カリント日記

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2011年11月1日(火) 異常気象って

11月だと言うのに夏日を記録したらしい。
本当に暑い一日だった。

朝から車でユーザ先に出かけ、2時間ほど日のあたる駐車場に車を止めていたら、車の中はすっかり真夏の暑さになっていた。

こんな暑い日のテレビ番組でよく聞かれる言葉が「異常気象」だ。

気象庁の異常気象レポートによると「異常気象」は「過去に経験した現象から大きく外れた現象で、人が一生の間にまれにしか経験しない(過去数十年に1回程度の頻度で発生した)現象」らしい。

そういう意味では11月に入ってからの夏日と言うのは「異常気象」かもしれない。

けれど私には、一般に人が言う異常気象とは、このような定義ではなく「今まではこんなことはなかった」「なんだか異変が起きている」「地球がおかしい」というような気持ちを含んで発しているように聞こえてならない。

実際、異常気象という言葉に続いて「やはり何かがおかしいんでしょう」というコメントはよく耳にするし、ワンセットのフレーズとなっているようにも思う。

けれど、私の記憶では30年以上前から「この異常気象はやはり何かがおかしくなっているのでしょう」というフレーズを耳にしており、30年間、毎年同じようなことを言っているのであれば、それはもはや異常ではなく「定常」ではないだろうか。

少なくとも、私の子どもが生まれてからこの世界は異常気象が当たり前であり、それをさもおかしな現象のように言うのは間違っているように思う。

「異常気象」をきっかけとして自分たちの生活を見直すことはいいことだ。
けれど、何でもかんでも「異常気象」と言う言葉で片付けていると物事の本質を見失うように思う。

それこそ、異常気象の起きなかった年は、まさしく異常気象の年に違いないのだから。

2011年11月2日(水) おばさんの真骨頂

PTA会長の会合の後、飲み会に参加した。
もともとは同じ地区に住む会長同士の情報交換と親睦を深めるための飲み会だったのだが、酒が好きな私も一緒に混ぜてもらうことにした。

参加したメンバーは私を入れて7名で、うち男性は私ともう一人。

私は地区が違うので、普段の生活の中でこのメンバーと顔を合わせることはなく、会議のときか、このような飲み会でしか会話をすることもない。

この中に本人は意識していないのだろうが、「この人は話しの中心にいないと気が済まないのだろう」と感じさせる女性がいた。

飲み会では、誰か一人が常に話し続けるのではなく、一人ひとり話をして、それをみんなが聞く、というのが親睦を深める秘訣だと思う。

だから、話の内容によっては、自分は知らないけれど他のみんなが知っていると言う内容に出くわすことも多い。

実際、この飲み会は地域の会長の集まりなのだから、地域の話をされても私にはよくわからないことが多い。

でも、それをが聞くのが大人だ。

けれど先の女性にはそれが我慢ならないのか「私の話を聞きなさい」とばかりに、人の話の隙を見つけては口を開き、どこどこのだれだれは実はこうだとか、まさにおばさんの真骨頂ここにありと言わんばかりに、おばさんトークを繰り広げる。

「へー」などと相槌を打とうものならますます拍車がかかる。

さすがに他のメンバーもその女性の話ばかり聞いていられないので、ここに話をし始めるのだが、結局、その女性は飲み会が始まってから二時間以上、聞き役に回ることはほとんどなく、一方的に話をしていた。

PTA会長であればある程度主導権をとることは大切だが、この会長と一緒に仕事をしている役員さんは疲れないのだろうかと、少し心配になった。

2011年11月3日(木) 写真でストーリー

今日は文化の日であり、市民ホールでは文化祭が開催され、私にもその出席依頼が来ていたのだが、別に挨拶するでもなく、また何かを代表して参列するわけでもないので、自宅で研究発表の資料を作成することにした。

資料の提出期限は昨日だったのだが、直接学校に持っていくなら今度の月曜日でもかまわないと言うことだったので、もうしばらく時間をいただくことにし、この休日と今度の土日で仕上げてしまう予定にしていたからだ。

発表資料の構成はほぼ確定しており、あとはバレーボールの試合のどの写真を掲載するかを決めるだけだったが、実はこの写真を決めることがもっとも大きな課題だった。

演出効果として、例えば学校紹介の写真などはスライドの中に織り交ぜて内容を紹介するが、バレーボールの写真についてはスライドの中には登場させず、またあえてまったく言葉をはさまずにエンドロールで連続して見せることで、心に残る印象を生み出そうと考えていた。

そうなるとその写真自体が「言葉」というか「表現力」を持っていなければならないのだが、その一枚を見てそれが伝わる写真と言うのはほとんどない。

だから、映し出す順番でその流れを作る必要があるのだが、それはつまり、一枚一枚の写真を使って物語を作ると言うことと同じである。

しかも、写真に写っている人たちはもちろんそんなつもりもなく、ただ普通に試合をしているだけなので、こっちの希望通りのリアクションをしてくれているわけではないから、こちらの希望のリアクションになっているものを1,000枚以上の写真から選ばなければならないのだ。

結局、夜までかかって何とか候補を選びはしたがストーリーにするまでには至らなかった。

今度の土日に仕上げなければ。

2011年11月4日(金) 家族の風景

長女が大学の面接試験を受けるにあたってスーツを買うことになったため、昨日の夜、アルバイトで不在の長男以外の家族みんなで車に乗り、私がいつもスーツを買う贔屓の店に行った。

長女は嫁さんと一緒にスーツを選び、次女は休憩場所で持参したゲームをし、私はネクタイなどを物色していた。

ネクタイを一通り見終わったあと、店内を巡って次女のところへ言って声をかけ、そしてまた店内を巡って今度は長女のところへ行く。

まだ嫁さんと一緒にスーツを選んでいるようなので、私は再び店内を巡ってネクタイを物色していた。

そしてまた、何を見ると言うこともなく店内を回り、次女に声をかけ、再び長女のところへ行く。

そういうことを何度か繰り返しているうちに、店員と一緒に嫁さんたちがレジへ向かったので、ようやくスーツが決まったのだな、とわかった。

私もついでにワイシャツを何着か購入し、ゲームに夢中の次女に声をかけ、店を出た。

今度は次女の服を交換すると言う。

先日、大型スーパーで次女の服を買ったのだが、ハンガーに記載されていたサイズと実際のサイズが異なっており、次女には小さすぎるサイズだったため、やむなく交換してもらうことにしたそうだ。

