カリント日記

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2007年5月1日(火) 表敬訪問

集合場所は市役所の1F。
言われなくても今日ぐらいはスーツを着てくる。
市のPTA協議会役員として、これから市長と教育委員会を表敬訪問するからだ。

市役所のロビーに到着すると、いつもの役員がソファーに座っている。
椅子の数が明らかに足りないので、まだ空席はあるものの、一番若造の私は立っていることにした。

定刻になると、秘書なのか、それとも単なる事務員なのか、とりあえず、係りの人が我々を呼びにきたので、後をついて行った。
所々、剥げ落ちた壁をみながら、古びた階段を上がると、年代を感じさせる木枠の大きなガラス戸が目に入った。
掲げられた札には「市長室」と書かれている。

応接間に通されると椅子の数の割には小さなテーブルがあり、上座の一席だけを残してそを囲むように座った。
私はその上座と相対する椅子に腰掛けた。

勿体つけているのかしばらく待たされる。
待たされると役員たちの緊張がよくわかる。
だんだんと口数が少なくなるし、しきりに自分の手を触って落ち着かない様子だ。
私はペーペーなので返って気が楽だ。
周りを珍しそうに見渡す。
廊下に面した壁は、壁ではなく、目隠し模様の入った大きなガラス戸で、人が歩いているのはわかるが個人を特定することはできない。
ガラスのショーケースには、府知事や総理大臣からもらった賞状が飾られている。
歴代の市長の写真も飾ってある。

やがて「秘書」らしき身のこなしのスマートな人が部屋に入ってきて、「市長がお見えです」と小さな声でつぶやくと、そのガラス戸に人影が写った。
役員みんなが姿勢を正す。
私だって、仕事で客先に行き、役員クラスの人と面談するときは姿勢を正すのだから、いくらペーペー役員といってもこのときは同じだ。

市長がゆっくりと入ってくると、みなが一礼をする。
全員が起立したまま今度は名刺交換が始まった。
私も、このときのために名刺を用意してもらっていた。
「小学校部会部会長」という肩書きが書いてあるだけの簡単なものだ。

名刺交換後、着席をし、協議会長が「今年はこのメンバーで活動してまいりますのでよろしくお願いいたします」などと挨拶をしていると、市長が「今年は一段と若くフレッシュなメンバーですなあ」という。
といっても見渡す限り「若くてフレッシュ」なのは私ともう一人、母親代表委員会の女性ぐらいだ。
後は白髪だったり、髪の毛が薄かったり、去年と代わらないメンバーだったり。

その後、市の財政のこと、義務教育への取り組みのこと、学校設備のこと、などなど、中には、公の場で発言すれば退任を迫られてもおかしくないような言動もあり、なかなか面白い話を聞かせてもらった。

その後、市役所を後にして教育委員会へ向かった。
その話はまた別の機会に。

2007年5月2日(水) USJの新ジェットコースター

中学校の創立記念日がこのゴールデンウィークにあるというのは都合がよすぎる気もするが、それはさておき。
今日は中学生の長女が休みなので、ついでに次女も学校を休ませて、USJに行くことにした。

もともとは、仕事で行けないと思っていた私と、もはや家族で遊園地など考えも及ばない長男と、を除いて女ども三人でUSJに出かける予定だったらしいのだが、私も都合がついたので一緒に行くことにした。
何よりそれを喜んだのは中学生の長女である。

というのも、USJにスリルのあるアトラクションに乗りたくても、小学校二年生で怖がりの次女がいては、自然と制限されてしまう。
ところが、なんでもこいの私がいれば、もう、乗りたい放題だ。
何より、この春、新しく登場したジェットコースターのアトラクションに乗りたくて仕方のない様子。
女だけで行くと思っていた長女は、最初からあきらめていただけに、私が行くとなって喜んでいた。

で、午前中の比較的早い時間に到着。
女どもはUSJの年間パスポートを持っているので、私の分だけ切符を購入して入場した。



少し曇っているが、これでちょうどいい。
あんまり晴れていると、とても体力を消耗し、アトラクションを楽しむ余裕なんかなくなってしまうのだ。

私と長女が最初に目指したのはジェットコースター。
「150」という数字が待ち時間を表していることは、長蛇の列を見てすぐにわかったが、そんなことは最初から承知の上、最後尾に並んだ。
最後尾だったのは数秒のことで、すぐ後に人が並び始めた。
150分という待ち時間ではあるが、長女と話をしながら待っていると、まったく苦ではない。

150分という待ち時間の表示であったが、実際には100分程度「しか」待たなかった。
そしていよいよ乗車。
座席は体を包み込むような形状をしており、深く腰掛けると両足がぶらぶらと宙に浮く。
足がつかないというのはなんとも不安定で恐怖感がある。
さらに、最近のコースターは動きが激しいので、上から両肩にかぶるような、安全バーがしっかりと体を押さえつけるものが多いが、このコースターは、太ももの付け根を押さえるようなT字型の安全バーがあるだけで、上半身はグラグラである。
しかも、どこにもしっかりとつかまるところがない。
両肩に安全バーがあるタイプではそれを握り締めていれば体が安定し、踏ん張りも利くので、恐怖感は和らぐ。
しかし、このコースターときたら、掴まる場所はなく、足は宙に浮いて踏ん張りも聞かず、さらに上半身はグラグラである。

見た目はそうでもなかった。
コースだって平凡だし落差だってそれほど激しくない。
しかし、怖かった。

私はジェットコースターは好きで、いろんなものに乗っているが、これはもう、ベスト3に入る。
近畿の遊園地では一番スリルがある。

結局、長女と2回乗った。



夜まで遊んだ。
最後のピーターパンのショーも堪能した。

久しぶりに休日を楽しんだ。

2007年5月3日(木) 彼女の愚痴と娘

先日、おいしいと評判の、次女の同級生の親が営む、近所の焼肉屋へ行った。
たっぷり食べて、あまったチヂミをタッパにつめてもらい、それを口実にビールを持って子どもをつれたまま、友達の家に押しかけた。
元気な声でよく笑う、男らしい性格の、二児の母だ。

玄関のチャイムを鳴らすと、明るい声で出迎えてくれた。
子供同士、となりの部屋でゲームを始めたようで、大人はテーブルでビールを飲み始めた。



この家に父親はいない。
私の友達には母子家庭が多い。
彼女たちは、男と同じように仕事をこなし、母親として子どもを育てる。
そして、地域やPTAにも積極的に参加している。
なんとも頼もしい人が多い。

彼女もその一人だが、今日はちょっと浮かない顔をしている。
理由はすぐにわかった。
こんな時間なら家にいて当然の娘がまだ帰ってきていないのだ。
我が家の中学生の娘なら、もうそろそろ眠くて仕方ない時間だというのに、ここの娘は友達とどこかへ遊びに行ったっきり、連絡がないのだという。

子どもに対する愚痴がたくさん飛び出す。
子どもの教育の仕方も、両親がそろっている家庭と、そうでない家庭とでは方法が異なる。
彼女の子育てが必ずしも正しいものではないにしろ、子育てに悩んで解決しようと努力している姿は親として正しい。

結局、私たちがいる間に娘は帰ってこなかった。
そして彼女の家を後にして家路に着いたとき、ちょうど娘とすれ違い、思わず「何してんねん。こんな遅くまで。はよ帰らんか」と怒鳴ってしまった。

本当はそんな叱り方しても何にもならない。
そんなことは言われなくてもわかっているはずだからだ。
じゃあ、なんと言えばよかったのか。

正解がわかったとしても、そのときに言えなければ何にもならない。

2007年5月4日(金) 連休の合間

連休の合間ではあるが、連休明け早々にプロジェクト全体の会議があるので、そのためのグループ会議を開催する、と連絡があり、急遽出かけることにした。
まあ、なんとなくこの日にあるだろうなと、予感していたので、別段、驚くこともなかった。

