カリント日記
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2014年5月7日(水) 連休中にやること
今年の連休も去年と同じようにダラダラと過ごしてしまった。
連休最終日、朝から出かける予定のない私を一人自宅に残し、嫁さんと娘たちは近くの大型ショッピングモールへ出かけた。
私はビールとチューハイを飲み、録りためていた番組を見ながらゲームをした。
2時間ほどで睡魔に襲われ、そのまま眠ってしまった。
連休前には「あれをやろう」「これをやろう」と思っていたのに結局何一つやっていない。
中にはやらなければいけないこともあるはずなのに、それを思い出すこともなく、連休は明けてしまった。
仕事のたまった平日のスタート。
唯一の救いは体の調子が良いことぐらい。
とりあえずは今日は「何をやるべきだったのか」を思い出すことにしよう。
2014年5月8日(木) アップされない画像のために
やっぱり写真のない日記は味気ない。
ケータイはいつも持ち歩いており、気に入った光景に出合えば写真も撮っている。
けれどそのことを日記に書くことも少なくなり、たまに書いたとしても画像をアップすることがない。
いったいいつからアップしていないのかと確認してみたら、2012年の7月が最後だった。
そしてケータイにはそのころからの画像がずっと保存されたままになっている。
その画像を見ると、「ああ、あの時のものか」と思い出すものも少なくない。
よし。この画像を元に、当時の日記を書こう。
と、思ったが、たぶん思っただけで実行にうつさない。
そうしてまた、時折、思い出したように、適当な内容の日記を書いて、少し義務を果たしたような気分になる。
当然、撮りためた画像がアップされることもない。
中身のない文章だけの日記が繰り返される…。
何よりもまずは、日記を書きたいという気持ちが必要で、そこにプラスして画像で伝えたいという気持ちがなければ始まらない。
では、日記を書きたいという衝動ともいえるあのころの感情はどうすれば戻ってくるのか。
まずは居間で座る位置を変えてみようと思う。
以前、楽しそうに日記を書いていたあの頃のように。
2014年5月9日(金) 片付いた部屋と震える手
昨夜、仕事を終えて自宅に戻って驚いた。
嫁さんが「オークションに出品するから」と知人に貰い受けた荷物に占拠されていた一階の廊下が、思わず端から端まで雑巾がけをしたくなるほどにすっきりと片づけられていた。
二階にある居間に入ってまた驚いた。
次女の私物で占拠されたためその前に立つこともできなかったシンセサイザーの前が、これから一時間ほどライブでもしようかと思うほどにすっきりと片付いていた。
テーブルの上には上品な器に、これまた上品なお菓子が盛られている。
なるほど。
今日は次女の担任の先生が家庭訪問にきたのか。
用事で出かけていた嫁さんが帰宅する。
「今日は家庭訪問やってんな?」
「そうやねん」
「どうやった?」
「先生、めっちゃ緊張してて。コーヒーカップ持つ手が震えてた」
「どんな先生やねん」
「ほら。あの授業を忘れる先生やん」
「ああ、あの先生かー」
次女から「先生が授業を忘れてて職員室まで呼びに行った」というような話をしていた記憶がある。
それでもなんでそんなに緊張するのか思っていたら嫁さんが続けて原因を説明した。
「ほんでな、前に先生に言うたってん」
やっぱり。
「『先生。いくらなんでも授業忘れるっていうのはプロとしておかしいんじゃないですか?』って」
ほら。
「それからな」
まだ言っていたか。
「ちょっと授業が遅れてるからそれについて質問したら、先生が『あれは教科書が悪い』っていうねん」
「ほうほう」
「ほんで『先生。そんなん教科書のせいにするのは恥ずかしいんちゃいます?』って言うたってん」
そんな母親のいる家庭に一人で訪問した先生にちょっと同情した。
それでも部屋がきれいに片付くなら、先生にはたびたび訪問してほしいものだ。
(マイクロSDカードの変換アダプターを買い忘れたので画像のアップはやっぱりお預け。)
2014年5月15日(木) ゆっくりなメール
私宛に送られてきたメールに相手が誤認しただけのいわれのない非難が書いてあり、すぐに訂正のメールを送ろうとパソコンに向かって書き始めたが、気が立っていたため文章が荒くなり、「これではいけない」と、深呼吸して送るのを思いとどまった。
