カリント日記
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2012年1月1日(日) 新年の挨拶
昨年の震災の影響により、今年の新年の挨拶をどうしたらよいものかと迷っていた人も多いらしいが、新年を迎えたことは、例えどのようなことがあっても、それは新しい年の始まりであり、すなわち新しい未来の始まりであり、そして新しい希望の幕開けなのだから、おめでたいことに変わりはない。
別に今年に限らず、いつの時代であっても、悲しい思いをしている人はいて、つらい生活をしている人もいて、例え新年を迎えたとしても希望に満ちる未来を感じることのできない人もいる。
けれども、それならば毎年の挨拶を考えるべきであり、むしろ「年賀状」などというものを出すことさえためらわれるべきではないかと思う。
それをむしろ、「挨拶だけを控えめにする」というのは、年賀状を出すという行為に対するある種の「免罪符」的な要素として感じてしまう。
悲しい人のことを考えて悲しむことは大切であるが、自分の喜びを抑える必要はなく、控えめにすれば何事も許されるというわけではない。
喜ぶときは喜び、悲しむときは悲しむ。
自分の喜びを分かち合い、他人の悲しみを引き受ける。
大事なのはそういう気持ちだと思う。
年賀状に「おめでとう」の文字を書き表すことをためらった人のうち、いったいどれだけの人が、3月11日より前に訪れる1月17日に黙祷をささげるだろうか。
あけましておめでとう。
そして今年もよろしく。
2012年1月2日(月) 新年早々に風邪
正月早々、風邪を引いてしまったようだ。
大晦日は年越しそばを食べてテレビを見たあとは家族と爆笑しながら「人生ゲーム」をして年を越した。
元日は朝からゴロゴロして、年賀状のデザインを作成した。

夕方には我が家の女性陣が買い物に出かけてそのまま夕食を食べて帰るからと、長男と新年早々からカップラーメンを食べた。
そして今朝の第一声が「あーのどが痛い。風邪引いた」。
鼻が詰まって、寝ている間に口で呼吸をしていたのだろう。
喉が乾燥した感じがしてヒリヒリする。
どうやら長女の風邪がうつってしまったみたいだ。
おとなしくしていたいが、やることもたくさんあるので、悪化しないように栄養をとらねば。
2012年1月3日(火) 新年会のあとで思うこと
我が家の新年の行事の一つに親族との新年会がある。
日時は決まってはいないのだが、毎年、正月三が日のいずれかに開催され、ここ数年は二日に私の親戚側、そして三日に嫁さんの親戚側で催すことが多い。
そしてこの新年会だけが、親戚がそろう、一年に一度の行事なのだ。
そうやって親戚が集まるたびに思うのは「私の嫁さんが私の嫁さんでよかった」ということだ。
そしておそらくは嫁さんも同じように夫が私でよかったと思っているに違いない。
何をどう書いても「悪口」になってしまいそうなぐらい、いや、返って同情してしまいそうなぐらい、気の毒と言うかかわいそうな人が、どちらの親族にも多い。
いや、もちろん、彼らは自分自身は幸せであると感じているに違いないのだが。
じゃあ、私がこの新年会に出席することがつらいものかと聞かれると、決してそうではなく、むしろ心地よい。
じゃあ、なぜそんな親戚との集まりが心地よいのかと聞かれると、ふと考えてしまう。
なぜなんだろう。
それはもしかしたら、「何もほしがるものがなく、何も不足していない、そんな幸せな私の家族を見てほしい」というひねくれた気持ちからくるものなのかもしれない。
そしてやはり、新年会を終えて自宅に戻ると、「私の家族は幸せだ」と一人納得するのである。
2012年1月4日(水) 餅搗きの手伝い
先日から友達に餅つきの手伝いを頼まれており、風邪で体の調子も悪くてやめようかとも考えたが、自宅でごろごろしていたら余計に悪化しそうな気がしたので、思い切って手伝いに行くことにした。
場所は自宅から自転車で10分程度のところだが、今日は風も強く、めちゃくちゃ寒いため、やたらと遠く感じた。
現地に着くと既に餅つきは始まっていた。
初老の男性が振り下ろす杵の先には、臼の上で変形する白い餅があるのだが、すっかり冷め切っているようで、まったく弾力が感じられない。
杵を振り下ろす合間に餅をひっくり返したり、湿らせたりするためのお湯もまったく湯気が出ていない。
挨拶をした直後の私の一声が「もう、それ冷めてるんじゃないですか?」だった。
餅を搗いていた男性は「うんそうやねん。まだぬくもってないから」と言いながら、とりあえず搗き終えた餅を取り出した。
