カリント日記

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2008年4月1日(火) 清清しい朝

ちょっと意気込みすぎたか、それとも前日の就寝が早すぎたのか、朝の5時を過ぎたあたりから、目がさえて、まだ時間があるからと、自分に言い聞かせて、二度寝の快感を味わおうとしたが、無駄な抵抗だった。
そもそも二度寝の快感は、睡魔という誘惑に負けて眠るからこそ快感なのであって、無理に寝ても苦痛にしかならない。

布団を跳ね除け、一気に起き上がる。
テレビをつけても見慣れない早朝の情報番組は、なんだか会話のテンションも低く、ひそひそ声のように聞こえるのに、音楽だけは浮き足立つかのように明るい。

パソコンを開いて昨日の残作業を片付けることにした。
子ども会で配るプリント、班長たちに配るプリント、などなどを片付け、一段楽したところでコーヒーを飲む。
そういえば、自分でコーヒーを入れるのは久しぶりのことだ。
あたりはすっかり明るく、この季節は思っていたよりも日の出が早いことに改めて気付かされる。

カレンダーを眺めると今日は4月1日。
今日から生活を改善しようと、始めた早起きだが、エイプリルフールにならなければいいがな、と一人で苦笑いする。

窓を開けて空気を吸い込む。
新しい年度の始まりに、清清しさを覚えた。

2008年4月2日(水) 久しぶりの再会

知り合いの女性から久しぶりの連絡があった。
私の仕事場の近くで食事をするので、そのあと、少しだけお茶でも飲まないか、という連絡だった。
普段は新幹線で行かなければ会えないようなところに住んでいるのだが、たまたま実家に帰ってきているらしい。

そして昨日、久しぶりのことなので、私も話をしたいと思って、お互いに昼食を済ませた後、近くのコーヒーショップでお茶を飲むことにした。

小さな子どもを連れていたが、以前、会った時も子どもを連れていたので、それほど変わっているようには感じなかった。
相変わらずの声で、相変わらずの調子で、相変わらずの内容を話す。
でも、時折見せる母としての表情に、年月を感じる。

可愛い盛りの子どもと会話をしている私を、第三者が見ればどう思うだろうか、と一瞬頭をよぎるが、それよりもやはり、そんな子どもの相手をしているほうが楽しくて、周りのことなどお構いなしに、子どもと話をし、相手をする。

春から幼稚園に行くのだと言う。
お母さんとしては少々頼りないと感じていたが、それでも幼稚園児の保護者になる。
数年後に私がPTA会長を務める小学校に、新入生の保護者として入学式に参列してもおかしくはない。

彼女に聞かせたい説教じみた話は山ほどあるが、たまにはそんな話は抜きにして、ゆっくりとコーヒーを飲みながら会話するのも、楽しいと感じた。

2008年4月3日(木) 久しぶりの再会その2

知り合いの女性から久しぶりの連絡があった。
一昨年の冬に再会して依頼のことだ。

子どもができたという話を聞いたのは昨年の秋。
子どもができてしばらくは外出できないだろうと思っていたが、暖かい春の陽気に誘われたのか、一緒に昼食でも食べようという。

ならば、と知人の男を連れて三人、いや、子どももいるから四人で食事をすることにした。
久しぶりに説教でも聞かせてやろうか、と。

近くの座敷のある店で食事をしようと、待ち合わせ場所をしていたが、いつものような調子でメールが来た。
「○○ビルってどこですか〜?」

何もここは初めて彼女が来る場所ではない。
少なくとも一年近く、通っていた彼女の職場近くだ。
だが、方向音痴は相変わらず。

ようやく四人揃って店に入る。
座敷では、赤ん坊を挟んで私と彼女が並んですわった。

久しぶりの赤ん坊だが、すでに私の体に染み付いているのだろうか、まるでこの前まで赤ん坊がいたかのように、普通に抱きかかえてあやす。
両手に抱いていると笑わせずにはいられない。
そして笑顔を見ると赤ん坊と自分だけの世界に入り込む。
もはや母親そっちのけである。

かわるがわる赤ん坊の面倒を見ながら食事をする。
そういえば、夫婦で子どもを連れて出かけるときは、いつも落ち着いて食事なんかできなかったなあ、などと思い出す。

やがて私のひざの上で眠ってしまった赤ん坊だが、すでに仕事に戻らねばならない時間となり、結局、彼女に説教をする時間などほとんどなかった。

それでも彼女は久しぶりの再会を喜んでくれたし、またいろいろと教えてほしいといって去っていった。
ベビーカーを押している姿はすっかりお母さんになっていた。

2008年4月4日(金) 最後の仕事

おそらくは平成19年度のPTA役員として最後の仕事が今日の新一年生委員選出。
PTAの中心的活動を担うのは「実行委員」と呼ばれる人たちだが、この実行委員は各学年から6名ずつ選出される。
2年生以上の実行委員はすでに3月の時点で決まっているが、新一年生は入学してから実行委員が決まる。

以前は4月中に行われる、新一年生の保護者懇談のときに、委員を選出していた。
しかし、そんなところで委員を選出するといっても、手を上げる人などほとんどいない。

手を上げる人がいなければ抽選となるが、抽選で選ばれた人が必ずしも引き受けてくれるとは限らない。
どうしても引き受けられない事情だってある。
断る以上、みんなの前でその事情を言わなければ、許してもらえない時だってある。
これから6年間、一緒に過ごしていく子どもたちの保護者同士で、そんな空気が生まれることがいい関係を築くはずもない。

そこで私は、3月に行われる、保護者向けの説明会のときに、PTA活動に対する説明をして、活動に協力できるかどうかのアンケートを配布し、そして今日の入学式のときに、それを回収して決めるという方法を考えた。
もちろん、私は、その説明会での私の説明を聞けば、6人の委員はすべて「立候補」で決まる、という自信があったのだ。

そのアンケートを回収するのが今日の役員の作業。
スーツや和服を着た保護者が来校し、会場入りするところでアンケートを回収する。
回収し終わったアンケートを役員たちと、集計する。

その結果、抽選をしなければならなくなった。
しかし、それは、立候補者がいないからではなく、その逆に、立候補者が多すぎて、誰を委員にするかを決定するための抽選だ。
これですべての学年が、立候補で埋まった。

私がPTA会長を引き受けたときの最大の課題。
「毎年苦慮している委員選出を速やかに行える仕組みを考える」というもの。
それを改善できたことはとても大きいと自負している。

