カリント日記

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2008年5月1日(木) PTA会長を終えて

2年間務めた小学校のPTA会長の仕事もようやく最後を迎えた。
決算報告は毎年、4月の終わりに行われる。
その決算報告が会長として最後の仕事だ。
昨日、その決算報告が行われた。

決算報告には多くの保護者が出席し、一応、公の場として開催されるものなので、私もスーツを着用した。

PTA会員である保護者と先生がずらっと並べられたパイプ椅子に座っている。
前のほうには私たち役員が座る席が設けられている。

左手が旧役員、右手に新役員。
今年は全員入れ替わるので、双方に6名ずつ着席している。

決算報告はいつもの、そしてどこの組織でも同様の、代わり映えのしない決算報告が行われる。

そして、最後の挨拶。
役員一同、前に並んでマイクを持って挨拶をする。

私が、先生や保護者の皆さんに助けられたこと、新会長にも、初年度の役員にも迷惑をかけたこと、そして今の役員さんと楽しく過ごせたこと、感謝とお礼とお詫びの言葉で挨拶をした。
最後に、嫁さんにもいやな思いをさせたことをわびた。

私の次に挨拶をしたのは、副会長だ。
私とともに2年間、役員をやってきた女性で、本当によく動いてくれたし、よく考えてくれた。
まさしく、彼女は私の右腕だった。
その彼女にマイクを渡す。

「えーと。」そういった後、彼女は涙に声を詰まらせた。
「本当に・・・この二年間は・・保護者の皆さんや、先生方、新旧の役員さん、そして会長のおかげで、本当に・・楽しかったし、とてもいい経験をさせてもらいました。ありがとうございました」

役員や委員の挨拶を何十人と見てきたが、涙を見せたのは彼女が初めてだ。
楽しいことばかりではなかったし、苦しいこともあったはずだが、それでも役員活動できたことを喜んでくれた。

私にとっても彼女と役員活動をした2年間は、人生の中でもとてもインパクトがあり、そしてかけがえのない時間であったことは間違いない。

彼女にも感謝したい。
ありがとう。

2008年5月2日(金) 乾杯の笑顔

先日、小学校のPTA役員の仕事を追えたメンバーで、今日は飲み会を予定していた。
役員の「会計」や「書記」は学校の先生が務めており、先生も一緒の飲み会だ。
しかし、土壇場になって、先生が学校の用事で出席できなくなってしまった。
18年度の先生とは違い、19年度の先生たちとは非常にいいムードで一年間を過ごしてきたので、とても楽しみにしていた。

そこで、先日の決算総会で、感動の涙を流した副会長の女性が提案した。
「皆さんの家族と一緒に飲み会をしましょう」。

以前にも何度か家族同士で飲み会をしており、役員らのご家族とご一緒しても何の気兼ねもない。

約束の時間に居酒屋に行くと、私が一番乗りだった。
続いて副会長のご主人がお見えになった。

次々に役員が子どもたちと一緒に集まる。
我が家も、アルバイトをしている長男以外、全員参加した。

店の一番奥の大きなテーブルをぐるりと取り囲み、みんな好きなところへ座る。
これだけの人が集まりながら、誰もタバコを吸わないのは、やはりうれしい。

運ばれてきた飲み物が全員に渡るのを確認すると、副会長が笑顔で、私を促す。
そして私は、難しい挨拶も何もなく、「乾杯!」をする。

みんなが笑顔になる乾杯の瞬間は何度見てもいい。

2008年5月3日(土) 好き嫌い

食べ物の好き嫌いがあるかと聞かれると、私は「ない」と答えているが、嫌いな食べ物がないというわけではない。
嫌いな食べ物はいくつかある。

昆布などの海藻類は「味噌汁に入ったふにゃふにゃのわかめ」以外は嫌いだ。
「昆布巻き」や「ひじき」、「海藻のサラダ」など全部。
歯ざわりも味も嫌いだ。

豆類も嫌いだ。
特に甘く煮たものは苦手だ。
ビールによく合うといわれる、枝豆だって美味しいと思うわけではない。

「ごまめ」といわれる小魚の佃煮も嫌いだ。
食べたくない。

甘いお菓子や飲み物などもそうだ。

しかし、どれもこれも「食べない」わけではない。
「ひじき」や「枝豆」など、メニューにあれば進んで注文するし、「ごまめ」だってたくさん食べる。

私は「お子さま」ではないので「嫌いなもの」=「食べないもの」ではないのだ。

こう書くと、「食べられない人もいるのにお子さまというのは失礼」などと、「お子さま」丸出しの意見をいう人もいるが、人によって食べられないものがあるのは、「親」なら知っている。

私は体にとって必要だと思えば、食べる。
甘い飲み物やお菓子だって、糖分の補充を考えて摂取することがある。

しかし、普通の「好き嫌い」で「嫌い」といえば「食べない」ことを意味している。
だから私は「好き嫌いがない」という表現をしているのだ。

なので、私が目の前の何かを食べないとしても、それは「嫌い」か、「今は体が必要としていない」のどちらかなのであり、決して「不味い」訳ではない。

2008年5月4日(日) 遠い日の教会

5月4日が休日となったのは、確か1987年か1988年のことだったと思う。
ちょうど週休二日制の企業も増え、5連休となる企業が増えてきたころだった。
また、バブル景気のころで、休日には旅行に出かける人も多かった。

そんなゴールデンウィークの真っ只中、5月4日に結婚式を挙げるとなると、式に招かれた人の中には、口では「おめでとう」と言っていても、内心、「連休が台無し」と思っていた人もいることだろう。
1989年の5月4日、私と嫁さんは結婚した。

籍は家を買う関係でもっと前に入れていたのだが、結婚式は式場や新婚旅行の関係でこの時期になったのだ。
もっと先にしようかとも思ったのだが、暑いさなかに礼服を着るのもつらかろうという配慮もあった。

大阪市内の教会は、嫁さんが知り合いに聞いて見つけたのだと思う。
大きな通りを少し入った静かなところにある教会は、人の気配もあまり感じない、寂しい建物だった。
当時は、教会とはそんなものだろうと思っていたが、知人たちが結婚式を挙げた教会は、どこもかしこもみな、とても華やかできれいだった。
それもそのはず、知人たちが結婚式を挙げた教会はすべてホテルの中にある、いわば、ホテルの施設としての教会だったからだ。
誰よりも若くして結婚した私はそんなことも知らず、教会での結婚式と言うのは質素なものなのだと思っていた。

教会の結婚式では仲人もいない。
「証人」と呼ばれる友人二人を横においた。
司会者も、私の友人にお願いした。
嫁さんも私も片親だし、両方とも親戚が少ないので、本当にこじんまりした挙式だった。

