カリント日記

バックナンバー

[先月] [目次] [来月] [最新版] [トップ]

2011年9月1日(木) 天気のように

台風が近づいていて週末には近畿あたりに上陸するらしい。

先日のキックベースボール大会がピークだったのか、それ以後、気温も下がり始めたように思う。
エアコンを入れていなくても、朝方に汗をかいてしまうことはなくたった。
まだまだ暑い日が続くとはいえ本格的な夏は終わりを告げたのだろう。

それにしても、今年も極端に暑い夏だった。

梅雨はあっという間に終わり、いきなり真夏になったかと思うと、猛暑と熱帯夜の日が続き、そして気温が下がり始めたと思ったら、今度は台風。
なんとも忙しい天気だ。

その間に盆踊り、花火大会、PTA全国大会、キックベースボール大会、と私も毎週のように出かけて、同じく天気のように忙しい夏を過ごした。

今日から9月。
これまた忙しい「秋」が始まる。

2011年9月2日(金) 台風は?

明日も午前中からいろいろと用事があって出かけなければならなかったのだが、台風上陸のため、それらを中止する、と午前中のうちに早々と連絡があった。

仕事も15時過ぎには終えて、早々と帰宅し、北朝鮮戦に備えることにした。

ビールを買い込み、自宅に戻る。

外は強い風と強い雨。

と思っていたがそれほど雨も降っていないし、風の音も特にしない。

代表戦を見ながらビールを飲んで、後半ロスタイムにようやく一点あげて辛くも得た勝利に、子どもたちと歓声を上げた。

相変わらず、外は強い雨でもないし、強い風でもない。

意気込んで帰ってきたものの、なんだか肩透かしを食らった感じ。

ま、このまま被害が出なければいいのだけれど。

2011年9月3日(土) 力を得る休日

大阪府には暴風警報が出ており、そのため学校も使えず、関連する行事もすべて中止。
急にできた、少しのんびりした日曜日。

午前中は昨夜の勝利の余韻に浸り、次女と一緒にごろごろしながら、ニュース番組ばかりを追いかける。

昼過ぎからは、嫁さんと次女の寝室の蛍光灯が壊れてしまったので、新しいものを買うために、嫁さんと次女を連れて近くの家電量販店へ出かけた。
アルバイト中の長男を照明売り場にまで引っ張り出し、どれがいいのかを聞いてみると、この売出し中のものがお勧めだと言うので、特に何を調べるでもなく、一番お買い得なそれを買って自宅に帰った。

今日の仕事は後ひとつ。
でも車を運転することもないので、とりあえずビールを飲む。

そして校区体育祭のプログラムの修正に取り掛かる。
プログラムの図面は、昨年までは各自治会の担当者がメンテナンスしていたらしいが、Wordを使って図形を書き込んであり、初心者にはできないようなものなので、おそらく誰かが頼まれてやっていたのだろう。
けれど今年はどういうわけだか、その人が見つからず、私のところへ回ってきた。
仕方がないので、ビールを飲みながらプログラムを修正する。

普段仕事でもやっているようなことなので、30分もしないうちに印刷もでき、校区の体育指導委員に出来上がったことを知らせる電話をした。

しばらくすると長男から電話が。

何かと聞くと、社員向け販売で、もっといい照明器具がもっと安い価格で手に入ることがわかったと言う。
嫁さんにそれを伝えると早速予約して配達日を決めたようだ。
幸い、先ほど買ってきた照明器具は、まだ手付かずのまま、段ボール箱に収まっているが、これを店まで返品しに行かなければならない。

けれどもう、お酒を飲んでしまったので、明日以降にしよう、と内心安心して続きを飲む。

夜になって体育指導委員が出来上がったプログラムを取りに来た。
そしてそのついでに飲みに行くことにした。

この指導委員さんとはもう、6年以上の付き合いになるが、今までに飲みに行ったのは2回ほど。
二人で飲むのは初めてだ。

普段から子ども会のことでお世話になっており、いろいろと力を貸してくださる。
お礼を言うとこちらこそ、と今回の件を含めて、逆にお礼を言われる。

お互いに地域のために日ごろから東奔西走している同士であり、課題に悩み、解決方法を探り、そして人から「ありがとう」と言ってもらえたらそれを明日の原動力にして日々進んでいる仲間である。

熱い話を2時間ほどして、その店では結局ご馳走になり、帰宅することにした。

その時間になってようやく雨が強くなってきた。

指導委員さんは「明日、グラウンドゴルフの選抜大会なんやけど、こりゃ中止やなあ」
そういって雨の中を帰っていった。

帰りに嫁さんと飲むための酒を買う。
自宅に戻って嫁さんと今日のことをいろいろと話す。

特に予定もない平和な一日だったが、少し力を得た気がした。

2011年9月4日(日) 足の裏

花火大会を終えた当たりからだろうか、両方の足の裏が、歩くと少し痛い。

何もしていなければなんともないのだが、どこかにぶつけた体の一部が、徐々に治ってきて、それでもぶつけたことを忘れてうかつに圧力を加えると「いててて」となる、あの感じが足の裏にある。

ちょっとした体重移動の仕方や、力の加え方によって「いてて」と感じるのだ。

かといって直接触って「ここが痛い」と言えるような場所もなく、なんとなく、かかとと土踏まずの間がほんのり痛い、といった程度である。

尿酸値が高いので痛風かとも疑ったが、痛風ならこんなやんわりとした痛みではなさそうだ。

花火大会の後に、嫁さんに足の裏を踏んでもらったが、そのときに痛めてしまったのだろうか。

まあ、今のところ支障はないが、校区体育祭が目前なだけに、ちょっと心配である。

2011年9月5日(月) 歩いてきました

その中学校の名前はよく聞くし、おおよその場所もわかっていたし、そういえばその当たりで運動場を見たような記憶もあったし、何より直前に「駅から歩いて10分程度」と言う話を、ばったり出会った会長さんから電車の中で聞いていたので、歩いていくことにした。

