カリント日記

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2011年4月1日(金) エイプリルフール

人事異動の季節である。

仕事先でお世話になっている方々も転勤などで入れ替わることもある。
学校の先生もこの時期に入れ替わることがあり、4月の入学式に学校へ行ってから「え?○○先生、転勤されたんですか?」などと驚かされることも多い。

今朝も嫁さんがメールを見て驚いたような声を上げた。
「○○先生、転勤で××学校の教頭になるねんて」

それには私も驚いた。
教頭先生は小学校であれ中学校であれ、もちろん高校もそうだが、他の先生方よりもご年配で、数年後には校長、そして校長になってから数年後には定年、といった感じの人が多い。
逆算すると教頭先生とは50歳前後の人が勤めている、というイメージがある。

にもかかわらず、前述の先生は、私よりも年下、40歳前後だろう。
少なくとも私が知っている教頭先生の中ではずば抜けて若い。

にわかには信じがたく、嫁さんに聞いてみた。
嫁さんいわく、友達が朝刊を見て気づき、メールで知らせてきたのだという。

エイプリルフールに違いない。
そう思って嫁さんを問いただすが、メールが送られてきたことは間違いない。
ならば、と思い、朝刊を広げて市内の先生の人事異動を確認する。

なんと、確かに記述がある。

この紙面がエイプリルフールの企画でない限り、本当の話のようだ。

2011年4月2日(土) ヘッドセットマイク

昨日の夜、シンセサイザーをひとしきり弾いた後、しばらく考えて結論を出した。

よし、マイクを楽器店に持っていこう。

先日、安価なヘッドセットマイクを購入し、シンセサイザーにつないだのだが、全く音声入力ができない。
ボコーダーとして使いたいのに、うんともすんともいわない、である。
そこでこのマイクをシンセサイザー購入先の楽器店に持っていって、同じシンセサイザーにつないでボコーダーのマイクとして使えるか、テストしてみるのだ。

そして今日。
どこにでも付いてくる次女を連れて、大型ショッピングモール内にある楽器店を訪問した。

早速店員と交渉すると「どうぞ」とすんなりテストさせてもらえることになった。

が、やはり、うんともすんとも、である。

「すみませんが、マイクを貸していただけないでしょうか?」

もしかしたら設定誤りかもしれない。
それを確認するには、別のマイクを借りて接続すればいい。

「ちょっと待っててください。すぐに用意しますので」と、快諾してくれた。

持ってきていただいたマイクをつないで見る。

「ヴァー」

お。ボコーダーのロボットボイスが出た。

結局、私の持っていたヘッドセットマイクが使えないと判明。
どうやら出力が小さいようだ。
パソコンでは問題なく使えるのでパソコンで使うことにする。

自宅に戻って即日配達をしてくれそうな店を探し、早速電話する。
「明日の午前中にはお届けできます」とのこと。

心置きなくビールを飲み始めた。

2011年4月3日(日) ついにボコーダー

遠足へ行く日でもないのに、朝早くに目が覚めた。

荷物が届くという午前中とは、何時からなんだろうか?
9時か?10時か?
などと考えながら時計を見る。

普段なら、休みの日の午前中に玄関のチャイムが鳴ったりすると「だれや、ほんま休みの日に」と不機嫌になるのが当たり前なのに、今日はその音が待ち遠しい。

10時を過ぎたころに待ちかねた荷物が届いた。
早速開梱しようとすると「○○がやる!」といつものように次女が出てきて半ば強引に私の手から荷物を奪って開ける。

中から出てきたのはヘッドセットマイク。
ヘッドフォン機能はついていない、頭につけるマイクだけのやつ。

正直、高い。

普通のマイクなら半値で手に入る。
でも、シンセサイザーにはヘッドセットマイク、と30年以上前から決まっているのだ。

次女は既に頭に装着している。

「はやく。はやく。シンセ、やろ。おとうさん」

次女に急かされながら、シンセのケーブルをつなぎ、電源を入れる。
そして何度もやっているセッティングを行う。

いざ、マイクに向かって「ああー」と声を出す。

「ヴァアアーーー」

「おお」

かっこいいロボットボイスだ。

私が感激の声を上げるものの次女は横で不服そう。
「こんな変な音じゃなくて、普通のがいい」
次女いわく、何も加工していない声がそのままスピーカーから出てほしいそうだ。