先日、教育長との面談の中で「メールによる悪口は一過性のものではなく、いつまでもそこに文字として残る。時間が経過しても改めて読み直すことでまた憎しみがわいてくる」といような話をした。
まさに、今回の状況だ。
私に限らず、誰しもいわれのない非難を受けると反論したくなるに違いない。
しかし、言葉で伝えるのと文字で伝えるのとではやはり違う。
Web上の「掲示板」などで、そのような事態になれば刑法犯罪まがいの言葉が飛び交う。
メールでそれを送りつけるのは、それと大差なく、「口が滑った」「勢いでつい」とは言い訳できない。
10分程度で書いた反論の文章を削除し、もう一度、一時間ぐらいかけて丁寧に反論する。
それでもさらに、送信を待ち、丸一日たって、それでもいうべきだと判断したらメールする。
それぐらいの余裕を持ちたい。
その場ですぐに返信できるそのスピードがメールの利点だが、そのスピードが取り返しのつかない傷をつけてしまうことになるかもしれない。
「メールをゆっくり送る」というのは理にかなっていないような気もするが、大事なことなんだと、改めて気づかされた。
2014年5月17日(土) ハードルを下げるために
「教育委員会」とか「教育長」なんて組織や人は、PTAや子ども会に関わるまで、先生が恐れる組織か、先生が不祥事を起こした時にテレビの会見で謝罪する人という印象しかなく、冗談を言っても笑わない人ばかりだと思っていた。
しかし、当たり前のことだけれど、教育委員会の人や教育長も、お酒も飲むし、冗談だっていう。
教育長や教育委員会のメンバーとお酒を飲むのも何度目のことか。
先日、PTA協議会の総会の後に懇親会があった。
「PTAの集まりで飲酒するなんて」という人もいるだろうけれど、私は少なくとも私の携帯電話に登録されている人のうち、数百人とはこうやってお酒を飲んで仲良くなったし、教育委員会の人ともいろいろ話ができるようになった。
みんな同じように悩みを持っているし、相談すれば少しは気が楽になるし、なにより「わかってほしい」という思いをもっている。
それらを阻害しているのがそれぞれの「立場」というハードルであり、お酒はそのハードルを低くするものだと信じている。
相手との距離が近くなれば、その人のために力を貸そうとも考える。
少なくとも私はそうだ。
これからもお互いのために酒を飲める関係でありたいと思う。
2014年5月18日(日) 収支報告で挨拶状
市内のPTAの委員会に来賓として招かれた。
とはいえ、私だって同じ協議会のメンバーであり、その委員会には知り合いも多い。
教室の前方に用意された来賓席に座ると委員会の資料が配られた。
何の変哲もない収支報告書と式次第だ。
時間になり、司会者がシナリオを読みながら委員会が始まる。
緊張しているのがよくわかる。
開会宣言に続いて、委員長の挨拶。
多少の笑顔は見られるが、これまた緊張しているのがよくわかる。
聞いている委員も緊張しているようだ。
そして来賓である私の挨拶。
あんまりネタがないので、とりあえず、目の前にある収支報告書を手に取り読み上げた。
いかにも、挨拶状を読み上げているかのようにして。
「皆様方には、平素より○○PTA協議会活動、とりわけ○○委員会活動にご尽力を賜り、誠にありがとうございます。衷心より厚く御礼申し上げます」
そう読み上げると、予想外の形式ばった挨拶に、私を知っているメンバーが「固い、固い」と笑いながらいう。
それを受けて私も「…てね。何を収支報告書見ながら話ししとんねん、ちゅう話ですわ」とタネを明かす。
何人かは本当に挨拶状を読んでいたと思っていたらしく、驚きの声も聞こえる。
そのあとはいつも通り少しの笑いを交えながら、この委員会を楽しんでほしいというようなことを説明した。
和やかに委員会が進み、私は私の仕事をやり終えたという満足感でいっぱいだった。
2014年5月19日(月) 次世代のリーダーを
子ども会を中心に地域活動を行う青少年のことを「ジュニアリーダー」といい、中学生以上がその中心メンバーだ。
このジュニアリーダーを育てるために、小学生を対象とした養成講習なども実施されている。
次女も数年間講習を受け、今では子ども会をけん引してくれる頼りがいある存在となった。
おかげで、保護者の仕事も軽減されたし、リーダーを中心に行う子どもの会議では子どもたちも活発な意見を言うようになった。
