カリント日記

バックナンバー

[先月] [目次] [来月] [最新版] [トップ]

2007年11月1日(木) ノーベンバー

昔、車のナンバープレートのひらがなを無線で伝える警察官が、それを正確に伝えるために、「イロハのイ」や「ホタルのホ」などといっていたのを思い出した。
私も「N」や「M」を電話で伝えるときには「ネットワークのN」や「モデムのM」などと伝えることがある。

国際的にも、こういう伝え方をするものがあり、それを「フォネティックコード(Phonetic alphabet)」と言うらしい。
例えば、「A」なら「アルファ」、「B」なら「ブラボー」と言う具合だ。

他の文字を見てみると「D」の「デルタ」や「E」の「エコー」などは、洋画の中に出てくる、パイロットや警察官が自分たちをコードネームで呼ぶときに使っているのを思い出した。
「こちらエコーワン、エコーワン」。

そして、「N」は「November」。
つまり11月。

月の名前で唯一、このフォネティックコードに採用されている。
確かに、初めてこの単語を耳にした中学生のころ、綴りこそ正確でなかったが、他の月を差し置いて、真っ先に11月が「ノーベンバー」だと記憶できたのは、その語感のせいに違いない。
なんだか粘るようなこの独特の語感が面白くて、鼻の下を伸ばした馬鹿丸出しの顔になりながら、発音練習をしていた。

「霜月」にも風情があるが、Novemberも悪くない。

2007年11月2日(金) 文化祭前日

明日と明後日は市民文化祭が開催される。
昨年は文化祭の担当学校だったので忙しかったが、今年は多少気が楽だ。
それでも朝から、文化祭展示作品の搬入や設営に関して、文化体育委員の委員長さんに最終段取りの確認のため、電話をする。

展示作品がビーズアクセサリーということもあって、男手が必要になるということはないが、それでも飾りつけなどにはそれ相応の人手が必要だ。
でもその点は、副会長がしっかりとサポートしてくれていた。
ありがたいことだ。

市民体育館が展示会場となり、PTA協議会、各小中学校、市内各地の子ども会、ボランティア団体、姉妹都市や姉妹校、市民サークル、などなど、市内にある各種の団体が、自分たちの文化活動をアピールすべく、いろんな展示物を用意している。
それらの展示物が、今日の昼間から夜に掛けて続々と運び込まれる。

「市民文化祭」というと、なんだかかしこまった感じもあり、積極的というよりはどちらかといえば義務的な感じがするのも正直な感想だ。
各学校の展示にしても、おそらくPTAからの働きかけがなければ、何も展示されることはないだろうし、毎年、展示物に頭を悩ましているのも事実だろう。
だからすべてが自発的なわけではなく、むしろ自発的出展の数は少ない。

それでもこういうことをするには意義がある。

みんなは面倒だと思っているだろうし、自分以外の誰かがやってくれるだろうと思っているに違いない。
これは、今でこそ、PTA会長や子ども会の会長をやっている私だが、以前は、そう思っていたのだから、紛れもない事実なのだ。

そういう人に必要なのは、多少、無理強いしてもこういう活動をさせることである。
そうすることによって、いつかはその中に身を投じることになり、そしてほかの人を引っ張っていく力を身につけるのだ。

昔からきっとそうやって繰り返されていたことなのだと思う。
たとえ自発的なものでないにしろ、これらの活動がまったくなくなってしまったのなら、それこそ、「文化」を失った街や市民になるのは間違いないのだ。

2007年11月3日(土) 表彰式

PTA会長をやっていると、ほかにも仕事が回ってくる。
そのひとつが「公民館運営委員」だ。
公民館運営委員の私に、今日の文化の日に開催される式典への出席依頼が届いた。
市内にある文化ホールで、文化活動の功労者に対して表彰式が行われるらしい。

午前中からスーツを着て会場に向かう。
会場には同じPTA協議会の会長もいた。
軽く会釈をし、席について式典の開催を待つ。

市の行事だけあって市長をはじめ、府議会議員や市議会議員、教育委員会や各種団体の代表など、おなじみの顔ぶれが参列している。

お偉いさんたちの一通りの挨拶の後、表彰式が始まった。
文化活動の功労者ってどんな人たちなのだろうかと、表彰される人たちの肩書きを聞いていた。

長年にわたり、地域自治行政に取り組んできた人、スポーツ振興に尽力し、後継者を育ててきた人、書道や絵画で優秀な作品を残し、文化の発展に寄与してきた人。
身近な人では、国体に出場した高校生などもいた。

驚いたことに、いつもの校区子ども会の会長が、表彰されていた。



市の子ども会連合で尽力してきたことに対する表彰だ。

確かに、小学生の子どもがいる保護者でもないのに、自分の地域のみならず、市内全域の小学生のために、子ども会を中心として多方面にわたって活動しているのだから、表彰されてもおかしくない。

式典が終わってから、会場のロビーで「おめでとうございます」と声をかけると、少し照れて「ありがとう」と返事が帰ってくるや否や、「ところで明日は手伝いにいける?」とすぐに子ども会の話題になった。
子ども会が文化祭で出店している店の手伝にいけるかどうかと聞いてきたのだ。
いかにもこの人らしい。

私もすぐに返事した。
「今から自宅に戻って着替えたらすぐに手伝いに行きますよ」

2007年11月4日(日) 文化祭で動く

昨日から市民文化祭が開催されており、私は会場に入り浸りだ。

昨日は市民文化ホールでの式典に出席し、昼から市の子ども会連合がやっている出店の手伝いをした。
そして今日も朝からその店の手伝いだ。

子ども会連合の店では綿菓子作りが私の役目。
「おお。きたきた、きたでー」と、みんなに出迎えられ、エプロンをつけ、頭にバンダナを巻いて配置につく。
手にマーガリンを塗って綿菓子が絡みつかないようにし、綿菓子製造機が温まってきたなら準備OK。
中央の投入口にザラメを流し込むと、バチバチと言う音とともにザラメが何十本もの糸を引き、製造機の周りの
囲いにぶち当たる。
そのときの糸を辛め取れば綿菓子になるのだが、これをうまく絡め取って整形するのが難しい。

