カリント日記

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2008年2月1日(金) 参観日

この前の日曜日は小学校でPTAの講演会を開催したが、当日は日曜参観の日でもあった。
最近は、お母さんも忙しくて平日には参観に来られない人も多いから、何も日曜参観は父親のものではないが、それでも昔は「父親参観」と言う名前で呼ばれたりもしたのだから、普段に比べれば、お父さんのための参観日、という色合いは強い。

私も小学校二年生の次女がこの学校でお世話になっている父親のひとりなので、PTA講演会が始まる前に、嫁さんと授業参観に出かけた。

いつも、大勢の人がいるときに学校に来ると、校門を通るときも、廊下を歩くときも、私と目の会った人がどんどん挨拶してくるので、私はどこを見るでもなく、かといって、無視をするでもなく、微妙な空間を見つめながら人とすれ違うようにしている。
また、気を使われることも多く、道は空けられるし、席は立たれるし、場所も譲られてしまうしので、教室に入るときなど、できるだけ目立たないようにこっそり入る。
そして後ろの隅っこのほうから子どもの姿を見ている。

でも、今日の授業内容は凧作りと凧揚げ。
凧作りは子どもと一緒に親もやるので、子どもの周りに親が入りやすいように机がレイアウトされており、実際、私も次女の真後ろで嫁さんと話をしながら、次女が絵を描いていく様を見ていた。

それでも私は背が高いし、他人から見れば少々邪魔に感じているに違いないと感じたので、しばらくしてから、やはり教室の後ろの隅っこに移動した。

気がつけば隣に担任の先生がいた。
嫁さんと遠い親戚の先生だ。

嫁さんの祖父と、その先生の祖父が同じ島の出身で、同じ苗字なのだ。
同じ「読み」の苗字の人はたくさんいるが、嫁さんや先生の苗字の漢字は珍しい文字なのだ。
実際、携帯電話ではたくさんあるほうの苗字は出てくるけれど、嫁さんの苗字は一発変換では出てこないし、ネットで検索したら「珍しい苗字」を集めたサイトに登場していた。

そんな先生が「この前は済みませんでした」と私に謝った。

1月11日の日記に書いた、新年の飲み会の二次会で、この先生がいた前の学校のPTA役員と意気投合し、この先生の話題になると、その役員が「今から電話したるわ。呼んだら来るで」と酔っ払いの理論で電話をかけてしまった。
そして、突然そのまま携帯を私に渡してしまった。

留守番電話だったことに少し安心して「すみません。今、二次会なんですが○○小学校の役員さんと飲んでまして、先生をお誘いしたらいらっしゃると言うのでかけてしまいました。すみません」と伝言を残した。

「この前は済みませんでした。ボク寝てまして」
日付も変わった時間帯の平日なら、寝ていてもおかしくないのに何も謝ることはない。
あわてて私も「あ、いやいや、もう、こちらのほうこそ、申し訳ない。あんな遅い時間に。もうかなり酔ってました」と謝った。

「また行きましょ」と声をかけてくれたのが幸いだ。

やがて子どもの凧はできた。
でも、その凧を揚げる時間は、今回の講演会の講師をお招きしていろいろと準備をする時間になっており、残念ながら、一緒に凧揚げをすることはできなかった。

講師の方をお招きした校長室。
窓の外をのぞくと、たくさんの手作りだこが風を受けて舞い上がっていた。
いい天気でよかった。

2008年2月2日(土) 嫁さんと居酒屋で

昨日は役員会があるために、仕事の途中で学校へ行き、会議を済ませてからまた仕事に戻った。
おかげで、帰宅したのは深夜の2時を回ってからのこと。
疲れてはいたが、いや、疲れているからこそ、いつものように酒を飲んだ。

アルコールの摂取で眠りが浅くなるし、肴が胃袋を活性化させるのでぐっすり眠れない。
つまり、疲れているときに夜遅くまで酒を飲むのは次の日に疲れを残すだけなのだ。
それを知ってはいるが、酒を飲まないと、眠れない。やってられないのだ。
こんなに遅くに帰ってきては、子どもの笑顔を見ることもできず、嫁さんだって寝させてやりたい。
唯一、酒だけが、私の気分を紛らわすのだ。

今日は土曜日。
いつものように仕事。

それでも少し早く帰ろうと、10時ごろには帰宅した。
そして子どもが寝るころになってから夫婦でなじみの居酒屋へ飲みに行った。
嫁さんと二人で飲み行くのは久しぶりだ。

いつものカウンターが満席で奥の座敷へ入っていった。
この店は、私の家と同じ区画にあり、同じ建築会社が建て、同じ不動産屋が売っていた、同じ三階建てで、間口が二間半(にけんはん)の家である。
その一階部分が居酒屋なのだが、案外広い。
と言うことは我が家の駐車場をつぶせば、同じような居酒屋になるはずだ。

座敷に座り、嫁さんと向かい合う。
自宅の居間に座るときと同じようにテーブルを挟む。
しかし、薄暗いオレンジ色の照明や、何もないこの壁が、いつもと違う雰囲気を醸し出す。

そういえば、今日の昼間も、学校の委員会で嫁さんと向かい合って座った。
私はいつものように会長として、嫁さんは生活指導委員として。
毎回、実行委員会では、各委員が一ヶ月の活動報告をするのだが、他の委員が、単に報告するだけだったのに、嫁さんは、「巡視をしていて思ったんですが・・・」と自分の感想や「だから皆さんも普段からそういう心がけで・・・」とか「・・・と言うふうにすればいいと思います」などとアドバイスや提案もしていた。
さすが嫁さんだが、周りは「夫婦揃ってよくしゃべる」と思っているに違いない。
話を聞いていた先生方もしきりにうなづいてはいたが、嫁さんはあまりうまく話せなかった、と言っていた。

「でも、今日のサークルのときはうまくしゃべれてん」という。

サークルでも子どもの教育について雑談していたら、他のお母さん方が、次から次へと嫁さんに相談を持ちかけ、その一つ一つの相談に対して自分の感想を述べて、アドバイスをすると、ここでもまたみんなが、その話にうんうんと頷き、挙句の果てには「講演会してよ」と言われたようだ。

