カリント日記

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2005年11月1日(火) 少しだけ

東証のシステムが停止して取引が完全に停止したらしい。
同じ仕事をするものとして背筋の凍る思いだ。
まして、企業の社員ではないので、いつ何時、責任の矛先が向けられるとも解らない。
まあ、私のような雑魚など、目を瞑って欲しいものだが。

ところでこのカリントも独立して今日で3周年。
めでたい夜に少し飲んで仕事先を後にすると、町のネオンが少しめでたい感じに輝いている。



家に帰ると、焼肉。
嫁さんに聞くと「少しめでたい」かららしい。

少しめでたいので少しいいビールを飲んだ。
少しいい気分。

で、折角の夜だし。
子どもたちもそろそろ寝静まったので、二人で少しだけ飲みに出かける。

少しだけお祝いに。

2005年11月2日(水) 

仕事を早めに切り上げて、少し靴屋をうろうろ。

ここ数年、同じメーカーの同じ靴を履き続けている。
しかし、もともと靴に対してこだわりがあったわけではない。
お金のなかったころは、極端にいやなデザインでなければ店先のセール品を真っ先に購入していた。

それが、もう10年近く前になるだろうか、店先に並んでいる靴ばかり買っていることに急に嫌気がさして、テレビCMでも有名だった靴を手に取ってみた。
目利きができるわけでもなく、その靴がどれだけの価値があるのかわかりもしないはずなのに、今までの靴よりもとてもよい品であるかのように感じたのは値段のせいだったかもしれない。

でも実際にそれを購入して履き始めてわかった。
地面への当たりが柔らかい。
長時間歩いていても疲れが少ない。
値段の違いは名前の差だけではなかった。
明らかに履き心地が違った。
それからずっと、茶色にしろ黒にしろ、同じシリーズの靴を履き続けている。

しかし、最近その靴を見かけなくなった。
5件ほど靴屋を回ったけれど、目当ての靴が並んでいない。
自宅に戻ってネットで調べてみると、どうやら製造中止になったようだ。
ネット販売でもほとんどが売り切れだ。

ほかにもいい靴はあるだろうし、履いてみれば結構気に入るのだろうが、お気に入りの靴がもう手に入らないというのは、なじみの店がひとつ消えてしまったような、そんな寂しさがある。

2005年11月3日(木) 7分を計れ

トイレに入ると目の前の扉にカレンダーが吊るしてある。
そのカレンダーにはクイズが書かれていて今月のクイズは次のような問題だった。

 砂時計が二つあり、それぞれ5分と3分を計ることができる。
 この砂時計を使って7分の時間を計りなさい。

うん。
なるほど。
腰掛けている間に考えるにはちょうどいいかもしれない。
ただ、小学生なら用を足している間に解くことできないかもしれない。

で、答えを見てびっくりした。

 まず、両方の砂時計で同時に時間を計り始める。
 3分計の砂がすべて落ちたところで、時間を計り始める。
 そうすると5分計の砂がすべて落ちるまで残り2分。
 5分計の砂が全部落ちたところでひっくり返す。
 2分と5分で合計7分

だというのだ。

私の答えと違っていたので驚いた。
まあ、間違いではないかもしれないが、最初の3分が無駄じゃないか。

無駄な3分間を作らなくても、簡単に7分は計測できる。

 同時に砂を落とし始めるのは同じ。
 3分間すべて落ちたところ(3分経過)で、3分計をひっくり返す。
 5分計がすべて落ちたところ(さらに2分経過)で再度3分計をひっくり返す。
 3分計は2分経過したところでひっくり返したのでまた2分計測できる。
 3分計がすべて落ちる(さらに2分経過)と 合計7分経過。

これでやれば3分間のロスはない。

「あのカレンダーの回答はおかしい。お父さんのほうが正しい」と長女に言うと、「もう、いいの!細かいことは言わなくても!」と言われた。

ま、確かに子供向けのクイズに、文句を言うのは大人気ないというもんだ。

2005年11月4日(金) 遠方より来る

遠くの町から友人が遊びに来た。
頭の中に「友あり遠方より来る。また楽しからずや」の言葉が浮かんだ。
論語の一節だったか。

調べてみると「子曰(いわ)く、学びて時にこれを習う、また悦ばしからずや。朋あり遠方より来る、また楽しからずや。人知らずして慍(うら)みず、また君子ならずや。」の一部分であり、「友」ではなく「朋」が正しいようだ。
単なる遊び仲間ということではなく、志を同じにした仲間という感じが強いだろう。

はて、彼はどっちだろうか。

同じ会社に就職し、新入社員の研修のときに初めて知り合った。
一週間ほどの合宿生活では同じ部屋になり、話題が豊富で人を笑わせる話をいくらでもできる彼のおかげで、不慣れであった規則正しい生活も実に楽しい思いで過ごすことができた。
その後、2ヶ月、異郷の地で研修に勤しむ私の楽しみといえば、週末に彼やそのときに知り合ったメンバーたちと、あちらこちらへ繰り出すことだった。

思えば、私の性格が大きく変わったのはあのころを境にしてのことだった。
それまではどちらかというと人付き合いが得意だったわけではなく、まして女の子と話をするなど想像もできなかったのに、彼の言葉を借りれば「東京で花が開いた」かのように変わり、そのおかげで付き合いの幅が広がった。

遊び仲間であるという意味では彼は間違いなく「友」ではあるが、今夜、久しぶりに酒を飲みながら家族や仕事の話をしていると、同じように悩み、同じように頑張っている「朋」であることも認識した。

まあ、どちらであっても、彼は彼であって、私の大事な「とも」である。

2005年11月5日(土) ペンギン

今日は東京からの友人とその子どもも一緒に、久しぶりに動物園に行った。

私は動物園が好きだ。

ゾウもキリンもクロサイも。
ピューマもボブキャットもブチハイエナも。
カンムリヅルもヒメコンドルもベニイロフラミンゴも。
オオサンショウウオもアオヤドクガエルもボアコンストリクターも。

あの動物のにおいだって不快じゃない。
デパートの化粧品売り場のにおいに比べればはるかに心地よいにおいだ。
化粧品売り場なら走って通り抜けたいが、動物のにおいはどこか落ち着くにおいでもある。

