カリント日記

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2011年7月1日(金) 試験

試験というものを久しぶりに受けた。

ベンダー主催の技術者認定試験だ。

とは言っても、世間一般に公開されているようなものではなく、ベンダー関連会社の人間でなければ受験できない。

7時間の講習を受けてその後にWeb試験を受ける。

講習の内容はそれほど難しいものではなく、講師の話を聞いていれば十分理解できるなようのものだった。

試験もこれで大丈夫だろうと思い、受講完了後に試験を受けて驚いた。

講習の内容とは関係のない、OS関連の問題が半分近く出題されたからだ。

情報処理の試験を受けるときならいざ知らず、さほど勉強もしていないこの時期、しかもWindowsに特化した問題にかなり迷う。

なんとか最後まで問題を解いた。
選択問題とはいえ、正直自信はない。
多少躊躇しながら「採点」ボタンをクリックした。

「合格」の文字があっけなく表示された。

ほっと一安心して、次は何の試験を受けようかと考えた。

2011年7月2日(土) ゴロゴロ土曜日

昨日の夜はかなり飲んだにもかかわらず、今日も昼過ぎからテレビを見ながら飲みっぱなしである。

台所のシンクに並ぶ空き缶。



ビール5本とチューハイ8本。

これは確かに飲みすぎだ。

テレビで見た番組も、映画1本、ドラマが3本、バラエティーも6時間以上。
全部録画してあったもの。

これも見すぎだ。

やらなければならないことがたくさんあっても、外出の予定もない連休となるとなんだかうれしくて、ついビールを飲み、のんびりしてしまう。

体のためには忙しい土日のほうがよさそうだ。

2011年7月3日(日) ビールを飲む口実

掲示板が久しぶりに更新されていた。

二年ぶりの訪問者、ってどれだけ過疎地なんだこの掲示板は。

日記は自分のための覚書として使っていることが多く、このサイトも自分のために作っているようなものだが、やはり掲示板が訪問者によって更新されているとうれしいものである。

時々掲示板の存在意義を考えたりもするが、子どもが生まれたという報告をこうやって受け取るのも、掲示板があるからこそであって、「存在意義」なんて難しいことを考えることはなさそうだ。

ビールの飲みすぎを反省した昨日の日記だが、今日は、掲示板で知らせてくれた出産の祝杯をあげることにする。

さて、今からビールでも買ってくるか!

2011年7月4日(月) 煌々と光る

一日からそうだったのか記憶は定かではないけれど、今朝、仕事場近くの駅のホームを下りる階段が薄暗いことに気がついた。

また、ビルの中を進むとやはりところどころ明かりが消えていて、なんだか不況で店舗が消えてシャッター外になってしまった駅ビルの地下街のように寂しさを感じた。

そんなビルの中でも、ファストフード店だけは相変わらずの活況を呈していた。

けれど考えてみれば、ファストフードの価格も、例えばハンバーガーなどはバブルのころに比べると価格は半分以下になっており、喫茶店でトーストを食べるよりも安い価格で手に入るということを考えると、この店がにぎわうというのはむしろ、安い価格に人々が集まるということであって、「活況」という言葉はふさわしくないようにも感じられる。

世の中の景気は徐々に回復しつつあるといわれて久しいが、なんだかパッとしないし、何より実感がない。

節電はわかるがその暗いムードから、なんでもかんでも自粛するようなことになっては、ますます景気は滞る。

気持ちの明かりはつけっぱなしで、いつも煌々と光り輝いていたいものだ。

2011年7月5日(火) 保険の勧誘

昼休みのユーザ先を訪ねると、時節柄、電灯は消されており、ブラインドを下ろされたフロアの中は薄暗い。
そのせいか昼寝をする人も多く、周りの人たちの会話も気を使ってヒソヒソ声だ。

そのフロアの中を歩く女性の中に異質な感じのする人を時折見かける。

多くの女性が事務的な制服を着ているのに、その女性はピシッととしたスーツ姿である。
手には資料を持ち、カバンもぶら下げている。

昼休み中にカバンを持ってうろつく社員といえば、外に食事に出かけて戻ってきた女性社員か、さもなくば保険の外交員ぐらいだ。

今は声をかけられることもほとんどないが、会社勤めをしていたころはよく出入りの保険外交員に勧誘の声をかけられた。

けれども私は執拗に話を聞かされることもなく「嫁さんの実家が保険をやってますので」というと、外交員は残念そうな顔をして別の机に移動していった。

断る理由を思いつかないのか、はたまた退屈しのぎに相手をしているだけなのか、特に若い社員が少し困ったような顔をしながら、長々と話を聞かされている姿をよく見かける。

今日もそんな若い社員を見てなんとなく昔を思い出し、そういえば勧誘されることもなくなったなあ、と寂しくも感じた。

勧誘されたら迷惑だと感じるくせに、こなくなったら寂しいとは、我ながら勝手なものだ。

2011年7月6日(水) 酒の席でも

学校同士での親睦を深めるための懇親会に出席。
くじ引きでみんながバラバラになるように座席を決めていたようだが、私の小学校の役員はみな同じ席になってしまった。

とはいえ、今のメンバーで酒を飲むのも今回が初めて。
必然的にPTA活動の話になる。

今までのことこれからのこと。
初めての役員を経験するメンバーはPTA役員を「想像していたよりも堅苦しくない」と言っていた。
どちらかといえばよい意味で、だと感じた。