さすがにそれは断ったらしいが、そう話す嫁さんはとても楽しそうだった。
でも、私ほど話し上手ではないにしろ、しっかりとした考え方を持っている。

こいつの講演会を聞くのも楽しそうだな、などと考えつつ嫁さんの顔を見て、ニヤニヤしながら、また酒を飲んだ。
本当に酒の美味しい時間を過ごした。

2008年2月3日(日) 電車もお疲れさん

今日は昼から市子連の安全会加入説明があり、総務部員である私は出席しなければならなかったのだが、どうしても月曜日中に仕上げなければならない仕事があり、まったく手付かずで残っていたので、仕方なく仕事を選んだ。
校区長に謝りの電話を入れて、仕事場へ向かう。

休日の昼前、しかもとても寒い今日は、人影もまばらで、電車に乗ってもがらんとしている。

仕事場へ向かう途中のコンビニで買い物をすることにした。
遅い朝ごはんだったので、昼飯もそれほどほしいわけではないが、あと数時間もすれば腹が減るのは明らかだ。

まずはサンドイッチを買う。
そして遅くまで仕事をすることもわかっているので、弁当も買う。
それ以外に、栄養補助食品を買う。
自販機では売っていないコーヒーを買う。
コーンポタージュスープも買う。
そして最後に、普段のものより少し高めの栄養ドリンクを買った。

栄養ドリンクを飲みながら仕事場へ向かう。

いつものようにパソコンに向かって仕事を始める。

時々、席を立つ。
時々、フロアをうろつく。
そして時々、窓の外を見る。

これを繰り返し、買ってきたものを平らげて、ようやく仕事のめどがついたのは、いつものように終電の時刻。
あわてて片づけをして駅に向かう。

終電より数本早い電車に乗った。

お。特急車両だ。
朝よりさらに人気の少ない車内で思わず写真を撮る。



この電車はおそらく京都からやってきた最終特急で、折り返したところに違いない。
そして、私の家の駅の隣には車庫があるから、きっとそこへ向かうのだろう。

駅を降りて、走り去る電車を見る。
ライトがだんだん小さくなる。

今日も一日ご苦労さん。

2008年2月4日(月) 節分の日

そういえば、昨日は節分だった。
毎年豆まきを楽しみにしている子どもたちにはとても悪いことをした。
できれば今日、やってやりたかったが、やはり子どもたちがぐっすり眠った時間に帰宅した。

節分になると思い出すことがある。

結婚して6年目ぐらいだろうか。
節分の前日に、珍しく嫁さんが熱を出してしまった。
朝、仕事場へ向かおうとすると気丈な嫁さんが「今日は早く帰ってきてね・・」と弱弱しく私に懇願した。
「ああ。定時で帰ってくるよ」そう約束して家を出た。

その日、一日中、外を回っていた私は、定時少し前になって、少し早い時間だが、帰らせてもらおうと思い会社に電話した。

「すみません。今日は少し早いですが、これで失礼します」
それを聞いて上司が言う。
「あ。ごめん。さっきさあ、○○(お客さん)さんから電話があって。連絡ほしい、って」

嫌な予感がしたが、それを聞いて連絡しないわけには行かない。

「もしもし」
「ああ。助かりました。さっきから障害で・・・」

状況を聞いて一旦電話を切った。
そして自宅へ電話した。

「もしもし・・・。今日は、ちょっと、遅くなる・・障害対応で・・」
「・・・・。うん、わかった・・。早く帰ってきてね・・」

嫁さんは文句ひとつ言わずに、私の話を聞いてくれた。
そういう仕事だと、承知してくれている。

電話の向こうで、私の帰りを楽しみにしている子どもたちの声がする。

「おとうさんおとうさん。今日は鬼は外やで!!」
「おにはそと、おにはそと!」

その後、無事に障害は解決し、私も自宅に戻った。

テーブルの上には私がつけるはずだった、子どもが作った鬼の面が置いてあった。

この日ほど、私が早く家に帰りたかったと感じた日はない。

2008年2月5日(火) ランナー

今日の昼過ぎに、客先で大きな仕事の山場を越えた。
くしくも、今日は飲み会の日。
仕事が片付いたこともあって、約束の時間が待ち遠しく、うきうきしていた。

ところが、約束していた相手の体調が優れないと言うことで、飲み会は中止になってしまった。
でも、気分は飲み会。
まっすぐ帰るような気分ではない。

急遽、予定を変更して、先日行ったことのある、近所の飲み屋に行くことにした。
12月21日の日記に書いたあの店だ。

今日もそのアルバイトの女の子はいない。
事前に確認したら、今日は用事があるのでバイトはしない、という。

ま、別にその子が目当てと言うわけでもないし、楽しい酒場で、美味しくお酒が飲めるならそれでいい。

店に入ると、おかみさんが私の顔を見て「あら、久しぶり」という。
相手はそれが仕事とはいえ、覚えていてくれるとうれしい。

前と同じ席に座る。
今日は、初老の男性がかなりご機嫌で飲んでいた。
なぜだろうか、私が酒を飲んでいると、向こうから話しかけてくることが多い。
そして一度一緒に酒を飲むと、「また今度も」と言われる。
やがてその男性が機嫌よく店を後にすると、今度は別の方角から声がかかってきた。
これがまた話好きの人で、少々辟易するほどだった。

そしておかみさんがいつものように、彼女の話をする。
今度マラソンに出場すること、今も練習をしていること、そして今日も今頃走っていること。
なるほど、用事とはマラソンの練習のことだったのか。

10時ごろ、マラソンの練習を終えた彼女が、トレーニングウエアのままでやってきた。
なかなか格好良く決まっている。

ビールを乾杯して二ヶ月ぶりの再会を祝した。

2008年2月6日(水) 最後の小学校部会

今年度の市PTA協議会の定例会も、今夜を含めて残すところ、あと2回となった。

定例会での報告内容は、事前の役員会で決められた内容であり、私も役員会に参加しているため、正直、聞くことに力は注いでいない。
むしろ、みんなのリアクションが気になる。

