
「花代」と言われている「寄付金」をいただいた人の名前を掲示板に貼り付けていく。
しばらくすると子ども会のお母さんたちも集まってきたので、こまごまといた作業をお願いする。

こうしてだんだんと活気が出てくる。
しばらくして盆踊りの音楽を流すと一気に雰囲気が変わる。
人が集まり始めて、いつ始まるのか、と心待ちしているのがわかる。
浴衣を着た子どもたちも集まり始める。

そうして盆踊りが始まった。

子どもが踊り始めると、ほかの地区から自治会長さんたちも集まり始めた。
大きな大きなポリバケツに冷やされた数百本のビールがものすごい勢いでなくなっていく。
もちろんすべて無料だ。
この盆踊りに参加してくれたなら、誰にだって配る。

私も息をつく暇もないほどにビールを飲む。
しかし、どんどん汗となって流れていく。
みんなが踊っている間も、警備や、世話などやることは一杯あるのだ。

やがて子どもたちの帰る時間となり、その場にいる子ども全員にお菓子を配る。
ほんの少しのお菓子なのに、みなとてもうれしそうな顔をしている。
こういうときは本当に子ども会をやっていてよかったと思う。

そしていよいよ大人の時間。
音頭とりがやぐらの上で、軽快な音楽とともに音頭を取れば、踊り子たちもそれに合わせて踊りまくる。
(写真中央奥が昨日組み立てたやぐら)



私ももちろん踊りまわる。
私が踊れば子どもがその後をついてくる。

こうしてヘロヘロになるまで飲んで踊った。

後片付けを終えると日付の変わるとてもハードなイベント。
それでも来年、きっとみんな集まって、同じようにこのイベントを迎えるだろう。

2007年8月6日(月) この時期に思う

私が小学生のころ、毎年、今日、8月6日は登校日だった。

夏休みの中にあっても、今日だけは午前中だけ授業があった。
授業といっても、国語や算数をやるわけではなく、戦争に関する、映画を見たり話を聞いたりして過ごした。

映画は怖いものが多かった。
でもそれは戦争を怖いと感じたのではなく、映画に出てくる人たちや風景を怖いと感じたのだ。
本当に戦争を怖いと思うようになったのは、もっと大きくなってからである。
それは単純に、大切なものを失ってしまう悲しみを想像できるようになったからであり、なにも、悲惨な光景を見たり聞いたりしたからではない。

戦争の恐ろしさを語るとき、大人はなぜだか凄惨で残酷な場面を子どもに伝えようとする。
でも、それで子どもに伝わるのかどうか不明だ。
マイクを向けられた子どもは一様に答える。
「戦争は怖いと思う」
でもそれはおそらく、パブロフの犬。

ではどうすれば子どもたちに伝えられるのだろうか。
戦争の怖さを本当にわからせるのはきっと難しい。
大事なのは、子どもが大きくなったときに「大切なものを失うと言うことはとても悲しいこと」と言う当たり前のことを、理解できるように育ててやることだと思う。

毎年、暑い暑いこの時期になるとそんなことを考える。

2007年8月7日(火) ごろごろしてない夏休み

夏休みとはいえ、私が仕事に出かけるころには長女も次女も出かけていく。

長女はクラブ活動だといって学校へ向かう。
「科学部」なのに夏休みもクラブ活動があるなんて、運動部のように活発なこと。
まあ、中心メンバーは仲良しなので何かと楽しいのだろう。
それに月末には科学の祭典が待っている。
ほとんどが高校生以上の参加の中にあって中学生の長女たちはそれなりに注目もされているようで、先生も気合が入っている。
それに向けての準備や打ち合わせなどもあるのだろう。

次女も、月末に行われるミュージカル公演の練習も佳境に入り、毎日長い時間練習しているようだ。
途中でやめるんじゃないかと心配していたが、文句を言いながらも、楽しんでいるようで、どうやら最後まで続けられそうだ。
「忙しくてあっという間に一週間が過ぎる」と小学生らしからぬこと言う。

嫁さんも売れっ子アイドルのマネージャーのように、次女についてあちこちへ出かけている。
私が自宅に戻るころには、もう、ヘロヘロになっているようだ。

私も休みが取れたとしても、自宅でごろごろというわけには行かなさそうだ。

2007年8月8日(水) 暑い京都

暑い。
今日の仕事先は京都。

京都は日本の中でも季節のメリハリが強い土地。
夏はもちろん暑い。
しかもこの時期は日本中が、一年で最も暑くなる季節。

15時に現地での仕事を終えて外へ出ると、心地よいはずの風が熱風となり顔にまとわりつく。
エアコンの聞いた会議室での会議のあとだけに、この暑さがきつい。
一気に汗が噴出してくる感じだ。

駅まで距離があるのでタクシー乗り場に向かう。
タクシーに乗り込むと冷房に救われる。
でもそれもつかの間。
じっとしているだけで、どころか、冷房の効いているタクシーに乗っていても、窓越しの強い日差しに腕が焼け、じわじわと汗がにじみ出てくる。
タクシーを降りるとまた容赦ない日差しが。

帰りの電車の中では冷房の風に魂を抜かれたようになり、あっという間に眠りに落ちた。

2007年8月9日(木) キックオフにて

「なんかいつもとイメージ違う」と言われるのは毎度のこと。
仕事の付き合いしかない人が、私と初めて酒を飲むと、必ずといっていいほど、この言葉を口にする。

今日は客先とのキックオフ。
キックオフはプロジェクト開始にあたり、関連メンバーが一堂に会して行われる儀式。
といってもほとんどの場合は、その後の飲み会が主たる目的。

その飲み会が客先近くの小さな居酒屋で行われた。
古い雑居ビルの地下一階にある隠れ家のような居酒屋。

普段の仕事では、もちろん態度もまじめだし、何より話し方から受ける印象が大きいのだろうか、冗談も言わない人、という印象を持たれる。
必要最低限の話しかしないし、セールストークもほとんどしない。
無論やろうと思えばできるのだが、その気もないのに無理をするのは性に合わない。

しかし、酒を飲むと大抵、饒舌になる。
もちろん、見境なしというわけではない。
そうしたほうがいいときにそうする。
事実、そうすることによって場が和むし、以後、笑顔で会話する機会が増える。
それによって、多少の無理が通るようにもなる。