お酒を飲むのが好きなメンバーのようなので話も弾む。

勢い、来年度の話になり「私の後任として会長をお願いしたい」ということも話をした。
けれど、酔ったときの悪い癖でまだ確定していないようなことまで、さも確定したかのように説明し、誤解を与えたようだ。

自宅に戻るとそのことを嫁さんに咎められ、酔った頭のまま、とりあえずお詫びをしようとメンバーにメールを送った。

酒の席で軽はずみな言動を何度となく繰り返しているようで、忸怩たる思いがある。
たとえ「酒の席だから」と笑って許してくれるメンバーであっても堪忍袋の緒は絶対に切れないわけではない。

2011年7月7日(木) ご近所人名事典

久しぶりに、おばちゃんたちの、おばちゃんたちによる、おばちゃんたちのための会話をたっぷり聞かされた。

先日、市内で活動する気のあったメンバーで飲みに行くことになった。
ただ、一緒に行くはずだった男性がドタキャンになったので、男性の参加は私一人だ。
それでも嫁さんの友達などと飲みに行くこともあり、別に女性ばかりでも別段気にならない。

けれど今回は勝手が違った。

女性はとかく仲間との情報共有を好む。
それが自分たちだけで通用するようなものであればあるほど仲間意識が高まるのかもしれない。
だから、政治や経済の話よりもご近所の噂話のほうを好むのだろう。

しかも「このあたりにはこんなことをする人がいる」という話し方ではなくて「○○小学校の××さんはこんなことをする」と完全に人物を特定して会話したがる人もいる。

今回はそういう女性の独擅場だった。

「○○さんところの××ちゃんは」
「○○学校の△△先生は」
「○○ちゃんのお母さんは実は」

よくもそれだけ他人のことに興味があるもんだなあ、この人は「ご近所人名事典」か、と驚くほどに話が出てくる。

「こんな状況はよくない。何とかしよう」「こういう人がいて困るけれどどうしたらいいのか」というのであれば人物を特定する必要はないはずだが、人物を特定することでそれは単純にその人を「非難」しているだけになる。

「○○さんはこんなことをして困る」
そういわれても、○○さんのことを知らなければどう答えていいのかわからない。

正直疲れる飲み会だった。

私の周りにもそんな女性はいるのだろうかと考えると、ちょっと怖くなった。

2011年7月8日(金) お泊りは無理でも

子どもたちによる子ども会の会議も今回で3回目。

前回の会議では「みんなで自治会館に泊まりたい」という案が飛び出し、それが実現できるかどうか一ヶ月ほど悩んだ。
結局、静かに夜を過ごすことが難しいだろうと判断し、今回は中止にしようと考えていた。

会議に向かう途中、自治会館の鍵を受け取るために自治会長宅を訪問した。

「きょうはどうした?」
相変わらずのだみ声でニコニコしながら話しかけてくる。

「いやー。子ども会の会議ですわ」
「ほう」
「実は今年度から子どもだけで会議させてるんですわ」
「ほうほう」
「子ども同士で話をさせると、いろいろな意見が飛び出して面白いですよ」
「ほうかほうか」
「例えば自治会館にみんなで泊まりたいと言い出したりね」
「ほうほう」
「ただ、夜がうるさいでしょ。だから難しいかなあと」
「それやったら、学年を制限したらええ」

どうやら自治会長は子どもたちの意見を「面白い意見だ」と評価してくれたようだ。
おそらく自治会館に宿泊するとなれば反対はしないだろう。

そこでもう一度、子どもたちの様子を見ようと思った。
会議を静かに進行できれば夜もおとなしく過ごせるかもしれない。

しかし、冒頭から言うことを聞かず、あちらこちらで騒ぎ始めた。

テンションがあがっているのは会議のことを楽しみにしてくれているということだろうが、これでは宿泊まではできそうにない。

だから子どもたちにも「今回は自治会館には泊まれません」と報告し、子どもたちにほかに何をやってみたいか意見を聞いた。

いまだに子どもたちの要望を果たせないでいるが、それでも子どもたちは一所懸命に意見を言う。

とんでもない要望も子どもらしくて面白い。

お母さんたちにも理解をしてもらい、ぜひとも実現してやりたい。

2011年7月9日(土) 意義のある酒

校区子ども会の会議は久しぶりにアルコール付きの会議。

とりあえず、8月に開催される花火大会の出し物と価格を決定し、次は各単位子ども会で何を担当するのかを決める肝心なポイント。

というのも、出し物の担当によって負荷も変わるからだ。

さあ、どこがどの担当を引き受けるか。

なんとなく緊張した空気が漂い始めたそのとき「じゃ、とりあえずここで乾杯でもしましょう」と校区長が言った。
絶妙のタイミングだった。

ビールやチューハイを手に取り、難しい挨拶もなく「これからもよろしくお願いします」と乾杯をした。

寿司をつまみながらしばらく雑談をする。

そして頃合を見計らって「さて。どこが何を担当するか、ですが・・」というとすぐさま、「うち、焼きそばやります」と声が。
すると別の地区が「じゃあ、カキ氷やってもいいですよ」と。

10分程度前までは緊張していたのに、和やかな雰囲気になってすぐさま担当を決定することができた。

酒の力というと語弊があるかもしれないが、乾杯の前後でみんなの表情が変わり、とても意義のある「酒」だったのは間違いない。

2011年7月10日(日) 叔母と地デジ

私が幼少期を過ごしたのは隣の市であり、私の住んでいた平屋の借家は既にコンビニエンスストアの駐車場に姿を変えたが、その近所には祖父の家があって、今もなお、老齢の叔母が一人で暮らしている。