役員会で決定した事項に、賛成してくれるのか、あるいは反対の声が上がるのか。
普段は各学校で、会長として、実行委員の保護者を前に、同じような気持ちで発言をしている人たちも、この会議では聞き役だ。
頷いている会長もいれば首をかしげる会長もいる。
異を唱える人もいれば、賛同してくれる人もいる。
やはり、小学校での会議に比べればよく意見が飛び交う。

少し緊張しながらのこの会議は退屈でなくていい。

そしてもうひとつ緊張するのが、この後の部会だ。
今日はその最後の部会の日。

小学校の会長と中学校の会長に分かれての部会が開催されるのだが、私はその小学校の部会をまとめる、部会長。
私よりも部会長にふさわしい人がいる中で、人をまとめるのは難しい。

学校では先生に一目置かれ、保護者たちにはそれなりの敬意も表してもらえる「PTA会長」という肩書きも、ここに来れば、みんなPTA会長なのだから当たり前のこと。
むしろ、PTA会長であることが、ここにいるために、満たしておくべき、最低条件なのだ。

そんな中では「小学校部会長」という肩書きも何も効き目がない。
いかに会議を速やかに進めるか、いかに会議を充実した内容にするか、いかに会議を結実させるか、その実力だけが求められる。

今日はその部会の最終日。
先日、各PTA会長にお願いした、アンケート集計結果の発表をした。

時間がなくて活発な論議にまでは及ばなかったし、会議よりも携帯電話のメールに夢中の会長もいたが、それでも、「他の学校の様子がわかる」とか「この資料をもとに先生と話をする」という声も聞けて、ほっとした。

会長に限らず「長」と名のつく立場の人は、常に複数の人を相手にする。
そのみんなから賛同が得られれば、それはとても素晴らしいことだが、実際はそうは行かない。

それでも、自分のやったことや言ったことに共感を持ってくれる人がいれば、それだけで次も頑張ろうと言う気持ちになれる。

終わってみると、この小学校部会が開催できないのも、少し寂しいものだ。

2008年2月7日(木) どうやって見つけたのか

このサイトで一番力が入っているのはほかならぬこの日記だが、私のことをまったく知らない人にとって、この日記など、そこに何が書かれていようがまったく興味がない。
私だって、赤の他人のブログなど、その人がよっぽどの文才でもない限り、読む気にはなれない。
とてもいい文章を書く人のブログを知っているが、その人と比べると私の文章があまりに稚拙に見えるため紹介しない。
私は心が狭い。

そんな赤の他人が私のサイトのどこを読むのかと思っていたら、「勉強」や「つるつる」であった。

googleで「karintojp」を検索すると、「勉強」や「つるつる」へリンクを張っている掲示板が見つかった。

「限界利益率と販売利益の違い」を教えてほしいという書き込みに対して、「限界利益について比較的分かりやすく書いてくれてあるサイトがありましたので紹介しておきます」と私の「勉強」のページが紹介されていたり、「ツルツルいっぱいについて、面白い表現してる人がいたので取り上げてみます」と私の「つるつる」のページが紹介されたりしている。

私はこれが不思議で仕方がない。

というのも、「カリント ホームページ」ならば真っ先に私のページが紹介されるが、「限界利益率」や「つるつるいっぱい」で検索しても、私のページなどかなり後ろのほうでなければ見つけることができないからだ。
あまりに後ろ過ぎるので、確認するのを途中でやめたから、本当に見つけられるのか疑問だ。

できることなら、私のページを記載してくれた人に、どうやってそこにたどり着いたのか聞いてみたい。
それから「karintojp」というページを作っているバンドの人たちにも、なぜ「karintojp」なのかということも。

2008年2月8日(金) 高校のPTA研究発表

今日は高校の府PTA協議会の研究発表大会が行われた。
小学校ほどではないにしろ、高校でも同じ府立学校のPTA同士の交流はあり、近隣の市の高校同士で行われるブロック大会、日本全国の公立高校のPTAが集まる全国大会、そして今日開催されたのが、大阪府下全域の府立高校のPTAが集まっての研究発表大会だ。

「PTAが対象」とは言っても、実際に収容できる人数には限りがあるし、人数を掌握するのが難しくなるので、基本的にはPTA役員や校長や教頭が対象となっている。
私の学校でも会長に参加依頼があったのだが、都合がつかないとのことで、私が代わりに出席することにした。

今まで、小学校の全国大会や高校のブロック大会に参加したことはあるが、それほど得られるものもなく、正直、今回も付き合い程度に考えていた。

場所は市内のホテル。
この場所はよく、こういった催し物で利用される場所のようで、今年の夏にもこの場所でPTAの集会があった。
そのときは会長が出席したので、細かいことは知らない。

天井の高いエントランスホールの奥にエレベーターがあって、それで会場に向かうわけだが、ホテルに入る前からそれらしい人たちが何人もいたので、今日の集会が、どのフロアで行われるのかを確認しなくても、その人たちについていけば、その会場にたどり着けることは簡単に推理できたし、事実、その人たちについていくだけで、目的の場所に到着した。

数百人が収容できる大きなホール。
三人がけのテーブルがきれいに並べられている。
どこに座ってもよさそうだが、校長と待ち合わせをしており、しかも、携帯電話の電波も届かないところだったので、入り口正面の席に座ることにした。

コンサートなら前から順番に埋まる席も、こういう集会のときは必ず、後ろから埋まっていく。
積極的な参加か、消極的な参加かは、その座席の埋まり具合からわかる。
私が一人なら、もっと前のほうに座るのだが。
せっかく参加する以上、何かを持って帰らなければ、参加した意味が無い。

研究発表大会では、自分たちの学校で、どのような活動を行い、それがどのような効果をもたらしたのかを発表することが多い。
各学校の取り組みを発表することで、ほかの学校の活動のヒントになれば、というのが目的だ。