駅を出て南の方へとぼとぼ歩く。
今日も雨が振ったりやんだりだったので道路のあちらこちらに水溜りがあり、サンダル履きで来たことを少し後悔する。

確かあの会社の近くと聞いていたが。
あ、このグラウンドか。
でもこの辺りにあるのは小学校だったような。

フェンスの看板を見ると「○○小学校」と書いてある。

やっぱりここじゃない。
もう少し先だったか。

あれ?
このままいくと広い道路に出てしまうぞ。

そう思って嫁さんに電話する。
「○○中学校ってどのへん?」
「××の近くやったと思う」

嫁さんの返事を聞いたのが早かったか、思い出したのが早かったか、とにかく、嫁さんの話と私の記憶が一致したので、広い道路のほうへ歩いていく。
すでに駅から10分は過ぎている。

大きな道路を渡ってしばらく歩くが、本当にこんなところだったろうか、ここは来たことがないぞ、人気も少なくなってきたぞ、とやはり不安になる。

そう思いながらまたまた嫁さんに電話する。
「困ったときの嫁頼み」である。
電話をしながら、道端に立ててある付近の案内図に気がついた。

「あ。ごめんごめん。わかったわかった」
「大丈夫?」
「うん。大丈夫」

そんな話をしながら目的地に到着。
すでに約束の時間を5分ほど遅刻している。
あわてて会議場に入り着席する。

「えらいまた、汗、かいてはりますなあ」
「ええ。駅から歩いてきました」
「え、ええっ!?」

会議の出席者は30名ほど。
でも、駅から歩いてきた人は私以外には、たぶん誰もいない。

帰り道、サンダルで来たことを反省する。
自宅に戻って痛みのある足の裏を見ると、肉刺ができていた。

2011年9月6日(火) 書き続ける

以前の日記を時折読み返してみる。

すると、不思議なもので、普段は昨日の晩御飯を思い出すのにも苦労するのに、その日記で書かれている場面は、不連続で断片的ではあるものの、かなり鮮明に思い出すことができる。

家族で行ったいつもと違う焼肉屋のテーブル、今は取り壊されてしまった市立体育館の入り口、子どもと一緒に見上げた夏の夜空、誓いを立てた桜の木。

掲載されている写真はその記憶を呼び出す手助けになるものの、実際に思い出すのは撮影されたその風景よりも、その写真を撮影していたときの自分の気持ち。

いいアングルを探して道の反対側に渡ったこと、ピントが合わずに苦労したこと。
炎天下や雪の中、春の風を感じたり秋の寂しさを思い出したり。

日記を読むことでそのときの状況一つ一つがついこの前のことのように思い出され、「思い出」と言うものはこんなにもたくさん、記憶の中にしまうことができるものなのか、と驚きさえする。

日記を書くという行為と、時がたってからそれを読み返すと言う行為とで、ひときわ強く記憶に刷り込まれていることは間違いないだろうが、それでも何もしなければ、きっと思い出すこともできないような、とても大切な思い出が、こうやって時間を越えて思い出されるのは、日記のおかげだと思う。

ほんの興味本位で始めた日記だが、私が日々、心に抱いたことを書いており、さながら私の心の成長記録、と言った感じか。

今日の日記でさえ、後の日に読み返せば、今のこの心情を思い出し、そしてまた日記を書き続けようと誓うに違いない。

2011年9月7日(水) 田んぼ

普段の光景なので特に気に留めることもなかったが、よくよく考えてみれば自宅の近所にはまったく見られなくなった光景がある。

そのひとつがこの田んぼ。



小さいころは生家の周りにも田んぼがあり、用水路から水をくみ上げるポンプの音やその水のにおい、そしてその周りに水草が生い茂っており、その水草の上にゆっくり脚をおろせば歩けるのではないかと、何度も錯覚したことを覚えている。

夏の夜中は自宅にいてもカエルの歌がよく聞こえ、私の子守唄となったときもある。

それも40年近くも前の話。
今はマンションに姿を変えている。

我が家の子どもが子守唄にしていたのは、幹線道路を通る車の音か、それとも家の前を通る酔っ払いたちの喚声か。

この写真の田んぼからは今も夜になるとカエルの声が聞こえてきて、疲れて帰る途中でもふと足を止めてしまう。

ここに住む人を少しうらやましく思う。

2011年9月8日(木) この写真の理由

定例のPTA会長会を終え、協議会役員だけで、別の店に集合した。

お酒が好きな人ばかりなので、何かきっかけがあれば、飲み会をする。

あまり肩肘張らず、ざっくばらんにいろいろな話をするには、こういうお酒の場が丁度いい。

先日の全国研究大会の感想や、この秋に開催されるさまざまなイベントなどについて話をした。

でも、PTAの話ばかりも続かないし、聖人君子ではないのでいいことばかり、話をしているわけでもない。

憂さ晴らしの会話もあれば、下品な話もする。

そういったPTA関係以外の、本心の会話をすることで、もっとお互いに人間性を感じ、共通の仲間意識や安心感を得られる。

先日の悩んでいたPTA会長にしたって、会議という形式的な場所での発言は表面的なものであって、たとえそこでいろいろな意見が飛び出しても、なんだかもやもやしたものは払拭できなかったと思う。

けれどその後に飲みに行ったことによって共通の仲間意識が生まれ、そこで聞いたざっくばらんな話の内容が、心のもやもやを払拭するきっかけになったことは確かなのだ。

会長だって、特別な存在ではない。
一人の保護者であり、弱いところだってある。
お酒によって陽気になることもあれば、こんなわけのわからない写真を撮ったりもするのだ。


2011年9月9日(金) 一人で研究発表資料作成

毎年開催されるPTA協議会主催の研究発表大会では、市内の小中学校が日ごろの活動や実践を通して得られた成果や結果などを発表しあう。
すべての学校が発表するのは大変なので、毎年数校が当番となって発表をする。

今年は私がPTA会長を務める小学校が発表の当番校となっている。

研究発表はスクリーンに発表資料を投影して、発表者が前で説明をするもので、プレゼン経験のないお母さんたちにとって、百人を超える保護者の前で説明をするというのは、口から心臓が飛び出すほど緊張するイベントなのではないだろうか。

