カリント日記

バックナンバー

[先月] [目次] [来月] [最新版] [トップ]

2005年12月1日(木) 手品

12月になってしまった。

昨日も同じような出だしだったと思うが、それぐらいに気ばかりが焦って、行動に移す時間的精神的余裕がないのだ。

おまけに子ども会のクリスマス会があるのを思い出してしまった。
いや、昨日は「クリスマス会のような楽しみがあれば」などと書いてはいるが、そのクリスマス会は自分が楽しめるものであって、今回のように子どもを楽しませなければならないクリスマス会では正反対だ。
おまけに子ども会の行事として子どもと一緒に催すものであるから、アルコールの類はご法度で、左党の私にはたまらなく辛い。

それにクリスマス会といえば何かしらのゲームが必要だ。
このゲームもどういうものをすれば、小学校低学年でも参加できて、高学年も楽しませることができるのか、結構頭を使う。
幸いにして、班長さんたちがいろいろと考えてくれたので、ずいぶん助かった。
しかし、そのゲーム以外にも、私に「手品をしてほしい」という依頼があった。

「手品をしてほしい」
あまりに唐突で選択の余地のない依頼だと思った。

「何かをしてほしい」ならまだしも「手品」限定である。
第一、手品ができることが前提になっている。
手品ができるのって「特技」なんじゃないだろうかと思う。
程度の差こそあれ、「ピアノが弾けます」って言うのと同じように、「カードマジックができます」って言うのは特技だと思う。

まあ、デパートのおもちゃ売り場に行けば、昔よりもはるかにできのよい手品用のグッズが並んでおり、2〜3日練習すればできるようになっているのもあるが、まさかそれを買う予算が子ども会から出せるとも思わない。
となると必然的に練習が必要となる。

私は手品が好きだし自分でも練習をするぐらいだから、カードマジックでも小学生相手なら十分通用すると思う。
でも、世間一般のお父さん方はどうなのだろうか。
手品のグッズの購入を許されず、カードやコインを使って手品をしてください、と言われて「はい。わかりました」と答える人はどれぐらいの割合でいるのだろうか。

にもかかわらず、私に「手品をしてください」というのはなぜだ。
まあ、確かに私は「何でもできそう」だし、「何でもそこそこできる」から、そういわれても不思議ではないと思う(自慢)。

もしかしたら「手品でもやらせれば?」なんてうちの嫁さんが吹き込んだのかもしれない。
どちらにしろ、このまま手品をやることになるかもしれないので、ちょっと練習してみるか。

2005年12月2日(金) 社名から

今までにも何度か法人設立を考えたことがあるが、今回はかなり本気で考えなければならないようだ。
取引先との「大人の事情」によって、このまま個人事業主としてやっていくには限界があり、仕事がなくなるわけではないが、収入が減ってしまうのだ。

でも、会社設立は簡単なことではない。
会社設立にはたくさんの手続きとそれなりのお金が必要になる。
来年4月から新会社法が施行される予定で、それによると従来のように会社設立に当たって最低資本金が不要になり、株式会社でも資本金なしで設立できる。
しかし会社設立にいたるまでの手続きにも結構な金がかかるのだ。
カリントだけでやるのもかまわないが、せっかくだし、同じ目的を持つ仲間と会社を設立したほうが手間も費用も負担が少なくて済む。

逆に手間のかかることもある。
まず、社長であれ社員であれ、会社から給料をもらうことになるので、会社は源泉徴収をしなければならない。
それから社会保険の加入も必要だろう。
接待費も制限されるし、経費の扱いも変わってくる。

うーん。
ちょっとしり込みしてしまうなあ。

とりあえず、社名を考えようっと。

2005年12月3日(土) 熱き青の力

ガンバ大阪。

93年Jリーグ開幕当初、関西唯一のチームとしてJリーグに加盟。
しかし、決して強くはなく、いつも順位は下位。
また、Jリーグ開幕初年度に加盟していたチームの中で唯一、リーグ戦にもトーナメント戦にも優勝したことのないチーム。

そして2005年のJ1リーグチャンピオンチーム。

今日の試合は川崎で開催されたのでさすがに見に行くことはできなかったが、テレビの前で観戦していた。
自力での優勝はできず、首位のセレッソ大阪の試合結果次第だった。
とはいえ、ガンバ大阪が勝利しなければならないことに変わりはなく、いつもより声援にも熱が入った。
いつもなら応援するセレッソ大阪も今日ばかりは、勝ってほしくはなかったので、こちらもテレビで相手チームを応援した。
チャンネルを変えるのに忙しく、二画面テレビがほしいと思った。

と、日記を書いている場合ではない。
ガンバの選手が出演する番組が始まる。
とにかく、おめでとう!

2005年12月4日(日) 休日に残したもの

この土日は久しぶりにゆっくりとした時間を過ごした。
仕事もなく、子ども会の行事もなかった。

土曜日の昼間はサッカーをテレビ観戦しながら一人で騒ぎ、夜は家族でマージャンをしてぼろ負けした。
今日も10時過ぎまで寝ていたし、雨降りなのでどこにも出かけることもなく、一日中テレビを見ながらパソコンを触っていた。
パソコンで会社設立のための勉強をし、年賀状を作成するための素材を探し、そしてゲームをした。
のんびりした休日ではあったけれど、何か物足りない感じがした。

この土日は何のための休日だったのだろうか。
仕事と離れて鋭気を養うための休日なのだろうが、今この時間、鋭気が養われた気がしない。
多少は一緒になって遊びもしたが、それでも子どものために過ごしたともいいにくい。

この土日に私が残したもの。
それは、台所の片隅の分別ごみの中にある、ビールの空き缶ぐらいなものだ。

2005年12月5日(月) 雲の上

世界最長のモノレールに乗って到着したのは伊丹空港。
今日の東京出張は久しぶりの飛行機を利用。

いつもよりゆっくりした時間にモーニングを食べていざ搭乗。
しっかりと北側の窓際の席を確保。

大阪東京間の飛行機は太平洋上を飛行するので、北側が陸地、南側が海になる。
つまり、大阪から東京へ行く時は、進行方向向かって左側、東京から大阪へ戻る時は右側に座ると、眺めがいい。

で、離陸前に後方の窓際の座席から撮影したのがこの写真。
地面に映っているのが乗っている飛行機の翼の影。



見ての通り、天気もよく、早く上空から地上を眺めてみたい。
願わくば、それをカメラに収めたい。
でも、携帯電話はずーっと使用禁止だし、デジカメも水平飛行に移るまでは使用禁止。
(出発前の撮影も携帯電話では禁止だったのかも)

やがて、飛行機はゆっくりとエプロンを離れ、滑走路へ向かう。
およそ時速20キロ程ののろのろ運転。
ところであの滑走路までの自走における推進動力は一体何なのだろうか?
タイヤが自転しているのか、ジェット噴射を小出しにしているのか。

滑走路の一番端で、短距離選手がスタート前に呼吸を整えるかのように、しばし、たたずむ。
そして、タービンの音が一際大きくなったかと思うと、巨人に蹴飛ばされたかのような急激な加速とともに、体がシートに押し付けられ、窓の景色が後方へ飛んでいく。
地面と私が水平ではないような気がしたとたん、機体は地面とタイヤの摩擦音が消え、機体が浮いたことを実感する。
体が不自然なまでに傾いて、なんだか落ち着かない気持ちで窓の外を見ると、眼前に見える町並みは、やがて景色に変わり、ついには子どもの社会の宿題をやっているときのように、地図のように見える。

山や海や川が、社会の教科書に出てきたのと同じように、見て取れる。
ああ、なるほど、あそこから水が流れてきて川になり、そして海に流れ出るまでにこの地形が出来たのだなと実感する。

雲の上に抜けると、眼下には真っ白な煙のじゅうたんが敷かれているようだった。
その白いじゅうたんの上に機体の影がくっきりと映り、機体の回りは光の屈折によって丸い虹が見えた。