今日もたくさん冗談を言った。
おかげでユーザの笑顔も多かったし、明日からの会話もよりいっそうスムーズになるだろう。

私にとって酒は、人間関係をよくするための潤滑油なのだ。

2007年8月10日(金) 映画を見た後

忙しい毎日だが、もし休みが取れたのなら、長女と一緒に映画に行こうと決めていた。

数年前、近くに超大型複合商業施設ができた。
土日なら朝から大勢の人出で賑わうそこも、夏休みとはいえ、平日ではそこそこの賑わいのその施設には、デパート、家電量販店、各種小売、そして映画館がある。
映画館は、今流行のシネマコンプレックス、通称、「シネコン」と呼ばれるやつだ。
シネコンとは、「複合映画館」のことで、従来の映画館とは異なり、多くのスクリーンを持ち、いろんな映画が一つの建物の中で見られるような施設のことである。

嫁さんは子どもを連れてよく友達と利用しているようで、ポイントカードに集めたポイントで、無料で映画が見られるほどになっている。
今日はその無料券をいただいて、長女と出かけたのだ。

シネコンは全席指定なので、窓口で「何時からの上映を見るのか」ということと、座席を指定する。
次回上映分のチケットを購入した。
中央のベストポジションを確保できたのも、平日ならではのこと。

次回上映までには一時間ほどあったので施設内をうろつくことにした。
かといってもウインドウショッピングなどあまりしない長女。
一緒にペットショップへ行く。
ガラス越しに、じゃれている子犬の姿を見ている長女の顔を見ると、やっぱり女の子だな、と感じるが、イグアナを見ているときも同じような顔をして喜んでいた。

その後、本屋をうろつき、少し早いが映画館に戻った。
入り口の横に飲み物や軽食を売っている。
館内にはここで購入したものだけを持ち込めるという仕組み。

ビールを二つと、ジュース、それと「これでもスモールなのか?」と思うほどに大きなコップ(750mlはあろうか)に入ったポップコーンを買って中に入った。

スクリーン番号「6」と書いてある、チケットに従い、指定された番号の扉を開けて中に入った。
この番号のところにたどり着くまで1から5までの扉があったが、その扉の向こうではそれぞれに違った映画を上映しているのだ。

館内はがらんとしていたが、中央付近だけ、やたらと人が集中していた。
しばらく予告編を見た後、本編に入った。
全米で大好評という触れ書きの作品は、少し子供向けの感じもしたが、それだけにわかりやすいストーリーで難しいことを考えずに済んだし、単純に映像を楽しめるものだった。
残るだろうと思っていたポップコーンはいつの間にかなくなっていた。

映画館を出ると建物をつなぐプロムナードに強烈な日差しが差し込んでいた。



あまりに暑くて笑ってしまうほどだった。
長女と二人、ゆっくりそのプロムナードを渡りながら、映画の話をし、そして何を食べるか相談した。
暑いけれども、穏やかな時間が流れた。

2007年8月11日(土) アマゾン博

長女と出かける夏休み二日目。

仕事場近くで開催しているテレビ局のイベントに出かけた。
イベント会場はビル周辺の駐車場や公園。
いろいろなテントがそれぞれに趣向を凝らした出し物をしているが、どちらかというと子ども向き、あるいはミーハー向きで、私も長女も店の雰囲気を確認して通り過ぎるだけだった。
唯一、私が立ち止まったのはビールの販売だけ。
すぐに購入して、また二人で歩き始めた。
それにしても暑い。

なので涼しいビルの中へ非難することにした。
近くのビルの中ではテレビでおなじみのお笑い芸人が番組の生放送をしていた。



出演者はみな、ほとんど毎日どこかのチャンネルで見かけているような人気者だが、別に長女は騒ぎもしないし、しばらく見ていたが、すぐに飽きてしまった。

暑いので飲み物を買おうと立ち寄ったコンビニの壁に貼られたポスターに目が留まった。
「アマゾン博」と書いてある。
5秒でそこへ行くことが決まり、早速コンビニでチケットを購入して、イベント会場の隣にあるホールに向かった。

中に入るといろいろな生き物を展示していた。

ずっと眠っていたオウム。



下から何枚か写真を撮っているとにらまれた。

こちらはイグアナ。
長女がまったく怖がらないのは、私がまったく怖がらないから。
ほかの家族がギャーギャー騒ぐ中、アングルを探して撮影。



一通り見てまわったが、結局このオウムとイグアナのところで大半の時間を過ごした。

つくづく、私たちは変な親子だ。

2007年8月12日(日) 花火の買出し

校区子ども会で開催している花火大会の花火を松屋町筋まで買いに行った。
今年は校区長がえらく張り切っており(毎年、気合は入っているのだが)、花火だけでなく、いろいろな出店をしようと鼻息荒く、意気込んでいた。
で、その買出しもかねている(当の本人は市子連のキャンプの引率で遠い山の中。お疲れ様)

校区子ども会の役員と、いつものように、頼りになる嫁さんと長女を乗せて、花火屋へ。

今年は、校区子ども会御用達のお店ではなく、私が長年、贔屓(ひいき)にしている店に行くことにした。
店の前のパーキングに車を止めて、花火を物色していると、いつものように飛び切り愛想のいい女主人が、「これが今年のおススメ!」といって新しい花火を持ってきた。

この店は、Webでも紹介されており、女主人の愛想のよさで結構有名なのだ。
「高くて面白くない花火は、客がかごに入れていても、『これは見せ掛けだけ。こっちにしとき』と安いほうを持ってくる」とあるサイトに書いてあったが、まさにそのとおりだ。
あの高い花火をこの店で買っていく客はどんな客か。
きっと女主人に気に入られないような態度をとった、鼻持ちならない客に違いない。

そんなことを考えながら、大きなダンボールに一箱分ほどの花火を積み上げ、勘定をしてもらったら、まだ予算の半分だった。
これ以上、自分たちで選ぶのも面倒なので、「後はお任せします」といって、女主人に任せることにした。
それでも、「これはシューっと高く上がって、バーンと開いたあと、パラパラパラーっと色が変わりながら、尾を引いて落ちてくるのよ」「こっちはビューンと銀色の尾を引きながら二つの玉が飛んで行くんよ」とか説明しながら、花火を積み上げていた。

その説明を受け流しながら、私たちは「あてもん」や「スーパーボールすくい」などのおもちゃを選んでいた。

あっという間に一時間が経過していた。
車に乗って帰り道、だれかれともなしに話を始めた。

「いやー。あんな店で買い物してたら、何時間でもできるね」
「うんうん。」

大事な休日に、他人の子どもの笑顔を想像しながら、楽しく買い物をできるメンバーだからこそ、こういうことをやっていられるのだと、感じた。

2007年8月13日(月) カラオケマイク

そこへ行くとカラオケができる。
カラオケボックスではなくネットの話。

カラオケ専用のサイトがあって、月々のお金を払うとカラオケが歌い放題になる。
近くにカラオケボックスもあるし、そもそもそれほど歌うわけでもない。
月額を考えると、割高のような気もする。
しかし、自宅でゆっくり酒を飲みながら、次女をひざの上に乗せ、一緒に歌うカラオケはまた楽しい。

