カリント日記

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2012年5月1日(火) 損をした気分

連休の前半が終わったというが、私は連休の真っ只中である。
メーデーでもなんでもないがゴールデンウィークの間の平日は特に仕事の予定がない限り極力休んでいる。

ふと、カレンダーを見てみた。

今年は土曜日の祝日が4回もある。

土曜日の振り替え休日は法令ではまだ定められておらず、損をした気分だ。

なので勝手に土曜日の振り替えを作って休むことにした。

って、別に振り替えなくても、入学式など、平気で休みを取っているのだが。

2012年5月2日(水) メーデーは

毎年この時期に思うことだが、5月1日のメーデーを労働者のための祝日にはならないのだろうか。

もし、5月1日が祝日になれば、「祝日と祝日に挟まれた日は休日」という法則にしたがって5月1日と5月3日の「憲法記念日」とに挟まれた5月2日は「国民の休日」となる。
以前の5月4日と同じ扱いだ。

それだけではない。
4月29日の「昭和の日」と5月1日に挟まれた4月30日も「国民の休日」になる。

こうなれば、4月29日から5月5日までは必ず連休になる。

でも、「メーデーを祝日にしてほしい」と思っていたのは会社員だったときのことで、比較的自由に仕事ができる今の身分では、むしろ、平日を間に挟んでくれたほうが、何かと都合がいい。

銀行が閉まっていたり、どこへ行っても人だらけだったりするのはちょっと困るからだ。

ただ、学校に通う子どもが休みではないので、一緒にどこかへ出かけるということはできないのだが。

連休も半分が終わった。
残り半分をどう過ごそうか。

2012年5月3日(木) 基本となるおきて

学生時代に法律を学んだので、憲法も何度となく読んだことがあり、またその内容について議論することもあった。

でも、この「憲法」の「憲」ってなんだろうか。
「刑法」や「民法」はその文字から意味がわかりやすい。

刑法の「刑」は「処刑」などの言葉から、「罰を与える」というような意味だろう、と容易に想像できる。
同じく民法は「民衆」などの言葉から、人の生活にかかわること、と想像できるし、商法は読んで字のごとく「あきない」に関係することはすぐにわかる。

けれど「憲」ってなんだろう。

憲法がすべての法律より優先されており、憲法に反している法律は認められない。
ならばそれなりにものすごい厳格な意味や堅苦しい意味があるのだろう。
そう思って今更ながらに調べてみた。

「基本となるおきて」

きわめてあっさりしているではないか。
特に「おきて」という響きなどは「それが村のおきてじゃ」と長老が言いそうな言葉であり、刑や民よりも各段に「やわらかい」感じがする。

今日は憲法記念日。
この国に現在の「基本となるおきて」が定められた日なのだ。

2012年5月4日(金) もったいない

ゴールデンウィーク期間中の天気予報は「晴れ」。
そして実際にも晴天続き。

こんな行楽日和はめったにない、と思いつつ、やはりいつもの休日と同じ過ごし方でもったいない気がする。
でも、例え予定を立てて遊びに出かけたとしても、お金のかからないところは人が多いし、お金のかかるところにはお金がなくていけそうにもない。

結局のところ、お金がなくて人ごみが避けたければ、近所をうろつくのが一番ということになる。

子どもも大きくなり、「どこかへ連れて行け」とうるさく言わなくなったし、むしろ友達と遊ぶことが多くなったので、連休前に「この予算でどこへ連れて行けば子どもが喜ぶのか・・」なんて頭を抱えることからは解放された。