そのため、発表者は会長が担当することが多く、当然私の小学校も私が発表者となる。

また、発表資料はPowerPointで作成するため、これも当然のように、パソコンが使える人=私が作成をすることになる。

だから、ストーリーぐらいはみんなで考えたいと思い、アイデアを募集したが、なしのつぶてだったので、結局自分で考えることにした。

数日前、思いついたストーリーをメモにまとめた。
そして今日、そのメモを見ながらプレゼンテーションの資料を作成してみた。

前半部分だけだが、嫁さんに見てもらうとなかなかの好感触。

とりあえず、このまま資料を作成していくことにした。

それにしても、全部私が一人でやってしまうのもよくない。

ほかの役員にも何か仕事を割り振るようにしなければ。

2011年9月10日(土) 文化祭でバザー

昨日と今日は高校の文化祭。
高校の文化祭と言えばバザー。
バザーと言えば後援会。

私は、今年から後援会の会長となったが、文化祭のときにやっている仕事はPTA会長のときとさほど変わりはない。

PTA会長のころから後援会のお手伝いをしていたので、以前の仕事をそのままやれば、すなわちそれが、後援会の仕事なのである。

商品の搬入、商品の点検、お客さんの呼び込み、誘導、そして小間使い。

初日は平日と言うこともあって一般の来校者も少なく、バザー会場の盛り上がりもいまひとつという感があった。

二日目の今日は休日だからバザー会場への来場者も多いだろうと思っていたが、午前中の客足の伸びはいまひとつ。

タオルを売り歩こうと思い、とりあえず、構内を回っては見たものの、大人の数が少ない。
これでは単価の高いタオルは売れない。

そこでバザー会場の呼び込みに専念することにした。

「ただいまこちらではバザーを開催しておりまーす! どうぞお気軽にお立ち寄りくださーい!」

会場内に人が増えてくると、呼び込みをやめて会場内の販売を手伝う。
少し人が減ってくると、再び呼び込みをする。



安いおもちゃなどを入り口付近に並べると、それを見つけた子どもが、中に入りたがり、つられて親も一緒に入る。
出口から出て行くときには、大人も買い物をしている。

そういう状況がよく見られた。

最終的にバザーの売り上げは昨年度より20%ほど増えた。

やがて終了の時刻となり、先ほどまでたくさんの人が歩いていた学校の廊下も、一気に寂しくなってしまった。



来年の呼び込みは、もう少し景気のいい服装でやろう、と思った。

2011年9月11日(日) ドッジボール講習会

「ちょっとはサボったらいいのに」と嫁さんに言われてしまうぐらい、ここ連日、PTAや子ども会の行事のために出かける。

今週は火曜日以外は会議などもあって毎日出かけていたし、数えてみたら、直近9週間、合計18回の土日のうち、18回外出していた。
毎日ではないので、午前と午後、一日に数箇所へ出かけることもある。

そして今日も朝からドッジボールの講習会。
単位子ども会の指導者を対象にドッジボールのルール説明と子どもの指導方法を講習する。



講師は市子連の常任委員。
私もルール説明の補助として、実際の試合のときに、主審が笛を吹くと、どういう反則があったのかを解説する係り。

解説は実際に子どもたちに試合をさせて、その中で行う。

「ピーッ! ラインクロス!」
「今のは、赤チームの外野がボールを投げる際に、ラインを踏んでしまったため、『ラインクロス』の反則となり、相手チームの内野のボール、となります」

ほかにも審判が指を一本立てたときにパスの解説をする。
「今、青チームの外野手が隣の選手にボールを渡しましたが、これはパス行為とみなされます。パスは3回までで、4回目のパスを行った時点で相手の内野ボールとなります」



子どもは合計2試合を行ったが、まだまだ元気な様子。

試合をしてくれた子どもは別の小学校の子どもたちで、引率してきたメンバーの中には顔なじみの別の小学校のPTAの役員がいた。
「○○(私)さんは本当に大変ですね。がんばってくださいね」とねぎらいの言葉をかけてくださるのがありがたい。

多少なりとも雲があって、時折日陰にもなったので、まだましではあったが、それでも蓄積された体の疲れはあり、いつもながら子どもたちの元気がとてもうらやましく思えた。

2011年9月12日(月) VS警備員

嫁さんは最近、バレーボールの練習で忙しい。
今日も遅くまでバレーの練習だった。

練習時間終了を一時間近く超えた、夜10時前に戻ってきた嫁さんは、いつもなら、すぐにシャワーを浴びるのだが、部屋に入ってきたときから鼻息が荒い。

「もう、ほんまに、腹立つわー」

これは何かあったようだ。
おそらくそれが原因で練習終了後に話し合いをしていて帰りが遅くなったのだろう。

「あの警備員とまた揉めてん」という。

小学校にいるある一人の警備員は昔から保護者に評判が悪い。
態度が横柄であり、頭ごなしに上から目線で話をしてくる。
おまけにこっちが敬語で話をしていても、「おまえら」というような乱暴な言葉遣いをする。
そのくせ、先生には腰が低い。

先生が帰るときは、わざわざ先に出て「さあ、お通りください」とばかりに門をあけてやるのに、保護者が「こんにちは。すみませんが体育館の鍵を貸してください」と来たときは、ろくに挨拶もせずに鍵を投げてよこす。

もう、一年以上前になるか、あるとき、体育館の倉庫の窓が開けっ放しにされたまま、利用者が帰ってしまったことがあった。
もちろん、利用者が戸締りする決まりになっている。

以前、バレーボール部は、部員の子どもが窓を開け、それに気づかず、戸締りを忘れて帰宅してしまったと言うミスを犯している。
また、体育館を一番よく使っているのもバレーボール部である。

そのことから、警備員は「今回もまたバレーボール部のしわざ」と思い、バレーボール部員に詰め寄った。

そういう時は先頭に立って話をするのがうちの嫁さん。

「開けてません。前回使用したときは最後に戸締りを確認しましたし、そのときも開いてませんでした」

しかし、警備員も引き下がらない。
「お前らが開けたんや」

「開けてないって言ってるでしょ。私たちじゃありません」

前回のミス以来、子どもにも注意をし、最後に確認をしてから帰宅するようにしている。
だから、嫁さんは自信を持って「開けてない」と主張するのだ。

結果、よくよく話を聞くと、警備員が言うその日は、バレーボール部は体育館を使用していないことがわかった。

「ほらね。私たちじゃないでしょ」
そういうと一言の謝罪もなく警備員は引き上げた。

そして今日も、同じような事件が起きたらしい。
というか、これまでにも何度もここには書けないような事件が起きており、嫁さんは、警備員の雇い主である教育委員会へ話をしにいったり、校長先生に話をしたりしていたが、一向に事態が改善されないまま、今日も同じような事件が起きたのである。