弾き語りでもできれば別だが、まだまだその域に達していないのに、スピーカーから自分の生声が聞こえてきて、何がうれしいのだか。

2011年4月4日(月) 穴があく日

別にそう決めていたわけではないけれども、仕事も早く終わったし、ジムで汗も流したし、せっかくだからと、休肝日にした。

今、気がついたけれど「休肝日」というのはパソコンで一発変換できるのかぁ。
それほどみんな「休肝日」の大切さを知っているということだろう。

大切だとわかっていても、酒好きの私には、とても物足りない日になる。

仕事終わりのビールがないというのは、具のない味噌汁というか、いや、いっそうのこと味噌の入っていない味噌汁というか、とにかく、物足りない。

体というか心というか、なんだかぽっかり穴が開くのだ。

時間の流れが妙にゆっくりに感じられる。
食事を終えて、テレビを見て、横になっているとすぐに眠たくなってしまう。
健康にはいいんだろうが、やっぱり物足りない。
「心には悪いのかもしれない」などと勝手なことを考えてしまう。

まあ、物入りなこのごろ、お金にも余裕がないことだし、少し減らしながら、無理をせず、やっていくか。

2011年4月5日(火) 百の言葉より

午前中は入学式で挨拶をして、その直後から新旧役員の顔合わせ。
というか、新役員が顔をそろえることがそもそも初めてなので、先生も一緒に自己紹介をする。

旧役員は都合により一人だけ参加したが、特に引き継ぐこともないので、問題はない。
どちらかといえば、新役員さんになんとなく雰囲気をわかってもらう、というのが今日の趣旨。

心配していた新一年生のくじ引きもすんなり終わり、実際にはくじを使うこともなく、立候補が多くて選出に苦慮したぐらい。
私が考えた仕組みと、私の説明がよかったのだと、自負している。

夜は子ども会の顔合わせ。
町内の30数世帯が自治会館に集合する。
子ども会といっても小学校の地区PTAの集まりでもあるわけで、子ども会とは?とか地区のPTAとは?というような説明をし、それぞれの「班長」さんが誰なのか、子どもたちに覚えてもらう。

本当なら、小学校の地区PTAの代表である「地区長」さんの役目だが、昨年はあまりうまく話ができなかったと聞いているし、何より、ほんのこの前、くじ引きで決まった地区長さんに、いきなりみんなの前で説明をしろ、といってもできるもんではなく、間違った説明をされても困る。

そこで私が説明をすることに。

もっともっとわかってもらいたいこと、伝えたいことが一杯あったけど、時間もかかるし、子どもたちが話を聞くのも限界に近かったので、適当に切り上げた。

ま、これから少しずつわかってもらえればいい。
そのためには百の言葉より一つの行動を。

2011年4月6日(水) 最近の漫画

最近はよく漫画を読む。

「これは面白いぞ」と嫁さんに勧めたのは「宇宙兄弟」。

兄弟二人が宇宙飛行士を目指す話。
といっても弟は幼いころからの夢をかなえて既に宇宙飛行士になっており、兄が一度はあきらめた夢だった宇宙飛行士を周囲の人々に励まされながら再び目指すというお話。
決してギャグ漫画ではないのだけれども、ところどころ声を出して笑ってしまうほどにおかしい。
シリアスな場面に続く登場人物たちの心の中の人間的な「本音」が面白く、その描き方が巧妙である。
そして読み進めるたびになぜか「よし!」とガッツポーズをとってしまいそうにな達成感を主人公と共有できる。
とても「人間的」な彼らは本当にいても不思議ではない。

まとめ買いをしても一気に読み進まず、仕事を終えてゆっくりした時間ができたとき、お酒を飲みながらゆっくり読む。
今夜も「よし!」とガッツポーズをとるだろう。

2011年4月7日(木) 過ちを繰り返して

中学校の入学式。
私と同じように来賓として招かれた人たちが校長室に集まる。

古い校舎を見ながらご年配の方が言う。
「私らが保護者やったころ、このへんら、一枚もガラスがなかった」

中学校の校内暴力が取り沙汰されていたころのことだ。
私が大学生のころだったか。
この地域はかなり「有名」だったそうで、市内の公立中学校はどこもかしこも同じような状況だった。

私より若い保護者が言う。
「ははは。そうでしたそうでした。僕らが通ってたころは全然ガラスがなかった。せやけど、毎日学校に来ましたで。それもう、『充実』してましたから。わっはっは」

『お、おまえか!』と心の中で思う。

一人ひとりが悪いわけではなく、なんとなく流れの中でそんな行動に出てしまうのが人の弱さだ。

入学式で新一年生が入場してくる。
先日の小学校の卒業式で送り出した卒業生たちだ。
まだまだ小学生の気配が残っているが、一年もしないうちに良くも悪くも「中学生らしく」なる。
そして中学校を卒業するころには「ふてぶてしい」という感じも付いてくる。

