カリント日記

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2011年12月1日(木) 体内カレンダー

子どものころ、大人がこの季節になって「もう今年もおしまいですなあ」「ほんま『あ』っちゅうまですわ」などと会話しているのを聞くたびに「そんなことないやん。今年も長かったやん」と思っていたものだが、今になればそのときの大人の言葉が自分自身に実感となっている。

まさに一年は「あっという間」であり、今が12月とは信じがたく、「流行語大賞」や「紅白出場」そして「年賀状」などの言葉をよく耳にするようになって、ようやく今が12月であることを改めて気づかされるぐらいだ。

体内カレンダーがあるとすれば私のそれはまだ10月に差し掛かったばかりだ。

子どものころは「体内カレンダー」と実際の季節はまさしく一致していた。

おそらくそれは、校庭の桜や通学路に咲いていたアジサイ、民家の角で香るキンモクセイ、垣根の向こうで鮮やかな色をつけたわわに実った柿が、やがて数えるほどとなり、枝に止まる寂しげなモズの姿や、風に揺られているミノムシを、毎日眺め、その遷り変わりを感じ取っていたからこそできたことなのだろう。

仕事場の窓から外を眺めてみた。



こんな身近に季節を感じる風景があるのに、それにすら気づかないようでは、体内カレンダーがおかしくなってもそれは仕方のないことだ。

2011年12月2日(金) 京都弁でモノポリー

なぜか突然始まったモノポリー。
外出している長男を除いて四人でテーブルを囲む。

それぞれにお気に入りのコマを決め、ジャンケンで勝った次女からサイコロを振る。
次女に続いてみんながサイコロを振るが、モノポリーでは先に行く人を追い抜けないと言うのがルール。
みんなは次々と次女の止まっているマス目にとまり、当然のことながらその土地の権利を有している次女にロイヤリティを支払う。
一人喜ぶ次女。

ゲームが進むにつれてみんながそれぞれに土地を手に入れる。
いくつかの土地を連続して手に入れると宿屋を建設できるが、誰も連続した土地を持っていない。

その状態からこそがモノポリーの面白さ。

それぞれが自分にとって有利になるように取引を始める。

「なあなあ。そこの鉄道と、この土地、交換せえへん?」と鉄道独占をもくろむものが言う。

「ここの権利書二枚と、そこの土地、交換しよ」とどうしても連続した土地を手に入れたいものは、その土地の倍以上の価格の権利書を手放してもいいと言う。

時にはお金に物を言わせ、なんだか怪しげな京都老舗旅館の女将風に、「おやまあ。お金、たらへんのどすか? うちでよければ、そこの権利書と引き換えに、都合つけさせてもらいますけど、どうでっしゃろ?」と、権利書の交換を迫る。

この女将キャラが気に入った私は、そのキャラのままプレーをした。

「おやまあ。この辺の土地は、あんさんのどすか?綺麗な建もん、お建てになって。いくらどすか? はあ。60万円? あんまし細かいの持ってしまへんのどすけど、お釣り、おまっしゃろかいな?」

「ようお越しやす。これはこれはホテルのオーナーはん。うちみたいな汚いところへわざわざ足運んでもろておおきに。汚いところですけど、すんまへん。代金は30万円頂戴しとります。ほんまおおきに」

そういうと言われたほうは「なんか腹立つなー」と言っているが、横から見ているものは大笑いしている。

しまいに次女は「お父さん!京都の人に謝って!」と言い出し、それを聞いてまた大笑いする。

深夜にまで及んだゲームだが、結束した女性陣の前に大敗してしまった。

それでも笑いの尽きない楽しい夜だった。

2011年12月3日(土) 自分の居場所

動員でもないけれど、PTA会長として、また協議会役員として、やっぱり少しは顔を出しておいたほうがいいだろうという気持ちが一番大きく、次に今日は協議会の会長と話があるからという理由で市内で開催されるお祭りに参加した。

会場30分前に待ち合わせ場所へ行くと、いつものように何人もの知り合いに出会う。

会長とは少し話をし、時間が来たので会場の中へ入る。

地域の子どもたちがいろいろな発表を行う。



それを見ながら考える。

どうして私は自分の子どもが出るわけでもないのに、ここにいるのだろうか。

そう思うことが当然であるかのように、舞台を終えた子どもの親は他の子どもの演技など見向きもしないで会場を出て行く。

もちろん、最初に書いたように会長だからというのもその理由のひとつだとは思うが、ならばなぜ、他の会長は来ていないのか。

いつの間にか、自分でも意識をしないところで何かの使命を感じてしまっているのかもしれない。

この使命感はこれからも私に付きまとうだろうが、それが重荷になるのか、私の支えとなるのか、今はまだわからない。

2011年12月4日(日) スリータッチ

スリータッチと言う競技がある。

バレーボールとバドミントンを足したような競技といえばよいのか、バレーボールと同じような高さにネットを張り、軽くてやわらかい専用のボールをラケットで打ち合うニュースポーツだ。