しかし、多くの友人が祝福してくれた。
東京からバイクで駆けつけてくれた友人もいた。
東京へ旅行に行ったときは、向こうで友人たちがお祝いをしてくれた。

時折、嫁さんにはもっといい結婚式をしてやればよかった、と思うが、今こうやって幸せに過ごしていることが、何よりなんだと思う。

2008年5月5日(月) イチゴ狩り

前日までは、ものすごくいい天気だったのに、今日は朝から曇天である。
その上、昼過ぎからところどころで雨が降るらしい。
何もない日なら別にどうと言うことはないが、今日は校区子ども会のイチゴ狩りの日である。
しかも、今年は張り切って、観光バス2台をチャーターした。

集合場所は開店前のパチンコ屋の駐車場。
子どもたちを引率してそこへ行くと、大きなバスが2台、止まっている。
それを見て、子どもはもちろん、大人たちも「おおっ」と感嘆の声を上げる。
「校区子ども会ご一行様」と書かれたプレートを見て、「やった」という気持ちになる。

全員が集合するのを待っていると、早くも雨がぽつぽつと降り出した。
あわてて子どもと大人をバスの中へ案内する。
低学年から好きなところへ座らせる。
バスに強い元気な子どもは、一番後ろの席を陣取った。
高学年と大人が後に続き、もめることなく、みんな着席した。
私はもちろん一番前。

やがて時間となり、バスがゆっくりと走り始めた。

高速に乗り、しばらくしてから、私はマイクを片手に立ち上がり、挨拶とこれからの行程を説明した。

一通り説明を終えたころ、副地区長の女性が「これ、よかったら使ってください」となぞなぞの本を手渡してくれた。
バスレク(バスの中のレクレーション)をいくつか考えてきたが、なぞなぞは低学年でも楽しめるので、早速それを使うことにした。

やかましいほどに盛り上がったなぞなぞ大会も、後ろ向きに立ち続けていた私の体調不良によって、終了した。

やがて到着したのは「針テラス ベリーファーム」。
相変わらず、ぽつぽつと雨は降っているが、今年のイチゴ狩り農園はハウス内にあり、雨天でも気にせずに、イチゴ狩りが楽しめる。



西日本最大と言うこの農園には、こんな感じのハウスが10棟ほどある。
入り口で練乳と容器を受け取ると、みんな思い思いのところへと散っていった。



どれも大粒できれいな実がなっていた。
「そら高いかも知れんけど、これだけのもん食べられるんやったら、値打ちあるわ」とお母さん方も満足げだ。
確かに今年は例年の予算の3倍ほどを費やした。

30分ほどの食べ放題を終えて、一行は「民族博物館」へ。
博物館といっても、実際に行くのはその周辺の芝生広場。
幸いにも、広場へつくころにはすっかり雨も上がっており、芝生もほとんど濡れていなかった。

広い芝生公園のあちらこちらにシートを広げ、あるいは木陰に座って、お弁当を食べる。
やがて食べ終わった子どもたちだが、なんとなく手持ち無沙汰なようだ。

最初、「お昼ご飯は芝生の広場で」と話をしたとき、子どもたちは「そこに何かあるの?え?何もないの?つまんらーーん」と不平を言っていた。
どうやら自分たちで遊び方を見つけることができないようだ。

そこで、私が動くことにした。
サッカーの好きな長女と二人でサッカーボールの取り合いをはじめた。
すぐに次女が混ざってくる。
次女の友達が混ざってくる。
男の子がやってくる。
女の子がやってくる。
隣の地区の子どももやってくる。
あっという間に20名ほど集まった。
みんなでボールを追いかける。

そうなると私はお役ごめんだ。

別の場所で同じように大人が、大縄跳びを始めた。
ドンドンと子供たちが集まる。

かくれんぼや鬼ごっこ、いつの間にか子どもも大人も一緒に遊び始めた。
「つまんなーーーい」といっていた子も、顔を真っ赤にして走り回っていた。

曇天がかえってよかった。
いい天気だったら、熱中症になっていたかもしれない。

楽しい時間はすぐに終わる。
それでも予定時間を30分ほどオーバーして、帰路についた。

帰りのバスは、なぞなぞ大会をする必要もないぐらいに、静かだった。

2008年5月6日(火) こども110番の選択

先日、次女と一緒に、通学路と学校周辺の「こども110番」の協力者宅を捜し歩いたが、今日は、その協力者宅へ挨拶をして回った。
17日の土曜日に子どもたちを引率して挨拶に回りたいので、そのお願いをするためだ。
といっても、すべての家を回ったわけではない。

こども110番に協力していただいているところはさまざまだ。
個人宅はもちろん、マンション、病院、商店、コンビニなどいろんな場所でご協力いただいている。
個人宅にもいろいろあって、大きな門を構えた立派な邸宅もあれば、アパートの一部屋の場合もある。

けれども、一番大事なのは、ここを利用するのは小学生たちである、ということだ。
いくら協力者がいい人であっても、子どもたちが「利用できない」のであれば、まったく意味がない。

「大きな門を構えた立派な邸宅」はどうだろうか。
子どもの背丈で見てみると、門はとても大きく、家の中が見えない。
こんなところへは逃げ込めない。
大人だってこの家に入っていくのは躊躇する。
薄暗い小さなアパートも不安だ。

通りに面した窓がすりガラスになっているような、病院や商店も、子どもは入りにくい。
子どもにとって入りやすいのは「明るい感じ」「中が見えて安心」という建物だ。
例えばコンビニ。
おそらくこれほどまでに、自由気ままに大人も子どもも、利用できる施設はほかにないのではないか。
それでいて、防犯カメラも完備されており、犯罪の抑止効果は大きい。

そういう観点でいくつかを選んで、挨拶に行った。

公園横で、垣根のない小さな庭を持つ、個人宅。
通学路の、大きな明るい窓を持つ、介護福祉施設。
そして、コンビニ。

どこも挨拶に伺うことを、笑顔で快諾してくれた。

自分にできることが、少しでも子どもたちの役に立つのであれば、それはとてもうれしいことだ。

2008年5月7日(水) 久しぶりの仕事

今日からまたいつもの仕事の日々。
何年たっても連休明けの仕事と言うのは、どうもいまひとつ、調子が出ない。
まさしく、休みボケ、だ。

別に、休みの間中、頭を使わなかったわけでない。
むしろ、子ども会のことで頭を十分に使ったはずだ。
多分、ボケてしまっているのは、頭のほうではなく、体のほうだろう。

何かを思いついて、すぐに体を動かせる休日とは違い、デスクワークでは、ほとんど頭だけを使っている。
体の中で、唯一、忙しく動いているのは、指先と口先だけで、足は机の下で折りたたまれたままだ。
机に座ってじっとしている、と言うことにまだ体が慣れておらず、ついつい気が散ってしまうのが、休みボケなのだと思う。

そんなときは無理をしないで、外に出てみる。

最近は、仕事をあまり楽しいとは思えなくなってしまったので、無理をすることは避けている。
そういえば、働いている時間も以前の半分ぐらいになった。
それに、暖かくなったからなのかどうかはわからないが、いつの間にやら、リウマチかと思っていた、手の痛みもすっかり消えた。