けれど、その後に臼にお湯を張ることもしなかったので、「お湯を臼に入れて温めたほうがいいですよ」とアドバイスしたら、なるほど、と言う顔つきだった。
ということはつまり、「まだぬくもっていない」ではなく、「ぬくめることをしていない」のだ。
あまり餅つき経験がないのだろうと思って見ていたら、案の定、一回分の餅を男が三人がかりで交互に搗いており、初老の男性はともかく、残りの二人は私より若いのに、ふうふう言っている。
次に私が搗くとやわらかくて温かい餅ができた。
彼らにどうアドバイスすればいいのかわからないが、餅搗きは力ではなく、丁寧さと、熱いお湯を我慢する手の皮の厚さが必要なのだ。
2012年1月5日(木) 座席が
本日より仕事始め。
体の調子が戻っていなかったので、朝はゆっくり起きてから仕事場へ向かった。
職場について驚いた。
私の席がないのだ。
これが正社員ならとんでもない虐めだろうが、外注業者として机を借りているだけなので、定期的に座席を移動することがある。
それでも「いついつから座席を移動して下さい」という案内は前もってされており、ある日突然、座席がないというようなことはない。
話を聞くと、何かの手違いで私の在籍日数の更新手続きがなされていなかったらしく、記録上は私の座席は「空き」となっていたのだそうだ。
理由がわかったので、特に問題にもならず、私も座席を移動した。
けれど、今度の座席はちょっと狭い。
まあ、仕事に影響はないのだけれど、少し「隅に追いやられた」という感は否めない。
2012年1月6日(金) ロックを飲む
正月明けの金曜日はホッとする。
長距離を走ってようやくたどり着いた給水ポイント、あるいは、大海を泳ぎ疲れた果てに見つけた小島、大げさだけれども、そんな気分になる。
まだ正月にいただいたビールが自宅にあるので、業務用スーパーで格安のチューハイと刺身を買って帰り、ビール片手に刺身を食う。
テレビを見ながら、家族そろって夕食。
食事の後はメールのチェックなどをしてゆっくり過ごす。
二匹の猫もそれぞれお気に入りの場所で丸くなって眠っている。
その日のうちに日記を書いてアップロードするのも久しぶりのこと。
なんだかとてものんびりした夜。
もう少し、酒を飲もう。
2012年1月7日(土) 打ち合わせの後は
校区子ども会の会長に、15日に餅つき大会の最終確認をしよう、というと、じゃあ、朝の10時に知り合いの店でコーヒーを飲みながら打ち合わせをしよう、という。
知り合いの店まで自転車で走ること10分。
寒い。
めちゃくちゃ寒い。
店について第一声が「寒いわ!」。
すでに到着していた校区長とカウンターに並んで座り、モーニングを注文すると、カウンターの向かいで知り合いが作り始める。
知り合いも隣町の子供会で長年役員を務めているいわば同志。
モーニングを食べながら打ち合わせをしていると、さっきまで寒かったことを忘れる。
楽しい内容の打ち合わせではないけれど、同じような気持ちの同志が集まって話をすると、自然と笑いが生まれてくる。
必要なことを取り決めて店を後にした。
もう、寒くはなかった。
2012年1月8日(日) 久しぶりのゲーム
先日、何を掃除していたのかはわからないが、嫁さんと子どもたちが古いアルバムやら本やらを整理していたら懐かしいテレビゲームのソフトが出てきた。
2006年ごろに発売になった「ヤンガスと不思議なダンジョン」というもので、長男も長女も結構やりこんだものだが、当時は小学校一年生だった次女にとっては「やりたかったけれども難しすぎてできなかったゲーム」のひとつだ。
当然、今ならできるこのゲームをやりたいと言い出した。
私も嫁さんもゲームは嫌いではないので、子どもたちがやりたいというのなら別に反対はしない。
よくテレビゲームの害悪を訴える話を耳にするが、私の家族はみなテレビゲームが好きで、長時間ゲームをすることもあるが、それによる問題はまったく生じていないと思うので、我が家では特に規制をすることはない。
まあ人並みに、「宿題が終わってから」ということもあるが。
そんなゲームを次女がやり始めるが要領がわからないのですぐに長女に代わってもらう。
さすがに長女はゲームがうまく、私よりも上手に次女に教えている。
次第に私もやりたくなって、今朝はたっぷりゲームを楽しんだ。
これだけゲームをやったのは久しぶりのこと。
これからしばらくは家族でこのゲームをすることになりそうだ。
2012年1月9日(月) ひどい咳
咳がひどく、鼻水も止まらない日が何日か続いている。
こんなに咳がひどいのは初めてかもしれず、家族ものそのひどさに驚いているようだ。
それでも別に苦しいわけではなく、起きていることはできる。
けれどもやはり本調子ではなく、食欲もさほどない。