再び車に乗って、そのスーパーに向かう。

これまた、女性たちが一緒に行動している間、私は冬物のズボンを物色したり、何を見るでもなく店内を巡っていた。

やがて夕食の時間もピークを過ぎたころ、今日はここで食べて帰りたいと言う次女の要望にこたえて食事をすることにした。

考えてみれば、こんな普通の家族らしい行動をすることって、最近はめったにない。

以前は、外食はしないまでも、週に一回は家族みんなで買い物に出かけ、いつの間にか子どもたちが買い物カゴに自分の好きなものをそっとしのばせると言う光景がよく見られた。

当たり前だった光景が今では懐かしい。

スーツを着た長女はまたひとつ大人に近づく。
それは同時に、家族の光景がまたひとつ減っていくことにもつながっているような気がして、妙に寂しい思いがした。

2011年11月5日(土) 最後の記念事業委員会

昨年まで私がPTA会長を務めていた学校が、今年創立10周年を迎えるにあたり、10周年記念事業の委員会を立ち上げたのが、丁度昨年の今頃。

まずはPTA会長である私を委員長として準備委員会を発足させた。

どういうことをやるのか、何もわからない状況だったので、一足早く10周年を迎える近隣の高校の式典に招待されたことを「これ幸い」とばかりに、校長と一緒に足を運んでいろいろと参考にさせていただいたりもした。

どういうことを決めないといけないかの大枠が決まり、3月になって実行委員会と「式典委員会」「記念誌作成委員会」などの各分科会が発足した。

実行委員会の会則によると、実行委員長は「後援会会長」が行うこととなっており、当時の後援会会長は「○○(私)さんがやるんちゃうの!?」と驚いていたが、4月からは私が後援会会長となるので、そこで交代することを告げると安心していた。

最初のころは「式典」や「記念誌」などの言葉だけが飛び交っていたが、毎月開催される実行委員会を重ねるにつれ、骨組みに肉付けされていくように、どんどんとそれは現実味を帯びてきた。

そして今日は最後の委員会が開催された。
これを最後に次回、みんなが顔を合わせるのは本番当日以外にない。

けれども不思議と緊張もないし、心配事もない。

私自身は勝手に式典委員会の補佐をしていたが、毎回、宿題が出ても必ず次回の会議には担当の先生が解決して持ってきてくださった。

式典に参加する生徒たちだって、事細かに説明する必要もなく自分たちのことを自分たちで進めてくれる。

だからつい先日の小学校の秋祭りと違い、今回が初めてのイベントであっても心配することがないのだ。

私に残された課題と言えば、当日、いかに生徒の印象に残る挨拶ができるか、だけだ。

2011年11月6日(日) ファイトの掛け声

嫁さんがバレーボールの練習に行くというので、少し遅れてから私も練習場所である小学校の体育館を訪れた。

研究発表に使用する「効果音」を記録するためだ。
それは選手が試合のときなどにかける掛け声。

体育館につくといつものように「休憩」していた。

その中に入ると、新しいお母さんもいた。
メンバーになったのか、ただ面白そうなので練習に加わったのかはわからない。

みんなが練習を開始すると言うので、もう少し写真でも取ろうと思ったが、嫁さんが「ちょうどいいところに来てくれて助かったわ。この子の面倒見てて」とまだ一人で立ち上がることもできないよ赤ちゃんを預かることになった。

新しく加わったお母さんの子どもだと言う。
哺乳瓶にミルクが入っており、それを飲ませながら、赤ん坊の相手をすることにした。

膝の上に乗せて、ミルクを飲ませながら、ボールの行方を追う。
気がつけばいつの間にか、赤ん坊に向かって話しているときがある。

やがて練習終了の時刻となったので、みんなに協力してもらい、掛け声を録音することにした。

一緒に練習していたお父さんや子どもたちにも手伝ってもらった。

自宅に戻ってから録音された子を聞いてみると、ほとんど子どもの声しか聞こえなかったが、それがなんだか「らしく」てよかった。

研究発表の資料ももうすぐ出来上がる。
きっとよい「効果音」になると思う。

2011年11月7日(月) 発表資料完成

9月ごろから着手した研究発表の資料がようやく完成した。

「研究発表」は年に一度、PTA協議会主催で開催されるものであり、そこではその年の「発表校」となった学校が、自分たちのPTA活動としてそれぞれに取り組んできた内容について発表をする。

しかし実際のところ、特別に「研究」をするような学校はほとんどなく、例年繰り返される学校行事の内容を報告するのがほとんどである。

発表用資料もPowerPointを使って作成するため、何とかパソコンを使えるという程度の人たちは、写真を貼り付けたり、テキストボックスに文章を書いたりするのが関の山であり、どこの学校も似たり寄ったりの内容であり、ほとんど個性がない。

そして今年は私がPTA会長を務める小学校が発表校のひとつになっていた。

私の小学校も特別に何かを研究したのではなかったので、バレーボール部の活動について報告することにした。

バレーボール部員である嫁さんたちがどこに問題を感じ、どうやって解決しようとしたか、そしてその活動のポリシーは何であるのか、と言う内容をまとめた。

内容そのものはたいして難しいものではないので、いかに退屈させずに、印象に残る話ができるか、に焦点を絞った。

結果、最後のエンドロール部分に作成時間の大半を費やした。

音楽にあわせってスタッフや資料作成協力者の名前をロールアップし、それに1,000枚以上の中から選んだ写真を織り交ぜる。

ロールアップは3.5秒間隔、写真は4秒間隔、など細かい調整をしながら音楽のメロディーが変わるところで写真の雰囲気も変わるように何度も調整した。

そこだけを思い出しても、それが何の発表だったかが、強く印象に残るように。

資料は思い通りのものができた。
後は、私の言葉を足すだけでいい。

発表当日が楽しみだ。

2011年11月8日(火) 大学選択の理由

この前の土曜日、先日購入したスーツを着て長女は大学の面接に向かった。

地方の大学だが高校時代の同級生が近くに住んでいるらしく、その友達の家に厄介になることにしたらしい。

昨年の八月、長女が行きたいという地方の大学まで車を飛ばして出かけ、オープンキャンパスに顔を出したとき、偶然、今回長女が厄介になる友達と出会った。
その友達は見事、希望の大学に合格し、今は地方で一人暮らしをしているらしい。

