カリント日記

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2014年6月2日(月) 懇談会にて

既に我が家には小学生がおらず、私は小学校のPTA会員ではないが、自治会の子ども会育成部部長として、地区PTAの懇談会に招かれた。
嫁さんも同じような理由で呼ばれた。

会場となったいつもの自治会館の2階には地域の保護者だけではなく、PTA会長や先生、民生委員などもそろっていた。
事前に準備された資料を見ると、今年の地区担当者の力の入りようがよくわかる。

地区担当者が司会となって話を始めた。
議題は通学路の安全確保や学校内での安全確保といったものだった。

保護者の方々から活発な意見が出るが、やはりいつものように学校に対する要望が多い。

「ああしてほいい」
「こういうことはできないか」

内容からするとそれは行政と交渉すべきものだと感じるものも多かったが、やはり学校を頼るのは保護者なら仕方がないことか。

私が初めてPTA会長になってしばらくしたときのこと「やっぱり会長になると学校寄りの人間になるなぁ」などと言われたことがある。

私自身は中立であったつもりなのだが、先生を擁護する発言が多いと感じたようだ。

別に擁護しているわけではないが、先生の事情や性格、体制などいろいろなところが見えてくると、保護者の言うことを「はいはい」と聞き入れるわけにはいかない実情が良く理解できたのだ。

今回の懇談会でも保護者の中には「先生の味方」ととらえた人もいるだろう。

まあ、仕方のないことだし、それを理解してもらうための説明はかなり疲れる。
それに説明したところで、すぐに忘れてしまうし、なにより、進歩しようが後退しようが、懇談に出席する「役目」を終えた保護者のほとんどはそんな議論さえ忘れてしまうのだから、説明するだけむなしい。

本日の話し合いの結果、何か行動を起こすことができないのなら全く意味がない。

行動を起こしやすいヒントを投げかけたつもりだが、果たしてどう動いてくれるか。

2014年6月4日(水) 表計算ソフトなのに

4月から5月にかけて各種団体で総会が行われ、その総会の中で役員の交代があり、そして新しい役員が本格的に動き始めるのはこの6月に入ってからである。
もちろんもっと早くから動くことも多いが、そこでは引継ぎとして前役員も手伝ってくれることが多い。

一緒に会議に出席した会計さんが、悩んでいた。
話を聞いてみると、計算間違いをしてしまったという。

Excelのシートを印刷したような名簿に、氏名と金額が書いてあり、最下段に合計が書いてある。
当然、氏名の横に書いてある金額がこの合計金額なのだが、その合計金額が間違っているらしい。

「え?これ、Excelで作ったんじゃないの?」と聞くと意外な答えが返ってきた。

「Excelで作った」

なら、金額は合うはずなのに不思議だ。
そう思ってさらに聞いた。

「Excelで作ったのに合計が合わないの?」

「うん。この表はEscelで作った。でも、合計金額は電卓で計算した」

うーん。

データをもっているというので見せてもらったら確かにExcelのファイルである。
シートを見てみると、見事に合計額は手打ちで入力していた。

「これは、こうやって」と、オートSUMを入力すると合計金額が、正しい値に修正された。

「うわ。すごい!」

うーん。これぐらいで褒められても。

そして夜。

酒を飲みながらその話を前年度の会計さんにしながら、聞いてみた。

「あのシート、合計金額のところはもともと計算式が入ってなかったの?」

「ううん。入ってたよ。でも、私もExcelが信用できないから電卓使ってた」

うーん。
片や電卓を使って計算間違いをし、片やExcelが信用できないと言って電卓を使う。

間違ってるのはあなたたちで、正しくExcelを使うのが一番良い方法だ。

何のためのExcelなんだか。
仮にも「表計算ソフト」なのに。

2014年6月16日(月) 成長の一年

実は、この一年間、PTAの上部団体で役員として仕事をしていた。
日記に全くそれを書かなかったのは、その活動内容がWebなどで公開されており、日時と役職から私を特定できてしまうからだ。

