カリント日記

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2005年7月1日(金) 酒屋

金曜日は大抵、酒を買って帰る。

ビールとチューハイと後は嫁さんが飲むための甘いカクテル。
そしてたまにお客さんの接待用のお酒も購入する。

家にはウィスキーなどのボトルがずらりと並んでおり、買って帰らなくてもアルコールに不自由はしないのだが、ゆっくり時間を掛けて飲みたい夜はまずはビールから飲むことに決めている。

で、この酒を買う店がいくつかある。

一つは、駅構内にあるコンビニ。
電車で仕事に出た時はここが一番近い。
500mlのビールが300円と、コンビニで買うより少し高い。
でも、品揃えもそこそこあって、利用する頻度も高い。

二つ目は駅を自宅とは反対方向に下り、少しいったところにあるコンビニ。
ここは同じビールが271円。
もともとは一番家に近いコンビニに酒を売っていたのだが、そちらでの販売を止めてしまい、同じ系列のこちらのコンビニで販売を開始したのだ。
つまみ類が豊富なので、休日、急に来客があったときなどはここで購入することが多い。
そして三つ目が、近所の酒屋。
あまり利用することはなったが、この酒屋さんは町内会長の店であり、いわゆる近所づきあいとして利用することがある。
ただ、ビールの鮮度が悪く、おまけに冷えも悪い。
店先の自動販売機など、ビールの出かたがとても乱暴で、その場で開けると中身が勢いよく噴出す。
文句を言っても「あの自販機は買い置きように使ってください」という。
すぐに飲みたいから自販機で買うのに。
日本酒を一番よく取り揃えているのはここなので、日本酒好きの来客があるときはここで購入するが、それ以外はわざわざここに行くことはなく、出先からの帰りに店の前を通ったときに利用する程度だ。

やる気のない酒屋で、同じ町内会で仕事をしている私の顔ですら覚えていない。
とっくに潰れても良さそうなものだが、なかなかそうならないのは不思議だ。

2005年7月2日(土) ウィスキー貯金

昨日に引き続き、お酒ネタ。

ウィスキーをまとめ買いした日から、コップ一杯、およそダブル程度の量を飲むたびに、お金を貯金箱に入れている。
一杯あたり300円。
土曜日の夜は一番よく飲むので大体900円〜1200円を貯金することになる。

この貯金箱はカンタイプなので、一度入れてしまうと切り開かない限り中のお金は取り出せない。
大きさは250mlのジュース間程度だろうか。
指先の感覚では底から4分の1程度まで溜まっている。ウィスキーのボトルが1本は買えるだろうが、2本に届くかどうかといった感じではないだろうか。
きっと、この貯金箱が一杯になるとちょうど今回買い揃えたのと同じ程度のものが買えそうだ。

今度はそれぞれの銘柄をバージョンアップしたいと思っているのだが、そうなると近所のスーパーで買うのは無理かな。

2005年7月3日(日) 期末試験

期末試験が始まり、今日は長男も長女も勉強をさせられている。
本来であれば、言われなくてもやるようなものかもしれないが、少なくとも我が家の子供たちは自分から進んでやる事はほとんどないので、やはり親がうるさく言わなくてはならない。

しかし気が付けば、居間にきてマンガを読んだり、一緒にテレビを見たりしている。
勉強はどうした? と尋ねると、もう終わった、という。
そんなに早く終わるはずがないのに、あれもやったしこれもやったし、ここは全部覚えたし、応用問題も全部解いた、という。
まじめな中学生の長女が言うのなら、まだまだ難しい内容ではないし、それほどの量もないだろうから、わからないでもない。
しかし、長男が言うのはどうも信用できない。

それを確認しようとするなら、例えば教科書から例題を出して正しく答えられるかどうかを確認すればいい。
でも、はっきりいって面倒だ。

中学生のときは、確かに中間テストや期末テストの成績が大切であり、高校入試のときにも影響する。
しかし、高校生のそれは違う。
本人の実力を確認する意味はあっても、そこでいい点数をとる意味はあまりない。
(無論、今後の先生の指導の仕方や、力のいれ方も変わってくるだろうが。)
結局は大学入試でいい成績をとれば、大学に入れるのだ。

だから、毎回のテストの点数はそれほどやかましく言わない事にしている。
それよりも早く志望校を絞り、どの教科を重点的に勉強するかを見つけることが大切だと教えている。
得意な事を活かして、伸ばして、自信を持って、しっかりと自分の土台を築く。
その上で、将来やりたいことのための知識を蓄える。

大学はどこでも一緒だ。
本人がやる気になれば、十分勉強はできるし、遊ぼうと思えば遊べる。
いずれにせよ、自分を成長させるために行く事を忘れてはならない。

2005年7月4日(月) 情報処理

長男が勉強をしていない、と嫁さんが嘆くので、長男を呼びつけ、明日の試験科目を尋ねる。
「国語」と「情報処理」らしい。

国語は私もそうだったが、どこをどう勉強していいのかよくわからないし、勉強したところで必ず満点が取れるとは限らない。
ある意味、才能が要求される分野だと思う。
入試のときも9割以上の点数を取っていたのは父親譲りか。
で、情報処理。
知ってのとおり私の専門分野にして、生業であり、食い扶持である。

「試験範囲は?」そう聞くと「著作権だけ」と長男が答えた。
著作権だけで何十分もの試験時間を潰せるわけがない。
論文でも書かせるのなら別だが。
「それだけ?」
「それだけ」
「ほんとに?」
「うん」
「教科書をもってこい」そういうと渋々、教科書を取りに自分の部屋へ上がっていった。
しばらくして教科書を持ってきたので「何ページから何ページまで?」と聞く。
「61ページから68ページまで」という。
間違いなく、著作権だけで教科書がそれだけのページを割り当てるはずがない。
そう思って開いてみると、情報処理試験の重要単語が目に飛び込んでくる。
「パスワード」「ワクチン」「ファイアウォール」「暗号化鍵」。
その場ですぐに問題を出した。
「情報処理における個人情報とは何か、簡潔に答えなさい」
「公開鍵と共通鍵の違いを述べなさい」
「ワクチンソフトについて説明しなさい」
そういうと、確かに少し難しい問題の出し方をしたが、長男は黙り込んでしまった。

