カリント日記

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2007年10月1日(月) 掛け布団出動

昨夜から掛け布団を出した。

窓を閉めるとなんだか閉塞感があって、風の流れもないので、この季節はまだ、窓開けて寝る。
冷たい夜風が部屋に流れ込むと、とても気持ちよく、ゆっくりと夜更かしするには最高の季節だ。

しかし、このまま掛け布団なしで寝てしまうと間違いなく風邪を引く。
昨日の朝は、一歩手前までいってしまった。

部屋を涼しくして、暖かい布団に包(くる)まって眠ることはなんと気持ちのよいことだろうか。

夏に冷房の効いた部屋で何もなしで寝るより、冬の寒い部屋で暖かい布団に包(つつ)まれて眠るほうが、寝心地がいい。
同じように思っている人は多いようで、夏でも寒いぐらいに冷房をガンガン効かせて、その上で布団に包まって眠るのが好きだという人もいる。
地球温暖化防止が叫ばれているこのご時勢、あまり大きな声で言える眠り方ではない。

どうして布団に包まって眠ると寝心地がいいのだろうか。
母親の胎内を思い出しているのだろうか。
それとも、寝ているときの人間は無防備なので、何かに守られていたいという防衛本能があり、布団に包まることによって安心感が生まれるからだろうか。
どちらもあるような気がする。

暖かい布団で眠るほど、朝、起きるのが嫌になる。
それでもこの季節なら、起きるのもまだ辛くはない。
けれども、これからだんだんと寒さが増していき、起きるのが辛くなる。
このまま寒くならなければいいのに、と思いながら、地球温暖化によって本当にそうならない日が来たらどうしよう、と心配するこのごろである。

2007年10月2日(火) か、風邪?

先日の運動会は雨で延期になり、明日開催されることになった。
平日は私も仕事があるので、出席しないつもりだったが、教頭から電話があり「それでは副会長のどなたかに代役を」と言う。
こんな話を副会長にしたら、おそらく緊張のあまり今夜は一睡もできないだろう。

と言うわけで、明日の運動会は、「PTA会長の挨拶」という、式次第を満たすためだけに学校へ行かねばならない。
大好きな組み立て体操を見て、感動したいところだが、午後からは会議の予定があってそうも行かない。

今夜も、明日の午前中の仕事を片付けるために、遅くまで頑張ろうと思った。

ところが。
くしゃみが止まらない。
鼻水が止まらない。
頭がクラクラするし、おまけに寒気も。

おいおい、冗談じゃないぞ。
今日は間違いなく、日が変わらないうちに寝よう。

2007年10月3日(水) 運動会

延期になった運動会が開催された。

仕事もあるので出席しない予定だったが、雨で延期が決まった先週の日曜日、教頭から「今度の水曜日に会長が出席できないのなら、代理をお願いします」というので、私が出席することにした。
私の代理で挨拶するなんて、副会長には荷が重過ぎる。

挨拶は事前に考えていた。
というか、子どもや保護者に話せて聞かせたいことはいくらでもあり、どれにするかを決めていただけだ。
去年は「大事なのは結果ではなく、その過程。競走には順位があるが、どれだけ頑張ったかに順位はなく、誰でも一位になれる」というような話。
今年は「One for all、ALL for one」を使って「一人ひとりがみんなのために力を出し、みんなはその一人ひとりを応援することが大事だ」と言うようなもの。

しかし、この言葉を子どもは体で示してくれた。

中でも組立て体操はすばらしかった。
難しい技に失敗もした。
しかし決して諦めなかった。
それが証拠に、途中で骨折した子どももいたが、できるまでそこで頑張っていた。





これを作り上げたのは一人ではない。
しかし、ただの集団でもない。

土台となる子どもは、足にめり込む小石の痛さと肩をかかとで踏みしめられる痛みに耐えて、頂上に立つ子どもが上りきるのを待つ。
頂上を目指す子どもは、高さの恐怖と、落ちれば骨折するかも知れない危険に身を震わせながらも、土台となっているみんなの期待に応えようとよじ登る。
一人がみんなを思い、みんなが一人を思う。
その気持ちがなければ決してできないもの。

私が言葉で伝えるよりも遥かに説得力のある姿がそこにあった。
今年もまた、子どもに力を与えられた。
感動をありがとう。

2007年10月4日(木) 最後は子ども会

校区の運動会を週末に控えていると言うのに、参加者が不足している。
いつも参加していた人が、仕事で出られなくなったり、また、怪我をしていたりするためだ。

もう、子ども会の保護者だけに頼っていられない。
嫁さんに「少々無理があるけど、あの中華料理屋の店員さんはどうかな」と聞いてみた。
すると「もう、とっくに声をかけた。その日は仕事でダメって」と返事が返ってきた。
さすが嫁さん。
思いついたらすぐに行動するその機動力には、毎度のことながら感服する。
近くの大学の学生に声をかけようかとも思ったが、さすがそこまで行ってしまうと見境がなくなってしまう。

こうなれば地域にこだわらず、知り合いを参加させるしかない。
句校内の地区対抗なので、同じ町内に住んでいる人間を参加させるのが原則だが、戦力となる小学生保護者の絶対数が少ないのだから、仕方がない。
PTAを引退したようなご年配の方々に、無理を言って参加していただいて、怪我でもされては大変なことになる。

私も同じ仕事をしている仲間に相談してみた。
「喜んで参加します。久しぶりに全力で走ってみたいです」
とのこと。

嫁さんも、友達の子どもに参加をお願いしたようだ。

これで準備は整った。
後は当日を待つだけだ。

2007年10月5日(金) ガネーシャやがな

「ガネーシャ」と呼ばれるインドの神様がいる。
体は人間、頭はゾウの姿をしているその神様は、インドではポピュラーな神様で、みやげ物売り場でも大小さまざまな置物が並べられている。
そのガネーシャが登場する本にハマってしまった。