かつてはいやな雰囲気の中で数時間を要して決めていた実行委員の選出。
それが、いまや、PTAの活動に立候補で参加するようになったのだ。

一人でやれば辛く大量の仕事でも、たくさんの人でやれば、楽しく少ない仕事で済む。
それをアピールしたし、事実、そう感じてくれる人が多くなった。

しかし、私一人の力ではない。
一緒にやってきてくれた役員たちがいたおかげだ。
おそらく、今日の結果を見て一番喜んでいるのは、この私だ。

2008年4月5日(土) さくら高校

この四月から長女が通うことになった高校は、長男の卒業した学校であり、私もPTA役員として、何度となく足を運んでいるが、この学校を訪問するには、一年の中でこの季節が最もよい。

最寄り駅からこの学校にくるまでの間には数百メートルほどの遊歩道がある。
その遊歩道には小さな公園やベンチもあり、昼間は公園で遊ぶ子どもたちや、ベンチで語らうお母さんたちのほのぼのとした光景をよく見かける。
そしてこの季節には、ところどころにある桜が花を咲かせて、その光景に色を添えている。

この桜の並木を通り、美しさにため息をついていると、やがて学校にたどり着いて校庭を見渡したとき、先ほどの公園の桜が序曲であったことを知る。

広い運動場の、校舎に面した側に、見事に咲きそろう桜の列が、横一線に並んでいる。
年月を感じさせる校舎ではあるが、桜を前にして堂々たる構えを見せる。
空の青さと、運動場の土の色の間に、校舎のグレーと桜の色がマッチして、美しい景観を作り上げている。



そしてこの季節の土曜日には毎年、この学校で「お花見」が開催される。

校舎と桜並木の間には、生徒たちが作ったとは思えぬほどしっかりとした、椅子やテーブルが並べられ、大人気の茶道部の抹茶や、PTAや後援会が準備したコーヒーやお菓子などが振舞われる。



その桜の木の美しさと吹奏楽部の演奏に、自然と笑顔になる老人ホームの人や病院の患者さんがいる。
幼稚園児は最前列の席に陣取って、きぐるみを着た生徒が演奏する、おもしろおかしい管楽器のカルテットに夢中になる。

多くの学校を知っているわけではないから、他の学校と比べようもないが、それでも私は、この学校の持つ、この暖かい雰囲気は、どこの学校にも負けないだろうと信じている。

2008年4月6日(日) 夜の世界に生きる人

偽善者と言う言葉をよく耳にする。
私もよく「それは偽善の行為だ」などといわれることがある。
ならば聞きたい。
「何が善なのか。自分は何もせずして、知ったような口を利くことが善なのか」

親がわが子に命をかけるのは当たり前のこと。
それができてこそ、親と呼べる。
しかし、他人の子どもとなると話は別だ。
他人の子どものために命をかけられる大人は少ない。

今日、そんな見ず知らずの他人の子ども、それも、世間では不良と呼ばれる子どものために、自らの命を削って、その子どもたちの命を救い続けている人、水谷修氏の講演会があった。



夜の世界を歩き、昼の世界に行き場所を見つけられない子どもたちを救う活動をしている。

知らない大人は言う。
「夜は出歩くもんじゃない。早く帰れ」
また、法律は言う。
「深夜に子どもを外出させた場合は保護者に罰金を科す」

昼の世界に生きられない子どもにはわけがある。
中には親に虐待を受けて自宅を飛び出している子どもいる。
そんな子どもが家に帰ればどうなるか。
まして罰金など科せば、その虐待している親はどうするか。
昼の世界に自分の居場所がなく、逃げ場所を失った子どもがたどり着く場所。
それが夜の世界。

氏の講演内容は衝撃的なものだった。
氏の活動や、講演の内容、著作物などで、おそらくはそこに参加している聴衆の中でも、かなり氏のことをよく知っている部類に属する私ですら、胸を貫かれたような思いがした。

講演の前日も氏は夜の街を歩いていた。
街角にたたずむ少女に声をかけ、何かあったら連絡しろ、と名刺を渡す。
たむろする少年に声をかけ、どうした?帰る場所がないならうちに来い、と連絡先を渡す。

時には風俗店へ押しかけ、時には暴力団事務所にも乗り込む。

自らの命を削り、身を危険にさらしてでも、子どものために行動する。
そんな一人でも多くの子どもの命が救われる行為。
これを偽善と言うならば、失われ行く子どもの命を見捨てることが善なのか。

それでも氏は言う。
「私が救えなかった命は54。それはすべて私の責任です。そして子どもたちとの約束のために、これからも夜の世界で子どもを救い続けます」

2008年4月7日(月) 専従員さん

昔は「緑のおばさん」などと呼ばれていたが、今は「交通専従員さん」と呼ばれることが多い。
通学路にある交差点などで、黄色い交通安全の旗を持って、子どもたちを誘導してくれる、あの人たちのことだ。
私の次女が通う小学校の通学路にも、そんな専従員さんの立っている場所がある。

以前からずっといらっしゃたのだが、朝の時間帯は仕事へ向かうために、まっすぐ駅へ向かうので、専従員さんと顔をあわせることもなかった。

しかし、地区長になるとお世話になることも多い。
そのため、毎年、新しい地区長さんは始業式の始まる直前に、学校で専従員さんたちを顔あわせを行うことになっている。
今日は午前中のうちに図書室で顔合わせを行った。

地区長8名に、専従員さんも8名。
教頭先生を間に挟んで話をする。
まずは簡単に自己紹介。

教頭先生が私のほうを見て、「えーそれでは、かい・・、いや、前年度PTA会長の○○さんからお願いします」という。
まだ、「会長」と言う呼び名が抜けきれていないようだ。

自己紹介を終えると、専従員さんからいろいろと活発な意見をお聞きした。

「横断歩道を渡るときに悪ふざけをして、なかなか渡らない子どもがいる」
「一人だけ遅れて登校してくる子どもがいる」

手厳しい意見もお聞きしながら、一方で、いい話もお聞きした。

「毎朝、大きな声で挨拶してくれるのが楽しい」
「先生や親にいえないことを相談しに来る子どもがいる」
「自分の作った工作や絵を自慢げに見せてくれるのでうれしい」

私の知らなかったところで、こうやって子どもたちと信頼関係を築き上げてきた人たちがいる。
まだまだ勉強させられることは多いと、実感した。

2008年4月8日(火) 会長としての入学式

会長として出席するなら緊張するのが当たり前なのだろうか、なんだか周りが気を使っているように感じた。
今日は高校の入学式。
PTAの役員を務めて3年目になるが、会長として入学式に参列するのは初めてだ。