「1時間後に再確認するから今から勉強して来い」
すると30分後に長男は教科書を手に私のところへやって来た。
また同じように問題を出す。
「工業所有権を4つ上げなさい」
「ファイアウォールについて説明しなさい」
「パスワードの管理について説明しなさい」
たどたどしいながらも、なんとか答えた。

「英語や数学は試験のために必要だが、情報処理はこれからの仕事のために必要になる。だから満点を取れ」
そういうと「うん。わかった」と答える長男。
何処から来るんだその根拠のない自信は。
これまた父親譲りか。

本日の体重 62.4kg。

2005年7月5日(火) WWW

満点は無理だと思ってはいたが、本人の自己申告では70点。
ということは、60点台か。
長男の「情報処理」の試験である。

何が解らなかったのかと尋ねると、「WWW」と言う。
ああ。情けない。
普段、お前は何のためにインターネットを使っておるのだ。
父は悲しい。
って、お前、パソコン部だろ。

「LANってLocalAreaNetwork?」
おお。それは正解。
間違えたらどうしようかと心配してしまったじゃないか。
って、お前、パソコン部なら知ってて当たり前だ。
というか、ネットワーク型ゲームしたいために、自分の部屋までケーブル引っ張ってるじゃないか。

何?検索エンジンの二つの型を聞かれた?
ロボット型とディレクトリ型か?
さ、さすが、って、私はプロだ。
はっきり言って、先生より知っている。

うん?
ちょっとまて。
昨日、出題範囲を確認したが、そんな問題はなかったぞ。
え?なに?プリントが配られていた?
それを忘れてた?

・・・。

志望校は何処だっけ?
・・・。

うーん。
もう少し、ランク下げたほうがいいかなあ。

本日の体重 61.9kg。

2005年7月6日(水) 大雨

空梅雨が一転して大雨となった。
今、私が住んでいる辺りでは幸いなことに、大雨による被害はなく、またそうなる心配もない。
しかし、私が思春期を過ごしたところは違っていた。

近隣の都市に比べて田園の多く残るその地域は、町のいたるところに用水路が張り巡らされ、私の家の前にも流れていた。
大雨になると、その用水路の水が溢れ出し、低い道路は水に浸かっていた。
私の家も数回、床下浸水したことがある。

私が住んでいた家は、大屋が家を建て替える間、仮の住まいとして建てた家で、壊すのはもったいないからと、そのまま借家としていたものだった。
だから、長期間済みつづけるには適していなかった。

北側にしか窓がなく、直射日光が部屋に入ることはないので、一年中じめじめし、いたるところでカビが繁殖していた。
雨どいが掃除できない構造になっており、ゴミが溜まると雨水はそのまま溢れて土壁を伝って流れるため、雨の日は部屋の中から壁を押すと、そこだけがへこんでしまった。
雨漏りで天井の色は変わり、屋根が下がってきたために襖は見た目に解るほど湾曲していた。
台風などで強い風が吹くと、家のあっちこっちからきしみ音が聞こえてきた。
そんな家だから、やはり大雨は怖かった。

スリリングな思い出の一つだが、未だに夢の中に登場する「我が家」はその家であることが多い。
私にとっては、今住んでいるこの家よりも、その当時のあばら家の方が性に合ってるのかもしれない。

2005年7月7日(木) 七夕の夜

今日は七夕だ。
織姫と彦星が一年に一度出会うらしい。
とは言え、私はロマンチックな話は余り得意ではないので、天体の話しでも。

織姫と呼ばれている星は、「琴座」のアルファ星の「ベガ」であり、同じく彦星は「わし座」のアルファ星「アルタイル」である。
これらはともに、夏の夜空を代表する星だ。
さらに、あと一つ、天の川を飛ぶ「白鳥座」のアルファ星「デネブ」を加え、これら三つの星を結ぶと大きな三角形になる。
これが、「夏の大三角形」だ。

それぞれの星座が何処にあるのかもわからないのに、夏の大三角形を確認するなんて難しいと思われるかもしれないが、実はそうでもない。
満天の星空が眺められる空気のきれいなところであれば多少の知識が必要だろうが、星空のほとんど見えない都会では、この大三角形ぐらいしかまともに見えないからだ。

まずは一番形の簡単な白鳥座を探す。
綺麗な十字架の形をした星座だ。
初めて見たとき、思っていたより大きいのでビックリした。
これのお尻にあるのがデネブ。
あとはまあ、他のWebサイトで確認してくれ。
文章で書くのは難しいし、読んでいてもイメージしづらい。

とにかく、そんなに難しいことではない。

家族や友達と夜空を見上げる機会が増えるこの季節。
ロマンを語るのは恥ずかしいけれど、天を呼び指して、あれこれ話している雰囲気はロマンそのものだ。
(「メールとか」に「天の川」をアップした)

2005年7月8日(金) ぐだぐだの一日

まいった。
今日はとてもじゃないが仕事が出来ない。

今朝から頭が痛いのは昨夜の酒が残っているからだと思っていた。
でも、昼を過ぎてもいっこうに痛みは治まらず、また、体が異様に重い。

おかしいなと思って熱を計ると37.5度あった。
普段ならこの程度の熱はどうってことないのだが、今日は、全く動けない。
起き上がるための力が入らない。
腕はだるいし、腹筋は役に立たない。
何より、家族の中で一番暑がりの私が、エアコンをつけると寒くて仕方がないのだ。
家族が暑いというので私は布団に包まっていた。

食欲もない。
横になっていても、同じ体勢を維持できない。
背筋や腰が痛いのだ。
また、テレビを見ていても、30分もしないうちに睡魔がやってくる。

結局、起き上がれたのは夜の8時を過ぎた頃。
夕食はとりあえず食べたが、11時過ぎには再び、布団の中へ。

夜は久しぶりの友人と再会する約束だったのに、ドタキャンになってしまった。
ごめんなさい。

2005年7月9日(土) IP電話

「Skype」というソフトウエアをご存知だろうか。
「スカイプ」と読む、このソフトウエアは簡単に言えば、インターネットを利用して、無料で電話がかけられるソフトウエア、ということになる。

インターネットを利用した電話といえば「IP電話」が有名で、最近はかなり設置台数も増えてきた。
かく言う我が家も、一応、IP電話である。
「一応」という前書きがあるのには理由がある。