嫁さんが話をする。

「もう、また決めてかかってんねん。
 『お前らが、開けたまま帰った』の一点張り。
 こっちが『違う』っていうてるのに、聞く耳持ってないし。
 先生も見てたけど、なんも言うてくれへん」

まあ、先生の気持ちもわからなくはない。
矛先が自分の方へ向いても困るだろうし。

「練習もせなあかんし、時間ないし。
 しゃあないから、『会社教えてください』って言うてん。
 ほんで、警備員の胸の身分証明書をぐいっ引っ張って」

フォルダーに挟み、紐で首からつるしている身分証明書を、ぐいっと引き寄せてしげしげとのぞくシーンは、テレビドラマでは見たことがあるけれど、実際にはお目にかかったことがない。

「『○○会社ですね。明日会社に直接、抗議の連絡をさせてもらいます』って言うてん。
だから、明日電話するわ。
ほんま、腹立つ」

事の次第を一通り話し、すっきりしたのか、「シャワー浴びてくる」といって姿を消した。

この学校で敵に回すと一番怖いのは嫁さんだ。

2011年9月13日(火) バレーの練習

バレーボールの親善大会がまもなく開催されると言うこともあって、このごろの週末は盛んに練習が行われており、午前中に子ども会の用事を終えた私も、少しは顔を出したほうがいいかもと考え、小学校の体育館へと足を運んだ。

校舎の裏にある自転車置き場に自転車を止めようとすると、上のほうからワーワーと声が聞こえてきたので、自転車置き場のすぐ上にある多目的室で子どもたちが何かをして遊んでいるのかと思ったが、日曜日の校舎内で子どもたちが遊ぶはずもなく、それならばバレーボール部員の声か?と考えつつも、それにしては人数が多いなあと首をかしげる。

体育館へと続く階段を上っている上っているとやがて聞こえてきたのは、先ほど駐輪場で聞いたのと同じよう質と人数の声であり、体育館入り口に並べられた緑色のスリッパの量を見て、理由はわからないが相当の人数が今日は集まっているのだとわかった。

エアコンのついていない体育館に少しでも風を取り入れようと大きく開かれた入り口のドアから少し中をのぞき、練習の邪魔にならないようにと、気配を消しつつ、それでも少しは気づかれることを期待しながら、ゆっくりと中に入っていくと、「あ。会長さんや」となじみの声が聞こえたので、どこを見るともなく会釈をして、壁沿いを奥へ進んだ。

練習とはいえ普通に試合をしており、小学校のPTAメンバーの相手チームを見ると、卒業した元メンバー+コーチ+現役高校バレー部員+おまけの小学生+見知らぬ男性といった混合チーム相手で、スコアボードのところには教頭先生がいた。

何より驚いたのは、小学生がいるとはいえ、かつてのチーム名とのベテラン選手と男性3人に加え、現役の高校バレーボール部員がいる相手チーム相手に、PTAの弱小チームが互角に戦っているところであったが、その理由はPTAチームの前衛を見てすぐにわかった。

そこには見たことのないけれど、周りの選手より頭ひとつぶん背が高く、一目見てバレーボール経験者だとわかるような構えと動きを見せる女性がおり、上げられたトスにすばやく反応してジャンプすると、その腕はらくらくとネットを越え、相手コートにボールをバンバンと打ち込んでいたのだ。

後から聞いてわかったのだが、彼女は今年になってこの校区に引越しをしてきたれっきとした保護者であり、以前から、親善大会にだけは毎年参加していたそうで、今もバレーボール部員として活動しているわけではないのだが、今年の親善大会には助っ人として参加してくれるらしい。

頼もしい助っ人ではあるけれど、親善のときだけ練習するとなるとみんなと一緒に仲良くできているのかどうかが少し心配になったり、逆にみんなの中に余計な不協和音が生じたりはしないのだろうかと、当事者ではないのに妙に心配になったりする。

それでも今日も楽しそうに練習している姿を見ると少し安心する。


2011年9月14日(水) プレゼン資料

小学校のPTA役員会議で、先日作成したプレゼン資料を見せた。

目的は「ストーリーとしてこれでいいか」「内容量としてこれぐらいでいいか」「全体的な構成としてこれでいいか」というようなことを確認しようと思っていたが、案の定、私の資料をただただ感心してみているだけとなり、特に意見も出なかった。

私と同じように普段からプレゼンテーションの資料を見慣れていれば、意見も出せるだろうが、プレゼンの経験もなく、ましてや資料作成などとは縁遠い人たちであれば、資料のよしあしを意見することは難しいようだ。

少し早めにしゃべると、10分もかからないが、当日の持ち時間は25分ほどあるため、ゆっくりしゃべっても今の資料だけでは内容が不足しているように思う。

もともと簡単な話を具体的な事例で説明しようとしているだけなのだから、30分近くも話すことなどない。

なので、ほかの話、たとえば学校紹介などを追加すれば十分なボリュームにはなると思うのだが、それだと内容がボケてしまうような気もして、安易に判断できない。

かといって、当事者である私やほかの役員には前提とした知識があるので、ボケているのかどうかの判断がつきにくい。

まあ、そこがしっかり確認できてこそ、よいプレゼンになるのだが。

私もまだまだわかっていない、と言うことか。

2011年9月15日(木) 昔のゲーム

長男がWii版のドラクエ、「ドラゴンクエストT・U・V」を買ってきてくれた。
先日、私が長男に頼んでおいたものだ。

ゲーム内容は今までのFC版とSFC版がそのまま再現されているものなので、なんら新しい要素はないのだが、それでも大のドラクエファンである私にとっては、新作同様の高揚感がある。

早速、FC版のドラクエTをやってみることにした。
Wiiのコントローラはワイヤレスで、画面に表示されるポインターを操作してゲームを選択するもので、近代的な技術を感じさせるものだが、選択したとたんに表示されたドラクエTのタイトル画面は、地デジの大画面で表示させるのがかわいそうになるぐらいのチープなものだった。

スタートボタンを押してゲームを開始すると、これまた昔懐かしいチープな8ビットの音楽が流れる。

主人公を動かすと横で見ていた次女は「うわ!ほんまや!横に歩いてる!」と驚く。

次女が知っているドラクエは[以後なので、主人公はアニメーションのように滑らかに移動するのが当たり前であり、縦と横にしか動かず、ましてや横に移動するときも正面を向いたままの主人公と言うのは、奇妙奇天烈なものに見えるのである。