けれどもその先、高校に進学したり社会に出たりすればまだ新米のペーペーなのだ。
そのふてぶてしかったことが逆に「恥ずかしい」と思うときもくる。

しかし、今の子どもにそれを伝えても伝わるはずがない。

来賓の大人だって、そんな過ちを繰り返して大人になったのだから。

2011年4月8日(金) 入学式で追加募集

高校の入学式に出席した。
新年度が始まってはいるけれど、PTAの組織改変時期がもう少し後なので、私が引き続きPTA会長として出席した。

高校の「入学式」でのPTA会長の仕事はそれほどない。
来賓として紹介されたときに「おめでとうございます」の一言でも言えればそれでいい。

ただ、入学式終了後にPTAの説明をしなければならない。
日記の中にもたびたび登場する光景である。

学年主任の先生から「高校生として」の自覚について説明がある。
生活指導の先生から「高校生の生活」についての説明がある。
いずれも少々、お堅い話である。

引き続き、「本校のPTA会長よりご挨拶がございます」と紹介されて前に出る。
保護者はざっと250名ほどか。

先の二人の先生が直立してスタンドマイクでしゃべったのに対し、私はいきなりマイクを手に持って話し始めた。

「本日はおめでとうございます」
そこまではまじめな口調で。
でもそこだけ。
後はいつもの調子で話し始めた。

「いやーとってもいい入学式だったと思うんですがねぇ・・・。
 たった一つ、たった一つだけ悔しいのが、この、雨。
 この学校はね、桜がめっちゃきれいなんですよ。
 いい天気ならこれ、記念撮影大会になるんですがね。
 ほんま悔しいですわ。」

と調子のいいおっちゃん風に話し始める。

「えーPTAの話、って聞かれて、特に小中学校で苦労された人。
 『うわめんどくさー』って思われたんじゃないでしょうか。
 でも、これが。これが、全然違います、高校は。
 小中学校までは子どものためにやることが多かったでしょ。何かと。
 大人がお膳立てして、子どもを喜ばせる、みたいな、ね。
 高校はね、どっちかって言うと、大人のサークル活動です。
 もう、大人が楽しむための活動です。」

実はアンケート配布の用意が全くできておらず、今までの中で一番段取りが悪かったのだが、保護者の反応は一番よかったように思う。
多くの人が私の話に大きく頷いてくれた。

アンケートを配布して私の説明を聞いたうえで、実行委員を引き受けていただけるかどうかを確認する。

このアンケートは入学説明会のときにも配布しているのだが、「引き受けてもいい」という人は既に何かしらの委員をお願いしており、この入学式のアンケートはいわば追加募集なのだ。
私の話を聞いて納得していただけたなら、委員になっていただく。
そして10名程度の方々に委員をお引き受けいただくことができた。

この説明で委員が増えるかどうかは、会長の説明にかかっているといっても過言ではない。
というか、会長の説明以外、何もしていないのだ。
来年、私はこの場所にいない。

何か別のアピール方法も考えたほうがいいかもしれない。

2011年4月9日(土) 花見の会

高校ではPTA会長を退いたものの、今度は後援会の会長をやることが決まっている。
後援会の仕事は平たく言うと「生徒のためにお金を集めること」である。

後援会活動に賛同していただいた保護者に後援会費を納めていただく。
そのお金を毎年、学校へ渡して、それでいろいろな備品を充実させたり生徒や先生の活動費用にしたりする。

でも、後援会の活動費用はほとんど全て自己負担。
遠いところへ出かけようと、どれだけ作業をしようと、お茶の一杯すら後援会費は使わない。
保護者の善意によって集められた費用には一切手をつけない。
これがこの後援会のモットーである。

PTA会長同志の集まりで、他の学校の後援会の状況を聞いたことがあるが、少なくとも近隣20数校の中で、ダントツで活動的であることは間違いない。
後援会があるのかないのかすらわからないPTA会長もいたし、後援会が何をしているのかも知らない会長も多くいた。

そんな後援会主催の花見の会が学校で行われた。
朝から学校へ出かけて近隣住民の皆さんにお越しいただく準備を始める。
元々はこの学校のことをよく知ってもらうためにと、近隣の方々をお招きしてお茶会を始めたのがきっかけらしい。

