カリント日記

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2007年12月1日(土) 小林さん

市のPTA協議会で忘年会が開かれた。

私の隣に座った女性は、月に一度の定例会にこそ出席するが、それ以外の各団体の講演会などにはほとんど出席をしない、会長だった。
だからあまり話をする機会がなかったが、とても人懐っこい人のようで、すぐに打ち解けて話ができるようになった。

しばらくすると、その女性が私の肩をたたいて、聞いてきた。

「なあなあ。あの、今、ビール持ってついで回っている人、誰?」
PTA協議会の役員さんの名前を知らないとは。

「あの人は○○小学校の××会長さん」
「あ、そうそう。なんか、そんな名前やと思っててん」

「なあなあ。さっき乾杯した人、誰やったっけ?」
協議会会長の名前を知らないとは、困った人だ。
自分が所属している会の会長ぐらい覚えておかないと。
小学校の副会長が、あなたの名前を知らないのと同じだ。

もしかして。

「ところで、私のこと、知ってますか?」
と聞いてみた。

「知ってるよー。小学校部会の会長さんやろ。毎月の小学校部会で話、してるやん」
「いや、そうじゃなくて、名前」

「あはははは」
「あはははは、って笑ってないで」

「えーと」
「えーと?」

「えーと・・・・小林さん」
「はあ?」

『小林さん』はこの協議会の中にいない。
どころか名前に「小」や「林」のつく人すらいない。

「あ、じゃあ、もう、『小林さん』でいいです」

結局、本当の名前を教えないまま、その日は終わった。
この調子じゃ、新年の互礼会のときも、気がつかないままだろう。

2007年12月2日(日) 猛烈な二日酔い

猛烈に二日酔いである。
市P協議会の忘年会は近所の宴会場で開かれて、その後はいつものようにカラオケに行った。
でも、そこからがよくない。

ある会長に「飲み屋をしている知り合いがいる」と言われ、誘われるままにほいほいついていった。
ほいほいと言っても、歩いていける距離ではなかった。
タクシー2台に分乗して揺られていかなければならない。

片道およそ3,000円。
近所の居酒屋でゆっくり楽しめる値段を支払ってたどり着いたのは昼間の仕事場の近く。
カウンターの席に数人並んで座ると、そこへ導いた会長はカウンターの中いて、見事に店の人に溶け込んでいた。
もともとそんなイメージのある人なのでまったく違和感がない。

そこで結局、3時過ぎまで飲んでいた。
こんな時間まで外で酒を飲んでいたのはおそらく20年近くない。

というわけで今日は二日酔いである。
今はもう、酒など見たくもない。

2007年12月3日(月) 思い出に残る昼下がり

先日の休日に職場へ出かけたときの風景。
とても風が強く、足元を枯葉が舞い、それで改めて気がついた。
街路樹がこれほど色鮮やかに紅葉していることを。

その姿を一番美しく写真に納められる場所を探していたら、横断歩道の真ん中であることに気がついた。
そして車が来ない隙をついて一枚。



よく見ればすでに葉の一枚も残っていない木もある。
もっと早くに気がつけば、もっと美しい姿を写真に収めることができたかもしれない。

でも、考えてみれば、過去にこの写真を撮ったことがなく、結局、数年の歳月を経てようやく気付くものだと知った。
休日に散歩する近くの公園と、仕事場として捉えているこの場所と、気持ちひとつで気付き方が異なるようだ。

ビルの裏側に回ると、さらに風が強く、枯葉が笑うようににぎやかな音を立てて、私の足元を駆け抜けて行った。



好きな人と歩くとそれだけで思い出になりそうな、冬の昼下がりだった。

2007年12月4日(火) 寒いときは

昨日、今日と急激に寒くなった。
仕事帰りにビル街を歩いていると、夜風がスーツと体の隙間に入り込み、論理的にも物理的にも懐(ふところ)が寒くなる。

しかし、寒いのは嫌いではない。
むしろ凛とした気分になるので好きだ。
次女が出演したミュージカルの歌にもあった。
「冬は寒いけれど嫌いじゃない。冬の寒さを乗り越えることでまた強くなれるから」

私が思春期に育った家は、日光が入らずに隙間風が入り込む、じめじめとしたカビ臭い平屋だった。
毎朝目が覚めると、天井に向かって吐く息の白さで、その日の気温を感じ取っていた。
電気ゴタツをつけてもすぐに温まるはずもなく、それでも温まることを期待して、足を突っ込んでいた。

そんな環境の中、ぬくぬくと過ごすことは悪いことだと感じるようになった。
今でも、家族の中ではダントツで寒さに強い。
実際、家族がファンヒーターをつけるような部屋では、半そでだ。

寒さに鈍感なわけではない。
腕も脚も冷たくなっているし、気を抜くと鳥肌が立ってしまう。
でも、暖房機の前に座り込んだり、厚着をするのは自分を甘やかしているようで嫌なのだ。
寒ければ、手でも足でもこすり合わせるなり、力をこめて熱を発するなり、すればいい。

