カリント日記

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2010年1月5日(火) 新年早々

新年も、はや、5日。
仕事は4日から開始しているものの、体調不良で5日は休み。

そういえば、一昨年、昨年に引き続き、今年も元日の朝、まさに元旦から仕事だった。
日の出はいずれも仕事中に見ることになった。

今年の仕事は計画されてものではなく、夜中の3時に突然、電話で呼び出されたのだ。
365日稼動しているシステムのファイルが壊れたらしく、早速、現地に駆けつけ、復旧作業。

担当のお客様と意外なタイミングで「あけましておめでとうございます」と挨拶する羽目に。
ともあれ、無事に復旧作業は完了し、業務にも影響はなかった。

新年早々のトラブルは勘弁してほしいが、元旦から人助けができたのだから、幸先よいぞ、と自分に言い聞かせ、家路に着いた。

2010年1月7日(木) 体調不良

年末に酒を飲んだときに少し違和感があった。
別に体のどこかがおかしいわけでもない。
けれど、やたらと酔いの回るのが早く、しかも気分が悪いのである。

以前なら、毎日1リットルのビールを晩酌とし、週末にはその倍に加え、チューハイなども飲んでいた。
しかし今回の量はビール1リットルとチューハイ1本。

それだけで気分が悪くて横になり、その後も一向に収まらず、夜中にはついに嘔吐してしまった。

自宅で飲んで嘔吐したことなど記憶にない。
ほとんどの場合、外で痛飲をし、帰宅してから気分が悪くなって嘔吐するのだ。

その日から何かおかしくなった。

酒が飲めない。

明らかに酒量が少なくなり、テンポも遅い。

正月2日に親族の新年会があり、そのときはそれなりに飲めたものの、個人的にはそれほどの量を飲んだようには思わない。
しかし、翌日のダメージは相当なもので、結局アルコールを受け付けなかった。

そして今日。
ほとんどビールが飲めない。

500mlを飲むのがやっと。
気のせいかと思って、もう一本あけたが、4時間かけても飲み干すことはできなかった。

いつもなら、30分で飲み干していたのに。

どうしたのだろうか、この体調不良は。

2010年1月12日(火) 成人の日

長男の成人式が今年でよかったと思う。
昨年なら忙しくてそれど頃ではなかっただろうし、のちのちまで思い出したくない時期になってしまったかもしれない。

市の子ども会連合に会場警備の要請があり、私もその一員として通行の整理に当たった。
会場は市内全域から集まった二十歳の若者でごった返していた。

まじめそうなものもいれば、ご他聞にもれず、やんちゃそうなものもいる。
精一杯いきがっているのだが、その袴(はかま)一つとっても、親に用意してもらったものだろうし、経済的に自立できていない、まだまだ「子ども」だ。

女性は女性でまるっきり水商売と変わらず、せっかくの和装なのに、「清楚」と言う言葉とは程遠いやつばかりだ。

しかし、これからの社会、就職に苦労する彼らの将来を考えると、少し気の毒にもなる。
ならば今日、羽目をはずし、ド派手に着飾るぐらい、多少は大目に見てやろうという気持ちになる。

ま、それでも長男がそんなやつらと違っているので、安心する。

なにはともあれ、成人の日、おめでとう。

2010年1月13日(水) 元気な次女とヘロヘロ嫁さん

ここ数日、この冬一番の冷え込みようで、今日の昼間はかなりふぶいていたようだ。
それでも小学生の次女は雪を喜び、休み時間には友達と校庭を走り回っていたらしい。
なんともうらやましい元気さだ。