お茶菓子を召し上がっていただきながら、吹奏楽部の演奏などをお聞きいただく。
満開の桜と校庭を吹き渡るさわやかな風。

毎年、この日を楽しみにしてくださる方々が多いこのイベント。
後援会の志とともにしっかりと引き継いで行きたい。

2011年4月10日(日) 改善方法はないものか

朝から市子連総会の資料作り。
みんなで集まって資料の確認をする。
訂正箇所を訂正して印刷すると、また違う訂正箇所が見つかる。
それを繰り返してようやく完了。

パソコンを閉じながらつぶやく。
「あー。資料作成、会議、そしてまた資料作成、会議・・・。」

私の嘆きを聞いて副会長が言う。
「それだけの覚悟をしてここにきてるんやからそんなことで嘆いてどうすんの!」

心の中で思う。
『ここに来たかったわけじゃないやん。最初、挨拶だけ、といわれて連れてこられて、結局こうなったんやん』
と。

数年前、校区長が私を市子連の役員の前に連れて行った。
私に事前の説明はなく「今度の会議に一度出てくれないか。キミを紹介したい」そう言われてだけだった。
何か儀礼的なものだろうと簡単に考えていた。
しかし実際には、常任委員、さらには役員をやってほしいという話だった。
そのときから、「パソコンを使えるから」という理由で資料作成を任された。
また、「一番の若手」なので肉体労働も行う。

『あの時は話が違うやんと思ってた。別に俺は進んできたわけじゃない。みんなの手伝いをしたいといったわけじゃない』
そう思った。
そして同時に思う。
『けれど、おれは拒否しなかった。明確に拒否していない以上、賛同したと思われても仕方がないよな』

仕方がない、とあきらめつつも、効率の悪さに嫌気が差す。
どうせやるならもっと効率よく作業を進められる方法を考えないと、私の後が続かず、私がますますしんどくなるだけだ。

2011年4月11日(月) 予算増額の能力

子ども会の決算報告書と予算案を作成して、自治会の定例会で報告した。

今年もよく活動したものだな、と改めて思う。
それでも今年は夏の大きなイベント「花火大会」は中止になったし、秋の「校区体育祭」も中止になり、その分、活動は例年よりも少ないほうだ。

自治会には子ども会以外にもいくつかの「会」があり、それぞれに決算報告をしているものの、報告内容の項目数も使用している金額も、圧倒的に子ども会が多い。

今回の定例会では23年度の予算案も決めるが今年も子ども会の予算については問題なく認めていただいた。
たぶん、予算を上げてほしいとお願いすれば多少の融通は利いたと思うが、あまりにいただきすぎるのも考え物で、もっと成果を挙げてから、交渉しても問題はない。

逆に何も新たな目標がないままに増額を希望するのはおかしい。
実際、他の会から「予算増額」の話も出てきたが、具体的な活動計画なども提示されておらず、ただ単に「余裕がほしい」とのあいまいな理由だけだったので、それこそ出席者の「集中砲火」を浴びるようにして、増額案は却下されてしまった。
私が口を出すまでもなかったが、もう少し、うまくやればいいのに、と気の毒に思うほどだった。

 まずは、現状の予算で成果を出す。
 次に、今後の目標を説明し、それを達成するのに必要な金額を明確にする。
 最後に、それを要望する。

やっぱりこういう時は、文書を作成する能力と、それをアピールし説得する能力が必要なのだなあ、と痛感した。

2011年4月12日(火) 青少年指導委員

嫁さんが「青少年指導委員」をやることになった。

長年、町内で活動していた方から「誰かにやってもらいたい」との要望を受け、嫁さんも誰かにお願いしようと、一度は人探しを考えたらしいが、「自分が経験せず、内容を理解していない役目を人に勧めるのは無責任だ」と考え、まずは自分が経験してみようと思ったらしい。

さすが嫁さん、である。

私の知り合いにも何人か指導委員をやっている人がいるが、実際にどんなことをするのかはよく知らない。
小学校校区ごとの代表者は男性が多いようだが、地区の担当者は女性も多いので、肉体労働ではないと思うが、「忙しい」という話も聞いたので、会合は多いのではないかと思う。

いずれにしても、ただでさえ責任感と正義感の強い嫁さんのこと、「青少年指導」はもってこいかもしれないが、もう若くはないのだから、体には気をつけてほしいと切に願う。

2011年4月13日(水) 風邪か

最近地震が多いせいか、やたらと「揺れ」に敏感になっている。
車が通ったり、人が歩いたりした振動を神経質なまでに体が感知するのだ。

今日も仕事をしていて昼過ぎから揺れを感じるようになった。

地震速報を見てみるがどこにも地震の報告がされていない。

しばらくしてまた揺れを感じた。
でもやはり地震ではないらしい。

周りを人が歩いた気配もない。

めまいか?
そう思って額に手を当てると、妙に熱っぽい。

仕事を切り上げて自宅に戻った。

風邪でなければいいけれど。

2011年4月14日(木) 平日に電池切れ

今日は一日ゆっくり自宅で過ごした。

朝から少し熱っぽい感じもあり、体にだるさを感じた。
仕事ができない状態ではないが、さして急ぐ作業もないし、どちらかといえば暇もあるので、ゆっくり自宅で過ごすことにした。

