カリント日記

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2014年1月9日(木) 日記

今では毎日更新することもなくなり、ごくたまに、元気で生活していることを証明するかのように日記を書いている。

なぜ日記を書かなくなってしまったのかを考えてみたことがある。

(と、こういうことを書くのは実は三度目で、それでもまた懲りずに同じような話を書く。
それだけ何か負い目を感じている証なのかもしれない。)

私の場合、日記とはいえ、その大半が日々感じた自分の考えや思いを書いていたものであり、誰かに聞いてもらえるわけでもない自分の主義主張を、いわばこの場を利用して訴えていたようなものだった。

ところがこの数年、私の立場が大きく変わり、大勢の人の前で意見を言う機会が増え、自分の主義や主張を訴えることもできるようになった。
そればかりか、例え個人的な日記であっても、公の目にさらされる可能性のあるこの場所で立場的に無責任なこともいえないようになってしまった。

言いたいことを言えるようになると、日記に書くことでそれを発散していたパワーは消え失せてしまい、むしろ適当なことは言えないという思いから、書くことが億劫になってしまったのも事実だ。

もはや誰かに訴える日記でもなく、自分の記録でもない日記。

けれどやめる勇気もなく、やはり自分が今日も無事に存在していることを示すためだけにこれからも続くのだろう。

2014年1月14日(火) 成人式にて

市が主催する成人祭へ来賓として招待されたので出席した。

客席の一角に設けられた来賓席へ座り式典を見守る。

昨年は、式典中にふざけるやからもいて、すっきりしない成人祭だった。

毎年、式典の企画や運営は、ふざけている彼らと同じく、成人となる同年代の「仲間」が行っているのに、その気持ちが理解できないものだろうか、と残念に思っていた。

けれど今年は少し違っていた。

途中までは壇上の来賓が挨拶していても、私語の絶えないざわついた会場であったが、最後にある曲を合唱すると、何も打ち合わせはしていないはずなのに見事な男女混声合唱となった。

その曲は「旅立ちの日に」だ。

この曲は、有名な作詞家や作曲家が手がけたものではなく、とある中学校の先生が作った卒業をテーマにした曲というのがまたいい。

成人式は、いわば子どもからの卒業である。

まあ、羽目をはずすのは「子ども返り」する最後の日だからなのだろう。

我々大人の仲間入りをする彼らを見ていると、そのはしゃぎぶりも、なんだかほほえましく感じた。

2014年1月16日(木) 評価

確かに昨年の私の会長としての挨拶に比べれば、今年の会長の挨拶はいたって普通であり、別に笑うようなところはなかった。
いや、しかし、「会長」という肩書の人はどちらかといえば、今回のような挨拶をするのが普通であり、来賓を前にした冒頭の挨拶でいきなりみんなを笑わせる私こそが異端であると思うのだが。

新年の互礼会でのこと。

お酒もまわって、会場内ではあっちこっちから笑い声が聞こえてきたが、そろそろ終わりに差し掛かったころ、一人の女性役員が私のところに来て「○○(私)さん、なんか前に出て話して。笑わせて」と言う。