ゲーム開始から一時間もしないうちに次女がいう。

「なあ。もう、飽きてきたんとちゃう?」
「いや。飽きてへんで」
そう答えると、5分後には
「ほんまは、もう飽きてきたやろ?」
「飽きてへんて」

確かにストーリーの展開は遅く、一時間もたつのに、まだ二つ目の町に到着したところであり、モンスターだって数えるほどの種類しか登場せず、すべてが静止画像で動きはないから、今の最先端のゲームになれている次女にとっては、相当退屈な作品だと思う。

けれど私はかつて、この非常に単純なゲームに没頭して、一つ一つのイベントに心躍らせていたものだ。

チープな音楽と画面に、昔を思い、酒を飲みながらゆっくりプレーしたい。

2011年9月16日(金) 足底腱膜炎

最近足の裏がいたいのは「足底腱膜炎」というやつかもしれない。

朝起きてたときやイスに長時間座っていた後に、立ち上がって歩き始めると痛む。
けれどしばらく歩いているは痛みも消え違和感もない。

つまり、足の裏に力がかからない状態が長時間続いた後に力をかけ始めたときだけ痛むのだ。

原因はなんだろうかと調べてみた。

・マラソンなど長い距離を走った。
・長時間い床の上で仕事をした。

以前ならいざ知らず、今はどちらも当てはまらない。

・ストレスがあり、多忙である。

これは当てはまるかも。
でもまあ、ストレスとまでは感じていないし。

かといってほかに当てはまる症状の病気はないようなので、たぶんこれだと思う。

今のところ、生活にも歩行にも支障がないので、特に処置はしないけれど、痛みが強くなるようであれば、病院へ行くことにする。

2011年9月17日(土) 沿う

いろいろな行事や時期を迎えるたびに、以前の自分の行動がどうであったかを確認する手段として、日記を読み返すことが多く、読んでいるうちにその前後の状況も知りたくなって、たいていの場合は一気に一か月分を読んでしまう。

そうして自分の行動を振り返るはずだったのに、気がつけばいつの間にやら、おかしな言動で家族を笑わせてくれる次女のことを書いた日記を読みながら、当時のことを思い出し、一人でにやついている。

そういえば最近、日記に次女のことを書く機会が減ってしまったのは、次女が小学校高学年にふさわしい、まともな行動をすることが多くなったからだろうかと思い返してみたが、いやいやまだまだ笑わせてくれるような面白い行動はしているわけで、それを考え妙に安心したりする。

とにかく私にくっついていることが好きなようで、居間で寝転びながらテレビを見ていると、次女は私と同じようにテレビの方向を見ながら、私のあごの下当たりに頭を持ってきて、さらに背中を私の胸に当て、そのまま私の体に合わせ「必殺技!『沿う』」などといいながら、じりじりとにじり寄ってきて足の先まで、自分の体を密着させてくる。

ほとんどの場合、次女は手にDSを持ち、視線もゲーム機に向けられたまま、手馴れた職人が体に覚えこんだ感覚のまま作業しているかのように、スーッと私の懐に入ってきて、そのまま私の体に張り付く。

が、生来、暑がりの私はその状態に3分と我慢できるはずもなく、今度は起き上がってテレビを見る。

すると、今度は「おひざ!」といって私のひざの上に座ろうとするので、「あかん」と言うとやたらとしょげるから、少しかわいそうに思って、「しゃーないなあ」と言うと、表情が一変し、私のひざの上に喜んで飛び乗る。

けれど、次女は高学年になっているわけで、無論体重もそれなりに増えており、私のひざはそれほどの鍛錬をしているわけでもないので、これもまた3分ともたず、次女をおろすことになり、そして再び私は寝転ぶのである。

昼寝をしている猫が、次女に起こされ、迷惑そうにしながら場所を移動し、また眠りについても結局また次女に起こされ、再び場所を変える、そんな行動をとっていることがよくあるが、「沿う」と「おひざ」を繰り返されながらテレビを見続ける私も、その猫によく似ているなあと変なところで共感を覚えたりする。

2011年9月18日(日) 班長さんであってもの話一つ目

一般の保護者はたとえ班長さんであっても、地域のことやPTAのことなどに疎い人が多い、というか実際には「あまり考えていない」人が多いという話の一つ目。

私の自治会地域では、地域内にある公園掃除をするのは子ども会や小学校PTAの会員の役割、と自治会で決まっている。
そして掃除が終わると、当日の公園掃除に参加した人全員に飲み物を配る。
もちろん、その飲み物代は年度初めに公園清掃協力費などと言う費目で予算計上している。

その飲み物の代金がそろそろ無くなりそうだという話になったとき。

「じゃあ、公園掃除の回数を減らす?」
「回数減らすのはあかんのちゃう?」

「じゃあ、金額を減らしたらどう?」
「そんなん、急に減らしたら文句出るで」

「困ったなあ。やっぱり回数減らす?」
「そうやわ。私らかって好きでやってるんちゃうもん」

あまりに情けない会話である。

たかだか150円程度のペットボトルのジュースをくれるかどうかで、公園掃除をするかどうかを決めると言うのである。

傍観していた私も思わず口を挟んだ。

「あのね。
 公園掃除の後の飲み物は自治会が好意で出してくれているものです。
 公園掃除は子ども会の仕事だけど、それだけでは気の毒だ、と。
 だからせめて飲み物ぐらい出してやろう、そういうところからきてるんです。
 市に税金を払っているのと同じように、皆さんも自治会に対して自治会費を払ってますよね。
 たとえば、街灯も自治会費で設置されています。
 新しいものと交換するために業者にお願いするのも自治会費でまかなわれています。
 で、自治会費で足りない分が出てきたらどうするか。
 それは地域に住んでいる住民たちで補う必要があるんです。
 だから『お金がないからやらない』っていうのはちょっと違うんじゃないですか。
 地域に住んでいる人が地域に貢献するのは当たり前すよ。」

しばらくは黙っていたが、しぶしぶ話の続きを始めたので補足した。

「まあ、今年度は予算が足りないと言うことであれば、皆さんにも気持ちよく作業していただきたいので、不足分を子ども会から出してください。
 予算を上げてほしいと言う要望は自治会にも話をしておきます」