ヤギに触れる場所があり、そこでは子どもも自分の手から餌をやることができる。
私がそこでヤギの鼻筋を掻いてやりながら、気持ちよさそうなヤギの表情を見ていると、動物園には不釣合いな格好をした女性が子どもをつれてやってきた。
いかにも幼稚園か近所の付き合いで嫌々ここへきた感じだ。
この不快な臭いを何とかして頂戴、ああたまらないわという表情で鼻をハンカチで押さえ、顔の前で手を払っている。
その女性の子どもがヤギを触ろうとすると案の定、「止めなさい」といった。
子どもが「どうして」と聞き返すと「病気になるわよ」とも。

そんな母親に育てられた子どもは不幸だ。

ところで、ペンギンの面白い習性をご存知だろうか。
光るものに異常に興味を示すのだ。
天気のいい日であれば、鏡を持っていくとかなり笑える。
子どものころによくやったいたずらで、太陽の光を鏡に反射させて顔にむけたりしたことがあったと思う。
あれと同じようなことをやるのだ。
ただし、日を当てるのはペンギンの顔ではなく、足元や壁だ。

私はあいにく、鏡を持ち合わせていなかったので腕時計のガラスを利用したが、これでも十分に光を反射した。

腕時計で光を反射させてペンギンの足元に落とす。
とたんにペンギンが足元を凝視する。
光を少し動かしてやり、ペンギンの首が同期して動けばしめたもの。
このペンギンを自由自在にコントロールできる。

光を足元から離していくとペンギンが追いかけ始める。
壁に沿って左右にすばやく動かすとペンギンがその光に合わせて首を左右に振る。
そのうち数羽が気づき同じように首を振る。
このあたりで観客の笑い声が聞こえ始める。

今度は光をちょうどペンギンの走る速度と同じぐらいにして左右に動かす。
このとき光の高さはペンギンの背丈より低くして。
するとそのペンギンたちはいっせいにその光を追いかけ始める。
右へ行ったり左へ行ったり。
足を踏み外して池に落ちるものもいる。
「かわいい」とあっちこっちから子どもの声が聞こえてくる。



うちの子供も夢中になってみていた。
動物園は子どもにとって面白いところでなければならないのだ。

2005年11月6日(日) パレード

朝から仕事のため車でユーザ先へ。
昨日車を洗ったところだというのに、いきなり雨の中を走る羽目になってしまった。

カーナビで目的地をセットして雨の中をゆっくりと走り始めた。

今日のユーザ先は大阪の中心地にあり、平日なら交通量も多く、また会社員の姿も多い場所だが、休日の今日なら車で行っても混雑に巻き込まれることはない。

でも、メイン通の御堂筋まで出たときに事態は一変した。
休日とは思えない渋滞。

しばらく進むと多くの警察官が雨合羽を着て交通整理をし、車線規制をしている。
渋滞はこのせいだった。
そして規制された道路のところには多くの人だかりができていた。

なんだどうしたなにがあるんだ?

頭の中には「?」がたくさん沸いてきたが、テレビのニュースで原因がわかった。
阪神タイガースの優勝パレードがあるのだ。

タイガースは千葉ロッテに負けてしまった。
先日行われたサッカーのナビスコカップの決勝戦も、大阪のガンバと千葉のジェフがぶつかり、ガンバ大阪は負けてしまった。
野球に引き続き、サッカーも大阪は千葉に負けてしまったのだ。

今日のパレードは少し残念な気持ちの中で行われるもので、雨がよりいっそうその雰囲気を際立たせているようだった。

ガンバ大阪のリーグ制覇に期待したい。

2005年11月7日(月) 闘病と報道

元アイドルだった女性芸能人が難病に倒れ、長らく闘病していたが、ついに病魔の前に力尽きてしまった。
連日、そのニュースがワイドショーのみならず、一般のニュース番組でも報道されているのは、彼女の若すぎる死がもたらす悲しみのせいだろう。

連日の報道の中で彼女の闘病生活ぶりが克明に報告される。
いつ発症し、どんな症状であり、どのような治療を受け、そしてどのような経過で一時退院できたか。
そしてその後、いつ再発し、どのような治療をしたが、どのような症状になって、死にいたったか。
聞いているだけで痛々しく、本人はもちろん、周囲の人の気持ちは察するに余りある。

しかし、これを聞いてもっとつらく、不安な気持ちになる人がいるではないだろうか。
同じ病に倒れ、同じように闘病している人とその周りの人だ。

彼女の病気は「不治の病」とされていたものであり、これまでにも彼女以外に若くしてこの世を去った芸能人がいた。
しかしここ最近では、同じ病に倒れながらも見事に現場復帰した芸能人もおり、この難病も「不治」ではなくなりつつある。

それなのに「これだけの治療をしましたが、だめでした」「あれもやったし、これもやったけど、だめでした」などと報道することによって、希望を持って治療に専念している人たちの、その希望を奪うことにはならないだろうか。
生死の狭間で闘病するものにとって「生きようとする力」とは「明日への希望」であり、その可能性が否定されることは、すなわち生きようとする力を削るのと同じことではないのか。
私の義父も癌で他界した。
だから闘病している本人の姿はよくわかるし、周囲の人間の気持ちもよくわかる。

よく報道関係者が「知る権利だ」などと自分たちの食い扶持が正当な行いであることを主張するが、それはこういうときに使う言葉だろうか。
1万人の知りたいという希望を叶えるために、闘病している1人の希望を奪うような報道に「知る権利」をかざす権利は無い。

2005年11月8日(火) 頭が休むとき

私の仕事は毎日、考え、話し、書く。

小さいころから疑問に思ったことを深く追求するのが好きで、それが解決したときは大変喜んだ。
それは今も変わらない。
トラブルの原因がわかったとき、新しい技術を理解できたとき、システムの構築方法をひらめいたとき。
資料を読み、ネット上を探し回り、人の話を聞き、そうやってひとつひとつの課題を解決していく、そのプロセスが好きだ。

また、その過程の中で人に説明をする必要もある。
昔は話し下手だと思っていたのに、いつの間にやら「聞いていて気持ちがいい」と人に言われるほどに話をするのが得意になった。
だから話をするのも好きだ。