連休の合間、いつもの通勤電車もガラガラらである。

ビル街にある職場へ向かう。
これまたサラリーマン風の人間が皆無だ。
どこもみな親子連れの観光客。
ここは大阪城に程近い場所で、大阪城を観光した人たちが、このビル街も観光していく。
実はこのオフィス街は高層ビルが立ち並ぶ観光地でもあるのだ。
だから外国の旅行客も多いし、実際、勤務先のビルの隣は大きなホテルになっている。
そんな楽しげな人たちを横に見ながら、ビルの裏口へ回り、職場へ向かった。

普段着のメンバーと久しぶりに顔を合わせて会議を4時間。
昼過ぎに終了したものの、せっかく仕事に出てきたのだからと、そのまま夜遅くまで仕事をしていた。

休日の出勤が、苦でもなくなっているのは不健全なのではなかろうか、などと帰りの電車で考えた。

自宅に戻って気がついた。
今日は結婚記念日だった。

ごめん。

2007年5月5日(土) こどもの日の祭り

町内の商店街が主催となって、スーパーの前の公園でこどもの日の祭りを開催した。
自治会の会長も最近は子ども会にも協力的になったが、商店街の会長は私のよき理解者であり、心強い味方であ
る。
それに、商店街の人たちも子どものためにとてもよく動いてくれる。
今日のお祭りだって、子ども会が言い出したことではない。
子ども会は何も言わなかったのに、商店街の人たちが「子どもために」といって祭りを企画してくれたのだ。

七夕、ハロウィン、盆踊り、と子ども会の行事の隙間を埋めてくれるかのようにして何かを開催してくれる。
おかげで、私の町内の子どもたちはほぼ毎月、何らかのイベントに参加している。
もちろん、無料だ。

今日のお祭りにはいろんな出し物が用意された。
輪投げ、射的、型抜き、ポン菓子、それにドジョウつかみ。
どこか懐かしい遊びだが、どこもかしこも行列ができている。

子どもたちは近所の商店街に行き、チラシをもらってくればいい。
そのチラシには遊びと引き換えに渡す、券がついている。
その券さえあれば、遊び放題だ。
チラシをもらうのも、何も買わなくていい。
このお祭り自体に、儲けはない。

朝早くから準備を始め、一日中子どもたちを遊ばせ、そして遅くまで片づけを行う。
いや、企画の段階を含めると何十人と言う大人たちが、何ヶ月も前から考えてきたことなのだ。
しかも、こういう子どもを相手にするイベントに、慣れていない大人ばかりが。

それを考えると、私はもう、居ても立ってもおれず、頼まれもしないのに、現地に駆けつけ、すぐさま手伝いを
始めた。
もちろん、嫁さんも一緒だ。



いろいろな手伝いをして、ちょっとくたびれたところで、座りながらできる仕事を始めた。
「型抜き」だ。
私は生まれて初めての経験であったが、これが意外なほど面白い。
「う、く、くぬ、くくっ、・・・ぐ、うわっ」
私が見本を見せようと夢中になっていると、それにつられて子どもたちがドンドンやってきた。
たかが「型抜き」なのに、行列ができるほどに繁盛した。

大人が楽しむから子どもが楽しむ。
子どもが楽しむから大人も楽しめる。
そういう典型だと思った。

小学校で開催される秋の祭りのヒントをここで発見した気がした。

2007年5月6日(日) 市子連で作業

私の住んでいる町には、小学校が20数校あるが、その学校ごとに複数の子ども会がある。
私の小学校校区は市内でも小さいほうであるが、それでも6つの子ども会があるので、市内全体では100を超える子ども会が存在している。
それをまとめているのが市の子ども会育成連合(通称:市子連)である。
まあ、中には市子連に加盟していない子ども会もあるので実数はその半分程度かもしれない。
そしてその市子連を運営しているのが市子連の評議員であり、その評議員は、すべて各学校の校区子ども会の会長で構成されているが、ひょんなことから私も評議員になってしまった。

評議員になったところで、何も得はしない。
PTAや子ども会というのは、まったくなにも、報酬がない。

今日も、朝から、雨の中、市内にある青少年活動センターで、子ども安全会の受付業務をやらされた。
安全会というのはいわば損害保険である。
これに加盟しているとわずかな掛け金で、子ども会の行事で何か怪我をすると保証金がもらえるというやつだ。

子どもの名前と学年と、年間行事が書かれた書類を各学校の子ども会の代表が持ってくるので、それに目を通し、手続きをするのだ。
と言っても私は、駆け出し。
査閲や承認をするような作業はさせてもらえない。

仕分け、とか、コピーとか、いわゆる雑用である。
しかし、これもまた楽しい。
教育委員会の若い職員と一緒に雑談しながら作業を進める。

評議員の半分はおそらく小学生の子どもを持ってはいないだろう。
でも、後継者がいないので、仕方なくやっている様子。
私が後継者として期待されているのはわかるが、私自身、後継者を育てなければ、今の評議員と同じような年齢になるまで、やり続けなければならなくなる。

後継者を育てることが、今、私の課題だ。

2007年5月7日(月) 教育委員会

今日は市p協議会の予算総会だった。
昨年と同じように、形式的に淡々と進む会議。
ただ、私の座っている席が本部側なので、見ている風景は昨年と違う。

台本どおりに進める会議なのに、司会も議長もグダグダでスムーズに進行しない。
みんな、PTA会長なのだからそれなりに話し上手なはずだが、台本に書かれている言葉は慣れない言い回しのせいだろうか、台本から目を離さず、面白いほどに棒読みである。

棒読みの予算総会が終わると、場所を変えて懇親会が開催された。
さすがに教育委員会のえらいさん達が来ているので、いつもの居酒屋とは違う。
市内にある数少ない宴会場。

座敷にテーブルがずらっと並べられ、その前に22の小中学校のPTA会長と校長先生、それに教育委員会の人が座る。
私の向かいに腰掛けたのは、中学校部会の会長だった。

いつもなら挨拶になど行かないのだが、教育委員会の中に1人だけ「私はあなたを知ってますよ」という人がいて、どこの誰なのか気になった人がいたので、この機会に挨拶に行くことにした。

「こんばんは」
「あ、こんばんは」
「あのー。私をご存知だということですが、どちらで?」
「きっと子ども会じゃないかと」
「お住まいはどちらですか?」
「あの、○○さん、知ってます?」

言われた名前は校区子ども会の会長だった。
「ええ、知ってます」

それでピンときた。
確かに同じ苗字の人がすぐ近くに住んでいた。

いままで教育委員会とは縁もゆかりも無いと思っていたが、急に身近に感じた。

2007年5月8日(火) 来年の地区長

先日のこどもの日の祭りの後。
後片付けを終えて、自宅に戻る途中、ひょんなことから、その夜に地区長と飲みに行く約束をした。
地区長は女性なので、普通なら、二人きりと言うのも抵抗があるだろうが、地区長は嫁さんの友達だし、それに私も嫁さんも、一向に平気だ。

地区長が行きつけだという居酒屋に行った。
実はこの居酒屋であるバイトをしている女性は、高校の実行委員の一人で、地区長と私の話をしたことがあるらしい。
どっちが何を言い出してそんな話になったのか、気になるところではあるが、それは聞かなかった。

残念ながら、その日は実行委員会の女性がお休みで三人で話をすることはできなかったが、地区長とカウンター席に座って、飲み始めた。

「どうやの。今年の(PTAの)本部は?」
と地区長がたずねる。
「今年はええ感じやで。知ってる人が多いし、みんなやる気があって、おれのことをよくわかってくれてるから」
と答える。