酔いも手伝ってのことではあるが「今日はおもんない。去年は笑いすぎておなか痛かったけど、今年はおもんないわー」というのだ。

「芸人じゃないんだから」と断ったが、仮に本当に前に出て笑わせたとしたら今の会長がおもしろくないはずだ。

私を評価してくれるのはありがたいことだけれど、私と比べられる人がいることを考えると素直に喜べない。

せめて、言い方を考えてほしいものだ。

2014年1月18日(土) どちらに転んでも

「ええーっ!?○○(私)さん、帰るのー?」

PTAの研究大会が無事に終了し、これから役員たちで打ち上げをするのだが、私は翌日早朝からの仕事があったので、当初から不参加ということにしていた。

私も飲み会に参加するものだと思っていた女性のセリフが冒頭のものである。

「○○さん行かへんのやったら、テンション下がるわー」

私と一緒にお酒が飲めることを楽しみにしてくれているのは非常にありがたいことであるが、彼女やそのほかの人が私に求めているのは、お酒を飲んだ時の私の元気よさである。

明るくその場を盛り上げて一緒にいる人を笑わせる。
それが私に期待されることであり、みんなが求めている「私」なのだ。

けれど、明日の仕事のことを考えるとどうしてもおとなしく飲んでしまうことになる。

それならそれできっと「どうしたん今日はー。元気ないやーん」と言われる。

別に責められているわけではないのだが、私への期待を裏切ってしまったようで、申し訳ない気分になり、正直、飲んでいても楽しくない。

「ま、最近体の調子もあまりよくないし。また今度な」と言ったが、それでもまだ彼女は不満げだった。

どちらに転んでも、満足させられないのなら、いっそ、飲んだほうが良かったのか。

2014年1月23日(木) 自分の役目

自宅に戻るとテーブルの上に、家族に法学部の学生がいるか、法曹界に従事しているものがいるか、あるいはテレビドラマで立派な書斎が映し出されない限り、ほとんど見ることのないような「憲法T」というタイトルの本が置いてあった。

「おねーちゃん、勉強してたん?」と、姿が見当たらない長女のことを、テレビを見ていた次女に尋ねると「うん。試験やって」と答えが返ってきた。

私にも大学生の時代があり、長女と同じく法律を学んでいたが、「試験勉強」をした記憶がない。

当時の、少なくとも私が通っていた大学では、講義さえ受ければ試験を実施しなくても単位をもらえる授業があったり、試験があっても教科書を持ち込んでもよいものがあったりと、定期試験を受けるために事前に「勉強」をするほどのものがほとんどなかったと思う。

それが頭にあったので、大学生が試験勉強することに驚き「え?試験勉強?偉いなー」と声を上げた。

「試験やねんから勉強するの、当たり前やん」と不在の長女に代わって次女が言う。

「いやー。お父さんが大学生のころ試験勉強なんかしてないで」と真実を告げると、次女が台所にいる嫁さんに大きな声でいいつけた。

「おかーさーん。お父さんが、なんか自慢してくるー。謝ってー」

我が家では私の失態を嫁さんが子供たちに謝るというおかしな習慣がある。
もちろん、子どもたちもそれが面白くてわざと言いつけるのだが、嫁さんもそんな時はリクエストにこたえて「ごめんなー」と返す。

台所で話を聞いていた嫁さんも「あははは。ごめんなー」と大きな声で言葉を返した。
私も「なんでやねん。ほんま、してへんから、してへんっていうただけやんけ」と返す。

そんな声を聞きつけてか、自室で休憩していた長女が部屋に入ってきた。

座って話をしていた私は、いつもながら清々しい短髪の彼女を見上げながら、「勉強してたんか。偉いなー」といった。

するとお約束通り今度は長女が「おかあさーん。お父さんが『おれは勉強なんかしなくても点、取れた』的な自慢してくるー。謝ってー」と台所の嫁さんに話しかける。

家族全員が一通り「自分の役目」を終えると、それぞれテレビの続き、勉強の続き、夕食準備の続きを始めた。

私はチューハイをプシュっと開けた。

2014年1月24日(金) マージャンの日

今年から毎週金曜日は「マージャンの日」となった。

長男が独り立ちしたので、長男に代わって次女がそのメンツに加わっている。

その次女を寝かせてから残りの四人でマージャンをしていたのがついこの前のようだ。

次女はようやく基本的なルールを覚えただけで、「役」はほとんど覚えていないのだが、それでも家族でやるこのマージャンが楽しいらしく、金曜日になると、朝学校へ出かける前から「今日はマージャンの日やで」と嬉しそうに言う。

おかげで金曜日の夜には私も長女も外に飲みに行けなくなってしまった。

賭け事でなければ、マージャンは頭と指先を使うので、脳には程よい刺激を与える、良いゲームだと思う。

私も日頃の気分転換になっているし、なにより家族で話をしながらテーブルを囲むのは心にもよい。

果たしていつまで続くのか。

それでも子どもたちが望む限りは続けていきたい。

2014年1月30日(木) 人間ドック

久しぶりに人間ドックに行ってきた。
今回は嫁さんからも「強く推奨」されたため、生まれて初めてのCTスキャンも体験した。

自宅から車で40分程度の初めていく病院で、今まで人間ドックを受診したどの病院よりも小さい病院だった。
何も病院の大きさが質の良しあしを決めるわけではないのだが、今までに比べて若干不安になったのは否めない。