先日、その叔母の家のテレビがまだデジタル放送に対応しておらず、知り合いを通じて業者にアンテナの取り付けを依頼しているが、いつになるかわからないし、工事費などの金額も定かではないという、なんとも心許ない内容の連絡が、叔母の妹である私の母からあった。

少し調べてみると室内アンテナでも条件がよければ十分に見ることができるというし、価格もそれほど高いものではなかったので、それならば、と早速叔母に連絡をし、今日、アンテナを持っていくからと約束をした。

そして今日、昼過ぎから日本橋へ出かけてアンテナを手に入れて、3階の寝室に置くつもりで買い置きしていた19インチのテレビを持って、叔母の自宅を訪れると、前日「私も行くわ」と言っていた母は既に叔母の家にいた。

箱を持ったときから重量は想像していたが、それでもなお思っていたよりも軽いB5ノートほどの大きさのアンテナを箱から取り出しながら「こんなもので本当に大丈夫なのか?」と疑う。
別に重さが性能のよしあしを決めるわけではないけれど、やはり電化製品の信頼性はどこか重量に比例して高くなるように思うところがある。

これまた軽くて薄いテレビを箱から取り出してスタンドを取り付けると、スタイリッシュな液晶テレビはよりスマートに見え、対照的にブラウン管のアナログテレビがとても鈍重に見える。
画面の消えたアナログテレビが、どこかの孤島でひっそりと余生を送っていたゾウガメのように思えて、哀愁を感じる。

定位置は引き戸のガラスキャビネットの上だが、室内アンテナのケーブルが短いし、とりあえずは映るかどうかの確認をすることが先決なので、ひとまずスタイリッシュなテレビはテーブルの上に置かれた。

2メートル足らずのケーブルでアンテナと接続し、テレビの電源を入れる。
面倒な操作は必要なく、画面に表示されるメッセージに沿ってリモコンを操作するだけで、勝手にチューニングしてくれる。
5分ほどでチューニングが完了したが、受信できたのは「教育」と「総合」の国営放送だけ。

これが室内アンテナの限界なのかと感じたが、アンテナを30センチほど窓に近づけて再度チューニングをすると、今度は全て局が受信できたのでホッと胸をなでおろす。

「いやー。綺麗やわー」

テーブルに鎮座しているテレビ画面を見つめ、叔母と母は嬉々とした表情をしている。

「うんうん。テレビ、別にこの場所でもええわ。綺麗やし、見やすいし」とテレビ画面と私の顔を交互に見ながら叔母がいう。

ボタンだらけのリモコンの操作方法をできるだけ簡単に伝えたると、どこまで理解してもらえたのかはわからないが、それでも「うんうん」と聞いていた叔母にリモコンを渡して、引き上げた。

そういえば玄関の蛍光灯を取り替えてほしいと言われたような気がするが、そのまま忘れていた。
近々また訪問して、蛍光灯を取り替えてやらなければ。

2011年7月11日(月) 猫がやってきた

我が家に家族が増えた。
といっても人ではなく、子猫だ。

長男がアルバイト先に迷い込んだ子猫を拾って帰ってきたのだ。
長女が3歳のころいきなり「トトロちゃんていうの」ともって帰ってきたのに比べればまだまだ予告があっただけに驚きは少ない。

何より驚いたのは地方へ引っ越した友達の家に旅行に行っており、ここ数日の事態を把握していなかった長女だろう。

ヘロヘロになって帰宅した長女だが、猫の姿を見るなり、疲れも吹っ飛ぶ喜びようである。

我が家はみな動物が好きなので、こういうときは都合がいい。

子猫はまだ食事のときに「ミャウミャウミャウ!」とあたりを警戒しながらえさを食べる。

テレビでは面白い風景としてよく紹介されるが、子猫の時にはごく当たり前に見られる風景である。

こんな調子だから、これからまたにぎやかな日々が続くだろう。

2011年7月12日(火) あのころの会議と比べて

自治会の会議で盆踊りの段取りを決める。

私にとってはいつものようにいつものペースで話が決まっていくように感じる。

でも、以前からこうだったのだろうか。

私が自治会にかかわるようになったのは6年ほど前。

ちょうど今頃の季節。

当時は自治会長と子ども会のお母さんとが犬猿の仲であり、何をするにも対立していたころ。

当時の自治会の会議の様子を知らないが、何か決め事をするたびに衝突があり、子ども会と自治会の対立があったと聞いている。

けれども昨日の会議ではそんな雰囲気は微塵も感じられなかった。

「○○(私)くん、今年も頼むで」

あのころからの変化が、多くを言わないその一言に凝縮されているように感じる。

何かわだかまりがあったのだろうが、冷静に話し合うとどこにも「悪意」はないし、文句を言うだけの始末に終えないやつもいない。

今年も自治会の盆踊りが開催される。
また笑いならがら終えられることを期待している。

2011年7月13日(水) ショートメール

今日から異なる携帯電話事業者(キャリア)でのSMS(ショートメッセージサービス)が利用可能になった。

本当かどうか(って嘘であるわけがないが)試してみることにした。

さて、誰にメールをしようか。

男に意味のないメールを送る趣味はない。

女性でもどうせならお酒の話しをするほうがいい。

「今日からショートメールができるようになりました。
 久しぶりにみんなで飲みに行かない?」
こんな内容でいいか、と思い携帯電話のアドレス帳を見る。

えーと。

・・・。
・・・。

おや?