パソコンを使用すると結局仕事をしているのと同じなので、横になりながら、テレビを見る。

昼になると食欲も出てきたので、しっかり食事をとる。

その後また、テレビを見る。

今日は「療養しよう」と思ってゆっくりしてせいか、夜にはすっかり元気を取り戻した。

平日に電池が切れてしまうのは加齢のせいなのか。

以前なら、週末に復活して、平日は元気に過ごせたのだが。

2011年4月15日(金) 今日も新しい一年の始まり

今日は市のPTA協議会の総会。
新旧のPTA会長がそろう。

私は昨年に引き続きPTA会長を務めるので、新旧変わりないが、多くの学校で旧知のPTA会長が辞めていた。

陽気な会長、まじめな会長、カラオケで盛り上がる会長。

一年前は「胡散臭い」と思っていた会長も顔を合わすたびに仲良くなり、最後はお互いの肩を叩き合って、互いに今後を思い、激励の言葉を交わした。

そして新しい会長との最初の懇親会。

なかなか面白いメンバーがそろっているようで、あちらこちらで笑い声が聞こえてくる。

4月も半ばを過ぎてはいるが、今日も新しい一年の始まりだ。
新しい会長が、楽しく有意義な一年を過ごし、来年も引き続きやってみようと思えるようにしていきたい。

2011年4月16日(土) 以心伝心

先日まで会いにいこうと決めていたのに、どたばたにまぎれて忘れていた。

それを思い出させたのは、日暮れ直後の東の空に見た丸い月。

車を走らせ会議に向かう途中、信号待ちで停車すると、ほぼ正面に明るい月があった。

毎年この時期になると普段より長い時間、月を見る。

その月を見ながら、車の中で謝った。

「ごめん!いや、ほんまいくつもりやってん」

月から声が聞こえてくる。

『おまえそればっかりやん』

そういいながらも月は穏やかな光を放ち、私に微笑みかける。

「すまんなぁ。長いこと行けんで・・・」

胸の奥になんだか綿が詰まったような、すっきりしない苦しさを感じる。

忙しいのは言い訳なのだと、自分でもわかっている。

だから本当に「すまなかった」と思いながら、声に出した。

やさしい月の光が、私のことをよく知っていてくれる彼のやさしさのように思えて、そしてなんとなく許してくれたような気がした。

勝手にそう思い込んだだけなのかもしれない。

けれど、青信号になって車を走らせるまでの数秒間、確かに心は伝わったと思う。

2011年4月17日(日) 修了の証

次女が一年間参加した「ジュニアリーダ養成講座」の修了式が開催された。

この養成講座は子ども会で活躍できるリーダを育てるためのもので、小学校高学年から参加できる。

以前から私には「子ども会の会長は子どもが務めるべき」という考えがあり、子どもたちが自ら、企画し、計画し、実行してこそ「子ども会」であると思っていた。

そのため、次女にそういう力をつけさせようと、昨年の春から通わせていたものだが、通ってみれば楽しく過ごせたようで、夏や春のキャンプなど今までには体験したことのないことも多く体験できたと思う。

どれほどのリーダシップがついたかは定かではないが、一年を通して活動した次女は、晴れて「修了」の証をいただくことができた。

これからの子ども会活動の中でうまく次女の力を引っ張り出せてやれれば、本人もやる気になることは間違いないと思う。

とはいえ、それがなかなか難しいのだが。

2011年4月18日(月) アルバイトの研修

夜8時過ぎに帰宅すると、長女の姿がない。
聞けばアルバイトの研修に出かけたという。

思うところあって、この一年はアルバイトに注力するという長女が、決めたアルバイト先は飲食チェーン店。

理由は「時給がいいから」らしいが、それはつまり、それだけ仕事がきついということでもある。

一日中、立ちっぱなしの仕事というだけでもつらいのに、接客業でもあるので、明るい笑顔や元気な声も必要だ。

いくつかのバイト経験がある私から見ると、初めてのアルバイトにしては、少々きついのではないかとも思う。

しかし本人は十分やる気があるようなので、とりあえずは声援を送りたい。

店が決まったら、食べに行ってやろうと思う。
果たして、笑顔で出迎えることができるか。

2011年4月19日(火) 台無しになる言葉

私は個人事業主だが、一人で仕事をしているわけではない。
パートナーであるソフトウエア会社の人たちと一緒にプロジェクトを遂行することが多い。

そのパートナーの担当者がこの春に異動になり、私が窓口として対応しているお客様の元へ、元のパートナーと新任パートナーとを連れて挨拶に伺った。

「どちらからこちらへ?」とお客様が新パートナーにお尋ねになる。

すると異動してきた新パートナーは驚くような返事をした。

「ええ。東京の放射能から非難してきました」

ドキッとするような発言に閉口してしまう。

さらに転任していく元パートナーも同じように言う。

「私は、入れ替わりに放射能で汚染されている東京へ」

とても頭のいい人の発言とは思えない。

今、目の前で話しているお客様の出身地が被災地かもしれないと考えないのだろうか?
ご家族が東京で暮らしておられるのではないかということを考えないのだろうか?

