カリント日記

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2007年9月1日(土) バレーボール抽選会

バレーボールの抽選会が近くの小学校で行われた

バーレーボール大会は毎年、市のPTA協議会の主催で行われている。
大会の幹事校は当番制になっていて抽選会はその当番の学校で行われる。
今年の当番校は私の校区から比較的近いところにあった。
私の校区は市内でも端のほうにあるので、抽選会場となる学校が場所によっては自転車で30分以上かかるようなところになってしまうこともある。
といっても、その抽選会に私が行くわけではない。

学校の中には実行委員会というのがあり、その実行委員の中に「文化体育委員」というのがある。
文字通り、文化と体育に関する活動を担うのがこの委員さんの仕事だ。
で、PTA協議会主催のバレーボール大会に出場するのはもちろん、PTA。
となれば、いろいろとお世話をするのは、文化体育委員の役目だ。

抽選会は10時から開催される。
ところが、10時15分、当番校のPTA会長からメールが届いた。
「○○学校まだ来てないよー」
私の学校の担当者がまだ来てないという。

10時から開始の抽選なのだから、15分たったからと言って、もう抽選が終わるわけでもないだろうに、何をわざわざメールで知らせてくるのか?
問い合わせのメールを送ると返事が来た。

「全員そろってから抽選することになっています」
とのこと。
なるほど、公平性を保つためか。

結局、直後に担当者が到着して事なきを得たが、もう少し私がしっかり認識しておれば、担当者に遅刻しないよう注意することもできたはずだ。
少し反省。

2007年9月2日(日) キックベース大会

市の子ども会育成部連合、通称「市子連」の球技大会が開催された。
今年の球技大会は「キックベース(フットベースボール)」。
ルールは野球に似ているが、ピッチャーはおらず、バッターはホームベース上に置かれたボールを蹴っ飛ばして走る。
後は野球と同じ。
ファーストからセカンド、サードとまわってホームへ帰る。
フライをノーバウンドで取るとアウト。
スリーアウトでチェンジ。
表と裏で攻守が替わる。

今日はその大会で、今年から市子連の評議員となった私も朝からお手伝いだった。
まず最初にテントの設営、そしてコートのライン引き。

準備が整ったころ、子どもたちや教育委員会の人たちが集まってきた。
いつものように開会式が行われる。



うーん。
やっぱりこれだけ子どもが集まると、うれしい。
開会式をやるから並べ、というと、文句も言わずに並ぶ。
そりゃまあ、ダラダラしているし、やる気のないのは目に見てわかる。
それでも、対して反抗するでもなく、素直に並ぶ。
これが子どもなんだ、と思う。
そして教育委員会だかなんだかわからないところの、知らないおじさんの話を聞いている。
子どもたちよ、これもまた、教育のひとつなのだ。
黙って、気かなければならない話もあるのだ。

そしていよいよ試合が始まった。
試合が始まると私の仕事は審判だ。
さすがに主審が務まるほどにルールを把握しているわけではないので今回は塁審。
なかなか白熱した試合で、やっぱり練習しているチームは強かった。



たいした事故もなく、15時ごろに試合は終了した。
その後片付けをして、自宅に着いたのは19時過ぎ。

子どもと過ごした一日は心地よい疲れとともに、終わった。

2007年9月3日(月) いつもの朝がやってきた

今日から学校が始まった。
とは言っても、高校生の長男も中学生の長女もしばらく前から登校し始めたので、本当に今日が新学期なのは小学生の次女だけだ。

しかし、たった一人の朝が始まるだけで、朝の家の雰囲気はガラッと変わる。

「あーもう○○時やで!」
「早く、服を着替えなさい!」
「いつまで食べてるの!」
「きゃーもうこんな時間!!」

と、にぎやかである。
嫁さんが。

まず最初に次女が、ランドセルを背負って「行ってきまーす」と元気に階段を下りていく。

しばらくして長女が、リュックを背負って「行ってきまーす」と軽やかに階段を下りていく。

最後に長男が、「遅刻するで!」と言う嫁さんの声を背中に受けて階段を駆け下りていく。

「ふーっ」と嫁さんがため息をつきながら、私のコーヒーを運んできて、腰を下ろす。

いつもの朝が始まった。

2007年9月4日(火) 自治会長入院

毎月第一月曜日は自治会の評議委員会による会議がある。
私は子ども会の会長なので自動的に、自治会の評議委員になる。
だから第一月曜日の夜はスケジュール調整して開けるようにしている。
しかし、先日、今月の自治会会議が中止だと言う連絡が入った。

理由は自治会長が入院したと言うのだ。
詳しくは知らないが、自治会長も年寄りである。
そろそろ老人会に入ってもおかしくはない。
自営業のため現役で働いているのでまだまだ体は動きそうだが。

考えてみれば、自治会のメンバーはほとんどが年寄りだ。
まあ、どこでもそうなのだろう。
私のような年代のものが入ってくるというのは珍しいらしく、自治会のメンバーと酒を飲むたびに「○○(私)くんのような若い人が入ってきてくれて、わしらほんまに助かってる」と繰り返し、感謝の言葉を述べていただく。

自営業の多いこの町内は出入りをする人は、自治会から足が遠のき、必然的に自治会のメンバーは昔ながらの自営業の人たちの集まりとなり、年々、年老いていくのだ。

そういえば、盆踊りのころ、老人会の男性が一人入院され、先ごろ無事に退院してきたところだ。
会長が入院するぐらい、不思議でもなんでもない。

でも、これがこの町内の現実。
他の町内会比べて、お年寄りが多く、若い人の参入が少ない。
昨年、ようやく私と同年代の人が入ってきてくれた。
とても協力的で、何かの催し物の時には積極的に参加してくださる。