本来、IP電話というのは、インターネットを利用して通信する電話であり、その回線が従来の電話回線である必要はない。
しかし、現在ほとんどの家庭で利用されているインターネット環境というのは、従来のNTTの電話回線を利用して構築されていることが多い。
そして、現在利用されているIP電話は、NTTの電話回線を経由しているものが大半を占めているのである。
だから、NTTの「加入者電話」の契約がなければ、IP電話が使用できないからだ。
(契約変更によってNTTの加入者電話を利用しないことも可能なのだが)

ちなみに、「うちはIP電話なんて関係ない」と思っているそこのあなた。
あなたも家の電話もすでにIP電話かも知れない。
大手有名プロバイダではインターネット環境にIP電話がセットになっており、各家庭に「050」で始まるIP電話の電話番号が割り当てられている。
ダイレクトメールで一度通知があっただけなので、興味のない人は全く気がつかないままかもしれない。

閑話休題。
SkypeはIP電話ではなく、パソコンを利用して通信をする。
だからケーブルテレビなどでインターネットを接続している人でも、そのパソコンを使えば、無料で電話がかけられるのだ。

ただし、無料といっても条件がある。
相手が同じようにSkypeを利用していること。
こう言えば非常に範囲が狭いように思われるかもしれない。
しかし、例え相手が通常の電話「加入者電話」であっても、1分あたり数円でかけられるのだから、今後は加入者電話に取って代わる可能性は高い。

音声の品質や使い勝手などについては今後レポートしたいが、我が家では大いに期待している。
私が10年以上前に嫁さんに予告した「近い将来、電話代はタダになる」と言っていたことがいよいよ現実味を帯びてきた。

では今、さらに予言しよう。
10年後、電話をかけるたびに、今までとは逆に、お金がもらえるようになる・・・無理?

2005年7月10日(日) 試験試験そして試験

長男が、英検の二次試験を受験した。

前日の夜、翌日は試験日だというのに、全く勉強している気配がない。
「おまえ、どんな問題が出るのか知っているのか?」
「知らん」
「試験会場の下見は?」
「してない」
「ここからどれぐらいの時間で着くんだ?」
「知らん」
もう、まったくもって万事がこれである。

こっちが心配になって、いろいろ調べてみると、二次試験は面接で、面接官と英語で会話するらしい。
楽しげに、さも英語が好きであるかのように一所懸命はなすことが、好印象を与えるコツだという。
もう、これは絶望的である。
好きなことに対しては楽しげであり、周りを盛り上げもするが、そうでないことに対しては、全くやる気を示さず、とてもじゃないが良い印象を与えることなどできない。

しかし、昼過ぎに帰ってきた長男は、落ち込むでもなく、普通の顔をしていた。
「試験はどうだった?」
「うん。まあ」
うん。まあ。
うんまあどうなんだ!
そう思いながらも、済んだことを今更、どうこう言っても仕方がない。
本人が一番わかっているはずだし、結果が出てから、次のことを話し合えばいい。

とりあえず、木曜日に期末試験が終わり、そしてこの日曜日に英検の試験が終わったんだから、しばらくは休憩してもよかろう。

と思ったら、来週は模擬試験らしい。
息子よ。お前も結構大変だなあ。

2005年7月11日(月) パンツを洗ってもらううちは

嫁さんは大変だ。
家事全般が大変なのは百も承知だが、それよりも大変なのが、子供を叱ること。
とりわけ、長男。

長男は嫁さんよりも頭一つ分、背が高く、私もそろそろ追いつかれるのではないかと思う。
だから長男を叱るときでも、長男が立っていたりしたら嫁さんは長男を見上げてしからねばならない。
威厳もへったくれもあったものじゃない。

これまた長男も態度が悪い。
嫁さんを見下げるようにして「ああ。うん。わかった」と、うわべだけの相槌を打つ。
こんな態度をとられれば嫁さんは感情的になる。
ところが長男はカエルの面にしょんべんとばかり、嫁さんの感情的な言葉を聞き流す。
これの繰り返しだ。
それを見ていると、叱っているほうも叱られているほうもなんだか慣れっこになって、儀式化してるんじゃないかとさえ思う。

無論、嫁さんにそんなつもりはなく、長男を思って叱っているのだろうが、それが伝わらないのだから、さぞかし歯がゆいだろう。

まあ、長男よ。
お前が煙たそうにして態度が悪いのも解る。
お母さんというものは小言を言うものだから、鬱陶しいだろう。
どこだって、誰だってそうだ。

ただあれだ。お母さんに偉そうに言うのは間違ってる。

誰に晩飯を作ってもらってる?
誰にパンツを洗ってもらってる?
恩義を感じろ、とは言わない。
それが親の役目だからな。

でも、パンツを洗ってもらっていながら、偉そうに反抗するのは少し格好悪いぞ。

2005年7月12日(火) セミの声

今日、今年になって初めての蝉の声を聞いた。
もう7月も半ばだから例年よりも遅いように思う。
ちょうど気温も上がり始め、蝉の幼虫が7年越しで土の中から這い出してきた頃に、強く長い雨が降ったことが影響しているように思う。
街路樹の近くで羽化にいたらなった亡骸をいくつか見つけた。

小さい頃、蝉の声といえば「ミーンミーン」だった。
ところがいつの頃からか、その声の主のミンミンゼミは姿を消し、代わって「シャーシャー」と騒がしく鳴くクマゼミが増えてきた。
あまりにうるさく、そこらじゅういたるところで見かけるのでありがたみも何もない。

私が住んでいた、まだ田んぼの多い場所でさえ、ミンミンゼミを最後に見かけたのは中学生の頃だったろうか。
近所の小学生が捕まえてきて、自慢げに見せていたのを覚えている。

そのころ何かの本で「ミンミンゼミは天然記念物」というのを見つけ子供心に「それほど数が減ってしまったのだな」と憂いたことを覚えている。
(後でわかったが、北海道のごく一部に生息するミンミンゼミの亜種であった)

にもかかわらず、今でも蝉の声といえばミンミンだ。
めっきり少なくなったミンミンゼミの声が、未だにCMで夏の風物詩となっているのは変だと、不思議に思っていたのだが、大人になって意外なことに気がついた。

東京では、それほど田舎に行かなくてもミンミンゼミの声が聞けるのだ。
逆に、シャーシャーと鳴くクマゼミの声は聞こえない。
これはつまり、蝉の分布域が東西で異なっているということなのだ。