来賓たちは式の前に校長室に集まり、お茶をいただく。
その中で雑談をして時間が来るのを待つのだが、後援会の会長や副会長らが「会長、頑張ってください」などと声をかけてくれる。

会長とはいえ、高校の入学式では来賓の挨拶もなく、来賓席で胸にこっ恥ずかしい赤い花を、つけて座っているだけ。
私としてはいたって普段と変わらないのだが。

入学式は卒業式と違って涙はなく、自慢の校歌も清清しく聞こえる。
新入生はほとんど全員、また保護者の多くはこの校歌を聞くのは初めてだろう。

式は厳かに粛々と進み、来賓は一度退場することとなった。
来賓として招かれた私だが、PTA会長としての初仕事が待っている。
それは入学式終了後に行われる、保護者へのPTAの説明だ。
みんなが心配してくれたのはこのことだ。

保護者を前に、このPTA活動への協力を呼びかける。

小中学校と違って遠距離にある高校へは足が遠のきがちになるが、まずはこの学校のよさを知って好きになってほしい、そんな話をした。

でも、去年も同じことをした。
会長が不在だったので、急遽、私が代行したのだ。

会長として初めての仕事は、いつもより上手く話すことができず、50点程度の出来だった。

しかし、保護者として出席していた嫁さんは、「うまいなあー。さすがやなー」と感心していた。
別にお世辞を言っても得するわけではないので、おそらく、ほかの保護者も同様に感じてくれていたとは思う。
だとすれば、伝えたいことが伝わっているはずで、まずは合格といったところか。

2008年4月9日(水) 登校の引率

正直、最初は、「面倒だな」と思った。
やったほうがいいことだとは思いながら、今まで一度も経験していないのは、どんな理由を並べようと、結局は「面倒だったから」に他ならない。

小学校が始まって、新一年生が通学路に慣れるまでの一ヶ月間、子どもたちの集団登校を学校まで引率していくのだ。

例年、学校周辺地域の各地区の班長さんたちが順番で引率していく。
私の地区も毎年、班長さんが引率していくのだが、今年は私がその班長を束ねる地区長になっている。

そもそも、地区長になった理由は、PTA会長として活動していても、地区長の仕事を経験していない私が、地区長さんに指示を出しても、それは説得力に欠けることだと思ったからだ。
だから、地区長を経験していく中でも、班長さんたちがやっていることも、自ら進んでやらなければ、同じように班長さんたちを説得することができない。

だから、毎日の引率も二人一組のうち、一人は私で、残る一人を班長さんでローテーションしてもらうことにした。

ところが、半分は義務のように感じて始めた引率だが、子どもと話をしながら通学することが楽しく感じた。
途中の専従員さんや、いつもの信号のところでボランティア活動をしている校区長らと挨拶をするのも楽しい、
学校までのあちこちで子どもたちが登校の準備をし、その周りにお母さん方がいて、そのみんなと挨拶をしながら学校へ行くのが楽しい。
校門の前で子どもたちに挨拶をしてくれる警備員さんと挨拶をするのが楽しい。

子どもたちからエネルギーをもらう、とよく言うが、今、それを実感している。

これなら毎日続けられそうだ。

2008年4月10日(木) 総務部の仕事

頼まれていた資料を何とか間に合わせて会議に臨む。
よくあることだが、今回は新たに「市子連」が加わった。

市子連は市内に子ども会のまとめ役。
会員数は5,000名近い。

校区子ども会の会長が自動的に就任する「常任委員」と呼ばれる人と「役員」から構成されている。
私は校区子ども会の会長ではないが、「会長推薦」として常任委員になった。
なりたくてなったわけではないが、まあ、私を放っておく人はいない、ということだ。

で、早速、総務部に配属。
いろんな資料を作成したり纏めたり、表立って活動するのではなく、みんなが活動いやすいようにフォローするのが活動。
とはいえ、人手が少ないので、何だってするのだが。

私が、会議のたびにパソコンで記録を残していたのは、市子連のためではなく、あくまで自分と地区の子ども会のため。
それでも、こうやって記録を残すことが大事だと感じたのか、市子連で新しいパソコンも購入した。
役員さんは「パソコンが壊れたので購入した」とは言っているが、まともに操作できるのは私ぐらいで、私が総務部に入ったので新しく買いなおした、といった感じがする。

先日はそのパソコンのセットアップをしたが、インターネットにも接続できず、まだまだ使える状態ではない。

やはり私のパソコンの出番。
資料の作成も記録も取りまとめも。

せめて各自が、電子データで資料を残してくれれば、そのあとの作業は楽になるのに。
今度はパソコン教室でもやってみるか。

2008年4月11日(金) 子ども会慰労会

別に今日のためにビールを我慢していたわけではないが、結果的には一週間ぶりのビールになった。
今日は前年度子ども会班長さんとの、慰労会。
メンバーは私以外全員女性。

メンバーの一人が決めたこの店は、隣の駅にある。
そういえばこの人が行く店は決まって隣の駅だ。
それでも、美味しいちゃんこ鍋なので別に文句はない。

何よりビールがうまい。
女性のマシンガントークに割り込むつもりはないので、おとなしくビールを飲む。
と、思っていたが、遅れてきた嫁さんが、学校の話をしだすので、蚊帳の外にいた私もなかに引っ張り込まれた。

いつもの飲み会なら話をするほうだが、さすがに今日は聞き役に回ることが多い。
それでも、女性の話す言葉の半分は私の目の前を飛び交うだけで、私の耳はそれを聞こうともしていなかった。

もちろん、私が話をしたところで、お話に夢中の女性たちの耳には、届きもしないのだ。

2008年4月12日(土) 資料作成

昨日の慰労会の酒も残っているのに、早起きが身についてしまったのか、7時過ぎには目が覚める。
少し鈍い反応をする頭を覚醒させるために、とりあえず、コーヒーを飲む。
ちょっと目が覚めたところで、シャワーを浴びる。

すっかり目が覚めると身支度を整え出かける。
そういえば朝食がまだだったので、途中でサンドイッチを買う。

今日は市子連の会議用資料作成をする日。
参加人数が100人に及ぶ総会が間もなく開かれるため、その資料用の冊子を作成するのだ。

いつもの活動センターに到着すると、すでに作業は開始していた。
手馴れた手つきで資料を次々とまとめ、冊子を作っている。

私はパソコンのセットアップが仕事。
その場で修正が必要になった資料の訂正をして印刷をしたいというのだが、肝心のプリンタが使えないと言う。

女性の副会長がちょっと不満を漏らすように「この前、○○ちゃんに『プリンタ使えるようにして』って言ったら、ドライブ?とか何とかがないからできない、って」と言う。

あ、なるほど、ドライバね。
プリンタドライバがないということか。
どうせCDが見当たらない、とでも言うことだろう。

「たぶん大丈夫ですよ」と私が返事をすると「ほんと!?」と気体に満ちたまなざしで私を見ている。

早速、この前購入したというノートパソコンを開く。
幸い、このセンター近くにアクセスポイントがあるらしく、無線でインターネットに接続ができる。
プリンタの型番を入れてぐぐって見ると最新のドライバが入手できた。
それをインストールして、プリンタを使えるようにする。