若い私たちが、もっと若い人の参入のきっかけになれることを願う。

2007年9月5日(水) なぜ自分の学校でできないのか

今日は市PTA協議会の日。
いつものように、連絡事項の確認、参加要請の説明などをして第一部を終了した。
PTA協議会に参加しているのは小中学校のPTA会長。
全体の会議が第一部だが、第二部は小学校部会と中学校部会に分かれて行われる。
小学校部会を円滑に進めるのが、小学校部会長の私の役目。

小学校部会では昨年、子どもたちに対する地域の安全活動の取り組みについて話し合いをしたが、結論に至ることはなかった。
まあ、もともと結論のあるようなないような話なのでそれでも仕方がない。
今年、私が小学校部会長を引き受けたとき、考えたことはただひとつ。
あまり長期にわたって話をするつもりはなく、ざっくばらんに情報交換をする場にしたい、ということだけ。

だから毎回テーマを決めずに、そのときみんなが思っていることを出してもらって、それについてみんなの意見を聞こうと、と言うことにしている。

で、今回のテーマ。
「なぜ、よその学校で取り組んでいて、『これはいい』と思ったことが自分の学校ではできないのか」。

地域ぐるみの防犯活動だとか、地域への貢献活動だとか、または子どもたちと一緒になって行う行事だとか、自分の学校ではできないのに、よその学校でできていることがある。
それがなぜなのか。
会議でも多くの意見が出た。
簡単に言ってしまえば、「人数の違い」「地域住民の意識の違い」「商業地と住宅地の違い」などがある。
でも、根本的な違いは「そういう行事があることを多くの人が知らない」あるいは「どのように取り組めばいいのかわからない」というものである。
などなど。

結論には至らなかったので、次回の宿題とした。
「それでは、次回の会議のときに、各学校で配布されている実行委員会便りを持参してください。お互いの学校でどのような行事を行っているのかを、お互いに確認しあいましょう」

委員会便りに記載されていることがすべてではないが、それでもその学校の横顔を見ることはできる。
ちょっといい方法を思いついたな、とわれながら満足して部会を終えた。

2007年9月6日(木) メールを書く時間が長い

最近、メールを書くのがとても遅いように思う。
キー入力のスピードは以前よりも速くなっているはずだが、どうも一文を考える時間が長くなっているように思う。
その分、充実した内容になっていればいいのだが、さして実のある話でもない。

特に、お母さん方へ送るメールには慎重になる。
誤解されることがたまにあるので、言葉を選んでいるのだが、逆に選び過ぎると、難しくてわからないといわれる。
ストレートな表現ならば伝わるのだが、それによって思いもよらず、過敏に反応されることもある。

私がメールの文章を送るのにより慎重になった原因のひとつには、嫁さん伝手に聞く、周りの反応、というものがある。

「○○さんが『今日、会長と話をして凄く緊張した。なんたって会長やもん』って」
「××さんが『会長の話しを聞いていると、やっぱり賢い人は違う、って思う』って」

別に嫌な内容ではない。
むしろ、恥ずかしくなるほどのお褒めの言葉をいただいて、感謝している。

しかし、こんな周りの反応について嫁さんと話をしてみると、周りの人が、私の想像よりも遥かに、私を特別視していることがわかる。
もちろんすべての人がそうだというわけではない。
よく知っている町内の人にとって見れば、会長は「たまたまやっている仕事」で、メインは「嫁さんの旦那」だろう。

しかし、あまり私を知らない人ほど、私を特別視しているように思う。
委員会の中で何気なく言った一言に、周りが慌てふためくこともある。
何気ない一通のメールに、これはどうすればいいのだろうか、受け取った人が嫁さんに相談しに来ることもある。

そんな私の気持ちとは裏腹な反応を恐れて、最近はメールに書く言葉を選んでいるのだと思う。
私はたぶん「会長だから凄い」のではなく、また「賢い人」でもない。
ただ、見栄っ張りなのだ。

2007年9月7日(金) バザーの準備

久しぶりの高校でのPTA活動。
今日は文化祭の準備で、仕事も休みにした。

高校の文化祭でのPTA活動と言えば、「バザー」の「お手伝い」だ。
商品集めから、準備、販売、後片付けまでをお手伝いする。
「バザー」を主体となって進めていくのは後援会の方々。
私が敬愛する思い厚き人たちだ。

思えば、5月に開催された最初のPTA総会で、会長の代理として挨拶した私が、最初に保護者の方々にお願いしたのも、このバザーのこと。
バザーで販売される商品は新品であることが原則。
中古品は販売できない。
「えー。それからバザーに関してお願いがあります。バザーで販売する、品物の提供を皆さんにお願いしたいのですが・・・。えー。間もなくお中元の季節です。是非、あまりものを横流し・・いや、提供していただけないでしょうか。」といって笑いを取ったものの、実際には集まるかどうか心配していた。
しかし、写真のとおり、たくさんのものをご提供いただいた。



朝からはじめた準備も夕方には終えて、いよいよ明日の本番を待つだけとなった。

2007年9月8日(土) 待ち時間の長い仕事

今日はコンピュータールームで仕事。
仕事と言ってもほとんど出番はない。
いわゆる「立会い」というやつだ。

私の仕事はコンピュータ関係の仕事だが、画面に向かってキーボードを叩くだけが仕事ではない。
会議ももちろんだが、お客さんの作業を横で見守っていたり、業者が行うコンピュータの移設作業を見守るのも仕事のひとつだ。
万が一何かあった場合に、私が技術的な対応をしたり、あるいは関係各所に連絡を取って対応策を検討したり、するのだ。
それが、立会いと言う仕事。
何もなければ、まったく何もすることなく仕事を終える。
携帯電話に連絡をもらうと言うのもひとつの手だが、契約上、横で立会いをしなければいけないこともあるのだ。