・・・。
・・・。

あれれ?

・・・。
・・・。

じゃあ、まあ、おばさんでも・・・。

・・・。
・・・。

なんとまあ、酒飲み友達はことごとく同じキャリア。
これではテストにならない。

結局選んだのはかつてのPTA役員仲間。
しかしお酒が飲めない。

えーとなんて書こうか。

「今日からショートメールができるようになりました。
 ちょっと送ってみました」

なんじゃそら。

2011年7月14日(木) 連日会議

昨日は役員会、そして今夜は市子連の会議、と連日の会議をこなす。
土曜日にも会議があってなかなかハードだ。

でもそれができるのは仕事の時間に余裕があるときだけ。

今年度は今のところ順調に役目をこなせているが、これから先、仕事が増えてくるのは確実で、どれだけ役員としての役目を果たせるか、多少不安である。

また以前のように、一度会議に出て、それからまた仕事に戻らなければならない日が来るのだろうか。

過去の日記を振り返って自分に驚く。
なんとまあ、勢いのあったことか。

とりあえず要領よくできるように、資料の作り方を工夫していくしかない。

2011年7月15日(金) コンサート

今日は久しぶりにコンサートに出かけた。

「トイレの神様」で有名になった植村花菜さんのコンサートだ。

嫁さんの友達がファンらしく、一緒に行かないかと誘いを受けたので嫁さんと次女と一緒に行くことにした。

仕事帰り、そのまま会場へ向かう。
小さな町の会場だし、ファンの年齢層もそう若くはないので、会場の回りも普段とあまり変わりはなく、帰りを急ぐサラリーマンが急ぎ足で歩き、自転車に乗った学生が通り過ぎていく。

それでも会場に入ると「コンサート」独特の雰囲気が漂い、気分が自然と高揚してきた。

照明が落ちてステージにライトが当たると声援が湧き上がり、曲が始まった。

アコースティック中心だが、元気でノリのいい曲が多かったように思う。

関西出身のミュージシャンなのでMCも面白い。

子ども達にもよくわかる内容だったし、手を振れば振り替えしてくれて、とても親しみを感じた。

最初は「子どもが行っても楽しめるものだろうか?」と少し心配していたが、むしろ子どもをコンサートに連れて行くのもいい経験になるように感じた。

また誰かのコンサートに連れて行ってやりたい。
って、一緒に行ってくれるかどうかの方が心配だ。

2011年7月16日(土) はしゃぐ

それは火曜日の真夜中のこと。
携帯電話が鳴った。
時刻は3時を過ぎたところ。

とはいっても気がついたのは翌朝の着信記録だったのでびっくりはしなかった。
相手はこんな時間に電話してくるはずもない、同じブロックで知り合ったほかの府立高校の元役員さん。

私も同じでその人も昨年度で高校の役員を引退したが、また一緒に飲みに行こうとケータイの番号を交換していたので、おそらく操作ミスでうっかり「発信」してしまったのだろう。

慌てず騒がず、からかい半分でメールをする。
「真夜中の電話はなんじゃらほい」

しばらくすると「ごめんなさーい」とド派手なメールが届いた。
やはり間違って発信したらしい。

「どうせそんなことだろうと思っていた。また飲みにいきましょう」とメールをすると意外な答えが。

「今度の土曜日、PTAのOBで飲み会するよー」と。

そして今日。

本来は、同じブロック内にある20近くの高校の現役PTA役員のための懇親会であるが、今年度の幹事校の昨年度会長が非常に個性の強い人であり、昨年度の引退の挨拶のときに「来年度もぜひ呼んでほしい」と言ったことがきっかけで今年は例外的に「OBも参加可能」となったのだ。