1チーム三名で対戦するのだが、その名前が示すとおり、相手コートから飛んできたボールを打ち返すまでに、必ず三人がボールにタッチしなければならない。
しかも、一人につき一度しか触れることができない。

最初の人がレシーブしたボールを、次の人がトスをして、最後の一人がアタックする。

なので、ブロックも禁止だし、二度目で打ち返すことも、同じ人が二度ボールに触ることも禁止されている。

年に一度開催される交流会が開催され、私や嫁さんの友達を引き連れて参加した。



参加人数は総勢40人前後だったが、ほとんどの人がジャージ姿なのに対し、嫁さんたちは交流会が開催されるその体育館で午前中にバレーボールの練習をしていたため、他の参加者より本格的ないでたちであった。

最初に二チームに分かれて練習をするが、参加者のほとんどが初心者であり、ほとんどまったくラリーにならない。
そんな中でも、やはり持ち前のチームワークから、嫁さんたちのチームはめきめきと上達した。

そこそこラリーができるようになったころ、8地区対抗で練習試合をすることになった。

練習とはいえ「試合」と名がつけば、張り切るのはみな同じ。

別に賞品が出るわけでもないのに負けたくはない。

結果、ベテランチームには惜しくも負けたものの、準優勝を手に入れた。

昨年に引き続き今年で二度目の交流会ではあったが、昨年よりも盛況であり、みんな楽しそうにやっていた。

一年後とは言わず、動きやすい気候のときにもう一度開催してほしいと思う。

2011年12月5日(月) 団欒を壊す電話

夕食を終え、自宅で家族と一緒にテレビをみながらくつろぐ。

すると「ブーンブーン」と私の携帯電話が震えた。

ダイオードの色が仕事の電話であることを告げている。

とたんに家族に緊張が走り、テレビの音声は消され、私はその場を立ち上がってとなりの部屋へ移動する。

私が移動した後も、家族たちは私の反応をうかがうようにして声を潜めている。

いつ何時、トラブルの連絡があるかもしれず、実際、元旦だろうが餅つきだろうが、日曜だろうが深夜だろうが、携帯電話への連絡一本で呼び出されると、家族の団欒はぶち壊され、そして私は一人、仕事の準備をして家を飛び出すことが何度となくあった。

そのため、私の携帯電話が鳴ると、家族はみな反射的に身をこわばらせるのだ。

そんな電話が鳴ったのだ。

一呼吸し、トラブルの連絡を覚悟して電話に出る。

「あ。すんません。えーと。この前の案件って、受注できそう?」

わが耳を疑った。

仕事をしている時間帯ならまだしも、夕食を終えて一家団欒のときに、まさかこんなことで、電話してくるとは思わなかったからだ。
何より、明日の朝はまた顔を合わすのだ。

「そんなことでこの時間に電話するな!今聞かないとダメなのか!」と電話口で怒鳴りそうになるのを2秒でこらえて、「お客さんの反応から見て難しそうですね」と温和に応える。

部屋に戻って電話の内容を話すと家族も同じような反応をする。

そして2秒後、楽しいテレビの続きを見た。

2011年12月6日(火) あってないような規約

この時期になるとどこの小中学校でも次年度のPTA役員を探す活動が開始される。

正確には役員を探す前に役員の立候補受付をするのだが、立候補者が現れることなんてほとんどなく、立候補の受付は一週間ほどで早々と締め切られ、すぐに選出委員にたちによる役員探しが始まる。

けれども立候補者がまったくいないわけでもない。
現に私は小学校の会長に立候補したし、私が立候補するなら一緒にやる、と言ってくれた人たちも立候補してくれた。

中学校も同じことで、私が会長になるのなら一緒に役員をやってもいいと言う人は既に何人かいた。

今回は訳があって私は立候補できなくなってしまったが、それでも私の周りには嫁さんを含めて何人かは、立候補しようかと考えていた人たちがいるので、学校に立候補の受付について話を聞いてみたところ、「中学校の保護者でなければ立候補できない規約になっている」という答えが返ってきた。

となれば、今度新一年生になる保護者は蚊帳の外と言うことになってしまう。

けれど私だって、最初に小学校の会長を引き受けたときは、小学校の保護者ではなかったし、実際、その中学校の役員にも、役員を引き受けた当時、「中学校に子どもがいないのにお願いされて困っちゃう」と楽しげに言いまわっていた人もいたようだ。

役員を募集するときはやる気のある人でも保護者でなければ排除して、保護者の中に立候補者がいないとわかると今度は誰でもいいからと、規約そっちのけで探し回る。

遵守すべき規約ではあるのに、なんだか自分たちの都合に合わせ、いいように解釈しているだけのような気がして、気分はよくない。

2011年12月7日(水) 家族の理解

昨日に続き、学校のPTA役員の話。

立候補してまで役員や委員をやろうとは思わないまでも、たとえ推薦であれ、頼み込まれたのであれ、役員や委員を引き受けた以上は、その仕事に尽力すると言う気持ちをほとんどみんなが持っている。