「おい起きろや」

これがこの本の最初に文章であり、ガネーシャの第一声でもある。

時々、情報を仕入れるために本屋に立ち寄り、新しい本をチェックする。
題名だけで内容がわかるようなものは中身を見ないが、題名だけでは内容がよくわからないものは時々中を見る。
この本は後者だった。

その一行目の関西弁らしき表現に惹きつけられたのは私が関西人であるからに他ならない。
パラパラとページをめくる。

「で、覚悟でけてる?」
「は?」
「いや、『は?』やあらへんがな」

ガネーシャと主人公(?)と思わしき会社員との会話である。

もう、このやり取りだけでガネーシャのイメージが湧いてきた。

文章ではなく、ガネーシャのセリフを追うようにしてページをめくる。

「もっと見ようや、現実を」

「自分、昨日めっちゃ泣いとったで」

「なんで絶句やねん。ワシ神様やし、それぐらいのことやるし」

本の帯を見ると「すねるわ、嘘つくわ、がめついわ」とガネーシャのことを評している。

私の頭に中にはゾウの気ぐるみを着た、関西弁を話すお笑い芸人の姿が浮かんでいた。

早速本を手にとって自宅で読みふけった。

内容もわからずに買ったこの本は、実は、私が最も買うはずのない「自己啓発」の本だった。
ただ、一般的な自己啓発の本と違うのは、ガネーシャが宿題を出し、主人公が「いやいやながら」ガネーシャの言うとおりに宿題をこなしていくところにある。
宿題の内容に、時には反論し、時には疑問を抱き、ガネーシャと取っ組み合いのケンカもする。

宿題は「教え」と書かれているものの、決して押し付けがましくなく、また、その内容は実現の難しい、理想ではなく、具体的で実行のしやすいものになっている。
最初の教えは「靴を磨く」だった。

一気に半分を読み終え、残りを読むのが楽しみでもあり、また、少々もったいない気もする。
久しぶりに人に薦めたくなる本だ。

2007年10月6日(土) 校区体育祭の準備

校区体育祭も明日に迫り、今日はその準備をする日。
昼から自治会館に集合して必要なものを運び出す準備をする。
体育祭は明日だが、テントの設営や机や椅子など主な部材の運搬は今日のうちに済ませておくのだ。
もちろん、盗難されそうなものを除いて。

夕方、10月とはいえ、まだまだ暑い中、いつもの自治会のメンバーでテントを組み立てる。
テントの設営はさほど難しいものではないが、覚える気がなければまったく覚えられない。
今までは中心となってテント設営する人がいて、みんなはその人の指示のもとで動いていたが、みんなより一回り以上若い私には、テント設営の後継者としての期待がかかっているようだ。

「○○(私)くん、その部分は先に上を入れてから、下を差し込むんやで」
「で、ここな。ここをピシッと、こう、決めておかんと、あとで不細工になりよる」
「あーそういう時は、こう、足をちょっと向こうへ軽く蹴ってやるんや。すると、ほら、簡単に入るやろ」

熱心に、そして丁寧に教えてくれる。
「わしら、○○くんに期待してるんや」と、ことあるごとにいうこの人の言葉が、態度に表れている。
私も「はい」「おーなるほど」と元気に返事をしてその気持ちに応える。

埃っぽい運動場の砂の匂いの中、金属製のテントの骨組みをガチャガチャと響かせながら、作業を続けた。
「せーの!」
掛け声とともに、テントの屋根を持ち上げて、脚と幌を固定して、ようやくテントが完成した。

汗と砂に汚れた軍手をはずすと、手のひらが風に吹かれて気持ちいい。
額の汗をTシャツの袖でぬぐいながら空を見上げた。



真っ青な秋空をバックに、気持ちよさそうにはためく万国旗が、「ご苦労様」と私に言っているように見えた。

2007年10月7日(日) 校区体育祭

今日は校区体育祭の日。
何年か参加しているが、初めて写真撮影できた。



とはいっても、見たとおり、何の競技をやっているのかわからない。
それどころか、言われなければ体育祭だとも気がつかない。
これは小学校低学年による玉入れの様子だ。

今年の運動会には私の仕事仲間も参加してもらった。
その仕事仲間が「久しぶりに全力疾走して気持ちよかったです」というリレーも、彼は頑張ってくれたが、突然参加の決まったどこの馬の骨かもわからない一人の若造のせいで惨敗だった。
リレーだから個人を責めることはしたくないが、そやつは落としたバトンを頭をかきながらチンタラチンタラ取りに行っていたのだ。
そういう態度が許せない。
このチンタラ野郎!

しかし、女子はすごかった。
前日、こっそり練習をした。
もちろんコーチは私。

練習がよかったのか、コーチがよかったのか、抜群のバトンの受け渡しで、序盤からドンドン差を広げて行き、アンカーの嫁さんのころには2位と半周の差をつけていた。
初めて嫁さんが両手を広げてゴールテープを切った。

やっぱ、練習しないと。
って、毎年言っている気がする・・。

2007年10月8日(月) 飲みすぎ

夕方から仕事に出かける以外は何もない、久しぶりの一日である。
そう思って、昨日は体育祭が終わってから、飲みまくった。

体育祭が終わったのは15時ごろ。
準備は自治会の有志だけでやったので時間がかかったが、後片付けはみんなでやるのでとても早い。
16時過ぎにはすべて片付け終えていた。

今回、体育祭に助っ人として参加してもらった仕事仲間を家に招き、シャワーを浴びてもらい、それからビールを飲むことにした。
まだ日も高いこの時間からやっている店もなく、コンビニでいろんな種類のビールを買い込んでき、リビングで飲み始めた。

二人で10本近くのビールを飲んだ後、居酒屋へ出かけることにした。
19時から自治会館で慰労会があるのだが、今日は客人がいるので、とお誘いを断った。
居酒屋でも相変わらずビール飲む。

19時半ごろ、嫁さんたちが友達を引き連れて現れた。
いつもの子ども会、PTA役員のメンバーだ。
しばらくは別々に飲んでいたが、ころあいを見計らって、合流した。
彼女たちは2時間、私は4時間ぐらい飲んだところで、店を出た。