二人で交互の選曲して自分の曲になると、マイクを持って歌う。
マイクと言っても私はそばにあった、電話の子機を使う。
それを見て次女が笑う。

そして今日、
「あ。これほしい」
といって次女が嫁さんにねだったのはマイクの形をした入れ物に入ったラムネ菓子。

どうして二つもいるのかと嫁さんが次女に尋ねると、
「だってお父さん、カラオケ歌うのに、子機で歌うねんでー。電話かかってきたらどうすんねん、ちゅうこっちゃわ」
と、まるでどこかのおばさんのような口調で説明するので、嫁さんも笑って買ってやったという。

早速、このマイクで今日も二人で歌った。
これからしばらくは、夜のイベントとなりそうだ。


2007年8月14日(火) 流れ星

昨日はせっかくの天体ショーであったのに見逃してしまった。

私は今までに何度か流れ星を見た経験がある。
流れ星を見つける気で星空を見たときは必ず見つけられる。
といっても、「見つける気」になるのは星空の輝くような場所で、それなりの時間のあるときだけだが。

今日も少しではあるが流星が観測できるらしい。
それを聞いて帰宅後にはドライブに出かける予定だったが、家に着くころの空はまったく星が見えないほどに曇っており、嫁さんと話をして、中止にした。
自宅でおとなしく、ビールを飲みながら家族と話をし、テレビなどを見て過ごした。

夜24時。
やっぱりそれでもあきらめきれず、キッチンの窓を開けて北東の空を見上げた。
きれいに晴れていた。

晴れることがわかっていれば近くの山にでも出かけたのに、などと思いながらも、昨日の流星群は東京の都心部でも観測できたということなので、ここからでも十分見えるだろうと、自分に言い聞かせるように空を見ていた。
それでも街の明かりに照らされた空は白みがかっており、星を見つけるためには長い時間をかけて夜空に目を慣れさせる必要があった。

待つこと3分。

 フーッ

かなり明るい光を放って星が流れた。
スーッっというスマートな感じではなく、尾も短かく、まるで火の玉が流れるように、それでもはっきりと見えた。
「おお」
思わず声が出た。

家族に知らせて早速外に出る。
しかし、こういうときほど、なかなか見えないものだ。
じっと空を眺める私と違い、子どもたちは「まだー?まだなのー?」と気を散らしてしまう。
嫁さんもそんな子どもの相手になっている。
私はその間も空を見ている。

 フーッ

「あ!ほら!」
そういったのは私だけで他の三人は見ていなかった。

子どもたちからブーイング。
黙って空を見上げているだけなんて、大人でも興味がなければ疲れるだろうし、ましてアニメなどで見ているような、流れ星を期待している子どもにとって、ただ暗いだけの空を見ることは何も楽しいことではない。

結局、私は3個、嫁さんはそのうち1個を見ただけで、子どもたちは見ることができないまま、家に戻った。

今度は12月。
今回ほどの流星群ではないにしても、それなりの準備をすれば、そこそこ見えるだろう。

2007年8月15日(水) 白鳥座

昨日の流星観察の後のほうが、次女にとっては充実していたようだ。

自宅に戻った後も、まだ星空を見たいという次女は、インターネットで白鳥座を探せと言った。
家路の途中で見上げた空を指差して「あれが白鳥座だ」と私が教えたそれが気になり、それをもっと知りたくなったようだ。
調べ物をしている私のところへ来て、早く早くとせかす。

白鳥座を見せてやると、何か気がついたように、自分のカバンから手帳を取り出し、書き始めた。

「星座のかんさつ」

覚えたての「星」の文字が大きい。
ノートにそうタイトルを書き、絵日記のように自分で段組を構成し、絵の部分にパソコンの画面に映っている白鳥座を描き始めた。
しばらく一人で描いていたが、今度は「こと座は?」と聞く。

これまた変わった星座に興味を示したものだ。
私自身、こと座がどんな形をしているのか知らない。

でも続けざまに次女が言った次の言葉で理由がわかった。

「わし座は?」

早速、白鳥座の位置とそれらの星の位置を教えてやると、
「じゃあ、今から本物を見るか」
そういって、それぞれの星座の位置を簡単に示したメモを持って、次女を外へ連れ出した。

「あのおうちの屋根の上に、明るい星があるやろ。あれが、デネブ。白鳥のお尻」
「ふーん。こと座は?」
そういわれて、メモと空を交互に指差しながら説明した。
「あの白鳥のお尻から、左の羽のところをまっすぐ行くと、ほら、あそこに明るいのあるやろ。あれがこと座」
「ベガ?」
「そう、あれがベガ」
「わし座は?」
「わし座は、こっちのほう、ずーーと行くと、ほら、明かるいのが二つ見える?」
「うん。見える」
「あれがわし座。で、あの明るいのが、アルタイル」
「あれがアルタイル」

次女が聞いているのは「夏の大三角形」だった。

「えーと、白鳥座の、えーと、デブ、デブ・・・」
「デネブ」
「そーそー、デネブと、ベガと、えーと・・。わし座!」

夏の大三角を言えた事がうれしいらしく、部屋に跳んで帰って「星座のかんさつ」の続きを書き始めた。

そういえば昔、星空のきれいな山奥で長男も同じ事を聞いていたことを思い出した。
長男は私の横にちょこんと座り、空を眺めていた。
長男の目線を確認するため、顔と夜空を交互に見ながら、指差して教えた。
「あれが、白鳥座」
今日の次女と同じように瞳を輝かせた横顔を見ながら。

2007年8月16日(木) つれてきた

数日前に、嫁さんに聞いた話。

嫁さんが参加しているバレーボール部に、若い男性がいる。
彼はとても霊感が強いそうだ。

まあ、霊感が強い、と言うのは本人が言うことであって、周りの人間が客観的に見て「あの人の霊感はかなり強い」などと判断できるものではないから、「強いそうだ」としか言えない。

ある日、いつものようにみんなで体育館でバレーの練習をしていたときのこと。
ふと彼が言った。

「あれ?今日は誰か新しい人がメンバーに加わるの?」

しかし、そんな予定はなく、嫁さんたち一同が顔を見合わせながら首を振った。

「でも、新しい人があそこにいてるやん」

と彼が指をさす方向、そこにあるのは体育館の壁だけ。
もちろん誰も立ってなんかいない。

嫁さんたちが鳥肌の立つような思いを振り切ろうと、否定する。
「だ、誰もいてないやん!」

しかし。
それを聞いて、彼はなるほどという感じで続けた。

「あ。今日、お墓参りに行った人いてるでしょ」

ビクッとしながら、嫁さんの友達が手をあげる。

すると彼は笑いながら言った。

「連れてきてるよ」


つくづく、私も嫁さんも霊感が弱くてよかったと、ホッとするのである。

2007年8月17日(金) 適度な歯医者

前歯の治療で5月から通い続けた歯医者も、もうそろそろ終わり。
前歯以外にも治療するところがあったので、それらを先に片付けた。
今日はいよいよ新しい前歯を装着する日だ。