嫁さんと長女は夕食後、話題の映画を見に行ったらしい。
3Dの立体映像がすごいという映画だけに、かなり期待して3Dを体感したことだろう。

映画が終わったころ嫁さんに電話をした。
ところが電話に出たのは長女。

「おかあさん、酔ってしまって。もうしばらく休憩してから帰る」と。

かなり遅い時間になって戻ってきた嫁さんは、ヘロヘロのようす。
いつもなら映画の話をするのだけれど、今日はそれどころではなさそうだ。

私も観たい映画だけれど、同じような状態になるかもしれない。
つくづく元気な次女がうらやましい。

2010年1月17日(日) 校区子ども会のイベント終了

校区子ども会で開催する「餅つき大会」も無事終了し、これで21年度の校区子ども会の行事はすべて完了した。

しかし、毎年、すべての行事が無事に開催できるか心配することも少なくない。
というのも、子どもの参加数が減少しているからだ。

校区の子ども会は、地区ごとに形成される単位子ども会から成り立っているが、そもそもその単位子ども会の参加数が少なくなってきている。

幸い、私の地区は自治会や保護者の理解も得られているためか、子どもたちも保護者もよく参加してくれる。
今年の餅つき大会も、他の地区の参加者が20名程度なのに対し、私の地区は70名近くいた。

けれども他の地区の子どもたちが少なくなってしまうと、校区子ども会としての行事が成り立たなくなってしまう。
私の地区ばかりの参加であれば、それは単位子ども会の行事と同じになってしまうからだ。

先日開催された市子連の会議で、今年の駅伝大会の中止が決定した。

参加者が少ない、という理由からだ。

各学校のそれぞれの地区においてもやはり子ども会への理解が年々低下しているようで、参加率も悪くなっている。
子ども会そのものへ入会しない人も多い。
運営するのが面倒だから、という理由らしい。

子ども会以外にもスポーツ少年団などで体を動かしたり、異年齢の子どもたちと交わることができるため、以前ほど、子ども会の担う役割は薄くなってきていることも原因だろう。

でも、毎回、何かのイベントをすると、子どもたちは確実に楽しそうにしてくれる。

大人がしんどいだけでは続かない。
やりがいだけでも続かない。
それでも続けていくには・・・。

そういうことを真剣に考えてみようと思う。

2010年1月18日(月) 最重量級

背筋が痛い。
筋肉痛である。

餅つき大会の準備と後片付けで重い重い石臼を二据え(すえ。臼はこう数えるらしい)も洗ったせいだ。
とても持ちにくい形状のため、特にそう感じるのかもしれないが、あの重さは、何度経験しても想像を超えて重い。

こっちの体力は年々低下しているのに、石臼のほうはまったく変わらない。
だから、過去の経験から重さを想像しても、毎年、「思ったより重たい」と感じるのかもしれない。

洗うときは四六時中、臼を持ち上げているわけではないのだが臼の表面を洗ったり、水を流したりするたびに、臼を傾けなければならない。
そのたびに「よいしょ!」と声を出さないと、腰を痛めてしまうのではないかという、不安に駆られる。

臼台に乗っている臼を持ち上げ、太ももと腕を使って平行移動させることは何とかできても、一度地面に下ろしてしまった臼を一人で台の上に乗せることはできない。
あきれるほど重い。

もちろん、臼よりもっと重たいものはあるが、そんなものは動かすこともないし、まして持ち上げるなどという動作の対象にはならない。
臼は、人が移動させて持ち上げるものの中で、最重量級なのではないかと思う。

それにしてもこの筋肉痛。
昨年はなかったはずなのに。

2010年1月19日(火) 会話のきっかけ

今日は先日とは打って変わって、昼間の気温が高かった。
こんなときにはよく思う。
「話ベタな人を救う日だな」と。

会話というものは、双方の意思を伝え合って成立するものであるから、双方に何らかの共通性がなければ会話として成り立たない。
そこへ行くと、天候の話などはほとんど間違いなく、共通性を持っており、人と会話をするきっかけにはもってこいだ。

「今日は暑いですね」
「昨夜の雷はひどかったですね」
「この雨はいつまで続くんでしょうか」

嫁さんのように、お話好きの女性はさておき、私などは、必要のない会話はあまりしないせいか、こういう会話をしている男性を見ると、無理に話をしようとしているんだな、と思ってしまう。
もちろん、お客様商売や営業職など、人との会話が仕事上必要、となれば別だが。