助っ人は底で駅から電車に乗って帰っていったが、私をはじめPTA役員や子ども会のメンバーは、そのまま、別のPTA役員の家に行くことにした。

家に押しかけてあがりこむと、既に何人かの仲間がそこで飲んでいた。
バレーボール部のメンバーたちだった。
部員の旦那や若いにーちゃんも一緒だ。
先日、大迷惑をかけたメンバーに詫びを入れながらも、5秒後にはでかい顔をしてそこで飲んでいた。
そこでも馬鹿ほどビールを飲んだが、その日は先日のようにつぶれることはなかった。

しかし、1時間ほどして、このままでは近所迷惑になるだろうと、場所を変えることにした。
行き先はカラオケボックス。
我が家から徒歩30秒のところにある。

そこではフリードリンクであることをいいことに、ガバガバ飲んだ。
飲んで歌って大騒ぎだった。

で、今日。
喉が痛い。
頭が痛い。

夕方からの仕事がなければ、夜まで寝ていたい気分だった。

2007年10月9日(火) つまらない飲み会

前日は二日酔いでほとんど丸一日を過ごしたというのに、今日は飲み会。
とはいえ、二日酔いの日でもその夜には酒を飲みたくなるのだから、翌日であれば、二日酔いの余韻などどこかへ消え去っており、もう、十分に臨戦態勢である。
ただ、仕事以外での付き合いがないメンバーという点が、その気持ちに少し水をさす。

酒は確かに好きだし、酒を飲むことによって以後の付き合いがよくなることもあり、まさに潤滑油だと感じることも確かだ。
でも、前提条件として、その人と飲むことが楽しい、というのがある。

いくら最高の潤滑油があったとしても、歯車そのものがかみ合わなければ、潤滑油の効力は発揮できない。
仕事上の付き合いというのは、利害関係が中心で、その人の背景などはまったく知らないし、興味もない。
そういうメンバーと飲んでも面白くないだろうし酔えない。
そう思っていたら、まったくその通りだった。

付き合いがあるから二次会にも行ったが、気分的には最初の乾杯の後、自宅に帰ってしまいたいぐらいだった。

忙しいときに、形だけの懇親会などやっても、面白くもなんともない。

2007年10月10日(水) 肝心なところを間違え

行事が目白押しの10月。
だから今月の実行委員会での連絡事項や取り決め事項は格段に多い。
来週の土曜日から、毎週土曜日に何かしらの行事があり、私はもちろんのこと、多くの実行委員さんにもお手伝いをいただかなければならない。

そのため、毎月第二土曜日に行われる実行委員会を少し早めて今晩開催することにした。

いつもと違って夜の学校に集合した実行委員を前にして、いろいろと報告を始める。

最初の行事は生活指導委員会の講演会。
この行事の主催は市のPTA協議会であり、保護者向けの内容であるから多くの人に参加していただきたい。
生活指導の実行委員さんには全員出席いただくよう、前々からお願いしていたので、話もスムーズに進む。

翌週は秋祭りの準備。
学校行事の中で一番人手を要する、労力の必要な催し物。
それだけに前々から準備を進めており、この時点でばたばたするようなことはない。

さらに翌週は市民文化祭。
文化祭の準備は文化体育委員の役目。
これも事前から段取りをしているし、問題はなさそうだ。

さらに翌週は研究発表大会。
市のPTA協議会が主催の行事の中で最も人手と準備を必要とするもの。
それだけに各学校から多くの保護者が集まる。
ま、正確には「集められる」のだけれども。
これも、前々から参加していただく人には連絡してあったので問題ない。

さらに翌週は青少年非行防止決起大会。
青少年育成協議会と言う団体が主催する。
この当たりから参加をお願いする実行委員を決めていなかった。
本当は各学校に何名かの参加要請があるのだが、私としてはあまり得るもののない会議に、貴重な時間を費やして保護者の方々に参加いただくのは気が進まない。
なので役員の中で参加できる人を募った。

さらに翌週は市内の公立高校との交流会。
高校の交流会ではあるが、私自身、違う高校のPTA役員をやっているので、「さあ、交流しましょう」と人を集めて参加するのはうそ臭い。
なので、後学のために私だけが参加する予定だ。

と、いくつもの参加要請をして自宅に戻り、後になって気がついた。
時間と場所を伝え間違えているものがあったのだ。
あわてて訂正文書を作成し、学校にメールで送り、翌日、全戸への配布をお願いした。

さすがにこれだけ多いと、頭の中に入りきらず、文書や記録を頼りにするのだが、それが最終版でなかったりするとこんなことになる。
去年までは会長会の役員ではなかったので、目にする資料は決定事項が記載されていたが、今はそれを決定する側の役員であるため、素案の資料も目にするのだ。
時々、その資料が紛れ込む。

資料整理も追いつかない。
要らない資料は片っ端から捨てるしかない。

2007年10月11日(木) 今日から禁酒

今日からしばらくの間、禁酒をすることにした。
10月というのは学校行事の多い月であり、特にPTA役員は多忙を極める。
PTA役員のみんなはとてもよく動いてくれるので申し分ないのだが、それでも私もやらなければならないことも多い。

しかし、仕事という足かせがある。
それがある以上、どうしてもPTA活動には制約が生まれる。
そしてついつい言ってしまうのが「仕事が忙しくて」だ。

何かをみんなで分担しなければならないとき、私一人だけ、終電まで仕事をしていてそれを手伝えないことがある。
朝早く出かけなければならないときも「忙しくてできない」という。

「仕事で忙しい」といえばPTAの仕事を免れる、まるで水戸黄門の印籠のように使っていた言葉だ。

しかし、そんなに忙しい夜でも、自宅に戻ってからビールを飲んで休憩する時間がある。
忙しくて何もできないといいながらビールを飲む時間があることに気がついた。

だから酒を飲むことをやめようと思った。
この忙しい月が過ぎるまでは酒をやめ、飲む暇があったらPTA活動をすることにした。
たとえ自宅でもできることはたくさんあるからだ。