ところ変わればなんとやらで、こちらでは幼稚園児しか興味を示さないようなクマゼミも、関東に行けば大人でさえ興味を惹かれる珍虫なのだ。

本日の体重 61.7kg。

2005年7月13日(水) 簡易課税

消費税の支払いをしなければならなくなったことは前にも書いた。
で、その申告しなければならないので税務署に届出を出した。

考えてみればおかしな話だ。
「私はどうやら納税しなければならなくなったようです。この届出を出しますので納税させてください。滞納したときは延滞料を払います」というのをわざわざ自分で申告しなければならないなんて。
きっと申告しなくても税務署はしっかり調べて徴収するに決まっているのだが。

で、その納めなければならない消費税。
これ、売上の一律5%を納めるんだと思っていたら、どうやら違う。
実は以前、「売上税」と言うものの導入が囁かれた時、その仕組みについて調べたので理解していたのだが、すっかり忘れていた。

納めなければならないのは、仕入れの時に支払った消費税分の指し引いた金額のようである。
ま、難しい話は抜きにして、要するに、仕入れの時に幾ら支払ったか、とかを厳密に言えば管理しなければならない。

でも、われら零細業の味方に「簡易課税」というのがあって、「仕入れにこれぐらい支払っただろう」というのを「みなし」て計算できるのだ。
手間が省けてありがたい。

でも、申告して、手間掛けて、お金払って。
どうしても損した気分だ。

本日の体重 62.6kg。

2005年7月14日(木) 夜のドライブ

今夜は久しぶりのユーザ先での深夜作業。
電車の便は悪くないが、終電に間に合わなければタクシーを使わなければならない。
そこで愛車の出番。

ここんところの雨続きで、いつもなら車で行くユーザへも電車で行くことが多く、愛車に乗るのも久しぶり。
前にも書いたように、私の車は雨に弱いのだ。(強い日差しにも弱い)

久しぶりに車庫から出して、夜の街を走り始める。
車で40分程度で目的地に到着。
なるべく人通りの多いユーザ近くの駐車場に車を止めて、しばし愛車とお別れ。

夕方に準備していたので仕事はあっという間に終わり、ユーザからのねぎらいの言葉も半分うわの空、心は既にシートの上。

エンジンをかけてゆっくりと駐車場から出る。
辺りには民家もあるので、慎重に静かに。
広い道路に出てからグンッと加速させる。
最初の信号で心に決めた。
帰り道は少し遠回りしてでも、信号の少ない道を選んで、スイスイと帰ろう、と。

いくら賢いカーナビでも、「信号の少ない帰り道」なんて注文には答えてくれない。
自分の記憶を頼りに、広くて走りやすく、信号の少ない道を大回りして家に向かう。

走ること1時間半。
夜のドライブも満喫し、ようやく家に帰ってきた。

さ、今度の休日は目一杯走ろう。

本日の体重 62.4kg。

2005年7月15日(金) はしご

今日はユーザとの飲み会。
一件目は居酒屋で。

気心知れたメンバー相手に少しペースを押さえ気味にゆっくりと飲む。
この前もほぼ同じメンバー飲んだが少し記憶がなくなってしまった。
聞くところによるとそのとき私は大はしゃぎであったそうだ。
「隣にいた『野郎』と意気投合して、盛り上がったのは覚えている」と言うと、「その男は向かいに座っていて隣に座っていたのは女性だ」と言われた。

居酒屋で二時間飲んだ後、歌えるスナックへ行くことになった。
カラオケはそれほど行くわけではないが「歌えない」というのは、屈辱的なことであるので、常にいくつかの持ち歌を用意している。
「最新曲」とまでは行かないが、そこそこ新しい曲を歌えるように。
4曲ほど気持ちよく歌って、適度に盛り上げて、なかなかいい感じだ、などと自己満足に浸りながら店を出た。

次は独身男のたっての希望で、もう少し色気のある店に行くことにした。
この日の私は不思議なぐらい酔わず、記憶も全く途切れなかった。
恐らくはその独身男がかなり酔っていたせいで、私がその面倒を見続けていたからだろう。
三軒目のラウンジでは独身男のやりたい放題で、私は結構冷や汗をかいた。
あんなことはやっても良かったのだろうか。
相手が相手でなかったら、とんでもないことになっていたかもしれない。

独身男が酔いつぶれ、反応が鈍くなったところで店を出ることにした。

うん。でも、あの店、安かったなあ。
独身男が見つけた店で、彼には世話を焼かされたけど、また今度行ってみよう。

2005年7月16日(土) 嫁さんと

三軒はしごしてタクシーで帰ってきたにもかかわらず、記憶がはっきりあるし、第一、全く普通に会話していたので、嫁さんも不思議に思っていたのは、やはり酒の量が少なかったのか、次の日は土曜日なのに、いつもと同じように7時前には目を覚ました。

とはいえ、少しお酒が残っている感じはあり、冷蔵庫から昨日の夜にコンビニで買ったスポーツドリンクを取り出してゴクゴクと飲んだ。
しばらくすると健康的なことにおなかも空き始め、これまた昨日の夜に買っておいたとろろソバを気持ちよくすすりながら食べた。

もう少したんぱく質を補給しようと思い、冷蔵庫から卵を取り出そうとすると、その横にチューハイが置いてあった。
一瞬、昨日の夜に酔っ払って買ってしまったのかと思ったが、私が行ったコンビニに酒は置いてないし、それにそのチューハイは近所では売っていない銘柄だった。

嫁さんに聞くと「二人で飲もうと思って」という。
普段なら飲んで帰ってきた次の日は、流石にもうしばらく酒は飲みたくない気分になるものだが、今日は違っていた。
夕方ぐらいから二人で飲むときのことを考えるとなんだかそわそわしてくる。

二人で飲むときは互いに最近の話をする。
私は仕事のことやみんなで飲みに行ったときのことを、嫁さんは子供たちの学校やご近所さんの出来事を。

互いに面白かったことや不満に思っていることなどを話し合う。
今日はもちろん、前日の飲み会のことが中心だった。
日記には書けないような出来事もあって、これまた二人で盛り上がった。

外で飲む酒も好きだが、たまに家で嫁さんと飲む酒もうまい。
一番安心して飲める場所で眠くなったらそのまま寝転んでしまえるというのは一種の快感だ。

2005年7月17日(日) ETC見積もり

先日、車のディーラにETC車載機の見積もりをメールで依頼していたら、電話で回答があった。

メールで出したんだからメールで返事くれればいいのにと思いつつ、話を聞くと、純正のものは一番安くても本体価格が11,000円、取り付け工賃など諸費用は9,000円ほどするらしい。
しかも、このETC車載機はコンソール横に取り付けるタイプ。
だから後付した感じが丸出しでどうもしっくり来ない。
グローブボックス内に取り付けるタイプだと、本体価格が16,000円する。

