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2006/01/01

        12.娘は父親を拒絶するか? 2002.6.12

私と一回りほど若い女性と、娘の話で議論したことがあった。
その女性はもちろん誰かの娘であり、娘の立場として貴重な意見をいろいろ聞かせていただいた。
ただ、女性の主張する「女の子は年頃になれば父親を拒絶するのが当たり前」という意見にどうしても納得できず、大人気なくもメールを書いて納得してもらおうとしたものである。
彼女がその後、納得したかどうかは解らないが。

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「父親に裸を見られるのが恥ずかしい」というのは
環境−−それがおませな友達であれ、日本の社会であれ−−
が与えるものであって本人の意識の中に自然と芽生えるものじゃない
というのは一致していると思います。

人は社会の中で生きる生き物ですから
他人と違う行動をとることに違和感を覚えるのだとおもいます。
また、そうでないと自らを危険に晒すことにもなりかねません。

胸のふくらみや初潮によって娘が父親を意識するのは確かです。
これも当然のことだと思います。
しかし、立派に成人した女性たちが父親と一緒に風呂に入っている家も
まれですが実際に存在しています。

「なぜ、お父さんと一緒に入るの?」の質問に彼女たちにはみな口をそろえて言います
「うちではずっとそうだったから」。

おもうに、彼女たちが性を意識し始めたとき、
母親や父親がそれを特別扱いしなっかたのではないでしょうか。

私でさえ、娘に注意します。
「女の子が足を広げて座るな」
「ちゃんとズボンかスカートをはきなさい」
そうしているうちに娘は父親の前でそういう格好をしなくなります。
また、成長するにしたがって母親と接する時間のほうが
父親に接するそれよりも長くなります。
そして父親は次第に、娘への接し方を変えてきます。
父親が娘の成長を意識するからです。
やがて父と娘の間になにか溝ができるのだと思います。

以前、家内が言いました。
「お風呂はいつも一緒に入ってたら、いつまでも一緒に入ってくれるやろうけど
 父親のほうが意識してしまうから無理になるんやとおもう。
 毎日ふつうにしてたら、ふつうに入れるで」
と。

日本という社会に生きる以上
女性は衣服を身にまとい、下着は隠して外を歩きます。
男性に対して女性が胸を見せることは恥ずかしいことであり
父親と一緒に風呂にはいる女性は奇異におもわれます。

核家族を中心に構成されているこの日本では娘にとっての最初の異性は父親であり、
父親に対する警戒心を持つことで他の男性に対する警戒心を学びます。
事実、多くの父親が娘を教育するときに「足を広げるな」「下着で歩くな」と注意しており、
彼らや母親がそれを注意しなければ警戒心の薄い女性が多くなるでしょう。
ですからあなたの言う常識論は最もであり、
それがこの日本には適しているのかもしれません。

しかし。

私が言いたいのは、それを常識であると教育しているのは
他ならぬ、父親であるこの私自身であり、また彼女の手本となる母親です。
ですから私や母親が教育する方法によって娘の考え方は変わって来るものであり、
それを「成長すれば父親を拒絶するのがあたりまえ」と言われるのが納得できないのです。

私とて娘の無事な生長を願って止みませんから
無知で無防備な女性にはなって欲しくありません。
ただ「成長すれば父親を拒む」女性にはしないつもりです。

おそらくは多くの女性にとって父親と一緒に風呂に入る行為が
もっとも父親と一緒にできることの中で困難な行為ではないでしょうか。
それができるような仲のよい親子でありたいとおもうのです。

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まあ、何にでも自分の意見を主張したがる私だが、とりわけ、教育方針などについて「それが常識だから」という理由で片付けられたりするとむきになってしまうのである。



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