友達の家に行くからなのか、面接に向かうというのにそれほどの緊張は感じられず、いつもの長女のままであった。

長女が帰宅したのは日曜日の夜だったが、疲れた顔をしていたのは面接によるものではなく、長時間バスに揺られたので酔ってしまったからという。

帰ってきてしばらくすると「やっぱ、あの大学はやめようかなあ」という。

聞くと面接官の一人がとてもいやなやつだったと言う。
それ以外にも、地方の不便さを痛感したらしい。
駅まで1分とかからず、コンビニだって数件ある自宅に比べれば、どこへ言ったって不便を感じるに違いない。

いきたい大学へ行けばいいけれど、正直、不便なところで学校に通うのは長続きしにくいものだから、近い大学のほうがいいと思うのだが。

近くには好みの大学がないと本人は言うが、大学の授業なんてどこで何を学んでも、そう大差あるようには思えない。

多くの若者が、大学卒業という肩書きを手に入れるために通っているのだから。

2011年11月9日(水) ハードルをあげても

小学校の役員会で研究発表の話になった。

とはいえ、企画、構成、作成、撮影、音楽、発表をすべて私一人がやっているので特に何かの意見を求めるわけでもなく、「当日のお楽しみに」とだけ伝えた。

「ところで、なんでうちの発表が最後なの?」と役員の一人が聞く。

「え?そんなん『俺の後は発表しにくいで』って俺が言うたからやん」

「はあっ?!」

先生も役員も驚いて笑いながらあきれる。

「ようゆーわー。ほんま」

数ヶ月前、研究大会の準備委員会の席上、複数ある発表校の発表順を決めるとき、同じ発表校であるとなり町の小学校の会長に、「私の後はしゃべりにくいから私が最後でいいですよ」とポツリと言ったら、最終的にそのとおりとなった。

役員のみんなは笑ってはいたものの、役員を含めその話を聞いたすべての人は、たぶん、私の発表を見るまで、私のことを「大口をたたくやつ」と思っているだろう。

嫁さんでさえも「それは言い過ぎやろ」と思っているかもしれない。

確かに、私の発表の後でもやりづらさを感じずに発表できる学校はあるかもしれないが、私はどんな学校の発表の後でも、強烈なインパクトを与えるプレゼンテーションをする自信があるのだ。

研究内容、資料の出来具合、それに私のしゃべりを持ってしてインパクトを与えられないはずがないのだ。

と、まあ、自分でハードルをあげすぎた気もするが、いざとなれば、ハードルの下をくぐって逃げればいい。

2011年11月10日(木) 愛情表現

私が居間で胡坐をかいてテレビなどを見ていると、別に寒くなったからと言うことでもなく、次女は私の膝の上に座ろうとする。

そして膝の上に座って、ゲームをしたり本を読んだりしている。

足が痛くなった私が次女を膝からおろそうとすると少しばかりの抵抗を試みはするものの、私の声のトーンが本気だとわかると、すっと降りる。

けれどまた私に隙があると見るやいなや膝の上に座ってくる。
そしてまた足が痛くなって次女をおろす。

こんなことが毎日何回か繰り返される。

昔の日記を読み返してみた。

自宅に帰ると私に抱きついていたことが書いてあった。
今でも時折、抱きついたりするものの、以前のように毎日のことではない。

もっと前にさかのぼれば、入学前の次女は毎晩のように長女に連れられて駅まで私を迎えに来ていた。

改札を通る私の姿を見つけると、両手を顔の辺りに上げて、きゃっきゃ、きゃっきゃとおかしな格好のまま、私に見つからないように走り回っていた。
私の姿を見つけて走り回ると言うことだけなのにそれが楽しくて毎日やっていた。

今ではコンビニでアイスクリームをねだるために玄関まで出迎えることはあるものの、駅まで迎えに来ることはない。

そして自宅の中で「抱っこ」と甘えてくることも少なくなった。

今はまだこうやって膝の上に座って甘えることを繰り返しているけれども、こんなことをしてくれるのはあとどれぐらいの期間なんだろうか。

子どもの心が離れるわけではないのだけれど、子どもの成長と引き換えに子どもらしい愛情表現が減っていくのは寂しいことだ。

2011年11月11日(金) 三次予選突破

ピッチはもはやピッチと呼べるものではなく、芝も枯れて「土」がむき出しと言う最悪のコンディションで我らが代表を迎えてくれた敵地のスタジアム。

仕事を早く切り上げて試合開始30分前にはテレビの前でスタンバイするが、まだ試合が始まっていないので、いつものビールを飲む。

キックオフの笛と同時に試合用のビールを飲む。

長女もアルバイトが休みだといって私の横で一緒に観戦する。

敵地とはいえ、前回の試合では8−0で下した相手なので、恐れることはない。

悪いピッチコンディションの中でも試合はうまく運んでいたが、待望の1点を得たのは前半もそろそろ終了に近いところ。

けれど後半に入って相手側の意欲が失せたのか、3点をあげることができ、結局4−0で勝利した。

他の試合結果いかんによるけれど、これで3次予選突破は確実だ。

残りの試合は消化試合とはなってしまうが、負けるわけには行かない。
ぶっちぎりの1位で予選突破してほしい。

さあ、次は究極のアウェー、「北朝鮮」だ。

2011年11月12日(土) 来年の会長

PTA協議会主催の研究発表が無事終わった。

私は発表する側でもあったが同時に主催者側のPTA協議会役員でもあったので、本来ならその両方が無事に終わって人一倍ホッとしているところなのだろうが、私自身は別にたいしたことをやったとは感じておらず、小学校の秋祭りを無事に終えたときのほうが大きな安堵感に包まれていた。

しかしどちらにしろ、小学校関連の行事が無事に終わったと言うことに変わりはなく、それを口実にして飲みにいくことは大賛成であり、協議会会長からの誘いは二つ返事でOKした。

なじみの居酒屋でに行くと既に協議会の会長が来ており、私に続いて協議会の副会長もやってきた。

約束の時間にはまだ10分ほどあったが、もう、待ちきれないと言う雰囲気を察してくれたのか、協議会の会長が「先に乾杯の練習をしよう」と言ってくれたので、ビールを三つ注文し、ビールが運ばれてくるや否や「お疲れ様でしたー!」とあわてて乾杯をした。

時間になるころには協議会の役員が集まってきた。

協議会の役員は全員がPTA会長であり、他の第三者が「会長」と声をかければ全員が振り向くだろうが、我々協議会の役員から見て会長は「協議会の会長」ただ一人であり、その他は「副会長」や「書記」となる。