そうは言っても、年に一度のゴールデンウィーク。
やはり「もったいない」という気持ちからは解放されない。

2012年5月5日(土) 中ノ島祭り

一年ぶりの中ノ島まつりへ。

駅の出口付近までくるだけで、何かの食べ物のにおいがしてくる。
お祭りの雰囲気漂うイベント会場近くが待ち合わせ場所。

イベント会場ではいろいろな団体が歌や踊りを披露している。
友人家族とその近くのベンチでビールを飲みながら最近の出来事などを話す。

ビールを5杯ほど飲んでからようやく露天商めぐりをする。

B級グルメや骨董品が立ち並び、その一軒一軒をのぞきながら歩く。

明るく暖かい日差しの中、たった3時間だったが、ゴールデンウィークを堪能した気分になった。

2012年5月6日(日) ダメダメ連休

連休最後の日。

結局、今年も遠出はしなかった。

それどころか外出したのもたったの半日だけ。

毎日、たっぷりのお酒を飲み家でゴロゴロして過ごした。

といっても本当にゴロゴロしているだけではなく、PTAや子ども会の仕事をこなしていた。

最終日には自治会の総会にも出席したし、相変わらずの休日を過ごした。

この感じだと、夏休みも同じように過ごしそうだ。

少し何かを変えたい。

2012年5月7日(月) 強くなるお母さんたち

近所に変なおばさんがいて、子どもの態度にめちゃくちゃ文句を言うらしい。
子どもの態度を注意するのならいいのだが、子どもに対して「あんたの親はあかん」とか「どんな育てられ方したんや」などという。

私はその現場を見たことはないのだが、我が家の次女も3年ほど前に言われたらしく、周りにいた次女の友達も一緒に聞いていたそうだ。

子どもが挨拶をしなかったことが原因らしいのだが、学校では見知らぬ人に声をかけられても話をしないようにしましょうといわれており、何も言い返せない小学生相手に一方的に母親を冒涜するような発言を繰り返すことは許しがたい。

嫁さんはそれ以外にもゴミの分別ができていないというまったく事実無根の疑いをかけられ、文句を言われたことがあり、次女の件があった直後にそのおばさんに抗議をしたので嫁さんに対しては何も言わないらしい。

しかし、先日、子ども会の班長さんが同じように文句を言われたと嫁さんから聞いた。

「ほら、この前、○○さん(班長さん)があの例のおばちゃんに文句言われた、って話したやん」
「ああ、うんうん」
「ほんでな、私『びしっと言うたったらええねん。あのおばちゃん、おとなしい人にしか言わへんから』ってアドバイスしてん」
「へー。でも○○さん、よう言い返さへんかったやろ・・・」
「いや、それがな、あまりにしつこいもんやから『あなた何様のつもりですか!!』って思いっきり言い返したんやて」
「ほへー。意外やなー」

いや、たぶん、嫁さんと知り合わなければ、おとなしいままの班長さんだったと思うのだが、何かしら嫁さんに感化されたのだろう。

この町内のお母さんたちがどんどん強くなっていく気がする。

2012年5月8日(火) 二度手間の見積もり

今日は、時間があれば、高校へ行って後援会総会の案内資料を仕分けする作業の手伝いをする予定にしていたが、昨日は外出先で打ち合わせをしており、見積もり作業などの結構な仕事が残っていたので、朝から忙しかった。

本来ならゴールデンウィーク前に提出した見積もりで完了していたはずだったのだが、客先の要件が変わって、見積もりの変更となったのだ。

よくあることなのだが、値段を見てから「じゃあ、これくらいの規模で見積もってほしい」と言ってくる。

最初から「これぐらいの予算内で」と言ってくれればそれにあわせて見積もりを作成するのに、二度手間である。

それも、「今日中にお願いします」という。

一度見積もった内容を変更するだけだからそれほど手間もかからない思っているのかもしれない。

無論、そんなに簡単なものではない。
単純に個数を減らすだけなら、Excelの数字を変えるだけだが、ことはそんなに単純ではない。

結局、仕上がったのは日付が変わる前。

連休明けで本調子ではないだけに、かなり疲れた。

2012年5月9日(水) 地震と竜巻と

6日につくば市で発生したのはどうやら竜巻らしい。

竜巻といえば遠い国で起きるものだと思っていたが、近年になって日本でも発生したというニュースをよく耳にするようになった。

竜巻はいつどこで起きてもおかしくないらしいが、それでもやはり、地震と違って、どこか遠い場所で起こっていることのように感じてしまい、私の住んでいる町で竜巻が起こるさまを想像することは難しい。

「三匹の子豚」の話の中に登場する、3番目の子豚の家が狼に壊されなかったのはレンガ造りだったから。

けれどそれは狼がその家を「吹き飛ばそう」としていたからであって、もし、狼が家を「揺らして」いたら、たぶん残ったのは2番目の木造の家だろう。

レンガ造りの家が地震に弱いのはメディアで伝えられる惨状を見れば明らかだ。

地震の多い国だからと、昔から木造家屋が中心だったのに、そこへ持ってきて竜巻となるとどうすればいいのか。

これから先、日本で三匹の子豚の話ができたなら、3番目の子豚が住む家は「鉄筋コンクリート製免震住宅」なのかもしれない。

2012年5月10日(木) 人権

「人権」と聞くとその言葉の本来の意味はともかく、私にはどうしても暗いイメージが浮かんでくる。
それはたぶん、小学校の授業のせいだ。木曜日の6時間目にあった「道徳」の。