久しぶりの空の上。
45分間の短い間だったが、たくさんの美しいものを見た。

2005年12月6日(火) 酸素

今日は金曜日だけど、火曜日の日記。
しかも内容は月曜日の話。

会議が予定より早く終り、帰りの飛行機にはしばらくの間があったので空港で時間をつぶすことにした。

空港内を散策してみる。
私の好きな本屋があった。
でも置いている本が少なく、時間をつぶせそうにもない。
コーヒーを飲もうかと喫茶店をのぞいてみた。
でもタバコの煙が目に付いて、入る気がしなくなった。
家族への土産ものを考えた。
でも、ここで買い物をしても荷物が増えるだけで、待ち時間が短くなるわけではない。

当てもなく、広い空港ビルを歩き回っていると、青く心地よい色の看板が目に入った。
「酸素バー」と書いてある。
酸素吸引によるリラクゼーションだ。
私は、マッサージにしてもそうだが、リラクゼーションと名のつくものは一切体験したことがない。
経験がなくてもマッサージは日常の経験から大体の想像はできる。
しかし、酸素バーといわれてもどんな感覚でどこにどのような効果があるのか容易には想像できない。

とにかく、ほかに時間をつぶせそうなものもなかったので入ってみることにした。
看板にメニューが書いてる。
10分600円、20分1200円、30分1800円(専用室)。
た、高い。
しかし、ここで引き返して、また空港内をうろうろするのはごめんだ。
それに話のねたにもなるのだし、奮発して30分コースを選択してみることにした。
螺旋階段を上ると、ドアも何もない広いロビーの中央にカウンターバーがあり、カウンターの中には店員と思しき女性が愛想良く笑っている。
そのカウンターにはパステルカラーの泡立つ液体の入ったビンから伸びたチューブを鼻に挿した客が数人、座っていた。

もう一人の店員が私を出迎えて、今日が初めての利用かどうかを聞いてきた。
初めてだと告げるとチューブを買ってくれという。
確かに入り口のところに書いてあった。
チューブは鼻に差し込むものだし、ほかの人と兼用というのも嫌なものだから、各個人に必要といわれるのも納得できる。
次にコースを聞かれたので30分と答えると、奥にある専用室へ案内してくれた。
専用室は2畳ほどの淡い青色の空間で、中央に背の低いパーティションがあり、その両側にソファーが並んでいる。
専用室といっても一人で独占できるわけではないようだ。
幸い、私が利用している間は誰も来なかったが。

靴を脱いで足を投げ出し、ソファーに座る。
店員がチューブの装着方法と酸素の吸引方法を教えてくれる。
先ほど目にしたパステルカラーの泡立つ液体の入ったビンにはアロマが入っていて、酸素がその中に送り込まれ、アロマと一緒にチューブから吸引するのだ。
そのアロマが4種類あった。
ピンク色のミックスフルーツ。
緑色のペパーミント。
オレンジ色のオレンジ。
透明なユーカリ。
それぞれに香りの特徴やそれに対する効果が書いてあったが、適当に混ぜながら吸い込むとよいといわれ、適当に混ぜながら吸い込んでみた。

鼻にチューブを挿すのは少し抵抗があったが、それも最初のうちだけで、次第に気分も落ち着き、ソファーに寝転がっていると、青い光りが夢見心地へ誘う。
酸素を送り出すコンプレッサーの音が少し気になったが、それでも十分にリラックスできたし、気分もよかった。
機会があればまた利用してみようと思う。

2005年12月7日(水) 病院へ

今日は金曜日だけど、水曜日の日記。
しかも内容は火曜日の話。

夜、ユーザ先から家に戻ると、長女が横になっていて、その横で嫁さんが心配そうに話をし始めた。
嫁さんによると、長女は夕方から胃の辺りが気持ち悪いと言い出し、夕食の後に嘔吐し、それから何度となく嘔吐を繰り返しているそうだ。
私の問いかけにも長女は力なくうなづくだけ。

食あたりではないかと考えた。
夕方ころからだとすれば学校から戻ってくる途中、あるいは家に帰ってきてから口にした何かに問題があるのではないかと思ったのだ。
本人に尋ねても心当たりはないという。
そうは言いながらも、一番可能性が高いと思うのでしばらくは様子を見ることにした。
食あたりならある程度嘔吐したところで、落ち着きを見せるはずだ。
ところが事態は一向に改善せず、それどころか嘔吐の間隔が短くなってきた。
もう、何も胃の中には残っていないのに、嘔吐を繰り返す様は見るに忍びないものであった。

時間はすでに日付も変わるころ。
行きつけの救急病院へ電話して小児科の先生が当直しているかを尋ねたが今日は内科の先生だという。
もうひとつの救急病院ではないけれど、夜間診療にも応じてくれる病院へ電話すると、こちらも当直は外科医だという。
仕方がないので119番へ電話した。
「はい、こちら119番です。火事ですか救急ですか」
「救急ですが、自宅の車で搬送します。
 女の子、14歳、夕方より腹痛、夕食後から激しく嘔吐を繰り返しています。
 熱は37度前後、少し頭痛もあるようですが意識はハッキリしています。
 最寄の小児科医を教えてください」
「はい。では4件申し上げます。まずは・・・」
119番へは何度となく電話しているので要領は心得ている。

電話で聞いた病院の中から、すぐに入院させるという病院などを避けて、近くの病院を選んで電話をし、車で20分ほど走ってたどり着いた。

診察の結果「腸炎」だといわれた。
ロタウィルスかとも思っていたがそれとは違うようでほっとした。
腸がほとんど動いていないので、便がたまり、それで余計に苦しいのだといわれた。
確かに、便通がなかったようだ。
トイレに行った後はかなりよくなったようで、表情も明るくなった。

結局たいした薬ももらわずに、家に帰った。
そう言えば、この前、長男を病院へつれてきたときも、うんこをしたら元気になった。
病院へ行く前に、うんこに行け。

2005年12月8日(木) 二日酔いの日は

今日は金曜日だけど、木曜日の日記。

昨日はユーザと忘年会だった。
結構飲んだので、案の定、今朝は二日酔いだった。
昼前まで寝ていた。
そろそろ仕事をしようかと起き上がってみたものの、なんだか寒気がするし、そう言えば二日酔いとは違う頭痛がする。

体温計で熱を測ってみて驚いた。
38.5度。
久しぶりの高熱。
その後、食事をしたり、飲み物を飲んだりしたが、ことごとく体が受け付けず、すべて戻してしまった。
まるで先日の娘のようだ。

結局、寝るまでに小さなおにぎり2個を食べるのがやっと。
頭はくらくらして痛いし、胃袋はグロングロンまわって気持ち悪いし、ずっと横になっていたので腰もきりきり痛い。

この前も、二日酔いの日に熱を出したような気がする。
今までこんなことはなかったのに、激しい二日酔いをすると発熱するようになってしまったのか?

うーん。
偶然だといいんだが。

2005年12月9日(金) 勉強のさせ方

今日は金曜日なので金曜日の日記。

最近恒例になっている家族マージャンを今夜もする。
はずだった。

夕食を終えてしばらくしてから私と嫁さんはそれぞれパソコンに向かって仕事を始めた。子どもたちはそれぞれに片づけを始め、末娘を寝かしつけた。
やがて私の仕事が一区切りつく。
子どもたちと一緒にテレビを見始める。
嫁さんはまだ仕事をしている。

1時間ほどして嫁さんが長男に話しかけた。
まだ期末試験の最中であること、そして今日は勉強をしたのか、と。
「あ・・。ううん。今日はしてない」長男が力なく答えると嫁さんは、残っている試験は何なのか、その科目は完璧なのか、とさらに長男に問いかける。
またしても「ううん・・」と力なく答える長男。
しばらくそのまま時間が過ぎたが、やはり嫁さんが「何をしてるの?」と長男を叱り付けた。
自分の部屋へ戻る長男。
私はこの時点で今日のマージャンが無くなることを予感した。

食事をする前でも、食事をしてすぐからでも、嫁さんが長男に勉強のことを注意しようとすればできたはずなのに、どうして、今のタイミングでそれを言うのか。
嫁さんにしてみれば、自分の仕事が終わるのをみんなが待っているというプレッシャーを感じて長男にそういったのかもしれない。
でも、長男にしてみればやはり私と同じように、「何で今頃?」という気がするはずで、結局、部屋に戻った長男はふてくされて眠ってしまった。