二人とも、場を和やかにしようとして軽い冗談のつもりで言ったのだろうが、褒められる内容ではない。

人として仕事ができることも大切だが、こういうところで心遣いができなければ、全てが台無しになってしまうこともあるのに。

2011年4月20日(水) 選挙事務所

先日の日曜日に初めて「選挙事務所」というところを訪問してみた。

嫁さんが仕事をしている職場には、ある市会議員候補の「選挙対策委員長」がいて、議員とも顔なじみである嫁さんは以前から、選挙の応援をしてほしいと頼まれていた。

そういうことを嫌う私の性格を知っていて、嫁さんは手伝うことはなかったが、それでも事務所に顔を出すぐらいはしてもいいと思ったようで、日曜日の昼下がりに「一人では行きにくいので」と誘われ、一緒に事務所を訪問した。

ガレージのようなところに机とパイプ椅子があり、同じようなユニフォームを着た人が何人かいた。

嫁さんの顔を見て「いやあよく来てくれました」と声をかけてきたのは委員長。
肝心の候補者は選挙カーに乗って街宣中らしい。

こちらへどうぞとパイプ椅子に案内され、腰を下ろすとお茶を持ってきてくれた女性がいる。
「この人が奥さん」と嫁さんが紹介する。
なるほど候補者の奥さんともなれば大変そうだ。

嫁さんの姿を見つけた人が何人かやってきて、そのたびに「この人が息子さん」「この人が○○さん」と私に紹介する。

紹介されたほうも私を見て「あ。ご主人ですか。お世話になっています」というが、全然面識はなく、お世話したこともない。

「ご主人にも応援していただきたいんですが、PTA会長さんという立場だと、ちょっと難しいですよねぇ」という。
何でそんなことを知っているのだと思っていたら、嫁さんが「何で知ってるんですか?」という。
てっきり嫁さんが話したのだろうと思っていたのに、違っていたようで、「知り合いから聞いた」という。
しかし、その知り合いの名前を聞いても、どこの誰だかわからなかった。

そういうことを保護者以外に知られていると言うのは少々「得体の知れない怖さ」を感じるが、まあ、それが知られているお陰で、これ以上は私のところへ選挙の話は来ないのだから、まあいいかとも思う。

15分ほど談笑をして家路についた。

2011年4月21日(木) 委員総会

この前の金曜日はPTAの実行委員を集めての総会。
総会とは言っても「決算報告」などはなく、実行委員としてどういう仕事をするのかを具体的に説明する、説明会のようなもの。

本来なら、最初に「実行委員とはどういうものか」という説明を聞いてから、立候補するとか、どの委員になるとか、を決めるものだろうが、実際に全保護者に向けて説明するような機会が設けられていない。

また、そういう説明の場を設けたとしても、実行委員やPTA活動に興味のない人は最初から集まることもない。

結局、多少なりともやる気のある協力的な人が集まるのであって、協力的な人は「この仕事以外はやらない」ということもなく、与えられた仕事はこなしてくれる。

そして、同じような人が毎回、実行委員になる。

今年は最後の小学校最後のPTA会長。
嫁さんも実行委員に立候補したし、嫁さんの友達も最後だからといろいろと委員を引き受けてくれた。

なんだか楽しい一年になりそうだ。

2011年4月22日(金) 選択肢

先日、尿酸値が高いといわれたのでどうすればよいのか早速調べてみたところ、「アルコール類、特にビールを控えるように」とあった。

ビールを控える。
それは無理な話なので、他に何かないのか調べてみた。

水分をたくさん摂取しろというようなことも書いてあった。

アルコールがよくないといわれるのは、アルコールを分解する過程で体の中の水分を大量に消費してしまうこともその一因であるらしい。
水分不足になると尿酸だかなんだかが、体の中で結晶化してそれが痛風の痛みになるのだという。

想像するだけで痛い。

というわけで最近はやたらとお茶を飲む。
ペットボトル三本はノルマのように飲んでいる。

別にこれが好き、というお茶があるわけではないが、いろんなものを飲み比べては「これはいける」「これはいまいち」などと一人で品評している。

お金も結構かかるので自宅で作ったものを持ち歩こうかとも考えているが、そんなことをしても私が長続きするとは思えない。

長く続かせるのならば、好きなタイミングで、「どれにしようか」と迷いながらお茶を選ぶ、という自由な選択肢を残しておかなければならないのだ。

2011年4月23日(土) 当て職

先日、市PTA役員の引継ぎが行われた。

市のPTA協議会のメンバーは全員PTA会長。
その中の役員会なのだから、当然、みなPTA会長。
ただし、市Pの役員とPTA会長とを兼任することが難しい場合は、市Pの役員だけをやっている人もいる。

