カリント日記

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2012年9月1日(土) 旧役員と飲み会

昨日、久しぶりにPTAの旧役員と飲み会をした。

以前から飲み会をしたいとは思っていたが私自身のタイミングが合わず、また、みんなの予定を調整したり、場所を確保したりするのが少々面倒でもあったので、なかなか開催できないでいた。

けれどよくよく考えれば、今までの飲み会だって当日の会議の後、急に飲みに行くこともあったし、少人数なら飛込みで店に入っても問題はないだろうから、別に構えて予定を立てる必要もない。

何より「飲み会楽しみにしてます」と催促の連絡があったのをきっかけに一気に話を進めた。

私から一方的に「じゃあ、明日の夜。場所はどこどこで」とメールを送ったが全員OKの返事が返ってきた。

決して暇ではないのだが、こういうフットワークの軽さが好きだ。

できれば毎月、こうやって飲み会をしたいと思う。

2012年9月2日(日) ベースもお疲れ

今日はキックベースの大会があり、私も朝から大忙し。

テントの設営、コートのライン引き、そして主審。

時折雲が広がり、一時的に雨も降るような天候ではあったが、まだ夏の日差しがあり、全体的にはとても暑く、熱射病に注意しながらの進行であった。

主審としてのできは今までで一番よかったように思うが、それは何より大会前に練習試合に参加して主審を務めたからに他ならない。

そのときの経験が大いに役立った。

そして試合が終わったときに必ず心がけていること。
それは両チームの選手と監督さんへの労いと励ましの言葉をかけること。

「年々上手くなっていますね」
「とてもよい雰囲気でプレーできていると思います」
「子どももよく声が出ていました」
「他人のプレーを褒めることができるのはすばらしいことだと思います」

そういうと恐縮する監督さんもいれば「もっと言ってあげて!」と嬉しそうな顔をする監督さんもいる。

疲れた体がそんな顔と声を聞くと、少し元気が出てくる。

夕方、ラインを綺麗に消して撤収し、最後に活動センターで荷物を片付ける。

一日中、子どもたちに踏まれて泥まみれになったベースを洗って干す。

並んだベースに向かって思わず声をかける。

「今日も一日お疲れさん」

2012年9月3日(月) コンビニにも知り合い

いつものように仕事帰りにコンビニへ立ち寄ってビールを買う。

レジのアルバイト店員はよく変わるが、ほとんど毎日、ここに立ち寄っているので顔見知りもいる。

けれどそれはあくまで店員とお客であって「顔見知り」という以外、お互いにそれ以上の情報は知らない。

しかし今日は違っていた。

古参の女性店員が、いつものようにバーコードを読み取り、商品を袋につめているとき「市子連の役員さんなんですか?」と尋ねてきた。

「え?そ、そうですけど」

意外な質問に驚いて少し戸惑っていると「昨日のキックベース大会でお見かけして」という。

聞くと、子ども会をやっており、先日の試合に出場する子どもたちを引率して会場に来たとき、役員だった私を見かけたらしい。

私が子ども会やPTAをやっていることを知っている人は少なくないが、でもそれは同じ地域の子ども会の保護者であったり、あるいは同じ学校の保護者であったり、あるいは同じ自治会のひとであったりと、何かしらその組織を通じて共通のつながりがあるのだが、今日の女性とはコンビニの客と店員という接点しかない。

そういう接点しかない人に知られているのは、実はとても意外なことなのだ。

そのことに今日、改めて気がついた。

2012年9月4日(火) 常にゲームが

最近は夕食を終えて空き時間ができるとテレビゲームをしていることが多い。

見たい番組があるときは、ニ画面にして番組の音声を聴きながらゲームをしている。

けれど、その方法では録画を同時に行うことができず、録画をする場合はゲームだけの画面にするか、見たいテレビ番組を見ることになる。

今までならゲームを止めてテレビを優先していたが、今回のゲームはある程度時間に制限があるため、区切りのよいところでやめるタイミングを逃してしまうと、とてもやめにくい。

そのゲームを私だけではなく長女もやるものだから、常にゲームがテレビに映し出されていることになる。

なんだかとても不健康な気分だ。

ゲームをしているので録画した番組を見る時間も削られる。

休日はまたテレビの前に一日座っていそうな予感がする。

2012年9月5日(水) ベトベトの理由

数回行った飲み屋の床はとてもベトベトしており、最初は「何かをこぼしてそのままにしているのだろう」と思っていた。

料金も安くサービスもそれほどではないので、そういうところに手を抜いているのかとも考えた。

それにしてもベトベトがひどい。
入り口を入ってから座席の下までベトベト。

先日、人数の関係でとなりのテーブルを移動させようとして、店員と一緒にテーブルを持ち上げたらベトベトで持ち上がらず、力を入れて持ち上げると、「ベリベリベリ」と粘着テープをはがすような音がした。