何より、仕事を続けていかねばならないので、明日もまた、元気に仕事ができる、ということが肝心だ。

そんな、都合のいい理由を自分に言い聞かせ、ちょっと早めに帰宅した。

2008年5月8日(木) 市子連の仕事

市子連の総務部員としての活動にも慣れてきた。
今日は市子連の定例会の日だが、夕方、副会長から連絡があり「今日の会議のレジメはできているか」という。
「はい。まだ仕上げていませんが、30分前には仕上げて持って行きます」と返事をする。

実は、すっかり忘れていたのだが、前回の会議の最中に、議事録を取りながら、今回のレジメも並行して作成していた。
だから、忘れてはいたものの、途中までできていて、仕上げをすればいいだけというのは、嘘ではなかった。

仕事での会議では、次々と課題が消化されていくが、子ども会の会議などでは、話が脱線して、議事録に残す必要のない時間帯が結構ある。
そんなときは、別の作業もできる。

市子連ではまだまだ手書きの資料が多く、それをパソコンに入力していくのも私の仕事だ。
そんな仕事なら、別に頭も使わないし、会議中に話を聞きながらでも、できる作業だ。

会議開始の30分前には、会議場に入り、資料を印刷して準備を終えた。
会議の内容は、レジメを作った私が一番よく知っている。
というか、私が作成したレジメに沿って話が進むのだから、これまた、聞くときに余裕もでき、次回のレジメを作る時間もある。

そうやって毎月の会議資料を作成し、合間を見て、その他の資料を作成する。

後はこれらのルーチン化して、誰にでもできるようにしないと。
まだまだ私のやることはいっぱいありそうだ。

2008年5月9日(金) メール嫌いの人が

「会長、私どうも、あの、メールと言うやつが苦手で・・・」。
申し訳なさそうに、私に話しかけてきたのは、小学校の教頭先生だった。

教頭先生はPTAの会計として役員の中に入っている。
それに学校の窓口でもあり、何かと連絡を取り合うことが多い。

「こういうことはどこに相談すればいいのか」「あんなことをしたいが学校側としては受け入れてもらえるのか」など、意見をお聞きすることもよくある。
学校代表として最終の決断を下すのは、校長先生の役割だが、それまでのネゴシエーションは教頭先生が行う。
だから、校長先生とウマが合わなくても、教頭先生と仲良くやっていれば、何とかなるものだ。

その教頭先生が、「メールは苦手だ」という。
面と向き合って話をしないと、文章では誤解を招くことも多いかららしい。
なにより、パソコンを好んで使う年齢でもないというのも、一つの大きな要因だろう。

だから最初のうちはメールを送っても、なかなか返事はもらえず、結局電話で確認することも多かった。
学校に直接足を運んで会話することも少なくなかった。

でも、だんだんとそれが変わってきた。
メールはすぐに返事が返ってくるようになったのだ。

「メールは毎朝チェックするようにしました」という。

私がPTA会長をやる前は先生の仕事のことをあまり理解していなかったが、学校へ通うようになってから、先生の仕事の一端が見えるようになった。
そうすると思っていたよりも大変だと言うことがわかり、教頭先生とて例外ではないと言うことがわかった。
メールを見て仕事をしている私に比べ、おそらくは私からしか送られてこないメールをチェックすると言うのは、先生にとって手間だと思う。

だから私もメールの件数を減らすようにした。
その分、副会長の負担が大きくなったようだが。

そして、今年度に入り、私がPTA会長を退き、メールを送らなくなった。
あくまであのメールは、PTA会長として送っていたものだからだ。

そんなある日、教頭先生に話があって学校へ行った。
職員室へ行くと、教頭先生がいた。
「教頭先生」と廊下から小声で声をかける。
私に気がつくと驚いた顔でこっちを見て、立ち上がり、寄ってきた。

「おやおや、会長。あ、もう、会長と違いましたな(笑)。どうしたんですか?」
「ちょっとこの前の件で、確認を。あの件ですけど、あれでいいですかね?」
「そんなことを聞きにわざわざいらしたんですか? メールでよろしいのに。」
そういって教頭先生がパソコンのキーボードを打つまねをする。

「でも、私、もう、PTA会長じゃないので、メールを送りするのは失礼かと・・」
「なーーに言うてますのん会長!会長、忙しいんやから、そんなもん遠慮せんと、メール送ってくれはったらよろしいねん。ちゃーんと見ますやん」
そういってまた、キーボードを打つまねをしながら、にこやかに笑う。

「ありがとうございます!」
とてもうれしくて、深々と頭を下げ、職員室を出た。

失いたくない人間関係だ、と心の底から思った。

2008年5月10日(土) 初めての実行委員会

「いやー、今度の実行委員会、出てみたいわー」
そういったのは、うちの嫁さんや周りの友達。
私が地区代表となって初めての実行委員会のことである。

その理由を嫁さんたちが言う。
「だってなあ、前年度の会長が、実行委員として参加するんやで。そら、新しい会長もやりにくいでー」
でも、その言葉には、新しい会長を「気の毒に」思う同情が感じられない。
むしろ、明らかに「楽しみ」を感じているように聞こえる。
それは、私の嫁さんやその周りの友達が、新しい会長のことを好ましく思っていない、いや、はっきり言って「嫌い」だからだ。
私が最初にPTA会長を引き受けたとき、「我々の顔に泥を塗る行為」と言った、その人が新しい会長だからだ。
「ほんじゃまあ、お手並み拝見やな」ということだろう。

他にも理由はある。
「あの子ら、ほんま信じられへん」
と、嫁さんたちは言う。
その「あの子」とは、かつて、私とともにPTA役員をやっていた人たちだ。
「あの子ら、○○(私)さんが二期目をやるとき、みんな、『もう、役員はしません』って断ったんやで。それをまた引き受けるってどういうこと?」
嫁さんたちにしてみれば、私と一緒に役員はできないが、会長が別の人なら役員をやってもいい、というように見えるのだろう。
だから、その役員たちが、地区代表と言う実行委員である私を、指揮する立場に立って、どのように振舞うのか、これまた「お手並み拝見」と言うことなのだろう。

しかし、私は別にでしゃばるつもりはないし、慇懃無礼に振舞うこともしない。

役員の言うことには素直に従うし、よく気がついてよく動く。
役員へのアドバイスは影でして、役員へのお礼はみんなの前で言う。
役員よりもでしゃばらず、それでも他の委員の見本となるように振舞う。

周りの人に「これじゃ、どっちが会長かわからない」と言われないように、ちょっとは遠慮するつもりだ。

2008年5月11日(日) 自治会予算委員会

「委員会」の上にあるのが「役員会」だが、これはどんな組織でも同じで、役員会で決めたことを委員会で承認してもらい、会員である「保護者」や「地域住民」に流布する、という流れになっている。
だから委員会に参加する人が、よほど前向きな姿勢でその会に臨まない限り、役員会で決められたことが、そのまま素通りで可決されることになり、参加している委員自身が「参加することの意義」を見出せなくなる。