というわけで、今日から10月末までは酒を飲まないことにする。

2007年10月12日(金) できない仕事

私の仕事はコンピュータの仕事であるが、コンピュータの仕事は幅が広い。
汎用機やパソコン、OSやネットワーク、データベースやアプリケーション開発。
新しいシステムの提案や古いシステムの保守、ネットワークの更新やデータベースのチューニング。
障害対応、性能改善、運用指導、操作教育。

それぞれに専門家はいるものの、私に求められているのはそれら全部を満遍なくできること。
どれかができるから、どれかができなくてもいい、というものではない。

私には「これができるか?」と仕事を依頼されるのではなく「これをやってくれ」と依頼される。

今までに未経験のことも何度となく経験に変えてきた。
そのために徹夜もしたし、休日も割いた。
昨年の秋も大変忙しく、日記にもそのように書いていたと思う。

今回もそんな仕事がやってきた。
まったく未経験の仕事だ。

いろいろな技術読本やWEBなどで情報を収集し、基礎を固めていく。
経験者に相談したり、アドバイスを受ける。

それでも不安が残るだけで一向に自信がつかない。
投げ出せるものなら投げ出したい。

しかし目の前の川は何とかしてでもわたらなければならないのだ。

2007年10月13日(土) 無機質な部屋で

朝からマシンルームで仕事である。
コンピュータってやつは熱に弱い。
大きいやつはもちろん、小さいものの集合して使っている場合などは寒いぐらいの空調が不可欠だ。
それに最近のマシンルームは防犯上、物品の持込が制限されており、椅子も机もおいていない。
そんな部屋で昼前から夕方まで仕事だった。

仕事場まで車で行き、遅い朝ごはんと昼飯をかねて、近くの牛丼やで腹ごしらえをした。

休日のこの時間、オフィス街にはほとんど人もいない。
人の少ないオフィス街をトボトボとマシンルームのあるビルに向かって歩く。
セキュリティの厳重なマシンルームだから、ビルの入り口も奥まったところにあり、ただでさえ休日の人気の少ない時刻なので、まったく人通りがない。

入り口で入管手続きを済ませるときも、中にいるガードマンとは目をあわすこともなく、昔の電車の切符を買うときのように、口元だけが見えている。
それでも向こうから私が丸見えであることは、私を見下ろすように取り付けられている防犯カメラの存在でわかる。

「見張られている」というなんだか多少屈辱にも似たような気分を引きずりながら、ビルの中へと入っていく。

カードと生体認証を繰り返し、目的のマシンルームの前にやってくる。
この鉄製の自動ドアの向こうには無機質この上ないマシンルームが待っていて、今からそこで仕事があるのだと思うと、多少気分が滅入る。
それでも今日はまだ、一緒に作業をする人がいてましだ。

最後の認証を済ませるとドアがさっと開き、冷たい風と、空調のやかましい音が流れ出てくる。
担当のコンピュータのところに、人影が見つけ、なんだかほっとする。

そして固い床を足の裏に感じながら、コツコツ音を立ててその人に近づき、挨拶をする。

「さあ、今日もさっさと片付けてしまいましょう」

2007年10月14日(日) 人の話は後回し

小学校の秋祭りが近づいているというのに、いくつも課題を残したままだったので、それを整理するために二人の副会長と一緒に、課題の確認をすることにした。
場所は近くのハンバーガーショップ店。

私は前日までにどの作業をいつまでに誰がやるかを事細かに書き出した。
課題をクリアするための優先度と、順序を考え、また、それができないときの代替案も用意しておく。
8Pフォントでぎっしり書いてもA4で3枚になった。

それを持参すると彼女たちも同じようにやらないといけないことを書いてきていた。
まずは、私の資料を渡し、説明をした。
ところがそれを見てもなんだかピンとこないようだ。
WBSの形式で「タスク」にまで落とし込んでいるのに、それでも実際の行動がイメージできないのだろうか。

そうじゃないことは、彼女たちの話を聞いてわかった。

彼女たちも自分なりに考えてきた「やらなければならないこと」を説明しだした。
「会長、あのね、まずこれをね」
と次から次へと話し始める。
話をしている内容は私の説明と対して変わらない。
それどころか、もっと具体性に欠ける内容であって、誰がいつまでにするのかがわからないものも多かった。
それでも、自分で説明しながら納得している。

ここに答えがあった。
要するに彼女たちは聞いてほしいのだ。
他人の話はともかく、自分の不安や疑問を私に聞いてほしいのだ。
それに、何より彼女たちは、文章を読んで理解するということがとても苦手だ。
だから、自分たちの心配事が払拭されない段階で、私の書いた表など見てもそれが理解できないのだ。

自宅に帰って嫁さんに話をすると「自分のことが頭の中にあるときって、女の人は話、聞かへんで。今頃、気がついたん?」と言われてしまった。

まだまだ女性に対する勉強が甘いようだ。

2007年10月15日(月) やっぱり少子化の話

先日、知人が子どもを産んだ。
かねてより、「子どもがほしい」と言っていたので、本当におめでたいことである。

子どもが生まれる話をするとどうしても思い出すのが、少子化の話である。
PTAや子ども会など、子どもに関連する組織に身をおいていると、余計にそれを実感する。
本当に最近は子どもを産まない、あるいは一人しか産まない家庭が多い。

理由はいろいろあるだろうが、「一人で十分」という声が多いことに驚く。
なにが十分なのだろうか。

子どもを育てるのは今も昔も大変なことであることに違いはない。
それでも親である私たちの世代までは兄弟のいる家庭のほうが多かった。
なのに、自分たちは「一人で十分」といってそれ以上の子どもを産もうとしない。