まあ、特定するつもりならこの日記を隅々まで見ればわかることだし、何より、私を特定したいと思う人なんているはずもないのだが、一応はその団体にも迷惑がかかるかもしれないことでもあるし、こうやって日記を書いていく上でのマナーだとも思っているので控えている。

先日、その団体で新旧役員の交流会が行われた。
その交流会の幹事を務めるのが私の役員としての最後の仕事だった。

「多くても30人程度」と言われて場所を決めたのに、役員以外にも事務局や有志、さらには当日突然の参加者もおり、予定人数を大幅に超えた。
人数が増えるたびに店に連絡をして座席を調整してもらうなど、結構大変だったが、それでも窓が大きく見晴らしのいい個室にみんなを案内できて満足だった。

当初の開始予定時刻を繰り上げての開催となったが、まだ数名、遅れていたようなので、ついでに挨拶をさせていただくことにした。
幹事は短めに挨拶をして会長に挨拶をしてもらうのが正しいのだけれども、会長より先に挨拶をさせていただく非礼を詫びて、マイクを持ち、挨拶をした。

この仕事が私の最後の仕事だということ、みんなPTAのそれなりの役職にある人なので立場をわきまえて節度を守って盛り上がってほしいということ。
自分自身は教育熱心でもなければ勉強もしないし先生や保護者との交流もないこと、だから毎回の会議でみんなの口から出てくる話を聞くたびに「どこでそんな情報を聞いてくるのか」「本当にみんなは勉強家だ」と思ったこと。
自分はとても勉強になると感じたのに、その場で何も情報提供できない自分を忸怩たる思いで過ごした時期があったこと。

そこまで話をした時に何人もの人が首を横に振ってくれた。

私は話を続けた。

けれど私と接することで、心の中のモヤモヤや心配事を解決できる糸口のほんの少しでも見つけることができる人がいたのなら、そこに私の存在意義があったと思うということ。
そしてそれを感じることのできた一年だったということ。

「本当に皆さんのおかげです。ありがとうございました」

そういって頭を下げると、たぶん、今までのPTA活動の中で一番の拍手をいただいた。

ゆっくり顔を上げ「もう二度とまじめな話はしません」そういうと静まり返った会場に笑いが起きた。

「それでは続きまして、会長にご挨拶をいただきたいと思います。会長、私の後の挨拶なのでかなりハードルが上がったと思いますが、よろしくお願いします」

そういうとみんな笑いながら会長を迎えた。

私がお礼を言ってそのまま会長に話を引き継いでいたら、本当に会長は話しづらかったと思う。
交流会が始まるといろんな人から「○○(私)さん、本当にお話うまいねえ」と言われたが、たぶんそういう流れを作るところなんだろう。

一緒に飲んでいた事務局の人に「○○さんは26年度も引き続きやっていただけると思ってました」と残念そうに言ってくれた。
私が返事に困っていると、ちょうどそこへ会長がやってきて説明してくれた。
「○○さんには前に声をかけたけど今年は地元が忙しいって断られた」と。
自分の口から「忙しい」というより、他人がそういってくれるほうが真実性が強く感じられる。

その瞬間、肩の荷が下りた、と感じた。

でもその荷を背負って歩いた一年は、ほとんどの人が経験することのできない貴重な時間であり、この年齢になった私を今更ながらに大きく成長させるものだった。

一年間、ありがとうございました。

2014年6月20日(金) かわいい捨てゼリフ

次女は負けず嫌いなのか、口論になっても最後は絶対に自分の意見を言わないと気が済まないようで、いくら何を言ってもこの状況では何も覆りはしないのに、必ず最後に「捨てゼリフ」をいう。