今日、自治会の総会が開催された。
出席者は「役員」をはじめ、町内の自治会班長さんや、子ども会や老人会など、各組織の代表さんたち。

内容は「決算報告と予算案の承認」と言う、どんな組織でも期末や期首には必ず行っているはずの、議事である。
毎年、変わらない内容で行われるので、この総会も、形骸化してしまっている感は否めない。

数週間前、自治会の役員が集まって、予算案を考えた。
前年度の内容を元に、計画を立てるのだが、大きな目標でもなければ、例年の予算と実績を見比べて、つじつま合わせをするだけの単純な作業だ。

子ども会会長である私は、正確には自治会の役員ではないのだが、役員会議に出席してそれなりの意見を言わせていただいている。
予算の作成のときも出席した。
こちらから出席することを切望しているわけではないのだが、やはりご年配の方が多い自治会において、40代の人材は、貴重らしく、何かの時には声がかかるのだ。

せっかく出席するのだから、それなりの成果を出したい。
今年度は子ども会の予算を上げてもらおうと思ってはいたが、自治会の収入が減る見通しであったため、とりあえずは据え置くことで了解した。

そんなこんなで予算を立てる過程は、出席していてそれなりの充実感があり、また、それを承認してもらうための委員会への出席は、私ならずとも、予算案の作成に関与したメンバーなら、充実感を感じているだろう。
しかし、予算作成に関してまったく蚊帳の外であって、「委員」と言う名目だけで委員会に出席した人にとっては、「無駄な時間」だけでしかない。

予算案も問題点がないわけではないので、蚊帳の外であった委員さんも、何かしらの問題を見つけることができれば、それなりに充実した時間となるのだろうが、そんな重箱の隅をつつくようなことをしたところで、会議の終了が遅くなり、みんなからいぶかしがられるだけだ。

だから確かに、委員会は一つの儀式となっているのだが、それでも「案」を考えた役員にとっては、自分たちだけで勝手に決めたものではなく、委員会で審議されたものとして堂々と流布する必要がある。
まあ、委員さんにとっては退屈かもしれないが、それが組織と言うものなのだ。

2008年5月12日(月) 指導者研修会

今日は市子連主催の「指導員講習会」というものが開催された。
先日は「育成者研修会」が行われており、それぞれ「会」の呼び名が示すとおり、対象者は異なる。
各単位子ども会には、確かに「育成者」と「指導者」がいる。
主催者である市子連側では「育成者」と「指導者」にはそれぞれの定義があって、役目も仕事も異なるのだが、おそらく参加している側に、明確な区分やその意識はないと思う。

育成者は「子ども会の全体を統括し、その方向性や、あり方などを考える」と言う感じだろうか。
それに比べ指導者は「特定の行事を遂行するに当たって子どもたちに指導をする」と言う立場だろう。
少なくとも市子連の「会」の趣旨を見ているとそんなイメージになる。

今日開催されたのは「キックベースボールのルール説明」だ。
これなどはまさしく、指導者向けの講習会だ。

でも参加しているのは育成者研修会でもお目にかかった人が大半。
どこの子ども会も人手不足なのだ。

キックベースボールと言うのは野球に似ているが、ボールをホームベース上に置き、それをキッカー(野球で言うところのバッター)が蹴飛ばしてゲームが進む。
ピッチャーはおらず、それぞれのポジショニングも自由だ。
3アウトでチェンジ、表裏の攻撃があるなど、基本ルールは野球と同じだ。



簡単な説明の後、体育館にテープを貼って作った小さなコートで説明をした。
天気がよければ、グラウンドで実際のコートを使って説明をするのだが、前日の雨でグラウンドはぬかるんでいたのだ。

ルール説明があまり上手でなかったせいもあるが、初めて参加したお母さんたちには、なかなか理解してもらえなかった。
事前にルールブックは渡してあり、これを読んでくるように伝えてはいたが、ほとんどの人は読んでいないようだった。

私の近くにいた女性が私にいろいろと聞いてくるので、それぞれを教えた後、「詳細はルールブックに書いてありますよ」と教えたが「読む時間がない」と言う返事が返ってきた。
お母さんたちはよく「時間がない」という。
井戸端会議やドラマに夢中になる時間はあっても、宿題をやる時間はないのだ。
それでは子どもに偉そうに言えないと思うのだが。

中には積極的に意見を言う人もいた。
「そのルールはおかしいんじゃないか」とか「それではつじつまが合わない」とか。
話を聞いてみると、単にその人のルールの理解力が足らないだけなのだが、説明する側も、説明力が足りないため、平行線のまま話が終わる。
私は完全にルールブックから肝心なルールが漏れていることを指摘したが、それまで誰も気がつかなかったということは、真剣に読んだ人がいなかったということだろう。

来年は私がルール説明をしているんじゃないかと思う。

2008年5月13日(火) 気がついた花

通い続けて10年以上になるユーザのところへ、今日も行ったが、初めて気がついたことがある。

不便なところにあるそのユーザへはいつも車で行く。
好きな車で行くのだけれども、仕事でいくのだから、もちろんウキウキ気分ではなく、時にはトラブル対応で、頭の中が一杯になっていることはある。

それでも駐車場からビルの入り口へ向かうこの場所は、ずいぶん前から変わりはなかったはずなのに、今日初めて、そこにきれいな花が咲いていることに気がついた。

どれだけ仕事で頭が一杯でも、これだけ鮮やかな色で咲いていれば気がついて当然だろうに。





たぶん、花の存在は知っていただろうが、ここは仕事をする場所で、花をめでる空間ではない、と心のどこかで決めてかかっていたのだろう。

それを考えると、こうやって写真に収めるようになったのは、心にゆとりが生まれた証拠なのか。
これからも、道端の草花に目を配る余裕を持っていたいと思う。

2008年5月14日(水) 赤い花

先日の日曜日のこと。

「なあなあ、お父さんはなんにした?」
次女が私のひじの辺りをたたきながら、私の顔を見上げて、少しうれしそうに聞いた。
そう聞かれて、私も「うん?お父さんか?お父さんは、さっきイチゴ大福、買ってきた」と答えた。

「イチゴ大福?ふふっーーん。○○(次女の名前)は、あれやで」と言って次女が指差すテーブルの上には真っ赤な花があった。



母の日のカーネーションだ。

朝から子ども会の用事で出かけていた私は、近所の和菓子屋で、「母の日セール お買い得 イチゴ大福」という張り紙を見かけ、嫁さんにイチゴ大福を買って帰った。

小学校三年生の次女は、近所の花屋でこの植木鉢を買ってきたようだ。

毎月のお小遣いをもらっているわけでもないので、どうやらお手伝いをしてもらった駄賃を貯めて、買ったらしい。

日ごろは甘えん坊で、いまだにかくれんぼをしてもすぐに見つけると、膨れっ面になるような幼さの残る次女だが、私が小学校三年生の時代を思い返すと、次女のほうがずっとしっかりしているように思う。

