つるつるいっぱいのサイト

 

2005/05/05

        5.けったくそわるい


私はこの言葉に人間の傲慢を感じる。

自分でクソを蹴飛ばしておいて、その上そのクソを悪者扱いしている。
まるで、そこにクソがそこに居たこと、その存在そのものが悪いかのように。

確かに道の真ん中にクソがあったりすると「何かの間違いじゃないか」と思ってしまうほどに非常識に感ずることもあり、けしからんという気にもなる。
しかし、クソだって自分でそこに存在したくて存在しているわけではない。

しつけのなっていない犬の肛門から搾り出されたか、酔っ払いが家と間違えて脱糞したか(きっと彼は、ケツを拭いていないはず)、あるいは悪がきがふざけて棒の先に突き刺したクソをここで落としてしまったかのいずれかであり、自然とそこにクソが生まれたわけではないのである。

クソ自身に罪はない。
クソもここにいたくていたわけではない。
出来れば人目を避けたいと思っているはずだ。
土に返るその日までひっそり静かに暮らしたいであろう。

でも、彼は、運悪く、気が付けばアスファルトの上に放置されていた。
よほど硬く、そしてよほど風の強いときでもなければ、転がることも出来ないクソは、針のムシロに座らされたような居づらさを感じながらも、そこに仕方なく、居るのである。
そのまま、月日が経てば、やがて乾燥し、風に運ばれることも可能であっただろう。
あるいは大雨の日がくれば、悲しい思い出とともに、きれいさっぱり流れることも出来たであろう。

そしてその彼に突然の不幸が訪れる。
いつものようにその日が来るのを静かに待っていただけなのに、突然誰かが彼を蹴飛ばしたのである。
そしてその上、「クソ悪い」と言われてしまうのである。

けったクソ悪い。
なんと言う人間の傲慢さか。
私は蹴られたクソを思うと涙を禁じえない。

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この言葉、関西弁かと思っていたらそうでもなさそうだ。
もともとは「けたいくそわるい」から転じた言葉で「けたい」とは易で使用される用語である。
それと「とても悪い」を表す「くそわるい」とがくっつき、「縁起が悪い」「物事が上手く行かない」などを表す言葉となり、「けたいくそわるい」から「けったくそわるい」になったといわれている。





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