装着した前歯はしっくり来るだろうか、痛みはないだろうか、そんなことを考えながら歯医者へ向かう。
エレベータを降りて消毒液のにおいがするフロアを歩き、待合室に入ると見慣れた顔が。
見慣れたといっても、仕事仲間でもなければどこかの保護者や先生でもない。
テレビで見慣れたお笑い芸人だった。
後で知ったのだが、この歯医者には有名なお笑い芸人が結構来るようだ。

看護師たちは気づいているが、待合室にいるほかの患者さんは彼のことを気づいていそうにない。
私がそう思ったからかもしれないが、看護師と話をする彼の話し声がやたらと大きく、自己主張しているように聞こえた。

「わかっているから」と声をかけてやろうかと思った。

そんな彼は5分ほどで治療を終えてさっさと帰ってしまった。
入れ違いで私が中に呼ばれた。

それから30分。
適度な痛さと、適度な刺激で、適度な義歯が装着された。
かみ合わせもバッチリで、違和感もない。

満足して待合室に戻る。
しばらくすると会計のために呼ばれた。

請求された金額は普段の5倍ほど。
これはちょっと度が過ぎていた。

2007年8月18日(土) キャベツ運び

毎週第三土曜日に開催される校区子ども会の定例会。
今日の課題は来週の土曜日に開催される花火大会の最終確認だ。

催し物直前の会議でいつも思うことだが、段取りを決めているのは私と校区長だけ。
子ども会の役員さんたちは「指示されればきっちりやるけれど、指示されなければさっぱりやらない」、そんなお母さんたちが大半を占める。
会議のときも同じ。
中には貴重な意見を言ってくれる人もいるが、ほとんどの場合、代替案のない不満か、ただの雑談だ。

女性だから仕方ないのかと思っていたが、それよりも大きなウェイトを占めているのはその参加姿勢だ。
子ども会の活動に積極的に参加している人たちと、当番で仕方なく参加している人たちとで、差が出るのは仕方のないこと。
消極的な人はできるだけ何もやりたくない。
花火大会だって、開催しなければそれに越したことはない。
積極的な人は女性だって、しっかり意見を言うし、それに伴う行動もする。

会議で確認するのは各担当の割り当てだが、これだって、必要最小限のことだけを指示して後は各自の判断で動いてもらいたい。

例えば、焼きそばを作る担当がいたとする。
最も簡単な指示は「あなたたちが焼きそば担当。以上」である。
こう言われたら、担当者はいつ材料を買出しに行くか、調理器具は誰が持ってくるか、材料の下ごしらえの場所の確保と使用許可を得る係り、鉄板のセッティングの係り、などなど決めるものだ。
少なくとも私の地区の子ども会のお母さん方はそれを相談する。
しかし、そうは行かない地区もある。

「当日、12時に○○(私)さんがキャベツと麺を買出しに行き、そのまま学校に運び込みますので、それを2Fの家庭科室で切ってください。」
と校区長が言うと
「家庭科室の鍵は開いてるんですか?キャベツは家庭科室まで運んでくれるんですか?どれぐらい切ればいいんですか?」
と質問が返ってくる。

鍵が開いてなければ自分たちで開け、買出しに行かなかったんだから運ぶぐらいは自分たちでやりますといい、家で料理するときのことを考えれば、キャベツをどれぐらい切ればいいか想像がつく、それぐらいもできないのだろうかと、情けなくなる。

その質問に、校区長が丁寧に答える。
「家庭科室の鍵は、朝ボクがきて開けておきます。キャベツは家庭科室まで運びます。切るのは、そうですね、必要な個数をこちらで買いますので、それを全部切ってください」
「わかりました。じゃあ、集合時間になったら家庭科室で待っています。」
もう、絶対にキャベツを運ばない気だ。

今から来週の土曜日を考えると、わが身ながら体が心配だ。

2007年8月19日(日) 買出し第二弾

今日は来週開催される、花火大会の買出し第二弾。
先週買出しのときに「射的のマトはお菓子がいいだろう」と話し合っていたものの、一人当たりの玉数と、お菓子の金額を考えると、赤字になるのが目に見えていたので、急遽、おもちゃを使うことにした。

向かったところはいつもの問屋街。
ただし今日は私一人。
こういう役目は私しかできない。
何をいくつ買うかと言う判断が必要だからだ。
だから別に校区長にも相談しない。
「買出しに行ってきます。内容はお任せください」それだけを伝える。
校区長に相談したところで、校区長も困るだろう。
校区長だって射的の景品に詳しいわけじゃない。
それよりこういうところへ通いなれている私のほうが詳しいだろうし、何より小学校低学年が喜びそうなものはすぐにわかる。

適当に選んで買った商品の数は100を超えた。
本当はもっと買おうかと思ったが、手持ちもなかったし、お菓子で間に合わせることもできると考え、とりあえず引き返した。

購入したおもちゃの中には薄くて立てられないものもあったが、そういうものは洗濯ばさみで挟み、それを足にしてたたせることにした。
われながら名案である。

早速、一緒に購入した予備の鉄砲を使って試射をした。

ポーンッ。

コルクの弾が勢いよく飛び出す。
次女が飛んできてやらせろとうるさい。
しばらく遊んでいても飽きなかった。

これならきっと当日も大盛況だろう。

2007年8月20日(月) 東京にて

長女と二人だけで旅行するのはこれで二度目だ。
世間では中学校三年生の女子と、その父親だけでは、旅行はおろか、買い物にすら行かないことが多いようだが、我が家は違う。
仕事で東京へ行く用事があったので、ついでに翌日をオフにして、長女と東京で遊ぶことにした。

行き帰りは飛行機でもよかったが、二人でゆっくりといろいろ話もしたい。
それにグリーン車なんてこんなときでもなければ乗ることはない。

朝からうきうきして新大阪へ向かい、いつものようにサンドイッチと長女の好物のいなりずしを買ってグリーン車に乗り込む。
ああ、こんなに乗り心地がよかったか、と感動しているとあっという間に東京についた。

午前中、私が仕事している間、長女は近くの大型書店と喫茶店で時間をつぶしていたようだ。
約束の時間に喫茶店に行くと長女は「夏休みの宿題」をやっていた。
学校で役員をしていると、「世間の中学生」の話を耳にする。
そのたびに不安になるのだが、長女の姿を見て、思わず笑みがこぼれ、安心した。