来年はどんなことをして、私を驚かせてくれるのか、今から楽しみだ。

2008年5月15日(木) 市子連の懇親会

「教育委員会」というと、とてもお堅い仕事のように聞こえる。
無論、信頼されてしかるべき組織なのだから、相応の人が勤めていることに間違いはないと思う。
そんな「お堅い人」というイメージが払拭されるのは、市子連の飲み会だと思う。
今日はそんな市子連の懇親会が開かれた。

PTA会長のときから、何度か教育委員会の人たちと、宴を共にすることがあったが、向こうもこちらも、一応の立場をわきまえて、おとなしい振る舞いをしていた。
でも、市子連の飲み会はそうじゃない。
PTAの場では「来賓」となる教育委員会の人も、市子連の飲み会ではまるで「飲み友達」のような扱いだ。

それでもまだ役職者の方々は、立場上、特定の組織とだけ付き合うこともできず、スーツ姿で参加した一次会の途中で退席した。

一時会が終わって、市子連のメンバーが誰かに電話する。
「じゃあ、いつものカラオケで」といって電話を切る。

約束のカラオケ店に行くと、そこには教育委員会の若いメンバーが。
もちろん、私服である。
「ぼくら、教育委員会としてきてるわけじゃないです。いつも一緒に活動してる仲間として集まってるんです」
という。
その言葉通り、みんな本当に楽しそうに過ごしていた。

勢いで呼んでしまった私の嫁さんも一緒になり、気持ちのいい連中で盛り上がった、市子連のカラオケ大会だった。

2008年5月16日(金) 班長さんの作戦

町内の端に住んでいる私にとっては、一番遠くに位置する、同じ町内の自治会館で、毎月一回、班長会議が開催される。

「班長」と言う呼び名は、自治会にもあるため、正確には「小学校のPTAの班長」と呼ばなければならない。
でも、「小学校のPTA」と言う名称は使われず、「小P」と略されることがほとんどで、自治会の名簿などでも「小P○○」と記載されている。
もっとも、「自治会の班長」は目立った活動もしておらず、小学校の保護者と話をするときに「班長」と言えば、間違いなく「小Pの班長」を示しているので、わざわざ「小P」などとつけるほうが紛らわしい。

町内を適当に区分けしており、そこに住んでいる小学生とその保護者の代表として班長さんを置いている。
「班」は集団登校の最小単位であり、連絡網の単位であり、家庭と学校のつなぐ、最小グループである。
だから、学校には班長さんの名簿もあり、連絡先も知らせている。
そういう意味では、町内の代表者とも言うべきポジションなのだ。

けれども、抽選や順番で選ばれた、当の本人たちにはそんなつもりはない。
逆に、そんなに身構えていては、班長さんをやってくれる人がいなくなる。
やはり、班のまとめ役、程度のポジションと認識してもらうほうがいい。

そんな班長さんとの会議は、他の会議と少し違う。

どこの会議であっても、多少は私と意見の食い違う人がいる。
そういう人たちは、自ら進んでその役目を引き受けている人が多く、やはり、自分の考えと言うものがあるためか、意見がぶつかることも少なくない。
そして一度そういうことがあると、その人たちの視線が厳しくなる。

ところが班長さんたちは違う。
班長さんたちが、私の言うことに反論することはまずない。
どんな話やお願いをしても「はい」と返事をして頷く。
「何でも許します」というような視線に感じる。

けれども、それがかえって申し訳なく、お願いをしにくくなる。
反発されれば、相手をやり込めて全部をお願いしようと工夫するのだが、すべてを受け入れられると、半分ぐらいしかお願いできなくなる。

これは班長さんたちの作戦なのかもしれない。

2008年5月17日(土) 子ども110番の挨拶

嫁さんと一緒にバレーボールに出かけてしまった次女と、その友達を連れ戻すために、学校へ寄り道していたので、集合場所には遅れて到着した。
いつもの集合場所には予想以上の子どもと、さらに予想を上回る大人が集まっていた。

今日は子ども110番の協力家庭へ挨拶をしに行く日。
低学年とその保護者とともに、通学路と公園近くにある、比較的子どもたちが「駆け込みやすい」ところを回る。

「おはようございまーーす!」
子どもと保護者に挨拶をし、手に持った子ども110番の旗の印刷物を子どもたちに見せながら話す。
「えー、みんなこの絵を知ってるかなー?知ってる人ーー!」
そう聞くと、子どもたちが叫ぶ。

「はーーーい!」
「しってるーーー!」
「見たことあるーー!」
「おれ、おれ、それある場所知ってるでーー」

子どもの反応は素直でうれしい。
いつも、私を下から見上げる子どもたちの視線は、私に勇気と力を与えてくれる。

一通り、子ども110番の家の仕組みを説明し、今からその家に挨拶に行くことを話す。
「じゃあ、出発します。きっちり並んでついてきてくださーーい」
そう言って、ぞろぞろと歩き始めた。

最初に訪れたのはコンビニ。
子どもに「ほら、ここにさっきの旗の絵が書いてあるでしょ。怖いことがあったり、変な人がおったらここへ逃げてねー」と説明したあと、保護者に説明する。
「意外かもしれませんが、コンビニでも子ども110番に協力していただいているところはあります。コンビには子どもたちも入りやすく、また防犯カメラなどの防犯システムも完備しており、防犯マニュアルがあるので、非常に頼れるところです。子どもたちにもしっかりと話をしていただくように、お願いします」

そう言って、次の場所へ。
移動中には、子ども110番の家庭がまったくない場所もあり、そのことについても保護者に説明する。

次の場所は介護センター。
ここも入り口がガラス張りになっており、子どもが入りやすい。
やさしそうな女性が出迎えてくれた。
今まで入ったことがない子どもたちも、中に入るとそのアットホームな雰囲気に、一気になじんでしまった。

最後に訪れたのは公園。
近くにあるご家庭を訪問し、ご挨拶をする。
その後家庭のご婦人が子どもたちに挨拶をしてくれた。
「みんなこのおばちゃんの顔を覚えておいてねー。何かあったらいいつでも来てよー」。
「はーーい!」
子どもたちも元気に返事をしてくれた。

こうして、挨拶をして回ったが、利用するような出来事に遭遇しないことを祈るばかりだ。

2008年5月18日(日) 高校懇親会

数年前まで、飲み会といえば、仕事の付き合いか、友達だけだったのに、今や、飲み会のメインは子ども会やPTA活動の飲み会だ。
そんな飲み会もそれぞれに特色があって、羽目をはずすものもあれば、おとなしく飲むものもあるし、立場上、気を使わなければならないものや、酔っていられない飲み会もある。
もちろん参加メンバーによっても趣は違う。
来賓がいるかどうか、先生がいるかどうか。

そんな飲み会の中で、先生が出席するにもかかわらず、気を使わなくていいのが、高校PTAの飲み会だ。

高校のPTAともなると、保護者も相応に年を重ねており、ご婦人方も、かなりの「独自色」をお持ちである。
要するに、大阪のオバサン、なのだ。
そんなオバサンたちに感化された先生もそれらしくなる。