「え?うそっ?もう、できたん?!○○ちゃんも、△△くんも、でけへん、言うてたで」」と驚いている様子。
知らない人から見れば魔法でも使ったように見えるのだろう。

これで私の仕事は半分終わったようなもの。
後は修正したいという文書を修正して印刷し、複写して小冊子を作るだけ。

およそ1時間ほどですべての作業を終えて、みんな三々五々と散っていく。

私と副会長だけが残り後片付けをしていると、副会長が切り出した。

「これからいろんな資料を作ってほしいの。もう、いろんなことが、私の頭の中にだけ入ってるので、他の人ができなくなるの。わかる? だから××くんにはそんな、資料を作ってもらって、他の人でもできるようにしていってほしいの。前からやりたいと思っていたんだけど、できる人がいなくて。××(私)くんならできるから」

いわゆる「マニュアル」や「手順書」を作れということらしい。
一度パソコンで作ってしまえば、次回からは、日付を変えるだけで使えることが多い。

期待されるなら、それに応えなければ。

2008年4月13日(日) 決算報告を見て

企業に限らず、大方の組織が年度末と言われる3月や4月に大忙しとなるのは、一年の締めくくりとしての決算をしたり、来年度の予定としての予算の作成に追われるから、というのも原因の一つだと思う。

子ども会にも決算や予算があり、それを報告するのは私の役目だ。
とはいえ、一年間を通しての金銭の出納は、班長の一人から互選される会計さんが、担っているため、会長の私は細かいやり取りをすべて把握しているわけではない。
年度末に報告を受けるだけだ。

だが、今年は年度末ぎりぎりまで子ども会の活動があったため、会計の引継ぎが土壇場になって行われた。
そのため、会計報告の資料ができておらず、急遽、帳簿を預かって私が作成することになった。

収入は自治会からの助成金、学校からPTA活動に対して支払われる助成金、それと、会員である子ども達の会費。
前年度の繰越もある。

一方、支出は、イチゴ狩りに始まって、盆踊り大会、花火大会、餅つき大会、クリスマス会、ボーリング大会、お別れ会などの各種イベント費用以外に、ラジオ体操皆勤賞や他の自治会主催のお祭りなどへの「花代」と呼ばれる寄付金などもある。

なんだかんだで、支出のほうが圧倒的に多く、今年度は赤字だった。
それも仕方がない。
子ども会が活発に活動していることをアピールするために、こどもの参加費用をすべて無料にしていたからだ。
その甲斐があって、私が会長になる前に比べ、予算は30%も増えた。

で、予算を組んでみた。
同じように子ども会が費用の全額を負担していると赤字になる。
いくつかの行事では、参加者全員にいくらかを負担してもらうことを了承してもらおうと思う。

かなりの協力者も増えたし、理解者も多くなった。
今年は少し方針を転換しようと思う。

2008年4月14日(月) 子ども会だけでは

予算案を決定する自治会の定例会では、毎年、子ども会の助成金をいかに多くもらうか、それを考えていた。
しかし、子ども会に対して理解が増えてきた今、あまりお金の話をするのは得策ではない。
とはいえ、最近のイベントは金のかかるものが多く、会員へも実費負担をお願いするように方針転換したものの、それでもやはり、予算の増やしてもらいたいというのも事実。
自分自身でどうするかはっきりしないまま、会議に参加した。

予算については誰とも相談はしない。
なぜなら、子ども会のお母さん方に相談すれば、「予算を上げてもらう」以外には意見が出ないからだ。
一番の理解者である、嫁さんでさえ、「自治会」vs「子ども会」の図式が頭のどこかにあるのか、「そらもう、お金がかかるんやから、予算をもらわないと」と決めてかかっているように思えて仕方がない。

自治会だって予算が潤沢にあれば、好きなだけ使っていいといってくれるはずだが、そうはならないのが当たり前で、決められた予算枠でいろいろなところへ配分する必要がある。

その中には、子ども会のお母さんたちから見れば「無駄な予算」と思われるものもあると思う。
子どもたちのために日々、無償の愛と行動で心血ををいでいるお母さんたちからすれば、何もしない人や、地域のために役立つことのないものにお金を使うなんて、考えられないことなのだろう。

しかし、町内に住む人はさまざま。

お母さんたちのように高いモチベーションで自分を鼓舞できる人もいれば、だらだらと生活することしかできない人間もいる。
そんな怠惰な人間も、一人前に文句は言うし、権利を主張する。
自治会の人たちはそういう人間も相手にしなければならない。

子ども会のように、同じ小学校へ通う子どもという共通点のある大人は、まだ話し合える余地があるし、分かり合える部分も多い。
でも、自治会ではそうも行かない。

自治会の定例会の回を重ねるたびに、自治会に人と酒を酌み交わすたびに、そういうところがわかってくる。

結局、子ども会の予算は据え置きとなった。
それでも、自治会参加の中では最も多くの予算を割り当ててもらっている。

私は子ども会の会長だが、子ども会のことだけを考えていればいい立場ではなくなりつつあることを、実感している。

2008年4月15日(火) 子ども110番

PTA会長のときにやり残したことがあり、それをするために地区長になった、といっても過言ではないことがある。
それは「子ども110番」の家庭への挨拶。

「子ども110番」は大阪府が中心となって進めてきたもので、主に登下校時の児童の安全確保を目的として、通学路近辺の家庭に「子ども110番」の家庭として登録してもらい、児童が事件などに遭遇したときに、一時的に児童を避難させる場所を提供してくれるようにする制度だ。
その制度は各家庭が自治体へ申請し、市から「子ども110番」の家庭であることを示す黄色い旗をもらい、それを外を通る子どもたちの目に付く場所に掲げることで、成り立っている。