これはさすがに何かをこぼしたのではないなと思っていると「それにしても滑り止めがすごいな」と誰かが言った。

なるほど。
考えてみれば当たり前のことだが、それにしてもこれほどベトベトの滑り止めをしている店を他に知らない。

何気なく店内の張り紙を見てわかったような気がした。

「お子様を走らせないでください」

そういう張り紙が要所要所に貼り付けてある。

おそらく以前、この店の中で子どもが転倒するという事故があったに違いない。
それもかなり問題になって、店側は止む無くこれほどの滑り止めを塗る処置を講じることになったのだろう。

決して上品ではない場所柄から、そのときの状況が目に浮かぶ。

掃除を怠けている店と思った自分が恥ずかしかった。

2012年9月6日(木) プレゼン会議なのに

毎朝、ほとんど同じ時刻に仕事を開始することに慣れていると、1時間早く仕事を始めるというのはなかなかつらいものだ。

それも早朝からプロジェクト会議をするというので、前日のうちに準備をし、朝もつらい体に気合を入れて会議に臨んだ。

プロジェクトの各メンバーがそろって次回のプレゼンに備えた話をする。

そう聞いていた。

けれどふたを開けてみると、そろっているのは営業グループと私のグループだけで、プロジェクトメンバーの大半がそこにいない。

さらに、プレゼンに備えた話といいつつ、営業グループのお金の話ばかりで、一向にプレゼンに関しての討議が始まらない。

結局1時間ほどの会議はお金の話に終始して、プレゼンの話はまったくなかった。

朝からつまらない会議に出席すると、その日一日テンションが上がらない。

2012年9月7日(金) お茶の一つも

何かの行事をするときにはいろんな組織の人が協力して事に当たる。
ほとんどの場合、その組織のメンバーは輪番で対応することになっており、当番の人に作業をお願いすることが多い。

作業を願いすると例え無償であってもほとんどの人が快く対応してくれて、特に問題も発生しない。

しかし、中には「お茶の一つも出ない」と文句を言う人もいる。
しかも、面と向かって文句を言ってくれれば対処のしようもあるが、ほとんどの場合、影で文句を言っているだけで、主催者側は後になってその事実を知ることも少なくないから始末に終えない。

その点、うちの嫁さんときたら、人手が不足しているとわかると「手伝おうか?」と声をかけてくれて、そして人一倍動き、さらに「お茶をどうぞ」とペットボトルを一本差し出されると「私は勝手にやっていることなので、私の分はいらないですから、他の当番の人に渡してください」と断る。

嫁さんと同じような人にはそうそうお目にかかれないが、せめて「お茶の一つも」という文句は正々堂々と言ってほしいものだ。

2012年9月8日(土) 呼び込みの効果

恒例となった高校のバザーの手伝いをした。

会計や商品管理はお母さんたちに任せて、私はもっぱら、呼び込みである。

バザー会場は校舎内の教室であり、入り口の前は当然長い廊下になっている。
その廊下に立って、端まで聞こえるような大きな声で呼び込みをする。

「いらっしゃいませーーー!
 ただいまこちらでバザーを開催しておりまーーーす!
 お気軽にお立ち寄りくださーーーい!」

普段、街角で見かける呼び込みだが、実際やってみるとその効果がよくわかる。

静かな会場にはなかなか足を踏み入れにくいが、にぎやかだと警戒心が薄れるのか、気軽に入ってもらえる。
人の少ない店には入店しにくいが、人が多いと、入店しやすいのと同じだろう。

人が少ないと、その分、自分が注目される。
買う気もないのに注目されるのはなんだか申し訳ないような気がして落ち着かない。
だから明確に買うという意思がないときは、他にお客のいない店には入りづらい。
買うかどうかわからない状態で気軽に入れる店というのは、他にもたくさんお客のいる店だ。