確かに子どもを育てるのは大変だと思うが、よく考えればそれ以上に大変な思いをするのが誰だかわかるはずだ。
子どもの数が少なくて苦労するのは、その子どもたちなのだ。

間違いなく、同年代の人間の数が減る。
年寄りが増えてそれを支える負担が大きくなる。
その負担を軽減させたければ、今、子どもを産んで育てるべきなのだ。

こういうことを考えずに、「今」しか見ていない大人が多い。
「自分がやらなくても、いつかだれかが何とかしてくれる」そう思っているのだろうか。
ヒーローの登場を願っているなんて、いつまで「子ども」でいるつもりなのか。

冒頭の知人は、以前、子どもが4人ほしいといっていたが、出産を経験した今でも、その気持ちが変わっていないことを祈る。

2007年10月16日(火) 司会進行

今度の土曜日には近くの小学校で、市内の小中学校の生活指導委員を対象とした講習会が開催されるが、私はそこで司会を務めることになっている。

講演会の司会進行は何度となく目にしているので、それほど戸惑いはないものの、市のPTA協議会が主催の講演会なので、私の独断で司会進行するわけにも行かない。
開会宣言と来賓の紹介、オープニングセレモニーに続いて講演会の案内など、式の流れは聞いているものの、緞帳の上がるタイミング、来賓の挨拶があるのかどうか、花束贈呈の担当は誰なのか、など細かい部分で何も聞いていない。

それでもとりあえず、要所要所で話すべき内容を確認する。

「それではただいまより平成19年度・・」と開会宣言に始まって、「本日はご公務ご多忙の中、ご臨席賜りました・・」と来賓の紹介、「大変すばらしい演奏をどうもありがとうございました。皆様、もう一度盛大な拍手をお願いします」とセレモニーの締めくくり。
流れに沿ってストーリーを書いてみるとそれらしい形になった。

本当なら、私が質問したい内容の講演会なのだが、今回は司会に徹することに決めた。
後は当日、細かい段取りを聞いて仕上げるだけだ。
普通の人なら不安だろうが、幸い私は、初めての司会進行にもかかわらず、まったく不安がないのだ。
むしろ、当日が楽しみだ。

2007年10月17日(水) 新幹線の過ごし方

最近また、東京への仕事には、新幹線を利用するようになった。
「のぞみ」の各車両の両端にはパソコンを載せる台と、100ボルトのコンセントが用意されており、以前は、バッテリーだけが頼みの綱で、とても心細い思いをしたが、コンセントのおかげでゆっくりと考えながら、パソコンを使用できる。

片道、3時間弱は資料を作成するには少し物足りないが、それでも無駄にするのはもったいない時間だ。

パソコンを持ち歩くときの鞄は歪に膨れ上がり、指に食い込む重さに耐えかね、何度も持ち替えなければならない。

そこまでして新幹線に持ち込んだパソコンだが、実際に仕事をしている時間はかなり短い。
というのも、私は電車の中で文字を読むと気分が悪くなるのだ。

それは「揺れ」のせいである。
新幹線はおそらくすべての列車の中で最も揺れが少ないと思うのだが、それでも私を気分悪くさせるには十分すぎる揺れである。

だから、大阪を出て京都に着く前にすでに休憩している。
富士山の見えるころにはパソコンも閉じたまま。

字を読むこと自体ができないのだから本を読むこともできない。
何かいい方法はないものか。

2007年10月18日(木) 欠席者が多い理由

昼から客先での会議があったので、昼食もさっさと済ませ、資料をかばんに詰め込んで客先へ向かった。
今週から上着を着ているが、今日は天気もよく、少し暑い。
電車に乗り込むと少し冷房が効いているのがせめてもの救い。

客先の最寄り駅について地上への階段を上がる。
いい天気で気温も高い。
上着を片手に持って客先のビルへと向かう。

1Fのロビーでほかのメンバーと待ち合わせだ。
ただ、約束はしていないし、みんなほかの作業で先に来ていることもあるから、もしかしたら誰も来ないかもしれない。
やがて待ち合わせの時間になったが、やはり誰も来ない。
そそくさと受付を済ませて、いつものフロアに上がった。

重い扉を開けて中に入ると、会議に出席するお客さんと目が合った。
こちらが会釈をすると、向こうも会釈をする。

でもなんだか、反応がおかしい。
どうも相手が首を傾げたような気がしたのだ。

やがて私のほうへ歩いてきた。
「こんにちは」
どちらからともなく挨拶するが、やはりなんだか不思議な顔をしている。

「えーと。今日は何か・・」
「会議ですよ。14時からの」
「それ、昨日ですよ」

前回の会議の議事録に確かに日付が書いてあった。
「次回の会議は17日(木)です」と。

今日は18日(木)。

「そっかー」
と、客が言う。
「それで昨日は欠席者が多かったのかー」

今頃気がついたのか。

2007年10月19日(金) お父さん集合!

PTA活動にしても子ども会の活動にしても、その中心的な役割を担うのはお母さんたちであり、お父さんはというと、残念ながら鳴りを潜めることが多い。
やはり父親が一家の主たる収入源として外で働いているということが一般的なようで、PTAや子ども会など、昼間の活動には仕事があるので参加できず、休日ぐらいは仕事に備えてゆっくり過ごしたい、という普通にして正常な事情や感情があれば、お父さんたちの出番が少なくなるのは止むを得ない。

いや、別にお母さんたちが昼間も休日も時間があって活動しやすいというわけではない。
実際にはお父さんたちと同じように平日は仕事をしていながらも、PTAや子ども会の活動に参加してくださるお母さんたちも多く、私の知り合いの半分はそうなのだから、男として頭の下がる思いだ。

とはいえ、やはりお父さんたちにも協力をいただかなければいけないこともあり、その最たるものが小学校で開催される秋祭りの出し物だ。
秋祭りの中で最も子どもたちに人気がある出し物で、今年も「お化け屋敷」を作ることにした。

お化け屋敷にするべきかどうか考えていたのだが、先生から「何を言うてますの会長。去年、終わったときから、『来年のお化け屋敷はどんなんやろう?』『今度は一人で行くで』って子どもたちが話ししてましたで」と言われ、検討するまでもなく、お化け屋敷に決定した。
そのお化け屋敷を造るのはお父さんでなければならない。