お店には絶え間なく子どもたちがやってくる。
1本100円と言う価格はとても安く、子どもたちにも買いやすいものだ。
中には、「50円で」と言う子どももいるが、そんなときは50円で小さなものを作ってやる。
それが子ども会のいいところ。

午前中が終わるころ、私は一旦その場を離れることにした。
今度はPTA会長として駐車場の警備の仕事がある。

1時間ほどの警備を済ませて、展示会場を覗いてみた。
ここには私の学校の展示物もあり、担当の委員さんがお見えになっていたので、軽く挨拶とねぎらいの言葉をか
けた。

今年の作品は、先日のビーズ作品。



学校の先生が「小さいものはダメだ」と言っていたが、文化的であるか否かに大きいも小さいもない。
小さいのはあの先生の度量だ、などと思いながら、保護者の方々が一所懸命に作った作品を眺めた。

しばらくして、綿菓子製造に戻る。
「あらま。会長さん。今日はどういう立場で?」と私の前に現れたのは一緒にPTA活動をしている先生。
「市子連の評議員です」と応える。
「よう動く人やなあ。市子連と言えば、私、毎年、市子連のうどんが楽しみで」と言いながら、私の横でうどん
を作っている市子連の評議員に注文していた。
後で食べてみたが、なるほど美味しいうどんだった。
こうして、夕方の16時ごろに片づけが始まるまで、綿菓子を作り続けた。

後片付けが住むと自宅に戻り、ザラメでべとべとになった体をシャワーできれいにして、本職の仕事へ向かった。
私は、よう働く人でもあるのだ。

2007年11月5日(月) コンピュータのような

「コンピュータのような人」というとどういう人だろうか。
多くの人は「計算の早い人」「間違いのない人」「頭の回転の早い人」「賢い人」というイメージを描くのではないだろうか。
私のイメージは少し違う。
「同じことを繰り返すだけの人」「言われたことしかできない人」だ。

実際、コンピュータの仕事をしていればわかるが、コンピュータは計算や間違いはないものの、自分で考えたり判断したりすることができないのだから、これが仮に人間だとしたら、決して賢いとは言えない。

「コンピュータに間違いはない」というと「やっぱりそういう仕事をしているから」と思われがちだがそうではない。
コンピュータそのもは論理的思考を電気回路で実現しているだけのものであって、その計算機にさまざまな論理的思考を人間の手によって植えつける(プログラミングする)ことによってコンピュータとしての処理を実現している。

例えば、1+1=2は普遍のものである。
これが普遍でなければ、すべての数字の大小関係や順序そのものが普遍でないことになる。
というか、これが普遍であるという前提に「数学」は成り立っているのであって、「1+1が3にも4にもなる」なんて「哲学」の話はコンピュータに関係ない。
数学という、普遍と決められた理屈を電気信号で繰り返すように作られているのがコンピュータであって、1+1が3になったりするのはそこに人間の介在(プログラミング)が発生するからである。

そんな決まりきったことしかできないコンピュータは賢いはずがない。
人間に対して使うのは、果たして褒め言葉なのだろうか。

2007年11月6日(火) 仕事の手段

個人で仕事をやっているとはいえ、仕事場に出向き、グループでスケジュールを組んで作業をしていることは、以前の会社員のころと変わりない。
ただ、「給与」ではなく「売り上げ」として手元にお金が入ってくるので、以前より、「仕事の対価を得るための手段」についてよりいっそう考えるようになった。

例えば、お客さんから、私の属するグループに対しての仕事の見積もりの依頼をもらった場合、グループ内で最も経験の豊富な私が、見積もりを作る。
見積もりを作るのは私だが、作業する要員は私ではないし、その見積もりの承認権限も私にはない。
これは今も昔も変わらない。

以前は適当に金額をはじけば、後は誰かがやるだろうし、その担当者の割り当てや、指示もグループ長の仕事だと軽く思っていた。
しかし今は、「この仕事をやるには○○さんがいい」とか「この時期なら私が指示できる」とか、そういうところを考えてグループ長に助言するようになった。

つまり、その仕事をこなして対価を得るという「目的」のために「手段」を考えるようになったのだ。

今日、依頼された仕事を、今まで取引のなかった会社に依頼したい、とグループ長に申し出た。
その会社とは取引がなかったが、個人的には一緒に仕事をしてよく知っている。
今回の仕事に対する技術力はあり、判断力も洞察力もなかなかのものを持っている。
何より、その会社と付き合っていくことで今後の私の仕事の幅が広がるからだ。

今までは私がこなしてきた仕事をその会社に割り当てることができれば、もっと多くの仕事を受けることもできるし、私を頼りにしてもらえる機会も増える。

まだ見積もりを作成したばかりで、何も決まってはいないのだが、それでも今までにない「手段」を考えたことがなんだかうれしい。

2007年11月7日(水) うちの学校話

今日は市PTA協議会の定例会。
いつもの全体会議を終えて、小学校部会を開催した。

部会長の私が司会進行する。
今回のテーマは前回に引き続き「各学校の活動」について。
前回配布した実行委員会のプリントを見ながら話を進める。

しかし、何か結論を出そうと言う会でもない。
私が部会長になってまず最初に話をしたのが「ひとつのテーマについて長く討議していくより、毎回毎回、気がついたことを話し会いたいと思います。別に結論が出ることを望んでいるのではなく、各学校の情報を交換し合い、それを自分の学校に活かせることが目的だと思います」