私も個性の強い部類であり、喜んで参加することにした。

遅れて参加した私は先の間違って電話をかけてきた主らと駅で待ち合わせをして、みんなが集まっている飲み屋の片隅でこっそりとビールを飲んでいた。

するとトイレに降りてきた連中が私の姿を見て驚く。

「あああああ!○○(私)さーーん!!きてたのー!?」

しばらくすると別の人が降りてくる。

「○○はん、きてたんかいなあ!何してのお!みんな上におるで」

また別の人が降りてくる。

「○○さんですよねぇ?いやーうれしー。お会いしたかったんですぅ。握手していただいていいですか」

確かにブロックを代表する面白い会長と自負してはいるが、まさか握手を求められるとは思わなかった。

やがてみんなの一次会が終わろうかという時間を見計らって、「乱入」することにした。
「あああ!○○さーーん!」

少し錯覚してしまうほどに声がかかる。

一次会を終えて二次会のカラオケへ。

総勢30名ほど。

先陣を切って歌を歌うのはもちろん私。

ノリのいい曲でその場を盛り上げて次の人へ。

だんだんと盛り上がりしまいには総立ちで踊る。



久しぶりに力いっぱいはしゃいだ気がする。

2011年7月17日(日) 踊りを見ながら

子ども会会長として隣町で開催された盆踊りに挨拶がてら出かけた。

ご祝儀を渡すとテントの下のパイプ椅子に案内される。

自治会の会長さんたちがお揃いなので挨拶をする。

「よう。○○(私)くん。相変わらず忙しいなあ」とねぎらいの言葉をかけていただく。
席に座っているとお手伝いの女性がビールとおつまみを持ってきてくださる。

盆踊りを踊っているのは子どもたちと、その地区の子ども会やPTAの委員さんたちのようだ。

なんとなくそれを眺めながら、雑談をする。

いつもお世話になっている方たちとどうすれば子ども会が盛り上がるかについて話をする。
アルコールも入っているのでなかなか熱い話になる。

この地区では今まで任意だった子ども会の加入が原則小学生は全員子ども会の会員になるように組織変更された。
それによって会員数は大幅に増え、世話をする人も増えた。

しかしその反面、子ども会活動に積極的ではない人が子ども会の役員を務めることもあり、また、人数が多いので誰かがやるだろう、というような気持ちも現れたのか、全体的に以前よりも積極的な活動が見られなくなってしまったそうだ。

確かに、同じ校区の子ども会として私もそれを感じていた。

「今、踊っている人も、今年の役員やからやっているのであって、来年はいてない。これじゃいつまでたっても子ども会は活発にならない」
「○○くんのような人にどんどん引っ張っていってほしい」

話を聞いていると私に期待していることがよくわかる。

もはや目の前のお母さんたちには期待するべくもなく、話をする気力も失せたようだ。

どこも同じようなものだ。
私にはいったい何ができるのだろうか。

2011年7月18日(月) 優勝の確信

劇的な日。

前日の盆踊りの深酒のせいで目が覚めたのは4時ごろ。
テレビをつけるとちょうど前半が終わったところだった。

まだ0対0のドロー。
ただ前半はかなり押され気味だったという。

後半が始まりやはりピンチは続いているように思う。
このままでは点を取られるのも時間の問題かと思った矢先、先制点を奪われてしまう。

いやな予感がしてしまった自分のせいだと自分を少し責めるが、心のどこかに「でも大丈夫なのだ」と何の根拠もない確信が見え隠れする。

そしてその思いは的中する。
後半も残り10分ぐらいになったとき、同点に追いついた。

延長戦もやはり先に点を取られる。
このときも心のどこかで「このままでは終わらないのだ」と根拠のない確信はある。
そしてやはりその確信は的中し同点に追いつく。

PKになったとき、なでしこたちの円陣は笑顔に満ち溢れており、それを見て私は三度勝利を確信した。

かくしてその思いは的中し、歓喜した。

おめでとうなでしこジャパン。
おめでとうワールドカップ優勝。

2011年7月19日(火) 普通の特別な日

先日の次女の誕生日はプレゼントを渡すでもなく、豪華な料理を食べるでもなく比較的地味な夜だった。

と言ってもなにか悲しい出来事があったわけではなく、誕生日プレゼントは一ヶ月以上も前に、大人がもらっても喜ぶような携帯音楽プレーヤーをやったし、豪華な料理として思い浮かぶ肉料理は、次女の好物でもないから作らなかっただけの話だ。

ケーキを買ってきてローソクに灯をともし、部屋の明かりを消す。

一気に、特別な日、と言う感じが高まる。

私が「ハッピバースデー」と歌いだすと家族が歌いだし「おめでとう」と言いながら拍手をすると、次女は笑いながらろうそくの灯を消す。

一息で消えそうな狭い範囲なのに、何を遠慮しているのか、数本しか消えない。
「○○(次女)!なにやってんのあんたは!さっさと消しーな!」
「だって消えへんねんもーん!」

長女に言われて次女が言い返すが、いつものことなので、私も嫁さんも笑ってみているだけだ。

10回近くもふーふーと吹き続け、ようやく全ての灯が消えた。

蛍光灯をつけると、いつものようにやかましくも平和な我が家の光景に戻る。

みんながわいわいとケーキを切り分けるのを見ながら、私はいつものように酒を飲んでいた。

2011年7月20日(水) 台風一過

久しぶりの暴風警報で小学校は終業式だと言うのに臨時休校になってしまった。

私が子どものころは「朝7時までに暴風警報が出ていたら休校」というような連絡があると、朝の7時前からテレビのNHKにチャンネルを合わせ、ニュースで伝えられる台風情報に注目し、まるで何かの当選発表を待ちわびるかのようにワクワクしながら放送を待っていたものだ。

今も「朝7時までに」は変わりがないものの、テレビにかじりつく必要はなく、気が向いたときにデータ放送を受信すれば数分前の情報が手に入るので、なんだかとてものんびりした感じだ。

それに小学生の次女は私と違って学校へ行くのが好きで、臨時休校になると残念そうに「あーあ」とため息をつく。

そんな次女も、私が身支度を整えて家を出るころには、最近WiFiで接続できるようになったDSを片手に寝転び、急に暇になった小学生、と言う様を呈していた。

結局、幸いこの近辺ではたいした風も吹かず、雨も豪雨とまでは行かず、昼過ぎには天候も回復していたようだ。

明日は終業式。

それが終われば楽しい夏休みの始まりだ。

2011年7月21日(木) 体育祭のプログラム

毎年10月に開催される校区の体育祭は自治連合会が主催であり、自治会同士が対抗で優勝を争う。

総合優勝以外にも、リレーや綱引きのように、ここ一番の見せ所の競技は個別に賞が設けられている。

その校区の体育祭のプログラムを決める会議に、町内代表として出席した。

ある地区からは「年々高齢者が増え、子どもが少なくなっているのでプログラムの見直しをしてほしい」との意見が出た。

もちろん、考慮すべきことだと思う。

けれど、それに付け加えて「もっと走らなくてもいい競技とか、力を出さなくてもいい競技とかを増やしてほしい」と言う意見が出たときにはさすがに「一応、体育祭なんやし、走るのは当然やん」と反論した。