「だって、○○がしたから」「だって、××がしないから」

あいつは強情だ、負けん気が強い、いったい誰に似たんだろうな、などと家族と話をしていた。

今日、わかった。

間違いなく嫁さんである。

同じように些細なことから嫁さんと口論になる。

私ならこれ以上言っても仕方ないなと思ったら、そこで意見を言うのをやめる。
でも、嫁さんも次女も同じだ。

最後は自分のセリフで終わりたいらしい。

「私には関係のないことやから」

関与の度合いから言って絶対にそういう状況ではないのに、最後の最後に言える言葉が見つからないのか、飛び道具を出してくる。

まあ「かわいい」と許せるからことが父親であり、夫なのだろうか。

2014年6月23日(月) 寝不足の毎日

もちろん、今はW杯の真っ最中である。

ブラジルでの試合は連日、午前1時、4時、7時からそれぞれテレビで放送されており、我が家のテレビは24時間フル稼働の状態だ。
全試合を見ることは体力的に難しいが、それでも睡眠時間を削って毎日注目のカードは見ている。

今日現在までの状況は以下の通り。

日本は初戦のコートジボワール戦でまさかの逆転負け。
本田の見事な先制ゴールシーンだけがサポーターを慰めるかのように何度もリプレイされている。

続く2戦目は背水の陣で臨み、ボール支配率は70%近くだったにもかかわらず、結局無得点のまま引き分けに終わった。

日本戦以外にも、昨年の優勝国「スペイン」がまさかの連敗でグループリーグで敗退が早々と決まってしまった。

布団の中から見ていたアルゼンチン対イランでメッシは終了間際にゴールラインの外から豪快な、言葉通り「目の覚めるような」ミドルシュートを決め勝利をもぎ取った。

ポルトガルもこの試合に負ければグループリーグ敗退が決まるという対アメリカ戦では1点ビハインドで迎えた後半ロスタイムにCロナウドの図ったようなピンポイントのセンタリングにバレラが頭で合わせて何とかドローに持ち込んだ。
嫁さんと二人、朝の身支度をしながら観戦していて思わず「おおーっ!」と声を上げた。

おかげで寝不足の毎日。
昼間はあくびをしている人も多い、そんな季節だ。

2014年6月27日(金) 自治会のもめごと

会議を終えて帰ってくると、嫁さんが「さっき自治会長が来た。電話ほしいらしいよ」と言った。

正直、会長の話は長い。
ただでさえお年寄りで考えがまとまらないうちに話し出すので要領を得ない上に、これまた同じ話を何度も繰り返し、そしてきっちり脱線する。
私が答える内容だって、いつものPTAや子ども会のメンバーならすぐに理解できるようなことでも、何度も説明しないと理解してもらえない。
おまけに、すぐに忘れる。

少しビールを飲み、気合を入れてから電話をすると近くにいるからこっちへ来るという。
ステテコ姿で出迎えるわけにもいかず、ズボンに履き替えていると、すぐに自治会長が来た。

「すまんなー」といつもの挨拶に続けて、「実はさっき○○さんが来てな」とかなり低いトーンで元気なく話し出した。

町内にある自治会館で葬儀を行う場合など、使用料を徴収している。
この街の葬儀屋さんへ一軒だけで、ほとんどの場合はそこに依頼するのだけれども、長年その徴収金額を間違っており、多く徴収していたらしい。
葬儀屋の主人に伝えたところ、話がこじれたのだという。

いきさつを聞いていると、話をするタイミングに問題があったようだ。
こういうことは間違いを犯してしまった相手側まで出向いて謝罪すべきなのに、相手がこちらに来た時に謝ってしまったのだ。
そうすると相手は「ついでに謝った」と受け取りかねないし、事実そうだったようだ。

それに、会長は言葉がうまくない。
失礼な言い方かもしれないが、対人折衝能力が低いと思う。
それが輪をかけて相手をいからせることになってしまったことは容易に察しがついた。

ひとまず、役員だけ集まって話をし、後日、葬儀屋まで謝罪に行くことになった。

たぶん私が話をすることになりそうだ。
ちょっと頭が痛い。

2014年6月28日(土) 救急救命

救命救急の講習を受講した。

二年ほど前にも受講しており、すでに市民救命士の資格を持っているのだが、機会があったし、それに経験を積むほど身につくものであることも間違いないので参加することにした。