「せやけどまあ、大変やなぁ」
「まあ、しんどいときもあるけど、やりがいはあるし、別に嫌いでもないからなあ」

そういった後、私は地区長にポツリとつぶやいた。
「まだ、役員にも話をしていないけど、おれ、来年は地区長しようかなと思ってるねん」
「はあ?地区長?何言うてんの!?本部は?本部はどうすんの?」
いくつもの疑問符を投げかけられた。

「いや、別に役員が嫌なわけじゃないねん」
「じゃあ、なんでまた地区長なんかに?」

自分の気持ちを話した。
「おれ自身が、地区長を経験してみないと、地区長のどういうところがしんどいか、どういうところに問題があるかとか、わからんし、それに、もっとお父さんたちに参加してほしいねん。おれが、地区長できたら、他のお父さんにも『あなたにもできます』って説明しやすいやん。たとえ忙しくてできないと言われても、『ここと、ここは、こうやってフォローしますから』とか説明できるやん」
「・・・・」

「あかんかなあ・・」
「・・・ったく。しゃーない。ほんじゃあ、○○(私のあだ名)が地区長するっていうんなら、私が副地区長するわ」
「ほんと!?」
「しゃーないやん。他に誰が面倒見るの」

地区長をやることが、まだ決定したわけではない。
私に代わって誰が本部役員をするのか、子ども会の会長は誰がやるのか、後任を探すことが問題だ。

2007年5月9日(水) 第一回役員会議

今日がはじめての、定期的な小学校での役員会。
私と、もう一人、昨年頑張ってくれた若い(実は見た目だけ、と言うことが発覚)以外はみな、本部役員の未経験者で、初々しい。

「集合場所はどこ?」という、去年、私がしていたような質問をされて、「あ。まずい。今年は私が、『他の役員もみんな知っている』という前提で物事を進めてしまっている」と自戒。
そもそも「役員会」だとか「実行委員会」なんてもの、知らなくて当然。
それほど何をしているのかが、一般の保護者には伝わっていない。

でもそれは去年までのこと。
今年は一年生の保護者に対して、わかりやすい説明資料を用意して、私が説明したのだから、少なくとも入学説明会に来た人なら、内容を理解できているはず。
細かい内容はともかく、そういう委員会があって、みんなの代表として活動している、と言うことぐらいはわかってもらえたはず。
一度にみんなにわかってもらうことは難しいけれど、少しずつでもわかってもらう事が大事。
何より、そういう風に活動しようと心がけているのとそうでないのとでは大きく違う。

子どもとのかかわりのある活動において、重視すべきは「結果」ではなく「過程」。

で、始まった役員会。
例年だとこの時期はすでに2回目の会議のはずだが、今年は初めて。
つまり、いつもより決めることが倍ほどあることになる。
ベルマーク運動の話や、秋のお祭りのことなど、盛りだくさんの内容を、和気藹々(わきあいあい)と話しながら片付けた。

今年の役員は、私のことを理解してくれている人ばかりだと思う。
意見がぶつかることもあるだろうけど、それは、よりよい方法は何か、を検討した末のこと。
楽をしたいと言う人とぶつかる意見ではない。

昨年の役員以上に、みんな忙しいので、全員が揃うことはなかなかないが、お互いにニックネームを決めて呼び合うなど、関係は良好だと思う。

役員会をしながら、いつまでも笑って話し合える仲間でありたい、そう思った。

2007年5月10日(木) 休息の日

今日は市子連(市の子ども会連合)の評議委員会である。
評議員である私も出席するために仕事を早めに切り上げて帰宅した。

しかし。
しかし、疲れている。

5日 商店街組合のこどもの日の祭り
6日 市子連の安全会受付
7日 市PTA協議会の予算総会
9日 小学校PTA役員会議

そして今日である。
そして今日で終わりじゃない。

11日 小学校PTA実行委員会
12日 校区子ども会イチゴ狩り
13日 自治会予算総会

もちろん、私自身の、生活基盤となる仕事もある。

この5日から13日の9日間に仕事以外のボランティアとも言える活動が8日あるのだ。
さすがにへばる。

嫁さんも私を気遣って「今日ぐらいは休憩したら」という。
確かに、他の会議や活動では中心的な役割を担っているので、欠席するわけには行かないが、今日の会議は、参加メンバーの一人に過ぎない。
そういう意味では、役割は軽いと言える。

そう思うと、どっと疲れが出てきた。
さっさと食事を済ませ、眠ることにした。
明日からまた走り出そう、そう心に決めて。

2007年5月11日(金) 実行委員会ちょっと前進

実行委員会はいつもなら土曜日の午前中に開催されるのだが、明日の土曜日は私がイチゴ狩りの引率で出かけてしまうので、今夜、開催することになった。

先日の役員会では、山盛りの課題があったので、テンポよく片付けることにした。

挨拶、協議会からの連絡事項、今後の行事日程、8地区で開催される懇談会のこと、秋祭りの準備委員のこと、ベルマーク集めに力を入れたいと言うこと、などなど。

ただ、今年の実行委員会では、今までと少し変えてみたいと思うことがあった。
それは情報交換である。

出席する委員さんの今までの活動報告はこんな感じだ。
「では○○地区さん」
「はい。3日に廃品回収、10日に公園掃除をしました」
「では××地区さん」
「はい。特に何もありません」
「では△△地区さん」
「はい。ドッジボール大会をしました」
と、淡々と事実を報告していくだけであり、私もそれを聞いているだけであった。
昨年までは、私も「様子見」と言う姿勢であまり口出ししなかった。

しかし今年からは、もっと活発に情報交換をしたいと考えた。
子ども会の会長としても、他の地域の子どもたちはどんな活動に参加しているのか、もっと知りたいと考えた。
それは、他の役員も同じだ。
せっかく時間を割いて集まっているのに、ただ単に、学校から連絡を受けて、活動を報告するだけ、では実りが少ない。

そこで、私や他の役員から質問を投げかけることにした。
「廃品回収は月に何回ぐらい行うのですか?」
「葉品回収に参加するのは保護者だけですか?」
「公園掃除のとき、子どもはどれぐらい参加していますか?」
「どんな掃除を手伝わせていますか?」

私の地区からの報告は盛りだくさんだった。
こどもの日の祭りのことやイチゴ狩りのこと。
地区長が報告していると、他の役員から質問があった。
「こどもの日の祭りって具体的にどんなことをするんですか?」
地区長が私の目を見る。
すかさず、「えーと。私が説明してもいいですか?」と聞き返すと、地区長が黙ってうなづいた。
会長が地区長に代わって報告するなんて、毎年、委員会に出席している人なら驚いたかもしれないが、今年はみんな新しい人だし、役員や先生も私の立場や性格を知っている。
私はかまわずに話し出した。
おしゃべりな会長だ、とみんな思ったに違いない。

それでもこちらが話をすると、みんな、いろいろと話をしてくれた。

委員会が終わって役員と話をする。
「おつかれー」
「おつかれさん」
「今日、結構、みんな話をしてくれましたね」
「うんうん。いい感じやったと思う」

少しずつでいいから、実りのある会議にしていきたい。

2007年5月12日(土) イチゴ狩り

この数日、一番気になっていたのが、今日の天気だ。
昨日の夜も、そして今朝も、昼過ぎから雲が多くなるが雨が降り出すのは夜になってからだ、と天気予報が言っているのを聞いて安心した。