その人の少なさをカバーするのが呼び込みに声なんだと思う。

呼び込みをすれば、入りやすいと感じるのか、人が自然な流れで入っていくが、呼び込みをしていないと「入っていいのかな?」と戸惑いを見せる人も何人かいた。

呼び込みをしてある程度人が増えれば、後は放っておいても人が入ってくる。
にぎやかな会場には、集客する効果がある。

それを感じてやってみると、呼び込みもなかなか面白いものだ。

2012年9月9日(日) SF映画が好き

基本的に映画は好きで、映画館にはあまり行かなくても、録画してよく見る。

今日は朝から予定のない一日だったので、ビールを飲みながら映画を見た。

そのうちの一つはSF映画で、私が最も好きなジャンルの映画だ。

「近未来」とか「星」とか「未知」とかそういうキーワードが出てくると、とりあえず見たくなる。

ストーリーももちろん興味があるのだが、実際には目にすることのない、仮想の景色が画面に映し出されると思わず見入ってしまう。

この前の映画では、遠く地平線を見上げると、大きな惑星が3つほど浮かんでいた。

「あれだけ大きいと、潮の干満の差は相当やな」
「あの距離であの大きさってことは、どんな軌道で動くんやろ」

そんなことを考える。

たいていの場合は「現実的にありえない」光景なのだが、中には、「これはあっても不思議じゃないな」と感じさせるものもあり、そういうものに出くわすと、妙に嬉しくなって、ただそれだけを理由にその映画を好きになったりする。

そうやって空想することは小さいころから私の得意分野であり、私の心の大半を形成してきた要素でもある。

2012年9月10日(月) 雨の日の出迎え

駅を降りると土砂降りだった。

自宅まで走れば1分もかからないが、この雨の中を帰る気にはなれず、迎えにきてもらうことにした。

嫁さんのケータイに電話をするといつもの明るい声が返ってきた。

「今、家にいてる?」
「うん。何?」

家にはいるようだが少しあわてているような声だ。

「駅まで傘持ってきて」
「うそーん」

意外な答えだ。

うそではなく、事実、駅にいるのだからわざわざ電話しているのに。

「え?」
「今からバレー行くところやねん」

嫁さんがバレーをやる理由を知っているので、咎めもせず電話を切った。

そして長女がいるであろう、自宅に電話おかけ直すと、すぐに長女が電話に出た。
おそらく、嫁さんが家を出る間際に長女に伝言したのだろう。
二つ返事で長女が迎えに来てくれるという。

二つ返事の割には少し時間がかかり、そうしているうちに十分に小降りになった。
いつもなら歩いてでも帰れる程度の小雨だが、せっかく、長女が傘を持ってくるというのだからそのまま待つことにした。

やがて傘を持った長女がやってきた。

「ありがとう」
「おかえり」

「これぐらいやったら、傘、いらんかったな」
「ほんまやな」

そんな他愛もない会話をしながら家に帰る。

オレンジ色の門灯はそのときの私の心のようだった。

2012年9月11日(火) 政党活動はどうなの?