しばらくの間は慎重に過ごす必要があるようだ。
2012年1月10日(火) 体調不良続く
体調不良であるにもかかわらず、昨夜は自治会の互例会に出席し、誘いを断りきれずに二次会までついていってしまった。
嫁さんが一緒だったために油断したのか、かなり深酒をし、おかげで今朝から体調不良。
風邪のせいもあって、仕事をできる状況ではなく、一日家で過ごすことにした。
少しゲームをやってみるがおきていると疲れるので、すぐに横になる。
テレビを少し見て寝て、パソコンで調べ物をしてまた寝る。
始業式を終えて返ってきた次女は、友達と遊んでくるといって家をすぐに出て行った。
次女の元気が本当にうらやましい。
家族が元気なことは何にも増してありがたいことだ。
さすがに今日は一口も酒を飲みたい気分ではなく、すぐに寝ることにした。
明日から少しずつ体調を戻していこう。
2012年1月11日(水) 目指すは一番面白い
数年前まで、市議会議員だとか府会議員だとか、そういう人たちは少々特別な人だと思っていた。
例えば、話をするのがうまいとか、人を喜ばせることがうまいとか、つまり、人心を掌握する力に長けているのだと思っていた。
けれど、最近、よく、議員たちと話をするようになってから、そうでもなさそうだと言うことに気がついた。
確かに人並み以上に人前で話をするのはうまいが、私とどっちがうまいかと周りにたずねたら、きっと私のほうがうまいと言う人も何人かいるだろう。
人を喜ばせるのもしかり、自分で言うのもなんだが、私をお酒に誘う人は多く、それは私と一緒に酒を飲むと面白いからに他ならないと思う。
PTAの互例会のときもあちらこちらの席で私を喜んで迎え入れてくれえて、そしてみんな楽しそうにしてくれた。
私を知っている人は、私のことを知らない人のために、私がどれほど楽しい人であるかを身振り手振りで説明してくれたりもする。
議員の中には仕事の話はせずに楽しい話をする人もいるが、やはり「今、議会であそこの道路を拡張する話が出ていましてね」などと、われわれとは直接「通じ合えない」話をすることが多い。
そんな話をされても「大変ですねえ」ぐらいのリアクションしか取れないし、何より、面白くない。
以前からふざけて「議員になる」と自分で言ったみたり、「議員になったらいい」と周りの人に言われたりするが、なれるかどうかではなく、そうするための気力もないし、何よりいろいろと犠牲にしなければならないものもたくさんありそうなので、まだ十年以上はこのままの生活をしていると思う。
けれど、私が議員になったら、目指すは一番面白い市会議員だ。
2012年1月12日(木) 校庭開放
市立の小学校の施設は児童だけのものでもなく、また校長先生のものでもない。
児童や先生には優先権がああるだけで、市立というからには市のものであって、それはすなわち市民のものでもある。
だから運動場も体育館も市民が使用料を払うことで休日などに使用することができる。
特に運動場は無料で開放していることがありそれが「校庭開放」の日だ。
月に数回の待ちに待った校庭開放とあれば、多くの人で賑わって・・・いない。
校庭開放委員長の知り合いに話を聞くと、「そんなもん、一日待っても一人もけーへん」という。
私が青年期を過ごした場所は小学校のすぐそばであり、毎日のように学校で遊んでいたのに。
せっかくの青空なのに、なんだか寂しい風景だ。
2012年1月13日(金) 不吉な日
別に何かの宗教の信者でもないが、「13日の金曜日」という言葉の響きに「お。確かに」と反応してしまうのは、間違いなく映画のせいだと思う。
また、以前は直前になるか、あるいはカレンダーを見てそのことを知っていたのに、その月の始まりが日曜日だと13日が金曜日だと知ったのはクイズのせい。
ま、クイズを知っている知っていないにかかわらず、100年以上前から1日が日曜日なら13日は金曜日なのだけれども。
人間、誰しも悪すぎることと良すぎることは記憶しているものなので、13日の金曜日に何か悪いことが起こると、そのことをよく記憶しており、それが「13日金曜日のせい」と心に深き刻まれ、そしてそのことがさらに13日金曜日を悪い日にしてしまう。
それでも夜ビールを飲みながら、日付が変わってなんだか一安心するのは、日ごろ偉そうな日記を書いている割に意外と小心者で俗世間的である証拠。
明日一日も、いい日でありますように。
2012年1月14日(土) カニ鍋=ハイテンション
別に好物ではないのだけれども、カニがあるとテンションがあがる。
鍋料理もそれほど好きではないが、最近なんだか鍋料理を見るとテンションがあがるのは、鍋料理=酒という図式が頭にあるからで、それはまるでパブロフの犬。