今回の発表校は3校。
一つ目は、子どもたちの活動状況を、PTAのホームページで報告することに取り組んだという内容。
子どものたちの活動状況をホームページで紹介している学校は多い。
ただその場合、学校の教諭がホームページを管理していることがほとんどだ。
一般の保護者にホームページを作れといってもできないからだ。
この学校のよいところはそれを保護者にもできるよう、完全にマニュアル化したところだ。
実際、それで現在も更新が続いているという。

二つ目は、自分たちの子どもが就職する可能性の高い、地域の中小企業への体験学習を、保護者が行ったというもの。
何かと大企業へ就職させたがる保護者が多いが、実際の体験をすることで、こういう会社で仕事をさせたいと感じる保護者が増えたという。
確かに、所得などに差があるかもしれないが、それを補う魅力があれば、働く場所などどこでもいい。

三つ目は、チャリティ活動に力を入れている学校の報告。
何年も実践しているそのチャリティ活動で、すでに海外に小学校を寄付したという。
こういう活動を実践している生徒も、それを支えているPTAにも敬意を表したい。

あまり期待していなかった研究発表大会であったが、報告内容はどれもよかったし、勉強になった。
来年も参加したいと思う。

2008年2月9日(土) 地域の交流発表

今日は地域教育協議会が主催する地域の人との交流イベントが開かれた。
内容は市内一の大ホールを貸しきって、小中学校や幼稚園の児童やその保護者たちが、自分たちの活動を発表するというもの。
私はそのスタッフ。

市内の小学校のPTA活動発表で、しかも出席をすべての小学校に依頼したところで、小ホールを一杯にするのが関の山。
大ホールは収容人数1000人を越える大きなものだが、地域の人たちの活動、例えば「沖縄民謡」だとか「フラダンス」だとかを発表したところで、さすがにここが一杯になることは無い。
むしろ、「がらんがらん」といったほうが正しい。

そんな大ホールだが、この舞台に立つものにとっては、それでも十分な経験になるようである。

学校単位で毎年出演している小学校の児童にとっては、このイベントも学校行事の一環であって、「晴れの舞台」というイメージも少ないだろうが、地域の人たち、とりわけお年寄りたちがこういう舞台に立つ機会は少ない。

実際、この舞台が終わった後の、出演者たちはとてもうれしそうで、舞台裏にいる私たちスタッフに「ありがとうございました。とてもいい経験になりました」とお礼を述べてくださる。

毎年、この交流イベントを開催するには、準備に時間もかかるし、当日だって忙しい。
PTA関係者にも負担がかかる。

けれども、児童や保護者以外の人たちに喜んでいただける催し物を開催できる機会は少ない。
それを考えれば、年に一度ぐらい、こういうことをしてもいいかなと思う。

久しぶりの大雪に見舞われたが、それでも足を運んでくれた方々に感謝。


2008年2月10日(日) 腹痛

ひどい腹痛と下痢。

昨晩の打ち上げで飲みすぎたのかとも思ったが、これほどにひどいことはかつて無い。
それに、それほどの量は飲んでいない。

布団から出ることもできず、痛みを感じないように体勢を入れ替えてごろごろ転がるだけ。
朝から何も食べられず、夕方になって少量のゼリーとうどんを口にしたが、まったく力が出ない。

布団から出るのはトイレに行くときだけ。
少し熱もある。

2008年2月11日(月) 病み上がり

夕方になって何とか座れるようになった。

朝から、便が出ていないので状態が同なのかわからないが、昨日の状況から見て改善していることは確かなようだ。

それにしても休日に病気になるとは。
予定していた仕事はできず、また平日に仕事が残ってしまった。

ま、平日に病気になっても、その分だけ仕事が残るのだが。

明日からのことを考えると少々憂鬱だ。

今日は少し早く寝ることにする。

2008年2月12日(火) 仕事休み

腹痛が以前として完治せず、頭痛もあったので、仕事にも出かけず、今日は一日、自宅で過ごした。
それでも仕事の電話だけは、何度か、かかってくる。
携帯電話など無かったころは、そんなことも無かったのだが。

座ると腹部に違和感があるので、横になっていたが、ゴロゴロしているわけにも行かず、座ったり寝転んだりを繰り返して夕方まで過ごした。

PTAの仕事で、早く片付けなければならないことがあったので、気が向かなかったが、パソコンに向かって仕事を始めた。

そうすると今度はメールが気になる。

いくつかのメールをチェックしているうちに、そういえば以前のサーバの障害以後、子ども会のホームページのリンクが切れたままだったことを思い出し、今日しかないと思って一気に修復した。

疲れた。

もう、さすがに明日は仕事をしなければいけない。
三日間やるはずだった仕事が、すっかりそのまま残っている。
週末までに片付けるためには三日連続徹夜するしかない。

それはできそうにも無いが、その分だけ仕事が残るのだと思うと、週末の仕事付けが約束されたようなもので、まだまだ暖かい春はきそうにもない。

2008年2月13日(水) オデッセイ

知人がHONDAのオデッセイを買った。

携帯電話の電池が切れていたのだが、寝込んでいたのでほとんど気にすることもなくそのまま放置していた。
久しぶりに充電すると、山のようにメールが来る。
マナーモードにしていると「ブーン」と一回鳴って、メールを着信したことがわかる。
その中で「ブーンブーンブーン」としつこく鳴るメールがあった。

これは親しい知人からの着信を知らせる合図だ。

「オデッセイってどうですか?」

とそのメールには書かれていた。

オデッセイはとてもいい車だと思う。
この日記に商品名を記述することはほとんどないが、オデッセイだけは何度なく登場している。

初めて自分で買った車と言うのもひとつの理由だが、ミニバンらしからぬところが一番気に入っている。
小学生たちに「かっこええ車」と言われるのもうれしい。

「オデッセイ?最高やで」と返事をする。

しかし、メールは三日以上前に送られていたもの。
数分後に同じ相手からメールが来た。

「オデッセイ買っちゃいました」

このメールだって二日前に来たものだった。
結局、私の、どうせ「最高」としか答えない、役に立たないアドバイスは、本当に役に立たないものとなってしまった。

ま、それでも、いい車を買ったのだから、後悔はしないだろう。


相変わらず腹の調子が悪い。
時折、内臓をつかまれているような気になる。

2008年2月14日(木) バレンタインにバランタイン

世間はバレンタインデーである。
いや、別に、「自分には関係ない」と言っているわけではない。
しかし、今回はそんな気にすらなる。
と言うのも、会社員時代を通して初めて、外でチョコをもらわずに帰宅したからだ。