だから私はこんな挨拶はほとんどしないし、そんな挨拶をされると「他に話題はないのか」と心の中で思ってしまう。

まあ、コミュニケーションの手段なんだし、私に話しかけた相手も、私との会話を望んでいないのかもしれないのだが。

2010年1月20日(水) 警戒

政治的、といっても何も実際に政治家が絡むことだけを指すわけではない。

例えば、単純な利益だけを考えれば得策とは思えないようなものでも、長年の慣習で、変更ができないような行為もそのひとつだろう。
自治会が近所の仕出し屋に弁当を発注するのも同じようなものだし、ほかにも、誰がいつ決めたわけでもないのに「暗黙の了解」となっているものは多い。
「なわばり」「当番」「順序」などなど、いたるところに「政治的」なものを感じる。

嫁さんが近所の建築事務所へ、事務のアルバイトへ行っている。
パソコンで書類を作成するのが主な仕事らしいが、それ以外にも雑用があるようだ。
掃除や使い走りなどはもちろんだが、旅行の幹事などもさせられるらしい。

小さな町の中で、小さな事務所が生き残っていくには、それなりに政治的な動きがある。
しかし、ここの場合は文字通り政治家の絡む、政治的な働きがあるようだ。
政治家が代表を勤める会社との取引が多いため、仕方のないことなのだが、何かとその政治家との付き合いの場に、嫁さんが連れ出される。

嫁さんには「決して選挙応援などはするな」と釘を挿しているし、嫁さん自身も会社にはそのように告げているらしい。

でも、仕事の延長、例えば旅行の幹事として政治家とかかわる機会が増えれば、顔も広く人当たりのいい嫁さんのことだから、必ず選挙活動に巻き込まれるに違いない。

今月、旅行があるらしい。
要警戒だ。

2010年1月21日(木) 次年度役員探しの季節

この時期になると学校関係も次年度役員選出などで慌しくなる。
先日、高校では次年度PTA役員選出の選挙管理委員会が発足し、そして今日、小学校でも同じように委員会が発足した。

高校はある程度、役員が決まっていて、来年度も長女が在学する私は、早々に会長留任が決定した。
正式な決定はPTA総会を待ってからだが、変更される予定はない。
ほかの役員さんも子どもがいる人はそのまま残ることになるだろう。
小中学校に比べれば、保護者の方々にも余裕ができているのか、人事はすんなりと決定することが多い。

しかし小学校となれば話は別だ。

今日の第一回目の委員会には、私の地区の代表者が体調不良のため、大方の予想通り、嫁さんが代理で出席した。
各地区から2名ずつ代表者が集まり、自分の回りから候補者を探しだす。
本来は、選挙管理委員であるため、候補者の当落を管理するのだが、候補者などほとんど出ることがなく、実質は、役員をやってくれる人を探すための委員会だ。

委員会の中で先生が言う。
「もし、適任者が期限までに見つからない場合、皆さんで相談して、皆さんの中から役員を決めてもらいます」
そんな理不尽なことがあってはならないのだが、まるっきり冗談とも思えない発言に、うちの地区の代表者は「どうしましょう、どうしましょう」と困惑して嫁さんに相談していた。

嫁さんは笑いながら「大丈夫よ」と答えた。

実際、嫁さんがその会議に出席するとその場にいた他の地区の委員も、これで大丈夫、もう決まったようなもの、と口々に話をした。

嫁さん自身が役員を務めるだけの技量があるのは間違いないし、その周りには役員経験者が豊富にいる。
そして、なにより役員を務めることができそうな人を探す能力がとても高いからだ。