今日はイチゴ狩りの日だ。

昨年、第一回目を開催しようとしたその日、前日からの雨で中止を余儀なくされ、急遽、翌週に私の町内だけで開催した。
それでも前日に降った雨のおかげで畑はぬかるんでおり、保護者からは靴が汚れる、との苦情も出た。
まあ、畑に入るのだからそれは十分に予想できたことであり、子どもと遊びに出かけるのに、汚れて困るような格好で来るほうがおかしい。
私はいつでも泥まみれになり、また水に飛び込めるぐらいの服装で参加しているから、余計にそう思う。

しかし今日はその心配もないぐらいに、前日からいい天気が続いていた。
3地区合同で参加者は100名以上。
電車で40分程度のところだが、電車がきては大騒ぎ、電車尾を降りては大騒ぎ、乗り換える時にも大騒ぎだ。

朝、自宅近くの駅に集合してから、目的地の駅まであわただしく移動したので、十分な説明もできなかったが、目的地の駅に到着し、駅前の広場で、これからの段取りを説明した。
説明が終わって移動し始めて気がついた。

トイレに行かせるのを忘れたのだ。
イチゴ狩りの場所にもトイレはあるが、駅で済ませておいたほうがいい。
あわてて、トイレに行きたい子どもだけ引き返させたため、目的地の畑に到着したとき、先頭と最後尾では20分以上もの時間差ができてしまった。
(来年は気をつけよう、と言う意味でこの日記に記録)

イチゴ畑に到着すると、イチゴの香りがかすかに漂ってくる。

説明もそこそこに子どもたちは畝の中へ入って行き、次々とイチゴを摘み始めた。



「これみてー!」と、自分のイチゴの大きさや形を周りの大人や友達に報告しあいながら、楽しそうに、そしておいしそうに食べていた。

イチゴ狩りは1時間ほどで終了して、次の目的地である川辺へ向かった。

子どもは水遊びが本当に好きなようだ。
昼食が終わると、一人、また一人と川の中へ入っていく。



そうなると私ものんびり座って食事などしていられない。
おにぎりを片手に、川辺に向かっていく。
小さな子どもの膝丈に満たない浅い川ではあるが、事故には気をつけて、常に川辺で子どもと一緒に行動した。
周りの大人が「落ち着いて食事したら」と気遣ってはくれるが、私は別に苦痛でもないし、おにぎり片手に子どもと一緒に、向こう岸まで飛び石の上を渡っていくのは楽しい。

いつも一緒にいると、子どももなついてきて、「あっちにあるあれ採って」「こっちにあるこれは何?」と気軽に話しかけてくれる。

そうやって一日、子どもと遊んだ。

校区長と話をする。
「これだけ集まると、やっぱり、『校区子ども会』って感じがするねえ」
「ええ。子どもが大勢いると、それだけで楽しいですよね」
そして二人とも「子どもの笑顔を見ていると多少しんどくてもまた頑張ろうと言う気になる」と口にした。

帰り際に、集合写真を撮った。



川辺に遊びに来ていた高校生にシャッターを押してもらった。

今度はみんなでどこへ行こうか。

2007年5月13日(日) キックベースの講座

キックベースというボール競技がある。
ほとんど野球と同じような競技だが、ボールを投げるのではなく、ドッジボールサイズのボールを転がし、それを蹴り飛ばすのだ。
昔、深夜のバラエティ番組でも人気アイドルが、芸能人チームと対戦するというものがあり、そこそこ流行っていたと思う。

私が子どものころ通っていた小学校でも女子を中心に盛んに行われており、各学校単位に複数のチームがあった。
「ドレミ」「ABC」「わんぱく」というようなチーム名がつけられていた。
今、私が住んでいる市にもその競技があり、学校によってはお母さんが中心で構成されたチームもある。

子どものもできる簡単なルールなので、市子連主催の大会も年に一度行われている。
そのキックベースの審判養成のための講習会が今日開催された。

残念ながら仕事で参加できなかったが、以前、ドッジボールの講習会に参加してそのルールの複雑さと奥深さを知り、子どもの協議と侮るなかれ、と自戒した記憶がある。
子どもたちが一所懸命に競う協議だから、大人がしっかりしなければ、戸惑いが生じるだけだ。

そのためにも今日の養成講座には参加したかったのだが、あいにく仕事で参加できなかった。
年々、参加する子どもたちの数が減り、市子連での大会も縮小気味ではあるが、校区の子ども会でも復興させようという声がある。
それに応じるためにも、大人がルールを把握しておく必要がある。

来年もまた開催されるだろうから、そのときにはぜひ都合をつけて受講したい。

2007年5月14日(月) 自治会の予算総会

昨日の夜は自治会の予算総会が開催された。
予算総会といっても予算については事前の役員会で決められているし、ほとんど異議の出ないところだろうと思う。
後はいかにすんなり進められるかというところ。

自治会館に到着すると、いつものメンバーに加えて、初めて見る人も何人かいる。
初めて見る人は今年の自治会の班長さんたちだ。
自治会の班長さんたちは、子ども会の班長さんほど仕事はないものの、その地区の代表としてみんなにいろんな連絡をしたり、こういう会議に出てきたりする。

長い机を会議用に並び替えて、みんな落ち着きなさそうに座っているのは、総会独特の雰囲気だ。
自治会に限ったことではなく、普段の会議に出席してこないような「会員」の人たちが集まるのが総会だ。

そんな人を前にして、会議になれた役員たちが進めていくものだが、やっぱり自治会は学校のようには行かない。
なんたって、役員はお年寄りばかり。
議事長の手際が悪く、もう、ぐだぐだ。

突っ込みどころ満載だが、私は役員側の人間。
さっさと議事を終えて、帰りたい。
そう思ってみていたのだが、案の定、突っ込まれてまくっていた。

私がフォローしようかとも思ったが、これ以上仕事を増やしたくないので黙っていた。
なんとか切り抜けたのでよかったが、大幅に時間を費やしてしまった。

隣に座っていた地区長が、終了間際に私に言った。
「来年、議長やり」

だから。
私がやればうまくいくのは目に見えているけれど、それはあまりにも、しんどいのだ。
一度、ハマると抜け出せそうにない。
何より、お年寄りを納得させるのは思った以上に大変なのだから。

2007年5月15日(火) メールも覚えました

久しぶりに時間ができたので、いつもの野郎と飲みに行くことにした。

飲みに行くときは自宅に連絡をする。
「今日は飲みに行くので食事はいらない」

しばらくして嫁さんからメールが来た。
いつものことなのでどうせ「食べてから飲むように」などというおせっかいなメールだと思いながら読んでみた。

「ような!飲むな!」

いきなり驚くような文面で始まっていた。

「ような!飲むな!
 ~ヽ('ー`)ノ~ (¬_¬)ぁゃιぃ。
 帰って来て、ようてたら・・・しかる!
 しかる!
 しかる!
 し・か・るーー!」

途中まで読んでわかった。
次女からのメールである。

最近、次女がメールの送信方法を覚えたようで、嫁さんの携帯電話に送られてきたメールに時折返信をして、相手を驚かせているようだ。

次女はさすがに我が家の子どもらしく、パソコンも自分で起動してパスワードを入力し、自分で登録したお気に入りのサイトへ行って、ゲームをしたり漫画を読んだりしている。
たまに気に入った絵があると、壁紙に設定する。
本人は楽しそうだが、壁紙がコロコロ変わるので使いにくい。