「国語」「算数」「理科」「社会」、それから「音楽」「体育」「図画工作」。

それぞれに特徴があってどういうものかわかりやすい。
テストだってどういうことをするのか容易に見当が付く。

漢字が書ければ○がもらえ、高い跳び箱を飛べば褒められた。
縦笛の練習をして、計算ドリルをこなした。

そのなかにあって「道徳」は何を学ぶものかわからなかった。

「差別」などの悲しい話を聞かされるだけで、何かをして○がもらえるわけでもなければ、何かをして褒められるわけでもない。
ただただ、「どうしてそんな話をするんだろうか」と思いながら、暗く悲しく後味の悪い話だけを聞かされた。

僕らはみんな友達だった。
どこに住んでいようが、親がどこの国だろうが、そんなことは関係なく、お互いの家を行き来していた。

けれど、道徳の時間を通して「差別」の存在を知り、「みんな人権があるんだ。差別はよくない」と教えられると、かえってその考えが余計な邪魔をし、友達との間に変な遠慮が生まれたり、次第に疎遠になったりした。

障がいをもった子どもに対しても、当時は「この子はこういう子なんだ」と、一つの個性としてまったく違和感なく、普通に受け入れていたのに、それを「障がい」と教えられ、「差別はいけない。みんな人権があるんだ」と言われることによって、その子はいつのまにか特別な存在となってしまい、今までのように「普通」に接することができなくなった。


まったく「人権」と言う言葉に罪はないし、それに対して何らかの感情がわく私のほうがどうかしているのは十分承知しているが、「人権」と言う言葉を聞くと、どうしてもそんな過去を思い出す。

2012年5月11日(金) 道を歩きながら

道を歩きながら考え事をしていて、ふと後悔することがある。

「あのときの私の言葉は、その人を傷つけたのではないか」

相手からそういわれたからでもなく、また周りの人から注意されたものでもない。
話をしていたときの相手の反応で感じたものではないし、その場の雰囲気が悪くなったわけでもない。

ただなんとなく「もっと的確な言い方があったんじゃないか」「配慮が欠けていたんじゃないか」と自責することがある。

そう思い始めると次から次へと後悔の念が押し寄せる。

そしてそれを打ち消すかのように何かをつぶやく。
音楽でもいいし、詩でもいいし、仕事のことでも、独り言でも、とにかく、頭の中に言葉が浮かばないように、小さくてもいいから声に出し、そして何とか自責の念から逃れるのである。

そして「考えすぎ」と自分に言い聞かせ、再び歩き出すのだ。

2012年5月12日(土) 頭の痛いバス旅行

子ども会でバス旅行をしようという話が出ている。

それはとてもいいアイデアではあるのだが、何しろ先立つものがない。

行き先は確定していないが、バス代、高速道路代、駐車場代など、バスに関連する費用だけで、一人当たりの参加費は最低で2000円になる。
参加者が少なければ少ないほど一人当たりの負担は大きくなるので、定員ぎりぎりまで人を集める必要がある。

ならば行き先は魅力のある場所で、人を集めなければならないが、「魅力のある場所=お金がかかる」が世の常。

しかも、子どもの参加費用はすべて子ども会が負担するので、あまり高い場所だと今後の子ども会のイベントができなくなる。

大人も参加できてお手軽な金額で、それでいてバスで行くようなところ。

うーん。
頭の痛い問題だ。

2012年5月13日(日) あーもう!の説明

「キックベースボール」と言うスポーツがある。

地方によって細かなルールが違うのはもちろん、置いてあるボールを蹴るのか、転がしたボールを蹴るのかなど、見た目に大きな違いもあるが、バットでボールを打つ代わりに、足でボールを蹴飛ばして塁を進め、ホームに帰ってきた得点を競うスポーツは野球と同じだ。