私の勤めていた職場では、かなりの面で女性も男性と対等に扱われていたため、お茶汲みやコピー、掃除などを女性社員がやる必要はなかった。
上司が「○○君、お茶」と言ったり、女性社員が上司のテーブルの上を拭いている風景は、いまだかつて、テレビドラマでしか見たことがない。
そういう影響からか、世間で聞くような、いわゆる上司や同僚への「義理チョコ」の配布などの風習もなかった。

幸い、私は同期の女性社員や仕事先の女性たちとも、仲良くさせていただいていたので、いつも誰かから、お情けでチョコをいただいていた。
当然、本命チョコではないが、それでも「ばら撒いているような義理チョコ」ではないわけで、女性たちも「わざわざ、買いに行ったんだから」と、ホワイトデーのお返しに期待していることをアピールしていた。

それが、毎年毎年、「今年はもう、チョコをくれる人もいないな」と思っていても、どこからともなく、チョコをくれる人が現れて、ちゃっかりおこぼれに預かっていた。
これには嫁さんもびっくりしていた。

そのチョコが、ついに途絶えたのである。
これまた嫁さんもびっくりである。

そんな打ちひしがれて帰宅した私を待っていたのは、バランタイン12年もの。
もちろん、こんないいものをくれるのは嫁さん以外にいない。
その横に、近所の友人からもらったウィスキーも並べる。



チョコレートなしの、バレンタインである。

2008年2月15日(金) 相変わらずのお腹

相変わらず腹の調子が悪く、金曜日の夜だというのに、好きな酒を十分に飲めない。
腹痛はそれほどではないのだが、いつもぎゅるぎゅるとお腹がなっているし、トイレも近い。

ゆっくりと嫁さんと会話をして、夜更かししたいのだが、明日もPTA活動で夫婦揃って忙しい。
お酒も飲めないことだし、少し早いが寝る事にする。

2008年2月16日(土) きれいになったゴール

朝から高校でPTA活動。
三年生の保護者の有志が中心となって、三年間お世話になった高校に対するお礼をするのだ。
小雪の舞う中、集まったのは先生や後援会の方たちも含めて20名程度。

毎年、違ったことをして、学校にお礼をするのだが、今年はサッカーゴールとハンドボールのゴールをきれいにすることにした。

まずは修理前の写真。



このゴールにこびりついている錆をグラインダーや金ブラシを使って削り取る。



細かい錆が飛び散るので、防塵ゴーグルとマスクは必需品。

一通り、錆を削ると防錆塗料を塗る。



塗り終えたところで昼食をとる。
暖かい部屋に入るのはこのときだけ。
昼食をとり終えると、また雪の降る運動場へ向かう。

ペンキを塗って乾かし、もう一度塗って乾かす。
ハンドボールのゴールは二色に塗り分ける必要があるので、白色を塗った後、マスキングテープでマスクしてから赤色を塗る。

夕方の5時を過ぎたころ、ようやく完成した。



きれいなハンドボールのゴールの出来上がり。

サッカーのゴールも、この通り、真っ白に。



寒い中、何度も指がつり、大変な作業だったが、出来栄えを見て満足。

皆さんどうもありがとう。

2008年2月17日(日) 寒い冬

今年は雪がよく降る。
昨日も短時間ではあったが、かなりの雪が降ったし、9日には次女が行き遊びで大はしゃぎできるほどに雪も積もった。
今日もチラついたようだ。
気温が低い毎日が続き、久しぶりに冬らしい冬だと思う。

確かに寒いときは、外に出るどころか、部屋を出て台所に立つのさえ、億劫になるし、暖かいほうへと体が逃げたがる。
身体の抵抗力は下がり、風邪も引きやすくなるし、一度調子を崩した身体の治りも遅い。

そう考えればあまりいいことは無いが、それでも、夏は暑く、冬は寒いほうがいい。

「地球温暖化だというのに、今年は寒い」
最近よくテレビで耳にする言葉だ。
これはもう、ミクロとマクロの視点が、ごっちゃになっている。

別に温暖化だからと言って、春のように暖かい冬が来るわけではない。
春のように暖かい冬が来るころは、すでに末期症状だろうし、多くの人類が絶滅の危機に瀕しているかもしれない。

この町が凍えるように寒いと感じるこの冬も、温暖化の加速を抑えているわけではない。
ほら、そこの石油ストーブ。
その排出ガスが、南の島の水没を早めているのだ。

2008年2月18日(月) 同じ夫婦でも

私と嫁さんは自他共に認める「バカップル」である。
ま、嫁さんだけがそれを認めていない可能性はあるが。

嫁さんは、毎朝、私が出かけるときには、玄関どころか、外に出て、私が曲がり角を曲がって見えなくなるまで見送る。
私は私で、曲がり角を曲がる前に、一度振り向き、嫁さんに「行ってきます」の合図に手を振る。
私と嫁さんの間に、通学途中の学生がいようと関係ない。
中には自分に手を振っていると勘違いしている学生もいるだろう。
あるいは、「またこの家のバカップルが」と思っているなじみの学生がいるかもしれない。

仕事が終われば、「帰るコール」をするし、家に帰ってからは、2時間近く二人で話をする。
仕事に出かけるのはできるだけ遅く、そして帰ってくる時間はできるだけ早いほうが喜ばれる。
休日も、できるだけ一緒にいたいと思うし、嫁さんもそう思っている。
「家でごろごろしてないで、出かけてくれればいいのに」と粗大ゴミ呼ばわりされているお父さんを私は気の毒に思うし、嫁さんはそんなことを言う奥さんの気が知れないという。

小学校や高校、地区の委員活動も私が役員で、嫁さんが委員。
夫婦揃って活動している私たちを「本当に物好きな夫婦」と冷やかす人もいるし、各委員会や懇親会では「いっつも一緒なんだからここに来たときは別々に座り!」とわざわざ私たちを別々に座らせる人もいる。
夫婦間ではごく普通の所為を見て「まあ、仲のいいこと」と笑われることもある。