ローマ字入力はまだまだ苦手のようだが、それなりに楽しく遊んでいるし、携帯電話のメールでコミュニケーションをとるのも楽しいようだ。

2007年5月16日(水) ジェットサーバ

先日から作業をしているこのマシン室にはたくさんのサーバが立ち並んでいる。
サーバというのは簡単に言えばパソコンの親玉のようなものだ。
パソコンとは「パーソナルコンピュータ」の略称であるが、このパソコンを「単独」で使っている人はほとんどいない。
「いや、私は自分のパソコンでインターネットしか使わない」という人もいるだろうが、インターネットで接続している回線の向こう側にあるのがサーバだ。
会社でパソコンを使っている人はプリンタに何か印字するときにそのサーバのお世話になっている。

サーバは「給仕者」というような意味でバレーボールの「サーブ」と同じだ。
自分自身が積極的に何かをするわけでなく「クライアント」(顧客)の言うことを聞き、その要望に従って仕事をする。
そのクライアントに当たるのがパソコンなのだ。

で、今回はその給仕者、サーバの設置作業をしているわけだ。
私たちが環境を構築してきたサーバを設置し、その動作確認作業を行っているのだが、そのすぐ隣にあるサーバがとてもうるさい。

サーバというやつは親玉であるとはいえ、パソコンに比べて格段に大きい、というわけではない。
以前は「いかにも」という風体のものが多かったが、最近はかなり小さくなってきた。
しかし、小さくなった筐体(きょうたい)の中に驚くほどの精密機械がぎっしりと収められており、この精密機械の一つ一つがかなり発熱するのだ。
放っておけば「やけど」をするほどの熱さになるだろう。
でも、人が「やけど」するほどの温度になればコンピュータだってただではすまない。
故障するのだ。

そこで、温度を下げるためにコンピュータの本体のあちこちに冷却用の「ファン」が取り付けられている。
簡単言えば扇風機だ。
こいつがうるさいのだ。

扇風機のように大きくはなくせいぜい10センチ以下の大きさなので、回転数も高く、そのため発せられる音だって甲高い。
「キーーーン」というその音はさながらジェット機だ。

今、私たちの横にあるサーバは、それこそそのまま離陸してしまうんではないかと思うほどの轟音を立てて、クライアントの願いを聞いているところだ。

2007年5月17日(木) 謎の痛み

足の裏が痛い。

痛いといわれる足の裏のつぼのマッサージを受けたことはないが、きっとこんな感じだろうか。
体重を掛けると、痛いつぼを押されているかのように痛む。
もちろん、体重を掛けなければ痛くもなんともない。

足の裏のつぼを押さえてどこが痛むかによって、体のどこが不調であるかがわかるという。
足の裏のどこという感じではなく、踵(かかと)といわず、指の付け根といわず、土踏まずといわず、とにかく全体に痛みがある。
これはもしかしたら、体中に何かの病気があるのではないだろうか。

などと、ちょっと心配してみたがすぐに原因がわかった。

痛み始めたのは去年の暮れからで、その後、痛みはなくなったり現れたりを繰り返し、つい最近まではなんともなかったのに、また急に痛み始めた。
その痛くなるタイミングに共通点を見つけたのだ。

それはマシン室での作業だ。

最近、台数の多くなったコンピュータを、自社に設置するのではなく、専門の業者に預けて運営する会社が多い。
専門の業者ではセキュリティーは万全だし、設備面でも耐震性などに優れており、何かといいことが多いのだ。

昨今はセキュリティーの高いことが、コンピュータを運営する上での必須条件となっている。
人の出入りの監視、不要な持ち物の持ち込み禁止、などなど。

ところがこれが我々、エンジニア泣かせである。
不要な持ち物の持ち込み禁止といわれているマシン室には、椅子がない。
コンピュータにとってはよい環境である硬い床も、人間にとっては辛い。

何日も何時間もこの固い床の上で、一度も座ることなく作業を続ければ、足の裏が痛くなって当然だ。
さらに、今履いている靴は以前のものに比べて靴底が浅く、盲人用の点字タイルをはっきり読み取れるほどで、この靴も災いしている。

この作業の後、しばらくは足の裏が痛く、ほとぼりが冷めたころに痛みもなくなる。
それの繰り返しだったわけだ。

原因がわかれば気が楽なもの。
でも、そろそろ人間ドックには行かないと。

2007年5月18日(金) 班長会議

いろいろな会議が開催される中でもっとも気楽な会議、それが班長会議だ。
子ども会の班長さんと地区長さん、そして子ども会の会長である私が参加する会議。
といっても、子ども会の会長が班長会議に参加するようになったのは、私になってからのこと。
それだって私が「子ども会のことをもっと教えてほしい」と思って参加したものであって、どちらかといえば地区長が中心となって進める会議の中で、私の立場は聞き役。
時々求められて意見を言うもの。
まあ、いろいろな決定を任されることもあるのだが、ほとんどは班長さんたちが進めてくれる。
何しろ行動的な人が集まった町内だけに、とても手放しでいても目的地にたどり着ける。

で、その班長会議での本日のテーマは「地区懇談会で何を話し合うか、そのテーマを決める」というもの。
地区懇談会は小学校校区の各地区ごとに、その地域の人たちと一緒に子どもに関する話題について語り合おうというものである。

ちなみに昨年のテーマは「子どもの叱り方」についてであった。
なかなかいい話も飛び出し、私も意見を求められて考えを述べたが、私の話を聞いて感動の涙を流す人もいた。

今回のテーマを決めるに当たって、「携帯電話」「お小遣い」「家庭勉強」などなどいろいろな意見が出てきたが、結局「子どものほめ方」に決まった。
去年が叱り方で今年がほめ方とは。

しかし安直ではあるが実はなかなか難しいテーマだと思う。
今からどんな懇談会になるか楽しみだ。

2007年5月19日(土) 腫れ物にさわる

校区子ども会の定例会には妙な緊張感がある。
今日もそうだった。

「腫れ物に触るよう」というと言葉が悪いかもしれないが、まさにそんな感じがするのである。
私はともかく、校区長がそのように気を使っているのはあからさまによくわかる。

校区の子ども会は、いくつかの町内の子ども会がまとまってできた合同の子ども会だ。
私の町の子ども会と隣町の子ども会は活動も活発で、校区子ども会への参加も積極的である。
まあ、保護者間で「隣町の連中は体を動かさない」と思っているところもあるようだが、私から見ていればそれはお互い様だ。
片方が準備をしてもう片方が後片付けをすると、お互いに「私たちだけで準備をした」「隣町は後片付けをしていない」というのだから、仕事の量に偏りはない。

そんな文句を言い合いながらも、お互いに助け合って校区子ども会を盛り上げようと努力している。
ところが、そうでもない子ども会もあるのだ。

校区子ども会の会議で「今年の夏はあれをやろう」などと案が出ると私や隣町は「それならこういうのはどうか」「いや、こっちのほうが面白い」などと意見を出すのだが、他の地区の子ども会は「そんな話は聞いていないので参加しません」という。
かといって無理に誘おうとすると「じゃあ、校区子ども会を脱退します」といい出しかねない。

保護者にやる気がないのか、と思っていた。
今日までは。
でもようやく、行事参加に消極的な理由がわかった。

がんじがらめなのだ。
とにかく融通が利かないのだ。
すべての予算は自治会が握っており、年度初めに一年間の行事予定を報告し、すべての行事が総会に諮られ、そこで審議されて了承を得たものに対してのみ、予算が割り当てられる。
だから当初の予定になかったことを、校区子ども会でやろうとしても、「参加できない」のだ。

腫れ物の原因がわかったので気が楽にはなったが、少し気の毒な気もしてきた。
その夜、いつもの校区のメンバーと飲みに行ったが、そこにそのがんじがらめの子ども会のメンバーはいなかった。