そして「会長」の合図で改めて乾杯をし、今日の発表大会の話をし始めた。

「○○学校の話は、なかなかよかったですよね」
「今回はどこの学校も会長のカラーが出てた感じがしますね」

そんな話をしながら酒を飲んでいると誰かが「もう今年が最後で来年は卒業される人ってこの中にどれぐらいいます?」と聞いてきた。

会長をはじめ半分のベテランが手を上げ、それを見た人が「そうなると来年はかなり顔ぶれが変わりますねえ」と言う。

すると会長が「でも来年の会長は○○(私)さんです」と言い出し、私は思わず飲んでいるビールを吹き出しそうになった。

「えっ、えーーっ!?」

「この前、副会長たちと飲んでいて、来年の会長はやっぱ○○さんで決まりやろ、って話になったので。」と会長がいう。

「い、いや、ちゃうでしょ。それはおかしい。順番から言うたら、次は副会長の××さんが会長でしょ」と私も言い返す。

「いえ、私は副会長をやらせていただきますので、ぜひ○○さんに会長を」と副会長がわざと表情を変えずに答える。

「そんなこというても・・。ほら、ぼく、あれですやん。軽いですやん。ノリというか、雰囲気というか、なんかこう・・・あ、そうそう、風格が全然ないし。安定感と言うか、安心感と言うか、そういうもんが感じられないでしょ。この雰囲気でしゃべっても説得力ないもん。その点、副会長の××さんやったら・・ほら見て、この安定感。会長にばっちりですよ」と、普段はめったにしない、自分を卑下する言葉を並べる。

しかし「それでいいんですよ。○○さんのカラーでやってもらえれば」という会長の言葉の前では私が積み上げた単語は脆くも崩れ落ちてしまった。

ひとまずは飲み会の席の話として、それ以上の話にはならなかったが、もしかしたらこれは本当に、本当の話になってしまうかもしれない。

2011年11月13日(日) ハードルの上を

研究発表大会。

発表の順番は一番最後なので、各担当校の発表を聞く。

舞台上のスクリーンにはPowerPointで作成されたスライドが映し出され、それを使って順番に発表をしていく。

どの学校も同じような構成。
画面も動きがなく、写真だけであったり、あるいは活字だけであったりと、数分もすれば飽きてしまうような内容だけが展開される。

発表者はただただ原稿を棒読みするだけ。
ただでさえ動きもないスライドを見せられながら、棒読みで発表されると、退屈極まりない。

また、BGMにはCDを使う。
画面の流れとマッチしていない音楽は、本当にただの「BGM」となってしまい、よりいっそう眠気を誘う。

そんな退屈な発表が2時間近く続き、ようやく「トリ」である私の出番となった。

舞台に上がるのは、発表の私と講評をする教頭だけ。

舞台上のスクリーンには私が作成した発表資料の表紙が映し出されており、私の前には机があり、その画面を映し出しているパソコンが置かれている。

机の上にあったマイクを持ち、簡単に挨拶をした後、スライドの表紙のタイトルを読み上げる。

「それではまず、簡単に学校紹介をします」
そういいながら「学校紹介」と書かれた次のスライドを映し「学校紹介」を始める。

「ま、学校紹介と言えば、この曲ですね」

そういうと、とたんに笑い声が聞こえる。
スライドにあわせ高校野球の学校紹介のときに流れる「栄冠は君に輝く」のオルゴールバージョンをBGMとして流したからだ。
場面に合わせたBGMはむしろ「効果音」だ。

それ自体、それほど面白い仕掛けでもないが、他の学校が単に棒読みだけだったのに、効果音もあり、しゃべり口調も自然であれば、それだけで差がつくのは当然だ。

学校紹介が実はWikipediaからの引用であることを「By Wikipedia」とスライドの最後に記載し、そして一言「続きはWebで」という。

それだけで会場は笑う。

スライドにはクリップアートなども使い、吹き出しも使う。
その画面の動きに合わせてタイミングよく話をする。
会場のリアクションを見て「間」を計り、次のスライドへと進む。
要所要所で笑いを織り交ぜながら、バレーボール部の部員が真剣に取り組んできたことを、理解しやすく伝えていく。

プレゼンテーションとはこういうことだ。

最後のエンドロールでは関係者の名前を表示し、その横ではバレーボールの試合風景を写し、BGMには「Jump!」を流す。

BGMがフェードアウトして「おわり」の文字が表示されると喝采である。

起立してお辞儀をする。

教頭が笑いながらこっちを見て「講評」をしゃべる。

「いやー。会長に『私の後はしゃべりにくい』と言われたんですが、今、本当にしゃべりにくいです」

こうなることがわかっていたので、私が最後を引き受けたのだ。

無事に終わって会場を出ると、たくさんの人から賛辞をいただいた。

嫁さんも「私の後ろの人、ずっと笑ってたで」といい、「今日の研究発表、○○(私)さんの話しか、覚えてないです」と言う人もいた。

教育委員会のお偉いさんたちも最前列の席で手をたたきながら笑っており、帰り際にも「よかったですよ」とお褒めいただいた。

実を言うと私自身はそれほどたいしたことをやったつもりはないし、そんなに気合を入れていたわけでもなく、当たり前程度の出来だと思っている。

あげたハードルでも、私はやすやすとその上を越えていったのだ。

2011年11月14日(月) 食事と笑い声と

先日、長女が誕生日を迎えた折、あまりそんなことを言わない長女が珍しく「外食がしたい」と言い出した。

その夜、私は子ども会の会議があったのだが、副会長に会議を欠席する旨の連絡をして、子どもたちと外食するデパートで待ち合わせをすることにした。

「肉」=「高級料理」という小学生並みの単純な図式で長女が選んだのは和風焼肉店。

そのデパートの料理店舗の平均的な価格より高いその焼肉店には、かなり昔に一度家族で訪れたことがあるだけで、それ以後、一度も入ったことがなく、こういうときでもなければ嫁さんの財布が緩むはずもない。