会長たちの役員会といってもそれほど特別なことをするわけではない。

主な仕事は月に一回開催される、会長同士の会議の進行内容を検討し、進めていくこと。

それ以外の仕事としては、市内の各部署の一員となってその会議に出席するということも大切な仕事だ。

各部署の一員とは例えば「市立図書館運営委員会」とか「市立公民館運営委員会」、他にも「学校給食費検討審議会」なんていうのもある。
教科書を選定する委員会の委員になることもある。

選出されたとしても委員の一人なので、自分が主となって進めるわけではないし、会議に出席して話を聞くことがほとんどだ。
でも、ほとんどの会議が平日の昼間に開催されるため、結構、負担が大きい。
先日の引継ぎでも一番時間がかかったのは、これをどうやってみんなで分担するか、だった。

これを「当て職」と呼んでいるが、一人当たり二つ以上を受け持たなければならない。

私も結局、三つを受け持つことになったが、年間5回以上は会議に出なければならないようだ。

まあ、初めてなので、興味のあるところではあるが。

2011年4月24日(日) 手書きの入力は一苦労

毎年この時期になると、単位子ども会の役員が入れ替わる。
私の担当している子ども会だけではなく、市子連に加入しているところはどこも同じだ。

市子連ではその単位の代表者を把握しておく必要があるので、規定の用紙に代表者の氏名を記入してもらい、それを集計して一覧にしている。
けれどその用紙はどこかのサイトからダウンロードできるものではないし、当然記入は手書きになる。
手書きの用紙を集計するのは、いくらパソコンを使い慣れている私と言えど一苦労なのである。

一人ひとりの名前を最初から入力しなければならないし、入力間違いもある。
何より読めない字を書く人が少なくない。

欲を言えば単位ごとでEXCELで名簿を作ってもらいそれをメール手送ってほしいところだが、それができないならせめて、サイトから記入用紙をダウンロードできるようにし、印刷したもので提出できるようにしてほしい。
それなら読み取りソフトを使えば一覧を作成するのも多少は楽になる。

と、ないものねだりをしても仕方がないので、とにかく規定用紙をダウンロードできるサイトを作ろうと思う。

2011年4月25日(月) 寂しい実行委員会

今日、以前PTA会長を務めていた高校のホームページを見た。

いろいろなサイトが充実していて、毎日必ずどこかが更新されるようになっているので見ていて飽きない。
校長先生のブログや生徒たちの活動の様子も報告されている。

PTAの活動報告のサイトは委員会が開催されるたびに更新され、実行委員会の光景を写真で見ることができた。
私が挨拶しているところや、各委員さんが報告しているところ、みんなで話し合っている様子などなど。

そこに先日の実行委員会の様子が掲載されていた。
けれどもそこに私はいない。

新しいPTA会長の下、新しい役員さんと新しい実行委員さんとで始動した、新しい委員会だ。

つい先日まで私もその場にいて、みんなの顔を見ながらいろんなことを話し合っていたかと思うと、妙に寂しい。

以前、他校との交流の場で同じように引退するPTA会長さんが「今年限りで私のPTA活動が終わるかと思うと、この先何を楽しみに過ごせばいいのやら」などと冗談交じりで挨拶しておられ、周囲の笑いを誘っていたが、今頃はさぞかし寂しい思いをしておられるに違いない。

最初は子どものためにと思ってやり始めたPTA活動だが、なんだかんだ言って楽しんでいたのは、当の私だったようだ。

2011年4月26日(火) それは片付け?

この時期、やたらと部屋の片付くときがある。
それは次女の担任の先生が家庭訪問に来るときである。

前日までは今までどおり見慣れた部屋だったのに、訪問日に帰宅すると驚くほどに片付いている。

今日は家庭訪問だったが、昨夜の時点で居間はかなりの散らかりよう(ほとんどが私の資料)で「これは相当片付けるのに時間がかかるだろう」と考えていた。

そして今日、仕事が終わって、嫁さんに電話をした。

「家庭訪問やってんやろ?」
「そうや」

嫁さんの声は上機嫌である。
うれしいことがあったのか。

「部屋、きれいに片付いてる?」
「うん。片付いてるよ」

嫁さんの返事は『思ったとおりの質問』を私がしてきたように軽快だ。

「よう、片付けたな。大変やったやろ」
「うん。『これは無理!』って思ったから、全部、段ボール箱に入れた。うふふ」

そ、そういうことか。
「うふふ」と言いながらやっていることは男前じゃないか。

自宅に戻ると見事に私の資料は片っ端から段ボール箱に放り込まれていた。
休日はこの資料を片付けるのが私の仕事になりそうだ。

2011年4月27日(水) ジムへ通う

4月に入ってから、少なくとも一週間に一回はフィットネスのジムに通おうと心に決め、なんとかそれを維持しているものの、当然、その程度のことなので、まだまだ目に見えた効果は現れそうにない。