あのときにすぐに勉強をさせたとしても、嫁さんが仕事終えるまで、時間にして一時間足らず。
ならば「今日はいいから、明日はその分勉強しなさい」と言うべきではなかったか。
私がそこで助け舟を出すと、また嫁さんが悪者になってしまう。
だからあえてそこは何も言わず、長男の反論に期待した。
「明日はちゃんと勉強するから」

私も嫁さんも、ただ勉強をしてほしいわけではない。
自分の言葉で自分の目標を決め、それに向かって努力することを宣言し、それを実行してほしいのだ。
だから、今日は勉強しなくても明日勉強するというのなら、文句は言わない。
80点取れなくても、60点なら必ず取る、と宣言して努力するなら文句はない。

親に言われたとおりに目標を定め、親に言われたから勉強するような成長はこれっぽっちも期待していないのだ。

2005年12月10日(土) 舌先の口内炎は強烈

口内炎がまたできた。
最近よくできる。

ビタミンBが不足しているのだろうか。
それとも、この前の二日酔いと発熱か。
胃腸が弱っていたり、ストレスが溜まっていたり、睡眠不足が続いたりすると、口内炎ができやすい。
確かに、胃腸を酷使しているかも知れず、ストレスだって人並みにあるし、睡眠不足は毎度のこと、そこへビタミン不足が重なれば、発症する可能性は大いにある。

あまりに痛いので、この憎憎しいやつがどんな姿をしているのか、さぞかし舌先にデンと鎮座ましましているのだろうと鏡を見ると、なんと小さな小さな白い丸が舌の先にぽつんとあるだけ。
こんなに小さな小さなものなのに、舌の全体がしびれ、口の中が痛さでいっぱいになり、話をするのもままならない。
何より食事に不自由する。
テーブルの上にある好物のみかんを食べるのはとんでもなくつらい。
それにしても痛い。

舌先は人間の体の中でも特に鋭敏なところらしく、二点間の最短距離を感知できる能力と触れているかどうかの触感は指先よりも優れていると思う。
だからこそ、痛みにも敏感で、小さな一点をこんなにも大きく感じてしまうのだろう。

口内炎にはいつもケナログという塗り薬を使っている。
口腔内に塗り薬というのは少し抵抗があり、薬と塗布した後は話をすることもできないので、寝る前に塗るようにしている。
これはとてもよく利く薬なのだが、それにも限界があって、今日塗って明日治るわけではない。
放っておくと二週間ぐらい痛むものが4〜5日で治るというもので、痛いものは痛い。
特に、塗布したと直後は癒着するので、うかつに患部を動かしてしまうと癒着部分がはがれてとても痛い。

とにかく、しばらくはビタミンに気をつけて胃腸への負担を少なくするしかない。
忘年会も欠席するか。

2005年12月11日(日) 値段だけの価値なのか

今日は散髪に行ってきた。
いや、「散髪に行ってきた」というより「ヘアーサロンに行ってきた」のほうが近いか。
家のすぐ近所にヘアカットサロンができた。
平たく言えば散髪屋だが、理容室ではなく美容室だで、頭髪に関するエステやリラクゼーションなんかもある。

朝起きて、髪の毛が切りたくて家を出たのはいいが、持ち合わせがなく、支払いはカードにしたかった。
でも、行きつけの駅向こうの店がカード利用可能だったかどうか覚えておらず、近所にできた店に行ってカードが利用できるかどうか先に確認しようと思った。

店頭に看板とリーフレットが置いてあってメニューがいくつか書いてある。
カット3,300円、シャンプー1,200円。
行きつけのところよりも高い。
が、最後にカードが使えることも書いてあった。
そして「新規のお客様は20%OFF」とも書いてあった。
そのまま店に入ることにした。

店に入ると背の高い、いかにも美容院で働いてます風の若いお兄さんが現れ、「ご予約はいただいておりますか?」と聞いてきた。
高々、カットだけなので予約もしておらず、その旨を告げるとそのお兄さんはとても申し訳なさそうな顔をして「それでしたら、申し訳ございませんが10分ほどお待ちいただけますでしょうか?」と言う。

10分!
いつもの店なら20分以上待つこともざらなのに、10分待たせることを「申し訳ない」というなんて、なんと気遣いのいい店なのだろうか。
これがカット代3,300円の店というものか。
などと妙に感心しながら、奥の待合コーナーで待っていた。
待っている間も、雑誌はどれになさいますか、テレビはお付けしましょうか、次回からご予約いただくとお待ちいただく必要がありません、などなどしきりに話しかけてくる。
なるほど、客は5人ほどいて待っているのは私一人。
スタッフが1対1で対応をしているところも見ると、予約客がほとんどなのだろう。

しばらくして責任者らしき女性がやってきて「本日のお支払いはカードでしょうか現金でしょうか?」と尋ねる。
先に聞くなんておかしいな?と思っていながら「カードです」と答えると、その女性もまた申し訳なさそうな顔をして「申し訳ございません。ただいまカードを読み取る機械が故障しておりまして」というので、「じゃあ、また後で現金持ってきます」というと「あ、いえ、もしよろしければ、お支払いは後日で結構でございますが」という。

ほー。
初めて来た客でもツケが利くのか。
これがカット代3,300円の店というものか。
などと妙に感心し、その好意に甘えることにした。
まあ、家とは50メートルしか離れていないので、支払いは後日もへったくれも、店を出て3分後に完了するのだが。

程なくしてシャンプーする場所に案内された。
椅子に腰掛けると店員が自己紹介をする。
ほー。シャンプー代1,200円ともなると違うな。
シャンプーが終わってカットする場所に案内された。
これまた椅子に腰掛けると店員が自己紹介をする。
ほー。カット代3,300円ともなると違うな。

しばらくカットが進むと、シャンプーを担当した店員が、なんだかメニューを持ってくる。
頭皮のリラクゼーションマッサージがあるらしい。
リラクゼーション。
先週月曜日に空港で体験した酸素バーから何かと興味を持つようになった私は少し値の張るそのマッサージをお願いすることにした。

カットが終わって再びシャンプーの椅子に腰掛けると、シャンプー担当者が再び登場し、泥パックと頭皮の汚れを落としてマッサージをするという。
横になるとなんだかもこもこしたものを頭に塗りたくられている感じがして、頭を少し持ち上げてみると確かに結構重さを感じた。
それからマッサージが始まったが、これがまた、効くのなんの。
頭のツボをグイグイ刺激されると、腰の辺りまでズシーンと響く。
こめかみの辺りやらぼんのくぼのあたりも念入りにマッサージしてくれて、気分爽快。
15分間のマッサージで3,000円。
確かに少し高いので、毎回というわけには行かないが、これはなかなかの気分。
頭が軽くなった。

再びカットの椅子に座って最後の仕上げを受けていると、「セットをご自分でなさいますか?」と聞かれ「あまりしません」と答えると「よろしければ、セットをする際のコツをご説明させていただきますが」という。
聞いていて損はないのでいろいろと教えてもらった。
そうこうしているうちに「お飲み物は何がよろしいですか?コーヒー、紅茶、オレンジジュースがございますが」と聞かれ、ホットコーヒーを頼むと「愛情を込めて入れてまいりますのでしばらくお待ちください」などと思わず口元が緩むようなことも言う。

コーヒーはスターバックスと同じ豆を使っているという。
コーヒーを飲みながらワックスのつけ方や、映画の話などをする。
一通り終わったころ、そろそろ会計だなと思っていたら、「ただいまレジが混んでおりますのでしばらくの間、マッサージをいたします」といって肩をもんでくれた。
そしていざ会計。

会計に行くと、「本日はありがとうございました。もし、まだお時間がございましたら、今から手品をしますので、ご覧いただけませんか?」という。
うーん。
しつこいぐらいに客に接してくる店だな、と思いながらも、それだけ一所懸命なんだからと、手品を拝見することにした。
「どのようなものがよろしいでしょうか」と聞くので「カードマジックを」とリクエストする。
鮮やかとはいえない手さばきであるが、おお、と思わせる手品に拍手した。
(が、今そのタネに気がついた。)

