カリント日記

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2009年2月1日(日) 引きずりの2月

もちろん、これを書いているのは3月。

2月にもいくつか出来事があり、「日記に書くこと」としてピックアップし、それぞれ「書くつもり」で用意している。
が、暗黒の1月は1月で納まったわけではない。
2月の仕事量は人並みになったものの、1月の後遺症は深く残り、精神的なダメージから体が思うように動かない日々が続いた。

毎朝、元気に「行ってきまーす!」と言って、ピンクのランドセルを背負って出て行く次女を見て、うらやましく思い、「いつになったら私は元に戻るのか」と落ち込む日が多かった。

なので、2月もほとんど楽しい日記を記録できず、一週間に一度程度の記録にし、「引きずりの2月」と名づける。

2009年2月12日(木) 指名委員会

仕事に追われる毎日だが、小学校のPTA関連の仕事もこなさなければならない。

PTAの会長だったころのように、毎週時間をとられることはないが、それでも月一回は会議があり、今日のように、特別な会議に召集されることもある。
今日の会議は「役員指名委員会会議」。

次年度のPTA役員を決めるための委員会で、各地区から2名ずつ選ばれた選挙管理委員から構成される。
ある時期までは選挙管理委員なのだが、役員の立候補者があることは珍しいため、「選挙」は行われない。
従って、選挙管理委員としての仕事は皆無に等しい。
立候補応募の締め切りが過ぎても立候補者が現れない場合は、自動的に指名委員会へと切り替わるのである。

で、その会議も今日で三回目。

委員会の具体的な活動は「ふさわしい人がいない情報交換をする」ことであって、具体的に役員に名ってほしいと依頼するのは先生の役割だ。
保護者同士で話をするといろんな軋轢が生まれるからだろう。

学校の先生から報告があったが、まだ会計監査の一名だけが決まっていないらしい。

「それではまた来週」と先生が話を終わらせようとするが、まだ会議が始まって10分程度しか始まっていない。
会議も何も「現在のところ進展がありません」と先生から一方的な報告があるだけで、なにも討議しないのだ。

たかだか10分程度の会議のために、あわてて仕事を片付けて駆けつけるのもバカらしい。
そう思って私が口を開いた。

「あのー。適任者が見つからないなら、私が、引き受けますけど」

みんなの表情も先生の表情も変わらない。
普通の保護者がこんなことを言おうものならびっくりするだろうが、むしろ、みんなは、いつ私がそう言い出すかまっていたようだ。
何人かは頷いていた。

「それも一つの案として聞いておきます」

煮え切らない先生の発言だが、多分、あと一人のあてでもあるのだろう。
あまり深追いせずに、そこで引き下がった。

これで来週、召集されようものなら、ちょっと切れるかもしれない。

2009年2月14日(土) バレンタインデー

今日はバレンタインデー。
我が家では朝から小学校三年生の次女が誰にチョコを渡すかで嫁さんと話をしている。

今年から男性から女性へチョコを贈る「逆チョコ」と言う言葉が出始めたようだが、長女や次女たちは、数年前から「友チョコ」という、女の友達同士でチョコを交換することに関心があるようだ。

次女のチョコは、先日、何人に配るのか、あらかじめ次女から聞き出し、その数だけ嫁さんが近所の百貨店までわざわざ買いに出かけたものだ。

ところが今日になって、次女が配りたいと言う人数が増えていたのだ。

「ちょっとぉ。増えてるやんか。この前、言うてた人数と違うやん」
「うん・・。でも、待ち合わせして渡すことになってんもん」
「で、誰にあげることになったん?」
「○○ちゃんと、××と・・・」

仕方がないので急遽、嫁さんがコンビニまでチョコを買いに行くことになった。

そして。

---以下は実際に次女がこの日記を見て直接パソコンにキー入力したもの

次女は、昼に、嫁とチョコをくばりにいった。

---いつの間にローマ字入力できるようになったのか。

同様に、昼過ぎから何人かが次女を訪ねてやってきた。
私を訪ねてきてくれた、近所の奥さんもいた。

確かに本命ではない。
しかし、わざわざ私のために買い求めてくれたものだ。
義理チョコというとなんだか儀礼的な気がする。
これもひとつの友チョコか。

2009年2月15日(日) 機種変更

携帯電話の機種変更をした。

今まで使っていた携帯は使い勝手もよく、とても気に入っているのだが、PDC方式と言いわれる古い通信方式を使っているため、キャリアが来年にサービスを停止してしまうのだ。
その案内が届き、今なら、希望の機種に割安で機種変更ができると言う。
なので、嫁さんと一緒に、近所の販売店へ機種変更に出かけた。

店内に入るとかなりの先客がいた。
一時間ほど待たされる間、店内にある携帯電話を物色し、機種を決めた。
と言っても、私が探していたものは、オデッセイに接続可能なものであって、機種は限定されていたので特に迷うこともなかった。

愛着のあった古い携帯がこれ。



これも入手困難な機種で、数店舗探し回ってようやく見つけたものだ。

そして新しいのがこれ。



説明書を一通り読んでみたが、実際には通話とメール、後はブログ用の撮影ぐらいしか行わない。
おそらく、この機種を使いこなせるようになるころ、また機種変更になるのだろうと思う。