だから、話を進めていても、すぐに脱線し、「うちの学校の役員たちは」とか「うちの学校実行委員は」とか、「うちの学校」話に花が咲く。
でもそれでいいのだと思う。

普段は絶対にわからないような内容が、この会議ではわかるのだ。

誰かが言った。
「じゃあ、今度は各学校の実行委員会や役員などの組織がどのようにできているのか調べてみてはどうでしょうか」

そういうわけで私がアンケートを作成し、各会長に送ることになった。

2007年11月8日(木) 夜明けの空を見て

始発での出勤。
昨夜、仕掛けておいたプログラムが正常に動作しているかどうかを確認するためだ。

このプログラムが正常に動作していない場合は、処理を停止して復旧作業を行わなければならない。
復旧作業には小一時間かかる。
復旧作業をしている間はそのコンピュータを使用できない。
コンピュータが利用できないと困る人が大勢いる。

だからまだ誰も利用していない早朝のうちに復旧作業を済ませる必要があるのだ。

で、確認。
「やはり」正常に動作していない。

私が作ったプログラムなら私が修正することも可能だが、他のメンバーが作成したもの。
しかもそのメンバーは既に他のプロジェクトに参画しており、このプログラム修正作業にあたらせるわけにも行かない。
困った。
とはいえ、私が修正していては効率が悪い。

とりあえず、復旧作業をしてコーヒーを飲む。

夜明け前の山のシルエットを見る。
まだ眠っている町。



深呼吸し、作戦を練るために自席に戻った。

2007年11月9日(金) アンケート作成

仕事でも会議だったのに、夜も会議。
おとといが市PTA協議会の会議、昨日が市子ども会連合の会議、そして今夜は小学校PTAの会議。

秋祭りや文化祭など、小学校の委員さんたちが中心となって運営しなければならない行事はすべて終わり、役員としてやるべきことはまだまだ残っている時期ではあるが、気分は楽だ。
役員がやらなければならないことなら自分たちで話し合えって調整すれば済むことだが、委員さんが運営する仕事はこちらから指示する必要がある。
運営するのは実行委員とはいえ、具体的な指示はやはり我々役員から出さなければならない。
そのための段取りや計画など、いくらやっても十分と思えるところには達しないのだ。

今回の会議のテーマは秋祭りの成果と反省。
役員だけでなく、実行委員や地区長など秋祭りにかかわった人たちに意見を伺おうということだ。

みんなが言いたいところは実は聞かなくてもわかっている。
段取りが悪い、指揮命令が統一されていない、などなど、本部役員への不満があるはずだ。
しかし、それでも話を聞くのは必要だ。
いや、「意見を聞く」というか、「意見を言わせ」のが必要なのだ。
言いたいことを言わせないと、実行委員たちの不満がたまるからだ。

会議が終わって自宅に戻り、明日の実行委員会でみんなに聞くためのアンケートを作成した。
言われることもわかっているアンケートを書くのはなんだかむなしい。

2007年11月10日(土) 晩秋のビル街

仕事場は大阪の高層ビル街にあり、たまにではあるが、ビルの最上階のレストランで食事をすることもある。
そんなときに撮影したのがこの一枚。



実は昨年、ここで食事をしたときに撮影したものであるが、季節によって映り行く町並みを見るのが好きな私としては、どうしてもこの日記に載せておきたいと思ったのだ。

時間は昼の13時少し前。
久しぶりに再開した友達との食事を終えて外を見た。

昼間だというのに、日の射す角度が非常に浅く、晩秋の気配を感じさせる。

これからも町並みを写真に収め、記録していきたいと思う。

2007年11月11日(日) ドッジボール大会

今日は市子連(市子ども会連合)主催のドッジボール大会が開催された。
今年から市子連の評議委員となった私は今までのように「お手伝い」ではなく、中心メンバーとして早くから現地に集合しなければならない。

集合場所となっているのは近くの小学校。
集合時間は7時。
もちろん、夜ではなく、朝の7時だ。

まだ夜が明けて時間がなく、まして日曜日なので、町中寝ぼけているような空気が漂っている。
ガレージから車を出して、真っ赤で「かっこいい」と子どもたちに評判のオデッセイにのって現地に向かう。

現地には定刻より少し早く着たのに、すでに4〜5名のメンバーが準備を始めていた。
「おはようございます!」と挨拶すると、「しーっ!」と人差し指を唇に当てる。

民家が近いので、9時を過ぎるまでは大きな音を出してはいけないらしく、大きな声で挨拶をするのが市子連の特徴なのに、なんだか妙な感じだ。

集まったメンバーで荷物を運び、コートのラインを引き始める。
私も一緒にラインを引き、ドッジボールのコートを4面作成した。

2時間後、子どもたちが集まり始め、開会式の後、あっちこっちのコートで試合が開始された。

私も副審を務める。
主審といいたいところだが、細かいルールを知らなければ主審は務まらない。
子どものドッジボールとはいえ、コートの大きさもセンチ単位で正確に作るだけあって、ルールも非常に細かい。

そんな中、子どもたちの熱戦が続く。


(写真は一昨年の試合風景)

強いチームは保護者も熱心だ。
審判をやっているとそんな保護者たちから抗議を受けることもあるが、それも審判の役目。
強い態度で「今のはアウトです」と言い切る。

およそ3時間のトーナメントで、試合は昼を回ったころに終わった。

後片付けを終わったのは15時過ぎ。
その後また、仕事に出かけた。

朝からよく働く私である。

2007年11月12日(月) ブログ訪問

このサイトにもよく訪問してくれる友人がブログを始めたというので行ってみた。

最近よく見かけるブログの形式だ。
というかあれこそが「ブログ」と呼ばれるもので、私のは単なる「日記」だ。

「ブログ」から他のサイトへのリンクが張ってある。
「いかにもブログ」と言う感じだ。
「ブログ」にコメントできるところがあり、そこにコメントすると管理人が返事を書いてくれる。
これまた「いかにもブログ」という感じである。
何かテンプレートがあるのだろうか、「ブログ」の両脇にもリンクがならび、よく見かける体裁だ。
きわめて「いかにもブログ」だ。