そこで今オススメなのが、純正ではないにしろなかなか人気の某メーカーのETC車載機。
これだとセット価格になっていて20,000円で出来るらしい。
これはグローブボックス内に入れるタイプ。
ちょっと高い気もするが、まあ、探し回ってもそれほど差が出るわけでもなさそうだし、これにしようかと、半分心は決まっていたが、そこで結論は出さなかった。

嫁さんと相談して、今後はやっぱり必要だろうと考え、夜になってつけてほしいので日程調整してほしい旨のメールを出した。
メールには「メールで回答してくれ」と注意書きを添えて。

そのうち連絡があるだろうが今度また電話してきやがったら、一言、いってやらねば。
取り付けたらばまた報告を。

2005年7月18日(月) ホームセキュリティ

我が家にホームセキュリティが導入された。

事務所兼住宅である我が家には、仕事上の大事な情報や機密事項がある。
そして何より守るべき家族がある。

そこで以前から導入を考えていた防犯システムを導入することにした。
月々のレンタル料金が発生するのでそれなりにコストはかかるのだが、最近はこの近辺でも犯罪が増加しているので、やはり自主防衛は必要だ。

詳細については防犯上、説明を差し控えるが、異常時には警報の鳴動と電話回線による自動通報が行われるようになっている。
そして何より、セキュリティシステムが導入されることを示す装置がとても目立つ位置に設置され、24時間赤いLEDが右へ左へと、まさしく「目を光らせて」いるので、それだけでもう、充分に威嚇効果がある。
さらに、セキュリティシステムを導入している家であることを示すステッカーを玄関ドアに貼り付けた。

にもかかわらず、ご近所の奥さん連中ときたら、「アレは何?」と質問する。
見て解らないか。
防犯システムだ。
見て解らないようなら、威嚇にならないじゃないか。

ともあれ、我が家に防犯システムが導入されたことをご近所さんにお教えしたことによって、万一、警報が鳴動した時には、我が家の異常事態である事を間違いなく理解してもらえるようになった。

今回の装置の取り付けによって、多少、家の美観を損ねることになったが、この家は私の家だし、誰にも売る気はない。
何より目立つのだから、それはそれでメリットだ。


2005年7月19日(火) 子供会

私の住んでいる地区にも「自治会」や「子供会」がある。

で、それぞれに「会長」がいるのだが、何処も同じように、この会長というのはとかく面倒なので、誰もなりたがらず、仕方なく同じ人が何年も続けて任に付くことになる。
この地区の今の会長も何年も前から、自治会と子供会の会長を兼任している。

そうなると役員、とりわけ子供会の母親とは対立関係が生まれてくる。
お金の使い方一つにしても、母親の立場として必要と思うものと、子供会の会長という立場で必要と思うものに微妙な食い違いが生じ、そこから軋轢が生まれるのだ。
この現状を打破する方法は一つ。
子供会の会長に誰か別の人を就任させること。
それもちゃんとした子供の父親という立場の人に。

私は子供の父親としてどちらかというと母親たちの言い分を尊重するが、彼女たちに落ち度がないわけでもない。
一度、会合に出席したが、まさしく彼女たちは烏合の衆であり、口々に意見を叫ぶものの、まとまりを持って相手を説得させられる意見を述べることが出来ておらず、彼女たちの態度を見ていると、古い気質の男性の会長からしてみれば「所詮は女」と見られても仕方がないようなイメージを、私でさえ持った。
人の話は聞かずにおしゃべりばかりし、誰かが意見を言うと「そうだそうだ」とばかりに便乗発言を繰り返す。
会長になめられても仕方がない感じがする。

今日も、その会長が子供会に無断で高い買い物をし、その費用を子供会から捻出して欲しいとわめいている、という話を嫁さんから聞いた。
嫁さんは非常に不満に感じてるようで、周りの母親たちも同じように思っているらしい。
これをほうっておくとまた話がこじれる。
そう思った私は、直接会長に話をすることにした。
食事を終えてすぐに、会長の家に出向いた。

一通り、買い物をした理由と目的、場所と内容を良く確認したが、私が聞いても無駄遣いとしか思えなかった。
「そんな高い買い物をして、それを一年に何回使うつもりだ。それではコストパフォーマンスが悪すぎる。それを子供会に費用負担せよという話は到底受け入れられない。日頃から子供会の父兄に対して『会費を無駄遣いするな』とおっしゃっている会長がそのようなことでは納得できない。この件についてはまた日を改めて話をさせてもらう」と。

家に帰って嫁さんに報告すると、手を叩いて喜んでいた。
「明日みんなに報告するわ」

やめてくれ。
そんなことをしたら、ただでさえ子供会会長の就任要請があるのに、決定的になるじゃないか。
私の遊び時間を奪うつもりか。

2005年7月20日(水) ダチョウ

何がビックリってオルニトミムス。

酒を飲んで帰り、晩飯を食い終わってのんびりムード。
そういえば今日は終業式だな、と子供たちの成績を見る。

次女。幼稚園児。
「好き嫌いをなくしましょう」
さもありなん。

長女。中学生。
保健体育が笑ってしまうぐらい悪い。
でもそれ以外はもう、言うことなし。
長男が中学生だったころを考えると、天と地の差。
いや、まあ、長男は「大器晩成型」だったということで。
これまた、さもありなん。

長男。高校生。
成績を見ると・・・。
ま、高校ともなれば学校の成績じゃなくて、いかにテストで点を取れるか。
もっというなら、自分の目指すところに必要のないことはやらなくていい。
だからそれほど点数は気にしない。
とはいえ・・・。

で、何気なくテレビで見ていたコンピュータ会社のコマーシャル。
「えーと。えーと」と私が考える。
嫁さんが不思議そうにこっちを見ている。

「えーと。アルテミ・・・ちがう。
 ミステリ・・・ちがう。
 オルテナ・・・うーん」

「さっきから何を言ってるの?」
と嫁さんが聞く。
「あれが一体何だったか思い出せない」
「あれ、って何よ」
「え?あの骨」
「え?骨」
「お前、何を見てたんだ?」
「?」