今日の晩御飯は新宿で食べる、というそれだけしか決めていなかったので、とりあえず、渋谷へ行くことにした。

渋谷や原宿、六本木といえば、若者が多い。
「いまどき渋谷なんて古い古い」という「ちょーいまどき」の若者はいざ知らず、やはり若者たちのメッカであることに違いはない。
私がここへ長女を連れて来たのは長女を喜ばすためではない。
どちらかというとその逆を期待していたのだ。

渋谷のセンター外を少し歩き、暑かったのですぐにアイスクリームを食べに店に入る。
窓の外、向かいに見える、渋谷で有名なファッションビルに「ちょっとだけ入ってみようか」と長女を誘い、中に入ってみた。
「うん。もう、十分。ここは私にあっていない」と長女が言ったのは中に入ってわずか5秒後だった。
あまりに思ったとおりの反応に笑ってしまった。

その後、新宿へ向かった。

「うわでか!」と長女が言った都庁ビル。



食事をしたビルから眺めた風景。



遠くの雷も楽しい風景だった


2007年8月21日(火) お台場の一日

今日は一日長女と東京で過ごす。
まずはホテルから見た風景。
なんだかアメリカのアクション映画に出てきそうな風景だ。



このホテルの近くでイベントが開催されている。
大阪でもテレビ局が主催するテーマパークのようなイベントが開催されていたが、今日はその東京版。
元祖がどちらなのかは知らないが、規模で言えばやはり全国ネットのテレビ局が主催するだけあって東京のほうが大きい。

この辺り一帯は、近くにはレインボーブリッジもあり、観光の新名所でもある。
その中にあって特に目立つのがこの建物。
今回のイベントを主催しているテレビ局の社屋だ。
真下からのアングルはあまりないので記念に撮影。



この周りに人気バラエティー番組を模倣したコーナーがいくつも立ち並ぶ。
その中のひとつ、クイズ番組のペーパーテストに挑戦した。

問題は全部で50問。
そのクイズ番組をいつもトップで通過する芸能人たちの点数は45点程度。
番組を見ながら「お父さんなら絶対トップだ」と子どもたちに言っているのでそれを証明しようと思ったのだ。
満点とは行かなかったものの、結果は47点。
一緒に受験した長女に「なっ。いうたやろ」と自慢げに話す。

次に向かったのはテレビ局の社屋。
この中には人気テレビドラマのセットや俳優が着ていた衣装などが展示されている。

よく見ていたテレビドラマに登場する「『あるよ』のマスター」にそっくりな人形があったので思わずシャッターを切った。



この建物から隣のイベント会場を見下ろす。



今度はそこへ行く。
こちらもまたこの猛暑にもかかわらず、かなりの人出だ。
ここでもいくつかのアトラクションを楽しんだが、かなり暑くてまいってしまった。

夕方になり、ホテルに預けた荷物を取って電車に乗り込んだ。
暑さと人ごみに元気をなくしていた長女も帰り東京駅でお土産を買うころには元気になっていた。
「都会より田舎がいい」と言う長女に今度は山へ遊びに行く約束をした。
新幹線の中で食べた夕食はいつも仕事帰りに買う弁当と同じだったが、格別にうまかったのは言うまでもない。

2007年8月22日(水) 動体視力と反射神経

昨日のイベント会場で「お父さんの頭の良さ」を見せ付けたが、実はそれ以外にも「お父さんの実力」を長女に示したものがあった。

スポーツバラエティ番組でスポーツ選手がやっていた動体視力と反射神経を試すテストがあり、大勢の人で賑わっていた。
ここでもまた「一般の人には負けない」と普段から子どもたちに言っているので、これを体験して証明することにした。
目の前に1メートル×1メートルぐらいの黒いボードがあり、そこに500円玉ぐらいの丸いスイッチが80個程度並んでいる。
このスイッチがランダムに点灯するのでそれを次々に押していくと言うものだ。
60秒で85回、光るから1個あたりの点灯時間はおよそ0.7秒。
時間を過ぎればランプは消えて、スイッチを押しても反応しなくなる。
この0.7秒の間に、光っているスイッチを見つけて手を伸ばし、正確にボタンを押さなければならない。

順番待ちをしている間、他の人の得点状況を見ていた。
スポーツ選手が60点以上をマークするのに、一般の平均点は20〜25点。
4人ずつ挑戦するのだが、30点取れればほとんどトップ。
35点を取れば実況中継している司会者が「35点と言う好成績です!」と言う。
時々40点をマークするつわものもいたが、それを見るとアナウンサーは「おお!出ました!40点です!すばらしい成績!皆さん拍手を!!」と叫ぶ。

それを見ていて長女に聞いた。
「お父さんどれぐらい取れると思う?」
「40点」
よくわかっている長女だ。
いや、内心は期待が半分と言うところだろうか。

いよいよ私の番。
全体をぼんやり見ながら腕を軽く上げて構え、神経を集中する。
合図の笛が鳴る。
正面左手が光ったので左手を伸ばす。
右の下が光ったので右手を伸ばす。
伸ばした腕はスイッチを抑えるとすぐにもとの場所に戻す。
光は目で追うだけで首をそちらに向けたりはしない。
そんな時間はないのだ。
中にはどこで光ったのか見つけられないときがあるが、そんなときでも首を動かしてはいけない。
諦めて次の点灯に神経を集中する。
司会者が実況を伝える。
「さあ、30秒が経過しましたが、現在2番の人がトップです!!」
『2番の人』は私だ。
「残りあと30秒!他の人も頑張ってください」
私も神経をより集中させる。

ぽんぽんとスイッチを押していくと「おお」という歓声が上がり、それと同時に時間が来て終了した。

「出ました!1番の人が41点というすばらしい記録です!!」

負けたか。

「しかし! 2番の人!! なんと45点!!」

その日の最高記録というわけには行かなかったようだが、少なくとも私が見ていた100人程度の中では最高記録だった。

横で観戦していた長女のところへ戻る。
「なっ」
そういう私に長女が言う。
「うん。でも40点は超えたけど、スポーツ選手には負けたな」
「いやー、朝からビールを3杯飲んでるからなあ。飲んでなかったらもっといい成績やったでー。酔っ払っててもこれぐらいできるんやから」

わざと自慢げに胸を張る私を見て、長女も満足そう微笑んだ。

2007年8月23日(木) 防犯巡視の夜

地域でいろいろ役をやっている中で、一番最初に引き受けたのが「防犯委員」だ。
防犯委員の活動といえばほとんどが夜間巡視。
それも毎日のことではなく、夏休みと年末の2回。
それをみんなで分担して行うので、実質の活動は、1年に数回の巡視をする程度。
その貴重な仕事が今夜あった。
夏休みの最初にも一度行っており、今年の夏は今夜で最後だ。