そして文章を書くこともこの仕事では重要である。
自分の考えをまとめたり。話の内容を確認したり。
仕事で書くような淡々として人間味を感じないものから、それを読むことでその人が笑ったり、泣いたり、時には怒ったりするような文章まで、いろいろなものを書く。
文章を書くのが好きなことは言わずもがなである。
でなければ、Webサイトを二つ抱えてそれぞれに日記を書いたりなんかしない。

ただ、頭がとても疲れる。
仕事をしているときも、日記を書いているときも。
ほとんど一日中、頭を使っているので、ものすごく疲れる。

そして日記のこの最後の部分。
どうやって終わりにするか、それが一日で最後にそしてかなり集中して頭を使う瞬間であり、これをサイトに登録した直後、深い安堵のため息とともに一気に思考能力が低下するのだ。

2005年11月9日(水) 疲れた夜

日記を書くのもつらいぐらいに疲れていたので、これは後日書いたもの。

終バスの時間までユーザ先で障害調査。
かなりヘロヘロ。
駅のコンビニで缶ビールを買って自宅で嫁さんと飲む。
私の仕事の愚痴をすべて受け止めてくれる嫁さんに感謝しつつ酒を飲み、心地よい気分でいつの間にやら眠ってしまった。

2005年11月10日(木) 涙腺と疲労

二日連続で、日記を書くのもつらいぐらいに疲れていたので、これは後日書いたもの。

今日も昨日の続きでヘロヘロ。
長女の誕生日なので、一緒に祝ってやりたかったが、夕食はもちろん、ケーキもすでにカットした後だった。
それでも、ビールを飲んでいる私の横でおいしそうにケーキを食べる長女の笑顔を見て少し安心した。

そういえば帰りの電車の中、途中の駅から乗り込んできた老夫婦をみて、一人の少女が席を譲った。
一人分なので、おじいさんは少女にお礼を言っておばあさんを席に座らせた。
すると、少女の向かいに座っていた白髪交じりの中年男性が「次の駅で降りますので」とおじいさんに席を譲って立ち上がった。
それを見ていたおばあさんの席の隣に座っていた別のおばあさんがおじいさんに向かって「じゃあ、こっちに座ってください。私がそちらに座らせてもらいますから」と言って立ち上がった。
おじいさんとおばあさんは仲良く並んで腰掛けていた。

その光景を見て目が潤んでいる自分に気がつき、これはかなり疲れている証拠だと思った。

2005年11月11日(金) 来春に期待

今日は長男が受験した情報処理技術者試験の初級シスアドの合格発表があった。
結果は予想通りというか当然というか不合格だった。

まあ、試験前日になって「SQL」を初めて目にしたというぐらいに勉強していなかったのだから仕方がない。
「キャッシュ」や「シークタイム」という用語の勉強はぜんぜんしていなかったし、「IPアドレス」も前日になってようやく存在を知ったという程度なのだ。
こんな、試験をなめているようなやつが、国家試験に合格したとあったら、一所懸命勉強しているほかの人たちに失礼だ。

私より先に結果を見ていた本人は「午後の点数は先輩に勝った」と2年先輩の受験者に勝ったことを喜んでいた。
合格点の600点にはいたらなったものの、540点はほとんど知識のない状態で受験したにしてはなかなかの点数じゃないだろうか。
長男は「午後の試験は簡単だった。コンピュータのことを知らなくても文脈で判断できる」と言っていた。
私ほどの国語力はないにしても、文章を読み解く力は人並み以上にあるようだから、その力のおかげだろう。

文章を読むだけではなく、書くことにも長けているようだ。
作文を書かせると、大人が「すごい文章書くなー」と驚くようなものを作る。
父親としての威厳もあるので、むやみにそのことをほめたりはしないが、なかなかのできばえのときもある。
ただ、学校の試験のときにその文章力が、なりを潜めるのは不思議でならない。

ともあれ、来年春の情報処理試験は「絶対合格できる」という自信を持っているだけに、できる限り協力してやりたい。

2005年11月12日(土) 画数と運命

名前の画数にこだわる人がいる。

確かに「画数が悪い」といわれれば、いい気はしない。
子どもの名前を決めるときに画数をまったく気にしなかった私でも同じだ。

画数にこだわる人は姓名判断の本や漢和辞典と首っ引きで名前を決めたりする。
まあ、私も漢和辞典で文字の成り立ちや意味を調べたのでかなり利用はしたが。

しかし、漢字の画数なんて時代とともに変化するものだし、ごく一部の国の人しか利用していない文字で、どうして人間の運命を判断できるのか理解できない。
外国の人の名前はどうするんだ。
前にテレビ番組で見たときはカタカナに直していたが「Michael」は「マイケル」と発音するよりむしろ「マイコー」の方が近く、そうなると画数も変わってくる。
また同じ文字でも「ミシェル」や「ミッチェル」に近い発音もあり、その国によって変わるものだ。
どう考えてもカタカナに直すのは無理がある。

「改名しなさい」と高飛車に言う女性占い師がいて、それにしたがって名前を変えたもののさっぱりテレビに出ない芸人もいる。
売れないのは自分の運がないからじゃなく、面白くないからだ。
芸人は名前で売れるんじゃなく、芸で売れるんだ。
どうせなら一発で覚えてもらえるようなインパクトのある名前にしろ。

名前はその人の個性のひとつだ。
漢字という西洋人から見れば芸術的な文字を使えるし、読み方も千差万別なのだから、見た目や音にも個性を持たせることができる。
漢字を使って名前を決められるのだから、根拠のない「画数」なんかにこだわらず、デザインと語感にこだわったほうが、日本人らしいというものだ。

先日、急逝した歌手も、去年、名前の画数を変更した。
それによって彼女の運命はどう変わったのだろうか。

2005年11月13日(日) 月月火水木金金

日曜日だというのにちっとも日曜日のような気がしない。
最近はそういう土日が多い。

個人事業とはいえ、基本的に多くのサラリーマンと同じく土日は仕事をしないのだが、仕事柄、休日でなくてはできないことも多く、また、平日に片付かなかった仕事はやはり土日に片付けてしまう必要がある。
今日も、朝からユーザ先でシステム変更の作業をして、昼間は嫁さんの友達が来ていたがほとんど相手もしないで仕事スケジュールの見直しをして、そして夕方はご近所ユーザのところでパソコンのセットアップ作業をした。