同じようにあっちこっちの子ども会でもリーダーを育成できれば保護者の負担は軽減されるはずだ。
そう思って、この春にはそれを強く主張し、みんなにも伝えた。
その影響なのか、今年度の第一回目の講習会受講者は昨年の2倍程度になった。
今まで参加していなかった単位子ども会にとっては「講習会に参加する」という新しい試みとなるため、子ども会の育成者にとっては多少の負担になったかもしれない。
しかし、講習を受けた子どもたちは、たとえ全員でないにしろ、新たな力を見せてくれることは間違いない。
そしてそれは、子ども会活動にとって大きな力になる。
毎年、こうやって多くの子どもが参加すれば、リーダー活動も充実し、やがては将来を担う次世代のリーダーも誕生するに違いない。
2014年5月24日(土) 乾杯
PTA総会と後援会総会を終えて、懇親会となった。
店は、予定人数を超過して予約していいた部屋に入れなくなったため、嫁さんの伝手で、急きょ変更となった初めての場所。
学校と駅の真ん中あたりにあって便利なところではあるが、オフィス街にあり、周りに居酒屋はなくここだけ、隠れ家のようにぽつんと存在している。
みんなそれぞれに道順を調べてようやくたどり着いたようだが、それでも先についたメンバーは後発のメンバーがとどりつけるか心配な様子だった。
定刻には8割程度のメンバーがそろっていたが、残りのメンバーも5分程度で到着するという連絡があったため、全員がそろうのを待つ。
私は座敷の真中で、みんなを見渡せるような場所に陣取っていた。
PTA会長が私に「司会をしろ」と言ったが、それも計算した上での座席だ。
みんながそろったところで、私が立ち上がって挨拶をする。
「えー。それでは皆様おそろいですので、只今より懇親会を始めたいと思います。
わたくし、PTA会長より司会を仰せつかりました○○でございます。
何分不慣れでございますので、皆様のご協力をもちまして滞りなく進めたいと思います。
よろしくお願いいたします」
いつものように、全く不慣れなわけがない私がスラスラと挨拶をするとクスクスと笑い声が聞こえる。
「では、まず最初に会長のご挨拶を」
会長は予定していなかったようで、あわてて挨拶を始める。
その間に、校長先生に乾杯の挨拶のお願いをする。
会長の話が終わり、校長先生も短めの挨拶をする。
「それではご唱和ください。カンパーーイ!!」
「カンパーーイ!」
そこへたどり着くまでに溜まった今日一日の疲れが、すべて吹き飛ぶ言葉だ。
長という立場である時と、ただの一員である時とでは気分も違う。
みんなの笑顔が、いっそうそれを感じさせた。
2014年5月25日(日) 我が家が目覚めない日
3月9日以来の、そして今年度に入って初めての、朝から何も予定がない日曜日だ。
朝から何も予定がないので、ゆっくり寝ていようと思ったが、毎朝と同じように定刻になって目覚まし代わりのテレビがついたので、片耳で音を聞きながら布団の中でゴロゴロする。
そうしているうちに目が覚めて、結局いつもと同じような時間には布団から出て食事をしていた。
嫁さんは買い物に出かける用事があると言って午前中には出かけたが、長女も次女も自分たちの部屋でゴロゴロしていたのか、私がゲームをしている間も2階に降りてくることはなかった。
お昼になっていつものコンビニまで買い出しに行く。
カップめんと焼き鳥とビール。
天気のいい日曜日の昼間っから買うようなものではない。
かなりの堕落ぶりだ。
自宅に戻ってカップめんにお湯を注ぎ、3分間待っている間もゲームをする。
カップめんをすすり、ビールを飲み、ゲームをする。
酔いが回ってきたのか、おやつの時間には眠くなってしまい、テレビのバラエティーを見ながら横になる。
娘たちが「そういえばお昼ご飯食べてない」などというので、適当にお金を渡して、買い物に行かせる。
そしてそのまま私は眠った。
すっかり日が暮れたころ、目が覚めて定番のアニメを見る。
もちろん、ゲームをしながら。
やがて、嫁さんが買い物から帰ってきた。
夕飯の用意に向かって一気にあわただしくなる。
本当に我が家が目覚めたのは、みんなが夕食を食べ始め、口々に話をし始めたこの時間だった。
2014年5月26日(月) 初めてのドームコンサート
先日、嫁さんが「今度○○のコンサート行ってくるわ」と言った。