自治会の会議に遅れて参加し、机の上に配布された資料に目を通す。

後日開催される体育祭の準備物一覧で会長が「用意する」と言ったものだ。

ちゃんとパソコンで作成されており、パソコンのできない会長だから誰かに頼んで作ってもらったものだろう。

そんなことを考えながら、ふと横の班長さんの資料を見ると、私のところには置いていない資料がいくつかあった。

別段困らないので、資料を求めはしなかったが、何気なくその資料を見ると、ある政党の名前が目に付いた。

ばたばたしていて気がつかなかったが、その自治会の会議に、普段はいないはずの議員がいた。

もちろん、その政党の議員だ。

なんの宣伝かは知らないが、自分の宣伝に自治会にやってくるなんて驚きだ。
そんなことが許されるなら、私も高校の宣伝をするぞ、と心に思った。

自宅に戻ってその話をすると、案の定嫁さんは「私がおったら、『この資料は何ですか?こんなことしていいんですか?』って突っ込むわ」と言っていた。

さすが嫁さん。
その話を聞いて私も溜飲が下がった。

2012年9月12日(水) テイジ

最近、水曜日を「ノー残業デイ」として、定時退社を促進する会社が増えてきたように思う。

仕事先を訪問しても、出入り口付近に「今日はノー残業デイです。提示に退出しましょう」などと書かれたプレートが掲げられていることがある。

「定時」と「残業」。

私はこの文字をどう書くのかも知らないころからそれを聞きなれていた。

今から40年ぐらい前、私が小学校低学年のころだ。

「おとうさん、今日はテイジやで」

そういって朝出かけた父親は、まだ私が起きているころに帰ってきて、食事の後は6畳の部屋で遊んでくれた。

逆に「ザンギョウ」の日は私が寝てしまってから帰宅した父親は、4畳半の部屋で食事をしていた。

帰宅した父親が、二間しかない部屋のどちらにいるか、それが「テイジ」と「ザンギョウ」だった。

酒を飲んで帰ることはほとんどなく、家に帰ってくるとよく遊んでくれた私の父親は、周りからも「子煩悩」といわれていたようだ。

私はその「子煩悩」を少しは受け継いでいるのだろうか。

2012年9月13日(木) プレゼン後の喫茶店

「はあ。疲れましたねえ」
「ええ。疲れましたねえ」

客先でのプレゼンテーションの帰り、仕事仲間と一緒にコーヒー店でアイスコーヒーを飲みながら話をする。

「それにしても、いきなり時間配分決められて、話をしろって言われてもなかなか難しいですわ」
「そうやねえ。普通は事前に打ち合わせするもんねえ」

今回のプレゼンの資料は、いくつかのチームが各々の担当箇所の資料を作成し、それを一組の資料としてまとめたもので、その担当箇所の作成者が客先に説明をする。

それぞれの発表者は自分が担当した資料とはいえ、ストーリーの展開やら、全体的な方針やらで、話の濃淡の付け所が異なってくる。

そう言ったことを事前に話し合うことで、より効果的なプレゼンができるのだが、そのあたりの調整がまったくなかったので、ぶっつけ本番、お客さんの反応や、そのときの流れを感じて濃淡をつけることになった。

そういう意味で、今までのプレゼンに比べて話した量は少ないものの、気を使うことが多く、疲れてしまったのだ。

アイスコーヒーの氷だけが残り「ズズズ」とストローで何度か吸い上げたころ、「それじゃ帰りますか」と重い腰を上げた。

2012年9月14日(金) 笑顔の多いチーム

目的と手段を履き違えることがある。

それは子ども会でも同じだ。

先日のキックベースボール大会の反省をしていると、レベルが低いとか、試合が長すぎるとか、目的と手段を履き違えているとしか思えない意見が相次いだ。

「もっと弱いチームのレベルを上げないと力量に差がありすぎる」
「試合が長すぎるので勝敗が決まった時点で打ち切るべきだ」

そういう人たちに今一度聞きたい。

目的は何だ?

試合に勝つための戦術を学ばせることか?
力の差があればそれで終わりということを学ばせることか?

他はどうか知らないが、少なくとも子ども会の目的は違うはずだ。

「スポーツを通しての子どもたちの健全育成」じゃないのか。

その手段が「キックベース」であって、キックベースそのものが目的ではない。

先日の試合では負けたチームがとても楽しそうだった。

試合が終わってそのチームの監督が選手に言った。

「おまえらすごいぞ! あのチーム相手に5点も取れたやないか!」

ぼろ負けの試合だったのに、負けたほうのチームに笑顔が多かったのはなぜだか、みんな考えてほしい。

2012年9月15日(土) 正しいことをしたければ

「正しいことがしたければ偉くなれ」

ドラマの中のセリフだ。

私はドラマのセリフを引用することは好きではないが、この言葉は時々使わせてもらっている。

それは既に私自身が体験したからだ。


先日の飲み会でのこと。
自分の意見が通らなかったことに対して不満を持つ新人のPTA会長が言った。
「あんなん絶対おかしいやん。こうするべきやわ」

その人の言う意見はおそらく正しい。
けれども慣例的に行われていることを変更することは容易ではないのだ。

それでも食い下がらない。
「絶対、おかしいって」
その人の考え方は、以前の私のようで、共感がもてるし、理解をしたいところだが、私の一存でどうにかなるものではない。
組織とはそういうものだ。

私が言う。
「それなら結果を出さないと。実績を残して、人に認めてもらわないと。一年やそこら会長やっただけで終わるんやったら、なんも変えられへんで。『正しいことをしたかったら偉くなれ』やで」

そういうと周りの人も「そのとおり!!」と賛同してくれた。

その人のやる気はそぎたくない。
何とかして、やる気と結果を残せるように仕向けたい。

2012年9月16日(日) 路地の眺め

市が開催する「美化運動」に参加して、ごみ拾いをしながら町を歩いた。
担当した区域は昔住んでいたところ。

結婚してすぐに購入した中古のマンション。
バブル全盛であり、私たちのようなお金を持っていない若造ではなく、お金を持っている人たちを相手にして不動産の売買が盛んだったころだ。