21時、小雨の降る中を嫁さんと一緒に集合場所へ向かう。
嫁さんは防犯委員ではないが、生活指導委員であり、今日は一緒に夜間巡視活動をすることになっている。
自宅には長男がいるし戸締りもした。
夫婦揃って防犯活動している間に、自分の家が被害にあっては笑えない。

集合場所には防犯の委員長さんや他の役員もいたが、相変わらず、若い男性がいない。
どこの地区のどのような会でもそうだが、若い男性の参加が少なく、どのようにして引っ張り込むかは、みな共通の悩みのようだ。

そんな話をしながら、二手に分かれて見回りを開始した。
懐中電灯を片手に、話をしながら歩き回る。
町内の、暗がりや人通りの少ないところを、縫うようにしてくねくねと歩く。
21時といえば、あまり声を出して路地裏や静かなところを歩くものではないが、夜間巡視のときは違う。
夜間巡視をしているということを、住民にも、そして不審者にも知らせる必要があるのだ。

我々の役目は不審者を見つけて警察に突き出すことではない。
それを未然に防止することが一番の役目。
だからこうやって、懐中電灯であちらこちらを照らし、そして話をしながら歩き回るのだ。

20分ほどかけて町内の歩き回ると、普段使っている道はその半分にも満たないことがわかる。
また、どこが誰の家なのかも確認できる。

帰りがけにコンビニによってビールを買った。
雨がきつくなってきたころ、夏の防犯委員としての巡視活動を終え、家でビールを飲みながら週末の花火大会のことを考えはじめた。

2007年8月24日(金) 日帰りの全国大会

昨年の夏にも参加したPTAの全国大会。
昨年は話題になる直前の宮崎県まで出かけていったが、今年はお隣の滋賀県だ。
そういえば昨年の高校PTA近畿大会が滋賀県だった。
どうせなら行ったことのないところへ行きたいものだ。

今年の大会も一泊二日の計画だが、私は明日、花火大会があるので、朝早くから準備をしなければならず、明日の全大会には参加できない。
だから分科会のみ出席で日帰りという強行日程だ。

分科会の会場はここ。



収容人数は500人程度の小さな会場。
この分科会の研究テーマは「子どもたちの安全安心のために」。



この地域のPTAの代表が研究テーマを発表する。
自分たちで行政に働きかけて巡回用のパトロールカーを導入させたお母さんや、地域の人たちといかにして子どもたちを守っていけるかに取り組んでいるお父さんの発表が行われた。

そして本日の講演の目玉は防犯アナリストとして著名な人物の講演だった。
時には語気を荒げて、時には浪花節調に、リズミカルに語るその話しぶりに思わず引き込まれた。
いろいろ参考になる話を聞いたが、何より実感したのは私の考えが間違っていないのだと感じたとこ。

「子どもの周りに潜む危険はどれも怖いものです。でも、何より怖いのは、知らないということ。子どもの目をふさぎ、それを教えないこと。大事なのは子どもたちにどのように対処するのかを教えることです」

この話をしたときに多くの人がうなずき、熱心にメモを取っていた光景を見て、私が保護者の皆さんに話していることに誤りがないことを確信した。

夕方16時過ぎにホテルへ向かうほかのメンバーと別れ、私は聞いたこともないようなローカルの駅に向かった。
30分後、ようやく来た一時間に一本の電車に揺られて帰路についた。

2007年8月25日(土) 花火大会

一年に一回の大イベントなのに、毎度のことながら写真が一枚もない、ということが当日の忙しさを物語っている。
小学校で校区子ども会主催の花火大会が行われるのだ。

朝、仕事へ行く時間より早く起きる。
身支度を整えて、早速問屋街へ車を走らせる。
急遽、参加人数が増えたため、射的の的や景品などを買い足さなければならないのだ。

行きつけの店に飛び込み、どんどんと買い込む。
買い物カゴ4杯分のおもちゃを買って店を出る。
もちろん、買い物している間も、ひっきりなしに携帯電話が鳴る。
「あれも追加で買って」
「帰りにどこどこで何をして」
私の自慢の車も泥だらけだ。
洗車をする暇もなかったのだが、どうせ今日一日、学校を何度も往復することになり、汚れるのは目に見えている。

学校へ戻ってテントの設営。
椅子やテーブルの搬出。
急いで昼食をとって、車に乗って材料の買出し。
残った人たちで花火のセッティング。
花火のセッティングに関しては長男に教えてあるから、私からの説明は不要。

15時ごろになるとお手伝いのお母さん方がくる。
あれをやってこれをやってと指示をするとテキパキと動いてくれる。

しかし、指示をしないと動きが止まる。
ああ、きっと「指示をしてくれなかったので作業ができなかった」と後で文句が出るだろうな、と感じながらそれでも、いちいち指示を出している暇などなく、走り回る。
というか、なぜ中心で指示を出さないといけない、私と校区長だけしか、車の運転ができないのだ?
女性はどうして車で来ないのだ?
理由は簡単。
そのようにこちらが指示をしていないから。

日が暮れて子どもたちがぞろぞろ集まりだす。
会長の挨拶もそこそこに、出店のオープン。
子どもが殺到したのは射的のところ。
さっきまで私が買出しに行っていたマトが並べられている。
マトは倒れなくてもいい。
ほしいものをもらえる。
子ども相手に商売をしているわけではないから、赤字にさえならなければいいのだ。

カキ氷にも長蛇の列。
当日券も飛ぶように売れた。
おかげで品不足になり、これまた途中で買いに走る。
当日券の売りすぎだ、というお母さん方の声ももっともだ。

花火をするまでの時間が空いたので、用意していたビデオを上映する。
子供だましのアニメだが、子ども相手なので、問題ない。
スクリーンの前に敷かれたビニールシートに行儀よく座り、今か今かとスクリーンを眺めている子どもたちは実に可愛い。
テレビで放映した人気アニメなので、半数以上が見たこともあるだろうに、それでも、こういう場所で大勢で見るのは家で見るのと少し違う。

子どもたちがそれを見ている間に、昼間セッティングした花火を搬出する。
長女の同級生たちも応援に駆けつけてくれて、みんなで並べる。
一人の男子が火をつけたいというので火をつけさせることに。
一緒にいた小学生低学年もやりたいという。
「じゃあ、おっちゃんと同じところで花火を見て、一歩も下がらなければ火をつけさせてやる」といって、花火の近く、5メートル付近、私の後ろに隠れるように立たせる。