大阪市内のとある消防署に向かう。

節電のためだろうが、ガラスの自動ドア越しに見える内部はとても暗く、これがどこかのお店だったりすると、間違いなく「本日休業」と思われるほどの暗さだ。
消防署なので24時間営業していることは間違いないのだが、果たしてこのドアが本当に開くのかどうか、半信半疑でドアに近づいた。

ぐぃーんとドアが開いた。
当たり前と言えば当たり前だが、なぜか安心する。
入口のすぐ横に窓口があり、若い署員が座っていた。
「こんにちは」とお互いに挨拶をし、エレベータを探して奥に進む。

しかし暗い。
いくら節電とはいっても、すべての電気が消されたビルの1階は、明るい外とは対照的で、急いで中に入ると足元や壁が見えないのではないかと思う。

6階の講堂までエレベーターで上がる。
空調もほとんど聞いておらず、駅から道に迷って10分以上も歩いてきた私には正直ちょっと暑い。
見慣れたメンバーに会釈して席に座った。

外部から来た我々に気を使って空調を強めてくれたのだろうかしばらくすると汗が引いてきた。
広い講堂の温度を下げようと思うとかなりの電力消費が必要であり、おそらくはここ数週間分の節電を一気に帳消ししたのではないだろうか。
この分を取り戻そうと思うと、エレベータも使用禁止になるかもしれない。
あ、でも、普段から体を鍛えている人たちなので、もしかしたらエレベータだって使っていないかもしれなぁ。

やがて時間が来てまずは講習用のビデオを見ることになった。
ビデオでは最初に経験者の話を元に「救命救急の大切さ」の説明があった。
その後、「心肺蘇生の方法」「AEDの使用方法」など1時間程度のビデオによる講習と2時間程度の実技を交えて行われた。

実技の時は毎度ながら少々恥ずかしい思いをすることになる。

傷病者に見立てた人形の近くに歩み寄り「人が倒れている!」と声を出し、「安全確認!よし!」と言ってから人形の横にひざまずき、「大丈夫ですか? 大丈夫ですか! 大丈夫ですか!!!」と耳元で徐々に声を大きくしながら語りかける。
まるっきりの人形相手だし、ここは車どころか人さえも歩いていない、その状況でこのセリフをしゃべる。
また、見物者は傷病者を見守る通行人ではなく、これから同じことをさせられることを知りながら、その芝居の一員に巻き込まれている受講者たちであり、妙な緊張をしている。
その一員に対して「チェックの服を着ているあなたは救急車を呼んでください」「そこの紺のカーデガンを着ているあなたはAEDをもってきてください」などと指示をする。
そして「呼吸確認! 1、2、3、…」と数え、「呼吸なし! 心肺蘇生開始!」と言って胸部圧迫を開始する。
見物人から合いの手も何もない状況の中で、一人声を張り上げて人形相手に5分程度の実技を行う。

寒い。
寒いことこの上ない。

私の番になった。
寒いのは嫌だ。
だから「では、どうせなら本番を想定してやってみたいと思いますので、本気でやっていいですか?」と講師に聞いた。

立ち上がって人形から少し離れる。
ケータイをいじりながら歩きはじめる。
「ふん。しょーもないメール送ってきやがって。ほんまにもう…!? あれ? もしもし?」
倒れた人形に気が付いて恐る恐る歩み寄る。

もう、見物人も講師も笑っている。

「もしもし? あれ? 大丈夫ですか? もしもし! 大丈夫ですかぁ!! もしもーーーし!! だいじょうぶですかああ!!!」
酔っ払いならたぶん間違いなく「うるさいわい!!」と飛び起きるはずだ。

「あかんがなこれは! ちょ、ちょっとすんません!そこの女性、救急車、救急車を呼んできてください!!」
本気の私を見て驚いたように「は、はい!!」と返事をする女性。
その横にいる男性には「AEDを、AEDを探して持ってきてください!!ダッシュでお願いします!!」とこれまた本気で言う。