別にそれが悪いと言うわけではなく、私の寂しいブログに比べたら、ちょっとうらやましくもある。
また内容がいい。

私の日記のように、「トゲトゲ」していない。
私の日記を見て誰かが言った。
「続けて読むとからだによくない」

まあ、ブログの体裁にしろ、内容にしろ、それを改めてしまったら「カリントホームページ」ではなくなる。
これからもドンドン、毒を吐き続けるぞ。

2007年11月13日(火) 交換日記

「はい、次、お父さんの番やで」
そう言って、次女が小さなノートを私に手渡した。

そのノートは何かの付録だろうか、かわいらしいキャラクターと花柄とハートマークがここかしこに描かれ、パステルカラーの罫線が、いかにも子ども、とりわけ次女のような「きれいなの大好き」っ子が、そこに一言二言、書き込まずにはいられないように微妙にレイアウトされたノートだった。

案の定、次女もたくさんの言葉を書き込んでいるようだ。
手渡されたので読んでみる。

「○○へ。さいきんさー、ひまじゃない?
 びみょーにヒマ!!」

なんじゃこりゃ。
「○○」は私の名前だ。
文章にも驚いたが、父親の名前を呼び捨てとは。

「これなに?」
と次女に聞くと答えが帰ってきた。
「次、お父さんが、返事を書くねん」

どうやら交換日記のようである。
「ははは。わかったわかった。んじゃ、返事を書くぞ」

と、返事を書いた。

「ゆきこさんとじーさんとばーさんとばーさんと
 ゆきこさんとじーさんとばーさん三人」

ついこの前、次女と一緒に風呂に入ったときに即興で作った変な歌の歌詞だ。

それを読んで次女は大笑い。
長女や母親に見せて喜んでいる。

小さい子どもは小さいことで本当によく笑う。
こんなことで笑ってくれるのなら、もっとそんな時間を作ってやりたい。

2007年11月14日(水) 18歳

18歳未満禁止。

以前は「パチンコ」や「車の運転」ぐらいしか思い浮かばなかったこの言葉に、今では少し淫靡な想像をしてしまうのは、世の流れのせいか。

先日、長男が誕生日を向かえ、18歳になった。
「見かけは30代半ば」と若ぶっている私だが、18歳の息子と相対して、自分の歳をいまさらながらに実感する。

結婚して勢いで買った中古マンションは、長男の幼児期を育んだ場所だ。
そのマンションを思い出すとき、必ず、その場面に幼い日の長男の姿がある。

銀色の絨毯を敷き詰めた部屋で、暴れまわる長男。
和室のふすまをピシャンと閉めて、ふてくされていた長男。
リビングのソファーでかわいい寝顔を見せる長男。
そんな長男が今、無精ひげを生やしている。

長男に、「俺より、背が高くなったら、しばく!」と、私が言っていたものだから、背比べをしないどころか、私と並ぶときは少しひざを曲げてはいるものの、私より背が高くなったのはおそらく一年以上前だろう。

まだまだ頼りないところはあるし、叱っていることのほうが多いが、それでも、もう18歳。
この日をずっと待っていたような、来てほしくなかったような。

成長を願うと同時に、離れていく日が近づく。

2年後の20歳を一番楽しみに、そして一番来なければいいのに、と思っているのは、世界中の誰よりも、この私だと思う。

2007年11月15日(木) 陽射し好き

最初に記憶にある家で見る直射日光というのは、「裏」と呼んでいた家の縁側に射すものだった。
縁側と言っても、田舎の家にあるようなものでも、アニメやテレビドラマに登場するようなものでもない。
私の生家は平屋の借家で、それがいくつも長屋のように並び、その一軒ごとになぜかしら、畳一畳ほどの小さな小さな中庭があった。

外から見えるわけでもなく、植木や花壇があるわけでもないその中庭は、土がむき出しで、ところどころに緑色のコケが生え、お世辞にもきれいなものではないし、ましてそこに降り立って、風情を感じるなどというものではなかった。

しかし、その中庭に射す、日差しが私は好きだった。

家は北向きで、東は大きなビル、西は同じ平屋、そして唯一南にあったのがこの中庭だった。
だから、家の中で直射日光を感じることができるのはこの中庭だけだったのだ。

次に思春期を過ごした家も同様だった。
北向きの家、南には大家の家とその石垣、東にも大きな壁、そして西側に窓はなく、ここでも直射日光は無縁だった。

そのためか、私は人一倍、太陽の光が好きだ。

電車やバスに乗るときなど、日差しがまぶしいとブラインドをおろす人が多い中、私は燦燦と降り注ぐ陽射しを満喫している。
だから、周りの人がまぶしがっていることに気がついてブラインドを慌てて下ろすことも多い。

だんだんと昼間の時間が短くなる中、気をつけないと、また回りの顰蹙を買うことになりそうだ。

2007年11月16日(金) のんびり会議

今年は中学校の役員をしていないので、中学校へ出向く機会は激減したが、それでも中学校校区内の小学校PTA会長として、中学校へ出かけることもある。
今日は中学校校区内の地域の人を対象として、年明けに開催される、地域フェスティバルの打ち合わせだ。
回を重ねてこれで3回目の会合。