でも、休日に仕事をしたということが原因じゃない。

今日は少しひどかった。
土曜日に何をしたかさえ思い出すのに時間がかかった。
家族でデパートに買い物にも出かけたし、家族マージャンもやったし、大好きなサッカーをテレビで観戦したし、と、平日にはできないようなことをたくさんしたはずなのに、そのどれもが昨日のことではなく、もっと前のことのように思えてならない。
昨日の土曜日は仕事せずに楽しく過ごしたはずなのに、その実感がないのだ。

なんだろうか。
何かに追われているような気がする。
決して追いかけてくるものなどなく、どーんと構えていても問題ないはずなのに、得体の知れない脅迫観念のようなものがある。
急がないと、急いでこれをやらないと次が待っている、早くしないと、早くしないと。
そんな気持ちになってしょうがない。

私の頭の中には、金曜日の次が月曜日になっているカレンダーがずっと続いている。

2005年11月14日(月) 教え方に問題あり

私の家に来た友人の携帯電話に彼の奥さんから電話がかかってきた。
自宅のパソコンの調子が悪くなったらしく、インターネットへの接続もできないしメールも送信できないというのだ。

「なに?つながらない?何かしたんじゃないの?してない?絶対何かしてるって。じゃあ、スタートから設定選んでネットワーク接続を選択してみな。アイコンが出るでしょ。え?何もでない?何もでないってどういうことだよ!出てるだろう?そう、それだよそれ!それのプロパティ見てみぃ。ちがう!プロパティだよ!クリックして開くんじゃないってば!」
しばらくのやり取りの後、埒(らち)が明かないので「家に帰ってから見る」という言葉を最後に彼は電話を無造作に切った。
私の手前なのか、少々乱暴なやり取りであり、もう少し優しく教えてあげればいいのにと思った。

しかし、その後、私の嫁さんが驚くようなことを言った。
「やさしいなあ。私もこんなふうに優しく教えてもらいたい」というのだ。
「ええーっ!」私は驚いた。
「今の乱暴な教え方がやさしい?」

嫁さんが言うには、私の教え方はもっと厳しいのだそうだ。
まず最初に「そんなこともわからないのか」という態度から説明を始めるらしい。
そして「ここに書いてあるだろう。理解しろ」と言う口調で指導を続け、「次回からはもっと自分で考えてから質問しろ」という態度で締めくくるそうだ。
そしてそれらの言葉の端々に「こんなこともわからないのか、ばか」といった印象を交えるらしい。

バカにしているつもりはないが、確かに嫁さんや子どもが、何も考えずに安易に質問すると腹立たしい。
その腹立たしい気持ちが口調に現れているのだと思う。
まずは自分で考え、そして工夫してから尋ねる。
また尋ねるときも、自分が何を知りたいのかを明確にする。
こういう過程を経ることによって、自分がしたいことをするためには何を知るべきか、そしてそれを達成するためにはどういう手段が必要か、を学ぶのだと思うからだ。

だから今では嫁さんも、まずはgoogleで調べる。
さらにはHow to本を買ってくる。
いい傾向ではあるが、私に教えられることを必要以上に敬遠しているとしたらそれは私の本意ではない。

ちょっと反省してみる。

2005年11月18日(金) サボりっぱなし

最近まったく日記を書いていなかった。

日記を書いていないと自分のサイトでも見る機会が減り、掲示板に新たな書き込みがあったことにも気がつかなかった。

日記が書けないのにはそれなりのわけがあり、例えばパソコンが使えないとか、酔っ払っていてキーボードを入力することが困難であったとか。
でも、一番大きな理由は忙しくて日記を書く暇がないこと。
正確に言えば書くために必要な時間が確保できないこと。
日記を書き上げるのに必要な時間は20分程度だが、その気分になるまでに時間がかかるのだ。

書きたい内容があるときでも、どのように書き始めるのか、最後はどのように締めくくるのかなど、書く前にある程度考える時間が必要だ。
そのためにはしばらくの間、何もしないでパソコンの前に座っていることもある。
前にも言ったように、キーパンチのための時間より考える時間のほうがはるかに長いのだ。

でも最近は嫁さんがカリントの仕事をしていることもあって、パソコンの前がふさがっていることも多い。
嫁さんは家事の合間に仕事をしているわけで、パソコンの前に座れる時間が限られており、大事な経理の仕事をしているわけだから無碍に席を譲れとはいえない。
こっちは何の収入にもならない日記を書いているだけなのだから。

というわけで、今日もとりあえず、日記を書いてみたが、単に言い訳になってしまった。

2005年11月20日(日) 会議と番号交換

日曜日の夜。正確には月曜日の午前2時前。
子ども会のWEBサイトで議事録と会長日記を書き上げ、ひと段落。

夕食後に少し眠ったので、まだ眠くならない。

土曜日は校区子ども会の会議と慰労会があった。
慰労会ということもあって出席者はいつもより多く、ひときわ井戸端会議傾向が強かった。
もう、会議中、あっちこっちでおばさんたちの会話が始まる。
会長日記に少しそのことを書いたが、何しろ、それを読むのが当のおばさんたち。
かなりオブラートに包んで書いてみた。
無論その日記では「おばさん」なんていわずに「お母さん方」と言っているが、正直、私の気分は「おばさん」だ。
校区会長が話をしているときもお構いなしで隣近所の人と話をしている。
それを注意されると「だってそっちの人たちの話声が大きくて聞こえない」と、自分たちのしていることを棚に上げて文句を言う。

いや、そのおばさんたちも決して関係のない話をしているわけではなく、今発言されたばかりの話の内容を互いに確認をしているのだ。
ビジネスマンの会議では一応、何かしらの資料があり、それに沿って話をするから聞き逃したことでも、それを見れば多少は察しがつく。
しかし、自治会にしろ班長会議にしろ、私が出席するまでは一切そういうものがなかった。
大体、会議に不慣れな「おばさん」や「商店主」「ご隠居」を相手に話をするのだから、ただでさえ会議がまっすぐ進むはずがないのに、資料もなしじゃ、そりゃすぐにお隣さんと話をしたくなるだろう。

私は班長会議では欠席するときでさえ、毎回資料を用意しているし、次回からは自治会会議でも用意することになった。
よく脱線する自治会議の時間がそれによって短縮されればいいのだが。