ということで鍋料理にカニが入っているという、年に一度、あるかないかのハイテンションな光景に思わず写真を撮ってしまった。

グルメなブログでもなんでもないのに、我が家の食卓を写真に撮るなんて、どれだけハイテンションなんだ。
しかも、この写真を撮影したのは先日のことなのに、それをわざわざ日記に載せるなんて。
ま、ネタがなかった、ということで。
2012年1月15日(日) 来年の期待
校区子ども会恒例の餅つき大会を開催した。

参加人数は例年と大差ないものの、私や校区長の疲れは少ないように思う。
というのも、以前に比べてあわただしく動き回る必要がなくなったからだ。
お手伝いの人数も安定し、積極的にいろいろな仕事をこなしてくれるようになった。
何か足りないものがあれば「○○が足りないと思うんですが、買って来たほうがいいですか?」と聞いてくれるので、「はい。お願いします」というだけで、返事がとても簡単だ。
単純なことだが「○○が足りないんです」と言われると「わかりました。じゃあ、買ってきます」となるし、「○○が足りないんですけど、どうしたらいいですか?」と聞かれると「じゃあ、買ってきていただけますか?」となり、その言葉に相手の気持ちが表れているわけで、こちらの指示の度合いが変わってくる。
それから大きな成果としては子どもでも中には立派に餅をつける子どもがいるということ。
搗けるだけではなく、餅を返すこともできる子どもがいたのには驚いた。
「おばあちゃんのところでやったことがある」と言っていたが、ひとつの餅を搗きおわるまで、大人が手伝うことなく、最後まで一人でやりっきたのには驚いた。
毎年毎年、来年の餅つきができるのかどうか、心配だが、これで来年お楽しみができた。
2012年1月16日(月) 来年は大丈夫?
嫁さんが「来年度の地区長選出にあったってみんなで選出のためのルールを決めたい」という。
そのための打ち合わせを班長さんたちとするのだそうだ。
地区長は小学校が地域の自治会に選出を依頼している、その自治会(地区)の保護者代表だ。
したがって地区長はPTAの会員でなければならず、またその役割も大きいため、毎年選出には苦慮する。
難しそうな話を女性ばかりでやると決まるものも決まらないので、とりあえず第三者的な立場としてその会議に参加することにした。
議事録ぐらいは私でも記録できるし、話が横にそれそうになれば軌道修正することもできると考えたからだ。
私は小学校のPTA会長なので地域の保護者から選出される地区長の選出方法についてとやかく言える立場ではない。
また、私は地区では子ども会の会長ではあるが、子ども会とPTAは別物であり、これまた立場的に口出しできるものではない。
だからあくまで第三者として出席するつもりだった。
けれども会議に出ると雰囲気は違っていた。
明らかに私に対して何かを期待している雰囲気に満ちている。
そもそもこの会議の案内のプリントを作成した地区長でさえ司会進行するような感じではなく、他の保護者と同じように座っている。
極端な話、私の姿を見てお母さんたちは「部外者が何をしにきたの?」と感じても不思議ではないのに、私が話を進めるのが当然と言った感じを受ける。
その雰囲気を打ち破るため、少々きついが開口一番言い放った。
「この会議は何の会議ですか?この会議の案内を出したのは誰ですか?ならば地区長が仕切らないとだめなんじゃないですか?そもそも子ども会と小学校PTAは違いますよ。まずはそこから説明しましょう」
それでも結局、大半を私が進める会議となった。
本当にみんなは気がついているのだろうか。
来年、私も嫁さんも小学校のPTA会員でなくなるということに。
2012年1月17日(火) 案内状のあて先
夜、自宅でくつろいでいると玄関のチャイムが鳴った。
インターホンに次女が出たので、私が「だれ?」と尋ねると「女の人二人」というので何かの訪問販売か勧誘だろうかと思ったが、続けて「名前知らんけど一人はお母さんの知り合いで、もう一人は知らん」という。
ということは勧誘でもなさそうだし、嫁さんが外出している今は私が対応するしかなさそうだ。
少し億劫に感じながら玄関出でると、そこには見覚えのある顔があり、彼女の顔を見ておそらく私は一目でわかるほど「嫌そう」な顔をしていたに違いないが、もう一人が「お食事時でしたか?」と聞いたので、それが理由で少し嫌そうな顔になっていることにしようと思い「ええ。まあ」と相手の質問にあわせた。
嫌そうな顔になる理由はただひとつ。
彼女は以前、私を宗教に勧誘したからだ。
今日もそれかと思った。