でも、原因のわかった腫れ物につける薬はきっとあるはず。

2007年5月20日(日) 読まない理由

私が卒業式で話したことが、子どもたちにどのように伝わっているのか、知りたいと思っていた。

先日、小学校卒業生の母親と話す機会があった。
「そういえば、うちの娘が言うてたで。『○○ちゃん(次女)のおっちゃん、なんも見んと、しゃべれて凄いなあ』って」
「あ、卒業式?」
「そうそう」

何も読まずに話をするのは、自分の言葉で語り掛けたいから、である。

 流暢に話せなくてもかまわない。
 ドラマのように話す必要はない。

 口癖があったってかまわない。
 そのほうが私らしい。

 何度も同じことを繰り返し言ってもいい。
 自分の心にある言葉を繋げるとそうなるのだから。

 こっちを向いている子どもたちの目を見るべきだ。
 手元の紙を読んでいるのはその目に対して失礼だ。

そう思っている。

といっても、行き当たりばったりで話をしているわけではない。
筋書きを整理し、単語を選び、抑揚のつけ方を確認する。
しかし、本番ではほとんどアドリブ。
言いたいことが伝わればそれでいいのだ。

「で、おれの話してたこと、伝わってた?」
「うんうん。『おっちゃんの話、わかりやすくてよかった』って」

お世辞でもうれしいと思っていたが、後日、別の人からも同じ話を聞かされた。

私はほめられて育つタイプだ。

2007年5月21日(月) かっこいい嫁さん

時々嫁さんがかっこよく見える。
それは嫁さんの言葉に強い信念を感じたときだ。
ときとして、その信念によって対立を生むこともあるが、それでも嫁さんは負けていないし、そのための苦労をいとわない。

嫁さんはバレーボール部に所属している。
このバレー部は決して強くはないが、みんなとても仲がよく、練習だって真剣だし、試合に勝ちたいと思う気も気持ちも強い。
しかし、その気持ちが裏目に出ることもある。

PTAによるバレー部なのだから、部員は全員小学生の保護者だ。
子どもが卒業すれば自分も卒業し、存続のためには毎年、新しい部員を募集しなければならない。
そのためには「みんなで楽しく」できるものでなくてはならない。

バレーに熱中し、厳しい練習をすることも悪くはないが、しかしそれでは、新しく部員になろうとしている人が敬遠してしまう。
厳しい練習に耐えて、試合に勝つことを楽しいと感じられるようになるのは、何年も先のことであり、昨日今日入ってきた部員がそんなことに喜びを感じるはずもない。
ちょっと汗を流してみんなでお茶を飲むのが楽しいと感じるはずだ。
厳しい練習や多くの試合をこなすことで強くなることを目的とするのは、このバレーボール部の趣旨とは違う。

嫁さんがそのことを話すと、他の部員たちからいろいろと声が飛んできた。

「○○ちゃん(嫁さん)は強くなりたくないの?」
「試合がしたくないなんて消極的な意見やわ」
「新入部員の前では楽しくするやん」
「それでも新しい部員が集まらなければ仕方ないやん!」
「そうやそうや」
「私らのやってること、わかってもらえないんやったら、仕方ないわ!」
「そうやそうや!」

多くの部員がそれに賛同した。

しかし嫁さんは、みんなを説得し続けた。

「私は何もバレーボールがしたくてここにいてるんじゃない。私はPTA活動の一環として、子どもや学校のためにここにいてる。別にバレーでも卓球でも、マラソンでもかまわない。それがPTA活動なら私はそこに参加する。みんなが言うように『強くなりたいから厳しい練習をしたい。そのために新入部員が来なくてもかまわない』というのなら、PTAの名前をはずしてクラブチームにすればいい。ネットもボールも試合の参加費用もすべてPTAの会費でまかなわれている。『強くなりたい、勝ちたい、もっと試合がしたい』って、それは全部自分たちだけの思い。このバレー部の本当の目的がなんなのか、それを考えてほしい」

嫁さんは、バレーはもちろん、卓球もマラソンもできない。
まったくの初心者だ。
しかし、それでも子どものために、親同士の交流の場だと思えばこそ、忙しい合間を縫って参加しているのだ。

嫁さんは何も、練習が嫌なわけではない。
その趣旨が間違っていることをわかってほしいのだ。
友達だからこそ、そこに気づいてほしいのだ。

後日、対立していた部員から嫁さんに電話があった。
どうやら、嫁さんの思いをわかってもらえたようだ。

2007年5月22日(火) ドクターイエロー

以前はよく東京出張に新幹線を利用していた。
新幹線ほど安全な乗り物はない。
たくさんの人を短時間で運ぶという点においても、他に勝るものはない。

この新幹線の安全を見守るものに「ドクターイエロー」がある。
点検用の車両だ。



見た目は黄色い新幹線。
しかし、中には検査用の機械が搭載されており、線路の状況を毎日観測している。

この車両をわざわざ撮影するためにホームに集まる人もいるし、子どもいつもと違う新幹線にはしゃぎだす。
知らない人が見れば新型車量と思うかもしれない。

私も何度か見たことがあるし、その存在は昔から知っているが、いまだかつて写真に収めたことはなかった。

よく見るとなかなか愛嬌のある顔つきをしているものだ。

2007年5月23日(水) 前歯が

前歯が欠けた。
と言ってもすでに本当の歯ではなく、プラスチック製の義歯だ。

お金があれば、保険は利かないが、見た目もきれいで長持ちもする、セラミックの歯にすることができるのだが、今の歯になったのは10年近くも前のこと。
当時、お金もなかった私に、保険の適用ができない義歯を選択することはできなかった。
考えてみれば「2年程度しか持たない」と言われたこのプラスチックの歯は、意外なほどに長持ちした。

自宅近くにも歯医者があるが、仕事先の近くにある歯医者は、親切で丁寧なので、そこへ通うことにしている。
少し料金が高いのは、高層ビルの中層に位置しているからと言う理由もあるだろうが、医師はもちろん、受付まで行き届いた、接客マナーを身につけさせるための教育費用かもしれない、と思うほどに、対応がいい。

マナーだけではない。
今がどういう状況で、これからどういう治療をするのか、いくつかの選択肢が示されて、それぞれにアドバイスもしてくれる。

初めてこの歯科医を訪れたのが10年近く前。
義歯の具合が悪くて予約も取らずに駆け込んだ私に、「前歯だから」と言う理由で、すぐに処置してくれた。
そのときは仮歯だったが、見た目にはそれが仮歯だとは気づかないぐらいよくできており、それまでつけていた義歯よりもきれいで、その対応の早さともあわせて、私は感動した。
それからはここ以外の歯医者には行かない。

担当医もアシスタントの皆さんも、当時の人はもういないが、患者に対する対応の気持ちよさは今も変わらない。

2007年5月24日(木) 生活指導は休憩

PTA会長がPTA会長だけをやることは、まずない。
市のPTA協議会の一員として、他にもいろいろ活動しなければならない役割があるのだ。
去年は文化祭実行委員会の副委員長だった。
今年は生活指導委員会の副委員長だ。
この各委員会の委員長や副委員長は輪番制であり、毎年何かしらの担当になる。

その生活指導委員会の第一回目の役員会議が開催された。
場所は、去年、私が役員を務めた中学校。
この一年間、どんな活動をするのか決めるのだ。

しかし、生活指導は日常的に行うものであって、何かイベントを催すものでもないし、去年の文化祭実行委員のように、具体的な日付を持ったイベントに向けて、何かを進めていくわけでもない。
何をするか決めると言っても、例年のように「夏祭りなどの巡視」ぐらいしかないのである。