もっと何もない国の人を思えば、どうってことはないのだ。

2007年12月5日(水) 毎日働く

「久しぶりに働くと毎日疲れる」

子どももいない若い専業主婦が、久しぶりに外で働けばそう思うのも仕方がない。
本人は何も悪気があったわけではなく、ふと漏らした本心なのだろう。
私だって連休明けに仕事をしたときなど「久しぶりに働いて疲れた」と言う言葉を使うことはあるかもしれない。

私の住んでいる町には母子家庭が多い。
私の親しい人だけでも片手だけでは収まらないぐらいいる。
そして、みな驚くほど働き者である。

始発の電車で仕事に行く人、終電で帰ってくる人。
外回りで歩き回る人、車で走り回る人。

もちろん、お母さんとして家事をこなしていることは言うまでもない。
子どもたちの食事を作り、洗濯をし、掃除をする。
子どもたちと役割分担はあるものの、やはりお母さんとしての仕事は多い。

何より驚くのは、私の知り合い=子ども会の世話役、であって、彼女たちは揃いも揃ってそういう場所でも活躍している。
自分の子どもだけでなく他の子どもたちの面倒まで見ているのだ。

そんなことを毎日繰り返している。
仕事と家事と子ども会と。
「久しぶりに働く」どころか「働かないと食べていけない」と言う状況の中で、これを繰り返している。

そんな人たちが「久しぶりに働くと毎日疲れる」なんて言葉を聞くと「お気楽なご身分」といった印象を持つのも仕方がない。

2007年12月6日(木) 発作

風邪を引いて寝込むようなことはほとんどなく、健康な毎日を送っているのだが、それでもこの季節の朝方に起きる発作がある。
喘息だ。

喘息は生まれつきだったわけではない。
社会人になってしばらくしてから発症した。

ある日突然だった。
寒くなり始めたある日の明け方、息苦しくて目が覚めた。
息を吸っても胸の中に入ってくる感じがしない。
正座をして、両手を前に着き、肩を上下させて大きく息をしないと苦しい。

結局そのまま朝を向かえ、出勤の準備をする。
病院へ行ったほうがいいという嫁さんの言葉も聞かずに、そのまま会社へ行こうと家を出た。

徐々に苦しくなっていたがやがて収まるだろうと歩き始めて2分。
ついに動けなくなるほど苦しくなった。
本格的な発作である。

何とか自宅に戻ったが、これほどまでに自宅が遠いと感じたことはなかった。
嫁さんの運転する自転車に乗ったのは、高校生のころ、ふざけて一度やたことがあるのとこのときだけだった。

そのまま病院へ行くと聴診器で胸の呼吸音を確認した後、すぐに「メプチン」という気管支拡張剤を吸引した。
すると、今までの苦しさがうそのように楽になった。

メプチンは喘息患者ならほとんどの人が持っているはずだ。
そのメプチンの世話にならなければならない季節が今なのだ。

人より眠りが浅く、そのため長時間の睡眠を必要とする私にとって、明け方に苦しさで眠りから覚めることは、39度の熱を出して苦しむより辛い。

これがなければ、もっともっと元気に動き回るのに。

2007年12月7日(金) やんちゃな忘年会

子ども会と言っても役員はみんな大人。
その大人だけが集まるときはもちろんお酒も飲む。
今日はその子ども会の親玉である市の子ども会育成部連合、通称、市子連の忘年会だった。

市内各地から集まる役員は、各校区で校区長を務めている人がほとんどで、校区長というのは、複数の子ども会を束ねる立場であり、やはり子ども会の会長を経験した人が多い。
子ども会の会長をやるときは自分の子どもが小学生であることも多いが、経験を積んで校区長になるころには、子どもも小学校を卒業し、そして後任がいなければ辞めるにやめられなくなる。
だから、市子連の役員はみな、私よりも年配の人が多い。

そしてこの市子連の忘年会には、市の教育委員会の人も来る。
いつもは来賓として胸にバラをつけているような人も、この市子連の忘年会ではマイクを持って歌う。

若い私は盛り上げ役だ。
みんなより2時間遅れで到着した私に「駆けつけ3杯」と、ビールを注ぐ。
手拍子に合わせて一気に飲み干し、コップをおくと拍手が沸く。
じゃあ次は私からと、別の人がビールを3杯注ぐ。
もちろん、それも一気に飲み干す。
豪快に飲んだ後は、饒舌になってまわりを笑わせる。

誰かがカラオケを歌えば、なべのふたをもって誰かが踊りだす。
それを見て箸でビール瓶をキンキンと打ち鳴らす。
私がノリノリの曲を歌えば、お母さんたちが踊りだす。

「いろんな飲み会に行きますが、市子連が一番、元気でやんちゃです」と教育委員会の人が言う。
いつもの厳しい顔つきではなく、本当に楽しそうな顔で。
私自身もそう思う。
みんないつまでも元気な、おじさんおばさんでいてほしい。

2007年12月8日(土) 餅つき準備

市子連の忘年会でかなり飲んでいたので、ゆっくり寝ていたいところだが、今朝は小学校PTAの実行委員会があった。
おまけにその後には翌日に開催される校区子ども会の餅つき大会の準備が控えていた。