それ以外に彼女が私を尋ねてくる理由が見当たらないからだ。
もう一人のほうがなにやら白い封書を持っており、そこには「○○小学校PTA会長○○(私)様」と書いてある。
PTA会長をやっているとその立場を目当てにいろんな人がやってくる。
どうやら今日もそうだった。
「実は今度の日曜日、○○会が主催で絵画の展覧会をやるんです。そこへぜひお越しいただきたいと思いまして」という。
○○会は紛れもない宗教団体だ。
私は早くこの場から離れたいので、適当に話をあわせてその案内状を受け取ったが、展覧会に行くつもりなど毛頭ない。
いや、展覧会がどうのこうのというのではなく、特定の宗教団体が「PTA会長」に対して案内を持ってきたからだ。
これで私が行ったなら、招待した側は「○○(私)がきた」が来たのではなく「○○小学校のPTA会長が来た」と認識するに違いない。
PTA会長が特定の宗教団体の勧誘を受けて行動すると言うのは納得できないし、それに反発する声もあるだろう。
何より私は宗教が嫌いだが、百歩譲って私個人宛に案内状が届いたのなら、嫁さんの知り合いの頼みと言うこともあって顔を出すぐらいはしたかもしれない。
けれど明らかに彼女たちは「私」ではなく「PTA会長」にお願いしに来たのだから、PTA会長の立場として考えれば、いくべきではないと思う。
帰宅した嫁さんに顛末を話すと「そらそうやわ」と納得していた。
案内状はすぐにゴミ箱に捨てられた。
2012年1月18日(水) 最近の毎日
最近は少し早めに仕事場に出かけるようにしている。
とはいえ、「自ら進んで」ではなく、「朝早くから打ち合わせが続いているから」に他ならず、その打ち合わせがなくなればまた元に戻ってしまいそうな気もする。
それでもこの寒い季節に、以前よりも1時間早く仕事に出かけると、なんだかとても新鮮に感じられる。
数年前にはもっと早い時間に出かけなければならないことも多かったが、それは嫌々ながらに仕事をしていた時期のことであって、決して楽しい思い出ではなかった。
けれども、今のこの時期のことは日記に記録しておきたい感じでもある。
仕事も楽しいとまでは行かないまでも、決して面白くないとかつらいとか感じるものではなく、今のところは順調にこなしているし、周りの人間関係も良好だ。
だから胃が痛むこともなければ、ふさぎこむような気持ちになることもない。
このペースで生活できれば体調も崩すことはないだろうと思う。
後はもう少し暖かくなって、ジムへ通えるようになれば言うことなしだろうか。
2012年1月19日(木) 冷たい雨
久しぶりの雨。
朝はまだ降っていなかったけれど、仕事を終えて帰宅するころには本格的に降っていた。
自宅に戻ってすぐにまた出かける用意をする。
今日は市子連の臨時会議だ。
車に乗るのは好きだが、雨の日に車を車庫から出すのは一苦労する。
傘を肩と首の間に挟みながら、車庫の前に止めている自転車を移動させる。
すべてを移動させて車を車庫から出すと、今度は自転車を元の位置に戻す。
傘をさしていてもかなり濡れてしまい、冷たい雨のせいで車に乗り込んでもしばらくは寒い。
会議を終えて戻ってくると今度は逆の手順で車を車庫に入れる。
けれど、傘をさしていると作業が遅くなるし、早く家の中に入りたかったので、傘を指さずに自転車を元に戻した。
冷たい雨が手に染み入る。
ようやく家の中に入るとほっとする。
すぐに上着を脱いで、そのまま風呂へ入った。
設定温度はいつもと同じなのに、浴槽につかると手と足が痛いぐらいにお湯を熱く感じる。
しびれたようになった手と足が、徐々に溶けていくかのようにお湯になじんでいく。
フーっと深いため息をつく。
明日も冷たい雨は降っているのだろうか。
2012年1月20日(金) 飲みながら努力
PTAや子ども会の関係者であっても、仕事関係の付き合いであっても、もちろん気の合う友達同士であっても、お酒を飲むときは笑いながら楽しく飲むのは大原則だ。
だからお酒を飲むときはよく冗談を言って人を笑わせることが多い。
今日もそんな一日だった。
10人近くになるはずの飲み会だったが、定時に集合したの私を含めてはわずかに三人。
予定時刻も15分を過ぎ、店からの催促もあったので、三人だけで先に乾杯することにした。
そこからは酒の飲めない二人を相手に私が笑わせる。
実はそんなに面白い話をするわけではないのだが、話の間合いというか、ボケやツッコミのタイミングを心がけていれば、ベタベタなネタでも笑えるものだ。
やがて遅れてきたメンバーも笑わせる。
話に入らない人を作らないように、できる限り全員「○○さんもそう思いません?」とか「いや、そういうことは案外○○さんが知ってそう」などと別に根拠もないけれど、そうやって話を振ってみる。