お父さんというのは、怖いけれども、その分、面白くて楽しくなければいけない。

お母さんが叱っても聞かないときはお父さんが雷を落とす。
けれども、時々お父さんは、子どもと一緒になって、お母さんに叱られたりもする。

怖いけれど楽しい。

お化け屋敷を造るためにお父さんたちに参加募集のプリントを配布した。
何人集まるのかわからないけれど、来年を楽しみにしてもらえるようなものにしたい。

2007年10月20日(土) ビーズ講習

ビーズアクセサリー作成のための講習会に参加した。
男なのに変わった趣味、というわけではない。
11月に開催される市民文化祭では各学校ごとにいろいろな文化活動を展示報告する。

「文化活動」であればなんでもよく、町の清掃事業にかかわったとか、口内の植樹に協力したとか、そういうことでもいいのだが、写真での展示よりも、何かの作品を作ったほうが、実際にかかわっている人たちは「達成感」を得られるようだ。

だから毎年何かの作品作りをすることになっている。
そこで今年はビーズというわけだ。

昨年はクリスマスのタペストリーを作成したのだが、その日は私の都合がつかず、参加できなかった。
そもそも女性向けの講習会なので、男性で参加するのは私だけだ。

そして今年のビーズアクセサリー。
実は今回の講師は、我が家にもよく遊びに来る、嫁さんの友人である。
だから何もPTA会長として参加したのではなく、ちょっと驚かしてやろうという気持ちがあった。

事実、私が参加することを当日まで内緒にしていたので、私が講習会場に現れたとき、てっきり挨拶でもするのだろうと、彼女は思っていたようで、私が作成キットを手にして席に着いたとき「えーーっ?!○○くん(わたしのあだな)もやるのーん?」と、一応、みんなの前なのだから、あだなやタメ口は使わないように注意していた彼女も、思わず、口走って、驚きを隠せないようだった。



自分で言うのもなんだが、私は器用である。
やる気になれば細かい作業もきっちりやれる。
仕上がったビーズ作品はなかなかのもので、自宅に持って帰って嫁さんに見せると、「意外」という顔をしていた。

2007年10月21日(日) できない仕事、完了

目の前の川はとても大きな「河」に思えた。
事実、泳いでも泳いでも向こう岸は遥か遠く、気がつけばかなり下流に流されていた。
それでも、途中で流れてきた丸太につかまり、手足をばたばたさせて、何とか対岸までたどり着いた。
仕事の話である。

できない仕事ではあったが、それでもやらなければ絶対に終りは来ないし、やるなら今が最後のチャンスかもしれない。
そんな、理由にもならないような理由を自分に言い聞かせ、コンピュータに向かわせた。

手順どおりに行けば問題ないが、そうならなかったときの対処方法をまだ習得していない。
習得するだけの時間が与えられていないのだ。

そういう機会は多くある。
そういう時は「他のできる人が対応する」というのがセオリーだ。
しかし、そう都合よく「他の人」がいるとも限らない。
いない場合には「それに近い人」を探すことになる。
それが今の私だ。
「それに近い人」といっても、サーカスのゴリラを探しているのに、ゴリラに似た人を連れてきて代用しようとしているようなものだ。
あるいはウニの代わりにクリを持ってきたようなものかもしれない。

手順を何度も確認しながら作業を進める。
一つ一つこなしていく。
当たり前のように進む手順のひとつを終えるごとに、思わず「よし!」と手で小さくガッツポーズを取る。

しかし、付け焼刃で作業をしたしっぺ返しがやってきた。

マシンがリブートを繰り返す。
原因がわかっているのだが、どのように対処すればいいのかわからない。
しばらく試行錯誤したが、もうだめだと、開き直った。

すべての作業を「できる人」やってもらうことはできなくても、「今の状態を脱出する手助けをしてくれる人」はいる。
早速電話をして応援を頼むと、快く対応してくれた。
おかげで何とか無事に作業を完了した。

少々無茶なやり方ではあったが、思い通りの結果を得ることができた。
できない仕事だと言って、やり始めなければ終りは来ない。
やり始めれば、なんとかなる。

何もしない人に人は手を貸さない。

2007年10月22日(月) 富士山

もう、何百回となく東京と大阪を行き来しているのに、それでも富士山を見るのは、移動中の大きな楽しみの一つである。

それほどまでに見たい山である理由はなんだろうか、と富士山を見ながら考えた。
稜線の美しさ、広大な裾野、青空と白雪のコントラスト、日本一であるという雄雄しさ。
どれもみな、富士山の富士山たる由縁であり、その大きな魅力に他ならない。

しかし、私はそれ以外にも、何度も見たくなる理由があることに気がついた。

第一に、富士山の全景を見られる機会は数少ない、と言うことである。
実際に新幹線に乗りながら富士山を見て思うことは「ああ。今日も雲が邪魔をしている」ということだ。
先ほどまで晴天の下を走っていたはずなのに、富士山の近くに来ると雲が急に増える。
周りには雲ひとつないのに、富士山の頂上付近だけが雲に隠れている事もある。
だから雲がなく、頂上まではっきりと稜線が見える機会は少ない。

第二に、富士山を見られる時間は少ない、と言うことである。
もちろん、あれだけ大きな山だから、かなり遠くからでも見える。
見えるかどうかと言うレベルで話をするならば、羽田空港のロビーからでも見える。
でも、見たいのは、やはり全景である。
となると、ポイントは限られており、新幹線でそこを通過すると、満足できるアングルは数分程度であることがわかる。
それに写真撮影できそうな場所の時間を計ってみたら30秒程度しかなかった。