市内で最も古い校舎を持つ中学校の廊下を校長室に向かって歩きく。
コンクリート製のざらついた廊下は小学校の廊下に比べて、年代を感じる。
校長室の前にある「来賓用」と書かれた下駄箱から、たぶん、他のスリッパよりも幾分ましだから「来賓用」なのだろうが、使い込んだ感じを受ける緑色のかたいスリッパを出す。
まるで履いていないかのように、廊下のざらつきを感じ取ることのできる、底の薄いスリッパで校長室に入る。
校長室のドアも、木製ながら非常に重く、少々傷んでいるので静かにドアを開けるということができない。

ガタガタガタ。
「こんばんは」と中に入ると、「こんばんはーー」と元気な声が返ってくる。

いつもテンションの高い、中学校のPTA会長の声だ。
それに続いて、聞きなれた校長先生と教頭先生の声も聞こえた。

いつものように座席につき、コーヒーをいただく。
遅れてきた数名を待って会議が始まった。

会議の内容も、ただ確認事項が中心で、特にもめることもない。
中学校の会議は毎回そうだ。
小学校に比べて、ああだこうだ、ともめることが少ないのだ。
いろいろな会議に出席するが、これほど気を抜いている会議はない。
とても楽だ。

まあ、他の会議も全部、この調子だと、それはそれできっとつまらない会議だろうが。

2007年11月17日(土) 非行防止決起大会

私の住んでいる町の中学校は、実は十数年前まで、荒れに荒れていた。
窓ガラスが一枚もない中学校として、全国でも勇名だった。
もちろん、生徒が全部割ったからだ。
それも一つや二つの学校ではなく、市内のほとんどの中学校がそうだったと聞いている。

そんな荒れた中学校の現状を見て、どこかの団体が言い出して始まったのが、今日、私も参加した、「青少年非行防止決起大会」だ。
今年で13回を数えるその大会には、私の知っている限り、もっとも多くの団体が参列する。
だから来賓も半端じゃない。
市長をはじめ、市議会議員、教育委員会委員長、青少年育成協議会会長、PTA協議会会長、ライオンズクラブ理事、子ども会育成部連合会長、市警察署長など来賓もそうそうたるメンバーだ。



ただ、その会場に来ているのはほとんどが「参加要請」の名の元に集められた各小中学校のPTAの人たちで、壇上と会場内の温度差は歴然。

来賓の長々とした挨拶の後、本題に入ったのだが、結局、大会宣言文を読み上げるだけの内容で、あとはお決まりの音楽演奏。

荒れた学校を建て直そうとこの大会を始めたころの、あの熱意は、喉もと過ぎて忘れたのだろうか。

2007年11月18日(日) オープンスクールにて

今日、高校では「オープンスクール」として、中学生や保護者向けに校内を開放し、クラブ活動や授業の内容などを、説明しているのだ。
高校は、中学校や小学校と違い、入学する側がどこに行くかを選択する自由度がとても大きい。

人が来なければ学校として成り立たない。
人が来ないと、お金も集まらなければ、設備もそろわない。
設備の整っていない学校では、まともな授業も受けられず、進学も難しくなり、就職にだって影響が出る。
そんな学校には人が集まらない。

と、悪循環に陥る。
だからどの学校も、生徒を集めるのに一所懸命だ。

オープンスクールでは保護者向けの説明会が開催される。
学校から私への依頼はもちろん、その説明会で保護者としての生の声を、説明会へ参加した保護者の方々へ聞かせること、だ。
いつもは歴代の会長がやっていたが、今日は会長が不在で私が代行することになった。

説明会でも、いつものように保護者たちと対面するように校長と並んで前に座る。

「以上で学校の説明は終わりです。それではいよいよ、実際にお子さんが本校で学んでおられる保護者の方のお話をお聞きいただきたいと思います。本日は保護者を代表しまして、副会長の○○(私)さんにお話いただきます」

そう言われて私は挨拶をし、そして説明を始めた。

学校の仕組みなどは正直わからないので、生徒を見て感じたことを中心に話をした。
学校ですれ違うと役員でもなかった私に気さくに挨拶をしてくれる生徒、運動会では自分たちでいろいろ考えて先生たちを驚かせる生徒、そして最後には感動して涙を流す生徒。
そんな生徒の話をした。

「受験生を育てるなら、もっといい学校がほかにもあると思います。
 お嬢様を育てたいなら、もっといい学校がほかにもあるでしょう。
 でも、人間を育てたいのならこの学校はとてもふさわしい学校です。
 長男は今年で卒業しますが、中学校三年の長女がこの学校に入学したいといっています。
 ほかの学校は受験すらしない、と言っています。
 おそらく、長男の姿を見て、自分もこの学校へ行きたいと思ったのでしょう。
 私もこの学校が大好きです。
 来年もこの学校でPTA活動することを楽しみにしています。

 ・・・。

 もし、残念ながらほかの学校へ進学することになったとしても、来年の春、桜の花が咲くころ、是非この学校を訪れてください。
 この学校の桜の花は、とてもとてもきれいに咲いていますから。」

そう締めくくって席に着くと拍手が沸いた。

横に座っていたもう一人の副会長の女性が小声で話す。
「私、説明会に参加したのは今日で4回目ですが、拍手が沸いたのは初めてです」と驚いたような顔をしていた。

入学募集の宣伝ではなく、好きなものを本当に好きだということを伝えようとすれば、気持ちは伝わるものだ。

2007年11月19日(月) 新幹線でビール

東京での会議が思ったより長引いてしまったので、市PTAの役員会を欠席することを決めたのは、東京駅についたころだった。
今から新幹線に飛び乗ったとしても、みんなと合流できるのは21時を過ぎる。