迷惑そうならそれ以降は話をしないけれど、そこからまた面白い話になればしめたものだ。
お酒を飲んで楽しんではいるものの、実はそういう「楽しくしよう」という努力と状況を把握しながら飲んでいるので、店を出ると妙に疲れていることに気がつく。
そうして自宅に戻って「今日も一日がんばった」そう思って一人で乾杯するのである。
2012年1月21日(土) 土曜日の朝に
昨日は飲み会だったのに、早く寝たためか、今朝は夜明け前に目が覚めた。
これが毎日続けば「年のせい」かとも疑うが、まだそんな気配はなくて一安心する。
何をするでもなく適当にテレビ番組を見る。
そうしていうちに眠くなるかと思っていたが、結局そのまま夜が明けた。
今日は午前中から用事があったので、まだ家族が起きてくる前に身支度を整えて家を出た。
朝食は待ち合わせ場所近くの牛丼チェーン店で定食を食べることにした。
そういえば、長女が牛丼チェーン店でアルバイトをするようになってから、牛丼を食べる機会が多くなった。
けれど暖かくなってダイエットをするようになると、またしばらくは牛丼を食べないようにすると思う。
店を出ると朝の空気がすがすがしく感じられた。
早起きしたせいか、気力のみなぎる、一日の始まりだった。
2012年1月22日(日) ゴロゴロ日曜
昨夜からまた雨が降ったため、今朝予定されていた市子連の行事は中止となった。
突然やってきた、予定のない一日。
ゆっくり寝て、起きたらテレビを見て。
いつものゴロゴロした休みの日が始まった。
以前はなんだか後ろめたさを感じるときもあったが、何かと忙しい最近は、こんな休日を自分なりに謳歌するようにしている。
それが今では「ゴロゴロ」なのだ。
ゲームをして、ビールを飲んで、お菓子を食べて、カップめんを昼食にする。
典型的なダメダメ生活ではあるが、毎日ではないので少し自分を甘やかす。
カラオケから戻ってきた嫁さんたちは「今から出かける」といってまた出かけてしまった。
どうやら次女が駄々をこねたようだ。
嫁さんたちが外出している間もゴロゴロ、ゲームをしている。
やがて夕食の時間となり、帰って来た嫁さんは夕食の準備を始めたが、私は相変わらず、ゴロゴロ。
さて、これで休日の充電はできたのか。
明日からの一週間でそれがわかる。
2012年1月23日(月) ブルーマンデー
日曜日の充電はなんだったのか。
22時ごろには布団に入ってその後すぐ眠りにつき、夜中も目覚めることはなかったにもかかわらず、今朝、なかなか起きられず、結局、午前中は仕事ができなかった。
首の置くというか鼻の奥というか、頭の中心部分の下あたりが妙に重たく感じ、起きて行動することがとても億劫に感じられた。
精神的なものかとも思ったが、昼過ぎには気持ちよく仕事を始めることができたし、実際、仕事は何の問題もなく効率よくこなすことができた。
精神的なものでないとすると、体の問題が考えられるが、一番に原因と考えられる酒の量は、金曜日や土曜日に比べれば、日曜日は少なかったほうだ。
酒の疲れが遅れてやってきたのだろうか。
それとも小学生のころのように、ただ単に、ブルーマンデーを感じているだけなのだろうか。
ま、以前のこともあるし、無理をせず、ゆっくりやっていこうと思う。
2012年1月24日(火) 朝のミーティングに工夫を
ブルーマンデーの割にはよく働いた月曜日の翌朝、つまり今朝は、とても目覚めがよく、すっきりした気分で一日が始まった。
何か楽しいことが待っているような気分だったのかもしれない。
以前、まだ私が「社員」だったころ、他の社員に比べて早く出勤していたことがあるが、それは始業前に恒例となっていた友達との雑談が面白くて、毎日どうやって笑わせようか、などと考えながら出勤していた。
仕事を面白くないとは微塵も感じたことがなかった時代だ。
かといって現在の仕事場の雰囲気が悪いわけではない。
環境はいたって良好で「責められる」感じはないし、私を社員と同様に歓迎してくれている雰囲気はある。
ただ、もう少し何か「楽しいこと」が待っていれば、毎朝の起床もとても楽に違いないと思う。
朝のミーティング、コーヒーでも飲みながら楽しく会話ができれば、始業開始前にやってもいいと思うのだけれど。
2012年1月25日(水) テレビゲームで
先日、子どもと嫁さんが片付けをしているときに見つけた昔のテレビゲームは、私がクリアできぬままだったが、その原因が、私のゲームデータの入ったメモリカセットを長男が紛失してしまったことだったということをすっかり忘れていた。