毎年一回、そのスポーツの指導者向けの講習会を行う。

指導者向けなので講習を受けるのは「指導者」、つまり子ども会の保護者であり、ほとんどがお母さんたちだ。

しかも、順番に「子ども会役員」になるところがほとんどなので、キックベースを知らない人も多い。

なのに、講習会の講師は「戦術」の説明をする。

「この場合は3塁方向にけらなければなりません。なぜなら、1塁から一番遠くて、セーフになる確率が高くなるからです」

講師にそういわれると「そうするのがルール」と勘違いする人もいて、そのたびに私が訂正する。

説明を聞いていると「そこは誤解を与えないようにうまくいわないと。あーもう!」や「今の質問の意味はそうじゃないやん。あーもう!」など、「あーもう!」と思い続けストレスがたまる。

私ならもっとわかりやすく説明できるのだが、一度やってしまうと、これからはずっと私がやることになる。

やはり来年も「あーもう!」になるのだろうか。

2012年5月14日(月) 外国人の理由

仕事場があるのオフィス街は高層ビルが立ち並び、近くにお城もあるためか、観光客や修学旅行生も多い。
当然、海外からの観光客も多いのだが、だぜか東南アジアの特定の国と思しき人たちを特によく見かける。
ほとんど毎日数名を見かけるから他の国のひつに比べてかなり多い。

その国の人たちがこの街を特に好む理由がわからない。
いったいこのあたりの何を見に来ているのだろうか。
長い間それを考えていたが、あることに気がついた。

その外国人をよく見かけるビルがある。
ビルの中には食事をするところがあるので、そこで食事をしているのかと思ったが、店が営業開始前にも多く見かけるし、第一、食事をしている外国人に出会ったことはない。
唯一見かけるのは世界的なハンバーガーチェーン店だけだ。

ある日、ふとエレベーターホールにあるフロア案内を見て納得した。

「○○領事館」

このビルにはその国の領事館があったのだ。

海外旅行の経験がないので、領事館にお世話になったことはないが、こんなに毎日、入れ替わり立ち代り人が訪れてくるようなところなのだろうか。

それともお国柄か。

いずれにせよ、この国に来た外国の人たちが何かに困って領事館に駆け込んでいるのでないことを願いたい。

2012年5月15日(火) 「人それぞれ」

頑固者の私はあまり「引く」と言うことをしないので議論などになると非常に煙たがられる傾向がある。
それでも最近は「大人」になってきたので、「引く」と言うテクニックも身につけてきたように思う。

それでもやはり、カチンと来ることがある。
それは議論をしている最中に「まあ、人それぞれやからな」の一言で片付けるやつが出てきたときだ。

いや、確かに人には個性というものがあって、それぞれ違うのは当たり前のことであり、最終的にどうしても折り合いがつかないというところは出てきて当然のことだ。

しかしそれでも、なんとかお互いが軟着陸できる場所を探すために議論するのであって、そこにこそ話し合いの意味があるにもかかわらず、私が折れないと見るや否や、もうこれ以上の議論は「面倒」とばかりに「まあ、人それぞれ」の最終兵器を出されると精一杯の作り笑顔で、「そうですね」などと言いながら、「もうお前とは議論するか!」と腹の中では思っている。

まあ、これがお客さんに提出するドキュメントなどに関しての議論であれば熱くなる価値があるが、ほとんどの場合「目玉焼きにはソースか、しょうゆか」のようにくだらない議論なので、熱くなりすぎたことを「あほらし」と後で思うこともしばしばである。

2012年5月16日(水) 放置プレイ

「いやぁ、前からお客さんから言われてたんだけどね。
 まあ正直、『放置プレイ』だったんですよ」

打ち合わせの席で相手にそう言われてびっくりした。

放置プレイは「プレイ」であって、放置することやされることを喜んでいるわけだから、この人はお客さんに言われたことを何もしないでほったらかしにして喜んでいたのか、と。