格子戸で区切られた個室はさすがにファミレスの個室とは趣が違う。

この店では溶岩石による焼肉がとてもおいしいと言うが、正直、これほどの肉なら、鉄板で焼いても十分においしいに違いない。

そんな肉が何種類か運ばれてきて、家族みなきれいに平らげた。

食事を終えて店を出るとデパートは既に閉店しており、少し寂しい出入り口から外に出る。

駅へ向かいながら思う。

「長女は喜んでくれただろうか」

私の後ろから歩いてくる嫁さんや長女の楽しそうな声を聞いて安心する。

そして思う。

「だれかの誕生日でなくても、また家族でこよう」と。

2011年11月15日(火) ここでも会長に

市の子ども会連合で開催されるスポーツ大会の抽選会に顔を出すと「久しぶり」と何人かに言われた。

けれど、5日前の月例会議を一度欠席しただけで、別に久しぶりでもなんでもなく、いつもどおりの周期で顔を合わせており、なぜ「久しぶり」なのかはわからない。

そんなへんな挨拶をする一人が、私の隣に座って話をし始めた。

「いやもう、体が痛くて大変ですわ」

私より一回りぐらい年齢が上の人たちが多いから、こんな話も挨拶のひとつであり、会話のきっかけによく使われる常套句でもある。

「もう年ですわ。やっぱり世代交代せんとねえ」
「まあ、そうですね。もう少し若い人が増えてほしいですよね」
「これからは○○(私)さんらの時代やと思うんですよ」
「まあ、確かに、われわれがもっとがんばらんとだめですよね」

と適当に話をあわせていたら。

「私はね。○○さんに次期会長をやってもらいたいと思っているんですよ」
「あははははは。何を急に」
「いやいや、ほんとほんと。みんなも話をしてますよ」
「だめですって。会長は」

驚きである。
半分以上冗談とはいえ、つい先日、市PTA協議会の会長の話があったばかりで、今日も同じような話を聞かされるとは思いもよらなかった。

「いや、○○さんのようなね、若くてしっかり話のできる人が会長になってもらったほうがいいんですよ」
「でも、今はまだPTAがありますので、子ども会にどっぷりつかることはできませんわ」
「そうか。PTAがありますもんね」
「ええ、ええ。もう今でもぎりぎりですから」

そういうと納得はしてくれたが、この先を考えると何か断るいいわけを考えておく必要がありそうだ。

2011年11月16日(水) 国旗の勉強

次女が勉強をしているので何気なくノートを覗き込んだら、色鉛筆を使って国旗をいくつか書いていた。
どうやら宿題ではなさそうで、自主的に勉強しているようだ。

生徒個人が自主的に勉強した内容についても先生が目を通し、いろいろとコメントをしてくれるそうで、面白そうな内容のものは、クラスのみんなにも発表するらしい。

国旗を書きながら次女が言う。

「お父さん。じゃあ、問題出すでぇ。国旗が二色の国の名前を言ってください」

突然のことだが、よくあることなので、私もすかさず答える。

「インドネシア、オーストリア、バングラデシュ、サウジアラビア、スイス、トルコ、日本・・うーんとノルウェー」

「ぶー。ノルウェーは三色やで」

「あ。デンマークや」

「他はカナダやろ、スウェーデン、モナコ、バーレーン・・・あ、お父さんはバーレーンっていうと思ったけどなあ。じゃあ、次は三色」

「アメリカ、フランス、オランダ、ロシア、ルクセンブルク、イタリア、ベルギー、ドイツ、えーと・・・」

「さっきデンマークっていうたやん。それからイギリスも三色」

そういえば、事の発端が「イギリス」だったように思う。

次女の好きなキャラクターがイギリスの国旗に関連しているそうで、イギリスの国旗を見つけては「あ!イギリスや!」とテンションがあがるようだ。

それ以来、国旗を見つけるとどこの国のものか知りたくなり、今では居間の出入り口に国旗と世界地図のポスターが貼られている。

この「国旗の勉強」もいつまで続くかわからないが、次女の興味が続く間は勉強の手伝いもしてやろうと思う。

2011年11月17日(木) 理科の勉強

クイズ番組に「メスシリンダー」が登場したのを見て、一緒に番組を見ていた次女に私が問題を出した。

「理科の実験で使う道具、10種類言える?」

「ちょ、ちょっとまってや・・えーと」と考える顔が笑顔なので、本人もこの問題が気に入ったようだ。

「お父さんは言えるん?」

「当たり前やん。お前が言うた後に、さらに10個言うたるわ」

「じゃあ、えーとえーと・・・メスシリンダー、試験管、フラスコ・・・ピンセット、ピペット、アルコールランプ、リトマス試験紙・・・ちょっとまってや。えーと」

そういいながら部屋の中をきょろきょろ見渡す。
何かヒントを探しているようだ。

そして「お母さん言えるかな?」といって突然、嫁さんをこのゲームに巻き込んだ。

「お母さん、お母さん。理科の実験で使う道具10個言える?」

私が笑いながら次女を制する。
「あかんあかん。お母さん、お前より知らんがな」

私の言葉を無視して次女は今まで自分が言った道具の名前を挙げ、それ以外に何かないかと質問する。

すると嫁さんが「顕微鏡のあれ何やったっけ。ガラスの板の・・えーと・・プレパラートや」。
意外な答えに私が「ほー」と感心すると、どんなもんだとばかりに嫁さんは鼻の穴を膨らませた。

わざわざ「顕微鏡」を出さずに「プレパラート」を搾り出したところに私に対するわずかな「抵抗」が伺える。

「あ。そや。ビーカー!」と次女が声を上げ、「じゃあ、次、お父さんの番やで」という。

「ほんじゃ、ガスバーナー」と一つ目の器具を言うと次女が大笑いする。
「それから、るつぼ、石綿網、凹面鏡、凸レンズ、分銅、試験管立て、上皿天秤、ばねばかり、沸騰石・・・」次々出てくる名前に次女は笑い続けている。

私もいい頭の体操ができた。

さて今度はどんな問題が出てくるやら。

2011年11月18日(金) 典型的な関係

世間一般の「夫」とその嫁の「母親」つまり、義母との関係とはどんな感じなのだろうか?