今日のスケジュールは朝から始まって夕方には終わる予定。
とはいえ、作業の内容を見る限り、かなり余裕時間を見ているので、とんとん拍子に行けば昼過ぎには終わる感じだ。

ところがたいていの場合、そうはいかない。

「すみません!」と工事担当者が言う。
「すみません!用意していたケーブルが違ってました!!」そういって取りに戻っていった。
そのケーブルについては間違うことがあるので、事前に確認するように私から伝えておいたのに、「大丈夫です」と返事があったものだ。

大丈夫じゃないじゃないか、とそこで怒鳴っても仕方がない。
すぐにケーブルを取りに戻ってもらう。
ここで時間のロス。
それでも、怒った顔をしない。

こんなとこで怒るより、こっちが何かあったときのために貸しを作っておくほうがいい。
実際、数少ないとは言え、こっちが助けてもらったこともある。

結局、作業はスケジュールどおりに終わった。
工事担当者は平謝り、ユーザには礼を言われ、いつものことだ、と笑いながら仕事場を後にした。

2007年9月9日(日) タオル売り

高校文化祭二日目。
一日目は仕事で参加できなかったが、今日は朝から学校にやってきた。
門を入ると校舎の三階から、何本もの色とりどりの垂れ幕がかけられている。
各クラスごとにいろいろな出し物を考えて、それにあったデザインの垂れ幕を掲げているのだ。

長男のクラスの垂れ幕を見る。
なにやらオカルトチックな雰囲気だ。
興味の引かれるところだが、教室へ立ち寄っている暇はない。
早速、PTAのバザー会場へ行く。

いつものにぎやかな後援会のメンバーが呼び込みをしていた。
中に入るとなかなかの盛況ぶり。
前会長に挨拶をしていると、後援会の別のメンバーが汗を拭きながら会場に入ってきた。
会場内はエアコンも効いており快適だが、廊下は生徒たちの熱気でかなり暑い。
その廊下を歩いてきた様子。
「タオルの販売、行って来ました〜!完売です〜」と元気な声。
その人たちにも挨拶をする。

バザー会場を見渡したが私が手伝えそうなところはない。
もう既にお母さん方がせっせと動いているからだ。

「じゃあ、私もタオルの販売を手伝います」
そういって、元気な後援会の人とタオルを販売しに行くことにした。
このタオルは、校章がデザインされたもので、厚手の生地に色合いもよく、なかなかの品物である。

そのタオルを段ボール箱にいれ、歩きながら声を出す。

「○○高校特製のタオルはいかがでしょうかぁ!」
「このタオルの売り上げは、全額、子どもたちのために使います!」
「みなさんご協力をお願いしまーす!!」

最初は少々恥ずかしさもあったが5分もすれば十分になれた。

コンサート会場となっている体育館の出口で、人を待つ。
中から出てきた人に、「暑いでしょ!タオルどうですか!汗を拭くのにちょうどいいですよこのタオルは!ふき心地が最高!」。
などと適当なことを言いながら売る。

結局、二回ほど補充して売り歩るき、完売した。
私が客なら、たぶん買わないだろうに、みんないい人ばかりだ。

来年もきっと、タオル売りは私の役目になるだろう。

2007年9月10日(月) 司会はもちろん

生活指導委員会の役員会があった。
幹事校である中学校に、各学校のPTA会長が集まった。

生活指導委員会は年に一度、その活動の集大成として何らかの発表を行う。
それが講演会であったり、研究発表であったり、形式はさまざまだ。

今年は講演会を行うことに決定しており、今日はそれに向けて、各会長の役割を分担することになっていた。
中学校の会長は、主催者としてのとりまとめをする。
花束贈呈は女性の会長がやる。
来賓の接待や、アトラクションの行う生徒の誘導も女性が行う。

残った仕事は、当日の会場設営のとりまとめと、司会者。
司会者を決めるときになるととたんにみんな黙り込む。

仕方がないので「じゃ、私がやります」と手を上げると「おお」と驚かれる。
別に結婚式の司会じゃなし、一生誰かの思い出に残るようなことをやるわけでもないのに、それほど驚くことはなかろう。

と言うわけで、大勢の大人を前に初めての司会をやることになった。

2007年9月11日(火) 祭りの準備開始

秋祭りが小学校で開催される。
毎年、10月の中旬から下旬にかけてだ。

毎年、といっても秋祭りになったのは数年前のことで、それまでは夏の夜に開催されることもあったらしい。
ただ、それでは夏休みなどで打ち合わせの時間があまり取れず、それに、自治会の催し物と重なることも多く、なにかと問題があったようだ。
そのため、秋祭りへと変化したのだ。
でも、秋は秋で、運動会や文化祭などがあり、とてもとても忙しいのだが。

で、この恒例の秋祭りは、各地区に専門の委員を置いて、その人たちを中心に計画をたて、行動に移す。
我々、役員がやることはその行動が円滑に行われているかのとりまとめと、本部役員としても催し物の準備だ。

本部の催し物としては、中学校の吹奏楽部によるコンサート、お茶の先生を招いてのお茶会、民生委員さんたちによる手作りおもちゃ、など、小学校と言うくくりではできないようなことをやるのが我々の役目。

その中に、中学生の保護者や、日ごろはPTA活動に参加しないお父さん方の協力を得て行うものもある。
この人たちを巻き込むのがなかなか難しい。
いろいろ派閥もあったりして。

今日は、役員たちとそんな話しをした。
同じ目的に一致団結してくれればいいのだが、なかなかそうもいかないようだ。
これからのことを考えると、ちょっと気が重い。

2007年9月12日(水) カミングアウト

人と話をしていて目のやり場に困ることがある。
別に露出の大きい服を着ているときだけではない。
というか、そういうのは本人も見せようと思ってやっているのだから、変にきょろきょろする必要もなく、ああそうですか、とばかりに見ていればいい。
ところが本人も触れられたくないところが目に付くこともある。