人と話をするのがいやな人には不向きな店だが、スタッフみんながお客のことを「お客様」として扱い、退屈させないよう、一所懸命なのが伝わってきて、少し高いけれども次回からもここに来ようと思った。
もちろん店を出るときはスタッフみんなが、こちらを向いて深々と頭を下げ、カット担当者は店の外まで見送りに出てくれた。

2005年12月12日(月) トヨタカップ出場

今日はサッカーのトヨタカップにカズこと三浦知良選手が日本人として初めて出場するというのに、外出していて見ることができなかった。

トヨタカップは毎年、南米で1番になったクラブチームとヨーロッパで一番になったクラブチームが、世界一を決めるために戦う試合で、中立国である日本が開催地となっている。
しかし、「世界一」を決めるのに、「南米」と「ヨーロッパ」だけでは物足りないということで、今年から、「北中米」「アフリカ」「オセアニア」そして「アジア」の合計6チームで闘うことになった。

日本は出場していないのか?
日本はアジアのチームである。
そしてアジアの予選大会には出場したものの、勝ち残れなかったのである。
「韓国」「中国」「サウジアラビア」などなど列強の前に敗れ去ったのだ。

で、日本の中でこのアジアの予選に出場できるのはどのチームか。
これはJリーグのチャンピオンや天皇杯のチャンピオンである。
すなわち、1年間Jリーグで戦って、優勝したチームは日本の代表として、アジアの予選に出場ができる。
で、アジアの予選で、各国の代表のチームと戦って優勝すれば、アジア代表としてトヨタカップに出場できるというわけだ。

ところで、三浦知良選手はオーストラリアのチームに移籍したのだが、そのチームが今回のトヨタカップに出場するオセアニア代表なのだ。
幸運といえば幸運かもしれないが、その幸運を手に入れるのは、日本人として初めてイタリアのセリエAの選手となり、そして日本代表を、Jリーグを、ここまで牽引してきた彼ならこそふさわしいのだと思う。

さ、スポーツニュース見よーっと。

2005年12月13日(火) チャットを始める

最近、チャットをはじめてみた。

といってもチャット専用サイトではなく無料ゲームのサイトで、そのサイトにはいくつかの部屋が用意されており、ゲームをするためにはそのいずれかの部屋に入室しなければならない。
その部屋には10〜50人程度のゲーム参加者が常時入室していて、ゲームを始めるとJAVAアプレットが読み込まれ、ゲーム画面の下部にチャットメッセージが表示される。
そのチャットメッセージを送っているのも見ているのも、同じ部屋に入室したものだけだ。

最初はもちろんチャットなどする気はなく、そのパズルゲームだけを楽しんでいた。
二週間ほど前のことだが、そこでいつものようにゲームをしていると、いつものようにチャットメッセージが表示された。

「で、どこに住んでるの?」

チャットのメッセージは、今、受信できたところから表示されるので、それまでの会話がどうだたのかは判らない。

「で、どこに住んでるの?」
「神奈川」
「わたしは九州」

会話しているのは3人である。

「私は12歳です」と「九州」の子どもが答える。
「私は31歳。きみはいくつ?」と神奈川の人が答え、そして「どこに住んでるの?」と質問した主に問い合わせている。
最初の質問の主が「おれ10歳」と答えた。

話が進むにつれてこの3人の住んでいる場所、性別、年齢が明らかになった。
女、31歳、神奈川。
女、12歳、福岡。
男、10歳、愛知。

「彼氏はいないの?」と小学生の女子。
「あなたはどうなの?」と31歳。
「私はいるよ」
「私は今はいない」
「キスしたことある?」
「そりゃあるよ」
「え?じゃあ、彼氏いるんでしょ?」
「だから今はいないの」
「じゃあ、誰とキスしたの?」
「前に付き合っていた彼氏とキスしたの」
「へー」
「あなたはキスしたことあるの?」
「ない」

小学生の感覚が面白い。
「キス」したことがないけれど「彼氏」と呼べる人がいる。
「彼氏がいないけれどキスしたことがある」という状況を想像しにくい。

彼氏のこと、好きなゲームのこと、好きな音楽のことなど、話が進んでいくが、どうしても小学生二人相手に31歳は苦戦している様子だった。

やがてチャットというのは日本中の知らない人同士でも話せるのがすごいと言う話題になり、「大阪の人、いませんか?」とメッセージが表示された。

今がチャンスとばかりに加わってみた。
「こんばんは。40歳のおじさんですが、大阪人です。参加してもいいですか?」

「どーぞー」
「こんばんわー」
「こん^^」

そして30分。
勉強のこと、今が大切なこと、友達を大切にすることなどを話した。
みな、結構まじめに受け答えしてくれたのがうれしく、今までに経験したことのない、不思議な感覚を味わった。

2005年12月14日(水) 冬の空

寒い!
ここ2、3日で急激に冬になった。

普段は薄着の私だが、さすがにこの寒さではコートなしで外を出歩くのも辛く、重いのが億劫だし、とても邪魔だけれども、我慢して着用している。
かといってあの重さがなければ、コートという感じがしない。
ビニールのようにペラペラであったとしたら、きっととても頼りなく感じるだろう。

布団にしてもそうだ。
最近の布団は羽毛や羊毛によって軽くて暖かくなっているが、私はどちらかというと、昔ながら重くてずっしりと、のしかかるような感じの綿布団が好きだった。

冬はそういう重たいものを体に身につけて寒さに耐え、そして暖かくなるにつれてその重さから解き放たれることによって、よりいっそう、開放感を感じるのだと思う。
だから、冬は少しばかり重たい感じのほうがいい。

ビルから眺めた町の景色。
明るい日差しが一瞬差し込んだが、町は相変わらず、重たい色に染まっていた。
冬はまだ始まったばかり。


2005年12月15日(木) 合奏会

今日は次女の幼稚園でクリスマスの合奏会があった。
毎年この時期になると行われる、園児全員の楽器による演奏会だ。

昼過ぎから嫁さんや同じ幼稚園に通う子どもを持つ知人と一緒に幼稚園まで出かけた。
幼稚園に入ると待合室に通された。
待合室には「カトレア組」と書いてある。

普段、教室として使われているその部屋には先にたくさんの父兄が集まっており、園児用の小さな椅子に大きなお尻を乗せ、並んで座っていた。
幼稚園で催し物がある際には誰でもよい席を確保したくなるもので、合奏会も例外ではなく、毎年、席を確保する父兄たちで混乱を極めていた。
そのため、今年から、幼稚園に来た父兄は先着順に一旦、待合室に案内され、そこに並べられた椅子に腰掛けて時間が来るのを待ち、開始時間前に再び先生に案内されて子どもたちのステージの前にたどり着けるという仕組みになったようだ。

時間が来てステージの前に行くと、園児たちがいろいろな楽器を前にして、ひな壇になった台の上に並んで座っていた。
しかしそこに次女の姿が見当たらない。
どうやら、次女達数名の園児は最初の合奏のときにステージ脇から入場してくることになっていたようだ。

ステージの前で始まりのときを静かに待つ。
やがてライトが消えて子どもたちの演奏が始まった。
最初に流れるのはハンドベルによる「きよしこの夜」。
聖歌隊のようにマントを羽織った次女が花嫁がバージンロードを歩くかのように一歩進んでは止まり、また一歩進んでは止まって、ゆっくり静かに歩いてくる。
手にはキャンドルに見立てたオレンジ色の明かりを持っていて、その明かりが次女の顔をほのかに照らしている。
私たちの姿に気がついた次女は少し照れくさそうな笑顔を見せたが、またすぐに済ました顔をして歩いていった。

ステージの端に一旦消えた次女たちはすぐさま着替えて自分の担当楽器の前に座った。
次女が担当するのは鍵盤ハーモニカ。
鍵盤に白い管がついており、その管の先を口に加えて息を吹き込むことによって、鍵盤で押さえた音を出す楽器だ。
先生がステージの後方でピアノで伴奏しており、それに合わせて園児たちが奏するのだ。
楽器は鍵盤ハーモニカ以外にもいろんなものがあった。
木琴、鉄琴、大正琴。
ハンドベルや鈴、シンバルと太鼓。

そしていろいろなクリスマスソングが演奏されていく。
当然のことながら音はばらばらだし、説明されなければ何の音楽かわからないようなものまである。
でも、演奏している姿を見れば、演奏の内容などどうでもよくなるのが親だ。
次女は、時折私たちと目が合うと、口元に少しだけ笑みを浮かべ、そして何事もなかったかのように済ました顔で演奏を続けた。