まあ、私もその候補者の一人であるが、さすがに夫婦そろって役員というのは、ちょっとやりすぎのような気がするので、どちらか一方が引き受けることになると思う。

ただ、私の場合、仕事の都合上、会長を務めるわけにはいかず、補佐の役員にしかなれない。
そうなると、普段、こまごまと動ける女性のほうが、補佐には適している。

来年、会長をやるつもりでいるので、リハビリを兼ね、少しは小学校にかかわっていたいのだが。

2010年1月24日(日) 実は努力家の次女

毎年、1月の第四日曜日には次女の小学校で日曜参観が開催される。
今日も日曜参観だった。

4年生の次女は「群読」を行った。
群読は近年、盛んに行われている学校教育の手法のひとつであり、同じ読み物を集団で読むことによって、読み方を工夫させ、より表現力を豊かにする読書方法だ。
表現力を高めるために動作を取り入れることが多いため、活動発表に用いられることも多い。

次女の群読は二つ。
ひとつは、子どもたちが冒険するというお話。
これをいくつかの同じ人数のグループにわけ、それぞれ同じ登場人物となる。
つまり、Aグループに主人公とその友達がいれば、Bグループにも主人公とその友達がいる、という具合だ。
群読をグループごとに行い、物語の進行に合わせてグループを交代する。
歌もあるし、芝居もある。

もうひとつの群読は、いくつかの詩を読んだ。
こちらは動きも少なく、歌もない。
なので、声の抑揚だけでその詩の世界を表現するというもの。
動きがないだけ見た目は地味ではあるが、低学年にはできないものだ。

参観している保護者の中にはそれを見て涙ぐんでいる人もいた。

さらに今日は、日曜参観が終わると、市内の大ホールで群読の発表を行うという。
市教委主催の教育フォーラムの出し物として、発表するらしい。
次女の小学校以外に、中学校や市民ミュージカルの発表もあった。

次女は市民ミュージカルの歌と踊りにも出演するため、この日は二度の発表となり、舞台裏では大慌てだったようだ。

しかし、次女は見事に両方をやってのけた。
わが子ながら、感心する。

群読もミュージカルも一朝一夕に習得できるものではない。
私の前では甘えん坊の次女だが、私の知らないところでは、かなりの努力家のようだ。

次女は歌手になりたい、という夢を持っているようだが、努力を惜しまねば、その夢はかなう。
今日の次女を見てそう私は思った。

2010年1月25日(月) スカート

仕事を終えて自宅に戻ると、いつものように次女は、小さなテーブルの上で宿題と格闘していた。

「あんなーあんなー。」
私に言いたいことがあって、私の帰りを待ちわびていたときの、話し始めはいつもこのフレーズだ。

「あんなー。今日なー。○○ちゃん(長女のことを名前で呼ぶ)なー。スカート穿いてんで」
嫁さんもそれに続く。
「そうやねん。○○、今日、学校にスカート穿いて行きやってん」

長女はスカートが嫌いで、いつもズボンしかはかない。
当然、学校の制服も女性用のズボンだ。
けれども今日は、ズボンがちゃんと洗濯ができていなかったのか、仕方なしに、スカートを穿いていったという。
「スカートを穿くことがあるかもしれない」という、万一のことを考えて、知り合いからいただいたお下がりのスカートだ。

女子高校生なんだからスカートを穿いて当たり前のことだが、長女がスカートを穿いたのはここ数年で、一度、親戚の結婚式のときだけ。
それ以外では、絶対にスカートを穿くことはない。

髪の毛もショートカットで、声のトーンも低めだ。
先日、娘のケータイに友達から電話がかかってきたが、間違って出てしまった嫁さんの声を聞いて、相手は「いきなり○○の声が高くなったのかと思ってびっくりした」という。
四十歳を大きく超えた嫁さんよりも、女子高校生の声のほうが低いのだ。
着飾ることも嫌いで、アイドルにも化粧にも興味はない。
そんな長女を次女は「私が長女。○○ちゃんは次男やで!」という。