けれど本人にやる気があっても十分に力が発揮できないこともあり、例えばその理由の半分が仕事の都合だとすると、残りの大半は、家族の理解不足だと思う。

役員会議を開催するときなどは、私をはじめ多くの役員が日中に仕事をしているので、夜に集まることも多いのだが、そうすると女性の場合は家事の途中で抜け出すことも多く、そのために家族から文句が出てくるのだ。

「家事に影響があるからやめろ」と。

私自身、どちらかと言うとそういう夫であったから、あまり責めることはできないのだが、今になって、やはり家族の理解は非常に大切だと思う。

私の嫁さんは以前から活動が活発であったが、私がPTAや子ども会に携わるようになってから、その活発さに拍車がかかったように思うのは、私の理解が得られたと感じて思う存分力を発揮している所為かもしれない。

家族の理解を得られるようにするにはどうしたらいいのか。

結論は得られそうにもないが、考えれば考えた分だけ、それが何か行動につながるような気がして、今は考えずにいられない。

2011年12月8日(木) おとなしい会議の理由

いつもの会議でいつもの場所に集まる。

ロの字型に並べられたテーブルのいつもの席に座り、見慣れた顔と挨拶をする。

そうやって市子連の会議が始まる。

どんな議題でもいろいろな意見が出て、どこの会議よりも多くの人が活発に発言する。

平均年齢がかなり高いのに、みんな元気だし、かといって年寄りくさい意見に始終することもない。

そんな熱い会議だが、会議が開催される場所はもともと幼稚園だったという木造の古い建物で、お世辞にもよいつくりとは言えず、この季節はしっかりと暖房を効かせなければかなり寒い。

その会議室を含むこの施設は、来年には使用できなくなるらしい。

いつから使用できなくなるのかは知らないが、新人に近い私でさえ5年以上もここで会議をしており、それなりに思いいれもある。

ベテランの委員さんたちはなおさらだろう。

そんな話が会長の口から出たせいなのか、それとも寒さのせいなのかはわからないけれど、今日のみんなは少しおとなしかった。

今度の忘年会ではいつものように元気な姿で会いたい。

2011年12月9日(金) クリスマス会に向けて

来週の土曜日に子ども会のクリスマス会が開催される。

今日の子ども会子ども会議ではそのクリスマス会で何をするかを話し合った。

最初は何気ない気持ちで、正直、それほど具体的な話ができるとは思わずに、子どもたちに話をさせてみた。

確かに、子どもたちが口にしたゲームは、箱の中身を当てるゲームなど、昔からある誰でも一度はやったゲームではあったが、それを楽しそうに話す子どもの姿は意外だった。

箱の中身を何にするかを決めるときも、あれやこれやといろいろ思い浮かべながら楽しそうに話す姿は見ていてもかわいいものだった。

何より、大人の会議と違って子どもたちはこの会議でいろいろ話し合うことが楽しくて仕方のない様子だ。

楽しそうに会議は進み、最後には我が家の次女が、「じゃあ、司会やる」とまで言い出した。

果たして当日はどうなることか。

できるだけのことはしてやりたい。

そして少しでも子どもたちにとって楽しい思い出の残るクリスマス会になることが、私の願いだ。

2011年12月10日(土) ベルマーク集計

6年間、小学校のPTA活動に携わってきたが、ただの一度として経験したことのないものがあった。

それが「ベルマークの集計」だ。

まったく縁がなかったわけではなく、むしろ、私が最初に手をつけたのがベルマーク集計作業の効率化だった。

集計方法などを手順化してマニュアルを作成し、嫁さんがそれを改版するという作業も重ねてきた。

けれど、集計作業のほとんどが平日の昼間に行われると言うこともあり、私自身がその集計作業を行う機会がまったくなかったのだ。

その集計作業が、実行委員会の後に行われた。

役員のほとんどはもう数え切れないほどのベルマーク集計をこなしてきたベテラン。

そのベテランに倣って作業をしてみたら、これが意外と夢中になる。

細かい作業なので、指の大きな私などは非常に取り扱いに苦労するのだが、どこのメーカーのどういう賞品にベルマークがついているのか、そしてどんなベルマークが集まるのかで、みんながどういうものを買っているのかが想像できて話も弾む。