でも、慰労会は楽しかった。
ま、酒があればどこでも楽しいのだが。
よその地区の班長さんが二名、電話番号を教えてくれといって私のところにやってきた。
無論、プライベートでのことではなく、子ども会活動のために必要だからだ。
とはいえ、女性と電話番号を交換するのは、仕事でユーザに電話番号を教えるのとは違って電話がかかってくるのを少し期待して教える。
互いに写真を撮って登録もした。
(でも名前を忘れた)

先日、その女性の一人が私の家の前を通りかかったらしい。
表札を見て三人の子どもがいることを知って驚き、小学校低学年が一人いる程度だと思っていたのだと。
一番上は何歳だと聞かれたので16歳だと答えると、二人とも驚いていた。
予想していたとはいえ「若い」と言われてしまりなく、にやけた顔になっていたと思うので、その女性の撮った写真はぜひとも撮り直しをしてほしいものだ。

あーもう、2時半。
寝る。

2005年11月21日(月) インターネットと図書館

インターネットってどういうものかを、そういうものをまったく知らない年配の人(例えば母親)に説明するとき、どう言えばいいものか。

私はよく「インターネットとは図書館のようなもの」と言う。
(そもそもアメリカ国防総省が1960年代に・・・なんて話はしない)
私は図書館でいろいろな本を読む、あの感覚に似ていると思うのである。
最近はブロードバンドが普及して音声や動画の配信が増えたとはいえ、まだまだ活字がほとんどの割合を占めている。

散歩しているときに、ふと気になることが頭をよぎる。
「あれ?『さるぼぼ』ってどこの名産品だっけ」
目の前に図書館がある。
各地の観光案内の本を探して見てみる。
でもすぐには見つからない。
百科事典のコーナーに行って『さるぼぼ』を検索して、ようやく飛騨の名産だったと思い出す。
知識欲が満たされ少しうれしくなる。

これを手軽にできるのがインターネットだと思う。

今では買い物やいろいろな手続きがインターネットでできるようになったが、それらは目的とする情報が見つかった上で行われる副次的行為であり、自分の知りたいと思う情報を探し出し、それを知り、あるいは共感し、あるいは反感し、そしてその情報によって満たされることこそがインターネット利用の根幹にあるものだと思う。

人間は知ることを欲する生き物だ。
インターネットはその欲求をよくも悪くも満たしてくれる。
ただ、それによって新たな犯罪が生まれ、利害関係が生まれ、疑いが生まれ、妬みが生まれ、悩みが生まれ、そして本は本棚の肥やしになっていく。
それを理解しているものだけがインターネットを利用してほしいものだが、それを理解している人間だけで構築されたネット社会は面白くもなんとも無い。

静かな図書館では眠くなるのと似ている。

2005年11月22日(火) 旧友と

今日は古い友人たちと飲みにいく。
こいつらと酒を飲むのは2年ぶりか。
以前は毎週のように酒を飲んでいたのに。

私が結婚して家庭を持つと、友人たちと出歩く回数はめっきり減った。
当然といえば当然だ。
それに会社に勤めていればそれなりに責任のある立場になり、自分の都合だけで行動することもできなくなる。

昨日の夜、その友人の一人と電車のホームでばったり会った。
仕事に疲れてボーっとしていたので、かなりだらしない顔を見られたのではないだろうか。
二人で少し飲みに行った。
そして今日はもう一人呼んで久しぶりに三人で飲もうということになったのだ。

ただ、心配なことがある。
こいつらと飲むと、たがが外れて、相当に飲む。
以前はそれでもよかったが、最近は記憶が定かでないことも多く、自分でも危ないなと思う。
それに、明日は校区のドッジボール大会があって、私はそこで線審を務めなければならない。
集合時間は8:30。
休日はもちろん、平日でもまだ寝ているときもある時間だ。
なのに、今日は深酒の可能性大。
だから日記も夕方に書いている。

うーん。
ウーロン茶とジャスミン茶を時折飲むか。

2005年11月23日(水) ドッジボール大会

昨日は万全に整えて飲みに行ったおかげで記憶もしっかりしているし、二日酔いもまったく無い。
最初の店で生中3杯、焼酎ロック3杯、二件目でジンジャーエールとズブロッカのロックを2杯。
結構、飲んだんじゃないだろうか。
でも、支払いを済ませて電車に乗って駅を降りて自宅に向かうまでのすべてにきっちり記憶があるし、間違ってひとつ手前で降りることも無かった。

というのも今日は市子連(市の子ども会育成連合)主催の校区対抗のドッジボール大会があり、私は子どもたちの送り迎えと線審を努めることになっていた。

集合時間の8:10になり、車をガレージから出そうと外に出ると、早くも体操服姿の子どもとその母親が数名、我が家の前にいた。
「おはようございます」
そういいながら、ガレージのシャッターを開け車を出し、5人の子どもたちを乗せ、お母さん方に見送られながら現地に向かった。

会場となる市内の小学校へは車で10分程度。
朝日がとても気持ちいい。
到着した小学校の運動場には6面のドッジボールコートがあった。

受付を済まし、線審である印のリボンを胸に着けると、それを見た子どもたちが「おっちゃん審判?」と尋ねる。
私がうなづくと「ボールに当たっても当たらなかったことにして!」と子どもらしい要求をする。私も調子に乗って「よし。それから一人にボールを当てたら、二人アウトにしたる」と適当に答えると、子どもたちはそんなありえない話に大喜びして、仲間同士「やった、やった。おっちゃんが味方してくれる」と、喜びまわっていた。
無論、自分のチームの出場する試合の審判はできないのだ。

第一試合、私が線審をしている隣のコートで私の校区の子どもたちは強豪相手に戦っていた。
相手は昨年度の優勝校だ。
こちらのチームが体操服にゼッケンをつけているだけなのに、相手のチームは黒のユニフォームで、見るからに強そうだ。
案の定、私の校区の子どもたちは1回戦で負けてしまった。
しかし、その後、1回戦で敗退したチームだけで行う敗者トーナメントではなんと、優勝してしまったのだ。
そして、1回戦でうちのチームを倒した相手はやはり優勝していた。