12月の実行委員会はのんびりしたものだ。
各委員さんの仕事もほとんどなく、また、参加要請をするようなイベントもしばらくはない。
型どおりの報告を済ませて、1時間ほどで会議を終えた。
会議で使った長机をさっさと片付け、パイプ椅子もせっせと運んで片付けた。

走って運動場に出る。
子ども会の準備のための集合時間を一時間ほど経過しているからだ。

運動場に出ると、いつもの校区子ども会のメンバーが揃って、準備をしていた。
「すみません。遅くなって」と挨拶をすると「おはようございまーす」と元気な返事が返ってくる。
早速、トラックから荷物を積み降ろす作業を手伝いながら、今日の段取りを校区長に確認する。

お母さん方のお手伝いはもち米の準備などで、もうほとんど終わっており、これから先は力仕事ばかりなので、お母さん方には引き上げてもらうことにした。
明日もまた朝からお手伝いをお願いしなければならない。

私と校区長は餅つきのセットを近くの自治会から借りるために車で向かう。
物置小屋に案内されて中に入っている餅つきセットを運び出す。
相当に重い石臼を持ち運ぶのに、二人でヘロヘロになった。

こんな重いものを持ち運びながらも、二人は笑っている。
誰かにやれといわれたものでもないことだし、餅つき大会をしようと言い出したのも、我々二人だ。

いつでもやめられることだし、誰にも文句を言われることはない。
けれども、きっと来年、またこの重くて大きな石臼を二人で笑いながら運んでいるに違いない。

2007年12月9日(日) 餅つき大会

餅つき大会当日。
朝からみんなで分担して作業を始める。
お母さん方は調理の準備、我々男はかまどを組み立てる。
ドラム缶を切って作った手作りのかまどだ。



やがて子どもたちがぞろぞろやってきた。
そして楽しそうに餅をついたり、餅を丸めるのを手伝う。
もちろん、その場で食べることもできる。
今年はぜんざいも作った。



学校行事では校庭での調理をやめてほしいと校長に押し切られたが、子ども会は別だ。
学校内の利用について、校長の許可を得る必要はなく、教育委員会に許可を得ればいいのだ。

普段はあまり参加しないお父さんたちも餅つきのときには手伝いをしてくれる。



楽しい餅つきは昼過ぎに終わり、子どもたちが帰った後、大人たちで後片付けをした。

そしてその大人たちも帰った後、私と校区長で最後の点検をする。
誰もいなくなった校庭はとても寂しい。



今日の騒ぎもうそのように静まり返る。

空を見上げて、深呼吸。

ぽっかり浮かんだ雲が、ねぎらいの言葉を掛けてくれたような気がした。


2007年12月10日(月) 筋肉痛

背筋が痛いのは明らかに餅つきによる筋肉痛だ。
座っていればどうってことはないが、立ち上がろうとすると誰かに押されているような感じがする。
でもからだを動かした後の筋肉痛と言うのはそれほど嫌ではない。

普段からだをほとんど動かすことのない仕事をしている中で、例えば運動会などで走っても筋肉痛にならないように、筋肉を使うように心がけているのだが、背筋などが筋肉痛になると「ああ、ここの筋肉を普段は使ってないのだな。今度からは意識しよう」と、前向きに考えている。

そういえば、運動会に助っ人に来てもらった仕事仲間も言っていた。
「運動会の翌朝は筋肉痛で一日中ごろごろしてました。でも、久しぶりの筋肉痛がうれしかったです」と。

この筋肉痛の分だけ喜んでくれた人もいる。
この筋肉痛の分だけ人の役に立てた。
この筋肉痛の分だけ私はまた、身も心も成長した。

そう思うとむしろありがたい、筋肉痛だ。

2007年12月11日(火) ゆうしんはまたま

ゆうしんはまたま、しなおごめ
えびしぶはらよ、しんしんば
しろいけつかも、こめたにし
にっぽりうぐぱん、おかきかん。

まじないや呪文ではない。
これはあるものの覚え方だ。
googleで検索してもヒットしない。
我流だからだ。

有、新、浜、田、品、大、五、目。

これなら分かるだろうか。

恵、渋、原、代、新、新、馬
白、池、塚、鴨、込、田、西。

と続く。

最後は、

日暮里、鶯、パンダ、御徒、秋、神。

つまり、東京の山手線である。

西日暮里までの順番は、ずいぶん前に覚えたのだが、そこから先、神田までがなかなか覚えられなかった。
いくら考えても、良い語呂にならなかったのだ。

鶯谷と上野がネックだった。
仕方が無いので、上野を動物園から「パンダ」と呼ぶことにした。
鶯谷とパンダで、「うぐぱん」。

まあ、「うぐぱん」を語呂がいいと評価してもらえるとは思わないが、これでようやく、覚えることが出来た。
物事を覚えるのに、20年近くの歳月を費やしたのはこれが初めてだ。

もっとも、一番覚える気がなくて覚えようとしたのも、これぐらいだけれど。

2007年12月12日(水) 数秒の富士山

東京へ行く新幹線。
今日は久しぶりに三人がけのシートの窓際に座った。
ほとんどの場合は二人がけのシートの窓際に座るし、また、ほとんどの人がそのように座席を確保する。
別に混雑していたわけではない。