「○○マヨネーズ、むちゃくちゃ人気あるなあ」
「うわー。砂糖も結構、買うねんなあ」
「この色、間違いなく、○○ラーメンやで。それにしてもどれほど食うねん」

そんなことを言いながら作業を続けること約一時間。

集まったベルマークの7割ほどを片付けたが、結構残ってしまった。

次回の集計作業もスケジュールが合えば手伝いたいと思った。

2011年12月11日(日) 皆既月食

昨日は皆既月食が観測できた。

夜、会議を終えて嫁さんたちが友達の店で飲んでいるので、そこに合流し、ビールを飲みながら、そこに一緒にいた次女やその友達に、今日は皆既月食が見られることを教えると子どもばかりか、店のお客も一緒になって、入れ替わり立ち代り、表に出て空を見上げていた。

ほとんどの人が「生まれて初めて見た」という皆既月食は、日食に比べれば観測しやすいのだが、それだけ意識して夜空を見上げることが少ないと言うことだろう。

皆既月食で真っ赤に見える月をなんとかカメラに収めようとしてみんな空に向かって携帯電話のシャッターを押す姿は面白い。

そういう私もその一人。



日食のように肌でそれを感じるほどに劇的な変化はないが、寒い冬にみんなで空を見上げるこの行動は、一生のうちに何度もお目にかかれるものではない。

2011年12月12日(月) 今年最後の自治会

年末の自治会会議は一年のうちでものんびりしているように思う。

夏の盆踊り大秋、秋の大運動会と、催し物が立て続けにあって自治会は大忙しだったからそれを一通り終えたこの時期は相対的にそのように感じるのかもしれない。

年末の夜間警備の話をし終えると、次は新年会の話になった。

心なしか、みんないつもよりもにこやかな顔をしているように思った。

けれども会長はそうじゃないのかも知れない。

私が会長である会議でも「みんなは大きなイベントを終えてホッと一息しているかも知れないがこっちはまだまだ忙しいんだ」と思うときがある。

自治会長だって同じかもしれない。

とりあえず、年末最後まで自分のできるところをしっかりとやっていきたいと思った。

2011年12月13日(火) フェスティバル会議

今日は1月に開催される中学校区全体の「フェスティバル」に向けての会議。
会議としては今日が最後で、後は当日の最終打ち合わせを少しする程度。

数年前までは結構あわただしかったけれど、今年はもう、何も決めることはなく、スケジュールの確認をする程度で終わってしまった。

私は例年通り、演者を舞台に誘導する係りだが、演者たちも自分の順番を心得ており、自分の出番前には、舞台袖で待機しているので、ほとんど仕事らしい仕事はない。

会長としての仕事は、本来なら、地域で活動している方々に出演のお願いをするなど、いくつかあるのだが、そのほとんどすべてを教頭先生がやってくださったので、本当に今年は楽だった。

中学校が統合されるので、最後のフェスティバルになる。

無事に成功してほしい。

2011年12月14日(水) ふたご座流星群

今日の夜はふたご座流星群を観測することができると言うニュースをWebで見つけたので、そのことを次女に話すと夜遅い時間にもかかわらず、「外へ見に行きたい」という。

先日の月食観測に引き続き、この寒いさなか、また外へ出るのかと思うと、正直少し億劫でもあったが、次女は完全に期待にあふれた目をしていた。

23時前になって外に出る。

家の前では建物が邪魔なので50メートルほど先の駐車場までとぼとぼ歩く。

「あの明るい星は何?」と次女が聞くので「あれはたぶん、木星」と答える。

「木星は一等星?」
「いや、マイナス2等星とか3等星やったと思う」
「え?マイナスなんてあんの?」と驚いた次女は何か新しいものを発見したときの、楽しそうな顔をしていた。