しかし、実際に子どもの立場に立ってみればどうだろうか。
万一の「駆け込み寺」的な存在であるはずのその家庭に、子どもたちは飛び込むことができるだろうか。

小学校3年生の次女に聞いてみた。
「よう入らん」という。
親が心配するほどに人懐っこく、社交的で積極的な次女を持ってしても、このとおりだ。

内向的な子どもだったり、もっと低学年だったりすれば、見ず知らずのよその家に飛び込むのは難しいだろう。

そこで私は、この見ず知らずの家を、子どもたちも知っている家にすればいいと考えた。
それが「子ども110番」の家庭への挨拶だ。

もちろん、わが子だけを連れて行くような、利己主義的なことはしない。
同じ通学路を利用する、同じ町内の子ども、それも1年生から3年生までと、有志の保護者を連れて、挨拶に行く。

しかし、肝心の「子ども110番」の家の所在がわからない。
確かに通学路にいくつかあるが、どこにどれだけあるのか、情報がないのだ。

そこで、市子連を通じて知り合った市教委の人に連絡してみた。
すると偶然にもその人が「子ども110番」の担当者だと言う。
これは話が早いと思って、どこに「子ども110番」の家庭があるのか教えてほしいとお願いした。

しかし、案の定「個人情報」の問題で公開はできないと言う。
私の趣旨については大いに賛同してくれたし、共感もしてくれたのだが、簡単にはいかない。

ま、確かにそうだ。

開示請求をすれば開示してもらうこともできそうだが、どうしたものか。
ちょっと考える。

2008年4月16日(水) 伝心

空を見上げて月を探す。
いや、探す前から、雲に覆われて見えないことはわかっていた。
それでも、そこで微笑んでいてくれそうな気がして、空を見上げた。
まるで今の私を、彼は許してくれるかどうか、それを確かめるかのように。

この季節になれば、夕方、空を見上げる。
太陽が西に沈みそうなころ、東よりの空に、きれいな月が見える。
菜の花はないけれど、芭蕉の読んだ句を思い出す。

そういえば、菜の花の咲く堤防でよく遊んだものだ。
私も嫁さんも若かった。
もちろん彼も。

彼は外で遊ぶことが好きだった。
アウトドア派の彼にとっては、春はとてもいい季節だ。
できることなら、いろいろと知っている彼に、子ども会のためにいろいろと教えを乞いたいところだ。

しかし、その子ども会活動などで多忙な私は、なかなか彼に会いにいけない。
今年で2年連続して会いにいっていない。
そんな不義理な私に、彼は協力してくれるだろうか。

そんなことを考えながら、空を見る。
月は見えない。

空の上で彼は、少しすねているのだろうか。

2008年4月17日(木) 儀礼的なお通夜

私が地域や学校で役員をやっていなかったとしたら、おそらく参加しないと思われることはたくさんある。
冠婚葬祭などはまさしくそうで、「お通夜」はその際たるものだ。

今日は子ども会の班長さんのご親族にご不幸があった。
でも、故人のことを私は知らない。
故人の息子さんのお嫁さんが、子ども会の班長なのだ。
だから私は故人の顔も存じ上げなければ、故人と話をしたこともない。
子ども会がどれほど世話になったのかも知らないし、故人も私のことを知らないだろう。

こんなときいつも思う。
「儀礼的だな」と。

それはむしろこちらの気持ちとしてではなく、相手側の気持ちを思うと、そう感じるのだ。

同じ町内に住んでいるとはいえ、私とかかわりがあるのは、故人の息子の嫁さん、つまり班長をしている女性なのであって、失礼ながら、故人となった人が、つい先日までご存命であったことすら知らない。

そんな人間が、お通夜の席に現れて、ご焼香させていただくなど、それこそ、「子ども会の会長」という肩書きでもなければ、やらないだろう。

自分がそう思うより、相手がそう思っているんじゃないかと思うと、こんな気持ちで出席するのは、失礼なんじゃないかと考えてしまう。

年を重ねるごとに、こんな機会が増えるのは、仕方のないことなのだろうけれど。

2008年4月18日(金) 小学校部会長最後の仕事

PTA会長としての仕事が残りわずかになってきた。
今日はそのひとつ、市のPTA協議会の決算総会があった。

いつもの場所で行われる会議だが、今日は新旧のPTA会長と、校長先生も出席する。
来賓もお見えになるので、普段は仕事着のまま、駆けつける会長たちも、みなスーツ姿だ。

役員はみんなより1時間早く集合する。
役員と言っても、雑用をすることが多く、今日、1時間早く集合するのだって、椅子や机を並べたり、音響設備を準備したりするのが目的だ。

でも、その役員としての仕事も今日で最後。
総会が始まる前に、私の後任の小学校部会長を選出する話し合いがあり、そこで新年度の小学校部会長を選出すれば、私の役員としての仕事は終わりだ。

委員選出担当者が2名いるのだが、「○○(私)さん、司会進行してもらっていいですか?」と、言うので、結局私が一人で全部やることになった。

講義形式に並べられた椅子には、新年度の小学校のPTA会長が座っている。
それに対面するように、私が座り、話を始める。

「総会の前に、新年度の小学校部会長を選出したいと思います」

その後、小学校部会長の役目について簡単に説明した。

「それでは、どなたか立候補されるかたはいませんか?」

そう言ったとたん、今まで私の顔を見て話を聞いていた、会長たちは下を向いた。

去年は、私がすぐさま手を挙げて、立候補したのでこの会議も5分で終わったのだが、今年はそう行きそうにもない。

今年、二年目になる会長にお願いしたいところだが、優秀な会長たちはすでに、協議会の副会長になっていたり、会計になっていたりと、すでに何らかの役が割り当てられている。
私の小学校の新PTA会長を始め、二度目の会長経験がある男性にお願いしても、しり込みするばかり。

結局、二度目の会長経験である女性にお願いした。

そんなにたいしたポジションでもないから気楽に引き受けてくれればいいのに、今年の市PTA協議会の男性諸氏は少々、頼りないと感じた。

2008年4月19日(土) 市子連総会

昨日に引き続き今日も総会。
今日は市子連の総会だ。

市子連の総務部として活動を始めた私は、やはり準備のために、みんなよりも早く、会場入りする。
資料の準備や確認など、今日の参加者は各校区の子ども会の代表者、およそ120名。
おそらく私が属する組織の総会の中では最も参加者数が多い。
それだけに資料の量も多く、準備するのも一苦労だ。

広い会議室に机をぎっしり並べたにもかかわらず、参加者の一部は、机のない場所で椅子に座らなければならないほどに、人が集まった。

来賓は市教委のお偉いさんたち。
みんな、昨日の市PTA協議会の総会でもお会いした人たちだ。
こんなとき、どんな挨拶をするのか気になる。
まったく同じことをいうのか、それとも違ってくるのか。