もちろんその言葉をそこまで考えて使っているわけではないだろうし、そんなつもりも毛頭ないことはわかっているが。

私だって、例えば会話の中で相手がボケたのにツッコミもしないでほったらかしにしているさまを「放置プレイ」などと口にすることもある。

そこで、気軽に使っている「放置プレイ」という言葉の使用が社会通念上、どこまで許されるのか、まずはその意味をウィキペディアで調べてみた。

「放置プレイは、性プレイの一種である」

のっけからアウトだった。

2012年5月17日(木) さすが公務員

先日、市長と面談をしてきた。

別に陳情に行ったわけではないのでざっくばらんに話をしただけなのだが、そのときの同じ部署の部下と思われる人たちの市長に対する平身低頭振りに驚いた。

確かに会社で言えば社長に当たる人なので部下の人が「ははーっ」っとかしこまるのはわかるが、訪問したこちらがいわば「お客」なのに、役所の人間が気を使っているのは市長のほうばかりである。

さすが公務員。
会社では考えられないことだ。

と、言いつつ、そういえば、私の周りにも、自社の上司の顔色を伺いながら客と面談する人もいたなあ、と思い出した。

その点、人の顔色を気にすることなく、自由に仕事をさせていただいている私はつくづく幸せ者だと思う。

2012年5月18日(金) パソコンを知らないからできること

今まで、メールは多くても1日に10通程度、平均では2〜3通だったのに、会長を引き継いでからと言うもの、ほぼ毎日、20〜30通のメールが届く。
しかもその多くがすぐに返事を必要とされるものなので、学生のように始終携帯電話を弄くっている。

キーボードでの入力なら得意だが、ケータイのボタンで入力するのは、わずらわしいことこの上ない。

世の奥様や学生が苦もなくケータイのメールを入力できるのはおそらく、パソコンでの入力の快適さ知らないからではないだろうか。

一度便利さを知ってしまうと、不便さと言うのがいかに苦痛なものであるのか、身にしみて実感できる一例だと思う。

2012年5月19日(土) むくんだ顔

朝、起きると顔がむくんでいる。
飲みすぎた翌朝は決まってこうなる。

それでも昨日は二次会には行かず、いつもより早く帰宅したのだから、まだ幾分、ましなほうだろう。
休日なので家族はみなのんびりしており、私だけがあわただしく、身支度を整えて家を出た。

学校関係の定例の会議に出席するためだ。

学校近くの喫茶店でモーニングでも食べようと思ったが、喫茶店がないことに途中で気づき、止む無く駅のコンビニで缶コーヒーとサンドイッチを購入し、ホームのベンチに腰掛けて食べた。

定例会議では「顔がむくんでいる」というあいさつをし、午前中に定例会議を終えて昼食を取り、少し家で休憩をしたら今度は後援会を務める高校へと向かった。

総会をこなして夜は懇親会。

懇親会でもいつものように明るいお酒を飲む。

翌朝、顔がむくんでしまうことも忘れて。

2012年5月20日(日) 楽しい週末とは

二日続けての飲み会はさすがにしんどい。
今朝はゆっくり寝ていたかったが朝から子ども会の用事もあってそうも行かない。

思い体を持ち上げて家を出る。
いつのもセンターへ出かけるといつのもメンバーがいる。

今日は子ども相手の行事ではないので、気を遣うこともなければ体を動かすこともない。
メンバーと雑談をしながら仕事をこなしていると、いつの間にか疲れもどこかへ消えた。