その男っぽい性格の長女がスカートを穿いて登校したのである。

「ふと気がついたら、みんなこっち見てるからびっくりした。
 『明日も穿いてくるやんな?な?』って、なーんか友達に期待されたけど、スカートなんて有り得へんし」

笑いながら部屋に戻っていった長女の後姿を見ながら、嫁さんは私に言った。
「○○のスカート姿、めっちゃかわいかったよ」と。

2010年1月27日(水) 議員の影響力

仕事先でいつものように仕事をしていると、そこの担当者から「いついつは議員が来るから作業はしないように」と言われた。
議員に見られて恥ずかしいような仕事はしていないのだが、まあ、担当が議員に気を使ってそういうならそれに従う。
しかし、なぜ、議員にそこまで気を使うのか。

議員といっても元は「○○小学校PTA会長」とか「○○校区子ども会会長」であり、今の私と同じ立場だから、私にとっては先輩のようなもの。
実際、何度か話をしたときも、元PTA会長、元子ども会会長として、いろいろアドバイスをいただいたが、そのときは別に議員ということを意識ことはなかったし、スーツを着てバッジでもつけていなければ、ただの気さくなおっちゃんである。

先日、嫁さんの会社で飲み会があり、私がそこに呼ばれたときも、議員が参加していたが、私に名刺を渡して頭を下げていたのは、むしろ議員のほうだった。
考えてみれば、有権者である我々のほうが立場的に優位なはずなのに、議員を目の前にすると、とかく、企業の人間は不必要に謙るようだ。

20年以上前、嫁さんがまだOLだったころ、ある商品のクーリングオフの対応をしていたときのこと。
もう半年以上も前の製品のクーリングオフを了承する旨の書類が支店長名義で決裁されていた。

日付の見誤りかと思って嫁さんが支店長に言った。
「支店長、これ、もう半年も前の商品ですけど、受け付けるんですか?」
すると支店長が言う。
「それ、○○議員のところからの依頼や。処理しといて」

「えっ? でも、そんなことしたら本社から・・・」
「ええから。議員相手やと、あとあと面倒やねん。俺が始末書を書いて済むんやったらそうしたほうがええねん」

企業にとっての議員は、私が思っていたよりもはるかに影響力があるようだ。

2010年1月28日(木) 人選

「もうな、ほんま、お話にならへん」
嫁さんがあきれた話をするときの枕詞(まくらことば)。

小学校の選挙管理委員(代理)である嫁さん、今夜はその委員会へ出席。
選挙管理委員といっても次年度PTA役員の立候補者がいなければ、自動的に役員選出委員になる。

委員に選任された人たちは、全員で16名。
嫁さんは休養中の委員さんの代理なので、本来ならほかの人に任せて、おとなしく事の成り行きを見守っていればいいはず。

しかし、そこは嫁さん。
周りの期待は大きいし、嫁さんも「こんなことで時間を使うのは無駄」と思っているから、率先して話をする。

先生が「それでは各地区の候補状況を教えてください」と言っても、誰も何も言わない。
どこの地区も候補者の一人すら、見つけられずに、今回の会議に出席している。
前回の会議の宿題だったにもかかわらず。
しかし嫁さんは「私の地区は3名の候補者を考えています」と、実際に名前を挙げる。

でも、他の地区からしてみれば私の嫁さんがこのメンバーに加わっているというだけで、妙に安心してしまい、すべての人選を嫁さんに任せようという気持ちが働いているのかも知れない。
実際、嫁さんは自分の地区だけにとどまらず、他の地区のこともある程度把握しており、他の地区の選出委員に「あなたの地区の○○さんは、こういう条件だったらやってくれるかも知れないから、一度話をしてみたら」とアドバイスをするほど。

「もうな、ほんま、お話にならへん。
 だって、私だけやで、メンバー見つけてたん。
 おまけに、『ご主人、会長は無理?』って。
 せやから、この前、忙しいからあかん、って言うたのに。
 そしてら今度は、『奥さんは?』やて。
 ちょっとは自分らで探せっちゅうねん」