もし、あのチームと初戦でぶつからなければ、準優勝ぐらいしたかもしれない。

前日まで、友人との酒を思う存分飲めないことや、今日が休日なのに朝から出かけなければならないことに少し不満もあったが、敗者トーナメントとはいえ、優勝したことを大喜びしている子どもとその親たちを見ていると、私の不満はあっという間に消えてしまい、来年もまたがんばろう、と言う気持ちになった。

2005年11月24日(木) オオカミとヒツジ

我が家の長男は今でこそ、普通の高校生らしく常識をわきまえて行動できるが、小学生低学年のころは、それはもう、手を焼いた。
学校では落ち着きがなく、授業にも集中できない様子で、嫁さんなどは参加日に行くのが憂鬱に思ったこともあったという。
一時はADHD(注意欠陥多動性障害)ではないかと思ったこともある。

しかしそう思ったのは単なる親の甘えであり、実際にそのような障害を持たれた親御さんの大変さに比べたら、私たちの苦労など、苦労とは呼べないものであることがわかった。少々手を焼く、落ち着きが無い、集中できない、そんなことぐらいでADHDじゃないだろうかなんて考えたのは私の「子育ては大変だ」と思う甘えからくるものであることは、少し調べればわかることだった。

落ち着きが無かったり、集中力が無いのは、自分の意に反して嫌なことを強制させられているときであって、実際、テレビゲームをやっているときや、自分の好きな本を読んでいるときの集中力といったら、今も昔も、ものすごいものがある。

考えてみれば、小学校の授業なんて退屈極まりないものであって、もし先生が教室を出て行ったなら、低学年の教室は10分もしないうちに無法地帯と化すだろう。
それをおとなしく座って授業を聞いているのは、先生が怖いからだ。
中学生や高校生と違って学ぶことの大切さなんてわかっていない小学生低学年が、自ら進んで授業を受けるなんて考えられないことだ。
監視役の大人に少しでも隙があれば、子どもたちは自由を求めて行動を起こすのだ。

長男がまだ小さいころから、私の家には入れ替わり立ち代り私の友達がやってきて、子どもが珍しい彼らは、とてもよく長男の相手をしてくれた。
そして私が彼らに横柄な態度を取るものだから、それを見て育った長男が大人を怖がらなくなっても不思議ではないのだ。

長男を抱っこして歩くときは、必ず前向きに抱き、私と同じ方向を見させた。
視線もできるだけ高くして、私と同じ高さで物を見るようにさせた。
何も恐れることなく雄雄しく育ってほしいと思っていた。
それがその通り、願いがかなったに過ぎなかった。

ただ、オオカミを育てた親が、弱虫のヒツジだったというだけのことだ。
ま、そのオオカミも今は、現実の中で犬になりつつあるのが残念だけれど。

2005年11月25日(金) 行きつけの店

ゴールデンタイムのテレビ番組では視聴率確保にあの手この手を使う。
特に、8時(20時)や9時(21時)の時間は番組の終わりと始まりでもあり、チャンネルを変えられるタイミングでもあるので、何とかしてこの時間帯に視聴者を今の番組にひきつける必要があり、そのときに使われるタレントを「8時またぎ」とか「9時またぎ」といわれる。

私はさしずめ「8時またぎ」の男か。

行きつけの店は8時を境に閉店かどうかを決める。
8時を過ぎて客がいないときはそのまま店を閉めることがあるのだ。

8時前に店の前を通り過ぎると、誰も客がいない。
うーん。
昨日、同じ時間帯に前を通った時も誰もいなかった。
久しぶりでもあったので顔を出し「なーに。今日は給料日前なので客が少ないだけ。明日になれば客は来る」と言い残して帰ったものの、今日も同じ有様。

ちょっと不憫になってよることにした。
私が8時を過ぎてこの場所にいると8時を回っても店は閉店されることも無く、遅れてくる客のためにもなるし、ここで働いている店員の時給が減らされることも無い。

でも、この店、前にも言ったようにこの立地条件はとてもよく、大阪の中心地、20階以上のこの場所で夜景を臨みながら酒を飲める場所は数えるほどしかないはずだ。
普通の店舗ならカップルでいっぱいになってもおかしくは無い。

同じビルで働いている人は仕事の場所と割り切っているのだろうか。
気分を切り替えて臨む夜景は、見慣れたものでも違って見えるし、馴染んでくるとそこからみえる風景の季節ごとの移り変わりが、まるで自分のために用意された、特別な風景のように思えて、誰にも渡したくない気持ちにさえなるのだ。




今日はご馳走様でした。

2005年11月26日(土) 松波 ありがとう

今年度のJリーグの試合も今日を含めて残すところ2節となり、今日はガンバ大阪のホーム最終戦。

先日、大分戦を長男と一緒にスタジアムで観戦し、帰宅後すぐにオンラインショップで今日のスタジアム観戦チケットを購入しようとしたがすでに完売で入手できなかった。
仕方なく今日はテレビで試合を観戦することに決めていた。

10時ごろからテレビでローカル情報番組を見ていると、Jリーグの話題になった。
今年のJリーグは例年になく面白い。
現在の1位と2位はともに大阪のチーム「ガンバ大阪」と「セレッソ大阪」であり、非常に激戦になっているため、最終戦になるまで優勝の行方がわからないのだ。
なにより、Jリーグ開幕当初から関西地区がこれほど活躍したことがなく、最終戦まで優勝争いに残るなんて、ましてや大阪の2チームが雌雄を決しようとする状況になるなんて、目にした事がない。

そう思うとぜひとも今日の試合を直接スタジアムで観戦したいと思った。

もう一度、インターネットでガンバ大阪のオフィシャルサイトにアクセスしてチケットの状況を見ると「全席完売」との表示が。
残念。

まてよ。オークションではどうかな?
そう思ってYahooのオークションで検索してみると・・・あった。
「ガンバ大阪vsジェフユナイテッド千葉 SS席 1枚3500円」
おお。
しかも希望落札価格が定価と同じ3500円。
こ、これは買わねば。
すぐに入札価格3500円と入力してクリック。
「おめでとうございます。あなたが落札しました」

やった!