昼過ぎになって自宅に戻り、そういえ朝からろくに食事もしていなかったことを思い出し、サラダうどんを作ってビールと一緒に食べた。

私の休日も後わずか。

けれど楽しい週末だった。

2012年5月21日(月) 金環食

日本中が騒いだ「金環日食」。

朝、うす曇の中を外に飛び出した次女が、大きな声で「見えた!」と叫んでいるので私も思わず、外へ出た。

半信半疑だったが、建物と建物の隙間から、雲間に見え隠れする、いつもと違う太陽が見えた。

丁度、お鍋に落し蓋をして、そのふたの脇から沸き立つあぶくのように、太陽の輪が見えた。

曇と太陽の光は白黒写真のようで、流れる雲が妙に際立って見えた。

「おとうさん」と呼ぶ次女の声で下を見ると、両手を挙げてハイタッチを求めていた。

「パシーン」といつものようにハイタッチをする。

一緒に一度見えるか見えないかの感動の場面。

次女はこの日のことをいつまで覚えていてくれるだろうか。

2012年5月22日(火) チャットワークの使い道

仕事で使い始めた「チャットワーク」と言うツールは文字通りチャット機能を含んだツールだが、結局チャット機能しか使用していない。

それに「仕事で使い始めた」といっても普段はもっぱら雑談で使っており、相変わらず馬鹿な話ばかりしている。

けれどこの仕事の合間の馬鹿な話が、例えば嫁さんとの会話につながったり、どこかで話をするときのネタになったりする。

ただ、仕事のアイデアを考えるより、相手をいかにして笑わせるかに没頭してしまうこともあり、使いすぎには注意、だ。

2012年5月23日(水) 思いがけない忙しさ

協議会の会長になったとたんに、いくつもの外部会議への参加養成が連続して飛び込んできた。

「人権協会」「保健会」「母親代表委員会」「社会を明るくする運動」などなど。

正直、協議会の会長は単位会長ほどの忙しさはないだろうと思っていただけに意外な展開だ。

これはちょっと、前会長にしてやられたのかもしれない。

嬉しそうに「くくく」と笑っている前会長の顔が目に浮かぶ。

今度、飲みに行ったときは多めに支払わせてやる。

2012年5月24日(木) 3年目の養成講座

先日、ジュニアリーダー養成講座の開講式があり、次女も3年連続の参加となった。
参加資格は5年生からで、3年の受講で「認定書」が与えられる。

残念なことではあるが殆どの子どもが1年目でやめてしまう。
楽しくゲームばかりをやっているわけではなく、ジュニアと言う名がつくものの「リーダー養成」なのだから課題を与えられてクリアしていくことが求められる。
大人からしてみればどれも面白いカリキュラムなのだが、小学生にとってはそうでもないらしい。

また、6年生まで続けた子どもも、中学生になると部活などに時間をとられるため、殆どのイベントに参加できなくなり、結果、修了を認定されないことが多い。

今年は次女の友達二人も一緒に3年目に突入し、また私の町内からも3人の5年生が新たに参加してくれたので顔見知りが増えた。

果たして、中学生の次女はリーダーに近づいているのか。
そして新たな3人のどれだけお手本になれるのか。

その結果は一年後の、今の5年生に聞いてみればわかるかもしれない。

2012年5月25日(金) 協議会会長の会議

市の協議会の会長になると、今度は各市の協議会会長が集まる会議に出席しなければならない。

その第一回目の会議が開催されて出席した。

自己紹介やら今後の予定やらお決まりの話をするのだが、さすが協議会の会長ともなると、私の影が薄くなるほどに、みんな話がうまい。
というか、前に出ようとする気持ちが強いように思う。

私の市は学校数も多いほうではないので、多いところは私の市倍以上の学校数であり、その一つ一つの学校も大きいので、保護者の数はおそらく3倍以上になるのではないだろうか。

それを束ねているのだから、ある程度みんなを引っ張っていく強さが必要であり、それが表に出てきているのだと思う。

みんなそれぞれに色濃いメンバーであり、私も負けていられない。

来年、私はその団体の長になる可能性もあり、癖のあるメンバーをまとめる技量がもっともっと必要だ。

2012年5月26日(土) コーラス部

近くの小学校のPTA会長から「うちのコーラス部が初めて舞台に立つので見に来てほしい」と言われ見に行くことにした。

場所は市内にある小ホール。
小さなホールだが施設としては立派で、ここの舞台に立つというと市内の人なら「へー。すごい」と感心するに違いない。

受付を済まして中に入ると思ったよりも人が多い。

会場が暗くなり舞台が始まった。

コーラス部員がお揃いの衣装を着て整列して舞台に立つ。
明らかに「卒業」したお母さんもいるが現役の保護者も結構いるようで、知人も何人かいた。

ホール内に美しい歌声が響き渡る。

一時間程度のコンサートはあっという間に終わり、最後の曲を終えると感極まって泣き出す部員もいた。

どれだけ練習をしてきたことだろうか。

大人になってもこうやって練習を積み重ねている人はすばらしいと思う。

私は心からの拍手を送った。

2012年5月27日(日) パンクロッカーの貢献

市内で開催される会議の名称もさまざまで、名称からその内容がわかりやすいのは、例ば「学校給食献立委員会」。
給食の献立を検討する以外に何を検討するのか、という名称だ。