例えば、「嫁」と「姑」は「○○さん。これでお掃除したつもり?」「お母様こそ、その服装、派手すぎませんか?」みたいな犬猿の仲であったり、「これお土産です。お口に合えばいいんですけど」であったり、「一緒にデパートに買い物でも行きませんか?」であったり、と「我が家の嫁と姑はこのパターン」という代表的な嫁と姑のパターンがあるように思う。

また、「夫」と「義父」もそれと同じくパターンがあり、「うちの大事な娘をさらった不届きもの」であったり、「たまには一緒に酒でも飲もう」であったり、「お父さんにいただいた釣竿、とってもいい感じです」だったりするのではないだろうか。

そう考えたとき「夫」と「義母」の間にはどんな関係があるのか、またどういう関係が普通なのだろうか。

嫁さんと結婚して20年以上になるが、義母と一緒にいる私はなんだかぎこちない。

たぶんそれは自分のことをあまり話さない私に原因があるのではないかと思い、今日はたくさん話をするようにした。

とはいえ、男のしゃべりはみっともないだろうから、聞かれたら答える、その話題になったら、それを続けるように心がけた。

いつも必ず義母が私に聞くことは「仕事は忙しい?」であり、それに対して私は今まで適当に話しをあわせていたが、最近暇になったことや契約金がカットされたことなどを話した。

多少驚いたようであったが、あまりその話を続けるのはよくなさそうな雰囲気になってしまった。

私としてはいくら食いついてもらってもかまわないのだが、考えてみれば手取りが減ったことに対してどんな話をすればよいのか、困るのも当然だ。

義母を送っていく帰りの車の中でも子どもたちはしきりに義母に話をするものの私はといえば時折口を挟む程度。

それでも自分の話題になったときは自分が思っていることをいろいろと話てみた。

それでもなんだか話が続かない。

もしかしてこれが「夫」と「義母」の典型的な関係なのかもしれない。

2011年11月19日(土) 議員の一面

降りしきる雨の中、市内のホールで開催された青少年非行防止の決起大会に参加した。

「参加」と言うより「来賓」として招かれたのだが、早い時間に到着すると、私と同じように来賓として招かれているはずのほかの会長たちが、受付で手伝いをしており、私も一緒に手伝いをすることになった。

他の会長も「来賓なのに手伝いっておかしいですよね」などと笑いながら言っていたが、そこにいる誰一人として、不満はなかったはずだ。

こういうことはまさに「持ちつ持たれつ」であり、今日の来賓が明日の主催者になることもよくあるので、細かいことは言わないし、それを言っていては務まらないのだ。

実際、私よりももっと来賓にふさわしいような人が受付で案内役をしていたりするわけで、まだまだ駆け出しの私が、来賓のように振舞うなんて恐れ多いのだ。

けれど間違いなくいつも「来賓」として参加するのが「議員」だ。

議員の中には腰の低い人もいれば、正直「気に食わないやつ」もいる。

腰の低い議員は私の顔を見て「いつもいつもご苦労様です」とお辞儀をして挨拶をしてくるが、そうでないやつは「いやーよくお会いしますなあ」と馴れ馴れしく肩をたたいてくる。

「○○(私)さんはあっちこっちでよく見かけるほど、いろいろ活動していらっしゃる」ということを言いたかったのだろうけれど、それを全部省略して「よくお会いしますなあ」というのは、「私もあっちこっちで活動しています」と主張しているようなものだし、気安く肩をたたかれるのは上から目線で話をされているようで快いはずもなく、内心では「あんたとは数えるほどしかあったことがない」と思っていた。

っていうか、あんたは私より10歳近く年下じゃないか。

そんな来賓の振る舞いを見ることができるのも、こういう受付をやっていればこそだ、と感じた。

2011年11月20日(日) コンサート

棚から牡丹餅。
「労せずして思いがけない幸運にめぐり合うこと」

言葉の響きから受ける印象ではなんとなく「悪いこと」のように感じてしまうが、確かに今回の幸運はまったく予期しなかったことであり、なんら努力もせずして獲たことなので、まさしく「たなぼた」な出来事だった。

ザ・ビートニクスのコンサートチケットを親類から譲り受けたのだ。

その親類行く予定で手に入れたチケットだが、本人がいけなくなったので、チケットを譲ってくれると言うのだ。
しかも、その親類の会社関係で入手したチケットであるため、無料だと言う。

嫁さんと妹の三人で会場に向かう。

会場に入っていく客の年齢層が私たちと同年代であり、決して若くはない。
「ユキヒロ」さんが来年「還暦」だと言うのだからそれもうなづける。

懐かしい曲と聞きなれたボーカルが心地いい。

以前のような激しさもなく、どちらかと言うと静かな曲のほうが多かったように思うし、客たちも「ノリノリ」なんて、もはやできる年齢ではなかったが、それでも随所に「らしさ」を感じるよいコンサートだった。

コンサート情報はこまめにチェックしないと、こんなに楽しい時間を見過ごしてしまうのはとてももったいないことだと感じた。

2011年11月21日(月) 右手に心臓

「心臓が口から飛び出しそうなぐらい驚いた」という形容があるが、今の私をたとえるなら「心臓が右手の人差し指にあるかと思うほどズキズキ痛む」である。

先日、市内の秋季子ども会スポーツ大会が行われ、その準備で杭打ち作業をしていたとき、自分で振り下ろしたハンマーが少しずれてしまい、ハンマーのもち手部分と杭との間に右手人差し指を挟んでしまった。

痛みもひどく、出血もあったため、周囲に促され病院へ行くことにした。

幸い骨に異常はなく、「きれいに切れているので縫うよりもカットバンのほうがいいだろう」と医者に言われ、千切りにした絆創膏のようなものを一本ずつ職人のように貼り付けてくれた。
 
その日は包帯をしており「けが人」ぽかったが、今日病院へ行くと 消毒して絆創膏を貼っただけで、まるで「深爪」程度の扱いであった。

しかし、痛みはかなりあるのでほとんど指が使えない。
 
キー入力はもちろん、マウスのクリックもできない。
お箸の持ち方は幼稚園児より悪く、字を書くと小学生のようだ。
細かくは説明ないがトイレもこのうえなく不便である。
なにより、うかつにいつものように指を使うと、「ひーっ」となる。

そして時折、「ここに心臓がある」と主張するかのように疼くのだ。

久しぶりに利き手の人差し指の偉大さを痛感している。

2011年11月22日(火) 高校生に挨拶

高校のPTA会長や副会長を務めて5年になるが、高校の生徒相手に話をしたのは実は今日が初めてのこと。

小学校や子ども会では何か事あるごとに「会長の挨拶」があるのだが、高校では入学式と卒業式のときに「おめでとうございます!」と大声で一言挨拶するだけで、話らしい話をしたことがない。

今日は創立十周年の記念式典があり、そこで舞台から挨拶をした。

聴衆は生徒だけではないが、どちらかと言うと生徒にわかりやすい内容で話をした。

「記念式典」なのに堅苦しい挨拶はいやで、いつものように軽い感じで挨拶することを心がけ、なんなら笑いのひとつも取ってやろうかと考えてはいた。

だが、大人や小学生向けの話は慣れているものの、高校生と言うのはどこが面白いポイントなのかよくわからないまま挨拶をしたので「とてもよかったです」と保護者に言われたが、自分自身ではあまり納得できない結果になってしまった。