もし長男と一緒に見ていたなら、間違いなく「えーと。えーと」と二人で頭を抱えているだろう。
いや、長男が先に答えたかもしれない。
CMに映っていた骨格標本が一体なんなのか。

長男が見ていたわけではないのに、負けるのが悔しくて、3分ほど考え込んでやっと思い出した。
それがオルニトミムス。
長男なら何分、いや、何秒で答えたかは解らないが、とにかく長男がそばにいなかったお陰で、私は嫁さんからいつものように尊敬されることが出来た。

勉強はそれほどでもなくても、確かに父親の立場を脅かすことが出来るのは長男を置いて他にいない。

2005年7月21日(木) キングの魂

日本代表エースの座を追われ、J1新規参入のチームに移籍し、そこでも成果を出せないまま今度はJ2に移籍するという。

「カズ」こと三浦知良選手だ。
サッカー選手が最も力を発揮できるそのピークは30歳手前といわれている中、38歳にして彼は今もなお、「現役」にこだわっている。

彼とともに戦ってきた戦士の多くは既に一線を退き、コーチや解説者、あるいはスポーツコメンテーターで活躍している。
Jリーグ開幕当初から一線で活躍し、ファッションリーダーとしても注目を浴びていた彼にはコーチの就任要請もあるし、コメンテーターになってもあっちこっちで出演依頼が来るに違いない。

しかし彼はそれらをすべて断り、現役であることにこだわりつづけている。
だからテレビ中継すらされない弱いチームからでも選手としてのオファーがあれば快諾する。

そこまで彼が現役にこだわるのはなぜか。
インタビューの質問に答えて彼は言う。
「サッカーが好きだから」

彼は今までで最も頼れるフォワードだ。
『ゴール前のカズにボールを渡せば何とかしてくれる』、みんないつもそう思っていた。
ゴール前での気迫が感じられた。
「日本代表にはゴール前の決定力が不足している」とよく言われるようになったのは彼がいなくなってからのように思う。

唯一その彼に似た気迫を感じさせてくれるのが、彼の後輩にして彼とツートップで活躍したジュビロの「ゴン中山」だ。
このツートップは最強だった。
しかし、カズだけが代表から外された。
代表を外されたカズはそのときのインタビューに「魂は置いてきた」と答えた。

カズが日本代表を外された直後の代表戦で、ゴンは、自らゴールを決めたとき、グラウンドを駆け回りながら自分のユニフォームをめくり上げた。
すると、その下には、もう一枚のユニフォームを着ていた。
カズのユニフォームだった。

カズの魂が、そのユニフォームに宿っている事を示すかのように、ゴンは『カズはここにいる。一緒にゴールを決めたんだ』と、胸の背番号を何度も指差しながら走り回った。

カズはまだ15歳のときに、静岡の高校を中退して単身ブラジルに渡り、プロチームに留学した。
いつか日本代表選手になるために。
そして彼の夢は今も、少年のころと同じように「日本代表で活躍する事」だそうだ。

頑張ってくれ「キング・カズ」。
いつか代表に復帰してくれることを、私も夢見ている。

2005年7月22日(金) 風習

バレンタインのチョコレートと節分の海苔巻きはどっちが先か。

両方とも2月の話で、8月も目前に控えたこの暑い盛りに登場するには、季節外れの話題もいいところだが、酒の席で話題になってしまったのだから仕方がない。

バレンタインデーに女性から男性にチョコレートを贈るのも、節分の日に恵方を向いて海苔巻きを食べるのも、どちらも古くからある風習ではなく、近代になってから、それぞれの業界が行った販売促進活動が、年月を掛けて定着したものなのだ。

で、これらの「風習」のどちらが先に行われたのか、ということが酒の席で話題になったのだ。
ということでちょっと調べてみた。

比較的有名なバレンタインデーにチョコを贈る風習が定着したのは意外なことに、昭和50年代になってから。
一番最初にバレンタインデーにチョコレートを贈ることを広告したのは「モロゾフ」だそうで、昭和11年のことだが、この時掲載したのは日本で発行されていた英字新聞での話であり、日本人向けの広告とはいえない。
バレンタインデーにチョコレートを贈る風習が日本だけといわれていることを考えると、英字新聞に掲載されたこの広告がきっかけとは言えない。
では、日本人向けに広告されたのはいつのことか。
昭和33年、新宿の伊勢丹が「バレンタインデーにチョコレートを」と始めたのが最初のようだ。
ただ、この年のバレンタインデーに売れたチョコレートの数はわずかに5個。
今のように定着するにはかなりの年月がかかり、完全に定着したのが昭和50年代になってからなのだ。

ではもう一方の節分に海苔巻きを食べるのはいつの頃からか。
こちらも一番最初の広告と定着し始めた時期とに相当の開きがある。
最初の広告は昭和の20年代に関西のすし屋と海苔巻き屋が出したようだが、大々的に広告を開始したのは昭和48年大阪海苔問屋協同組合がチラシに書き、すし屋に海苔を納める時に配りだしたのが最初のようだ。
そしてそのまま消費者の目に触れることになり、これまた昭和50年代になって定着したそうだ。

どちらも定着したのは昭和50年代で、平賀源内が言い出した土用のうなぎに比べればまだまだ新しい風習のようだ。

2005年7月24日(日) ETC取り付け

ETCを取りつけた。

「エトセ」でもないし「エトセトラ」でもない。
「Electronic Toll Collection System」である。
といってもこれを聞いて「あ、あれか」と思う人は少ないだろう。
高速道路の料金所でお金を払わなくても通り抜けられる、あれだ。
もちろん、ただではなくてクレジット決済なのだが、割引などもあって何かとお得である。
とはいえ、このETCを利用するためにはそれなりの設備を整えなければならない。
その一つがETC車載機。
今回はそのETC車載機を取り付けたのだ。

前々からETC車載機の取付けをディーラにメールでお願いしていたのにいっこうに返事がなく、痺れを切らして電話したのが土曜日のこと。

「あ、すみません。メールをいただいてたんですね・・・。チェックしてなくて」
そういわれて、じゃあ、別のところにお願いします、といおうかとも思ったが、当てがあるわけでもないので、最短で、いつできるかを聞いてみたところ、10分後に電話があり、「明日できます」と。

で、今日、取り付けにいった。

待つこと2時間。
助手席のグローブボックス内に収まり、アンテナも目立たないところに取り付けられており、美観は損なわれていないので大いに満足。
キャンペーン中とのことで納得の価格。

エンジンを掛けると「ETCカードがセットされていません」と音声でアナウンス。
おお、アラームだけのETC車載機でもそこそこの値段はするのに、優秀優秀。
で、ETCカードをセットすると「ピンポーン。ETCカードがセットされました」。
そしてそのままエンジンを切ると「ETCカードがセットされたままです」。
なかなかやるじゃないかこいつ。

音量やらアナウンスの内容もカスタマイズできるし、これは結構お買い得だったか。
そう思いながら車を車庫に直し、8月の旅行を目前に顔が少しほころんだ。

2005年7月25日(月) 打倒!会長!!