カツラがそうだ。
日々、たくさんの人と仕事をしている中で、「あ、この人は」と気がつくこともあるが、もちろん、そんなそぶりを見せてはならないし、多少の歪みがあってもそこを凝視してはならない。
へんな隙間から流れ出る汗も、蒸れて大変だろうな、などと考えてはいけない。

そんな風に接していた人と、ひと月ぶりに対面してびっくりした。

カツラをつけていない。
フルオープンである。

これには参った。
ごく親しい人なら、笑って話をすることもできるが、そうも行かない立場の人である。
言葉に困る。
これからこの人と話をしなければならないのに、頭に視線が行く。

「いやー。もう、隠すのはやめようと思いまして」とでも言ってくれれば、話がしやすいのだが、本人の口からは一向にそんな話は出ない。

突然の無言のカミングアウトだったが、結局そのことには触れずじまい。
何があったのかも、永遠に謎のままだ。

2007年9月13日(木) おしゃべりさん

いつも思うことだが、お母さん方の会議での態度が悪い。
無論、みんながそうだとは言わないが、誰かが発言中であっても、お構いなしに隣と話をしている人が、毎回必ずいる。
それが、PTAの実行委員会であっても、他の学校との各種交流会であっても、自分の地域の自治会の会議であっても。
ヒソヒソと話す人もいれば、笑い声まで上げる人もいる。

大体が、発言している内容に対する意見や反論なのだが、決して手を上げてそれを否定することはない。
仲良しの友達の間でだけ「そんなこと言っても、ねえ〜」と、言う具合である。

私が発言中のときは言うに及ばず、他の人が発言しているときでも、そういうおしゃべりを見ると、失礼極まりないやつらだ、と思う。

これがその場限りの関係ならば、「何か意見があるのなら挙手をお願いします」とでも言って黙らせてやるのだが、正直、お母さん方は強い。
そっぽを向かれたら、私は何もできない。
だから毎回我慢して、彼女たちの愚行を見守っている。

たちが悪いのは、彼女たちはそれを、悪いことだと感じていないことだ。
その話し声がうるさくて、発言者の声が聞こえにくくなると、「え?今なんて言った?」と隣の人と話をする始末。
たまりかねて「うるさいよ」と注意すると「だってうるさいねんもん」と訳のわからない答えが返ってくる。

まあ、彼女たちが静かに人の話を聴くようになって、その内容を正確に把握し、その矛盾点をつけるようになれば、私はそれこそ毎回、びくびくしながら話しをしなければならない。
私が堂々と話をできるのも、彼女たちが半分、話を聴かず、その大半を理解できないでいてくれるからなのだ。

2007年9月14日(金) 生活指導委員を指導

今日は昼間から、生活指導委員会。
つい、数日前まで、今日のことはすっかり忘れていた。
昼から学校へ行くためのスケジュール調整に終われ、連日、ハードな仕事をこなしてきた。

目的地は中学校。
ここにいつものように、生活指導担当学校のPTA会長が集まり、市内の全小中学校の生活指導委員長たちが集まる。
中には、補導されてもおかしくなさそうなお母さんが何人かいる。

そんな人たちを前に、会議は淡々と進み、会議の最後に、「今度の講演会に向けて、講師の人に聞いておきたいこと」をグループごとに取りまとめることになった。

私もあるグループに着席する。
もちろん、そのグループを取りまとめるためだ。
「では、何かお聞きになりたいことや、こんな話をしてほしい、と言うようなものはありませんか?」と切り出す。
当然のように、特になしといった顔。

「じゃあ、私が聞きたいことを言ってもいいですか?」
というと、みんな少々驚きながらも、これで意見の出ない緊張した雰囲気からすくわれると言う安堵の表情を浮かべた。

それからしばらく、私一人が、思いを話し続ける。
時折、話をふって意見を聞きながら。
みんな大いにうなづく。

私の目的はここにある。
別に本当に講師に聞きたいわけじゃない。
聞かなくても私は知っている。
私はここで話をすることで、みんなに私と同じような意識を持ってもらいたいと思っただけだ。

話の内容はまたの機会に。

2007年9月15日(土) 会議それぞれ

今日はまた会議尽くしで忙しかった。

午前中は小学校の実行委員会。
いつものように、30名程度の人たちと一緒にこれから一ヶ月の予定などについて話をする。
当面は、秋祭りの話。

昼からは高校のブロック大会。
近隣都市の公立高校の役員が一同に集まり、各学校の現状などを報告する。
小学校などに比べれば、範囲が広い分、密度は薄い。
歴史の違いや、進学率の違いなど、学校ごとに大きな違いもあり、PTAの取り組み方もやはり違っている。
私の高校のように、新しくできた学校は、後援会も元気はあるものの、まだまだ規模は小さい。
それに比べて何十年も前からあるような名門校は卒業生からして違うから、後援会の規模も違うのだ。
そもそも、この大会は何が目的なのか、はっきりわからない。
何かしら大人の事情があるのだろう。

そんな退屈な会議もようやく終わり、今度は高校で実行委員会だ。
実行委員さんを前にいつものように挨拶をする。
会長の代行で挨拶をすることもあれば、副会長として挨拶をすることもある。
高校の委員さんは、もう、かなり落ち着いていて、小学校のような緊張感はない。
「はいはい。大丈夫よ」といった優しいまなざしで私を見ている。