お互いの誕生日やクリスマスにはプレゼントもするし、もちろんバレンタインやホワイトデーも同じだ。

新婚間もない夫婦から「結婚記念日にはホテルでディナー」とか「誕生日にはプレゼント」などという話を聞くたびに、「俺たちの新婚のころは・・・」などと昔を思い出すが、と同時に、「大事なのはこれからだぞ」とも思う。

会話の無い夫婦の話や、プレゼントの無い夫婦の話を聞く。
嫁さんの悪口や旦那さんの愚痴を聞く。

私たちがなぜこれだけ仲がよいのか説明できないし、新婚時代だけ仲がよい夫婦のことを理解できない。

これはただ単に、「縁」の問題なのだろうか。

2008年2月19日(火) 自治会役員

昨日は自治会の定例会に出席した。
年度末なので、決算報告の準備と来年度予算について、各部会とも準備をするように、というような話が中心だった。
それが一通り終わってから、会長がなんだか話しにくそうに話を始めた。

「規約によりますとー、自治会の役員というのはー、会長一人、副会長三人、それからー、書記が三名、おることになっとりますねんわ。せやけど、実際のところはー、私と、副会長一名、で、総務が一人、と、ま、こうなっとるわけですわな」

そこまで話を聞いてわかった。
もっとほかに役員をしてくれる人がいないか探してくれ、もっとストレートに言うと、私に自治会の役員をやってほしい、ということだろう。

「まあ、我々も、歳なので、できれば、今後は、若い人に、やってもらいたいなあ、と、こう思っておるわけですわ」

ほらきた。

「わしゃぁ、○○(私)くんみたいに、若い人に、やってもらいたいと思ってるんやが、どうやろか」

やっぱり。
そこで私も答える。
「今年は地区長をやらせていただきますが、来年は、小学校のほうから声がかかるんじゃないかと」

すると別の人が言う。
「ははは。今度はいよいよ『PTA会長』やな。あははは」
どうやらこの人は、私がPTA会長であることを知らないようだ。
すかさず、嫁さんが横から言う。
(今日ももちろんバカップルで出席だ)
「いえ、主人はもう、すでにPTA会長と子ども会の会長を兼任してるんです」
周りには何人か驚いたような顔をしている人がいた。

自治会のメンバーは子ども会の会長である私しか知らないので、PTA会長をやっていることを知らない人が多いのだ。

次女が卒業するまでの数年間は小学校の役員が、私の主な活動主体になると思うが、その後は自治会に引っ張られそうだ。
もっとほかの人を探さないと。

2008年2月20日(水) 健康によくない試合

いわゆる「中東の笛」問題で再試合となったハンドボールだが、サッカーでもアウェーの地では審判もまたアウェーとなる。
今日の試合はそれをまざまざと見せ付けられた試合だった。

敵陣のゴールへと転がっていくボールを追いかけて全力疾走する日本のフォワードを、止められないと判断したのか、敵のキーパーは、あろうことか、足の裏でみぞおちを蹴りにいったのだ。

サッカーはほとんど防具をつけておらず、唯一硬いのが、靴のスパイク部分である。
この部分は凶器に等しいため、相手に足の裏を向けて、スライディングなどによって故意に相手を転倒させるような行為は、厳しく罰せられ、ほとんどの場合、イエローカードの対象となる。
また、サッカー選手にとって足は命である。
その足を狙って後ろからスライディングタックルをすると、レッドカードの対象となって、即刻退場処分となる。

そんな凶器となるスパイクで、ただでさえ、人間の弱点となる腹の部分を、とび蹴りでも食らわすかのように、蹴りこむ行為は、許されるものではなく、通常なら一発退場のレッドカード処分に間違いない。
それが、イエローカード。

それ以外にも何度となく、故意に転倒させられているにもかかわらず、イエローカードが出されることはなく、逆に、相手のファールを日本のファールとしてとられてしまう場面もあった。

今回は比較的、観客も穏やかではあったが、選手にとっては、はらわたの煮えくり返るような、偏ったジャッジの中で、よく最後まで冷静に戦い抜いてくれたと思う。

勝利したものの、見ていた嫁さんも私も、憤りに言葉を荒げ、血圧が上がって健康によくない試合だった。

2008年2月21日(木) 犯罪被害者の人権

今日は市教委と市PTA協議会が主催する、人権啓発のためのシンポジウムが開催され、それに参加してきた。
毎年、人権に関する講演会が開催されているが、今年は、犯罪被害者の人権について考えるという内容だった。

コーディネーターに弁護士、パネリストに警察関係者と犯罪被害者の支援に奔走している社団法人やNPOの方々を迎えていた。



確かに、犯罪の被害者となった方々の損失は精神的なものだけでなく、物理的にも甚大なものがあるだろう。

例えば、犯罪の現場が自宅だったような場合、警察による実況見分が終了するまでは、自宅にもかかわらず立ち入ることができない。
そのため、外泊を余儀なくされるが、そのときの費用負担は誰もしてくれない。
また、事件の現場となった自宅、ましてその場で家族を失おうものなら、その場に住み続けることは精神的に困難なことである。
といって引越しをする費用は自分が負担しなければならないし、持ち家だった場合、事件の内容によっては、なかなか家の買い手がつかないこともよくある。

近年、そういった犯罪の被害者を支援するための制度がようやく法律として出来上がった。
しかし、まだまだ十分な救済はされていない。

犯罪を犯したものを一時的に留置する留置場に対して、年間に、400億円の税金が使われている。
刑務所に至っては実に、2,200億円。

一方、犯罪被害者の支援費用として使われた金額は、12億円。

金額が同等になればいいという話しではないが、それでもこの開きを妥当だと考えるのは、被害者に対してあまりにも理解が無いと言えるだろう。

2008年2月22日(金) 私である証

二年の任期満了を間近に控えた小学校のPTA会長。
今日は、来年度の委員選出が行われるので、様子を伺いに学校を訪問した。
参観と懇談が行われる今日は、保護者の集まりがよく、委員選出のためには適切な一日なのだ。