新大阪発の「のぞみ」なら、別に並ばなくても好きな席に座れる。
それでもあえて三人がけのシートに座ったのは、久しぶりにこちらの窓から見える富士山を見たいと思っただけ。

二人がけのほうから富士山を見るのはよくあることだし、ほとんどの人がそちら側しか富士山が見えないと思っているが、実際には静岡の駅の手前、安倍川を渡る数分前に三人がけの座席の窓側の座席から富士山を見ることができる。

そしてその富士山は逆の窓から見るよりも大きく見える。
おそらくは周りの風景のせいだろう。

二人がけの席から見える富士山は、裾野まで開けた姿であり、周りに比較するものがないので、その大きさを相対的に知ることはできないが、三人がけの座席から見るとビルの向こう側に富士山が見える。

そうすると、その大きさに驚く。
あんなに高い山があるのかと思うほどに、富士山の高さが際立つ。

それが楽しみでその座席に着いた。
富士山が見えた。

写真撮影もできないほどに窓に張り付かなければ見えない富士山だが、その大きさはほかの山では絶対にあらわすことのできない大きさだった。
時間にしてわずか数秒。

貴重な一瞬に見る富士山は、その地方に住んでいないものにすればまさに奇跡的な姿である。

2007年12月13日(木) うちのお父さんも

嫁さんはあっちこっちのサークル活動にも顔を出しているが、あるサークルでは、私が以前務めていた会社の同僚の奥さんと一緒のようで、時折その話を聞く。

私がまだ、会社員だったころ、会社の集まりに嫁さんを連れて行ったとき、その奥さんも一緒に参加していたらしい。

そのとき以来、再び出会うことはなかったようだが、サークルで再開し、お互いに再認識したようだ。

二人の共通の話題は、もちろん、サークルの活動内容が中心だが、やはり、主人同士が元同僚と言うこともあって、その話をすることもあるようだ。

昨日嫁さんから話を聞いた。

「今日、サークルで○○さんと話をしてて、○○さんの子どもが『うちのパパ、今、部長やねん』って話をしてて」

私が会社を辞めるときにちょうど、課長になったぐらいではあったが、なかなか優秀だったし、部長になっているのもうなづける。

嫁さんはさらに続ける。
「そしたら、××(次女)が『うちのお父さんも、会長やで』って」

小学校二年生の次女が部長と会長の区別を知っているはずもないが、「○長」とつけば全部同じだと思っていたのだろう。

ま、次女が少々自慢げに言えるのなら、PTA会長の名前も悪くない。

2007年12月14日(金) それでも大人

子どもを虐待していた父親が逮捕されると言う悲しい事件が身近に起きた。
もちろんPTA会長の間でも話題になった。

一人の会長が言う。
「家庭の問題と言うこともあり、周りは気がついていて何もできなかった」と。

気がついていたなら、なぜ通報しないんだ?

子どもの躾に対して他人の家庭に介入しないと言うのが暗黙の了解になっている。
それは紛れもない事実であるし、私の教育方法に口出しをされれば私だって言い気分はしない。
家庭によっては子どもをきつく叱る家だってある。
時には外に追い出したり、もので叩いたりすることも少なくないだろう。
だから、むやみによそ様のやり方に口出しをするのはよくない。

しかし、躾と虐待は明らかに違う。
周りが気がつくほどのものならば、それは明らかに虐待であり、もはやその家庭だけでどうにかなる問題ではない。
家庭で解決できないから虐待に至るのだ。

そうなれば周りが介在しなければならない。
知っていたのならなおさら、通報すると言う手段も取れたはずなのに、誰一人としてその行動を起こさなかったらしい。

それでも大人か?
子どもの命にかかわることかもしれない一大事に、「よその家庭のことだから」とか「我が家には関係のないことだから」と見てみぬフリをする、それでも大人か?
いじめをしてはいけない、と子どもを教育できる立場の大人なのか?

幸い子どもは事なきを得たが、この子どもが周りの大人から何を学び取ったのか、心当たりのある大人は自分の胸に手を当てて考えてほしい。

そして子どもに謝れ。

2007年12月15日(土) USJにて

12月に入ったころから、今日だけは絶対に仕事をやらない一日と決めていた。
家族でUSJへ遊びに行くのだ。

予定出発時刻を大きく過ぎたころ、相変わらずのマイペースで出かける。
「家族揃って」といいたいところだが、やはり高校三年生の長男は別行動。

嫁さんと長女と次女を引き連れて、自宅から電車で40分。
USJに到着するといつものモニュメントが出迎えてくれる。



私以外はみな年間パスポートを持っているので、この際だからと、私も年間パスポートを買わされた。
まあ、2回くれば元が取れるので、努力すれば、私も元が取れそうだ。

それにしても普通の土曜日だというのにすごい人の数。



天気はいいといえ、風は冷たくじっとしていると寒い。
見た感じ、修学旅行生がいるわけではないのに、かなりの数だ。

あまりに人が多くてどこのアトラクションに並ぶのも、ちょっと億劫だった。
なので、とりあえず、この寒いのにと、冷やかされながらも、ビールを飲んだ。
ビールを飲んでいるとにぎやかな音楽とともに、大道芸人がやってきた。
しばしの間、その芸を堪能する。