それぞれに特徴のある会議を終えて、慰労会へ出かけた。

2007年9月16日(日) 仕組みを教える

子どもが「3+4はいくつ?」と聞いてきたとき「7」と答えるのは簡単だが、そうすると次に「3+5は?」と聞いてくる。
我々が「1,000,000+1」の答えを学校で習ったわけではないが、その答えが「1,000,001」であることは容易にわかる。
どうして容易にわかるのか。
それは足し算の「仕組み」を習ったからである。
「1+1」が「2」となる「理由」を習ったからである。

子どもは私に質問をしたがらない。
なぜなら即答することはないからだ。

「なぜ太陽が東から昇るのか?」と質問されれば、テーブルの上にミカンや茶碗を並べて太陽系をつくり、そこから説明を始める。
「地球と言うのは太陽に対して23.4度の傾きを持っていて・・・」
子どもにとってはなぜそんな話になるのかわからないだろう。
しかし、次に「なぜ夏と冬があるのか?」という質問が出てくるのは時間の問題だ。
そのときに「前にも話したように23.4度の傾きを持っていて・・」というと話は早い。
となると「月の満ち欠けはどうして?」などはわざわざ説明しなくてもヒントを出せば理解できる。
「春分の日」などは説明する間でもなく、理解できる。

子どもたちに教えているのは「結果」ではなく、そうなる「仕組み」や「理由」である。

先日の生活指導の話し合いでも私は同じようなことを話した。

「出会い系サイトは危険が一杯なので、携帯電話を子どもに持たせるときにはフィルタリングをしましょう」と世間では言う。
行政もそのように指導している。
それを聞いた保護者は「フィルタリング」と言う言葉の意味もわからず、言われるがままに「フィルタリング」を行う。

それではくさい物にふたをしているだけである。
大事なのは出会い系サイトがなぜ危険なのか、その仕組みと理由を教えることである。
そうしなければ、子どもは、出会い系サイトでなければかまわない、と判断してしまう。事実、「一人で遊んではいけない」と教えられていた子どもが、二人で遊んでいて誘拐されたこともある。
教えるべきは「一人で遊んではいけない」のではなく「知らない人についていってはいけない」あるいは「例え知っている人でも、ついていってはいけない」と言うことである。
教える側が面倒がって本質を理解しない、いや、理解しようと努力しないから、仕組みも理由も説明できず、単に、くさい物にふたをして自己満足してしまうのである。

「子どもの名前を呼ばれたら子どもは油断するので、自転車などに子どもの名前を書くのはやめましょう」というと、多くの保護者が首を縦に振る。

親からもらった誇るべき名前を隠して生活しろ、と子どもに教えているとも気づかずに。

2007年9月17日(月) 敬老

今日は「敬老の日」である。
年老いて楽しい日々を送ることができるのは人間の特権であろう。

自然界のおいて「老い」はまさしく「恐怖」に他ならない。
老いを迎えたある者は狡猾な猛禽の餌食に、また、ある者はその終焉の地を求めて仲間と別れ孤独に彷徨(さまよ)う。

人間は体力が衰えようとも、思考力が低下しようとも、年老いたからといって、恐怖をいだきおびえることはない。
語らうことのできる仲間を持ち、安らぎの時間を共有できる。

ふらっと散歩に出る。

公園へと続く道をお年寄りと小さな子どもが手を繋いで歩いていく。
お互いに顔を見合って楽しそうに何かを話している。
広場ではゲートボールに興じる、いかにも元気そうなお年寄りが歓声を上げていた。

何気ない日常の風景だが、とても大事な風景だと思った。

2007年9月18日(火) 東京出張

東京への出張に新幹線を利用することが多くなった。

移動は飛行機のほうが楽なのだが、どうしても時間に縛られるので、会議が予定より早く終了したときも、搭乗時間まで待たされる。
逆に、会議が長引いたときは、乗り遅れないかと心配になって、会議に集中できなくなる。

その点、自由席の新幹線ならそんな心配は要らない。
私は「指定」されるのが嫌なので「指定席」は予約しない。
「自由」がいいので「自由席」だ。

難点は、乗っている時間が長いこと。
東京へ行くときはいい。
朝早く起きたのだからその分、睡眠をとることもできる。
帰りの新幹線も、一日の仕事が終わっているなら、ゆっくり飲みながら帰ってくることもできる。

でも、大阪に帰ってきてまだ仕事があるときはそうも行かない。
今日がその日だった。

20時ごろに大阪について食事をして仕事場に戻る。
自宅に帰ったのは午前1時ごろ。

もう、へろへろだ。

2007年9月19日(水) 茶道部の人と

秋に行う小学校の秋祭りの出し物として、お茶会がある。
そのお茶会を今年は近くの大学の茶道部にお願いすることにした。
初めての試みに不安もあったが、いただいたメールに好感を持ち、これなら大丈夫だろうと考えた。
そして今日、そのメールの本人と会うことになったのだ。

待ち合わせの時間に待ち合わせの場所に行く。
私はいつものようにスーツだが、夏場はノーネクタイ。
辺りを見回したが、大学生らしい人はいない。

いつものようにケータイのメールをチェックすると視線を感じた。
ふと顔を上げると、さっきから横にいたスーツ姿の男性。
よく見ると、若い顔をしている。
「○○さん?」と私が声をかけると「はい。××大学の○○です」と返事が返ってきた。

「いやーすみません。学生さんだからてっきり普段着でいらっしゃるかと。もしかして就職活動の帰りですか?」
「いえ、会長さんがスーツ姿だと聞いたもので、それで私も」

一言二言の会話であったが、メールのとおりまじめな青年だと感じた。
ただ、緊張しているようなので、「話をするのに、コーヒーでもいいんですが、ビールは飲めますか?」と聞くと「はい」とにこやかな顔で返事が返ってきたので、少しだけ飲みながら話しましょうと誘って居酒屋へ入った。