今日はビデオが故障したおかげでいつもより、長い時間、次女の顔を見ていたような気がした。

2005年12月16日(金) とりあえず本を買った

会社の設立を考えている。
以前からいつかはそうなるんだろうと漠然と考えてはいたが、最近はかなり具体的に考えるようになってきた。

今の取引先との付き合いを考えると、このまま個人事業でやっていくには何かと制限があるようだ。
無論、制限のなかでも仕事は続けられるが、収入が減ってしまう能性があり、それは避けなければならない。

安定した会社員を辞めてリスクの高い個人事業主となった理由は、何をおいてもその収入に魅力を感じたからであり、その収入が減るとなると、何のために個人事業主をやっているのかわからない。

確かに、会社を作ることは今までと違うリスクを伴うことにもなり、また別の要因でいろいろと出費がかさむことになる。
そのため、実際には現状を維持し続けた場合に減るのと同じように、会社を作っても収入は経るかもしれない。
しかし、何もしないままに収入が減るよりは、何かを成し遂げて減るほうが納得もできる。

とはいえ、どの程度、収入が減るのかをよく吟味して、会社設立を検討しないと、来年の今頃「個人事業主に戻ろうと思う」なんて出だしで日記を書くことになりかねない。

2005年12月17日(土) クリスマス会

今日は子ども会のクリスマス会だった。

クリスマス会に行くことを嫁さんに告げると、「え?会長は今までクリスマス会に出席したことなんかないよ」と言われたが、子ども会の行事には原則参加したいと思っていたので、朝からノコノコ出かけていった。
準備作業はすべて班長さんに任せっきりだったので子どもと同じようにクリスマス会を楽しむかのように出かけるのは少し気が引けたが、これも嫁さんに聞くと「今まで会長が手伝いをしたことがない」らしい。

会場となっている自治会館に着くとすでに子どもたちも集まっており、班長さんたちはゲームの準備に大忙しだった。
子どもたちは全部で30人ぐらい。
やがて準備も整ってゲームをするために一階のフロアに子どもたちを集めた。

「さ。会長。挨拶挨拶」と班長さんの一人が言う。
『あれ?会長は毎年不参加なんじゃないの?』などと思いながらも、前に進み「おはようございます。今日はクリスマス会をしますのでみんなで楽しく過ごしましょう」などと短くお子様向けの挨拶などをしてみた。
あまりに短いので「え?もう終わり?」と子どもにびっくりされた。

最初にやったのは「箱の中身は何でしょう」。
昔ながらにあるバラエティーの定番、箱の中にあるものを手探りで当てるものだ。
フロアの出前に子どもたちを座らせ、フロア奥のテーブルの上に段ボール箱を置いてその中に品物を入れることにした。

1、2年生は今から何が始まるのかわくわくしている様子がよくわかるが、5、6年生ともなればこういうゲームに夢中になるのは、なんだか「格好悪い」ことのようで、女子たちはまるで「小さい子どもに混ざってキャーキャー騒ぐ何て恥ずかしくってできないわ」とばかりに、後ろに固まって自分たちの会話に夢中になっていた。
まあ、予想していた光景だし、無理にゲームに参加しろなどと注意することもなかった。
でも、いざ始めてみると、高学年の女子もまんざらでもなさそうに楽しんでいたし、低学年は面白いぐらいによく笑っていた。
子どもがやるので危険なものは入れられないし、それでも見ていて楽しいものでなければならず、中に何を入れるのか班長さんたちと頭を悩ませたものだ。
意外に受けた品物は金髪のカツラだった。

ゲームが終わると、二階の座敷に移動し、ケーキやお菓子を食べながらビンゴゲームを始めた。
ビンゴといえばどんな景品があるのか気になるところだが、それは悲しいかな低予算の子ども会。
一番いい景品でも「お菓子の詰め合わせ」。
明らかに、テーブルの上に配ってあるお菓子の残りの詰め合わせだとわかる。

でもこれまた子どもたちの面白さ。
景品なんかはどうでもよく、とにかく一列そろえるのが目的となっていた。
班長が番号を読み上げるたびに歓声とため息が部屋に響き渡った。
無論、ビンゴゲームはその場に居た子どもたち全員が、一列そろうまで続いた。

一時間半ほどの短い時間ではあったものの、子どもたちも結構楽しんでくれたようで、来年はもっと楽しめるようにしようと、心に決めた。

2005年12月18日(日) テレビ故障

3階の和室にあるテレビが故障した。

3階の和室は子どもたちの遊び部屋になっていて、私が2階の居間兼事務所で仕事をするときは子どもたちはみな、3階へと追いやられる。
しかし、3階のテレビが故障して、テレビゲームもできなければ、番組を見ることもできないといって、最近は2階に入り浸りだ。

仕事に集中できないし、来客があるたびに子どもをせかして部屋から追い出さねばならない。

元々もらい物のテレビなので、壊れたことに文句を言うのは間違いだが、何もこの師走の忙しい時期に壊れなくてもいいだろうと思う。
世間のサラリーマンたちはみな、ボーナスが支給されてウハウハだろうから、テレビの一つや二つ、なんだったら、デジタル液晶の薄型大画面でも買ってやろうか、ぐらいの勢いがあるかもしれないが、こっちはテレビを買う余裕どころか、借金返済のめども立たず、別のところから借金しようかというぐらいの勢いだ。
第一、和室に置くテレビだからカリントの経費で落とせるものではない。

それによく考えたら、壊れたテレビを処分するのに、お金を取られるじゃないか。
なんてこった!
色黒で妙に暗く、陰のあるテレビだから早く処分して、すっきり気分で正月を迎えたいのに。

正月特番でチャンネル争いになるのは目に見えている。
早く何とかしないと、年明け早々、ケンカネタで日記に書くことになりかねない。

2005年12月19日(月) ネット株

ネット株を始めてみた。

ネット株には以前から興味があり、早く始めたいとは思っていたものの、何しろ他にやらなければいけないことがてんこ盛りで、とてもじゃないがそこまで手が回らないと思い、しり込みしていた。

しかし、周りにネット株を始める人が多くなり、カリント代表として株の売買知識ぐらい身につけていないと恥ずかしく思えてきたので、一気に手続きを済ませ、このたび口座開設の運びとなった。

まずは、オンライン証券会社のホームページからユーザIDとパスワードを使ってユーザページにログインする。
すると、株価の情報以外に四季報や評価レポートなども見ることができる。

今までは大手プロバイダのサイトなどで「ローソク足」と呼ばれる株価の変動を表す独特のグラフを見ながら、値動きを予想していたが、その予想にはたいした根拠があるわけでなく、見るグラフの全部が全部、上がりそうにも思えるし、下がりそうにも思えた。
でも、四季報や評価レポートを読むと、株価が上がっている理由もわかるし、下がっている理由もわかり、根拠を持って売買ができる。
それだけでも、頼りになる情報だ。

しかし、注意しなければならいのはこれからだ。
ネット株が流行っている理由は、紛れもなく、我々のような素人が手をつけ始めたところにあり、実際、オンライントレードの会社のほとんどの顧客は、今までもっとも株と縁のなかった20代の女性や主婦が中心だという。
そのような素人に少し毛が生えた程度であまり首を突っ込むと、それこそ、以前からオンライントレードを使いこなし、市場を操ってきた玄人たちのカモになること請け合いである。

身の丈にあった売買で、飲み代の一回分を稼いで、喜んでいるぐらいでちょうどいい。

2005年12月20日(火) 増税反対?