そのわずかな時間の写真撮影に挑戦した。



携帯電話のカメラではこれが限界か。

それでもカメラを持ってずっと窓に張り付き、チャンスをうかがっている様は、他のビジネスマンの目には奇異な姿に映っていたことだろう。

2007年10月23日(火) ばっちり司会

先日、市のPTA協議会主催イベントのひとつ、生活指導委員会の講演会が開催された。
警察署のサイバーテロ対策のメンバーに、インターネットが子どもへ与える危害について講演していただいた。

内容は「いつもの」話で何の新鮮味もなかったが、私は司会という立場だったのでちょっとした新鮮味があった。

会場となったのは近くの小学校の体育館。
パイプ椅子をずらりと並べただけの講演会場だったが、それでも思った以上の参加者で、予定数を超えたため、あわててパイプ椅子を追加することになった。
各校から10名前後の参加者なので、総勢は200名を越えているだろうか。

「それでは、時間になりましたのではじめたいと思います。ただいまより平成19年度・・・」

私の第一声で始まった。

開会宣言に引き続き、自己紹介、来賓の紹介、オープニングのアトラクションの紹介と次々に進めていく。
もちろん、カンニングペーパーは見ない。
ただ、来賓の紹介のときだけは違う。
私も嫁さんもよく知っている教育委員会の人だったが、カンニングペーパーを読み上げるようにするのが慣わしになっているので、読むことにした。

後援者の紹介、拍手の要請、そして閉会宣言など「そつ」なくこなす自分にわれながら感心した。

さ、今度は何の司会をやるかな。

2007年10月24日(水) 餅つきだけ

校区子ども会の定例会は月に一度開催される。
私は地区の子ども会会長であるが、校区の子ども会の副会長でもあるので、その定例会には副会長として出席する。
だから、私の地区からは別の担当者が地区代表として出席している。
要するに私がいなくても、その地区代表が出席していれば、私の地区には話も伝わるし、地区としての意見も言えるのでなんら問題ない。

そんなこともあって、仕事の都合を理由に定例会議に出席しない日が何度か続いた。
とはいえ、12月には8月の花火大会に続いて大きなイベント、クリスマス会と持ちつき大会が予定されており、そろそろ準備を始めなければならない。

そう思っていた矢先、地区代表から連絡が。

「12月に行う予定だった、クリスマスと餅つき大会は、餅つき大会だけになりました。クリスマスは各地区で個別に行います」

あらら。
両方やることは4月に決めていたことなのに。
おそらく、「段取りが悪いのに、クリスマスも一緒にやるのは無理です!」などと各地区の代表にやりこまれ、校区の会長もそれに従うしかなかったのだろう。

うーん。
決めたことしかやらない、という地区代表さんたち。
なのに、決めたこともやらないという。

校区の会長や私と違い、一年限りの地区の代表さんに、我々と同じ気持ちで子ども会を運営しろというのは土台無理なことなのだろうか。

2007年10月25日(木) 集合写真を

何かを忘れていると思っていた。
確かPTA関連の仕事で、私がやらなければならない何かがあるはずだった。
でも、小学校一大イベントの秋祭りを目前に控え、やるべきことはたくさんあったので、そのうちのひとつだろうと思っていた。

しばらくして中学校の会長からメールが来た。
この会長は、私が昨年務めていた、市PTA協議会の広報委員長を今年担当している人だった。

「○○小学校(私の担当)からまだバレーボールの集合写真が送られてきておりません」

おお。
これだった。
忘れていたのは。

先月末に開催された、市内の小中学校バレーボール親善大会で、各ブロックの優勝チームは、その集合写真を、来月開催される市の文化祭に展示することになっていたのだ。
その展示用の写真を広報担当者に送るのをすっかり忘れていた。

明日が締め切りだ。
しかし、写真は学校にある。
慌てて学校にメールを来る。
心配なので嫁さんにフォローを頼む。

仕事から帰ってきてすぐにパソコンでメールをチェックする。
写真が送られてきていたので一安心。
一番写りのいいものを選んで、広報委員長に送付した。

そういえば集合写真を見るのは初めてだ。
試合前の集合写真だが、みんな言い笑顔をしていた。
優勝を予感させる笑顔だった。

2007年10月26日(金) 準備の一日

仕事を休んで学校で開催される秋祭りのために、一日中走り回る。
買い物に出かけ、学校へ荷物を運び、打ち合わせのための電話をかけまくる。

本当の準備は明日なのだが、明日は各地区から出てくる委員さんたちのために陣頭指揮を執らねばならず、私が動き回ることができない。
私の準備は主に、お父さん方が中心になって作るお化け屋敷のためのものだ。

段ボール箱を組み立てるためのガムテープ、随所に取り付けるケミカルライト。
100円グッズのおもちゃのクモも、蛍光塗料で着色し、ブラックライトで照らし出すと、立派な仕掛けになる。

近くのホームセンターで買い物をしながら、お化け屋敷の仕掛けを考える。
そうこうしているとあっという間に予定時間が迫り、結局、たいした買い物もできなかったのと思いながら、学校へ向かう。
物置にしている学校の会議室へ買った品物を運び込み、そこでまた最終確認をする。

平日一日動けば、かなりのことができると思っていたが、思っていたほど捗らない。
やはり事前の準備が大事だと痛感する。

それでも明日はやってくる。
忙しい明日に備えて、心の準備を。

2007年10月27日(土) お化け屋敷を造る

お化け屋敷を造るのに最も多く必要なのは、段ボール箱。
昼積みにして3メートルを超える量の段ボール箱が必要だ。

それを組み立てて、通り道を作るために並べられた机の上に積んでいく。
大きさも普通のものより大きい。



通路を挟む両脇のダンボールの壁は、成人男性ほどにもなり、子どもや女性にはまったく向こうが見えなくなる。



すべてを並べ終わると、次は仕掛けをいろいろと考える。

昨年使った、美容師が練習に使うカット用の頭を使い、人形を作る。
私の普段着を段ボール箱にかぶせ、その上に頭をおく。



ぱっと見には人が椅子に腰掛けているように見え、この人形を見て私だと思って、挨拶をしている人が実際にいた。

明日の本番が楽しみだ。

2007年10月28日(日) 秋祭り当日

小学校の秋祭り本番当日は、前日の曇り空とは打って変わって、暑いほどの晴天になった。

開会の挨拶をすると、その後は走り回ってばかり。
各ブースを回り、問題は発生していないか、状況はどうか、を常に監視する。
もちろん本部席を用意していて、何かあればそこに来るようには伝えているものの、それだけでは至らないことも多い。