「息、してないんちゃうか? あれ? ほんま息が止まってるがな!えらいこっちゃで!!」
「こ、こうやったかな。手を重ねて、指を曲げて、腕を曲げずに体重を乗せて、1、2、3、4…!」と胸部圧迫をし、人工呼吸を行う。

たぶん、本番も同じようなことを言うし同じような順序でやる。
教科書通りのセリフで話すことなんてまずないから、このやり方のほうが実践的だ。

「はい。結構です。ありがとうございました」と講師が言う。
「いやー。ほんま、この人形が生き返りそうな勢いでした」とも。

救命救急の方法は毎年のように変わっているらしい。
より身近にできるよう、専門的な行為を極力省くようになり、また、出血していても対応できるような内容になっているとのこと。
確かに2年前のものとも違っていた。

毎年とは言わないまでも、何度か受講したほうがよさそうだ。

実戦で使用することがないことを祈りながら。

2014年6月30日(月) おおきなかぶ

小学生向けの教科書を読み比べる機会があったので一年生の国語の教科書を読んでみた。

どの出版社にも共通して取り扱われていたのが「おおきなかぶ」というお話だった。

おじいさんが自分で植えたかぶを抜こうとするが全く抜けず、おばあさんも一緒に引っ張り、さらには孫、そして犬と猫、最後にネズミも一緒になって引っ張るとようやくかぶが抜ける、というお話だ。

長女が幼稚園の時にこの話の歌をよく歌っていた。

「たーぶをひっぱる、おじーたん、そーれをひっぱる、おばーたん、そーれをひっぱる、ま、ど」

長女の言う「かきくけこ」と「さしすせそ」はどれもみな「たちつてと」に聞こえてしまう。

「そーれをひっぱる、い、ぬ、そーれをひっぱる、ね、と、よーいとよいと、よーいと。おおちなたぶはー、ぬてまてん」

一緒にお風呂に入ったときなど私が歌ってやると大喜びしていた。

そんなことを思い出しながら読んでいて気が付いた。

ある教科書(A)では「かぶをおじいさんがひっぱって、おじいさんをおばあさんがひっぱって」となっている。
別の教科書(B)では「おばあさんがおじいさんをひっぱって、おじいさんがかぶをひっぱって」となっている。

同じことを伝えているのだが、引っ張る順序の説明が逆だ。

Aではまず最初にかぶを引っ張るおじいさんがいて、手伝いに来た順番に「おばあさんがおじいさんをひっぱって」「まごがおばあさんをひっぱって」となる。
Bでは「まごがおばあさんをひっぱって、おばあさんがおじいさんをひっぱって」という具合に後から来たものが先に登場し、最後におじいさんが株を引っ張っている。

もともとはロシアの民話らしく、訳者によって異なるようだ。
多くの教科書ではBの訳者のものを使っていたが、私はAのほうが子どもに伝えるには適切であるように思う。

このお話の面白さは徐々に人数が増えて、それもどんどん力のないものが手伝うにもかかわらず、最後にはネズミ一匹が事態を大きく変える、というところにある。
ならば「徐々に増えていく様」こそがこの話の重要な点であって、それをどのように子どもに伝えるのか、が大切なところではないだろうか。

そうだとすると「ネズミが猫を引っ張り、猫が犬を引っ張り」というように遠くから株に近づいていく表現ではなく「かぶをおじいさんが引っ張り、おじいさんをおばあさんが引っ張り」のように、かぶからどんどん遠ざかっていく表現のほうがよりこの状況を的確に伝えられるのではないだろうか。

まあ、授業で教えている先生がそこまで意識しているかどうかは疑問だし、実際、読んでいる小学生がこの違いを感じ取れるのかどうかも疑問だ。

それよりなにより、長女が歌っていたあの歌の順番通りであることが、私が推す理由だ。

「そーれをひっぱる、ね、と、そーれをひっぱる、ねずみ、よーいとよいと、よーいと。おおちなたぶはー、ぬてました!」

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