たまたま同い年の営業マンに出くわし、親身に話を聞いてくれたおかげで購入できた。

そこで3人の子どもが生まれた。

マンションの前は大きな幹線道路で車がひっきりなしに走っている。
マンションの横の狭い路地は車も入ってこず、子どもたちの遊び場であり、子どもが走り回っていた。

その狭い路地を抜けると商店街であり、角にはとてもおいしいすし屋があった。
一番おいしかったのは亭主が「秘伝」といっていた「ガリ」だ。

商店街にコンビニができたときは嬉しかった。
と言っても、コンビニでビールを買うほどのお金もないし、そもそも家で酒を飲むという習慣がなかったので、たまに子どもを連れて行きお菓子を買ってあげるぐらいだった。


そのすし屋もコンビニも今はもうない。
周りの古いビルは壊されて新しいマンションに生まれ変わっていた。

その商店街を清掃しながら、狭い路地の向こうを覗き見た。

相変わらず狭い路地。相変わらず電線だらけの空。
私たちの住んでいたマンションが、今でも変わらぬ姿でそこにあった。

2012年9月17日(月) 明けの明星

まだ夜明け前から仕事のために車で出かけた。

いつものようにFMラジオを聴いても喋っているのはなじみDJではなく、流れてくる音楽も趣味に合わない。

聴きなれたお気に入りの曲をサウンドコンテナから選択して流す。

早朝でしかも休日の道路はほとんど車もない。

時々すごい速度で走る車に道を譲りながら、のんびり、だけれどもストレスなく快適に走る。

現地に到着するころ、少し夜が明け始めた。

見上げれば東の空に「明けの明星」。

「よし。すぐに片付けて帰るぞ」と心の中で決心する。

そして1時間ちょっと。

朝日がまぶしい時間帯には既に車の中でお気に入りの曲の続きを聞いていた。

2012年9月18日(火) 本採用

仕事から帰宅した長男は、そのまま台所へ行き、「やっともらった」と嬉しそうな声で嫁さんに何か話をしていた。

しばらくすると私のところへ来て「ほら、これ。やっともらった」という。

「ほら、本採用の通知」といって社印の押された書類を私に見せた。

大学卒業をあきらめてから、仕事を探す日々が続いていた長男が、「会社が決まった」といって、スーツを着て毎朝仕事に出かけるようになったのは7月ごろ。

大学生のころとは違い、毎朝、起こさなくてもきっちり決まった時間に出かけるようになって3ヶ月。

仕事には面白くないところもあるようだが、この本採用で、またやる気が出るだろう。

スタートの方法は違っても、自分のやり方しだいで今後は変わる。

しばらくはどんどん吸収することに専念してほしい。

2012年9月19日(水) テーブルの位置で

一時期、最大3ヶ月の開きがあったこの日記。

つまり、6月に3月の日記を書いていた。

8月には8月当日の日記と5月の日記を平行して書き、5月の日記はすぐにアップロードして、8月の日記は当日の日付になってからアップロードしようと溜め込んでおいた。
結局、溜め込んでおいた8月分の日記は9月になって一気にアップロードすることになった。

そして、今日から新たにリアルタイムに毎日、日記を書くぞ、と決心した。

けれどいきなり、書き忘れて、結局この日記も一週間ほどおくれて書いている。

いつごろからそうなったのか考えると、おそらく私のパソコンの定位置がなくなってからのことだろう。

居間においてある食卓は本棚にくっついており、本棚の前には座れない。
けれど、以前はそこが私の定位置であり、私の前にはいつもパソコンが置かれていた。

寝る前にはそこで酒を飲みながらパソコンを触っていたのだが、数年前、地デジ対応のテレビを買ってから、家族と一緒にテレビを見ることが多くなり、全員がテレビを見やすいようにテーブルを移動したのがきっかけだと思う。

少しテーブルの置き方を変えてみたい。

2012年9月20日(木) 汚い店と恥ずかしい店

お客さんのところへ行くときは車を使うこともあれば電車を使うこともある。

一番よく行くお客さんの最寄り駅は、比較的大きな市の中心にある駅で、そこからは市内のあちらこちらに向けて何本ものバスが発着する。

バスターミナルはそこそこ大きく、外から見るとかなり立派な駅なのだが、なぜか改札を通り抜けたところにある、最も流行りそうな正面の駅ビルの商店街が、このあたりで最も閑散としている。

近くに大きな百貨店やショッピングモールがあり、そちらに人が流れてしまうというのも理由の一つだろうが、何にも勝る改札前という利便性を考えると人の数が少ないわけがない。