次女がオリオン座を発見して喜んでいたので、その他に知っていると言う「昴」がどこにあるのか教えてやると、かすかに輝く「プレアデス星団(昴)」を見つけ喜んでいた。

そんなことをしながら空を見上げている時だった。

「あ!流れた!」

すぐに消えてしまったが流れ星だった。

でもそれに満足しない次女はまだ見ていたいと言う。

首が痛くなるのでもう帰りたいと私は思っていたが、それでも次女はその場所を動こうとしない。

自分で納得できる流れ星を見たいらしい。

しばらくすると北の方角から南の方へ、オリオン座の横を通るように、長い長い流れ星がはっきりと見えた。

「今の見た!?」「うん!見た見た!」

二人して喜びの声を上げる。

ようやく納得した次女を連れて自宅に戻る。

考えてみれば、あの時、次女があきらめて帰っていたら、その長い長い流れ星を見ることはできなかった。

自宅に戻った次女は興奮冷めやらぬ様子で嫁さんに報告していた。

「おかあさん!めっちゃきれかったで!」

そんな喜ぶ次女の声を聞くと、さっきまで寒いと感じていたのは実は気のせいじゃないか、と思えてきた。

2011年12月15日(木) 役員選出委員

この時期になると、どこの小学校でも次年度の役員候補などを考えるようになり、選挙管理委員が選出されるようになる。

一応は立候補を募るのだが、私のような特別な場合を除いて立候補する人などいない。

だから「選挙管理」委員としての活動は「立候補者」を募っている一週間程度で終わり、その後は「役員選出」委員となる。

役員選出委員は自分たちで役員になってくれる人をあっちこちから探し出してくることが仕事だ。

正直、この数年は、役員選出委員なんてほとんど何も仕事はしていない。

最初の年こそ、私以外のメンバーがすでに決まっていたが、それ以外、私が会長を務めるときは私と嫁さんとでほとんどの役員を探してきた。

そのため今回は大変苦労することになると思う。

そんな話を交えて、各地区から2名ずつ選出された委員さんを前にして挨拶をした。

挨拶の後、教頭先生から説明があり、そして会議の本題である「委員長」を決めることになった。

「立候補してくださる方はいませんか」と教頭先生はみんなに聞いてみるが、顔を見れば手を上げるメンバーがいないことは明らかだった。

みんな目を合わせないように下を向いている。

「では、推薦してくれる人はいませんか」

教頭先生が何を言おうとお母さんたちに変化はない。

あまりに誰も何も反応しないので痺れを切らして私が言った

「先生、無理ですよ。そんなもん、推薦だろうがなんだろうが、手を上げた時点で、『それやったらあんたやり』って言われるに決まってますやん。お母さんらは手を上げたら負けやと思ってますから。」

でも教頭はさらに聞く。

「誰かいないでしょうか。話し合いで決めるのが一番いいんですが」

身じろぎもしないお母さんたちをを救う気持ちと少しの侮蔑をこめて私がさらに付け加えた。

「ははは。無理ですよ。お母さんらはほっといたら勝手にペチャクチャしゃべりますが、この状況で『手を上げて』なんていわれて、手を上げて発言するなんてことできませんよ。それより早くくじ引きしましょ。こんなことしてても時間かかるだけですわ」

そういうと何人かが頷く。

少しは手を上げて文句を言ってくるぐらいのことを期待していたが。

委員長と副委員長を決定するくじ引きの内容についても私が一方的に話す。

「長副が同じ地区のほうがやりやすいでしょ?あまり知らない人と一緒になってもやりにくいやろうし。なので各地区の代表がくじを引いてください。くじに当たった地区で長と副をやってもらいます。今から先生にくじを作ってもらいますので、皆さんは誰がくじを引くか決めてください」

これだって言わなければ、人数分のくじを作って、一人ずつばらばらにくじ引きをしただろうし、挙句、やっぱり同じ地区でやります、などといいかねない。

ならば最初からそのようにしてやればいい。

やがて長と副が決定して会議は終了した。

長副以外の地区は心なしか少しほっとしているようにも見える。

けれど今年の冬はとても厳しくなると思う。

2011年12月16日(金) 社長と飲み会

取引先の社長といつもの店で飲み会。

最近、社長からの技術的な質問を何度かされたのだが、それに答えたところ役に立ったらしく、そのお礼だというので遠慮せずにご馳走になることにした。

仕事場から歩いて10分ほどのところにある小さな居酒屋は、相変わらず人がいない。

値段は手ごろだが新鮮な魚料理も多く、何よりビールがお気に入りの銘柄なのがうれしい。

何度か訪れているので女将さんも私たちのことを覚えていてくれて、いつもの席に案内してくれる。

「社長」といっても会社を立ち上げる前からの知り合いで、年齢が私より下ということもあって、社長となった今でも私に対する話言葉は敬語だ。

誰にも気を使わず、盛り上げる必要もなく、適当に気分よく飲んで適当に引き上げる。

そして自宅に戻ってからも今日の飲み会が楽しかったことを報告できる余裕がある。

いわば一番紳士的な飲み会である。

年内の紳士的な飲み会はこれで終了。

また来年もよろしく。

2011年12月17日(土) クリスマス会

今日は子ども会のクリスマス会を開催した。

今年は初めて子どもたちに企画と進行をさせてみた。

とはいってもそのすべてを最初から最後までやらせることは難しいので、ゲームの一部を考えさせ、司会の一部を担当させることにした。

ゲームの準備は私がしていたので、司会を子ども会会長である次女にさせることにした。
と言ってもこちらから司会を指名したわけではなく、先日の子どもたちによる子ども会議で、次女が自ら司会を申し出たのだ。