実は、この委員選出は、私がこの二年で最も実績を残したPTA活動のひとつだと、自負している。
「PTA活動」というと「忙しそう」「よくわからない」としり込みする人がほとんどである。
そのために次年度の委員選出には毎年苦労していた。
それを何とかするために私はあの手この手を尽くし、おかげで今では、立候補者が多くて悩むほどにまでなった。
中でも私が先頭に立ってみんなに呼びかけたことは効果があったようだ。

委員の仕事はそれほど大変ではないということ。
一人で全部やる必要は無いということ。
できるところをやればそれでいい、周りの人が助けてくれるということ。
そして私たち役員も、それこそ、委員の10倍は動いて、10倍は考え、そして委員をフォローした。

それが成果として現れたのだ。
そんな私のことを評価していただくうわさも聞いていた。

「このまま会長を続けてほしい」
「会長の話に感動した」
「会長の書いた文書を見て、思わず子どもに読ませた」
「来年、会長が辞めるなら、私も委員はしない」

でも、すべて嫁さんや周りの役員から又聞きで聞いた内容で、私を喜ばせようと、話を大きくしていたのだろうと思っていた。

今日、ある委員さんから言われた。
「こんなに頼もしい会長さんには、本当にずっと続けていただきたいです」
面と向かって言われたのは初めてだった。

いいように利用されているだけなのかもしれないが、それでも私と一緒に委員をしてくれる人がいることは事実だ。

必要とされるのなら、それに応えるのが、私だ。
それこそが、私が私である、証なのだ。

2008年2月23日(土) 意外なことで再認識

嫁さんが朝から携帯電話に向かいぱなっしだ。
どうやらメールをしているようである。

「何をそんなにメールしてるの?」と聞く。
「うん。○○さんからメールが来て、○○さんの友達の子どもが手術を受けるらしいねんけど、なんか特別な血液型らしくて」。

少し違和感を感じたが、そのまま話を聞いていた。

「その血液型の人を探してるらしから、知り合いにもメールして探してもらおうと思うねん」

それを聞いて嫁さんに確認した。
「○○さんの知ってる人の子どもなんやな」と。
すると嫁さんも「うん。『私の友達の子ども』ってメールに書いているから」と言う。

もし、本当のことなら、私も自分の立場を利用してでも協力しようと考えたが、まだ納得できなかったので、静観することにした。
そもそも特別な血液を持っている人たちはそれぞれにネットワークがあるようだし、本当に必要としているのなら、もっと詳細な情報を伝達すべきなのに、それがなかったからだ。

やがてそれがチェーンメールであることが発覚した。

これには嫁さんも憤慨した。
「○○さんが『私の友達の子ども』っていうから信用したのに!」

嫁さんにメールを送ってきた本人も平謝りだったが、嫁さんも自分がメールを送った相手に謝り続けた。
普段から信頼されている嫁さんからのメールに、誰一人として疑いを持つことは無く、すぐさま行動に出てくれている人も多かった。

嫁さんが謝ると、それを責める人はおらず、むしろ、ほとんどの人が「チェーンメールでよかった」と言ってくれたそうだ。
「事実でなくてよかった」「子どもが不幸な目にあっていなくてよかった」と。

チェーンメールにはとても腹立たしく思ったが、こんな心優しい人たちが周りにいることを再認識できたことはとてもうれしく思った。

2008年2月24日(日) 子ども会表彰式にて

今日は府の子ども会連合による子ども会表彰式が開催された。

去年から私が常任委員となった、市の子ども会連合(通称「市子連」)は、私が住む市の子ども会の連合であり、同じような組織は大阪府下の各市町村にある。
市子連だけでも、市内の100近い子ども会を束ねているのに、府全域となればその数は数千の数になる。
その数千の子ども会の中から特に顕著な活動をした子ども会が表彰されるのだ。

今年は私の属する市子連から4団体が表彰されることになり、そのうちのひとつは私と同じようにPTA会長を兼任している人が会長を務める地区だったので、私もその表彰式を見に行くことにした。

去年までは、市子連の会長や副会長、その他役員だけが参加しており、私のような新参者が参加するのは初めてのことのようで、一緒に参加した役員にとても歓迎された。

市内で行う催し物には時折、市教委の教育長や市長が出席する。
ところが今回は府が行う催し物。
となれば、出席するのは府教委の教育長と知事。

で、今年は新大阪府知事の橋下氏が出席していた。

さすが人気者、舞台に現れると会場がどよめいた。

表彰式では表彰されるいくつかの子ども会を代表して、ある市町村の子どもが表彰を受けたが、橋下知事と向かい合って、面白いほどに緊張していた。



知事は冒頭の主催者挨拶の中で「今までは府庁に来ることもなかなかできなかったと思いますが、これからはどんどん来てください。子ども会や育成者、指導者の方々のことをもっと聞かせて下さい。できる限りのことをします」と言っていた。
会場から「たのむぞーー!」の声が上がり、我々も拍手した。

私も、PTAの立場か子ども会の立場か、それはわからないが、いずれにしろ、市を代表して知事に挨拶に伺うときが来るだろう。

2008年2月25日(月) ついていきます

今日もバカップルの話。

市内のPTA会長の集まりがある。
それがPTAの会長会。
その上に立つ組織が、PTA会長会の役員会。
私もPTA会長会の役員なのでその役員会に出席する。

その役員から、飲み会の誘いがかかるのが私の嫁さん。
会長でもなければ役員でもない。
なのに、声がかかる。
不思議な立場である。

以前開催された、母親代表委員会の親睦会に、当日参加できなかった役員の代わりで嫁さんが参加したことがきっかけ。
それから何かとあるごとに市のPTA会長役員会で「今日は嫁さんは?」と聞かれる。