以前の日記に登場していたような私の地域の心強い班長さんたちは、もう見る影もないのか。

2011年9月19日(月) 班長さんであってもの話二つ目

一般の保護者はたとえ班長さんであっても、地域のことやPTAのことなどに疎い人が多い、というか実際には「あまり考えていない」人が多いという話の二つ目。

校区体育祭が目前に迫っており、子ども会のお母さんたち、とりわけ地区長が中心になって参加メンバーを集めているところ。

校区の体育祭なので、参加メンバーは校区に住んでいる人たち。
また、校区には複数の自治会があり、その自治会対抗で競技が行われる。
つまり、この時期は各自治会ごとに同じようにメンバーを集めている真っ最中。

私の地域のメンバー集めはどんな状況なのか、地区長にメンバー表を見せてもらった。

私の名前があっちこっちに登場する。
まあ毎年のことなので驚かない。

ところが普段は登場しないような競技のところに私の名前が書いてある。

みると参加者の条件に「会長」と書いてある。

驚いて地区長に言う。

「これ、私じゃないですよ。自治会長ですよ」
「え?そうなんですか?」

それだけの会話だが、唖然とする。

この人はいったい何を思って私の名前を書いたのだろうか。

子ども会の会長ではあるが、これは子ども会の体育祭ではない。
PTA会長ではあるがこれは学校の体育祭ではない。
そもそも各自治会で「会長」を出場させるとなると、それはもう「自治会長」しかいないではないか。

なんでこんな簡単なことがわからないのか。

自宅に戻ってから嫁さんに聞いてみた。
さすがにその話を聞いて驚いてはいたが、「まあ、でも、みんなそこまで考えへんねん。会長=○○さんって思ったら何の疑いもせーへんから」と言う。

「あまり考えていない人が多い」という事実に何度も接するが、私はいくら考えても「あまり考えていない人」のことがわからない。

それとも、考えるから理解できないのか?

2011年9月20日(火) やってみると楽しいバレーボール

土曜日は朝から実行委員会、秋祭り委員会、夕方には高校で会議、その後に懇親会、と大忙しだったが、その合間を縫ってPTAのバレーボールの練習にも参加した。

今回は顔を出しただけではなく、バーレーボール部の練習相手となってコートの中でボールを追いかけた。

準備運動をしてからコートに入る。
まずはサーブ。
お約束どおりボールはあらぬ方向へ飛んでいき、バレーボール部員から冷やかしの言葉が飛ぶ。

サーブを数本打った後、あとは手伝いに来てくれている中学生のバレー部員に任せて、私はコートの中に入り、ボールを返す役目。

とはいっても、レシーブからしてなかなかできず、ようやく上げてくれたトスにも、颯爽と振り下ろした腕は見事に空振りして、ボールは体とネットの間をストンと落ちる。

それでもボールを追い掛け回し、いつの間にかひざにはコートでこすった擦り傷が。

一通り、かき回した後は、ベンチに退き、今度は練習風景を写真に収める。

やがて練習終了の時刻となり、後片付けをして、引き上げた。

面白おかしいバレーボール部の練習は、やってみると思っていたよりも楽しい、と実感させてくれるものだった。

2011年9月21日(水) ゲームと試合(ゲーム)

試合に供えてビールを買おうと自宅近くのコンビニに立ち寄り、5本にしようか6本にしようかと迷ったけれども、最近は試合を見ながらビールを飲む本数も減ってきたように思うので、いつもの試合用の銘柄を5本購入した。

ふと、試合開始までにまだ1時間以上もあることを思い出し、今から飲み続けると試合中に飲めるのはたぶん3本程度になってしまうと思い、試合用ではないほうのビールも一本追加することに決め、おつまみのせんべいと一緒にレジへ持っていった。

つい最近までキャンペーンでやっていた「対象商品を二本以上買うともれなくもらえるクリアファイル」がすでに尽きたらしく、本当なら3冊はゲットできたのに、とすでに十分ゲットしているにもかかわらず、残念がってしまうところは貧乏性だ。

自宅に戻るとすぐに部屋着に着替えて缶ビールを開けて、次女と今日の出来事などを話しながら、おつまみのせんべいをバリボリかじり、いつものようにリモコンを片手にニュースをザッピングしていると、改めて今日は台風が通過したことを認識し、そういえばさっきから次女が話をしているのは、暴風警報のおかげで学校が臨時急行になったので嫁さんお友達らとデパートへ出かけたと言う話だということに気がついた。

次女もゲームも始めたので私も試合までゲームをすることにして、ゲーム機の電源を入れると、先日同様、最新の派手なメニュー画面からチープな画面のゲームを起動し、チープな音楽を聴きながら、正面を向いたまま横歩きをする勇者を操作し始めた。

前回は最後のボスの城に入るところまでやっていたので、今日はその続き、うまく行けば最後のボスとの対戦までたどり着けそうな感じのところまで到達していることを、次女に告げると、次女もテレビ画面を見て、私の勇者のレベルや所持金、装備などを見て「おお、すげー」などと感心する。

ダンジョンを通る間に何度となく力尽きそうになるが、そのたびに宿屋に帰り、体勢を立て直して少しずつ先へ進む、と言う、地味な作業を繰り返すこと50分、まもなくテレビ放送が始まるのでそろそろ準備をしなければと言うところでようやく、最後のボスと対面した。

「さあいくぞ!」と次女に言うよりもむしろ自分に言い聞かせるように声を出し、ボスと対戦が始まると、結構な手ごたえがあって、変身前のボスはあっという間に倒してしまったが、変身後のボスはまったく歯が立たず、攻撃されては回復させる、の繰り返しで結局何もできないまま最初の戦いは終わってしまった。

王様からお叱りの言葉を受けたところでゲームを中断し、試合を見ることにした。

試合のほうは勝つには勝ったが、内容としてはよいとは言えず、もっともっと点が取れてしかるべきものだったと思うし、おかげでビールもおいしく飲むことができず、結局、3本目は途中までしか飲めなかった。

ゲームも試合もすっきりしない内容だった。

2011年9月22日(木) 組み立て体操

今週末には小学校の運動会があり、組み立て体操をする次女は練習に忙しい毎日を送っており、学校の先生にとってはもっと練習の時間がほしいと思っているところなのに、先週も今週も雨続きであり、おまけに昨日は暴風警報が発令されて学校は休みであったので、今日は少々の雨であっても運動場で練習をするらしく、次女は雨合羽を持って登校した。