来年はいろいろと増税され、またまた出費がかさむことになる。
しかし、基本的に増税は反対じゃない。

誰だってこの資本主義の世界に生きていれば自分の所得が減ることを望みはしない。
働いた対価やこれまでの功績の代償として得られたお金は大事にしたい。
でも、社会の中で生きていく以上、その社会を動かすためには税金が必要だ。

よく該当のインタビューで「増税反対」を声高に叫ぶ人たちの姿が映し出されるが、そのたびに思うことは「じゃあ、どうすればいい?」だ。
よく、「税金の無駄遣いだ」などという声が聞こえるが果たして本当に無駄だったのだろうかと思う。

例えば、ほとんど利用者のいない公共の療養施設への税金投入。
この施設にしたって、広い野原の真ん中に税金の札束を積み上げて、怪しげなおまじないをすればボンッとこの施設が突然できるわけではない。
土地の所有者にお金が払われ、建設業者にお金が払われる。
建設業者がその町で飲み食いするたびに町の中にお金が散らばっていく。
その建設現場へ向かうための交通費だって交通機関に支払われる。
施設で働く人の給与にも充当される。

確かに、ごく一部の地域の、ごく一部の人のところに流れているかもしれないが、税金がこの世から消えてなくなっているわけではない。
「無駄」と感じるのはその恩恵にあずかっていない人の話であって、工事に携わった人やその町に住む人は少なからず、恩恵を受けており、むしろ感謝しているかもしれない。

一番の税金の無駄遣いは「遣わずに置いておくこと」だ。

2005年12月21日(水) 税率60%!

昨日に続いて税金の話。
本当はこれを書こうと思ったのだけど、途中から違う話になったので今日に持ち越した。

来年から増税されることになり、家計が圧迫されることは間違いない。
中でもタバコはいつも悪者扱いで今回も「とりやすいところから」とばかりに増税の対象になった。
ただでさえ、タバコの税金は高い。

実に価格の60%が税金だ。
たとえば、250円のタバコ。
このうち150円は税金であって、タバコの本体価格は100円だ。
私はタバコを吸わないので、愛煙家の方々には大きな負担だろう。
確かに、100円の品物を買って150円の税金をとられるのは高い。

しかし、ここはあえて言いたい。
タバコの税率は90%にしろ。
税率が90%になれば、タバコは一箱1,000円になる。

この前、ファミリーレストランで食事を摂っていると、若い母親が数名、みな乳飲み子を抱えて来店した。
そしてそのまま喫煙の席を指定した。
私が驚いていると、さらにその母親たちは席に着くや否や、バカ面を並べ、そろいもそろってみんなでタバコを吸い始めた。
開いた口がふさがらず、こっちまでバカ面になるところだった。

かと思えば、駅や街角では自分のケツも拭けないような高校生が、公然とタバコを吸っている。
こいつらに注意して怪我をさせられるのもアホらしいから、うかつに注意も出来ない。

でも、タバコが1,000円になったらどうだろうか。
亭主の安月給を井戸端会議のネタにしてバカ笑いしているノータリン主婦はそれでもアホ面下げてタバコを吸うだろうか。
それ以上自ら進んでバカにならなくても十分バカなのに、それでもやめられないとまらない、すねかじりの高校生はタバコを吸うだろうか。

タバコは富裕層の礼節をわきまえた紳士のたしなみであるべきだ。
子供の前ではすわない。
喫煙場所以外ではすわない。
タバコはポイ捨てしない。
常に周囲に気を配る。
そういうことが出来る、金持ちの紳士が吸えばいい。

まあ、本当の紳士は、害のあるタバコをわざわざ吸うようなことはしないと思うが。

2005年12月22日(木) 初買い

株を買った。
会社員だったころに自社株を買っていたので初めてではないが、投機目的で積極的に株を買ったのは生まれて初めてだ。

前日、入金口座に資金を振り込んだ。
つめの先に火を灯す思いで貯めたなけなしの軍資金だ。
銀行振込みといっても、今は24時間インターネット上で操作でき、即時に繁栄される。

嫁さんと二人で相談しながらどの株を買うか、いろいろ検討してみたが、投機目的といっても堅実な生き方そのものを変えるつもりはないので、結局、地味で確実な株を買うことにした。
専用のWEBサイトで、銘柄と購入株数を入力する。
何度か確認画面が表示され、パスワードの入力を行う。
そのたびに、これでいいのか、などと考えたりするあたり、さすがに小心者の私だと思った。
小心者なんだから小心者らしく、株なんかに手を出さなければいいのに、考え方がポジティブなので、確たる根拠もないのに、絶対儲かると思い込み、株に手を出したわけだ。

そして最後に買い付けのボタンを押すと、注文完了のメッセージが表示された。
厳密には買い付けがなされるのは翌日の立会いが始まった直後なので、今ならまだ取り消しができるのだが、そんなことを考えた挙句、取り消したりすると、小心者の証明になってしまうので、ビールを飲んだ。
でも、酒に逃げるところがいかにも小心者だ。

そして今日。
気になる株価を見た。
下がっている。
でも、そのうち高くなるだろう、と期待に胸を膨らませつつも、小心者の私は分刻みで上下する価格に一喜一憂し、行く末を見守った。
しかし、結局、終値は購入時より安くなっていた。

まあ、いきなり高値になったりしたら、株がやめられなくなってしまうので、ちょうどいい歯止めだと思って、週明けの動きに期待することにした。

2005年12月23日(金) 雪と停電と

この季節、まだ誰も起きていない部屋の中は吐く息も白く、布団から這い出すのに苦労する。
昨日の朝は格段に冷え込み、布団への執着もよりいっそうのものだった。
それもそのはず、外は大雪だった。

それでも何とか這い出して、相変わらず緩慢でスローテンポに仕事に出かける用意をする。
食事を取って身支度を整え、いざ家を出ようとしたときだった。
突然、廊下が暗くなった。

廊下の電球が切れたのだと思った。
しかし、すぐ隣の部屋も同時に薄暗くなっていた。
何より、朝からにぎやかな調子で話し声を流していたテレビが、真っ黒なただの箱のように、押し黙っていた。

停電だった。
静寂と薄暗さが部屋を支配する。
黙ってしまったのはテレビだけじゃない。
暖房機も換気扇もレンジも冷蔵庫も。
改めて家電製品の多いことを思い知らされる。

大雪の外を歩く学生の声だけが聞こえてくる。

その日、日本海や近畿地方を襲った冬の嵐は、各地に大きな被害をもたらした。
中でも近畿と新潟ではあわせて135万戸で停電が発生し、我が家もその中のひとつだった。
この辺りの停電はおよそ15分間にわたったが新潟では翌日まで続いたらしい。
ユーザのコンピュータに影響があるかもしれない、と気が気でなかったが、幸い大事に至ることはなかった。

通電したことを確認して家を出た。
駅に着くとやはり電車は遅れていた。
隣の駅は比較的近く、いつもなら駅に近づく電車を目視できるのだが、雪で視界が悪く、近づく電車はまるで霧の中からぬうっと現れるような感じだった。



寒い寒い朝だったが、幼稚園が冬休みに入った次女は、家の前で嫁さんと雪合戦をしたらしい。
停電や電車の遅れなど気にすることもなく、何よりこの寒い中外で元気に遊べる次女をうらやましく思った。


2005年12月24日(土) 聖夜

今日も例年のようにケーキを買ってきて、ノンアルコールのシャンパンで乾杯をした。

みんな笑顔で過ごす夜。
長女と嫁さんは近所で評判のケーキ屋で予約しておいたクリスマスケーキが美味しくて上機嫌だ。
私はノンアルコールではつまらないので、ジンに炭酸とアップルジュースを混ぜてシャンパンの代わりにし、それを飲んで上機嫌だ。
気分屋の長男も、その雰囲気に上機嫌だ。

でも一番の上機嫌は次女だろう。
100円ショップで買ってきた真赤なサンタクロースの衣装を着せてもらってはしゃいでいる。

今夜はあちらこちらで、いろんな人たちがいろんな思いをしながら、それぞれのクリスマスイブを過ごす。
我が家は皆元気で、そして笑顔とともにイブの夜を過ごす。
さあ、今日は気分がよく、もう少し飲みたいので日記はこれでおしまい。

MerryChristmas!