始まりの合図とともに、中学生が点火する。

「パッーーーン!」

さすがの中学生も思わずのけぞる。
無論、私の後ろにいるはずの小学生たちは、さらに数メートル後ろに退いていた。
「どうや。火をつけるか?」と聞くと、「ま、また今度にするわ・・今日はやっぱり見ることにする」と負け惜しみを言って、観客席に下がった。
一度に三本ずつ火をつけてほしいのだが、中学生にはまだ無理か。

途中から私が替わり、連続でつけていく。
もちろん、空を見る暇もなければ、落ちてくる火の粉をよけることもできない。
これでこのTシャツも終わりだな、などと考え、観客の歓声だけを支えに、火をつける。

このときのために何日も前から準備して、暑いのと熱いのを我慢した花火も、20分程度で幕を閉じた。

後片付けは、子どもたちが帰って寂しくなった運動場で、疲労困憊の中で行われた。
子どもたちが楽しんでいったこの運動場の余韻を肌で感じ、そして来年もまた子どもたちを喜ばせてやるぞ、という気持ちだけを心の支えにしながら。

2007年8月26日(日) 感動

私が初めて感動して泣いたのはいつだろうか。

今日は次女が出演する市民ミュージカルの公演日。
昼過ぎからの公演に備えて、次女は早くから会場へ移動していたが、私は前日の花火大会の後片付けに追われ、次女を見送ることもできなかった。

次女が家を出るときに「昨日の花火大会の射的でマトに並んでいた、髪飾りセットがほしい」と言い残していたのを、後片付けをしながら思い出す。
それを頭につけ舞台に出たいといっていた。
射的のマトを買出しに行ったのは私で、その景品を選ぶとき、次女だったらこれを喜ぶだろうなと思い、その笑顔まで想像しながらそれを購入したのに、肝心の次女の手にそれを渡すことができなかった。
こんなことなら、役員特権でひとつぐらいくすねておけばよかった。
今頃は開演間際でどんな話をしているのか、どんな気持ちでいるのか、そんなことを想像しながら後片付けをした。

昼過ぎ。
本当なら朝から駐輪場の整理係をやる予定だったが、会場に到着したのは開演間際。

市内で一番大きなコンサート会場。
嫁さんは中央の一番前。
見た目には一番いい席なのだが、嫁さんいわく「オーケストラがピットで生演奏をするので、音楽が大きすぎて舞台の音が聞こえない」らしい。
嫁さんは友達と一番前に座り、私は母親と真ん中あたりに座った。

いよいよ開演。
太古の神話から、神の世界、そして現代の地上へと場面が変わる。
舞台の中で日本最古の「堤(つつみ)」や、それと由縁のある神社や神木の話が語られる。
それらの堤や神社神木は、すべて私の家の近所にある。
同じ町内にあり、神木は私の子ども会の集合場所でもある。
そんな身近なものを題材に、話は進む。
神の国で異変が起きているという。
なんでも、四季の神のうち、夏の神様だけが力をつけ始めたらしい。
世界を支配するため、世界を一年中、暑い夏にしようとしている、というのだ。
これはまさに地球温暖化を物語っている。
その過ちを犯したのは我々大人。
そしてその問題を現代の子どもたちが力を合わせて解決していくという話。

小学生の次女には難しくて理解できたかどうかはよくわからないが、話としては面白かったし、これが素人集団だとは思えない、演技力だった。

二度の舞台を終えて夜。
閉校式が行われた。

一足先に、親たちが会場入りし、子どもたちの到着を待っていた。
しばらくしてアナウンスが流れ、子どもたちが入ってきた。
みんな拍手で迎える。

ところが。
入場してくる子どもたちから聞こえてくるのは笑い声ではなく、すすり泣く声。
どうしたのかと一瞬不安になる。

でもそれが、今日の舞台の成功に感動して泣いているのだということがわかり、拍手はよりいっそう大きくなる。
小学生も中学生も泣いている。
顔をくしゃくしゃにして嗚咽を漏らしている子どももいる。

しかし、我が家の小学校二年生の次女は泣くはずもない。
まだ、それほどの感動を感じることはないし、なんたって楽天家だ。

と、思っていたが。
友達の顔を見て泣いていた。
コーチの顔を見て泣いていた。
あふれる涙はぬぐってもぬぐっても後から湧いてくる。
なぜこんなに涙があふれてくるのか、本人も戸惑いを隠せないようだ。

叱られたのでも、ケンカしたのでも、ふてくされているのでない。
やり遂げたという達成感に感動し、真夏の暑さに耐えながら数ヶ月間の練習を、文字通り体を張って頑張ってきた自分に感動しているのだ。

今日は初めて次女が感動して泣いた日だった。

後ろに束ねた髪が、なぜだかとても凛々しく見えた。

2007年8月27日(月) 苦情のメール

子ども会の委員さんからこの前の花火大会について「苦情」のメールをいただいた。
苦情と思っていても実は箴言や提案であることも多いが、今回は、メール差出人が「苦情」と言っているのだから、間違いなく苦情だ。

「例年している行事にしては、買出しや段取りが悪過ぎて、役(お手伝いのこと)をする度に気分悪く、疲れ倍増で帰ってきます」

おっしゃるとおり。
段取りが悪いのは今年だけじゃない。
しかし、みんなの知らないところで、格段に段取りはよくなっているのだ。

何も、私が会長をやるようになってから始まった行事じゃない。
私が来るよりずっと前から、この苦情を言った人はかかわってきたはずなのに、自分は何をしていたのだろうか。

「(お手伝いをしている)役員にペットボトルぐらい配ってほしかったです」

どうして、人に持ってきてもらおうとするのか。
気がついたのなら自分でとりに行けばいい。
自分で配り歩けばいい。

よく、PTAや子ども会の活動を、ボランティア活動だ、という人がいる。
しかし、本当のボランティアは一切の代償を求めないものだ。
それどころか、名前すら残さない。

何の縁もゆかりもない人のために、名前も告げず、一口のおにぎりも、コップ一杯の水も、寝るところさえも要求せず、交通費すら自分で用意して活動するのがボランティアだ。
震災の時に活動したこういう人がボランティアであって、自分の子どもがお世話になっている子ども会で、しかも、手を上げたわけでなく、くじ引きや順番でなかば義務的にイヤイヤながらにやっている人が、「ペットボトルぐらい」といっているのがわからない。

自分の手と足があるのだからそうすればいい。
百歩譲ってそうしてほしいのなら、そういえばいい。

結局は、自分が動くのが面倒だったんじゃないのか。
それを段取りの悪さのせいにしたんじゃないのか。

苦情にはやんわりと返事をしたが、わかってもらえそうにない。

2007年8月28日(火) 考える毎日

明日の朝から行われる会議資料を、作成し終わったのは日付の変わったころ。
仕事が忙しくて時間が取れない、とはよく言い訳に使われる言葉だが、実際、今、1時間もらえるとすれば、睡眠に当てる。