今年に入って私がそのゲームを最初からやり直すと、子どもたちも同じようにそのゲームを始めだした。
そういうことは、毎度のことで、一時的に我が家の流行のようになる。
早めに仕事を終えて自宅に戻るとやはり子どもたちがそのゲームをやっていた。
長女も次女もどこまでクリアできたか、どんなイベントがあったのかを楽しそうに報告してくれる。
子どもたちが寝る時間になって私も少しだけゲームをする。
そして私も、また子どもにゲームのイベントを報告するのだ。
とかくテレビゲームは悪者として取り扱われることが多いが、我が家では子どもとの会話をより増やすためのアイテムのひとつなのだ。
2012年1月26日(木) 長い会議
あることを決める場合でも、仕事の会議なら10分もあれば決まるようなことが、子ども会や自治会の会議のようにある程度年配の人が集まった会議では、30分を超えても決まらないことが多い。
いくつか原因がある。
一つ目は、「他人の話を聞いていない」ということ。
誰かが何かを説明していると、必ずといっていいほど、その話をまともに聞いていない人がいる。
そして話を聞いていない人ほど、質問をする。
「でも、それやったらこれはどうなんの?」
「せやから、それはさっき説明したやん!」
会議が遅くなる理由の二つ目は、「話を理解できない」ということ。
難しい話を理解できないのは仕方がないことなので、私ができるだけ簡単に説明をする。
私は別に説明係ではないのだが、内容の理解も早く、相手が何を理解できていないのかを察することもでき、何より説明がうまいから、話が難しくて理解してもらえないと感じたときは、周りの視線が私に集まるのだ。
それでも理解できな人が多い。
「せやけど、小学生の年齢なんて、誕生日がバラバラやねんから、4月1日に何歳か、なんてわからんで」
「4月1日に6歳なった子どもが一年生、って決まってますから、4月1日の時点で一年生ならみな6歳ですよ」
「なるほどな。でも、2年生になったらわからんよな?」
「・・・。なんで、去年の4月1日に6歳やった子どもが、今年の4月1日に、7歳やったり6歳やったりするんですか。去年6歳なら、今年は7歳に決まってるでしょ」
「???」
他にも理由はある。
同じことを何度も言う。
この前決まったことの反論をこの会議で言う。
とにかく、話が前に進まない。
かといっていまさら、改善できるようなメンバーでもないし。
せめて私の話しを理解してほしいものだ。
2012年1月27日(金) お化け屋敷作成
昼までに仕事を切り上げて帰宅する。
食事のあと少し休憩をしたら、車で小学校に出かけて荷物を積み込んだ。
隣町の小学校でお化け屋敷を作るためだ。
その小学校のPTA会長から私にお化け屋敷の作成を手伝ってほしいと依頼があったのは昨年のこと。
明後日の日曜日がその本番で、今日の夜と明日を使って作成するというのだが、私が手伝えるのは今夜と明日の午前中だけ。
だからなんとしても今夜中にある程度の形を作ってしまわなければならない。
現地に到着し、すでに作業を始めているお母さんたちと挨拶をすると、私もすぐさま作業に取り掛かった。
まずは部屋を暗くするために窓ガラスに段ボール箱を貼り付ける。
次に段ボール箱を組み立ててコースのレイアウトを考える。
このあたりになると、お母さんたちは手出しができない様子。
指示はするものの、基本を理解できていないので、頓珍漢なところにダンボールを固定してしまったり、不安定な積み上げ方になってしまったりする。
それをあれこれ指示して作業を進め、日が暮れて、お母さんたちが食事の用意をするために返り始めたころ、ようやくレイアウトができた。

そして夜の8時を過ぎたころ、ようやく見慣れた光景になってきた。

本番当日は別の用事があるので参加することもできないが、大いに子どもたちを泣かせてほしい。
2012年1月28日(土) 舞台袖で
恒例となった中学校区のイベントが開催された。
すでに開催した回数の半分以上でお手伝いしているので、舞台誘導も手馴れたものだ。
舞台袖で待機して、舞台の進行状況に応じて次の縁者を呼びにいったり、整列場所を指示したりする。
私の小学校の生徒も舞台に立った。
それを舞台袖のスタッフを含めて写真に収めてみた。

写真でみると舞台袖はとても暗いように写っているが、紙に書いた文字も読めるし、それほど静かに過ごさなければならない感じでもなく、舞台から演者を見ながらああだこうだと好き勝手に話をしていて、なかなか楽しいものだ。
今年でPTA会長は終わりなので、来年度以降の手伝いはないけれど、暇があれば一緒にわいわい過ごしたいと思う。
2012年1月29日(日) お化け屋敷の結果は?