今回は後者だった。
昨年は前者だったような気がする。
心なしか、今日の挨拶のほうが、気持ちが入っているように感じた。

肝心の総会の内容は、それこそ何事もなく、速やかに進み、無事に終了した。

今日の司会進行は総務部のベテランだったので、式次第などを見なくても進めることができたが、こういうものは誰にでもできるようにしておく必要がある。
そこで私は進行のための次第を作ることにした。

そう思いながら見ていると、退屈な総会も、少々楽しくなった。

2008年4月20日(日) 奈良へ

今度の連休にはイチゴ狩りで奈良へ行くことになっていたし、前から次女が「奈良の鹿を見たい」としつこくねだっていたので、今日は下見も兼ねて奈良へ出かけることにした。
早起きというほどでもないが、連日、子どもたちを学校へ引率しているので、以前に比べれば休みの日でも、動き始めるのは早い。
機嫌よく、車をガレージから出し、少しの汚れをさっと洗い流し、車を拭き終わるころには、家族も準備ができた。
車に乗って、目的地をカーナビにセットすると1時間程度で到着するという。

気持ちのいい天気に、みな上機嫌だ。
高速道路を走るのは久しぶりで、エンジン音も心地よい。
やっぱこの車は高速道路を走らないとな、などと一人悦に入ったりもする。

やがて目的地のイチゴ狩り農園に到着。
「道の駅」にあるそのビニールハウスの農園は西日本最大というだけあって、大きい。
今日は見学だけなので、さっと見て、その道の駅にあるラーメン屋で昼食を取る。

次の目的地は奈良公園。
天気のよい休日とあって、どこの駐車場も満車、満車。
嫁さんと子どもを、鹿のいる場所に下ろし、私は駐車場を探す。
何とか見つけた駐車場に車を止めて、嫁さんたちに合流。
次女は鹿を追いかけているところ。
次女はあまり動物を怖がらない。
鹿を平気で触っている。



鹿せんべいを飽きるほどもらった鹿は、さっさと向こうへ行ってしまい、次第に飽きてきたころを見計らって、次の場所へ行こうと、促す。

最後の目的地は「県立民族博物館」。
とはいえ、実際にこの中へ入るわけではなく、この周囲にある、公園が目的。
イチゴ狩りの当日は、この公園で食事を取る予定なのだ。

園内を歩く。



案内図で見たときはそれほど大きいとは感じなかったけれども、一周すると1時間近くかかった。
ま、自然大好きの長女が横道にそれることも多かったのだが。
本当にこういうところに来ると、長女は人一倍元気になるように思う。



程よく遊んで、程よく疲れたところで帰路に着く。

案の定、高速道路を走るころにはみんなすっかり眠ってしまった。

思い返せば、こうやって車で出かけるのって、1年以上ぶりのことだった。
もう少し、家族のこともしっかり見ないと。
まさしく、灯台下暗し、になってしまう。

2008年4月21日(月) トラブル

地区の子どもたちを学校へ送り届ける引率の仕事を終えて、自宅に戻って朝食をとっていたときのこと。
机の上の携帯電話がブルブルと震えた。

私のプライベート用の携帯電話は、メールを受信するとブルブルと1回だけ震える。
迷惑メールもよく届くので、携帯電話の「ブルブル」と震える音が聞こえるのは日常茶飯事のこと。

ところがその「ブルブル」が1回では止まらなかった。
家族の視線が、テーブルの上に集中する。
とたんに緊張感が走る。

震えているのは、仕事用の携帯電話だった。
この時間に仕事用の携帯電話がなるのはよくないことが起きている知らせだ。
子どもたちは口を閉ざし、嫁さんはテレビの音量を下げる。

電話に出ると、案の定、トラブルを知らせる声。
しかも、私が引率に出ているときにも、電話はなっていたらしく、持ち歩いていたにもかかわらず、私はまったく気がつかなかった。
トラブルの発生はできるだけ初期の段階で正しく対処することが、被害を最小限に食い止める基本だ。
なのに、肝心の私が30分以上も、その電話に気づいていなかった。

電話ですぐさま、対処方法を教えて、30分後には応急処置を施すことができた。
その後、身支度をさっさと整えて、ユーザ先へ向かった。

トラブルのことを思い出すと、日記を書いているだけでも、緊張する。

2008年4月22日(火) トラベルトラブル

本来ならば、今日は東京出張の予定だった。
東京への出張は疲れもするが、反面、新幹線の中では一人になれる。
今の私にとって一人になれる時間と言うのはとても貴重なこと。
別に何をするわけでもないが、ゆっくりと物事を考えて整理できる。

しかし、その貴重な時間を今日は得ることができない。
昨日のトラブルのせいで、今日は朝からユーザ先でシステムが安定稼動するかどうか、立会いをしなければならない。
結局、昨日の障害はハードウエアの問題であることがわかった。
おかげで、私の指示ミスや作業漏れなどではないことが判明し、幾分気が楽になった。

それでも、今朝は、毎朝の引率を急遽代わってもらい、子どもたちが起きる時間よりずっと早くに、現地で作業を開始した。

ハードも新しいものに取り替えたし、ついでに私が作成した手順書に、ハード障害発生時の対処方法についても記載を追加した。

そうして無事に、私は放免となり、いつものデスクワークに戻った。

明日からはまた平穏に引率のできる日が戻るだろう。

2008年4月23日(水) 謝罪は辛い

仕事では毎日客先を訪問しているが、ほとんどの場合がテクニカルサポートのためのデスクワークである。
それ以外には、定期的な会議や、営業支援、それから先日のようなトラブル対応がある。
そして稀にではあるが、客先への謝罪訪問と言うのも、大事な仕事だ。

いつもグループで作業をするわけではなく、ほとんどが単独の作業ではあるが、それはシステムの構築や稼動に携わる種々雑多な連続した作業のひとつを、単独で推敲しているに過ぎない。
つまり、最初から終りまで一人で行う作業と言うのは皆無に等しい。
パソコンを一台売るにしても、私がパソコンを作っているわけではない。

しかし、お客さん、特に実際のコンピュータを使うエンドユーザから見れば、設計担当者や構築担当者が誰であろうと、窓口となっている私が「すべての担当」に見えている。
となると何か問題があれば、謝るのは私だ。

構築担当者の作業漏れ、営業担当者の契約漏れ、それらすべてに対して私が客先を訪問して謝罪し、対応策と今後の改善方法を説明しなければならない。
今日もそんな苦情を受けて謝罪に行った。
自分が悪くもないのに、謝らなければいけないのは、なんだか理不尽な気がする。