最近の組み立て体操は私が子どもだったころのものに比べて「力」よりも「演技」的な要素が多いように感じられ、基本的なものの組み合わせによって徐々に難しくなっていくと言うパターンではなく、新しい要素が次々と含まれるので、「あれができればこれができる」という感じではなさそうで、「この音楽のときはこの立ち位置」というようなことまで覚えなくてはならない。

演目の一つ一つ、たとえばピラミッドを見ても、たぶん、私がやっていた組み立て体操のほうが不安定であったし、最下段の荷重は大きかったので、今よりも難易度は高かったように思うし、力も必要だったと思う。

けれど団体演技として「見せる」要素は今の組み立て体操のほうが強いように思うし、実際、難易度はともかく、「全員で作り上げる」と言う演目も多いので、練習量はもしかしたら今のほうが多いのかもしれない。

学校から戻った次女は、今日の練習の成果を報告してくれる。
うまくいったときは嬉しそうにするし、失敗したときゲームをしながらついでに報告をする。

失敗でも成功でも怪我をせずに最後までやり遂げてくれれば大成功だ。

2011年9月23日(金) 親善バレー

毎年「秋分の日」には市内の各小中学校にあるバレーボールチームによる親善のバレーボール大会が開催される。

普段から各学校でバレーボール部として活躍しているところもあれば、この大会に向けて毎年結成されるチームもある。

バレーボール部として活動できるところは強豪チームであるが、大会に出場するためにメンバーを集めたチームは、とにかく頭数をそろえただけなので決して強くはない。

私の小学校にもバレーボール部はあるがどちらかと言えば後者に近く、嫁さんのように固定的なメンバーが数名いるものの、やはり大会に向けてメンバーを補充する流動的なチームも少なく、数校を除いて、慢性的にメンバー不足となっている状況に変わりはない。

だから親善大会に出場するチームのメンバーにはPTA会員だけでなく、バレーボール部だった元PTA会員などが含まれることも多い。
でも、親善のバレーボールなので、強さを競うことが目的ではないのだから、下手でもいいのでPTA会員でやるべきだと思う。

その意見は嫁さんも同じで、だから今回の出場メンバーは下手でもいいからとにかく楽しくやることを目標に進んできたし、いつも笑顔と笑い声が絶えないチームだった。

実際、試合の結果は強豪チーム相手に「21-10」「21-5」という完敗であったが、メンバーのあまりにも楽しそうな笑い声に、離れていたところで観戦していた人が「あの強豪に勝ったんですか?」と私に聞いたぐらいだった。

試合が終わって、夜の宴会。

「なんやあんたら!練習のときは全員そろったこそないくせに、なんで飲み会のときだけきっちりそろうねん!!」
「あはははは!!」

そういところが、いかにも楽しいこと大好き、というメンバーらしくてとてもいい。
これが「親善」なのだ。

2011年9月24日(土) 久しぶりのラーメン

ゆるゆるチームの打ち上げで馬鹿騒ぎしたために、いつものように二日酔い。

昨日はいつの間に眠ってしまったのか、気がつけば朝になり、毎朝同じ時刻になるとタイマーで電源が入るテレビから聞こえてくる音を、布団の中でまどろみながら聞いていた。
結局そのまま、昼近くまでごろごろして過ごし、腹が減ったので近くのコンビニまで昼飯を買いに出かけた。

ダイエットのために最近はラーメンを食べないようにしていたが、先日、半年振りにラーメンを口にした。
嫁さんがラーメンを食べたいと言うので、みんなでラーメンを食べに出かけたのだ。

どうせ食べるならと、私の好きなこってりすっきり油ギトギトのラーメンたべたが、これはもう実にダイエットによろしくない。
しばらくは口にしないでおこうとも考えたのだが、一旦ラーメンを口にしてしまうことによって、私の「ラーメン断ち」も解禁となってしまった。

そこで今日は脂肪分たっぷりの激辛の即席ラーメンを食べることにした。
せめてもの償いに、と野菜をたっぷりと入れた。

結果、作りすぎて食べ切れなかった。

やはりラーメンは久しぶりに食うのがうまいようだ。

2011年9月25日(日) 小学校運動会

今日は次女の学校の運動会だった。

おおよそ市内にある小学校は同じ日に運動会を開催することが多いようで、先日までの台風が過ぎ去り、よい天気になったことを関係者はみんな喜んでいるに違いない。

昨年は雨で順延してもまた雨にあい、まともに開催できなかったので、私の小学校では特に校長が喜んでいて「いやー会長。ほんまよかったですわ」としきりに繰り返していた。

私はいつものように来賓席に案内されたが、スーツ姿ではなく動きやすいトレーニングウエアを着ていた。

本当の来賓となる市議会議員たちはきっちりとスーツ姿でやっては来るが、もっと後からやってきて、少しだけ競技を見て、そして次の小学校へと異動していくのだ。

「それではPTA会長にお言葉をいただきます」

そういわれて朝礼台に上がり「おはようございます!」と言うと、子どもたちもみな「おはようございます」と返事をする。
子どもの挨拶は実に気持ちのいいものだ。
「最後までしっかりと力を出し切ってください」と締めくくった。

最初の「ラジオ体操」が始まると、「ほら会長も」とどこからか声が聞こえてきた。
てんで「来賓」扱いではない。
まあ、だからこそ、トレーニングウエアで来たのだが。

それが終わると来賓席に戻り、特等席でカメラを構えた。



こうやってこの場所で撮影ができるのも、今年で最後なのだが、考えてみれば次女がこの場所で運動会に出席するのも今年で最後だ。

毎年楽しみにしていたこの運動会。
来年の運動会は、私は楽しみなのだろうか。

2011年9月26日(月) 会長の奥さん

毎月の市P協議会の役員会議は月に二回以上を顔を合わすメンバーであり、かつ、複数年にわたってPTA会長や協議会の役員に携わっている人が多いため、そういう意味では小学校の役員たちと同じぐらいか、それ以上に親密な仲になることも多い。