今日のメインはクリスマスのパレードだ。
クリスマスパレードを見るために1時間ほど前から場所取りをしていたが、それでもまだ遅いほうで、特等席を確保する人たちは数時間前からその場所に座り込んでいるのだ。

ビールを飲みながらにぎやかなパレードを見る。
さすがにUSJのパレードだけあって、相当の練習を積んでいるだろうことは素人の私が見てもわかる。

やがて日が暮れて、クリスマスイルミネーション点灯が始まった。



人の数は減るどころかむしろ増えた感じすらする。

そして明かりの数と共に人の数は増え続け、メインクリスマスツリーに灯がともるころには、夏祭りのようになっていた。



寒い冬の一日ではあったが、家族と休みを外で過ごしたのは一年ぶりぐらいで、心の中はとても暖かかった。

2007年12月16日(日) 高校の臨時役員会

高校で開かれた臨時役員会。
年明けに始まる、次年度役員を選出するための準備や、その他、各委員さんの一年の活動を通しての報告などを整理し、次年度に備えるために開催されたものだ。

5分遅れて到着すると全役員と実行委員の代表数名、校長と教頭、それにPTA担当教諭らが校長室に勢ぞろいしていた。
中学校や小学校とは明らかに違い、広く厳粛な感じのする校長室も、大人数で押しかけると少々手狭にも感じる。

いくつかの案件はさっさと片付いた。

そして、後援会の話になった。

私は、6月に梅狩りに行ったり、後援会の人と酒を飲んだり、と交流が深く、後援会の人たちの活動をよく理解しているし、応援もしている。
しかし、ほとんどの現職PTAはそのように思ってはいない。

「OBなのに、どうしてPTA行事に口を挟むのか」
「PTA行事の売り上げがなぜ、後援会に渡されるのか」
「後援会はすぐに『金、金』という」

などなど「いかにも」自分たちの立場で気づいた意見が飛び交う。
私はそれを黙って聞いていた。
周りのみんなは、私が後援会と親密であることを知っており、みんなが後援会に対する意見をするときも、私の顔を遠慮がちにチラチラと見ていたのがわかった。
だからこそ、口を挟まずに聞いていた。

でも、みんなの意見は「今この瞬間」しか見ていない人たちの意見だった。

公立高校で何を物を購入しようと思うとき、それはあらかじめ年度初めに予算化されていなければ認められない。
突発的に必要になる事だってある。
例えば、何かのスポーツ部が全国大会出場が決定し、ユニフォームを新調したい、横断幕を作りたい、といっても予算化されていなければできない。
仮に募金をしてお金を集めても、使えるお金には限度があるのだ。
そこで誕生したのが後援会。
後援会からの品物を寄付してもらうことに制限はないからだ。

要するに、いくら現職のPTAが子どものためにと思ってせっせと金を集めたところで、それを使うには限度があり、自由に使うためには後援会の名の下で、お金を集めて、品物を寄付してもらう方法が一番よいのだ。

後援会の人たちの活動資金はゼロ。
すべて、自腹を切って活動している。
1円たりとも、後援会の費用を使ってはいない。

後援会が邪魔だと言うのなら、後援会に活動を停止してもらえばいい。
そうすればそのありがたさに気がつくはずだ。

ただ残念なのは、そのありがたさに気がつくのは数年先のPTAたちであって、今ここで文句を行っているPTAたちではないことだ。

後援会の人たちの子どもはとっくに卒業している。
自分の子どもが、学校に通っているPTA会員なら、文句を言う前に、後援会の人たちの10分の1しか活動していない私の、さらにその半分でいいから、汗を流せ。

2007年12月17日(月) 来年のダイアリー

前々から来年の手帳が欲しいと思っていたが、今日、ようやく手に入れた。
以前は会社の手帳を使っていたし、それが使い勝手もよかったのだが、個人で仕事をやるようになってからは、手帳は毎年本屋で買うようになった。
ところがお気に入りの手帳というのがなかなか見つからない。

私は、スケジュール機能よりも、たくさん書き込めるフリースペースの多いものを使っている。
長年、議事録を取っていたせいで、今でも会議の時などは、自分のノートに色々と書き込まないと、気がすまないのだ。
以前に比べれば、メールや電子データで会議の内容をやり取りすることも多く、それほど覚え書きをすることも必要ではなくなってきたのだが、それでも自分の所感を気安く書き込むには自分の手帳が一番良い。

それで来年の手帳も、そんなフリースペースの多い手帳にしようと思って、本屋に行った。

しかし、大きな書店を3件回っても好みの手帳に出会えない。
数十種類はあろうかという手帳のコーナーに行っても、私の好みに手帳はただの一種類として、販売されていないのだ。