それ以外に「教科書選定委員会」などがあり、こちらもそのものずばり、学校で使う教科書を選定する以外に、何を検討するというのか。

逆に、よくわからないものもある。

「社会を明るくする運動検討委員会」。

例え洒落でも「大型の照明器具を設置します」というのならまだわかるが、そんな物理的な話ではないのは明らかである。

けれどそうなると、実際に何をするのかがよくわからない。

で、決まったのが「今年もティッシュを配ります」。

ティッシュの配布で社会が明るくなるなら、ターミナル駅周辺でティッシュを配っている唇にピアスをした顔色の悪いパンクロッカーの社会への貢献度はすさまじいものだ。

2012年5月28日(月) 「らしくない」のが「らしい」

先日のコーラス部のコンサートに誘われた時は別に来賓でもないので、気軽な服装で参加した。

会場にはなじみの顔も多かったが、軽く挨拶をする程度で、舞台中央の見やすいところへ一人で座った。
途中、その学校のPTA役員が「あちらに来賓席がありますけど」と案内してくれたが、動くのも面倒なので「ここでいいです」と答えた。
別に来賓ではないので、どこに座ってもかまわないし、むしろスーツでもないのに来賓席に座っていると違和感があるだろう。

やがて幕があがり、司会が出てきて感謝の言葉を述べる。
PTA会長の挨拶に引き続き、場内アナウンスで来賓紹介が始まる。

来賓席に座っている教育委員会の人たちが紹介される。

と、次の瞬間、私の役職名が場内アナウンスで流れた。
「え?」と思っていると「○○(私)様でございます」という。

おいおい。
今日は来賓じゃないのに。

そう思いながら立ち上がり、振り向いて一礼をする。

一言来賓として出席をお願いします、といってくれればよかったのに、と思いながら、ま、これはこれで私らしくていいかも、とも思った。

2012年5月29日(火) 相撲大会

市内にある大きな公園の一角に土俵があって、そこをつかって子どもの相撲大会が開催された。


話には聞いていたけれど、実際にその土俵を見たのは初めてだ。

ほとんどの子どもは体操服に簡易的なまわしをつけているだけだが、中には本格的な「まわし」姿の「猛者」も何人かいて、見るからに強そうで、四股を踏む姿も様になっていて、かっこいい。

後で知ったことだが、その子どもたちは「相撲クラブ」に通っているらしい。
大学の相撲部出身か、それとも元力士か、審判員の中にひときわ体の大きな人がいたが、その人が指導をしているという。

知り合いの子どもがそのクラブからスカウトされていた。
体格には恵まれており本人も相撲が好きなようなので、もっと強くなるだろう。

どの取り組みも、子どもは真剣で、見ているこちらも力が入った。
中には「相撲」とは言いがたい「腕だけの組合い」も結構あったが、大人なら見苦しくなるような組合いも、子どもらしくて安心してみることができた。

朝から夕方までかなり長丁場だったが、来年もまた都合が付けば是非みたいと思った。

2012年5月30日(水) 自転車に乗って

いつもなら車で行く距離の会議場所まで、自転車に乗っていくことにした。

別に車の調子が悪いわけでもないが、自転車をこぐには丁度気持ちのいい気温だったし、やはり運動をしていないので少しは体を動かそうと思ったからだ。

「え?自転車できたん?」と会議に出席しているメンバーに驚かれる。

「運動不足やからと思って乗ってきたんやろ」

まさに図星である。

長い付き合いなので言いたい放題だが、それが彼女の持ち味でもある。

いつものように会議は面白おかしく進んだ。
帰りの自転車の足取りも軽い。

来月もまた同じように自転車で来るだろう。

2012年5月31日(木) 忙しい季節

忙しくてあっという間に終わってしまった5月。

嫁さんもその忙しさにあきれており、「単位の会長辞めたから少しは暇になるかと思っていたのに、前より忙しいやん!」と、私の体を心配して嫁さんが嘆く。

私自身も、少しは覚悟していたが、思っていたよりも5月は忙しかった。

立場上、さまざまな外部団体の委員をおおせつかっていることが多く、この季節はその団体の総会が立て続けに開催されるからだ。

正直、単位の会長を兼任していたら大変なことになっていただろう。

とにもかくにも、一番忙しい季節を乗り切ったのではないだろうか。

イベントはまだまだ盛りだくさんではあるが、それは各担当の会長さんにお任せできる部分もあるので、みんなが疲れないように、楽しい空気を作っていこうと思う。

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