でも事前に司会の練習などしておらず、それどころかどんな内容の話をするのかさえ決めていなかった。

当日、私が段取りを画用紙に書き、それを順に紹介させることにした。

最初は「あいさつ」。

次女が挨拶をする。
「今日のために6年生でゲームを考えました。みんなで楽しく過ごしたいと思います」

それが終わると、箱の中身を当てるゲーム。

最初は怖がっていた子どもも、私のトークとその場の雰囲気で、やりたがる子どもが多くなって選ぶのに一苦労したが、その過程がまた子どもたちには面白かったようだ。

私のカードマジックも披露し、最後のビンゴ大会で締めくくった。

お母さんたちからも好評で、楽しい一日だった。

子どもにさせてみるというのは勇気のいることだが、どのような結果になっても、そこには子どもの新たな経験が生まれるものだ。

これからはもっと子どもにいろいろやらせたいと思う。

2011年12月18日(日) ジュニアリーダの施設見学

急遽、ジュニアリーダー養成講座の施設見学に同行することにした。

目指すは大阪市立科学館。

16名の子どもたちやシニアリーダーのメンバーと一緒に電車に乗って行く。

まだ新しい京阪の渡辺橋駅で降りて5分ほど歩くと、この建物に出くわした。

でもこれは大阪国際美術館。



肝心の科学館は撮影していない。

今日は科学館の中でクイズラリーをしてプラネタリウムを観る。

クイズラリーでは子どもたちを班に分け、それぞれの班に大人が同行することにした。

私も男の子たちの班と一緒に回ることにした。

するといきなり子どもから「おっちゃん、なんて名前?」と質問され、名前を答えると、すぐにその場でニックネームをつけてくれ、以後、そのニックネームで呼ばれることになった。

事前に下見をしたシニアリーダーが考えてくれたクイズを子どもたちと一緒に楽しみながらといていくが、もちろん私は答えを教えるわけには行かないので、子どもたちが正解を見つけられるようにヒントを与える程度にした。

けれど、男子はやはり「雑」なのか、ほかのグループよりも点数が悪く、最下位となってしまった。

昼飯の後はプラネタリウムを観た。

先日の流星群や月食を思い出す。

その後帰路についた。

子どものための活動だったが、私も十分に楽しめ、充実した一日となった。

2011年12月19日(月) 社会見学

「社会見学」というと小学校のときに行った思い出があり、「遠足」との違いは特にわからず、どちらにしても教室で勉強していなくていい、という楽しい行事であった。

PTAの行事でも同じように社会見学を開催することがあるが、予定を立てたり下見をしたりと準備に手間がかかるので、なかなか開催されることがない。

そんなPTA向けの大人の社会見学が少なくとも6年以上ぶりに開催された。

行き先は鶴橋駅近くの「コリアタウン」。

総勢30名近くのメンバーで鶴橋駅界隈を練り歩き、目的地のコリアタウンを目指すが、参加者のほとんどは女性で、目的地までまっすぐたどり着けるはずもなく、そこかしこの商店に陳列されている品物を見ては、若い女性のように「これ、かわいい」などと声を上げている。

ようやくたどり着いたコリアタウン。



商店街を散策し、その後は「チマチョゴリ」を着用して写真撮影。

女性たちは貸衣装のチマチョゴリを楽しそうに選んでおり、お互いに「それかわいい」などと会話をしているが、男である私には、正直その心理を理解することは難しい。



全員がチマチョゴリを着てお互いに写真を撮りあう。

普段はあまり見せない、お母さんたちの楽しそうな顔。

来年もぜひやってほしいものだ。

2011年12月20日(火) 久しぶりにリアル

久しぶりにリアルタイムで書く日記。

少し遅めとはいえ、家族と一緒に食事ができる時間に帰宅すると、珍しく長男を含めて全員がそろっていた。

数日前からどうも胃痛が治まらないので、これまた珍しく酒を抜くことにした。

日記が書けるのもその所為かもしれない。

今は食事を終えてみんなでテレビを見ている時間。

いつの間にか風呂洗いとなった長女が風呂から出てきてアイスを食べている。

次女はりんごをむきかけている。

テレビ番組にも飽きてきた。

なので次は私が風呂に入ることにした。

さて、明日の日記は明日書けるか。

2011年12月21日(水) 見ている人は見ている

毎月開催される実行委員会の内容は、これも同様、毎月一回発行される実行委員会便りで全保護者に報告される。

実行委員会便りを作成するのは広報委員さんの仕事であるが、その原稿は実行委員会に出席した人たちが作成した活動報告や予定を元に作成される。

そんな委員会便りだが、正直、PTA活動に興味のない人はまったく読むこともないと思う。

別に面白いことが書いているわけでもなく、ただ淡々と活動報告が列記されているだけのB4サイズのプリント一枚だ。

そんな委員会便りだが、見ている人が意外と多いようだ。

私の地区活動報告は地区長がしているが、その報告が次のようなものだった。


 1月○日 作文教室
 1月○日 餅つき大会

この内容を見てまず嫁さんが憤慨した。

「なにこれ?これだけ?これだけなわけがないやん。毎月の掃除とか年末の夜警とかあるやん!」

嫁さんだけがそういっているのかと思ったら班長さんからも連絡が合ったらしい。

「委員会便りに私たちの活動の報告が書いていない」

嫁さんの友達のご主人も同じように「クリスマス会のことが書いてないがな」と文句を言っていたようだ。

見る人が少ない便りとはいえ、自分たちが一所懸命に活動した内容が報告されていない、子どもたちが楽しみにしていることが報告されていない、というのは関係している人にとっては不満なものだ。