これは何かのきっかけだと思った。

その気になれば、今使っている手帳の販売元にお願いして、直接配達してもらうことも出来る。
しかし、これはやはり、何かのきっかけだと思った。

新しいタイプの手帳を使え、今までに無いタイプの手帳を使いこなせ、という天からの指示だと思った。
新しいタイプの手帳を使うのは少々勇気がいる。
何しろ、選んだ手帳と一年間付き合わなければならないからだ。

慎重に選んだ。
何冊も比較しながら。

そしてようやく決めた手帳が今、かばんの中にある。
世代交代をするかのように、古い手帳と並んで。

2007年12月18日(火) 虹の出発点

新幹線で東京へ向かう移動時間も、仕事をするための貴重な時間だ。
周りに見知らぬ人がいる車内は、いつもの仕事場と異なる空間だ。

パソコンに向かって、正月にあるイベントの作業予定を作成する。
手順や段取りを頭の中で組み立て、それを文章として作成する。
時々行き詰ったり、文字を読んでいて気分が悪くなると、窓の外を暫く眺め、そしてまたパソコンに向かう。

関が原の辺りだろうか、暗く厚い雲が低く垂れ込めている。
外の厳しい寒さが窓を通して感じ取れる。
農作業をしている人も寒さに身を硬くしているのか、その姿も小さく感じる。

小さなアスファルトの農道が畑の真ん中を東西に走っている。
つい先程まで雨が、いや、この寒さなら雪が降っていたのだろうか、その農道の路面が黒くぬれていた。

私は雨にぬれたアスファルトの道が嫌いだ。
特にこの寒い季節は。
なぜだか分からないが、とても悲しい気分になる。

楽しいはずの旅先で雨にぬれてつまらないものになったことがあったのか、あるいはもっと悲しい出来事があったのか。
その記憶は定かではないが、なんだかとてもテンションが下がり、黙り込んでしまう。
それが何なのかを思い出そうとするかのようにアスファルトを眺めていた。
やがて山沿いに日の射す場所を見つけた。
列車が目指しているその進路の遠くに青空も見える。

そして何かが不意に目に飛び込んできた。
それはきれいな虹だった。
山肌をオレンジ色に照らす日の光を背にして、虹が輝いていた。

子どものころによく思った。
「虹の出発点はどうなっているのか、どんなところから虹が現れているのか」
きっとキラキラ輝いて光のあふれている場所なんだろうと、想像していた。
それを確かめたくて、自転車でその方向へ走っていったこともある。
今日はそれが見えた。

何も無い畑の真ん中。
そしてまだぬれている農道の上。
キラキラ輝いているような場所じゃなかった。
光もあふれてはいなかった。

寒い場所の、悲しい気分の、そんなところから虹は空に伸びていた。
淡く消えてしまいそうな虹は、それでも美しく、空へと伸びていた。

2007年12月19日(水) うどん

大きな会社だと社員が利用できる食堂がある。
いわゆる社員食堂だ。

中には外来者が利用できるものもある。
外来者と言っても、まったく見ず知らずの人が利用できるわけではなく、もちろん受付を済ませた人だけが利用可能なのだが。

そして、どこの社員食堂にもあるのが「カレーライス」と「うどん」だ。
今までに10社近くの社員食堂を利用したが、そのどこにもこの二つだけはあった。

私はカレーライスが好きで、どの食堂でもとりあえずカレーライスを食べる。
でも、カレーライスはどこの社員食堂もあまり変わりはない。
「辛い」のではなく「しょっぱい」のが社員食堂や学食の特徴だ。
おいしいカレーを望んではいけない。

うどんもそうだと思っていた。
ところが、今、利用している社員食堂のうどんは違う。
だしは特筆するに価しないが、麺が違うのだ。

ほかに比べて断然、こしがある。
弾力があってとても上手い。
駅前の立ち食いうどんよりもいい麺を使っている。

しばらくはほかではうどんを食べるのは控えて、ここで食べてみたいと思う。

2007年12月20日(木) プリンターが来た

そろそろ年賀状を作成しなければならない季節となった。
一枚一枚、違う内容を書くとはいえ、基本となるデザインは、毎年私が考えて作成したものを印刷する。
200枚近くの年賀状を書く我が家では、パソコンとプリンターを頼りに、まさに一日仕事となる。
ところがプリンターの調子が悪いと、嫁さんが言い出した。
先週のことだ。

そして今日、新しいプリンターが来た。
カタログを複数見比べてじっくりと検討するタイプの私なのに、嫁さんが電気屋で勧められたものを見て、「これでええん違う」と即座に決めたものだが、必要にして十分な機能を備えている。

最新のプリンターで、無線LANにも対応しているため、複数台のパソコンのある我が家にはうってつけだ。
いわゆる複合機で、カラーコピーもスキャナーも内蔵している。
メモリカードの画像をそのまま印刷できるので、パソコンがなくても困らない。
手書き文字と画像の合成や、携帯電話の住所録を赤外線通信で受け取り、はがきの宛名面に印刷する機能も持っている。
まさに至れり尽くせりの感がある。