結局、会長を見つけなければ、ほかのメンバーを決定するのも難しいということになり、まずは会長を探すことになった。

ま、その会長候補だって、嫁さんが見つけてきたのだが。

来週早々にでも、会長をやってくれないかと、嫁さんが話をしにいくそうだ。

来年度のPTA役員はすべて、嫁さんが人選するかもしれない。

2010年1月30日(土) 男前

次女が長男にゲームをねだっていた。
ねだるとは「強請る」と書く。
強引に要請するといった感じが、次女の態度にぴったりだ。

「おにいちゃん、ゲーム買ってくれるっていうたのに、まだ買ってくれへん」
そう次女が私にぼやく。

おそらくは次女の強請りに根負けした長男が、クリスマスプレゼントに買ってやると言ってしまったのだろうが、その約束を果たせずにいた。

嫁さんからも「そら、あんた、約束したんやったら、こうたらなあかんで」と言われていたので、再三言うのも気が引けたが、今日は長男のアルバイトの日であり、ゲームを買うにもちょうどいいと思って、出かける身支度をしている長男に、声をかけた。

「○○(次女)がうるさいから、ゲーム、こうてきたって」
「うん、わかってる」
やはり何度も言われているせいか、長男も不機嫌だった。
アルバイトへ行く前に、悪いことをしたな、とちょっと反省。

夜、長男がアルバイトから帰ってきた。
「はいよ」
手に持っているビニール袋をぶっきらぼうに私に渡す。

中には次女が待ち望んでいたゲームソフトが入っていた。
それを次女に渡すと、「うおお!やったーあ!」と大はしゃぎ。

そしてまだビニール袋の中に何か入っている。
取り出すとそれもゲームソフト。

先日発売されたばかりものので、私が冗談混じりに「お父さんにも、これ、こうてくれ」といっていた品物だ。
それを手に取り私も「うおお!やったーあ!」と大はしゃぎ。

「おにいちゃん、かっこええ」と次女。
「さすが、おにいちゃん、男前!」と私。

長男は照れを隠すかのように、私が飲んでいたビールをゴクゴク飲み、自分の部屋へ戻っていった。

2010年1月31日(日) 内助の功

昨日嫁さんは会社の人たちと、日帰りのバス旅行。
大型観光バス2台に分譲して伊勢まで。

会社の人たちといっても実は市議会議員の後援会が主催で、大方はそのメンバー。
嫁さんは、後援会には入っていないものの、会社ぐるみでお世話になっており、その関係で参加することに。
私も誘われていたのだが、議員の後援会、というのがどうも引っかかって、参加を見送った。

嫁さんが土産は何がいいかというので、伊勢神宮+お酒となればこれはもう、「白鷹」しかなく、迷わずそれをお願いしていた。

土曜日の夜、もともと乗り物酔いしやすい嫁さんは、数時間のバス乗車に加えて、いろいろ気を使いながらの旅行でヘロヘロになって帰宅した。

嫁さんは、私に白鷹の箱を渡すと、任務を終えたかのように、そのまま眠ってしまった。

今日、昼過ぎになって嫁さんが、お土産の袋を持って出かける準備をしている。
日ごろお世話になっている人のところへ持っていくのだという。

その中には子ども会をお世話してくださっている、年配の女性も含まれていた。
数年前にご主人を亡くして依頼、一人暮らしの女性は、子ども会のご意見番的存在でも有り、いろいろなことを取り仕切ってくださるが、そのことが逆にお母さんがには疎んじられている。
だから日ごろ、子ども会のお母さん方と交流することは少ない。

しかし嫁さんは「○○さんにはお世話になってるし、この前、お土産いただいたからから」とお土産を持っていくという。
そういうことに鈍感な私は、嫁さんの言動にいたく感心した。

さぞかし、その女性も喜んでくださるだろう。

内助の功とはまさしく、うちの嫁さんを言うのだ、と一人うなずいた。

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