嫁さんも早速その地区長に連絡をしていた。

次回からは報告内容を私がチェックしなければならないのだろうか。

ただ報告するだけなのに、それすら満足にできないというのは、ちょっとな避けない話である。

2011年12月22日(木) たくさんの吹奏楽部

年に何回か、このビルのこのホールでこういう催し物が開催される。



今日はどこかの高校の吹奏楽部らしい。

私が見たのはちょうど演奏を開始するときで、指揮者が前に出てきてタクトを振り始めた直後に撮影した。

これだけの管楽器がそろうと壮大だ。

私が公園会長を務める高校の吹奏楽部もなかなかの実力を持っているが、いかんせん、公立の高校だけに、楽器がなかなかそろわない。

そんな彼らにこれだけの楽器を与えてやればどれほどの演奏ができるだろうか、とちょっとうらやましく思いながら演奏を聴いていた。

2011年12月23日(金) 市子連忘年会

毎年いくつかの忘年会に参加するけれど、一番気楽に参加できるのが市子連の忘年会だ。

メンバーのほとんどは私より年上ながらも、私を対等に扱ってくれるし、全員が仲良く、そして何よりもみな明るい。

30名程度の人数なのでどうしても複数のテーブルに分かれて座ってはいるものの、どのテーブルからも笑い声がずっと聞こえてくる。
愚痴を言うことは少なく、常に前向きで、明日のことを考えている。

PTAは自分の子どもがその学校を卒業するとともに自分自身も卒業することになるが、市子連などの子ども会は子どもの卒業はあっても育成会の卒業はない。
だからみな、その場しのぎの、今年さえ我慢すれば、などという気持ちはなく、それだからこそ、もっと自分たちがやりやすいように、状況を改善することに熱心なのだと思う。

時折熱い話をしながらも、基本的には、「楽しく」という気持ちを持って飲み会は進む。

二次会のカラオケも大はしゃぎで、いつものように「○○(私)さんって思ってた人と違う!」と言わせるように私も盛り上げる。

今年の活動はこれで終わり。
新年は成人式のお手伝いがある。

来年もまた、一所懸命に走りたい。

2011年12月24日(土) お菓子の家

パソコンで仕事を片付けるといつの間にか我が家の女三人が集まってなにやら楽しそうなことをしていた。

何事かと覗き込むとお菓子の家を作っているようだ。
嫁さんからアドバイスを受けて、次女が小さなお菓子を飾り付けていく。



そばで見ていた長女も一緒になって作り始めた。



生意気な次女とそれを受け流す長女と、笑って聞いている嫁さんと、ああでもないこうでもないといいながら実に楽しげに組み立てていく。
そしてようやく完成したお菓子の家。



たぶん、明日にはこの組み立てた三人によって食べられてしまうのだろう。

2011年12月25日(日) それぞれのクリスマス

クリスマスがやってきても喜ぶのは次女ぐらいなもので、今年もサンタからプレゼントをもらって朝からはしゃいでいた。

嫁さんや長女の楽しみといえば、フライドチキンとケーキらしく、夜になってそれを食べる時の目の輝きは、次女がプレゼントを見ているときのそれと同じだった。

家電量販店でアルバイトをしている長男はクリスマスの買い物客の対応に追われ、少し疲れて帰宅した。

私はこの三連休の間、ほとんど何もせず、ひたすら休息し、そんなことなら年賀状でも準備すればよかったと反省しながら夜を迎えた。

それぞれのクリスマスの夜ではあるが、とても平和な我が家の夜。

今年もあと少し。

笑って年末を迎えたい。

2011年12月26日(月) 協議会の忘年会にて

PTA活動としては今日が最後。

協議会の役員会兼忘年会ではあったが、協議会としての大きな行事はもうほとんどないので決めることもなく、活動報告の確認程度だったので、役員会は最初の10分程度で終わり、すぐさま忘年会が始まった。

忘年会とは言っても人数は6名程度なのでワーワーと騒がしいものではない。

それぞれに今年を振り返り、来年のことを話す。

PTA会長というのは他の役員と比べて圧倒的に活動量が多いが、そのことは単位PTAの役員に出さえなかなか理解してもらえないことが多い。
その点、協議会のメンバーは全員PTA会長なので、話がよく通る。
そういう意味ではよき理解者でもあり、同志でもある。

けれど、このメンバーのうち半分が今年度でPTAを卒業してしまうわけで、それを考えるとやはり少し寂しい。
同じ役員なのでこの一年間、他のPTA会長よりも多くの時間を一緒に過ごし、それだけにお互いのことをよく分かり合えた。
そんな仲間と過ごす時間もあとわずかである。