それも仕方のないこと。
役員はPTA会長が中心なので、多少、男性も混じって入るものの、各学校の委員さんはすべて女性なのだ。
子ども相手とはいえ、びしびしと生活指導する、と言うことも容易ではない。
せいぜい、門限が過ぎているであろう時刻に繁華街で見つけた、明らかに小学生とわかる子どもに、「早く帰りなさいよ」と声をかけるのが、生活指導委員の活動の限界なのだ。

本当は他にも活動の方法はあるだろう。
実際、去年の活動では、私の地区の男性に、生活指導をお願いしたとき、積極的に働いてくれて、「危険地域マップ」を作成してくれた。
子どもの通学路の安全を確保するため、通学路の中でも危険と思われるところに印をつけたものを、自治会で配布した。

結局、役員会でも、今度の実行委員会の日程を決めるだけで、具体的な内容は特に決めなかった。
私もテンションが低かったので、何も話をしなかったし、右からきたものを左に受け流しただけだった。

生活指導の活動はちょっと休憩だ。

2007年5月25日(金) 教育委員会にだって

先日からメールを出しているのに一向に連絡がない。
電話をかけても電話に出ない。
今日は市子連の懇親会があるはずだが、私は連絡をもらっておらず、いつどこに集合なのか、問い合わせをしても返事がなければ身動きが取れない。

20時過ぎ、仕事に区切りをつけたものの、このまま連絡がつかなければ、何もできない。
そうあきらめて自宅に向かっている途中、ようやく私の携帯電話が鳴った。
「いや、ごめんごめん」
いつもの校区長の調子に、怒る気にもなれない。

すでに懇親会は開始から一時間以上経過していたが、幸い、場所が自宅近くだったので、荷物だけ置いてそのまますぐに駆けつけた。

「やーきたきた!遅かったやーん」
「おう。こっちこっち」

懇親会というから市子連の評議員だけかと思っていたら、教育委員会のお偉いさんたちも揃っていた。
しかもかなり酔っている。
市のPTA協議会との懇親会でも、教育委員会のお偉いさんたちは出席するが、これほど酔っ払っているのは見たことがない。
市子連の人たちと肩を組んで写真を撮りまくっていた。

私も程よく飲んだところで、女性の副会長が「さ、挨拶に行くよ」と私を引っ張って教育委員会のメンバーのところへ連れて行った。

見慣れた顔の教育委員会の人の前に座らせられる。
「課長、課長、彼が今年から入った○○(私)くん。よろしくね」と副会長。
「○○です」と挨拶する私。
「あ、どうもどうも。いつも市Pでお世話になってます」と返事を返す教育委員会の人。

すると市子連の副会長が少し不機嫌な声で「違うーっ。今日は市子連。し・こ・れ・んの○○くん!」

苦笑いしながら、少し会話すると、また次の席に連れて行かれた。
「××さん。彼が今年から入った○○(私)くん。よろしくね」と副会長。
「○○です」と挨拶する私。
「どうも。よろしくお願いします」と教育委員会の人。
ちょっとこの人に言いたいことがあったので付け足す。
「私の妻が、公民館のベルマークの件でいろいろとお世話になっているようですが、よろしくお願いします」
嫁さんも頑張っているのだから、私も後押ししないと。

予定時間を一時間ほどオーバーしてお開きになり、二次会へと移った。
教育委員会の若い兄ちゃんも一緒だ。
普段乗っている車は、教育委員会というイメージから程遠い、「いかにも走りそう」な車だ。
髪型だって、かなり、きてる。
見た目は、そこらへんの兄ちゃんだ。
その兄ちゃんと
カラオケを歌って盛り上がった。

その兄ちゃんが言った。
「教育委員会っていうても、僕ら見たいなんがいてるってこと、覚えといてください」
そうそう。
PTA会長にも私のようなやつがいるんだ。

2007年5月26日(土) セーラームーンは強烈

二日酔いの頭に活をいれ、嫁さんと出かけていったのは、高校。
今日はPTAの予算総会である。

今日の予算総会は会長が不在で、副会長である私が代行することになっている。
会長の代行はするものの、副会長の仕事がなくなるわけではない。
総会の後にある実行委員の懇親会の幹事も、私の仕事だ。

まずは総会。
会長に代わって私が挨拶をする。
昨日から降っていた雨も上がって安心したが、今年は水不足が心配で、子どものプールの制限も行われると、授業に影響がどうのこうの。
話しながら思いついたことを適当に話すので、あまり中身がない。

次に議長。
議長は例年、会長が務めることになっているが、それをやるのが私。
式次第に沿って議事を進行していく。
書かれたとおりのことを話すだけの議長は結構退屈だ。

ようやく終わった総会の後には、役員会議。
会長の代わりに段取りを決めて話をまとめる。

その会議が終わっていよいよ懇親会。

約束の場所へ一番最後についた私。
幹事なのに、遅刻。
そしていきなり、みんなの御用聞き。
注文して運ばれてきたものをみんなにいきわたるのを確認すると、次は挨拶と乾杯の音頭。
「早く飲みたいので、手短に。一年間よろしくお願いします。それでは皆様のご健勝を祈念いたしまして、乾杯!」
まくし立てるように話すと、みんなもつられて笑い出す。

それから2時間後。
お勘定のときになってもう一人の女性の副会長が飛んできた。
コース料金が違うというのだ。
4000円で飲み放題込み、とお願いしたのに、4000円のコースに飲み放題が追加になっていた。

ちょっとあせるが、まあ、こういう場合、ほとんどは店がサービスしてくれる。
案の定、「こちらの手違いなので、4000円で結構です」とのこと。
今度はそれを逆手に利用する。

「えー。皆様。実は、ちょっとした手違いがございまして。本日のお料理、4000円プラス飲み放題のコースでございます」
一瞬みんなが心配そうな顔になる。
中には改めて財布を開く人も。
「ですが。お店のご好意により、飲み放題の料金を負けていただくことになりました」
「おおーっ!」と拍手喝采である。
なんだか私の手柄のようだ。

さらに続けて言う。
「これだけサービスしていただけるこのお店です。これからも飲み会の時にはぜひご利用ください。よろしくお願いします」
そういうとまた拍手。
今度はお店の人のところに行って
「すみませんでした。ご無理を申し上げて」というと、「いえいえ。ちゃんと宣伝していただいて、ありがとうございます」と気持ちのいい返事。

その後、いつものようにカラオケに行き、先生と歌いまくった。
教頭先生のセーラームーンは強烈だった。

2007年5月27日(日) 現代社会に自信あり

長男の学力試験がそろそろ始まる。
もちろん嫁さんはいつものように、長男に「勉強しなさい」の声をかける。
長男の返事はいろいろあるが、素直に「はい」というのは格好悪いとでも思っているのだろう、必ず何かを言い返す。

「現代社会」と言う科目の試験勉強をするようにと嫁さんが言う。
案の定、素直ではない返事が返ってくる。
「オレに現代社会の何を勉強しろ、と?」。
これまたでかくでたもんだ。

現代社会の勉強方法がわからない、云々ではなく、現代社会なんて勉強しなくてもできて当たり前だと言わんばかりの返事だ。

まあ、「現代の社会」についてなんだから、最近のことを知っていれば、何とかなるもんなんだろうか、などと安易に考えたりもした。
でも、確か、「モンテスキュー」とか「ルソー」とかそんなのも、現代社会の試験範囲なんじゃないだろうか。
私が学生のころは「現代社会」なんていう科目はなく、「倫社」「公民」とか言う科目があったように思う。
それとよく似た試験範囲だとしたら、間違いなく、「社会契約論」とかが出てきそうだが。
ならば、暗記すべきことが山ほどあるはずなのに。