青年は居酒屋に入ってネクタイをはずすように勧めるまで、緩めることすらしなかった。

茶道が好きで茶道部に入ったこと。
ボランティアでいろんなところでお茶会を開いたが子ども相手は初めてであり、本当に務まるのかどうか不安であること。
それでもやらせてもらえるのなら、部員もみな喜んでいる、ということ。
それでも不安がある、ということ。

「失敗はしてもいいんですよ。学生さんの茶道部ですから、子どもたちに教えながら、そこから何かを学んでください。人にものを教える人は、その相手からも何かを学ぶことも必要です。そうしないと、成長はありません」

少し飲んだ酒のせいで少々饒舌になった私の話しを、メモを取りながら笑顔で相槌を打つ姿は非常に好感を持てた。

大体の感触を互いに得て、その店を出た。
彼に見送られて改札を入り、駅のホームで深呼吸した。
まだ暑い日が続いているのになぜか、秋のすがすがしさを感じた。

2007年9月20日(木) 始発と終電

今日は疲れた。

昨日は小学校関連の用事があって早く帰ったし、明日も長女の中学校で運動会があり、来賓として招待されているので、顔を出すために、半日、仕事ができない。
だから、今日は二日分の仕事をしなければならない。

仕事場についたのは朝の5時半過ぎ。
始発でやってきた。
職場にはまだ誰もいない。
メールを確認すると、しっかり仕事の依頼が。
優先順位をつけて片付ける。
結局半分も片付かずに午前中が終了。
午後からも、次から次へと仕事がやってくる。
金の儲かる仕事ならいいが、ほとんどすべてがトラブル対応。
まったく儲けにならない。

そんな作業をこなして気がつけば、また誰もいない。
深夜0時を回って最後のメールを送って仕事場を出る。

終電で帰って、ビールを飲む。
いやー、疲れたー。

2007年9月21日(金) 中学校の運動会

いよいよ運動会の季節がやってきた。
これから子ども会の会長として、PTAの会長として、息をつく暇もないほどに忙しい日々が始まる。

まずはそのはじめ、長女の中学校の運動会。
来賓として招待されていたので、本当は開会式から参列したかったが、今日は仕事の関係上、どうしても昼からの出席となった。
しかもスーツ姿のままで。

いつものように特等席に座って、中学生の競技を見る。
校長が横にやってきて挨拶をする。
「いやー会長、ご苦労さんです。さっき○○(長女)ちゃん走ってたけど、速いなー」と言う。
見た感じそれほど速く走っているようには思えないのだが。
まあ、中学生の女子は、体の成長に体力がついていっていないのか、全体的に「ドタドタ」した走りになっているように思う。
それに比べれば、長女は確かに速い。

長女の速い走りと、やる気のなさナンバーワンのダンスを見て、そろそろ終わりかと思ったころ。

「ただいまよりPTA参加によります、紅白玉入れ競走を行います」とアナウンス。
去年はジャージで参加して大玉ころがしで活躍したが、今年はスーツだし、見守ることにした。

見守ることにしたのに、「さ、会長、いきまっせ」と声をかけてきたのは教頭先生。
結局、引きずり出された。
悔しいのでトラックの外側で友達と観戦していた嫁さんを携帯電話で呼び出し、友達と一緒に参加させた。

ま、それでもちゃんと勝つところが私らしい。

2007年9月22日(土) 酒を飲んで仕事の話

昨日の夜は久しぶりに仕事帰りに飲みに行った。
2年前から同じプロジェクトで仕事をしているメンバーだが、私と同じように独立して仕事をしている。

別にどこへ行くとも決めていなかったし、そもそも飲みに行くと決めたのも、仕事を終える数分前のことだった。
近くの居酒屋に決めたのは、彼が、そこのおでんがおいしいらしいので食べたい、と言ったからだ。

私はビールさえ飲めれば特にこだわりはなかった。
ずっと忙しい日々を過ごしていたが、ひと段落したので飲みに行きたかったのだ。
このひと段落も昨日一日のことであって、この今日の土曜日を過ごせば日曜日以降はまた忙しい日が始まる。

居酒屋に入ってビールを飲む。
仕事のうさを晴らすとはまさにこのときのことだ。
仕事の話はご法度ながらも、彼が会社を作ったこともあって、その当たりの話を将来のために聞かせてもらった。

今すぐどうしたいと言うわけではないが、将来を考えれば、会社という組織で仕事を進めていくほうが安定しているのは確かであり、そのためのノウハウを身につける必要はあると、常日頃思っているからだ。

でも、結局彼も、会社を作ったと言うだけで、組織として動いているわけではなく、まだまだこれからだと言っていた。

金髪美人秘書への道は険しい。

2007年9月23日(日) バレーボール大会

市のPTA協議会が主催する親善バレーボール大会が開催された。
バレーボール部員は私の嫁さんをはじめ、小学校のPTA役員や地区の役員などがほとんどで、敵に回すと怖いが、味方にするととても心強いメンバーで構成されている。
そんな心強いメンバーが、今日は本当に強かった。

参加チームが多いので、1ブロックを6チームとし、6ブロックで試合が行われた。
そのブロックの中で、優勝してしまったのだ。
「してしまった」というと失礼かもしれないが、ほかのチームはやたらと強そうに見え、まさか私の学校が優勝してしまうとは、まったく予想していなかったのだ。

いや、かすかに希望はあった。
夏の暑いときにも、本当に暑い体育館で、本当によく練習していた。
妻として、母親として、地域の役員として、本部の役員として、本当に忙しい合間を縫ってよく練習したと思う。
その成果を発揮できれば、優勝してもおかしくないからだ。

そう思って試合を見ていると、みんな楽しそうにやっていた。
楽しそうに、いつもの力を発揮していた。
あれよあれよと言う間に勝ち進み、得失点差で最後の試合を待たずに、優勝を決めてしまった。