にもかかわらず、そこにあった書店も、美容室も、リラクゼーションマッサージの店も相次いで閉店してしまった。

今、残っているのは、すべてのシートがタバコのヤニで薄汚れており、おそらく満席になることはないから、といわんばかりに、客席に店の荷物を放置している喫茶店と、前を通るのが恥ずかしくなるような下着をマネキンに着せて飾っている、化粧の濃い初老の女性が主人らしい女性専門下着の店だけだ。

まあ、そこへ行ってみれば確かに人が少ないのもうなづける。
汚いシートに座るのは抵抗があるし、その喫茶店から丸見えの店で下着を買う女性はいないだろうし。

この2件はいつまで残っているか。

2012年9月21日(金) マナー向上は

秋の交通安全運動が始まったらしい。

駅周辺でイベントが開催され、ティッシュ配りもやった。

朝の通勤時間帯であり自転車や歩行者も多い中でのティッシュ配りは多少の危険が伴うため、ティッシュ配りをする人にはそこそこ年配の方もいて、中には交通安全の啓発にもかかわらず、自らその事故の当事者になりそうな人も何人かいた。

歩道の上なのに我が物顔の自転車にひかれそうになる。

そもそも自転車を運転する人への効果的な啓発運動がほとんどなく、「マナーを守りましょう」ではほとんど聞き入れてもらえない。

多くの人にとってマナーとは「自分が問題ないと判断すること」や「回りの大多数の人が同じようなことをしており、自分だけが違う行動をしないこと」であって、「規律を守ること」とは程遠い。

また、そういう人にとっての「人に迷惑をかけない」とは「自分が同じようなことをされたら嫌な思いはするが、取り立てて騒ぐほどではなく、甘受できる」ということに他ならず、自分を抑制してまで人のことを考えるようなことではない。

だから注意すれば「私だけと違うやん!」と文句を言い、「そんなん知らんわ」と開き直る。

マナー向上をこの町の人に期待するのは難しい。

2012年9月22日(土) 初めての秋分の日

秋分の日が「9月22日」となっているのは何年ぶりか。

調べてみたら1979年に「9月24日」とになってから、ずっと秋分の日は「9月23日」であり、9月22日が秋分の日となったのは実に116年ぶりのことらしく、「祝日」としての秋分の日は1948年に制定されてから初めてのことらしい。

秋分の日は、天文学の計算に従って制定されているため、毎年必ず「9月23日」になるとは限らず、23日から前後することは知っていたが、22日が秋分の日となることは初めてという事実は知らなかった。

子どものころから「秋分の日は変動する」ということを知っていたのは、まさに私が子どものころに「9月24日」になる日を経験したからに他ならないようだ。

ところがこの珍しい「22日」の秋分の日は、これからしばらく珍しくなくなるようだ。

計算によると、今後2044年まではうるう年の秋分の日は「9月22日」になるらしい。

逆に次に9月24日が秋分の日となるのは2103年だというから、それを経験するのは難しそうだ。

ようやく涼しくなってきたこのごろ。
秋分の日が過ぎ、これからは日に日に夜の時間が長くなる。

2012年9月23日(日) 感謝のカラオケ

嫁さんの友達でもあり、元バレーボールのメンバーでもあり、旧PTA役員メンバーでもあり、何より私たち夫婦のよき理解者である人たちと一緒に、カラオケに行った。

先日、私が用事でカラオケに行けなかったことがあり、それをとても残念がっているという話を嫁さんから聞いて、わざわざ今日集まってくれたのだ。

家の近くにあるカラオケボックスに入る。

案内された部屋に入って私が腰をかけると「会長を挟んで座りましょか!」といいながら私のとなりに座ってくるのは、たぶん、私を元気付けるためだ。

嫁さんは私の扱いに慣れているので、必要以上に私にかまうことはないが、みんなはまるで私を介護するかのように、いろいろと気を使ってくれる。

そんなに気を使わなくても大丈夫、といいたくなるが、「気なんて使ってませんよ」と明るい声で返事してくるに違いないので、私もそのまま「ありがとう」と答える。


誰かが歌ったのをきっかけに「昭和の歌」をどんどんエントリすることになった。
みんながタイトルを見て笑うようだと思わずガッツポーズになる。
踊ってはしゃいで笑って、とにかく「楽しく」してくれる。