いつもならまだまだ仕事をしている時間、いや、ちょうど折り返し地点というぐらいの時間だったが、大阪に戻って仕事をしてもそれほどこなせるわけではない。

PTAの会議にも行かないし、仕事もしない。
そこで久しぶりに、ゆっくりと新幹線の中で飲んで帰ることに決めた。

今日は自由席なので、お弁当とビールを買って、席を取るために並ぶ。
もちろん禁煙車両だが、案外新幹線の自由席というものは空いている。

発車時刻の30分前から並んでいる、というとかなり待たされているように思うかもしれないが、実際のところ、発車時刻の15分ぐらい前には新幹線もホームに到着している。
だから実質は10分程度待てば、ゆっくりと座席でビールが飲めるのだ。

いつものように二人がけの窓際の席に座って、弁当をつまみにビールを飲む。
弁当を食べ終わるころ、ちょうど新幹線が駅を出る。

後はゆっくりと車窓を眺めてビールを飲むだけ。
すっかり暗くなった町を横目に、深く深呼吸をしてシートにもたれかかった。

明日もまた忙しい一日が待っている。

2007年11月20日(火) 次女と公園

先日の日曜日のこと。
「公園でもいいから連れて行って」と次女に言われた。

そういえば次女とどこかへ遊びに出かけたのは5月のゴールデンウィークが最後。
それも、子ども会の行事として出かけたイチゴ狩り。
次女と遊びに行くことを目的として遊びに出かけたのは、もっと前のことだろう。

胸に突き刺さる言葉だった。
前日の疲れもあったし、夕方から仕事もあったので、もう少し休養したいところだったが、次女のことを考えると、そうも言っていられなかった。

「よし、行くか」
「やったー。じゃあ『あかぐる』公園に行きたい!」
「『あかぐる』公園?」
「うん。赤いやつがぐるぐる回るから『あかぐる』公園」

いったいどんな遊具があるのだろうかと、思いながらその公園へ。
で、これがその遊具。



本当は立って乗るものだろうが、次女はこのように乗るほうが面白いようだ。

「お父さん、本気でまわして」というから、思いっきりまわしてやった。

最初ははしゃいでいたが、酔ってしまったのだろうか、気分が悪くなったようだ。
もしかして嘔吐するかもしれないと思っていたら、「前はここで吐いてん」と次女が公園の一角を指差した。

なんだ、もう経験済みか。
少し収まるとまたこの「あかぐる」に乗って再び笑いながらまわり始めた。

久しぶりの次女との公園、いろいろな発見もあり、楽しい時間だった。

2007年11月21日(水) 仕事のできる場所

久しぶりに汎用機のシステム構築作業をしている。
その構築作業はマシン室と呼ばれる部屋で行う。
マシン室は、コンピュータのために作られた部屋であって、人間の居住性はまったく無視されている。

クッション性のまったくない硬質の床。
床のところどころに開けられた穴からは、コンピュータを冷却するための冷風が勢いよく吹き上げる。
外部から見えないように窓はなく、明かりは蛍光灯だけ。
雨が降っているかどうかどころか、夜なのか昼なのかさえもわからない。
防犯カメラがところどころにあって、いつも見張られている。
飲食物はもちろん、携帯電話をはじめ、私物は持ち込み禁止。

体だけでなく精神衛生上もよくない。

そんなマシン室での仕事を集中して行う。
今日で二日目。

でもここにいればユーザからのメールも電話もない。
決して仕事が片付くわけではないが、自分のペースを乱されることなく仕事ができる。

早くここを出て普通のオフィスで仕事がしたいと思うが、そこにはメールや電話など矢継ぎ早に舞い込む仕事が待っている。

どこにいても今は、楽しく仕事のできる場所がない。

2007年11月22日(木) 突然の空白

明日は夕方から仕事の予定だった。
夕方からいつもの仕事先でサーバの設定変更作業を実施する予定だった。
しかし、それができなくなった。

前日になって仕事をしている私のところへ連絡があった。
「明日はこの事務所のクリーニング作業がありますので、立ち入り禁止になります」と。
もっと早く連絡してくれないと仕事のスケジュールもあり、困ることも多いのだが、大事な取引先でもあり、あまり強くは言えない。

というわけで突然仕事ができなくなり、当然仕事を予定していたのは子ども会もPTAも仕事がないからであり、空白の一日が誕生した。

明日は何をして過ごそうかと考える。

子どもと遊ぶもよし、買い物に出かけるもよし。
本屋で本を読むのもいい、近所の公園へ散歩するのもいい。
録画してまだ見ていない映画を見たり、パソコンのデータを整理するのもいい機会だ。

そんなことを考えながら、とりあえず、ビールを買いに出かけた。
朝早く起きる必要もないので、ゆっくりと酒を飲むことができる。

まずはビールだ。

2007年11月23日(金) 貴重な休日の光景

休日とはこういうものだと思う。

前日は遅くまで酒を飲んでいたが、深酒ではなく、二日酔いもない。
目が覚めて、とりあえずビールを飲む。

私は本当に何もしなくてよい休日には、朝から酒を飲む。
酒を飲むことが、今日はこれから仕事をしない、ということの宣言になるからだ。
朝から飲むということは、その日一日、仕事がないことを意味している。
久しぶりに朝から酒を飲む。

たまっていた映画を見ながら朝昼兼用の食事をする。
体も動かさないといけないので、外に出て次女と家の前で遊ぶ。

それから買い物にも出かけた。
朝から友達のところへ出かけてしまった長男を除き、嫁さんと長女と次女とを連れて。

近所のスーパーまで電車で出かけて、冬服を買う。
次女はお気に入りのカードゲームをするのが楽しみで、スーパーのゲームコーナーへ行きたがる。
ワイワイいながらフロアを歩き、ああでもないこうでもないと話をする。