本部席では当日のチケットを販売しているし、落し物は届けられるし、苦情や要望が集まってくる。
予定ではこうなっていたが都合によりこうしてもいいか、といったような話も来て、現場まで飛んで行き、そこで判断し、マイク放送で校内に放送する。

そんな大忙しの中で、唯一、写真撮影をする余裕ができたのが、中学生によるブラスバンド演奏。
先日、コンサートホールで単独コンサートを開いた、近所の中学校だ。
毎年、このお祭りに来てもらい、演奏を披露してもらっている。



コンサートを開催するだけのことはあり、少ない人数なのにとても上手くなっていた。

お化け屋敷の前には毎年のように長蛇の列。
特にたいしたものがあるわけでもないのに、学校の一室に、真っ暗な部屋ができたと言うだけで、子どもたちは興味津々。
友達と一緒に恐々、中に入っていく。

そして14時30分。
最後のイベントマジックショーが終わって、秋祭りも終わりのときとなった。

最後の挨拶のとき、校内の各所で見つけた食べ物のゴミのことを注意した。
注意したと言うより少しキレて見せた。

「残念なことですが、校内や、運動場のあちこちに食べ物のごみが落ちていました。お母さんたちが一所懸命にみんなを喜ばせようと頑張ってくれているのに」

無論、子どもたちはざわついていてこっちの話など聞いてもいない。

「聞いてるんか!こら! お前らのことやぞ! お前らがちゃんとでけへんのやったら、来年からもう、やらへんかもしれん! そうなったらきっと、お母さんらも助かるやろうし」

そのままマイクを先生に渡してすたすたと、去っていった。

副会長のところへ行くと、「そうそう。あれでいいんですよ会長」と賛同してくれていた。

なんだかんだと騒がしい一日だったが、充実した一日で、夜の酒が最高にうまかったことは言うまでもない。

2007年10月29日(月) 気持ちい二日酔い

仕事だというのに二日酔いだ。
しかし、とても気分がいい。

昨日、数ヶ月かけて準備してきた秋祭りがようやく終り、この日のために禁酒してきた私は、嫁さんと地区長を誘い、近くの居酒屋に飲みに行くことにした。

イベントが終わるごとに酒を飲むのは歳を重ねるごとに慣わしとなり、いまやそれを目的にイベントに力を入れている感さえある。
昨日の夜はまさしくそれだった。

「祭りが終わる」と一言で片付けても、実際には、もっとたくさんのものを片付けなければならない。
校庭に並べられた何十と言う机や椅子、お化け屋敷を作っていた何十ものダンボール、各ブースを支えていた何張りと言うテント、そして来年に向けての備品のチェックと片付け、これらすべてを終えてこそ、「終り」はやってくる。
数年前まで、自分の都合のいい時間帯に家に帰ること=祭りの終り、だったことに比べれば、その心労たるや格段の違いである。

そんな終りを迎えたのはすっかりあたりも暗くなったころのこと。
私以外の役員はへとへとで、「もう、今夜は外食にしよ」と口にするものも少なくなかった。
実際、一家の家事を担うお母さんがPTA活動に参加していると、どうしても家事にしわ寄せが行くようで、そればかりは、会長として申し訳なく思うところである。

「じゃあ、また。お疲れ様でした」というお母さんの声も少し元気がなかったが、私だけは、今から飲みに行くことを考え、嬉々とした表情だったに違いない。

自宅に戻るとシャワーを浴びて、服を着替えるとそのまますぐに家を出た。
家の前には既に地区長が待っていた。
嫁さんは食事の用意をしてから来ると言うので、地区長と二人で先に居酒屋へ行く。

「とりあえず、生中を二つ!」

子どもたちと一日過ごした私が、おそらく一番子どものような顔で喜んでいたのはこの瞬間だったに違いない。

2007年10月30日(火) 秋の夜

まだ夕方の5時半だと言うのにあたりは既に真っ暗だ。
ついこの前まで暑い日を過ごしていたように思うのに。

先日の日曜日に開催された小学校の秋祭りでは雲ひとつない晴天になり、グラウンドはとても暑く、日焼けをしそうな勢いに、まだ夏の余韻を感じていた。
それなのに、後片付けの時間になると、あっという間に日は落ちて、気温も急激に下がり始めた。

秋の夜が長いと言うのは、確かなようだ。

ただ、仕事をしていると、秋も夏も関係ない。
終電で帰っていては夜も短い。
シャワーを浴び、ビールを飲みながら嫁さんと会話をしたら、後は寝るだけ。

そろそろ仕事も落ち着きそうだし、少しは秋の夜を満喫したいものだ。

2007年10月31日(水) タグホイヤー

電池交換のために修理に出していた腕時計を取りに行った。
2ヶ月ぶりに私の腕に時計が戻ってきた。

国産なら電池交換もその場でできるが、独立記念に大枚をはたいて買った嫁さんとのペアウォッチは海外メーカーのものなので電池交換だけでも4週間ぐらいかかると言われていた。

先日、修理に出してからおよそ2ヶ月になろうとしても一向に連絡がないのでこちらから電話で聞いてみた。
「9月25日にご自宅にお電話を差し上げ、電池交換が完了した旨、男性の方に言付けました」とのこと。

長男め。
言付けられたのに、私に話していなかったようだ。

客先へ出かけた帰り、修理に出した百貨店に立ち寄った。
メンテナンスコーナーで受け取ると、久しぶりの友達に会ったように顔が少しにやけてしまった。

久しぶりの腕時計に、左腕が少し重く感じる。
時間を確かめるわけでもないのに、何度も文字盤を覗き込んだ。


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