感謝の一日だった。

2012年9月24日(月) 仕込みマイク

先日のバレーボール大会で挨拶をしたときのこと。

司会に「大会委員長」として紹介され、スタンドマイクの前に進んだ。

目の前には300人ほどの選手、右手には来賓、左手には審判団と各学校のPTA会長、というなかなか緊張する場面だ。

まずは、来賓に向かって挨拶をする。
「本日はご多忙の中、ご臨席を賜り、まことにありがとうございます」

次に、審判団に向かって挨拶をする。
「審判員の皆様、本日はよろしくお願いいたします」

そして正面の選手に向かって挨拶。
「さて、みなさん。皆さんは今日のこの日を・・・」

選手に向かってしゃべり始めたとき、まるでタイミングを見計らったかのように、スタンドマイクがスルスルと下がり始めた。

一瞬、下がるマイクが目に入ったが、わざとそのまま続けて話した。

不思議なことに、それほど私はあわてておらず、冷静に、「これは使える」と判断していた。
「もう少し話をして、よいタイミングのところで気がついて驚こう」そういう判断ができたのだ。

そう考えていると、どこからか「マイク」という声が聞こえてきたので、それをきっかけに、下を向き、「うわっ!」と少しのけぞりながら手を広げて驚いて見せた。

普通なら笑うことがはばかられる状況だが、私のリアクションが大きかったものだから、みんな大笑いした。

マイクの位置を直し、まったく何事もなかったかのように、再び話をする。


後日、「あのマイクは○○(私)の仕込だ」という話を信じた人がいると聞いたが、そんなマイクがあるなら是非譲ってほしいものだ。

2012年9月25日(火) テーブルを飛び越え

役員会の会議ではプロジェクターを使って資料の説明をしたりする。
けれどその会議室にプロジェクター用のスクリーンなどはなく、机を動かして適当な壁に投影できるように調整する。

先日の会議でも机を動かしていると、私が机に囲まれて出られないようになった。
別に今回に限ったことではなく、机を動かしていると出られなくなるのはよくあることだ。

よくよく考えると、最近は机を動かして出られなくなる状況にはなかなかならず、そういう状況になる前に誰かが気がつくため、机に取り囲まれたときの脱出方法をあまり考えたことがない。

役員会のときの私は身軽な服装だったので、机の下をするりと潜り抜けた。
それはそれですばやい動きだったのだが、10年前なら躊躇なく、机の上に手をついて飛び越えていたはずだ。

そのことを後から思い出すと、なぜ下を潜り抜けてしまったのか、もう、上を跳び越すことはできないのか、と後悔に似た思いが湧き上がる。
今は無性に試してみたくてしょうがない。

次回の会議のときは少し早めに行って、人のいない会議室で机の上に手を着いて飛び越えてみたい。

2012年9月26日(水) 鍵盤の誘惑

時間があれば仕事帰りに寄り道する大型のショッピングモールがある。

よく利用するのは駅近くの出口付近にあるコーヒーのファストフードチェーン店だ。

その次によく行くのはその店とほぼ対角線上にあって、駅から最も遠いところに位置する楽器店だ。

エスカレータを上がった正面にある楽器店へは、いつも同じエレベータを利用する。

エレベータを上っていくと、店の天井から徐々に視野に入ってきて、ワクワク感が増大するからだ。

お気に入りは何と言ってもキーボード。
店の正面に展示されているそれを見るたびに、顔がほころぶ。

そして早歩きになりそうなのをぐっと我慢しながら、店の奥にあるシンセサイザーのコーナーへ急ぐ、

その店に展示してあるどのシンセサイザーよりもいいシンセサイザーを持っているにもかかわらず、触りたくて仕方がない。

にやけた顔をしてシンセサイザーを一通り堪能し、最後の仕上げにピアノコーナーへ行って鍵盤の重さを確かめて回る。

高校生のころからそうで、キーボードには触りたくて仕方がないのだ。

自宅のシンセサイザーは埃がかぶらないようにと、布をかぶせてあるが、もし布を取ったまま放置してあったら、「ただいま」と声をかけ、小さい子どもをあやすかのように、鍵盤を触っているに違いない。