まさに練習の賜物だ。

表彰式ではまるで私が表彰されるかのように、うれしい気分で写真を撮っていた。


2007年9月24日(月) 綿菓子製造に挑戦

前日に飲みすぎた酒が残っている頭に気合を入れながら、布団から這い出した。
今日は午前中に「綿菓子作り講習会」があるからだ。

11月に市民文化祭が開催される。
そこには各種団体がいろんなものを出展、あるいは出店する。
市の子ども会連合もそこに出店することになっていた。

先日の子ども会連合の評議委員会で、今度の文化祭では何を出店するかと言う話になったとき、「綿菓子は市子連の伝統だから是非やりたい」という保守派と、「でも綿菓子をできる人が一人しかいないので負担が大きい。だから別のもので」という革新派の意見が対立した。
長くくだらない話の末に、私の意見が通り、今日、有志だけが集まって綿菓子作りの練習をすることに決まったのだ。

いつもの市子連の集会所へ行くと、いつものメンバーが揃っている。
まずは綿菓子製造機の組立てからだ。

かなり重たいモーター部分にベルトをつけ、周囲をブリキの板で囲む。
相当、使い込んだと思われる囲いはところどころ、つがいが外れており、へこみや傷も多いが、なんとか丸い形になって収まるところへ収まった。
中央の筒の根元にプロパンガスのゴムホースを取り付ける。
もちろん、ゴムホースの一方はガスボンベに。
これで準備完了。

中央の筒の底の部分からガスの炎が上がり、筒の上部にある受け皿を熱する仕掛けになっている。
その受け皿の中にザラメを入れると、ガスで熱せられて溶け出す。
溶けたザラメは受け皿の周囲の隙間から、モーターの回転による遠心力で外へ飛び出す。
細い隙間から飛び出したザラメは糸のようになり、囲いのところでまとまって雲のようになる。
それを割り箸で絡め取るのだ。



最初は形にならなかったものの2〜3回やってすっかり覚えた。
後は本番当日を待つだけだ。

2007年9月25日(火) 八幡市の空気はおいしい

先日のバレーボール大会優勝の夜のこと。

市PTA協議会の役員たちは、バレーボール大会の幹事校の委員さんたちと一緒に飲み会を開いていた。
私も一応役員なので、その飲み会に出席していた。
でも、心は既にそこにはなかった。

小学校PTAの役員が所属し、地域の子ども会の役員さんが所属し、そして私の嫁さんが所属しているバレーボールチームが優勝したのだ。
メンバーは全員顔なじみであり、気楽に話のできる人たちだ。

だから市PTA協議会の役員たちとの飲み会は30分で抜け出し、嫁さんたちが待つ居酒屋へ走っていった。
みんなと合流し、楽しく酒を飲む。

向こうのフロアで中学校のバレーボール部が先生たちと飲んでいるという話を聞き、挨拶に行く。
無論、堅苦しい挨拶などするつもりはない。

「えっへん。」と咳払いをし、みなが「何事か?」とこっちを向いたら「私が、今年度Bブロック優勝チーム○○小学校のPTA会長である」と偉そうに挨拶をする。
中学校のPTA会長も校長先生も拍手喝采だ。
少しの間、談笑をし、自分の席に戻る。
と、いっても既にその席は誰かに占領されていたので、別の席に移って仲間と話をする。
おそらくは二時間ちょっとか。

その店を出たあたりから記憶がはっきりしない。
その次の記憶はいきなり、涼しく、空気の美味しい駅のホームで、なぜか携帯電話の向こうから聞こえてくる嫁さんに質問していた。
「あれ? どうしてオレは八幡駅にいるの?」

飲み屋の最寄り駅から自宅最寄り駅まで、一駅だけ乗るつもりだったのに、普通電車に揺られること40分。
隣町どころか、京都に来ていたのだ。

「もう!何してるの!なんでそんなところにいるの!」と嫁さんが電話の向こうで叫んでいる。
酔っ払った私に電話してくるときと同じように、少し泣き出しそうな、私を心配してくれる声である。
嫁さんには申し訳ないが、その声を聞いただけで安心してしまう。

嫁さんに誘導されて20分。
急行と普通電車を乗り継いでようやく自宅近くの駅まで戻ってきた。
改札を抜けると、みんなが待っていてくれた。
平謝りに謝って自宅へ戻った。

嫁さんが私を叱る声を子守唄代わりにそのまま眠りについてしまった。

2007年9月26日(水) 校区運動会の準備開始

10月に開催される校区の運動会。
小学校校区内にある8地区の自治会対抗による運動会。
小学生からお年寄りまで参加する、年に一度の最大のイベントだ。

小学校PTA会長と学校長は「顧問」と言う肩書きであり、大会のしおりなどでも筆頭に名前が記されている。
だからPTA会長である私は来賓席で、胸に花飾りを付けて偉そうにふんぞり返っていても問題ない。

しかし。
私がPTAや子ども会をやるずっと前から、一番力を入れていたこの運動会で、ただ黙って座っていられるはずがない。
今年もその大会に向けての準備が本格的に始まった。

先日の自治会で校区運動会に向けての話がされた。
昨年も、いつものように子ども会が主体でメンバーを集めたのだが、ある自治会メンバーから「校区の運動会は子ども会のための運動会か?」との苦情が出た。
参加者が子ども会のメンバー中心だったためだ。
そのため、今年はきっちりと回覧板を回して参加者を招集し、それでも足りない場合は子ども会で集めると言うことになっていた。

自治会で現在の参加者希望状況を聞いてみた。
何人か名前を書いていてくれている。
しかしよく見ると、ほとんどが子ども会の保護者であり、毎年参加してくださる方々だった。
他の一般参加者は「数名」である。
去年と変わりはない。
なにより、肝心の回覧板がちゃんと回っていないとの話も聞いた。