早速、出品者にメールを送る。
なんたって、時間がない。
今の時刻は11時、試合開始は15時なのだ。
メールに携帯電話の番号を載せてメールを送ると1時間後に電話がかかってきた。
結局、14時にスタジアムで待ち合わせをし、現金と引き換えにチケットをもらうことになった。

14時、約束の時間にチケットを受け取ることができ、そのまま観客席へ向かった。
入り口でA3用紙ぐらいのプラスチック製のシートをもらった。
シートは片面が青、片面が黒。ガンバカラーだ。
これを各座席の区画ごとに上にかざし、観客席全体で青と黒の縦じまのガンバのユニフォームを作るのだ。



そして15時、キックオフ。

今日勝てば優勝はぐっと近づく。
もし負ければ、逆に優勝が遠のくという大一番。
応援にも力が入る。
サポーター席の応援は一段と激しいようだ。
しかし、得点王の二人を欠いての試合は苦戦を強いられた。
前半に1点を先制するも、その5分後にはPKを決められ、あっという間に同点にされてしまった。
寒さも忘れてビールを飲みながら応援をした。
白熱した2時間はあっという間に過ぎた。

試合には負けてしまった。

いつもならこのまま力なく帰途に就くのだが今日は違う。
今シーズンのホームでの最終戦なので選手一同によるシーズン終了のセレモニーと、そしてガンバ一筋13年の松波選手の引退セレモニーも行われるのだ。

今日は出場できなかった選手たちやスタッフ一同もグラウンドに姿を現すと、ブラスバンドを先頭にしてトラックを一周する行進が始まった。
ホームスタンドを出発して反時計回りに回るとまず最初にアウェー席の前を通過することになる。

アウェー席は無論、敵のサポーターで埋め尽くされており、ガンバを応援する人は入場することができない席だ。
スタジアム全体が青いのに、そこだけが黄色く見える。
全体から見ればおそらくは10分の1程度の数しかいないのに、応援はその差を感じさせない。
自分のチームを応援するためにわざわざ遠くから、アウェーに殴り込みをかける筋金入りの熱血サポーターである
試合中のガンバ選手に対しては過酷なまでの野次が飛ぶ。

そのアウェー席の前を通りかかるガンバ選手たち。
そのとき、アウェーの応援団が太鼓の音とともにいっせいに声を上げた。
「松波!ダンダンダンダン!松波!ダンダンダンダン!松波!ダンダンダンダン!」
引退する松波選手へのエールである。



それを聞いた2万人のガンバサポーターは彼らの行為に拍手した。

試合のときは選手と同じようにサポーターも戦うのだが、試合が終われば互いにエールを送る。
見ていて気持ちがいい。

選手一同のトラック一周が終わり、やがて松波選手の引退セレモニーが始まった。
日がすっかり暮れたスタジアムのあちらこちらでフラッシュが光り、それがとてもきれいに見える。
モニタービジョンに映し出された彼の目には涙があふれていた。
あちらこちらから聞こえる「松波!ありがとう!!」の声も涙ぐんでいた。
私は特別、彼のファンではないけれど、13年間ほかのチームに移籍することもなく、ガンバ一筋の彼が引退することにはやはり感慨深いものがあり、いつしか涙があふれていた。
今日の試合は負けてしまったけれど、3500円はとても価値のあるものだった。
やっぱり、サッカーが好きでよかったと実感した一日だった。

2005年11月27日(日) テストの結果

3台のパソコンを用意して公式ホームページからアプリケーションをダウンロードする。同時に近所の中華料理屋さんに夕食の出前を注文する。
パソコンは私と嫁さんと長女が使うことになったので長男は紙と鉛筆を用意した。

IQテストの番組に家族そろって参加するのだ。

19時から開始されるこのテストはパソコンがあれば答えの番号をクリックするだけ、パソコンがなくても紙と鉛筆で問題番号と答えの番号を書いていけばよい。
紙と鉛筆の人は番組の各ブロックごとに答え合わせが行われるので、自分で採点する。
パソコンの人はクリックするだけで自動的に計算される。

こうして最後まで問題を解くとIQが表示される。
解けた問題の数が多ければ多いほどIQも高くなるのだが、同じ点数でも年齢によってIQは異なる。

IQと一口に言ってもその計算方法にはいろいろあるようで、従来のIQは生活年齢と知能年齢の差を基準としたものであり、近年ではあまり使用されなくなっているらしい。
替わって最近用いられるようになってきたのは同年齢集団内での位置を基準とした「偏差知能指数」である。
どちらも「100」を基準としており、70〜130の範囲に95%の人間が含まれる点は変わりない。

で、本日の結果。
嫁さんは「100」で普通の人だった。
長男も去年と同じぐらい「120」。
長女は「130」だが去年より下がった、と残念そうだった。
私も去年と同じぐらいの「134」。
今回も、山勘で答えた問題は全部外れた。
まあ、今年は娘にも勝ったので、親父の面目躍如といったところか。

しかし、テレビ番組やインターネットの無料サイトで測定するIQは、バラエティー性を重視していることもあり、有料の知能検査ほどの正確さはないかもしれない。
第一、IQ測定はその高さを競うことが本来の目的ではない。

とはいえ、テレビの集計結果や周りの話を聞いていると、自分の数字を見て「さすが俺」と思ってしまうのである。

また一人、友達が減ったな。

2005年11月28日(月) 設計士の屈辱

建築設計技師が耐震性虚偽の設計書を作成したことが世間の注目を浴びる事件となっている。

設計技師が設計したマンションの耐震性能には問題があり、耐震基準を満たしていないにもかかわらず、虚偽の内容で設計書を作成し、それに則ってマンションが建築されてしまったのだという。

連日のワイドショーでは設計技師のところへ多くの報道関係者が詰め寄り、虚偽の審議を問いただす場面が報じれら、設計技師の対応する姿のテレビ映りのせいもあってかなりのバッシングを浴びてた。
無論、それだけ責任あることをしてしまったのだから非難されるのは致し方ない。

私もコンピュータのシステムを設計したりすることがあるので、今回の話は多少なりとも興味を持って聞いていた。
しかし、同じように設計に携わるものとして疑問に思うことがある。

彼が虚偽の設計書を作成した理由は何なのか。

私ならば、そんな自分の首を占めることがわかっているようなものをわざわざ偽装してまで作成したりしない。
いや、善人ぶっているのではない。
何の見返りもなしに、自分を窮地に追い込むようなことはしない、といっているのだ。