近所の奥さんがビール券を持ってきた。
別に仕事をしたお礼でもない。

日曜日、自治会主催の盆踊り大会があった。
その盆踊りには多くの子供たちが参加する。
その子供たちの世話役として子供会の父兄が参加していた。
私もその一人。
普段は仕事があるのでなかなか参加できないが、スケジュールの合間を縫って参加した。(結局参加中に緊急の連絡があり、電話で対応していたのだが)

可愛い浴衣を着せてもらって楽しげに踊りの輪に加わる子供たちを見ていると、世話役の苦労も一瞬和らぐ。
楽しい時間もあっという間に、子供たちは帰り、その面倒を見ていた父兄も家路に着く。
とはいえ、その後に待っているのは後片付け。
自治会のメンバーが後片付けをする中、子供たちの父兄の有志が後片付けを手伝い始めた。
もちろん、私も嫁さんもそのメンバー。
見渡せば、参加している子供の父兄はみんな知り合いばかり。

最初はみんな協力的だった。
しかし、だんだんと片付けていくうちに不満の声が聞こえはじめた。
何も中途半端に放り出したいというわけではない。
子供の父兄は全くの善意で後片付けをしているにもかかわらず、自治会長はまるでそれが当たり前のことであるかのように次から次へと、命令口調で指示を出す。
最初は言うことを聞いていた女性陣も、その横柄な態度に反感を持ち始める。

やがて、父兄の、とりわけ女性たちの不満が一気に爆発した。
「会長は盆踊りのあいだ中、席に座ってただけで何もしていない」
「私たちは座る間もなく、みんなの世話をしていた」
「私たちの仕事じゃないのに、人使いが荒すぎる」
「来年から手伝わない」「盆踊りには二度と参加しない」

それに対して会長の言葉は「帰れ帰れ」。
女性たちは不満を言いつつ家路に着いた。

それから15分後、全ての片付けを終えて会長が言う。
「みなさん、お疲れ様でした。お寿司を用意してあるので、自治会館へ」
という。

私も自治会館へ向かった。
最後まで後片付けをした人たちが自治会館の中へ消えていく。
入り口に立っていた私のところへ会長がきたので一言だけ言った

「会長。子供のご父兄の方々もねぎらってやってくださいよ」
そういうと
「どんなふうに?」

こんなやつの用意した寿司など絶対に食ってやるものかとそのまま家路についた。

そして今日、ビール券を持ってきたのは父兄の代表だった。
自治会とは全く無関係の父兄の代表が「皆さんご苦労様」と自費でビール券を用意したのである。
自治会長が私の言葉に反応して用意したのならともかく、何故に無関係な人が自腹でそんなことをしなければならないのか。

この人のためにも、私はこの自治会長を倒さねばならない。

2005年7月26日(火) 盗難

長男の自転車を盗まれてしまった。
ホームセキュリティを導入したのに。

ま、確かに、監視カメラが付いているわけでもないし、自転車の盗難防止目的だったわけでもないが、それにしても一応、セキュリティのランプが目に入るはずなのに、盗んでいくとは挑戦的な奴め。

我が家の前は通勤通学路になっており、多くの人が通る。
だから、ちょいと拝借のつもりで自転車に乗っていくのだろう。
これで3台目だ。

雨傘も玄関先においてあるので、何本か持って行かれた。
通勤通学の何人かは、この家の玄関先に傘の置いてある事を知っていて、急に雨の降り出した夜などはとりあえずこの家まで走ってきて、傘をさして帰った奴がいるかもしれない。

駅に近いというのはこういうデメリットもあるのか、と改めて認識した。
まあ、長男の自転車はもらい物だったし、本人も全く気にしている感じではないので、ダメージは少なく、誰もへこんでいないのがせめてもの救い。

2005年7月27日(水) 辞任

今日また、子供会の代表が家にやって来た。
先日、自費でビール券を買い、子供会の父兄に配ったあの人だ。

その人が言うには、今日、道を歩いている時に偶然、宿敵の自治会長に出くわし、呼び止められたそうだ。
あーまた何かイヤミや小言を言われるのじゃないかと、内心、恐れながら話を聞いたらしい。

ところが、耳を疑うほどの丁寧で低姿勢な言葉遣い。
「この前は盆踊りの後片付けを手伝ってくれたのに、ねぎらいの言葉もかけずに、すまなかった」とも言ったそうだ。
おお。私の一言が効いたか。

そしてその後、「この夏で会長を辞めようかと思う」。
おお。決断したか。

そうだな。
自治会と子供会の会長を兼任するのは大変だろう。
子供会の会長は辞任したほうがいいな。

って、盆踊りは自治会長の仕事だから、子供会の会長辞めても変わりはないと思うけど。
まあ、これで子供会は守られた。
後は後任の選出だけだな。
うん。

本日の体重 61.5kg 最近書いていなかったけど、ずっとこんな感じでなかなか下がらない。

2005年7月29日(金) 英検

世間は夏休みのこの猛暑のさなか、長男は相変わらず、毎日学校で授業を受けている。
夏期講習に参加する生徒は結構多いそうで、みんなまじめに授業を受けているらしい。
我が子のことながら大変だなあと思う。

期末試験が終わってすぐの7月10日、長男は英検3級の二次試験を受験した。
本人は「まあまあ」などといっていたが、長男の言う「まあまあ」は当てにならず、期末試験のときも、「まあまあ」といいつつ、その結果は散散たるものだった。

その英検の合否が先日通知され、結果は合格だった。
3級とはいえ、英検合格は我が家では初のこと。
これでまた一つ、暗算2級に次いで私には出来ない事をやられてしまった。
負けず嫌いの私としては、嬉しいような悔しいような。