2012年9月27日(木) よりいっそう変な人

「そうこれこれ」

そう言いながら「議事録」を手に持ってその人は私のところへやってきた。

「こうやってね。文書に残るでしょ。するとね、あっちこっちから文句を言ってくる人間がおるんですよ」

先日開催された会議の議事録は一般に公開されるのでそういうことがあるのだ、と自分の「経験談」を説明してくれる。

「だから、僕、この前の会議で、『あえて』いろんな問題点などを言わせてもらったんですよ。まあ、他の方々はそういうこと知らないと思ったんで僕が言ったんですけどね」

確かに前回の会議では一人浮いていた。
おかしな発言をするし、理解力が不足しているのか?と思うような繰り返しの発言も多かった。

けれど、どう考えても「あえてそうしていた」というのは後付だ。

あえてそうしたのなら、普通は会議が終わったときにでも、それを話すだろう。
なぜなら会議では「変な人」と思われていたのだから、一刻も早くそのレッテルを取りたいと思うはずで、そのためには少しでも早く「あえてそうしたのだ」と説明をしたほうがいいに決まっている。
それをしなかったのは「自分は何を言われてもかまわない。だけどみんなのために悪役を買って出る」という理由だからではないのは明白だ。

それが証拠に「ああ、そういうところ気をつけないと、○○団体とか変なやつらが文句を言ってきますから」と議事を録音している会議の最中に平気で発言する人なのだから。

まあ、これで「よりいっそう変な人」に格上げされたことは間違いない。

2012年9月28日(金) テンションがあがらない理由

仕事先の付き合いで飲み会に行ったけれども、なんとなくテンションがあがらなくて、一次会でそそくさと引き上げてきた。

自宅近くのコンビニでいつものチューハイと、嫁さんも飲むだろうと思って甘口のチューハイを買う。

タバコくさい体のまま部屋に入るのがイヤなので、階段を上がったところで飲み物だけを渡し、再び階段をおりてシャワーを浴びる。

すっきりした体で部屋に入ると家族の元気な声。

私のチューハイと嫁さんのチューハイを並べ、乾杯をして飲みなおす。

今日の出来事をお互いにゆっくりと話し始める。

嫁さんの笑顔と子どもたちの笑い声。

一次会でなんとなくテンションがあがらなかったのは、この瞬間のことを心に思っていたからかもしれない。

2012年9月29日(土) 雑巾さえ洗えない

体育祭で使用する道具の点検を終えて後片付けをしていたときのこと。

みんなで手分けをして運び出された道具を元の場所へ運び込んでいると、さっきから降ってきた雨が次第に強くなり始めたので、みんな早く終わりたいと思っていた。

そうやって運び込み作業をしている最中に、女性三人がバケツに汚れた雑巾を入れて、運動場の水道のあるところへ向かっていった。

汚れた雑巾を洗ってくれるなら、みんなで運び込みをしている最中と言えどありがたいことだ。

丁度運び込みが終わり、解散の挨拶をしていたころに、三人の女性たちが戻ってきた。

みんなが解散している中、その女性三人が戻ってきて、責任者に話をしているのを聞いてお驚いた。

「水が出ないので、洗えませんでした」

休日の学校の校庭の水道は元栓を締めてあるので、それを開かないと水が出ないのだが、そのことを知らなかったのだろう。
結局、汚れた雑巾をそのままだ。

彼女たちは何のために雑巾を運んでいたのか。

水が出なかったのなら、誰か一人が、水の出し方を聞きにくればいいだけのことなのに、三人そろって、汚れた雑巾を運んだだけで、何もしていないのと同じだ。

責任者が「あ、じゃあ、後で洗っておきます」と言ったので、その三人はすぐに引き上げた。

忙しい責任者を残して先に帰るわけにも行かず、「その雑巾、洗ってきますよ」と受け取って私が一人で洗うことになった。

彼女たちにとっては、「雑巾を洗う」ことが目的ではなく、ひとまず片付ける作業を回避することが目的だったように思えてならない。

2012年9月30日(日) 暑かった季節の終わりに

来賓として出席する予定だった小学校の運動会が、台風の影響で中止となり、急に暇になったので、録りためていた映画を何本か見て過ごす。

夕食の時間になるころ、長男のスーツが必要だったことを思い出し、嫁さんと長男を車に乗せ、慌てて近所の洋服店に向かう。

閉店15分前にぎりぎり滑り込み、スーツを買う。

自宅に戻るころには、雨はすっかり上がっており、車をガレージに入れ、いつものようにコンビニへ。

ビールを買おうとして、ふと、焼酎のビンが目に留まる。

ひんやりとした風が通る夜にお湯割を飲みたい、そう思う。
買おうかどうしようかと、商品を手にとって迷う。

けれども今日は9月30日。
暑かった季節が終わりを告げる節目の日。

ビールのコーナーで残り一本となった期間限定のビールを買い、チューハイを買って家路についた。

外の風が心地よい。

明日の夜は焼酎のお湯割りだ。

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