とりわけ私は市内で一番面白いPTA会長を目指しているわけで、ムードメーカー的な役割を果たしているため、いろいろと話題を提供することが多い。

そんな話題の中には自虐的なものもあるわけで、私や嫁さんを題材にしたようなものも少なくない。
もちろんネタではあるが、会長たちの中には「一度○○(私)さんの奥さんが見てみたい」と言い出すものも何人かいて、親善バレーボール大会の抽選会場に現れた嫁さんの姿を見つけて挨拶をしに行くものもいた。

また、親善大会当日には私のところへやってきた数名の会長が「奥さんの背番号は何番なの?」としつこくと聞くので、根負けして背番号を教えてやると、今度は写真を撮るものまで現れた。

中年のおばさんの姿を、これまた中年のおじさんおばさんたちが、うれしそうに探している姿はなんとも奇妙なものだ。

嫁さんは「もう!私をネタにしないで!」とは言っているものの、これからも会長たちと顔を合わす機会も増えるのだから、○○会長の奥さん、と知られているほうが、きっと楽しいと思う。

2011年9月27日(火) 運動しない

「9月から運動をしよう」と心に決めたのは8月の終わりかけのころだったか、あれから一ヶ月が経過し、今週末には校区体育祭も開催されるというのに、私は一向に運動をしない。

自分の意志の弱さを認めたくなくて、いろいろと口実を考えては見るものの、仕事は定時に終了するし、連日会議があるわけでもないし、気温だって運動をするには暑すぎると言う感じでもなく、結局どれも理由になっていない。

それでもあえて理由をつけるとしたら、秋はいろいろとイベントがあって、心の落ち着く暇がなく、運動をする気分にならない、と言ったところか。

ま、それを言うぐらいならもっと単純に、左の靴のつま先部分の靴底が、めくれてしまって歩きにくい、という理由のほうがまだましかもしれない。

「10月から」と決めてもまた先送りになるのは目に見えているので、ここはやっぱり無理をせず、運動をしたくなったら運動をする、と言うことにしておく。

やり始めたらまた当分の間、続けることができるだろうから。

2011年9月28日(水) 中学校最後の

先日開催予定だったが天候不良のため今日に順延された、市内の中学校の運動会に来賓として出席した。
今日は天気もよく、平日の昼間ではあるが、たくさんの保護者がお見えになっていた。

受付を済ませて来賓席に向かうと近隣の学校の校長やら自治会長がいて、一通り挨拶絵をした後、遠慮なく最前列の席に腰をかける。

いつも最前列の席は「遠慮の塊」となっており、誰も座っていない。
でも私は遠慮しないし、毎年そうやっていれば、私のキャラクターとして定着もするから、年々、最前列に腰掛けることに慣れてきた。

子どもたちの演技や競争が続く。



中学生ともなれば、だんだんと生意気になり、見た目の厳つさから敬遠されがちになることも多いが、子ども会のときから知っている中学生などは、今でも気軽に挨拶してくれる。

あんなに小さくて甘えていた子どもがこんなに立派な青年になるのかと驚き、今ではとても勝てそうにないその俊足ぶりに再度驚かされる。

子ども会をやっているとその子どもの歴史に携わることができるようでうれしい。

そういえば市内で一番古いこの学校は今年限りでその歴史に幕を閉じる。

私の長男と長女がお世話になった学校だ。



私と同じように子どもの成長を見守ってきたこの校舎にとっても、今日の運動会が見納めとなる。

校舎の姿がいつもより寂しげに見えた。

2011年9月29日(木) かっこいい楽器

男はメカニックなものが好きだ。

例えば飛行機の操縦席。

いろんなメーターやスイッチ類を見るとなぜだかわくわくする。

車だって、マニュアル車ならまだしもオートマ車でどれほどの人が必要性を感じているのかわからないような「タコメーター」でも、ついているほうがかっこいい。

楽器も同じ。

「シンプルなものには味がある」なんて大人びたせりふはともかく、ボタンやつまみが並んだシンセサイザーは素直に「かっこいい」と思う。

その男の心理は、女性には理解しづらいかもしれない。

私が今使っているシンセサイザーにもボタンやつまみがたくさんある。



「使っている」とは書いたけれど、実際に演奏することも少なく、ましてどのボタンがどういう役目をしているのか、半分以上も理解していない。

ただ、この姿を見ながら酒を飲むだけで、とても気分がいい。

まるで芸術作品を見ているようだ、とまではいかないけれど気分よく「鑑賞」できると言う意味では、それに近いものがある。

秋もいよいよ本格的になる。

「芸術の秋」だけでなく「音楽の秋」も楽しみたいと思う。

2011年9月30日(金) 口座開設

学校で、参加人数が大量かつ参加費用が高額、となる行事を行うことになったため、その集金方法として振替口座を利用することにした。

普通なら学校で口座を作ればいいのかもしれないが、学校で口座を作ると監査対象となって何かと手間がかかるというので、その行事の代表者である私の名義で口座を開設することにした。

しかし、完全に個人の名義で作成してしまうと、その個人、つまり私以外の人間が出納できなくなり、非常に不便だ。

そこで、どうしたものかと悩み、知り合いの郵便局員に相談した。
というか、悩むまで、一緒に役員をやっている人が郵便局員であることを忘れていただけなのだが。

すると、その会の「規約」や「名簿」を用意し、代表者として私を登録すれば、名簿に記載のある人なら誰でも出納できる、ということがわかった。

早速手続きを、と思ったが、規約がない。
規約らしいものと言えば、最初の会議のときに配布された「実施要綱」ぐらい。
そこにはこの行事の目的や実行委員の仕事などが記載されているが、規約ではない。
そもそも、「○○会」という名称がまだついていない。

けれど手続きに必要なものとして「名称」「所在地」「目的」「設立年月日」などが記載されている必要があるのだ。

そこで大慌てで規約を作成することにした。

 第一条 名称 この会の名称を「○○学校××委員会」(以下本会と言う)と称す。

 第二条 所在地 本会を次の住所に置く。

などなど。

出来上がった規約を委員会で承認してもらい、名簿と一緒に郵便局へ提出すると、「規約」まで提出した割には、あっさりと受理された。

やたらとあわただしい一週間だったが来週には口座が開設されるはず。

初めての経験だったためか、忙しかったためか、やり終えた今は変な充実感がある。

[先月] [目次] [来月] [最新版] [トップ]

info@karintojp.com
Akiary v.0.51