他にも「リレーを楽しみにしている人がどれだけいるのか」とか「皆さんは運動しているからいいだろうが普通の人は運動していないので、とてもしんどい」とか、ものすごく「身勝手な」意見が出たのには驚いた。
リレーは一番盛り上がるのは応援する側であって、走っている人よりも応援している人のほうが楽しみにしているし、私が普段から運動しているのならば、これほどダイエットのことを日記に書いたりするわけがない。

まあ、言っているのは全部同じ人なので、その人の個人的な問題だと思うが。

「やりたくないからやめる」「面倒だからやめる」と言う理由で物事をやめてしまえば、復活させるには継続させるよりも大きな力が必要になる。

会議に参加した、大多数の人がそのことを認識していたので、まだまだこの校区も大丈夫だと感じた。

2011年7月22日(金) いつもより多い懇親会

なぜなのか理由がはっきりわからないのだが、小学校の懇親会となると出席する保護者の数が極端に少ない。

私の人気がないのだろうかとも思ったけれど、高校の懇親会などでは役員だけでなく、多くの委員さんが参加されるので、それだけが原因ではないと思う。

それにどこで飲むときでも私はそこそこ「楽しい人」であって、手前味噌ながら人気もあり、一次会で帰るとなると後日、文句を言われることも少なくない。

なのに、小学校の懇親会ときたら役員と先生だけということも多く、これならプリントを作ってわざわざ出席者を募るまでもなく、役員会の後にでも軽く飲みにいくほうがよっぽどいいように思う。

とはいえ、今回の飲み会は、人気のある役員と、私の嫁さんが委員という事もあってそれなりに人数は集まった。

いきなり司会を頼まれた副会長さん、驚くほど流暢に司会をこなした。
私もいつもどおりの挨拶で軽く笑いを取り、校長先生の音頭で乾杯となった。

自己紹介では一工夫して、「実は私、こう見えて○○なんです」を付け加えてもらうようにお願いした。
これもうまくいき、そこそこ笑いも生まれたし、なによりみんなの緊張がほぐれて、とても近い存在になったように感じた。

ま、いつものことながら私はそのほとんどを覚えていない。

今年一年がんばろう、と一致団結できたかどうかは定かでないが、秋になってイベントが終わったら、またみんなで飲みにいきましょう、と副会長も上機嫌で、みんなも同意していたので、次回も楽しく飲めるに違いない、と思った。

2011年7月23日(土) 映画でダラダラ

午前中は二日酔いでダウン。
カラオケに行ったわけでもないのに声が枯れている。
さすがにはしゃぎすぎた。

嫁さんは元気よくバレーの練習に出かけた。
その元気さがうらやましい。

先日から期間限定で無料のケーブルテレビが見られるようになっている。
せっかくなのだからと適当に映画を選択して立て続けに3本ほど見た。

映画を3本も見るとそれだけで一日が終わってしまう。

というわけで、お酒を飲むでもなく、ただダラダラと映画を見てすごした一日だった。

2011年7月24日(日) 盆休みは休まない

考えてみれば当然なのかもしれないが、松屋町の問屋街ではこの季節に花火を売っている店が多く、その店のほとんどは盆休みを取らない。

ということを今日改めて知った。

来月には校区子ども会で花火大会を開催するのだが、その花火の買出しをいつにしようかと考えたら、今日を除くとお盆の真っ最中しか行く暇がない。

そこで慌ててひいきの問屋に電話をかけた。
これもまた、一昨年、お店を訪れたときに携帯電話に番号を控えておいたのが幸いして、わざわざネットで検索せずともすぐに連絡が取れた。

「もしもし。あのーそちらのお盆休みはいつでしょうか?」
「あーお盆はですね。花火を売ってますので、休みはないですよ」

そういわれれば確かにそうだ。
一番の書き入れ時だろうし、この時期に休んでいたのでは花火屋は務まらない。

というわけで昨日に引き続き、のんびり映画を見ることに。
もっとほかにもやることがあるはずなのだが。

2011年7月25日(月) 消えるメール

携帯電話のメールってどれぐらいの量を保存できるのだろうか。

一昔前は「1,000件も保存できる!」なんてうたい文句の携帯電話が発売されていたような記憶がある。

けれども、1,000件なら一日3件では一年分も保存できない。
メールのやり取りが頻繁な女性なら、「去年の今頃は・・」なんて思い出のメールはとっくに消えている。

そう思って最近の携帯電話でのメール保存件数を調べてみたが、以前と比べてもそれほど件数に変わりはなく、1,000件から3,000件が受信できる平均的な最大件数のようだ。

それに、この件数というのは比較的データ量の少ないテキストだけのメールだった場合のことで、デコレーションしたメールや動画などが添付されていたりすると、極端に件数が小さくなることがあるらしい。

私の携帯電話も比較的新しいので1,000件は保存できるはずであり、しかも連絡事項だけのやり取りが多いが、それでも半年分ぐらいしか保存できず「去年の今頃は」と見てみるとそろそろ冬の準備を始めているメールに出会う。