2005年12月25日(日) 年賀状作成

今日は年賀状の作成を開始した。

年賀状の作成は大きく2つのフェーズに分かれる。
まずは年賀状のデザインを決めること。
次はその年賀状を印刷すること。

年賀状の宛名書き作業は、以前は嫁さんの仕事だったが、今はパソコンがあるので一度住所録を作成してしまえば、あとは印刷するだけだ。
しかし、今年は住所録の入ったHDDが壊れてしまい、先日嫁さんが全部入力しなおした。

そして以前から変わることなく私の仕事となっているのが、年賀状のデザインを考えることだ。
毎年、干支を元にしたイラストを考え、そしてそれを描く。

午年のときはロバのイラストを拝借して、その上に次女の写真を貼り付けた。
申年のときは「見ざる言わざる聞かざる」を「見ざる言わざる着飾る」として、目をふさぐサルと口をふさぐサルのイラストに並べて、これまた着飾った次女の写真を貼り付けた。
結構、親ばかである。
なので、子どもの写真を使うものと、そうでないものを2枚用意するときもある。
酉年のときは元気そうな鶏のイラストを描いた。
何かを参考にしたつもりはなく、頭に浮かんだ元気そうな鶏を書いただけなのだが、きっとどこかで見たデザインだろう。

そして今年はもちろん犬の絵を描いた。
犬の写真を探していたが、年賀状にするには生々しいし、別に我が家に犬がいるわけでもないので、イラストを書くことにした。
今年のイラストは、正直に言って、既存のデザインを真似てしまった。
しかし、そのまま引用するのはいやなので、全部自分で描きなおした。

描き始めてから完了するまで2時間ぐらいはかかっただろうか。
今年も派手で元気なイラストでなかなかいい感じに仕上がった。
あとは印刷するときに、一人一人違うコメントを、これまたパソコンで打ち込むだけだ。
(手書きより読みやすいし、イラストとのバランスがいいのだ)

仕上がりのタイミングを見計らってか、ビールのお歳暮が届けられ、勝手にご褒美と決め付け、二本飲んでやった。
ひとつ年末の仕事を片付けた気がした。

2005年12月26日(月) 意外にご近所さんだった場合

わたしの住んでいる町は決して田舎ではないので、最寄駅も小さな駅とはいえ、それなりに利用者も多い。
知り合いの数も増えると、中には、偶然にも同じ駅を利用しているご近所さんだった、なんてことがあっても不思議ではない。
とはいうものの、やはりその偶然がうれしいような気恥ずかしいような、そんな特別な気持ちになるものだ。

仲のいい人なら、共通点ができたような気がしてうれしくも思うし、また、生活圏を知られているというのはなんとなく気恥ずかしいような気もする。

先日も仕事先で知り合った人が、隣町に住んでいて同じ駅を利用していることがわかった。

私の家は駅から近く、駅へ通じる道にもなっているので、多くの人が家の前を通るし、また、その通り道を利用している人なら、口頭で説明してもすぐに私の家の所在がわかる。
言わなければ済むことだが、ついつい自分の家の場所を説明してしまう。
今までは気がつかなくても、そうやって説明されて、改めてその家を見れば、なるほど私の名前の表札が確認できる。
なので今までにも何人かに「家を見つけました。今度ピンポンダッシュします」と言われたことがある。

私も仕事で外出するときはスーツを愛用しているが、普段はとてもラフな格好をしているわけで、とりわけ寝起きでコンビニへ買い物しに行くときなどは、あれらもない姿になっていたりする。
冬場はそれなりの格好だが、夏場など、なんだか黄ばんだ白いシャツ一枚に、下は穴の開いたよれよれであっちこっちシミのついたジャージだったりする。

でも、おそらくそれはお互い様なわけで、相手だって私が近所に住んでいれば、油断丸出しの姿を、私に発見されるかもしれない。
駅前には本屋もあるし、カラオケもあるし、ファストフードもあるし、商店街もある。
そこら中、普段着で出かけるようなところだらけなのだからなおさらだ。

普段着で油断している格好を見られると確かに恥ずかしい気もするが、それはそれで親近感が一段と増すかも知れない。
普段よりももっと笑いながら挨拶できるような気がして、それもまた、楽しいものだと思う。

2005年12月27日(火) ラジオに出演

21日に長女がラジオ番組に出演した。

と言っても地元のローカルFM放送であり、地元でなければ聞くことができない。
また、スタジオでトークをしたわけではなく、取材に応じただけであり、もちろん事前に録音されたものが番組の中で放送されたものだ。
そのラジオ番組の1コーナーでは近隣の中学校のクラブ活動を毎回放送しており、今回は長女の所属クラブがそのターゲットとなったのだ。
残念ながら私はその放送を聞くことはできなかったが、嫁さんがカセットテープに録っていてくれたのでそれを聞いてみた。

♪きみは 何を今 見つめているの♪

昔懐かしい青春ドラマの有名な主題化が流れてくる。
それにあわせてDJがタイトルコールをし、続いて学校が紹介された。
「○○中学校の科学部に行ってきましたー」とDJが言う。
「へー。科学部ですか」と、女性アナウンサーが答える。
「酸素の元素記号ってわかりますか?」
「えーと。O2だったかしら」
などといかにも、「科学部の人間は頭がいい」と決め付けているかのような前フリが続き、いよいよ中学生の登場となった。

「えー。こちらが本日紹介する○○中学校の科学部の皆さんです。
 では、部長さんから自己紹介をお願いします」
そう言われると部長が挨拶をした。
「こんにちは。部長の○○です」とフルネームで答える。
確か長女は副部長だ。
部長が一番に挨拶をしたのなら次は副部長である長女の挨拶のはずだ。
「こんにちは。副部長・・・」
副部長だったが低い声だった。
なんだ。
もう一人、男の副部長もいたのか。
長女は一年生なのに副部長とはたいしたものだと思っていたが、三年生はクラブ活動を卒業し、二年生はおらず、今は一年生しかいないといっていた。
なるほど、副部長は二人いたのか。
しかし。
「副部長の××です」
と名乗るその名前は紛れもなく長女のものだった。
男だと思っていたが長女だったのだ。
なんという男らしい声なんだ。
その後に数名の部員が自己紹介したが、その誰よりも男らしい声だった。
きっとラジオを聴いていた人のほとんどは男だと思ったことだろう。

「部長さん。科学部に入っているとやっぱり理科は得意ですか?」
「はい。得意です」
「テストはどれぐらいなの?」
「94点です」
すごいじゃないか。
頭がいいと思われていたのは、あながち、はずれでもない。

「副部長さん。どんな活動をしていますか?」
そう聞かれて長女がすらすらと答えはじめた。
「はい。科学部では年に一度、夏に開催される、学生を対象とした科学の祭典であるサイエンスフェスタに出場するために、部員みんなで力をあわせ、ひとつの課題に取り組んでいます。今年は、シャーペンの芯に銅を付着させる実験を行い、サイエンスフェスタではそれを実演しました」

絵に描いたような棒読みである。
棒読みの見本といっても過言ではない。
中学生だし、何より本音ではないのだからそれも仕方ないだろう。

途中、「なぜ、科学部に入ったのですか?」とレポーターに質問されて「兄も入っていたから」と答えたのは、兄妹ゲンカの多い、長女にしては意外な答えであり、それが本音でないにしても、私にはうれしい答えでもあった。

2005年12月28日(水) 役所と困り顔

月曜日に労働基準監督署と労働局に行ってきた。
どちらも税務署と並んで、会社員時代には一生に一度も行くことはないだろうと思っていた役所だ。
ユーザとの契約を継続する上で法人化したほうがいいのかどうかを確認しに行ったのだ。
まず最初に訪れたのが労働基準監督署。

建物に入ると一階には展示室があるものの、人の気配はなく、各階層の案内がエレベータ横の無機質な金属板に貼ってあるだけだった。
エレベータに乗って目的の階で降りる。
するとガラス張りのドアが目に入っただけで、役所にあるような大きな案内看板のようなものはなかった。
役所というイメージとは少し違う建物で、どちらかというと、役所業務用に建てられたものではなさそうだ。
役所の建物というのは、実際の機能はさておき、縦というか横というか、そういうつながりを感じさせる構造になっていて、人の流れをある程度考えて作ってあるものだが、この労働基準監督署は、そういうつながりの不自由さを感じさせる建物だった。
言い換えれば、最初に訪れた窓口ですべてに対応してくれるので、あちらこちらにたらいまわしされることがない、ということなのかもしれない。
事実、窓口の応対はとてもよかった。