○○は人気主演ドラマもあるイケメンの男性歌手で、若い女子から嫁さんぐらいのおばさんまでがキャーキャー言ってもおかしくはない人物であるが、嫁さんの口からその名前が出ることはほとんどない。
嫁さんは彼に全く興味がないからだ。
唯一知っている曲はミリオンセラーにもなりCMでも流れていたからこそ知っている曲で、それを除けばコンサートに行っても知らない曲ばかり。
楽しみようがないのだ。
嫁さんの友達に彼のファンクラブに入っている仲良し4人組がいるそうだ。
チケットは入手困難であるため、毎回応募はするものの、全員が手にすることはなかなか難しい。
だから申し込むときはそれぞれがペアチケットを申し込む。
一人当たれば4人組のうち二人は参加できるし、二人当たれば4人全員で楽しめる。
複数回の公演に応募しても、あたることはめったにないのだが、毎回それを信じて応募しているという。
そして今回もまた4回の公演に対して、一人ずつペアチケットを申し込んだ。
つまり「4公演×4人×ペアチケット」である。
そしてチケット当選のお知らせ。
いつもなら1枚か2枚、2人か4人のチケットを手にすればいいほうなのだが、今回はなんとすべて当たった。
実に32人分である。
4人で4公演すべて参加しても、16人分余ってしまう。
そんなわけで嫁さんのような、ファンでもなんでもないメンバーが参加することになったのだ、
「スタンド席の最前列で、なんか後ろのファンの人らには申し訳なかったけど、ずっと座ってみてた。
でも、照明とか演出がすごかった。
それに、5万人のドームっていうのが初めてやからそれなりに楽しめた」
行きたくても行けなかったファンが聞いたら怒りそうな感想である。
でもおかげでこうやって日記にもかけたし、その話をして笑いも取れたし。
こんなことを書いたらこれまたファンの方々からお叱りを受けるかもしれないが。
2014年5月29日(木) ゲームから離れる
我が家には「シンセサイザー」と呼ばれる鍵盤楽器が3台ある。
1台は我が家の「フラグシップ」とも言える「MOTIF XF7」、堂々の76鍵である。
それ以外にも「アナログシンセの名機」と自負している「SH-2」と、デジタルシンセのはしり「POLY-800」がある。
シンセサイザー以外にもMIDI対応のデジタルピアノ(もちろんフルサイズの88鍵)と、シンセをエフェクター代わりに使うこともできるストリングスがある。
他にもおもちゃ屋で売っているような家族が使える61鍵のお手軽キーボードもある。
キーボードと呼べる楽器は6台ある。
まあ、最新のMOTIFを除き、全部が全部、きっちり音が出るとは限らないが。
私は鍵盤が並んでいる姿を見るのが好きだ。
特に上下に2台のキーボードが並んでいる姿を見ると、それがたとえどこかのサイトの画像であってもワクワクする。
結婚する前は、電子ピアノの上、左側にモノフォニックシンセ、右側にポリフォニックシンセを乗せ、ピアノの右側にキーボードスタンドを置いてそこにストリングスを置いていた。
ピアノの左右にはモニター用のステレオスピーカーがあり、そのスピーカーの上には、音源モジュールやミキサー、イコライザーやリバーブなどの各種エフェクターが積んであった。
私はその部屋で寝起きし、学校や仕事から帰ると眠るまで楽器を弾き、起きても楽器を弾いていた。
しかし今、部屋には最新のシンセサイザーがあるだけ。
しかも、ほこりをかぶらないように布をかけてあるので、普段は鍵盤も見えず、猫たちの休憩場所にさえなっている。
原因の一つがゲームであることに間違いはない。
休みの日、布団から出ることもなくゲームをすることができる。
一方、シンセサイザーでの演奏はともかく、最大の楽しみの曲作りは時間と手間をかけなければできず、それだけの時間を取ることも難しい。
一度、ゲームから離れてみようか、と考えている。
何か良い区切りがあれば。
2014年5月30日(金) テーブルの可能性
仕事から帰ると居間の真ん中にピンク色の少し背の高いテーブルがあった。
60センチ四方程度の背の高いピンクの机とは別に、以前から使っている食卓もまた同じ部屋にある。
家族四人がゆっくり座るスペースも十分とは言えないこの部屋には、明らかに邪魔な存在だ。
部屋着に着替えているところに嫁さんが現れた。
「おかえりー」
「ただいま。んで、なんやこれ」
と、テーブルのことを尋ねると意外な答え返ってきた。
「ちょうどいいと思って」
え?