2009年2月19日(木) 仕事に埋もれる日々

明日の提出すると約束した客先向け資料がまだできておらず、本腰を入れて作り始めた矢先、その客先から電話がかかってきた。
どうやらマシントラブルのようだ。

携帯電話片手に状況を聞き、対応しながら、約束の資料を作る。

しかし、マシントラブルの状況は思ったよりも深刻で、どうやら再セットアップをするしかなさそうだ。
「再セットアップするしかないと思います」
そう告げたのだが、ユーザはまだなんとかしたい様子で、いろいろと試そうとしている。
なので、納得できるまでやってもらうことにした。
どうせ再セットアップするのだから、何かをやっても今の状況より悪くなることはない。

そうこうしているときに、嫁さんからメールが飛んできた。
次女がインフルエンザに感染したかもしれない、だから次女には近づくな、と言うのだ。

我が家でもトラブル発生か。

早く帰りたい気持ちにはなったののの、結論を確認するまでユーザを放り出すわけには行かない。

23時過ぎ。
結局、4時間程度電話でいろいろ話をしたものの、明日の朝、再セットアップ作業を行うことに決まったようだ。

約束の資料はまだ半分もできていない。
明日、がんばって仕上げてしまわないと。

2009年2月24日(火) 感じる年の差

真夜中の嫁さんとの会話。

「この前、○○ちゃんと××さんと・・」と嫁さんが友達の話を始めた。

「『震災からもう14年も経ってんなあ』って話をしててん」
「ふんふん」
「そしたら○○ちゃんが『私、そのとき高校生でした』って言うねん」
「ほう」
「ほんなら××さんも『私、19歳やったわ』って」
「へー」
「△△さんも『私も、まだ就職前やったわ』って」

嫁さんも私もあの日のことは鮮明に覚えている。
地鳴りが聞こえたかと思うと突然の激しい揺れ。
嫁さんは長女を、私は長男を抱え、タンスが倒れてこないように支えながら、布団をかぶった。

嫁さんが、少し笑いそうになりながら、話を続ける。
「ほんで私が、『私は、子どもを抱えて主人と一緒に・・』って言うたらみんなが、『ひえー。あのころ既に子どもいてたん!? ひゃーこわー。そら子どもと一緒にあの地震を体験したら怖いわー。っていうか、私の周りで子どもと一緒に震災を知ってる人っていてないわー。』『私もー』やて」
「あははは」
「なんかショックー」
「あはははははは」

たまたま年下の友達と一緒だったので、一人だけ年配のように思われたが、同い年の友達といても、当時は子どものいなかった人のほうが多い。

独り者と、子どもがいるものとでは、あの震災の恐ろしさは、違うものに感じただろう。

私にとってあの恐ろしさは、忘れることのできないものだ。

2009年2月28日(土) 従兄弟の結婚式

今日は母親の妹の息子、つまり従兄弟の結婚式があり、私も招待された。
私と8歳違いの彼は、私を「おにいちゃん」と慕ってくれ、小さいころはよく遊んでやった。

小さいころは可愛かったが、今は面影もなく、とても恰幅のいい「おじさん」になっている。
おじさんなどと言うと彼は反発するかもしれないが、36歳と言えば、世間では立派なおじさんだ。
36歳のころの私は既に三人の子持ちだっただから、彼がおじさんでもおかしくないのだ。

結婚式は教会で行われ、披露宴は彼が勤めるホテルの宴会場で開催された。

驚いたのは思いのほか、若い参列者が多かったことだ。
奥さんの年齢もそれほど若いわけではないのにそう見えるのは、参列者がみな、気合を入れて若い格好をしてきたのだろうか。

彼の会社の上司による乾杯の発生の後、しばらくご歓談、となり、私もいつものようにビールを飲み始めた。
すると突然司会者がこういった。
「それではここで、新郎のお母様の・・」
と、私と同じテーブルに座っている彼の母親がぎくりと顔を上げた。
しかし、司会者は続きを話し出した。
「新郎のお母様の、お姉さまのご子息であらせられます○○(私)様に・・」
今度ぎくりとしたのは私だった。
「・・お祝いの言葉を頂戴したいと思います」
と、司会者が告げた。

確かに私は今日ここで、挨拶をすることにはなっていたが、まだ2杯目のビールを飲み干したところで、心の準備が出来ていなかった。

とりあえず、前に出る。
いつものようにストーリーは考えてあるものの、細かい部分はその場にあわせて適当にしゃべる。

「新郎の○○くん、そして新婦○○さん、本日はおめでとうございます」

従兄弟の彼に丁寧語で話しかけたことはなく、なんだかぎこちない。

新郎が小さかったころのこと、どんな苦労を掛けられたか、そんな話をしながら、導締めくくろうかと考えた。

「・・と、いろいろ話をしましたが、一応、親族であれば、何か褒めなければなりません。
しかし、彼が何事にもまじめだとか、仕事に対して熱心だとか、正直、そんなことは知りません。
小さいころの彼は知っていますが、大人になってからはあまりそんな話をしないからです。
でも、これだけは言えます。
彼は昔から、とても優しい心の持ち主です。
人に対してやさしくいられるというのは、心の強い人でなければできません。
そうでなければ自分のことで精一杯になり、人のことまで考えられないからです。
またやさしさと言うのは具体的に何をするからやさしいと言うものではなく、雰囲気として伝わってくるものです。
○○(新婦)さんも、それを肌で感じておられるんではないでしょうか。
これからもそのやさしさで、家族を包み込み、優しさのあふれる家庭を築いてください」

そんな話をして、締めくくった。

席に戻ると親族からは「うまいなあ」と評判のスピーチだったが、聞きなれている嫁さんは「もう、話がどこへ行くんかと思ったわ」と言い、子どもたちも「ほんまやわ」と同調した。
結婚式のスピーチってなかなか難しいんだけどなあ。

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