このドアを開けて入っていいのかどうか躊躇しながら(なにしろ入り口とも受付とも何も書いていないのだから)ガラス張りのドアをゆっくり押し開けた。
私はいかにも「相談にきました。困っているんです。決して怪しいものではありません。営業をしにきたわけでもありません」と言う顔をしながら、部屋の中に入った。
すると困り顔の私を見つけた初老の男性がすぐにカウンターまでやってきて、「さ、こちらへどうぞ」と私をカウンター前の座席に促した。
ようやく、私の入った部屋が間違いではないことに安心した。

私が話を始めるとその男性は「相談票」とかかれた用紙にメモを取り、適度に相槌を打ち、なによりちゃんとこっちを見てしっかりと話を聞いてくれた。
一通り話を聞いて、今度はその男性が困ったような表情を浮かべた。
「申し訳ないですが、その件でしたら、こちらよりも労働局にお尋ねいただいたほうがもっと適切にお話できると思いますが」
そういわれた。
もし、それまでの対応が悪ければ私も何か言い返すかもしれないが、相手に何の落ち度はないし、わかりました、と納得しない理由が何もなかったので、労働局の場所を聞いてそこを出た。

労働局は隣の駅にあった。
かなり立派なビルだが、こちらは完全に企業用のビルであり、多くの企業がその中に入っていた。
労働局はそのなかのいくつかのフロアを占めていた。

労働局のあるフロアで降りた。
ここも先ほどと同様に何の看板もなく、まさしく、この場所のこのフロアのその入り口を目指してきた人以外は寄せ付けない雰囲気があった。
入り口には、もちろん「受付」だの「窓口」だの文字はなく、おまけに中がまったく見えない。
しかも扉はいくつもある。
扉に「関係者専用」と書かれていれば、書かれていない扉が「一般人専用」と推測できるので、そこから入れば問題なさそうだがそれも書かれていない。
いきなりどこかの扉を開けて書類だらけの倉庫だったりしたら間抜けだし、誰かがいて目があったりすると、怪しい人間だと思われかねない。

唯一、ある扉だけに「需給調整事業部」と書かれていた。
私が訪ねてきたのがここであることが間違いないのは、先ほどの監督署で「これこれこういう部署に行きなさい」と言われたから判るのであって、そうでなければ、私の相談したいことが、ここにくれば聞いてもらえるなどとは想像できないような部署名だ。
ここでもまた、躊躇しながら扉を開け、やはり困った顔で中に入った。

今度は若い男性が応対してくれた。
話の内容を告げると「うーん。ちょっと待ってください」とこれまた困り顔になって上司らしき人を呼びに行った。
上司らしき人はさすがに困る顔は見せず、てきぱきと答えてくれた。

役所というと、あまりよいイメージがないが、税務署にしろ、今回訪れたところにしろ、とても印象はよかった。

ま、私の相談事には大きな進展がなかったのだけれども。

2005年12月29日(木) 借金

個人事業主である私はいざと言うときのために退職金代わりの積み立てをしている。
小規模企業共済と言うやつだ。

で、今回は運転資金が必要になったので、貸付を利用することにした。
貸付の限度額は今まで自分で積み立てた額までだが、金利が低いので安心して借りられる。
その手続きをするために今日は銀行へ出かけた。
この借り入れを利用するに当たっては、印鑑証明などの事前準備も必要で、手軽に借りられると言う感じではない。

銀行について話をすると通常の窓口ではなく二階へ案内された。
年末のこの時期、銀行の窓口は大変混雑していたが、二階はまるで静かだった。
案内された椅子に腰掛けて待っていると、係りの女性が応対してくれた。

まずは私がお金を借りることのできる権利を持っているかどうかを調べられた。
最初に提示を求められたのは小規模企業共済の組合より送られてきた貸付が利用可能になったという証明書。
それでいくら必要かと聞かれて金額を答えると、今度はその金額が貸し付け可能かどうかを調べると言って女性は席を立ち、数分後に、問題ないという答えを持って帰ってきた。
次に申込書に一通りのことを記述させられ最後に実印を押した。
実印を押すのは久しぶりのことで、何度やっても緊張するのはやはり小心者である証拠だろうか。
それ以外に身分証明書の提示を求められたりもした。

振込みは年明けになるというが、振込み時に利息分だけを先に引き落としてしまうらしい。
最初に利息分を引き落としてしまうのは、テレビ番組で高利貸しなどがよくやっていたが、こういう公的な貸付でも同じような方法をとるのだと始めて知った。

とにもかくにも、カリントもいっぱしに運転資金を借りるようになった。
無論、一年後には耳をそろえて全額を一括返済しないといけないのだが。

2005年12月30日(金) 夜警

今日は自治会の年末恒例、夜警に参加した。
私は子ども会の会長以外にも、地域の防犯委員の任に就いているが、夏休みの夜の巡回以外にはほとんど防犯活動がなく、一年のうちではこれが一番の大きなイベントかもしれない。

夜警と言っても何も特別なことをするわけではなく、夏休みのときと同じように、グループ単位で町内を巡回するのだ。
ただ、火の用心の必需品、拍子木を打ち鳴らして歩き、巡回も深夜まで行われるところに違いがある。
でも、本当に大きな違いは、巡回の合間に待機する本部が存在することだ。
本部はいつもの会議場所、自治会館に設置される。

集合時間の21時に自治会館に出向くと、すでに何人かがソファーやパイプ椅子に腰掛け、用意された3台の石油ストーブで暖を取っていた。
男性ばかり6名程度。
平均年齢は60歳と言ったところだろうか。
この町の自治会は高齢者が多いのだ。

いつものように元気よく挨拶をすると労いの言葉が返ってくる。
しばらくすると続々と人が集まってきた。
総勢20以上は居る。
巡回スケジュールは22時前からおよそ1時間間隔で3回行われ、終わるのは深夜1時過ぎ。
その間はこの自治会館で待機するのだが、その間にはお酒やおつまみも振舞われる。
そのため、集まってくる人の中には婦人部のメンバーも含まれている。
人が程よく集まったところでストーブで燗をしたお酒が振舞われた。
私はウィスキーのお湯割をいただいた。
そうして最初の一回目の巡視を終えて戻ってくると再び酒を飲んだ。
結局これの繰り返しで夜は更けていった。



毎年、「わしは四日連続の参加だ」などという役員さんの話を何度か聞いたことがあるが、これでなぞが解けた。
年末にみんなでタダ酒を飲むための、都合のいい言い訳だ。

2005年12月31日(土) 種まきと収穫

今年も最後の日になった。

長男がつらい受験勉強の末、見事、志望校に合格し、また、長女は病院で卒業式を迎えると言う思い出を作った春。
久しぶりの家族旅行に出かけるため、車にリアモニターとETC車載機を取り付け、少し贅沢に過ごした夏。
子ども会会長に就任し、運動会にむけて子どもたちに太鼓の演舞を教え、精力的に活動した秋。
そして会社の設立を考えたり、ネット株を始めたりと来年に向けて新たな種をまいた冬。とても充実した一年だった。

毎年、その一年を振り返るが、今年は今までと少し違う。
それはこの日記の存在。

日記を書くとき、その内容がすらすらと頭に浮かぶことは少なく、何か心に残る出来事に接したときや、何かのきっかけで湧き上がってきた衝動を書くことが多い。
だから、日記を読めばそのときの出来事や感情がかなり忠実に思い出される。
思えば一年の半分の日ですら、その日に何があったかを覚えていたことなんて、今までには経験した記憶がないが、日記を読むことによってほとんどの日の出来事を思い出すことが可能になる。

去年の晩秋、ホームページを作って日記をつけようと決意し、まずは一年続けてみようと、日記を書き始めた。
結果的にそれは今年収穫するための種をまいたのだと思う。

WEB上で公開しているとはいえ、非常に大きな偏見によって書かれた日記なので、非難を浴びることも少なくないが、それが私のスタイルであって、私を知っている人ほど私らしいと理解してくれることだと思う。
結局こうして実りを収穫できたのだから、私は私のスタイルを貫くことでより大きな収穫を得ることができるのだと信じている。

来年もまた、私は私のスタイルで日記を書き、そして私らしく日々の生活を送る。

[先月] [目次] [来月] [最新版] [トップ]

info@karintojp.com
Akiary v.0.51