こんなことをいうと、叱られるかもしれないが、正直にいうと、小中学校の先生と、高校の先生の差は、確かにある。
簡単に言うと、高校の先生のほうが「賢い」。

学力はもちろんだが、それ以外にも差を感じさせるところが多い。
それが、「感化」のされ具合に出てくる。
校長先生や教頭先生も同じである。

二次会のカラオケでは、もう、言えないほどのはじけ様であり、生徒が見たら、次の日からタメ口になるんじゃないかと心配するほどに、先生らしさが消える。

その、オン/オフの切り替えが実にすごい。

すべての高校がそうなのではなく、私の子どもたちが選んだ高校だからこそ、であってほしい。

2008年5月19日(月) 友人の言葉

過日のこと。

いつもの部屋で、くつろいだ気分で、新聞を開いて見る。
パラパラとめくる。
不意に見慣れた文字が飛び込んでくる。
それは近所の町名。
それがよい知らせでないことは、めくっているページで直感的にわかる。
本当はきっと、もっと大きな字で印刷されている、その文字が先に目に飛び込んだはずなのに、どこかで否定していたのだろう、その文字は後から入ってきた。
よく知っている町名に引き続き書かれていたのは、このあたりでは有名な大きなマンション。
続いて目に入ったのは「高校生」の文字。
目は文字を追いかけるが、新聞の端っこを持ている右手は、本能的に、そのページを閉じようとする。
声が出たのはずっと後のこと。
何度、驚きの声を飲み込んだろうか。
それでも時間にすれば、ものの数秒。
声を出すと、それが事実になっていることを認めてしまう、ひとつの証のような気がして、それでも、出さずにはいられない。

市内に住む、高校生が、自ら命を絶った。

どこの誰であれ、その悲しさに代わりはないはずなのに、人間のエゴなのだろう、「私の、娘の、知らない高校生でありますように」、そう願っていた。
長女と同じ学年だ。
しばらくして、自宅の電話が鳴る。
電話の主は長女の友達。
私はできるだけ何も考えずに、長女に取り次ぐ。
携帯電話を持っていない長女は、階段を降りてきて受話器を手に取った。
私は嫁さんを見る。
嫁さんも私を見ている。
悲しそうな目をしている。
嫁さんのそばによる。
「うそっ!」
と長女の声が、部屋に響く。
それから長女は、小声になり、やがて涙声に。
何度も何度も涙をぬぐいながら、受話器を持っていた。

長女の言葉通り、うそであればいいのに、と願ったが、かなわぬ悲しい現実だった。

長女の中学生時代の同級生であり、仲もよかったらしい。
何も声をかけてやれない。
慰めの言葉も見つからない。
親と過ごすより、友人と過ごす時間が長く始めるころ。

長女への言葉は、もはや、親よりも友人の方が、心に響くかもしれない。

2008年5月20日(火) この学校の校歌

私が高校のPTA会長をやろうと、そう思った理由のひとつが、校歌だ。
私はこの、校歌らしからぬ校歌が好きだ。
校歌というよりも、ポップに近いイメージがある。

普通ならば、学校の周りの地名や名勝、山や川などが出てくるのが当然の歌詞だが、長女の高校の校歌には、学校周辺のことはおろか、学校名すら出てこない。

「本当にええ歌よ」と後援会の人たちも言うように、この校歌を生徒たちも愛していることがわかる。

何かの行事で校歌が流れると、生徒たちは反射的に、歌詞を口ずさむ。
友達と一緒に体を揺らしながら。
声に出して歌っている。

私も高校の校歌を部分的には覚えているものの、別段、愛着はないし、声に出して歌うことはない。

しかし、この高校の生徒たちは、本当に自分の好きな曲が流れてきたときと同じように、体を揺らして口ずさむ。

私も思わず口ずさんでしまう。

本当にいい校歌だと、心底思う。

2008年5月21日(水) クイズ番組

世の中はクイズ番組全盛期のようである。
クイズ番組が大好きな私にとっては、どの番組を見ようかと、迷ってしまうほどだ。

私が子どものころにも、クイズ番組のブームがあった。
当時は素人参加の番組が中心で、内容も一般常識よりも高い知識を問うものであり、その問題に答えられる素人を見ては「さすがクイズ番組出演する人は違うなあ」と思っていた。
それほど難しい問題だったので、「最後の100万円にチャレンジ」の問題の中には、いまだに覚えているものもある。

「富士山を中心とする地域をはじめ4地域で構成され、神奈川県、静岡県、東京都、山梨県の1都3県にまたがる広大な敷地を有する国立公園をなんと言うか」
答えは「富士箱根伊豆国立公園」である。

しかし、今のクイズ番組に、素人が参入する余地はない。
というのも、素人では到底、およびもしない「おばか」な答えが要求されるからだ。

今のクイズ番組の出題は高度な知識ではなく、一般常識。
選ばれた素人ではなく、見ている一般の視聴者が参加できる問題が中心で、中学生以上なら解けるような問題が多い。

その番組が成り立つのは、とんでもないお馬鹿な答えをする解答者がいるからだ。

「声に出さずに、自分の思っていることを、他人に伝えることのできる超能力をなんという?」
答えは「テレパシー」だ。

しかし、おばかな解答者は言う。

「右脳派!」

なんだ、それ?

「ジェスチャー!」

カタカナなのは正解だが、それは違う。

「幽体離脱!」

その言葉を声を大にして言うやつを見たことがない。

難しいクイズでは、こんな答えは期待できない。
簡単な問題だからこそ、答えが面白くなる。

普通のクイズ番組なら、それを見ていて面白いと思うのは、私ぐらいだが、彼らのおかげで小学生の娘も一緒にクイズ番組を見ることができる。
もうしばらくはこれが続いてほしい。

2008年5月22日(木) 足の指!!