朝から子ども会のイベントをこなし、昼過ぎに隣町の小学校へ向かう。
金曜日にお化け屋敷を作った小学校だ。
時間的にすでにお化け屋敷も終わり後片付けも終わっている時間。
それでも学校に向かう目的は、貸し出しした荷物の引き上げと、何より、お化け屋敷がうまく言ったのかどうかを聞くこと。
小学校に着くと正門前でそこのPTA会長がいつもの笑顔で待っていた。
車を降りて荷物を運びながら聞く。
「どうでした?」
「おかげさまで大盛況ですごい反響でしたよ!」
「そうですか!」
「お父さんたちにもお手伝いしてくれる人がたくさんいて、30人以上は泣いていましたね!」
お化け屋敷で子どもを泣かせてみたい、と言っていたお母さんたちの思いが届いたようだ。
「いやーそれはよかったですね」
「うちの役員も『このお礼に、ぜひ○○(私)会長と飲み会をしたい!』と言っていましたので、またよろしくお願いします」
「こちらこそ」
車に荷物を載せての帰り道、人を喜ばせることが自分の喜びなのだと再認識した。
2012年1月30日(月) 寂しい駅
今日から一週間ほど、少し遠方のお客さんのところで仕事をしなければならない。
初日の今日は午前中いつもの仕事場で仕事仲間と打ち合わせをし、昼前に出かけることにした。
けれど思いのほか出かける準備に手間を取ってしまい、ギリギリ間に合うかどうかの特急電車になる羽目になってしまった。
そのため昼食を摂ることができず、駅でとりあえず、フランクフルトソーセージを購入。
この駅の名物となっており、夜はほろ酔い加減のサラリーマンたちが頬張る姿をよく見かける。
多少おなかに安心感を感じながら、特急電車に乗り込む。
途中の駅で止まるたびに、車内に寒い風が吹き込んできて、うとうとしている頭を目覚めさせるが、うとうと気分を邪魔されることほど不快なことはない。
30分ほど電車に揺られて乗換駅につく。
特急が停車する割にはなんとなく寂しさを感じる駅だ。
見てみると、改札を抜けてもこの駅から出て行く人は殆どおらず、みんな別の路線の改札めがけて無言のまま歩いていく。
乗り換えのためだけの駅のようだ。
明日は少し早い時間にやってきて、この駅を降りて食事をしてみよう、そんな妙な好奇心を持って私も改札へと続いた。
2012年1月31日(火) 一月を終えて
今日で一月も終わり。
ついこの前、年賀状を読んでいたような気がする。
体調不良でいくつかのイベントを休んでいたのもついこの前のことのように思う。
ただでさえ、何かと忙しい一月、二月、三月は「いぬ、にげる、さる」と言われ、あわただしく過ぎ去るものなのに、年をとってそれに拍車がかかったようだ。
今年一年を占うような一月の出だしはどうだったか。
体調不良のときが多かったけれどそれ以外はまずまずの出だしではなかったか。
とはいっても、私の一番の課題が「体調管理」であり、家族からもらった携帯電話のストラップには「病難除」の文字が書いてあるお守りがついている。
できる健康管理といえば、やはり飲みすぎないこと、か。
毎日は無理でも、時々それを思い出して自重するようにする。