話し手がお笑い芸人ならばいざ知らず、一般の人が話す場合に聞き手である高校生が笑うポイントは、むしろ笑わせようとしたときではなく、うまく話そうとして失敗したとき、例えば「噛んでしまった」ときのようだ。

しかしこれは難しい。

肝心なところでタイミングよく噛むことができれば、それはそれで才能であって、お笑い芸人でさえ「学びたい」と思うところだろう。

練習すれば何とかなるかもしれないが、その力を発揮できるのはおそらくあと10年、次回の記念式典まで巡ってきそうにない。

2011年11月23日(水) イベントラッシュを終えて

10月から続いたイベントラッシュも昨日の式典を最後にすべて終了した。
人前で話をすることもしばらくはなく、そのためのネタを考える必要もない。

今度の週末も特別に忙しいと言うこともないので、今日は一日のんびり過ごすことにした。

のんびり過ごすと決めた日はとりあえず満足するまで眠る。
おなかがすいたら起きて、台所を物色し、適当に料理を作って食べる。
もちろんビールも一緒に。

今に寝転びながら、撮り溜めていたテレビ番組を片っ端から見る。

シリーズものの映画を2本連続で見たら、今度はパソコンを起動してメールのチェックをする。

またビールを飲んでテレビを見る。

日記でも書くなり、トレーニングをするなりすれば充実した休日になるだろうに、そのときはそのときで「こうやって過ごすことが充実した休日なのだ」などと思ってしまうから不思議だ。

そんな休日も夕方になり、いつものテレビ番組を見ようとしたら放送されておらず、「はて?」と考えていると、娘から「今日は日曜日とちゃうで」と注意されて、改めて今日が祝日であったことを思い出し、なんだか少し得をしたような気分になる。

充実していない休日だったかもしれないなあ、と思いつつも、こうやって頭を使わない休日がないと続けられないのだ、と自分自身で納得させた。

2011年11月24日(木) お化け屋敷の作り方

隣町の小学校のPTA会長から「お化け屋敷の作り方を教えてほしい」と依頼を受けた。

先日、私が発表したPTA活動報告の中で、毎年開催される小学校での秋祭りについて紹介し、その中でお化け屋敷の作り方を簡単に説明したが、その内容についてもっと詳しく教えてほしいと言うのだ。

そこで今日、隣町の学校へ赴き、担当者に説明をすることにした。

年明けに開催されるイベントでお化け屋敷をすることになったようだが、毎年、子どもがお化け屋敷をやっており、大人が携わるのは初めてのことだという。

私の学校では経験の積み重ねによって行われてきたので、その準備のためのノウハウなどは私の頭の中に入っているだけであり、どういうものをいつまでに準備しなければならないのか、と言うものが資料としてまとまっているわけではない。

そこで、まずはお化け屋敷を作るにあたってどういうものが必要になるのかをまとめることにした。

実際にまとめてみると30近くもあった。

他に必要な資料はないかと考えてみたが、なかなかまとまりのあるものを作れそうにもないので、あとは口頭で伝えることにして、それだけを持って隣町の学校に向かった。

美術室に入ると10人以上の保護者が座っていた。

中には先日の発表会でご挨拶させていただいた嫁さんの知り合いもいた。

準備すべきものとお化け屋敷の作り方を順に説明していくと、「こんなに本格的なものを作っているとは思わなかった」という意見も出てきた。

「今まで子どもが作っていたけど、大人が本気で作ったお化け屋敷と言うものを子どもに体験させるのもいい思い出になると思う」という意見もあった。

正直、「大変だな」と思っている方も少なくないはずだが、それ以上に「なんだか楽しみ」という表情が伺えて、わざわざ説明に出向いた甲斐があったと感じた。

およそ一時間ほどの説明を終え、準備や本番のとき、お手伝いできることがあれば惜しみなく手伝うつもりなので、是非成功させてほしい、と挨拶をして引き上げた。

2011年11月25日(金) 全否定のエラー音

仕事場にある飲料水の自動販売機が一新されて、商品もデザインもガラリと変わったが、もっとも変化したのは「電子マネー」に対応するようになり、対応の電子マネーカードや携帯電話をかざすための、「読取装置」が自販機の前面に取り付けられたことだ。

硬貨を投入して商品を買う場合は先に硬貨を投入するが、電子マネーを利用する場合、あらかじめ商品を選択して、電子マネーの読取装置部分に対応する電子マネーをかざすと、「ピンポーン」と心地よい音がして、支払いが完了する。

おつりの取り忘れもないし、小銭入れを持ち歩かなくていいので、電子マネーや携帯電話を持っている人にとっては、今回の自販機の刷新は利便性の大幅な向上になっているのではないかと思う。

しかし私はあいにく対応の電子マネーカードを所持しておらず、また携帯電話もいまだに電子マネーが使えるように設定をしていないため、そのインフラの恩恵にあずかることができず、いまだに重たい小銭入れを持ち歩きながら自販機の前で商品を選んでいる。

私が持っているものは「pitapa」であり、自動改札とこのカードに対応している駅のコンビニなどでは使えるものの、今回の自販機には使えないことは、自販機の全面に貼られている「対応電子マネー一覧」のところに記載がないことからも明らかである。

けれどこういうときにチャレンジしたくなることがある。

pitapaをかざすと、自販機はどんな反応をするのか。

そこでやってみた。

読取装置の前に立ち、周りに人がいないことを確かめて、カードをそっと読取装置に当てる。

あれ?反応しない。

と思った次の瞬間、「ブッブーーー」。

いろんなエラー音を聞いてはいるがこれほどまでに「全否定」するような見事なエラー音は今までに聞いたことがない。

あまりに見事すぎて思わず噴出してしまった。

自販機だからこれでいいかもしれないが、コンピュータのシステムでこのエラー音がなったら、間違いなくふざけている、とクレームをいただくことになるのは間違いなさそうだ。