「何を勉強しろと?」と言うほどなのだから、それももしかしてバッチリなのかもしれない。

多少どころか、大いに不安はあるが、ちょっと様子を見てみたい。

2007年5月28日(月) 漢字検定

長男に勉強しろ、と言うだけでは、親として示しがつかない。
子どもは、親の頑張っている姿を見て、自分もその気になるもんだ、と、思い立って申し込んだ漢字検定試験。
今回挑戦するのは2級。
2級と言えば「高校生までに習う漢字」だ。
専門に学ばなければ大学生になって新たに漢字を習うこともないだろうから、学校で習うすべての常用漢字と一部の人名漢字が対象だ。

その試験日が目前に迫り、いよいよ本気で勉強を始めなければ。
で、いきなり今日から勉強を始めた。

問題集の中ほどを開く。
「ステップ18」
「ステップ1」から「ステップ41」まである。
別にどこからはじめてもかまわないので、真ん中からはじめることにした。

最初に読み問題。
まあ、ほとんどたいてい、読める。
「普通は読めるだろ」と思うなかれ。

意地悪な私は嫁さんで試してみた。
嫁さんは決して漢字を読めないほうではなく、そこそこ読めると思う。
それでも8割に届かない。

「拘泥」「勤行」「案山子」

答えは左から「こうでい」「ごんぎょう」「かかし」だ。

読み問題が終わると、部首の問題。
こいつがまた難しい。

「肖」「亜」「槽」

答えは左から「肉(にく)」「二(に)」「日(ひらび)」。

四字熟語もある。
こいつは「下段の読み仮名を漢字に直して、上段の漢字と組み合わせ、適切な四字熟語を完成せよ」って感じだ。

「鼓舌○○」「○○山盟」「対牛○○」

「だんきん」「ようしん」「かいせい」

答えは「鼓舌揺唇」「海誓山盟」「対牛弾琴」。

私も高校では熱心に勉強をしたほうだが、上記のいずれについても習った記憶がない。

とりあえず、広告用紙の裏に、書いて書いて書きまくった。
何とか覚えたような気になっているが、このうちいくつが残っているか。
横になって眠っている間に、鼻と耳から流れ出しそうな気がする。

2007年5月29日(火) 山に登る委員会

東京での会議が終わると、東京駅までまっしぐら。
いつもなら飛行機を使うのだが、今日の東京での会議は前日に開催が決まったもの。
飛行機の座席も確保できず、仕方がないので今日は新幹線で上京したというわけだ。
しかも、夜には市P主催のバレーボール大会の会議が開催される。

「東京出張なので今日は参加できない」と事前に連絡は入れたものの、急げば間に合う時間に東京での仕事が会議が終わった。
間に合う時間なら、会議に参加しないと。

新幹線の中で夕食を済ませ、ちょっぴりビールも飲んで、自宅に戻ると会議開催の10分前。

ところがここで気がついた。
今日の会議の開催場所は市内の小学校なのだが、私はその場所を知らないのだ。
さすがの嫁さんは場所を知っていたが、あの店のあの隣のといわれる場所がまるでわからない。
「どこどの南側?」と聞くと今度は嫁さんがわからない。
仕方がないのでWEBで検索して場所を確認。
それからあわてて自転車に乗って現地に到着。

会議開始予定時刻を10分過ぎていたが、まだ会議は始まっておらず、「あれ?今日は欠席じゃなかった?」と参集した会長たちに冷やかされながら、席についた。

バレーボール大会が秋に開催されるので、それまでの準備や打ち合わせ、各種段取りを前もって決めておこうと言うのが今日の準備会の目的。
でも、「準備会の準備会」と言う感じで、具体的には何一つ決まらず、決めたのは次回の会議の日程だけ。

幹事になった学校が単独で決めるほうが早い。
会長が多いと、船も山に登ってしまうようだ。

2007年5月30日(水) 本当のマナー

PTA関連での知り合いの実家に不幸があり、通夜に行ってきた。

前日の夕方に知らせを受け、すぐにスケジュールの調整をし、通夜に行く準備を整えた。
同じころ、副会長ら他の役員が「PTA本部役員はどうすればいいですか?」と校長に確認すると「PTA規約に書いてあるかどうかもわからないので、どうすればいいかわからない」という返事があったという。

「どうすればいいかわからない」とはどういうことだろうか。

議決権や任期などについては規約にしっかりと明記しなければならないし、それに従う必要があるだろうが、冠婚葬祭は規約に記載されているかどうか、また、それに従うか否かがそれほど大きな問題なのだろうか。

確かに、慶弔見舞金の支払い範囲や金額など、会計に関することについては記載されているものあり、それが必要なのも納得できる。
しかし、そんなこと以前に、冠婚葬祭はそもそも、人の心によって行動すべきことであって、誰かに決められてやるべきもではない。
衷心よりでてくる気持ちに従って行動すべきものではないだろうか。

規約に書いてあるからお通夜やお葬式に参列しろと言われても、その気がないのなら悲しみもないし、そんな気持ちで参列することは不浄なこと極まりないと思う。
逆に、規約には書いていないと言われても、自分の心に従って参列するのはまったく間違いではない。

私も仕事を早く切り上げていたが、それは通夜に出席するからではなく、市のPTA協議会の役員会に出席するためであったし、それを放っておいて通夜に参列しても、ご遺族も喜びはしないだろう。
むしろ、会議に出席して、とっくに読経も終わり、みんなが帰ってしまった後であっても、せめてお線香のひとつでもと言う気持ちで駆けつけるほうが、自分の気持ちに正直な行いだと思う。

規約に書いてあるから行くとか、規約に書いてないから行かないとか、そんなことに左右されず、自分の気持ちに正直に接することが、冠婚葬祭の本当のマナーなんじゃないだろうか。

2007年5月31日(木) リヴァイアサン

リヴァイアサン。
旧約聖書に登場する海の怪物。
もちろん想像上の生き物なのだが、私のイメージでは、深海魚である「リュウグウノツカイ」が、お決まりの「放射能」によって突然巨大化し、怪物となってしまった姿が頭に浮かぶ。
嵐を呼び、荒れ狂う波で帆船を飲み込んでしまう。
リヴァイアサンは、海のすべてをつかさどり、そしてすべてを意のままに操る。
船乗りたちは荒ぶる神として、恐れそして崇める。
あれくれものの船乗りたちも、リヴァイアサンの前ではおとなしく、その規律に従う。

テレビゲームやカードゲームなどにもよく登場すするこのリヴァイアサンであるが、一部の人にとっては、怪物としてよりも、書物としてのほうが有名かもしれない。
ホッブスの著書だ。

先日「自信あり」といていた長男の「現代社会」の答案用紙を見た。
「ルソー」とか「ホッブス」と書かれた横が空白で、無点となっている。
「ここ、何も書いてないけど、答えは、『リヴァイアサン』と『社会契約論』やろ」
と指摘する。

「こんな問題、勉強する以前の、常識問題やで。普通にクイズ番組なんかで出てくる問題で、これぐらいの問題も解けんで『勉強することなんかない』って言うなよ。こんなもん、『イイクニつくろう鎌倉幕府』なみやで。せめてこれぐらい、解けるようになってから、偉そうに言えよ」

あまりに不甲斐ないので、まくし立てるように言い放ってしまった。
叱り方としては、まったくなっていないことに気がついたのは、数秒後だった。

ホッブスは、性悪説を唱えており、万人は野放し状態では互いに傷つけあうものだと言う。
その万人をまとめるのが「リヴァイアサン」になぞらえた政府だと考えた。

リヴァイアサンを見た万人はどう感じたのだろうか。
その力をよしとして承服していたのか、それとも密かに反逆の機会をうかがっていたのか。

私は長男にとってのリヴァイアサンになってしまいはしないだろうか。

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