足の指をぶつけたときほど、怒りのやり場に困ることは、そうそうない。

台所に置いてあった、何かの木箱の角に、右足の薬指を痛打してしまった。
もう痛いのなんの。

「だれや!!こんなところに、んなもん・・・」

思わず大声を出したが、最後は痛みのせいで声も出せず、その場にしゃがみこんだ。

痛みが脈にあわせて、体を駆け上がってくる。
心臓が足先に行ったかと思うほど、脈打つのがわかる。

「くーっ・・・」

痛みの部分を手のひらで包み込む。
もうこれは相当にひどい怪我をしたんじゃないか、そう思うと、包み込んだ手のひらを開けるのが怖い。
ゆっくりと手を開ける。

真っ赤に腫れ上がった指が目に飛び込んできた、と思ったのはまったくの思い込みで、普通の状態で、おとなしく足先にくっついている。

ゆっくりと間接付近を触る。

「んがあーっ」

痛い。
強烈に痛い。

しばらくはその場でじっとしていたが、何とか立ち上がり、かかとをつけて歩いた。
時間がたつに連れて痛みは薄れる。
仕事に出かける用意をして、家を出たが、歩くたびに痛みが走る。

痛みは一日中あり、夜になっても、痛みが引かなかった。

普段は最も意識しないからだの部分だが、今日はたっぷりと意識させてもらった。

2008年5月23日(金) 地区懇談会のテーマ

PTA会長のとき、他の役員から、「地区長の一番の腕の見せ所」と言われたのが、「地区懇談会」だ。

各地区ごとに保護者を中心として大人が集まり、子育てや学校のことなどについて、毎年、地区長をはじめ、地区の役員が決めたテーマに沿って、話をする。
形式が特に決まっているわけではなく、別に何かの答えを出すわけでもない。
意見交換会のようなもので、人の話が自分の生活の参考になれば、それだけでも成果はある。

今年は私が自分の地区の地区長だ。
腕の見せ所、と言うほどのことでもないが、一応はそれなりに考えて、相応の成果を出したい。

毎年のテーマでそれなりに話は出るものの、あまり具体的でないことが多い。
「子どもの携帯電話にはフィルタリングを」とか「下校の際には友達と帰宅するように指導を」とか。

こう書けば「具体的じゃないか」と思うかもしれないが、残念ながら、そういわれて実践できる「お母さん」は少ない。

言葉ではわかっていても、なにをどうのように手をつければいいのかわからないのである。

例えば、フィルタリングならば、携帯電話のサービス窓口の電話番号を教えて、そこに電話して、「フィルタリングの設定がしたい」と言いなさい、と言わなければ、実際には動かない。
あるいはもっと、明日の10時に、ここに集合して、みんなでフィルタリングの手続きをしましょう、ぐらいの指導をする必要がある。

そこで、今年の地区懇談会のテーマは「子どもたちの安全のために、私たちができること」というものにした。
何が具体的、って、テーマからして具体的である。

「私たちにできること」である。

「安全確保のためにパトロール隊を組織して見回りをする」などと言うのは「私たちにできること」ではない。
せいぜい、「月曜日の買い物は、下校時間に合わせて3時過ぎに出かけるようにする」とかが関の山だ。
でも、これなら、できる人がいるかもしれない。
一人でも多ければそれだけ、子どもたちは安心できる。

こういうふうに、できるだけ具体的な内容をみんなで話し合ってもらう。
どんな話になるのか、今から楽しみだ。

2008年5月24日(土) ドッジボール

今日の校区子ども会の会議は私の町内の自治会館で開催された。
古いが、広い自治会館へはじめてきた、他の地区の子ども会の役員さんは「ひなびた温泉旅館みたい」という。
確かに木造建築で、そんな雰囲気はある。

そういわれて、この自治会館でみんなで寝泊りするのも面白そうだ、と思った。

今日の会議の内容は、イチゴ狩りの報告。
そして、ドッジボールをやろう、と言う話。

ドッジボールなどの球技は以前からやっていたのだが、参加したがらない子どもを無理やり参加させたり、それに付き添うお母さん方も疲れてしまったり、と、いつしか、ドッジボールはしたくない、というお母さん方の雰囲気が出来上がってしまった。
そのため、校区長もなかなかそのことを言い出せないでいた。

でも、あれもこれもと言うのではなく、ドッジボールだけ、なら何とかできるかもしれない。
もう一度最初から、子どもたちを遊ばせるところからはじめよう、そう校区長と話をしていたのだ。

それを他のお母さん方に説明した。
ドッジボールと言う言葉を聞いたときのお母さん方の反応は、やはり拒絶的だった。
でも、ゆっくりと説明をしているうちに、ようやく賛同してくれるようになった。

まだ始まったばっかりで、来年の今頃はまた「禁句」になってしまうかもしれないが、何とか続けられるようにしたい。

2008年5月25日(日) 北風ブログ

知人のブログを久しぶりに訪ねてみた。
なんと1ヶ月も更新されていない。

ブログを書き始めたころは、ほとんど毎日更新されていたのに、毎月、カウントダウンでもするかのように、その更新回数は「順調」に減っていき、やがて月の更新回数は一桁となり、とうとう0回となった。
昔からいろいろと「続かない」ので、ブログを書き始めたときから、遅かれ早かれこうなるだろうと思ってはいたが。

日記を毎日書くのは正直つらい。

毎日「仕事に出かけて、あれをしてこれをして、あれを食べてこれを食べて、帰ってきて嫁さんと話をして、そして寝る」という、基本的な流れが変わるわけではなく、フィクションを書くわけにも行かないので、内容に困るのだ。
それに、文章を書くというのはパワーのいることで、誤字脱字を気にしながら、つじつまの合うもの書き上げるのは、結構時間がかかるし、頭も疲れる。
大好きなビールを飲んで、ほろ酔いになると、文章もおかしくなって、後で読み返すと赤面することもある。

そんなさまざま障壁があるので、日記を続けることは大変なのだ。

それでも、それを楽しみに読んでくれる読者もいるし、同じブログを通して知り合った「友達(?)」もいるのだから、目に見えて更新頻度が下がって、ある日突然、まったく更新しなくなるのは、いただけない。

よく「忙しくて」という言葉を耳にするが、暇な人などいない。
「時間は作るものだ」とその知人は私に偉そうに言っていたのだが、あれは私の空耳か。
忙しいタレントだって日々更新をかかさない人もいる。
眠る時間を30分削れば、1日分の日記はかける。

私とて、更新をサボってしまうことはあるが、時間をかけてでも、日記は書き続けている。

結局はやる気があるかどうかだ。

また何かのきっかけで、書き始めるかもしれないが、どうせ長くは続かないだろう。

そう言われて悔しければ、書き続けろ。
自分で決めたんだろ。

2008年5月26日(月) N700系

「鉄道オタク」と呼ばれる人ほどではないが、それでも一般の人よりは鉄道のことに詳しく、また列車に乗るときも、多少なりともウキウキする。
それが新型の車両ともなればなおさらだ。

今日、初めて新幹線の新型車両「N700系」に乗車した。



顔は、うーん・・。
「ナマズ」みたいだ。

室内に入ってシートに着座する。
前のプレートを見て、「おお、そうだった」と思わず声を出す。



「全席禁煙」だ。

喫煙のできるスペースはあるものの、喫煙のできる車両や座席はない。
タバコの大嫌いな私にはうれしい限りだ。

比較的明るい色のシートは少し、派手な感じがして、正直、安ものっぽい。

それでも、社内全体は明るく、ドアの上に取り付けられたLEDの案内板には「青色」も追加され、よりいっそう見やすいものになった。



早めに仕事を終えた今日は、新幹線の中で4本のビールを飲み干した。

2008年5月27日(火) PTA会長の引継ぎ

5月も終わり、もう、6月も間近と言うこの時期に、またもPTA会長としての引継ぎが。
小学校単位の引継ぎは、まあ、あってないようなものだが、それでもとっくに終わった。
けれども、いくつかの小学校が集まり、中学校単位で行う行事などは、時期小中学校のPTAの体制がしっかり整ってからでなければ引継ぎのできないものが多く、この時期にずれ込むものもあるようだ。