若い女性たちは華やかなメールをやり取りすることも多いだろうし、なによりメールの件数が私の比ではないぐらいに多いはずだから、すさまじい勢いで過去のメールが消えていることだろう。

ま、大事なメールはSDカードに保存できるのだから、思い出が消えてしまうという悲しみに苛まれるということもないとは思うが。

2011年7月26日(火) PTAって

PTAという言葉から感じる印象が余りよくないのは、たぶん、教育ママたちが集団で学校に乗り込む、というシーンをテレビで見たことがあるからではないだろうか。
少なくとも私はそうだ。

どこに行けばお目にかかれるのか、まず店頭では見かけないような、逆三角形の眼鏡をかけた「ざます」が口癖の母親が、今で言うところの「モンスターペアレント」のように校長室にどかどかと入っていくシーンは何度も見ていたし、それに対抗するのは熱血教師と決まっていたし、校長や教頭は「○○くーん。キミぃ、PTA会長に向かってそれは失礼だろう」などというのも決まり文句だ。

子どもに人気がある少しお下劣なシーンも出てくる番組は必ずといっていいほどPTAから抗議を受けていたし、私も子どもながらに「うるさい大人たちだ」と感じていた。

実際、今でもPTAをそういう目で見る人は少なくない。
というか、PTAって保護者ならほとんどが会員なのだが、それすら自覚がなく、一部のモンスターペアレント的な人たちが好んでやっている組織、と捉えられていることも事実だ。

でも、実際は違う。
いや、少なくとも私の周りは違う。

いつも会議は笑いながら進むし、堅苦しい挨拶もしない。
先生とぶつかることもなければ、教育委員会の人とも仲がいい。
懇親会だ、親睦を深めるためだ、と何かと理由をつけてお酒を飲み、下品な会話もする。
カラオケに行けばタンバリンを打ち鳴らし、椅子の上に立って踊りもする。
いろいろな講演会を主催したり参加したりすることも多いが別に好きだというわけでもないし、本音を言えばやりたくもない人がほとんどだ。

ただ、やっぱり何かをしないといけないと感じる人たちの集まりではある。
何もせず学校や地域がさびれ、先生や保護者同士のつながりが薄くなることを懸念している人たちが、多少の苦労はしてでも、なんとかつなぎとめようとがんばっている人たちではある。

まだまだ改善したいこともあるし、障壁は少なくない。
けれども「何かをしないといけない」という気持ちだけは持ち続けたい。

2011年7月27日(水) 玉いれ

先週に引き続き、校区体育祭のプログラムを決定する会議に出席。

前回の会議でほとんどの種目は一昨年度同様の内容で行うことと決まったが、「紅白玉いれ」のルールについてが決まっていなかった。

いつも大会の最初のほうで行われる種目で、参加するのは65歳以上の男女。
玉いれのかごの位置が低く、時間も長いせいもあって、毎年50個以上の玉が入り、数えるのに時間がかかってしまう。
それが問題だということで、出てきたのが玉の個数を50個にして、早く入れたチームの勝ちにしようという案。

発想としては悪くはないが、いくつか欠点がある。

まず、毎年50個近く入るということは、投げている球の数はその倍ほどあるということ。
だから50個しかない玉を全部入れるにはいつもよりも時間がかかる。

次に、ボールが減ってくるにしたがって投げられる人の数が減ってきてしまう、ということ。
のんびりとした人なら、最初に投げて二回目を投げようとしたらもう、自分のそばに玉が落ちていない、ということもある。

少なくとも、最後の一個が一回ではいるとは思えないので、それが入るまでかごの近くをすーっとかすめる一つの玉を多くの人がただ見ているだけという状況になるのは間違いない。

まあ、それでもせっかくの案だし、やりもしないうちから否定するのはよくないと考えたので、特に意見は言わず、とりあえず、今年はやってみることに賛成した。

でも、ちょっと不安。

2011年7月28日(木) 仲良くして

嫁さんが私の妹と久しぶりにお茶を飲みに行ったという。

二人が会話するの内容は決まって母方の親戚のことだ。

「この前なぁ」と妹が嫁さんに話をする。

どうやら妹と従兄弟との会話のことらしい。

先日、私が地デジ対応のテレビを取り付けに行った叔母のことはみなが気にしていることだったようで、以前から「早く地デジに取り替えないと」などと話題に上がっていたそうだ。
私はあまり親戚づきあいをしないので、母親からそのことを聞いてはいたが、みなでそんな話をしているとは知らずに勝手にテレビを取替えに行った。

妹は母からそれを聞いて知っていたようだが、それを知らない従兄弟が「アナログ放送も明日までやなあ。叔母ちゃんの家、早く地デジに変えないとなあ」とポツリとつぶやくと、妹は「今頃なに言うてんの!そんなん、とっくにお兄ちゃんが取り替えてくれたわ。あんたらそう思ってたんやったら早よ動き!」と怒ったそうだ。