彼は、自分が正しいと思った通りの設計をすればよく、それをわざわざ自分の立場が危うくなる不正なものを作成する必要はない。
いったい、なんの見返りを期待したというのだろうか。
考えてみればわかる。
見返りを期待したのではなく、そうしなければ、さらに窮地に追い込まれたからやったのだ。

連日のワイドショーでは当初、この建築士に集中砲火を浴びせていた。
「とんでもないやつですよ」
「なんてことするんだこいつは」
しかし、誰も建築士がそうしてしまった理由を考えなかったのだろうか。

今回、発注側に矛先が向いたのは、その建築士が自らの口で「仕事がなくなると困るので言われるままに不正をした」と言ってからだ。
彼の語る内容は至極当たり前の話であり、十分筋が通っている。
どこか外部の圧力がなければ、何も彼は不正を働く必要などないのだから。

設計に携わるものは自分の作り上げるものに対しポリシーを持って臨んでおり、それを外圧によって曲げなければならないのはとても屈辱的なことだ。
私が限られた予算でシステムの構築を依頼され、そして従わなければ仕事がなくなるぞ、といわれたとき、彼の話はひとごとではなくなるのだ。

2005年11月29日(火) 耳鼻咽喉科

耳鼻咽喉科は不思議だ。

病院嫌いの私が、咽の痛みを何とかしたいという思いで、平日の午前中という貴重な時間に病院へ行った。
別に原因が知りたいわけでもなく、対処療法をしてほしいだけなので、耳鼻咽喉科へ行った。

風邪だろうがなんだろうが、とにかく、鼻や咽の不快感を取り除きたかったら、耳鼻咽喉科へ行くに限る。
そして、病状が和らいでから内科へ行って診療してもらえばいい。
まあ、大抵は季節の変わり目に、少し体調を崩したのがきっかけで鼻水が出たり咽が痛かったりするのだから、耳鼻咽喉科で治療してもらって気分もよくなって食欲もあるようなら、かなり発熱でもしていない限り、内科へ行く必要もないだろう。
下手に弱った体で、伝染性の病気の患者がいるかもしれない病院へうっかり行くと、病気をもらって帰ってくることにもなりかねない。
実際、我が家の子どもも、親がまだ未熟だったころは、よくそういう経験をしてしまったものだ。

病院の診察室といえば、不思議な機械がたくさんあって、子どものときはずいぶんと怖い思いをしたものである。

内科なら、聴診器と額帯鏡(おでこの鏡)。
三文芝居でも、白衣とあわせれば立派に医者になる小道具だが、子ども時は不思議に思ったものだ。
「こんなラッパみたいなものを体に押し当てて、先生は何を聞いているんだろう」
「あの鏡には、いつも僕が映ってる。鏡なのに、先生は自分が写っていなくてもこまらないのだろうか」
体が弱くて病院へ通いなれていた私が、額帯鏡の使い方を理解したのは小学校高学年のころだった。

歯医者にも不思議な機械が多い。
特に治療中は上を向いて口をあけているだけなので、あの機械がどのように使われるのかゆっくりと見たことがなく、助手の人が持っている棒状のものが、吸引機だとわかったのは成人になってからだった。

極めつきが耳鼻咽喉科だろう。
まず、ずらりと並んだ機械の一つ一つが謎に満ちている。
そんなに長い棒が体のどこに入るんだと思うような長い長い筒状のもの。
何で病院でそんな音がするんだと思うような「プシュー」と音が鳴るもの。
しかも、それぞれに黒いチューブがついていて、そのチューブは診療室の真ん中の大げさな機械から生えている。なんなんだこのでかい本体は。
椅子だって、丸いパイプ椅子なんかじゃなく、30年ぐらい前のSF番組に出てきそうな宇宙船のコックピットのようにいろんなものがついている。
でも、うかつにもたれかかったりしたら、あの後頭部を覆うような奇妙な形のものにすっぽりと頭が挟まって、脱出できなくなるんじゃないだろうかと、思えるような不思議な形だ。
そして何より不思議なのは、なぜだかお年寄りが多く、しかも、各自が自分たちで治療しなければならないことも多く、部屋の一角では数人のお年寄りが壁に向かって口をあけ、薬入りの水蒸気を頬張っている。
他の病院では見られない、不思議な光景だ。
(私もその列に加わる羽目になったが)

やっぱり不思議さナンバーワンは耳鼻咽喉科だ。

2005年11月30日(水) 年末の嘆き

明日から12月だ。

もう今年最後の月だというのに実感がなく、ただただ、月日の流れの速さに驚くばかりである。
もちろん、30年前どころか、何億年も前から月日の流れの物理的な変化量は体感できるほどのものでもない。
しかし、小学校のころはクリスマスや冬休みがあるこの年末は、夏休み明けから待ち遠しくて待ち遠しくて、二学期をとても長く感じたのは確かだ。

12月の実感が湧かないのはどうしてなのか、ふと考えた。

毎年11月に送られてきていた確定申告の書類が送られてきていないのもひとつの原因だとわかった。
例年ならこの時期、B4版ぐらいの大きさの封書が税務署から送られてきて、中には青色申告で提出すべき、申告書や貸借対照表、損益計算書などが含まれており、ああ早く片付けてしまわないと、と気があせるのであるが今年はそれが送られてこなかった。
変わりに送られてきたのは紙切れ一枚。
「今年度より来年1月に送付することになりました」というようなことが書いてあった。
まあ、どちらにしろ、私は、国税庁のWebサイトで各種帳票を作成し、それをプリントアウトするだけなので、各帳票がいつ送られてこようと、「年末という実感が湧かない」という以外にさして実害はないのだが。

他にも実感が沸かない理由がある。

年末に何の魅力も感じないのだ。
楽しいことが待っていると指折り数えて日々を送るので「やっと12月になった」と実感するのだ。
でも、最近はその楽しみがない。

社会人になってもクリスマスにイベントを催していたころはまだよかった。
今は仕事に追われて、正月休みでさえ、作業スケジュールの邪魔になると感じてしまう有様だ。
家族と過ごすといってもどこへ行くわけでもない。

少し無理をしてでも、何か楽しい目標を持たないと、毎年毎年、年末に同じことを嘆くことになる。


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