自動ドアをくぐって中に入ると、どこの病院にでもあるような下駄箱にスリッパが並べられており、その一足を手に取って履き替えて中に入った。
フロアは外来患者と思しき人たちがソファーを陣取っており、あまり人間ドックをやっているような病院には見えなかった。

せわしなく対応している1階の受付に話をすると人間ドックの受付は2階だという。
そこで2階へ上がるべく階段を探したが見当たらず、仕方がないのでエレベータで上がることにした。
あとで分かったのだが、エレベータの横に金属の扉で仕切られた階段室があったようだ。

2階で受付を済ませ、検査用の服に着替えると検査の会場は3階だという。
またしてもエレベータで3階に上がった。

ようやくそこで人間ドックらしさを感じた。
広いスペースにゆったりしたソファー。
そこへ腰かけている、みなおそろいの検査服を着た人たち。
大きな画面に控えめな音声でテレビが放映されている。

私もその中の一人になり、呼ばれるのを待っていると、ほどなくして声がかかった。

最初にCTスキャンを受けることになった。
部屋に案内されると、そこにはテレビで何度も見たことのあるCTスキャンがあった。

担架ほどの小さなベッドに横たわると、マジックテープで軽く拘束され、私を輪切りにするかのような大きな半円形上のものが腹のあたりから頭の上まで何度も往復をした。
10分ほどの検査が終わり、またソファーに戻る。

ソファーに座っているとまた名前が呼ばれる。
検尿、眼圧、採血、身体測定、血圧測定、などなど、一つの検査が終わるたびにソファーに戻り、戻っては名前を呼ばれるということを繰り返した。

「それではこれが最後です」と言われてバリウムを飲み、げっぷが出そうになるのを堪えて、検査台に横になると、「右の腰を浮かせて・・はい、そのままうつぶせに・・はい、左の腰を浮かせて、そのまま仰向けに」と言われるがままにのた打ち回る。

すべての検査が終わると、さらに上に行けという。
今度は目の前にきれいに手入れをされた階段があり、それをあがると小さな空間に出た。
ソファーが6脚程度置いてあるだけの小さな空間で私以外には誰もいなかった。
小さな空間だけれども、天井も高く採光が十分であったので、広く感じた。

しばらくしてコーヒーが運ばれてきて、「ごゆっくり」というので、10分ほどそこでコーヒーを飲みながら休憩した。

少し安心しながらの時間。
検査の結果は数週間後に郵送されるというが、問診の際にも、今のところ「異常なし」と言われている。

ただし、メタボを除いては。

2014年1月31日(金) メタボ勇者

最近、腰が痛いのは体重が増えたからだろうか。

もちろん加齢の所為でもあるだろうが、「メタボになると腰痛になる」という話も聞いたことがある。
たぶん、体重が増えた、あるいは腰の周りの筋肉が衰えたことによって腰椎への負担が増したために起こるのではないだろうかと思う。

適度な運動をすればよいとはわかっていても、土日はほとんど何かのイベントで埋まっており、それ以外の珍しく何もない土日は「久しぶりの休日」であって、ことさら運動をする気分などなれず、家でゲームをしながらゴロゴロしてしまう。

ゲームをしながら運動でもできればよいのだが。

ゲームの主人公が画面の中を走り回っている間、私もいっしょにテレビ画面の前で走り続けるというのはどうだろうか。
主人公が戦っているときには私もそのまねをする。
これはかなりの運動量になると思うのだが。

私の動きがゲームの主人公に伝わるようになれば面白いのに、と考えた。
私がその場で走れば、主人公も走りだし、私が腕を振れば主人公も手に持った剣を振り回す。
ゲームの中の敵が攻撃してくれば、私がそれに合わせて構えると、ゲームの中の主人公も盾を構える。

これなら楽しみながら運動ができる。

けれどたぶん、そんな私にコントロールされた主人公は、一向に隣町にたどり着くことができず、また、スライム相手にゼーゼーと肩で息をしているに違いない。
何とも頼りない、メタボな主人公だ。


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