「ほんま、あの子ら、みんなお兄ちゃんに任せて。『お兄ちゃんかってお金が余ってるわけじゃないねんで!』って言うたってん!」
と鼻息荒く、嫁さんに語ったそうだ。

たぶんそれは親戚のみんながわかっていることだが、それでもまだ、私の生活には余裕があるのは確かだ。

それに私だって叔母には恩義を感じているし、多くは無理だができる範囲でお返しもしたい。

まあ、妹や母、叔母までもが私たち家族のことを気にしてくれているのはありがたいことだし、力になってくれようとしてくれる気持ちもありがたい。

でも何より、もう少し、仲良くやってくれるとうれしいのだが。

2011年7月29日(金) 日記が書けない状況

金曜日の日記はほとんどリアルタイムに書くことがない。

金曜日の夜は、一週間が終わってほっとしているか、土日の行事に備えてバタバタしているかのどちらかで、日記のことを忘れてしまうことが原因のようだ。

だから金曜日の日記を書くことが一番多いのは実は月曜日の仕事の合間。

カレンダーを見ながら何をしていたか思い出しながら書いては見るものの、正直、そのときの感覚など、はっきりとは覚えていないことが多く、「たぶんこんな風に考えていただろう」とかなりアバウトなものも少なくない。

29日は会議があったのだが、仕事上のトラブルでその時間には間に合わず、いつもより遅い帰宅だった。

で、肉の嫌いな次女がいない夜なので、これ幸いにと、近くにあって以前から一度言ってみたいと思っていたホルモン屋にみんなで焼肉を食べに行った。

とはいえ、ホルモンを食べるのは私ひとりで、ほかのみんなはハラミなどを食べる。

ビールを飲み上機嫌になって帰宅したが、その後のことはいつものように、あまり覚えていない。

そんな状況だから、別に一週間が終わってホッとしていようが、明日に備えて忙しかろうが、日記などかけるはずがない。

2011年7月30日(土) 昔から同じ

別に酒を飲んで過ごしたわけではないが、昨夜の酒が残っていたせいか、今日は夕方までだらだらと過ごした。

夕方になって、来週開催される自治会主催の盆踊り大会の看板作成のために自治会館まで歩いて出かけた。

自治会館に向かう途中、前から自転車に乗った防犯部長さんがやってきて、私に向かって「おーい○○(私)くんよー。今日の看板作成は中止になったでー」という。
聞くところによると看板作成の要、看板文字を書く人が仕事の都合でこられなくなり、明日に延期になったらしい。

きびすを返して今来た道をトボトボ戻る。

このまま家に帰ってもダラダラしてしまいそうなので、そのまま歩いて学校へ向かう。

昨日から臨海学校へ出かけていた次女を迎えに行くためだ。

嫁さんは友達と先に迎えに行っており、わざわざ私が行くまでもないのだが、迎えに行くのも面白かろうと、そのまま学校への道を進んだ。

途中、盆踊りをやっている町内を通る。

学校へつくと運動場側で待機していたが、どうやら校舎の裏側、正門側の広場に子どもたちの乗ったバスが到着したらしく、警備員さんがわざわざ教えに来てくださった。

そのまま嫁さんたちと校舎の中を通って裏側に出ると、予想以上に多くの保護者が集まっており、その保護者に見守られながら、バスの中から大きなかばんを抱えた子どもたちがぞろぞろ出てきているところだった。

帰り道で渋滞に巻き込まれたらしく、そのせいか、子どもたちも先生も疲れた表情をしていたが、次女は私や嫁さんを見つけると、パッと明るい表情になった。

大きなかばんをそれぞれの親に持たせ、子どもたちは友達と思い出話に花を咲かせながら帰り道を歩く。

再び、盆踊りをやっている会場を横切る。

「なーここ何時まで?」と次女が聞く。
盆踊りの終わりごろに来ると、お菓子がもらえるのでそれをとても楽しみにしているようだ。

子どもたちの遊び方もすごし方も今と昔では大きく変わっているものの、「楽しいこと」に目がなく、それのためなら疲れを感じないところは、今の子どもたちだって、昔と変わらない。

2011年7月31日(日) カレー屋にて

昼過ぎに長女から電話がかかってきた。

「お昼ご飯、食べた?」

朝昼兼用で食べたので、「小腹がすいた」という程度だったが「まだ」と答えると「じゃあ、カレーを食べに行こ」という。

先日、隣の駅にあるカレー屋のカレーがおいしくて、今度一緒に食べに行こうと話をしていたのを覚えていたらしく、アルバイトが夕方からなのでそれまでに時間があるし、一緒に食べに行こうと、電話してきたのだ。

全国チェーンの有名なカレー屋で、長女は一度も食べたことがないといっていた。

隣の駅なので私は電車で、長女は自転車で行くことにしたが、長女のほうが先に着いたらしく、私が駅につくころ、「先に店に入ってる」とメールが届いた。

二人でひとつのサラダと、それぞれの好みの辛さのカレーを注文する。

運ばれてきたカレーを食べながら考える。

そういえば昔「女性は成長すれば父親を拒絶するのがあたりまえ」という話をしていた人がいたが、我が家の長女はどうだろうか。

今年19歳になる女性なら、世間では拒絶する時期、もしくはもうそろそろ落ち着く時期なんじゃないだろうか。

長女自身の気持ちを聞いたわけではないが、少なくとも私は拒絶されていると感じた時期がない。

「お父さん、私に感謝しいや」などと冗談交じりに娘が私に言うことはあるが、娘のほうがある程度は「我慢」しているところがあるのだろうか。

それでもこうやって、二人で食事することに抵抗を感じている様子もなく、これが我慢でないのなら、それ以上の仲良さを求めたりはしない。

これからもたまに、二人で食事に出かけられたら、それだけで私はうれしい。

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