けれども少しずつではあるが体が慣れ始めたように思う。

エアロバイクの時間は確かに長くなり、ランニングもするようになった。
低下した筋力は以前に遠く及ばないものの、日に日にウェイトは大きくなり、回数も増えてきている。

成果が目に見えるのはいつのころだろうか。

3年かけて太ったのだから、健康的に痩せるならば、やはり3年はかかる。
気長に続けるしかなさそうだ。

2011年4月28日(木) PTA総会

夕方から総会があったので仕事を切り上げて学校へ。
型どおりの総会なので特に異議もなく決算予算が決まる。

で、旧役員の挨拶。
「一年間ありがとうございました。皆さんのおかげで無事に終えることができました」とみなが言う。

皆さんのおかげかぁ。
まあ、確かに保護者の皆さんの協力なしには進まないけれど。

役員には「会長のおかげ」と言ってほしいところだ。

役員をやっていただいたお母さん方ぞれぞれの思いはあるし、それぞれに大変だったと思うけれど、正直、子ども会の班長さんのほうがよっぽど大変だったと思う。

昨年度のPTA役員はそれほど大変ではなかっただろう。
というか、今までで一番「楽」だったはず。

毎月の役員会では大きな課題もなかったし、揉めることもなかった。
毎回の実行委員会も私が挨拶をして、私が議事の内容を説明する。
秋のイベントだって、私が関係部署に交渉しお願いしたし、準備品も私がネットで手配した。
講演会の資料作成や買出しの準備も私がやって、私自身がパソコン教室をやった。
懇親会の場所探しや、手続きも私がやった。
すべての資料作成も私がやった。

「何を言っているんですが会長!」
そういう役員の声を聞きたい。

当然のことながら私の知らないところで動いていてそれを私が把握していないだけ、そう思いたい。

2011年4月29日(金) 視野を広げるために

前回は4月の最終日曜日に開催された子ども会の「育成者研修」が、今年は昭和の日に開催された。
研修と言っても別に勉強をするわけではない。
講師をお招きして子ども会の進め方などの心構えをお聞きしたり、実際に子ども会活動の中で作成できそうな作品作りを教わる。

毎年のことだが、参加する前の保護者の反応はとても消極的なもので、いわゆる「動員」でもなければ参加することはないと思うし、できることなら参加したくないというのが本音のようだ。

けれども参加した後に感想を聞くと、みな口をそろえて「参加してよかった」「面白いお話だった」と言う。
講演が終わった後も講師の下に集まって、時間内に説明し切れなかった作品の作り方や、どこに行けば講師の方に会えるのかなどを聞き出していて、スタッフである我々が「時間ですから退場してください」と言うまで、講師の周りに保護者が残っているほどだ。

なぜだか、講演会と言うと聞きたがらない人が多い。
特にお母さん方に多いように思われる。
「忙しいから聞いていられない」と言うのもひとつの理由だろうが、それは私も同じ。
逆に暇だから聞こうとするものでもない。

食わず嫌いはやめてもっともっといろんな人の話を積極的に聞けば、もっともっと自分の視野が広がることは間違いないのに。

2011年4月30日(土) 動物園の卒業式

久しぶりに動物園へ行った。
今日は、長男長女はアルバイトだが、次女の親友が一緒だ。

朝、9時前に自宅を出発し、高速の出口を下りてすぐの駐車場に到着したのは9時半ごろ。
園内は開園して間もないためか、それほどの混雑ではない。

子どもと一緒に見て歩く。

岩場の穴倉に入り込んで眠っているメガネグマ、じっとしてほとんど動かないハゲコウ、草を食みながら数頭で歩いているエランド。

コアラ館を出るといつもより大きな声で鳴いているホエザルの檻の前にはたくさんの人が。

次女はいくつかの動物に興味を示したものの、さすがに六年生ともなると昔ほどではない。
動物を見て楽しむよりも、友人と話をしながらベンチに腰掛けている時間のほうが長いようだ。

一通りを見終えて出口に向かうと嫁さんがポツリと言う。

「もう、これでしばらくは来ることもないかなあ」

そうだなあ、としみじみ思う。

今日は動物園の卒業式だったかもしれない。

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