ごく普通の光景だが、長い間、見ていなかったような気がする。
貴重な一日だった。

来年、仕事が落ち着けばこの日常が戻ってくるだろう。

2007年11月24日(土) 高校の小中学校交流

夏休みが終わったろ、市内にある公立高校から、恒例となっている交流会の呼びかけがあった。
市内の小中学校のPTA役員たちと、高校のPTAが交流することによって、自分たちの高校のよさを知ってもらおうというのが狙いのようだ。

ところがそのときから困っていた。
今日の交流会は昼過ぎから16時まで開催されるが、15時から高校のブロック大会があるからだ。

小学校のPTA会長としてこの交流会に参加したいが、高校のPTA副会長としてブロック大会に参加したい。
考えた挙句、結局、交流会には途中まで参加することにした。

そもそも、この交流会を開催している高校、この高校のPTAも、ブロック大会に参加するはずなのだ。
去年も同じように、ブロック大会と交流会同日に開催され、この高校はブロック大会に遅れて参加していた。
ま、この学校の都合で仕方なく、この日を交流会の日にしているのだろう。

昼過ぎに、高校までタクシーで向かった。

舞台となっている視聴覚室には100名程度の保護者がいた。
資料を取り、空いている席に座る。
舞台に登場したのは保護者ではなく生徒だった。

「これからオープニングセレモニーとして私たちの演奏をお聞きください」
たどたどしい言葉でバンド活動をしているという自分たちを紹介し、演奏を開始した。
高校生らしい演奏が終わると、今度は学校紹介が始まった。

ビデオで作成されたそれはとてもわかりやすいもので、私の高校としても学ぶべき点はあるように感じた。
介護の実習では、寝返りの打たせ方や車椅子への誘導など、なかなか目の当たりにすることの少ないものを、生徒たち自身がわかりやすく解説していた。

実に興味深いもので、最後まで見ていたかったが時間の関係で途中退席することになった。

来年もぜひ参加したいと思った。

2007年11月25日(日) 高校ブロック大会で

先日、開催された、高校のPTAブロック総会でのこと。

ブロック大会にはいくつかの市から、その市内にある公立高校のPTAの役員さんや
校長先生が集まり、事業活動報告や今後の活動予定などを話し合うが、メインはその後に開催される親睦会にあるのだろう。
総会の間は眠そうになるのを我慢して着席している人が多い。
私はこういう会議には慣れているので、ちょっとやそっとじゃ眠くならないし、本当に退屈な仕事の会議に比べれば、まだ新鮮味があって面白い。

その会議の席にとても強面の男性がいた。
どこかの学校のPTA会長であり、かなりの『武闘派』であることを小耳に挟んだ。
なるほどわかりやすい顔と出で立ちであり、私の周りにはいないタイプの人だ。

会議が終わって懇親会も中ごろ、各学校ごとの自己紹介が始まった。
しきたりとして、創立年数の古い学校から挨拶することになっている。

自己紹介が始まると、最初のうちはみんな、挨拶している人の話を聞いているが、ほとんどが話しべたの人の挨拶。
マイクを通してもボソボソ声で、自分の名前を言ってペコッと頭を下げるだけ。
可愛い幼稚園児がたどたどしい言葉で挨拶をする発表会でもあるまいし、こんな面白くもない挨拶を、飽きもせずに見ていろと言うほうが無理だ。

次第に私語が多くなる。
丸いテーブルに学校ごとに分かれて座っているのだからそうなるのも時間の問題だった。
私語はやがて大きくなり、挨拶している人の声が、マイクを通していても聞きづらくなる。

そんなざわざわとして、自己紹介をやるほうがつらいような状況の中、先の強面のPTA会長が挨拶することになった。
司会者に手渡されたマイクをマイクスタンドに置いてスイッチを切る。
そして半歩下がって、息を吸い込んだかと思うと・・。

「わたくしはーー!
 ○○高校ーっPTA会長ぉーっの!!
 ××とおーーっ、申しますーー!!」

・・・

とたんに会場は静かになった。
怒鳴るわけでもなく、一喝するわけでもなく、たった一言の挨拶で、みんなに注視させた。

見た目は強面で、正直、近寄りたくないし、友達にもなりたくない感じの人だ。
服装だって、上品と言う感じではなく、威圧感がある。

しかし、上品な服を着て、上品にお化粧して、上品な言葉でぺちゃくちゃと、しゃべっていたおば様たちに比べれば、その強面の人は格段に「品」があった。

2007年11月26日(月) 日常の風景

我が家の日常の風景である。



食事の後、まだ片付いていないテーブルの横で、子どもたちが遊び始める。
それぞれにテレビゲームを持ち、別々のゲームをしている。
一見すると、一緒に遊んでいるようには見えないが、子どもたちは子どもたちで、これは一緒に遊んでいるつもりなのだ。

長男と次女の間には10歳の歳の差があり、二人が同じ遊びで意気投合することはまずない。
外で遊ぶにしても、家で遊ぶにしても、まだママゴトをするような次女と、18歳を超えた長男とでは同じ遊びを同じように楽しいと感じることはない。

3歳違いの長男と長女がひとつのゲームを、お互いに「ああでもない、こうでもない」といいながら楽しそうにやっていると、次女も一緒にやりたくなる。
でも、おにいちゃんやおねえちゃんが楽しいと思うゲームも、次女にとってはなんだか難しくてつまらない。

だから、自分用のゲームを、おにいちゃんやおねえちゃんと同じ場所で、同じようにゲームをすることで、一緒に遊んでいる気分になるようである。

少々、かわいそうな感じもあるが、本人たちはいたって楽しそうで、上手くクリアできたときなど、だれかれかまわず、ゲームを見せて、喜びを分かち合っている。

高校生と中学生と小学生。
性別も異なるこの三人が、自分の部屋に行くこともせず、同じ部屋で肩を寄せ合って遊んでいる姿は、その内容がたとえテレビゲームであっても、親としては心安らぐものである。