私の仕事はパソコンを使って物が出来上がる。
それが設計書であったり、報告書であったり。
しかし、その大前提として「考える」という作業がある。

パソコンを使ってもものづくり作業は「パソコン」がなければできないが、「考える」という仕事だけは、寝ている以外の時間、いつでもどこでもできる。
というか、できてしまう。

電車で移動しているとき、昼飯を食っているとき、会議中だって少しでも暇があれば別の作業を考える。
こうなると、考えている間は常に仕事をしているといっても過言ではない。
事実、そうなのだ。

移動中に考えたことを、忘れないうちにパソコンでまとめる。
昼飯を食っているときに浮かんだアイデアは携帯電話でパソコンにメールする。
会議中なら、ふんだんにあるメモ用紙に書き込む。

気分転換にジュースを買うために自販機に向かって歩いている途中に考え事をして、自販機の前を通り過ぎることも多い。
財布を持たずにやってくることもしょっちゅうだ。

自宅に帰ってからはPTAや子ども会のことを考える。
こういう生活をしていると、本当に「時間がない」というのが、単なる言い訳でないことに気がつく。

「忙しくて準備ができなかった」と花火大会の段取りが悪かったことを言い訳したメールを送った。
「苦しい言い訳ですね」と先日のお手伝いさんからメールがきた。

嫁さんの言ってくれた言葉がせめてもの救い。
「この人が会長をやればすぐにわかるだろうけど、やりもしない人には永遠にわからないこと。あなたのことを理解している人はたくさんいる」

もちろんそうだ、と自分に言い聞かせて、眠りについた。

2007年8月29日(水) 役員の辛い仕事

午前中に京都で行われた会議を終えて、駅へ向かう。
確かに一時に比べれば、背中に圧力を感じるような暑さはなくなった。
遠くの山の雲が、どことなく秋めいている。

それでも、駅までの長い道のりを歩くと、背中は汗にまみれる。
ようやく来たガラガラの電車に乗り込と、冷房が心地いい。
思わず、眠ってしまう。

携帯電話にメールが届く。
高校の教頭からのメールだ。

「○年○組のご尊父が急逝されました。なお通夜は本日・・・」

PTAの役員をしていて、このときほど「つらい」ことはない。

早速、会長ともう一人の副会長にメールを送った。
自宅にも連絡して、今夜の通夜に行くので、服を用意しておいてくれと告げる。

メールが来るまでは心地よい眠りだったのに、憂鬱な気持ちで一杯になる。

夜21時を過ぎたころ。
ようやく、仕事を終えて、自宅に戻り、準備をして斎場へ向かう。

いつものように、人の気配がない。
泣いている人の顔を見なくて済む。

受付のところで遺族が談笑しているのをみて安心する。
それでいいのだ。
家族を残したものにとっては笑顔が一番ありがたいだろう。

「○○高校PTAの××です。遅くなり、申し訳ありません。ご焼香だけでもさせてください」と挨拶すると、奥さんが「いえいえ、とんでもない。お忙しいのに、ありがとうございます」と、かしこまる。
隣にいるのは娘さんだろう。
私の長男と同い年だ。
泣いている顔も見たくはないが、無理して笑っていられるのもつらい。

遺影の前に立って、しっかりと見つめ、心の中で話をした。

「私はお嬢様の学校でPTAの役員を務めさせていただいております。
 生前は一度もお会いすることがありませんでした。
それでも、さぞかしご無念であろうことは、同じ子を持つ親として、痛いほどにわかります。
あなたはそこで微笑むには早すぎる。
まだまだ、ご家族の横で微笑むべきだった」

そして焼香して合掌しながら話を続けた。

「私にあなたの代わりの万分の一も務まるはずがありません。
しかし、こうしてお話をすることになったのは、私が何かを成すために与えられたことだと思います。
私にできることは多くありません。
それでも、お嬢さんの学校の役員として成すべきことをしっかりと成します。
すこしでも、あなたのお嬢さんのこれからに、役立てるように頑張ります。
どうか、天国から、奥様とお嬢様をしっかりお守りください」

奥さんと娘さんに挨拶をして斎場を出た。
ゆっくりと駅へ向かって歩いた。

こぶしを握りしめながら。
空を見上げながら。
季節が秋に変わっていくことを実感しながら。

2007年8月30日(木) 焼き鳥屋へ

客先での会議が思ったよりも早く終わった。
ビルを出て、日暮れ時の雑踏の中を駅へ向かう。
駅へ向かう途中、赤ちょうちんが見えた。
いつも見なれた赤ちょうちんの店だが、今日はなぜだか惹きつけられた。
午前中に歯医者に行くはずだったのに、それをキャンセルして仕事を片付けたので、今日中に片付けないといけない仕事もない。

しかし、あまり持ち合わせもない。
この店の存在は以前から知っていたが、金額などもまったくわからない。
まだ立ち寄るかどうかも決めないまま、店の前まで来た。
ふと店先の看板を見て喜ぶ。

「7:00まで生中一杯200円!」

それを見てすぐさま暖簾をくぐった。

焼き鳥の店らしく、カウンター席が並び、その後ろにテーブル席が並んでいる。
カウンター席に座って早速、生中を注文する。
元気な掛け声が返ってきて、すぐにビールが運ばれてきた。
私の好きな銘柄でなおうれしい。

カウンターに置かれたビールを見て、一呼吸してから右手にジョッキを持ち、一気にのどへ流し込む。

立ち上る煙を見ながら大きく深呼吸した。

2007年8月31日(金) 夏休み最後の日

子どもにとっては一年中で最も来てほしくない日、それが今日、8月31日だろう。
宿題に追われて机に向かっているのは今も昔も同じだが、それでもずいぶん様変わりしたように思う。

夏休みの代名詞だった日記は、好きな日の日記を何枚か書けばよくなったし、夏休みの工作がなくなったのは、子どもが不器用になったからか、それとも子どもを教える教師や保護者が不器用になったからなのか。
自由研究のテーマにも困らない。
デパートに行けば自由研究の素材が「テーマ」ごと販売している。
いまや、どんなことについて研究しようかなんて、子どもが悩む必要はない。
親が財布と相談してテーマを決めるのだ。

それでも当の子どもたちは、その時代に応じてそれぞれに、この夏休み最後の日をそれなりに苦労して過ごす。
親に叱られながら、たまった宿題をやっている姿は、相も変らぬ夏休み最後の風物詩だ。

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