ただ少々大きいのが難点である。
ただでさえ片付いていない我が家にこれだけ大きいプリンタが来ると、さすがに邪魔である。
邪魔であるが背に腹は変えられない。

早速セットアップして使ってみる。
最初はテスト印刷である。
当たり前だが、きれいに印刷される。
小さな文字も鮮明だ。
次に顔をコピーしてみた。

できたものを見るとデスマスクのようで怖い。
次女が真似しようとするのを見て嫁さんが「あほなことしな!」と叱った。
お父さんはあほである。

なんだかんだ言いながらプリンタは自分の居場所を決めてしまった。
私の横でえらそうに胡坐をかいている。

でも、プリンタ様にはご機嫌を損なわず、年明けを迎えてほしい。

2007年12月21日(金) 気になる店に

仕事で行き詰る。
お客へのプレゼンテーションの内容でいいアイデアが浮かばない。
もちろんコンピュータ関連の仕事ではあるが、客先でプレゼンテーションをすることもあり、その内容についていいアイデアが浮かばないのだ。

アイデアなので、マニュアルを読んでも答えが書いてあるわけではなく、しばらく時間を開けようと思い、少し早い時間ではあるが仕事を終わり、気分転換に、仕事帰りに一人で飲みに行くことにした。

ちょうど前から一度いってみたいと思っていた近所の店がある。
別の店で知り合った女の子がそこでバイトをしているという店だ。
いい店なら、子ども会の役員たちと飲み行くのもいい。
もちろん嫁さんだって連れて行く。

隣町の商店街を歩くとその店はあった。
引き戸を開けて中に入ると、全員が私を見て静止する。

「今夜は貸切なんです」

と、そんな声が聞こえてきたかのような錯覚さえ覚えるほどに「予期せぬ、意外な人が来た」という雰囲気が満ち満ちていた。
カウンター席しかない、和風の小さな小料理屋だ。
みな常連客なのだろう。
おかみさんと楽しそうに話をしていて、一見が私でなければ、ちょっと居づらかったかもしれない。

とりあえずビールを頼む。

見渡すほどもない小さな店内に、顔見知りは誰もいなかった。
もちろんバイトをしているはずの知り合いの女の子もいない。
今日は休みなのだろう。

しばらくすると、店の常連客とおかみさんが話をし始める。
「そうなのよ。今日から○○ちゃんが休みで」
彼女のことだ。

常連とおかみさんの話を聞いていると、今まで知らなかった彼女の話が聞けて、少し楽しい。
でも、このまま黙っているのもなんだか悪いような気がして、彼女にメールをした。

しばらくして、お上さんの携帯電話が鳴った。

「あら珍しい。どうしたの。え?・・・うん。ええ・・・はい」
と私のほうをちらちらと見る。

おかみさんが「なんかおかしいと思ったのよ。こんな若い人がいきなり店に来るなんて」と私に言う。
「○○ちゃんのお知り合いだったのねー」と。
とたんに、隣の席の常連さんが、親しげに私に話しかけてくる。

1時間後、私はその常連さんと一緒に別の店で二次会の真っ最中だった。
ご馳走になって、おまけに日本酒を1本お土産にいただいた。

これから月に一回ぐらいはお邪魔したい。

2007年12月22日(土) ビデオを見る

HDDビデオはやはりすごい。

番組表が画面に映り、そこで録画したい番組を選択すると、きっちり録画してくれる。
当たり前なのだろうが、「Gコード」だけでもすごいと思ったのに、いまや二年生の次女でも使える。

そのためか、みんながどんどん録画する。
100時間以上録画できるディスクも残り少なくなり、「お父さんのために録画してるんだから早く見て」とせかされ、今日はビデオを見まくることにした。

といっても、せいぜい、3本までが連続で見ることのできる限界。

「見ろ見ろ」と言っていた子どもが今度は「ビデオばかりでつまらない」といいだす。

暇な学生なら、一日中でも見ていられるのだろうが、こんな家族を持っている私には、とても難しいこと。
それでも、3週間分を見ることができて、しばらくは見なくて済む。

2007年12月23日(日) サンタへの手紙

まもなくクリスマス。
我が家にもサンタクロースはやってくる。

それが証拠に次女が手にするプレゼントは「お父さん」からと「お母さん」からと「サンタクロース」からである。
もちろん、じいちゃんやばあちゃんからのプレゼントではない。
私と嫁さんや親兄弟親類縁者でもなく、サンタクロースからプレゼントが届くのだ。

次女もサンタクロースに手紙を書く。
「サンタさんへの手紙なんだから読んじゃだめ!」といわれ、読まないことにする。
どうやらサンタクロースへプレゼントの要求のようだ。
うーん。果たしてサンタはお望みの品物を持ってくるだろうか。

手紙を読んじゃいけないというけれど、一応、お父さんが読んでサンタに伝えないと、サンタも困るんじゃないかと思うが。

2007年12月24日(月) 嫁さんへのプレゼント

嫁さんへのプレゼントを買いに行く。

以前は週末の買い物を楽しみにしていたのに、最近は仕事ばかりで一緒に出かけることもできず、寂しい思いをさせている。

何を買うと決めていたわけではないが、仕事帰りに近くのデパートをうろつき、よさそうなものを物色する。

一通り見て歩き、ジャケットを買うことにした。
ジャケットなら当たり障りはないし、嫁さんが着なくなっても長女が着用することもできる。

ジャケットに焦点を絞っていくつか見て歩くが、なかなか決まらない。
いくつもあるから決められないので、適当に、「この店」と「あの店」を決めてそこで比較することにした。