けれど、今年度で去っていく同志もいるが、来年はまた新たな同志が増える。
そう思えば、来年はまたなのしい一年が過ごせそうな気もする。

残り少ない時間を充実させ、来年度の糧としたい。

2011年12月27日(火) あいさつ回りを終えて

午前中までは通常の仕事をし、昼からは仕事納めのあいさつ回りに出た。

今年の一年、お世話になったことや、また来年、できれば仕事をくれるようにとお願いの挨拶をして回った。

車で回っておよそ3時間ほど。

すべてのユーザに挨拶を終え、少し早い時間に帰宅した。

これで今年の仕事はすべて終わり。

子ども会も、PTAも、そして本職も。

あ。後は自治会の防犯委員としての仕事が残っていたか。

それでも何とか一年を無事に終えたことに感謝。

2011年12月28日(水) ダラダラ納め

今日から正月休み。

撮り溜めていたテレビ番組を見て、子どもと一緒にパソコンの無料ゲームをして、ゴロゴロして、その後はまだ明るい時間からビールを飲む。

年賀状の準備でもすればいいとは思うのだけれども、「休みの初日は休もう」と心に決め、年賀状どころか部屋の片付けもせずに、ただひたすらゴロゴロ。

気がつけば夜になり、夜警に出かけ、帰宅後も続きの酒を飲む。

明日からまた何かと忙しい年末を向かえ、そして新年へと続く。

今日はいわば一年のダラダラ納め。

そんなことを考えながら、またまたビール。

2011年12月29日(木) 町守る人

年末恒例の自治会夜警をやっていると自分が防犯委員であることを思い出す。

胸に「○○市防犯協会××支部」と防犯委員を示す刺繍の入ったジャンパーを着て、夜の9時過ぎに自治会館へ行く。

自治会館の前には夜警本部を示す提灯が掲げられ、中に入ると婦人部やPTAのお手伝いの方々がせわしく動き回り、その奥のテーブル席には同じジャンバーを着込んだ防犯委員と、有志の方々が腰掛けていた。

ほぼ一時間おきに20分程度かけて町内を見回る。

そしてその合間に、この自治会館で休憩をし、雑談をして過ごす。



ほとんどのメンバーは私よりも年上だが、みんな元気がいい。

「さあ、○○(私)くん、飲みや。ビールなんぼでもあるで。それとも日本酒がええか?」
と、時間があればとにかくみんな陽気に飲んでいる。

「さあ、時間やで。そろそろ行くか」

誰となくそんなことを言いだすと、男連中はぞろぞろと自治会館を出て、寒い寒い町内の巡視を始める。

大げさかもしれないが「この町を守る」という気持ちが、みんなの胸の中にあり、その使命感がみんなを後押ししているのだと思う。

2011年12月30日(金) 冬の風物詩

隣の市にある祖父の家で毎年恒例の餅つき大会を行う。

今年は長男もアルバイトを休んで手伝ってくれるというので準備万端整え、愛車に乗り込んで出かけた。

途中、長男に運転を代わる。

免許を取って初めての運転に、長男自身はもちろんのこと、同乗者全員が緊張する。

特に次女はとても不安げで、一刻も早く、私に運転を変わってほしいように言う。

それほど難しい道を走ったわけでもないので、もちろん何事もなく、祖父の家につきひとまず荷物を降ろす。

その後、私と長男だけでもう一度、周辺の道路を走ってみた。

いくつか問題点があったのでそれを長男に指摘し、再び祖父の家に戻る。

すると今度は嫁さんが何かを言っている。

餅つき道具はすべての道具が祖父の家にそろっているはずだったが、何の間違いか杵がないという。

なので急遽近くのホームセンターまで買いに行くことにした。

幸いにして一軒目の店ですぐに見つけることができた。

祖父の家に戻り、準備を整える。

程なくしてもち米も蒸しあがり、まずは私が餅を搗く。

5分ほどで餅になると今度はいっせいに女性たちが餅を丸め始める。



祖父の家で見る冬の風物詩。

平和な日常の証。

帰りは途中まで長男が運転をし、自宅近くで私と交代した。

来年の餅つきには長男の運転する車に乗り、酒を飲んでみたいものだ。

2011年12月31日(土) 来年もよろしく

今年も今日で終わり。

いろいろとあったが、我が家は比較的平和な一年であったように思う。

一月には子ども会が知事表彰を受賞し、二月は何かと忙しかった。
三月には日記が復活し、四月は久しぶりの動物園。
五月はPTA協議会としての仕事が始まり、六月は八木アナウンサーとお話。
七月は子ども会もPTAも仕事も充実し、八月はあわや熱中症に。
そして怒涛の九月と十月を乗り越える。
集大成の十一月といろいろ覚悟を決めた十二月。

来年も同じように笑って大騒ぎして、時々泣いて、それでも最後は大笑いして年末を迎えたい。

今年一年、お世話になりました。
そして来年も、よろしくお願いします。

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