なにしろ明るい。
なにしろ人を幸せにする。
なにしろ努力家である。
なにしろ友達ちを大切にする。

こんな嫁さんだから、知り合いも多い。
市民団体代表や市教委にも知り合いがいて、PTA会長顔負けである。

私も、そこそこ市内で活動しているが、それはあくまで、PTA会長という役職名で通っているだけ。
本当の意味の「顔」で認識されているのは、嫁さんのほうだと思う。

これからもついていきます。

2008年2月26日(火) 冬の空

雲を見るのが好きだ。
この日記にも雲を写した写真が何度と無く登場している。

この前の休日もいつものように仕事をしており、そしていつものように仕事に疲れると窓の外を眺めていた。

変わりやすい天気だった。
さっきまで見えていた向こうの景色が、いつの間にか雲に覆われて見えなくなる。
そして雲は目に見える速さで、町を飲み込んでいく。

雪だ。
あの雲が低く垂れ込めているとこは、雪が降っているのだ。
それが刻々と移動していく。

その姿を納めようと、カメラを構えて窓に近づく。
窓を通して冬の凍てつきが伝わってくる。



あの町のあの辺りは、さぞかし冷たい風が吹き、雪が舞っているだろう。
そんなことを考えながら、暖かいビルの中でシャッターを切る。

冬の空の、なんともいえない悲しさに、仕事を忘れて、しばし見入った。

2008年2月27日(水) 暴言

最近、人気女性シンガーがラジオで暴言を吐くという「事件」があった。
「女性は35歳を過ぎると羊水が腐る」と言ったそうだ。
確かに、馬鹿な発言だ。

しかし、彼女が本当に「腐る」と考えていたとは思えない。
いくら馬鹿でも35歳を過ぎた出産例があることぐらい知っているだろうし、腐敗したものがいつまでもからだの中にあると信じていたとは考えにくい。
本当にそう思っていたのなら、周りから注意されて出る言葉は「すみませんでした」ではなく、「え?違うの?腐るんじゃないの?」のはずだ。
涙ながらに謝罪していたと言うことは、軽はずみな発言であったことを理解していたのだろう。

たぶん「女性も35歳を過ぎると、体が衰えてくるし、子どもを生みたければ、できるだけ早いほうがリスクも少ない」と言うようなことを言いたかったのだろう。
頭の中ではそう思っていても、つい口から出たのは、馬鹿な誰かに教えられた「羊水が腐る」だったのだろう。

でも、もっと馬鹿なのは、マスコミだ。
人気のシンガーの暴言とあって連日の報道だ。
暴言や嘘を吐いている、もっと社会的影響の大きい人がいるのに、そんな人のことはさておき、視聴者が興味を持つことだけを目的に、彼女を槍玉に挙げる。
街頭インタビューでも彼女を批判する意見ばかりを扱い、視聴者にこびる。

頭の悪い司会者が、頭の悪いコメンテーターに意見を求め、そして一番頭の悪い、テレビの前で頷く視聴者に語りかける。

そういえば該当でインタビューに答えているやつの発言も馬鹿らしかった。
「もっと自分の発言には責任を持ってほしいですね」
大勢の人の前で話す機会のないやつほど、こういうことを言う。

普通の人が普通の会話を大勢の前で話すと、ほとんどが「暴言」と取られかねない内容なのだから。

2008年2月28日(木) 飲み会ラッシュ開幕

昨日は飲み会の第一弾。
少人数でとても気分のいい飲み会。
仕事先の近くの店を予約しており、仕事も早々に切り上げた。

店に向かう途中、メールが届いた。
「今着きました」。
店に着くとすでに一人が先に来て待っていた。
「これバレンタインに」と、テーブルにおいてあるピンクの包装紙に包まれたものを指差す。
どうやらお酒のようだ。

早速、包装を開けて中身を見る。
ベルギー産のビールが入っていた。
「このビールおいしかったんです」と言う。

しばらく二人で話をしていたが、約束の時間になってももうひとりが来ないので、先に飲み始めることにした。
「かんぱーい!」。

やがて20分ほど遅刻してもう一人が現れた。
メンバーが揃ったところで、もう一度「かんぱーい!」。

気の置けない仲間同士での飲み会は実に楽しい。

この春の飲み会ラッシュの幕開けは、とてもいいものだった。

2008年2月29日(金) 法律と現実

横断歩道を渡ろうとしている人がいるときは、車はその手前で、一旦停止しなければならない。
しかし、私が横断歩道を渡ろうとしているときに、一旦停止してくれた車は数えるほどしかない。
ほとんどの車は、人がいようがいまいが、お構いなしに走り抜ける。
まるで、「怪我をしたくなかったら、そっちが遠慮しろ」と言っているかのようだ。

でも、ほとんどの人はそれに対して文句を言うことはなく、むしろ、当たり前のことのように受け止めている。
子どもに教えるときもそうだ。
「横断歩道を渡るときは、右を見て、左を見て、もういちど右を見て、『車が来ていなかったら』、手を上げて早く渡りましょう」
本来、歩行者が優先されるべきもので、車は遠慮しなければならないのだから、車のほうこそ、「横断歩道の手前では、右を見て、左を見て、歩行者がいなければ通過しましょう」とするべきである。
法律上はそうだ。

だが、実際にはそうなっていない。
小回りの利かない車よりも、人のほうが避けやすい。
横断歩道で一旦停止するのは、車よりも人のほうが、スムーズに流れる。
何より、衝突して怪我をするのは、人のほうなのだから、法律がどうのこうのより、わが身を守る方法としては、そうしたほうが安全なのだ。

イージス艦と漁船の衝突事故があった。
イージス艦に右回りで回避する義務があったという。

確かに、法を遵守しないことは許されざる行為である。

でも、実際にはどうなのだろうか。
あの巨艦が漁船団の前で右旋回したら、事故は起きなかっただろうか。
イージス艦のそばを縫うように迂回した漁船も、無事だっただろうか。
人の多い道を、人をよけながら右に左にハンドルを切って走る車より、例え歩行者優先の道路であっても、車に真ん中を走ってもらって、人間のほうが端によけるほうが安心ではないだろうか。

回避義務を怠ったと、非難が集中している。
非難する人はみな、横断歩道の手前で必ず一旦停止する、さぞかし、お手本のようなドライバーなのだろう。

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