2007年11月27日(火) 面接

今の仕事のプロジェクトには技術者が足りず、以前からメンバーの追加を要請していたが、ようやく条件に合う人が見つかり、面接をすることになった。
面接されることはあっても、面接する側になったのは初めてだ。

仕事の合間を縫って、プロジェクトのリーダーやマネージャと一緒に、面接場所へ向かう。
そこには派遣会社の営業マンと思しき、スーツを見事に着こなしたさわやかな青年がいる。
その隣にいたのは非営業マン。
技術者とは言わないが、決して営業マンではないと思われる人。
見た目では平均点ぐらいか。

「見た目」とは何も顔の良し悪しではない。
お客さんに接するときに、どのような雰囲気を与えるか、だ。
やはり笑顔や、身なりは大事だ。
軽い身のこなしや、機敏な動作は印象もよい。
逆に、決断するのに時間がかかったり、動作が緩慢だと印象は悪い。

挨拶もそこそこに、面接に入る。
簡単に履歴を聞く。

コンピュータに携わる仕事にもいろいろある。
設計や企画をする人、それに沿ってプログラムを作る人、できたプログラムを運用する人。
最も「技術力」が必要なのは「設計や企画」だと思う。
プログラムを作るうえで必要なのは技術というより、論理的な思考だ。
そして運用をする人に求められるのは何より堅実で実直なこと。

私が求めていたのは技術者だったが、今日の面接相手は運用担当者だった。
残念ながら技術的に不足しているという事実は否定できず、今日はお引取りいいただいた。

しばらくは、人手不足の日々が続きそうだ。

2007年11月28日(水) 謝罪だってお手の物

コンピュータの仕事では技術的な対応ばかりではなく、時にはお客のところへ出向いて謝罪をしなければならないこともある。

今回はパッケージ製品をご利用のお客からのクレームだ。
もちろんパッケージ製品を作ったのは私ではないし、販売したのも私ではない。
環境を構築したのも私ではないし、お客に薦めたのも私ではない。
お客の担当SEが私なのだ。
システムに関してお客から何らかのクレームがあった場合、営業担当者はもちろん、SEとして私も対応することが多い。

約束の時間、客先のビルに集合する。
集まったのは私と営業担当者、それにパッケージの開発担当者や販売担当者が3名。
あまりぞろぞろと行くのは好きではないが、パッケージの開発担当者は、自分たちの製品がお客に理解してもらえるかどうか、心配で仕方がないようだ。
事前の打ち合わせでも、どう話をすればわかってもらえるか、しきりに悩んでいた。

いよいよお客と対面し、今回のクレームの元となったパッケージ製品の仕様について、開発担当者が説明を始める。
なんとも頼りない説明で、お客も眉をひそめている。

営業担当と開発担当者のこめかみに汗が流れ、私のほうをちらっとみる。

「実はですね」
と私が唐突に横から切り出した。

「お客様からご要望の機能については、その実装について開発元でも考慮しておりました。しかしながら、その機能を包含すると、それ以外の部分を犠牲にしなければならなくなります。というのも、すべての機能を兼ね備えると、リソースを多く消費し、小回りの効かない製品となるからです。ご存知の通り、他の製品に比べてリソースの消費量が少なく、小回りが利くところがこの製品の特色でもあり、御社がこの製品を採択された理由のひとつです。そして、これをご利用いただくことで、業務改善された点についてはご認識いただいている通りです」
と続ける。

要するに、パッケージ製品は適材適所で選ぶべきであり、なんでもかんでも、思ったようなつくりにはなっていないし、そうなっていないのには理由がある、ということだ。

いつものように流暢に説明すると、お客もしきりにうなずき「なるほど、そういうことだったんですね」と最後は笑顔になって理解してくれた。

営業担当者や開発担当者には、また私の強みを見せ付けることになった。

2007年11月29日(木) ビルとツリーと

大阪の中心にそびえ立つ、高層ビルにあるユーザ先を訪問した。
ビルの足元は広場になっており、時折、何かしらのイベントをやっている。

その中でも今は、一年中でもっともきらびやかな様相を呈している。
クリスマスだ。

広場の真ん中にこれまた背の高いクリスマスツリーが飾られていた。



最新のビルのこれでもかというほどの幾何学的で無機質で威圧的な姿に対して、木という有機物でありながら、その鋭い三角形でビルを突き刺すように上を目指すツリーの姿は、とても挑戦的に見える。

やがて日が暮れて、電飾に灯がともされる。



昼間とは立場が逆転したかのように、ツリーがその存在感を高めている。

そして周りにもそれを取り囲むかのようにたくさんの電飾が施されていた。



だんだんと忙(せわ)しなくなるこのごろ。
明日で霜月も終わりを告げ、いよいよ師走がやってくる。

2007年11月30日(金) 窓越しから

食事を終えてビルから窓の外を見た。
師走を前にすっかり寂しい景色になっているだろうと思ったが、思いのほか色づいた木々がまだそこにあった。



早春にはさまざまな種類の梅の花が咲き乱れ、春は屈指の桜の名所となって人を集め、秋の紅葉も写真の通り。
名城、大阪城とその周りを彩る木々。

目と鼻の先の身近な場所ではあるけれども、そこへ行く機会はめったにない。
観光客も多いこの場所だが、目の前にあるとなかなか足を運ばないものだ。

たまには、暖かいビルの中から見る、冷たい窓越しの風景ではなく、北風に肩をすくめながらも、色づいた木々の元で、その匂いを感じて見たいものだ。

[先月] [目次] [来月] [最新版] [トップ]

info@karintojp.com
Akiary v.0.51