何にちょうどいいのだ?
「ほら。こうやって座ると丁度いいやん」
そういって小さな椅子に腰を掛け、ピンクのテーブルの前に座った。
椅子とはいうが、正座するときの補助いすのようなもので、正座の姿勢をしながらお尻の下にこれを挟み込むと、足に負荷がかからず、長時間の正座でも足がしびれない、というものだ。
正座が苦手な人が使うようなもので、そもそも正座をしない我が家になぜあるのかわからなかったが、最近、腰が痛いという私のために、嫁さんがどこからか引っ張り出してきた。
枕より少し背の高い程度のその椅子は足をくずした楽な姿勢で座ると、逆に足がしびれてくるという、しろものだ。
確かにその椅子に座ると少し背の高いテーブルはちょうどいい高さになる。
「でも、その椅子は長いこと座ってられへんからそのテーブルも使わんで」
そういうと、嫁さんは
「じゃあ、もう、これに座ろ」
といって今度はテーブルに座った。
さすが嫁さんである。
10分後にはそのテーブルは猫たちの遊び場となっており、テーブルの上と下とでパンチの応酬が始まった。
「このテーブル、なおしてくれへんかったら布団敷かれへんで」
そういってこのテーブルをどこかにかたづけるよう、嫁さんに求めた。
夜、テーブルはキッチンにおかれていた。
たぶん、2〜3日のうちに、このテーブルは物置になるに違いない。
嫁さんにかかれば、テーブルの可能性は無限大だ。
2014年5月31日(土) 反省から始まる
金曜日は久しぶりに「二次会」に参加し、かなり酔っぱらって終電近くで帰宅したため、さぞかし家族に迷惑をかけたことだろう。
何とかシャワーを浴びたようだが、布団も敷かず、そのまま寝たらしく、朝起きると体のあちこちが痛かった。
おそらく呼びかけても反応しない私に愛想を尽かしてみんな寝てしまったに違いない。
6時過ぎに目が覚めて、昨夜のことを思い出そうとするが全く記憶がなく、部屋には脱ぎ散らかした服が合った。
シャワーを浴びたという記憶は、なんとなくあり、髪の毛の爆発具合と身に着けている肌着が外出時のものではないことからどうやら間違いない。
深酒をしたわりに気分はよく、そのままテレビを見ていた。
目ではテレビの中の人物を追うが、頭の中では昨日のことを考える。
ひとつながりではないものの、断片的に浮かぶ昨夜の光景を頭に浮かべ、どんな話をしていたかを模索する。
私より10歳以上年上のグループと、私の子どもと変わらないグループとを行ったり来たりしながら、調子のいいことを言って笑わせていたような気がする。
暗い照明に背の高い椅子とテーブル、奥のほうのカウンター席にも何人か座っていた。
「そろそろ帰らないと電車がない」と誰かが言っていた。
それをきっかけに解散したのか、勘定は支払ったのか。
いくつもの自信のない記憶が浮かぶたびに、「ああ。やってしまった」と思う。
何もない休日の朝は、たいていこの反省から始まる。