2011年11月26日(土) ガンバよ最後まで

久しぶりにガンバの試合をテレビで観戦した。

今期はこれがホームの最終試合らしい。

優勝戦線になんとか踏みとどまっているが、今シーズンの自力優勝は消え、他チームの結果に左右されると言うのは、2005年のシーズン優勝のときと同じだ。

弱小チームから強豪チームへと変貌は遂げたものの、まだまだ自力優勝できるほどにダントツで強いわけではない。

それだけに応援のし甲斐もある。

ラガービールを買い込み、ガンバのユニフォームを着て、ここを一歩たりとも動くまいと言う強い決意の元、テレビのまん前に陣取る。

相手は強豪チームではないのに、なぜだか思うような試合運びができず、見ているとフラストレーションがたまってしまう。

ようやくあげた虎の子の1点を何とか守り通したものの、優勝争いの他チームが楽勝しており、優勝はかなり難しい。

けれど毎回感心するのは、ゴール裏の熱心なサポーターたちだ。

この寒空の下で声がかれるまで声援を送っている彼らの姿を見ると、テレビの前で観戦している私は、とても「サポーター」を名乗る資格はないとさえ思う。

優勝が難しい状況ではあるが、たとえアウェイのスタジアムであってもわざわざ乗り込んで応援してくれる熱心なサポータの声援には応えてほしいと思う。

「さあ立ち向かえガンバ ガンバの誇りを胸に 我らもともに戦う ガンバの誇りとともに」

2011年11月27日(日) 爽快ビール

オリンピックの予選のリーグ戦を見る。

4チームからなるグループの中から無条件でオリンピック出場権を得られるのは1位通過したチームのみ。

今回のグループは比較的、対戦相手に恵まれたと言われており、正直、私も対戦相手を知って安堵したが、現在の1位はシリア。

勝敗は日本と同じであるが得失点差でシリアが1位なのだ。

そして今日の試合はそのシリアとの対戦。

勝てば日本が1位に躍り出る大事な大事な試合。

しかもホームとあっては絶対に負けられない。

気合も入れて代表のユニフォームを着てテレビの前に陣取る。

もちろん手にはいつもの缶ビール。

さすがに強敵だけあってなかなか点も奪えず、なんとか前半に先制したものの、後半に入って追いつかれてしまった。

まさかこのまま同点で終了しまうのか?

そう思っていたら、左からのセンタリングに見事なダイビングヘッドが決まり、勝ち越しに成功した。

気分爽快でビールを飲む。

次の試合は来年になってから。

そのときもぜひ爽快な気分でビールを飲みたいものだ。

2011年11月28日(月) 日記を続けて

始めたころはほとんど深夜に書いていた日記だが、近頃は自宅に戻って早い時間から酒を飲んでいる所為で深夜にはとても日記を書ける状態ではない。

というか、深夜が来る前に眠ってしまうことが多く、パソコンに向かって日記を書くという習慣そのものが完全に欠落してしまった。

だから今では翌日の昼間に書いていることがほとんどなのだが、それすらも毎日のことではなく、実を言うと、ここ最近の日記は、ほぼ一週間遅れであり、しかも大抵の場合、三日分ぐらいをまとめて書いているので、「明日こうだったらいいのになあ」などと書いているものは、その結果も知った上で書いているのであり、なんだかむなしい。

日記を書く楽しさと言うものは以前よりも少なくなってしまったのかもしれない。

以前ならあれもこれも書きたいと言うことがたくさんあったのだけれども、それらのほとんども既に日記に書いてしまったし、過去の日記を読み返してみると、同じことを繰り返し書いているものもいくつかある。

また、後れて書いている日記は、既に過去を思い出しながら書いているものであり、今そのときの心情をそのまま綴ったものではないためか、そのときの日記を読んでみてもそのときの情景を思い起こせないこともあるのだ。

少なくとも以前、リアルタイムに書いていた日記にはそのようなこともなかったように思う。

けれど、そんな日記でも書くことをやめてしまったなら、そのときの情景を思い起こすきっかけさえも失ってしまい、その情景は二度と再び思い出せない記憶の中に閉じ込められてしまうに違いない。

だから、自分が苦しくないうちは、たとえどんな形であろうとも自分の記録として「日記」を残していきたいと思っている。

2011年11月29日(火) 役員人事

現在のPTA協議会会長から来年度の会長就任の要請があり、私と一緒に役員会を運営してくれるメンバーを選出しておいてほしいと言われていたことを思い出し、仕事を終えて自宅に戻った後、しばし協議会会員の名簿を眺めていた。

まずは、現在の役員の中から残留してくれる役員と、その役員たちの担当中学校区を確認する。

それぞれの中学校から役員が選出されるように、補填するメンバーはできる限り、別の中学校区から選出しる必要があるからだ。

しかしそれは「できれば」の話であって、役員選出に当たって何よりも優先する基準は「中学校区」や「能力」よりも「一緒に役員として進めていけるかどうか」である。

早い話が「気があうかどうか」が大事なポイントだ。

ほとんどのPTA組織は、利害関係もなく、上下関係もない保護者同士が、なんら利益を求めずに集まって成り立っている。

「利益があるから我慢してお付き合いする」「給料をもらっているので黙って従う」という関係ではなく、お互いを信頼したり、頼れる仲間だと思う気持ちだけで前に進む組織なのである。

だからこそ「能力」とか「責任感」とか、そんな崇高なものよりも何よりも「一緒にやっていこうと思える気持ち」が必要なのだ。

私が選んだメンバーはその条件を満たし、そして運のよいことに、各中学校区から選出できた。

ひとまずそれを協議会の会長に連絡した。

おそらくこれが、協議会会長としての最初の仕事になるのだろう。

2011年11月30日(水) 昼休みの光景

昼休み。

飯を食ってきた先輩と、コンビにでカップ麺を買ってきてこれから食べようとする後輩の会話。

先輩:「やっぱり普通のがうまいよなあ」
後輩:「そうですね。『うどん』とかおいしいですよね」
先:「違うやん。ラーメンやん」
後:「あ、ラーメンですか」
先:「おれ塩味とか、しょうゆ味の普通のやつがええわ」
後:「そうですよねえ。いろいろありますけど結局元に戻ってきますよね」
先:「違うやん。普通のがうまいねん」
後:「・・・。ですよねえ」

そんな「思いやりの足りない先輩」と「想像力の足りない後輩」とのあほな会話を聞きいているとネットのニュースを読んでいても同じ行ばかり何度も読み返してしまう。

先:「今度のメンバーはそうそうたるメンバーやで」
後:「そうですねえ」
先:「○○さんやろ、××さんやろ、それから・・・」
後:「△△さんもですよね」
先:「違うやん。△×さんやん」
後:「・・・。でしたねえ」

もう、まったくニュースが先に進まない。

先:「それより、先にお湯入れてきたら」
後:「え?」
先:「いつまでたってもそれ(カップ麺)食べられへんで」
後:「あ、はい(まだ続きがあるのかよ)・・・」

だめだ。
このままではニュースが読めない。
そう思って私はお茶を飲むことにする。

一週間に数回繰り返される、最近の昼休みの光景だ。

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