私たちの小中学校が去年担当したのは「生活指導」。
それを今年度の新しい中学校の会長に引き継がなければならない。

内容としてどんなものを企画し、その準備をいつごろからはじめ、また、必要な会合をどれぐらいの周期で開催し、そのときのメンバーや集合場所についてのアドバイス。
また、予算の立て方から、決算報告の仕方。
講演会を行うのであれば、どこの誰がいいとか、どういうふうに選択するとか、そういうこまごましたものを「口頭」で伝える。

本来、このあたりも文書になっていれば、引継ぎが楽だし、思い出す手助けにもなるので、何かあればその都度対応することも容易だ。

ところが、やはり、ほとんどの人は、文書で引き継ぐことができない。
そういう文書を作成するのが苦手なようだ。

それも仕方ないだろう。
私は仕事柄、手順書や報告書などそのような文書を作成するのは、日常茶飯事のことだが、普通のお母さん方は、一生作成することがないかもしれない。
家の中で覚え書き程度には作成するだろうが、第三者に伝えるようなものを作成する機会はほとんどない。

まあ、私が今度担当者になったときは、人から「文書はないの?」などといわれないよう、注意したい。

2008年5月28日(水) 禁煙デーを前に

もうすぐ世界禁煙デーだそうだ。
タバコを吸わない私にとっては、歓迎だ。
毎日でもそうしてほしいぐらいに。

先日テレビで放送していた内容を思い出した。
「母親の喫煙により、子どもに肉体的のみならず精神的なさまざまな影響を与える」
というものだ。

私の知り合いにも愛煙家の母親が数多くいる。
知っている限りで、その子どもたちへの影響を思い出し、カウントしてみた。

母親が離婚経験者          
登校拒否経験者の割合        
子どもが高校を卒業できなかった割合 

これらを数値化して驚いた。
世間平均の倍、などと言う「あまい」数字ではない。
あまりにひどいので、公表はしない。

これは別に、タバコに含まれる有害物質そのものに影響された害ではない。
もちろん、タバコを吸ったから離婚したのではない。
しかし、体に悪いと知りながらタバコを吸い続けることの弱さなど、そういうものが子育てや家庭環境を築くことに悪影響を及ぼしているのではないだろうか。

タバコを吸っている女性の性格が悪いわけでもないし、私自身がその人を嫌っているわけでもない。
敬愛すべき女性もたくさんいる。

しかし、これは「事実」としてそこに存在している。
事実である以上、私はタバコが影響していると考えている。

これからも、タバコの害を訴えて行きたい。

2008年5月29日(木) 牛脂を焼く

先日のこと。
「牛脂を焼いて食うとうまい。ビールによくあう」そう言われたのがちょうど夕方だったので、急におなかが減りだし、今にも口からよだれがこぼれそうになった。
帰りにスーパーによって、牛脂を手に入れた。

牛脂は牛の脂肪だ。
通常、精肉コーナーの上段に、2切れずつビニール袋に入れられて、小さなカゴかトレーの中にあり、無造作に放り込まれている。
「牛脂無料。ご自由にお持ちください」などと書かれていることが多く、タダで手に入る。
とはいえ、大の男が、スーパーへ行って牛脂だけをポケットに入れてレジを素通りするのもなんだかみっともない話で、ホタルイカの沖漬けなども一緒に購入した。

早速自宅に戻ってビールを開け、ごくごくと喉へ流し込む。
「そうそう、ホタルイカの沖漬け」とパックから器に移し替えることもせず、ラップを取り除いて箸でつまんだ。
予想以上に美味しいそのホタルイカに、ビールが進む。

何本かのビールを飲んで、ふと思い出した。
冷蔵庫を開けて取り出す。
「おお、おお。これこれ、焼き豚」

先日もらった美味しい焼き豚が残っていたので、それを肴にしてビールを飲みなおす。
そうして夜も深まり、嫁さんと楽しく話をして、いつものように就寝した。

あの日から、牛脂の行方を知らない。

2008年5月30日(金) 盗聴されても

盗聴。
とても響きの悪い言葉だし、「卑劣」なイメージがある。

よくこの盗聴が一般家庭で行われていた、というドキュメンタリーを見たりする。
気の毒に思うし、わが身だったらどうしようかと思う。

で、我が身ならどうか、嫁さんと話をした。

結果、それほど困ることはないという、意外な結論に達した。

我が家がプライバシーもなく、ガラス張りの家に住んでいるというわけでもない。

しかし、少なくとも、居間で会話している、夫婦や子どもたちの会話を盗み聞きされたところで、なんら困ることはない。
むしろ、みんなに聞いてもらいたいと思うような会話ばかりしている。

家庭や教育、子ども会やPTA、地域のことや子どもの安全、学校教育と市政について、毎日毎日、嫁さんや子どもたちと話しをしている。

いわば、毎日、何かの講演会をしているようなものだ。

ぜひとも聞いてほしいものだが、盗聴している側にとって、これほど面白くない家はないだろう。

2008年5月31日(土) ハイオク200円

ガソリンの価格が高騰している。
20年以上前のことだが、私がガソリンスタンドでアルバイトをしていたころは、たしか140円前後だった。
その後、就職してしばらくしたころ、100円を切る価格になった。
やがて徐々に値段は上がり始めたが、それでも150円前後を推移していたように思う。

それが最近では170円を超えるところもある。
ハイオクは10円ほど高いから180円。
これによって、運送料金が高くなり、結局それが、小売価格に跳ね返ってくる。
車による運送などを生業としている業者にとっては、死活問題だ。

そんなことでは、景気がよくなりそうにないので、ガソリン価格はやはり下げてもらいたい。
その代わりと言ってはなんだが、ハイオクの価格を上げてはどうかと思う。

私の車は「オデッセイ」だが、「アブソルート」というスポーツ仕様であり、ハイオクガソリンを使っている。
仕事での利用も多いのだが、それでも「生業」と言うほどの運転量でもない。
本当に仕事専用にするつもりなら、もっと燃費のいい車を買う。
高いハイオク仕様の車を買ったのは、やはり、運転して気持ちがいいという、それだけの理由だ。

あくまで自己満足である。

つまり、世の中にハイオク仕様の車は数多くあるが、そのほとんどは商業目的ではなく、「運転する」と言うその行為、そのものが目的であり、それによって何かを「生産」しているわけではない。
ならば、レギュラーガソリンと、ハイオクガソリンには、もっと大きな差があってもいいのじゃないかと思うのだ。

私はハイオクガソリンが200円でもいいと思っている。
確かに、その分、我が家の出費はかさむ。
それでも、ただただ、走ると言う快楽のために、ハイオクガソリンをむやみに燃焼させている輩から、もっとたくさんの税金を取ってもバチは当たらないだろう。

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