わかっていたことではあるが、これから子ども会はますます忙しい時期を迎える。

2007年9月27日(木) 始発で終電で

始発で出勤、終電で帰宅。
めちゃくちゃハードだ。

しかし体調不良になることもなく、憎たらしいぐらいに私の体は元気だ。
もう少し、青い顔になるとか、目の下にクマができるとか、周りが心配してくれるほどに症状として現れてくれれば、もう少し、仕事を減らしてもらえるのだろうが。

心配してくれるのは嫁さんだけ。
それはもう、こっちがかわいそうになるぐらいに私を心配してくれている。

仕事先では気合を入れて頑張っているだけに、自宅に戻ると緊張が解けて一気に疲れが出る。
その姿を見ているから余計に心配になるのだろう。

嫁さん。
そんなに心配しなくても、案外丈夫な体と精神をしているし、手を抜くところと気を抜くところはちゃんと心得ている。

2007年9月28日(金) ホームの向こう側と

ラッシュを過ぎた時間帯の駅のホーム。
私の右手後ろからおばさんがひょこひょこやってくる気配がした。

私の前を通り過ぎ、2メートルほど前で、向かいのホームを見ている。
「あ。やっぱり○○さんや」と誰かに話しかけているのかと思うぐらいの大きな独り言。
向かいのホームを見ると、私の前のおばさんと釣り合いそうなおばさんがベンチにちょこんと座っている。

すると、突然、私の前のおばさんがそのベンチのおばさんに向かって声をかけた。

「○○さーーん!」

この駅は複々線になっており、ホームとホームの間には4本の電車が通れるほどの距離がある。
その線路を跨いで向こうのホームへ届けとばかりに大きな声で呼ぶ。

「○○さーーん!」
二度、声をかけてみたがベンチに座った「○○さん」はまったく反応しない。

私の前のおばさんはまたも大きな声で呼ぶ。
「○○さーーん!」

今度はようやくベンチのおばさんもそれに気がついたようで、ベンチから立ち上がり、私の前のおばさんに手を振った。
それを見て私の前のおばさんが大きな声で言う。
「あんた、はよ気がつかへんから、わたし、大きな声で、名前何回も。はずかしいわ!」
と、言ったとたん、その言葉自身が恥ずかしいと言うことに気がついたのか、口を手で覆った。

でも、そんな羞恥心はおばさんの前では糸くずに同じ。
3秒後にはまた大きな声で話をしていた。

「あんた、あっち?」っと向かいのホームの進行方向を指差す。
「わたし、こっち」と同じく、自分のホームの進行方向を指差す。

それぞれ、そっちの方向へ行くために、今、それぞれのホームに立っているのだから、どっちへ行くのか聞かなくてもわかるだろう。
それを、なぜわざわざ、大声を出して聞くのか。
まったく理解できない。

それだけ言うと、すっかり納得した私の前のおばさんは、私の右手後ろへ下がっていった。

嫁さんよ。
あんなおばさんにはなってくれるな。

2007年9月29日(土) 吹奏楽部

長女の中学校にも吹奏楽部がある。
でも、発足してまだ5年程度。
しかも三年生はたった一人。
そんな、小さな吹奏楽部が、大きなことをやった。

市立の市民文化会館と言う名前の建物があり、ここには大小3つのホールがある。
そのうちの小ホールでコンサートを開催したのだ。

市内のいくつかの中学校が合同になって行うコンサートはある。
「○○フェスティバル」などと言う名前で、他の催し物と一緒に行われることもある。
しかし今回は違う。
ひとつの中学校の吹奏楽部が、単独で吹奏楽のみを行うために市民文化会館のホールを借り、そこでコンサートを開いたのだ。
入場料は無料。

しかし、中身は決して半端じゃなかった。
学校の中のどのスポーツクラブよりも夏休みの練習は多く、普段も毎日、遅くなるまで練習し、自宅に帰ってからも練習していたという演奏は本当に見事だった。
一年生が半分を占めるクラブ。
まだ楽器を手にして半年しか経過していない生徒が半分なのだ。
それなのに、それぞれのソロパートも見事にこなしていた。
それが練習量を物語っていた。

また、保護者も熱心だ。
市民文化会館とはいえこのホールを借りるにはかなりの費用がかかる。
それらをすべて、吹奏楽部の保護者会が負担したと言う。



私の小学校で開催される、秋祭りでも、毎年、吹奏楽の演奏をお願いしていた。
昨年までは、隣町の中学校と合同での演奏であったが、今年は単独でお願いしている。

今日の演奏を見て、これを私の小学校で演奏してもらうなんてなんて贅沢なことなんだろうか、と思った。

2007年9月30日(日) 運動会の日

今日は小学校の運動会。
のはずだった。

しかし、朝からあいにくの雨。
やりかけていた運動会ならば、そのまま続行する程度の雨だが、始める前かでは中止にせざるを得ない。
朝、教頭先生から「延期します」との連絡があった。

市内の公立小学校では毎年、同じ日にいっせいに運動会が開催される。
だから、今日はすべての小学校で延期が決まったようだ。

次女も楽しみにしていただけに残念そうだ。
嫁さんも朝からお弁当を作っていたのに、結局、お昼ご飯としてテーブルに並べられた。

延期となれば、今度は平日に開催される。
平日だと、子どもたちは給食があるので保護者と一緒に弁当を食べることができない。
また、私も平日に仕事を休まなければならない。
しかも、延期される日は昼から重要な会議があって、どうしても仕事を抜け出すわけには行かない
だから午前中の競技だけを見て仕事に向かう予定だ。

昨年の運動会は途中から雨が降り、雨天用のプログラムで進められた。

晴れ男のはずなのに、なぜだかPTA会長になってからは、雨の日が多い。

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