意外なほどあっさり決まった。
決まると、なんだかそれが最良の選択であったかのように、よい品に見えてくる。

値は張ったが、私が買わないと、絶対に嫁さんが買いそうにない金額だったし、嫁さんにはこれぐらいのものを着てほしいと思ったので、思い切って買うことにした。

嫁さんへのプレゼントは毎年のように買ってはいるが、こういう女性専門の店で買うのは何度やっても恥ずかしい。
それでも嫁さんが喜んでくれるから、毎年できるのだ。

2007年12月25日(火) さおの部屋

我が家に新しい部屋ができた。
その名も「さおの部屋」。
少し狭いが「さお」には十分だろう。

「さお」というのはぬいぐるみの猫の名前だ。
部屋の場所は居間にあるパソコンデスクの下。
入り口にはそれを示す張り紙がしてある。



こんなことをするのは次女をおいて他にいない。
次女は何かとすぐに「決まりごと」を書いて、それを「掲示」するのが好きだ。

ノートやコピー用紙、カレンダーの裏側、段ボール箱の底。
いろんなものに書いて、自分で規則を決めている。

「ゲーム1回10円。負けたら100円」
「これをけったら1000円」

あまりに自分勝手なルールなのに、本人はいたって真剣で、その真剣さが面白く、今度はどんなルール決めてくるのか、家族のみんなが楽しみにしている。

面白くて仕方のないルールだけれど、それを笑うと、本人が気を悪くするので、笑うのをこらえる。

普段でも積極的な次女は、我が家のムードメーカーだ。
これからもどんどん、笑わせてほしい。

2007年12月26日(水) 年賀状のデザイン

三日ほど前に年賀状のデザインを考えた。
まあ、考えたといっても来年の干支のねずみの題材を何にするか検討しただけだが。

それでもweb上にあるいくつかの絵を元に、自分で加工してようやくひとつ作り上げた。
毎年の仕事だが、「そのまま使うのはだめ」というのが私のポリシーであり、必ず、時間を掛けて加工をする。

周りの背景をすべて変えてしまったり、縦の伸ばしたり、色を変えたり。
それらを専用のソフトを使わず、昔ながらの「ペイント」で行う。
だからやたらと時間がかかる。
やたらと時間がかかるだけ、気持ちがこもっている。

今年新しいプリンタに切り替え、テスト印刷したところ、思いのほか、きれいに刷り上った。
が、しかし、思った以上にインクの消費量が激しい。

なので、このデザインで印刷できる枚数は限りがありそうだ。
たぶん、子どもたちが印刷したら、大人は、もう少ししょぼいデザインで我慢しなければならないかもしれない。

2007年12月27日(木) 4時まで仕事

深夜2時まで仕事をし、それを終えて、別の場所へ移動。
4時前まで仕事をして、帰宅したのは4時過ぎ。
5時過ぎに就寝。

年末にイベントを控えて大詰めのとき。

ちょっと疲れた。

2007年12月28日(金) 徹夜で仕事

7時まで仕事をし、8時ごろに帰宅。
夜ではなくてもちろん、朝。
そのまま3時間ほど休憩して、午前中のうちに再び仕事へ。

かなり疲れた。

2007年12月29日(土) 働きづめ

今年も後わずかで終わりだというのに、私は相変わらず仕事。

ここ数日、かなりの無理をしている。
「大丈夫?」と嫁さんが心配するのも無理はない。
三日あわせても10時間と寝ていない。

それでも頑丈なこの体は悲鳴も上げずに動き続ける。

少しは熱でも出てくれば、大義名分で休憩できるのだが。

いや、それでもきっと働き続ける。

私は男だし、父親なのだ。

2007年12月30日(日) おしゃべりな餅つき

この正月、唯一の休みかもしれない、今日は、親類縁者で行う餅つき。
祖父の家に集まり、みなで餅をつく。

母親は私の家の近所に住んでいるが、それ以外のメンバーと会うのは一年ぶり。
つまり、今年の初めの新年会で顔を合わせて以来の事。

相変わらず、にぎやかでおしゃべりである。

女系家族なので、仕方がないが、男どもはほとんど口もきかない。

人付き合いが悪いわけではなく、女ほど話をしたいとは思わないのだ。
だからと言ってそれほど疎遠なわけではなく、きっと酒でも飲めば、女以上に意気投合することは間違いない。

はあ。
仕事で疲れているのに、餅つき。
いや、それ以上に疲れたのは女のおしゃべり。

嫁さんがおとなしいのがせめてもの救いだ。

2007年12月31日(月) 来年もよろしく

最大、1ヵ月半遅れたこの日記。
今年中に、書き終えないんじゃないかと思っていたが、何とか間に合った。

今まさに、23:59:40。

来年もよろしく。

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