しかし、私と同じ職場で同じような仕事をしている人間が多い中、客先へ出向いて実際に謝罪する、いや、謝罪できる人間は少ないらしく、そのため、私が今の取引先(この取引先に代わって謝罪に行くことが多い)に重宝されているということも考えると、あまり文句も言えない。

2008年4月24日(木) 行きつけに久しぶり

このところ2回ほど立て続けに飲み会がキャンセルとなり、ちょうど外で飲みたい気分だった。
それにトラブル対応で溜まった憂さを晴らしたくもあったので、知人と飲みに行くことにした。

場所は、かつての行きつけの店、仕事先のビルの中にある展望のよい店だ。

以前は顔なじみになるほど行っていたのに、知り合いが店をやめたのがきっかけで、まったく行かなくなった。
この店に来るのはほぼ2年ぶりだろうか。

相変わらず、ヤニで薄汚れたカーテンの向こうに、静かな夜景が広がっている。
メニューの内容も代わり映えせず、そして、相変わらず、店内の客はまばら。
私は客の身でありながら、ここの従業員に十分な手当てが出ているのか心配になる。

一足先に来た私は、生ビールとおつまみのセットを注文していつものカウンター席に座り、知人が来るのを待つ。

そして相変わらず私は、夜景を見て何かを思う。

2008年4月25日(金) 班長会議

私の地区の班長会議は、小学校PTAの地区会議と、単位子ども会(地区の子ども会)の会議をかねている。
他の地区では、小学校のPTAを担当している班長さんと、子ども会を担当している班長さんが別な場合が多いが、私のところでは長年、兼任してやることになっているようだ。
兼任していると、仕事が倍に増えるので、確かに班長さんたちの負担は大きいが、その反面、学校行事と子ども会の行事とで情報共有したり、同じメンバーで子どもを見ているので、一人ひとりの子どもに対してより多くの情報を得ることができたりするなど、メリットも多い。
なにより、当の子どもたちにとっては、PTAだろうと子ども会だろうと関係はなく、大人の事情で、これはあっち、それはこっち、などと区別されることにメリットはない。
それらの活動について、話し合いをするのがこの「班長会議」だ。

当然、両方の話題について話さなければならないので、ボリュームは大きい。
以前は、3時間近くも会議をしていることがあった。
しかし、実はその会議のほとんどは、お母さん方のおしゃべりなのである。

班長さん同士のつながりは非常に大切で、「この前、あんたがやってくれたから、今回は私がやるわ」という、相互扶助の精神が必要なのだ。
それを考えると、班長さんになるときに「今年、班長やらなあかんねんけど、あんたも今年やらへん? いっしょにやろ」などという事前のネゴシエーションがあるのも当たり前だし、必要なことだ。

必然、仲良しが集まる。
そうなると、班長会議は一変、楽しいおしゃべりの場にもなる。

でも、今年はあまりおしゃべりな人がいない。
これは地区長であり、男である私にとってはとても都合がよい。

私の会議の目標時間は30分。
必要な連絡事項を伝えて、みんなから意見を聞く。
結論をその場で出せないことは、後日メールでやり取りする。
夜の忙しい時間に家事を後回しにして出席しているお母さんがたなのだから、束縛する時間は最小限にとどめたい。

今日も、30分を少し過ぎる程度で会議は終了した。

これから学校の行事が本格化するに連れて、忙しさは増していくだろうが、それでもこのペースを維持したい。

2008年4月26日(土) 会長初会議

先日、来賓として入学式に出席したものの、ただ座って一言「おめでとうございます」と挨拶をしただけなので、高校のPTA会長としての本格的な仕事は今日の実行委員会が初めてとなる。

実行委員会の前に役員会があり、校長室で打ち合わせをする。
広い校長室の大きなテーブルを囲んで、役員と、担当の教諭が着席する。
みな、顔見知りであるが、校長先生だけが、異動のため、新しい校長先生に代わっていた。
えらく腰の低い校長先生だと思ったら、前年度まで教頭先生だったとのこと。

どこの学校でもそうだし、高校だけに限らないのだが、教頭先生と言うのは本当によく動く。
だから、今度の校長先生もかなり意欲的に活動してくれそうで、期待ができる。
簡単に自己紹介をして今日の実行委員会での話し合い事項を確認する。

定刻ぎりぎりに役員会を終え、そのまま実行委員会が開催される会議室へ移動する。

実は朝から後援会の委員会が行われており、PTA会長は後援会の会計監査として、その会議に出席しなければならない。
その会議が終了してすぐに役員会となり、そしてまた実行委員会へと続く。
結局、昼食をとることもできずに、空腹のまま、実行委員会へと出席した。

出席している委員は顔なじみが半分。
昨年から引き続き、担当していただける方もいれば、小学校のPTA会長のとき、市のPTA協議会でお世話になった方もいる。

メンバーを見渡しながら、この一年間、一緒にPTA活動をする頼もしい同志なのだ、と思うと、とても心強く感じた。

2008年4月27日(日) 育成者研修

名前は「研修」となっているものの、何か資格をもらうためのものでもなければ、修了認定もない。
まして、参加者の多くは「参加要請」を受けて、半ば強制的に参加している人たち。
こういうことをわずらわしいと感じる人も多く、だから、子ども会の役員をやりたがらない。

今日は市子連主催による、育成者研修会が開催された。
育成者とは、単位子ども会の中において、子ども会の運営を支援する立場の人である。
厳密には「子ども会」は「子ども」が運営するものであり、「子ども会の会長」は「子ども」である。
普段、「子ども会の会長」を名乗っている私は、正確には「子ども会育成部部長」と言わなければならない。
しかし、ほとんどの子ども会が、その保護者によって運営されており、子どもたちは、ただ参加しているのが現状だ。
子どもたちが自分たちで企画することもなければ、運営することもない。
それは、我々、育成者が、本当の意味での育成を行っていないからだ。
その原因は、慢性化した育成者不足にある。

そんな育成者不足を解消しようと、毎年、強制的と批判されながらも、この育成者研修を開催しているのだ。
だからほとんどの人たちは、研修が終わると、すぐに帰り支度をし、会場を後にする。

今日は講師を招聘しての講演会が行われた。



やはりほとんどの人は講演が終わると、すぐさま会場から出て行った。

しかし、何人かの熱心な保護者がいるのも事実で、講演終了後、講師の元へ集まっていろいろと質問をしたり、資料を見せてもらったりしている。
講師の携帯電話番号を記録している人も少なくなかった。