で、私も調子に乗って情報処理試験の受験を勧めた。
前々から学生のうちに受験させようとは思っていたが、この際だから今度の秋の試験を受けさせようかと思ったのだ。
科目は最も簡単な、「初級システムアドミニストレータ」。
長男の学校では既に何名かの合格者がおり、少し勉強すれば、学生でも充分合格できる。
どうするか長男に相談すると「じゃ、受験してみる」と。
試験までもう2ヶ月ちょっとで「IPアドレス」さえ、ろくに知らない状態から始めるのだから、相当な学習が必要になる。
無論、それまでに学校の中間試験や、実力テスト、そして模擬試験などがあるわけで、長男にしてみれば休む間もないという感じかも知れないが、頭は鍛えられる時に鍛えておくべきだし、英検と情報処理の資格をそこそこ持っていれば、何もない普通の大学生よりも就職に有利な事は確かだ。

ちょっとしんどいだろうけど、親父も負けないように頑張るからお前も頑張れ。

本日の体重 62.0kg

2005年7月30日(土) 花火

久しぶりに花火を買った。

子どもの頃から花火が大好きで、毎年夏には花火を大量に買い込んで友達同士で花火大会を催した。
最初に花火大会をしたのは小学校4年生の時だった。
「大会」といっても所詮は小学生、夏休みに開かれる近所の商店街の夜店に行って買ってもらった花火を、近所の友達みんなで集まってやる程度のものだった。
それでもみんなでやる花火がとても面白く、翌年引越しをした先でも同じように花火をする事にした。

毎年エスカレートした花火大会のため、より安く花火を手に入れる事を考え、車を運転できる友人が現れた頃、卸問屋を見つけ、そこへ買い付けに行くようになった。
友達の数も増え、20人ぐらい集まって2万円ぐらいの予算でダンボール2箱の花火をその卸問屋で買い込んで、河川敷の公園で、数時間にわたる花火大会を行うようにさえなった。

ところが友人たちも所帯を持ち、だんだんと疎遠になり始め、長男が、私が花火を始めた時と同じ小学校四年生になった夏に止めてしまった。
それから庭先でやるような手持ち花火を買うことはあっても、派手な打ち上げ花火はしなくなった。

今度、海辺のホテルに家族で旅行に行くことになり、どうせだから少し花火を持って行こうと、久しぶりにその卸問屋まで買出しに行ったのだ。

店では、20年前から同じおばさんが、同じ調子で花火の説明をしていた。
このおばさんは自分で全ての花火をやっていて全ての花火に点数をつけている。
いつも買い物をする時はこのおばさんの意見を聞いて買い物をするのだ。
確かにハズレはない。
しかも、こっちが選んだ花火を「それは、見掛け倒しやで。値段が高いだけやからこっちのほうがええで」と、アドバイスしてくれるのだ。

懐かしい声を聞きながら手持ち花火や噴出し花火ばかりを買っているとおばさんが「にいちゃん。打ち上げは?」と聞いてきた。
音が大きいものは出来ないから、と断わっていたが、そのうち私は打ち上げ花火がしたくなった。
嫁さんに久しぶりにやろうかと相談すると嫁さんも二つ返事でOKした。

その後、あの懐かしいおばさんの花火解説を聞きながら、次々に打ち上げ花火を買い物カゴに放り込んだ。
段ボール箱一杯とはいえないが、タップリおまけもしてもらい、とても満足した。

今年の夏は、お世話になってるご近所さんや、疎遠になってる友達を誘って花火大会をしよう。

本日の体重 61.8kg。

2005年7月31日(日) 市民祭り

今日は近所で市民祭りがあった。

友達の家に遊びに行った長男を残して、夕方から嫁さんと娘二人を連れてのこのこと出かけた。
電車に乗って一駅なので嫁さんは自転車で行きたがっていたが、たまにはみんなで電車に乗るのも楽しいだろうと、半ば強引に電車で行くことにした。

駅を降りて会場に近づくにつれ、にぎやかな声が聞こえてきた。
どうやらテレビのヒーローショーをやっているようだ。
もう終わり終わりかけのようだったが男の子向けでよかった。
これが女の子向けだったりすると次女が猛烈に怒り出すだろうし、次女を抱えて会場まで全力疾走しなければならないところだった。

会場となっているのは市内の中学校のグラウンド。
会場は思ったより多くの人で賑わっていた。

グラウンドに入って真っ先に目に付くのはグラウンドの北側に設置された大きな舞台だ。
今は司会の着物姿の女性が次の催し物の案内をしていた。
次はどうやら若手お笑い芸人による漫才らしい。
名前だけは聞いた事があったので、とりあえず、私と長女は飲み物と食い物を調達して見ることに決めた。
嫁さんと次女は友達を探す事にしたらしく、ケータイでおしゃべりしながら人ごみの中に消えていった。

店はグラウンドのフェンスに沿って建ち並んでいる。
普段の祭りの店とは違い、すべての店は父兄や市の関連団体などが営業しているもので、値段が安い。
早速「生ビール!!」ののぼりを見つけて、長女と一緒にそちらへ向かう。
生ビール350円、フランクフルト100円也を購入し、舞台へと取って返した。

まもなく芸人が登場し、ご機嫌伺いをするが、あまりご機嫌にならなかった。
普段、若手の芸人は持ち時間3分程度でネタをする事が多いだけに、15分の時間は長すぎたのだろう。
中だるみが多く、途中でビールとイカ焼きを買いなおした。

そうこうしているうちに嫁さんは友達を見つけ、私のところにやってきた。

次の演目はカラオケ大会だった。
出演者は全員中学生以下。
予選を勝ち抜いた出演者はそれぞれに個性的で、抜群に歌がうまく、これは相当カラオケで歌いこんでるだろうと思わせる女の子二人組みや、登場するやいなやステージ前の女性たちから黄色い歓声を浴びる男3人組もいた。
中でも、トリを務めた幼稚園児4人組による「マツケンサンバ」は圧巻で、幼稚園児とは思えない大胆な腰つきのダンスは、場内を爆笑させた。

日も暮れてきたのでカラオケの最終審査を聞く前に、家路についた。
祭りの喚声と西に傾いた太陽を背にして、間違いなく優勝者はあの幼稚園児だろうと家族で談笑しながら駅へ向かった。

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