我々が求めているのはこういう人たちだ。
すべての人がそうでなくてもいい。
私の地区の副地区長が行ってくれた。
「正直、最初は面倒だなと思ってしましたが、今日は参加させていただいて本当によかったです」と。

こういう人たちがいれば、我々はやっていけるのだ。

2008年4月28日(月) 連休の谷間に

前半と後半に分かれると言う、今年のゴールデンウィークだが、あわよくばすべて仕事を休んでやろうと思っていた。
これだけの連休に仕事の予定がない、というのは珍しいからだ。
ところがやはりそうは行かなかった。

金曜日のこと。
「この前のトラブルの件、28日にお客さんにもう一度説明をしたいので、ご同行願えませんか?」と、取引先の営業担当者から連絡があった。
本来の私と取引先との契約からすれば、私が「取引先のお客さん」のところへ行って説明する必要などないのだが、そこは細かいことも言っていられない立場。
28日に特段の予定があるわけでもなく、お世話人っている人からのお願いとあれば、無碍にもできない。

いつもと同じようにスーツに身を包んで、取引先へ向かう。
申し訳なさそうな顔の営業担当者とともに、お客さんのところへ出向く。

お客さんのところへ着く前に、今回のトラブルの内容をおさらいする。
技術的なトラブルとはいえ、営業担当者も概要を抑えておく必要があるので、できるだけわかりやすい言葉を使って説明する。
今回の件は、「説明上手」といわれている私でも、少々説明に苦労する、複雑なトラブルだ。
今日はお客さんも技術者ではなく、管理職がお見えになるとのこと。
その練習もかねて、営業さんに説明する。

「いえいえ。『フェールオーバーに失敗した』のではなく、『フェールオーバーをキャンセルした』んですよ。えーと、『フェールオーバ』わかりますか?こっちに『本番系』と呼ばれるサーバがあって、こっちに「待機系」と呼ばれるサーバがあるわけです。」
さながら外国の人と会話をするかのようなボディーランゲージを交えて説明を進める。
実際にお客さんに説明するときも、資料やホワイトボードがなければ、テーブルの上に指で丸を書いたり四角を書いたりしながら説明をすることもよくある。
「で、この待機系のサーバで、えーと、あるプログラムのエラーを検知したので、そのプログラムの再起動を行って」と、実際には「サービス」とか「デーモン」とか呼ばれるようなものも、コンピュータで動作するものは「OS」と「プログラム」と言う言葉で説明するようにする。
「そのリトライ・・プログラムの再起動を行うときに、更にエラーが発生して」。
左手で「再起動するプログラム」を表現し、右手で「更にエラーが発生して」と表現する。
私は、説明が上手なのではなく、ジェスチャーがあるのでわかりやすい、だけかもしれない。

「なるほど。そういうことだったんですか。じゃあ、半分は、お客さんの勘違いなんですね」
理解できてうれしそうな営業担当者であったが、彼よりもうれしかったのは、ジェスチャーから解放された私のほうだった。

2008年4月29日(火) 子ども110番めぐり

かねてから一度やってみようと思っていたことを、次女と一緒に行動に移した。
「こども110番」の家を探すことだ。

校区内には子ども達の安全を見守るため「こども110番」に協力してくださっている家庭が何軒かある。
しかし、その場所もわからず、登録者の名簿も手に入らない。
となれば、自分の足で探すしかない。
実際、自分の足で探して、その所在をすぐに発見できるようでなければ、子どもに見つけられるはずもない。

「お父さんと一緒に、子ども110番の家を探しに、あっちこっち行ってみよか」と次女に話しかけると「うん!」という。
「じゃあ、まず、近所の公園のほうから、学校へ行って、学校の近くの公園と、それからあっちの公園にも行ってみよか」
私と公園へ行って遊ぶのが好きな次女は、私の口から「公園」が三箇所も出てきたので大喜びである。

地域の詳細地図を片手に、自転車にまたがり出発した。
自宅近くの公園に向かう途中、最初に見つけた「こども110番」の家は、コンビニだった。
なるほど、コンビニか。
ここなら子どもたちも入りやすいし、防犯意識は個人宅よりも高いはずだ。
防犯カメラの抑止力も大きい。

近くの公園から子ども110番の場所を探したが、見当たらない。
ま、この公園には「死角」となる場所がないし、人通りの多いに道路に面しているので、比較的安全な公園といえるだろう。

そこから通学路を通って学校へ向かう。
途中、何軒か「こども110番」の旗を掲げている個人宅を通ったが、中には締め切られた門の奥に玄関があり、大人の私でさえ、入ることを躊躇してしまう家もあった。
挨拶をすることはできても、実際には利用しないだろう。

学校の近くの公園へ行くと、公園横の家に、「こども110番」の旗があった。
ここはPTA会長になって知り合った人のご自宅だ。
ここはぜひとも挨拶をしておきたい。

学校の周りにも数件の家を確認した。
しかし、学校のすぐそばなら、何かあったときに、子ども達は間違いなく、学校へ駆け込む。
ここも子どもたちが利用することはないと思う。

次に、校区外ではあるが、子ども達がよく利用する公園へ立ち寄った。
周りをぐるっと見てみたが、「こども110番」の家は見当たらなかった。

とりあえず今日のところはこれで終わり。
あとはこの公園で次女と遊ぶだけ。

近くの公園にはないシーソーにまたがり、尻が痛くなるまで遊んだ。

2008年4月30日(水) 散歩と花と

この季節の晴れの日はよく近くの公園まで散歩する。
今日も平日なので、仕事ではあったが、天気のよさに室内で仕事をしている気にもなれず、さっさと切り上げて、子どもと一緒に近くの公園へ散歩した。

いつものようにブランコに子どもと並んで座って軽く揺らす。

目の前の道路を、自転車に乗った男の子たちが走っていく。
私に気付いて「あ!おっちゃんや」とこちらをチラッと振り向くので、私も彼らに「オッス!」と声をかける。

顔見知りの女性も何人か通り、そのたびに「こんにちは」と挨拶をする。

いつもの藤棚の藤は、少し季節を過ぎてしまったのか、多くの花は散っていたがそれでもおしとやかな紫色には心癒されるものがある。



しばらく過ごした公園を後に家に向かう途中にも、きれいな花と蝶をみつけた。



私が一番好きな蝶、「アオスジアゲハ」だ。
花の名前は「ノースポール」というらしい。

以前まで、それほど花が好きだったわけではないが、この日記を書き始めたころから、だんだんと、花を気にするようになった。

季節を感じさせてくれる花を写真に収めると、それを見るたびに、そのころのことを思い出せる。

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